第二表現・考 : 受容表現の学習構造
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(2) け手の一人一人にとってそれぞれ送り手を離れて存在する.送り手と受け手との間に,時 間的・空間的な離れが大きければ大きいはど,記号はいっそう多様な受容をされる運命に あるのだ.記号論2)では,意図的な記号(伝達の記号論),非意図的な記号(意味作用の 記号論)として区別することもある。 情報論S)は,情報伝送の目的を,. 「情報源の通報を,正しく受信者に伝えることである+. とする。しかし「情報源と受信者が,ともに同じ言語を理解する場合にほ,通報を正しく 再現すればよいが,一方が人間,他方が機械であるような時にほ,両者の言語が異なる+ から,. 「そのような時には,情報源の通報と受信者の受けとる通報は異なった種類のもの. になる+わけである。. ここで言う「情報源の通報+に対して「受信者の受けとる通報+のように,双方が人間 同士であっても送り手を離れて受け手の側からの用語として使われる「表現+を,第一表 現と区別して,. 「第二表現+又ほ「受容表現+と名づけることにする1)。第二表現の学習が. 国語科の教室で理解の領域として扱われていることは,前述のとおりである。. 情報伝送系の基本となるモデルの一つ(a)にならって,第-表現と第二表現に関する ブロック線図(b)を次に示す。 (a). 情報源. 送居器 (符号化). (b). 「情報源+. 送り. 手. 第一義現. 通信路 雑音 媒. 体. 受信器. 受信者. (復号化) 第二表萌. 受け手. 「送り手+紘,情報を送る意思のある人そのものだ。当人だけしか知らない情. 報の持ち主でもある。この人が黙っている間ほ情報の伝送は行われない。 「送信器「符号器)+紘,テレタイプ等の通信機器,あるいほ音声記号の話し手,文字記 号の書き手等を指す。送信器ほ必ずしも情報源と同一人物とほ限らない。公証人・司法書 士等は法的に認められた情報源以外の書き手だ。. 「符号化+紘,伝送されるべき情報を,音声記号・文字記号・その他の記号によって具体 的に表現することを言う。日本語を外国語に改めるようなときには,更に翻訳を請け負う 「符号変換器+が必要になってくる。通訳の仕事だ。 「第一表現+は,普通,. 「情報源+即「送信器+. (「送り手+すなわち「話し手+・「書き手+. 等)の場合を想定したときに成り立つ。それは情報の持ち主が自ら感じたこと,思ったこ と,あるいは知り得たこと,考えたことを送信しようとする行為であり,その行為の表れ としての記号である。 「通信路+. 「媒体+紘,通信ケーブル又はラジオ・テレビ・新聞・雑誌・教室・劇場等,. 送信器から離れて受信器に渡るまでの過程であり,受信器にまで届かないうちはただの機 器や紙片,無意味なインクのしみ,建物等にすぎない。情報ほここにしばらく保存される こともあるが,これが何かの原因で途絶えたり破壊されたりすると大変なことになる0.
(3) 第二表現・考. 「雑音+ほ,情報源の関知しない雑種の信号等で,混線による妨害や第三者による改変 等が考えられる。. 「受信器(復号器)+は,伝送されてくる情報を自動的に記録するテレタイプ等の機器, あるいほ音声記号の聞き手,文字記号や図形記号等の読み手等を指す。受信器は必ずしも 受信者と同一人物とは限らない。弁護士等ほ法的に認められた受信者以外の読み手だ。. 「復号化+は,伝送されたさまざまな記号表現を受けてその記号内容を理解することだ。 そのままでは通じないとき更に「符号変換器+が要るのは「符号化+の段階と同様である。 難解な俳句のように,あまりにも暗示的な記号表現の場合は復号化できないこともあり得 る。又,成績通知表における偏差値等の記号表現は,児童・生徒の保護者にとってしばし ば復号化しにくい。受信者自身が受信器であるかどうかは,この復号化の能力があるかな いかによって決まる。. 「第二表現+は普通,. 「受信器+即「受信者+. (「聞き手+・「読み手+等すなわち「受け. 辛+)の場合を想定したときに成り立つ。それは情報の受け手が自ら感じていること,思っ. ていること,見いだしていること,考えていることに基づいて受信しようとする行為の対 象としての記号である。 「受信者+. 「受け手+とほ,情報伝送の主体を情報源(送り手)に置く場合は情報源の直. 接対象とする「選ばれた人+であり,情報処理の主体としてこれを考えるときほ情報を. 「選ぷ人+である。前者は遺言によって選ばれた通産相統人等がそれであり,後者は文芸作 品の中から自らの生き方にかかわるものを選ぷこのとできる読者等がそれである。第二表 現の発想の根拠は,例えば文芸性の決定権を作者(情報源)ではなく読者(受信者)の側 に置こうとする立場4)に依るものであった.. 主体的に聞く,見る,あるいほ読むということは,自らの生き方にかかわる行為であり,. 「受信器+としての復号化の能力 以前にまず必要なのが,この「自覚+である。このように「受信者+と「受信器+とを区 このことほ「受信者としての自覚+なしには行われない。. 別して考えたときの受信者としての自覚は,正に理解学習の基本的態度であって,この自 覚のないところからはよい聞き手・見手・読み手(受膚器)も生まれないであろう。主体 的な受信者の要請に基づかない復号化ほ,時として全くの徒労に過ぎない。. 受信者としての自覚があるかどうかほ,情報源の場合がそうであるように,問題意識の 有無ということではば決定する。問題意識こそ,聞く気・見る気・読む気等の素となるも のに外ならない。問題意識は,その人の生きることに対する真剣さの度合いから生まれる。 同じような種類の情報の中から価値あるものを選ぷ基準となるのは,その時のその人の生. き方にかかわることで,絶えず自己をみつめる姿勢がなければ,たといどんなに多くの情 報を集めてもそれほ何もなかったことに近い。聞いておかなければ,見ておかなければ,. 読んでおかなければ,という一種の不安のような状態に自らを置くことでもあるだろう。 問題はその振幅が大きければ大きいぼど意識が高まるのも当然である。聞く気,見る気,. 3.
(4) 読む気ほ,その振幅の中から徐々に生まれてくる。 受信者としての自覚は問題意識の在り方にすべてをゆだねることもできるが,その間題 意識を支えるための条件として,次に情報量と情報源について考えなければならないだろ う。. 第一に,情報の不足が痛切に意識されなければ受信の意欲は起こるまい。このことは道 に言えば,際立って閉ざされた社会にいる人ほそれだけで一応の有資格者なのだ。みんな の知っていることを自分だけが知らない,というだけで,受信者としての自覚がわいてく る。この程度のことは自分だって知っていると少しでも思ってしまえば,とたんに聞く気 ち,見る気も,読む気も失せることがある。. 必要と思う情報が不足していれば,位に問題意識が希薄であっても聞く気・見る気・読 む気等は起こるのだが,何でも聞けばいい,見ればいい,読めばいいという場合ほともか く,それだけの条件でほ期待される受信者としては不十分であろう。このことは次の情報 源との関係についても同じことが言える。. 第二の条件として,情報源が限定され,それが興味や関心の対象として強く意識される 場合があげられる。この条件がかなえられると,ごくささいな日常茶飯事でも聞いたり見 たり読んだりせずにはいられないような気になることがある。他人からみればいかにも空. 疎な情報が,特定の対象との間でほ新鮮なものとなって,適切な,豊かな,美しい表現と して受信されたりする。これは書簡文や日記等を読むときについてみられることで,この 点だけを取り上げれば,受信者としての自覚を持てない老というのは,しかるべき情報源 を想定できない者ということでもあるだろう。. そして,この受信者が就い問題意識を持っているときほ,全く関係のない第三者の書簡 文や日記までも十分に感動的な情報となる可能性があるのだ。 このように,問題意識に根ざした情報不足状況と,興味関心の対象としての情報源の存 在とが条件としてそろっていると,ほうっておいても自分で聞いたり見たり読んだりする 気だ桝ま起こすのだが,実際にその段階に至って更に次のような条件がその気を促進し, あるいほ阻害することになる。 (ア)追いつめられた状態に置かれること-せっぱつまったぎりぎりの所でないと進 んで自ら受宿しようとはしない。又,余裕のある時にはなかった啓示のようなものを一度 でも受けた人ほ,その時を再び待ち望む気にもなるだろう。 (イ)環境が整っていること-そのための時間が特設され,視聴覚的資料や図書等が そろい,机・いす等が快適で,照明も申し分ない--こういう環境が設営されるとつい受 信する気が促進されるものであるo. (ウ)聴力や視力が適正であること一視聴覚器官に障害があるときほ受信がおっくう になりがちである。補聴器や眼鏡が気に入っているかどうかということほ,聞きまちがい, 見まちがい,読みまちがいに対する恐れともかかわりがあるだろう。. (ェ)復号化の技法を知っていることl-このことが不完全だという思い込みや,理解 力が低いということを自他共に認めてしまった場合ほ最も始末が悪い。ここにほ第二表現.
(5) 第二表現・考. 5. に関する問題の中心があると思われる。. 以上(ア)から(-)までほ,特に受信者がそのまま受信器であるときの現実的な条件 1. として考えられることである。これらのすべてを持ち合わせていながらその自覚のない老 には,その事実を具体的に指摘し気づかせる必要があろうo一方,このどれをも全く持ち 合わせていない老は,そのままでは常に主体的な受信者であることを避けようとするに違. いない。実社会にはそのような受信者の方が多いほずだ。皮肉なことに,問題意識ほ聞い たり見たり読んだりすること,中でも特に読書によって高められるのである。 一人一人の生き方が違うように,一人一人の感じ方,思い方は違う.その主体性を確認 することこそ第二義現の学習の重要なねらいでもあるのだ.・第-表現を創出表現として送 り手の主体を重んじたように,あえて理解と言わず第二義現あるいほ受容表現と言ったの ち,受け手の主体を重んじるからに外ならない。. ところで受け手の受信しようとする情報の中身だが, は・まず感性的なものが想定されよう.. 「感じる・思う+という言葉から. 「感想+ほ正に受け手の生き方にかかわる復号化と. して位置づけられるべきである。その復号化が極めて主観的なものであり,暗示性の強い 受容態度であっても,それは当然のこととしなければなるまい.この「感じる・思う+に 対して,. 「知る・考える+という言葉からは,対象を冷静にとらえようとする理性的なもの. が想定されよう。その復号化が極めて客観的なものであり,明示性の強い受容態度である のもまた,当然のことである。この受容態度から生まれる「批評+ほ,感想と関連して一 人一人の生き方と-のかかわりを持つとき,強い説得力のあるものとなるであろう。. 第-表現は送信器(話し手・書き手等)によって符号化された情報であり,第二表現は 受膚器(聞き手・読み手等)によって復号化された情報である。そして再び言うが,両者 の記号表現ほ同一であっても,記号内容が同一であるとほ限らない。 両者の記号内容が同一のものとして受容されるとき,すなわち暗号のように,送り手と 受け手の間で一つの記号表現が一つの記号内容を伝送することだけを目的とするとき,受 け手の受容の仕方を「解読+と言う。言いかえれば,第一義現の符号化と第二表現の復号 化の間に情報の過不足がない場合である。暗号が幾通りにも復号化されては暗号の役を成 さない。暗号に限らず,交通信号・危険物の取扱い説明書等,解読を第一義とし,しかも その域を出ない例は数多くみられる。この場合の記号表現は明示性が強く,従って解読は 理性的・客観的に行われ,正に知的情報として一方的に伝送されるのが普通であるo 両者の記号内容が異なったものとして受容されるとき,すなわち文芸作品のように,送 り手と受抄手の間で必ずしも一つの記号表現が一つの記号内容を伝送するとほ限らないと いったような,第一表現の符号化に対して第二表現の復号化が多様であるとき,受け手の 受容の仕方を「解釈+と言って解読の場合と区別する。この場合の記号表現は暗示性が強 く,従って解釈は感性的・主観的な理解に基づいて行われ,正に個別な感動が生まれて, 受け手の行動を促すはどの効果さえあらわれる。.
(6) 6. 井. 関. 義. 久. 解読が論理的情報の復号化に必要な技能であるとすれば,解釈は文芸的情報の復号化の ために更に必要とされる態度であると言えよう。解読は誤解を許さないが,解釈ほ誤解を 免れることはできない。よりよい解釈は次々と生まれるけれども絶対の解釈はないことに なるから,解釈をめくtlる論争も絶えることがない。文芸的情報では,送り手の意図がその まま受け手に伝送されることは当然期待できないのである。文芸的情報の受け手ほ,第二 表現を主体的に解釈し,自らの問題意識に触れたものを高く評価し,深く感動するやそこ にたとい誤解があったとしても,受け手の中で燃焼したエネルギーほ,やがてその受け手 に対して新たな情報の送り手としての自覚を促すことさえ期待されるのだ。. 解読ほ,受け手に情報の送り手としての自覚を促すことにはならない。例えば「本日休 莱+. ・の掲示を見て,普通はこれをありふれた通知として復号化するだろう。この場合の 「本日休業+という記号表現ほ,送り手の情報を正確に伝送する役目を果たしている。受け 手は「今日は休みである+ということだけを誤りなく理解するほずであり,それ以上のこ とは期待されない。. 又,解読に当たっては,記号表現が受け手にとって難解であったりしてほ困るから,送 り手ぽ情報の符号化に際してひたすら明示性を優先させ,受け手のために復号化の負担を かけまいと配慮する。逆に,受け手に対して復号化のための負担を強いる暗号の場合は, 解読の作業をとおして受け手が知的充足感を味わうこともあろうが,やはりそこから生産 的なものを期待するわけではない。指令を忠実に他-伝えることはできても,受け手が主 体的に反応することほできないのだoそこに問題意識の高揚がないからであるo くわと. あ. 「蛾料生れて未だ覚めぎる彼岸かな+という松本たかしの句について,大岡信氏ほ朝日 新聞の「折々のうた+で取り上げながら,後に岩波新書の1冊として出版したときにこの 句を省いた.このことに関する説明を氏は3か研)で行っているが,この中に解釈と問題 意識の関係が示されている。 朝日新聞(昭55.. 3・ 5朝刊)のコラムには次のように善かれていた。. 「松本たかし句集+ (昭10)所収。宝生流能役者の家に生まれたが病弱で能を断念,虚 「彼岸+ほむこ 「蹄料+はオタマジャクシ。 子門に俳人となった。句は繊細にして高雅。 う岸。生まれたばかりのオタマジャクシが水中に群れ遊ぶ。この時対岸ほまだ眠りの中 に霞んでいる。春の朝の田園情景だが, 岸辺の顧砂たる感触がある。. 「未だ覚めざる彼岸かな+には,どこか非現実の. そして,ある読者からの手続によってその失敗を指摘される。「彼岸+をむこう岸と解釈す るのは誤りで,これは春の彼岸のこと。又「鮮抽斗生れて未だ覚めざる+で切れて,それか ら「彼岸かな+と続くこと。 オタマジャクシも彼岸も共に春の季語であり,昔は許されなかった季重なりの旬が最近 ふえていることを警戒しなければいけないとしながら,氏はやはり「彼岸+の映像を捨て る気になれず, 「私自身のための解釈+として大事にとっておくのだo.
(7) 7. 第二表現・考 「折々のうた+で取り上げている歌の解釈では,私はときどきそういうまちがいをや っているかもしれないんだけれども,そのまちがいはけっしてむだでほない。なぜなら ば,あとで理由を考えてみれば,そのまちがいがなぜ生じたか説明できるのですねb説 明できるまちがいは本当の意味でほまちがいでほないのじゃないか。 詩歌の読みとりかた. (「図書+一日本. 20ページ). 現代詩人としての大岡氏には,. 「むこう側はどうなっているか+という問題意識が絶え. ずあるから,はじめの解釈をただの誤りとは見ないのだ。むしろこの間題意識に支えられ た解釈が氏に情報の送り手としての意欲を起こさせたのであって,お彼岸の季節感を詠ん だだけの句としてならば新聞の「折々のうた+にも取り上げられはしなかったに相違ない。 さきに,解釈は感性的・主観的な理解に基づいて行われると言ったが,これは悪意的な ものを認めるのではなく,大岡氏の言う「説明できる+ことが条件で,記号表現にその証 跡がないときはどんなにもっともらしいことを述べても,解釈として認めるわけにはいか ない。正解が複数あるというのも作品そのものを離れては考えられないことで,暗示性の 強い記号表現だからこそ許されるのだが,そこにはおのずから限界がある。 「彼岸+について更に私見を加えるならば,朱薫の「偶成+との比較において解釈を広げ ることも可能であろう。 少年易老学難成 未覚弛塘春草夢. 一寸光陰不可軽 階前梧葉己秋声. 未だ覚めざる池塘春草の夢一泡のほとりの堤の草に楽しく遊ぶ夢が,まだ覚めないうち に-「彼岸+はこの「池塘+のイメージとも重なる.そして,問題意識は「むこう岸+か 「オタマジャクシ+は夢みる「少年+の象徴として読むこともでき ら「将来+ -と広がる。 るだろう。かつて少年時代に新鮮な感動を持ってこの詩を読み,記憶にとどめていた暑が, 松本たかしの句をこのように解釈したとしてもそれはむしろ自然でさえある。もちろん作 者にそのような意識があったかどうかは分からないけれども。. 暗示表現の復号化の失敗は解釈の誤りとしてすべて否定されやすいが,大岡氏も言うよ うに「人はまちがいを犯すがゆえに創造的である/ともいえる+. (「図書+ 19ページ)のだ。. 第一表現が創造そのものであるならば,第二表現は受け手による再創造であると言えよう.. 解釈ほ,受け手の成長と共に変容していく。価値を評価するのは受け手であるから,め. らゆる芸術的記号に対して,受け手は今日ただいまの時点で自らの生き方にかかわるもの を最も高く評価することになるだろう。それを感動と言うことほ前にも述べた。そして, 感動は教育できない。 文芸作品における感動ほ,まず作品の内容から生まれるだろう.そのたbt・の復号化の段 階として,先に解読があり次に解釈がある。解読できないままの感動や解釈のない感動ほ 本物でない。感動-の短絡を因って訓話注釈を不当に軽んじる古典学習ほ許されるべきで.
(8) はないし,又,作者の意図や自分の感想に深入りする過ちを犯すべきではない。受け手の. 感動の源泉としての第二表現に対象を絞り,その構造を明らかにしようとする「批評+の 学習ほ,解読・解釈中こ次くtl学習段階として教育課程の中に位置づけられるペきものである。 批評ほ,感動的な内容がいかに表現されているかという,その表現構造に目を向けよう とする。感じる・思う段階から,知る・考える段階すなわち客観的・明示的方向へ再び向 かうのだ。解読が単純な復号化であり,機械的であったのに対して,批評の復号化は複雑 であり,受け手の感動に基づく分析であるという.点で正に第二表現の世界なのであるo 解釈の範囲は,作品の内容を把捉するところまでであろう。その内容を煮つめ焦点化し ていったとき,その一つの結晶は,主として解読によって導き出される中心題材(モチー フ)であり,もう一つの結晶が解釈によって抽出される中心思想(主題)である。受け手 の問題意識高揚にかかわるのは後者の働きだ。主題はこの思想であって粗筋や要旨と同列 でほない。当然,すぐれた主題・重い主題でなければ感動とは結びつきにくい。主題のな. い,もしくほ軽い作品にも感動があるとすれば,先の感動の定義を変えなければならない 「遊び+の世界でほ, 「おも ようだが,文芸作品一般は感動に奉仕するだけではないのだo しろさ+ということがすべてに優先する8).理想を言えば,過去における充実した読書生 活をとおして蓄積された問題意識と,新しく復号化された第二表現の主題とのぶつかり合 いが,激しく火花を散らし渦を巻く-読書における感動とほそういうことでありたいo 主題の抽出をもって解釈の段階はそのすべてを終わる。批評ほ,この主題がどのような 形で巧妙に仕組まれているのかを解きほぐすことから始まる。優れた作品は,優れた主題 が複雑な記号表現によって晴示されているわけだが,この構造(文芸性)の分析に当たっ ては,そのための有効な方法が示されなければならない。文芸作品における情報処理の技 術-それは読書の技術であり,又,作文の技術でもあるだろうo情報処理技術としての 批評ほ,情報の記号内容を解釈し,かつその記号表現を分析す声ことによって成り立つ. 解釈と分析とは本来同時に行われるべきものであろうが,読書は通常,何が書いてある かということだけを問題にし,どう書いてあるかということを問題にしない。記号表現を. とおして記号内容を理解することだ桝こ専念し,その記号内容がどのような記号表現によ って支えられているかを分析することにほ冷淡である。第二表現の学習にはこのどちらを 欠いても不十分なのだ。又,主題とかかわりなしに分析だけを行うときほ,冒頭から結末 までを項目を立てて手当たり次第に拾っていくようなやり方が考えられる。これは訓練と しては意味もあろうが,ある構想のもとに分析する場合は,全体を見通した上で観点を選 ばなければならないのは当然である。しかし本稿は一つの作品を批評することが目的では ないから,さまざまな観点れを列挙し,その方法について触れることにとどめたい。 1.設定. 事柄を進行させる人物・時一場所を設定と言う。. (1)人物--中心人物とは作中事件のすべてにかかわりあい,主題を直接に担ってい る人物のことで,主役とも言う。中心人物の分析のための観点として次の三つがある。 (イ)中心人物は,社会をどう見て (ア)中心人物は,社会からどう見られているか。.
(9) 9. 第二表現・考 いるか。. (ウ)中心人物は,自分自身をどう見ているか。. (2)時--作中場面の時と,作品の語られている時(観察場面)とが使い分けられて いるような設定等。 (3)場所・--時の設定と同様,作中場面と観察場面を区別した設定等。 2.話主 受け手に対して,第二義現を直接語りかけていると想定される人物を,話主 (叙述型の作品では語り手)と言い,作者とは区別する。この話主をとおして受け手の想像 する情報源を,実在の作者と区別して作主と言うことがある。作者は一人だが,作主ほ受 け手によって少しずつ違った人物になる。話主の分類には,単純話主・観察話主・代理話 主(ある場面に限って,話主に代わって重要な発言をする人物). ・反射話主(話主の無意識. の層を読者に伝える人物)等がある。 3.視点 話主の,作中場面や人物に対するかかわり方のことを視点と言う.視点の免 件として,人称・認知の範囲・意識の形態等があるが,実用的な視点としては,これを組 み合わせた4通りのかかわり方に分類できる。. (1)一人称(限定)視点.・・話主自身が作中場面に登場し,作中人物として判断を下し たりする。一人の人物(私)の目に限定するから,他人の心の中までは措けない(主観 的・内在話主)0. (2)三人称限定視点・・・話主自身は作中場面に登場せず,ある特定の人物の立場に限定 して,その人物の目で物事を判断したりする。彼(彼女)の心の中にだけ立ち入るが,他 の人物については外から眺めるだけ(主観的・外在話主)0 (3)三人称全知視点-話主自身ほ作中場面に登場せず,すべての作中人物の心の中に 自由に出入する。何もかも知っている全知全能の話主(主観的・外在話主)0. (4)三人称客観視点・・・話主自身は作中場面に登場せず,作中人物たちの言動を措くだ けで,だれの心の中も触れない。事柄が個人的な考えや感情を抜きにして述べられる(港 在話主-この話主は存在することは確かだが,どういう人物であるかという確かな手が かりがない)0. これらの視点ほそれぞれ長所と短所をもっていて,作品の主題にふさわしい視点が選ば れたときに大きな効果をあげることができる。 4.進度. 事柄を進行させるとき,題材ごとにどのような速さで語り進めるか;その度. 合いを問題にするときに進度と言う.. 5.規模. 字数・行数・ページ数等,数量で示すことのできる大小を規模と言う。. 6.作型. 話主の語り口の類型を作型と言うo. (1)叙述塑-事柄を,時間的な移り変わりの面で語る方式。 (2)描写型-ある場面や設定について客観的に言い表す方式。時間的展開ほない。 (3)説明型-事物や思想の性質を知的に説明する方式。理由等を明かすこともある0 (4)表明型′-主張や意見を端的に述べる方式。理屈抜きの説得や呼びかけの形が多い。 (5)問答型-対話形式で劇的に述べる方式¢劇型とも言い,地の文はごく少ない。 7.作調. 表現をとおして表れる作主の態度を作詞と言う。ある材料に対するさまざま.
(10) 10. 井. 関. 義. 久. な態度が,感傷的・風刺的・喜劇的・アイロニカル・叙情的など多様な表れ方をする。 (1)喜劇-普通よりもある点で非常識な人物の真剣な行動が,普通人のレベルから見 ればおかしいと感じられる場合に言う。人ごとでないあわれを感じさせるおかし さで,笑劇とは区別する。. (2)悲劇-普通以上の人物が,運命と衝突して破滅するのをとおして,悲しみと同時 に受容者の精神が清められるような場合に言う。 (3)アイロニー-①当然予想されることに対してくい違う状況や,. ②暗い主題が明る. い調子で語られる作品等で主題とのかかわり方を取り立てて言う。現代文学は, たいていの場合「不如意+にかかわる主題をもつから,俊に明るい作詞が感じら. れても,構造的に見ればそれがアイロニーであることが多い。 8.イメジャリ. 視覚・聴覚その他の感覚によって,その指示する事物が具体的にとら. えられる語をイメージ語と言い,その用法をイメジャリと言う。 (1)直写イメージ語-一つの記号表現について一つの具体的記号内容をもつイメージ 語(一義的)0. (2)形容イメージ語-一つの記号表現について,本来の具体的な記号内容の外に即の 抽象的記号内容を暗示する働きをもつイメージ語(多義的)o. 形容イメージ語ほ. 更に次のように分けられるo. (ア)比喰-記号表現とその暗示する記号内容との関係が,知的に理解できる場合。明 喰・暗噴の適いほ,記号内容が併記されているかいないかによる。明喰ほ併記され,暗噴 は併記されない。. (イ)寓噂-暗噴の拡大されたもので,作品全体の背後に抽象的な思想. を暗示している場合。暗喰は一つのイメージ語で成り立つが,寓噴は叙述の形をとる。 (ウ)象徴-記号表現とその暗示する記号内容との関係が,知的判断でなく直感によって 理解できる場合。 *. *. *. これらの用語を使った第二表現の学習を「批評読み+と言うことにしたい。 注 ll) 井関義久「第三表現・考+横浜国立大学教育紀要第二十条(55. ロ.エーコ/池上嘉彦訳『記号論Ⅰ・ ⅠⅠ』岩波現代選書(55・4・ 6) 3 滝 保夫『情報論Ⅰ』岩波全書(53.6) 4 外山滋比古『近代読書論』みすず書房(44. 1) 5 「新潮+昭和55年7月号 新潮社 「図書+昭和56年2月号 岩波書店 『綻折々のうた』岩波新書(56.2) 6)ジャック・アンリオ/佐藤信夫訳『遊び』白水叢書(56.5) 7)井関義久『批評の文法』大修館書店(47.4) 1 2. 付. 言己. 本稿ほ,先に発表した「第三表現・考+の記述と若干重複するところがある。. (56・ 5・ ̄ 30).
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