教育課程の研究と社会科学(1) : 戦前における「教育課程」用語の成立と教育活動の領域観
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(2) . 教育課程の研究と社会科学( 1 ) --戦前における 「教育課程」 用語の成立と. 教育活動の領域観--. 遠. 藤. 芳. 信. くは じめ に ~ 本 研 究 の 目 的〉. 本研究は, 教育課程の研究を教育学にとどまらず社会科学の諸分野から行うものである. また, そのことによ って, 教育課程 (教育方法も含んで) の諸研究にあらわれた社会科学概念をあわせ て 検討することも目的としている. 工. 「教育課程」 用語と教育活動の領域をめ ぐる問題. 戦後, 「教育課程」という用語は, 学校における教育活動の計画を意味するものとして使用されて 1 } その際 学校における教育活動は事実上は教科と教科外の二つの活動とその指導として営ま きた( , . れているにもかかわらず, 法制上の教育活動の計画は事実上の教育活動を基盤にしては必ずしも作 成されてこなかっ た. たとえば,1 958年文部省告示学習指導要領以降,「道徳」が特設されてきたが, この 「道徳」 は事実上は 「教科」 や 「授業」 の指導として営まれてきた. すなわち, 1958年学習指 導要領以降の 「道徳」 は, 「学習指導要領」 という文部行政上の文書 では 「教科」 や 「教科外」 から. 分離さ れて 「教科」 と 「教科外」 の中間領域のように設定さ れているが, 学校の日々の教育活動で は 「教科」 や 「授業」 として実施されている.. ところで, 戦前の学校教育の諸法令においては,「教育課程」の用語は登場しなかっ た. そこでは, 教科の教育活動の計画を意味する用語としては 「教則」 や 「教授要目」 が使用されていた. その他 に, 「教科課程」 や 「学科課程」 の用語が使用されていた. 教科外の活動は事実上は存在していたが (行事, 儀式, 集会活動, など) , 中高等教育機関の「クラブ活動」を除いて, 初等教育 では教科外 の活動は相対的に学校管理者の専権的な企画の枠内で (すなわち, 教師の教授権の延長的類推的な. 活動として) 位置づけられていた。 教科外の活動が, 児童・生徒集団の共同の生活の向上を目的と する自覚的な教育活動として計画されるに至っ たのは, 1 91 0年代以降の 「大正自由教育」 や 「生活 教育」 の運動においてであった。 しかし, 中等教育を中心にして, 以上の教科外の活動は, その活 動領域に見合っ たところの独自の論理と教育方法論 (すなわち, 教科の指導や, 授業.学習に対置 されるべきもの) を確立しえぬまま, あるいは教科と教科外の活動領域にまたがる教育方法概念に 包摂されて,1930年代以降法制化されていっ た.1 930年代以降, 教科外の活動が中等教育を中心に 法制化されていっ たことの教育方法論上の歴史的意義は次のように考えることができる. 27.
(3) . 遠 藤. 芳 信. 日本の公教育の近代化の際に, その初等教育が物的条件・施設を整備させるに至っ た1890年代以 降, 授業の流行として導入普及させられたのはヘルバ ルト派の教育学であっ た. ヘルバ ルト派の教 2 )」 (湯原元一)とか「教育目的論が道徳的人格 育学は, 「教育の最後目的は道徳的品性を作るにある( 3 )」 (吉田熊次)とされているように 五段教授法を基本にしたその授業 の陶冶を標-梼した点0 こある( , のスタイ ルが道徳的教育の格好の手段・方法となっていっ た. しかし, 授業の手段・方法をもって. おこなう道徳的教育を流行せしめたヘルバ ルト派の教育学は, あくまで初等教育の段階においてこ そ導入.普及したものであっ て, 「中等教育に関しては未だヘルバ ルトの影響を見るに 至らなかっ 4 )」 (吉田熊次)とされている それでは 中等教育における教育方法とはいかなるもの であっ た た( , . か, 特に どのようにして道徳的教育がおこなわれたのであろうか. 中等教育 では, 訓育という観点 から道徳的教育がおこなわれようと していた. そして, その訓育とは, たとえば,「訓育上の自由主 義は教育の最終階級に於いて, 即ち大人に於いて十分に採用せらる べきもの であって, 下級の学校 教育に於いて之を採用すべきではない (中略) 高等学校は中学校に比すれば一段高き教育 であり,. 中学校は小学校に比すれば一段高き教育といふことが出来るのであるから, その訓育中には, 上級 学校に進むに従っ て次第に自由主義的要素を多く加味すべきであるが, 規範意識の培養を怠ること 5 )」 (吉田熊次)とされてい は執れの学校教育に あっ ても訓育の任務に背く ものと言は ざるを得ない(. るように, 初等教育よりも相対的に自由を濃く しつつ 「規範意識の培養」 を行うことが許容されて 6 )」 いた. また, 訓育は,「真に適切なる訓育を行ふ機会は,(教室内よりも)寧ろ教室外の生活にあり( とされているように, 教室外の生活を通して, 自由の濃度を濃く して, 道徳的教育に重要な規範意 30年代以降の中等教育の教科外の活動 識の形成を行うことが許容されていた. そして, まさに, 19 の法制化とは, 自由の濃度を相対的に濃く していくことが許容されていた教室外の訓育を文部省が 法制的に 「公認」「推奨」 することによ っ て, その統制・監視・干渉を強化したことを意味している. その結果, 中等教育段階でも, 教科外の活動は, 初等教育の場合と近似しているように, 学校管理 者の専権的な企画の枠内で (すなわち, 教師の教授権限の延長や類推的な活動として) 遂行されて いく こ と に な っ た の であ る.. ところで, 教科外の活動が学校の教育活動の計画に重要な位置づけをもって法制的にも公認され ていっ た時, その法制化の頂点になって, 教科と教科外の教育活動の領域を包括する教育方法の用 94 3年中学 3年中等学校令の 「錬成」 であり, 1 語として登場したものが, 1941年国民学校令や194. 校規定の 「修練」 であ った. そこでは, たとえば, 「錬成」 に関しては 「独り教科ノミナラ ズ教科課 19 41 程外ノ儀式行事等モ併セ 一体トシ, 学校生活ヲ挙ゲテ国民錬成ノ実ヲ収メンコトラ期シタリ」(. 年3月文部省訓令第9号, 国民学校の説明)と強調されている. 本稿 では中等教育における「錬成」 . と 「修練」 を行論において検討するが, まず, この 「錬成」 とは何 であろうか. 学校教育において 「錬成」 という用語が使用されたことに関して, 海後宗臣は当時の軍隊教育令 ( 1940年8月軍令陸第22号として公布されたもの)における「軍隊教育ノ目的ノ、将兵ヲ訓練シテ百 戦必勝克ク宏猷ヲ扶翼スベキ軍隊ヲ練成スルニ在り」 (綱領第1,・・は遠藤) という文言を引用し. つつ, その 「錬成」 の用語が軍隊教育令の 「練成」 という用語に源流を発していることを推測して いる. そして, さらに海後は,「私はここに軍隊教育の方式全般が国民教育に於ける錬成や修練の構 造を決定する際の媒介としてその役割を果たしつつあるということに注目する. 既ち軍隊教育に於 ) (ママ. ける錬成の構造が, 用語の源流として見られる外的関係 以上に出で, 進ん で教育の実体に関して媒 介たるの地位を占めてゐるのである. 果たして教育方式の媒介となったか否かはこの語を採択した. 人々 及びその提唱に賛意を表した人々の考への中に存することで, 唯然るべしと推断するにとどま. る. 併し我々は軍隊教育の実体がこの錬成或は修練の語の普及した背後に存してゐて, 言はず語ら 28.
(4) . 1 ) 教育課程の研究と社会科学(. ずの間にこの語に惑る種の実内容を持たせこれを共通な基盤として理解し合っ たことを意味深いも のだと 思ふ. それは軍隊に於いて採られてゐる教育方式にあって基本となってゐる構造或は修練の. 語をもっ て示されてゐる国民教育方式の構造とがその根本に於いて同じ系統に属することを意味す るからである (中略) 併し実際にはこの共通は教育方式の地盤の発見が既に成立してゐて, それか ) ( ママ. ら後に用語上の連関がつくられたものと考ふべきであらう. 軍隊教育令の中より錬成といふ語を採 り出して参考にする以前に軍隊教育令に眼を向けさせた教育 思想が存してゐたと見るべき である.. かくの如く両者の連関を推定するならば軍隊教育の用語が国民教育改革の際に借用されて慣用され. るに 至っ たことも, 決して偶然に誰かが気付いたとか外面的に結びついたとかいふ末梢のことでは. なく, 実は切り離し得ない内面的な連繋が厳然として成立してゐたことによると断定すべき であ ( 7 )」と 軍隊教育と国民教育 (学校教育)との間に それらの「練成」「錬成」用語の採用以前に る。 , , , 内面的連関が成立していたことに注目するのであっ た。 軍隊教育令において「練成」の用語が使用されたのは,191 3年2月軍令陸第1号軍隊教育令であっ た。 191 3年軍隊教育令は, 主として必任義務徴兵による 一般兵員を対象とする 「一般教育」 の目的 を 「一般教育ノ目的ノ・必任義務ノ徴兵ヲ本位トシ併セテ各級幹部ヲ訓練シ以テ精鋭ニシテ且堅実ナ ル軍隊ヲ練成スルニ在り凡ソ軍人ノ・現役ヲ終りタル後ト錐依然国家防護ノ責務ヲ担フヘキハ言ヲ僕 タス故ニ教育者ノ・下士以下ラシテ其在営当時ニ於テ受ケタル教化特ニ無形上収得セル良資質ヲ全服. 役間必ス持続セシムルノ覚悟ヲ以テ教育ニ任セサノレ\カラス」 (第二篇第十五)と規定している。 こ. こでの「練成」という用語は, 当時, 「完全ニ出来上カラシムル希望ノ下ニ教習スルモノニシテ結果 8 }」と解釈されていた したがって ニ重キラ置クモノナリ訓練ノ・練成ノ途中ニシテ手段方法ニ属ス{ , . 上記1 91 3年軍隊教育令の第二篇第十五に規定された「練成」には, 文脈上は, 完全に教育すること. 「全服役間」 ) 持続されていくことを要求しつつ実施 によっ て, その教育上の効果が一定の長期間 (. する決意があらわれているものと考えられる。 以上のように1940年代の学校教育における教育活動の教科と教科外の 二領域にまたがる 包括的 な教育方法概念としての 「錬成」 を考察する時には, 軍隊教育における 「練成」 と, そこでの教育 活動の計画化の問題を検討せ ざるをえなくなる. そして, 本稿 では, 戦前における 「教育課程」 用. 語の成立と教育活動の領域観を考察するに際して, 軍隊における教育活動の計画化として登場して きた 「教育課程」 の用語や概念にも注目しつつ, 学校教育・軍隊教育の 「教育課程」 の用語にふく. まれた教育活動の領域観 (教育活動をどのような観点から領域化・区分 し, その領域に固有な教育 方法を成立させようとしたか) を検討するものである。. 1 1 学校教育における 「教育課程」 用語の成立と概念 戦前の学校教育においては, 「カリキュ ラム」 を, ①教育活動の計画段階と, ②「教科課程」の生 活化, との観点から把握しようとした時に, 「教育課程」の用語が成立している まず, ①から検討 してみよう。 1 ) 「カリキュラム」 と 「教育課程」 の訳語 ( カ リキュラム 9 ) が日本に紹介された時 尺振八は C““た〆”粥 を 1 88 0年代にハーバー ド・スペンサーの教育論( , 尺 1 0 ) 「教育課程」 と邦訳している( 。 スペンサーにおける 「カリキュ ラム」 は④教育の目的 (完全な生活への準備) , @知 識 (科学) の. 育 諸能力の訓練 領域化と序列化, 6知 識習得上の価値 (知識の内容自体の有用性, 精神・諸. 練習に対 29.
(5) . 遠. 藤. 芳 信. する有用性) , を考慮しつつ構成されたところの知識(科学)の学習の順次的な計画 である. そして, スペンサーは, 以上の「カリキュ ラム」の他に, 学校の教育活動の計画の段階を示す用語としては, l およそ, ④具体的な個々の学科目の配列としての Schoo ‐ cour s e s , ◎系統的・順次的な教授学習過 iona lcou 程 と して の Educat r s e , ⑭被教育者内部における文化獲得や精神・認識の発達の過程とし ture て の Courseofcul , の 三 つ の用 語 を 用 い て い た. した が っ て, 尺 振 八 が C““た〆”伽 に 「教育. 課程」 の訳語を与えたのも, それが教育活動の計画の段階の最上位的な位置にあるものとして把握 していたからであると考えられる.. ところ で, 尺振八がスペンサーの 「カリキュ ラム」 に 「教育課程」 の訳語を付与したことは, お そらく, 「カリキュ ラム」の邦訳としては最初の試みであっ たものと考えられる. ただし, 尺振八に よる C好打c〆”粥 の訳語の中には「課程」「学科」「教育課目」の訳語もみられ, 必ずしも「教育課程」 の訳語としては統一されていない. また, 後続の邦訳書も C“γ“粥勿粥 に 「次序」とか「課程」の訳 1 1 ) 語を与え, 「教育課程」 の訳語・用語はほとんどみられない( . 2 ( ) 「教科課程」 の生活化と 「教育課程」 「カリキュ ラム」 が 「教育課程」 の用語によって注目されたのは, 「教科課程」 の生活化が主張さ れ た 時 の 1930 年 代 であ っ た.. 1933年8月に, 徳島県師範学校付属小学校主事山ロ達郎によっ て 曙リ 亘 ラヌ教育課程の新構成』 が刊行された. 同書は, 同小学校の教育活動の経験をふまえ, 山口達郎が他の職員訓導の援助を得 て執筆したものである. 山口が 「教育課程」 の用語を使用 したのは, ④カリキュ ラム・教科・教科課程の改造のためには. 教育一般の課程の改造が必要 であり, ◎そのためには各教科の 「生活化」 を徹底しなければならな 1 2 ) そして 山口は「教育の実際的営為は現下教科課程の生活化を いと把握していたからであっ た( , . 如何に深奥を極むとも尚且つ残されたろ生活姿態あるを認めらるるのである. 即ち文化事象の全体. 的把握は, 各教科の生活化を如何に掘り下げたるものを以てしても不可能なる部面のあまりに多い ことに逢着する. 要するに現下の教科課程のみが教育の領域にあらずして義に吾々は新教科課程を 1 3 )」 と 現行教科課程の外に 「新教科課程」 を設定するのであった この 「新教科課程」 は 構成し( , . , 1 4 ) その際 「新教科課 「郷土教育課程」「精神教育課程」「芸術教育課程」の三方面から構成される( , . 程」 は 「総合力リクュラム」 となり, 従来の現行教科課程は 「分科カリクュラム」 となり, 双方合 1 5 )とされている わせて 「本校教育課程の大系に参画する」( . 1 6 ) かく して, 山口によれば, 「教育課程」 と教科課程との関係は次のように表示される( . スクールカリクユラム. 分科カリクュ ラム=現行教科課程 (学科教科課程) 総合力リクュラム=新教科課程. エキストラカリクユラム. (課外教科課程). つまり, 山口によれば, 「教育課程」 の用語は, 教科・教科課程の生活化に視 点を 置 い た と き の, 学校の全教育活動の計画という意義をもっ ていたのである. そこ では, なによりも, 教科・教科課 程外の児童の生活の課程的構成が注目されている. また, その児童の生活の具体的内容としては, 1 7 ) しかし 以上の児童 遊戯生活・衣食住・家庭・郷土・能力・身体・社交 等が掲げられていった( , .. の生活が 「新教科課程」 としての 「郷土教育課程」「精神教育課程」 「芸術教育課程」 に課程構成さ. れる際には, その生活の主として道徳的・精神的側面が注目されたことが重要な特質となっている. この点を若干指摘してみると, 「郷土教育課程」 の中の 「生活科」 では 「美しき謙譲と, 奉仕」 の態 30.
(6) . ) 1 教育課程の研究と社会科学(. 1 8 ) 度の養成を重視し, 「精神教育課程」では「我国昭和文化の日本精神」の「滴養」が重視されている( . たとえば, 学校での 「午食」 は 「精神教育課程」 においては 「宗教教育」 と 「集団教育」 の 「生活 1 9 ) これによれば 「午食」の具体的な指導 単元」となり, 次表のように課程構成されるのであった( , . は, 「宗教教育」 と 「集団教育」 の双方においても 「礼儀作法の訓練」 とか 「感謝」「謙譲」 の道徳 性の養成と結合して行われる点が重要な特色となっ ている。 〈精神教育課程における午食の生活単元〉 宗教教育 (機会教育) 生 活 単 元 陶 冶 価 値 生 活 姿 態. 午. 集団教育 (機会教育) 食. 天地神明に対し感謝 社会に対する感謝 両親に対する感謝の念を養う 食物に対する感謝的意義は殆どない 唯 「食ふ」 の観念のみで食に対する 関心のみ. 生 活 食事食後合掌、 感謝、 展開 眼目感謝 講話会 生活 食事前身体を清調ならしむ 連 礼儀作法の訓練 関 午食後の整理に一般の努力. 生 活 単 元 陶冶 価 値. 午. 食. 親和的協調的精神を滴養す. 生活姿 家族的観念に乏し 態 生 活 礼儀作法の訓練 展開 食物に対する感謝の徳を養 、 生活連関 清潔の習慣を養成す 謙譲の徳を養成す. 以上のように, 山口が示したところの児童の生活を課程構成した 「教育課程」 の中の 「新教科課 程」 においては, 学校・学級における児童集団の共同の生活の向上という観点が希薄であることは いうま でもない. そして, また, 「新教科課程」 に課程構成される児童の生活は, 暦(こよみ)の上の 2 0 ) ス ケ ジ ュ ー ル 表 の 生 活 に な っ て い っ た の で あ る( .. なお, 以上のように, 児童の教科外の生活や諸活動の指導を教育活動の領域として計画する際に 使用された 「教育課程」 の用語としては, 広島高等師範学校教授守内喜一郎著 『教科経営学概論』 ( 1 936年) 中の 「第九章 教科外の教育課程」 がある. 守内が 「教科外の教育課程」 と称している 1 2 ) 924年4月から1931年3月にかけて守内が実施し ものは, 「準課制度( 」のことである. それは, 1 2 2 ) (自由研究・講話・運動) であっ た こ たところの, 奈良県女子師範学校在職中の 「課外指導」( 。 2 3 ( )実施された の「課外指導」は, 「自発的学修を鼓舞奨励 し, 自主的学習態度を助長せんがために」 。 そして, そこで養成された 「自主的精神自発的態度」 を 「他の全科の学習更に広く全学校生活にま 2 4 ( )とされていくのであった で拡充せん事を期する」 . 以上, 検討したように, 193 0年代に使用された山口達郎や守内喜一郎の 「教育課程」 の用語は, 教科外の生活や諸活動を学校の教育活動の計画の中に構成しようとして成立したものである。 ( 3 ) 教科外活動の法制化と 「修練」. 以上のように,1930年代に, 「教育課程」の用語を用いて教科外の活動や生活を教育活動の計画の 中に構成する動きが出てきたが, これは, 文部省の教科外の活動の法制化の動きとは無関係 ではな 31.
(7) . 遠. 藤. 芳 信. いと考えられる. たとえば, 1931年1月文部省令第2号中学校令施行規則改正においては「毎週二 時以内ヲ課程外ノ指導ニ充ツルコトラ得」 と規定し, 毎週2時間以内を教科外の指導の時間として. 使用 できることを認めた. しかし, この 「課程外ノ指導」 は, 実際, 上級学校の受験学習や補習授 業の時間として使用されたことが多かっ た.. ところで, その後, 本稿の冒頭でも指摘したように, 194 0年代に入って, 法制的にも教科外の活 動は 「錬成」 という教育方法に包括されていっ た. そして, その 「錬成」 は, 中高等教育段階では. さらに 「修練」 という下位的な教育方法を生んだ. その際 「修練」 はたとえば, 0 「高等学校ニ於ケル授業ノ・教授及修練トス」 ( 1943年3月高等学校規定第2条). 0 「教科外ニ於ケル行事施設ヲ組織化シ之ヲ修練ト名 ヅケ教科ト共ニ必修セシメ学校内外ノ生活 ヲ挙ゲテ皇国民錬成ノー途ニ帰セシメンコトラ期シタリ」 ( 1943年3月 文部省訓令第1号新中. 等学校制度制定の要旨) o 「修練ハネテ的修練ヲ中心トシテ教育ヲ実践的総合的ニ発展セシメ,教科ト併セ一体トシテ尽忠報. 国ノ精神ヲ発揚シ献身奉公ノ実践力ヲ滴養スルラ以テ要旨トス」 ( 19 43年3月中学校規程第9 条). とされているように, 「教授」や「教科」と対置的に設定されているように 思われる. しかし, 「修 練」 は, 「教授」 や 「教科」 の指導と絶対的に対置するもの では なかっ た. 上記1 943年高等学校規 程にも明記されているように, 「修練」 は 「授業」 の中に位置づけられている. この高等学校規定の. 「授業」 とは, 同規定中に下位的な教育方概念としての 「教授」 も包括しているから, 学科課程. 教科課程にもとづく 「教授」=授業 (すなわち狭義の授業) よりもその概念は広いものと解釈するこ. とが適切 である. すなわち, 高等学校規定中の 「授業」 とは, 学科課程や授業時数を基盤とする④ 教育方法, ◎教員配置, ⑭被教育者に対する教師の教授権限関係, などにつらぬく論理が, 当該学. 校の全教育活動に関わる④教育方法, ◎教員配置, ⑭被教育者に対する教師の教育権限関係などの 論理にま で類推的に拡大された結果の産物であると指摘することができる. そして, 以上のように 「教授」=授業が拡大さ れたところの 「授業」 に包括されたのが, 「修練」 としての教科外の必修の. 活動の課程であると指摘することが できる. したがっ て, 「修練」は, その教育活動の具体的なあら われ方としては (教科外のとりくみの諸対象) , 学科課程や授業時数にもとづく 「教授」 と対置して. いるが, その教育方法の内実は, 「教授」=授業 (狭義) の論理と絶対的に対立するものではないと 指摘することが適切 であると考えられる.. なお, 以上のような中学校規定・高等学校規定に登場した 「修練」 と 「教授」 の教育活動の計画 化に際して, 細谷俊夫は 「教育課程」 という用語をあてて考察している ( 「教科課程と修練課程とを 2 5 ( ) 含めたものが各学校に於ける教育課程を構成することになっ た」 ) . それは, 「修練」 の具体的な. とりくみの活動対象に対して 「教科課程」 の用語をあてはめて考察することは困難であると推測し た結果であろう.. 1 1 1 軍隊教育における 「教育課程」 用語の成立と概念 2 6 ) その際 軍隊 法令上と公文書において 「教育課程」 の用語を使用していたのは軍隊であっ た( , . では 「教育課程」 の用語の使用に対しては, ① ドイツ軍の軍隊教育の訳語として注目し, ②教育活 動を二つに領域化するとともに, その領域や対象に見合った指導方法の特質を区分することに注目 32.
(8) . 教育課程の研究と社会科学( 1 ). し, ③特定期間における基本的能力の形成を目的とした教育活動の計画に注目し, ④教育活動にお けるとりくみ対象の総体性・全体性に注目していたこと (次節参照) を指摘することができる.. まず, ①から検討してみよう. 1 ( ) ドイツ軍の紹介と 「教育課程」 の訳語 . 陸軍では, 1880年にコールパール (ロシア参謀官大佐) 著 蘭虫逸軍報告書』 (松本惟延訳) が邦訳. され, 軍隊教育における 「学術科目」 の計画が 「教育課程」 として訳出された. すなわち. 「連隊長ノ定メタル毎期ノ程度ニ至ラシムル為メニ用ユル教育ノ方法其時日ノ部署及ヒ教育ノ. 順次ニ関シテハ中隊長ノ責任トス(中略)中隊長ノ・過半教育課程ラー週毎ニ分チ毎週ニ学術科目ヲ 2 7 ) ( 作り之レラ教官タル士官ニ致シ其細事ニ関シテハ士官ノ独断ニ付ス」 とされている。 ここでの 「教育課程」 は, 一定期間に設定された教育活動の目標に到達するため に, 「学術科目」 を教育の方法・時間配当o順次を考慮して計画化したものである. そして, 「学術 科目」とは, ④「学科」 (講義的方法にもとづいたところの知識の説明による教育の科目)と, ◎「術 科」 (実習的な方法による演習教練の教育の科目) , から構成されていた.. ところで, 以上のように松本惟延によっ て訳出された「教育課程」の原語に相当するものは, race course としての意義をもつ 「カリキュラム」 に近いものであっ たように推測される そして 「学 , . 術科目」の計画としての「教育課程」とは「教育ノ方法其時日ノ部署及ヒ教育ノ順次」 (傍点は遠藤) を考慮して作成さ れているように, 陸軍の1 887年11月陸達第1 38号軍隊教育順次教令とその 「歩 2 8 )などに相当するような学術科目の順次的計画に該当するものであっ た 兵一箇年間教育順次概表」( ように考えられる. しかし, 陸軍では, 以上のように, 軍隊教育順次教令や軍隊教育令 ( 1913年) との関係において は 「教育課程」 の用語1 930年代までには使用されなかっ た。 軍隊教育令において 「教育課程」 が登. 場したのは, 一般兵員を対象にした在営全期間にわたる軍隊教育の計画化ではなく, 在学中の特定 期間において下 士兵卒 の段階ま での基本的能力を形成しようとした教育活動の計画化の場合であっ た。 この点については, 本稿 では後に検討する. 2 ( ) 教育活動の二領域の修学課程の計画としての 「教育課程」 陸軍将校の養成機関である士官学校とその予備校の幼年学校においては, 教育活動の二領域( 「教 授」 と 「訓育」 )の全体的な修学課程の計画を意味するものとして, 「教育課程」 の用語が法令上に登. 場した. 「教授」 と 「訓育」 軍隊教育において, 教育活動を教育方法の区分 ( )にもとづいて二領域に自覚的. に区分するのは, 軍隊の支配者・統治者としての将校の養成o補充機関においてだけである. 軍隊 での被支配者である一般兵員を対象とした軍隊教育においては, 以上のような自覚的な教育活動の 区分はほとんどみられない。 それゆえ, こうした教育活動の二領域の修学課程の計画を意味するも のとして成立した 「教育課程」 の用語は注目される。. まず, 陸軍士官学校・陸軍幼年学校において教育活動の計画としての 「教育課程」 の用語が使用 されるに至ったのは, 1 894年からであっ た。 陸軍士官学校編 『陸軍士官学校一覧』 ( 1904年) に収 録された 「陸軍士官学校沿革誌」 の中の1 894年の項をみると, 同年1月 24 日に 「教則ヲ廃シ教育 2 9 〉と さ れ て い る さ ら に 同 年 7月 1 7 日には 「第五期士官候補生ニ教育課程卒業ノ 課 程 ヲ 定 ム」( , 。. 3 0 )とされている ここで この陸軍士官学校の 「教育課程」 に 証書ヲ授与シ退校帰隊セシメタリ」( , 。 関する史資料は手許にないの で, 同時期の陸軍幼年学校の 「教育課程」 を検討してみよう。 1 3 )は 「教授部」 と 「訓育部」 から構成されて 1894 年 2 月 8 日規定の 「陸軍幼年学校教育課程」( , いる. 「教授部」は「教授ノ・生徒ラシテ概ネ尋常中学ト同一ナル学科ヲ学ハシメ学理ト応用ト相並行 33.
(9) . 遠. 藤. 芳 信. セシメ 適例ヲ示シ学理上講究スル所ラシテ実際ニ応用シ得ルノ能力ヲ発達セシム ルラ以テ目的ト ス」 とされている. そして, その 「教授部」 の科目としては, 倫理・国漢文・外国語・歴史・輿地・ 数学・博物・図画が設定される. さらに, 以上の科目は, 年別・課程及回数・科目として 「教授部 学科課程及回数表」 にまとめられている. 次に, 「訓育部」 は 「訓育ノ・生徒ラシテ軍紀ニ慣習セシメ. 専ラ精神ヲ鍛練シ将校タルノ志操ト器量トラ具備スルノ基ヲ養成シ概ネ上等兵タルヘキ学術科ヲ修 887年 軍隊教育順次教令 得セシムルラ以テ目的トス」とされている. そ して, 上記に述べたような1. の 「歩兵一箇年間教育順次概表」 に相当する学術科目が 「術科」 と 「学科」 に配分さ れ (かつ, 各 学年を前期と後期に 区分し) 「訓育部学術課程表」 としてまとめている. すなわち, この 「訓育部」 は, 陸軍幼年学校が将校養成の予備教育として, その特殊・固有な教育活動と しての軍隊教育を実 施するために設定されたもの である. 次に, 「教育課程」 の用語とともに使用された 「教授」 と 「訓育」 の用語の関係をさらに検討して みよう. ① 「教育課程」 の用語と 「教授」「訓育」<その1> 1 896年5月勅令第211号陸軍士官学校条例改正は, 同校における士官候補生の教育の領域とその. 修学終了の概略を次のように規定している. 第十五条 生徒ノ教育ノ・之ヲ分テ教授及訓育トシ其課程ハ校長案ヲ具シ監軍ノ認可ヲ得テ之ヲ定 ム. ・修学期末ニ於テ生徒ノ卒業試験ヲ施行シ各教官生徒隊長及中隊長ヲ集メ会議 第二十一条 校長ノ ヲ開キ修学ノ 成績ヲ調査シ列序ヲ定メ考科表ヲ製シ監軍ニ進達シ其認可ヲ得テ教育課程卒業ノ証 2 3 ) 書 ヲ 付 与 ス(. ここ で, 教育活動の領域を 「教授」 「訓育」 に 二分する教育観は, ドイツを模倣した1887年か ら. 887年6月陸軍省令第12号陸軍士官 の士官候補生制度の発足からあらわれていた. すなわち, ④1 学校条例 では 「本校生徒ノ教成ノ・之ヲ分テ教授及教育トス」 とされ, ◎1889年6月勅令第81号陸 軍士官学校条例 では 「本校生徒ノ教育ノ・之ヲ分 テ教授及訓育トシ」 とされている. いずれも, 学校 教育に先行して, 「教授」 に対置されたかたちで 「教育」「訓育」 の用語が法令上に規定されている 補注 { )そして 以上の 「教授」 と 「教育」 の区分は次のようになる すなわ ことが特色となっている. , . ち, 「教授」 の科目は, 知識・学識の教育 である. また, 「訓育」 の科目は, 実習的方法による技術・. 行動の教育訓練である. 以上の「教授」と「教育」「訓育」の科目の具体的内容をさらに示すならば, 3 3 )によれば次のように なる すなわち ④教授科目としては 「戦術学」 1889年陸軍士官学校教育綱領( , , .. 「軍制学」「兵器学」「築城学」「地形学」「地理図学」「外国語学」「軍用文章及軍人衛生学馬学ノ大. 意」 , があり, ◎訓育科目としては, 「練兵」 「射撃距離測量」「体操剣術」「馬術」「諸勤務ノ訓誠」 があ っ た.. ただし, ここで注意すべ きことがある. 陸軍士官学校の教育の領域で「訓育」と称されるものは, 以上のように時間配当された科目のみにあるのではなかっ た. すなわち, 陸軍士官学校に在学する 士官候補生は, なによりもまず, その在学生活自体が 「教授」 と 「訓育」 の二つの教育方法の観 点. から組織されていたのである. つまり, 士官候補生はその教育活動におけるとりくみの対象・内容 に応じて二つの集団に編成さ れていたのである. 「教授」 のためには 「学班」 とか 「教授班」 と称さ れる集団に編成さ れ, 「訓育」のためには「生徒 中隊」に編成されていたのである. この集団の中で, 「生徒中隊」 であっ た. したがっ て, 士官候補生の「訓 在学生活上の基礎的な集団は 「訓育」 のため・ 育」 とは, 上記の 「訓育」 の科目のみにあるのではなく, 「生徒中隊」 における諸活動にも貫徹させ 34.
(10) . 教育課程の研究と社会科学( ) 1. られていたということが できる(たとえば, 「生徒隊長ノ・生徒隊一般ノ事ヲ管理シ生徒訓育ノ責ニ任. ス」1896年陸軍士官学校条例第1 0条など) 。 なお, 時間配当される 「訓育」 の科目は全体的には教授的方法に包まれた教育活動の性格をもっ. ているものと考えられる. しかし, 教授的方法に包まれた「訓育」の教育活動の延長線上には, 「自 3 4 )と称されたような将校 団の 「自治」 の世界 (人格の尊重 治経理」「団隊自治ノ元素タル将校団」( , 品位の向上) が存在していたから, 生徒たちにとっては, 将校として養成される総過程の中で人格 3 5 ) の自立や自己教育が基本的に は深化されていく構造になるという特色をも っていたのである ( 。 <補注〉 わが国では, 小学校の教育法令上に教育方法概念 (教授, 訓育など) を伝統的には明 記しなかっ た. 戦前, 国民学校令前ま での約半世紀にわたっ て小学校教育の目的規定を維持して きた1890年小学校令第1条の「小学校ノ・児童身体ノ発達ニ留意シテ道徳教育及国民教育ノ基礎並 其生活ニ必須ナル知識ヲ授ク ルラ以テトス」 という文言は, その起草に従事していた江木千之に よれば, ドイ ツの ザクセン・マイニンゲン公国の国民学校法な どを分析検討して規定されたもの であ る と さ れ て い る。 と こ ろ で, ザ ク セ ン ・ マイ ニ ン ゲン 公 国 な どの ドイ ツ の 各 連 邦 国 の 小 学 校 エルツイーウング. ウンターリヒト. ユーヴング. 法は, 小学校の目的規定の条項に, 訓育 (Er i i ) と教授 (Un t t z ) と練習 (Ubung ehung r r e ch )を 明記していたことが多い. 1 890年小学校令の起草過程においても, 文部省内 で検討さ れたものと. 推測される江木千之の 「小学校令案」 には 「小学校ノ・児童身体ノ発育ヲ体顧シ, 教授練習及訓育 ニ由りテ 児童ニ付与スルニ特ニ徳義教育及国民教育ノ基靴井国民タ ル者ノ生活上ニ必須ナル普通 3 6 ) (第1 ノ知識技能ヲ以テスルラ本務トス」( 0条) と教授・練習・訓育が明記されていた. しかし, この江木の 「小学校令案」 全体は, 文部省内で 「散々にいぢられて, 甚だ不完全なる者にされて 3 7 )と さ れ て いる 了 っ た」( 。. 他方, 1890年小学校令公布後, 江木千之は学制研究会の席上 で「此ノ条( 1 89 0年 ・学校令第1 条-- 遠藤)ニ明記シテハアリ マセンが此事業即チ小学校ノ本旨ヲ実行スルニハ訓育ト教授ト練 3 8 )と 訓 育 o教 授・練 習 は 習 ト ノ 三 ツ ノ 者 ニ 依 ラナ ク テ ハ ナ ラ ヌ コ トハ 勿 論 ノ コ ト デア リ マ ス」( ,. 当然貫徹されなければならないと強調 した. しかし, 当時の学校教育 では訓育・教授・練習の方 法概念は明確ではなく, また, それらの教育方法が照応した教育活動の領域も明確ではなかっ た .. 当時の学校教育の教育活動の領域は主として教授と学校管理 であっ た. したがって, 江木が 「勿 論」 のことであると述べても、 当時の学校教育をめ ぐる教育方法意識や概念か らみれば, 正確に. 理解されるものにはならないものである. また, 訓育o教授o練習が189 0年小学校令に明記され なかっ たのも, それらの方法概念の独自性に対する共通理解が成立しなかっ たのか, あるいは , それぞれの方法の独立性を許さない 教育方法の一元化や融混合化の志向がはたらいていたのか, のいずれかによるものであろう.. 以上, 検討したように1894年以降陸軍士官学校や陸軍幼年学校において使用された 「教育課程」 の用語は, 教育活動の順次的計画の意味は薄く, 学校生活全体を通して修学すべき教育 の科目を「教. 授」 と 「訓育」 の教育方法的区分によって意味していたのである。 ⑪ 「教育課程」 の用語と 「教授」 同1 1育」〈その2>. ところで, その後, 1 89 8年10月勅令第226号陸軍士官学校条例においては「教育課程」の用語は 消えた. そして, 「生徒教育ノ実施ノ・教則ニ依ル」 とされ, 「教則」 が使用された. この 「教則」 は,. 教育実施のための要領・細則を規定したも のであった. しかし, 従来のように, 「教授」 と 「訓育」 の区分による教育活動の領域は踏襲さ れていっ た. すなわち, 「教則」 においては, 「教授」 と 「訓 育」 の科目が 「学期」「月」「旬」 にそって細かく配当されるのであっ た. 35.
(11) . 遠 藤. 芳. 信. 92 0年8月勅令第236号陸軍士官学校令制定以降, 陸軍士官学校 その後, 「教育課程」の用語は, 1 920年8月改正陸軍士官学 の教育活動の計画 をあらわすものとして使用されていっ た. すなわち, 1 3 9 ( ) ・回数の配当(表) 「 訓育部 の教育科目の時間 「 と 」 「 教授部 」 教則 」 において 校教育綱領の中の ,. として, 「教育課程表」 の用語が使用されていっ た. ただし, そこでは, 「教授部」 と 「訓育部」 の 教育科目は, 従来のように, 学期・月・旬にそっ た細かな配当になっていない. 「教授部」 と 「訓育 部」 の教育科目の実施回数が修学期間 (1年間10カ月) 内に配当されているだけである. このよう 4 0 ) な陸軍士官学校教育綱領中の 「教則」 における 「教育課程表」 はその後も踏襲されていっ た.( 以上のように, 1920年以降, 陸軍士官学校 で使用された「教育課程」の用語は, 「教授」と 脚-育」 の教育方法的区分が照応する教育活動の二領域に注目しつつ, 教育活動の上位的段階での計画を意 味するところの 「教育綱領」 (教育の目的・要綱を規定する) と 「教則」 (教育活動の実施要領を規. 定する) よりも下位的段階において, 「教授」 と 「訓育」 の教育科目の具体的な配当計画を意味する ようになっ たと考えられるの である. ( 3 )下士兵卒の特定期間の教育 活動の計画としての 「教育課程」 , およ び 「教育順次表」 から 「教育. 課程表」 の分離. 下士と兵卒の教育において 「教育課程」 の用語が使用されたのは, 在営期間においてその 基本的 な能力を養成することを目的とした教育 活動の計画化に際して であった. 8号陸軍各 まず, 陸軍各兵科の下士と上等兵の教育・養成体制を規定した1899年11月 陸達第12. 兵科下士上等兵教育教令には 「教育課程」 の用語が明記されている (第四章第四款) . そして, その 具体的な各兵科の「下士上等兵候補者教育課程表」が掲げられている. それによれば, 「学科」と「術. 科」 の教育科目の 「授業回数」 とその到達すべき程度とが修学期 (全三カ年を三期に分ける) 毎に 規定されている. 「授業回数」 は第一年度から第三年度を通して, 「学科」 が488回であり, 「術科」 が27 7回である. すなわち, 講義的方法による知識・学識の説明o解釈の教育が主要なものとなっ 899年陸軍各兵科下士上等兵教育教令が制定されたのは, それま で下士を専 ている. 以上のような1 門的に教育・養成していた教育 機関の陸軍教導団が廃止され, 下士はそれぞれの連隊において養成. される体制に移行したからであっ た. そして, それぞれの連隊では, 一般兵員の軍隊教育を軍隊教 育順次教令にそっ て実施しつつ, そのかたわら, 下士志願者・下 士候補者を養成しようとしていた. 8号陸軍各 03年12月陸達第11 のである. したがっ て,1899年陸軍各兵科下士上等兵教育教令や19. 兵科下士教育教令の 「教育課程(表)」 は軍隊教育順次教令におけるような全在営全期間を通した教 育活動の順次的・スケジュ ール的な計画ではなく, 特定期間内の教育活動の計画であると指摘する こ と が でき る.. 以上のように, 陸軍の下士養成・補充のための特定期間の教育 活動の計画として 「教育課程」 の 用語を使用する試みは, 外国の軍隊の下士の養成・補充の教育の紹介にもみられる. たとえば, イ タリアの陸軍下士の補充については,「下士ノ補充ノ・主トシテ軍曹候補者ニシテ其ノ教育 課程ヲ卒業 4 1 )とされてい シタ ル者ヲ以テス此課程ノ・毎年陸軍大臣ノ指定スル若干ノ部隊ニ於テ 之ヲ実施ス」( る.. ところで, 以上のように, 下士と兵卒を対象に して行われるところの, 在営期間内の特定期間に おいてその 基本的な能力を養成することを目的とした教育活動の計画を意味する 「教育課程 (表)」 0年軍隊教育令であっ た. を使用する傾向を強めたのは, 「練成」 という教育方法が強調された194. 「特業 1940年軍隊教育令は, それま で一般兵員を対象とする教育が 「一般教育」 と 「特業教育」 ( 教育ノ目的ノ・一般教育ノ外一部ノ下士, 兵卒ニ戦闘ノ為必要ナル特別技能ヲ修得セシメ精錬ナル特 913年軍隊教育令)とに区分されていたことを改めた. そして, 「一般教育」 業者ヲ養成スルニ在り」1 36.
(12) . 教育課程の研究と社会科学( 1 ). を 「幹部教育」 と 「兵教育」 の二つをもって構成した ( 「一般教育 ノ目的ノ・各級幹部及兵ヲ訓 練シ以 テ精鋭ナル軍隊ヲ 練成スルニ在り」1940年軍隊教育令第55 ) . さらに 「兵教育」 を, ④兵業の 区分 に従っ て 「本業教育」 と 「特業教育」 とに区分し, ◎教育の進度に応 じて 「基本教育」 と 「練成教 育」 とに区分した. 以上のような, 「兵教育」 における 「本業教育」 「特業教育」 および 「基本教育」 「練成教育」 の関係は下記のようになる . 〈 1940年軍隊教育令におけ る 「兵教育」 の概略〉 「本業教育ノ主トスル所ノ・兵トシテ必要ナル兵種本然ノ戦闘技能 ヲ ヲ修得セシ ムルニ在り」(第77). 杢. 幹 部 教 育. 教 育. 本業基本教育. 「現役兵ノ本業基本教育′・初年兵ニ対シ古年次兵ニ 1 闘掃幽 シ賦能 ノ 誹勤 ヲ凌 〒シ 才 皇 ライ ′しノ 時 台 げ 務 ロ打 . 与スルモノトス」(第8 0) 現役兵を対象とし、 概ね5ヶ月以内に終了する。. 」. 「教育課程表」 に もと づく。. 本業練成教育 0初. 丘. ・ 「年度末ニ於テ兵種本然ノ要求ニ応ジ得ルノ程度ニ達セシ. ムルラ標準トスベシ」(第81 ) 「既得ノ技能特ニ応用ノ能力ヲ錬磨シ確呼タル自信ヲ以テ. 0第二年兵. 困難タル状況ニ応ジ独断能ク機宜ニ適スル動作ヲ為シ得ル ニ至ラシムルラ要ス」(第82) 「益々技能ヲ向上シ兵ノ先達トシテ戦場ニ於テ卒先先頭ニ. 0第三年兵. 「教育順次表」 に も と づく。. 立チテ遣憾ナク戦闘及戦時ノ諸勤務ヲ遂行シ得ルニ至ラシ ムルラ要ス」(第8 3) iー ー・ ー. 「 教 育順 次 表」に. 特業教 育. 「特業教育ノ主トスル所ノ・戦闘ノ為必要ナル特別ノ技能ヲ修得セシメ精練 ナル特業者ヲ養成スルニ在り」(第91). 特業基本教育. もとづ く 。. 「特業基本教育ノ・特業修業者ニ対シ特業者タルニ必要 ナル基礎ノ伎桶ヲ修得セシメ概ネ特業者トシテ其ノ任 務ヲ達成スルニ支障ナカラシムルモノトス」 (第9 2 ) 通例、 本業基本教育終了後に開始して、 速かに完了す. 「教育課程表」. 「特業練成教育ノ・特業者ニ対シ必要ノ補綴ヲ加へ益々 得ノ技能ニ熟達セシムルモノトス」(第9 既得ノ技能ニ熟達セ 5 ). 「教育順次表 にもとづく。 に. に も と づく。. る. 特業練成教育. ※ 「本業教育」 と 「練成教育」 との関係 「現役兵ノ ・基本教育ニ依り軍人基本ノ性格技能ヲ付与シテ爾後ニ於ケル教育ノ基礎ヲ成形シ練成教 育ニ依り其ノ成果ヲ拡充シテ教育順次表ノ課目ニ従ヒ兵種本然ノ要求ニ応ズル技能ヲ養成スルモ ノトス」(第71 ). 以上の「兵教育」 の中の 「本業教育」「特業教育」 および「基本教育」「練成教育」と, 「教育順次. 表」「教育課程表」 との関係は次のように説明さ れている まず, 「従来ノ初年兵第一期ニ相当スル . 教育及特業修業者ノ教育ノ・之ヲ基本教育トシ之ガ課目, 要求程度, 期間等ノ・教育順次表ヨリ分離シ 4 2 )と指摘されているよう 別ニ教育課程表ヲ以テ示シ入営時期ノ如何ニ拘ラズ教育シ得ル如クス」( に, 「基本教育」 の計画表としての 「教育課程表」 を 「教育順次表」 より分離するのであっ た そし 。 て, 「教育順次表」に関しては「一般教育順次表ノ・初年兵ヲ基準トシテ規定スルノ趣旨ヲ改メ主トシ 37.
(13) . 遠. 藤. 芳 信. 4 3 )とされているように テ幹部及兵(基本教育ヲ終りタル者)ヲ合シタルモノラ対象トシテ規定ス」( ,. 「基本教育」 終了者) を対象とした軍隊教育全般 (練成の段階まで教育する) の教育計 幹部と兵員 (. 画であることを鮮明にするの であっ た. 以上のように, 「教育順次表」から分離された「教育課程表」 は在営期間内の特定期間において, 練成段階に到達する以前の基本的な教育を実施する際の教育計 画を意味することに なったのである. そのことによっ て, 戦時に際しても, その軍隊編入時期の如 何にかかわらず, 兵員に対する基本的な教育を実施することができるようにしたのであっ た. ,. I V 学校教育と軍隊教育との相互関係における 「教育課程」 の用語の成立と概念 次に, 学校教育と軍隊教育との相互関係において使用された 「教育課程」 の用語を検討してみよ ( 1 )学科内容の水準と 「教育課程」 1 896年7月 29 日付の監軍大山巌発陸軍大臣宛の文書には, 1886年中学校令にもとづいて規定さ れた同年6月文部省令第14号の 「尋常中学校ノ学科 及其程度」 を観察し, その水準を考慮して 「教 育課程」の用語が同省令にあてられていた. すなわち, 「現行中学校ノ教育課程ノ・普通教育ノ最高程. 度ニシテ則チ我国民中等以上ノ教育 トス(中略)尋常中学校ノ教育課程ノ、明治十九年勅令第十五号中 4 4 )と 学科内容の水準( 「普通教育ノ最高程 学校令ニ基キ同年始メテ文部大臣ノ 定メタル者ニシテ」( ,. 度」 ) が評価されて 「教育課程」 の用語が使用されている. しかし, このような 「教育課程」 の用語 の使用例は, その後, ほとんどみられないと思われる.. ( 2 )学校教練や軍事予備教育における教育活動の計画としての 「教育課程」 次に, 軍事予備教育における教育活動の計画として 「教育課程」 の用語が使用されていっ た. そ 4年12月) である. その第五篇の 「労農露国 192 れは, 陸軍省編 『欧米諸国軍事予備教育の状況』 ( 4 5 ( ) 0歳ま での青年の軍事予備教育が に於ける軍事予備教育」 の中では, ソビエト連邦の16歳から2 紹介されている. そして, その教育活動の 内容は 「教育課程」 の用語によってまとめられている. それによれば, 「教育課程」の用語によ ってまとめられている軍事予備 教育の教育科目の内容は, ④. 政治教育, ◎体育, ⑭軍事教育 (軍隊の教練を中心とする) , であっ た. ところで, このソビエト連邦の軍事予備教育と称さ れている教育 活動の内容は, 同書で紹介され たところの軍隊の教練が大半を占めるアメリカ・イ ギリス・フランス・イタリアの軍事予備教育と は異なっ ていて, 「政治教育」 が加えられているこ とが重要な特色と なっている. この 「政治教育」 の科目の主な項目は, 資本主義・階級関係及 政党・帝国主義革命, など細かく掲げられている. し たがっ て, 陸軍省編の同書がソビエト連邦の軍事予備教育の教育活動の 内容に限って, 特に 「教育 課程」 の用語を用いたのは, それが単純な軍隊の教練の予習的実施とは異なり, 国家の防衛や独 立 などに関する教養の教育としての 「政治教育」 も含んで計画されていると判断したことの結果であ 4 6 ) る と 考 え ら れ る.(. 他方, 以上のような陸軍省の軍事予備教育関係における 「教育課程」 用語の使用に関しては, 文 部省も関知 していたものと考えられる. たとえば,1925年か らの現役将校配属による学校教練振作 1925年2月)がとり交 の際に, 陸軍省と文部省との間に「教練ニ関スル陸軍, 文部両者協議覚書」 ( わされている. それによれば, 学校教練の内容方法の規定に関する個所には 「教育課程」 という項 4 7 )とされていっ た 目が掲げられ, 「教育課程ニツキテハ別ニ両省ヨリ委員ヲ挙ケテ協議スルコ ト」( . ここでの 「教育課程」 の用語は, 同年4月文部省訓令第6号教練教授要目に相当していくものであ 38.
(14) . 教育課程の研究と社会科学( 1 ). るが, 同教練教授要目よりも広い教育活動の計画の意味をもっていたものと考えられる それは 。 , 陸軍省は学校教練を狭義の単純な軍隊の教練の予習とか 軍事予備教育としては把握していなかっ , たからである。 つまり, 陸軍省は, 学校教練の目的と内容をあれこれの特定の技術。能力 の習得。 形成に設定していたのではなく, 「特ニ規律, 節制 協同 団結 忍耐等ノ諸徳ヲ癌養 シ併テ国防能 , , , 力ノ増進ヲ期セントス」 と強調し, 「国民訓練」 およ び 「国民教育」 に 「十分ノ貢献ヲ為 ス」 ことに 4 8 )すなわち 陸軍省は 学校教練を精神 的方面の教育を基礎 とした国民 設定していたから である.( , ,. 訓練・国民教育に位置づけていたが故に, 学校教練が教則り学科課程・教授要目な どの用語によっ て表現される教授的活動に限定されることなく, 「教育課程」の用語によって道徳や精神的方面の教 育活動の計画を強調しようとしたものと考えられる 。 以上, 検討したように, 総じて 「教育課程」 の用語によっ て示された教育活動の計画は 教則・ , 教科課程・学科課程o教授要目などには包括されない内容や 対象をもっていたことは明確 である . 戦前における 「教育課程」 の用語は, 教育活動の総体 的な計画を意味するものとして使用さ れ 特 , 1 に,( )学校教育 では, 教科と教科外の二つの領域の教育活動の計画として ( )軍隊教育 では, ①「教 ,2 授」 と 「訓育」 の二つの教育方法によっ て区分された教育活動におけるとりくみ対象・ 領域の計画 として, ②「術科」「学科」というとりくみ 対象と方法の区分によ る教育活動の計画として ③特定 , 期間の教育活動の計画として, 使用されていったのである 。. く注〉 ( 1 ) 戦後における「教育課程」の用語の使用の早い例として, 1 94 9年5月31日法律第1 46号文部省設置法を指摘す ることができる, そこでは, 文部省の権限として「小学校, 中学校, 高等学校 盲学校 ろう学校 養護学校及 , , , び幼稚園に関し, 教育課程, 教科用図書その他の教材, 施設, 編制 身体検査 保健衛生 学校給食及び教育職 , , , 員の免許等についての最底基準に関する法令案を作成すること 」(第5条25号)と規定すると規定している こ . . こでの 「教育課程」 は 「教科用図書その他の教材」「身体検査」「保健衛生」「学校給食」( 「学校給食」 の指導は, 195 8年文部省告示小学校学習指導要領における 「教育課程」 の中の 「学校行事等」 に含まれる) と併記されてい るが, 「カリキュラム」 の訳語であると考えられる. そして, むしろ 「教科課程」 という訳語.用語が適切 であろ う. それは, 同設置法に規定された初等中等教育局の事務には「学校管理 学校の施設 教育課程 特別教育活 , , , 動, 生徒指導, 教授法その他初等教育, 中等教育及び特殊教育のあらゆる面について 教育職員その他の関係者 , に対し, 専門的, 技術的な指導と助言を与えること.」(第8条第5号)という規定があるように 「教育課程」を , 「特別教育活動」(英語では, extra-curricularactivities) と 併記 して いるこ と か らも, 同設置 法の 「教育 課程」 は 「教科課程」 を事実上意味していることがうかがわれるからである . ( 2 ) 国民教育奨励会編 『教育五十年史』1 4 8ページ, 1 92 2年. ( 3 ) 吉田熊次 『陶冶と価値』22 8ページ, 1 929年. ( 4 ) 同上書. ( 5 ) 吉田熊次 『日本教育の理念』1 84一1 85ページ, 19 3 6年. 中略は遠藤. ( 6 ) 同上書, 1 8 5ページ, ( ) 内は遠藤. ( 7 ) 海後宗臣「修練方式論」(教育思潮研究会編纂『修練体制の理論』34-35ページ 1 45年所収) , 9 。 なお, 雄松堂 書店発行 ( 19 9年) の復刻版を使用した. 中略は, 遠藤. 7 ( 8 ) 軍隊教育実験会 『新教育令ニ基ク軍隊教育詳解』 2ページ 1 1 3年. , 9 E d i l l ( ) HerbertSpencer t l l 9 t M l t d P h i u c a n l o n e e c u a o r ; a a n s ca y , , , ,1860 . ( 1 0 ) 尺振八訳 『斯氏教育論』18 8 0年. ( 1 1 ) たとえば, 次のように邦訳されている.. 39.
(15) . 遠 藤 芳 信. \ 原. 豪 語 \き ! 語. 尺振八訳 『斯氏教育論』 1880年. ①. 教 育 課 課 学 教 育 課. 小田貴雄講述 『斯辺鎖氏教育論講義』 8 85年 上巻 1. 1886年. 序. ョ 課. 呈 禾. 法. 科. 目. 程 程 課 目. 教 課. 呈 季. lfCour Sch。。 se. 学 校 課 程 学 校 ノ課 程. 教 教. 育 -法 課 程. 学 校 課 程 学 校 ノ課 程. ③ d t lcour s e ona e ucai. 教 育 課 程 教育法ノ課程. 学 校 ノ教 程 学校 ノ課程. 次. 序. 教 育 通 途. ④ l f cu tu Cour e r se o. 法 教 育 教 育 ノ 道. 教 育 ノ課 程 法 教 育. 修 練 ノ全 途 鍛 練 ノ方 向. Cz〃“”””粥. ②. 次. 有賀長雄訳註. 『 髪斯氏教育論』. 育. 7 6年第五版・明治図書) は, 原 なお, 戦後に邦訳されたスペンサー著 『知育・徳育・体育論』(三笠乙彦訳・19 たり, 上記表の② 」と訳出され 」「 教育課程 z″“c〆”伽 が「カリキュラム」「教科課程 語の邦訳に動揺がみられ, c と訳出されている 「 教育課程 」 すべて ③④の原語の訳語は区別されていなく, .. ・ め 山ロ達郎 『覇穆 套ラ客教育課程の新構成』 席 Q 2 )~(. 24 , 95 ペー ジ, 1933年 , 35 , 25. 64ページから作成. なお, 「郷土教育課程」と「精神教育課程」の細部の内容は次のようになっ 56 Q 9 ) 同上書の2 ,2 て いる.. 土 肺 課 郷 穫 墓園. (総合科) 尋常小学校1・2年 3・4年 5・ 6 年. 生産課程 (生産科) 高等小学校1・2年 国本教育 (行事教育と機会教育) ) 同 上. 教と 程 精 神獅課 濠 一 筆皇 同. 上. ). また, 山口は, 精神教育課程における生活単元の選択の目標として,「実行実践せしむることによりて, 直接彼等 2 35ページ) . の情意を陶冶し, 生命我への練成を期する」 と 「練成」 の用語を使用しているが, 注目される ( ペー ジ な ど. 2 1 1-1 0 0 ( 2 0 ) 同上 書, 62 , 9 36年. 1一24 6ページ, 1 3 4 ) 守内喜一郎 『教科経営学概論』〈現代教育学大系〉 各科篇第3巻, 2 ( 2 1 )~( 2 所収 ) ページ 1 9 4 5年 『修練体制の理論』34一35 回細谷俊夫 「修練と教育課程」( , , ,. る 凝議 要撃ぎ都銀副嵯競耀き 雑務嬉遊 }発酵磨ぎ 噛 穏塵躍翻 ; ‘. 2 3ページ) おける教育活動の概略が示されている ( . 9ページ, 姥の コールパー ル『独逸軍報告書』第1巻, 仏国砲兵大尉マルシャン訳, 広島鎮台雇松本惟延重訳. 48-4 1888 年.. 回 1 88 7年軍隊教育順次教令の 「歩兵一箇年間教育順次概表」 における 「学科」 と 「術科」 の科目は, 初年次の第 一期 ( 1 2月上旬より翌年2月まで) の場合は次のようになっている. 「学科」~「読法」「勅諭」「部隊ノ識別」「上官ノ官姓名」「武官ノ階級及制服」「勲章ノ階級及名称」「内務書ノ摘要」 「陸軍礼式」「服従ノ定則」「陸軍刑法及懲罰令ノ摘要」「銃及装具」 「術科」 ~「生兵教練」「柔軟体操」「射撃予行演習」「距離測量」「狭窄射撃」「小隊及半隊教練」 0 4年, 9 2ページ, 1 ( 2 9脚) 陸軍士官学校編 『陸軍士官学校一覧』3. 1巻「陸軍 駿 幼年学校之部」所収, 脱稿年不記 岡 防衛研修所戦史部所蔵教育総監部稿本『陸軍教育史』別記第1. 載. 倦み 引用文中の 「監軍」 とは, 天皇に直隷して陸軍の教育を担当した機関である. 40.
(16) . 教育課程の研究と社会科学( 1 ) ( ) 防衛研修所戦史部所蔵教育総監部稿本 『陸軍教育史』 第2 3 3 2巻所収, 1 91 3年脱稿. 4 ( 3 ) 陸軍省 「陸軍武官進級条例改正ノ要旨説明」『僧行社記事』 第1 3号, 19一20ページ, 1 88 9年5月. ( 3 5 ) 海後宗臣は, 上掲書「修練方式論」の中で, 1 94 0年代の「錬成」「修練」をめぐる国民教育と軍隊教育との内面 的結合に際して, 国民教育側が注目した軍隊教育の特色として 「実践者教育方式」(上掲書3 6ページ) を指摘し ているが, 次の点にも注目することが重要であろう. すなわち,1 2 9 0~1 93 0年代以降, 中高等教育の一定の大衆 化が進行した段階において中高等教育における独自な教育方法の確立 (特に道徳的教育) が最大の課題になった とき, 1 94 0年代にあらわれた教科と教科外の活動および教室内外の生活全体の活動を包括した「錬成」-「修練」 の教育の体制とは, 青年を対象にして兵営での全生活・全活動を教育活動の対象・領域として計画化していた軍 隊教育 (その基本的・重点的教育目標は, 精神的道徳的教育にある) が, 国民教育側に青年の教育方法 (特に道 徳的教育) のモデルとして反映されたことの産物であろう. ただし, 軍隊教育の中で, 国民教育側が見逃したも の (あるいは導入しなかったもの) がある. それは, 軍隊の支配者階級としての将校団を基盤とする自治の教育 である.. 鰯 ) 国立教育研究所所蔵 『小学校令案』(全1 4条, 墨書, 表紙に 「江木」 の押印あり) 3 . これは, 江木千之が 「二 十三年の大改正は, 最初私が先づ調査を立案して, 一個の成案を得た」(国民教育奨励会編 『教育五十年史』1 4 8 ページ) と述べたその「成案」 であり, 18 90年1月項成立したものである (国立教育研究所所員佐藤秀夫氏の御 教示) . ( 3 の 前掲書 『教育五十年史』14 8ページ. 岡 江木千之 「帝国小学校教育ノ本旨」『大日本教育会雑誌』 第1 05号, 25 2ページ, 1 891年4月. 倦 め 防衛研修所戦史部所蔵『永存書類 甲輯』1 921年第一類官制官規第60号「陸軍士官学校及幼年学校卒業者ノ資 格ニ関スル件」 所収. は の たとえば, 1 『情行社記事』 第69 9 3 2年7月改正の陸軍士官学校教育綱領など ( 7号, 1 9 32年1 0月, 所収) . 回 参謀本部編 『列国陸軍ノ現況』1 0-1 1ページ, 1 9 12年. は め鰹 ) 防衛研修所戦史部所蔵『永存書類 甲輯』19 4 0年第四類教育演習第1 5号所収, 1 40年7月 25日付教育総監 9 山田乙三発陸軍大臣宛の「軍隊教育令改定ノ件照会」中 「軍隊教育令改正要領」( 1 9 4 0年6月1 8日教育総監部) , 鰻 ) 防衛研修所戦史部所蔵 『武大日記』 乾1 89 6年1 2月軍第7号所収. 中略は遠藤. ( 4 ) 陸軍省編 『欧米諸国軍事予備教育の状況』11 5 4一1 1 92 4年. 5ページ, 1 ( 4 6 ) なお, 陸軍では, 政治工作の一環としての教育活動の計画に対して, 「教育課程」の用語を使用していた. たと えば, 防衛研修所戦史部所蔵 『陸支受大日記(密)』1 4頁 「白系露人ノ現状送付ノ件」 所収 「在遍 9 3 0年第64号2 白系露人ノ現状」( 1 939年9月 7 日中支軍参謀部第二課上海第二班) には, 「白系 (ロシア人の) 青年層を覚醒せ しめ, 彼等に祖国愛の精神を植へ付け, 東亜新秩序建設に対する日本の確固たる精神並に日本の実力を確認めし め, 彼等に親日, 反共戦線に積極的に参加せしむこそ, 将来の白系工作に重大意義を有すべし, 即ち, 白系第二 世に対する教育指標を全画的に是正し, 教育課程を刷新して, 彼等の精神的復活を計り, 之を指導, 操縦, 把握 せば, 我々は将来に於ける優秀なる白系運動指導幹部と尖鋭なる反共闘士を獲得するを得べし.」( 1 23ページ,傍 点は遠藤)と, 上海在住の白系ロシア人に対する政治的工作の一環として, 外国人経営の学校に学ぶ白系ロシア 人二世の教育の改革を強調しつつ, その教育活動の計画に 「教育課程」 の用語が使用されている. ◎ 陸軍省編 『学校教練振作の指針』 5 ペー ジ, 1925 年. はめ 同上書所収, 「学校配属将校会同席上陸軍大臣口演要旨」1 8一1 9ページ, 19 25年3月. (本 学講 師・ 函 館 分 校). 41.
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