抵抗の間の平穏
―スロヴァキアにおけるハンガリー系
マイノリティ・エリートにとっての言語問題―
神原 ゆうこ
1. はじめに
中央ヨーロッパに位置するスロヴァキアは人口およそ 500 万人の国であるが、そ の一割弱をハンガリー系マイノリティ1が占めている。このハンガリー系の人々は、 彼/女らがよく用いる表現を使うならば「私たちはずっとここに住んでおり、国 境が移動した」ことによってマイノリティとなった人々である。スロヴァキアは 1918 年までおよそ 900 年間、ハンガリー王国の領域の一部であり、その当時のハ ンガリー系はマジョリティとしてスロヴァキア系の人々よりも優越的な立場にある ことが多かった。1918 年のチェコスロヴァキア独立と 1993 年のスロヴァキア独立 を経て、現在、ハンガリー系の人々はスロヴァキアのエスニック・マイノリティと なったのである。 幸いなことに、ハンガリー系マイノリティとスロヴァキア系の人々の対立は、武 力衝突に至るほど深刻な状況にはない。しかしながら、1993 年のスロヴァキア独 立以降、スロヴァキアとしての単一なナショナルな意識を強制すると考えられる法 整備が提案されるたび、ハンガリー系からの反論、それに対するスロヴァキア系か らの再反論の応酬が繰り返されている。スロヴァキアのエスニック・マイノリティ はハンガリー系だけではないのだが、ハンガリー系に関する問題はスロヴァキアが 抱える民族問題としてスロヴァキアの多くの人々に認識されている2 。スロヴァキ 1 本論文では、エスニックな帰属と国籍上の帰属を区別するため、エスニックな帰属につい ては「系」という言葉を用い、後者の国籍上の帰属は「人」という言葉を用いることとする。アにおいてハンガリー系の人々は、民族的な集団として無視できない影響力を持つ 唯一の存在3として注目を集めやすい存在なのである。
異なる文化を持つマイノリティに関する問題は、スロヴァキア以外の多くの国に も共通するものである。むしろ、西欧におけるマイノリティ問題の関心の中心が、 ホスト社会のマジョリティとは大きくかけ離れた(と考えられている)文化を持つ 移民にあることを考えると(cf. Collinson 1993、Modood and Webner 1997、石川ほ か 2012)、同じヨーロッパ域内の隣接した異なる民族の共存に関する問題意識は古 典的ともいえるだろう。ただし、本稿では、言語問題に象徴される民族対立そのも のを対象とするのではなく、そのような状況下で「マイノリティであること」を彼 /女ら自身が自らの状況をどのように語り、認識しているかを把握することを目指 したい。スロヴァキアのハンガリー系マイノリティに関する先行研究の多くは、ハ ンガリー系の普通の人々は政治的対立を望まず、スロヴァキアで平和に暮らすこ とを望んでいることを指摘するが(cf. Frič 1993、Škovierová and Sigmudová 1981、 Lukácsová and Kusá 1995、Šoucová 1994)、だとするとハンガリー系の文化的権利 の主張はどこから生まれるのだろうか。このような問題意識を通じて、国民統合と 民主的な国家としてのマイノリティの権利の尊重のバランスの妥協点を描くことを 試みる。 まず、スロヴァキアのハンガリー系に関する問題について、マイノリティを抱え るそのほかの国と比較して、どのような特徴を持つのかを簡単に検討し、本研究の 位置づけを示したい。現在のところ、スロヴァキア社会において、非ヨーロッパ系 の移民は大きな存在感を持たないこともあり、本研究の事例はカナダやオーストラ リアなどの移民国家や近年の西欧諸国が直面している文化的多様性とは性格が異 なっている。マジョリティとマイノリティの間の経済格差も顕著ではなく、遠く離 れた土地から多様なマイノリティがやってきたわけではないため、北米やオセアニ アの移民国家が採用するような多文化主義に基づく制度設計を取り入れる動機は低 い。 2 スロヴァキアでは、年々人口が増加するロマの社会統合をより重要な課題としてみなす 傾向もあるが、ロマは民族の問題というよりは、貧困を含む社会問題として理解されている。 3 スロヴァキアにはハンガリー系マイノリティ以外のエスニック・マイノリティも多数存 在するが(表 3 参照)、その人口を考えると、意志表示の主体としてハンガリー系ほどの力 を持つとは言い難い。
それでは、同じヨーロッパ系ではあるが異なる言語集団を抱えているベルギーや スイス、スペインの状況とは比較可能だろうか。これらの国々では、マイノリティ 言語集団が地域の自治と結びつく形で保護されているのが特徴である。しかしな がら、ハンガリー系マイノリティの居住地は、スロヴァキアの南部に集中してい るにもかかわらず、1989 年まで強い中央集権型の政治が行われていた社会主義国 であったこともあり、地域の自治も 2000 年代以降に強化され始めたばかりで、マ イノリティの文化的保護を意識した自治の仕組みは存在していない。それどころ か、地方自治の単位となる県(vyšší územný celok, VUC)の領域の決定にあたって は、ハンガリー系の居住地域が意図的に分断されたと問題が提起されたほどである (Bitušiková 2002)。 このようにマイノリティが置かれた立場に注目すると、1990 年代以降のヨーロッ パにおける地域語の復興、たとえばウェールズ(カムリー)語やブルトン(ブレイ ス)語の教育の機会の確保と平等な使用を求める運動に類似しているともいえる(原 2002、ウィリアムズ 2004)。しかし、ハンガリー系のマイノリティは、スロヴァキ アがハンガリーの支配下にあった時代からハンガリー語の教育制度を持っていたの で、失われた言語の復活とは異なり、長く使用されてきた言語としての自覚ははる かに強い。またハンガリー系の政党は、一時は政権与党として入閣するほどの勢力 があった点も大きな違いである。さらに、地域語と異なり、ハンガリー系マイノリ ティの運動は好むと好まざるにかかわらず、マイノリティがマジョリティである外 国の政府が関与する可能性を孕む。ハンガリーは、国外のハンガリー系マイノリティ に少なからず関心を抱いており、ハンガリー系の人々自身も、諸外国(とくにヨー ロッパ)のマイノリティの状況を参照したり、ハンガリー本国と連携をとったりし ながら文化の権利を主張できる状況にある。これらの点を考慮すると、この問題は マイノリティ言語の使用を含む文化の権利の確立が、国内外の文脈をふまえた政治 的な駆け引きと連動している例として注目することが可能である。 この問題を考察するにあたり、本論文では、ハンガリー系住民の割合が高く、か つ町の規模も大きいためハンガリー系住民の中心地とみなされているドゥナイス カー・ストレダ市とコマールノ市(表 1、地図 1 参照)を中心に、公用語であるス ロヴァキア語で積極的に自らのポリシーを語りうるハンガリー系のエリート、すな わちコミュニティにおけるリーダーや知識人に注目した。彼/女らのインタビュー を通し、ハンガリー系の人々にとっての文化的権利の主張の根拠のありかと、政治
4 http://app.statistics.sk/mosmis/sk/run.html(2014 年 1 月 5 日確認) 的対立のローカルな文脈を映し出す日常生活の様相について考察を深めることを目 指している。 調査は 2013 年 9 月に集中的に行い、ドゥナイスカー・ストレダ市、コマールノ 市の文化団体やイベントの参与観察に加え、両市の政治家、教育関係者、NGO 関 係者およびその周辺の土地で活動する NGO 関係者のほか、首都ブラチスラヴァで 活動するハンガリー系政治家など計 12 名へのインタビューを行った。インタビュー および参与観察では、研究目的を説明したうえで、発言の引用に同意を得ているが、 配慮の必要なテーマであるため、本論文では市長や議員など公的な立場にあるイン フォーマント以外は職業などの属性のみを記している。なお、これらのインタビュー は、ハンガリー語ではなく、筆者の言語能力の問題もありすべてスロヴァキア語で 行っている。民族誌的インタビューはインフォーマントの第一言語で行うことが常 識とされているが、結果的に、スロヴァキアで生きていくことを決意しているハン ガリー系の人々の意志を把握するにあたって、彼/女らの生活のための言語である スロヴァキア語で調査したことは、本研究の結論に大きな影響を与える障害ではな かったと考える。 表 1 ハンガリー系のマイノリティ人口の割合が高い主な都市一覧(2001 年) 記号 都市名 ハンガリー系(%)スロヴァキア系(%) 人口(人) A ドゥナイスカー・ストレダ 79.75 15.26 23000 B シュトゥーロボ 68.74 28.13 12000 C シャモリーン 66.63 30.96 12000 D コマールノ 60.09 34.68 37000 E ガランタ 36.80 60.35 16000 F リマウスカー・ソボタ 35.26 59.28 25000 G ノベー・ザームキ 27.52 69.67 42000 H ロジュナバ 26.80 69.27 19000 I セネツ 22.12 74.76 14000 出典:スロヴァキア統計局公表の自治体別人口統計4 より筆者作成。
地図 1 ハンガリー系のマイノリティ人口の割合が高い主な都市(記号は表 1 に対応、 国内の境界線は県境を示す) (筆者作成)
2. 対立が消失する現場
スロヴァキアにおけるスロヴァキア系とハンガリー系の関係に関する研究史に ついては別稿(神原 2008)で論じているので、詳細は触れないが、ハンガリー系 マイノリティに関する問題は、マクロ的な視点でとらえるかミクロ的な視点でと らえるかにより、大きく見方が異なることに注意する必要がある。マクロ的な視 点で概観すると、スロヴァキアの民族主義政党である SNS(Slovenská národoná strana:スロヴァキア民族党)が与党であった 1990 年代と 2000 年代後半は、ハン ガリー系の存在を軽視するかのような法律が立て続けに制定され、ハンガリー系の 不満を募らせた時期であった。1992 年に制定されたスロヴァキアの新憲法制定で は、その前文でスロヴァキア「国民」でなく、スロヴァキア「民族」という民族 性を強調した表現がなされ、1995 年には、スロヴァキア語は複数の言語が存在す5 筆者は今回のスロヴァキアでの調査以前に 2002 年 9 月から 2005 年 7 月の長期留学、 2007 年から 2008 年にかけてのべ 12 か月程度の西スロヴァキアでの調査滞在、2011 年から 2013 年まで西スロヴァキアと中部スロヴァキアで毎年 1 か月程度の調査滞在を行っており、 これらの話はこれらの滞在中に耳にした。 る国家の一つの公用語と位置づけるべきだという反対を抑え、スロヴァキア語を 正式に国語として定める国家言語法の制定がなされた(Irmanová 2005、長與 1991; 2005)。その後、ハンガリー系政党である SMK(Strana maďarskej koalície:ハンガ リー連合党)が与党に入ったことにより、ハンガリー系の不満が高まるような出来 事は減ったが、SMK が政権から外れた 2000 年代後半に、言語法の改正をめぐりハ ンガリー系マイノリティとスロヴァキアのナショナリストの対立が再び先鋭化し た。この改正では、国内の文化事業の印刷物に国語の使用が義務付けられ、しかも 国語で記述される分量はマイノリティの言語よりも同等の分量かそれ以上であるこ とが定められたことと、違反に罰則規定が定められていることが批判を集めた(岡 本 2010)。 このような政治的な対立に加え、この時期、ハンガリー系の有志が地域に自作の ハンガリー語の地域名の表示を取り付ける活動を行ったことに対し、その表示の多 くが何者かに落書きされたという生活に密着したレベルの可視的な対立も存在して いる(Orosz 2012)。さらに、何者かインターネット上で互いに国旗(ハンガリー 系マイノリティはスロヴァキア国籍であるのだが)を燃やす動画を投稿し、相互に 非難の対象として話題となるなど(Jablonický 2009)、ハンガリー系マイノリティ とスロヴァキア系の対立を象徴するような事件が続いた。 もともとスロヴァキア系の人々の日常生活において、メディアに報じられるほど 深刻なものでないにしろハンガリー、ハンガリー語への反感が存在することを実感 する機会は多々ある。スロヴァキア系の人が自分の親戚の誰かがハンガリー系の パートナーと結婚し、その子供のスロヴァキア語に不自由があることを嘆く話、ス ロヴァキア系の母親とハンガリー系の父親の間の子供が、母親が「自分の子供がハ ンガリー語を覚えることを嫌い」、ハンガリー語でできる限りふれさせないように 育てたという話は筆者の限られたスロヴァキアでの生活5のなかでも耳にした。こ のような身の回りの話に、メディアの情報が加わればスロヴァキア系とハンガリー 系が対立している認識は容易に共有できてしまう。 しかしながら、この問題は単純に文化的権利の拡大を求めるマイノリティとそれ
に反対するナショナリストの二項対立に収まるものではない。現地の社会学者や文 化人類学者によるミクロ的な視点からの研究によると、スロヴァキア南部の町や村 の異なる民族が混住する地域では、歴史的に平和的な共生がなされてきた様子が指 摘されている(cf. Frič 1993、Lukácsová and Kusá 1995、Škovierová and Sigmudová 1981、Šoucová 1994)。これに関して、社会学者の Frič は、混住地域に住む人々は、 ハンガリー系とスロヴァキア系の対立は政治家や活動家が当事者たちとは関係なく 引き起こすものであり、日常的なコンフリクトは共生を求める現地の人々によって 回避されていると分析している(Frič 1993)。つまり、実際に異なる民族とともに 生活している人々にとって、民族の差異はそれほど大きな問題として認識されてい ないのである。スロヴァキアのハンガリー系村落でフィールドワークを行ったにも かかわらず、その著作でエスニシティの問題にほとんど触れなかったイタリアの文 化人類学者の D. Torsello (2003) も、その理由について、村の人々がバイリンガル でありハンガリー系であることは、スロヴァキアで生きていくうえで大きな問題で ないと判断したからと述べている(ただし、スロヴァキア人の研究者からはこの点 を批判された)。 インタビューにおいても、ハンガリー系マイノリティはスロヴァキア語が話せな いから、生活上の必要から文化的権利を主張するわけではなく、多くのハンガリー 系の人々はスロヴァキア語を用いて問題なく意思疎通しており、そのうえで文化的 な権利を主張していることが強調された。確かに、ハンガリー系の多い町での今回 の調査において、通りですれ違う人々や公共施設で居合わせた人々の会話のなかに スロヴァキア語を聞く機会はあまりなかったが、スロヴァキア語での問いかけには 即座にスロヴァキア語で対応がなされるため、スロヴァキア語しかわからない筆者 が必要な用件をこなすことに問題はなかった。Frič の分析では、ハンガリー系の知 識人や政治的リーダーは、政治的な対立をコミュニティに持ち込む一因としてみな されていたが、彼/女ら自身もスロヴァキアのなかでハンガリー人として生活する ことを前提に、現在の共生の事実を強く意識している。たとえば、コマールノ市の 議員への以下のインタビューにおいても、隣人のスロヴァキア人とともに生活して いる事実が強調されているのがわかる。 ――スロヴァキアのナショナリストは、南スロヴァキアでは店員やウエイター がスロヴァキア語を話さないと悪口を言ったりするが、それは嘘だ。接客の
6 コマールノ市議・ハンガリー系高等学校校長へのインタビュー(2013 年 9 月 24 日)より。 7 コマールノ市スロヴァキア系民族文化団体マチィツァ・スロヴェンスカー(Matica Slovenská)代表とのインタビュー(2013 年 9 月 24 日)より。 仕事でスロヴァキア語を話さないことはありえない。6 筆者(以下 K):私はスロヴァキア語しか話せませんが、今日の昼食を食べた お店のウェイトレスはスロヴァキア語を話しましたよ。 ――そうだろう。 (…中略…) ――私たちは平穏に生きたいのだ。ハンガリー系とスロヴァキア系の間には 大きな問題はないとはいえ、何も問題なく生きることもできない。でも、私 たち(ハンガリー系とスロヴァキア系)は宗教もおなじで、この町では教会 も共有しているし、神父も同一人物だ。神父はスロヴァキア語でもハンガリー 語でもミサをする。 むしろ、これらのハンガリー系の政治的リーダーたちは、スロヴァキア人のほうが 「共生」の現実を認識していないと指摘する。ここでのスロヴァキア人とは、スロヴァ キア南部に長く住み、ハンガリー語を理解できるスロヴァキア人でなく、ハンガリー 人の多い南部のことをほとんど知らない北部や中部のスロヴァキア人のナショナリ ストのことを指す。 コマールノ市のスロヴァキア系民族文化団体マチィツァ・スロヴェンスカー (Matica Slovenská)の代表は、この町に混乱をもたらすようなナショナリストとは スロヴァキアの民族文化団体であっても距離を置くことにしていると方針を語っ た7 。ナショナリスト達は言いたいことを主張してすぐにこの土地を去るが、受け 入れ側の民族文化団体のメンバーはこの土地で暮らさなければならないからという のが、その理由であり、彼自身が幼いころからハンガリー語が身近にある環境で育っ た経験がその判断の基礎にあると語った。しかし、このような方針を明確に示すス ロヴァキア系民族文化団体関係者は珍しいと、複数のハンガリー系のインフォーマ ントからは指摘された。インフォーマントたちがこのように語る「現場での共生」は、 メディアで報じられるイメージが作りだすほど対立は極端な状況ではないという主 張であり、それは日常的な不満や対立が存在しない牧歌的なユートピアとは異なる。 前述の共生の状況を描いた民族誌の場合、それらの調査地は人口が 5000 人以下
の村落であり、人口の流動性が低い中で互いにある程度の信頼関係が成立している 環境であるという特徴がある。今回調査を行った都市は、それらとは多少事情が異 なり、コミュニティの信頼関係の力を村落ほど期待できるわけでない。首都ブラチ スラヴァに程近い町シャモリーン(表 1 と地図 1 参照)で 1992 年から 1993 年に かけて行われた調査では、共生の状況に加えて民族間関係についての日常的の不満 も描き出されている。この町はもともとハンガリー系住民が多かったが、スロヴァ キア系の新住民が増加した町であり、多くの調査協力者が「民族的な問題はない」 と言及する一方で、スロヴァキア系新住民のハンガリー語へのとまどい、誰かが町 に落書きしたお互いをののしりあう言葉や一部の若者の配慮のない言動への反感も 吐露されている(Botíková et.al. 1994)。その土地で生まれ育ったスロヴァキア系の 人々とは異なり、新たに入ってきたスロヴァキア系の人々とハンガリー系の人々の 間には溝が生まれやすい。今回の調査において、新しいスロヴァキア系住民に対す るインフォーマントたちの認識は現在のところ様々であり、「ハンガリー系が多い 土地だとわかって入ってきているスロヴァキア系は問題をおこすような人々ではな い」という楽観的な認識から、「首都に近いにもかかわらず土地が安いので、まっ たくハンガリー語がわからなくてもやってくる人がいる」というスロヴァキア語し かわからないスロヴァキア系を警戒する見解まで存在する。「政府はこの地域にス ロヴァキア系人口を増やしたいので、スロヴァキア系の人はこの地域の物件を優先 的に安く買えるらしい」という 話も耳にしたが、スロヴァキア語で生活すること に問題はなくとも、ハンガリー系への理解が感じられないスロヴァキア系の人が増 えることを脅威として捉えるハンガリー系の人々が少なからず存在することを示す といえるだろう。 都市部という流動性が比較的高い地域を考察するにあたっては、もう一つ検討す べき課題が残っている。それは誰がハンガリー系かという問題である。現在スロヴァ キアの身分証明者に民族名を記載する項目はなく、幼い子供を持つ家庭で出生届を 確認してもらったが、出生届にも民族名を記載する項目はない。スロヴァキアの民 族別統計の記録は 100 年以上前にさかのぼることが可能であるが、基本的には自己 申告である。したがって、ハンガリー系の権利を守ろうとする立場の人であっても、 スロヴァキア系とハンガリー系という民族的なカテゴリーの分類が不明瞭であるこ とは了解されている。 血縁と第一言語が手掛かりになるのは暗黙の了解とされている。しかし、両親と
もにハンガリー系であってもスロヴァキア系と名乗る者もおり、父親か母親の片方 しかハンガリー系でない場合の判断も各家庭や個人の状況によるので、明確に基準 を答えることは難しい。 K:民族帰属はどうやって決めるのですか? ――それは各自の自発的な判断によるものだから、私たちもわからない8 。 K:学校で民族名を書類などに書く機会はあるのですか? ――統計調査のために書く機会はあるが、学校がその結果を個別の教育に生 かすことはない。事実上、統計のための調査なので、結果は当てにならない。 現在ドゥナイスカー・ストレダ市は 75%の住民がハンガリー系だということ になっているが、そもそも民族名の質問を拒否する者もいる。 以上のインタビューでは SMK の教育問題担当副代表兼ドゥナイスカー・ストレダ 市副市長の見解が示されているが、ハンガリー人の教育を重要視していても、客観 的なカテゴリライズの基準を重要視していないことがわかる。次のインタビューの 抜粋はドゥナイスカー・ストレダ市長とのものであるが、議員の民族構成という、 一見わかりやすそうな質問でも、その質問がこの土地において繊細な質問であるこ とがよくわかる。 K:ドゥナイスカー・ストレダ市の議員のうちスロヴァキア系は何人いるので すか? ――私たちはスロヴァキア系かハンガリー系かいちいち尋ねたりはしない。 したがって、注意深く考える必要がある。(しばらく考える)…スロヴァキア 系はおそらく 2 人か 3 人だ。どうやって数えたかというと、SMK(ハンガリー 系政党)所属の議員はハンガリー系しかないが、無所属と Most(ハンガリー 系とスロヴァキア系の合同政党 Most-Híd9の略称)所属の議員にはスロヴァキ ア系議員がいる可能性があるので、一人ずつ思い出して数えた10 。 8 SMK 教育担当副代表・ドゥナイスカー・ストレダ市副市長へのインタビュー(2013 年 9 月 25 日)より。 9 Most- Híd は 2009 年に SMK から分離して成立した政党である。 10 ドゥナイスカー・ストレダ市長へのインタビュー(2013 年 9 月 12 日)より。
ドゥナイスカー・ストレダ市の Most-Híd 所属の市議へのインタビューでは、 Most-Hid にはハンガリー語が得意でないスロヴァキア系の市議が所属しており、 会議ではスロヴァキア語も使うということが指摘された11 。一方で、コマールノ市 にはハンガリー語が得意なスロヴァキア系と認識される市議がおり12 、言語によっ て民族を区別できないのは明らかである。とはいえ、血縁についても都市的な空間 のなかで互いに親族関係を把握しているとは限らず、実際の生活場面では誰がスロ ヴァキア系で誰がハンガリー系かは、本人の名乗りと態度からしか判断できない。 ハンガリー系が多数を占める地域であっても、流動性と匿名性の高い都市の状況を 鑑みると、ハンガリー系とスロヴァキア系の厳密なカテゴライズが不明瞭な現実こ そが、対立のリアリティを消失させ、共にあることを日常生活として認識させてい ると考えられる。両親ともにハンガリー系で、ハンガリー系の配偶者を持ち、ハン ガリー語が第一言語で、ハンガリー系だという自覚をもつ人々が多数いるのは事実 であるが、その彼/女らさえ厳密なカテゴライズが難しいことは自覚している。こ のように、対立の現場に近づこうとすればするほど、具体的的に誰と誰が対立して いるのかを見失ってしまうのである。
3. ゆるやかな同化への危機感と教育
このようなカテゴライズの曖昧さは、一見対立を解消する平和的なものに見える かもしれない。しかし、現実のスロヴァキアがスロヴァキア系とスロヴァキア語が 中心の世界であるがゆえに、この曖昧さはゆるやかな同化の圧力とも理解され、ハ ンガリー系の知識人に危機感を与える。 多くのハンガリー系知識人は、統計で提示されるハンガリー系住民の人口数を信 用していない。しかし、統計上のハンガリー系人口が減り続けていることは問題 であると指摘する。2011 年時点でおよそ 45 万人のハンガリー人は、過去 10 年で 50,000 人減少し、過去 20 年では 100,000 人減少している(表 2 参照)。その原因を、 彼/女らは民族的帰属の問題だと考える。国境の変更を経験してきたこの地域では、 かつてはスロヴァキア系やユダヤ系の人々がハンガリー系と申告していたことはよ 11 ドゥナイスカー・ストレダ市議(コマールノ市教育関係者)へのインタビュー(2013 年 9 月 9 日)より。 12 コマールノ市議・ハンガリー系高等学校校長へのインタビュー(2013 年 9 月 24 日)より。表 2 現在のスロヴァキア領域内におけるハンガリー系住民数の推移 年 1910 1921 1930 1950 1961 1970 1991 2001 2011 ハンガリー系 人口(人) 884,309 650,567 592,337 354,532 518,782 552,006 567,296 519,775 458,384 スロヴァキアの 人口に対する 割合(%) 30.29 21.68 17.79 10.3 12.43 12.17 10.76 9.66 8.48 出典 : [Liszka 2003:117], [ Štatistický úrad Slovenskej republiky 2004, 2012] より筆者作成 くあることであったし、その後の社会主義時代に本心を表に出さずに生活すること に慣れてきた人々が、時代の状況にあわせて有利だと判断できる民族に帰属を変更 するのは不思議なことではないと理解されている。そして、そのような個人的で自 発的な同化を止めることが困難であることも自覚されている。 ハンガリー系の人口減の理由については、もう少し資料を用いて確認したい。ス ロヴァキアの統計局は毎年 12 月 31 日時点の人口統計を発表しているが、大規模な 国勢調査は近年では 2001 年、2011 年に行われている。表 3 を参照すると明らかな ように国勢調査の年とその前年では大きく数値が変動している。おそらく国勢調査 のない年は出生死亡などの届による管理でなど別の方法で、国勢調査の年の数値を もとに計算され、国勢調査の際に、現実の数値を測定し直すのだと考えられる。し たがって、国勢調査の際には民族帰属の回答を変更することが可能であるので、そ のような人々の存在が国勢調査の年の数値の変動に大きな影響を与えていると考え ていいだろう。 この自発的な同化の原因が、ハンガリー系としてスロヴァキアで生きることの困 難さにあるのならば、それはハンガリー系が現在置かれた状況に問題があるという ことを意味する。以下に引用する、かつて SMK の代表であったチャーキー(Csáky) 氏の発言からは、ハンガリー系の政治家として、このような状況の改善を目指す意 志が読み取れる。チャーキー氏は SMK が与党であった時期(1998 年から 2006 年) に国会議員を経験しており、人権およびマイノリティの権利に関する仕事をしてい た。
――20 年で 100,000 人ハンガリー系が減った。本当に個人が自発的にハンガ リー系ではなくなるのは仕方ないが、実際には小さな村や、スロヴァキア系 とともに暮らしているハンガリー系の人々が、役場での言語の使用や学校の 選択肢を狭められて、ハンガリー系であることを放棄せざるをえない状況が ある。そちらが原因なら、それは国家の問題だ14 表 3 スロヴァキアの民族別人口統計 1999 2000 2001 2002 2003 …… 2009 2010 2011 スロヴァキア(人)4,621,242 4,623,369 4,613,747 4,612,726 4,612,292 4,624,096 4,630,419 437,384 (%) 85.60 85.58 85.77 85.75 85.73 85.24 85.19 80.63 ハンガリー 566,962 565,929 519,775 518,523 517,209 513,763 513,146 458,358 10.50 10.48 9.66 9.64 9.61 9.47 9.44 8.48 ロマ 91,284 93,093 90,944 92,681 94,444 105,681 107,210 106,583 1.69 1.72 1.69 1.72 1.76 1.97 1.97 1.97 チェコ 59,596 60,097 47,118 47,243 47,309 51,606 52,299 33,981 1.10 1.11 0.88 0.88 0.88 0.96 0.96 0.63 ルシン・ウクライナ 32,934 33,063 35,015 35,011 35,052 35,758 35,845 40,944 0.61 0.61 0.65 0.65 0.65 …… 0.66 0.66 0.76 ドイツ 5,370 5,371 5,419 5,396 5,385 7,773 7,856 4,757 0.10 0.10 0.10 0.10 0.10 0.14 0.14 0.09 ポーランド 2,148 2,199 2,608 2,626 2,652 4,970 5,247 3,210 0.05 0.06 0.05 0.05 0.05 0.10 0.10 0.06 ロシア 2,148 2,199 1,609 1,645 1,643 1,987 2,064 2,022 0.05 0.04 0.03 0.03 0.03 0.04 0.04 0.04 その他・回答なし 15,837 16,105 62,712 63,310 64,067 79,291 81,187 397,083 0.30 0.30 1.17 1.18 1.19 1.46 1.49 7.35 総 人 口 5,398,657 542,547 5,378,951 5,379,161 5,380,053 …… 5,424,925 5,435,273 5,404,322 出典:[Štatistický úrad Slovenskej republiky 2004,2012] より筆者作成13
13 なおルシン・ウクライナ系については、出典では 2003 年までは合算で集計してあり、 2009 年以降の統計ではルシン系とウクライナ系を別に集計している。本表では 2009 年度以 降も合算して集計している。 14 SMK 元党首・元スロヴァキア国会議員へのインタビュー(2013 年 9 月 13 日)より。
ハンガリー系のマイノリティは、スロヴァキア系の子供と同じようにスロヴァキ ア語で授業する学校に通うか、ハンガリー語で授業をする学校に通うか 2 つの選択 肢がある。スロヴァキアの公立の小学校(日本の中学校の段階まで含む 9 年制の学 校と低学年のみの 4 年制の学校の両方を含む)2025 校のうち、ハンガリー語の公 立小学校は 225 校存在する15 。ハンガリー系住民の多い都市を中心にハンガリー語 で授業を行う公立高校も存在しており、コマールノ市にはハンガリー語で授業を行 うスロヴァキアの国立大学が 2004 年に設置された。ただし、小さな村には低学年 のみの 4 年制の小学校しかないことも多く、近隣の村に 9 年制のハンガリー語の小 学校がなければ、その後はスロヴァキア語の小学校に通うしかない。また高校や大 学も希望進路によってはスロヴァキア語の高校、大学に進学するしかない16 。ハン ガリー語の小学校に通うかスロヴァキア語の小学校に通うかは各家庭の判断による が、今回の調査のインフォーマントの多くはハンガリー語の小学校に通い、中等教 育、または高等教育の段階でスロヴァキア語の教育に切り替えた経験を持つ。コマー ルノ市のハンガリー語の高校を卒業した学生の進路を尋ねたところ、約半数がチェ コかスロヴァキアの大学に進学し、残りの半数が、国内のハンガリー語の大学かハ ンガリー国内の大学に進学しているとの回答を得た17 。 インタビューを総合すると、現在のマイノリティの教育についてハンガリー系知 識人たちが問題として認識している点は次の 2 つに集約することができる。一つは 小規模校の存続の問題であり、もう一つはマイノリティ教育全般の法整備の問題に ついてである。一つ目の小規模校の問題は、ハンガリー系に限った問題ではないが、 近年スロヴァキア全体で小規模校を統廃合する動きが加速していることへの危惧に 関連する。混住地域は、子供民族別に複数の学校が必要となるので学校の規模は小 さくなりがちであるが、統廃合が進めば、30%のハンガリー系、15%のスロヴァキ ア系の学校がなくなると予想されている18。ハンガリー系の知識人にとっては、ハ ンガリー系の初等教育の基礎がハンガリー人の割合の高い村から崩れていくことは 強く問題視されている。 15 SMK 教育担当副代表・ドゥナイスカー・ストレダ市副市長より入手した 2012 年度の 学校統計より。 16 ハンガリー語で講義を行うコマールノ市のシェイェ大学には経済学部、教育学部、神学 部があるのみである。 17 コマールノ市議・ハンガリー系高等学校校長へのインタビュー(2013 年 9 月 24 日)より。 18 SMK 教育担当副代表へのインタビュー(2013 年 9 月 25 日)より。
19 ドゥナイスカー・ストレダ市長へのインタビュー(2013 年 9 月 12 日)より。 2 つ目のマイノリティ教育関連の法整備についてであるが、現在、マイノリティ 教育には特別の法律があるわけではなく、スロヴァキアで定められた教育のカリ キュラムをハンガリー語でほぼ同様に実行することが求められている。例外として、 ハンガリー系学校の学生にはスロヴァキア文学の代わりにハンガリー文学を学ぶこ とができるが、ここで問題となるは歴史である。ハンガリー系政党が与党にいた時 代は、スロヴァキアのハンガリー系歴史学者が作成した教科書を歴史の教科書とし て指定することが可能だったが、政権交代で使用不可になるなど、政治的な変化に 教育が影響される事態が継続している。加えて、ハンガリー語への教科書の翻訳は 数年遅れるので、ハンガリー語学校の生徒はカリキュラムの改訂に恒常的に遅れて いるという問題もある。一つ目の小規模校の問題も含め、現状のスロヴァキア全国 で統一的な制度の運用ではなく、マイノリティ教育のための法整備の必要性が指摘 されている。 誤解のないように強調しておくが、ハンガリー系の人々のための教育に関心の高 いハンガリー系知識人であっても、スロヴァキア人への敵対意識やスロヴァキアへ の分離志向があるわけではない。そこで強調されるのはハンガリー系としての誇り である。 ――私たちはスロヴァキア人に敵対したいわけではない。ハンガリー系とし てスロヴァキアで生活したい。対等なパートナーとしてのハンガリー系でい るために、ハンガリー系学校は必要なのである。ハンガリー系として誇りは ハンガリーの教育から作られる。私たちは移民してきたのではなく、先祖代々 この土地に住んできた。国境が移動してきただけである。 私自身、高校までハンガリー系学校で過ごし、大学のみスロヴァキア語で 法学を学んだが、現在スロヴァキア語に困ることはない。19 前章で紹介した先行研究では、混住地域の村落で共生する普通の人々は、政治的対 立はハンガリー系の政治家とスロヴァキア系ナショナリストが持ち込むものだと理 解していことが指摘されていた。村落の日常生活における対立を避けたいと考える 普通の人々からみれば、このようなハンガリー系リーダーの態度は強硬的に見える
かもしれない。しかしながら、村という空間のなかで皆が一様にハンガリー系とし ての文化的特質を徐々に喪失していくのと、ハンガリー系コミュニティのリーダー や知識人が集まる都市において、ハンガリー系としての文化的拠点を喪失していく ことは意味が異なる。ハンガリー系であることに固執しない自由と、ハンガリー系 であり続ける自由は彼/女らにとって同等であるはずなのだが、後者の自由には障 害が多いと理解されている。村落の人々にとっての共生は、対立を避けることを意 味するが、都市に住むハンガリー系の政治的リーダーや知識人にとっての共生は、 それぞれの立場の人々がともに対等であることを前提とした共生なのである。狭い コミュニティのなかでは、歯止めがかかる日常の不満の表出は、匿名性の高い都市 では歯止めがかかりにくい。ハンガリー系とスロヴァキア系がともに住む都市では、 その匿名の不満を引き受けたうえで対等さを前提とする共生が目指されているので ある。
4. 共生の言説の背後にあるもの
ここまで、ハンガリー系マイノリティの問題を考えるにあたって、現状の把握と スロヴァキア系との関係を中心に議論を進めてきた。しかしながら、現在のマイノ リティを考えるにあたって、マイノリティをとりまく国外のマクロ構造の影響も考 慮に入れる必要がある(Feldman 2013)。隣国ハンガリーとの外交関係や EU のマ イノリティの文化保護に関する方針は、マイノリティにもマジョリティにも影響を 与えている。 ハンガリーとスロヴァキアのハンガリー系マイノリティには、当然ではあるが 様々なレベルでつながりがある。このうち政治や教育のレベルでのつながりは、ハ ンガリー系マイノリティ全体に関わるものである。ハンガリーはスロヴァキアだけ でなく、ルーマニアやセルビアなどの近隣諸国にハンガリー系マイノリティを抱え ており、各国のハンガリー系政党とハンガリーの政治家の間につながりは存在する (ただし、SMK の関係者のインタビューでは、「チェコなどのほかの外国の政治家 との情報交換と同じようにハンガリーとも情報交換する」と補足があった)。彼/ 女らの間の日常的な情報交換をもとにハンガリーの在外ハンガリー系の人々に関す る法が整備され、2009 年のスロヴァキアの言語法改正のように、近隣諸国でマイ ノリティが不利な状況に陥れば、ハンガリー政府関係者は何らかの形で公的に言及する(岡本 2010)。 ハンガリーの施策がマイノリティに影響を与えた例としては、2001 年にハンガ リーが在外ハンガリー系の人々を支援する目的で「地位法」を定めたことが挙げら れる。これは、在外ハンガリー系の子供の教育支援やハンガリーでの就業条件の緩 和などを含むものであるが、成立当時ハンガリー系マイノリティを抱える各国から 強い反発を受けた(家田 2004)。2013 年の調査時と当時とでは状況も変わってい るが、ハンガリー系の教育に関しては、この法の恩恵を受けていると思われるハン ガリーとのつながりをうかがうことができた。まず、ハンガリー系学校に子供を通 わせると、ハンガリーの Gábor Bethlena 財団から経済的支援を受けることができる ことが挙げられる。またハンガリー系学校の教員はハンガリーでの教員研修に参加 することができるので、スロヴァキアでの教員研修に加え、訓練の機会に恵まれて いることも挙げられる。さらにその教員が在外ハンガリー人証明書を持っていれば、 回数に制限はあるがハンガリー国内の交通費も割引となる20。 このようなハンガリーとハンガリー系マイノリティの結びつきは、マイノリティ の立場を守っていくために活用されているのであるが、同時にハンガリー系に反感 を持つスロヴァキア系の人々の決まり文句である「ハンガリー語を使いたいなら、 ハンガリーに帰れ」という言葉を誘発する。もちろん、スロヴァキアからの排斥 は、ハンガリー系マイノリティ自身も望まないことである。2009 年の言語法の改 正に関して、ドゥナイスカー・ストレダ市民では反対集会が開催され、当時のハン ガリー政府も懸念を示したが(岡本 2010)、今回ドゥナイスカー・ストレダ市長に 改めて言語法以降の変化について尋ねたところ、もともと市ではほとんどの文章を ハンガリー語でもスロヴァキア語でも作成してきたので、大きな変化はないと回答 を得た21。スロヴァキア語しかわからない人も住んでいるから必要な情報の二言語 表記は当たり前ことだとみなされていた。ハンガリー系住民の割合の高いドゥナイ スカー・ストレダ市であっても、スロヴァキア語は当たり前に使用されているので ある。ただし、言語法はローカル TV 局の関係者にとっては厄介な存在であり、ハ ンガリー系向けのローカル TV 局はすべてのインタビュー、ニュースにスロヴァキ 20 コマールノ市教育関係者へのインタビュー(2013 年 9 月 5 日)およびドゥナイスカー・ ストレダ市議(コマールノ市教育関係者)へのインタビュー(2013 年 9 月 9 日)より。 21 ドゥナイスカー・ストレダ市長へのインタビュー(2013 年 9 月 12 日)より。
ア語の字幕をつけること手間と労力を負担しており、現在の法ではハンガリー語話 者が登場すると生放送ができないことを不満に感じていた22。 このように、スロヴァキア語の使用が徹底されていくことで、少なくともスロヴァ キア語しか理解できない者の不便は解消される。しかし、それは共生につながるも のとして理解可能だろうか。同じくドゥナイスカー・ストレダ市長に市のイベント などにおける二言語使用について尋ねたところ、民族を問わず皆が関係するイベン トは司会や挨拶などを含め二言語使用であるが、ひとつの民族しか集まらないイベ ントは、ハンガリー語のみ、またはスロヴァキア語のみの使用でイベントが進むこ とが多いという23 。たとえば、ハンガリーの歴史や文化に関するイベントにスロヴァ キア語しかわからない者が来ることはまずなく、その逆の場合も同様であるという。 両方に関わるイベントして例示されたドゥナイスカー・ストレダ市のフェスティバ ル的なイベント(2013 年 9 月)の開会式では、司会進行および市長挨拶が二言語 で行われていた。仮に、この町のようにハンガリー系のほうが多数派の町で現状以 上にスロヴァキア語の使用を促進するならば、ハンガリー語はわからないけれど、 ハンガリー系の人々に興味があるというスロヴァキア系の存在が必要となる。しか し、そのような相手への関心の喚起は、共通言語の存在のみで解決できるとは限ら ない。相手側に関心がないのに、相手の言語を使用することは、パフォーマンスで しかない。実際のところ、この土地においてスロヴァキア語の使用は、生活の上で 必要であるだけでなく、スロヴァキア国民として生きていく意志を示すパフォーマ ンスでもあると考えられる。そして、それはハンガリー系の人々にとっては自然で あるハンガリーとのつながりを、スロヴァキア系のナショナリストに国家の安全保 障を脅かす存在としてみなされないためのパフォーマンスでもある。 ハンガリー系の人々は、有無を言わさずスロヴァキアとハンガリーの国家関係に 巻き込まれてしまうが、そこから抜け出すことも長く模索されてきた。そのひとつ のレトリックとして注目できるのは、EU への関与であり、民主主義国としての人 権の保護である。 22 ドゥナイスカー・ストレダ市ローカル TV 局関係者へのインタビュー(2013 年 9 月 25 日) より。 23 ドゥナイスカー・ストレダ市長へのインタビュー(2013 年 9 月 12 日)より。
――ハンガリー系にとって、スロヴァキアの市民であること、ハンガリー系 であるという誇り、そして EU のメンバーであることの 3 つはどれも重要で ある。国境はもう変わらないし、変わることがあるとしてもそのための戦争 も望まない。社会主義時代(年に 2 回と制限)と異なり、現在は自由にハン ガリーに行くことができ、資本も労働力も国境をこえる時代となった。この ような状況が私たちには重要である24 。 このインフォーマントに限らず、ハンガリー系の人々にとって、スロヴァキアの市 民であることとハンガリー系としてのアイデンティティを維持することは両立可能 である。そしてその両立を補強する理念として、EU に代表される国境なきヨーロッ パのイメージは非常に援用しやすい。折しもスロヴァキアは 2001 年に「地域・少 数言語ヨーロッパ憲章」にも批准しており、1992 年にヨーロッパ評議会の加盟国 が採択したこの憲章は、少数言語を私的・公的な場で使用することは譲渡不可能な 権利とみなし、少数言語の保護・支援をすることは公用語および公用語の学習を脅 かすことを意図するものではなく、国家の主権の枠組みの中で民主主義と文化的多 様性に基づいたヨーロッパの建設に寄与するという考えに基づくものである25 。こ の理念は、ハンガリー系の知識人らの主張と重なる部分が多く、ハンガリー系の 人々の目指す共生のイメージの基礎に大きな影響を与えていると考えられる。ハン ガリー系の政治的リーダーたちと、外国のハンガリー系マイノリティやその他ヨー ロッパのマイノリティとの情報交換は26 、この憲章を含めた文化を権利を守るため の理念や知識が共有に寄与している。ただし、この憲章は消極的な国家が最低限 のやりかたで要求を満たす方法をこの憲章は見逃しており(フィリプソン 1999)、 SMK が与党から外れた 2000 年代後半のスロヴァキア政府の動向を防ぐことはでき なかったという問題点はある。それでも、この憲章がマイノリティの行動に理論的 根拠を与えた点では、その果たした役割を過小評価すべきではないといえるだろう。 さらにいえば、ハンガリー系の政党が与党であった 1998 年から 2006 年までの間、 24 コマールノ市議・ハンガリー系高等学校校長へのインタビュー(2013 年 9 月 24 日)より。 25 「地域・少数言語のためのヨーロッパ憲章」の原文は次のページを参照した。http:// conventions.coe.int/Treaty/en/Treaties/Html/148.htm(2013 年 1 月 6 日確認)、なお日本語訳に ついては(フィリプソン 1999:110)を参考にした。 26 SMK 元党首、元スロヴァキア国会議員へのインタビュー(2013 年 9 月 13 日)およびドゥ ナイスカー・ストレダ市ローカル TV 局関係者へのインタビュー(2013 年 9 月 25 日)より。
スロヴァキアはヨーロッパ的な基準に沿った民主主義的な改革を進め、その成果と して EU 加盟を果たすことができた。1990 年代の半ばのメチアル政権は、マイノリ ティへの配慮がなされず、政策も体制転換に逆行するとみなされていたこともあり、 EU からの評価が低かった反動もあるが、マイノリティであるハンガリー系政党が 与党となったことは、スロヴァキアの民主化がある程度の成熟を果たした指標とも とらえられた(Duin and Poláčková 2000)。自己評価ではあるが、当時国会議員であっ たチャーキー氏も、この当時の自身の活動をスロヴァキアの民主主義を確立に貢献 できたと振り返る27 。ハンガリー系の政治的リーダーや知識人にとってこのような 過去は、ハンガリー系マイノリティの主張を民主主義の実現であり、スロヴァキア も目指している「ヨーロッパ性」の体現する手段として正当化すること可能とする。 このとき、彼/女らにとっての共生とは、ハンガリー系が確固とした立場でスロヴァ キアに存在することを意味するものであり、スロヴァキアのナショナリストへの毅 然とした反論は彼らにとって対立ではなく、共生のための手段として理解されるの である。
5. 結びにかえて
ハンガリー系マイノリティとスロヴァキア系の対立はメディアなどで報じられる 事件を追う限り、対立として認識される現象である。しかし、その対立の現場に近 づいた途端、対立の実像は見えなくなり、スロヴァキアの市民として、スロヴァキ ア系の人々と共生して生きていく意志をもつハンガリー系マイノリティの姿が言説 として立ち現れる。 先行研究では、混住地域のコミュニティは、スロヴァキア系もハンガリー系も人々 は対立を避け、対立は政治家たちが作るものだと考えていると指摘されていた。し かし、今回の調査では、都市部のハンガリー系の政治的リーダーや知識人たちもま た目指すものは共生という事実が明らかになった。彼/女らの発言を、対立の根源 をスロヴァキアのナショナリストに帰するための政治的口上と捉えることも確かに 可能ではあるが、むしろここではここで彼/女らが用いる「共生」の意味に注意を 払う必要がある。ハンガリー系の知識人たちにとっての「共生」は、ハンガリー系 27 SMK 元党首・元スロヴァキア国会議員へのインタビュー(2013 年 9 月 13 日)より。として生きていくことと不可分に結びついた概念である。スロヴァキア市民である ことと、ハンガリー系であることの両立は、ヨーロッパのマイノリティの権利保護 の理念や、人権を守るべき民主主義の理想というスロヴァキアが目指すべき理想像 と結びついたかたちで可能となる。ハンガリー系の知識人たちは、スロヴァキアが よりよい国家となるために、ハンガリー系の権利を守っているのであり、それが、 ハンガリー系マイノリティ・エリートの目指す対等で平和な「共生」なのである。 スロヴァキア系とハンガリー系のこの民族問題は、将来的に目指している共生のビ ジョンが共有されていないところに原因の一つがあると考えられる。 今回の調査では政治と教育に関わるマイノリティ・エリートの発言を多数引用し たが、ハンガリー系マイノリティも一枚岩でないのは指摘するまでもないことであ る。本稿では「マイノリティであること」の認識に注目したため、ハンガリー系政 党の SMK と Most-Híd の立場の差にもほとんど触れていない。それだけではなく、 政治に関わりたくないコミュニティ・リーダーや知識人の声をどう理解するかとい う点については保留したままである。今回の調査においても、ハンガリー系文化団 体の関係者に、ハンガリー系政党との連携について尋ねた際、「政治状況はすぐに 変わるから特定の政党と関係を深めるようなことはしない28 」という回答も得た。 政治的な主張を行う立場の人々とは異なるが、ハンガリー系としての文化の維持に 関わり続けるこのような人々の視野に入れた分析を今後の課題としたい。 謝辞 本研究を行ううえで必要不可欠であったインタビューは、スロヴァキアのハンガ リー系マイノリティの方々の善意の協力によって可能となりました。また調査研究 のための費用は、科学研究費補助金(基盤研究 B「多層的な民族共生への道:ドナ ウ中流域と EU 統合」)および公立大学法人北九州市立大学教員研究費によるもの です。記して感謝いたします。 28 ドゥナイスカー・ストレダ市ハンガリー系文化団体へのインタビュー(2013 年 9 月 6 日) より。
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