著者
金子 光一
雑誌名
福祉社会開発研究
巻
11
ページ
81-89
発行年
2019-03
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00010457/
理論・歴史グループ 研究員 東洋大学社会福祉学研究科 教授
金子 光一
参加型支援に求められる思想に関する一考察
―スミス、ミル、オウエンの思想を通じて―
キーワード:相互負担義務 関係性 平等性 協同性はじめに
社会福祉の領域では、地域のあらゆる住民が役割を 持ち、支え合いながら、自分らしく活躍できる「地域 共生社会」の実現が目指され、住民主体の地域課題解 決体制の構築が求められている。2017(平成29)年12 月12日に厚生労働省子ども家庭局長、社会・援護局長、 老健局長の連名で都道府県知事らに示された「地域共 生社会の実現に向けた地域福祉の推進について」にお いても、「パートナーシップ型住民参加」として「地 域住民も『福祉は行政が行うもの』という意識を改め、 行政も『福祉は行政処分で対処するもの』という意識 を改めて、地域社会の全構成員(住民等)がパートナー シップの考えを持つことが重要である」としている1。 パートナーシップ(partnership)は、フレンドシップ (friendship)と同様に「状態・性質」を表すもので、「連 携、共同、協力、共同事業」を意味する言葉である。 しかしながら、ここで考慮しなければならないこと は、そのような状態を築き上げる上で、求められる 福祉思想である。とりわけ、相互義務を果たす上で求 められるのが、相手を正しく認識して受け入れ、相手 にも自分のことを認めてもらうという双方向の行為で あり、それを支える思想の分析が必要である。そこで、 本稿では、相互義務の背景にある福祉思想を、アダム・ スミス(Adam Smith)、ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill)、ロバート・オウエン(Robert Owen)の 思想から検証し、明らかにすることを目的とする。具 体的には、スミスの「義務の感覚」(sense of duty)、ミ ルの「尊厳の感覚」(sense of dignity)、オウエンの「‘結 束と相互協力’の思想」(idea of ‘unity and mutual co-operation’)から導かれる基盤思想とそれぞれの特徴(「関 係性」「平等性」「協同性」)が、今後参加型支援を支え る思想を検討する際に求められる理論的枠組みとなり 得ることを立証する。1.アダム・スミスの「義務の感覚」
道徳哲学者で「古典派経済学の祖」と目されてい るアダム・スミスは、1759年に『道徳感情論』(The Theory of Moral Sentiments)をまとめている。この書の冒頭でスミスは次のように述べている。「人 間がどんなに利己的なものと想定され得るにしても、 明らかに彼の本性のなかには、いくつかの原理があっ て、それらは彼に他の人びとの運不運に関心をもた せ、彼らの幸福を、それを見るという快楽の他には何も、 彼はそれから引き出さないのに、彼にとって必要なも のとするのである。」(Smith, 1759:13) 『道徳感情論』の副題は「人々が普通に、まず彼の 隣人たちの行動や性格、のちに彼自身のそれについて、 判断をくだす場合の諸原理を分析するための論議」で
あり、「人間は利己的であるが孤立的でない、そこで人 間は他人の運命に関心をもつ。その関心が同感(fellow feeling)と同情(sympathy)であり、それが道徳の実 態である」と説いている。スミスにとっての「同情」は、 自由かつ平等に自己の利益を追求しながら生活状態を 改善する個々人の生活ルール、すなわち「一般的諸規 則」(general rules)の根底に位置づけられるものであっ た。スミスは次のように述べている。「大抵の場合にわ れわれの感情が何に対応するかについてのわれわれの 先行の経験から引き出された一般的諸規則が、われわ れの現在の諸情動(emotions)の不適宜性を訂正する。」 (Smith, 1759:23-24) スミスは、人間は他者との継続的な関わりのなかで、 気づかぬうちに、何をなすべきか、どれを回避するこ とが適切であるか、といった一般的諸規則を自己のな かに形成すると考えた。また、「行為の適宜性」(Propriety of Action)について人間性の基本的傾向(「自己への こだわり」と「他者との比較」)を統合して論じている。 これに対して宇野重規は「スミスの理論が卓越してい るのは、『自己へのこだわり』と『他者との比較』という、 平等化社会における人間性の基本的傾向を統合して論 じている点といえる」(宇野2010:165-166)と述べている。 さらに、一般的諸規則は、われわれに正義(justice) と善行(beneficence)を勧めるとスミスは指摘する。 「この一般的諸規則は、次の二種類の規則からなる。第 一の規則は、行為を受ける人が憤慨するような行為を 禁止し、第二の規則は、行為を受ける人が感謝するよ うな行為を推奨するといえる。第一の規則は、「正義」、 すなわち他人の生命、身体、財産、名誉を傷つける行 為を行なわないことをわれわれに指示し、第二の規則 は、「善行」、すなわち他人の利益を増進する行為を行 なうことを指示する。」(堂目2008:56) そしてスミスは、「善行」よりも「正義」に対して われわれは強い義務感をもつものであると論じている。 スミスは次のように述べる。「善行は正義よりも、社会 の存在にとって、不可欠ではない。社会は善行なしに も、もっとも気持がよい状態においてではないとはい え、存立し得るが、不正義の横行は、まったくそれを 破壊するにちがいない。」(Smith, 1759:104)そのため 「正義」だけが法という形で制度化されたとスミスは説 明している。 さらに、スミスは、善行的な行為を駆り立てる感情 が、寛容、人間愛、親切、同情、友情などであると考 え、一般的な人間がこれらの感情を快いものとして好 むことを踏まえて、これらの感情の発現に着目してい た。すなわち、善行的な行為が、行為者の義務感だけ ではなく、それを駆り立てる個々人の感情から生じる 点に関心があったと考えられる。(堂目2008:60-61) このことをスミスは次のように表現している。「善行 の単なる欠如は、同等の人びとからの処罰には値しな いと思われるが、その徳のいっそう大きな発揮は、最 高の報償に値するように見える。それらは、最大の利 益(善)を生み出すものであることによって、もっと もいきいきとした感謝の、自然で是認された対象なの である。反対に、正義の蹂躙は処罰の的になるけれども、 その徳の諸規則を守ることは、ほとんどいかなる報償 にも値しないように思われる。」(Smith, 1759:99) そして最後にこのように締めくくる。「人間社会の全 成員は、相互の援助を必要としているし、同様に相互 の侵害にさらされている。その必要な援助が、愛情から、 感謝から、友情と尊敬から、相互に提供される場合は、 その社会は繁栄し、そして幸福である。」(Smith, 1759: 103) 次に「義務の感覚」(sense of duty)に関する議論に 移りたい。スミスは、自分の行為の基準として一般諸 規則を顧慮しなければならないと思う感覚を、「義務の 感覚」と呼び、「義務の感覚が、われわれの行動の唯一 の原理であるべきだということは、とうていキリスト 教の戒律ではないが、しかし、哲学が指示するように、 また常識さえもが指示するように、それは支配的およ び統制的な原理であるべき」(Smith, 1759:198)であ ると考えた。
そして「すべてのありふれた小さな通常の場合にお ける、私的利害関心の諸対象(the objects of private interest)の追求は、その諸対象自体に対するどんな情 念からよりも、むしろ、そのような行動を規定する一 般的な諸規則への顧慮から出るものでなければならな い」(Smith, 1759:199)と述べている。 ここでスミスは、私的利害関心の諸対象の追求が、 喜びや怒り、悲しみなどの諸情念よりも、一般的諸規 則への顧慮、すなわち「義務の感覚」から生じるもの であることを論じている。 そのことについて堂目卓生は、「利己心や自愛心は義 務の感覚のもとに制御されなければならないし、通常 は制御されるはずであるとスミスは考える。このこと を理解しておくことは、『国富論』におい て、スミスが 利己心にもとづいた自由な経済活動を容認したことの 意味を正しくとらえる上で非常に重要である。無制限 の利己心が放任されるべきだという考え方は、スミス の思想からは出てこない」(堂目2008:59)と分析して いる。 スミスが考える徳をもった人物は、「義務の感覚」を もち、一般的諸規則を身につけ、他者の痛みや抱えて いる問題に気づくことができる人物であった。そのこ とはスミスの次の言葉から明らかである。「もっとも 完全な徳をもっている人は、われわれが自然にもっと も愛し尊敬する人は、彼自身の本源的で利己的な諸気 分に対するもっとも完全な規制に、他の人びとの本源 的気分および同感的な気分の双方へのもっともするど い感受性を結びつけている人である。」(Smith, 1759: 175) ペンギン・クラシックスから出版された『道徳感情 論』の復刻版の序章を担当したアマルティア・セン (Amartya Sen)は、いかなる者も排除しない包摂的な スミスの主張を次のように論じている。「スミスの道徳 論・政治論の世界的な拡がりは、もちろん、彼の独創 的な考えの特殊性を示しているが、すべての人が同様 に―政策立案のための―もっとも重要な可能性をもち、 また、世界中の不平等が自然にというよりむしろ社会 的に作り出された格差によって表出しているという信 念によって強く補われている。」(Smith, 1759:xxiv)
2.ミルの「尊厳の感覚」
ミルは、最大多数の幸福を追求する過程で、人間が もつ本性の活動そのものの価値と役割を認め、人間の 尊厳の意識に価値を見出していた。ミルが最初に「尊 厳の感覚」という表現を用いてそのことを示したのは、 1838年の「ベンサム論」であったと考えられる。ミル はその論稿でベンサムが看過している点として「名誉 と人格的尊厳との感覚」(sense of honour and personal dignity)をあげ、次のように論じている。 名誉と人格的尊厳との感覚とは、「すなわち、他の 人々の意見に頼らずに、あるいはそれを真っ向から無 視して働くことさえある個人的向上と堕落の感情。芸 術家の情熱である美に対する愛情。あらゆる事物にお ける秩序、一致、調和、目的に対して適合を求める愛 情。他者を支配する力というような狭い形の力ではな く、抽象的な力であり、われわれの意志を実現させる ための力に対する愛情。」(Mill, 1838:153)である。 ミルによれば、「尊厳の感覚」は、それを強く感じ る人の幸福の本質的な部分となっているので、それと 対立するものは、一時的な場合を除いて彼らの欲求の 対象になることができないとされる。(Mill, 1861:280-281)そしてそのことを1861年に公にした『功利主義論』 (Utilitarianism)で明確に示している。「もっとも適切 な名称は尊厳の感覚であって、それはすべての人間が 何らかの形で所有し、彼らの能力の高級さに決して正 確にではないがある程度比例して、所有しているもの なのである。」(Mill, 1861:280-281) このようにミルは、知性、情動、道徳感情などの高 次の能力をもつ者が動物的欲求しかもたない者になり たいと思わないのは、高次能力を備えていることが当事者の「尊厳の感覚」を満たすからであると考えた2。(水 野 2008: 26) さらにミルは貧困の問題も人々がこの「尊厳の感覚」 を身につけることによって解決できることを、次のよ うに述べている。「窮乏は、どんな意味でも苦悩を含 むが、やがて社会の英知が、個人の良識および先見に 支えられて、完全にこれを絶滅させるだろう。」(Mill, 1861:286)このように道徳的理念に訴えるミルの主張 は、他人の善のためなら自分の最大の善を犠牲にする 力が人間にあることを認めている功利主義倫理に基づ いている。(Mill, 1861:288) しかしながら、ミルは、倫理学者がしばしば「道徳 的義務」(moral duties)を、「完全な拘束力をもつ義務 と不完全な拘束力をもつ義務」(duties of perfect and of imperfect obligation)の二種類に分けていることを示し ながら、後者について次のように論じている。「後者は、 行為そのものは拘束的であるが、それを行うそれぞれ の機会はわれわれの自由な選択にまかされている場合 である。たとえば慈善や善行の場合がそれで、実際わ れわれは実践しなければならないが、特定の相手に対 してでもなければ、定まった時期にでもない。…不完 全な拘束力をもつ義務とは、何の権利も生まない道徳 的 拘 束 力(moral obligations) で あ る。」(Mill, 1861: 322) そして「善行はつねに無償(自由)であって、それ は力ずくで奪いとられるものではありえず、それの単 なる欠如は、いかなる処罰にもさらされない。なぜな らば、善行の単なる欠如は、何も現実的で積極的な害 悪をもたらす傾向がないからである。」(Smith, 1759: 95)と述べたスミスと同様、慈善や善行を行う道徳的 義務は、基本的に市民にはないことを次のように述べ ている。「何人もわれわれの寛大さや恩恵に対する道徳 的権利をもっていない。なぜなら、われわれは、ある 特定の個人に対して徳を実践する道徳的義務を負って いる訳ではないからである。」(Mill, 1861:323) そして、「正義」と「便宜」(expedient)を明確に区 分し、「功利を基礎とする正義がいっさいの道徳の主要 部分であり、…もっとも神聖で拘束力の強い部分だと 私は考えている」(Mill 1861:pp.332-333)と述べている。 すなわちミルは、正義こそが人間の福祉の本質にかか わり、絶対的な拘束力をもつものと考えていた。これ は正義の概念の本質に「権利」が存在することと不可 分ではない。ミルはどんな格言よりはるかに大切なの は、人類が互いに傷つけあうこと(このなかには相互 の自由の不当な干渉を含む)を禁じている道徳律と考 えており、そのことに関心をもっていた。そしてそれは、 人々が相互に助け合う道徳的義務を説くことよりも優 先されるものと考えていた。そのことは次の一文に表 れている。「互いに積極的な善行の義務を説くことには 明らかに関心をもっているが、関心の程度ははるかに 低い。人間にとって、他人の恩恵は必ずしも必要でな いが、他人から害を受けないことは、いつでも必要だ からである。」(Mill, 1861:333) ただミルはその一方で、人間・階級間の法律上の特 権による不平等を批判し、そのような状況が人類の大 部分を不幸な事態に招いている(Mill, 1861:305)こと を踏まえて、「人間の交わりは、主人と奴隷でないかぎ り、すべての人の利益が考慮されるような関係の上に しか成り立たない」と主張している。(Mill 1861:304) そして「尊厳の感覚」を重視し、功利主義的倫理に支 えられた平等な社会を目指し、その生活を保障するた めに、人々には「だれでも他人と平等の立場で生活す ることが義務づけられている」(every one is obliged to live)と論じている。(Mill 1861:304)すなわちミルの 義務に対する考え方は、スミスから一歩進んで平等な 社会に向けたものであったことがわかる。 そして次のように『功利主義論』を締めくくる。「善 をもって善に報いることが義務であるならば、当然こ ういう結論がでてくる。われわれは、われわれに等し く尽くした人々全部を(もっと高い義務が禁じないか ぎり)等しく優遇すべきであり、社会もまた、社会に 等しく尽くした人々全部を、つまり等しく絶対的に尽
くした人々全部を、等しく優遇すべきであると。これ こそ社会的・個別的正義の最高の抽象的標準である。」 (Mill, 1861:335)
3.オウエンの「‘結束と相互協力’
の思想」
ここまでスミスの個々人が有する一般的諸規則に基 づく「義務の感覚」、ミルの「尊厳の感覚」によって成 り立つ平等な社会生活についてみてきた。そこで最後 にそれらの感覚をもつ人々がどのように他者とつなが るか、そのために必要な条件について、オウエンの思 想から考えてみたい。 かつて著者は、アソシエーション(association)とし ての地域社会に住民が積極的に参加していくための方 策を探る上で、オウエンの思想に焦点を当てた研究が 重要な意味をもつと考え、それについてまとめたこと がある3。そこで浮き彫りとなった「結束と相互協力」 の思想は、人間が他者とつながりをもつ上で示唆的な 内容を含むものであった。 例 え ば、1817年3月 に 下 院 救 貧 法 委 員 会 に 提 出 し た『救貧委員会報告』(Report to the Committee of the Association for the Relief of the Manufacturing and Labouring Poor, referred to the Committee of the House of Commons on the Poor Laws, March, 1817)は、 Owenのユートピア計画をはじめて明らかにしたものと 位置づけられているが、この報告書には、オウエンが「結 束と相互協力の村の見解と計画」(A View & Plan the Villages of Unity and Mutual Co-operation)と名付け た共同体の配置図が添付され、具体的な提案が記され ている。(Owen, 1817:53-64)また、この報告書が提出 された年の1817年8月9日の「タイムズ」(The Times)で、 オウエンは次のように論じている。 「もはや誰とでも不和になることも、差別されて嘆き 悲しむような事態になることもあり得ない。…助けの 手はいつでも、誰にでも差し伸べられる。あらゆる悪 の根源は絶たれ、あらゆる領域で結束と相互協力とす べての共通の実践が容易に実行される。」(Owen, 1858: 89)ここには、共同社会における相互協力の必要性と それを支える人間性の復活こそが社会変革につながる というオウエンの主張がみられる。オウエンは、それ を性格形成原理に基づく人間愛(charity)の教育で実 現しようとしたと考えられる。 オウエンは1825年5月1日の演説「ニュー・ハーモニー 準備社会の憲法」(The Constitution of the Preliminary Society of New-Harmony)で次の規約を述べている。 「会員の一般的義務: 会員はすべて、年齢、経験、能力にしたがって、この社会の福祉(the welfare of the society)のために、それぞれ最善のサービス(their best services)をすべきである。その福祉のために必要 な仕事に経験を持たない場合には、何か有用な職業な いし雇用の知識を得るよう、精進し努力しなければな らない。…会員は、それぞれの行為の全体について節 度あり、正常で、秩序正しくなければならない。それ ぞれの仕事においては、年齢、能力、体格に応じて勤 勉でなければならない。」(The New-Harmony Gazette, No.22, whole number 1, October 1, 1825, 3)
このようにオウエンは、コミュニティの構成員に対 して、それぞれの状況に即した「最善のサービス」を 義務として行うことを求めていた。しかしながら、そ の義務は外部から受動的に課せられるものではなく、 諸原理によって合理的に教育された者が、同情や思い やりの感情に基づいて他者に対して能動的に行う義務 であった。そしてそれが「結束と相互協力」という形 になることで、個人の幸福をもたらすと同時に、現在 の悲惨な環境を、幸福を増す別の環境に変えていくこ とにつながると考えていた。 ここには、共同社会における相互協力の必要性とそ れを支える人間性の復活こそが社会変革につながると いうオウエンの主張がみられる。オウエンは、それを 性格形成原理に基づく慈愛の教育で実現しようとした
と考えられる。 金子晃之はそれを特殊な「隣人愛」教育と位置づけ ている。彼の研究によれば、オウエンの主張する「隣 人愛」は信仰ではなく理性を介して創出されるもので あり、人と人を結びつける社会編成のための基礎になっ ている。すなわち、人間の性格が環境に規定されると いう性格形成原理を人が理解することにより、他者の 悪徳の責任を個人に帰着させるのではなく、これを環 境によるものと理解し、他者を許容し「隣人愛」を抱 くに至る見解が、オウエンの社会編成論の基礎をなし ているとされる。そして、この「隣人愛」は自然に形 成されるものではなく、そのための意図的・計画的な 実践が必要であるとしたオウエンの主張に特殊性があ ると指摘している4。 オウエンが誰かが行った悪徳の責任をその当事者に 帰着させるべきではないという考え方を有していたこ とは、1823-4年、協同協会(Cooperative Society)主催 のチャンサリ・レーン(Chancery Lane)で行われた公 開討論会で、オウエン主義者と友好的な論争を行った ミルも指摘している5。「オウエン氏は主張する。そもそ も処罰ということが不正なのだ。なぜなら、犯罪者が 自分の性格をつくったのではなく、彼の受けた教育が、 また彼をとりまく環境が、彼を犯罪者にしたてたのだ から。そして教育や環境については、彼に何の責任も ない、と。」(Mill, 1873:329) また、丸山武志は、オウエンが、教育論または協同 村の教育の中心になるのは、相互扶助を基調とした親 切、チャリティおよび博愛といった「道徳的徳性」を 教えることであると述べていることを踏まえて、「チャ リティ・親切・博愛といった相互扶助の精神を身につけ、 それらを土台とする協同村が建設されれば、人類は永 遠に『福祉と幸福』で満ちあふれた状態になるであろう、 とオウエンは希望的に考えた」(丸山1999:112-113)と 述べている。 オウエンは『社会に関する新見解,あるいは,性格 形成の原理ならびにその原則の実際適用に関する論文』
(A New View of Society: or Essays on the Principle of the Formation of the Human Character, and the Application of the Principle to Practice 以下,『新社会 観』と略す)で、隣人愛、仁愛、親切な行為が人間性 の特徴となることを、次のように論じている。「人類の 悲惨がこれほどの範囲に広がり続けてきたのは、まさ に、人類大衆に今日まで教えられてきたすべての体系 における、これらの根本的な誤りのためである。…そ して、首尾一貫性とわれわれの判断力が明示するとこ ろによって真理であると証明される、この正しい諸原 理を採用せよ。それによって、…隣人愛の精神(mental charity)、心にしみる仁愛(heartfelt benevolence)、互 いの親切な行為(acts of kindness to one another)が、 人間性の著しい特徴となるだろう。」(Owen, 1813:52)
そしてオウエンは、「人間が、その性質上享受可能 なすべての幸福を、永遠に捉えていることのできる 方法は、一つしかない ―すなわち,各個人の利益の ためにすべての人が結合し協力する(the union and cooperation of All for the benefit of EACH) こ と で あ る。」[New Harmony Gazette, Vol.Ⅱ, No.14, whole number 66, January. 3, 1827, 105]と述べている。す なわち,すべての人の幸福な生活を維持するためには, 他者の利益に配慮しなければならず,それは実は個人 の自己利益のためであると主張している。 オウエンのこの考え方は、1830 ~ 40年代においても 継続して主張される。オウエンの思想の集大成といわ れる『新道徳世界の書』(1836-44)の要点をまとめた『人 類の精神と実践における革命』(The Revolution in the Mind and Practice of the Human Race)の第4章に示 された「普遍的憲法と法典」からもそれを読み取るこ とができる。「普遍的憲法と法典」の第3部「理性的宗 教の原理と実践」(The Principles and Practices of the Rational Religion)の法17では次のように記されている。 「人間は、同類全体に対し純粋な慈悲心と誠実な愛情と
を感じ、あらゆる場合に真実のみを語り、生命を有す るすべてのものを憐れみの気持ちで遇するように、生
まれたときから彼を訓練するような外的環境に囲繞さ れてはじめて、すぐれた、恒久的な幸福の状態を達成 することができる。」(都築1975:443)
4.スミス、ミル、オウエンの思想
の共通基盤と「関係性」
「平等性」
「協同性」
ここまでスミス、ミル、オウエンの思想から、人が 他者を支援する場合に求められる思想について検証 してきた。これは福祉の支援を行う際に問われる本 質的な価値の問題である。また、三者に共通してい るのは、いわゆる「利他主義の行動」として展開さ れる「善行」(charity)である。ロバート・ピンカー (Robert Pinker)が述べているように、「利己主義と 利他主義を二者択一的な選択肢として取り扱う分析方 法では、福祉の義務(welfare obligation)と権利付与 (entitlement)に関する人々の考えを特徴づける忠誠の 微妙な相互作用の実態を、適切に捉えることができな い。」(Pinker1979:10)スミス、ミル、オウエンは、利 他主義を単に利己主義と対峙する概念として捉えてお らず、その本質と実態に即した思想を展開している。 しかしその一方で、三者の相違点も浮き彫りになっ た。スミスはその「善行」が自身の一般諸規則から行 われるが、人々は「善行」よりも「正義」に対して強 い義務感をもつものであると論じている。また、ミル も尊厳の感覚はすべての人が所有しており、他人の善 のためなら自分の最大善を犠牲にする力が人間にはあ ると主張しながら、「善行」はあくまでも「不完全な義 務」と捉え、「正義」こそが人間の福祉の本質にかかわ り、絶対的な拘束力をもつものと考えていた。それに 対して、オウエンは人々がつながり合うためには「結 束と相互協力」が必要で、そのために必要な「善行」は、 隣人愛や仁愛、他者への思いやりに支えられた「真理」 (truth)であり、その精神の涵養こそが重要であると主 張している。 これらの思想は、地域住民が支援を行う責務を考え る際の枠組みを検討する過程においては有益な材料を 提供してくれる。なぜならそこに、かつてウルムソン (O.Urmson)が提起した道徳的行為(Urmson 1969: p.68)、すなわち「普通の市民の通常の期待を超えるよ うな道徳的行為」と「義務の要請の範囲内で行われる 道徳的行為」の意義と境界線が示されているからである。 例えば、スミスが述べる「義務の感覚」もミルが主 張した「尊厳の感覚」も、人類の存在そのものに関わ るものであり、人と人との関係性においてもっとも重 要な感覚である。そして、彼らが捉えていた「善行」は、 スミスが述べているように「寛容」「人間愛」「親切」「同 情」「友情」に駆り立てられた感情によって行われるも のである。そのような意味で、彼らが主張する道徳的 行為は、あくまでも義務の要請の範囲内で行われるも のである。しかしそれに対して、オウエンの「結束と 相互協力」の思想は、協同性を核とするもので、独立 した個人や教育を受けた子どもたちが基本的なルール のもとでつながる協同体組織を目指すために必要なも のである。この思想は、通常の期待を若干超える道徳 的行為を求めている。オウエンは、個人の信仰、見解、 習慣といったものは絶対的なものではなく、それらを 相対化することが重要であり、人間相互の相違が環境 によるものであるという認識に立ち、他者の利益を推 論しながら形成される共同社会、個人としての自由と 社会の自由とが絶対的に調和する共同社会が存在する と考えていた。そして、人々が相互に助け合い、協力 し合える社会を目指す場合、『推論能力』(reasoning faculty)の涵養が必要であることを強調している。 さらに、スミスとミルの思想は、共に、社会で暮ら す人間の存在を支える思想を基盤として展開されてい たものであるが、スミスは人と人の「関係性」を重視 しながら、個々人の感情に焦点化した議論をしている のに対して、ミルは、他者と対等な関係(「平等性」) をもって生活できる社会を目指す上で求められる感覚(「尊厳の感覚」)について論じている。そしてオウエン は支配と保護を中核とする再分配の形態ではなく、「協 同性」を核として一定の権力が付随する互酬交換の形 態にルーツをもつ論理を展開している。三者から導 かれる「関係性」「平等性」「協同性」の思想の検証は、 今後住民参加型の支援を支える思想を検討する際に求 められる理論的枠組みとなり得ると考えられる。
おわりに
地域の住民相互が連携したり、共同事業を行ったり する場合、個々人が担うべき義務(いわゆる「相互義務」) はどのようなもので、それはいかなる思想によって遂 行されているのかを明らかにすることは、地域住民が 支援の担い手となった場合、どのような責務が課せら れるかという問題につながっている。そのような問題 意識から本稿では、スミス、ミル、オウエンの思想を 検証した。 人間の存在の根源が「関係性」や「協同性」にある ことは、古川孝順も述べている。「社会福祉の源流は、 …人類とともに古い相互扶助活動である。それは、人 間としての存在の根源に関わり、また社会の存立に関 わっている。人間としての存在の根源は、関係性と協 同性である。」(古川 2002:13) しかしながら、その人間の存在の根源に関わる「関 係性」「平等性」「協同性」を、近代化の過程のなかで、 合理的なものを優先する社会の動きのなかで軽視して きたことが、今日的課題を深刻化している。「パートナー シップ型住民参加」を支える根源が、「関係性」「平等性」 「協同性」にあるならば、それを具現化する住民主体の 地域課題解決体制でなければ形だけのスローガンに終 わってしまう。地域住民の担い手としての意識化や地 域課題の普遍化のみでその体制を構築できる訳ではな く、人と人の関わりや共に認め合い、連携しながら協 同する取り組みができる条件をいかに整備するか、そ のための理論的な根拠をまず解明することが必要であ るように思う。 [付記] 本研究は、JSPS科研費(JP18K02119)「ロバート・ オウエンの思想を通じた『相互承認』の場の形 成に関する研究」(代表:金子光一)の成果の 一部である。 【注】 1 https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12600000... /0000189728.pdf(閲覧日:2018.11.10.) 2 このような人間の尊厳や個性を強調するミルに対して、 功利主義から逸脱したことを意味すると論じているのが、 マイケル・サンデル(Michael Sande)である。彼は人間 の尊厳や人格という道徳的理念は、「効用」そのものとは 無関係であるという視点から、次のように分析している。 「(ミルの主張において)何が高貴で何が卑しいかを判断 する唯一の基準は、もはや現実の欲求ではない。いまや その基準は、われわれの願望や欲求とは無関係な人間の 尊厳という理念から引き出されている。」(Sandel, 2009: 55-56) 3 金子光一(2017)「ロバート・オウエンの思想における『相 互義務』と『権利付与』」社会政策学会編『社会政策』第 9巻第2号、113-122頁 4 金子晃之(1999)『ロバート・オウエンの社会編成原理に おける隣人愛のコニュニティ』一橋大学大学院、博士論 文(甲87号) 5 「協同協会(Cooperative Society)というオウエン主義者 の団体があって、チャンサリ・レーン(Chancery Lane) で毎週公開討論会を開いた。…週1回の集会が5、6週間続 いた。この討論会が終わると、オウエンの思想体系の一 般的な価値に関連した別の討論が始まり、論争は、合わ せて約3 ヵ月続いた。それは、オウエン主義者と、彼らが 不俱戴天の敵とみなしていた経済学者との間の一騎打ち であったが、完全に友好的な論争であった。経済学を代 表するわれわれも、彼らと同一の目的を目指していたの で、そのことを明らかにしようと努力した。そして彼ら の側の中心的な人物は、私がよく知っていたコークのウィ リアム・トンプソン氏で、この人は、富の分配に関する 書物と、父の『統治論』の女性に関する節に反論する女 性のための訴えの著者であった。」(Mill, 1873:105-106) なお、トンプソンは労働全収権思想に基づいて実験的に 小規模で民主主義的なアソシエーションを建設すべきで あるという思想を有していた。トムソンは、次のように【文献】 堂目卓生(2008)『アダム・スミス『道徳感情論』と『国富論』 の世界』中公新書 古川孝順(2002)「社会福祉援助の価値規範―社会と個人の交 錯するところ」古川孝順他著『援助するということ』有 斐閣 金子光一(2017)「ロバート・オウエンの思想における『相互義務』 と『権利付与』」社会政策学会編『社会政策』第9巻第2号 丸山武志(1999)『オウエンのユートピアと共生社会』ミネルヴァ 書房
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宇野重規(2010)『〈私〉時代のデモクラシー>』岩波新書 O.Urmson, 1969, ‘Saints and Heroes’, in Joel Feinberg(ed.),
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や経験によって得た知識によって、私は労働者の自発的 なアソシエーション(voluntary association)の制度と労 働生産物の平等な分配を強く好ましいと思うようになっ た。」(Thompson, 1827: 99)