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自律的な学習を支援する大学教師の実践的知識 - 授業における悩みと対処の仕方から -

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自律的な学習を支援する大学教師の実践的知識

― 授業における悩みと対処の仕方から ―

藤田 裕子

キーワード:悩み、自律的な学習、実践的知識、PAC 分析、一斉授業

概要

教師の抱える悩みに関する研究の多くは、教師のメンタルヘルスを悪化させる要因とし て悩みを論じているが、一方で教師を成長・発達させる要因として捉える研究もある。教 師の成長の契機となる出来事の中で最も多いのは、日々の授業実践における学習者との接 触、問題のある学習者への対応など「教育実践上の経験」であるとされており、実践の場 で獲得、生成される教師の実践的知識を探ることは意義があると考えられる。そこで、本 研究では「自律的な学習」という新しい教育理念を必修の一斉授業に取り入れ、2 年半の 実践を行った 2 名の大学教師を対象とし、授業における悩みのイメージから教師の実践的 知識を探った。 両者の「自律的な学習を取り入れた授業における悩み」に対するイメージを PAC(Per-sonalAttitudeConstruct:個人別態度構造)分析によって分析した結果、両者は自律的 な学習を取り入れた授業において多くの悩みがあり、解決できていないものもあるにも関 わらず、それほど深刻に悩んでいないことが判明した。両者は、学習者の選択を優先する、 悩みを肯定的に捉える、同僚の援助を受ける、多様性を受容する、学習者個々人とのコミ ュニケーションを重視するなどして、積極的に問題解決を行う一方で、悩みを回避すると いう方法も採り、「再帰性」、「不確実性」、「無境界性」といった教師特有の悩みに対処し ていた。悩みに対する消極的態度は、悩みとなっている問題の解決にはつながらないが、 教師一人の力でできることには限界がある。教師のメンタルヘルスを考慮するならば、悩 みを回避するという方法を採ることも必要であると考えられる。両者は「教師の限界を認 識して悩みを回避し、問題の深刻化を防ぐ」という実践的知識を用いて悩みに対処してお り、そのため新しい教育理念を取り入れた授業に前向きに取り組めていると推察される。

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1.問題の所在と研究目的

教師は授業においてどのようなことに悩み、どのように対処しているのであろうか。佐 藤(1994)は、教職の特徴として「再帰性」、「不確実性」、「無境界性」の 3 点を挙げ、こ れらの特殊性によって、教師は他の職種とは異なった問題に直面しやすいと述べている。 再帰性とは、教師の教育活動の責任や評価が、学習者やその保護者から絶えず返ってくる 性質を指す。不確実性とは、教える対象が変われば、同じ態度や技術を用いて対応しても 同じ反応や効果が得られないという性質を表す。この点に関して新井(1999)は、人をサ ービスの対象とする以上、完全なマニュアル化は不可能であり、常に臨機応変の対応が求 められることも指摘している。そして無境界性とは、教師の仕事の範囲や責任領域が際限 なく拡張し、責任領域が拡大されてしまう性質のことである。さらに伊藤(2002)は、「成 果の不確実性」として、教師が行った教育活動の成果を量的な変化として把握しにくいこ とを指摘している。このような特徴から、教師は独特の悩みを持つと考えられる。 実際、教師の抱える悩みについて、用いている用語や研究の焦点が異なるものの、これ まで多くの研究がなされてきた(伊藤,2000;高木・田中,2003;土井・橋口,2000 など)。 これらの研究では、悩みは教師のメンタルヘルスを悪化させる要因として論じられている。 しかし一方で、教師を成長・発達させる要因として悩みを捉える研究もある(網谷 , 2001;都丸・庄司,2005;藤澤,1999 など)。小山・河野・赤木・加藤・別惣・妹尾(1994) は、教師の成長の契機となる出来事の中で最も多いのは、日々の授業実践における学習者 との接触、問題のある学習者への対応など「教育実践上の経験」であると報告している。 ただし、以上のような先行研究は小・中学校教師を対象にしたものが多く、大学教師を 対象にしたものは少ない。また、新しい教育理念で授業を実施する教師の悩みに焦点を当 てたものはほとんど見当たらない。藤田(2009)は「自律的な学習」という新しい教育理 念で実施する授業を初めて担当した教師歴 21 年の大学教師について、1 学期終了時は不 安が大きく、知識を伝達する一斉授業における初任教師の状態と同様であったと報告して いるが、特に悩みに注目しているわけではない。悩みが教師を成長・発達させる要因とな り、「教育実践上の経験」が重要であるならば、実践の場で獲得、生成される教師の実践 的知識を探ることは意義があろう。ただし、実践的知識は論理的な言葉で表現される知識 とは異なり、教師が自分の身体を通して直観的に感じるものであり、本人にも自覚されな い暗黙知のような性格を持つ(秋田 ,2004)。そこで本研究では、「自律的な学習」という 新しい教育理念を必修の一斉授業に取り入れ、2 年半の教育実践を行った大学教師を対象 とし、彼らの授業における悩みのイメージから教師の実践的知識を探る。

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2.調査方法

2.1 調査協力者と対象授業 桜美林大学の日本語プログラムでは、留学生の増加と日本語力・基礎学力・ニーズなど の多様化に対応すべく、自律的な学習を推進している。本プログラムにおける自律の定義 は、学習者が自分のニーズや希望に役立つように、自分の学習をコントロールするための 能力であり、何を、なぜ、どのように学ぶかということを自分で選んで決め、計画を立て、 実行し、その結果を自分自身で評価できるような知識やスキルである(齋藤・松下 , 2004)。 調査協力者は、教師 H と M の 2 名である。両者は同じクラスの担当で、自律的な学習 を促す試みを 2007 年度秋学期開始時から調査時点の 2009 年度秋学期終了時まで継続して 行っている。教師 H と M は 30 代の女性で、調査時点において日本語教師歴が 12 年、調 査対象校での教師歴はそれぞれ 4 年半、7 年である。両者は調査者と年齢、日本語教師歴、 調査対象校での教師歴なども近く、率直な意見交換ができる間柄であり、加えて自律的な 学習をテーマとした実践や研究を行っていることから、本調査に非常に協力的であった。 教師 H と M が担当していたのは、提携大学から留学し、1 学期または 2 学期滞在する 短期留学生の初級後半レベルのクラス(以下、C クラスとする)である。週 6 回(1 コマ 90 分)の必修授業で、基本的には教師がコースの目標や授業の進め方を設定し、教科書 を用いる一斉シラバス型の授業である。ただし、自律的な学習を促すべく、学習者が自己 の学習目標を意識し、自己分析を行う機会が設けられている(白頭・久保田,2010)。具 体的には、2007 年度秋学期より「教科書分析シート」、「自己分析シート」、2009 年度より 「振り返りシート」が導入されている。「教科書分析シート」とは、クラスで使用する教科 書の目次や前書きを読み、できるようになることを分析して学習者が学習目標を立てるも のであり、「自己分析シート」とは、教科書にある項目について学習者が 4 段階で自己評 価し理由を記入するもの、「振り返りシート」とは、授業で扱った内容の教室外での使用 やその結果について学習者が記入するものである。これらに加え、学期途中と学期末には、 教師が学習者と個別に自己分析シートや振り返りシートに記入した項目の確認や学習方法 について話し合う「個別セッション」が行われている。学習者は毎学期 10 名前後であり、 国籍はアメリカ、イギリス、デンマーク、アイスランド、スロバキアなど多岐に渡る。な お、教師 H も M も自律的な学習を促す「チュートリアル」という授業を 1 学期担当した 経験を持つ。 チュートリアルは、自律的な学習を促すため本プログラムにおいて 2003 年度より行わ れている。その目的は学習者が自分の学習を進めることにあり、教師は教授者ではなく学 習支援者として手助けを行う(齋藤・松下,2004)。学習者は自分で学習目標を定め、学

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習計画を立て、学習方法・リソース・学習場所などを選択し、自分の学習を評価する。学 期中、授業時間内に個別セッションの時間が設定されており、教師と学習者が学習の進捗 状況などについて個別に話す。現在、チュートリアルは短期留学生に関しては選択授業で ある。つまり、チュートリアルは選択授業で個別の自律的な学習が中心であるのに対し、 本調査の対象授業は自律的な学習を取り入れているものの、必修授業で教科書を用いた一 斉授業が中心であるという点が異なる。なお、本プログラムの特徴として、多くの教師が 自律的な学習をテーマとした実践や研究に関わっており、情報交換や相談がしやすい環境 であることが挙げられる。 2.2 分析方法 本研究では、PAC(PersonalAttitudeConstruct:個人別態度構造)分析(内藤,2002) を用いる。PAC 分析とは、当該テーマに関する自由連想、連想項目間の類似度評定、類 似度距離行列によるクラスター分析、当人によるクラスター構造のイメージや解釈の報告、 研究者による総合的解釈を通じ、個人別にイメージ構造を分析する方法である。調査協力 者が 1 名でも分析でき、個々の体験に関する個別のイメージの分析に適しており、調査協 力者自身の見方に沿った変数を取り出すことや、クラスター間の関係に調査協力者のイメ ージや解釈を加えて因果関係の推論をすること、開示されるエピソードから構造全体を共 感的に理解することが可能である。落合(2003)は、日本の教師の悩みに関する研究のほ とんどが量的研究によって進められているが、教師文化や学校状況が重要となるため質的 研究が必要であると指摘している。また、秋田(1997)は、教師の変容や成長に関し、自 己を振り返り省察すること、物語ることが重要であると述べている。さらに、実践的知識 は暗黙知のような性格を持つため、それを自覚し言語化することは通常1人では難しい(秋 田 ,2004)。以上のことから、教師の悩みについて調査するにあたり、PAC 分析は有効な 方法の1つであると考えられる。 PAC 分析の手順は以下の通りである。1)連想刺激を印刷した文章を見せながら、口頭 で読み上げる。「あなたが自律的な学習を取り入れた授業を実際に行ってみて、悩んだこ とを思い浮かべてください。最終的には悩みが解決した・よかったと感じたことであって も、そうでなくても結構です。その悩みはどのようなものでしたか。その悩みに対してど のように対処しましたか。または、どのように対処すればよかったと思いますか。頭に浮 かんできたイメージや言葉を、思い浮かんだ順にカードに記入してください。」2)この連 想刺激から連想される項目を 1 枚のカードに 1 つずつ自由に書いてもらう。項目数は自由 である。3)連想終了後、調査協力者にとって重要であると感じられる順にカードを並べ 替え、その順位をカードに記入してもらう。4)項目相互を比較し、2 つの項目が直感的 イメージでどの程度近いかを 7 段階で評定してもらう。これを全てのカード間で行う。5)

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調査者がカード間の評定結果をクラスター分析(ウォード法)で処理し、分析結果(図 1・ 2 参照)に調査協力者が書いた項目を記入する。6)図に基づいて面接調査を実施し、図 の分け方(以下分けられた項目の固まりを「クラスター(CL)」とする)、各 CL から浮 かぶイメージ、CL 間の関係、全体のイメージ、各項目の意味とイメージ(+ /0/ -を感 覚的に評価)1について尋ねる。面接調査において調査者は自分の意見に囚われることなく、 調査協力者が感じることを丹念に聞き、CL のイメージや内容を共に探索する。

3.結果

分析結果を図 1 および図 2 に示す。CL 数の決定は内藤(2002)に拠る。まず調査者の 思案的な CL 構造の解釈を腹案とし、各 CL の項目を順に読み上げ、それらへの調査協力 者のイメージや解釈を尋ねる。調査協力者による CL のまとまりが調査者と異なって分割 されたり併合されたりする場合は、調査協力者のイメージに沿って CL の数を変更し、総 合的に解釈する。本研究ではいずれも調査者の想定した CL の分割と調査協力者の解釈イ メージが一致した。なお、面接の所要時間は両者とも約 1 時間半である。 3.1 教師 H 図 1 は教師 H の分析結果である。図の左端の数字は項目の重要順位、横軸は項目間の 距離2、項目の後の(+/0/ -)は各項目のイメージを表す。以下、調査協力者の連想項 目とそのイメージを[ ]、各 CL のイメージと全体のイメージを< > に入れ、CL ごと に項目と発話を整理して記載する。なお、本研究をまとめるに当たり、整理した発話が事 実や教師 H や M の考えと相違がないかを両者に確認している。 3.1.1 教師 H による CL の解釈 CL1([勉強方法のアドバイス]からの 5 項目):学生はシートに「発音が上手くなりた い」、「聞き取れるようになりたい」と書くことが多いんです。それに対してアドバイスす るんですが、本当にそれが良い方法なのか疑問に思う。例えば、もっと聞き取れるように なりたいという学生には「毎日 CD やテレビの日本語を聴いたりすると良いですよ」と毎 回アドバイスするんですが、それがその人にとって本当に良い方法なのかちょっと分から ない。上手くいっているかどうか確かめられる機会はあまりないし、アドバイスしてもそ れっきりということが多いので良くないなと思っています。 CL2([何をしていいかわからない学生]からの 4 項目):最初にチュートリアルを担当 した時に感じたことです。その時は[何をしていいかわからない学生]ばかりで。自律的

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な学習は学生が自分に必要なことは何かを把握しないと出来ないんだなと感じたんです。 今も自分に必要なことを学生が分かるためにどうすればいいのかは常に悩んでます。…C クラスでも何をしていいか分からない学生はいます。そういう時は個別に、今どんな時に 日本語を使うか、それは出来ているか、どういう時に困るか、それを出来るようになりた いと思わないのか、色々具体的に質問をして目標を作らせる時もあります。目標実現のた めに何をすればいいか分からないという場合は、色々な方法から選んでもらうこともあり ます。経験豊富な先生の場合は[紹介する教材・リソース]の知識があって、こういう人 にはこういう教材が良いというのがあると思うんですけど、私は全然そこまでいかなくて。 教材やリソースをたくさん見て勉強しなきゃと思うんですが、なかなかそんな時間も取れ ず悩んでます。[学生がしたいことと教師が必要だと思うこと]は、例えば、学生は日本 語能力試験 2 級の問題集をしたいと言うけれども、私はもう少し初級の文法をやったほう が良いんじゃないかと思う。そういうことが常にあって、どうすればいいかということで す。実際は学生にそれをしたい理由を聞き、私がした方がいいと思うことも話して、その 上で学生の選択を優先しました。 CL3([自己評価は嫌いという学生]からの 8 項目):C クラスでの実践の中から出た悩 みです。授業の最初に、目標や現時点での自己評価や勉強方法などを書いてもらうんです が、常に本当に細かく具体的に書くことが必要なのか悩みます。色々聞き出しながら書い てもらうんですが、結構誘導したりして無理矢理書かせる。ただ、自律的な学習の手順と して必要ということが担当教師の共通理解としてあって…。「自律的な学習」は自分に必  〒㔌  ^            ^AAAീᒝᣇᴺߩࠕ࠼ࡃࠗࠬ   ^AAA^A⹤ߖࠆࠃ߁ߦߥࠅߚ޿   ^AAAAA^ṽሼ߇ⷡ߃ࠄࠇߥ޿   ^AAA^⊒㖸✵⠌   ^AAA^AA^AAAAAAAAAAAAAAAA⡬⸃✵⠌   ^AAA^૗ࠍߒߡ޿޿߆ࠊ߆ࠄߥ޿ቇ↢   ^AAA^AAA^⥄ಽߦᔅⷐߥߎߣߪ   ^AAAAAAA^AAAA^⚫੺ߔࠆᢎ᧚࡮࡝࠰࡯ࠬ   ^AAAAAAAAAAAA^AAAAAAAAAA^ቇ↢߇ߒߚ޿ߎߣߣᢎᏧ߇ᔅⷐߛߣᕁ߁ߎߣ   ^AAA⥄Ꮖ⹏ଔߪህ޿ߣ޿߁ቇ↢^   ^AAA^AAAAAAAAߤߩࠃ߁ߦࠕ࠼ࡃࠗࠬߔࠆ^߆   ^AAAAAA^⋡ᮡߪᔅⷐ߆ ^  ^AAAAAA^AAAAA^ᦠ߆ߖࠆߎߣߪᔅⷐ߆ ^  ^AAAAAA^⥄ᓞ⊛ߥቇ⠌ߣߪ ^  ^AAAAAA^AAAAAA^AAAAAAᣢߦ⥄ᓞ⊛ߢ޽ࠆ߆ ^  ^AAA^⥄Ꮖ⹏ଔߩℂ↱ ^  ^AAA^AAAAAAAAAAAAAAAA^AAAᢎᏧߩ⹏ଔߣቇ↢ߩ⹏ଔ^   ^AAAAAAAAAA^⥄Ꮖ⹏ଔࠍᚑ❣ߦ฽߼ࠆ߆^   ^AAAAAAAAAA^^ࡐ࡯࠻ࡈࠜ࡝ࠝߦ౉ࠇࠆ߽^ߩ   ^AAAAAAAAAA^AAAAAAAAAAAAA^࠴ࡘ࡯࠻࡝ࠕ࡞ߣߩ߆ߨ޽^޿  図1 教師Hの結果

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要なことが分かっていて、足りない部分を補うために何を使ってどういう方法で勉強する かを計画して実践して、着実にレベルアップ出来る学習だと思います。それが出来ている 人に「こういうのは分かっているから書く必要はない」と言われると、「確かに」と思っ たりします。書くことは時間を取ることだし。でも、書きながら気づくこともあるだろう し、教師がアドバイスしたり話を聞いたりできるので、書くことは良いとも思っています。 [教師の評価と学生の評価]は[自己評価の理由]と関係があります。自分は出来るとい う人は自己評価が高い。でも、教師の評価が低い理由は出来ていないから。教師と学生の 評価が違う場合は色々と大変なことが多い。今はどうしたら本人が納得できるように伝え られるかといったことが気になってます。まだ実践や調査はしていませんが、教師評価と 学習者の自己評価の違いがなぜ生まれるかといったことに個人的に興味があります。 CL4([自己評価を成績に含めるか]からの 3 項目):一学期だけ C クラスでポートフォ リオを課して、その学期の目標に関わるものをポートフォリオに入れるようにしたら、チ ュートリアルの授業でやっていたことを入れた学生がいて。1 つやったことがチュートリ アルの成績にも C クラスの成績にも入るということをどのように考えればいいのか悩み ました。例えばマンガの翻訳。C クラスの目標としてマンガが読めるようになることは設 定されていないので、成績にそれが入るのはおかしいと思って。今しているのは C クラ スで扱う内容についての自己評価で、例えば「電話でアポイントを取る」。学期初めに自 己評価をして、授業後に出来るようになったか再度評価してもらうんです。学生の判断基 準が違うし、自己評価はあくまでも自分の日本語学習を振り返ることを目的としているの で、C クラスの成績には入れてません。 CL 間の比較と全体のイメージ:CL1 は、勉強方法についての学生へのアドバイスが難 しいということで、CL2 はどうして良いか分からない学生に対する対処が難しいという 悩み。CL3 は「自律的な学習とは」から始まる、自律的な学習の手法についての悩み。常 に頭の中にある概念的な疑問です。CL4 は実際に 1 学期ポートフォリオをやった時の悩 みです。全体のイメージは< 向上していくために必要なこと>。世の中のことで答えがあ ることは少ないと思っているので。でも、だからと言って考えるのをやめてしまうと発展 がないので、考え続けていったほうがいいと思います。 その他:実はあまり深刻には悩んでないなと思いました。授業の比重が自律的な学習よ りは教科書にあるし、自分で対処できないほど困ったことがあまりないからかもしれませ ん。学習方法のアドバイスについては、チュートリアルを担当している先生にお薦めの教 材や勉強方法などを教えてもらったりしました。改めて時間をとってというよりも、お昼 やその他の時間にスタッフルームで話すといった感じです。学生の具体的な話については、 教師 M さんと個別セッション後や学期終了時に次の学期に改善できることなどを相談し ました。

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3.1.2 調査者による教師 H の CL の解釈 CL1:教師 H は同じ目標を持つ学習者に毎回同じように学習方法をアドバイスしている。 しかし、C クラスは一斉授業であるため、アドバイスが個々の学習者にとって的確である か否か個々人に丁寧に確かめる時間的な余裕がなく、アドバイスの有効性が不明である。 これは「不確実性」(佐藤,1994)に関する悩みであり、教師 H は自分のアドバイスにつ いて疑問に思い、有効性を確認できないのは良くないと考えている。そのため、CL1 は <「不確実性」に対処不十分な自分への不満>と名づけられる。 CL2:教師 H は「最初にチュートリアルを担当した時に」、「自律的な学習は学生が自 分に必要なことは何かを把握しないと出来ない」と感じた。現在は具体的な質問をする、 いくつかの方法を提示するなど工夫をしているが、「今も自分に必要なことを学生が分か るためにどうすればいいのかは常に悩んでいる」。また、自分に教材やリソースの知識が 少なく、アドバイスが的確にできないと感じている。教師 H は「自律的な学習は自分に 必要なことが分かっていて、足りない部分を補うために何を使ってどういう方法で勉強す るかを計画して実践して、着実にレベルアップ出来る学習」(CL3)としているが、それ を導く力量の不足を感じているようである。そのため、CL2 は<自律的な学習を導く上で の力量不足の認識> の CL であると言える。ただし、[学生がしたいことと教師が必要だ と思うこと]に差異がある場合は、学習者と話し合った上で学習者の選択を優先するとい う方法を取っているようである。これは自律的な学習を導くことを意識した方法であり、 学習者個々人に異なる対応をするということから考えると、「不確実性」に関わる悩みの 解決法の 1 つであると言える。 CL3:教師 H は、授業の最初に目標や自己評価、学習方法を細かく具体的に書かせる ことに疑問を持っている。また、既に自律的な学習者に自明のことを書かせることにも迷 いがある。しかし、「自律的な学習の手順として必要」という考え方や、書くことの利点 も理解しており、複数の視点から書くことについて考えている。評価に関しては、教師と 学習者の考えの差異を埋めるのは大変なことが多いと感じ、「どうしたら本人が納得でき るように伝えられるか」を気にしている。CL3 は実践と自分の考えの違い、学習者の自 己評価と教師の評価の違いという 2 つの違いへの対応の難しさを表している。そのため、 <「違い」への対応の難しさ> とまとめられる。後者は、教師の説明を学習者がどのよう に受け取るかという点において「再帰性」(佐藤,1994)に関する悩みであると言える。 教師 H は単にこの点に注目するだけではなく、違いが生まれる理由について実践や調査 を行うことを考えているようである。 CL4:ポートフォリオとは、自分の学習過程や学習成果を見える形にしてファイリング したものである。チュートリアルで行われているポートフォリオを C クラスで実施したが、 成績をつける際に問題が生じた。教師 H はその際は悩んだが、自己評価の意義を熟考し、

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自分の考えを確立したようである。CL4 は< 授業における自己評価の位置づけ> と解釈で きる。 全体:教師 H は学習者に対する自分のアドバイスの有効性について疑問を持っており、 「自分に必要なことを学生が分かるためにどうすればいいのか」と常に自問している。し かし、ただ悩んでいるのではなく、実際にはチュートリアル担当の教師や教師 M に相談 して現実問題に対処しているようである。また、書くことに関しては疑問や迷いを持ちつ つも利点も承知していること、学習者と意見が異なる場合は学習者の選択を優先すると決 めていること、自己評価に関しては< 授業における自己評価の位置づけ> が明確であるこ とから、C クラスの授業運営において現在大きな問題はないようである。さらに、C クラ スは「授業の比重が自律的な学習よりは教科書にある」と考えることで仕事の範囲や責任 領域を制限し、「無境界性」(佐藤,1994)に関わる悩みを回避している。加えて、悩みを 研究テーマとして捉え、さらに< 向上していくために必要なこと> としている。図1の構 造としては、CL1 と CL2 がつながって 1 つの CL を形成し、CL3 と CL4 がつながっても う 1 つ CL を形成して、最終的に 2 つの CL が結合している。前者は自分自身の力量不足 の認識でまとまっており、後者は評価を軸としてまとまっている。つまり、教師 H はこれ ら 2 つの悩みに対し、同僚の力を借り、複数の視点から考え、自分の考えを明確に持つこ とで対処し、さらに悩みを肯定的に捉えて、授業に前向きに取り組んでいると考えられる。 3.2 教師 M 3.2.1 教師 M による CL の解釈 図 2 は教師 M の分析結果である。 CL1([学生はどこまで短期で自律的な学習に近づくか]からの 9 項目):自律的な学習 にあまり免疫がない学生が、たった 3 ヶ月で本当に自律的な態度が養えるのかが一番気に なります。実際、留学の理由が旅行がしたい、アニメに興味がある、無理矢理来させられ たなどで、学習に関心がなかったり目標ややりたいことがない学生がいるんです。自律的 な学習ではやる気や意欲が大切なのに、その前段階でつまずいてしまう。そういうところ が悩みですね。[自律的な学習に関心がない・嫌いな学生の対応]は、目標を作って計画 して、実行して振り返るという自律的なサイクルをすること自体が嫌い、必要ないと思っ ている人に対応するのが難しかったということです。でも、そういう学生と話すと、実は もう自律的な態度が出来てたり、計画や目標を持ってたりすることがある。だから話す機 会を増やして耳を傾ける。それで否定しない。そうしたら上手くいったような気がします。 でも、個別セッションで話を聞いたり、シートで書いてもらったりしても、どんな経験を してどう考えたのか、[教室外は教師は見えない]。その見えない部分、アニメや日本人の

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104 2010 年度 Obirin TOday  ――教育の現場から 友達などが留学生活の大部分を占めているので、限界を感じる時があります。ただ、授業 以外の部分が大部分だと承知した上で、学生とのコミュニケーションを大切にしてます。 …こういった授業をやることによって意欲的に取り組む学生が増えたという印象はあるん ですけど、効果として数字で出て来るものではないので気長な地道な作業という気がして ます。 CL2([学生へ接する時間の多少の差]からの 5 項目):個別セッションは中間テストと 期末テストの後の 2 回、平均 20 分、授業外にやってます。C クラスのメインは文法や表 現の習得であって、自律的な態度を養うというわけではないので、チュートリアルのよう に授業内に個別セッションの時間が設けられなくて、どうしても[学生に接する時間の多 少の差]が出てしまう。それで最初は教師 2 人でしていた個別セッションを 1 人で行うよ うになりました。[学生へ働きかける言葉が難しい]は、個別セッションで「目標がない」、 「日本語の学習はつまらない」と言われた時の言葉掛けなんですが、これまでの成功例と 失敗例があるので、最近はそんなに悩んでないかもしれません。それから、私は英語が上 手ではないので困っていましたが、最近はやはり学習方法や学習目標が大切なのであって 言葉ができるかどうかではないと思い、あまり気にならなくなってきました。[普段の授 業で個別セッションやシートをどう生かすか]は、チュートリアルと違う一斉授業のクラ スでの独特の悩みだと思うんです。普段は教科書を使った普通の授業なんですが、その中 で個別セッションで分かったことやシートで気付いたことをどう生かしていけばいいか。 全く生かせない時期もありました。でも最近は、学生は漢字に悩んでるんだと思うように なって、一人ずつ回って、書き順などきちんと書けてるかを見るようになりました。 CL3([シートの整理大変]からの 3 項目):シートが何枚もあって、整理ベタな私が大 19)|_____|. 漢字が覚えられない(+) 17)|___. | 発音練習(+) 18)|___|__|________________. 聴解練習(+) 12)|___. | 何をしていいかわからない学生(-) 13)|___|___. | 自分に必要なことは(+) 10)|_______|____. | 紹介する教材・リソース(+) 8)|____________|__________| 学生がしたいことと教師が必要だと思うこと(0) 5)|___. 自己評価は嫌いという学生| (-) 11)|___|________. どのようにアドバイスする|か(-) 1)|______. | 目標は必要か(-) | 9)|______|_____|. 書かせることは必要か(0) | 2)|______. | 自律的な学習とは(0) | 7)|______|______|______. 既に自律的であるか(0) | 6)|___. | 自己評価の理由(+) | 15)|___|________________|___.教師の評価と学生の評価 |(-) 4)|__________. |自己評価を成績に含めるか|(-) 14)|__________| |ポートフォリオに入れるも|の(+) 20)|__________|_____________|チュートリアルとのかねあ|い(+) 図 1 教師 A の結果 0 距離 13.72 |----+----+----+----+----+----+----+----+----+----+ 1)|___. 学生はどこまで短期で自律的な学習に近づくか(+) 2)|___| 学習に関心のない学生がいる(0) 3)|___| 目標ややりたいことがない学生への対応(0) 5)|___|. 自律的な学習に関心がない・嫌いな学生の対応(0) 12)|____|___. 既に自分のやり方を貫いて持っている学生への対処(+) 4)|___. | 学生が何をしたくてどうしたいのか?(0) 6)|___|____|_______. 留学の目的がない学生(0) 7)|___. | 教室外は教師は見えない(-) 8)|___|____________|_____________.効果は数字や目で見て表れにくいもの(+) 9)|___. |学生へ接する時間の多少の差(-) 15)|___|_____________________. |1クラスの学生が多いとフォローが大変(-) 10)|______. | |学生へ働きかける言葉が難しい(0) 11)|______|__. | |セッション時の言語が時々通じない(-) 13)|_________|_______________|____|普段の授業でセッションやシートを教師はどう生かすか(+) 14)|___. シートの整理大変(-)| 16)|___|_______. 授業時間を使ってシー|ト記入をするのはもったいない?(0) 17)|___________| シート記入の時間長い|(0) 図 2 教師 B の結果 CL1 CL2 CL3 CL1 CL3 CL4 図 2 教師 M の結果

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変なんです。自己分析シート 3 枚、教科書分析シート 1 枚、最後のアンケート 1 枚、振り 返りシートが 3 枚、全部で 8 枚です。[授業時間を使ってシート記入をするのはもったい ない?]、[シートの記入の時間長い]は、自律的な学習を前面に押し出した授業ではない ので、シートの記入に時間をかけるのはどうかということ。きちっと考えれば考えようと するほど、5 分や 10 分で書けないと思うので、最近は宿題にしています。持ってくるの が遅くなる人もいますが、たくさん考えて書けるという学生もいて、よかったと思います。 CL 間の比較と全体のイメージ:CL1 は学生への対応や、やり方、内容面での悩み。 CL2 は学生数や言語、時間の問題など物理的な部分も多い。CL3 は自分自身の悩み。CL1 は学習に関心のない A さん、留学の目的がない B さんのように個別的な感じがしますが、 CL2 と 3 は学生が誰であろうと生じる問題。全体のイメージは< 多様性>。まず学生自身 の多様性。それから教師の働きかけ方や個別セッションの進め方。これらにマルもバツも ない。効果は数字で見えるものではないので正解がない。授業への自律的な学習の取り入 れ方も色々あって教室外で見つけることもある。そして、そういった多様性を受け入れら れるようになった自分がいる。 その他:この図は、自律的な学習を取り入れた授業を始めようと思った時から現在まで の全ての悩み、私の授業の歴史を見た気がしました。それから、慣れてきたという感じで すね。大して悩むことはない。今までは自律的な態度を養うことに力を注いでたんですが、 これからは個別セッションで個々をもっとよく見る方に力を注ぐだろうと思います。自律 的な学習を進めるための考え方や方法が分かったから、一人一人に目を向ける余裕が出来 たのかな。前は、学生に「こういうの嫌い」と言われると「どうしよう」と思いましたが、 今は「そういう人もいるよね」と、個々の価値観を尊重出来るようになりました。こうい う授業を始める前は、学生にどうやってテキストの内容を伝えて日本語を上達させるかが 頭にありましたが、私が関われるのは A さんの日本語学習歴のたった 3 ヶ月。最近「日 本語も勉強になったし、色んな出会いがあったし、色んな価値観が身に付いて留学して良 かったと学生が思えたら良いな」と思ってます。学生は学期の最初の頃は、出来ることと 出来ないことがよく分かってないんです。でも、時間が経つにつれて「これ、がんばろう」、 「これが出来ないことが分かった」と意識してる様子が伝わって来て。今後何十年続く日 本語学習に、それが一番大切なんじゃないかと思います。 3.2.2 調査者による教師 M の CL の解釈 CL1:教師 M は当初、「自律的なサイクルをすること」を嫌う学生への対応に悩んだが、 実はその中には自律的な態度を持っている者がおり、彼らの考えを否定せずに接すればよ いと気づいた。そこで、個別セッションやシートから学習者の経験や考えを知ろうと試み るようになった。しかし、学習者の生活の大部分は教師には見えないため、限界も感じて

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いる。現在は、「自律的な学習にあまり免疫がない学生が、たった 3 ヶ月で本当に自律的 な態度が養えるのか」を最も気にしている。また、授業の成果が見えにくいため、「成果 の不確実性」(伊藤,2002)も感じている。CL1 は、授業期間と教師が見える範囲が限ら れていること、成果が見えにくいことが表れているため 、<教師が管理できる範囲の限界> とまとめられる。ただし、教師 M はこの限界を認識したため、現在は「無境界性」に関 わる悩みから解放されたと考えられる。 CL2:教師 M は、当初は個別セッションで的確な言葉掛けができない上に、学習者と うまくコミュニケーションが図れなかった。現在でも個別セッションやシートから得られ た情報を授業でどのように生かすかは試行錯誤の状態にある。また、個別セッションでの 学習者個々人との関わりを重視しているが、C クラスの授業の中心は自律的な態度を養う ことではないため時間的制約がある。CL2 は主に個別セッションをうまく機能させられ ないという悩みを表しており、その理由の 1 つとして一斉授業であることが挙げられてい るため、<一斉授業における個別セッションの難しさ>と命名できる。ただし、最近は時間 的制約については個別セッションを分担して行うことで対応し、言葉掛けや言語の問題に 関しては教育実践上の経験を生かして対応している。また、個別セッションやシートで得 た情報から学習者の漢字の悩みに気づき、個別に回って見るなど変化が生じたようである。 CL3:教師 M は自律的な学習を促すべくシートを課しているが、それを生かしきれて いないという自覚がある。加えて、自律的な態度を養うことは C クラスの学習の中心で はないという考えもあり、シートの記入にどれほど時間を割いてよいものか迷いがある。 現在は宿題とすることで一応の解決をみているが、回収の問題が生じ、これが整理の煩雑 さにつながっているようである。シートは重要ではあるが、整理が難しいという葛藤が表 れているため、CL3 は<シートの重要性と整理の煩雑さに対する葛藤>と名づけられる。 全体:教師 M は、自分が関われるのは学習者の日本語学習期間のほんの短期間であり、 教師が見える部分も少ないことに気づいた。そこで、「留学して良かったと学生が思えた ら良い」と考え直し、学習者とのコミュニケーションを重視するようになった。また、個 別セッションの難しさを感じつつも、学習者「一人一人に目を向ける余裕が出来」、「個々 の価値観を尊重できるようになった」。そして、学習者が自分で出来ることと出来ないこ とを意識し、そこから自律的に学べるようになることが「一番大切」だと考えるに至って いる。ここに、学習者を一律に管理しようとする教師主導の考え方から、学習者個々人の 価値観を尊重する学習者中心の考え方への変容が認められる。また、この授業を経験した 結果、< 多様性> を受け入れられるようになり、そのため「再帰性」、「不確実性」、「成果 の不確実性」に対する耐性が高まったと考えられる。図 2 の構造を見ると CL1 から順に CL3 までつながっており、現在までの教師 M の悩みが時系列で示されている。教師 M は 当初は< 教師が管理できる範囲の限界> を感じていたが、考え方が変わった。また、< 一

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斉授業における個別セッションの難しさ>があったが、個別セッションが少し生かせるよ うになってきた。まだ不十分なところや< シートの重要性と整理の煩雑さに対する葛藤> はあるが、現在は< 多様性> を受け入れ、学習者個々人の価値観を尊重して授業を行って いると考えられる。

4.考察

以上が、必修の一斉授業に新しい教育理念を取り入れ、2 年半の教育実践を行った教師 H と M の授業における悩みのイメージとその解釈である。両者に共通するのは、自律的 な学習を取り入れた授業において多くの悩みがあり、解決できていないものもあるにも関 わらず、それほど深刻に悩んでいないという点である。その理由として、教師特有の悩み に自分なりに対処できているため、教師として深刻に悩まずに済んでいるということが考 えられる。それを可能にしているのが、教師の実践的知識であろう。まず両者は、C クラ スは授業の比重が自律的な学習よりは教科書にあり、時間的制約もあるということを意識 し、限界を自ら認識することで、「無境界性」に関わる悩みを回避している。そして教師 H は、学習者個々人に異なる対応を迫られるという「不確実性」に関わる悩みに学習者の 選択を優先することで対応し、学習者の自己評価と教師の評価が異なる場合の「再帰性」 に関わる悩みを研究テーマとして捉えることで対処している。一方、教師 M は「再帰性」、 「不確実性」、「成果の不確実性」に関わる悩みに対し、学習者や授業方法、評価など、授 業に存在する多様性を受容することで対処している。 その他に教師 H は、同僚の援助を受けて現実問題に対処している。土井・橋口(2000)は、 「生徒を説得できない教師は力不足である」などの自己無能感や、「同僚教師に相談するの は頼っているようで絶対に嫌だ」などの他者不信感と鬱状態との間に関連があることを明 らかにしている。しかし一方で、同僚は環境資源でもあり、その援助を受けることがスト レス対処のための方略として有効性が高いことが報告されている(中川・小谷・西村・井 上・西川・能,2000)。教師 H は自己無能感や他者不信感を強く持たずに、同僚の援助を 気軽に求めている。これは一見未解決の問題を先送りしているように思えるが、実際には 教師 H は常に「自分に必要なことを学生が分かるためにどうすればいいのか」と自問し、 学習者との考え方の違いを気にかけている。また、学習者の意見を聞きつつ自分の考えも 持ち、悩みを前向きに捉えて解決を図ろうとしている。蘭・高橋(1995)は、教師が変容 していくためには、教師が自分の志向性だけにとらわれるのではなく、教師と学習者の意 識や志向性のズレに視点を設定していくことが重要であると指摘しているが、教師 H の 姿勢はこの指摘と重なる。

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一方教師 M は、学習者個々人とのコミュニケーションを重視することによって問題解 決を試みている。都丸・庄司(2005)は、学習者への指導、もしくは関係を作ろうと教師 から直接関わるような実践上の場面において、失敗し、上手く行かないと悩む経験が、そ の後の学習者への見方・接し方の変容に強く影響していると述べている。教師 M は、当初 は個別セッションで的確な言葉掛けができない上に、学習者とうまくコミュニケーション が図れず悩んだが、教師の限界や学習者にとって何が一番大切かを熟考した結果、教師主 導の考え方から学習者中心の考え方へと変化し、学習者への見方や接し方が変わった。そ して、学習者一人一人に目を向ける余裕が出来、個々の価値観を尊重できるようになった。 以上のことから、悩みは教師のメンタルヘルスを悪化させるだけでなく、教師を成長・ 発達させる契機となりうることが示された。 ところで、両者は積極的に問題解決を行う一方で、教師の限界を自ら認識して悩みを回 避している。確かに、悩みに対する消極的態度は、悩みとなっている問題の解決にはつな がらない。しかし、教師一人の力でできることには限界がある。田上・山本・田中(2004) は、教師には献身的な理想に殉じる姿勢があってこそサービスの向上があるという職業的 側面があり、教師が自分のできる範囲を越えて徹底的に関わっていくために、メンタルヘ ルスが損なわれている場合が少なくないと述べている。したがって、教師のメンタルヘル スを考慮するならば、悩みを回避するという方法を採ることも必要であろう。教師 H と M は「教師の限界を認識して悩みを回避し、問題の深刻化を防ぐ」という実践的知識を 用いて悩みに対処しており、そのため新しい教育理念を取り入れた授業に前向きに取り組 めていると考えられる。

5.今後の課題

本研究は事例研究であり、自律的な学習を支援する教師の実践的知識の全体像や、成長 のモデルは提示できない。そのため、今後は自律的な学習を支援する教師の悩みと対処の 仕方の事例を集め、比較・検討していきたい。教師 H と M のように新しい教育理念を必 修の一斉授業に取り入れている教師や、チュートリアルのような他の形態で授業を実施し ている教師の事例を集めて分析できれば、教師の実践的知識や成長について明らかになり、 授業実践や教師教育に役立つであろう。また、このような調査を横断的に行うだけでなく 縦断的に行うことも、教師の実践的知識や成長を考える上で意義があると考えられる。

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付記 本研究は、桜美林大学言語教育研究所より研究運営助成を受けたものである。 1. 各 CL 内、また全体の+と-が拮抗するほど葛藤状態が強い(内藤、2002)。 2. 項目間の類似度判定の際、尺度の端(1 や 7)につけるか中央(4)につけるかの傾向には個人差が あるが、他人との比較ではなく同一人物内での相対距離が意味を持つため、絶対距離よりも相対距 離の方が解釈に貢献する(内藤、2002)。 参考文献 秋田喜代美(2004)「熟練教師の知」梶田正巳編著『授業の知-学校と大学の教育革新』有斐閣,181-198. 秋田喜代美(1997)「教師の生涯発達」『児童心理』676,837-845. 網谷綾香(2001)「不登校児童と関わる教師の成長の様相」『カウンセリング研究』34,160-166. 新井肇(1999)『「教師」崩壊-バーンアウト症候群克服のために-』すずさわ書店 伊藤美奈子(2002)「教師のバーンアウトとそれを取り巻く学校状況」『教育と医学』50,39-45. 伊藤美奈子(2000)「教師のバーンアウト傾向を規定する諸要因に関する探索的研究-経験年数・教育観 タイプに注目して-」『教育心理学研究』48,12-20. 落合美貴子(2003)「教師バーンアウト研究の展望」『教育心理学研究』51(3),351-364. 小山悦司・河野昌晴・赤木恒雄・加藤研治・別惣淳二・妹尾順子(1994)「教師の自己教育力に関する調査 研究-第 4 次調査結果の分析を中心にして-」『岡山理科大学紀要 B、人文・社会科学』29,295-320. 齋藤伸子・松下達彦(2004)「自律学習を基盤としたチュートリアル授業-学部留学生対象の日本語クラ スにおける実践-」『ObirinToday』4,19-34. 佐藤学(1994)「教師文化の構造」稲垣忠彦・久冨善之編『日本の教師文化』東京大学出版会,21-41. 高木亮・田中宏二(2003)「教師の職業ストレッサーに関する研究」『教育心理学研究』51,165-174. 田上不二夫・山本淳子・田中輝美(2004)「教師のメンタルヘルスに関する研究とその課題」  『教育心理学年報』43,135-144. 都丸けい子・庄司一子(2005)「生徒との人間関係における中学校教師の悩みと変容に関する研究」  『教育心理学研究』53,467-478. 土井一博・橋口英俊(2000)「中学校教師におけるイラショナル・ビリーフと精神的健康との関係」  『健康心理学研究』13,23-30. 内藤哲雄(2002)『PAC 分析実施法入門「改訂版」-個を科学する新技法への招待-』ナカニシヤ出版. 中川剛太・小谷英文・西村馨・井上直子・西川昌弘・能幸夫(2000)「教師の対人ストレス方略の臨床心 理学的研究(1)-実態調査にもとづく基礎研究」『国際基督教大学学報 . 教育研究』42,101-123. 白頭宏美・久保田美映(2010)「自律的な学習に向けた自己分析作業-自己評価と振り返り-」  『桜美林言語教育論叢』6,77-90. 藤澤伸介(1999)「教師の職能発達における経験と資質-教師の実感の調査-」  『私学研修』151.152,7-27. 藤田裕子(2009)「自律的な日本語学習を目指した授業に対する教師のイメージ-経験年数による比較-」 『桜美林言語教育論叢』5,17-34. 蘭千尋・高橋知己(1995)「学級経営の困難と解決」『現代のエスプリ』1,80-88.

参照

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