• 検索結果がありません。

新出のN氏所蔵上方絵について

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "新出のN氏所蔵上方絵について"

Copied!
27
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)492(57). 一. 新 出 のN氏所蔵上方絵 に ついて. 平. 進. お宅 へうかが った のが発端 であ る。研究に役立 ててほし いと いう氏 の気持と行動が第 一の功績 であ る。. なお発見 の功績 は私 にはな い。出版物で私 の名と勤務先を知 った N氏が、大学宛 に手紙を 下さり、私が拝見しに. 理を終えた ので、 そ の全貌 や収集 の特色などに ついて述 べてみた い。. し て、国立劇場理事 郡司正勝氏 ︵ 早稲田大学名誉教授︶は、﹁ 歌舞伎 研究 の上でも 一級 の資料と いえ る﹂ と述 べられ た。そ の後共同通信社を介 し て日本経済新聞 ・毎 日新聞 ・神 戸新聞等 々諸紙が報じたが、今 五か月を へて 一応 の整. 曜 日の京都新聞朝 刊第 一面に、 スクープとしてカ ラー写真入り で発見が報じられたそれ であ る。紙上識者 の意見と. 所蔵者 の希望 で名前を公にできな いが、ここでN氏所蔵と仮称す る多量 の上方役者絵 は、  一九九 四年 五月七日土. 松.

(2) (58)491 新出の N氏 所蔵上方絵 について. 二. N氏 は京 染 呉 服 の卸 業 を 営 む 京 都 市 下京 区 の旧 家 であ る。 コレク シ ョンは家 に伝 わ った も のと いう 以外. 、 そ の成. 文久三年︶に始 ま  一八 六 三年 ︵ 立 に 関 し て は何 も わ か ら な い。 N氏 が 父 親 か ら の伝 聞 と し て語 ると こ ろに よ ると 、. った 蛤 御 門 の変 塞ボ 門 の変︶で六 四年 含死治元年︶に火 を 放 た れ て 一帯 が 焼 か れた。家 はま る焼 け と なり 、 そ の後 同. 一場 所 にもど り 住 んだ のだ が 、 火 災 に対 処 でき る蔵 の必 要 性 を 痛 感 し 、 はじ め て蔵 を 建 てた 。 従 って こ の浮 世絵 は 火 災 以 後 に家 に 入 った も のであ る はず だ と いう 。.   一枚 一枚 ば ら で箱 に絵 師 別 に収 め ら れ て いる。 し か し元 は綴 じ ら れ て十 冊 の帖 仕 立 であ コレ クシ ョン の現 状 は 、. った 。 N氏 は帖 を ば ら し た 時 も 表 紙 を 捨 てず に保 存 さ れ て いる。全 て揃 いの里曇 ︹ 地 の紙 表 紙 で、左 肩 に題釜 を 貼 る。 白 地 に朱 色 単 辺 の枠 を 描 き 、左 のよう に記 し て いる。. ま た後 表 紙 見 返 し に は、 明 治 廿 一年 七 月 吉 良 日新 改 之 I N□ 氏 拾 冊 ノ内 本 主 ロ ー.

(3)   一冊 のみ江 戸絵 であ った 。 版 画 は全 てが 拾 冊 ノ内 本 主﹂ は朱 書 さ れ て いる。 な お十 冊 のう ち 九 冊が 上方 絵 、 右の ﹁ 大 判 で、細 判 や中 判 が 混 在 し て いな いので、十 冊 の帖 は全 て大 き さ は同 一であ る。. 所 蔵 さ れ て いる 上 方 絵 の絵 師 数 七 二名 、総枚 数 は七 一 一枚 。絵 師 別枚 数 は次 の通 り であ る。 二十枚 を 越え る絵 師 名 を あ げ る。 6 春 好斎 北 洲       9 ︲ 丸 丈斎 国広       9 7 戯 画 堂 芦 ゆき     8 寿 好堂 よ し 国     9 7 6 柳斎 重 春         3 0 あ し 川彦 国       3. 有楽斎 長秀       0 3 2 好 画堂多 美 国     2. 果 であ る。. 長 秀 の件 は後 述 す る 通 り こ の収 集 の土着 性 にか か わ り 、 北 英 の件 は これも後 述す る が短 期 間 の収 集 と いう こと の結. 実際には 一枚︶ であ る こと であ る。 秀 と いう 京 の絵 師 が多 く 集 め ら れ て いる こと 、 大 物 絵 師 の春 梅 斎 北 英 が 少数 ︵. 春 朝 の5枚 のほ か は 3 ∼ 1枚 の絵 師 が ほと んど であ る。 こ の数 字 を 見 てただ ち に注 意 さ れ る のは、多 作 では な い長. 5枚 を 除 いては 、春 頂 の 8枚 、春 勢 の7枚 、 そ の他 の絵 師 で は 、 江 戸絵 師 で 一時期 上方 に滞 在 し て いた 柳 川重 信 の1. 3名       9 ︲ そ の他 6 2. 画 登軒 春 芝       2.. 平. 進 松. 490(59).

(4) (60)489 新 出の N氏 所蔵 上 方絵 につ い て. 全 七 一 一枚 の内 訳 は ほと んど が役 者 絵 で六 六 二枚 、 役 者 絵 以外 の四九枚 は美 人画 ・風 景 画 ・風 俗 画 ・立 版 古 ・見. 世 物 絵 ・奉 納 絵 馬 図 ・人 形 出 遣 い図 な ど であ る。役 者 絵 は これ ま で に 五〇枚 を 除 いて年 代 考 証 が でき た 。 そ れ に よ ると 、 時 期 は ごく 限 ら れ た範 囲 であ る こと が わ か る。 3 文 化 二年 ︵一八〇五︶︱ 一四年     6 2 文 政 元年 ︵一八 一八︶︱ 四年       3 1 0 文 政 五年 盆全 〓し ︱ 六年 4         1 9 文 政 七年 ︵一八二四︶︱ 八年       0 1 7 文 政 九 年 ︵一八一一 六︶︱ 一〇年     1 1 ︲ 文 政 一 一年 ︵一八一天 ︶︱ 一二年   5 未 考 証                          0 5. 天保 年 間 にか か る も のは これ ま で の所 一点 も な い。 ま た 文 化 年 間と い っても 、文化 二年 の 一点 を 除 いて全 て十 一年. か ら 文 化 の終 る十 四年 ま で の版 行 であ り 、文 政 十 二年 を 下 限 と す る ほと んど 十 六年 間 に上 演 さ れ た芝 居 に限 った コ. レ ク シ ョンな のであ る 。 これ ま で個 人 や機 関 に属す る多 く の コレ ク シ ョンを 見 てき た が 、 これ だ け の多 量 で これだ け 時 期 が 限 ら れた 場 合 を 知 ら な い。  〓 疋時 期 に集 中 し た 収 集 であ る。. そ こ で先 に述 べた 春 梅 斎 北英 作 品 が 一枚 し か所 蔵 さ れ て いな いこと に ついてであ る。 北 英 は柳 斎 重 春 と 共 に、 天. 保 期 ︵一△ 一 δ l 四 こ 上方 役 者 絵 界 を 支 え る主 要絵 師 であ る が 、 そ の作 画 の最初 は、 わ ず か に文 政 期 にか か る。文. 政 十 一年 正 月 から 十 二年 末 の文 政 最後 の二年 間 に、九 件 十 三枚 の作 品 が知 ら れ て いる。 対 し て柳 斎 重 春 は、文 政 四. 年 か ら 十 二年 ま で に 四 十 一点 七 十 三枚 が 判 明 し て いる。 活 躍 期 が 北 英 より 七年 早く始 ま る のであ る。収 集 時期 の限 定 が こ こにき わ め て明 瞭 に出 て いるわ け であ る。.

(5) 平 松. 488(61). 次 は有 楽 斎 長秀 に 関 し て収 集 の土着 性 と い った点 に つ いて であ る。 長秀 と いう 絵 師 は作 画 期 が 長 く. 、寛 政 十 一年. 、 2 七九九︶か ら 天保 末 年 ︵一八里 こ 頃 に及 ん で作 品 が 見 ら れ る。役 者絵 の みな ら ず 美 人 画 や噺 本 ・滑 稽 本 の挿. 祇 園神 興洗 い練 物 図﹂ は 特 に よ く作 画 し 絵 、芝 居番 付 ・双 六 な ど多 方 面 に作 画 し て いる。 ま た 合 羽招 り が多 く 、 ﹁. 。 管 見 に入 った作 品. 戯 士 似 顔 主 之 部﹂ 浪 速 諸 流 画 人名 家 案 内 ﹄ に は、 長秀 を ﹁ て いる。 天保 のごく 初 期 に大 阪 で版行 さ れ た 一枚 招 り ﹃ 版 行 下主 之 部﹂ に分 類 し て、 に分 類 せず に、 ﹁ ほり 江 旅 宿 京有 楽 斎 長 秀. と 記 し て いる。挿 絵 類 で知 ら れ た京都 の絵 師 で、 大 阪 に も滞 留 し て活 躍 し て いた こと が わ か る. 数 も合 羽招 り を 除 け ば 、錦 絵 招 り はあ ま り多 く なく 、 二十 七枚 にと ど ま って いた。今 回 三十枚 が出 てそ のう ち 二十. 。 一枚 が 従 来 未 見 のも の であ った 。 そ こ でま ず そ の内 容 を 概 観 し よう 。役 者 名 の下 の数 字 は代 数 o  大 阪 中 之 芝 居 お そ め久 松 早替 り 狂 言. 応 需 長秀 画. 正 吉  吉. 図1︶ 有 楽 斎 画              綿 喜 ︵. 岩 井半 四郎 5                            有 楽 斎 画              綿 喜 文政三年 ︵一八二〇︶九月、中座、お染久松色読販、大判 一枚﹀ ︿ *傘をさしたお染が久松に早替りする立姿。 o  け い事   早替 り 山 姥 / 金 時     中 村 歌 右 衛 門3 文政 四年 ︵一八 二 一︶九月、角座、山紅葉錦 五百機 、大判 一枚﹀ ︿ *紅葉 の下、渓 流 の側。山姥金時 二人立姿。 o  京 因 幡 薬 師 芝 居 に て 大 あ た り 奴妻 平  谷 村 楯 八.

(6) (62)487 新 出の N氏 所蔵上方絵 につ い て. 柚 た に も し は じ見 と れ つ舞 台 よ り 谷 む ら か け し花 のま さ かり   飛 目 ︱ □ ︱ 文政十二年 ︵一八二九︶三 、因幡薬師、新うすゆき物語、大判 一枚﹀ ︿ 月 *手に短冊 つき の桜 の枝。遠景は清水寺。狂歌は ﹁ 飛 いき﹂か。. 大 芝 居 ば か り でな く 、 こ のよう な 中 ゥ芝 居 の絵 も収 集 に含 ん で いる。 最 初 にあ げ た お染久 松 の図 は 、 板 木 を 再 使 用. し た 作 品 も 合 わ せ て所 蔵 さ れ て いる。 これ よ り 三年 後 に 二世 沢 村 源 之 助 が竹 田芝 居 で演 じ た も のであ る。 o  竹 田芝 居 二而   お そ め久 松 早替 り 狂 言. 二月沢 村 源 之 助 2                          有 楽 斎 画              綿 喜 、竹田芝居、お染久松色読販、大判 一枚﹀ ︿ 文政六年 ︵一八二三︶. 顔 も 衣 裳 も 彫 り 改 めず 旧 板 木 そ のま ま で背 景 と 文 字 のみ変 え て売 り 出 したも のであ る。 し にせ の版 元綿 屋喜 兵 衛 ら. し か ら ぬ杜 撰 な 出 版 だ が 、 源 之 助 が 二年 前 の半 四郎 と 同 じ顔 でも 問 題 がな か った のか。 こ の時 江 戸 か ら 上 って来 た. ば か り だ った 源 之 助 だ か ら 上 方 人 に馴 染 がう す か った か ら 可能 だ った のかも し れな い。. 文 政 八年 正 月角 の芝 居 で 三世 中村 歌 右 衛 門 が 九 変 化 の所 作 事 ﹃日本 新 玉九 尾 狐﹄ を 演 じた 。 寿 好 堂 よ し 国 が これ ︶ こ こ にあ げ る長 秀 のも のは、   一枚 を 四部 分 に区 切 って大 判 二枚 で八図 を 収. を 大 判 九 枚 に 一枚 一役 で描 いて いるが. め て いる 。 う ち 一図 に は 二役 を 描 いて、 八図 で九 役 を 入 れ て いる。各 一図 は小 判 の大き さ にな るわ け であ る。 ただ. し こ こ に描 か れ た九 役 は 、 九 尾 の狐 が無 く 代 り に評 判 記 な ど にな い三浦之助 が加 わ って いる のが疑 間 と し て残 る。. これ に 似 た 細 か な 絵 に ﹁ 着 せ替 え 姿﹂ が あ る。  一枚 は ﹁ 師中 村 歌 右 衛 門再勤 大 当   き せかえ 姿 ﹂ と 題 し て、 石 川 五. 右 衛 門 o官 兵 衛 ・兵 助 ら を 収 め て いる。 いう ま でも な く 切 り ぬ いて裸 の歌 右 衛 門 に着 せ て楽 し む 玩 具 絵 であ る。. ﹁ 再 勤﹂ は文 政 八年 三 月 に 一世 一代 を 演 じ て隠 退 し た歌 右 衛 門 が 、 翌 年 七月 に は 中座 に出 演 し た こと を 指 す の であ.

(7) って、 そ の時 の ﹃ 木下蔭狭 問合 戦﹄ ﹃ 勅沢村国太郎当 狂言 着 替す がた﹂ 極彩色娘 扇﹄ の役 々であ る。 もう 一枚 ﹁. がく や入姿﹂ もあ る。女 もあ って、同じ時歌右衛門と共 に中座 で演じたおしづ ・おな つ ・兵助子筆松など のほか ﹁. 形 の場合 は裸 の姿はなく簡単な着衣姿 でそ の上に着せるのであ る。 これらは当然文政九年七月 の作画版行と いう こ. と になる。立版右 ︵  一枚 は ﹁ ﹂桃角 の芝居大当 浅草霊験記切組燈籠﹂ で配役も 切組燈籠︶も 二枚所蔵されて いる。. 浅草霊験記﹄ とわかる。もう 一枚は ﹁ 大新版雛御 殿組上墓人 細かく記し てあ る所から文 政十 二年三月角 の芝居 の ﹃ 形﹂ であ る。. しかし今 回 の全く新し い発見 は五枚 の柱絵 であ る。図柄 は西王 母 ・清少 納言 ・寒山拾得 ・桜 下美人 ︵ 図2Y 藤. 下美人だが、 いずれも大判 一枚 を縦に三分して上半身と下半身を細く描き、 これを購入した者が自 分 で切 って つな. いで柱絵 に仕立 てる形にな って いる。中心部 に切線が入 って いる。長秀 の柱絵 は従来、す でに つな いであ る三図を. 皇都中村長秀﹂ と署名 し、﹁ 有楽斎長秀 はしばしば ﹁ 平安有楽斎﹂ ﹁ 花洛中村有楽斎﹂とも記して いる京 の絵師 で. 見た ことがあ るだけだ った。原型 のまま のも のを 五枚も見得た のは役者絵以外 の分野だが収穫 であ った。. あ る。また コレクシ ョン中 には、京都所演 の役者絵がかなり多 くあ る。収集自体が京都 でなされたと考え て いいの. し ても反映す るも のであ るが、 N氏 のこれは京 の芝居好き の生活を強く感じさせるのである。. 存状態 はあまりよくなく、画面 の下方 は手ずれが甚し い。 コレクシ ョンと いうも のは、それを作り上げ た人をどう. と いえ る。 これだけ の量 で内容 にこれだけ混清 のな いのは珍 し いと思う。絵はくり返し眺められた のであ ろう。保. 買 い集 め、 やが て止め、そ の後 他から加えられたり他と寄せ集 められたり全くして いな い純度 の高 いコレクシ ョン. 人 の芝居好き が自から の好 みで文政五年から十年頃を中心 に、大芝 居 のみならず中 ・小 の芝居 の絵 も旺盛 な意欲 で. ではなか ろう か。先に収集 の時期がほぼ十六年間に限られると述 べたが、双方を考え合わせると、京 に住むあ る 一. 平. 進 松. 486(63).

(8) (64)485 新出の N氏 所蔵上方絵 について. 三. 有 楽 斎 長 秀 と 同 様 に、従 来 あ ま り多 作 と 思 って いな か った絵 師 の作 品 が、 今 回 か なり多 く発 見 さ れ た 。 彦 国 ・多. 美 国 ・春 芝 ら が そ れ であ る。 私 の所 謂主 要 絵 師 北 洲 ・芦 幸 ・国 広 ・よ し 国ら には及ば な いが、 そ れ に準 ず る中 堅絵 師 と 考 え る方 が い いよう であ る 。. あ し 川彦 国 の作 品 は、従 来 十 七 枚 を 承 知 す る のみ であ った が 、 今 回 の収集 中 に三十枚 を発見 、 う ち 十 四枚 が未 見 のも のであ った 。 二、 三例 を あ げ よう 。. o  宮 本 無 三 四    中村 歌 右 衛 門 3                                彦 国画                 綿 喜 文政三年 ︵一八二〇︶五月、京四条北側芝居、敵討巌流島、大判 一枚﹀ ︿ *右手 に折れた柱を抱え、浴衣姿で仁王立ち。 これ はす っき り し た い い姿 であ る が 、次 の二枚 続 も 図柄 が めず ら し い。 石井 半 四郎 5 o  白 井 権 八    四. 小姓 吉 三    山 風小 六 4                                        彦 国画                 綿 喜 小 む ら さき   山 風小 六 4. 八百 屋 お 七  四 石井半 四郎 5                                    彦 国画                 綿 喜 文政四年 ︵一八二 一︶九月、中座、侠詞花川戸﹀ ︿ 文政四年 ︵一八二 こ 九月、中座、其昔恋緋鹿子、大判二枚続﹀ ︿. 其昔 恋 緋 鹿 子﹄ とを 出 し た 。 前 者 で は半 四 木 下蔭 狭 問 合 戦﹄ の切 狂 言 と し て、 ﹃ 侠 詞花 川 戸﹄ と ﹃ こ の時 中 座 は ﹃.

(9) 平 松. 484(65). 郎 が白 井権 八、 小 六 が 小 紫 を 演 じ 、後 者 では半 四郎 の八百 屋 お七 、 小 六 の小姓 吉 三 であ った。絵 は 二枚 続 の手 前 の. 方 に大 き く 権 八 ・小 紫 を 描き 、雲 形 に区 切 って背後 に小 さく吉 三 ・お 七 を 描 く と いう 形 にな って いる。 同 一演 日 の 工場 面 を 一枚 に収 め る こと はあ る が、 これ は珍 し い例 であ る。 o  加 賀 金 沢 川 上 芝 居 於 て大当. 三浦 之 助     中 村鶴 助 1                                    大坂彦 国 画             利 新 文政五年 ︵一八三二︶三月、加賀川上芝居、近江源氏先陣館、大判 一枚﹀ ︿. 大坂﹂ と 記 す のは 、 出 のち の四世 中 村 歌 右 衛 門 がまだ 鶴 助 の名 で修 業 し て いた 時期 の金 沢 興 行 だ が 、 彦 国 の名 に ﹁ 先 で売 る べく 大 坂 の利 新 =利倉 屋 新兵 衛 が 版 行 した も のであ ろう 。. 好 画 堂多 美 国 は従 来 十 六枚 を 記 録 し て いた 。今 回 二十 二枚 を 見 た が 、初 見 が 十 六枚 もあ った。多 美 国 は達 者 な絵 師 で はな いが 、 三世 尾 上芙 雀 を よ く描 く のが特色 であ る。 o  伊 賀 越   呉 服 屋 重 兵衛 / 渡 辺し づ ま /誉 田内 記. 置 市. 三役   尾 上芙 雀 3  大当 り /ヽ                         好 画 堂多 美 国 画         天喜   市 、大西芝居、伊賀越乗掛合羽、大判 一枚﹀ 文政六年 ︵一八二三︶ ︿ ○  尾 陽名 こ や清 寿 院 芝 居 二お ゐ て  大 当 り /ヽ 玉矢 真 平     尾 上芙 雀 3                                    梅 都多 美 国 画 遠 き にあ り し身 を 御 見捨 なく 御 ひ いき の有 かた さ に 咲 て見 る水 のち か ら や杜若     芙 雀 文政七年 ︵一八二四︶三月、清寿院芝居、越前三国夫婦塚、大判 一枚︶ ︿ *虚無僧姿。右手に尺八、左手 に深編笠持ち、左方をにらむ。.

(10) (66)483 新 出 の N氏 所蔵上方絵 につ いて.   一点 優 品 を 見 る こと が でき た 。 芙 雀 で は な いが大 首 絵 で、. 風橘 三郎 2                                    多 美 国 画               利新 o  放 駒 長 吉     ] 評 判 を と り 出 役 者 の大 芝 居 ち ん こ の時 の気 は放 駒     利倉 ︿ 文政六年 ︵一人三三︶十 一月、中座、双蝶々曲輪日記、大判 一枚︶. ち ん こ の時﹂ と は、 文 政 四年 ま で 版 元 が利 倉 屋新 兵衛 ︵ 利新︶ で、版 元 自 身 が賛 を 献 じ て いる所 が 注意 さ れ る。 ﹁. 嵐 徳 三 郎 の名 で小 っこ芝 居 =中 ゥ芝 居 に 出 て いた事 実 を 指 し 、 そ の気 分 を 捨 て て大 芝 居 で評 判 を と って いる と い っ. て いる の であ る。多 美 国 は よ し 国 の問 人 であ るが 、 例 え ば 次 の図 によ っても そ れ は確 認 でき る。. 欠︶ o  名 ご や山 三    尾 上芙 雀 3                                  よ し国 門 人多 美 国 画     ︵ 初 夢 の恋 は禿 にな かり け り     芙 雀 藪 入 の や の字 結 ひ や名 古 屋 帯     よ し 国 文政六年 ︵一八二三︶正月、大西芝居、け いせ い花絵合、大判 一枚﹀ ︿ *袴姿、二本差し。両手に長文 の書状を持 って立 つ。. 本 セ  吉. 画 登 軒 春 芝 は、 二十 四枚 程 を 従 来 見 て いた が 、 二十 一枚 が収 集 に含 ま れ て おり 、 十 三枚 が新 見 のも のであ った 。. 春 芝 は 二世 尾 上多 見 蔵 を 描 く こと が多 い絵 師 であ る。 文 政 十 年 の三作 品 を紹 介 し ておき た い。 o  難 波 の梅 蔵 実 ハ紀 ノ浦 浪 平     尾 上多 見 蔵 2 画 登軒 春 芝 画 文政十年 ︵一八二七︶正月、大西芝居、け いせ い七草馳 、 大 判 一枚 ﹀ ︿ 図3︶ *竜 田川文 様 の のれ ん前 。 天 狗 ・お か め ・猿 の面 を あ し ら った 衣裳 。 ︵.

(11) o  寺 岡 平 右 衛 門     尾 上多 見 蔵2. お か る    中 山 一枝 ︲                                        画 登軒 春 芝 画           ワタキ 文政十年二月、竹田芝居、仮名手本忠臣蔵、大判 一枚﹀ ︿ *平右衛門刀をふりかざす。お軽両手をさし出す。. o  村 川 兵 蔵       尾 上多 見 蔵 2                                  画 登 軒 春 芝 画           本清. お し ま藤 太 郎     尾 上 芙 雀 3                                  春 芝 画                 本清 文政十年五月、竹田芝居、敵討兄弟標、大判二枚﹀ ︿ *弓矢を手にした二人。兵蔵ひざまづき、藤太郎立 つ。紅葉の縁先。. 文 政 六年 か ら 十 年 が 活 躍 の中 心 ら し い。 人物 描 写 が非 常 に巧 み で、役 者 が よ く 生 き て いる絵 が多 い。. る こと であ る。 今 述 べた多 美 国 ・彦国 も これ に加え て い いかも しれな い。 これ ら は寿 好 堂 よ し国 の門人あ る いは よ. 絵 師 に 関 し て次 に気 づ く のは、梅国 ・駒 国 ・き し国 。と し国 など 、名 前 の下 に ﹁ 国﹂ 字 の つく絵 師 が多 く 見 ら れ. し 国 が 代 表 者 ら し い寿 好 堂 社 と いう集 団 に属 す る者 と 思 わ れ る。 こ の集 団 に ついて は稿 を改 め て詳 述 し てみた いが 、. のり こ み の 図. 豊 川と し国画. 中 の華 一麗な 合 作 と い ってよ い。 ま た従 来 一枚 の み離 れ で承 知 し て いた次 の三枚 続 も そ の例 であ る。 o  登 り 役 者 顔 見 世 乗 込 之 図 登 り   関 三十 郎. 天キ  伝. い い作 品 が こ の収 集 に は豊 富 に所 蔵さ れ て いる。後 に詳 述 す る多 美 国 ・梅 国 ・よ し 国 ・政 国 の四枚 続 など は こ の社. 末 尾 に ﹁国﹂ が つく か 、前 に ﹁よ し﹂ が つく 者 は こ の社 中 の可能 性 があ るだ ろう 。 梅 国 やと し国 、芝 国、王 国 ら の. き し 国   橋 国   千 歌 国   よ し直 晴 国   一 二津 国   よ し幸   政 国  む め国   は つ国   王 国   よ し 国. あ る芝 居 招 物 で、 寿 好 堂 社 中 と し て次 の名 が 連 記 さ れ て いる のを 見 た こと が あ る 。. 平. 進 松. 482(67).

(12) (68)481 新 出 の N氏 所蔵 上方絵 につ い て. 中 村 芝 翫 2                                          豊 川清 国 画. 登 り   浅 尾 友 蔵 2                                          豊 川と し 国 画           天 キ  伝 登 り   瀬 川 路 之 助                                           豊 川梅 国 画. 中 村 歌 右 衛 門 3                                      豊 川と し 国 画           天 キ  伝 図4︶ 文政九年 ︵一八二六︶十 一月、角座入り﹀︵ ︿ 三枚 続 だ が 、 右 一枚 はと し 国 単 独 作 、中 と 左 と は 一枚 中 で の合 作 であ る。. 絵 師 に 関 し て次 は 、 初 見 の絵 師 を あ げ てお く べき だ ろう 。清 谷 ・春 玉 o梅 至 ・五蝶 ・秀 麿 が そ れ であ る。 まず 清. 谷 であ る が 、 合 羽招 り の絵 師 と し ては つと に承 知 し て いた のだ が 、 錦 絵 では 初見 であ る。. 、色 は. 図5︶ o  典 蔵     中 山 新 九 郎                                         清 谷                   万 弥板 ︵ ︿ 文化二年 ︵一八〇五︶六月、京四条北側芝居、挙揮廓大通、大判 一枚﹀. 錦 絵 の中 で み ると 非 常 に 風 変 り な様 式 と 色 調 であ る。 顔 の描 写 は初 期 の合羽招 り 風 の誇 張 があ って面 白 いが. 上方 絵 一 万 弥 板﹂ と いう 版 元 は他 に見 て いな い。清 谷 に ついて ﹃ 朱 や桃 色 の目立 つ鮮 やか な 派 手 な も の であ る 。 ﹁ 京 都 の画 家 ﹂ と さ れ、 覧﹄ は 版 元 よ り ﹁. 鈍 重 に し て小 し の肥 痩 も な い単 純 な 線 を 用 ひ、彩 色 も 甚 簡 単 であ るが独 特 な愛 敬 と市 井 の味 を 有 つて ゐる。. 北 川春 玉 画. ︵欠 ︶. と 記 す 。 絵 の印 象 か ら文 化 末 年 と したく 、 二年 に疑 間 を 残 し て いる が、 中山 新 九 郎 の典 蔵 役 を こ の時 以外 に発 見 で き な い の で こ の年 に置 いた 。 而 o  京 四条 南 側 ノ芝 居 一 清 水 長左 衛 門     市 川 紅 蔵 ︿ 文政九年 ︵一八二六︶三月、京四条南側、絵本太功記、大判 一枚﹀.

(13) 進 平 松. 480(69). *株姿、右手で扇をかざす立姿。. 石橋︶  中 村 歌 右 衛 門3                                  梅 至 画                 塩 長  重 ○ ︵ ほた ん見 やわ れ /ヽ 敷はお そ れあ り     芝 翫 文化十三年 ︵一八 一六︶三月、角座、其九重彩四季桜、大判 一枚﹀ ︿. ある いは組物? つち の 一枚︶が加 わ る ﹁三世 歌 右 衛 門変 化 舞 踊 の役 者 絵﹂ と 題 し て過 日発 表 した が 、 さら に こ の 一枚 ︵ こと に な る 。. 欠︶ 風橘 三郎   岡島 屋璃 寛                           五蝶 画                 ︵ o  嵐 吉 三郎事   ] 文 政 四年 己九 月 廿 六 日  行年 五十 三才   顕覚 相 順 璃 覚 信 士 ︿ 文政四年 ︵一八二 一︶九月、死絵、大判 一枚﹀. こ の絵 に つ いては 別 に発 表 し た所 で、 五蝶 と いう 絵 師 は従 来 未 見だ が、画 風 は堂 々と し て風格 があ り熟 練 の役 者 絵 師 あ る いは 人 物 画 家 と いう 感 じ がす る。. ○  油 屋 お こん    尾 上 和 三郎                                   杉 山 秀 麿               柏宗板 卯 花 や雨 露 のめく みをう け て咲     梅 好 ︿ 年代未考。大判 一板﹀. 柏 宗 は京 都 の版 元 だ が 、 番 付 で和 三郎 の動 き を 十 分 に追う こと が でき て いな い。 京 の中 ゥ芝 居 で の文 政中期 の出 演 であ る。. 以 上 で新 見 の絵 師 を 終 って、補 足的 に絵 師 の関 係 で若 干 述 べておき た い。 長 谷 川 貞 信 の初 代 は 天保 七年 ︵一▲ 二 六︶ か ら 作 品 が 見 ら れ る が 、 そ の前 天保 五 年 に ﹁五雙 亭 貞 信﹂ と 署 す 大 判 一枚 、 さ ら に文 政 六 年 ︵一八≡ こ に. ﹁ 貞 信﹂ と の み記 す 大 判 二枚 続 のあ る こと を 承 知 し て いた 。 今 回文 政 六年 と 考 え ら れ る次 の二作 品 を見 る こと が で.

(14) (70)479 新 出 の N氏 所蔵上方絵 につ い て. き た。 ○. 大谷 友 治. ご ふ く や十 兵 衛   尾 上 芙 雀 3 雲助 平 作. 、大西芝居、伊賀越乗掛合羽、大判 一枚﹀ ︿ 文政六年 ︵一八二三︶ 渡 辺 しづ ま. 浪 花 亭 貞 信 画   忠 大坂板元在 原屋忠 兵 衛. 浪 花 亭 貞 信 画         忠′ 尾 上芙雀3                             浪花亭貞 信 画         忠. か ら 木 政 右 衛 門     市 川 滝 十郎. 、大西芝居、伊賀越乗掛合羽、大判二枚﹀ 文政六年 ︵一八二三︶ ︿. 浪 花亭 の号 は 初 見 であ る。 文 政 六年 と いう と 文 化 六年 ︵一八〇九︶生 ま れ の初代 貞 信 は数 え 年 十 四歳 と いう こと に. な る。 これ ら も 全 て長 谷 川貞 信 の作 品と す べき か ど う か 、 四代 日 長 谷 川貞信 氏 と 種 々検 討 し た が 、 十 四歳 でも師 匠 が稽古 を 兼 ね て描 か せ る こと はあ ると いう こと で、 初 代 貞 信 最 初 期 作 品 と み て いる。 残 る は役 者 絵 以外 であ る が 、 季 郷と いう 絵 師 が 初 見 であ る。. o  琴 鶴 太 夫     お ふ華   梅 松                                   浜 中庵 季 郷             重. 欠︶ o  初 花 太 夫     勢 山   き み の                                  季 郷 画               ︵. o  深 雪 太 夫     は やざ き   呉 紫                                 季 郷画                 重. 琴鶴太 夫 に は 枡 形 に囲 ん で槌 の印 、初 花 ・深 雪 太 夫 に は扇 の印 が 付 け ら れて いて、 大 阪 新 町 の槌 屋 ・扇 屋 の太 夫 図. 浪華 芸 子 と わ か る。 こ の絵 師 も こう いう 形 の大夫 図 も 従 来 未 見 であ った 。 な お こ の収集 の中 に は 一心 斎 貞 一画 の ﹁. 浪 華 坂 町伊 丹幸  小 大判三枚続︶も含 ん で いる。 ま た ﹁ 風 流 花 遊 図﹂ ︵ 大判三枚続︶と 五 湖 亭 貞 景 の ﹁ 花 魁 之 図﹂ ︵. 江南某 楼 吉﹂ は 三味 線 の稽 古 を す る坂 町 の芸 妓 を 描 く 珍 し い例 で、従 来 こ の種 のも のを 見 て いな い。 大 判 一枚 で ﹁. ﹂ う いう 書 き 方 も初 見 であ る。 に て  任 好 酔 中 に  梅 国﹂ と 署 名 し て いる のが 、 生 活 感 があ って面 白 い。 い.

(15) 四. 百 村 百 太 郎 ︲                  市 川甚 之 助                     中村 歌 蝶. 風寿 之 助 浅 尾 勇 次 郎                     市 川紅 蔵                       ] 片 岡市 蔵 ︲                    中村 福 之 助 そ のう ち の若 干 を 紹 介 し てお こう 。. 風芳 三郎 2                    国芳 画                 天喜 役  山 o  能 登 頭 教 経 / 熊 坂 長範   一一 京 四条 南 側 芝 居 二お ゐて  大当 り /ヽ 文政九年 ︵一八二六︶九月、京四条南側芝居、勝関学源氏、大判 一枚﹀ ︿. 特. も. こ の収 集 の特 色 を 描 か れ て いる内容 か ら いえ ば 、 種 々 の点 が 考 え ら れ るが、 中 ゥ芝 居 を 多 く含 ん で いる点 は、. に目 に つく 所 であ る。 これ ま でも 、好 画堂多 美 国 が 芙 雀 を 、 画 登 軒 春芝 が多 見 蔵 を よく 描 く こと を 指 摘 した が、 ち ろん そ れ に 止 ど ま るも ので は な い。 収集 で新 見 のも の の中 か ら 、 描 かれ て いる中 ゥ芝 居役 者 を 列 記 し てみよう 。 尾 上多 見 蔵 2                  小 川弥 太 郎                     大 谷 友 治 昼 二勝 尾 上 芙 雀 3                    中村 鶴 助 ︲                    山. 昼 昌美 三郎 中 山 一枝 ︲                    坂 東 簑 助 2                    中. 市 川滝 十 郎                     谷 村 楯 八                      尾 上梅 之 丞 平. 嵐 芳 三郎 2                    沢村 源 之 助 2                  市 川茂 々太 郎. 松. 478(71).

(16) (72)477 新出の N氏 所蔵上方絵 について. o  桜 丸 / 顔 見 世 三社     あ ら し芳 三郎 2 御 霊 芝 居 二お ゐ て  大 当 り /ヽ 文政十年 ︵一人三七︶頃、御霊芝居、菅原伝授/三社祭、大判 一枚﹀ ︿ エ役   尾 上 芙 雀 3  罷 出 相 勤 申 候 尾 州 名 古 屋 登リ   エ 難 波 か へり て 頭 に はあ つき めく みを いた ゝき て帰 る旅 路 のな に は菅 笠 文政七年 ︵一八二四︶夏、名古屋より帰阪 口上、大判 一枚﹀ ︿ 池 上 七 九 郎   片 岡市 蔵 ︲ 娘 初 花       小 川弥 太 郎 ︿ 文政十年 ︵一八二七︶六月、京四条南側芝居、契情会稽山、大判 一枚﹀ 百姓 与 右 衛 門    沢 村 源 之 助 2 か さ ね ほう こん  登り坂 東 簑 助 文政五年 ︵一八三二︶頃、座未詳、大判 一枚﹀ ︿ 浜 田織 部     市 川 甚 之 助 、大西芝居、も ゝちどり鳴門白浪、大判 一枚﹀ ︿ 文政九年 ︵一八二六︶ 斧 定 九 郎   市 川茂 々太 郎 図6︶ 文 政 十 丁亥 三 月   願 主 若 太 夫                 ︵ 文政十年 ︵一八二七︶三月、若太夫芝居、仮名手本忠臣蔵、大判 一枚﹀ ︿ 重 井 筒 通 ひ之 段   こ ん や徳 兵 衛     中 村 鶴 助 ︲. 多美 国画. 芦 ゆき 画. ︵欠 ︶. 綿喜. 豊 川梅 国 画. 寿 陽堂 と し 国 画. む め国 画. 中心. 天 キ  伝. 本清. 本清. 国広 画                 天喜. ひ こ国 画.

(17) 進 平 松. 476(73). 王 子 酒 ち か ら にし のく寒 さ かな    芝 賞. 玉 藻 の前     中 村 鶴 助 ︲. 春 頂斎 北 松 画. 春 好斎 北 洲画. 彦 国画. よ し国画. ︵不明 ︶. 天喜   市. 本 セ  泉. 利新. 利新. 文政四年 ︵一八二 一︶冬、大西芝居、重井筒、大判 一枚﹀ ︿. 安 部 ノ保 成   市 川滝 十 郎. 彦 国画. 図7︶ ︵不 明 ︶︵. ︿ 文政五年 ︵一八三二︶頃、宿無団七時雨傘、大判 一枚﹀. 茂 兵衛     百村 百太 郎 ︲. 、大西芝居、義臣伝読切講釈、大判 一枚大首﹀ 文政七年 ︵一八二四︶ ︿. 春 の色 香 に増 こ ゝち す れ    鶴 明舎. 葉 桜 の中 にま し れ る遅咲 は. んと て板 元 の心 苦 しく思 はれ侍 る に. 時 に おく れ し面 影 を 今 さら梓 にも のせ んも いか ゝあ ら. 加 藤 与 茂 七  中 村 鶴 助 ︲. 文政五年 ︵一八三二︶三ノ替、大西芝居、玉藻前暖袂、大判二枚続﹀ ︿. 真 柴 久 つぐ     百 村 百太 郎 ・. 彦 国画. 春 頂斎 北 松 画. 本 セ  住 吉 ︵ 図8︶. 傾 城 かづ らき     中 山 一枚 ・ 文政六年 ︵一八二三︶正月、大西芝居、け いせ い花絵合、大判二枚続﹀ ︿ 勇 助     百村 百太 郎 ︲ 忠 義 そ と 見 ら る る ゝむ ね の暑 かな  虎 青 、大西芝居、有職鎌倉山、大判 一枚大首﹀ 文政六年 ︵一八二三︶ ︿.

(18) (74)475 新出の N氏 所蔵上方絵 について. 上 方 絵 一覧﹄ に 記 載 の百 村 百 太 郎 の勇 助 の大 首 絵 に ついて ﹁こ の唯 一の百 百 村 百 太 郎 に つ いて 以前 ま と め た 時 、 ﹃. 太 郎 の大 首 絵 を 見 る機 会 に ま だ 恵 ま れ て いな い。 ﹂ と 記 し た が 、 こ の収 集 の中 で よう やく 手 にと って見 る こと が で き た 。 他 にも 百 太 郎 の絵 姿 を 記 録 に加 え る こと が でき た 。 次 にあ げ る重 春 画 の二枚 続 は 、 都 合 六名 の役 者 を 描 いた豪 華 な も の であ る。 ○  ぐ ん助         尾 上多 見 蔵 2 女 房 おき く     浅 尾 勇 次 郎. 善 おむ め        尾 上 梅 之 丞                                    柳斎 重 春 画             ハタキ  丘︵ 野本 文 治       尾 上 芙 雀 3 女 房 お 沢       中 山 一枚 ︲. 善 け いせ ひ玉 琴   中 村 歌 蝶                                       柳斎 重春 画             ハタキ  丘︵. 図9︶                   ︵ ︵ 文政十年 ︵一八二七︶五月、東竹田芝居、達競桐檜扇、大判二枚続﹀. 多 見 蔵 のぐ ん助 と 芙 雀 の文 治 が 刀を 抜 いて争 う のを 四人 の女 形 が と り 囲 んで衝 立 で押 さえ る にぎ やか な 図柄 であ る。. 大内 高 丸     大 谷 友 治                                         よ し 国画. 毛 利 元成     尾 上 芙 雀 3                                      梅 国画. o  小 早 川 帯 刀   市 川滝 十 郎                                       多 見 国画. 士口︵ 図0 1︶. 士口. 伝. 伝. し か し次 の四枚 続 は寿 好 堂 社 の 四人 の手 にな る見事 な 豪 華 作 品 であ る。. 尼 子 四郎     中村 鶴 助 ︲                                      政 国画 文政四年 ︵一八二 一︶ 一月、若太夫芝居、け いせ い花発船、大判四枚続﹀ ︵. 政国 ・梅 風 流 鍋 島 夕 す ゞみ﹂ ︵ 以前 学 会 発 表 で、 米 国 の個 人 収 集 の中 で み た中 ゥ芝 居 役 者 十名 を 五枚 続き に描 いた ﹁.

(19) 屈︶ 、 中 ゥ芝 居 役 者 を 四枚 五枚 国 ・歳国 ・ふじ国 ・きし国五名 の合作、文政七年 ︵一八二四︶夏 の刊行︶を 紹 介 した事 があ る. に描 いてパ ノ ラ マに し て見 せ るな ど、 寿好 堂 社 は特 に中 ゥ芝 居後 援 の集 団だ った のかも し れ な い。. 中 ゥ芝 居 が か か る劇 場 と し ては、 大 西 o若 太 夫 ・竹 田 ・御 霊 など があ がり 、京 で は 因幡 薬 師 や時 に南 側 芝 居 があ った が、次 の二枚 は これ ま で に見 なか った場所 であ る。 o  於 北神 明 芝 居   あ こ や    中村 福 之助. 図n︶ 尾上多見蔵じ                             柳斎 重 春 画             ワタキ ︵ 千 本 桜   忠 信  ︵ 文政十年 ︵一八二七︶頃、北神明芝居、壇浦兜軍記 ・義経千本桜、大判 一枚﹀ ︿. 風寿 之助                            任御好豊 川梅 国 画         伝 ○  川 越太 郎 / 岩 永 左 衛 門    ] 北神 明 芝 居 二お ゐ て大当 り /ヽ. 、 同 じ芝 居 に福 之 助 o寿 之 助 ・多 見 蔵と いう 大物 役 者 が出 た ので絵 の版行 を 見 た のであ ろう が 北神 明芝 居 は寡 聞 に. 文政十年 ︵一八二七︶頃、北神明芝居、義経千本桜 ・壇浦兜軍記、大判 一枚﹀ ︿. し て知 ら な い。 番 付 も 見 て いな いが、 大阪 の北 の神 明 宮 境 内 であ ろう か 。意 外 な所 で の上演 を 役 者 絵 か ら知 る こと. o  在 憚御 目 見 江   中村 小 市 事  嵐 吉 三郎 悴彦 三郎                   長秀. 図 は多 いが、 長 秀 が 描 いた 二世 嵐 吉 三郎 の 回上 であ る。. 茄草紙屋. 最後 に これ ま で の叙 述 で漏 ら し た点 を 拾 い集 め た い。 役 者 絵 で 口上 図と 招物 を各 一枚 あ げ よう 。 収 集 の中 に 口上. 五. にな った わ け であ る。. 平. 進 松. 474(75).

(20) (76)473 新 出 の N氏 所蔵 上 方絵 につ い て. 吉 と む な い長 口上吉 々お けと お し かり も か へり みず 小 悴 に私 幼 名 彦 三郎 ヲゆづ り お こがま しき 御 目 見 ヘ 何事 も 吉 な にた ゞ三 ッ吉 と 御 機 嫌 よ ふ 不 調 法 成 私 ヲ長 々御 ひ いき のよ け いを も って上 上 吉 のは し にもす か り 名 も 橘 の枝 さ か へい つ/\ 迄 も末 長 ふ ケ様 の有 難 き 御 目 見 へ致 よ ふ か さ ね /ヽ も 願 ひ上 升 ル 万 代 の ひ いき 願 や鶯 の秋     璃 寛 図2 さ ゝ晴 や千 両箱 の 一卜 つか ね   ヒイ キ           ︵ 1︶. 一彼 の幼 名 が彦 三郎 で、口 中 村 小市 と いう 悴 があ り 、 ロ 二世 嵐 吉 三郎 の 回上 であ る事 は風 貌 か ら も 間違 いな いが 、 > ︲ > 一か ら 文 化 末 年 ご ろに小 市 に彦 三郎 を 襲 名 さ せ たと いう こと が わ か る。 文 化 末 年 ご ろと は こ の画 風 か ら の推 定 で、 < 口 ま で の事 実 を 確 認 でき る傍 証 を 持 って いな い。. 現状は二枚に離れている︶株 姿 で並 んで歩 む 父 と 子 の図 であ る。 背 景 など も う 一枚 は 大 判 二枚 の大 き さ の招 物 で ︵ は全 く な い。. o  馬 之 助                                                       多 美 国画               利 新 芙 雀                                                         ょ し 国画 先 明 て庭 に雀 の御 慶 哉       芙 雀 物 売 に御 ひ いき 願 ふ君 の春   馬 之 助 鋳 木 の中 に 日立 や福 寿 草     多 美 国. 芙 雀 の子 が馬 之 助 を 名 乗 った 時 の挨 拶 の招 物 と 思 わ れ る。 親 子 の句 に多 美 国 が 一句 寄 せ、 よ し 国 と 二人 で画 像 を 描.

(21) 平 松. 472(77). 御 好 二付 寿 好 堂 よ し国 画   天喜. いて いる のだ か ら 、多 美 国 は芙 雀 の支 持 者 な のであ ろう 。 絵 の感 じ か ら文 政 初 年 、 四年 か 五年 ご ろま でと 思う のだ が 、 これ ら の事 実 を 確 認 す る資 料 を知 ら な い。 次 に役 者 絵 以外 に 目 を 転 じ た い。ま ず 人形 出 遣 いの図 一枚 であ る。 o  大 坂 御 霊 芝 居 二お ゐ て大 当 り /ヽ 沢 井 又 五郎 / いし や左 内   出 つか い早替 り     士口田金 四. 3︶ 文政八年 ︵一八二五︶九月、御霊境内、伊賀越道中双六、大判 一枚﹀︵ 図1 ︿ ﹃ 義 太 夫 年 表 ・近 世 編﹄ ︵ 寛政︱文政︶文 政 八年 九 月 の項 に、 は ん に や坂 の段   一沢 井 又 五郎   一石と め 武助   一いし や左 内 吉 田金 四  右 三役 と も 早 が はり出 つか ひ に て相 つと め申 候. と あ る 。 図 には人 形 二体 を 遣 う 二人 の人 形 遣 いが描 か れ て いるが 、 風貌 は 同 一で共 に吉 田金 四 であ る。 人 形 遣 いの. 絵 も多 く 出 版 さ れ た こと と 思う が 、管 見 に入 った のは これ 以前 に 一図あ る のみ でき わ め て遺存 が少 い。. ○  樟 の曲 もち   江 戸   木 村 与 五郎 於 難 波 新 地  大当 り 目︱ □ ︱. 浪花よし国画    本清板. 応 而求 二芦 ゆ き 画     在 原 屋 仕 入 忠. 次 に見 世 物 図を 二枚 見 る こと が でき た 。. o  江 戸  木 村 与 五郎   行 年 廿 四才 大 坂 難 波 新 地 口目 □ 側 二お ゐ て大当 り 4︶ 大 評 判 力 持 の図                           ︵ 図1. こ の時 二十 四歳 の江 戸 の力 持 ち 木 村与 五郎 の興行 であ る。朝 倉 無 声 著 ﹃ 見 世 物 研究﹄ の ﹁ 力 持﹂ の章 によ ると 文 政. 期 は力 持 ち の見 せ物 の全 盛 期 だ ったと のこと で、難 波 新 地 で の興 行 に ついて詳 述 され て いる。木 村 与 五郎 は そう い.

(22) った 江 戸 下 り 力 持 の人 気 者 だ った のだ ろう か 。 私 は こ の方 面 に 全 く く ら いが 、 ﹃ 見 世 物 研 究 ・姉 妹 篇 ﹄ の ﹁見 世 物. 版 画 年 表 ﹂ を 参 看 し つ つ、 こ の よ う な 錦 絵 が 珍 し いも の で あ る と 推 考 し た次 第 であ る 。. 以 上 で N氏 コレ ク シ ョ ン の豊 富 と 稀 少 と を 報 告 す る と いう 責 任 を 一応 果 す こ と が でき た か と 思 う 。. 注. 甲南国文﹄第四十 百万、平成六年一 万 ︶に詳 一 三世歌右衛 門変化舞踊 の役者絵︱︱ 文化末年 の上方 を中心 に︱︱﹂︵﹃ ︵1︶ 松 平稿 ﹁. 〇∽ 一 ∪8 コ ︸ ∽多 〓田 げ 氏 著 ﹃ ユと 六九 図 に カ ラ ー版 で所 収 。 同 図揃 いは N氏 所 蔵 のう ち にも含 ま れ て いる。 ”F ”︻. 九四︶ページ 。 黒 田源 次 氏 著 、 昭 和 四年 刊 。 合 羽招 の章 五 四 ︵ ﹁百 村 百太 郎︱ ︱ 中 ゥ芝 居 の役 者 > 一︱ ︱ ﹂ ミ甲南女子大学研究紀要﹂第二十六号、平成二年三月︶ ︱ 浪 花 錦 絵 ﹂ の章 八 六 ︵≡ 〓こ ペー ジ 。 同書 ﹁. 久 米 仙 人美 人 洗 足﹂ 及 び阪急 学 園池 田文 庫 所蔵 ﹁ 清 少 納 言﹂。 美 人 菖 蒲 八 ッ橋﹂ ﹁ ﹃ 上 方 絵 一覧﹄ 第 百 十 八 図 ﹁. 述。. 65432. (78)471 新 出 の N氏 所蔵 上 方絵 につ い て.

(23) 470(79). 松. 図3. 尾上多見蔵 (春 芝 ). 図5. 中山新 九郎 (清 谷 ). 平. 図 1. 中村歌右衛 門 (長 秀 ). 人 (長 秀 ).

(24) 新出の N氏 所蔵上方絵 について. 図4. (80)469. 関 三十郎 ・ 中村芝翫 ・ 浅尾友蔵 ・ 瀬川路之助 ・ 中村歌右衛 門 ・梅 国 ). 図8. 百村百太郎 (北 松 ). 図6. (と. し国・ 清 国. 市川茂 々太郎 (梅 国 ).

(25) 468(81). 淵翻齢瑚鮒. 図7. 百村 百太郎 ・ 中山一 枝 (彦 国 ).

(26) 新出の N氏 所蔵上方絵 について. 鶴助 (多 美国・梅国. (82)467. 0. オt. 一 .. _,■. 澤1 獨 を. 寺4 , ‘蒻 島. ,ト. ぶヽ 嵐吉三郎 ・ 悴彦 三郎 (長 秀 ). 図 11 中村福之助 ・尾上多見蔵 (重 春 ).

(27) 466(83). A渉愛 五. 諄 旧 =一 ト 一. 図 10. =叫 柵蝙¨ 図. 13. 吉 田金 四. (よ. し国 ).

(28)

図 3  尾上多見蔵 (春 芝 ) 図 1 中村歌右衛 門 (長 秀 )
図 4  関三十郎 ・ 中村芝翫・浅尾友蔵・瀬川路之助 ・ 中村歌右衛 門 (と し国・清 国
図 7  百村 百太郎・ 中山一枝 (彦 国 )

参照

関連したドキュメント

この見方とは異なり,飯田隆は,「絵とその絵

する愛情である。父に対しても九首目の一首だけ思いのたけを(詠っているものの、母に対しては三十一首中十三首を占めるほ

それぞれの絵についてたずねる。手伝ってやったり,時には手伝わないでも,"子どもが正

90年代に入ってから,クラブをめぐって新たな動きがみられるようになっている。それは,従来の

巣造りから雛が生まれるころの大事な時 期は、深い雪に被われて人が入っていけ

賠償請求が認められている︒ 強姦罪の改正をめぐる状況について顕著な変化はない︒

彼らの九十パーセントが日本で生まれ育った二世三世であるということである︒このように長期間にわたって外国に

単に,南北を指す磁石くらいはあったのではないかと思