宮沢賢治童話絵本の研究
「よだ か の星
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(2007年 3月31日受理)木
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Keywords:宮沢賢治,童話絵本, テキス トの変容要
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筆者 は,絵本 を鑑賞す る立場か ら,宮沢賢治童話絵本 において,画家によってテキス トが再生 ・変容 され てい く様 を, 解釈の拡が りとして捉 えるとともに,歴史的にも跡づけてみたい と考 えている。本稿 はその手始 め として了
よだかの星」 を事例 とし,既存の絵本八編 を取 り上げ,その特徴 を分析 ・確認 してお くものである。 論者 の研究動機 は小林敏也 の 『画本 宮揮 賢治 よだかの星』 (パ ロル社版) にふれ た こ とにある。 この絵 本 では, よだかの生き方を 「賢治 ワール ド」のなかで捉 え直 してお り,現在の主流の作品解釈が反映 されている。 これに対 して, 『よだかの星』 をは じめて絵本化 した工藤 甲人の 日本画風 の手法 による福武書店版では,画家の視点が よだかの被害者 意識 に寄 り添ってお り,山火 に地獄 図の業火のイ メー ジを与 え, よだかの星に仏像の光背 を与えていて,比較 してみれ ば,絵本 における作品解釈 に歴史的変化 の跡が確認 され る。福武書店版の2年後 に成立 した伊勢英子 による講談社版 は, 油絵 によるデザインによって,画家の個性 を強 く感 じさせ るのだが,現世に茨の しが らみを見てい る点で,現世 の とら え方に工藤 と共通す るものが見 られ る。 また,村上康成の抽象画による岩崎書店版では,絵が本文 を説明す るのではな く,絵 が読者 に積極的に謎 をか け,本 文-の興味を誘 うとともに,本文による読者の解釈 に想像 の余地 を残す点で,効果 をあげている。1
は じ め に
宮沢賢治の童話が作 られ てか ら,す でに90年 を経 た。 この間,多 くの さし絵 を添えた童話集,あるいは絵本が 作 られてきた。最後まで美 しい本が欲 しくてたま らない とい う思いを持 っていた作者 のことを思 えば, これは望 ま しい ことに違いない。 (注1) しか し,賢治童話が,最初か ら絵本 として創作 された わけではない ことも注意すべきである。生前出版 された 『注文 の多い料理店』 の場合 は,各作品に扉絵 のほかに さし絵が1枚ずつあるだけである。テキス トに新 しくさ し絵が加 え られ,あるいは絵本 になった時,その絵 が美 しくて影響力が大きいほ ど,確実にテキス トの変容があ る。絵が持つ説得力は,読者の理解 を深 めもす る。反面, 本文-の導入の角度や強調点を変 え,あるいは余 分な情 報 を与えることで解釈 に影響 を与 えることになる。 例 えば,『双子の星』(くもん出版1993年8月)所 収 の「祭 りの晩」 (ユ ノセイイチ画)な どでは,2枚 の さ し絵で 山の神 の祭 り-の参加者 の多 くが和服 を着 てい るな ど, 一応時代の風俗 を反映 してい る。 しか し,農 山村 の風俗 ではな く,街 の縁 日のイ メー ジで描かれてい る。 これ に よって誤解 を招 くな どとい うのではない。 しか し,児玉 房子のガ ラス絵 に よる 『祭 りの晩』 (草の根 出版 会2005 年3月)の場合は,原作 に深い配慮がある。絵本 である52 木 村 東 吉 こともあって,山の神の碑 にも地方の風土を感 じさせ, 祭 りを包む森の闇の深 さと,これを照 らすガス灯 と月の 光にも色調の対比がある。 どちらのテキス トに触れるか では,読者の作品に対す るイメージにはかな りの相違が ある。 これはテキス トそのものが変容 された結果の差に 他な らない。 既成の童話 に対す るさし絵や絵本の絵はどのようにあ るのが望ま しいかなどと,議論をするつもりはない。作 品は本来,文字で捉 えるべきだ とい うのも正論である。 しか し,童話 にさし絵 をつけ,絵本に仕立てることも, 読者 を作品に近づける方法 として有力な方法である。 し かも,現代では,絵本が子 どもか ら大人までの読者を持 ち,童話が必ず しも子 どもだけを対象にしなくなってい る。また,作品の解釈が人の数だけあって,作品研究が 無限であるよ うに,絵をつける場合 も,画家の数だけあっ てい良い し,事実そ うなっている。 ただ, 既存の童話を絵本化するときは,当然絵 と本文 のコラージュとなる。本文をどこで区切 るか,区切った 本文の どこに絵のモティーフを求めるかによって絵本の 構成の大要が決まるわけだが,絵本では絵の情報が豊富 にな り,絵が美 しく印象的であれば本文の読みが絵に向 かって焦点化 される効果を生む。画法による印象の違い も大きい。作品論は直接にテキス トに影響を与えないが, 絵本の場合はテキス トの変容が生 じる。 したがって,さ し絵 ・絵本の特徴を見極めるための座標軸には,自覚的 である必要があると考える。 論者はさし絵や絵本を鑑賞する立場か ら,賢治童話の テキス トが画家によって再生 ・変容 されていく姿を,そ の拡が りとして捉 えるとともに,それぞれの解釈の特徴 に留意 して歴史的に跡づけてみたい と考えている。 ただ,現在は調査 も途上にあるので,賢治童話のさし 絵 ・絵本史 として,見通 しの整 ったものは示せない。本 稿では,手始めに,『よだかの星』の絵本を事例 として, 既存の絵本八編 をとりあげ,その解釈の特徴を確認 して おきたい。
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研究動機と小林敏也のパロル舎版について
筆者が, こ うしたことを考 えるに至ったきっかけは, 小林敏也の 『画本 宮揮賢治 よだかの星』 (パ ロル舎 1995年4月)にふれたことにある。小林敏也には,同じ パロル舎版の 『賢治草紙』(1995年8月)(注2)があって, その さし絵に示 された作品理解 の深 さか ら注 目された。 これ らが一連の画本シ リーズを再編 して編集 されたもの であることも知った。そこで,『画本 宮津賢治』のシ リーズを見て,例 えば 『注文の多い料理店』(1989年7月) などでは,原作に忠実で, しかも作品に深い理解を示 し ている。その中で 『よだかの星』に触れたときは,大き な驚きがあった。 『画本 宮滞賢治 よだかの星』は,まず表紙のカバー に青地に白 ・青 ・黄 ・ピンクの星をち りばめ,綜いろで ぬいぐるみ風の熊や犬を描いて星座をイメージし,表紙 は浅緑の布地風の紙に白抜きで,よだか と図案化 された 常緑広葉樹の花をあ しらうなど,穏やかな伝統色で統一 され,地味な造本である。 しか し,一度手に取ると,時 を忘れて見入って しま う。表紙裏には力紙 と合わせて「賢 治案内地図 ・ドリームラン ドとしてのイーハ ト-ブ」が あ り,賢治童話の世界のシンボルたちが地上のものは水 いろの紙に白抜きで,空中あるいは天上のものは京紫い ろで,重ねて描かれている。 ここで遊びはじめると,ま たき りがない。 ページをめくると, 1頁めの扉絵は岩手山 ・倉掛山を 背景にした小岩井農場付近が一つの広場 としてイメージ されている。物語の入 り口であるが,作品世界の空間設 定 とも読める。 本文に入ると,右頁には朽ち葉を重ねた地面に鳥の尻 尾だけがあり,落ち葉の うえに紐 とインク壷 と蛙が描か れ,やや濃い茶いろで塗 りつぶ された背景の右上に うっ す らと兎の影が見えている。人を食った図案である。左 頁には白地に題名 と本文があって,冒頭か ら 「もっと小 さなお しゃべ りの鳥などは,いっでもよだかのまっこう か ら悪 口を しま した。」までがあ り,森の上をよだかが 目をつむって飛んでいるようなカ ッ トがある。 ページをめくると,今度 は右頁が本文で,その下に, ヒバ リ・セキレイ ・ウグイス らしい三羽の小鳥が描かれ, 左頁に,2責めの続きとしてよだかの顔 と胴体があって, 原稿用紙 とクル ミの化石が添えられている。 ここで2頁 めと5頁めが一枚の絵で,原稿用紙やインク壷が周囲に 置かれてお り,よだかの背中の部分に3頁めと4頁めの 本文の物語 (よだかの背負っている運命)が載せ られているのだと了解 される。2ページめによだかの尻尾だけ が描かれていたのは,よだかがその醜 さを恥 じて顔 を隠 していたとも読める。原稿用紙 とインク壷を配 されてい るのをみると,天津退二郎のよだか詩人論なども思い合 わされてきて,よだか 自身が 「よだかの星」の物語を考 えているとい う読みを誘 うものになっている。(注3) 本文にはない兎の影が気になるが,この兎は作品の後 半 (32貢のよだかが墜落する場面)まで,背景 として連 続的に登場 している。技法 としては,よだかの生き方を 見ている他者の視点を導入 したものである。 しか し,賢 治フアンなら誰 しも 『貝の火』のホモイをイメージする。 ホモイはよだかと同 じようにめ じろの子 どもを助けたこ とから宝珠を与えられ,世の賞賛を うけたことによって, これを利用 しようとす る狐の民にかかって慢心 し,珠の 輝 きがカ リスマ性の反映であることを見抜けず,やがて 珠がほ じけて失明するのであるか ら,鳥の世界のい じめ られっ子であるよだか とは対照的である。画家は,『よ だかの星』を 『貝の火』 との比較で読むことを誘ってい るのであろ う。伊藤真一郎や中野新治の論 も当然思い合 わされてくる。(注4) 続いて6頁めには窮翠いろのかわせみが, 7頁 目には のどの部分がオパールのように光る蜂すずめが描かれて いる。かわせみは水に飛び込んでいる姿が,蜂すずめは 羽ばたきながら花の蜜 を吸 う羽根の動きが表現 され,二 つの絵をつなぐ形で切 り取 られた白地に本文がある。 こ こでは絵が,鳥類の注釈になっているわけである。 更に 8 ・9頁では大きく羽を広げた鷹 と小 さなよだか とが対面 してお り,後 ろ向きのよだかの しょんぼ りとし た姿が印象的だが,鷹の顔 に邪悪なイメージはない。全 体 として鷹の力強 さが美 しく表現 されている。 「ある夕 方, とうとう,鷹がよだかの うち-やって参 りま した
」
か ら,「お前のは,いわば,おれ と夜 と,両方か ら借 り てあるんだ。 さあ返せ。」までの本文が,鷹 の羽の一部 を切 り取った白地の部分にある。 続いて10・11頁 目にも羽を閉 じた鷹 とよだかが描かれ ているが,ここではよだかが床に仰向けに寝て無抵抗の 姿勢を取 り,これを鷹がいかにも諭す ように温かい眼で 見ている。 よだかの姿勢は,生態 を写 してもいるのであ ろ うが,父 と甘える息子の雰囲気があって,鷹の脅 し文 句をずいぶん和 らげている。 10頁の右下には美 しい本の 一部が見え,上の方には草の葉にとまった トンボがあし らわれている。11ページの左下には,兎の影 と美 しい石 がある。11頁上半分の本文には, 「まあよく,かんがえ てごらん。云々」の鷹のせ りふがある。 以後,鷹か ら改名 しなければ 「つかみ殺す」 と脅 され たよだかは,よだか として生きることを否定 されたわけ だが,その脅迫を拒絶 したことか ら生命の危険を感 じる ことになる。 よだかの孤独な (あるいは自己執着の)(注5) 状態を夕方の曇 り空を山より高 く飛ぶ場面で描 き, 自分 の生命に危機 を感 じたことが契機 となって他者 の生命 を 奪わなければ生きられないこの世の仕組をも耐 え難い と 感 じる場面では,蛾や 甲虫が飛んでいる夜空をよだかが 赤い 目をして飛んでいる。 そこで,よだかはこの世の しが らみを脱 して空に昇 り, 「燐の火のような青い美 しい光」 を出 して燃 え る星 とな るわけだが,それまでの経緯を語 る絵の配列は次の とお りである。 別れを告げるために,遠 く山焼けの火がみえる川のそ ばで,棒杭にとまっているかわせみ と会ってい る早朝の 場面。 うす紫の夜明けの空によだかが飛び立っ場面。 う す黄いろの露のなかに昇った朝 日に向かって, うす紫の 山か ら煙があがっている中をよだかが飛んでい る場面。 露を含んだ草の中によだかが うず くまっている場面。人 の形のオ リオン座 と大犬座の位置が同じで,よだかの位 置だけが変わっている二つの場 目。次が大熊座 に向か う よだか,つづいてわ し座 に向か うよだか,野原 に墜落 するよだかを描いた後,よだかが青い 目をして 白い息を 吐きなが ら羽根を散 らして大きく羽ばたき,飛騰す る場 面。 口か ら血を吐きなが ら星のなかに羽を広げているよ だか。そ して最後は,黒い画面に羽根を閉 じた よだかが 青 く光っている場面である。 物語の後半になると,空を飛ぶよだかの姿は抽象化 さ れ,カワセ ミとの別れの場面など,地上の場面 の写実性 とは対照的である。飛邦するよだかには荒々 しさが加わ るとともに,その内面が大きな 目によって, 自分 も他者 の生命を奪 う存在 と気づいた ときは赤 く,あるいは飛ぶ ことに自分の力を出 し切 っている時は青 く描 き 出 され, その苦 しみが息の白さ, 口か ら流す血のいろで表現 され ている。そ して,最後は青 く光る石のように固まってい る。全体 を抽象化す ることによって,写実的 に は現せ54 木 村 東 吉 ないより深い思念を象徴的に描き出 した といえるであろ う。 要す るにこの絵本 は,ほぼ現在 の賢治学会 における 『よだかの星』論の大勢にそって描かれていると言って よい。 よだかの周囲に,原稿用紙やインク壷があしらわ れ るのは,卓越 した飛邦力 と鋭い鳴き声をもちなが ら, 夜行性で足が弱 く,羽根に華麗 さを欠 くよだかに,詩人 の姿 を投影 しているか らに違いない。 ボー ドレールが あほ うどり うん しょ う 「信天翁」に見たように「雲零の王侯に 詩人は似てゐる」 (岩波文庫 『悪の華』鈴木信太郎訳) といえる程,詩人 が社会的に認知 されていなかった時代の 日本的表現 とい うのであろう。本文にない兎の影が登場するのも,鷹 と よだかの間に,父政次郎 と子賢治の関係 を類推 させ るの も,作品論の流れに沿ったものになっている。(注6) こうした構成をとったためか,絵本仕立ての他のもの がいずれ も取 り入れている市蔵 と書いた札の絵が,組み 込まれていない。(往7)本文を忠実に読むなら,市蔵 と書 いた札を頭にぶ らさげている場面は,鷹 とよだかの会話 によって,よだかの心に描かれただけで,実現 していな い場面であった。この場面が絵か ら消えることによって, 物語の全体をよだかの被害者意識 に寄 り添ったい じめら れっ子の物語か ら,よだかに一定の距離を保った視点に 立って読む物語- と変換 されているといえる。 12ページ のカ ッ トには 目白の巣が描かれていて,これはよだかの 回想に呼応 した内容だが,これはカッ トによる語注的な ものと理解できる。 よだかの心理的状況は,本文に沿っ てポーズや 目のいろなどで表現 し,対象化できる形で外 部か ら間接的に描いているわけである。他者視点の導入 と呼応 して,従来の絵本テキス トの枠組みをを大きく変 えた部分 といえよう。 こうすることで,本文における鷹の脅迫 も強者の表現 法の一つであ り, よだかの苦悩 も弱者側の受 け取 り方 の一つ と見えてくる。物語は,美 しいことを重視する鳥 社会において,醜い とい う運命 を背負ったよだかが, 自 らの生命の危機 を感 じたことを契機 として主体的に選び 取った生き方を示 したものとなる。最初の段階では受け 身だが,食物連鎖の生存原理を拒否す る段階では積極的 選択 とな り,次いで太陽や星に救済を依頼す る段階では 他に例を見ないほどの紙幅を費や し,やがて自力の飛騰 に移ると勇猛 さを見せ るまでに成長す るよだかの姿も的 確に描かれている。 それは必ず しも本文の字面に忠実 とい うわけではな い。賢治ワール ドの中での画家の解釈が,子 どもに理解 されるか どうとい う問題 とは別に,絵によって表現 され ているのである。従来の 『よだかの星』のさし絵,絵本 史に見 られた枠を踏み越えた表現が,賢治童話の絵本化 をライフワークとする画家によって生み出されたもので ある。表紙裏の 「賢治案内地図 ・ドリームラン ドとして のイーハ ト-ブ」も,意図 された導入だったわけである。 この絵本に触れて,筆者が感 じた驚きは,絵本が子 ども のためのものとい う制約 を離れ,画家 自身の作品として 再構築 されてお り,そのテキス トの変容に明確に時代を 感 じた とい うことである。 このような小林の絵本を見た時,筆者には,これまで 親 しんできた工藤 甲人の 日本画風の絵による福武書店版 (1984年 11月), 伊勢英子 の油絵風 の絵 による講談社版 (1986年 11月)が,もう一度見直 されたのである。
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工藤甲人の福武書店版と伊勢英子の講談社版について
見直 してみて,工藤 甲人の福武書店版は,『よだかの星』 が絵本化 されたはじめてのものであることを知った。 こ の本の表紙には,左端に縦書きで作者の名 と版画風の表 題があ り,その下に画家の名があって,中央に星になっ たよだかが描かれている。身を伏せた姿のよだかと,こ れを囲む黒っぽい岩のくぼみのようなものがあって外に 光がでてお り,周辺 には線でつないだ星があ しらわれ ている。画面の下か らは地獄絵のような朱いろの炎があ がっている。 扉には,白地に作者 ・画家の名 と版画風の表題の他に 飛邦するよだかのカ ッ トがある。めくると一面に霧のか かった明け方の空を思わせ る樺いろの画面で,右ページ 上の藍を含ませたところか ら左ページの黄を含んだ部分 まで,グラデーションをきかせてある。右上の藍 を含ま せた部分に輝 く星を描 き,その下にもう一度表紙や扉 と 同じ書体で表題がある。読者は表紙 とともに,三度同じ 字体の表題 を読むことになる。 ここでは,扉絵のよだか と併せ ることで,夜明けの空に星を仰 ぐ結末を予告 して いると読める。全体の絵の配置 もそのとお りになってい る。物語が始まる3 ・4ページめには三羽の小鳥に囲まれ てよだかが しょぼくれている。 5 ・6ページめではよだ かが鷹 と対面 している。7 ・8ページめには,青 と樫い ろの渦巻 きの中央に,首か ら札をぶ ら下げて涙を流す よ だかが描かれ,渦の上にも市蔵 と描いた札が多数舞って いる。 次の2ページは文章だけで,次の見開きには絵だけが ある。 ここでは中央に置かれた青い 目で飛邦す るよだか の口が朱いろで強調 され,周囲に蛾や甲虫が大きく描い てある。画面の下か ら表紙 と同様の地獄図のような炎が あがっている。 自分の醜 さに耐えつつ,「なんにも悪い ことをことをしたことがない」 とい うことを心に支えに してきたよだかが, 自分 も食物連鎖の中に身をお く存在 と気づいた瞬間を思わせ る。鷹の脅迫で生命の危機 を感 じていたよだかの 目に,現世が身の置き所の無い地獄 と 見えたとしても不思議はない。 これが絵に表 されたので あろ う。 次いでかわせみ との別れの場面,よだかが羊歯の中の 家に帰る場面,太陽に向か う場面 とつづき,草の中に落 ちた場面ではよだかの姿もない。続けて,星座 に呼びか ける三っつの場面がそれぞれあって, 自力の飛騰の場面 がある。最後に黄いろの星形の中央に院 目するよだかが あって,周囲に仏像の光背にも似た光がくじゃくの羽の ように広がっている。 絵が強調す るところにしたがって要約すれば,醜いた めにい じめらっれ子だったよだかが,自己存在の罪障性 に気づき,現世に決別 して飛騰 し,光を放つ星になった とい う物語になっている。 よだかの心情に寄 り添 う視点 から,刻苦 して解脱を達成 したハ ッピーエン ドの物語 と して捉えたものである。 1915年生まれの画家が,伝統的 画法を生か して梅原猛の説にも通 じる伝統的解釈を示 し たもの といえよう。(注8)この絵本が生まれたのが1984年 であることを考えれば,社会に受け入れ られ易い解釈で あったのかもしれない。 同時期に,もう一つの絵本が登場 していた。工藤 甲人 の絵本が出てから二年後,伊勢英子の絵による講談社版 である。 これは,油絵の特色を生か したデザインに特色 がある。表紙にも赤 ・青 ・黄などの色彩に満ちた地上 と, 青 白く渦巻 く星々に満ちた空に挟まれた黒茶いろの空間 を邦昇る鳥を描いて,最初か らこの画家の個性的な読み を示 していて,暖色を主調 とする工藤の福武書店版 とは 対照的である。 表紙 と力紙 をめくると,力紙の裏面 と扉が見開きの絵 ゼ ロ になってお り,扉 より前の 0ページに,本文の 「よだか は,じつにみにくい鳥です。」か ら
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「ほかの鳥は,もう, よだかの顔 を見ただけでも,いやになってしま うとい う ぐあいで した。」までがあ り,扉 にあたる1ページには, 麦や参のような革が茂る中に うず くまる鳥の形で 白抜き にされた部分があって,そこに表題 と作者 と画家の名前 を配 している。以後 この絵本では,地上のよだかが白抜 きで描いてある。絵の下側にはよだかに顔を背 ける鳥を 二羽,右ページの右端には,参の枝にとまって大きく口 を開けた小鳥を描いている。本文では次のページにある 「もっ とちい さなお しゃべ りの鳥な どは,いっで もよだ かのまっこうか ら悪 口を しま した。」を,先取 りした形 である。本の扉 をも物語の中に取 り込み,表題 さえ絵の 説明に使っているわけである。絵が意味するところは周 囲か ら醜い と言い立て られ, 自分のことが見えな くなっ たよだかとい う鳥が星になる話 とい うのであろ うか。 冒 頭か ら絵が健舌である。 以後,この絵本では,見開きページの絵に本文 を組み 込んだ形 と,右ページに本文 を左ページに絵 を入れ る 形をほぼ交互に繰 り返 しているが,後半になると絵だけ の見開きページをおいてアクセン トをつけている。絵 に なった場面の配列は次の とお りである。 2I3ページめはよだか ・蜂すずめ ・かわせみが食べ 物を取っている場面 (見開き)。胸にローマ字でI
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と書かれた白抜きのよだかが うず くま り,その前 に鷹が 大きく羽を広げて立っている場面 (左ページ)。 海か と 見まが う山々を覆 う夕空をよだかが飛んでいる場 面 (見 開き)。 「よだかが思いきって飛ぶ ときは,空がま るで二 つに切れたように思われ」るのを,画面を斜めに切 る直 線で示 し,これが同時に真 っ赤な口で虫を捕って いるよ だかの切 り裂かれた心 も示 している場面 (左ペ ー ジ)0 山やけの火 を映す雲が大きく広がる下で了caprlmulgus」と学名で書かれた白抜きのよだかが,かわせみに別れを 告げる場面 (見開き)。 よだかが 日の出の空に飛 び立っ 場面 (左ページ)。 よだかが 「きゆうにぐらぐらとして」
56 木 村 東 吉 いすす きの中で, よだかがやつれ果てた姿のままで 目覚 めてみ る と星 が出てい る場面 (左ペー ジ)。渦巻 く星 々 に向か って よだかが邦昇 る場面 (見 開 きで文字 な し)。 多彩 な星 くず をち りばめた場面 (見開きで,上4分の1 が絵 で下 が本 文。4つ の星座 に呼び か けてい る場 面 だ が,絵 に星座 の表現 はない)。 よだかが地上 に別れ を告 げて飛邦 してい る場面 (表紙 の絵 に近い内容 で,見開き で文字 はない)。垂直に墜落す る場面 (左ページ)。逆 に 垂直 に飛騰 す る場面 (左ペー ジ)。最後 には星 に満 ちた 宇宙 に挟 まれ て黒 く うね る天の川 があ り,その中央 に浮 かび上が って よだかの星が輝 いてい る場面 (見開きで右 のペー ジ半分 が本文)である。 造本 の常識 を越 えて扉絵 を活用 し,かわせみに別れ を 告 げた よだかが 自宅 を整理す る場面や, よだかが星座 の 問を飛 び巡 る場面な どの絵 を省略 し,最後の飛騰 に重点 的に配分 した配置である。 この時, よだかが墜落 し飛騰 してい る うちは, よだかが飛ぶ空間の両側 に図案化 され た現世 の花 を配置 してい る。 また,最後の星になった よ だか を描 いた場面では,画家の視点は宇宙の彼方 にあっ て,星 に満 ちた宇宙に挟 まれ て黒 く天の川 が うね り, よ だかの星 はその中央 に 白く浮かびあがってい る。その時 背景 の天 の川 の底 はび っ しりと絡んだ茨の影 で満 た され てい る。現世 を植物 に象徴化 してい るのであろ うが,そ う解釈す る と,黒い天の川 の水底 にあたる地上は茨の し が らみ とい うこ とにな る。 これ を苦 の世界 と見 る (注9) な らば,工藤 が現世 に地獄 の業火 を描いたの と同 じ捉 え 方が, この底流 にあることになる。個性 に満 ちた この絵 本 に も,底流 には伝統的画法の画家 と同 じ理解 があった わけである。 工藤 が星 を見上げる視点か ら描いたのにた い して,伊勢 は星 を見下 ろす位置か ら見てい るのである。 この絵本 では,絵 に多 くを語 らせて,本文が絵 の説 明 になった り,絵 と本文 に位置がずれ ることも避 けていな い。 また,醜 い よだかを白抜 きに し欧文の名前 を記 した り,本文 には四回書かれ てい る山や けの火 を二回に して, 星 をすべて渦巻 きや星のかけ らとして星座 のイ メージを 消去す るな ど,大胆 な捨象や変換 を し, よだかの飛邦 を 成長 とい う視点か らではな く,仏教的解脱で もな く,堤 実の しが らみか らの垂直的脱 出 とい う視点か ら捉 え直 し てい るよ うに思われ る。
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中村道雄 ・司修 ・黒井健の絵本等について
中村 道 雄 の木組 み絵 に よる借 成 社版 (1987年12月), 玉井 司 の木版 画 に よる リブ ロポー ト版 (1991年5月), 黒井健 の独特の色鉛筆画法によるくもん版 (193年 4月) の場合 は,作品の解釈 よ りも,画家の特技が 目立つ絵本 である。 中村道雄 の組み木絵の場合 は板 の木 目を使 うとい う素 材 的制約 の 中で,その技術 的巧妙 さに驚 嘆 させ られ る。 ただ,その素晴 らしさは,本文の解釈 とは別 な ところに あ る。 各 の絵 のテーマ は確 か に物語 に即応 した ものが 選 ばれてい る。絵 には素材 の制約 を逆手に とった誇張が あって,強い隈取 りを した役者絵 を見 るよ うな面 白さも ある。 しか し,各の絵 は語注 に近い形で図案化 されてお り,統一的解釈 があるわけで もない。 また,鷹が市蔵 と 描いた札 を衝 えて よだかに押 しつ けてい る場面や, よだ かの最後 の飛邦が太陽 よ り大 きな星-向かってい る場面 な どでは,絵 の印象が強い ものであるだけに,本文か ら 逸脱す るものを感 じた りす る。 玉井 司の木版画による リブ ロポー ト版 の場合は,版画 として工夫 を凝 らし,構図はユーモ ラスであるか ら,戯 画 をみ る印象である。 白黒の木版 であることもあって画 面が平板 であるため,抽象化 された表現 を読者 は絵解 き して楽 しむ こともできる。そ うした中でこそ実現できた もので あろ うが, 本文 で星 となった よだかが, 「燐 の火 の よ うに青い美 しい光 になって, しずか に燃 えてい る」 とあることを生かすためであろ うか,人魂 と炎で飾 られ てい るのは,意表 を衝 く。 この よ うに表現 されてみ ると, 一面,疎外 と苦労の果ての恨みの星 といった戯画の よ う であ りなが ら,反面,清水真砂子が よだかの生 き方 に 自 己愛 をみてい ることを,絵本 に してい るともい える思い がす る。 黒井健 の色鉛筆 に独特のぼか しを利 かせ た絵 による く もん版 は,絵 の甘い美 しさが特徴 である。 ただ し,絵 の 数 も少 な く,絵 と本文が密接 に繋がってい るわけで もな い。物語 に取材 した素材 を,画家が物語 をはなれて美化 した作品が挿入 されてい る印象 である。表題 のある扉 に は,見開きで山焼 けの火 とこれ を映 した雲の中を飛ぶ 白 いハ トの よ うな よだかの絵が選 ばれてい る。鷹 とよだか の対面の場 で も,鷹 の頭部 は リアルだが胸元には透 明感があ り, よだかも美 しく図案化 され ていて,物語の基本 的設定であるよだかの醜 さに,画家の関心はないかのよ うである。太陽に 目が くらんで落 ちた よだかが羊歯の中 にい る場面 も,ほ とん ど伝統的な和歌の世界 を連想 させ る。星 になった よだかは,わ し座 ,大熊座,カシオペア 座 に囲まれ る空間で,羽根 をひろげてわずかに青い光 を 放 って美 しい。 これ は絵 が本文 に干渉 しない よ うに,距 離 を置 くことを意 図 した ものである。 か とうま さおの銅版画 によるHOO工房版 『賢治蔓茶 羅 よだかの星』 (1996年6月) の存在 も調査 の過程 で 知 った。紺地に 白の粗い霧 を散 らして星空 をイ メージ さ せ る紙 の中央 に 白い 円を置 き, 中に巧微 を極 め,図章化 され た絵 を彫 り込んだ銅版画で構成 されてい る。 かわせ みに別れ を告げる場面 にはわずかに山や けの火 を映 して 赤み をおびた水 を描 いてい るが全体は 白黒である。技術 的な巧撤 さには思わず見入 るのだが,図案化 された場面 の構成や,絵 の構図か ら汲み取 られ る本文 の解釈 に, と くに取 り立てる内容 は,発見できなかった。 中村 ・玉井 ・黒井 ・か とうの各氏に よる絵本の場合 は, 絵 による作 品の解釈 よ りも,作画技術 の方 に作者 の個性 と手腕 が示 されてい るよ うに思われ る。 この他 に 村西恵津の塗 り絵で,『筆字で味わ う名作童 話 よだかの星』(木耳社2006年 11月)といった もの もあっ た。塗 り絵 を しやす くす るために,絵 を単純 に してい る ところに特色がある。
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村上康成の抽象画による岩崎書店版について
この よ うに見てきた時,筆者 は注 目すべ きも う一つの 絵本 に出会 った。村上康成 の抽象画 による岩崎書店版 の 『よだかの星』 (2005年 3月)がそれ であ る。 この本 は, A 5版 だか ら絵本 としては小型 で,帯 に 「一年生か ら読 める」と銘打ってい る。本文 はすべて 白地 に大 きな活字 で印刷 され,総ル ビで,欄外 に語注 を付 け,絵 にも童画 の雰囲気 があって,確 かに低学年 向きの親 しみやすい造 本 になってい る。 この本 では,同一の画家 による絵 とカ ッ トを組み合 わ せ てあるが, よだかが鳩笛 の玩具 を思わせ るところまで 童画風 に描 かれてお り,時間の推移 は台紙 のい ろ紙 のい ろで示 し,夜 の黒雲や夕焼 け雲が太い一筆 の直線 で,山 脈 も董 い ろの うね る曲線 で示 され てい る。 したがって, 本文 を読 まなけれ ば,絵 の意 味がわか らない。 つ ま り, 絵 で物語 の情景 を説 明 し,物語 の筋 を先導す るのではな く,む しろ最初 は,絵 の謎 に触発 され て読者 が本文 にふ れ,読者 が本文か ら想像力 を発動 した時,絵 の謎 が解 け, 読み を支 えつつ,読者 に 自由な想像 の余地 を残 してい る のである。読み込んでい けば,場面場面で使 われ てい る 紙 のい ろが,物語 の中の時間帯 と呼応 してい るこ とな ど, いろや形 が記号性 を持 ってい る と理解 され てきて,絵 を 読み解 くことも困難 ではな くなるが, 当初 は絵 の謎 が読 者 を本文 に誘 い込む よ うになってい る。 少 しこの点 を確認 してみ ると,次の とお りである。 扉 には董い ろの星空 に向かって垂直飛行す る鳥 を中央 に置 き,その下に横書 きでタイ トル を朱い ろで,黄いろ で作者 と画家 の名 前が刷 り込んである。これ をめ くる と, 表紙 に使 われ た樺い ろの よだか と同 じ絵 が2ペー ジめの 後半 と3ペー ジめの全部 を使 っていろな しで描 かれ てい る。 この絵本 では,見開 きの色刷 りページ と本文 とカ ッ トの 白黒のページを交互 に組み合 わせ てあるので, こ う なったのであろ う。読者 は本 のタイ トルや本文 を読んで, この鳥が よだか と推測す ることにな る。 続 く4ペー ジめの前半 には冒頭 か ら 「もっ とちい さな お しゃべ りの鳥な どは,いつで もよだかのまっ こ うか ら わ る口を しま した」 までの本文 があって,後半 と5ペー ジめには,薄いベー ジュあるいは 白茶いろの紙 に朱い ろ の太い-刷毛の線 が引かれ,その中を小 さな鳥 が飛 んで い るのを背景 に して,近景 に顔 をそむ けた鳥が描 かれて い る。 ピンポ ン球 に羽根 をつ けた よ うな小 さな鳥 もあ し らわれ てい る。絵 だ けでは物語 は読 めないが,本 文 を読 んで,は じめて朱 いろが夕焼 け雲 と想像 され,飛 んでい る鳥が よだかで近景の鳥 がひば りと理解 され る。 絵 を読 み解 くためには,本文 を読む必要があ り,絵 が発 問の役 割 を してい る。絵 が謎 を含む点は小林 も同 じだが,小林 の場合 は,答 えがテキス トを離れて賢治 ワール ドの中で よ うや く読み解 かれ るものであった。村上の絵 が含む謎 の答 えは,本文のなかにある。力強いタ ッチ と印象的な 配色 で,絵 に強い誘 引力 を持たせ てい る。線 と色 の力 を 存分 に使 った絵 と言 える。 この点が,従来の写実 的な絵 による,説 明的 ・注釈的な さし絵や絵本 とは,基 本的に 異 なってい る。絵 の個性 は明確 なのだが,健舌 に 自己主58 木 村 東 吉 張 していない。 これを一種の絵解 きと考えることもでき るが,絵そのものは単純であるか ら,それ と意識 させな い。 6・7ページめは本文 と語注の他にはよだかの小 さな カ ッ トがあるだけで,次の 8 ・9ページめが見開き絵 に なっている。 ここでは,水いろの紙の中央に大きくよだ かが描かれ,虫を追っている。右下にかわせみが魚 をく わえ,左下の隅ではちすずめが花の蜜 を吸っている。本 文を説明 した絵だが,鳥の 目が極端に誇張 され,姿が図 案化 されていて,写実性は稀薄である。本文 を読んでみ て,は じめてかわせみ とはちすずめがそれ と分かるもの である。 10・11ペー ジめには本文 と語注だけでカ ッ トもな く, 12・13ページめを使 って,薄緑いろの紙に大きく羽を広 げ,足 と喋を誇張 して豆絞 りの手ぬ ぐいで鉢巻 きを した 鷹が登場 している。内容的には,11ページめの「ある夕方, とうとう,たかがよだかの うち-やってきま した。云々」 と呼応 しているが,先に絵 を見れば,本文への興味をそ そるよ うに,ユーモラスな印象になっている。 14・15ページめは本文 と語注だが,加 えて14ページの 後半に二本足で直立 した鷹に3日月 と星を配 したカ ッ ト がある。 これは鷹の 「おれの名な ら,神 さまか らもらっ たのだ といってもよかろ うが,お前のは,いわば,おれ と夜 と,両方か らか りてあるんだ。 さあかえせ。」 とい う脅 し文句の背景 となっている。次の16・17ページめに は,やは り薄緑いろの紙に鉢巻 きを して直立 し,擬人化 された大きな鷹 と,これに背 を向けて振 り向いた形で対 面 している小 さなよだかが描かれている。鷹の境や足が 太 く大きいのに対 して,よだかの境が千鳥のよ うに細 く, 足 も見えないのが対照的である。内容は,前ページの鷹 とよだかの応酬す る場面 と呼応 しているのだが,絵だけ では両者のや りとりの内容は窺 えない。絵か ら人の表情 のよ うな感情表現を消去す る抽象化 によって,物語の深 刻な雰囲気を救っている。 しか し,絵か ら情緒的な表現が抹消 されているのでは な く,18・19ページめには, 「たかは大きなはねをいっ ぱいにひろげ,自分の巣の方- とんで帰って行 きま した」 とい う本文のあとに,雲の上を越 えてい く鳥のカ ッ トが あるだけだが,これに続 く20・21ページめでは,薄い灰 いろの紙に刷毛で黒い直線 を横 に太 く引いてあ り,これ が夜の空か雲を示 している。その下にすみれいろの上下 に うねる曲線がある。後のページにも同様の曲線がある ので,併せて見れば,これが連なる山脈 を示 していると わかるが,ここだけではほとん ど意味不明な曲線である。 絵の下方三分の一には,谷か森 を示す らしい深い緑の長 楕 円形の斑点がア トランダムに打たれ,それに埋 もれ る ように右ページの一番下に,小 さくうず くまったよだか の影が,董いろで描かれている。暗い画面全体がよだか の孤独な心象を投影 していると解 され る。 22・23ページめには 「よだかは, じっと目をつぶって 考 えま した。」か ら 「こん どは市蔵だなんて,首-ふだ をかけるなんて,つ らいはな しだなあ。」までの本文が あって,23ページめの後半に, 目ばか り大きく,首に市 蔵 と書いた札 をかけた ピーナツの殻 の よ うなよだかの カ ッ トがあって,哀れ と笑いを誘っている。 め じろの子 どもを助 けた挿話は,絵の表現か ら消えている。主人公 のよだかの心理に寄 り添い,孤独感 を中心に した構成だ が, これ を包むおお らかな心 も背景に感 じられ る。 次の場面か ら,宵闇が迫って くる中で,よだかは空に 飛び上がって行動的になるのだが, この時画家は,24・ 25ページめを上下に分け,上半分に本文を置 き,下半分 に絵 を配 して絵 にはやや緑がかった濃い灰いろの紙 を使 い,太い灰いろの横線の上にやや細い黒い横線 を重ね塗 りして,その下に細 く朱いろの線 を置いて,夜の闇 と雲 と夕焼けの残照を描 き,それ らとすれすれに水平飛行す るよだかが虫をとる姿を描いている。 続 く26・27ページめでは,よだかが甲虫を飲み込んで 「なんだかせなかがぞっ としたよ うに」思 う場面になる のだが,この ときは白黒のカ ッ トを大きくして27ページ 全体を使い,甲虫を追 うよだかを描いている。絵 と本文 の組み合わせが一本調子になることを避 け,またよだか の心境の変化を強調 している。 28・29ページめには,28ページの前半に本文が 「雲は も うまっくろく,東の方だけ山焼けの火が赤 くうつって, おそろしいようです。 よだかはむねがっかえたよ うにお もいなが ら,またそ ら-のぼ りま した。」とあって,28ペー ジの後半 と次ページを一枚の絵にあてている。絵には黒 い紙の下方に例の董いろの曲線で山脈が描かれ,山焼け の火が加 えられている。中央 よりやや下に赤 く太 く横 に -刷毛の線 を引いて,山焼 けの火が映った雲をイメージ
し,上段には上昇す るよだかが描かれている。本文を読 んでみると絵の意味が分かるとい う点では,今まで と同 様である。 以下の説明は省略す るが,描かれた場面は次のように 展開 している。紙のいろで時間の推移 を表 しなが ら,黒 い紙にかわせみが山火事を見ているところをよだかが訪 れている場面。藤いろの紙によだかが明け方の空を飛ん でいる場面。 白い紙にピンクの玉 と黄いろの渦で描かれ た太陽に向かってよだかが飛んでいる場面。青紫の紙に 露をつけた草の影でよだかがわずかに目を開いている場 面。紺いろの紙でオ リオン星座の下を飛びすぎる場面 ・ おおいぬ座 ・大熊座 ・わ し座 に向か う場面をそれぞれ描 き,濃紺の紙で中央に青 白くうねる天の川を下に山焼け の火を見なが ら,よだかが上に向かって飛んでいる場面 と下に向かっている場面。黒い紙でカシオペア座のそば でよだかが星 となっている場面。紺の紙によだかが白く 光 り,薄青 く縁取 られている場面 とい う具合に展開され ている。 この絵本では,絵が幼児向けである点で親 しみやす く, 絵がふんだんに使われ, しかも本文の物語の以外のこと を語 りかけない点で禁欲的であ りなが ら,本文による想 像 と絵の解釈 とに相乗効果を持たせ,本文の理解 を支え ているところに特色がある。読者 を文章に近づけるとい う意味では優れた低学年向けの絵本 といえるであろ う。 ビジュアルな表現の場合,内容が本文を写実的に説明 したものであると,読者の主体的な読みが深まるにした がって想像の自由が制約 され,作品は言葉だけで読むべ きだとい う不満 も出てくるのだが,絵が抽象的であるこ とによって読者の想像力に自由を与えて,む しろそれを 支えている。 ではそこに,画家の個性がないかといえば,決 してそ うではない。 ぎ りぎりまで単純化 されたそれぞれの画面 において,なお,視線 を引きつける配色 と線に緊張感が ある。 小林のように物語の背景にも迫 るのが,高学年 あるい は大人のフアン向けの一つの描き方だとすれば,村上の ように絵の解読 を読者 と本文 との緊張関係の中で促すの も低学年向けの一つの描き方であろう。伊勢のように絵 の中で画家の個性を強烈に僚舌に主張す るのもとも,別 の方法である。
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む す
び
本稿では,小林敏也,工藤 甲人,伊勢英子,村上康 成の絵による絵本を中心に,八人の画家による絵本の『よ だかの星』のそれぞれの特徴を見てきた。画法の特徴は それぞれに生か されているが,作品に対する理解 のあ り かたも,絵に反映 されている。技法的な魅力は,絵本作 品の必要条件であるが,決 して十分条件ではないことを 改めて確認 した。 また,絵本が生まれ る時期 によって, 画法の違いを超 えて,作品の理解に共通するものがある ことも認 められた。 また,抽象画の謎 を含んだ禁欲的な表現が,作品の本 文への強力な誘導に繋が り,同時に読者の自由な想像 を 妨げない とい う例 を知ったことは,筆者にとって大きな 収穫であった。 さし絵についても考えてみたいが,これには多数の事 例があるので,別稿にゆだねたい。注
(1) 作者の晩年にあたる1932年6月21日付け母木光宛書簡に 「こんな世の中に心象スケッチなん といふものを, 大 衆めあてで決 して書いてゐる次第であ りません。全 くさび しくてたま らず,美 しいものがほしくてたま らず ,ただ 幾人かの完全な同感者か ら 「あれはさうですね。」 といふや うなことを,ぽっん と云はれる位がまづのぞみ といふ ところです。 」 とある。 (2) 同 じシリーズで 『賢治草双』 (2004年9月) もある。 (3) 天揮退二郎 『宮沢賢治の彼方-』
(思潮社1977年11月) (4) 伊藤真一郎 「宮沢賢治 『よだかの星』試論」 (上 ・下) (「安 田女子大学紀要」16・17号」1985年10月,1989年260 木 村 東 吉 月)・中野新治 「賢治童話 はなぜ 「暗い」のか- 「よだかの星」管見」(「日本文学研 究」 (梅 光女学院大学)22号 1986年11月)参照。 ただ,ホモイが与 え られ た宝珠 の輝 きに,カ リスマ を指摘 した例 は管見 に入 らない。 しか し, カ リスマには,それ を保持す るものが,強権 をふ る うとそれがた とえ不 当な ことであって も,一時的には大衆の中 で力 を増す ものであることを見れ ば,宝珠 の輝 きにカ リスマ性 の反映をみ るのは, 自然 であろ う。 (5) 清水真砂子