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「情報化社会への視座」の萌芽--1950年代から1960年代日本における「コンピュータ技術」、「情報化社会」の朝日新聞記事の分析 利用統計を見る

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「情報化社会への視座」の萌芽--1950年代から1960

年代日本における「コンピュータ技術」、「情報化

社会」の朝日新聞記事の分析

著者

伊達 康博

雑誌名

白山社会学研究

15

ページ

51-62

発行年

2008

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00003452/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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      「情報化社会への視座」の萌芽

一1950年代から1960年代日本における「コンピュータ技術」、「情報化社会」の

      朝日新聞記事の分析一       伊達  康博’

12345

はじめに 「情報化社会」と「コンピュータ技術」に関する時代区分 1950年∼1967年の「電子計算機」に関する記事分析 1968年∼1974年の「コンピュータ技術」、「情報化社会」の記事分析 おわりに 1.はじめに  本稿では新聞記事を分析対象として、「コンピュータ技術」と「情報化社会」の言説を分析し、社会と 技術における報道の役割を検討することを目的とした。そのうえで、本稿では新聞記事の中で「情報化 社会」のコンセプトが一般的に流通し始めた前後における文脈の推移に着目し、分析を行なった。  日本における情報化社会およびコンピュータ技術を歴史的に検討するにあたっては、「情報化白書 2006年版」における時代区分を参考にした。そのうえで、本稿で扱う時代的区分を日本におけるコンピ ュータの技術的変遷と情報化社会の胎動に限定することとした。  第2次世界大戦後の日本でコンピュータ研究が始動し製品化に至る段階(1950年代∼1960年代前半)を 1っ目の区切りとした。そして、コンピュータが業務用において徐々に普及し、一般の人々がその技術 を享受し始めた段階(1960年代∼1970年代前半)を2つ目の区切りとした。  なお、コンピュータ関連の新聞記事を探索するにあたっては、朝日新聞の1950年から1970年の記事 を対象にデータベースにて検索を行なった。そして、得られた結果から前述の時代区部に基づいて、① 電子計算機の黎明期(1950年代∼1960年代前半)と②情報化社会の胎動期(1960年代∼1970年代前半) の2っに振り分けた。そのうえで、本稿においては、情報化社会の基幹技術であるコンピュータ(電子計 算機)と社会そのものの情報化に関してどのように伝えられたのかということが検討の対象となるため、 検索によって得られた結果から、次の記事を分析の対象にすることとした。  それらは、前述の時代区分に基づき、それぞれ、①電子計算機の黎明期では、1953年から1960年の7 年間における電子計算機関連の全記事27件と、この期間において表題に唯一「電子計算機」という語を 用いた1965年の社説「電子計算機産業と国産技術」を選び、②情報化社会の胎動期では、朝日新聞の社 説において初めて情報化社会が論題となった1968年の社説「情報化社会への長期計画確立を」と情報化 社会に関する連載特集「特集・情報化社会:第1部『コンピューターがなんだ』」、「第2部『システムに 挑む』」を対象に検討を行なった。 2.「情報化社会」と「コンピュータ技術」に関する時代区分 (1)コンピュータのアーキテクチャによる時代区分のモデル * 東洋大学大学院社会学研究科社会学専攻博士後期課程 51

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 「情報化白書2006年版」によると、日本の情報化における技術的側面は、米国のコンピュータ技術の 転換に左右されながら、おおむね次の3つの段階を経験してきたとされる。第1に】930年から1963年 にかけての「計算機パラダイム(軍事・技術的応用)」、第2に1964年から1994年にかけての「情報処理 パラダイム(経済的応用)」、そして第3に1995年から現在に至る「オープンネットワークパラダイム(社 会的応用)」である[日本情報処理開発協会2006:24−26]。それらを要約するとおよそ以下の通りとなる。  第1の「計算機パラダイム」(1930年∼1963年)では、コンピュータ自体はあくまでも計算のための機 械であると認識されていた。その用途は、科学技術計算や事務処理計算であり、それらは主として軍事 目的のために実用化された。  第2の「情報処理パラダイム」(1964年∼1994年)では、コンピュータは単なる計算機ではなく、文字 や画像など多様なデータを扱う情報処理のための機械へと成長した時期であり、この段階に至って経済 的に多方面でコンピュータの応用的利用がみられ、大規模に普及した時期である。ちなみに、このパラ ダイムシフトをリードした普及技術は、1964年に発表されたIBMの「システム/360」であるとされる[前 掲書:25]。  そして、第3の「オープンネットワークパラダイム」(1995年∼現在)は、インターネットとマイクロ ソフト社の「ウィンドウズ95」の登場に象徴されるが、コンピュータは情報処理のみならず、コミュニ ケーションのためのオープンなネソトワーク基盤であると認識されるようになり、社会的応用の方途が きわめて多元的な状況にある。 表1コンピュータのアーキテクチャを主軸とする時代区分 年 アーキテクチャのパラダイム 主な用途 1930∼1963 計算機パラダイム 軍事・技術的応用 1964∼1994 情報処理パラダイム 経済的応用 1995∼現在 オープンネットワークパラダイム 社会的応用 日本情報処理開発協会(2006).25をもとに筆者作成  以上の時代区分は、あくまでもコンピュータのアーキテクチャを主軸に区分したものであり、社会的 背景は副次的なものとして捉えられている。これらの技術的な時代区分を参考にしっっも、次にコンピ ュー^と情報化社会の胎動の経緯を社会文化的な側面から捉えるための時代区分にっいて検討すること にしたい。 (2)分析対象となる朝日新聞記事の抽出と時代区分  本稿では、分析対象を日本におけるコンピュータの技術的変遷と情報化社会の胎動に限定することと した。朝日新聞の1945年から1970年の記事を対象に、データベースにてコンピュータ関連の新聞記事 を検索した。なお、本稿においてデータベース検索に用いた検索語は、「情報化」、「コンピュータ」、「電 子計算機」、「電気試験所」1)、「ETL」i‘)の5つである。  そして、それを前提にこれとは別に、第2次世界大戦後に日本でコンピュータ研究が始動し製品化に 至る段階(1950年代∼1960年代前半)を1つ目の区切りとし、コンピュータが業務用において徐々に普及 して一般の人々がその技術を享受し始めた段階〔1960年代∼1970年代前半)を2っ目の区切りとした。こ 一52一

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れらの区分に基づき、それぞれ①電子計算機の黎明期(1950年代∼1960年代前半)と②1青報化社会の胎 動期(1960年代∼1970年代前半)の2つに分けて検討することとした。 表2:社会文化的な時代区分 年代 内容 アーキテクチャのパラダイム 1950∼1960前半 電子計算機の黎明期 「計算機」パラダイム 1960∼1970前半 情報化社会の胎動期 「情報処理」パラダイム  結果として本稿では、抽出された以下の記事を分析する。電子計算機の黎明期では、①1953年から1960 年の7年間における電子計算機関連の全ての記事(27件)、②1965年の社説「電子計算機産業と国産技 術」、そして情報化社会の胎動期では、朝日新聞の社説において初めて情報化社会が論題となった③1968 年の社説「電子計算機産業と国産技術」と④「特集・情報化社会1第1部『コンピューターがなんだ』」 および「第2部『システムに挑む』」という連載特集を対象に検討した。 3.1950年∼1967年の「電子計算機」に関する記事分析  日本における電子計算機の研究は、1950年前後から本格的に始まった[小田,1983:139−158,高橋1972】。 1953年には当時の通産省工業技術院の電気試験所でリレー式計算機「ETL・Matk 1 ]が試作され、翌年の 1954年には、日本初の実用的な計算機である「FACOMIOO」(富士通信機製造)が開発された。さらに1955 年に、電気試験所でリレー式大型自動計算機の「ETL−Mark 2」が開発された。この時点で計算機はまだ リレー式であり、電子計算機の登場には至っていなかった。  しかし、この翌年の1956年には、富士写真フイルムにて国産初の電子計算機「FUJIC」が完成した。 このrFUJIC」はレンズ設計への使用が目的であり、実用機として運用された。また、1956年には電気 試験所でも世界初のプログラム内蔵方式トランジスタ計算機「ETL−Mark・3」が完成した。ちなみに、電 気試験所では、翌年も「ETL・Mark 4」へとコンスタントに開発が進み、1959年には大幅な改良を加えた rETL.Mark 4A」が完成した。その間には、電気試験所以外でも当時の電電公社、東京大学や大阪大学 などの研究機関においても電子計算機の開発が展開された。  これらの背景を踏まえて、朝日新聞の記事データベースを用いて「電子計算機」、「電気試験所」、「ETL」 の3っのキーワードで1960年以前の記事検索を試みた。その結果、1953年以降に「電子計算機」は27 件、「電気試験所」は「電子計算機の話」(1954年8月23日付4面)という記事中でリレー式計算機が開 発中であると触れたものが1件、「ETL」は、電気試験所が開発していたETLシリーズが、新聞で大衆 に向けて詳しく紹介されることはなく、0件であった。  「電子計算機」に関する記事数は、1958年を境に僅かではあるが増加している。その要因としては、 1958年の年末に日本で初めての電子計算機の国産商品が登場したことと、当時の国鉄が座席予約システ ムとして電子計算機を導入することが発表されたことで、ようやく電子計算機が社会的に意義を認めら れはじめたためであると考えられる。 53

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図111950年∼1960年における「電子計算機」の検索語による該当記事数     件数     10      9      8      7      6      5      4      3      2      1      0        o       r       co      マ      ゆ      リ      ト      co      Ot       o        8   8   8  8  8  8  8  8   8  8   8年         F      F      F      ←      F      e      F      −      F      F      T.一 出所:朝日新聞社記事データベース「聞蔵nビジュアル」をもとに筆者作成  なお、1950年から1960年における「電子計算機」の検索語で該当した全ての記事の一覧を表3で示 し、その詳細を確認する。 表3:1950年から1960年における検索語「電子計算機」の全記事一覧(朝日新聞) 10 ・ 一 .一 一」. 5 5 A一 3   一「一 1 1 1 1 へ 一 0 0 .一.「 0 番 号 年 月 日 朝夕

頁 見出し 脇見出し 1 1953 8 14 朝 6 学界余滴:電子計算機の速度 2 1954 8 23 朝 4 カウンター:電子計算機の話 3 1954 10 31 夕 2 電子計算機第一号完成 東芝と東大の共同研究制作費 ヘ外国品の1/10 4 1954 11 8 朝 4 電子計算機 ユニノ▽クとは 5 1955 2 10 7 十ケタの加減百分の一秒 東証に電子計算機据付 6 1956 4 7 朝 7 ウィーナー博士夫妻も来日 電子計算機生みの親 7 1957 12 23 朝 1 国産の電子計算機世界に誇る高性能 電電公社研究所で試作品が完

8 1958 3 19 朝 4 電子計算機の合併会社 一物、東芝が米ス社と提携 9 1958 8 3 朝 4 電子計算機の”中型時代”へ 10 1958 12 16 朝 4 大型電子計算機を導入 小野田セメント 54

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11 1958 12 18 朝 4 国産電子計算機の商品第一号おめみえ |2 1958 12 23 朝 1 ”座席予約”は電子計算機で 国鉄来月六月から主要駅に 13 1959 1 13 朝 3 世界最大の電子計算機 横浜につく 14 1959 2 22 夕 3 七年目に動き出す 東大の電子計算機「タック」 |5 1959 3 10 朝 11 新旧の予報術腕くらべ 電子計算機と観天望気台 16 1959 3 12 タ 3 気象庁の電子計算機火入れ 17 1959 6 5 11 台風に備える気象観測の新布陣 レーダー網を増強電子計算 @も一役 18 1959 6 28 朝 1 エサキ・ダイオードに”世界の目” 電子計算機に威カトランジス ^ーしのぐ性能 19 1959 7 19 朝 9 宇宙談話室:電子計算機 ロケットの行方追跡 20 1959 10 12 朝 2 電子計算機が決定的な役割 21 1959 10 22 朝 1 超高速電子計算機東大、きょう成果を発表 演算の速さ、百倍以上エサ L・ダイオードで 22 1959 10 22 夕 7 台風は終わったらしいが… 進路予報は上出来活躍した d子計算機 23 1960 6 16 4 通産省が国策会社案 電子計算機、本格国産へ 24 1960 8 14 朝 4 1BMの副社長来日 電子計算機技術導入で話し合

25 1960 8 31 朝 4 交渉、四年ぶりに解決 IBM社の電子計算機日本で 熕カ産へ 26 1960 10 5 朝 3 電子計算機の話:私の選んだ人を見て下さ

男女相性を判断”答え”を出 キ面白い実験 27 1960 11 23 朝 4 専門工場の建設へ電子計算機の国産化 八社が技術導入に仮調印 注)「番号」は時系列の掲載順を表す。   「学界余滴:電子計算機の速度」(1953年8月14日付)の記事は、朝日新聞では初の電子計算機に関す る記事である。この記事は、当時の東大教授による解説記事だが、「(前略)電子計算機の計算速度につい ては『激しく早い』というのみであまりわかっていない」としたうえで、あくまでも理論上の単純化し た仕組みとして電子計算機を簡潔に紹介している。  番号2の「カウンター:電子計算機の話」(1954年8月23日付)は、計算機の開発予算について言及し       一55一

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た。この記事では、計算機の開発予算にっいて、東大と東芝による電子計算機の共同研究と電気試験所 のリレー式計算機開発を比較しながら、多額の公的資金が注入される計算機の研究費について、その計 画的な有効利用の必要性を主張した。  番号3の「電子計算機第一号完成」(1954年10月31日付)は、記事にはその名称が記されていないが、 番号2の記事でも紹介された東大と東芝の共同研究によるコンピュータ「TAC(東大オートマティッ ク・コンピュータ)」の完成を報じたものである。  記事ではTACが国産第】号の電子計算機であると伝えたものの、「TAC」はあくまでも試作であり、 その後の調整も非常に難航した。結果として、「TAC」が実用機として完成しないまま、東芝は1959 年にこの共同研究から離脱した[小田,1983:144]。  ちなみに、この記事から5年後の1959年の番号14の記事「七年目に動き出す」(1959年2月22日付) では、東大のスタッフらの手によって「TAC」がようやく稼働したことが報じられている。  1955年には、「十ケタの加減百分の一秒 東証に電子計算機据付」(1955年2月10日付)で、初めて実 際の業務で実用化された電子計算機の登場が報じられた。この記事の最後の部分では、「わが国の電子計 算時代は株式ブームから一ということになりそう」と述べられ、電子計算機導入の背景として、当時の 株式投資ブームによって生じた効率的な計算の必要性があった様子が述べられている。  「国産電子計算機の商品第一号おめみえ」(】958年12月18日付)では、商品としては国産第】号とな る日本電気製の電子計算機が東京都港区にあった電子計算機センターへ納入され、実際の計算業務で運 用されることを報じた。当時の価格は約3,000万円で、日本電気に続いて、翌年の3月には、富士電機、 東芝、日立の製品も同センターへ順次、納入される予定があることを伝えている。  同じ1958年には、番号12「“座席予約”は電子計算機で」(1958年12月23日付)で実用化に関する記 事が掲載された。記事では、電子計算機によるオートメーション化によって特急券や寝台券が約1分で 購入できるようになるといった利便1生が報じられた。  】959年には気象に関連した記事が多数登場した。その背景には、1959年に気象庁が当時世界最大の電 子計算機を導入したことと同時に、同年夏に発生した伊勢湾台風の進路予報で電子計算機が大いに活用 されたことが関係している。  1960年になると、電子計算機に関する記事は、それまでの研究開発の動向などよりも、経済面におい て産業界の動向や産業政策の文脈で目立っようになった。番号23や24、27などの記事では、IBMに よる日本市場への本格参入の動向に対して、通産省は国策会社案を提示したことが報じられている。し かし、日本の電子計算機メーカー各社は、IBMからの技術導入を受けながら、当時IBMが保有して いた基本特許以外の部分では、各社個別にIBM以外の外国企業と提携しながら電子計算機の国産化を 目指すことになった。  それから5年後の1965年6月8日に掲載された社説「電子計算機産業と国産技術」では、当時の貿易 自由化にともなう電子計算機業界の対応策についての言及がなされた。それは、巨大な資本を持っ外国 企業の技術力に対して、政府は強力な輸入制限政策をとってきたものの、貿易自由化によって輸入制限 政策自体が困難となるため、政府資金を中心とした開発機関の設立やインターフェースの標準化の必要 性などが主張された。  実際この社説で訴えられた主張の通り、その後の日本のコンピュータ産業は、通産省主導によって 2社から3社のメーカーが連合する開発班が編成され、1980年代に至るまで国策会社のような状態で国 一56一

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産コンピュータが生産されていった。 以上、これまでの記事の変遷から次のような傾向を見出すことができる。それはすなわち、「①研究開発 段階」、「②公的機関による実用化」、「③産業界の動きと産業政策」といった流れである。そして、その 後1968年前後から情報化社会に関する言及が登場することとなった。 4.1968年∼1974年の「コンピュータ技術」、「情報化社会」の記事分析  1968年11月18日付朝刊に「情報化社会への長期計画確立を」と題した社説が掲載された。朝日新聞 において情報化社会に関する社説が掲載されたのは、これが最初となる。  記事の冒頭で「先進工業諸国がこれら十年ないし二十年後に迎える社会は、情報が圧倒的なぞ婿|1を果 たす社会だといわれる。それを情報化社会と呼ぶ学者もある。日本も急速にそうした未来社会に向かっ て前進している」といった未来予測が述べられた。  そしてこの社説は、第1に「電子計算機の発展と電話の普及」、第2に「家庭電化で豊かになった生活」、 第3に「人間と電子計算機との対話」、そして第4に「緊急要す関連分野の協力体制」という4つの論点 で構成された。  第1の「電子計算機の発展と電話の普及」では、当時の日本の電子計算機保有台数が米国に次いで世 界第2位であることと、電話の加入数が1,000万台を超えたことでデータ通信という新しい要求が生ま れると述べた。  第2の「家庭電化で豊かになった生活」では、航空会社の座席予約や自動車工業の生産工程管理、銀 行の普通預金業務などのシステムなどの例を列挙したうえで、これらの技術が電話回線を通じて不特定 多数の人が利用できることこそが情報化社会としてふさわしい状況であるとしている。また、家庭電化 が市民の生活向上に重要な貢献をするとしている。  第3の「人間と電子計算機との対話」では、情報を家庭でうまく利用する仕組みを実現することを主 張し、電話回線を利用したデータ通信で新分野を開くことが課題であるとしている。具体的には電電公 社の電話回線に融通性をもたせることで、データ通信を利用した電子計算機との「対話」が実現化し、 計算や情報検索、経営相談が可能になるとしている。  また、ここでは、アメリカと日本における電子計算機活用の事例を比較するかたちで次のように紹介 をした。まず、アメリカのゼネラル・エレクトリック社は、「(前略)一昨年から自社製の大型電子計算機 を使って米国内でデータ通信業務を開始し、現在六十都市に六千以上の端末装置を備えている。客が登 録番号と質問をタイプで電話線に打ち込むと、瞬間的に答えがはねかえってくる」と紹介している。ア メリカでは、すでに一般の人々が電子計算機の恩恵を受けていることを紹介している。  第4の「緊急要す関連分野の協力体制」では、電電公社によるデータ通信の独占について産業界によ る通信回線自由化を含むデータ通信の自由化の主張を挙げた。その主張とは、産業界では情報産業の発 展の阻害を危惧し、データ通信機器を自由に開発・販売でき、データ通信サービスも自由に企画できる 体制を求めていると主張するものである。  この主張について1968年11月18日付の社説では、「(前略)データ通信の有効性を発揮するためには、 新しいアイデアの端末機器の開発が不可欠である。そのために産業界の知恵を動員できる体制を同時に 考える必要がある」と述べ、産業界の主張にも一理あることを示した。そして、この社説は次の一文の ように述べられている。「何よりも、社会の要求の進展、情報化社会への発展の中で、通信手段を国民の 57一

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共有の財産として利用度を高める道を求めることが検討の基本態度でなければなるまい。(中略)いま最 も大切なことはなわ張り争いでなく、長期計画を確立し、開発と実用化を促進するための協力の体制を 作ることである」。この主張は、その後の歴史的な展開とは逆の流れとなったといえよう。  その後の情報化に関する「長期計画」は、特に1970年代後半から通産省と郵政省の情報化政策の主導 権をめぐる「政策競争」へと変質していった。この「政策競争」の問題に関して大石裕[大石1990:157−158] は、「縦割り行政」という言葉に象徴される「割拠主義」や、ほぼ同一内容の情報化政策が各省庁から複 数現れてしまうという「多元主義」の観点を提示した。大石は、「映像情報システム実験」や「VAN法 案」など実際の情報化政策を対象に分析を行ない、日本の情報化政策が「多元化」されていると評価し た。っまり、情報化に関する「長期計画」は、必ずしも単一・統合化されたものではなく、「政策競争」 によって内容が重複した政策が、各省庁より複数提出されたのである。  この社説が掲載された翌年の1969年には、「特集・情報化社会」という企画で「第1部『コンピュー ターが(とは)なんだ』」と「第2部『システムに挑む』」と題された連載がなされた。この特集企画は、 一般の人々向けに、当時緒についたばかりの情報化社会とコンピュータとの関わりにっいて、事例を通 して分かりやすく紹介するという方針で連載された。この特集における連載内容は、表4と表5の通り である。 表4:朝日新聞(朝刊)「特集・情報化社会:第1部『コンピューターが(とは)なんだ』」の連載内容 番号 年 月 日 頁 テーマ 見出し 脇見出し 1 1969 9 15 15 ロボトロジー 創造力を持つ機械 勝手に戦争を始める危険も 2 1969 9 16 14 村長は001 導入計画、村に旋風 議会も腰あげやっと軌道に 3 1969 9 17 14 コン婚夫婦 結んだ縁組み百五十 出雲の神様に代る相性数値 4 1969 9 18 14 ジャンケン 人間のカンに敗北 圧勝の予想は見事にウラ目 5 1969 9 19 14 情報検索 まだ蓄積量は不十分 質問の方法で答えもかわる 6 1969 9 20 14 TM教室 出番なくなる先生 課題は師弟の触れ合い 7 1969 9 22 14 造反有理 病気を数量で示す 行きつく先は医師なし病院 8 1969 9 23 14 神も仏も 悩み事相談に解答 医療と布教の一体化を媒介 9 1969 9 25 14 進歩と不調和 万国博の運営に威力 会場建設では使いこなせず 10 1969 9 26 14 古都 「不満」の数字次々と 住みにくいし風紀よくない 11 1969 9 27 14 脱イデオロギー 政治や選挙にも変化? 関心増す議員超党派で研究 12 1969 9 28 14 特訓 勉強熱心な税務署 税金めぐって電算機戦争が 13 1969 9 29 14 武者修行 ”お手前の力量は?” 道場破り気分厳しい米行脚 14 1969 9 30 14 1980年 操作次第で混乱も 明暗こもごもの機械化時代 注)「番号」は連載の順番を表す。 一58一

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表5:朝日新聞(朝刊)「特集・情報化社会:第2部『システムに挑む』」の連載内容 番号 年 月 日 頁 テーマ 見出し 脇見出し 1 1969 10 1 2 マスコット作戦 アレルギー越えて 進む巨大企業の”革命” 2 1969 10 2 2 無人工場 管理報告まで作る 来春には群自動制御も 3 1969 10 3 2

PPBS

効率化への切札 行政合理化が前提だが 4 1969 10 4 2 戦略チーム 関連技術を総合 ねらいつけ素早く実行 5 1969 10 6 2 人間コード化 あくまで参考資料 人柄まで数量化出来ぬ 6 1969 10 7 2 シンク・タンク 経営戦略手助け 重みます知恵売る組織 7 1969 10 8 2 ハードウエア 性能伸びる一方 気軽に新鋭機と取替え 8 1969 10 9 2 ソフトウエア 開発に高い費用 無料サービスは終りに 9 1969 10 10 2 周辺機器 伸び続ける需要 利用の複雑化につれて 10 1969 10 11 2 パンチ屋さん 急増の請負い業 激しいパンチャー争奪 11 1969 10 13 2 データ・バンク 情報、即座に提供 成長を期待される分野 12 1969 10 14 2 オンラインの壁 「電話線開放」の声 公社の独占体制に批判 13 1969 10 15 2 ⑳作戦 合言葉や暗号で もれた時の対策が問題 14 1969 10 16 2 機能産業 ”組み合わせで売る 製品からサービスまで 15 1969 10 17 2 意識革命 研修に次ぐ研修 「時流に遅れまい」の一念 注)「番号」は連載の順番を表す。  表4、表5の記事内容をみると、表4の「第1部『コンピューターが(とは)なんだ』」は、一般の生活 者の視点からコンピュータの特性に焦点を当て、表5の「第2部『システムに挑む』」は、主に産業面で のコンピュータ利用について取り扱っていたことが分かる。 これらは、いずれもコンピュータの特性や用途を全て実例に沿って紹介したものだが、それらの社会文 化的な文脈を確認するため、本章では「第1部『コンピューターが(とは)なんだ』」におけるいくっかの 記事をそれぞれ詳しくみていくこととしたい。  表4の番号1「ロボトロジー」では、「ロボトロジー(ロボット学)」という学術用語が日本で誕生した ことを紹介しっっ、ロボットに搭載するためのコンピュータに関する研究が紹介されたiii)。記事では、 このまま科学技術を推し進めることの是非として、「ロボットが勝手に戦争をはじめるかも知れない」と 無批判的な科学技術の是認に警鐘を鳴らし、こうした視点からこの特集連載が行なわれることを予告し た。  番号2の「村長は001」では、山口県の和木村役場にコンピュータが導入されるまでの経緯が紹介さ れた。冒頭では、コンピュータが暑さに弱いことが説明され、冷房のない同村の役場に設置されたコン ピュータが、夏期にシステムエラーやシステムダウンをおこしたという話題が、家庭用扇風機にコンピ ュー^が囲まれた様子の写真とともに掲載された。同村では当初、コンピュータの導入が議会で一度は 59

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否決されたものの、1969年当時、既にコンピュータを導入していた千葉県東金市や山梨県富士吉田町な どの役所への議員団視察を経て、議会で仮導入を議決し、結果として事務効率が向上したという経緯が 紹介された。  番号3の「コン婚夫婦」では、コンピュータを使った結婚紹介業者の事例が紹介された。この記事で は、相関係数や回帰分析などのデータ解析にコンピュータが有用であることを説明しっっ、コンピュー タを利用した新しい情報産業の出現を紹介した。  番号4の「ジャンケン」は、人間とコンピュータのジャンケン対決の様子が紹介された。対決は、コ ンピュータを相手に1回戦につき30回ジャンケンをし、それを4回繰り返すというものであった。当初 の予想では、コンピュータが人間の癖を統計分析することで圧勝するというものであったが、結果は人 間が勝った。記事の締めくくりでは、「軍事や企業での戦略や意志決定で活用できるかという関心が集ま っているが、意志決定は人間の仕事である」という戦略論の専門家の意見が紹介された。  番号5の「情報検索」では、通産省のデータ・センターの情報検索システムが紹介された。当時の検 索システムの概念は、現代のインターネット検索に代表される分散型の概念とは異なり、データ・セン ターそのもので用意した情報を蓄積し、トップダウン方式で端末に送信されるものであった。そのため、 必然的に情報の蓄積量の不足問題が生じていることが紹介された。  番号7の「造反有理」では、コンピュータの医療面での応用が紹介された。具体的には、24の大学病 院で心電図や血圧計などの医療機器で数値化されたデータをもとにコンピュータに診断させる方式が、 試みられていることが報じられた。この記事の終盤では、こうしたコンピュータを応用した医療によっ て、将来的には無医村の問題も解消できるだろうとしている。なお、こうしたコンピュータの医療面に おける応用は、現代のIT戦略会議の医療部会などでもほぼ同様の検討がなされていることから、「古く て新しいテーマ」であるといえよう。  最後の番号14の 「1980年」は、特集第1部の総括だが、読者の興味を引くための演出として、占い 師の女性を登場させ、「1980年とはどんな年か」というテーマで占い師にいくつかの質問をしている。 この占い師の予言は度外視するとして、その質問のなかのいくつかには検討の余地がある。その質問と は、まず1っ目に、「キャッシュレス時代はいつ到来するか」、2つ目に「テレビ電話は、いっごろ実用 化するか」、3つ目に「電送新聞は、いつ普及するか」といったものである。ちなみに、これらの質問で 登場するものは、名称は異なるものの、現代においては全て実用化されている。  この質問で注目すべき点は、第1に情報化社会そのものの捉え方が未来志向的になっていることであ り、第2にそれらの未来志向的な考え方が一般紙において社会文化的に流布されたことである。っまり、 初期の情報社会化論における未来志向的な概念は、アカデミズムの枠を越えて広く社会文化的に共有さ れていく試みが行われたとみることができよう。 5.おわりに  以上のように、本稿では新聞記事を分析対象として、情報化社会の概念が一般的に流通し始めた前後 の時期における、記事の文脈で展開された情報化社会の言説に関する検討を行なった。  具体的には、情報化社会の基幹技術であるコンピュータ(電子計算機)と社会そのものの情報化が、新 聞においてどのように伝えられたのかということが分析の対象とされ、これらの分析から、第1に、電 子計算機の社会的認知から情報化社会についての社会的認知に至る段階で、技術先行にある状況を社会 一60一

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的なアプローチによって、技術と社会の格差を是正する試みがみられたこと、第2に、社説などにみら れた主張とその後における事実展開との間に乖離が生じたことなどが明らかとなった。  また、一部の記事では、情報化社会そのものの捉え方が未来志向的になっており、かっそれらの未来 志向的な考え方が、一般紙において大衆的に流布されたことを指摘した。この未来志向的な考え方の背 景には、初期の情報化社会論の夫来志向的な概念が、アカデミズムの枠を越えて広く社会的に共有され ていく試みが行われたとみることができる。  そもそも、新聞などの報道メディアによって、その時代の新しいテクノロジーが報じられることの意 義は、新技術によって何が可能であり、そして不可能であるのかを社会的に広く明示すること、その技 術自体が社会的に果たしてそもそも必要なものであるのかを問いかけることである。さらに言及するな らば、当該技術の有効活用のためにはどのような社会的課題が存在するのかについても提示することに も大きな意義があるといえるだろう、  報じられる新しいテクノロジーは、日進月歩で変化している一方で、その報じられ方に関しては50 年を経た現在でも同様に賛美と批判が存在する。情報化社会への視座は、そうした賛美と批判という両 者の観点を並置しっっ、現在に至るわけである。 注 b旧通産省工業技術院電気試験所を指す。 Lt}1950年代に電気試験所にて開発された電子計算機のシリーズ名を表す。 E T Lは、 Electro− Technical−Laboratoryの略称。 iil)記事中では、3次元を認識できるコンピュータという意味で「空間回路コンピューター」という語が 用いられた。 引用・参考文献 相磯秀夫ほか編(1985)『国産コンピュータはこうして作られた:1960年一一1985年の開発の流れと新世代へ の展望』共立出版 大石裕(1990)「情報化政策の変遷一郵政省と通産省の競合を中心に一」 『関西大学社会学部紀要』21 巻2号:145−161. 小田徹(1983)『コンピュータ史』オーム社 坂井利之(1968)『電子計算機一コンピュータ時代と人間一』岩波書店 高橋茂(2002)「電気試験所でのトランジスタ計算機の開発」,『電気技術史』27号,電気学会 高橋秀俊(1972)『電子計算機の誕生』中央公論社 日本情報処理開発協会編(2006)『情報化白書2006年版』BCN 林雄二郎(1969)『[青報化社会』 講談社 一61

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