南山大学
大学院
国際地域
文化研
究
科
博士
(地
域研究
)
論文
近
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は じ め に … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 3 『 堀 川 波 鼓 』 に お け る 近 松 の 作 劇 法 一 ー 小 倉 彦 九 郎 の お 国 入 り を め ぐ っ て ー 5 一 は じ め に … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 5 二 近 松 の 描 く 封 建 制 度 下 の 下 級 武 士 の 倫 理 … … … … … … … … … … … … … 6 三 小 倉 彦 九 郎 の お 国 入 り を め ぐ っ て … … … … … … … … … … … … … … … … 8 四 藩 政 記 録 に 見 る 「 大 倉 彦 八 妻 敵 討 事 件 」 の 顛 末 … … … … … … … … … … 10 五 お わ り に … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 12 『 堀 川 波 鼓 』 に お け る 近 松 の 作 劇 法 二 ー 姦 通 物 の 初 作 に 見 る 近 松 の 人 物 造 型 ー 14 一 は じ め に … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 14 二 近 世 下 級 武 士 の 妻 の 悲 劇 … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 16 三 体 面 を 重 ん じ る 小 身 武 士 の 苦 衷 … … … … … … … … … … … … … … … … … 19 四 世 間 の 告 発 を 背 景 と し た 妹 た ち の 行 為 … … … … … … … … … … … … … … 22 五 お わ り に … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 24 『 大 経 師 昔 暦 』 考 一 ー 大 詰 の 僧 侶 に よ る 法 衣 の 救 済 ー 28 一 は じ め に … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 28 二 日 本 に お け る ア ジ ー ル の 痕 跡 … … … … … … … … … … … … … … … … … … 29 三 慈 悲 救 済 を 旨 と す る 仏 教 界 で 広 く 行 わ れ た 近 世 の ア ジ ー ル … … … … … 30 四 結 末 の 予 想 外 な 展 開 … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 33 五 お わ り に … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 34 『 大 経 師 昔 暦 』 考 二 ー 結 末 の 救 済 へ 向 か う 近 松 の 悲 劇 的 世 界 の 構 築 ー 37 一 は じ め に … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 37 二 『 好 色 五 人 女 』 巻 三 「 中 段 に 見 る 暦 屋 物 語 」 と の 構 成 上 の 相 違 … … … 39 三 中 之 巻 に 見 る 主 従 の 義 理 と 肉 親 の 恩 愛 の 情 … … … … … … … … … … … … 41 四 不 義 者 と し て 生 き る 男 女 主 人 公 の 人 間 的 苦 悩 … … … … … … … … … … … 43 五 お わ り に … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 45 『 鑓 の 権 三 重 帷 子 』 考 一 ー 妻 敵 討 の 場 を め ぐ っ て ー 48 一 は じ め に … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 48 二 伏 見 ・ 墨 染 の 里 … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 49 三 伏 見 京 橋 … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 50 四 大 坂 高 麗 橋 … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 52 五 お わ り に … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 55 『 鑓 の 権 三 重 帷 子 』 考 二 ー 権 三 お さ ゐ の 道 行 を め ぐ っ て ー 58 一 は じ め に … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 58 二 人 間 性 を 抑 圧 さ れ た 人 妻 の 心 理 … … … … … … … … … … … … … … … … … 59 三 近 松 世 話 浄 瑠 璃 に お け る 一 分 の 方 法 … … … … … … … … … … … … … … … 62 四 先 学 に 見 る 権 三 お さ ゐ 恋 の 道 行 論 … … … … … … … … … … … … … … … … 65 五 お わ り に … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 70 お わ り に … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 73
は じ め に 五 十 三 歳 で 学 生 と な っ て 以 来 、 十 四 年 も の 長 き に 亘 る 近 松 研 究 の 足 掛 か り を 提 供 し て く れ た の は 、 秋 元 松 代 作 、 蜷 川 幸 雄 演 出 、 東 京 ・ 帝 国 劇 場 初 演 ( 一 九 七 九 年 二 月 二 日 ~ 三 月 八 日 ) の 『 近 松 心 中 物 語 ー そ れ は 恋 ー 』 で あ っ た 。 秋 元 松 代 の 脚 本 は 、 十 一 曲 あ る 近 松 門 左 衛 門 の 心 中 物 の 中 か ら 、 『 忠 兵 衛 梅 川 冥 途 の 飛 脚 』 、 『 与 兵 衛 お か め ひ ぢ り め ん 卯 月 の 紅 葉 』 と そ の 続 編 『 跡 追 心 中 卯 月 の 潤 色 』 を 下 敷 き に 書 か れ て お り 、 心 中 を 遂 げ た 梅 川 ・ 忠 兵 衛 ( 原 曲 は 捕 え ら れ る ) と 、 心 中 に 失 敗 し て 男 だ け が 生 き 残 っ て し ま う お 亀 ・ 与 兵 衛 の 、 心 中 に 走 る 二 組 の 男 女 を 対 照 的 に 描 い て い る 。 さ て 、 秋 元 作 品 で は 、 敵 役 の 八 右 衛 門 ( 原 曲 は 忠 兵 衛 の 梅 川 狂 い を 心 配 す る 友 人 と し て 描 く ) に は 、 堅 物 の 忠 兵 衛 を 柔 ら か く し て や ろ う と 廓 遊 び に 誘 い 込 み 、 挙 句 に 忠 兵 衛 が 遊 女 梅 川 に 狂 い そ う に な る と 、 今 度 は 忠 兵 衛 の 梅 川 狂 い を 止 め さ せ よ う と し て 、 梅 川 を 身 請 け し よ う と す る お 大 尽 の 使 い も す る よ う に 設 定 が し て あ る 。 そ し て 、 封 印 切 の 後 の 二 人 は 、 梅 川 の 故 郷 、 平 群 の 里 に 逃 れ て 、 降 り し き る 雪 の 中 で 愛 を 結 実 さ せ る た め に 心 中 す る 等 、 原 作 の 意 を 取 り 込 み 、 そ れ を 強 調 す る 形 に さ れ て い る 。 と も あ れ 、 演 劇 用 の 脚 本 に は な っ て い な い 近 松 の 浄 瑠 璃 は 、 演 劇 と し て 上 演 さ れ る 場 合 、 原 作 そ の ま ま で な く 、 分 か り 易 く 改 作 さ れ た 形 で 上 演 さ れ る の が 普 通 で あ る 。 『 近 松 心 中 物 語 』 は 、 近 松 の 創 作 意 図 を 汲 ん で 、 近 松 の 目 差 す 心 中 物 本 来 の 意 義 を き ち ん と 取 り 込 ん だ 作 品 と な っ て い る 。 と こ ろ で 、 演 出 家 の 蜷 川 幸 雄 は 、 そ の 躍 動 的 で 視 覚 性 の 強 い 演 出 力 が 評 価 さ れ て 、 七 四 年 以 降 、 東 宝 で 『 ロ ミ オ と ジ ュ リ エ ッ ト 』 『 リ ア 王 』 『 オ イ デ ィ プ ス 王 』 『 王 女 メ デ ィ ア 』 な ど の 翻 訳 物 を 次 々 と 演 出 し 、 時 代 の 寵 児 と な っ た 。 そ の 蜷 川 が 初 め て 日 本 の 作 品 を 手 掛 け た の が 『 近 松 心 中 物 語 ー そ れ は 恋 ー 』 で あ っ て 、 彼 の 演 出 は 、 本 作 の 次 な る 場 面 で 遺 憾 な く 発 揮 さ れ て い る 。 ① 幕 開 き の ア ー ト デ ィ レ ク タ ー ・ 辻 村 ジ ュ サ ブ ロ ー の 人 形 遣 い 。 ② 遊 廓 で 豪 勢 に 遊 ぶ 金 持 ち と し が な い 庶 民 を 対 比 す る 、 冒 頭 の 活 気 あ る 群 集 シ ー ン 。 ③ お 亀 は 死 に 、 与 兵 衛 は 無 惨 に 生 き 残 っ て し ま う 、 蜆 川 堤 で の 本 水 を 使 う 趣 向 。 ④ 森 進 一 の 憂 愁 を 漂 わ せ た 効 果 的 な 挿 入 歌 。 ⑤ 歌 舞 伎 の 女 形 に は な い 女 の エ ロ テ ィ シ ズ ム を 発 揮 し て い る 、太 地 喜 和 子 の 遊 女 梅 川 。 ⑥ 生 き 残 っ た 与 兵 衛 が 、 百 人 近 く の 登 場 人 物 を 擁 す る 騒 然 と し た 冒 頭 と 全 く 同 じ 情 景 ( 雪 降 り の み 異 な る ) の 揚 屋 町 の 雑 踏 の 中 を 、 乞 食 坊 主 と な っ て 姿 を 消 し て い く 最 終 場 面 。 等 で あ る 。 結 局 の 所 、 未 だ に 私 の 心 に 残 っ て い る も の は 、 美 術 の 朝 倉 攝 と 照 明 の 吉 井 澄 雄 が 仕 掛 け た 舞 台 装 置 で あ る 。 降 り し き る 雪 の 中 、 二 人 に 心 中 を 遂 げ さ せ る 結 末 で の 、 舞 台 の 奥 か ら 梅 川 ・ 忠 兵 衛 が 登 場 し た 時 の 照 明 の 見 事 さ と 、 場 内 全 体 を 覆 い 尽 く す 、 雪 に 見 立 て た 大 量 の 紙 吹 雪 で あ っ て 、 こ れ は 、 観 客 の 視 聴 覚 に 訴 え て 、 臨 場 感 を 増 す た め の も の で あ っ た 。 当 時 サ ラ リ ー マ ン だ っ た 私 は 、 舞 台 と 観 客 と が 一 体 と な っ た あ の 時 の 感 動 を 今 一 度 味 わ
お う と 、 再 演 さ れ る 度 に 、 東 京 ・ 明 治 座 、 名 古 屋 ・ 御 園 座 、 大 阪 ・ 近 鉄 劇 場 へ と 、 ま め に 足 を 運 ん だ も の で あ る 。 近 松 門 左 衛 門 の 浄 瑠 璃 を 具 体 的 に 踏 ま え て 執 筆 さ れ た 秋 元 松 代 の 『 近 松 心 中 物 語 ー そ れ は 恋 』 と 『 新 ・ 近 松 心 中 物 語 』 ( 二 〇 〇 四 年 二 月 、 題 目 ・ 配 役 ・ 主 題 歌 を 一 新 ) は 、 私 に 近 松 研 究 と い う 拠 り 所 を 与 え て く れ た の み な ら ず 、 通 算 上 演 回 数 が 一 〇 〇 〇 回 に も 達 し た 近 松 物 は 、 歌 舞 伎 と 文 楽 の 『 曾 根 崎 心 中 』 と 本 作 し か な く 、 巧 妙 な 全 体 の 構 成 に お い て も 、 近 松 の 傑 作 の 名 に 背 か ぬ 戯 曲 と 言 え よ う 。 近 松 に は 実 際 に あ っ た 事 件 を 浄 瑠 璃 に 仕 組 ん だ も の の う ち 、 姦 通 劇 が 三 つ あ る 。 『 堀 川 波 鼓 』 ( 宝 永 四 年 ・ 一 七 〇 七 ) 、『 大 経 師 昔 暦 』( 正 徳 五 年 ・ 一 七 一 五 ) 、 『 鑓 の 権 三 重 帷 子 』 ( 享 保 二 年 ・ 一 七 一 七 ) が そ れ で 、 義 理 と 情 の 葛 藤 に 懊 悩 す る 人 間 を 描 い た 世 話 物 と し て 、 通 常 三 大 姦 通 曲 と 呼 ば れ て い る 。 『 大 経 師 昔 暦 』 は 禁 中 出 入 の 大 経 師 家 の 妻 に 題 材 を 得 、 『 堀 川 波 鼓 』 と 『 鑓 の 権 三 重 帷 子 』 は 武 士 の 妻 の 姦 通 を 主 題 と し 、 冷 酷 な 妻 敵 討 を 描 く 。 元 来 世 話 物 は 実 際 の 市 井 事 件 に 基 づ い て 作 ら れ た も の だ け に 、 作 中 の 人 物 も 写 実 的 に 描 か れ て お り 、 近 松 は 、 ご く 平 凡 な 日 常 の 家 庭 生 活 の 中 で 一 人 の 女 性 が 悲 劇 の 主 人 公 に な っ て い く 有 様 を 描 き 、 聴 衆 を 劇 的 世 界 へ と 引 き 込 ん で い く 。 本 論 文 で は 、 趣 向 の 検 証 、 本 曲 と 事 実 と の 関 わ り 、 同 素 材 を 扱 っ た 小 説 と 戯 曲 と の 相 違 な ど を 通 し て 、 作 品 毎 に 近 松 の 姦 通 物 の 作 劇 法 に つ い て 考 察 し た 。
『 堀 川 波 鼓 』 に お け る 近 松 の 作 劇 法 一 ー 小 倉 彦 九 郎 の お 国 入 り を め ぐ っ て ー 一 は じ め に 『 堀 川 波 鼓 』 は 宝 永 三 年 ( 一 七 〇 六 ) 六 月 七 日 に 鳥 取 藩 で 起 っ た 出 来 事 に 取 材 、 同 四 年 二 月 十 五 日 よ り 大 坂 竹 本 座 で 上 演 さ れ た ( 『 明 和 版 外 題 年 鑑 』 ) 近 松 五 十 五 歳 の 折 の 姦 通 物 の 初 作 で 、 後 の 『 大 経 師 昔 暦 』 、 『 鑓 の 権 三 重 帷 子 』 に 先 駆 す る も の で あ る 。 実 説 に つ い て は 『 月 堂 見 聞 集 巻 之 二 』 の 「 因 州 鳥 取 住 人 妻 敵 打 事 」 に 、 一 、 因 州 鳥 取 殿 松 平 右 衛 門 殿 に 、 大 蔵 彦 八 郎 と 申 臺 所 役 人 相 勤 罷 在 候 処 、 去 酉 六 月 主 人 参 府 に 付 供 仕 、 江 戸 へ 罷 下 り 、 当 五 月 十 五 日 鳥 取 へ 下 着 仕 候 留 守 之 内 、 女 房 た ね 宮 井 伝 右 衛 門 と 申 者 と 密 通 仕 候 由 、 家 中 に て 風 聞 仕 、 其 上 私 妹 く ら 、 并 た ね 妹 ふ う 両 人 相 知 候 に 付 、 早 速 吟 味 仕 候 へ ば 、 不 義 之 段 委 細 白 状 仕 候 故 、 五 月 廿 七 日 女 房 儀 指 殺 、 同 廿 九 日 組 頭 迄 書 置 暇 乞 托 仕 罷 上 り 、 同 四 日 京 着 仕 候 而 、 右 之 趣 昨 日 御 断 申 上 候 、 右 伝 右 衛 門 下 立 売 通 堀 川 東 へ 入 角 に 住 居 仕 候 を 見 付 、 今 朝 五 つ 過 打 留 申 候 、 私 父 子 儀 、 去 る 六 月 よ り 江 戸 に 罷 在 、 先 月 中 旬 に 帰 国 仕 、 外 に 親 類 ど も 無 御 座 候 故 、 留 主 之 内 右 く ら ふ う 度 々 異 見 仕 候 へ ど も 、 承 引 不 仕 候 旨 申 候 、 私 義 伝 右 衛 門 を 見 知 り 不 申 候 に 付 、 両 人 之 女 を 召 連 罷 上 り 申 候 、 大 蔵 彦 八 郎 事 中 山 伝 右 衛 門 家 中 伊 丹 甚 太 夫 方 に 罷 在 候 大 蔵 文 七 十 七 歳 鳥 取 正 平 屋 与 三 右 衛 門 妻 伝 右 衛 門 妹 に て 当 正 月 十 九 日 暇 取 く ら 廿 八 歳 家 中 田 村 □ 之 助 に た ね 妹 奉 公 い た し 居 申 候 ふ う 廿 七 歳 宮 井 伝 右 衛 門 三 十 一 歳 女 房 る り 三 十 歳 伝 右 衛 門 父 清 右 衛 門 六 十 二 歳 下 人 七 助 下 女 な つ 右 は 御 公 儀 へ 書 上 げ 之 写 也 、 と あ る 。 ( 『続 日 本 随 筆 大 成 《 別 巻 》 近 世 風 俗 見 聞 集 2 』[ 吉 川 弘 文 館 ・ 昭 和 五 十 六 年 ]) こ の 京 都 堀 川 妻 敵 討 事 件 の 大 要 は 、 前 述 の 『 月 堂 見 聞 集 巻 之 二 』 に 収 め る 彦 八 郎 等 の 公 儀 へ の 書 き 上 げ の 写 し の 他 、 尾 張 藩 士 朝 日 定 右 衛 門 重 章 の 日 記 『 鸚 鵡 籠 中 記 』 宝 永 三 年 六 月 廿 九 日 の 条 、 そ し て 守 随 憲 治 氏 が 東 大 教 養 学 部 の 『 人 文 科 学 紀 要 』 に 発 表 さ れ た 『 鳥
取 池 田 藩 芸 能 記 録 の 発 掘 』 宝 永 三 年 六 月 七 日 ・ 十 三 日 の 条 等 に 残 さ れ て い る 。 同 事 件 は 森 本 東 烏 作 の 浮 世 草 子 『 京 縫 鎖 帷 子 』 ( 宝 永 三 年 仲 秋 ) や 錦 文 流 作 の 『 熊 谷 女 編 笠 』 ( 同 年 九 月 ) に も 脚 色 さ れ 、 特 に 前 者 は 事 件 後 間 も な く の 刊 行 で あ り 、 実 説 に 近 い 脚 色 と 見 ら れ 、 不 義 の 噂 を 広 め る 武 士 の 登 場 ・ 妻 敵 討 の 場 で 妻 の 妹 が 助 太 刀 を す る ・ 鼓 師 匠 の 女 房 が 夫 の た め に 長 刀 で 応 戦 す る 等 が 、 近 松 作 に 取 り 込 ま れ て い る と 認 め ら れ る 。 (1) こ の 事 件 を 取 り 込 ん だ 近 松 に よ る 脚 色 に つ い て 、 瓜 生 忠 夫 氏 は 「 『 堀 川 波 鼓 』 を め ぐ っ て 」( 高 野 正 巳 『 古 典 日 本 文 学 全 集 近 松 門 左 衛 門 集 』[ 筑 摩 書 房 ・ 昭 和 四 十 年 ] 所 収 ) 24 の 中 で 、 こ の 戯 曲 の 特 色 に つ い て 、 「 『 堀 川 波 鼓 』 は 、 因 幡 の 国 鳥 取 藩 の 下 級 武 士 小 倉 彦 九 郎 の 家 に 起 る 悲 劇 で あ る が 、 こ の 悲 劇 は 、 姦 通 と い う こ と ば か ら 連 想 さ れ る 愛 欲 と か 、 人 間 感 情 の も つ れ と か 、 人 間 の 手 に 負 え ぬ 宿 命 と か の せ い で は な く て 、 幕 府 の 政 治 と 直 接 に 結 び つ き 、 太 平 の 世 に は 「 武 」 を も っ て は 認 め ら れ が た い 下 級 武 士 の 境 遇 と 結 び つ い て い る 。 つ ま り 悲 劇 の 土 台 が 、 政 治 的 に 、 経 済 的 に 、 社 会 的 に 、 き わ め て 堅 固 な の が 、 こ の 劇 第 一 の 特 色 で 、 そ の 堅 固 さ に か け て は 、 近 松 の 作 品 中 随 一 で あ る 。 」 と 述 べ 、 白 倉 一 由 氏 は 「 『 堀 川 波 鼓 』 の 世 界 ー 愛 惜 像 の 創 造 ー 」 ( 『 近 松 の 浄 瑠 璃 』 [ 近 代 文 藝 社 ・ 昭 和 六 十 年 ] 所 収 ) に お い て 、 「 こ の 悲 劇 を 愛 欲 と か 人 間 感 情 の も つ れ と か 人 間 の 手 に 負 え ぬ 宿 命 と か で は な い と 断 定 す る こ と は で き な い が 、 当 時 の 時 代 状 況 の 場 を 意 識 し て い る こ と は 確 か で あ る 。 こ の 作 品 の 成 立 は 時 代 状 況 と 切 り 離 し て 考 え る こ と は で き な い と 思 う 。 江 戸 時 代 の 不 合 理 の 政 治 ・ 社 会 制 度 、 富 の 偏 在 に よ る 経 済 生 活 、 非 情 の モ ラ ル は そ の 時 代 に 生 活 す る 者 に は 何 人 に も 人 間 性 の 抑 圧 と な り 降 り か か る 。 彦 九 郎 は 小 身 者 で あ っ た 。 従 っ て 、 こ の 諸 条 件 は よ り 一 層 の 大 き な 重 さ 、 苦 し さ を も っ て 覆 い 被 さ っ て く る の で あ る 。 」 と 述 べ て い る 。 つ ま り 、 封 建 社 会 の 非 人 間 的 な 機 構 の 中 で 生 き ね ば な ら な か っ た 下 級 武 士 の 家 に 起 っ た 悲 劇 を 、 封 建 制 度 の 不 合 理 の 諸 条 件 故 に 生 じ た も の と し て 劇 を 展 開 し て ゆ く と こ ろ に 本 曲 の 構 成 上 の 特 色 が あ る と さ れ る 。 『 堀 川 波 鼓 』 は 封 建 制 度 下 の 小 身 者 一 家 の 悲 劇 を 、 参 勤 交 代 と い う 徳 川 氏 が 大 名 統 制 の た め に 取 っ た 大 き な 政 策 を 背 景 と し て 鋭 く 描 き 出 し て 見 せ た 秀 作 で あ る と い っ て よ い 。 作 者 近 松 が 実 説 や 先 行 の 浮 世 草 子 ・ 巷 間 の 噂 話 な ど を 踏 ま え な が ら も 、 妻 の 夫 へ の 恋 愛 の 情 熱 と 偶 発 的 な 姦 通 と い う 極 め て 逆 説 的 な 仮 構 を 加 え て 勝 れ た 運 命 劇 を 構 成 し て お り 、 彼 の 筆 致 を 高 く 評 価 し た い 。 本 稿 で は 、 因 州 鳥 取 の 実 直 な 封 建 武 士 小 倉 彦 九 郎 の 人 間 的 苦 悶 に も 焦 点 を 当 て 、 近 松 の 描 く 封 建 制 度 下 の 下 級 武 士 の 倫 理 、 藩 政 記 録 に 見 る 「 大 倉 彦 八 妻 敵 討 事 件 」 の 顛 末 な ど を 通 し て 、 近 松 の 姦 通 浄 瑠 璃 『 堀 川 波 鼓 』 の 構 成 と 鳥 取 藩 士 大 倉 家 の 妻 敵 討 後 の 有 り よ う に つ い て 言 及 し て み た い と 思 う 。 二 近 松 の 描 く 封 建 制 度 下 の 下 級 武 士 の 倫 理 近 松 姦 通 物 の 初 作 『 堀 川 波 鼓 』 は 、 彼 の 円 熟 期 の 作 品 だ け に 、 登 場 人 物 が 実 に よ く 描 か れ て い る 。 中 で も 、 義 も 情 も 弁 え た 人 物 小 倉 彦 九 郎 の 義 理 を 尊 び 義 務 を 果 す と い う 武 士 道 の 上 に 立 つ 精 神 と 、 妻 へ の 愛 情 に 燃 え る 一 個 の 温 か い 血 の 通 う 人 間 と し て の 相 剋 が 、 聴 く 人 見 る 人 の 一 層 の 同 情 を そ そ る 悲 劇 を 構 成 し て い る 。 そ こ で 近 松 の 描 く 封 建 制 度 下 の 下 級 武 士 の 倫 理 の 意 味 す る と こ ろ を 考 え て み た い 。
因 幡 の 藩 士 小 倉 彦 九 郎 は 一 年 振 り に 我 が 家 へ 帰 る こ と が で き 、 懐 か し い 妻 に 会 え る の を 楽 し み に し て い た の だ が 、 意 外 に も 妻 は 不 義 の 女 と な っ て い た 。 酒 が さ せ た 前 後 不 覚 の 状 態 で 犯 し た 不 義 で あ っ て 、 情 に お い て は 忍 び な い が 、 武 士 と し て こ れ を 放 置 し て 置 く わ け に は い か な い 。 た ね は 武 士 の 妻 で あ る か ら 武 士 道 に 拠 っ て 処 断 せ ね ば な ら な い の で あ る 。 近 松 は そ ん な 彦 九 郎 を 、 義 を 弁 え て 明 断 す る 武 士 と し て 描 い て い る 。 彦 九 郎 の 人 物 造 型 に 関 し て は 、 こ れ ま で も 色 々 と 考 察 さ れ て き た が 、 そ の 中 で も 、 諏 訪 春 雄 氏 は 「 近 松 の 世 話 浄 瑠 璃 ー そ の 悲 劇 性 の 考 察 ー 」( 『 學 習 院 大 学 文 學 部 研 究 年 報 』[ 昭 27 和 五 十 六 年 ] ) に お い て 、 「 こ れ ま で の 『 堀 川 波 鼓 』 論 の 多 く は 、 女 主 人 公 お 種 に 焦 点 を 当 て 、 封 建 制 度 下 の 下 級 武 士 の 妻 と し て の 悲 劇 に 視 座 が 据 え ら れ て き た 。 お 種 を 見 つ め る こ と は 、 こ の 作 の 戯 曲 論 と し て は 正 攻 法 で あ る が 、 中 巻 切 の 彦 九 郎 の 慟 哭 に 正 当 な 評 価 を 与 え な く て は 、 こ の 『 堀 川 波 鼓 』 全 体 の 正 し い 解 釈 が 得 ら れ ぬ こ と も 事 実 で あ る 。 な ぜ な ら 、 お 種 に の み 焦 点 を 当 て る と 、 中 巻 で お 種 が 死 ん だ と こ ろ で こ の 作 の 劇 的 緊 張 は 終 っ て し ま い 、 下 巻 の 仇 討 ち 場 面 は 付 け た り と し か み る こ と が で き な く な る か ら で あ る 。 」 と し て 、 彦 九 郎 の 苦 悩 と 慟 哭 に つ い て 、 次 の よ う な 指 摘 を さ れ て い る 。 お 種 が 不 義 密 通 し て い た こ と を 彦 九 郎 は 帰 国 し て か ら 知 ら さ れ た 。 主 君 の 国 入 り の 供 を し て 帰 っ た 彦 九 郎 を 待 ち 受 け て い た も の は 、 家 中 の あ ち こ ち か ら 届 け ら れ た 真 苧 で あ っ た 。 い う ま で も な く 「間 男 」 を 意 味 す る 諷 刺 で あ る 。 こ う し た 他 人 の お 節 介 は 、 同 家 中 政 山 三 五 平 方 に 嫁 入 っ て い た 彦 九 郎 の 妹 ゆ ら が 離 縁 さ れ て き た こ と に よ っ て 公 然 化 し 、 否 応 な し に 彦 九 郎 に お 種 の 不 義 と い う 事 実 を 突 き 付 け て く る こ と に な っ た 。 当 時 、 武 士 社 会 と い わ ず 、 町 人 社 会 と い わ ず 、 人 妻 の 不 義 密 通 は 許 さ れ な い 行 為 と し て 忌 避 さ れ て い た 。 公 然 化 す れ ば 、 当 然 、 当 事 者 が 罰 せ ら れ る こ と に な っ た が 、 し か し 、 そ こ に 抜 道 が な い わ け で は な か っ た 。 彦 九 郎 自 身 が 指 摘 し て い る よ う に 、 お 種 を 尼 と す る こ と に よ っ て そ の 一 命 を 救 う 方 法 も あ っ た の で あ り 、 ま た 、 妹 の お 藤 が 必 死 の 知 恵 を 働 か せ た よ う に 、 彦 九 郎 の 口 か ら お 種 を 離 縁 し て し ま い 、 「 暇 の 状 さ へ や ら せ な ば 海 道 の 真 中 で 生 ま せ て も 大 事 な い 。 命 に 障 り は な い は ず 」 で あ っ た 。 そ う し た 救 済 の 道 を こ と ご と く 絶 っ た の が 、 隣 人 た ち の 「 善 意 」 か ら く る 干 渉 で あ っ た 。 そ し て 、 隣 人 た ち に 、 そ う し た 厚 か ま し い 「 善 意 」 の 押 し 売 り を さ せ た の は 、 恐 ら く 、 彦 九 郎 が 悲 し い 「 小 身 人 」 で 、 多 少 の 無 礼 や 無 法 に 対 し て も 、 何 ら の 報 復 を な し え ぬ よ う な 地 位 の 人 物 で あ っ た か ら に 相 違 な い 。 古 今 東 西 、 い ず こ の 社 会 に あ っ て も 、 法 令 や 道 徳 律 の 適 用 を 最 も 厳 し く 受 け る の は 、 そ の 社 会 の 下 積 み の 人 々 で あ る 。 実 説 に よ れ ば 、 彦 九 郎 は 「 台 所 役 人 」 ( 月 堂 見 聞 集 ) 、「 台 所 人 」 ( 鸚 鵡 籠 中 記 ) 、「 料 理 人 」 ( 鳥 取 池 田 藩 記 録 ) な ど と 呼 ば れ て い る 。 名 字 帯 刀 を 許 さ れ て 、 武 士 階 級 に 属 し て い て も 、 そ の 最 低 周 辺 に 位 置 す る 人 物 で あ っ た の で あ り 、 当 時 既 に 形 骸 化 し つ つ あ っ た 武 士 階 級 の 倫 理 の 、 そ の 厳 し い 面 だ け が 適 用 さ れ 、 そ れ を 遵 守 し な け れ ば な ら な い よ う な 立 場 に 彼 は い た 。 彦 九 郎 が お 種 を 手 に か け て 殺 し 、 慟 哭 す る 姿 に は 、 疑 獄 や 汚 職 に 際 し て 、 上 司 の 一 切 の 罪 を 引 き 被 っ て 断 罪 さ れ る 下 級 官 吏 の 悲 惨 さ に 近 い も の が 看 取 さ れ る 。 そ の 悲 惨 感 を 払 拭 す る の が 下 巻 の 妻 敵 討 の 場 面 で あ る 。 こ の 下 巻 が あ る こ と に よ っ て 、 『 堀 川 波 鼓 』 は 惨 劇 に 終 ら ず に 、 武 士 と そ の 妻 の 潔 い 悲 劇 的 な 死 の 物 語 と し て 、 つ ま り 、 武 士 は 最 愛 の 妻 を 自 ら 手 に か け る こ と に よ っ て 、 妻 は 自 ら 贖 罪 の 死
を 選 び 取 る こ と に よ っ て 、 完 結 す る の で あ る 。 当 時 の 武 士 階 級 が 信 奉 し て い た 武 士 道 は 、 不 義 を し た 相 手 の 男 と 妻 を 殺 せ と 命 ず る 。 武 士 本 来 の 道 徳 意 識 と は 、 家 の 名 誉 を 自 分 で 守 る 意 識 で あ り 、 武 士 道 は 、 武 士 社 会 の 成 員 に 課 さ れ た 義 務 で あ り 束 縛 で あ っ た 。 藩 主 を 中 心 に 纏 ま っ た 狭 い 鳥 取 の 城 下 町 は 、 連 帯 感 も 強 い が 、 そ れ だ け 窮 屈 な 閉 鎖 社 会 で も あ っ た は ず で あ る 。 武 家 倫 理 に 忠 実 な 彦 九 郎 は 、 実 体 の な い 体 面 や 一 分 に 拘 泥 し 、 実 定 法 の 及 ば ぬ 共 同 体 の む な し い 行 動 論 理 の た め に 最 愛 の 妻 を 失 っ た の だ 。 と こ ろ で 中 巻 の 「 小 倉 彦 九 郎 屋 敷 の 場 」 で は 、 上 巻 の 姦 通 事 件 を 受 け て 、 各 人 の 内 面 に お け る 葛 藤 が 集 約 的 に 描 か れ て い る 。 主 君 の 国 入 り の 供 を し て 立 ち 帰 っ た 彦 九 郎 宅 に は 、 江 戸 帰 り の 諸 士 か ら 土 産 と 称 し 、 た ね の 不 義 を 諷 し た 贈 物 の 真 苧 が 次 々 と 届 け ら れ る が 、 そ れ で も 彦 九 郎 は 一 向 に 気 付 い た 様 子 も な い 。 源 右 衛 門 と た ね と の 噂 は 床 右 衛 門 の 口 か ら 国 表 は も ち ろ ん 江 戸 藩 邸 に ま で 広 ま っ て い た こ と は 、 帰 国 早 々 妹 婿 の 政 山 三 五 平 が 「 こ れ は 関 東 麻 と て 、 名 物 の 真 苧 。 い か が し く は 候 へ ど も 、 御 留 守 の 間 お た ね 様 。 真 苧 を 御 績 み な さ る る と 、 道 中 す が ら 家 中 の 沙 汰 。 罷 り 帰 り 承 れ ば 、 御 当 地 に て も そ の 沙 汰 ゆ ゑ 。 進 上 い た し 候 」 と 、 た ね の 姦 通 を 彦 九 郎 に そ れ と な く 知 ら せ て い る こ と で も 分 か る 。 だ が 彦 九 郎 は た ね が 姦 通 す る な ど と は 思 っ て も 見 な い し 、 絶 対 に 信 頼 し て い た の で あ ろ う 。 彦 九 郎 は 妻 に こ う し た 風 聞 が あ る こ と を 知 り つ つ も 、 た ね の 苦 衷 や 明 日 の 我 が 身 を 慮 っ て 、 世 間 の 噂 に 左 右 さ れ る よ う な 軽 々 し い 行 動 を 取 っ て は い な い 。 彦 九 郎 の 心 底 に は 妻 を 救 い た い と い う 気 持 が あ っ た と 思 わ れ る 。 動 か ぬ 証 拠 を 突 き 止 め る ま で は 、 ひ た す ら 妻 の 愛 情 を 信 じ 庇 い 立 て す る 覚 悟 だ っ た に 違 い な い 。 藩 主 の 江 戸 詰 を 終 え て の 帰 国 の 大 名 行 列 は 、 聴 衆 に そ の 有 様 を 彷 彿 と さ せ て 、 長 い 道 中 の 時 間 的 経 過 が 理 解 さ れ よ う 。 そ し て そ の 儘 な ら ぬ 長 旅 は 、 一 刻 も 早 く 国 許 へ 戻 り 妻 の 心 情 を 確 か め た い と い う 彦 九 郎 の 苛 立 つ 気 持 と 結 び つ い て 、 彦 九 郎 の み な ら ず 、 聴 衆 も ま た 、 逸 る 気 持 を 強 く 抱 く よ う に な る 。 こ こ に 近 松 の 作 劇 技 巧 を 窺 う に 足 る も の が あ る 。 だ が 、 た ね は 彦 九 郎 の 願 望 を 裏 切 る の み な ら ず 、 懐 胎 と い う 決 定 的 な 事 実 を 突 き つ け て 、 助 命 を 絶 望 的 な も の と し た 。 夫 は 微 動 だ に せ ず 自 刃 し た 妻 に 止 め を 刺 し た 。 そ こ に は 極 め 付 き の ス ト イ ッ ク な 武 士 の 典 型 像 が 描 き 出 さ れ て い る 。 や が て 彦 九 郎 が 妻 敵 討 に 出 よ う と す る と 、 ふ ぢ ・ 文 六 ・ ゆ ら の 三 人 が 同 行 を 願 い 出 る 。 す る と 彦 九 郎 は 、 「 さ ほ ど 母 、 姉 、 兄 嫁 を 。 大 切 に 思 ふ ほ ど な ら ば 、 な ど 最 前 に 衣 を 着 せ 。 尼 に せ ん と て 、 命 を ば な ぜ に 貰 う て は く れ ざ り し 」 と 言 い 放 ち 、 空 し い 妻 の 亡 骸 を 抱 き 声 を 上 げ て 泣 き 崩 れ た 。 そ こ に 彦 九 郎 の 妻 に 対 す る 愛 情 を 強 調 し よ う と す る 近 松 の 作 意 が 窺 わ れ る の で あ る 。 彦 九 郎 は た ね を 生 か す 手 立 て を 知 り な が ら も 実 行 し な か っ た の で あ る 。 実 直 な 封 建 武 士 小 倉 彦 九 郎 に と っ て 、 己 れ の 家 庭 を 蹂 躙 さ れ て 面 目 を 潰 さ れ た ま ま で い る こ と は 、 彼 の 自 尊 心 が 許 さ な か っ た も の と 思 わ れ る 。 妻 を 成 敗 し て 武 士 の 意 気 地 だ け で も 貫 こ う と 考 え た 、 と 見 る べ き だ ろ う 。 三 小 倉 彦 九 郎 の お 国 入 り を め ぐ っ て 本 曲 に は 脚 色 上 の 関 係 か ら 「道 行 」 と 称 す る 場 面 が な い 。 そ の 代 わ り に 中 巻 の 冒 頭 に は 、 お 供 の 槍 持 を 先 頭 に 立 て た 壮 麗 な 大 名 行 列 の お 国 入 り の 景 事 が あ る 。 「 景 事 」 と は 、 劇 中
人 物 の 様 々 な 思 い や 見 聞 を 節 お も し ろ く 連 ね た も の で 、 何 れ も 曲 節 を 主 と し た 情 趣 的 局 面 で あ る 。 と こ ろ で 日 本 戯 曲 の 局 面 は 、 物 語 よ り も 寧 ろ 見 せ 場 を 中 心 に 設 定 す る 場 合 が 多 く 、 こ れ が 演 劇 と し て 甚 だ 重 要 な 部 分 と な っ て い る 。 こ の 日 本 戯 曲 の 特 殊 局 面 に つ い て は 、 阪 口 弘 之 氏 が 「 人 形 浄 瑠 璃 の 形 成 」 ( 『 講 座 日 本 の 演 劇 4 近 世 の 演 劇 』 [ 勉 誠 社 ・ 平 成 七 年 ] 所 収 ) の 中 で 、 「 一 般 的 に は 、 語 り 物 は 操 化 さ れ る と 同 時 に 、 劇 的 な 集 約 が 図 ら れ 、 抒 情 表 現 の 著 し い 削 ぎ 落 と し を 見 る 。 と り わ け 、 操 浄 瑠 璃 成 立 前 後 で の 浄 瑠 璃 と 三 味 線 の 結 合 が 、 「 道 行 」 や 「 物 揃 え 」 「 物 尽 し 」 と い っ た 抒 情 的 場 面 の 半 ば 独 立 を 促 し た 点 に は 注 意 を 払 う べ き で あ ろ う 。 こ れ ら が 景 事 ・ 節 事 と し て 、 言 わ ば 筋 展 開 を 分 断 す る よ う に 、 物 語 中 に 填 め 込 ま れ て い っ た か ら で あ る 。 所 謂 「 シ ョ ー 的 構 成 法 」 と 呼 ば れ る も の で 、 爾 後 の 操 浄 瑠 璃 の み な ら ず 、 歌 舞 伎 の 演 出 様 式 ま で も が ほ ぼ こ の 段 階 で 確 立 を 見 た の で あ っ た 。 」 と 述 べ ら れ る 。 そ し て 、 藤 野 義 雄 氏 は 「 日 本 演 劇 の 特 殊 局 面 」 ( 『 近 松 の 世 話 悲 劇 』 [ 碩 学 書 房 ・ 昭 和 三 十 六 年 ] 所 収 ) に お い て 、 「 道 行 、 景 事 、 や つ し 、 等 の 通 語 に よ っ て 代 表 さ れ る 劇 的 局 面 は 、必 ず し も 戯 曲 全 体 と 緊 密 な 有 機 的 関 係 を 保 っ て い な い に も 拘 ら ず 、 一 曲 の 焦 点 的 場 面 と し て 観 客 の 感 動 を 強 く 促 す 力 を 持 っ て い る 。 」 と 評 さ れ る 。 し か し 、 果 し て そ う で あ ろ う か 。 本 作 で は 下 巻 に 妻 敵 討 を 入 れ る 物 語 の 構 成 上 、 「 景 事 」 を 中 巻 の 初 め に 置 い た と 思 わ れ る 。 先 ず は 、 華 や か な 行 列 の 様 子 を 彷 彿 さ せ る べ く 、 当 時 の 流 行 歌 「 お つ づ ら 馬 」 ( 『 松 の 落 葉 五 』 所 収 ) に 謡 わ れ る 「 さ て も 見 事 な お 葛 籠 馬 よ 、 下 に や 氈 敷 き 唐 縞 の 蒲 團 、 蒲 團 張 り し て な 小 姓 衆 を 乗 せ て … … … 」 の 一 部 を 作 り 変 え た 、「 さ て も 見 事 な お 葛 籠 馬 や 。 七 (2) つ 布 団 に 曲 ろ く 据 ゑ て 。 布 団 張 し て ナ 、 小 姓 衆 を 乗 せ て 。」 で 始 め 、 最 初 か ら 華 や か な ・ (3) 賑 や か な 情 景 で 以 て 雰 囲 気 を 盛 り 上 げ 、 聴 衆 の 心 に 華 や か さ を 印 象 付 け る 。 し か も 、 当 時 の 流 行 歌 謡 な の で 、 聴 衆 に は 馴 染 が あ っ て 受 け 入 れ ら れ や す い 。 続 い て 、 そ の 華 や か な 行 列 の 細 か な 描 写 と な る 。 「 は な で 遣 る 。 花 も さ き 手 の 供 道 具 」 と 花 を 重 ね て 華 や か さ を 強 調 し て お い て 、 先 ず 、 行 列 の 先 手 の 槍 の 種 々 相 を 描 き 、 そ の 槍 を 奴 が 豪 快 に 振 り な が ら 行 く と こ ろ は 、 ハ ル フ シ を 用 い た 派 手 な 語 り と し 、 聴 く 人 に そ の 華 や か で 豪 快 な 大 名 行 列 に 加 わ っ て い る か の よ う な 感 を 与 え る 。 次 に 、 富 士 ・ 浅 間 と い う よ く 知 ら れ た 山 ( 煙 を 吐 い て い る こ と で も 有 名 ) を 後 に し て 、 佐 夜 の 中 山 か ら 逢 坂 の 関 を 通 っ て 東 海 道 を 西 に 向 か い 本 国 に 少 し ず つ 近 づ い て い く こ と を 示 し て い る 。 続 い て 、 し ゃ ん し ゃ ん り ん り ん と 拍 子 の よ い 賑 や か な 轡 の 音 で 、 本 国 に 帰 る 喜 び に 浮 き 立 つ 心 の 様 を 描 い て お い て 、 供 侍 も 六 番 頭 ・ 使 番 な ど と 多 い こ と で 国 の 豊 か さ を 、 更 に 旗 竿 が 後 先 に 靡 く こ と で 民 衆 が 藩 主 に 靡 い て い る こ と 、 即 ち 、 国 許 が よ く 治 ま っ て い る こ と を 地 で 語 っ て い る 。 ま た 大 名 行 列 に 、 長 刀 持 ち や 医 者 ・ 儒 者 な ど が 加 わ っ て い る こ と に 、 街 道 沿 い の 人 々 は 一 様 に 驚 い た と 表 現 す る こ と で 、 こ の 行 列 が 、 並 み の 行 列 で は な い よ う な 印 象 を 与 え る 。 更 に 、 フ シ を 使 っ て 語 ら れ る 幕 串 ・ 挟 箱 ・ 持 ち 弓 の 数 多 の 人 々 、 更 に は 、 二 重 被 い を し た 大 鎧 と 、 引 き も 切 ら ず 続 く 見 事 な 行 列 の 有 様 は 、 一 層 の 華 や か さ を 表 現 す る 。 本 来 、 槍 は 大 名 の 武 威 の 象 徴 で あ り 、 各 藩 の 格 式 や 伝 統 を 物 語 る 道 具 で も あ っ た 。 そ れ 故 、 そ れ ら の 道 具 も 家 格 に よ っ て 違 っ て く る 。 中 で も 大 名 行 列 の 七 つ 道 具 の 一 つ 大 鳥 毛 は 鳥 取 藩 の 槍 印 で あ っ て 、 行 列 の 最 後 を 締 め 括 る 一 対 の 槍 と し て 相 応 し い 。 愈 々 久 松 山 が 間 近 に な る と 、 藩 主 が 召 さ れ た 馬 も 乗 換 え の 馬 も 故 郷 の 北 風 に 勇 み 立 ち 、 嘶 く 声 も 威 勢 が よ
い 。 こ れ は 大 い に 帰 国 の 喜 び を 響 か せ て い て 、 聴 衆 に は 息 も つ か せ ず 、 帰 国 す る 嬉 し さ を 強 く 訴 え て い る 。 続 い て 、 本 国 に 到 着 し た 行 列 の 人 々 は 、 一 年 振 り の 帰 国 に 藩 主 も 家 臣 も 共 に 新 樽 の 酒 を 酌 ん で 、 「 ざ ざ ん ざ あ 、 濱 松 の 音 は ざ ざ ん ざ 」 ( 『 狂 言 小 歌 集 』 ) と 歌 い 喜 (4) び 、 松 は 常 緑 で あ る と こ ろ か ら 「 松 の 葉 の 散 り 失 せ ず 」 ( 『 古 今 和 歌 集 ・ 序 』 ) と 歌 い 、 (5) 御 家 の 安 泰 の 久 し か ら ん こ と を 祈 っ て 、 帰 国 の 宴 が 続 け ら れ 、 『 狂 言 小 歌 集 』 や 『 古 今 和 歌 集 』 の 文 句 を 用 い て 、 何 も か も 目 出 度 い こ と で あ る と 結 ん で い る 。 尚 、「 景 事 」 は 、 『 章 句 故 実 集 』 に 「 景 事 は 地 と 書 く に 及 ば ず 」 と あ る よ う に 、 記 譜 が 無 く て も 「 地 」 で 語 る ( 6) の を 原 則 と し て い る の で あ る 。 こ こ で 、 物 語 の 筋 の 流 れ か ら 見 る と 、 独 立 し て い る が 如 く 見 え る 国 許 へ 戻 る 大 名 行 列 で あ る が 、 華 や か で 賑 や か な 心 浮 き 立 つ 有 様 を 詳 細 に 描 い た の は 、 や が て 起 る 小 倉 彦 九 郎 家 の 悲 劇 の 前 置 と し て 、 前 節 で 検 討 し た よ う な 、 彦 九 郎 の 並 々 な ら ぬ 心 中 と の 鮮 や か な 対 照 を 見 せ る 必 要 が あ っ た か ら で あ る 。 行 列 が 明 る く 華 や か で あ れ ば あ る 程 、 後 の 悲 劇 性 は 益 々 強 く な る 。 加 う る に 、 帰 国 後 の 他 家 の 喜 び や 賑 や か さ も 、 彦 九 郎 家 の 悲 劇 を 強 く 訴 え る こ と に な る 。 更 に 、 こ れ ら の 日 常 的 有 様 と 妻 敵 討 と い う 非 日 常 的 事 件 の コ ン ト ラ ス ト を 一 層 際 立 た せ 、 結 果 的 に 聴 衆 に そ の 悲 し み を 強 く 感 じ さ せ る よ う に な り 、 本 作 に お け る 極 め て 重 要 な 役 割 を 担 っ て い る の で あ る 。 こ れ に つ い て は 、 金 田 文 雄 氏 も 「 『 堀 川 波 鼓 』 の 構 成 」 ( 『 国 語 国 文 学 誌 第 号 』 [ 広 12 島 女 学 院 大 学 日 本 文 学 会 ・ 昭 和 五 十 七 年 ] ) の 中 で 、 「 … … … 冒 頭 の お 国 入 り の 明 る さ の 背 後 に は 、 同 時 に 描 か れ な か っ た 彦 九 郎 の 苦 悩 と も 重 な り あ っ て い た と 見 る こ と が で き る 。」 と 述 べ ら れ て い る 。 四 藩 政 記 録 に 見 る 「 大 倉 彦 八 妻 敵 討 事 件 」 の 顛 末 近 松 作 『 堀 川 波 鼓 』 の 因 幡 の 藩 士 小 倉 彦 九 郎 は 、 『 月 堂 見 聞 集 』 で は 「 大 蔵 彦 八 郎 と 申 臺 所 役 人 」 、 『 鸚 鵡 籠 中 記 』 で は 「 松 平 右 衛 門 太 夫 吉 明 台 所 人 」 、 藩 政 記 録 『 万 控 帳 』 で は 「 御 前 御 料 理 人 大 倉 彦 八 」 と あ る 小 身 者 だ が 、 不 義 を 犯 し た 妻 を 世 間 の 定 め に 従 っ て 成 敗 す る 。 本 章 で は 、 鳥 取 に 残 る 大 倉 彦 八 妻 敵 討 事 件 の 関 係 史 料 ( 『家 老 日 記 ( 万 控 帳 ) 』・ 『藩 士 家 譜 ・ 大 倉 喜 家 』) を 通 し て 、 こ の 事 件 の 顛 末 を 明 ら か に し て お き た い 。 元 禄 期 の 鳥 取 城 下 の 町 中 に は 能 を よ く す る 町 人 が 相 当 お り 、 出 入 り の 能 役 者 ・ 御 手 役 者 ・ 町 方 役 者 へ の 報 酬 は 、 当 座 支 給 か ら や が て 扶 持 方 に 改 め ら れ て い る 程 、 能 楽 が 盛 ん だ っ た 。 そ れ は 、 鳥 取 城 中 の 御 能 に 度 々 罷 り 出 で 、 や が て 御 抱 え と な っ た 者 が 出 て い る こ と で も 分 か る 。 近 松 作 『 堀 川 波 鼓 』 の 妻 敵 宮 地 源 右 衛 門 は 、 京 か ら 長 逗 留 し て 、 一 定 期 間 を 、 各 家 臣 の 子 女 に 鼓 を 指 南 す る 師 匠 で あ り 、 元 禄 期 の 鳥 取 城 下 で の 能 楽 盛 行 の 様 は 、 大 倉 彦 八 妻 敵 討 事 件 を 考 え る 上 で 見 逃 せ な い 。 『 鳥 取 県 史 第 五 巻 近 世 文 化 産 業 』 ( 鳥 取 県 ・ 昭 和 五 十 七 年 ) の 「 第 二 章 芸 能 ・ 美 術 の 発 達 」 に 記 さ れ る 当 時 の 鳥 取 城 下 の 具 体 的 な 周 辺 事 情 は 、 以 下 の 通 り で あ る 。 延 宝 年 中 ( 一 六 七 三 ~ 八 〇 ) 、 江 戸 か ら の 野 村 理 兵 衛 と 共 に 、 京 都 か ら 堂 屋 太 郎 兵 衛 が 招 か れ て い る 。( 『万 控 帳 』) 京 の 役 者 の 城 下 へ の 往 来 は 次 第 に 活 発 と な り 、 … … こ の 頃 、 藩 士 で 「 稽 古 仰 せ 付 け
ら れ 」 「 御 相 手 に 仰 せ 付 け ら れ 」 た 者 の う ち 、 田 辺 伊 右 衛 門 は 、 稽 古 の 暇 を 得 る た め 「 御 番 相 断 る 」 こ と を 許 さ れ た 。 ( 『 御 目 付 日 記 』 宝 永 七 年 五 月 二 八 日 条 ) 能 稽 古 の た め に 、 武 士 本 務 の 番 役 も 免 ぜ ら れ た の で あ る 。 … … 稽 古 の た め の 苦 労 も な か な か で あ り 、 こ の た め 役 者 の 扶 持 米 は 、 減 禄 が 藩 内 で 断 行 さ れ た 節 も 、 「 引 米 な し 」 と す る 他 、 町 役 者 に は 「 勝 手 難 儀 」 の 救 済 に 銀 子 を 与 え る 等 の 特 別 措 置 を 講 じ て い る 。 … … ( 『万 控 帳 』 宝 永 五 年 一 〇 月 晦 日 条 ) さ て 、 大 倉 彦 八 が 当 時 の 鳥 取 藩 主 ・ 三 代 吉 泰 に 従 っ て 参 勤 交 代 を し た 期 間 に つ い て は 、 『 月 堂 見 聞 集 巻 之 二 』 に 、 「 宝 永 二 年 ( 一 七 〇 五 ) 六 月 江 戸 へ 罷 下 り 、 翌 三 年 五 月 十 五 日 鳥 取 へ 下 着 」 と あ る 。 そ し て 京 都 堀 川 妻 敵 討 の 実 説 に つ い て は 、 鳥 取 県 立 博 物 館 が 所 蔵 す る 藩 政 記 録 『 万 控 帳 』 に よ っ て 窺 う こ と が で き る 。 そ こ で 大 倉 彦 八 妻 敵 討 事 件 の 記 述 を 順 を 追 っ て 吟 味 し て み た い と 思 う 。 尚 、 『 万 控 帳 』 ( 『 万 ひ か え 』 ・ 『 控 帳 』 と も 言 う ) と は 、 藩 政 全 般 に つ い て 、 家 老 の 責 任 に お い て 記 し た も の で あ る 。 【 宝 永 三 年 ( 一 七 〇 六 ) 五 月 二 十 七 日 】 一 、 御 料 理 人 大 倉 彦 八 儀 、 妻 不 儀 有 之 由 ニ 而 、 昨 夕 右 之 妻 ヲ 切 殺 申 由 、 依 之 町 御 目 付 指 出 シ 、 相 改 候 様 ニ 、 御 目 付 衆 江 申 達 事 。 【 同 五 月 二 十 八 日 】 一 、 御 前 御 料 理 人 大 倉 彦 八 妻 、 彦 八 江 戸 留 守 之 内 、 京 都 ヨ リ 御 雇 ノ 役 者 小 鼓 打 宮 井 伝 右 衛 門 ト 不 儀 有 之 ニ 付 、 一 昨 廿 六 日 夕 妻 ヲ 生 害 致 シ 、 伝 右 衛 門 ヲ 討 ニ 罷 出 度 旨 ニ テ 、 御 暇 奉 願 、 御 目 付 共 、 右 之 品 遂 吟 味 候 処 、 不 儀 ニ 致 決 定 ニ 付 、 達 御 耳 、 彦 八 儀 願 之 通 御 暇 被 遣 旨 被 仰 出 、 御 用 人 ヲ 以 御 膳 奉 行 迄 申 渡 事 。 【 同 六 月 十 三 日 】 一 、 大 倉 彦 八 儀 、 今 月 七 日 朝 、 於 京 都 女 敵 宮 井 伝 右 衛 門 ヲ 首 尾 好 討 留 申 由 、 依 之 御 奉 行 所 ヨ リ 毛 利 六 郎 左 衛 門 呼 ニ 参 、 罷 越 候 処 、 彦 八 并 伜 女 弍 人 共 、 六 郎 左 衛 門 請 取 候 様 御 指 図 、 京 都 御 屋 敷 ヘ 請 取 置 候 由 申 越 ニ 付 、 達 御 耳 候 処 、 女 敵 首 尾 好 討 留 候 付 、 御 当 地 ヘ 御 引 取 可 被 成 旨 被 仰 出 、 為 迎 、 御 歩 行 両 人 并 足 軽 五 人 被 遣 旨 、 其 々 ヘ 申 渡 シ 、 岩 本 一 郎 左 衛 門 ・ 能 勢 五 郎 左 衛 門 申 来 事 。 明 十 四 日 発 足 、 毛 利 六 郎 左 衛 門 ・ 橋 本 助 左 衛 門 方 ヘ 添 状 遣 事 。 【 同 六 月 二 十 九 日 】 一 、 大 倉 彦 八 儀 、 達 御 耳 処 、 此 度 之 作 廻 宣 仕 廻 ニ 付 、 被 召 返 御 目 見 徒 ニ 被 仰 付 旨 被 仰 出 、 御 用 人 ヲ 以 徒 頭 江 申 渡 事 。 … … 【 同 七 月 十 九 日 】 一 、 ( 略 ) 一 、 右 之 跡 役 ( 御 蔵 目 付 ) 、 大 倉 彦 八 被 仰 付 、 申 渡 事 、 彦 八 儀 、 此 度 之 首 尾 モ 宣 ニ 付 、 右 之 規 模 ニ 被 仰 付 事 。 こ の よ う に 藩 政 記 録 『 万 控 帳 』 に は 、 妻 敵 討 の 経 過 と 彦 八 一 行 の 身 柄 引 き 取 り に 関 す る 記 事 、 妻 敵 討 成 就 に よ っ て 彦 八 が そ の 後 徒 士 を 経 て 御 蔵 目 付 に 任 命 さ れ た こ と 、 が 記 さ れ て い る 。こ の 資 料 か ら は 鳥 取 藩 に お い て は 妻 敵 討 が か な り 重 要 視 さ れ て い た こ と が 分 か る 。
近 松 の 人 妻 の 不 義 密 通 を 題 材 と し た 三 姦 通 物 の 内 、 二 つ の 武 士 妻 の 姦 通 劇 の 舞 台 は 鳥 取 ( 『 堀 川 波 鼓 』 ) と 松 江 ( 『 鑓 の 権 三 重 帷 子 』 ) で 、 共 に 山 陰 の 鄙 び た 風 土 を 背 景 に 成 立 し て い る 。 そ う し た 狭 い 城 下 町 の 地 縁 社 会 に あ っ て は 、 夫 が 参 勤 交 代 で 江 戸 表 に 行 っ て い る 留 守 中 の 人 妻 の 行 動 は 、 常 に 衆 人 の 監 視 の 目 に 晒 さ れ る こ と に な る 。 そ れ 故 、 妻 が 不 義 の 関 係 に 陥 っ た 時 に は 、 小 倉 彦 九 郎 の よ う な 小 身 武 士 は 、 姦 通 罪 は 男 女 共 に 成 敗 と い う 当 時 既 に 形 骸 化 し つ つ あ っ た 武 士 階 級 の 倫 理 を 杓 子 定 規 に 遵 守 す る こ と に な る 。 五 お わ り に 大 倉 彦 八 は 見 事 に 妻 敵 を 討 っ て 、 宝 永 三 年 ( 一 七 〇 六 ) 七 月 十 九 日 、 御 蔵 目 付 に ま で 取 り 立 て ら れ た 。 こ れ は 妻 敵 討 の 成 就 に 対 す る 藩 か ら の 褒 美 と 言 え よ う 。 武 士 社 会 の 義 理 に 圧 倒 さ れ て 武 士 道 を 遵 守 し た こ と が 出 世 の 道 へ と 結 び つ き 、 彼 は 念 願 の 立 身 を 果 た す こ と が で き た の で あ る 。 妻 敵 討 と は 、 太 平 の 世 に 武 士 道 が 形 式 化 し た 折 の 所 産 で あ り 、 妻 敵 を 夫 が 成 敗 す る と い う の は 、 妻 を 寝 取 ら れ た 武 士 の 意 地 、 言 わ ば 人 間 の 本 能 的 な 嫉 妬 に 根 差 す も の と 言 え よ う 。 妻 敵 討 は 一 門 の 面 目 に か け て の 処 置 で あ り 、 武 士 で あ っ て は 妻 と 通 じ た 男 を 討 つ こ と に よ っ て の み 体 面 の 維 持 が 可 能 に な る の で あ る 。 そ こ で 作 者 は 、 論 理 的 、 且 つ 情 緒 的 に 観 客 を 納 得 さ せ る よ う 、 近 世 の 冷 酷 な 妻 敵 討 の 習 俗 を 浮 き 彫 り に し た 。 『 堀 川 波 鼓 』 の 悲 劇 は 、 一 層 の 真 実 味 を 帯 び て 人 々 の 心 の 奥 底 に 迫 っ て 来 る の で あ る 。 注 ( 1 ) 『 徳 川 文 藝 類 聚 第 一 』( 國 書 刊 行 會 ・ 大 正 三 年 ) 所 収 、『 京 縫 鎖 帷 子 』 参 照 。 ( 2 ) 藤 田 徳 太 郎 校 註 『 松 の 落 葉 巻 第 五 』 ( 岩 波 書 店 ・ 昭 和 五 十 九 年 ) 一 三 五 頁 参 照 。 ( 3 ) 本 曲 に 関 す る 引 用 は 、 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集 『 近 松 門 左 衛 門 集 ② 』 ( 小 学 館 ・ 平 75 成 十 二 年 ) に 拠 る 事 と す る 。 ( 4 ) 藤 田 徳 太 郎 校 註 『閑 吟 集 附 狂 言 小 歌 集 ・ 室 町 小 歌 拾 遺 集 』( 岩 波 書 店 ・ 昭 和 七 年 ) 四 三 頁 参 照 。 こ の 歌 は 、 武 女 の 紀 行 文 『 庚 子 道 の 記 』 ( 新 日 本 古 典 文 学 大 系 『 近 68 世 歌 文 集 下 』 [ 岩 波 書 店 ・ 平 成 九 年 ] ) 九 四 頁 に 、 「 引 馬 野 は は や く よ り 浜 松 と も い ふ な り 。 … … 酒 の み た ち て 、 「 浜 松 の 音 は 」 と を の こ ど も の う た ふ は 、 こ の 所 よ り の こ と な ら ん か し 」 。 清 水 濱 臣 の 頭 注 に は 、 「 足 利 義 教 公 富 士 見 に 下 向 の 時 こ こ の 松 の も と に て 浜 松 の 音 は ざ ざ ん ざ と 歌 ひ 酒 宴 し 給 ひ し よ り 名 づ け て い ま も 颯 々 松 ( さ ざ ん ざ の ま つ ) と て 野 口 村 の 田 圃 の 中 に あ り と ぞ 。」 と あ る 。 ( 5 ) 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集 『 古 今 和 歌 集 ・ 仮 名 序 』 ( 小 学 館 ・ 平 成 十 二 年 ) 三 〇 頁 参 11 照 。 ( 6 ) 『 浄 瑠 璃 故 実 伝 書 下 』 ( 東 京 都 立 中 央 図 書 館 ー 特 別 文 庫 室 蔵 [ 写 本 ] ) 所 収 、 『 章 句 故 実 集 』( 六 丁 表 か ら 裏 ・ 文 化 十 二 年 九 月 写 ) 参 照 。 【 参 考 文 献 】 ① 『 続 日 本 随 筆 大 成 《 別 巻 》 近 世 風 俗 見 聞 集 2 ・ 「 月 堂 見 聞 集 」 』 吉 川 弘 文 館 ・ 昭 和 五 十
六 年 。 ② 瓜 生 忠 夫 「 『 堀 川 波 鼓 』 を め ぐ っ て 」 ( 高 野 正 巳 『 古 典 日 本 文 学 全 集 近 松 門 左 衛 門 24 集 』 [ 筑 摩 書 房 ・ 昭 和 四 十 年 ] 所 収 ) 。 ③ 白 倉 一 由 「 『 堀 川 波 鼓 』 の 世 界 ー 愛 惜 像 の 創 造 ー 」 ( 『 近 松 の 浄 瑠 璃 』 [ 近 代 文 藝 社 ・ 昭 和 六 十 年 ]所 収 )。 ④ 諏 訪 春 雄 「 近 松 の 世 話 浄 瑠 璃 ー そ の 悲 劇 性 の 考 察 ー 」 ( 『 學 習 院 大 学 文 學 部 研 究 年 報 』 [ 昭 和 五 十 六 年 ] 所 収 )。 27 ⑤ 金 田 文 雄 「 『 堀 川 波 鼓 』 の 構 成 」 ( 『 国 語 国 文 学 誌 第 号 』 [ 広 島 女 学 院 大 学 日 本 文 学 12 会 ・ 昭 和 五 十 七 年 ] 所 収 ) 。 ⑥ 阪 口 弘 之 「 人 形 浄 瑠 璃 の 形 成 」 ( 『 講 座 日 本 の 演 劇 4 近 世 の 演 劇 』 [ 勉 誠 社 ・ 平 成 七 年 」 所 収 )。 ⑦ 藤 野 義 雄 「日 本 演 劇 の 特 殊 局 面 」( 『近 松 の 世 話 悲 劇 』[碵 学 書 房 ・ 昭 和 三 十 六 年 ] 所 収 ) 。 ⑧ 『 鳥 取 県 史 第 四 巻 近 世 社 会 経 済 』 鳥 取 県 ・ 昭 和 五 十 六 年 。 ⑨ 『 鳥 取 県 史 第 五 巻 近 世 文 化 産 業 ・ 「芸 能 ・ 美 術 の 発 達 」』 鳥 取 県 ・ 昭 和 五 十 七 年 。 ⑩ 『 鳥 取 藩 史 第 四 巻 財 政 志 ・ 刑 法 志 ・ 社 寺 志 』 鳥 取 県 ・ 昭 和 四 十 六 年 。 ⑪ 『 家 老 日 記 ( 万 控 帳 )』 鳥 取 県 立 博 物 館 所 蔵 。 ⑫ 森 本 東 烏 『 京 縫 鎖 帷 子 』( 『徳 川 文 藝 類 聚 第 一 』[ 國 書 刊 行 會 ・ 大 正 三 年 ] 所 収 )。 ⑬ 錦 文 流 『 熊 谷 女 編 笠 』( 藤 本 作 校 訂 『 珍 本 全 集 前 編 』[ 博 文 館 ・ 昭 和 三 年 ] 所 収 )。 ⑭ 藤 田 徳 太 郎 校 註 『 松 の 落 葉 巻 第 五 ・ 「お 葛 籠 馬 」』 岩 波 書 店 ・ 昭 和 五 十 九 年 。 ⑮ 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集 『 近 松 門 左 衛 門 集 ② 』 小 学 館 ・ 平 成 十 二 年 。 75 ⑯ 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集 『 古 今 和 歌 集 ・ 仮 名 序 』 小 学 館 ・ 平 成 十 二 年 。 11 ⑰ 「 武 女 の 紀 行 文 『 庚 子 道 の 記 』 」 ( 新 日 本 古 典 文 学 大 系 『 近 世 歌 文 集 下 』 [ 岩 波 書 店 68 ・ 平 成 九 年 ] 所 収 ) 。 ⑱ 『 章 句 故 実 集 』 ( 『 浄 瑠 璃 故 実 伝 書 下 』 [ 東 京 都 立 中 央 図 書 館 特 別 文 庫 室 蔵 ・ 写 本 ] 所 収 )。 ⑲ 寺 島 良 安 『 倭 漢 三 才 図 会 』 日 本 随 筆 大 成 刊 行 會 ・ 昭 和 四 年 。 ⑳ 『 和 漢 三 才 圖 會 卷 第 九 十 四 濕 草 』 中 近 堂 ・ 明 治 二 十 一 年 。 ㉑ 『 演 劇 百 科 大 事 典 第 2 巻 』 平 凡 社 ・ 昭 和 五 十 八 年 。 ㉒ 尾 藤 正 英 訳 『 政 談 ( 抄 ) 』 ( 『 日 本 の 名 著 荻 生 徂 徠 』 [ 中 央 公 論 社 ・ 昭 和 四 十 九 年 ] 16 所 収 )。 ㉓ 山 本 博 文 『 参 勤 交 代 』 講 談 社 現 代 新 書 ・ 平 成 十 年 。 ㉔ 忠 田 敏 男 『 参 勤 交 代 道 中 記 ー 加 賀 藩 史 料 を 読 む ー 』 平 凡 社 ・ 平 成 五 年 。 ㉕ 高 柳 眞 三 ・ 石 井 良 助 編 『 御 触 書 寛 保 集 成 』 岩 波 書 店 ・ 昭 和 三 十 三 年 。 ㉖ 『 三 百 藩 藩 主 人 名 事 典 第 四 巻 』 新 人 物 往 来 社 ・ 昭 和 六 十 一 年 。
『 堀 川 波 鼓 』 に お け る 近 松 の 作 劇 法 二 ー 姦 通 物 の 初 作 に 見 る 近 松 の 人 物 造 型 ー 一 は じ め に 『 堀 川 波 鼓 』 は 、 近 松 が 宝 永 三 年 ( 一 七 〇 六 ) 六 月 七 日 に 京 堀 川 で 起 っ た 妻 敵 討 事 件 に 取 材 、 同 四 年 ( 一 七 〇 七 ) 二 月 十 五 日 よ り 大 坂 竹 本 座 で 『 吉 野 忠 信 』 の 切 と し て 上 演 さ れ た ( 『外 題 年 鑑 』 明 和 版 ) 武 士 社 会 か ら 材 を 得 た 姦 通 物 の 初 作 で 、 八 年 後 の 『大 経 師 昔 暦 』 (正 徳 五 年 ・ 一 七 一 五 ) 、 十 年 後 の 『鑓 の 権 三 重 帷 子 』( 享 保 二 年 ・ 一 七 一 七 ) と 共 に 、「近 松 三 姦 通 物 」 と 呼 称 さ れ る 。 近 松 作 上 演 の 前 年 ( 宝 永 三 年 ) に は 、 森 本 東 烏 作 の 浮 世 草 子 『 京 縫 鎖 帷 子 』 ( 同 年 八 月 ) 、 錦 文 流 作 の 『 熊 谷 女 編 笠 』 ( 同 年 九 月 ) が 同 事 件 を 題 材 に し て 上 梓 さ れ て お り 、 近 松 に は 前 者 が 影 響 を 与 え て い る 。 こ の 京 堀 川 妻 敵 討 事 件 は 当 時 評 判 だ っ た が 、 事 件 の 真 相 に つ い て は 、 藤 井 乙 男 氏 が 『 月 堂 見 聞 集 巻 之 二 』 に 伝 え る 事 件 関 係 者 に よ る 公 儀 へ の 書 き 上 げ の 写 し を 、 祐 田 善 雄 氏 が 『 鸚 鵡 籠 中 記 』 中 の 当 時 の 世 間 の 噂 話 を 、 守 随 憲 治 氏 が 『 鳥 取 池 田 藩 芸 能 記 録 』 中 の 鳥 取 の 池 田 藩 の 側 に 伝 わ る 関 連 記 事 を 紹 介 さ れ て か ら 、 明 ら か に な っ た 。 事 件 の 噂 が 、 当 時 、 ど の よ う な 形 で 世 間 に 伝 わ っ て い た か は 、 尾 張 藩 士 朝 日 定 右 衛 門 重 章 の 『鸚 鵡 籠 中 記 』 の 宝 永 三 年 六 月 二 十 九 日 の 条 を 見 る と 、 ○ 今 月 初 比 、 京 堀 川 辺 に て 女 の 敵 打 あ り 。 遠 近 甚 伝 之 。 マ マ 因 幡 鳥 取 、 松 平 右 衛 門 太 夫 吉 明 台 所 人 あ り 。 在 江 戸 也 。 妻 子 は 鳥 取 に あ り 子 に 鼓 を 稽 古 さ せ し む 。 鼓 打 此 妻 と 通 ず 。 人 多 知 之 。 本 夫 の 妹 京 の 紺 屋 の 妻 た り し が 、 此 奸 状 を 江 戸 の 兄 へ 通 ず 。 兄 大 に 憤 り 、 強 て 暇 を も ら ひ 、 皈 国 し 、 妻 を 一 刀 に 切 殺 し 、 妹 と 及 び 妻 の 妹 と も に 彼 鼓 打 を 狙 ふ 。 本 夫 は 見 知 ら ざ る ゆ へ 、 女 を 以 て 物 色 し 、 当 月 二 日 三 日 比 に か 、 堀 川 に て 付 出 し 、 先 に 女 を 家 に 入 れ 、 因 幡 よ り の 状 を 届 と 云 間 に 、 本 夫 等 入 て 討 留 之 也 。 奉 行 所 よ り 右 衛 門 太 夫 の 留 主 居 に 命 じ 、 引 取 ら せ 預 け ん と す 。 留 主 居 云 。 其 人 吾 名 を 知 ら ず 。 見 知 ら ず 。 万 一 虚 な れ ば い か が な り 。 一 度 江 戸 へ 達 て 可 引 取 と 申 す 。 奉 行 所 よ り 又 云 。 左 あ ら ば 法 な れ ば 篭 舎 さ す る か 。 そ れ に て も 不 苦 と 云 々 。 留 主 居 以 為 く 、 吾 彼 者 を 見 知 ら ね ど も 、 実 な る と き は 友 輩 を 篭 舎 さ せ て は 、 主 の た め も い か が な り と て 、 終 に 引 取 る 。 又 云 、 妻 の 妹 、 始 鼓 打 に 通 じ 而 姉 も 通 ず る 故 甚 怨 恨 し 本 夫 に 訴 之 云 々 。 鼓 打 ゆ へ に 吾 姉 殺 し た れ ば 姉 の 敵 也 と て 討 之 云 々 。 実 は 夫 と 女 の 敵 を 打 也 。( 『名 古 屋 叢 書 続 編 マ マ 第 十 一 巻 鸚 鵡 籠 中 記 ( 三 ) 』 [ 名 古 屋 市 教 育 委 員 会 ・ 昭 和 四 十 三 年 ] 所 収 ) と あ っ て 、 そ の 詳 細 が 分 か る 。 『 鸚 鵡 籠 中 記 』 は 、 断 片 的 且 つ 具 体 性 に 富 む 記 述 に よ っ て 、 裏 側 の 史 実 を 語 っ て い る が 、 彦 九 郎 が 妻 敵 討 に 出 掛 け る 時 に 、 妻 敵 の 顔 を 知 ら ぬ た め 、 同 行 し た 二 人 の 妹 に 確 か め さ せ て 討 ち 入 っ た こ と か ら 、 こ の 事 件 は 巷 間 で は 女 の 敵 討 と 伝 え ら れ て 評 判 だ っ た ら し い 。 こ う し た 世 間 の 耳 目 を 集 め た 事 件 を 戯 曲 化 す る 場 合 に は 、 巷 間 に 伝 わ る 庶 民 の 噂 話 を 織 り 交
ぜ た 方 が 効 果 的 で あ る し 、 観 客 も そ れ を 意 識 し て 観 劇 し た と 思 わ れ る 。 噂 話 や 風 聞 を 取 り 込 ん で 聴 衆 に そ れ と 分 か る よ う に 趣 向 す る こ と は 、 テ レ ビ ・ ラ ジ オ ・ 新 聞 ・ 週 刊 誌 な ど の 情 報 メ デ ィ ア の な か っ た 江 戸 時 代 に あ っ て 、 情 報 伝 達 機 能 の 役 割 を 果 し て い た と 言 え よ う 。 近 松 が 封 建 制 度 下 の 小 身 武 士 の 悲 劇 を 脚 色 し た こ の 作 品 は 、 水 谷 不 倒 校 註 『 新 釈 挿 図 近 松 傑 作 全 集 四 堀 川 波 の 皷 』( 早 稲 田 大 学 出 版 部 ・ 明 治 四 十 三 年 ) の 解 題 に 、 近 松 の 世 話 物 中 、 女 敵 討 を 仕 組 み た る も の 、 『 堀 川 波 の 皷 』 と 『 鎗 權 三 重 帷 衣 』 と の 二 種 あ り 。 『 波 の 皷 』 は 寶 永 四 年 二 月 、 竹 本 座 の 操 に か け し も の に て 、 近 松 五 十 五 歳 の 作 な り 。 其 の 筋 は 、 因 州 の 藩 士 に 小 倉 彦 九 郎 と い ふ も の あ り 、 一 年 主 君 に 從 ひ 江 戸 勤 番 の 留 守 、 其 の 妻 の お 種 が 酒 に 心 を 亂 し 、 養 子 文 六 が 皷 の 師 匠 宮 地 源 右 衞 門 と 不 義 し た る 事 を 、 豫 て お 種 に 横 戀 慕 を 仕 掛 け 、 辱 め ら れ た る 事 あ る 磯 邊 床 右 衞 門 が 知 り て 、 家 中 に 觸 れ 廻 り し か ば 、 彦 九 郎 の 歸 國 す る や 、 諸 方 よ り 眞 苧 を 贈 り て 、 お 種 の 姦 通 を 諷 す る も の あ り 、 お 種 の 妹 お 藤 は 悲 し き 事 に 思 ひ 、 彦 九 郎 の 耳 に 入 ら ざ る う ち に 、 お 種 を 離 縁 さ せ て 姉 の 命 を 救 は ん と 計 り し も 成 ら ず 、 遂 に 彦 九 郎 の 耳 に 入 り 、 お 種 は 言 譯 な さ に 其 の 場 に 於 て 自 害 し て 相 果 け れ ば 、 彦 九 郎 同 人 妹 お ゆ ら 、 お 藤 、 文 六 等 は 姉 の 敵 を 討 ん と し て 京 都 下 立 賣 堀 川 な る 源 右 衞 門 が 住 居 に 押 か け 、 首 尾 よ く 源 右 衞 門 を 討 果 す 事 を 作 り た り 。 と あ る が 如 く 、 参 勤 交 代 に 随 従 し て の 留 守 中 に 、 孤 閨 を 守 ら ね ば な ら ぬ 下 級 武 士 の 妻 が 、 ふ と し た こ と か ら 町 人 の 鼓 の 師 匠 と 道 な ら ぬ 関 係 に 陥 り 、 夫 が 不 本 意 な が ら も 死 に 追 い や ら ね ば な ら ぬ 様 を 描 い た 妻 敵 討 の 悲 劇 で あ る 。 そ こ に は 、 戯 曲 作 者 近 松 の 温 か い 筆 致 で 、 一 度 の 夢 見 た よ う な 過 ち の た め に 惨 め な 最 期 に 終 っ た こ の 姦 通 劇 の 女 主 人 公 が 、 限 り な く 魅 力 的 な 人 妻 と し て 造 型 さ れ て い る 。 と こ ろ で 、 こ の 姦 通 事 件 の 有 り 様 は 、 事 件 直 後 に 書 き 残 さ れ た 『 月 堂 見 聞 集 卷 之 二 』 の 「 因 州 鳥 取 住 人 妻 敵 打 事 」 に 、 「 留 主 之 内 右 く ら ふ う 度 々 異 見 仕 候 へ ど も 、 承 引 不 仕 候 旨 申 候 」 と 記 録 さ れ て い る こ と や 、 『 鸚 鵡 籠 中 記 』 の 「 宝 永 三 年 六 月 二 十 九 日 の 条 」 に 、 「 妻 子 は 鳥 取 に あ り 子 に 鼓 を 稽 古 さ せ し む 。 鼓 打 此 妻 と 通 ず 。 人 多 知 之 。 」 と 記 述 さ れ て い る よ う に 、 同 情 に 値 す る よ う な 事 情 か ら 生 じ た も の で は な く 、 両 人 は 相 愛 の 仲 で あ っ た こ と が 窺 え る 。 そ こ で 、 近 松 が こ う し た 事 実 を 劇 化 す る に 当 た っ て 試 み た 方 法 は 、 二 人 の 姦 通 は 自 ら の 意 志 に よ っ た も の で は な く 、 偶 然 の 成 り 行 き が 不 幸 な 境 遇 に さ せ た と す る 。 つ ま り 、 夫 を 恋 慕 う 気 持 が 主 因 で 、 酒 の 酔 い と い う 外 的 要 素 も 加 わ っ て 、 意 志 な き 姦 通 に 至 っ た と す る こ と で あ っ た 。 幕 府 法 で 死 罪 と 明 記 さ れ た 大 罪 で あ る 人 妻 の 姦 通 行 為 も 、 恋 い 焦 が れ た 夫 に 対 す る 妻 の 至 純 な 情 愛 故 に 聴 衆 の 共 感 を 得 る こ と が 可 能 と な り 、 し か も そ れ が 日 常 性 を 離 れ た 謡 と 鼓 と 語 り に よ っ て 表 現 さ れ る た め 、 一 層 夫 へ の 恋 情 の 度 を 増 し て 聴 衆 の 心 に 強 く 迫 っ て く る と 思 わ れ る 。 『 堀 川 波 鼓 』 は そ う し た 意 図 に よ っ て 作 ら れ た 近 松 最 初 の 姦 通 浄 瑠 璃 で あ っ た 。 藤 野 義 雄 氏 は 「 近 松 の 世 話 浄 瑠 璃 」 ( 『 近 松 と 最 盛 期 の 浄 瑠 璃 』 [ 桜 楓 社 ・ 昭 和 五 十 五 年 ] 所 収 ) に お い て 、 姦 通 物 と し て は ま だ 未 完 成 の 域 を 脱 し て い な い 近 松 の 本 曲 の 創 作 態 度 に つ い て 、 「 『 堀 川 波 鼓 』 は 他 の 姦 通 曲 に 比 し て 定 型 の 成 立 が ま だ 不 十 分 で あ る が 、 姦 通 と い う 事 態 を 引 き 起 す 女 主 人 公 に 密 通 の 意 志 が 全 く 存 在 せ ず 、 偶 然 か ら 生 じ た 過 誤 と 敵 役 の 行 動 に よ っ て 破 滅 を 避 け る こ と が 出 来 な く な る と い う 構 想 の 基 礎 は 据 え ら れ 、 姦 通 劇 に 対 す る 近 松 の 根 本 的 態 度 は こ こ に 定 ま っ た と 見 ら れ る 。 」 と の 指 摘 を さ れ て い る 。 し か し 、 本 曲 の 原 事 実 は さ ほ ど 問 題 に す る 程 の 出 来 事 で な い に も
拘 ら ず 、 十 分 舞 台 効 果 を 上 げ 得 る よ う に 作 劇 さ れ て お り 、 そ の 中 心 的 構 想 は 後 続 の 姦 通 曲 に も 襲 用 さ れ る も の と な っ て い る 。 近 松 は 、 個 々 の 登 場 人 物 に ど の よ う な 心 情 ・ 行 動 ・ 人 間 性 な ど を 付 与 し て 武 家 に 起 っ た 不 倫 事 に 対 応 さ せ た の だ ろ う か 。 本 稿 で は 、 近 世 下 級 武 士 の 妻 の 悲 劇 、 体 面 を 重 ん じ る 小 身 武 士 の 苦 衷 、 世 間 の 告 発 を 背 景 と し た 妹 た ち の 行 為 、 そ し て 、 上 方 物 特 有 の く ど さ を 有 す る 下 巻 の 構 成 上 の 問 題 点 な ど を 通 し て 、 姦 通 物 の 初 作 に 見 る 近 松 の 作 意 に つ い て 言 及 し て み た い と 思 う 。 二 近 世 下 級 武 士 の 妻 の 悲 劇 封 建 制 度 下 に あ っ て 、 下 級 の 武 士 と そ の 妻 は 非 人 間 的 な 生 活 を 強 い ら れ て い た 。 そ こ で 近 松 は 、 武 士 社 会 の 義 理 に 背 い た 人 妻 の 、 生 身 の 人 間 の 中 に 蠢 く 筋 道 の 立 た な い 混 沌 と 錯 綜 を 、 有 り の 儘 に 描 き 出 し て い る 。 女 主 人 公 の た ね は 、 「 国 に 名 取 り の 濡 れ 者 と 聞 え し も さ る こ と ぞ か し 。 」 と 言 わ れ る 程 の 評 判 の 好 色 的 な 美 人 で あ っ た 。 そ れ ど こ ろ か 近 松 は 、 ( 1 ) 鼓 の 師 匠 宮 地 源 右 衛 門 が 初 対 面 の 時 に 受 け た 印 象 を 、「挨 拶 、 差 配 し と し と と 。 物 柔 か で 、 き つ と し て 。 姿 な ら 、 面 体 な ら 、 京 の ど な た の 奥 様 に も 。 誰 が 否 と は 、 い な ば 山 国 育 ち と は 思 は れ ず 。 」 と 言 わ せ て お り 、 そ の 立 ち 居 振 舞 は 、 し っ と り と し て い て 物 柔 ら か で 、 貞 淑 さ の 中 に 気 品 と 熟 れ た 色 気 が ほ ん の り と 漂 う 、 女 ら し い 魅 力 を 持 っ た 申 し 分 の 無 い 武 士 の 妻 で あ っ た 。 た ね と 彦 九 郎 と は 「 様 子 あ る 夫 婦 」 「 幼 馴 染 の 我 が 夫 」 と あ る よ う に 、 言 わ ば 、 幼 な じ み が 恋 愛 を し て 夫 婦 に な っ た 仲 だ け に 、 そ の 愛 は 強 固 で 、 妻 の 夫 に 対 す る 愛 情 に は 並 々 な ら ぬ も の が あ っ た と 言 え よ う 。 「 第 一 女 子 の た し な み は 、 殿 御 持 つ て が 大 事 ぞ や 。 舅 は 親 ぞ 、 小 舅 は 兄 よ 、 姉 よ と 、 孝 を な せ 。 ほ か の 男 と 差 し 向 ひ 、 顔 を も 上 げ て 見 ぬ も の ぞ や 。 総 じ て 夫 の 留 守 の う ち 、 男 と あ ら ば 、 召 使 。 一 門 、 他 人 お し な べ て 、 年 寄 、 若 い の 隔 て な く 。 こ の た し な み が 悪 け れ ば 。 四 書 五 経 を 宙 で 読 む 。 女 子 で も 役 に 立 た ぬ ぞ や 」 と は 、 た ね の 母 親 の 遺 言 に あ る 言 葉 だ が 、 そ こ に は 武 士 の 妻 と な る 当 時 の 女 性 が 身 に 付 け ね ば な ら ぬ 道 義 や 教 養 が 説 か れ て お り 、 彼 女 は 常 日 頃 か ら 女 性 の 踏 む べ き 道 徳 を し っ か り と 守 り 、 十 分 の 弁 え を 持 っ て 行 動 し て い た 筈 で あ る 。 そ れ は 、 た ね が 磯 辺 床 右 衛 門 の 邪 恋 に 対 し て 、 「 こ り や 侍 畜 生 め 。 彦 九 郎 殿 と は 念 比 な り 。 人 間 の 道 に 背 く と い ひ 、 御 家 中 の 後 ろ 指 。 殿 様 の お 耳 に た た ば 、 身 代 の 破 滅 と な る が 、 知 ら ぬ か や 。 小 倉 彦 九 郎 が 女 房 ぞ 。 侍 の 妻 な る ぞ 。 推 参 な こ と を し て 、 か な ら ず 我 を 恨 み や る な 。 沙 汰 は せ ま い 。 サ ア 帰 り や 」 と 、 武 士 の 妻 ら し く 厳 し い 言 葉 で 窘 め て い る こ と で も 分 か る 。 封 建 道 徳 を し っ か り と 身 に 付 け て い る た ね に と っ て 、 不 倫 な ど 思 い も 寄 ら ぬ こ と で あ っ た 。 だ が 実 際 に 、 宮 地 源 右 衛 門 と 不 倫 を し た 。 白 倉 一 由 氏 は 「 『 堀 川 波 鼓 』 の 世 界 ー 愛 惜 像 の 創 造 ー 」 ( 『 近 松 の 浄 瑠 璃 』 [ 近 代 文 藝 社 ・ 昭 和 六 十 年 ] 所 収 ) に お い て 、 「 こ の 悲 劇 の 中 心 を 流 れ て い る も の は お 種 の 人 間 性 で あ り 、 夫 へ の 限 り な い 愛 情 で あ る 。 故 に 、 近 松 は お 種 に 良 き 人 間 像 を 形 象 化 し な け れ ば な ら な い 。 お 種 を 美 化 し て 描 い て い こ う と し て い る の で あ る 。 彦 九 郎 へ の 愛 情 の 世 界 の み に 生 き て い る お 種 に 不 倫 の 行 為 を 行 わ せ る の に 、 近 松 は 次 の 二 つ の 条 件 を 設 定 し て い る 。 」 と 述 べ ら れ る 。 一 、 お 種 の 不 倫 の 行 為 は お 種 自 身 が 欲 し た こ と で は な く 、 お 種 の 本 心 は 全 く 否 定 し て い