• 検索結果がありません。

パーリ語文献にあらわれたる四念処の修習について

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "パーリ語文献にあらわれたる四念処の修習について"

Copied!
13
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

釈尊の成道に関して、主として阿含経典における記述にもとづいて、その成道にいたる経過、成道のときの模様、 すなわち成道の際の世尊の心境などは、すでに明らかにされている。 かって赤沼智善教授は成道の経過を説く記述を大別して三種類となし、それぞれの意義を考察された。その三種類 とは、㈲四諦十二因縁の如き理法の体達によって成道されたと説くもの、Q四念処、四正勤、四如意足、五根、五力、 七覚支、八正道という三十七菩提分に摂められるような道行の修習によって成道されたと説くもの、日五誼、十二処、 ① 十八界などといった物質的ならびに精神的な存在現象に対する正しい観察によって成道されたと説くものである。こ の中、実践修行という観点に立って仏道修行の完成を考察しようとするならば、いうまでもなく口の四念処等の道行 の修習に関する考察からはじめなくてはならないであろう。

四念処の修習について

パーリ語文献にあらわれたる

々木教悟

1

(2)

比丘等よ、これは衆生を浄くする為、憂悲を度する為、苦悩を減する為、正理を得ん為、浬渠を證せん為の唯 一趣向の道、即ち四念虚なり。 同丙凹ぐゅロ○四ぐゆ口︺ずロ涛冨]四ぐ①旨胃色函的○印四茸倒巨P口︼ぐ尉匡QQpq勤め○丙色IbPHaQゆく幽昌四日の凹口︺抄は丙凹員国くゅQ巳門戸豈秒︲ 。○属国四口Pのめ四口四畠口色計苛丘四m四Hご倒冒色働勵司P、ゆゅ煙ロロ︼ぬpH目画く凹巨﹄ず屋勵口砂ののpmpoO冒芦戸胃肖冒画くP︶胃四Q壁Qpp]○色言計画H○の凹武も沙↑Ⅱ

計彦四国脚︵ロz,ぐ○]・目、x閏罵弓器e

と説かれていて、四念処のおしえが浬樂証得のための唯一趣向の道であるとされている。 ここにいわれる四念処︵o鼻薗Hoの胃壱幽拝目目︶とは、身︵圃冨︶、受︵ぐの目目︶、心︵。冒幽︶、法︵旨“日日P︶のそれぞ れに念︵$gを集中せしめる随観︵自巨冒印の秒目︶を意味し、修道にはげむ比丘にとっては、きわめて重要な法門とされ ている。すなわち、身は不浄、受は苦、心は無常、法は無我と観ずることによって浄なり、楽なり、常なり、我なり とする四顛倒の見を破することを基本として、五蓋、五取瀧、六内処、六外処、七覚支、四聖諦などを随観すること をおしえたものであるc 長部経典の第二二 この経典の冒頭には 比丘等よ、こ 一趣向の道、即 同丙固く色ロ○四ざ この随観の語義および止観との関係などについては、主として﹁スッタ︸一バータ﹂所収の﹃二種随観経﹄︵ロぐ騨冨団ロロ園、8口四︲ ぃ匡冒︶の所説にもとづく早島鏡正教授の研究︵﹃初期仏教と社会生活﹄第三章原始仏教における真理観の基礎lPggのの自画 ︵随観︶の性格についてl︶がある.村上真完・及川真介訳註﹃仏のことば註l・ハラマッタ・ジゞ−ティヵー﹄匂五○○ 頁以下の﹃二種随観経﹄に詳細な記述がある。 一二経に﹃大念処経﹄︵旨四目︲ぃ目ざ鼻昏曽騨︲“屋倖騨、大念住経と、も訳される︶とよばれている経典がある。 二 2

(3)

さて、上にあげたところの﹃大念処経﹄冒頭の文は、この経典の結びにも同一の文がかかげられていて、この経典 の一部始終は、四念処の修習が浬盤にみちびく一乗道であることを説かんがためであったことが知られる。そして、 ④ それはまた、この﹃大念処経﹄に相当するところの中部経典の第一○経﹃念処経﹄にも、その冒頭と末尾に同じ仕方 で同一の文がかかげられている。もっとも、いま相当するといったが、﹃念処経﹂の方は、四聖諦に関する詳説の部 分︵南伝大蔵経でいえば、第七巻︹長部経典二︺の一八’二一︶を欠いている。さらにまた、常套句ともいう尋へきこの一文は かの相応部経典の﹁念処相応﹂︵留号騨茸目目︲いゅ冒冒淳四︶には、しばしば用いられていて、四念処の修習ということを 諸種の面から説くところの﹁念処相応﹂の所説と結びついて不離の関係にあることが注目される。そしてその四念処 の修習、多修が浬藥へ趣向する一乗道であると説かれていることは、釈尊の成道と関連せしめられている点からいつ おもうに、この随観は毘婆舎那を証知せしめる観察作用ともいうべきものであるから、四念処における別相念住、 総相念住の観法も随観を基本となし、修道者なる比丘に対して、光明輝やく浬桑の世界への開顕にむけての唯一趣向 の道、それが四念処であると提示されたものとかんがえられる。 四念住と空に関しては、吉元信行著﹃アピダルマ思想﹄三二一頁以下の﹁説一切有部における空の概念﹂のテーマのところで とりあげられている。そこの註⑥をも参照。 ところで、長部の第三四経なる﹃十上経﹄e四“具冨愚︲吻巨菌昼国︶には、﹁これらの四法は修習せらるべきである﹂︵旨① ② 8津野。号四目日脚g響2号3︶とあって、﹃大念処経﹄のその箇処には見当たらないところの修習︵g当四目︶なる語が まさしく用いられていることを知る。しかしながら、これは格別に異とするに足らないことで、のちにあげる相応部 ③ 経典の﹁念虚相応﹂にあっては、随処に四念処を修習し多修することがくりかえし説かれているのである。 三 3

(4)

ても、また出家して間もない新参の比丘に対する勧導とされている点からいっても、きわめて重要な意義を有してい4 J るといっても過言ではないであろう。かの﹁念処相応﹂の四三、道冒⑳閥。︶には、つぎのごとき偶がかかげられてい る 0 未来にも現在にも暴流を渡る。 同丙倒﹃pロ秒昌試岸時ずゆくゅロ汁②。四の閏、 国]色、函功舜]も四一割。凶戴冒詳倒ロロ丙色居昌も割、、 同詰口四昌国四”ぬ①ご色色烏四目の口も目ヴウ⑦、 ⑤ 庁四国のゆゅロ武司①○四峠pH四コは○四○m面P国威、、 この偶は、同じく﹁念処相応﹂の一八、梵天︵即自目画︶のところにもあげられており、ともに世尊がウルヴェーラ ーの尼連禅河のほとり、アジャパーラニグローダ樹下において成道され、独坐思惟せられていたときの心境を娑婆主 梵天が知ったときに説いたものとして示されている。 ちなみに、一乗道と訳されている.︿−リ語の冨冨ご色目すなわち・百十回鼠ロ四︵一趣道︶に関しては赤沼教授が﹃仏教経典史 論﹄二九八頁に検討されている。 なおまた、﹁念処相応﹂第四未間品の箇所には、四念処の修習によって、未だ曾て聞かざりし法において我が眼生 じ智生じ明生じ光明生じたりとのべているが、これはまったく世尊が初転法輪の際に、五比丘に対して四聖諦を説か れたときの叙述と同じ仕方のものであることが知られる。 生の毒邊を見 一乗道を知り利益哀感あり一乗道を知り利益哀感 此道によりて過去にも

(5)

さて、上にあげた﹁念処相応﹂の所説のなか、とくに第三の戒住品の内容が注目される。初めに戒︵閏匿目︶と住 ︵旨は︶とを示して、四念処修習のために世尊が善戒︵官困置︲ぃ号︶を説きたもうたとなすこと、さらに如来の滅後、 正法が久住するか否かは四念処の修習多修がおこわなれるか否かにかかわっているとして、正法の久住︵の秒目9日目。 日臥鼻昏洋時。︶あるいは正法の損減︵伽四目冨冒目眉胃曽習騨目︶がとりあげられているのは、のちの註釈家が深い関心をよ つぎに第五の不死品の内容が注目される。そこの︹四三︺の第三、道についてはすでにのゞへたが、︹四六︺の第六 に波羅提木又急昇冒○際冨︶があげられているのである。 せた事柄とおもわれる。 ⑥ さらに、この﹁念処相応﹂には、長部経典の第一六﹃大般浬藥経﹄︵宮島智胃目g習幽︲の胃冨目g︶の説法の一節が﹁病﹂ ︵唱国口。︶なる見出しのもとにおさめられている。それは釈尊晩年の最後の旅の途中、ベールヴァ村において雨期の安 居に入られた際、激しい苦痛をともなう病いをわずらい、それを克服して恢復されたときの説法にして、﹁自らを島 とし、自らを依所として、他人を依所とせず、法を島とし、法を依所として、他を依所とせずして住せよ。﹂という ⑦ 一般には自灯明、法灯明のおしえとしてよく知られている説法である。ところで、学者の見解によれば、ここなる灯 明︵日恵︶は、島あるいは州と訳するのが妥当といわれているから、いまはその説にしたがい自島、法島の訳語を採 用した。この説法は、のちのナーランダ品チュンダの章︹一三︺にも、さらにチェーラの章︹一四︺にも重出されて いる。このようにして、四念処の説が釈尊最後の遊行における説法と関係づけられていることが知られるのである。 を受けて学せよ。比丘よ、汝、波羅提木叉の律儀に守護せられ、行所行を具足し、微少の罪に於て怖畏を見て住5 比丘よ、此処に汝、波羅提木叉の律儀に守護せられ、行所行を具足し、微少の罪に於て怖畏を見て住し、学処 四

(6)

ここに、﹁波羅提木叉の律儀に守護せられ﹂て﹁戒に依り戒に立ちて﹂とあるのは、比丘の基本姿勢を示したもの で、その立場に住立して四念処の修習が勧められているのである。かのブッダ。コーザが﹁清浄道論﹂を論述するにあ ⑩ たって、﹁戒に住立し﹂云々なる﹁相応部﹂経典の偶頌をかかげて、その解釈から開始していること、そして﹁戒に 住立し﹂云々を説明するに際して、直前の波羅提木叉に関する偶句の註釈をあたえていることは、初期仏教の伝統を 正当にうけつぐ立場を關明にしたものとかんがえられる。なお、この﹁念処相応﹂にあっては、﹁戒に依り戒に立ち ⑪ て﹂なる句が多用せられていることに気付くのである。 ところで、﹃大念処経﹄においては、最初の総論に続いて各論ともいうべきところの、身に関する随観、受に関す る随観、心に関する随観、法に関する随観が説かれているが、最初の身随観には禅定の基本形態が示される。すなわ ⑫ ち、それは結珈鉄座して、つぎのごとく、出入息の呼吸をととのえる。比丘尼の場合は半珈畉座が許される。 ここに、比丘らよ、比丘は森におもむき、あるいは樹下におもむき、あるいは空所におもむき、結珈して身体 む をまつすぐにして念を対象に向けて跣座す。かれは正念にして息を吸い、正念にして息を出し、あるいは長く息 ご﹄]︺ゆH尉駕↑臼國○画H四m○○少Hmめ画隆目も、己昌]○口]罠員目色斤芹の印巨ぐゅ]]①のロウロ色︶﹃PQpの、煙く胃切四目昌倒Q倒琶P巴一ハーバゴー、めゆ里里]内]鼻]いも四口のめ国、、 ⑨ 庁沙汁○す国昌ロウ言丙炭ロロ巴画日画]のの四目四閏后もゅ斤拝津働言由○四茸脚叶○の幽威も四耳彦勵口①匡胃召Naゞ︶動凰、、︵アンダーラインは筆一 し、学処を受けて学せぱ 目。ぽゅ命くPRロヶロ豈脚丙彦p IJl ずぽ画く四口Pぬいゆく﹄印四門口四口四署一 4 者 … 印四門口い︹]凶ぐぃ巴]脚屏]︺色の宮田丙丙ぽ凶吊︶四。①の口、、 k 、、 五 ↓比丘よ、汝は戒に依り戒に立ちて四念処を修習せよ。︵側線は筆者︶ も幽武員︺○]肉]︿屋ゆめ四局pご囚同魁m四.員目ぐ︹昇○ぐ津田、H画岸昌凶︹画HpmOoPHゆめ画Hpも煙ロロ○pロロH旨四辻繭のロぐゅ]]①印匡 、、閨四庁○戸日○すN四]己ワロ︺屍丙ロロ己国営H巨○屏丙旨画いゆ貝冒ぐ四円ゆめ煙Hごく︵昇○ 卜 ⑧ 6

(7)

身随観︵圃乱目團の⑳騨呂︶は、業処︵冨日昌沙#目目︶としての十随念の中では身至念︵厩怠弼3m島︶としてあげられ、 出入息の呼吸法である数息観は、安般念︵自画目目“:︶としてあげられている。この安般念は、とくに重要視され、 初歩のものが実際に修習するに際しては、阿闇梨の適切な指導のもとに、業処の把握がなされなくてはならないので ある。すなわち、阿闇梨のもとで→把握︵ロ麗昌四︶、遍問︵恵号poo目︶、現起︵冨oog煙茸冨昌沙︶、安止︵騨喝四目︶、特 相︵巨烏冨目︶の五節ある業処守昌8の自号房秒百日目農吾目騨︶が把握されなくてはならないのである。さらにまた、7 を吸へぼ﹁我れは息を長く吸う﹂と知り、また長く息を出せば、﹁我れは息を長く出す﹂と知る。また短く息を 吸へぱ、﹁我れは息を短く吸う﹂と知り、また短く息を出せば、﹁我れは息を短く出す﹂と知る。﹁全身を認知し て我れは息を吸うべし﹂と修し、﹁全身を認知して我れは息を出すべし﹂と修す。﹁身行を静めて我れは息を吸う ⑬ 、へし﹂と修し、﹁身行を静めて我れは息を出すべし﹂と修す。 このようにして、出入息の呼吸を意識的にととのえ、行、住、坐、臥の四威儀において随観することが説かれている。 この引文の中で正念ということがあげられているが、その意味するところからいって、それが八正道中の正念に当た ⑭ ることは、すでに通説となっている。しかしながら、随観の場合は、実際に具体的に意識的に観察することが要請さ れるために、正念はつねに正智とともに具足さる毒へきものであることが説かれている。長部経典の第二経﹃沙門果経﹂ ⑮ ︵留日四副名園伝︲の呉冨︶によれば、念の義について、行き、返えり、見やり、見廻わし、手足をのばし、ちじめ、下 衣上衣を箸け、鉢を持ち、食い飲みし、大小便をなし、歩き立ち坐わり、眠り起き、語り黙するなどをするときに意 ⑯ 識して行為することとされている。註釈によれば、その食い飲みが快楽のためにおこるのでないこと、また、我れが 食い消化するのでないことなどを十分に意識することであるといっている。 T _ ノ 、

(8)

この業処にはその作意規定︵目目騨の房閏騨︲ぐ昌国︶が示されて?定修習の過程の把握を容易ならしめている。すなわち、8 数︵盟箇目出入息を数えること︶、随結︵四目g昌冒目出入息を数えることを止めて、念を絶えず出入息に随わしめ ること︶、触守冒切色目出入息が身中に触れること︶、置止︵曹煙忌昌安止定によって心を置止すること︶、観察︵の農Ⅱ 四房冒目毘鉢舎那︶、還滅︵ぐ専属画風煩悩を還滅せしめる道︶、遍浄︵冨鳥官民亘清浄なる果︶、かれらの各別観︵厭いⅡ ⑰ 四目冨層沙のの煙鼠還滅と清浄との観察︶等のあげられているのがそれである。 以上の安般念業処に関するものは、その内容からみてもわかるように、ただ身観に関するのみでなく、受観、心観、 法観にも関係していることはいうまでもない。そのことは、十六事ある安般念業処︵の○医切四︲ぐゅ芹冒箇目曾営申百日目Ⅱ ⑱ 鼻菩目騨︶といわれていることがそのことを充分にもの語っている。.十六事は十六特勝あるいは十六勝行ともいわれる ⑲ が、中部経典二八﹃入出息念経﹄︵翻昌号習開昌︲の目冨︶によってあげれば、つぎのごとくである。

受観四法﹂“

覚喜⋮⋮喜びを覚受しつつ入出息する。 覚楽。:⋮楽を覚受しっっ入出息する。 覚心行・⋮:心行を覚受しっっ入出息する。 寂心行⋮⋮心行を寂めることで安息をうる。 寂身行⋮:・息行を寂めることで安息をうる。 念息遍身⋮⋮全身を覚受しつつ入出息する。 念息短⋮:。短い呼吸に心を集中する。 念息長⋮⋮長い呼吸に心を集中する。

身観四法‘

(9)

⑳ ﹄︵ノことができる。 無常行⋮⋮無常を随観しつつ入出息する。 離貧行⋮⋮離負を随観しつつ入出息する。 滅行⋮・・・煩悩の減を随観しつつ入出息する。 出離行.:⋮出離を随観しつつ入出息する。 ところで、この十六事ある安般念の修習については、﹃清浄道論﹄によれば前三の四法は止と観とによって説かれ、 第四の四法は純粋に観のみによって説かれるといわれているから、止の業処と観の業処の性格をこの点からもうかが いずれにしても安般念を修習し多修すれば四念処観を完成せしめることになること、そして安般念業処を正しく把 持して、安般による第四禅を生ぜしめ、その第四禅を基礎として諸行の無常・苦等を思惟し、最勝果たる阿羅漢果を 得るにいたることを説いて、安般念修習を勧めているのである。 法観四法 心観四法 。ハーリの﹁大念処経﹄は、身念処をわけて、上来の録へたような念安般をはじめとして、威儀︵冒箇恩昏煙︶、正知9 覚受心・・ 令心勝喜 令心摂⋮ 令心解脱 心が沈まず浮き立たないことを覚受しつつ入出息する。 ・・・心が沈めば振い立たせて喜びを生ぜしめっっ入出息する。 心が浮き立てば、これをおさめ静めつつ入出息する。 ⋮心の浮き沈みを離れ、解脱せしめつつ入出息する。 七

(10)

南方の上座部仏教は、初期仏教以来の教法を正しく伝承するものとして存在しているから、上来の、へたところの念 処説についても、﹃念処経﹄ないし﹃清浄道論﹄に説くものが基本とされていることはいうまでもない。 スリランカ、ビルマ、タイなどの上座部仏教にあっては、つとに勤行用の護児経典としての鼻君鼻菩目色目昏○︾ いる。そこで、業処としての身至念を考察するに、それはわれわれの身体を構成するところの三十二の部分について ︵ぬ胄呂旦自目︶、厭逆作意守具房昌四目目勢の房胃四︶、界作意︵合弾匡目騨目の房習四︶、死屍観︵、胃冒︲息8画ぐの房盲目︶を説いて 厭逆作意を修するためのもので、重要な意味をもつものとかんがえられる。その三十二身分eぐ島g閏圃国︶とは、 毛髪鳶の3︶、体毛︵]o白山︶、爪︵ロ農園︶、歯︵§ご国︶、外皮︵38︶、肉︵日騨gの煙ョ︶、筋︵ロ昏倒目︶$骨︵農冒︶、骨髄 ︵農冒目星騨昌︶、腎臓︵ぐ鳥冨ョ︶、心臓︵盲目租弓︶、肝臓︵制冨画團︶、肋膜︵区○日②雷ョ︶、脾臓守房嶌昌︶、肺臓 ︵冨弓園いき︶、腸︵自国卦︶、腸間膜︵自冨唱口昌一︶、胄中の食物︵目:冨弓︶、排泄物︵富国の騨昌︶、胆汁︵亘斥鯨卦︶、疾 ︵の①日冒卦︶、膿汁︵宮go︶、血言ご国ョ︶、汗︵の&o︶、脂肪︵g巴。︶、涙︵国のの目︶、青︵ぐ鱒、卿︶、唾︵院EC︶、浅︵当瞥倒昌圃︶、 ⑳ 関節滑液︵医の房凶︶、尿︵日昇菌弓︶、頭脳︵目曾ヰ冒冒侭煙昌︶である。これらの身分は、﹃念処経﹄によれば、﹁この身体 @ を頭頂より足砿にいたるまで、皮層に覆われ、種々不浄に充てるものとして観察す﹂ることが説かれているから、屍 ⑳ 体を観察する十不浄想とともに、身至念にあっては欠くことのできない項目とされている。註釈はつぎのごとき﹃法 ⑳ 句経﹄の二偶を最後に引用して三十二身分説の有する意味を総括し鮮明ならしめようとしている。 ひとけ ︹人気のない︺空屋にはいって、心しずまり、正しく真理を観察する修行僧は、人間界にない楽しみをうける。 人が五体の生滅を思念すればするほど、不死を知った人の歓喜・喜悦を得る。 八 ︵三七三偶︶ ⑳ ︵三七四偶︶ 10

(11)

⑳ 旨四目⑩胃召鼻曾習閉具首圃冒○が、そして□ぐ胃目鼠圃国葛昏○が採用されていて、日常暗講すべきものとして用 ⑳ いられている。また、三十二身分の初めの毛髪等の五つは根本業処︵目己P︲盲目目“を︺目沙︶と名づけられ、比丘は、受 ⑳ 具の際には親教師からかならずおしえられるものとされている。 なお、前述の十六事ある安般念の修習に関しては、正念が説かれる際には、ただしく考察されなくてはならないも ⑳ のとしてとりあげられている。これまで南方の上座部仏教における禅観をまとめたものとして、模範的な綱要害とさ ⑳ れてきたものは、z旨国名○昌薗長老の蟹は冨茸圃国四︾目胃国の四民具国匡目宮櫟冨①島冨武○口であり、この書物の 果たした役割は大きいものがあるとかんがえられる。しかしながら、近年とくに注目されるようになった安般念と関 ⑪ 連しての経行と坐禅︵。§百日い︲員”凹葡︶については、あまり留意されていないようである。呼吸をととのえて心の清 浄を期するためには、経行の重要なことが説かれている。かような観点から、最近出版された属冒貝君堅○長老の研

⑫⑬

究や、ロ民園シz冨閂z師の見解には学ぶ雫へきものがあるとおもわれる。 以上、四念処の修習が安般念と関連せしめられて重んぜられてきた理由の一斑について若干の考察をなしたが、漢 訳の資料との照合など、なおいくたの問題がのこされている。 D ③ ② ① 註④旨z・ぐ巳自⋮喝.餌l畠﹄中阿含経九八、大正一、五八二b、増一阿含経五、大正二、五六八a、一乗道に関しては、弓名画Ⅱ ③のz・弔四胃ぐゞ国○鼻門員弓.匡弔邑醇雑阿含経六○七、大正二、一七一a。 胃平目︵旨昌弓四再娚己も喝を参照。 ⑤普日自彊医︲ぐ旨m目﹄勺p耳目胃.や忌乍には、﹃法句経﹄第二十章﹁道﹂の二七三、二七四、二七五の三偶をあげて説明が なされている。 己z・ぐ巳.]H[ゞ己.画認 赤沼智善著﹃原始佛教之研究﹄二一二頁。 11

(12)

② ⑳ ⑳ ⑳ ⑳ ⑰ ⑯ ⑮ ⑭ ⑬ ⑫ 、 ⑩ ⑨⑩のz・団四目陶や届.忌卿拙著﹃戒律と僧伽﹄二四頁。 ⑨、z・弓四民ぐゞや昂勇津z,ぐ巳.目.や$. 佛教青年会編︶一三一頁、同二二七頁を参照。 ③南伝第十六巻上、四二四頁。句意は﹃法句経﹄一八五偶、同三七五偶に相応。とくに立花俊道著﹃法句経註解﹄︵東京帝大 ⑦中村元訳﹃ブッダ最後の旅1大パリニッパーナ経l﹄︵岩波文庫︶二三一頁の註記。 ⑥ロz,ぐ巳.ロ]喝.畠山自︵南伝第七巻、六六’六九頁︶。 、のz,厄ゅ再ぐ︾や底い晨興岸雪皀駕. @国巨寿辱二昌鳫冨目冨冨や麗つち巳置く①閼色ぐ.ぐ巳.目︶ ⑭水野弘元著﹃原始仏教﹄一九○頁。 ⑮ロz・く○]白﹄やご︾9.己騨ぐ巳.目︾や臼騨 ⑯留日§盟伝︲ぐ局巴昌自︾や9戸 ⑰この胃喝四︲目⑳隠ゆ︲唇昌凹は、号の○急は○口に関する八つのステップとして示される。切巨&胃83国巨鳫胃“シ目凰己画の。陣 ︵酎伊ロ巴.時○日叶医①目ぽ目ぐ①H巴○ロヶ琶切毒涛戸ゴロz四m閉①ロp︶や認l直、 f ⑬畠、且昌自画閉蝕や思い四念処と十六事の関係については、松田慎也﹁初期仏教における呼吸法の展開l安般念について l﹂︵﹃仏教学﹄第十五号︶を参照。 j ⑲旨z・ぐ巳白目ゞや総l鴎︼句増昌8︲い且凹昌﹄圏耳目﹄や忠、このなかの身行、心行については、村上真完﹁諸行考Ⅱl原 く ↑始仏教の身心観l﹂︵﹃仏教研究﹄第一七号、六四’五頁︶を参照。 ⑳拙著﹃上座部仏教﹄一七○頁以下の﹁業処論﹂を参照。 拙著﹃上座部仏教﹄ 属昏匡.弔凹a︶やい 旨z・ぐ○︺.鼎や雪. 旨z,ぐ巳.自身やめ 弓四HpRp⑳芹岸︺色︲]具烏山 己z・ぐ2.口︾や$] や﹄ や笥酌屋倒口自国○]拝昌5旨冒OH罰①四日邑照・や認 1ワ ー ー

(13)

⑯ ⑮ ⑳ ⑳ ⑳ ⑬。属目シz昌胃z国巨︵旨冨牌こ曽冨冒冒目p・旨①呂冒武○ロ自己oop8鼻国威。□﹄四コ唱冒﹃①忌琶︵閃8.己霞︶﹄や]$ @国冒匡合口勺丘国屍彦 ④旨Z。ぐ昌自ロ︾や四 ⑳この書物には、目冨zの言国胃目ppgは圃拝目ロ色冨①目&なる所述があり、付録に﹃念処経﹄の英訳がつけられている。 なお﹃大念住経﹄の最近の和訳にはウ・ウェープッラ著﹃南方仏教基本聖典﹄所収のものがある。 や.や心 。 ]いい ﹄、⑤ ﹃世界文学大系・インド集﹄︵筑摩耆房刊︶一五六頁の前田恵学教授の和訳による。 円彦①国○○丙go夛営︺蕨︵罰○冨己自彦昌○彦伊ロ陸口頭國○○ご︺冒四彦習ロ四斤旦閃些四ぐ匡琶巴秒望四目配○mの︾罰曽面詳○斤忌引︾固隠?]も mogQ鼻吋丘国z︼四口勝普ごく一 拙著﹃戒律と僧伽﹄八九頁。 罰ご騨鰹口胃ロロ餌、餌叶⑳”弓彦の吋色ぐゅ 切目匡合口勺丘門抄属彦四ご威吊︶昌○罪︹慰冒]閏昌冒既哩弓︾シ国員国冒牌冨騨国自己ざH罠①島国8晶︾Fo︺丘○口ご曾咋︵罰①己吋冒肘含邑震︶︾ z︼四口勝普昌ぐ肖色 弓彦2国ぐ動舎四国属島]丘豚汁弓周冒o弓ざの︺詞○へ詩○国①︶旨い冒習ご塑斥匡斤団員屋三牌ロロ弓①尉巴︽望︵陣己.の具骨④蛍︶︶畠︺ 。g昇臼口吊︶胃魚威○口具竺5国○・ぐへ属画ぐ國口口ご凹閉閏国︶や、四 イ n L J

参照

関連したドキュメント

これらの先行研究はアイデアスケッチを実施 する際の思考について着目しており,アイデア

この項目の内容と「4環境の把 握」、「6コミュニケーション」等 の区分に示されている項目の

②立正大学所蔵本のうち、現状で未比定のパーリ語(?)文献については先述の『請来資料目録』に 掲載されているが

( 同様に、行為者には、一つの生命侵害の認識しか認められないため、一つの故意犯しか認められないことになると思われる。

出来形の測定が,必要な測 定項目について所定の測 定基準に基づき行われて おり,測定値が規格値を満 足し,そのばらつきが規格 値の概ね

あれば、その逸脱に対しては N400 が惹起され、 ELAN や P600 は惹起しないと 考えられる。もし、シカの認可処理に統語的処理と意味的処理の両方が関わっ

賠償請求が認められている︒ 強姦罪の改正をめぐる状況について顕著な変化はない︒

概念と価値が芸術を作る過程を通して 改められ、修正され、あるいは再確認