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野村芳兵衛の生活指導観における信仰について

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野村芳兵衛の生活指導観における信仰について

北 島 信 子

A Study of NOMURA Yoshibee’s Faith in His View on Life Guidance

Nobuko K

ITAJIMA はじめに  野村芳兵衛(1896∼1986)は、大正新教育期に池袋児童の村小学校(以下、児童の村小とす る)の訓導として、戦後は郷里岐阜にて、生活教育を中心に活躍した実践家である。雑誌『綴 方生活』(1929∼1937年)、『生活学校』(1935∼1938年)をリードし、生活指導理論の源流で あるといえる。  野村の教育観において、「生命信順」や「生活観照」はきわめて重要な位置をなしていると いえる。そこでは、彼が幼児期から感得してきた浄土真宗への信仰心がその基底に存在してい ることが、これまでも先行研究において明示されてきた。しかしながら、野村の信仰心が「協 働自治」訓練をはじめとした「生活訓練」(生活指導)にどのように関連づけられているのか ということについては明らかにされていない。  戦前の生活指導概念には、2つの系譜がある。1つは生活綴方教育、もう1つは生活訓練で ある。野村は、雑誌『綴方生活』、『生活学校』をともにリードし、当時の自由主義教育に対し ていわゆる「児童中心主義」を越えた「生活訓練」を提案していったのである。  信仰を基底とした野村の生活指導観は、根底はかわらないものの、「生活観照」、「生命信順」 から「国民道徳」や「功利」へと変容していく。野村は『生活訓練と道徳教育』(1932)にお いて、「国民の功利」である「国民道徳」の形成を求めており、そのような「国民の功利」を「客 観的功利」とし、実現に向けた具体的な教育実践として、「協働自治」訓練をあげている。  児童の村小の「協働自治」訓練の展開について、野村は「協働自治は、生活信仰と生活科学 の上に立つが故に、よく生活を計画し得るのである。然も生活を計画し得るが故に、生活を指 導し得るのである」(1)と述べている。このように、「客観的功利」(「国民道徳」)に向かう「協 働自治」とは、「生活信仰」と「生活科学」の上に立った「生活訓練」であるといえる。  竹内常一(1969)によれば、この時期の野村の研究関心と信仰の関連について、「宗教的生 命主義」から「客観的功利主義」に、協力意志にたつ教育を協働自治にもとづく訓練に組みか えていったという(2)。そしてそれは野村が自身の生活指導観を「観念的生活指導から科学的生 活訓練へ」としたことと深く関わっているといえる。こうして野村は「宗教的生命主義」から

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「客観的功利主義」へと転回したのであるが、それは信仰から科学的な行動主義への転回を意 味するものではない。竹内が指摘するように、野村における「客観的功利主義」とは、野村が 生来もっていた信仰が深まり、それを教育実践において具体化していったものと考えられる。  のちに竹内(2010)は以下のように述べる。    「『協働自治』にもとづくかれの「生活訓練」論は、子どもを意識的な自治主体に訓練し ていくものとして戦前の生活教育運動に受け入れられ、戦後の自治活動へと引き継がれた。    宗教的な装いに包まれてはいたが、それは生活指導の今日的な実践形態である「自治的 集団づくり」と「仲間づくり」または「交わりの指導」を先取りするものであったといっ ても過言ではないだろう。」(3)  本研究では、竹内のそうした指摘に学びつつ、野村芳兵衛の「協働自治」論と実践が信仰と の関係でどのように位置付けられているのかについて、彼の信仰の基盤となっている浄土真宗 (親鸞)の教義と信仰共同体の生活形態にもとづいて検討していく。 1 生活指導とは ⑴ 戦前生活指導の変遷  生活指導は、山本(2014)によると「大正期の民主主義を求める社会運動を背景に、反管理 主義の教育実践として生まれた」(4)ものである。  こうした大正デモクラシー期における社会的・思想的な背景で、「教育の国家統制に抗して、 子どもたちに地域・学校・家庭にまたがる生活や自己の生き方を見つめさせ、生活をつくりか えるための生活意欲、生活知性、生活技術、連帯する力や組織的な行動力を育てる教育実践と して登場し発展してきた」(5)のである。  日本において、明治中期には谷本富らによってヘルバルトの教育理論が紹介された。「ヘル バルトは教科外教育の原理を管理と訓練という概念で構成し、まだ意志の十分に発達していな い子どもたちを拘束して、秩序を維持する管理から始め、子どもに意志が発達するにつれて、 教師の人格的感化と権威によって自主的な行動を展開させる訓練に移行するとしていた。しか し、日本では、訓練が管理の一部として理解されていたために、教師の人格的感化による自主 的な行動などはなく、教師の直接的な管理や、その代行機関としての級長、班長、当番などの 権利的組織による間接的な管理をとおして、学校や教師が決めた規則を子どもに強制していた。 こうした管理主義教育にたいする反発から生活指導は生まれた」(6)のである。  そして、戦前生活指導概念に2つの系譜が出てくるのであるが、それは生活綴方教育におけ る生活指導と、生活訓練のなかで用いられていた生活指導である。  山本(2014)は以下のように述べている。

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   「1つは、生活綴方教育を源流として、現実にたいする子どものありのままの意識や感 情や態度そのものを指導の対象とし、ものの見方、考え方、感じ方を育てる指導としての 生活指導である。そしてこの系譜は、教科・教科外の両方の領域にわたる思想、態度、価 値観など生き方にかかわる教育として発展していく。    もう1つは、生活訓練のなかで用いられていた生活指導である。ここでいう訓練とは、 生活のなかでの行為・行動を指導の対象として、目的に従って自主的に行動をコントロー ルできるように教育するという意味である、生活訓練の生活指導は、主に自由主義的な私 立学校運動のなかで行われていた。子どもを野生的存在としてとらえ、子どもの生活の中 心を遊びとし、子どもの遊びを指導することが生活指導と呼ばれた。生活指導のこの系譜 は、教科外における子どもたち自身の自主的な交友生活の指導、学級文化運動の方向や、 子どもたち自身の自主的な集団活動と集団組織化をめざす集団主義的な方向に発展して いった。」(7)  このように、戦前の生活指導の系譜は生活綴方と生活訓練の2つがあるということができる。  生活綴方の系譜においては、芦田恵之助が「随意選題綴方」を提唱し、「『綴方科』は人生科 である』とは『綴方は自己を綴る』ことだというように、綴方は人間形成の一環としてとらえ られていた」(8)  そして、『綴方生活』の同人であった峰地光重ははじめて生活指導という言葉を用いた(9) 峰地は、「立派な文章を綴るためには、『価値ある生活』ができるように指導しなければならな い」(10)とし、そこにおいて、初めて「生活指導」という言葉を用いたのである。  その後、峰地と同様、『綴方生活』同人の野村芳兵衛は、「教育方法上の進歩性として自治訓 練を導入したのみならず、子どもを生活者としてとらえ、生活者としての生きる力を育てよう とした」(11)のである。  野村は、「道徳を態度だけで考えていたのでは、行動化しない。行動としての道徳は、必ず 公利でなくてはならぬ。つまり、みんなが生きられるということでなくてはならぬ」(12)と述べ、 『生活訓練と道徳教育』を発表した頃から、それまでの生命主義(生命信順、生活観照)から、 国民道徳の形成に向けた行動(生活訓練)について生活指導論を展開していくようになったの である。野村のこうした生活指導観については、次節で述べていく。  そして、戦後、生活指導概念をめぐって、「生活指導は教科外領域における教育の目的・内容・ 方法を示す概念なのか(領域概念)、それとも教科・教科外のいずれの領域においても機能す る機能概念なのかという生活指導論争が繰り広げられた」(13)のである。  このようにして、生活指導の戦前・戦後は変容していったが、野村芳兵衛の提唱した「生活 訓練」は、竹内(2010)が述べたように、「宗教的な装いに包まれてはいたが、それは生活指 導の今日的な実践形態である『自治的集団づくり』と『仲間づくり』または『交わりの指導』 を先取りするものであった」といえる。戦後の生活指導の系譜に影響を与えただけではなく、 今日的な生活指導の展開にも影響を与えているといえるのである。

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⑵ 野村芳兵衛の信仰を基底にした生活指導観  先述したように、野村芳兵衛の生活指導論は、現代の生活指導実践の源流とみなすことがで きるといえる。野村は雑誌『綴方生活』『生活教育』ともに関わっていた。野村の生活指導観 における特徴は、信仰を基底にした教育観であることはもちろん、教科・教科外教育というの ちの「領域概念」に立たないことであるといえる。  野村は、「生活訓練」を提唱するにあたって、それまで自身がとらえてきたいわゆる児童中 心主義での「生活指導」のあり方で、「教育意識」(教師が子どもの上位に位置付いて子どもを 指導するということ)があったことを反省し、「生活指導の反省」として以下のように述べて いる。    「本当の意味に於て、生活を導くものは、如来であって、私たち教師ではないと私は信 じている。子供が導かるゝやうに、私も導かれるのである。だから教師としての私が生活 指導を考へると云ふことは、どうしたら子供と共に如来に信順し得るかと云ふことになる のである。」(14)  このように、野村の生活指導観は、教師と子どもが並列の立場で、「如来」に照らされた「生 活」を深める「 同 どうぎょう 行 」であるということが示されている。このことは、野村が教師としての「教 育意識」を否定したところと同義であると考えられる。  野村が児童の村小において、生活指導における仲間づくりの組織論として評価されてきた「協 働自治」という概念がある。野村は、「協働自治」とは「集団それ自身が持つ自治である」(15) とし、その「協働自治」をかたちづくる土台として、野村が具体的な教育経営を語るとき、し ばしば出される「同行」について考えてみたい。    「ピヨ〳〵と雌鳥の後を追ふ、雛たちの声を聞け。兄ちゃん待ってよ、はやくおいで、 と語ってゐるではないか。    ピヨ ピヨ    ピヨ ピヨ    何とも言へない友愛を感ずる。一しょに歩んで行く生活巡礼を思ふ。待ってよ。早くお いでよ。そこにも純な教育の姿があるではないか。    親鸞は凡ての友に向って御同行と呼びかけた。そして、慰めたり、語ったり、助けやっ たりして生きて行った。何と言ふしっくりした生活巡礼であらう。    私も出来るなら、子供たちにとって、慕はしい一人の同行でありたい。子供たちも私に とって慕はしい同行衆でありたい。そして学校は生活巡礼の生活場でありたい。教育とは、 生活巡礼たちが、互に交はす友愛のさゝやきでありたい。」(16)  このように、野村は「同行」という言葉を用いて、教師と子どもの関係性、学校がどのよう

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な場所であるべきかについて述べている。野村にとって、「教育」とは教師が上位に位置付き、 子どもを一方的に指導するという行いではなく、教師と子どもは「一しょに歩んで行く生活巡 礼」でありたいということである。ここでは、そのようなそれぞれ異なりつつも平等な、生か し合う仲間の関係性を「同行」と述べているのである。  そして、彼が用いている「同行」は真宗辞典によると以下のように述べられている。    『法事讃』(善導)に「『各々半座を留めて華葉に乗じ、我閻浮提の同行人を待つ』等と あり、同じ信仰の道を歩む友を云ふ。列祖の聖典にこの語極めて多く、御同朋御同行の称 呼は真宗の特徴となり、今専ら檀徒、信徒の意に用いられるに至っている。」(17)  「同行」とは仏の教えに導かれる「同じ信仰の道を歩む友」であり、志を同じくする人々の 平等な集団の一人である(18)。野村の教育観でいえば、教師と子どもの関係を学校・学級集団 における「同じ真実(信仰)の道を歩む友」の集団、仲間であり、それぞれが差異をもちつつ 平等であるとしている。それは、教師が子どもの上位に位置付く関係ではなく、仏の前では教 師も子どもも平等であるということである。また教師が子どもに一方的に教えるということで はなく、教師と子どもが相互交流を通してともに学び合うということ、教師も子どもから学ぶ ということである。「学校は生活巡礼の場でありたい」とし、ここにおいて特徴的なことは、 子どものなかに真実、限りなき「いのち」、すなわち「仏」をみることである。このような主 体的「めざめ」に従うことが、野村の生活指導観の根底にある「生命信順」の意味であるとい える。  同行について、「蓮如上人御一代記聞書 末」において、以下のように述べられている。    (二四五)「愚者三人に智者一人」とて、なにごとも談合すれば面白きことあるぞと、前々 住上人(蓮如)、前住上人(実如)へ御申し候ふ。これまた仏法がたにはいよいよ肝要の 御金言なりと云々。(19)  「愚者三人に智者一人」は、「愚者でも三人あつまれば智者一人にあたるという意」であり、 蓮如は信心を深めていく際に、一人ではなく、談合(話し合い、討議)で、互いに学び合うこ とによって、飛躍的な高まりが得られると述べている。ここにおいて、同行という「同じ信仰 の道を歩む友」が話し合うことによって、互いに学び合い、信心を深めていく場の重要性が指 摘されている。  また、こうした同行の浄土真宗における信仰の生活共同体を「講」といい、それは以下のよ うなものである。  「講」とは、「親鸞以来、門徒の信心獲得と真宗発展のために寄合・談合が奨励されて来た」(20)

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ものである。そして、「毎月の寄合の目的は『一月に一度なりとも、せめて念仏修行の人数ば かり、道場にあつまりて、わが信心は、人の信心はいかがあるらん、といふ沙汰をすべき』も のであった(御文文明五・下旬)。寄合=講は文明以後の真宗の飛躍的発展期において明確な 組織をもって、単なる宗教的な性格だけでなく、村の政治的結合体としての性格を強めていっ た。と同時に、門徒農民にとって生活のいこいの場所ともなっていった。」(21)  このような講は、文明末期には目覚ましいものがあったが、「『講』による門徒の組織化がす すむにつれて必然的に生ずる荘園の侵害、在地領主=武士への反抗を固くいましめているので ある」(22)  このように、講のような信仰の生活共同体は「村の政治的結合体」としての性格を強め、そ の共同体のもつ力が権力者たちに恐れられていたことがわかる。  「講」は信仰を基底にした生活共同体であり、そこでは、人々が平等な関係性のなかでとも に生活し、信仰を深めていくのである。それらは野村の生活指導実践でいえば、「協働自治」 に通じていくと考えられる。教師も子どもと並列で、「同じ信仰を歩む友」である。またそこ での「信仰」は野村の教育観でいえば、「生活」と同義としてとらえられている。 2 「協働自治」論の展開 ⑴ 野村芳兵衛の「協働自治」論  野村芳兵衛の生活指導理論である、「協働自治」論の実践は、児童の村小において展開された。 野村は、協働自治訓練を提案するにあたって、それまで使っていた「生活指導」という言葉を 使わなくなり、それは「訓練」に変わっていった。「観念的生活指導」から「科学的訓練」へ の転回である。  先述したように、野村は「生活指導の反省」ということで、大正自由教育における児童中心 主義、自由主義に対して、「協働自治」によって、真の自由が展開されるとし、「訓練」はその 実現に向けた具体的な行動であるということである。  児童の村小では、デグロリー学校のモットーであった、「生活のための、生活による教育」 として出発した。野村によれば、児童の村小では、そのモットーが生活の綴り方によって実を 結んだという(23)。児童の村小では「生活によって学ぶ」ことを中心に据え、「守り合っておち つき、助け合ってたのしみ、教え合ってはげむ」がモットーであった。これこそがのちの野村 の生活指導論である「協働自治」訓練であるといえる。  野村は以下のように述べる。    「先ず、生活のためという目標は、子どもたちが、毎日の集団生活の中で、おちついて 生活するためには、どうしても、お互に守り合わなくてはならぬし、たのしんで生活する ためには、どうしたって、お互いに助け合わなくてはならぬ。そして、本当に生活にはげ もうとするならば、お互に教え合わなくてはならぬ。この、守り合っておちつき、助け合っ

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てたのしみ、教え合ってはげむ。という、三つの目標こそ、生活のために身につけなくて はならぬものだったのである。」(24)  この3つの目標こそ、「生活のために身につけなくてはならぬものだった」とし、生活によっ て学ぶとはどのようなことかについて、以下のように述べる。    「われわれは、集団の中で、呼びかけ合ってくらしている。その呼びかけが、相手を自 分に合わせようとしてはたらきかける時、やってみるという方法をとる。また、自分を相 手に合わせようとして受けて立つ時、つまり、呼びかけられた時、私たちは、なってみよ うという方法をとる。こうした二つの方法によって、何かを見つけたり、何かを味わった りした時、私たちは、友だちに知らせたくなるし、お互のくらしに矛盾を持ってきた時に も、どうしたって、話し合ってみねばならぬ。つまり、私たちは、やってみて見つける。なっ てみて味わう。見せ合って話す。    この三つのやり方では、何よりも、文を書くということが必要になって来た。なぜなら ば、私たちが、毎日の生活を行動しながら観察し、観察しながら行動し、然も、話し合う ことで行動の統一をはかって行くには、ことばを中心にして考えたり話したりするより他 に方法がないのであって、そのことそのままが文を書くということに他ならなかったから である。これが、私たちの言い出した生活綴方だったのである。」(25)  このような、「守り合っておちつき、助け合ってたのしみ、教え合ってはげむ」の生活(学習) 形態は、「協働自治」の具体的な姿ということができ、またそれは、さきに述べた野村の教育 観における「同行」という形態と関わっているといえる。  野村は、生活学校の指導原理として協働自治をあげ、『生活学校と学習統制』(1932)の序章 において、以下のように述べている。    「生活学校とは、学校を子供達の生活の場所として、協働体社会に組織し、子供達の身 体的必然(愛)と環境的必然(公利)とを協働自治に統制せんとするものである。」(26)  そして、指導原理としての協働自治を以下のように述べている。    「前にも言ったやうに、べき 4 4 とはある 4 4 の統制だから、指導原理べき 4 4 は必ず生活原理ある 4 4 の上に立ってゐなくてはならない。    そこで茲に提示した協働自治こそは、生活原理であり、同時に指導原理であるのだ。    協働自治は如何にして生活原理であるか。それは、AとBとの二つの力の合力としての 運動が協働自治だからである。生活は一つの合力運動である。だから生活の原理は協働自 治であらねばならない。それでは、如何にして協働自治は指導原理たり得るか。協働自治

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は、生活信仰と生活科学の上に立つが故に、よく生活を計画し得るのである。然も生活を 計画し得るが故に、生活を指導し得るのである。    つまり協働自治は一面、人の本性である愛に呼応するし、一面は社会の組織的必然であ る公利に呼応する。だから協働自治は人々も社会も共に要求するところであるが故に、人 も組織も共に牽引さるべき必然を内在する。然も指導者は、その必然を信仰し、その必然 を認識してゐるが故に、よく計画者となり指導者となり得るのである。    真の自由は孤立にあるのではなく協働にある。    真の自由は放縦にあるのでなく統制にある。吾々はデモクラシーを一歩すゝめて、統制 の自由を計画せねばならぬ。然もその統制の自由たるや理想主義などの言ふ如き抽象的概 念的主観的統制ではなく、何処までも具体的生産的協働的統制であらねばらならぬ。    かくの如き意味に於て、協働自治こそは、無二な生活原理であり、従って生活主義の指 導原理たり得るのである。」(27)  このように、「協働自治こそは、生活原理であり、同時に指導原理である」とし、「協働自治」 は生活信仰と生活科学の上に立つとしている。そして、「愛にも呼応し、社会の組織的必然で ある公利にも呼応する」としている。つまり、「協働自治」の実現は、生活信仰と生活科学が 基底にあるということである。そこにおいて、科学的な行動は信仰を基底にした公利に向かっ ていくという原理であると考えられる。また、ここでの「指導者」もこれまで述べてきたよう に、子どもの上位に位置付くのではなく、「同行」であり、信仰(宗教)に導かれた「計画」 を協働で訓練していくものととらえられる。  「デモクラシーを一歩すゝめて」とは、自由主義のもとで教師が指導者として子どもを導く ということではなく、教師も信仰をもった同行として、上からの指導ではなく、信仰(生活観 照、生命信順)に導かれた公利を協働で追究していくことであるといえる。 ⑵ 児童の村小における「協働自治」の実践  「協働自治」において、野村の指導方法は、以下のように「連帯」であるとしているが、そ れは、上述したような「同行」として子どもたちを組織していたと考えることができる。  野村は、学習が単なる個人の営みでなく、協働的な学級学習である以上、そこには、一つの 学習における学級政策が必要であり、その政策の宣伝が必要であるとし、その宣伝の方法とし て、スローガン及ポスターの利用を提案したいとしている(28)  ここでは、「学習訓練スローガン」の一つとして、「ボクタチ ノ コト ボクタチデ」につ いての野村の論考を取り上げる。(下線は引用者による)    「生活は常に連帯だ。僕達は自分一人のことが出来たからと言って安心してはならない。 自分の椅子はあった。だが友達の椅子はあるかどうかを相談せねばならぬ。自分はよく見 える。然し友達はよく見えるかどうかを考へねばならぬ。

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   ガラスがこわれたら、一しょに遊んでゐた者みんなで助合って破片をかたづけてから、 みんなで先生のところへあやまりに来るべきだ。何時でも生活の責任は連帯だからだ。    遊び道具も一人で独占してはならない。仕事も一人一人でやるよりも助合ってやるが いゝ。仕事を分担してやることがあってもいゝが、然し早く出来たら、他を助けてやるえ 0 らさ 0 0 がないといけない。分業するのは、早くらく 0 0 がしたいから、その利己のために分業す るのでなく、全体の期待を引受けて分担しやふのである。    子供達は靴を磨くのでも、布団をたたむのでも、兄は兄、弟は弟でやるよりも、兄も弟 も姉も妹も、同じ仲間の仕事を分担しやひ、助け合って働く方がいゝ。    例えば靴を磨く場合にも、兄は兄で弟は弟で自分自身の靴を磨くよりも、弟は兄弟全部 の靴のほこりを拭ふ。兄はブラッシでする。姉は布で拭ふと言ふやうに協働するのである。    「自分のことは自分でせよ」ではいけない。    「僕達9 9のことは僕達9 9でする」のである。    「仲間の仕事は仲間で」である。(29)  このように野村は、協働自治の指導方法において「連帯責任」と述べているが、これは単に 「責任」を集団(あるいは分団)に帰するということではなく、常に他者とともに生活してい るということ、集団の(客観的)功利を意識化させるためであったといえる。野村が「協働自 治」でめざしたのは、「客観的功利」であり、利己的な功利ではないのである。だから、「自分 のことは自分でせよ」ではなく、「僕達9 9のことは僕達9 9でする」のである。  また野村は「学習」と「生活」を同義ととらえていた。    「学習の形態は、生活の形態と同じものである。若し学習が生活と異なる特質を挙げ得 るとするならば、それは理想的生活形態が学習形態であると言ふことが出来る。その場合 理想的と言ふことは、単なる望ましきと言ふやうな主観的内容を持つものではなく、それ は統制ある生活形態と言ふ生活の組織化を意味するものである。    『生活の組織化、それが学習である』    先づ、これを学習の第一規定として置かう。」(30)  このように、野村は学習の形態は、生活の形態と同じものであるとしている。そして、それ は「単なる望ましき」ものではなく、「統制ある生活組織」なのである。  ここから野村が、生活指導と教科指導を二分してとらえておらず、「協働自治」において生 活の指導と学習を同様に考えているといえる。そして、その目標は、「国民道徳」の形成であ るのであるが、それも宗教(信仰)が中心に据えられたものであると考えられる。  野村はこのような生活指導観を児童の村小に限らず、その後の実践において展開していった のである。

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3 竹内常一による野村芳兵衛の生活指導論 ⑴ 「客観的功利主義」の「協働自治」論  竹内常一(2010)は、「協働自治」にもとづく野村の「生活訓練」論は、戦前戦後の生活指 導の系譜に、「子どもを意識的な自治主体に訓練していくものとして戦前の生活教育運動に受 け入れられ、戦後の自治活動へと引き継がれ」ており、それは「宗教的な装いに包まれてはい たが、それは生活指導の今日的な実践形態である『自治的集団づくり』と『仲間づくり』また は『交わりの指導』を先取りするものであったといっても過言ではないだろう」(31)と述べ、今 日的な生活指導実践においても、野村芳兵衛の「協働自治訓練」が先進的な実践として意義あ るものとしてとらえている。竹内はその大著である『生活指導の理論』(1969)において、野 村芳兵衛の生活指導観、協働自治訓練について理論展開をしており、本章では、とりわけ宗教 (信仰)との関わりという視点から検討する。  「協働自治」は、野村の児童の村小での学級経営の指導方法に限った概念ではないが、とり わけ「協働自治」についての理論展開がある『生活訓練と道徳教育』(1932)の位置付けにつ いて、竹内常一は「野村の信仰告白の書ともいうべき第一期の著作群をひきつぐものである」(32) としている。  竹内は『野村芳兵衛著作集3 生活訓練と道徳教育』(1973)の「解説」を担当しており、『生 活訓練と道徳教育』(1932)の位置を戦前の教育活動および著作活動について以下のように区 分している。  竹内は野村のそれを3期に分けており、それは第1期「児童の村小学校に参加するまでの岐 阜での教師時代」(1918∼1924年)、第2期「児童の村小学校時代」(1924∼1936年)、第3期「児 童の村小を去り、日出学園、日本女子大付属高等女学校等を歴任し終戦を迎えるまでの時代」 (1936∼1945年)である(33)。著作活動としては、第1期では、『文化中心修身新教授法』(1925)、 『新教育に於ける学級経営』(1926)、第2期では、『生活訓練と道徳教育』(1932)、『生活学校 と学習統制』(1933)、『新文学精神と綴方教育』(1936)、第3期では『自然観察のさせ方』(1942)、 『家庭の教室』(1943)である。  竹内は第1期と第2期の信仰を基底とした教育実践の変容について、宗教的生命主義から客 観的功利主義への転回としている。同時期の他の大正自由教育、生活教育実践者たちと比較し て、以下のように述べている。    「初期の野村の生活教育論は、大正期自由教育のアンチテーゼとしての性格をもってい た。アンチテーゼとはいっても、それは観念論と唯物論といった対立ではない。野村の生 活教育論は、大正期自由教育の原理である自由意志論的な教育発想を批判する宗教的生命 主義に根拠をもっていた。ところが、昭和七、八年になると、野村の理論的関心は、大正 期自由教育の批判というよりは、自分の宗教的生命主義に現実的性格を与え、自分の生活

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教育論を生活観照のそれから生活実践のそれへ組みかえることにむけられる。こうした野 村の理論的関心はつぎのような二つの要因から生まれているとみてよいだろう。そのひと つは、野村における親鸞主義がますます強固なものとなり、そのことによって生命信順の 宗教が生活実践の宗教へと組みかえはじめたことである。いいかえれば、宗教的生命主義 が生命主義というヨーロッパ的な仮着をすてて、野村の生来の性格ともいうべき土着的宗 教へとかえっていたことである。もうひとつは、マルクス主義および新興教育運動に触発 されて、野村は自分の宗教的生命主義のうちにあった決定論的発想に現実的、科学的な性 格を附与しようと努力しはじめたことである。この二つの要因にささえられて、野村は宗 教的生命主義を客観的功利主義に、協力意志にたつ教育を協働自治にもとづく訓練に組み かえていったのである。」(34)  このように竹内は、『生活訓練と道徳教育』(1932)が刊行された頃の野村の研究関心と信仰 の関連について、自己の生活教育論を生活観照から生活実践のそれへ組みかえることに向けら れ、それには2つの要因があるとしている。  1点目は、野村における親鸞主義がますます強固なものとなり、生命主義から土着的宗教へ の変容としたということである。  2点目はマルクス主義および新興教育運動に触発されて自分の宗教的生命主義のうちにあっ た決定論的発想に現実的、科学的な性格を附与しようと努力しはじめたということである。  そして野村は、「宗教的生命主義を客観的功利主義に、協力意志にたつ教育を協働自治にも とづく訓練に組みかえていった」のである。  竹内が指摘するように、野村における「客観的功利主義」とは、野村が生来もっていた信仰 が深まり、それを教育実践(協働自治、生活訓練)において具体化していったものと考えられ る。  そして、特に第1期と第2期での、野村における宗教と科学の関係について次のように述べ る。    「第一期の野村にあっては、すでにみたように、宗教と科学の関係は、前者を絶対、後 者を相対とする二重構造で、後者は前者のうちに包摂され、前者に従属してはじめてその 相対性を乗り越えることができるものと考えられていた。ところが、本書(─引用者注『野 村芳兵衛著作集3 生活訓練と道徳教育』)にはじまる第二期になると、第一期の両者未 分化の関係にメスが入れられ、科学は宗教から相対的に自立しはじめ、科学が全面に押し 出されてくる。(中略)第一期の野村にあっては、宗教は宇宙の生命力に自我を投げ出して、 宇宙万物の協力意志に参加・協力・合唱し、その中で部分的な自我を宇宙の全我に救って もらい、そのことによって宇宙の協働意志を純情直観していくものであった。ところが、 第二期になると、野村の宗教観は単なる生命信順的なものから生活実践的なものに変わっ

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ていく。宇宙の協力意志への参加という心情的なものから、人間社会の協同自治への参加 という実践的なものに変わっていく。『宗教は真実には、協働への情熱と智慧であらねば ならぬ筈だ。それが事実は神秘による依頼心の陶酔によって私利をみたし、人間の協働を 忘れさせてゐるのが現在の事実なのだ。吾々はかくの如き阿片性に対して反対せざるを得 ぬ。反宗教運動の功利性はそこにあると信ずる。』野村は、現代の宗教はちょうど親鸞がいっ たように寺院と僧侶の手からはなれて、人間の協働生活そのものとならねばならぬという。 この主張は、野村の親鸞主義のより一層の徹底化であるとともに、第一期の心情主義的宗 教観の自己批判と観てとれぬことはない。」(35)  このように竹内は第1期から第2期にかけての野村の宗教観の変容を、「生命信順的なもの から生活実践的なものに変わってい」ったとしている。「生活実践」は「(生活)科学」なので あるが、その具体的な行動について、従前の「宇宙の協力意志への参加という心情的なものか ら、人間社会の協同自治への参加という実践的なものに変わってい」ったとしている。  こうして野村は「協働自治」の実践として、科学的な行動について言及していくのであるが、 それは「科学」が「宗教」から自立し、「宗教」とは別の軸としてとらえられておらず、「宗教」 の生活実践の形態(協働自治)としてであるという点に、第1期における親鸞主義(信仰)が より深まったということがいえる。  野村が述べた「現代の宗教はちょうど親鸞がいったように寺院と僧侶の手からはなれて、人 間の協働生活そのものとならねばならぬ」という点についても、本稿で述べた同行や講の組織 において、寺院や僧侶がその組織に加わり、人々の指導者に位置付いてしまうことによって、 政治的な意味合いが含まれてしまうことからの弊害があった。その意味においても、野村がこ のように述べていることは、指導者としての寺院や僧侶が直接関係しない組織においてこそは じめて人々が平等な関係性のもと、信仰を深めていくことができるということであろう。この ことは、野村が自身の教育において、子どもの上位に位置付く教師としての「教育意識」を否 定したという点についても、深く関わっていると考えられる。  そして、竹内は、野村の親鸞の相対即絶対の信仰を例証にあげて、科学と宗教との関係につ いて、以下のように述べる。    「このように、いまや科学は宗教と同じく協働生活そのものに連結されるのである。宗 教が協働生活そのものになったように、科学もまた協働生活そのものとされるのである。 すなわち、宗教も科学も協働生活実践そのもの、協働生活技術そのものと考えられる。    だが、このことは科学そのものに完全な市民権が与えられたことを意味しているのでは ない。たしかに科学は宗教と同格になったが、そのことによって科学は宗教化されたので ある。野村のいう生活科学とは日常生活における社会的功利を具体的に統制する科学で あって、依然として個別科学ではない。また個別科学の統合された「総合科学」ではなく、

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イデオロギーとしての宗教的科学である。野村は親鸞の相対即絶対の信仰を例証にあげて、 科学と宗教との関係をつぎのようにのべているが、ここに宗教された科学の性格がよく示 されている。『これを(相対即絶対の信仰生活─竹内注)別の言葉でいえば、相対生活― 科学生活そのままが、絶対生活―信仰を根拠とすることを自覚したものである。』(『生活 学校と学習統制』)『そして相対生活の充実―科学生活の向上こそ、そのまま神の救であり、 絶対生活であることを知らねばならぬ。』(『生活学校と学習統制』)だから、科学的認識は 現代の宗教的実践であるところの協働生活実践そのものによって統制されると同時に、そ れにまた指針を与えるものである。科学と宗教は協働生活実践をとおしてたえず連絡しあ い、一つのものとなっているのである。」(36)  このようにして、野村は生活を科学化していったのであるが、竹内が指摘するように、その 科学は、一般的な「科学化」ということではなく、諸々の科学が統合し、宗教化していったと いうことである。そして、行動を科学化することは、野村において信仰と切り離されたもので はなく、むしろ、信仰が基底にある科学が宗教化し、宗教が科学的になり、「協働自治」とい う実践を「統制」し、また指針をあたえているということである。 ⑵ 協働自治訓練  次に、「協働自治」の具体的実践である「協働自治訓練」(生活訓練)について検討していく。 竹内は以下のように述べる。    「野村の生活学校は、国民生活の功利性実現を目的とする協働自治にたつ生活訓練一元 であり、それは協働自治をとおして科学的な生活技術と協働意志を訓練するものである。 それは子どもの自発活動を協働自治的に訓練して、社会的必要にかなった協働技術と協働 意志にまできたえあげていくものである。」(37)  竹内が指摘しているように、野村のめざした国民道徳は、国民生活の功利性であり、その実 現は協働自治によって、協議と抗議を通して行われていた(38)。このようにして、「野村は協働 自治の政治的統制=訓練力のうちに国民道徳をみいだしていく」(39)のである。ここで、野村は それまで(『生活訓練と道徳教育』刊行まで)使用していなかった「訓練」を使用していくの であるが、それはさきに述べてきたように、行動を科学化したものではなく、あくまでも信仰 を基底とした「客観的功利主義」(=国民道徳)であるのである。そのことを竹内は、「国民生 活の功利性を実現する協働自治、協働自治による政治的統制そのものが国民を形成することで あるといえる」(40)と述べている。  そして、「国民教育は協働自治的実践のなかでひとびとに協働意志にもとづく生活技術を訓 練していくことである」(41)のである。このように、野村は国民道徳を標榜し、その実現の理念 が協働自治であり、そこにおける具体的方法が協議と抗議であり、それを訓練していくという

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ことである。  このようにして、野村は従来の生命主義的な教育観や生活指導観を自由主義教育から「生活 訓練」に組み替えていったのであるが、それを竹内は以下のように述べている。    「野村は自由意志論的な一般陶冶説、学習法的な生活教育論を、決定論的な生活訓練論、 訓練論的な生活教育論に全面に組みかえていったのである。つまり、学習指導一元的な自 由教育を生活訓練一元の生活学校に転換させたのであった。生活学校は生活訓練一元のも とに構成されるべきだということは、学習指導(学習統制)も倶楽部指導(自治訓練)も ともに生活訓練として展開されるべきだということである。初期の野村において学習指導 と倶楽部指導とは生活指導の二つの相にすぎなかったように、ここでも学習統制と自治訓 練は生活訓練の二つの相にすぎない。けっして両者は学校教育の二つの領域をなすもので はないのである。というのは、野村の生活学校にあっては、どのような学習も協働自治に 統制されてあらねばならぬものであるからである。『吾々の生活を協働体社会のために協 働自治的に訓練づけていく、生活の組織化が学習である。』(『生活学校と学習統制』)つま り、生活学習とは協働自治によって社会的功利を実現していくときの生活技術の訓練のう ちに成立するものであるととらえられているのである。」(42)  ここにおいても、野村にとっての「学習指導」(教科教育)と「倶楽部指導」(教科外教育) が別領域とはみなされておらず、ともに生活訓練によって両者が訓練されるということである。 そして、その目標は国民道徳(客観的功利)ということである。  竹内は、野村の「協働自治訓練」の本質として以下のように述べる。    「野村にとっては、協働自治とは社会的功利の実現のために協議と抗議を組織し、具体 的な生活現実の科学的認識 4 4 4 4 4 にもとづいて社会的功利の実現のための協働作業を推進してい くことであった。このような協働自治こそ、その社会的組織をよく統制し、その社会の個々 人を協働自治人に訓練するものであった。すなわち、『集団自治は組織と人格の二方面に、 その自治形態を構成していく。何故ならば集団とは、組織によって統制された人格の集合 であって、決して単なる人格の自然的集合ではないからである。』(『生活学校と学習統制』) 協働自治はこの組織的方面の統制をとおして人格的方面の訓練をおしすすめ、そのことに よって協働自治それ自体をも発展せしめるものであると考えられていた。」(43)  そして、竹内は野村が上述のような観点にたった「自治」において必要な「社会的自由」に ついて以下のように述べている。    「社会的自由とは社会変革の自由であり、したがって社会的諸力間の闘争の自由である。 それだけでなく、社会的自由とは社会的諸力の闘争をとおしての社会的連帯と社会的統制

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の自由である。『協働自治は集団自治であるが故に、集団組織の持つ圧力によって、個人 を統制するところの統制生活である。だからそれは単なる平和ではなく、常に責任と計画 をもった戦であるのだ』(『生活学校と学習統制』)『だから協働自治は、一つの権力主義で ある。ただそれが従来の権力主義と相異する点は、その権力が、その集団全体の上にある と言うことである。従って、その集団人にとっては服法即自治と言うことになるのだ。』(『生 活学校と学習統制』)これが前節でみた宇宙の生命諸力の協力と対立という観念の現実化 であり、新興教育運動の影響下にあった野村の、自然村的協働自治の現代化である。野村 はここで協働自治とは一つの権力主義であると大胆に喝破しているが、ここに野村の大正 期デモクラシー批判が如実に表現されている。ここに野村の協働自治論が集団主義教育の 先駆者だといわれる由縁がある。」(44)  このように「協働自治」は、これまでの野村の教育観にあったように、生命信順、生活観照 を科学的な行動によって「客観的功利」をめざすのであるが、その科学的な行動も個人の功利 に帰するのではなく、集団における「協働自治」であった。  野村は「協働自治」論において、観念論を否定してきた。初期の野村の教育観において表わ されてきた生命信順、生活観照から親鸞への信仰がより深まり、「客観的功利」を求めた科学 的な行動をともなった「協働自治」へと発展していった。「客観的功利」をめざすために重要 な生活協働が「自然村的秩序」であったのではないだろうか。  野村が自身の信仰において、「現在の宗教はちょうど親鸞がいったように寺院と僧侶の手か らはなれて、人間の協働生活そのものであらねばならぬ」と述べたように、まさに、信仰を協 働生活としていると考えられる。それが野村の「自然村的秩序」ではないだろうか。野村の信 仰を基底にした協働生活─「協働自治」は如来の前ではすべての人が平等であるという考えの もと、如来に照らされた生活を協働で営んでいくなかで、「客観的功利」を探究する「同行」 としての「市民」形成であったと考えることはできないだろうか。  協働自治における具体的実践を一つあげたい。  児童の村小の協働自治(生活、学習)の実践形態としての「ハウス・システム」(45)がある。 これは、4人の職員(小林・牧沢・近藤・野村)が「家」(縦割の分団)を担当していた。3 つの「家」と「太陽の家」があり、「太陽の家」は大おとうさん(野村)が担当していた。児 童は、海・川・山組でそれぞれの「家」に所属し、海の組の子どもたちは、各家の「お父さん、 お母さん」になって、その組を指導する。職員は各家の大お父さん、大お母さんとなる。野村 の担当の「太陽の家」の子どもたちは、全校の世話係・進行役・連絡係であるという。太陽の 家の大お父さん(野村)が、全校活動のリーダーとなるのである。  こうした「ハウス・システム」における課題として、竹内は以下のように述べる。    「このような縦割りの全校自治組織は単一的で統一的な全校集団と、全校集団に開かれ た基礎集団の両方をふくんでいるという点では画期的な組織であるが、それが児童の自治

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組織として太陽の家の大おとうさんである教師から相対的な独立をかちとっていないとい う点においてなお問題をのこしている。だが、これは野村の協働自治論の本質にかかわっ ている。野村は後年、協働自治を兄弟自治、親子自治とよんで、デモクラシーに対峙して いるがその考えがこのハウス・システムによく表れている。」(46)  そして、竹内は「ハウス・システム」にみられる「国体」についても言及している。    「ハウス・システムのなかでは、子どもたちは自分たちのちからを社会的、集団的な力 として認識し、自分たちのちからを社会的、集団的に行使することを教えられるのではな く、みんなの力=太陽の大おとうさんの力として認識させられるのである。そして、ハウ ス・システムのなかでは、子どもたちは自分たちのちからを自分たちの集団の利益のため に行使するのではなく、みんなの利益=太陽の大おとうさんの利益のために行使するよう にしむけられるのである。こうして、ハウス・システムは子どもたちに『観念としての協 働自治』と心情としての「国体感情」を教えていくのである。    このように、協働自治訓練は、社会的諸力の解放と抗争と統制のなかでそれにふさわし い政治的自覚と政治的組織力を子どものなかに育てるのではなくて、自然村秩序=国体擁 護のための生活科学・生活技術・生活信仰を与えられることとなる。」(47)  ここにおいて、野村の信仰(宗教)を基底にした「自然村秩序」としての「協働自治」が「国 体擁護」につながっていくように解釈されるとの指摘があるが、これについては、野村が信仰 をもっていた浄土真宗教団が天皇と阿弥陀仏を一体化させた「真俗二諦論」(戦時中に浄土真 宗教団がとった天皇と阿弥陀仏を一体化させた理念)を展開していた影響をうかがうことがで きる。  のちの野村が「協働自治」を「親子自治」「兄弟自治」と呼び、デモクラシーと対峙したと いうことと、「教育意識」を否定し、自己客体を図る際に、戦前は「天皇」にその信仰対象を 求めていたが、それは「阿弥陀仏」に本来求めていたことと同義であると考えられる。 まとめ  本稿では、野村芳兵衛の生活指導観における信仰について、彼の信仰の基盤となっている浄 土真宗(親鸞)の教義と信仰共同体の生活形態にもとづいて検討してきた。野村の生活指導理 論である「協働自治」論とその展開が信仰との関係でどのように位置付けられているのかにつ いての検討を行った。野村の生活指導観において、「生活」(教育)と「宗教」(信仰)は同義 であった。そして、子どもの生活(生命)を導くのは、教師ではなく、「自他を越えた無量寿」 であった。このことは、子どもを導くのは如来であり、教師は如来によって照らされた子ども の生命に信順して、ともに信仰の道を歩む、同行ということであるといえる。

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 児童の村小を経た野村の「協働自治」論とその実践においても、野村の信仰を基底にした教 育観は深く関わっており、それは浄土真宗の信仰の生活共同体組織である、同行や講と同様の 形態をみることができた。  竹内常一が述べたように、『生活訓練と道徳教育』(1932)が刊行された頃の野村の研究関心 と信仰の関連については、「宗教的生命主義」から「客観的功利主義」に、協力意志にたつ教 育を協働自治にもとづく訓練に組みかえていったのであった。このような野村の教育実践の変 容は、決して「生命主義」から「科学主義」へと移行したのではなく、その「科学」も信仰と 深く結び付き、信仰をより深めていくなかでの具体的な実践(生活訓練)であったといえる。  そして、野村が自身の信仰において、「現在の宗教はちょうど親鸞がいったように寺院と僧 侶の手からはなれて、人間の協働生活そのものであらねばならぬ」と述べたように、まさに、 信仰を協働生活としてとらえていると考えられる。竹内は当時の野村が集団主義的な市民形成 とまではいかず、「国体護持」についての記述があるため、その「自然村的秩序」は「国体」 に求めていたとしたが、当時の浄土真宗教団が掲げていた「真俗二諦論」の影響もあったため、 野村の「自然村的秩序」における「国体」とは、「阿弥陀仏」であると考えられる。  本稿で協働自治の具体的な実践(生活訓練)において、「ハウス・システム」と浄土真宗の 信仰共同体組織(同行・講)についての試論を試みたが、今後は協働自治訓練における協議と 抗議について「相談会」の実践等からさらに具体的に考察していきたい。 注 ⑴ 野村芳兵衛『野村芳兵衛著作集4 生活学校と学習統制』黎明書房、1974年、29頁。 ⑵ 竹内常一『生活指導の理論』明治図書出版、1969年、232頁。 ⑶ 日本生活指導学会編『生活指導事典』エイデル研究所、2010年、67頁。 ⑷ 山本敏郎・藤井啓之・高橋英児・福田敦志『新しい時代の生活指導』有斐閣アルマ、2014年、 28頁。 ⑸ 山本敏郎・藤井啓之・高橋英児・福田敦志『新しい時代の生活指導』有斐閣アルマ、2014年、 4頁。 ⑹ 山本敏郎・藤井啓之・高橋英児・福田敦志『新しい時代の生活指導』有斐閣アルマ、2014年、 27∼28頁。 ⑺ 山本敏郎・藤井啓之・高橋英児・福田敦志『新しい時代の生活指導』有斐閣アルマ、2014年、 29頁。 ⑻ 山本敏郎・藤井啓之・高橋英児・福田敦志『新しい時代の生活指導』有斐閣アルマ、2014年、 30頁。 ⑼ 山本敏郎・藤井啓之・高橋英児・福田敦志『新しい時代の生活指導』有斐閣アルマ、2014年、 31頁。 ⑽ 同上。 ⑾ 山本敏郎・藤井啓之・高橋英児・福田敦志『新しい時代の生活指導』有斐閣アルマ、2014年、 33頁。 ⑿ 野村芳兵衛『野村芳兵衛著作集8 私の歩んだ教育の道』黎明書房、1973年、135頁。 ⒀ 同、6∼7頁。

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⒁ 野村芳兵衛『野村芳兵衛著作集2 新教育に於ける学級経営』黎明書房、1973年、37頁。 ⒂ 野村芳兵衛『野村芳兵衛著作集4 生活学校と学習統制』黎明書房、1974年、30頁。 ⒃ 野村芳兵衛『野村芳兵衛著作集1 生命信順の修身新教授法』黎明書房、1973年、56∼57頁。 ⒄ 河野法雲・雲山龍珠監修『真宗辞典』法蔵館、1994年、554頁。 ⒅ これは具体的には、この平等な集団とは、蓮如の時代に惣村(村落自治共同体)や寺内町にお ける信仰集団と生活集団が一体となった組織(講)を表す。 ⒆ 浄土真宗聖典編纂委員会『浄土真宗聖典─註釈版─』本願寺出版社、1988年、13∼14頁。 ⒇ 笠原一男『一向一揆 封建社会の形成と真宗の関係』至文堂、1966年、148頁。 笠原一男『一向一揆 封建社会の形成と真宗の関係』至文堂、1966年、148頁。 笠原一男『一向一揆 封建社会の形成と真宗の関係』至文堂、1966年、149頁。 野村芳兵衛『野村芳兵衛著作集8 私の歩んだ教育の道』黎明書房、1973年、127頁。 野村芳兵衛『野村芳兵衛著作集8 私の歩んだ教育の道』黎明書房、1973年、127∼128頁。 野村芳兵衛『野村芳兵衛著作集8 私の歩んだ教育の道』黎明書房、1973年、128頁。 野村芳兵衛『野村芳兵衛著作集4 生活学校と学習統制』黎明書房、1974年、1頁。 野村芳兵衛『野村芳兵衛著作集4 生活学校と学習統制』黎明書房、1974年、28∼29頁。 野村芳兵衛『野村芳兵衛著作集4 生活学校と学習統制』黎明書房、1974年、87頁。 野村芳兵衛『野村芳兵衛著作集4 生活学校と学習統制』黎明書房、1974年、91∼92頁。 野村芳兵衛『野村芳兵衛著作集4 生活学校と学習統制』黎明書房、1974年、93∼94頁。 日本生活指導学会編『生活指導事典』エイデル研究所、2010年、67頁。 竹内常一「解説」野村芳兵衛『野村芳兵衛著作集3 生活訓練と道徳教育』黎明書房、1973年、 411頁。 竹内常一「解説」野村芳兵衛『野村芳兵衛著作集3 生活訓練と道徳教育』黎明書房、1973年、 410∼411頁。 竹内常一『生活指導の理論』明治図書出版、1969年、232頁。 竹内常一「解説」野村芳兵衛『野村芳兵衛著作集3 生活訓練と道徳教育』黎明書房、1973年、 417∼418頁。 竹内常一『生活指導の理論』明治図書出版、1969年、233∼234頁。 竹内常一『生活指導の理論』明治図書出版、1969年、246頁。 竹内常一『生活指導の理論』明治図書出版、1969年、243頁。 竹内常一『生活指導の理論』明治図書出版、1969年、245頁。 竹内常一『生活指導の理論』明治図書出版、1969年、243頁。 竹内常一『生活指導の理論』明治図書出版、1969年、245頁。 竹内常一『生活指導の理論』明治図書出版、1969年、247頁。 竹内常一『生活指導の理論』明治図書出版、1969年、253頁。 竹内常一『生活指導の理論』明治図書出版、1969年、255∼256頁。 野村芳兵衛『野村芳兵衛著作集4 生活学校と学習統制』黎明書房、1974年、142∼143頁。 竹内常一『生活指導の理論』明治図書出版、1969年、262頁。 竹内常一『生活指導の理論』明治図書出版、1969年、263頁。 参考文献 浅井幸子『教師の語りと新教育─「児童の村」の一九二〇年代』東京大学出版会、2008年。 磯田一雄「野村芳兵衛の生活教育思想」『教育学研究』第34巻1号、1967年。 今井康雄「野村芳兵衛における『教育意識』否定の論理─『教育意識』の否定から『自然の組織化』

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へ─」『広島大学教育学部紀要』第一部第三五号、1986年。 北島信子「東井義雄の教育実践における宗教性の一考察─親・子・教師の文集『はぶが丘』を中心 に─」『中部教育学会紀要』第15号、2015年。 北島信子「東井義雄の教育実践における宗教性─学校文集『はぶが丘』を中心に─」『宗教教育学 研究』第55巻、韓国宗教教育学会、2017年12月。 北島信子「野村芳兵衛の教育観における浄土真宗の信仰について」北島義信編著『リーラーvol. 10  欧米的近代の終焉と宗教』文理閣、2018年3月。 北島信子「野村芳兵衛の教育観における宗教性についての一考察─『私の歩んだ教育の道』を中心 に─」(研究ノート)『桜花学園大学保育学部研究紀要』第14号、2016年。 田中智志・橋本美保『プロジェクト活動─知と生を結ぶ学び』東京大学出版会、2012年。 冨澤美千子「野村芳兵衛の綴方教育における『仲間作り』の意義と重要性」『カリキュラム研究』 第25号、日本カリキュラム学会、2016年。 豊田和子「幼小接続カリキュラムの視点から野村芳兵衛(1896∼1982)を読み解く─『遊び』と『学 習』を中心に─」『名古屋芸術大学研究紀要』第38巻、2017年。 豊田ひさき『東井義雄の授業づくり 生活綴方的教育方法と ESD』風媒社、2016年。 橋本美保・田中智志編『大正新教育の思想─生命の躍動─』東信堂、2015年。 (受理日 2018年8月22日)

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