海外経済協力基金の設置経緯 : プラント輸出促進の視点から
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(2) 横浜国際社会科学研究 第 15 巻第 1・2 号(2010 年 8 月). 116 (116). 表 1 粗糖リンクによるプラント輸出承認実績 . (単位:百万ドル) 年 度. 船 舶 輸出金額. その他プラント 対総額比. 輸出金額. 対総額比. 合 計 輸出金額 34.1. 対総額比. 1953 年. 14.8. 26%. 19.3. 37%. 31%. 1954 年. 91.1. 58. 37.9. 58. 129.0. 58. 合 計. 105.9. 49. 57.2. 49. 163.1. 49. 注:対総額比は各品目の輸出承認額に対する比率. 出典:日本輸出入銀行『十年の歩み』1963 年,42 頁.原資料は通産省と精糖工業会の調べによる.. 三つの分析視点を設定する.第一に,構想レベ ルに焦点を当てて,1950 年代後半における「海. 一 機械輸出促進政策の新展開. 外投資機関構想」から岸首相の「東南アジア開. 1 海外投資促進による機械輸出市場の開拓. 発構想」まで,さらに基金設置決定に至るまで. ⑴ 背 景. の経緯を詳細に分析する.第二に,以上の経緯. 1950 年下半期 に 始 ま る 朝鮮特需 は 日本経済. とプラント輸出振興政策との関連に着目する.. に大きな成長をもたらした.1952 年の消費景. 第三に,自民党,通産省,大蔵省,外務省を含. 気による輸入増にもかかわらず,特需ブーム. め て,日本経済団体連合会(以下,経団連) ,. によって国際収支の均衡は保たれた.しかし,. 日本機械工業連合会(以下,日機連)にも焦点. 1953 年に入り,朝鮮戦争の休戦協定が結ばれ. を当てる.この三つの分析視点を合わせて,基. ると,輸出の停滞と輸入の増加により,国際収. 金設置の経済的意義を考察し,さらに,その過. 支が悪化し,外貨危機が起きた.外貨危機の対. 程における省庁間や経済界の利害対立などの動. 策として,引締め政策が実施され,輸出振興政. 的実態にまで踏み込んで検討したい.. 策が打ち出された.輸出第一主義のもと,プラ. 資料について,今までは政府側に関する文献. ント輸出振興政策の一環として,輸銀法改正,. を中心にして議論がなされたことに対して,本. 重機械類技術相談室の設置,出血補償リンク制. 稿では,通産・大蔵・外務省,経済企画庁,自. 度の創設などが実施された.1953 年の輸銀法. 民党のそれぞれの資料を含め,さらに,機械工. 改正は,より長期,低利の信用供与を実現した. 業,経団連が発行した雑誌,団体史,社史など. (輸出貸付:原則 7.5% 以上→ 6.5% 以上,特例. も緻密に調べて,課題接近に努める.周知のよ. 4.5%~6.5%;償還期間:原則 3 年以内→ 5 年以. う に,日本 は 1970 年代以降,輸出主導型経済. 13) 内,特例 5 年以内→ 10 年以内) .ま た,貿易. 構造のもと, 重化学工業製品の輸出が躍進した.. に伴う海外投資事業について,輸銀から融資を. 本稿は,政府および経済界の動向に焦点を当て. 受けられるようになった.重機械類技術相談室. て,1950 年代 の 重機械輸出促進方針 の 一端 を. は,日本機械輸出組合が国庫補助を受け,運営. 解明することによって,1970 年代以降の実績. する機構である.インド,パキスタン,タイ,. の本格化の端緒をより理解することできると考. ビルマ,アルゼンチン,ブラジルといった海外. えられる.. の必要箇所に技術者を常駐させ,重機械類関係 のサービス機能を確立し,プラントの輸出促進 を図ることを目的とする14).さらに,1954 年 2.
(3) 海外経済協力基金の設置経緯(湯). (117) 117. 月から始まった出血補償リンク制度は,プラン. ルティング体制は,1955 年に日本輸出プラン. ト輸出の拡大に大きく貢献した.プラント輸出. ト技術協会(1956 年 6 月に日本プラント協会. 承認額 で み る と,1953 年度 は 1 億 9 百万 ド ル. と改称)の設立によって整備された.同協会は,. 中 31%,54 年度 は 2 億 22 百万 ド ル 中 58% が. 政府から 2 億円の補助金を受け,重機械類技術. この制度によるものであった[表 1] .しかし,. 相談室を改組して,電気機械,産業機械,船舶. この制度は外国からの非難を受け,10 月に廃. などのメーカーを中心に作られた機関である.. 止されることになった15).. 海外市場における工場建設計画等に調査団を派. そこで,出血補償リンク制度に代わって新た. 遣し,必要なアドバイスを行い,また,設計見. なプラント輸出促進方法が模索されたのであ. 積りなどコンサルティング業務を行うことを目. る.と く に,1955 年 の 化繊・衣類・鉄鋼・造. 的とする21).. 船・合板 な ど の 輸出好調により外貨事情は好. このように,1950 年代半ばから,途上国と. 16). 転し ,外貨運用方法として海外投資が注目さ. の合弁事業に,プラント輸出促進の大きな期待. れはじめた17).また,1954 年にビルマとの賠. がかけられた.プラント輸出振興政策は,長期. 償問題が解決し,賠償条約と同時に経済協力条. 的視点から企業の海外進出を促進するために,. 約が締結されたことは企業に海外進出の好機を. 金融,税制,保険,補助金などの制度まで拡大. もたらした.経団連,日機連は,途上国の工業. されたのである.戦後の輸出振興政策における. 化における資源開発,工場建設は,プラントに. 新たな転換であった.. 対する需要が拡大していくことに大きな期待を. ⑵ ウジミナス製鉄所計画. かけた.これらの事業に日本が加われば,プラ. 海外投資促進によるプラント輸出拡大への期. ント輸出,資源輸入が確保されると考え,1955. 待は,1957 年のブラジルとの製鉄所合弁事業. 年から海外投資に対する政府の助成措置を求め. として実現された.この事業は,機械と鉄鋼業. た.具体的には,海外投資保険制度の新設,租. 界 が 中心 と なって,経団連 の 主導 も と で,日. 税優遇措置の制定,輸銀による海外投資金融の. 本政府と協議しながら,ブラジルとの交渉が進. 改善などであった18).. め ら れ た22).1957 年 4 月 の 閣議了解 の 後,政. 経済界の主張に呼応して,通産省は 1956 年. 府によるミナス製鉄所に対する支援声明が発表. 7 月 26 日付の「昭和 32 年度予算に関連して当. さ れ,6 月 に 日本側 40%,ブ ラ ジ ル 側 60% の. 省として主張すべき新規重要事項」において,. 出資比率 で 設立 が 合意 さ れ,協定 が 調印 さ れ. 新政策の方向として,海外投資の促進による輸. た23).12 月,鉄鋼企業 7 社が 55%,機械企業 7. 出振興策 を 取上 げ,そのための政府資金の確. 社が 44% の合同出資によって日本ウジミナス. 保,調査活動・コンサルティング活動の展開,. 株式会社が設立され,合弁事業が正式にスター. 投資保険制度の強化などを打ち出した19).また,. トした24).. 1956 年 9 月 10 日の「今後の通商産業施策の大. ミナス製鉄所は,日本の製鉄会社にとっての. 綱」に,プラント輸出不振の打開策として海外. 直接的利益は大きくなかったが,製鉄所設備の. 20). 投資を促進することを掲げた .こうして,海. 6 割近くの 1 億ドル余りが日本から調達された. 外投資による輸出振興という方策が注目される. ことは,大きな意味をもった25).1 億ドルとい. よ う に なった.そ こ で,政府 の 助成措置 と し. う金額は,1955 年の船舶を除くプラント輸出. て,1956 年 に 輸出保険制度 が 改正 さ れ,海外. 認証額の約 7 千万ドルを上回る[表 2].また,. 投資保険 が 新設 さ れ た(補填率 60%,保険料. 機械輸出のほかに,欧米からの調達については. 率 1.5%) .. 日本商社を利用し,日本の海上保険や船会社も. また,プラント輸出振興に欠かせないコンサ. この事業に参加した26).日本が輸出優先,外貨.
(4) 横浜国際社会科学研究 第 15 巻第 1・2 号(2010 年 8 月). 118 (118). 表 2 重機械類輸出認証額の推移 . (単位:千ドル) . . . . . 自動車. 電気 機械. 通信 機械. 繊維 機械. その他. 3,955. 568. 20,657. 2,311. 416. 3,604. 232. 11,666. 2,862. 22,129. 7,292. 98,030. 34,354. 134,692. 5,916. プラント (プラント 協会調). 4,660. 109,545. 3,986. 23,669. 19,007. 222,538. 14,081. 11,247. 14,991. 512,402. 6,007. 192. 14,105. 15,760. 761,532. 3,729. 5,088. 1,614. 4,206. 15,673. 358,018. 22,509. 3,891. 9,706. 405. 8,891. 40,783. 364,425. 34,252. 49,674. 18,239. 1,091. 26,421. 33,351. 257,622. 26,072. 船 舶. 一般 プラント. 1953. 56,968. 52,577. 1954. 157,134. 65,404. 1955. 439,072. 73,330. 33,856. 9,400. 1956. 689,848. 71,684. 31,295. 1957. 302,016. 56,002. 1958. 266,395. 1959. 122,930. 鉄道 車両. 合 計. 年 度. 22,737 20,001. 1960. 200,898. 221,114. 34,461. 15,416. 23,365. 3,046. 23,022. 121,804. 422,012. 158,860 (116,677). 1961. 312,510. 373,347. 74,319. 50,633. 35,752. 970. 28,810. 182,863. 685,857. 145,983 (45,839). 1962. 286,829. 295,567. 43,560. 47,165. 16,966. 18,519. 36,199. 133,158. 582,396. 68,719 (482). 1963. 775,287. 407,638. 50,365. 40,440. 23,271. 6,435. 35,933. 251,194. 1,182,925. 250,344. 1964. 584,625. 445,687. 16,038. 47,630. 46,738. 11,622. 26,466. 297,193. 1,030,312. 331,788 (3,403). 注 1:輸出認証額は,通商産業省「輸出認証統計」の中からプラント類だけを抽出したものである.集計の対象は 1 件 3 万ドル 以上のものであって,標準決済に属さないものだけを集計してある.「輸出認証統計」は,外国為替銀行が認証した輸出 申告書の写しを通商産業省に送付させ,同省でこれを集計したものである.(東洋経済新報社『昭和国勢総覧』上巻,東 洋経済新報社,1980 年,675 頁). 注 2:プラント協会調のプラントとは,プラント類に含まれた一件当たり受注総額 50 万ドル以上のものである.( )内はウジ ミナス製鉄所分. 出典:東洋経済新報社『昭和国勢総覧』上巻,東洋経済新報社,1980 年,651 頁 ; 日本プラント協会『日本プラント協会十年史』 1967 年,234 頁;重化学工業通信社重化学工業課『日本 の プ ラ ン ト 輸出戦略』1972 年度版,重化学工業通信社,2 頁 よ り作成.. 確保第一主義を掲げた時代に,ミナス製鉄所の. のとするが,将来別の海外投資機関が設立され. 貢献は大きかったと言える.. た場合には,輸銀融資分はこれに肩代わりさせ. 他方,ミナス製鉄所計画をめぐる政府の援助. るものとする」,また,日本側出資金の 3 分の 2. 方法は,大きな争点となった.政府が日本ウジ. は政府が負担するという点で意見が一致した28).. ミナス株式会社に対して直接出資するか,それ. その後,石橋湛山通産大臣が記者会見で同様の. とも融資とするかが検討され,直接出資の場合. 考え方を述べた29).. には,輸銀が機能を拡張して行うべきか,それ. しかし,以上の経団連と通産省の方針は,大. とも別の「海外投資機関」を設けて行うべきか. 蔵省の猛反対を招いた30).対立が約半年続いた. 27). という選択肢も議論された .政府による直接. 後,3 月末に大蔵省案が採用され,輸銀が投資. 出資とは,政府が民間投資会社の株を取得し,. 会社に対して,日本側出資額の 2 分の 1 を融資. 事業のコストとリスクを負担することである.. することが決定された(証券担保で金利 4.5%,. 通産省,外務省,経団連 の 間 で は, 「輸銀融. 期間 15 年).経団連としては,この決定に当然. 資分は,政府が輸銀を保証する方法を考えるも. 不満であったが,日本側の国際的信用を保つた.
(5) 海外経済協力基金の設置経緯(湯). (119) 119. め,大蔵省案を呑むこととなった31).他方,機. アメリカなどの資金を用いて国際的な金融機関. 械輸出金融 に つ い て は,80% 協調融資率,金. を設立しようとするものである38).. 利 4.25~4.5%,期間 14.5 年 と い う 有利 な 条件. 他方,海外市場開拓策 と し て,1956 年 の は. で融資を受けられた32).. じめから経済企画庁が中心となって国策の「海 外投資機関」の設置が検討された39).この構想. 2 国策の「海外投資機関構想」. に最も積極的に動き出したのは機械業界を代表. ⑴ 構想のきっかけ. する日機連である.日機連は,輸出市場を確保. ウジミナス製鉄所への政府支援方法をめぐっ. するためには海外投資の促進が必要という見地. て,新機関による出資方針が検討されたこと. から,資金源を確保するため,政府に積極的な. は,前節で述べた.この新機関とは,政府出資. 方針を求めた.日機連は海外投資対策懇談会を. による国策的な「海外投資機関」である.ウジ. 設け,経済企画庁との懇談を行い,3 月の「海. ミナスと同じように,当時の途上国との合弁事. 外投資機関設置について」の要望では,正式に. 業は,輸出促進の効果が大きいが,資本金の確. 全額政府出資による「海外投資機関」の設置を. 保,リスクのカバーなどの点で,多くの問題を. 要求した40).そして,経済企画庁は海外投資促. 抱えていた.それを解決するために,政府機関. 進対策として,事業の調査,事業会社への資本. の設置が検討された.. 金出資,貸付などを行うため,「海外投資機関」. 従来の研究では,武田晴人氏がこの「海外投. を設置する方針を立てた41).. 資機関」設置構想を,アメリカの「ジョンスト. 経団連も積極的に動き出し,この問題を検討. ン構想」によって生れ,アメリカの構想に沿っ. した.その結果,「国内の投資促進機関と国際. て展開しようとした対外経済協力構想であると. 的機関と結びついて日本の対外投資を円滑な. 33). 位置 づ け ,最終的 に 1957 年 5 月 の 輸銀法改 34). 42) らしめることを併せて考える」 という結論に. 正に結実したと指摘している . 「海外投資機. 至った.すなわち,一万田蔵相,高碕企画長官. 関構想」はあくまでも構想レベルに止まってい. が提案した国際金融機関とともに,日本国内の. るが,1950 年代の経済協力政策の一環として,. 機関を設置するという構想である.通産省は,. それなりの意味をもつに違いない.本節はより. 新機関は海外投資金融,輸銀はプラント輸出金. 多くの資料を用いて, 「海外投資機関構想」を. 融と位置づけ,両機関の分野を明確に分けて考. 再検討する.. えていた43).自民党外交調査会も,新機関は民. 1956 年 2 月 29 日,アメリカ開発顧問団長と. 間の海外投資を促進するための補完的な役割を. して来日中のジョンストンは東京商工会議所主. 担い,民間で採算が乗りにくい事業を行うこと. 催の歓迎会において,東南アジア経済開発を推. とし,出資・貸付・債務保証・技術協力などの. 進するため,アメリカの資金を用いた,日本主. 業務を検討した44).そして,この新機関の設置. 35). 導による金融機関の設立構想を発表した .い. を見込みつつ,ミナス製鉄所の計画の政府援助. わゆる「ジョンストン構想」である.この構想. の方法が検討された.. はただちに注目され,翌日,一万田尚登蔵相は. こ の よ う に,「海外投資機関構想」が「ジョ. ジョンストンを招いて,かねてから考えていた. ンストン構想」を受けて,議論されたことは確. 東南アジア地域開発専門の国際金融機関設立の. かであるが,輸出振興,市場確保政策との関連. 構想を説明した36).また,高碕達之助経済企画. も 重要 で あ る.つ ま り,「海外投資機関構想」. 庁長官も「東南アジア開発公社」構想を提案し. は対米外交に限らず,むしろ国内の通商政策の. た37).注意すべきことは,この二つの提案はい. 一環としての性格を強くもっていた.そのた. ずれもジョンストン演説に触発されたもので,. め,機関が果たすべき役割として,次の二点.
(6) 120 (120). 横浜国際社会科学研究 第 15 巻第 1・2 号(2010 年 8 月). が期待された.一つは,輸出市場確保対策とし. 経団連では意見の対立が表面化した.輸銀の規. て民間の海外投資を促進する役割である.もう. 定では,海外の合弁事業の株式を直接保有でき. 一つは,日本がアメリカの資金に頼らず,自力. ず,またリスクが高くて輸銀の金融ベースに乗. で東南アジア経済開発に協力する役割である.. らないものがあるので,別個に投資機関の設立. 前者 は 主 に,機械業界や 経団連 の働 きを 受. が必要であるといった賛成意見に対して,消極. け,経済企画庁,通産省,自民党外交調査会が. 的な意見も出された.消極派は,国策機関の設. 考えたものであった.後者は,外務省の外交方. 置は,民間投資と競合して海外投資を妨げるこ. 針として打ち出された.湯川盛夫外務省経済局. とになるので,まずは保険や税制などの制度改善. 長は「東南アジア開発協力問題について,アメ. によって民間投資を促進すべきだと主張した47).. リカへの依存は排すべき」との発言をし45),外. 経済界の意見を調整するため,経団連は複雑. 務省経済局は以下の文書において, 「ジョンス. な立場に置かれた.輸出や海外進出を促進する. トン構想」に基づく高碕構想とは別に日本独自. に当たって,資金源の確保,リスクの回避は企. の国内機構として設置する意向を述べている46).. 業にとって自力で解決できない問題である.し たがって,政府による強力な援助体制が不可欠. 「東南アジア諸国の経済開発と産業発展を図. だ.しかし,東南アジア諸国の民族感情を考え. るためにわが国に強力な対外投資機関を設立す. ると,政府による海外投資は,政治的進出とい. ることについては,広く米国その他各国の資本. う誤解を相手国に抱かせる恐れがあった.また,. を合わせ対外投資金融会社設立を計画する一万. 経団連には,政府主導による海外投資が,民間. 田構想,エリック・ジョンストン構想の他,同. 企業の商業ベースの投資に制約を与えることへ. じく外資を期待するも差当たり賠償円滑実施の. の不安もあった48).前後 8 回にわたって意見を. 部面を主とする高碕構想等が行われているが,. 調整 し た 結果,6 月 25 日 の 委員会 で は,海外. 外務省としては時期の関係等もあり,最初から. 投資は商業ベースを基本原則とし,国家資金を. アメリカの資本に頼ることなく日本独自の計画. 投入するような独自機関の設置には反対すると. をたてるべきだと考え,日本輸出入銀行内に海. いった内容の要望書が作成された49).. 外投資部を設置するか,または同銀行の姉妹会. しかし,注意すべきことは,経団連が商業. 社として特殊法人を設立してこの仕事に当たら. ベースに乗る事業と乗らない事業を分けて建. しめるのが妥当であり,高碕構想のごとく米国. 議したことである.商業ベースに乗る案件に. 等との合弁により投資会社が設立された場合に. 対 し て は,設備等輸出為替損失補償,海外投. は,これとの協力関係を設定することが時宜に. 資保険,輸銀の金融業務の改善拡充などを要求. 適していると考え経済企画庁とも連絡検討を進. したが,他方,商業ベースに乗らない案件に対. めている」 . (傍線引用者). し て は,国策 の「海外投資機関」に 代 わって, 官民合同の投資審査機関の設置を提案した50).. 「海外投資機関」の設置は,あくまで構想段. この官民合同の審査会は,商業採算に乗らない. 階に止っているが,その構想は二つの契機に. 事業を審議し,政府の援助措置を決定する.さ. よって生まれ,さらに二つの役割が想定された. らに日本の海外投資政策を総合的に立案するこ. ことは注目すべきである.これらは,基金設置. とも審査会の目的とされた51).すなわち,賛成. の過程でも議論され,基金を理解するための重. 派の意見を取り入れた形で,国策の「海外投資. 要な前提となる.. 機関」の代替案として,官民合同の審査会の設. ⑵ 構想断念の理由. 置を提唱したのである.審査会であれば,相手. 「海外投資機関」設置 の 検討 が 進 む に つ れ,. 国の警戒を和らげ,また民間人参加によって,.
(7) 海外経済協力基金の設置経緯(湯). (121) 121. 政府の過大な介入を回避することもできると経. が 強 かった.実際,経団連 は,海外投資保険. 団連は考えた.. 制度改正 に つ い て,補填率 90% 以上,保険料. 国策 の「海外投資機関」設置 に つ い て,そ. 率 0.5% 以内を要求したのに対して,実現した. の 後,高碕達之助経済企画庁長官 は,戦前 の. 内容は,補填率が 60% から 75% に引上げ,保. 満州国開発会社 の二の舞となり,相手国に誤. 険料率の 1.5% から 1.25% への引下げに過ぎな. 解を与えることを恐れ,乗気薄な態度を示し. かった57).同様に,新設された海外投資利益送. 始めた52).7 月には通産省も新しい機関の設立. 金保険制度も,補填率 90% 以上,保険料率 0.5%. に固執しないと発表し,「海外投資機関」の代. 以内という経済界の要望からかけ離れた,補填. わりに審査機関を設立するという財界の提案. 率 75%,保険料率 1.25% と い う 基準 が 設 け ら. に対して,「審査は政府の責任でやるべきこと. れた.また,保険事由について,従来の「非常. なので特につくる必要がない」とした53).. 危険の範囲は,戦争・革命・内乱等」を拡大し,. ⑶ 助成策の拡充改善. 「暴動・騒擾・投資相手企業 に 対 す る 当該国政. 機関設置が断念された後,市場確保のための. 府等の差別的行為,利益供与の保証の不履行等. 助成策は輸銀法の改正およびその他の保証制度. の不当行為」をも保険事由の構成要件に加える. の改善拡充に絞られた.経団連は,1956 年 11. べきだと経団連が主張したが 58),これに対し. 月に「現行海外投資保険制度の改正に関する要. て「暴動また騒乱」のみが加えられたに止まっ. 望意見」 ,翌 1957 年 1 月に「日本輸出入銀行法. た59).. ならびにその運用の改正に関する要望意見」を. さらに,輸銀法改正において,経団連が要求. 54). それぞれ提出した .そして,5 月に輸銀法の. した直接出資機能の拡張は大蔵省の反対により. 大幅な改正が行われた.輸銀法改正によって,. 実現されず60),また,通産省と経団連が考案し. 海外投資金融業務 の 拡大,海外事業金融 の 拡. た長期貸付保険制度の新設も(相手国企業に対. 充,技術提供金融の拡充,外国政府に対する開. する社債・貸付金債権取得にかかわる信用危険. 発事業金融の新設,貸付金利の引下げ(輸出:. を補償する制度),大蔵省と折衝した結果見送. 特例 4.5%~6.5% → 4.0%~7.0%;海外投資:原. られた61).. 則 6.5% 以 上,特 例 4.5%~6.5% → 4.5% 以 上) ,. このように,金融,保険などの制度が改善拡. 償還期限の延長(輸出:特例 10 年以内→ 15 年. 充された後も,依然として企業にとって,重要. 以内;海外投資:特例 15 年以内→ 20 年以内). な資金確保,コストとリスクの問題が残されて. など海外経済協力に対する金融面の態勢は大幅. おり,実際の運用上でも効用が少なかったと言. 55). に整備された .また,海外投資保険制度の改. わざるをえない.他方,政情が不安定な途上国. 善, 海外投資利益送金保険の新設も実施された.. への経済進出は,民間投資の危険度が高いので, 国家的保障を与える措置が不可欠である.その. 3 経団連の意向の変化. ため,商業ベースに乗ることと,乗らないこと. しかし,以上のような一連の改正に対する経. の判断は難しくなる.民間ベースによる海外投. 済界の不満は大きかった.それは,同年 11 月. 資を手段として輸出を振興するには限界がある. に経団連が行った各業界の「対外経済協力の促. と経済界は認識しはじめた.. 進策に関する要望調査」にはっきりと現れてい. すでに 1957 年のはじめ頃には,経団連では,. る56).たとえば,海外投資保険制度の補填率が. 途上国への投資のリスクを認識し,政府の後押. 低率に過ぎること,保険料率が高いこと,担保. しが必要であること,また輸銀による直接出資. される危険範囲が狭いこと,輸銀の協調融資比. ができないことなどをあげ,輸銀とは別に,政. 率および融資金利と償還期間などに対する批判. 府の投資機関を設置することに同調する意見.
(8) 122 (122). 横浜国際社会科学研究 第 15 巻第 1・2 号(2010 年 8 月). が 強 まって い た62).1958 年 1 月 に 経団連 が 新. 1957 年 5 月,通産省 は「新政策樹立 に 際 し. たな要望書を提出し,1956 年に商業ベースを. て検討すべき事項」を作成し,対外関係の項目. 強調したのとは対照的に,商業ベースの再検討. に,輸出振興と経済協力の推進を二本の柱とし. を主張した.また,商業ベース再検討や対外経. て取上げた65).経済協力を重視した点は,前年. 済協力の認許可を審議決定する場として,官民. に検討されたプラント類の輸出振興のための海. 合同による海外経済協力審議会の設置を要求し. 外投資の促進をさらに展開したものである66).. た.つまり,前回の商業ベースに乗る事業を前. 7 月に通産省は輸出振興策を決定し,輸出保険. 提にした考えとは異なって,今回は,商業ベー. の改善,輸出税制の優遇,輸出手続きの簡素化,. スに乗らないものを念頭に置き,より一層強力. 輸出金融の優遇を掲げたほか,経済協力の促進. な助成措置の必要性を強調したのである.具体. 策について,輸出クレジットの推進,およびコ. 的には,輸銀に対して資本金量の確保,輸銀融. ンサルティングや技術協力を中心とした輸出振. 資比率の引上げ,金利の引下げ,融資期間,据. 興予算の拡大などの方策が盛り込まれた67).12. 置期間の延長,審査手続きの簡素化を要求した.. 月,経済閣僚懇談会は輸出振興重点施策を決定. また,租税,保険,現地調査の補助を含めて,. し,産業政策の重点を輸出振興に集中するため. 円クレジット供与の推進など広範にわたる政府. に,海外新市場 の 開拓,輸出取引秩序 の 確立,. 63). の補助体制の確立を求めた .さらに,後述す. 重化学工業製品の輸出振興などを列挙した68).. る岸構想を契機とした予算が計上された直後,. 経団連と日機連もそれぞれ輸出振興措置として. 経団連は日本単独でも投資機関を設置するべき. 経済協力の促進を取り上げ,政府による推進策. 64). だと唱えた .. を要求した.日機連は,延払・円クレジット・. 経団連の意向が変わった背後には,一つは,. 海外投資における資金源の確保,融資条件の改. 以上述べたような民間ベースの海外投資を手段. 善,保険制度の充実などの諸対策の実現を求め. に輸出振興を図ることの難しさ,もう一つは,. た69).. 1957 年下半期から日本経済が大きな変動に直. 1957 年の外貨危機の対策として緊縮政策が. 面したことがあった.次章では,この第二点目. とられたため,翌 58 年に景気の停滞が続いた.. について詳しく論じる.. 通産省 は,1958 年 5 月 に「新政策樹立 に 際 し. 二 1950 年代後半のプラント輸出振興措置. 検討すべき事項」として,輸出振興,経済協力 の推進,産業基礎の強化と産業体制の確立,中. 1 経済協力促進によるプラント輸出振興. 小企業の振興,産業技術の振興の 5 つの項目を. 1955 から 56 年にかけての神武景気のなか,. あげた70).輸出振興政策の重点は,延払輸出の. 国内投資ブームの進展に伴って輸入が増加し,. 拡大ないし円クレジット供与の積極化といった. また,輸出の伸び悩みが表面化し,1957 年に. 面に置かれ,それによって,通産省は東南アジ. 入ってから,国際収支の悪化と外貨の減少が生. アを中心とする「後進国」市場の確保に全力を. じた.重機械輸出において,とくに船舶は輸出. 挙げて取り組もうとした.すなわち,長期化が. ブームの終了に伴い,輸出認証額が 1956 年の. 予想される過剰生産不況のもと,国内の過剰生. 689,848 千ドルから 1957 年の 302,016 千ドルま. 産能力のはけ口を海外,とくに「後進国」の市. で半減し,その他の重機械類も 71,684 千ドル. 場に求めようとするもので,そのため輸出代金. から 56,002 千ドルまで落ち込んだ[表 2] .そ. の延払条件の緩和,クレジット供与などを促進. こで,外貨危機,輸出不振を打開するために,. しようとしたのである71).そして,経済協力に. 輸出振興政策をさらに拡張し,経済協力の促進. おける資本協力態勢の整備,技術協力態勢の強. 方策が重視されるようになったのである.. 化,コンサルティング業務の強化などの一連の.
(9) 海外経済協力基金の設置経緯(湯). (123) 123. 表 3 機械類の機種別新規受注額の推移 (単位:百万円) 年 度. 原動機. 重電機. 通信機械. 産業機械. 工作機械. 鉄道車両. 船 舶. 合 計. 1953. 35,710. 62,640. 21,035. 66,549. 2,539. 20,045. 49,586. 258,109. 1954. 28,447. 54,453. 21,092. 61,198. 1,899. 19,590. 68,496. 255,180. 1955. 38,197. 55,458. 17,379. 70,680. 1,903. 20,854. 165,979. 370,450. 1956. 92,698. 116,356. 27,495. 149,454. 6,800. 28,559. 283,440. 704,802. 1957. 111,635. 160,112. 34,612. 155,813. 8,230. 44,567. 218,040. 733,009. 1958. 71,558. 95,668. 42,468. 111,626. 5,983. 37,791. 91,077. 456,171. 1959. 99,084. 155,678. 52,776. 209,700. 17,119. 40,076. 84,356. 658,789. 1960. 174,599. 227,287. 68,453. 287,853. 31,161. 54,479. 129,595. 973,427. 出典:通商産業大臣官房調査統計部編『機械統計年報』各年度版より作成.. 2 プラント輸出振興政策について. 政策が検討された72). 1958 年春以降,輸出の不振が目立ってきた. 73). 1957 年下半期からプラント輸出振興措置は. 6 月から 9 月に輸出振興策が検討された .7. 税制,保険を中心に実施された.1957 年には,. 月に通産省が作成した「輸出振興対策」にも,. 輸出所得控除制度の控除率の引上げ(プラント. 経済協力の促進策として,①海外事業(直接投. 輸出 5% → 7.5%),輸出代金保険 の 料率 の 引下. 資)の 促進,②国際的 な ア ジ ア 開発基金 の 設. げ(約 2 割),設備等輸出為替損失補償制度 の. 立,③国際協力による開発計画への参加,④円. 契約締結限度額は従来の 200 億円から 450 億円. クレジットの拡大(機械類だけではなくセメン. へ拡大が行われた.1958 年には,普通輸出保. ト,鋼材などの生産資材にも拡大) ,⑤延払方. 険 の 料率 の 引上 げ(平均 12%)と 担保危険 の. 式の積極的活用,⑥賠償の弾力的運用(消費財. 明確化,延払輸出承認手続きの簡素化などが実. も賠償指定品種として認める)などが掲げられ. 施された.さらに 1959 年にはプラント建設工. 74). た .. 事に対する危険補償制度が新設された77).以上. 通産省が円クレジットの積極的拡大を目指し. の措置はもちろんプラント輸出拡大にインセン. た背景には,1958 年 2 月に日本がインドとの. ティブを与えたが,しかし,日本製品の価格の. 間に円借款が成立したことによる影響が大き. 割高,需要国における日本技術への認識不足,. い.当時 の 借款対象品目はプラント類に限定. 支払条件をめぐる国際競争の激化のなかで,こ. され,重機械輸出拡大に大きく貢献した75).ま. れらの措置は十分な効果を発揮したとはいい難. た,この時期に造船メーカーの不況対策として. い.. 陸上部門への本格的な進出がはじまった.原動. たとえば,延払条件が厳しかったことなどの. 機,産業機械を中心に多角経営が展開されたこ. ために,当時プラント輸出引合件数の 90~95%. とも,機械業界が海外市場を強力に求める一因. は成約に至らなかった78).また,表 4 で示して. となった76).さらに,表 3 でみるように,1958. いるように,日本のプラント製品は他の先進諸. 年に機械工業の新規受注が大幅に縮小したこと. 国より,約 2 割以上の割高となっていた.国際. は,景気停滞に対する危機感を強めた.このよ. 市場における価格格差を補うために,当面の措. うな一連の動きは,通産省の経済協力,円借款. 置としては,やはり金融面からの補助の拡充. の拡大によるプラント輸出振興志向を強く促し. が,プラント輸出拡大における重要な決め手と. た.. なる.すなわち,より緩和された条件での貸付,.
(10) 124 (124). 横浜国際社会科学研究 第 15 巻第 1・2 号(2010 年 8 月). 表 4 プラント国際入札価格の比較 機 種. 日本との価格比 (日本= 100). 仕向国. 入札年月. 変圧器. インド. 80(イタリア) 89(アメリカ,ベルギー). 1958 年 12 月. W/W Generater. ブラジル. 92(西ドイツ). 1959 年 2 月. タービン及びタービン発電機. インド. 68(イタリア)79(西ドイツ). 1959 年 5 月. 変圧器. インド. 75(イタリア) 81(イギリス). 1959 年 6 月. Crane. ブラジル. 77(不明). 1958 年 11 月. . インド. 86(不明). 1959 年 1 月. . アラビア連合. 78(不明). 1959 年 1 月. Gate. タイ. 82(不明). 1959 年 7 月. Dredger. アラビア連合. 89(不明). 1959 年 2 月. Switch Gear. インド. 80(イタリア) 86.5(西ドイツ). 1958 年 12 月. 製糖プラント. パキスタン. 80(西ドイツ). 1959 年 6 月. 出典:通商産業省重工業局『日本 の 機械工業─ そ の 成長 と 構造─ Ⅰ総論』機械工業振興協会,1960 年,288 頁.原資料 は 通産省重工業局資料による.. 出資,円クレジットなどの長期信用は,企業の. 資金確保がもっとも大きな問題であると指摘し. リスクとコストをカバーすることができる.そ. た.輸銀の資金確保の問題が対外投資や信用供. のため,企業の利潤増に直接的に結びつき,商. 与を規制する限界となるとの結論をづけた80).. 品価格の低下にも効果がある. そこで, 商業ベー. 1952 年から業務が始められた輸銀は,1959. スを無視してまでも,途上国の開発事業への参. 年にその貸付残高が 943 億円に達し,設立以来. 加,円借款拡大などによるプラント輸出市場を. の最高を記録した[表 5].その頃から輸銀の. 開拓することは,当面の重要な課題となる.そ. 業務は急速に発展した.このような変化は,対. れを促進するために,より充実した金融面の体. 印円借款,アラスカ・パルプ,ウジミナス製鉄. 制整備が必要であった.. 所,アラビア石油に対する投融資によるもので あった.他方,貸付残高の急増により,輸銀に. 3 輸銀の限界. とって 資金源確保 が 緊急問題 と なった.同 じ. 通産省,経団連などが主張した経済協力の拡. く表 5 に示しているように,輸銀の所要資金は. 大による輸出振興策に対して,大蔵省は慎重な. 1954 年以降,年々 50 億円,210 億円,143 億円,. 態度を示した.とくに,円クレジット拡大に対. 20 億円の追加供給が行われてきたが,1959 年. して,大蔵省は,①日本の外貨準備の状況,②. 度の所要額 280 億円は従来の水準より大きく上. 日本の生産力,③輸銀の資金ワクの三点が円ク. 回った.そしてこの年を起点に,輸銀追加資金. レジット総額を制約していると指摘し,このう. が急増し,とくに借入額の上昇幅が目立つ.輸. ち,①②については差当たり大きな制約はない. 銀が政府から資金を借入れられるようになっ. が,輸銀の資金ワクの面ではかなり制約が大き. たのは,1952 年の法改正以降である.当初は,. いので,これ以上大幅なクレジット供与をする. 資金の借入額と債務保証の現在額との合計額は. ことは日本の国力からみて不可能であると主張. 自己資本(資本金と準備金との合計額)を超え. 79). した .さらに,経済企画庁も, 「わが国の海. てはならないものとされた81).1957 年の法改. 外投資,対外信用供与,賠償等の供与余力につ. 正で,借入金の限度額を自己資本の 2 倍に拡大. いて」と題する資料のなかで,当面は輸銀の. した.それによって,輸銀は借入資金を,大幅.
(11) 海外経済協力基金の設置経緯(湯). (125) 125. 表 5 輸銀の追加資金および貸付の推移. . (単位:億円). 年 度. 出資額. 借入額. 合 計. 新規貸付金. 貸付残高. 1950. 50. ─. 50. 11. 11. 1951. 120. ─. 120. 86. 70. 1952. 40. ─. 40. 83. 56. 1953. ─. 30. 30. 127. 94. 1954. ─. 50. 50. 287. 247. 1955. 130. 80. 210. 451. 448. 1956. 48. 95. 143. 586. 636. 1957. ─. 20. 20. 587. 638. 1958. ─. 35. 35. 471. 660. 1959. 60. 220. 280. 648. 943. 1960. 135. 386. 521. 844. 1,404. 1961. 200. 450. 650. 1,036. 1,986. 1962. 200. 480. 680. 1,086. 2,610. 1963. 260. 630. 890. 1,484. 3,426. 1964. 225. 957. 1,182. 1,979. 4,435. 出典:日本輸出入銀行『二十年の歩み』1971 年,358─359 頁.. 表 6 輸銀の資金調達状況 . (単位:億円) 年 度. 自己資本 (資本金+準備金). 借入金. 産投会計 借入金. 資金運用部 借入金. 1953. 213. 30. 30. ─. 1954. 216. 80. 30. 50. 1955. 347. 160. 30. 130. 1956. 398. 252. 27. 225. 1957. 401. 263. 18. 245. 1958. 404. 281. 12. 269. 1959. 467. 464. 6. 458. 1960. 602. 789. ─. 789. 1961. 802. 1,174. ─. 1,174. 1962. 1,002. 1,595. ─. 1,595. 1963. 1,262. 2,120. ─. 2,120. 1964. 1,487. 2,914. ─. 2,914. 出典:日本輸出入銀行『三十年の歩み』1983 年,412─413 頁より作成..
(12) 横浜国際社会科学研究 第 15 巻第 1・2 号(2010 年 8 月). 126 (126). 表 7 輸銀年度別・融資承諾額の推移 . (単位:百万円,%) 年 度. 輸出計. 1953. 輸 入. 投 資. 直接借款. 合 計. 10,580(59). 86(0). 176(1). 0(0). 18,235(100). 船 舶. プラント. 17,973(99). 7,393(41). 1954. 35,719(100). 22,066(62). 13,653(38). 0(0). 63(0). 0(0). 35,782(100). 1955. 60,320(98). 49,259(82). 11,061(18). 0(0). 958(2). 0(0). 61,278(100). 1956. 57,372(99). 44,819(78). 12,553(22). 44(0). 669(1). 0(0). 58,085(100). 1957. 46,673(82). 38,023(81). 8,650(19). 737(1). 9,475(17). 0(0). 56,885(100). 1958. 42,663(98). 28,827(68). 13,836(32). 272(0). 391(1). 374(1). 43,700(100). 1959. 55,578(80). 30,088(54). 25,490(46). 1,528(2). 7,657(11). 4,999(7). 69,762(100). 1960. 79,826(78). 42,629(53). 37,197(47). 187(0). 8,009(8). 14,184(14). 102,206(100). 1961. 95,592(67). 46,531(49). 49,061(51). 2,752(2). 13,008(9). 30,694(22). 142,046(100). 1962. 87,495(84). 55,380(63). 32,115(37). 488(1). 2,442(2). 13,853(13). 104,278(100). 1963. 151,553(79). 98,460(65). 53,093(35). 499(0). 7,264(4). 31,680(17). 190,996(100). 1964. 177,252(81). 127,515(72). 49,737(28). 105(0). 13,955(6). 28,696(13). 220,008(100). 注: ( )内は構成比. 出典:日本輸出入銀行『二十年の歩み』1971 年,362─365 頁より作成.. に増やすことが可能となった82).. 予算案の再査定が行われた85).. 留意すべきことは,表 6 に示されているよう. 以上 の よ う に,1959 年 は 輸銀 が 設立以来,. に,借入金のほとんどが,大蔵省理財局管理下. 事業発展における大きな転換点であった.その. にある資金運用部から融資されていたことで. 転換にあたって,輸銀の資金枠,コスト状況悪. あ る.資金運用部 の 年金利 は 6.5% で あ る.他. 化への懸念が高まった.そして,この問題は,. 方,輸銀 の 貸出金利 は 輸出 が 年 4.0~7.0%,海. 通産省の経済協力促進によるプラント輸出振興. 外投資が年 4.5% 以上と設定している.すなわ. 方針に反対する根拠となった.そこで,輸銀の. ち,通常輸出金融年 4%,投資金融年 4.5% で 融. 限界を打開し,とくに出資金を確保する方法と. 資を行う場合に,逆鞘が生じる83).つまり,資. して,新機関の設置が注目されたのである.. 金運用部からの借入により不足資金を補うには. 資本金問題以外に,当時輸銀業務について以. 限度がある.輸銀にとって,貸出予定額が一定. 下二つの特徴がみられる.第一に,輸銀の輸出. 限度をこえることとなれば,どうしても無利子. 金融が船舶輸出に大きく影響されていることで. の出資金が必要となる.とくに,1958 年に次年. ある.表 7 で輸銀の業種別業務をみると,1954. 度予算計画作成にあたって,輸銀における国策. 年から 58 年まで,輸銀資金の大部分は船舶融. 的案件 へ の 融資額 は,1957 年度 40 億円,1958. 資に向けられ,一般機械や重電機などのプラン. 年度 190 億円,1959 年度 430 億円の見込みと激. ト類への金融助成は十分とはいえない.第二に,. 84). 増し,出資金の確保が重要な問題となった .. 市場確保のため海外投資への支援は決して広範. そこで,輸銀は 1959 年度の予算について,大. に展開されたわけではない.1957 年から 60 年. 蔵省に 370 億円の出資,246 億円の融資,合計. まで輸銀の海外投資金融総額の 47% はアラス. 616 億円の追加額を要求した.しかし,それが. カ・パルプ,27% はアラビア石油であったた. 大蔵省 の 批判 を 招 き,結果的 に,1959 年度 の. め,両事業だけで海外投資金融の 7 割以上を占.
(13) 海外経済協力基金の設置経緯(湯). (127) 127. めていた86).その原因は輸銀の融資案件の厳選. 連は「海外投資機関の設置に関する要望」を発. 体制からくるものと考えられる.それに対する. 表した.ここにおいて,1956 年にいったん終止. 87). 経済界の不満もかなり強かった .. 符が打たれた「海外投資機関」の設置構想が, 正式に復活したのである.その背景には,プラ. 三 海外経済協力基金設置の意義. ント輸出の拡大に伴い,相手国から投資の要. 1 基金の設置. 請があり,機械輸出の方法が多様化したことが. ⑴ 東南アジア開発基金構想による 50 億円予. あげられる.具体的には,①プラント類の輸出. 算の確保. に伴い,その輸出総額のある程度の部分を株式. 1957 年 2 月 に 首相 と なった 岸信介 は,熱烈. で持つことが条件とされたこと,②機械工業に. な反共主義者として知られる.共産圏に対抗す. 直接関連する海外投資の形態として,比較的大. るため,1957 年 5 月,岸は,アメリカの資金,. 規模な工場施設を引受ける場合に先方から合弁. 日本の技術,東南アジアの資源を結びつけて,. の要請があったこと,③相手国の輸入制限のた. 国際的な金融機構, 「東南アジア開発基金構想」. め,生産工場設置 や 企業 の 進出 が 図 ら れ た こ. を提唱した.岸構想に対して,アメリカが積極. と,④電力,運輸,化学工業に関するプラント. 的な態度を示さなかったため,日本側は苦慮し. 輸出 の 場合,そ れ ら 工場 の 生産品(電力,運. 88). た .岸首相の二回目の東南アジア歴訪に向け. 輸,化学工業製品 な ど)の 売上代金 の 一部 に. て,対外信用を考慮し,11 月に藤山愛一郎外相. よってプラント代金の支払を賄うこととされ. は来年度予算に 54 億円(1 千 500 万ドル)を要. たため,支払期間が長期になるなどの事態が. 求,円資金だけで発足することを決意した .. 生じた95).とくに,1959 年 4 月から 12 月まで. 翌 12 月,自民党は政調副会長会議で 1958 年度. の間に,プラント輸出に伴う投資要求額は 13. の予算案にアジア経済協力基金 50 億円を留保. 件 52,750 千ドル(約 190 億円)にのぼり,機械. 財源の内から出すことを決めた90).予算の使途. 業界は資金調達に苦慮した96).他方,唯一の金. に つ い て,外務省,通産省,大蔵省 が そ れ ぞ. 融補助機関である輸銀は商業ベースに乗ること. れの意見で対立したが,1958 年 2 月の閣議で,. を基準に厳選体制をとっていたため,経済界の. 50 億円はタナアゲ方式として,将来国際機構. 不満が高まり, 「海外投資機関構想」が再び台. に出資する方針が決定された91).. 頭したのである97).. ⑵ 50 億円予算の使途. 以上の事態を受け,通産省は 10 月にプラン. 1958 年 に 輸出振興政策 が 検討 さ れ る な か,. ト輸出振興策の一環として,メーカーの資金負. 50 億円の運営について,8 月に通産省は日本の. 担を解決するために新機関の設置を考えた98).. 余剰物資を輸出し,現地の開発事業に参加する. 通産省は,国内余剰生産物を供給し,円建てで. などを目的とする「東南ア貿易振興会社」構想. 返済することをもって,プラントメーカーに融. 89). 92). を打ち出した .他方,外務省は「アジア開発. 資を行うことを視野に「海外経済協力会社案」. 基金構想」を立てたが,50 億円の使途に明確. を 立 て た.会社 の 資金 は,初年度 が 政府出資. 93). な方針がなかった .それらに対して,大蔵省. 100 億円を予定し,その後毎年 100 億円を支出. は 50 億円を取り崩すことなく,将来国際機構. し,合計 500 億円にすると計画した99).また,. に出資する意見を固持した.. 具体的な業務は,①国内余剰生産物を現地通貨. 膠着状態のなかで,自民党が動き出し,1959. 建てで輸出,②長期低利クレジットの設定,③. 年 7 月, 「対外経済協力特別委員会」を設置し,. 輸銀ベースに乗らない事業に特別の貸し付け条. 一万田尚登が委員長として就任後ただちに経団. 件で投資資金などを貸し付けることである100).. 連に協力を求めた94).それを受け,9 月に日機. 経団連は自民党からの要請を受け,7 月から.
(14) 128 (128). 横浜国際社会科学研究 第 15 巻第 1・2 号(2010 年 8 月). 11 月 の 間 に,外務省,通産省,大蔵省,自民. 財政支出のうち 50 億円は東南アジア開発協力. 党対外経済協力特別委員会とそれぞれ懇談会を. 基金により,あとは一般財源によるといった方. 開き,50 億円の運用や経済協力方針について. 針が,自民党政策審議会で了承をえた.業務内. 検討 し た101).11 月 に 経団連 は「対外経済協力. 容については通産省案に沿って検討していくこ. 政策の確立に関する要望意見」を作成した.要. ととなった104).. 望書では,民間人参加の対外経済協力促進会議. 自民党,通産省,経団連,機械業界の圧力に. の設置を第一項目に掲げ, 機関の設置について,. 対して,大蔵省は譲歩を余儀なくされた.1959. 「東南ア諸国等から輸銀の金融ベースにのらぬ. 年 12 月,各省が輸銀の投融資業務を補完する. 対日協力を要請されるケースが増加しつつある. 新機関の設置に合意し105),経団連が要望した. 情勢にかんがみ,これら諸国の経済開発への協. 対外経済協力審議会 も,1960 年 2 月 に 設置準. 力を一段と推進するため,とくに長期・低利の. 備が整えられた106).. 融資業務のほか,国内過剰消費財の提供による 現地通貨の積立活用の方法をも併せもつ専門の. 2 基金設置の意義. 開発協力機関を,速やかに政府資金をもって設. ⑴ プラント輸出振興 . 置すること.また,この経済開発協力機関は,. 1950 年代の日本のプラント輸出振興政策は,. 上記の経済協力促進会議において国策上とくに. 三段階の展開がみられた.第一期(1953~55 年). 必要と認める場合に限って,国内の投資会社や. には,1953 年の外貨危機以降,金融,租税,保険,. 相手国との合弁企業にも直接出資ができる途を. 市場開拓などの政策が行われた.たとえば,輸. 開いておく」などの要求が記された. 102). .つま. 銀法改正により輸出貸付条件が緩和された.補. り,途上国への経済進出の困難さに直面するな. 助金政策としての出血リンク制度が実施され,. かで,1958 年の商業ベース再検討をさらに進. さらに,重機械類技術相談室の改組によって,. め,金融ベースに乗らないものを前提に,補助. 日本プラント協会が設立された.また,官民協. 機関の設置を求めたのである.その要望書は,. 力を増進するために輸出会議もつくられた.こ. 事前に自民党委員会の了承を得て,政府各局に. れらの政策はその後の輸出振興方針の基礎と. 提出した.. なった.. 自民党は新機関の資本金を 200 億円とし,そ. 第二期(1955~57 年)に は,以上 の 政策 を. の半分を民間出資とすることを非公式に経団連. 補完するため,海外投資の促進が重視された.. に打診した.経団連は,新機関の性格は,輸銀. 長期的な視点から日本の機械製品の市場を開拓. ベースに乗らない投融資を対象とするものであ. することは,戦後プラント輸出振興政策におけ. り,政府全額出資とする意見を堅持した.そこ. る新たな展開であった.その資本金およびリス. で,自民党は,通産・大蔵省と折衝した結果,. クを保証するため,国策の「海外投資機関」の. 財源上の制約により,タナアゲのまま具体化を. 設置が検討されたが,最終的に,輸銀法改正に. 見なかった東南アジア開発協力基金などを初年. よる業務拡充,海外投資保険制度の改善,海外. 103). 度払い込みに充てることになった. .. 投資利益保険の新設などの政策によって助成が. 以上の経緯を経て,12 月 18 日に自民党は経. 図られた.. 済協力案を決定した.新機関設置ついては,①. 第三期(1957~60 年)に は,1957 年 か ら の. 輸銀の投融資業務の補完的な機関を設置する,. 外貨危機,輸出不振のなか,プラント輸出振興. ②新機構は公法人の性格をもつ特別基金とし,. 政策の一方策として,経済協力の促進が重視さ. 1,2 年中に財政支出 200 億円(さしあたり 1960. れた.この動きは,1960 年代の日本の輸出振. 年度 は 100 億円)を期待する,③ 1960 年度の. 興政策,経済協力方針の土台を作り出した.民.
(15) 海外経済協力基金の設置経緯(湯). 間ベースの海外投資によるプラント輸出拡大方. (129) 129. 表 8 基金の増資と借入. 針は,政治経済不安定な途上国への経済進出の. (単位:億円). 困難に直面し,行き詰まりの状態となった.そ. 年度. 増資額. 借入額. れを打開するために,政府による強力な助成措. 1960. 54. ─. 1961. 50. ─. 1962. 65. ─. 1963. ─. ─. 1964. ─. ─. 1965. 10. ─. 1966. 75. 10. 1967. 90. 75. 1968. 60. 235. 1969. 224. 173. 1970. 290. 120. 置が検討された.輸銀による経済協力の業務拡 大の見込みが立たないため,最終的に,輸銀投 融資業務を補完するための新機関が設置された のである. 基金設置は,輸銀ベースに乗らない事業に対 して,融資の道を開いた.また,貸付金利は輸 銀より緩和された条件で,年 4.0~6.5%,償還 期間は 20 年以下に設定された(輸銀の輸出金 利 4.0~7.0%,償還期間 5~15 年,海外投資金 107) 利 4.5%,償還期間 10~20 年) .. 輸銀との違いについて,さらに,以下の二点 に注目すべきである.第一に,輸銀の資金調達. 出典:海 外経済協力基金『海外経済協力基金二十年史』 1982 年,565 頁より作成.. においては資金運用部からの借入金が出資金を. また,1957 年に輸銀法改正の際に実現されな. 上回ったのに対して[表 6] ,基金の原資は一. かった 出資業務 も,基金 の 業務 に よって 整備. .1965. さ れ た112).このように,従来の政策決定方法. 年の基金法改正によって,借入も可能となった. の変化,および資金の確保手段の拡大は,経済. が,表 8 に 示 す よ う に,1960 年代 は 一般会計. 協力によるプラント輸出振興政策を実施する基. からの出資が中心であった.つまり,出資金確. 盤を作り出し,振興政策における大きな進展で. 保によって,資金コストが低くおさえられ,輸. ある.. 銀より緩和された条件で長期信用を行う条件が. 1950 年代後半から模索されたプラント輸出. 作り出された.第二に,輸銀は大蔵省の監督下. 促進政策は,海外投資から経済協力へと展開さ. におかれているのに対し,基金の監督官庁は経. れた.基金と「海外投資機関」との性格は,こ. 済企画庁であり, さらに,事業の許可,承認を,. のようなプラント輸出振興政策の展開のなかで. 外務・大蔵・通産各大臣が協議する場として運. 類似したものとなった.「海外投資機関」と基. 般会計からの出資によって賄われる. 用協議会が設けられた. 108). 109). .大蔵省の権限を制. 金とは,機関名は異なるが,市場確保を目的と. 約し,輸銀の融資案件の厳選体制や輸銀業務に. するプラント輸出促進という性格においては,. 対する大蔵省の過大な介入を打破し, 輸出振興,. 同じであった.経済協力は,海外投資を含めた. 経済協力政策の拡充を図ろうとするものであっ. 形に拡張された輸出振興政策であった.他方,. た.. 経済協力は外資の侵入に対する途上国の警戒を. 実際,1957 年輸銀法改正 に あ たって,経団. 和らげることができる.. 連および各省からは「主管官庁たる大蔵省のみ. 「海外投資機関」と基金におけるプラント輸. ならず,外務,通産,企画庁等の関係長官や民. 出振興 と い う 目的 か ら し て,機械工業 に とっ. 間有識者の意向を輸銀業務に反映せしめるた. て,両機関の性格に違いはない.日機連の『日. め審議会を設ける」ことを要求した.それに. 機連 20 年 の 歩 み』,お よ び『日機連三十年史』. 対 し て,大蔵省 が 反対 し110),結局,日本輸出. に,「日機連は海外投資等経済協力の促進のた. 入銀行懇談会を充実させることに結実した. 111). .. め,かねてから政府の強力な措置による海外投.
(16) 横浜国際社会科学研究 第 15 巻第 1・2 号(2010 年 8 月). 130 (130). 資機関の設立を推進してきたが,海外経済協力. れらの企業によって独占された.経済界におい. 株式会社案などが検討された揚句最終的に全額. て機械工業の地位を固めたことがうかがえる.. 政府出資による基金形態がとられることにな. また,経団連が基金設置過程に大きな影響を. り,海外経済協力基金が設立される運びとなっ. 与えた要因として,経済協力の性格を指摘する. た」と記述していることは,両機関の関連性を. ことができる.経済協力は外交・通商・財政な. 物語っている. 113). .. どの諸政策が絡みあうため,方針の決定過程に. さらに,もう一つ留意すべきことは,基金. おいて,外務省,通産省,大蔵省などの省庁間. が 1966 年からウジミナス株式会社に出資しは. の対立,権限争いが生じた.また,自民党が積. じめたことである.1956 年,ウジミナス製鉄. 極的に動き出したことに対し,大蔵省が強い警. 所に対する政府の支援方針が検討された際に,. 戒をもった.政府内の対立を緩和するため,自. 当時の合意として, 「将来投資機関が設置され. 民党は経団連に協力を求め,大蔵省も民間人の. た場合は,輸銀融資分はこれに肩がわりさせ. 「中立的立場」に期待するようになった118).こ. る」 ,また当時石橋通産大臣も同じ内容の発言. うしたなかで,逆に経団連の影響力が拡大され. をした.これを根拠に, ウジミナス株式会社は,. たのである.. 1964 年資本金増資の際に,基金による出資を 要求した114).基金はそれに応じて,1978 年ま. おわりに. で 日本 ウ ジ ミ ナ ス 株式会社 に 115 億 5 千万円. 本稿が「はじめに」に設定した三つの分析視. の出資を行った. 115). . 「海外投資機関構想」の検. 点に沿って,「おわりに」をまとめたい .. 討,断念,そして基金設置までに至る連続性が. 第一の視点,基金設置の経緯および第二の視. うかがえる.. 点,その経緯がプラント輸出振興政策との関. ⑵ 政財官の相互関係. 連について,以下の結論が得られる . 基金は,. 以上の分析を通じて,基金設置の決定に至っ. プラント輸出振興の手法が拡張された時期に. て,機械業界,経団連の関与が大きかったこと. 設置 さ れ,1956 年 の 国策 の「海外投資機関構. が明らかとなった.そこで,機械業界と経団連. 想」の 延長線上 に あった の で あ る.1950 年代. の影響力の背景を明らかにする必要もある.紙. 半 ば の 海外投資 へ の 助成 に よ る 輸出拡大方策. 幅の関係で,以下ではそれについては,簡単に. は,戦後のプラント輸出振興政策における新た. ふれるに止める.. な 展開 で あった.さ ら に,1950 年代後半 に な. 1950 年代後半 は,機械工業 が 急速 に 発展 し. ると,民間ベースの限界性を打破するため,政. た時代である.機械工業が製造業全体に占める. 府ベースによる経済協力の促進が重視され,プ. 比率は,1955 年の 18.6% から 1960 年の 30% 強. ラント輸出振興政策のさらなる拡張と転換が図. に急上昇し,以降も約 30% の比率を占め続け. られた.振興政策における一連の展開の背後に. 116). た. .機械 メーカーの う ち,年間売上高 お よ. は,日本のプラント製品の割高,国際競争の激. び資本金が上位の企業から順に並べると(1957. 化,途上国の外貨不足などの問題が存在した.. 年 10 月~58 年 9 月) ,第 1 位 か ら 第 5 位 ま で. それらの問題を解決するために,当面の措置と. は,それぞれ,日立製作所,東芝電気,新三菱. して,相手国の開発事業への参加,および紐付. 117). 重工,三菱造船,三菱電機であった. .そこで,. き円借款の供与などの方法が考えられた.そし. 日機連会長(日立製作所 の 倉田主税) ,日本 プ. て,より拡張された方法で,より緩和された条. ラント協会会長・経団連経済協力委員会委員長. 件で,対外投融資を行うことは,金融面に止ま. (三菱電機の高杉晋一) ,経団連会長(東芝電気. らず,企業のコストとリスクをカバーするため. の石坂泰三)などの財界の重要なポストも,こ. の,保険,税制に至るまで振興政策が拡張され.
(17) 海外経済協力基金の設置経緯(湯). たことを意味する.基金の設置における,外交 的要素の重要性を否定する意図はないが,本稿 の分析を通じて,経済的要因は遥かに大きかっ たことが明らかになったといえよう.1960 年 代半ば以降,基金は経済協力を実施する中枢機 関として,紐付きプロジェクト・ローン業務を 拡大していく119).基金は外交関係の改善と市 場確保の一石二鳥の役割を果たした.その後, 1999 年に輸銀と基金が統合され , 国際協力銀行 となった . 最近はその国際協力銀行をフル活用 して , 発展途上国に限らず , 先進国向けのイン フレ売込みによるプラント輸出促進に乗り出そ うとしている120). また,第三の分析視点,すなわち,自民党・ 各省庁・経済界に焦点を当てることによって, 以下の二つの実態が明らかになった.第一に, 「海外投資機関構想」 ,輸銀法改正,基金設置を めぐって,大蔵省と通産省,自民党,経団連の 利害が対立したこと,第二に,政府や各省間の 対立が深まるなか,財界・民間人の「中立的立 場」が期待され,経団連のなかで機械工業分野 の発言力が強まったことである. 最後に今後の研究展望として,産業政策の動 向や産業構造の変化との関連を考察したい.. 謝 辞 本稿執筆にあたって,成城大学経済学部浅井良 夫教授に貴重な助言を頂きました.記して謝意を 述べます. 注 1)海外経済協力基金『海外経済協力基金二十年 史』1982 年,p. 23. 2)樋渡由美「岸外交における東南アジアとアメ リ カ」(近代日本研究会編『年報 近代日本研 究 11 』山川出版社,1989 年). 3)黒崎輝「東南アジア開発をめぐる日米関係の 変 容 1957─1960 」(『法 学』64 巻 1 号,2000 年 4 月). 4)権容奭「岸の東南アジア歴訪と『対米自主外 交』」(『一橋論叢』123 巻 1 号,2000 年 1 月).. (131) 131. 5)権容奭『岸政権期の「アジア外交」─「対米自 主」 と 「アジア主義」 の逆説─』 国際書院,2008 年. 6)保城広至「岸外交評価 の 再構築─東南 ア ジ ア 開発基金構想の提唱と挫折」 ( 『国際関係論研究』 17 号,2001 年 9 月) . 7)保城広至『アジア地域主義外交の行方:1952─ 1966 年』木鐸社,2008 年. 8)末廣昭「経済再進出への道─日本の対東南ア ジア政策と開発体制」 (中村政則編『戦後日本: 占領と戦後改革─戦後改革とその遺産』 第 6 巻, 岩波書店,1995 年) . 9)大蔵省財政史室編『昭和財政史:昭和 27─48 年度』第 12 巻,東洋経済新報社,1992 年. 10)通商産業政策史編纂委員会編『通商産業政策 史』第 6 巻,通商産業調査会,1990 年. 11)浅井良夫「 IMF8 条国移行と貿易・為替自由 化(上)─IMF と日本:1952─64 年─」 ( 『成城 大学経済研究所 研究報告』42 号,2005 年 3 月) . 12)通商産業政策史編纂委員会編,前掲書(第 5 巻) ,第一章第三節「通商産業政策の基調」 (執 筆者武田晴人)を参照. 13)日本輸出入銀行『十年 の 歩 み』1963 年,pp. 248─250. 14)日本機械輸出組合『機械輸出組合 30 年史』 1982 年,p. 57. 15)出血補償リンク制度とは,プラント輸出に よって生ずる損失を粗糖の輸入によって生ず る輸入価格と国内価格との差益により補償す る制度である.同上. 16)経済安定本部『経済白書』1956 年版,p. 2. 17) 「座談会 手持外貨の増大と今後の通商・為 替政策」 ( 『経団連月報』4 巻 3 号,1956 年 3 月) pp. 23─27. 18)日本輸出入銀行,前掲書,p. 79. 19)通商産業政策史編纂委員会編,前掲書(第 5 巻,執筆者武田晴人) ,pp. 139─140. 20)同上,pp. 142─143. 21)高杉晋一「輸出プラント技術協会の使命」 ( 『実 業展望』28 巻 4 号,1956 年 4 月)pp. 76─78. 22)日本ウジミナス株式会社『十年史』1969 年, p. 16. 23)同上,p. 130. 24)同上,p. 94. 25)同上,p. 161. 26)同上,第 5 章「買付 け お よ び 輸出業務」を 参照. 27)同上,p. 124. 28)同上,p. 125. 29) 「輸銀法を次期国会に 通産相語る」 『日本経 済新聞』1956 年 6 月 29 日. 30)日本ウジミナス株式会社,前掲書,pp. 124─ 125..
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