Title
伊勢湾周辺域における淡水魚類・両生類を用いた比較系統
地理学的研究( 内容と審査の要旨(Summary) )
Author(s)
伊藤, 玄
Report No.(Doctoral
Degree)
博士(農学) 甲第723号
Issue Date
2020-03-13
Type
博士論文
Version
ETD
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12099/79393
※この資料の著作権は、各資料の著者・学協会・出版社等に帰属します。[6] 氏 名(本(国)籍) 伊藤 玄(岐阜県) 学 位 の 種 類 博士(農学) 学 位 記 番 号 農博甲第723号 学 位 授 与 年 月 日 令和2年3月13日 研 究 科 及 び 専 攻 連合農学研究科 生物生産科学専攻 研究指導を受けた大学 岐阜大学 学 位 論 文 題 目 伊勢湾周辺域における淡水魚類・両生類を用いた比較系統 地理学的研究 審 査 委 員 会 主査 岐阜大学 准教授 向 井 貴 彦 副査 岐阜大学 教 授 古 屋 康 則 副査 静岡大学 准教授 堀 池 徳 祐
論 文 の 内 容 の 要 旨
ある地域における生物の分布は,古環境や地史,各生物種の生態的な特性を反映させながら 長大な時間をかけて形成されてきた.生物の分布の要因を複数種の遺伝的集団構造の比較から 明らかにする研究分野として比較系統地理学があり,これまでにヨーロッパ全土や日本列島な ど広範囲な地域を対象とした研究が行われてきた.しかし,集団分化の詳細なプロセスや,環 境変動による分布の変化などを明らかにするためには,地史や気候変動のプロセスが明らかな 地域における詳細な研究が必要である.淡水性の動物は生息環境が限られ,移動性が低いこと から,これらを対象種とすることでより特定の地域における詳細な比較系統地理的な研究が可 能と考えられる.そこで,本研究では生息域が丘陵地の湧水や湿地などに限られ,移動性が極 めて低いと考えられる硬骨魚類のホトケドジョウと両生類のアカハライモリ,および流れの緩 やかな中下流域の細流などを好む底生性の硬骨魚類であるトウカイコガタスジシマドジョウの 3 種を対象とし,本州中部に位置する伊勢・三河湾周辺の地域(以下,伊勢湾周辺域)と隣接 する西静岡地域における遺伝的集団構造を調べ,各種で得られた結果を比較することで,この 地域における水生生物の遺伝的な交流を促進・制限した要因や,この地域の生物の多様性の創 出のメカニズムを明らかにすることを目的とした.遺伝的集団構造は主としてミトコンドリア DNA のシトクローム b 領域の塩基配列の比較により行った. ホトケドジョウについては,これまで伊勢湾周辺域には単一の系統(東海系統)のみが分布 すると報告されていたが,本研究により,東海系統に加えて近畿系統に属する個体群(桑名系 統)の分布を新たに発見した.桑名系統は三重県桑名市を流れる員弁川水系から分水嶺を挟ん で岐阜県大垣市上石津を流れる牧田川水系にかけて分布していた.東海系統からの分岐年代は 約91 万年前と推定され,分岐の要因として他の淡水魚類の近畿・東海系統の分岐の要因とさ れている鈴鹿山脈の隆起だけでなく,養老山地の隆起が影響していると考えられた.東海系統 はさらに3 系統(伊勢湾,三河・静岡,中津川系統)に細分され,このうち中津川系統は,他の2 系統から約 64 万年前に,赤河・屏風山・権現山断層の運動によって隔離されたことが 示唆された.また,伊勢湾系統と三河・静岡系統は,約51 万年前に三河高原の隆起によって 分断されたことが示唆された.このように,移動性が低く生息環境が限られたホトケドジョウ では,伊勢湾周辺域という限られた地域内においても地理的変異が明瞭であることが明らかと なった. トウカイコガタスジシマドジョウについては,ハプロタイプの分布と固定指数(Φst)の比 較結果から,遺伝的に西静岡,三重,愛知岐阜の3 地域に分けられたが,系統的には上記の 3 地域に生息する個体群は同じハプロタイプグループに含まれた.これらの結果から,現在の本 種は地理的に分化しつつあるが,地質年代的に比較的近い時代に起きた氷期の海水面の低下に よって伊勢湾へ流入する河川どうしが合流することで,広い範囲で遺伝的に交流してきたこと が示唆された. アカハライモリについては,伊勢湾周辺域およびその隣接地域に分布する個体群のmtDNA は3 系統に細分され,そのうち伊勢湾周辺域には,東近畿・西伊勢湾系統と広域系統の 2 系 統が分布した.広域系統は地理的に広い範囲に同一のハプロタイプが出現するなど,明確な地 理的構造は見られないが,特定の地域に固有の「地域系統」がいくつか見られた.これらの系 統については,同所的に確認された地点が多く,系統間の分布域の境界が不明瞭であり,各系 統の分布域の境に明瞭な地理的障壁がみられないことから,少なくとも現在は相互に隔離され ておらず,氷期―間氷期の気候変動の中で,地域的に隔離された個体群に由来することが考え られた. 本研究により,移動性が低く,生息環境が限定される動物種を用いれば,特定の地域におけ る比較系統地理的な研究が可能であることが示された.得られた3 種の系統地理パターン は,赤河・屏風山・権現山断層の運動や,養老山地・三河高原の隆起などの地形変動など,こ の地域における地史を反映した個体群の分化(ホトケドジョウ),海退期の古水系の接続によ る広い範囲での分散(トウカイコガタスジシマドジョウ),そして氷期―間氷期の気候変動の 中でのレフュージア的地域における複数の隔離個体群の存在と,その後の移動分散による地域 間の交流(アカハライモリ)が示唆された.このような,地殻変動や氷期・間氷期の水系の接 続・分断といった地史的イベントが伊勢湾周辺域における淡水魚や両生類の遺伝的多様性の創 出に寄与してきたと考えられる.
審 査 結 果 の 要 旨
ある地域で地質学的な年月をかけて古環境や地史、生物種の生態的な特性を反映させながら 形成されてきた生物の分布の要因について、複数の種の遺伝的集団構造を比較することで、明 らかにする研究分野として、比較系統地理がある。これまでに世界の各地で行われてきた比較 系統地理的な研究では、広範囲にわたる地域が対象とされることが多かったが、申請者 伊藤 玄は、移動性が低く生息域が限定されるような生物を対象とすれば、より小規模な地域におい ても地史を反映した比較系統地理的な研究が可能ではないかと考え、硬骨魚類のホトケドジョ ウとトウカイコガタスジシマドジョウ、爬虫類のアカハライモリの3 種を用いた比較系統地理 的な研究を行った。対象とした地域は伊勢湾周辺地域と、隣接する西静岡地域である。この研 究により、伊勢湾周辺域やその接続地域を含めた地域における3 種それぞれの遺伝的集団構造が明らかになった他、この地域における水生生物の分布を形成した要因や、遺伝的多様性創出 のメカニズムとして以下のような新規の仮説が提示された。 1)これまでの淡水魚類を対象とした研究では、鈴鹿山脈が東海地方と近畿地方の生物分布を 分断する障壁とされてきたが、本研究では養老山地の隆起によってもう一つの障壁が生じ,鈴 鹿山脈と養老山地の間に移動性の低い淡水魚の固有の系統を生じさせた。2)伊勢湾周辺地域 では赤河・屏風山・権現山断層の運動や、三河高原の隆起などが新たな淡水魚類の地理的分化 を促進する要因となった。3)海退期の古水系の接続は、伊勢湾周辺域内だけでなく、伊勢湾 周辺域と西静岡地域間の遺伝的な交流を促進していた。4)種によっては、古水系を介した交 流の後で再び遺伝的な分化が生じつつある。 以上のような新規の仮説は、地域に限定されたものではあるが、対象とする生物種の生態的 な特性を利用すれば、小規模な地域において詳細な比較系統地理学的研究が十分に可能である ことを示した点で、評価できる。また、各種で得られた遺伝的集団構造に関する最新の知見 は、昨今、生息数を減らしつつあるこれらの水生生物の保全・保護対策の策定に対して重要な 情報となるものである。 基礎となる学術論文
1) Gen Ito, Yasunori Koya, Shigeru Kitanishi, Tokumasa Horiike, Takahiko Mukai: Genetic population structure of the eight-barbel loach Lefua echigonia in the Ise Bay region, a single paleo-river basin in central Honshu, Japan Ichthyological Research, 66(3), 411-416, 2019. 2) 伊藤 玄・古屋康則・堀池徳祐・向井貴彦:トウカイコガタスジシマドジョウの遺伝的集団 構造.魚類学雑誌. 印刷中 既発表学術論文 1) 伊藤 玄・藤井伸二:自然史系博物館資料の資料管理者に求められる行動規範.地域自然史 と保全, 37(2), 147-159, 2015. 2) 浅香智也・伊藤 玄・鳥居亮一・川瀬基弘:矢作古川分派施設に造成された仮説切り回し水 路における魚類などの水生生物調査.碧南海浜水族館年報. 28, 23-27, 2016. 3) 向井貴彦・北西 滋・伊藤 玄・古屋康則:岐阜県の河川におけるブラウントラウトの分布 拡大. 魚類学雑誌.63(2), 157-159, 2016. 4) 伊藤 玄:岐阜県郡上市鬼谷川上流域における聞き取り調査に基づく 1940 年代の魚類相. ボテジャコ.22, 63-73, 2018. 5) 伊藤 玄・松本佳大・近藤湧生・安藤志郎:美濃加茂市民ミュージアムに収蔵された魚類液 浸標本:1989−2018 年.美濃加茂市民ミュージアム紀要.18, 24-31, 2019. 6) 伊藤 玄・北西 滋・古屋康則・向井貴彦:岐阜県神通川水系小鳥川から確認されたカジカ 小卵型.日本生物地理学会会報.74, 13-17, 2019. 7) 伊藤 玄・大原隆明・横内 茂:ヤマザクラ・エドヒガン群生地の名勝及び天然記念物・霞 間ヶ渓に生育するサクラ亜属植物の種組成と来歴.保全生態学研究.(印刷中) 8) 伊藤 玄・田丸理恵・草留大岳・長屋美希・古屋康則:小・中学生を対象とした水生生物の 同定をサポートする「生き物シート」の有効性の検討.岐阜大学教育学部研究報告.(印刷
中)
9) 伊藤 玄・草留大岳・日比野敦稀・平野史也・中西陽人・島部日向子・長屋美希・古屋康則: 揖斐川水系牧田川支流今須川の魚類相.岐阜大学教育学部研究報告.(印刷中)