ポール・レオトー、あるいは内面の都市-(5)
19
0
0
全文
(2) 145. ポール・レオト-. 、あるいは内面の都市. 二〇. 一九〇〇年。メルキユ-ル社からヴァン・べヴエ-ルと編纂した 、『現代の詩人たち』が出版される。ポ-ル'コンデ街. 版することになり、さらに、ここからあの『母への手整が開始され. ることになる。つまり、ポールは彼の私生活の上でも、文筆活動の上. でもかなりの大きな変革を体験するのだ。もちろんポ-ル自身もその ことに気が付かないわけではない。. 私は単に私の中にあるものを完全なものにしようとしていたに過. ぎない。私は長い間私自身になろうとしていたのだ。『情人』を書い. ているときさえ、私はまだ完全に私自身に辿り着こうとはしていな. かった。今では、私が楽しみを感じる十冊ほどの書物があれば、私 は書物なしでも過ごせるだろう.. こうした成熟の原因として私の人生のい-つかの出来事があった. 二九番地に引っ越す。. ことも事実だ。もし私が父の死や叔母ファニ-の死に出会い、母に. 再会したのが'十八歳か二十歳の頃だったら、これほどまでの印象. ファニ-の死、母との束の間の再会、父の葬儀'それらは'私が二. を持たなかったろう。昔の私はもっと軽-思慮が欠けていた。だが、. ら返事は釆ない。司法管財人ルマルキの事務所に入る。九月から十. 十九歳、三十歳、三十一歳という非常に短期間の間におこった。私. れる。二月二五日、父フィルマンの死。ジョルジェットがイギリス. 一九〇三年。メルキユ-ル社から『情人』が一巻本として上梓さ. る。猫のブ-ルを貴い受ける。. 一月にかけてメルキユ-ル社から『情人』が三分冊として出版され. 一九〇二年。母から捨てられる。彼は手紙を書き続けるが、母か. と息子の往復書簡の始まり。. 一九〇一年o カレ-で叔母ファニ-の死にあたって、オルーラマ -ル夫人になっていた母ジャンヌ・フォレスティエに再会する。母. アンソロジ-. ポ-ル・レオ--に関する事実を列挙してみることにしよう。. マルティ-ヌ・サガエ-ルが整理した年譜をもとに、その数年間の. を体験したのである。. し、記述してきたことが対応するだろう。彼は、連続する別離と死別. 理解できるようだ。その準備期聞については、すでにわれわれが考察. この転換期は'それに遡る二年間にゆっ-りと準備されていたことが. 経験する。さらに、彼は初めての出版物である『現代の詩人たち』を. 梅本. なぜポ-ルにとって転換期に当たっているのかを確認して見なければ. を. ヴァン・ベヴェ-ルと協力して編纂し'初めての小説『情人』をも出. -. ならないだろう。そして'その疑問への解答を探すわれわれにとって、. ㈲. に逢い、二つの大きな再会と別離. (母ジャンヌ、ジョルジエツー). この三年間でポ-ルは、二人の近親者の死(ファニ-とフィルマン). へ旅立つD. T. した転換期は、ポ-ルにとってだけではな-、われわれにとっても重. ルが生まれた。まず三冊の書物、そして多量の『日記』の記述。こう. はそうした彼自身の転換期なのだった。そこから多-のエクリチエ-. 自身がそう記している。そして、われわれがすでに立ち会ってきたの. 1九〇四年の五月二十二日という日付の見られる『日記』にポ-ル. は物の考え方の大きな転換期にあったのだ。. 二.
(3) 144. 要なものだろう。人は理由な-ものを書-ものではない。もちろんポ -ルに文壇的な野心があったことは十分に認めておこう。彼は'ヴァ. たとえば'『日記』. に彼は次のように記す。. もの、私が探求しているもの、私に関心のあるのは、それだけだ。. 私、そして私に起こったこと、私を感動させるもの'私が好きな. に近付き、ヴァレリ-の知己を得て文学論を戦わせた。だが、それで. 小説の中につまらない事件を発明する苦労など私は絶対にしないだ. ン・ベヴェ-ルと知り合い、ヴァレッ-を介してメルキユ-ル出版社. も書物を著すことの十分な理由にはならないだろう。将来に対する野 心のある青年ならば、こんなことは誰でもすることかもしれない。し かし、ポ-ルが書物を著すためには、自らの人生の転換期が必要だっ たのである。このことはわれわれにとって重要な事実と言えるだろう0. ろう。. とを完全に混同しているのである。彼は冷静に周囲に起こったことを. に奇妙な矛盾がある。つまり、彼は私的な行動と彼の周辺に起きたこ. 象風景からは遠-、周囲の記述に徹していると指摘しておいた。ここ. ついて指摘しておいた。そして、一九〇三年からの彼の『日記』が心. ている極度に私的な状況と、その背後に見える同時代のパリの情景に. るのはその瞬間なのだ。『情人』には、叔母ファニ-との死別を中心に. 能性を持った母ジャンヌに再会する。だが、束の間の再会の後'彼は、. ファニ-を失い、そしてその場で、彼の失われた世界を回帰させる可. 状況である。彼は、特に愛情を感じ、実際に彼を援助して-れた叔母. 界の解体とは'もちろん'彼の周囲でおこる彼を介した様々な別離の. いことこそ、彼のユタリチエ-ルを創造する原動力となる。自己の世. 心象風景であるどころか、一つの宣言とも受け取れるこの文章。ポ -ルに必要なのは想像力ではない。彼は想像しない。そして想像しな. 記述する時代の観察者ではない。彼は自らについて記すだけだ。しか し'自らについて記そうとした瞬間'彼の記述は、情景の描写に流れ. 多-の女性たちが登場するが、ペリユツシュの死を思い出せば理解で. 『情人』と 『母への手紙』を読んだ。そこに現れ. てしまう。もちろん、こうした傾向を彼のエクリチユ-ルの不備であ. きる通り、ここでも多-の女性たちが登場しては消えて行-。女性た. 『母との手紙』というエクリチユ-ルを得. ると断定することも簡単なことだろう。だが、そうではない。私的な. ちと関係を持ち、それが終るとポ-ルはエクリチエ-ルを獲得するの. ことかもしれない。だが、自己の世界の解体の一つの大きなきっかけ. み出す文章が死別と別離の状況の描写に満ちているのは、ご-当然の. 自己の世界の解体がポ-ルにユタリチエ-ルを与えるから'彼の生. 父の死. 再び母を失う。だが、彼が. 世界と周囲の世界のこの奇妙な混同こそ彼の「世界」を形成している. である。. われわれはすでに. 三. のである。なぜ書-のか、われわれの疑問をここでもう一度立て直し てみる必要がありそうだ。 自らの世界を創造しょ. 並行する二つの運動を記述しなければならない。つまり、ポ-ルに は'エクリチユ-ルを生みだそうとする力. 梅本. と、自らが依って立つ世界が解体するその世界に立ち. -. うとする力. 合う時間が一致しているのである。. 三. ポ-ル・レオ--、あるいは内面の都市. ㈲. -.
(4) 143. ポール・レオ--. 、あるいは内面の都市. を作るはずの父フィルマンの死について、ポ-ルは『日記』. の中では. 梅本. に他ならない。父とは、男性であるが故に'いかに後のポ-ルに彼が. なかった。それは彼に私が生まれたとき'彼はすでに三十八歳だっ. 結局、少しは私は父に顔が似てきたのだ。今まで'そんなことは. ときもある。. ていないにせよ、ときには結局、彼の息子でしかない自分を確認する. りはしない。いくら父が自らの現在に大きな影響という傘を差しかけ. 在しか意味しないのだ。だが、それでも父の面影はポ-ルから離れた. コメディ=フランセ-ズのプロンブタ-だった事実が大きな影響をも. ヌとの再会と別離が、あの長大な『母への手紙』を生んだように、他. 残していない。 たとえば彼はメルキユ-ル社の編集会議の席上で、喪服を着ている 自らの違和感に気付きもしよう。文壇という華やかな場所において、 暗い過去を引きずり込むような自らの服装の色合いの不均衡に気付き もしよう.だが、フィルマンの死は、彼に新たな人生の展開をもたら したりはしない。それでも彼は、たとえばこう書-0. 父が死んだことを思い浮かべるとき、彼が、今ある状態において のことだ。一体どんな気持ちで、それが可能であるにしても'今の 変わり果てた父の姿を思い浮かべるのだろう。一緒に墓地に行-と 弟のモ-リスも、彼が粉々に解体した姿を思い浮かべているといつ. たことがあるだろう。. そして父との相似は、彼に別の思考を与える。. この前の朝、私の顔が本当の年よりも老けて見えることをまた確. 認してしまった。私は三十六や三十八に見られることもある。私の. は若さをな-してしまったのだ。私は今でも覚えている。一八九七. 性格がそんな年齢を最も反映しているのかもしれない。早-から私 こうした父の思い出は、叔母のファニ-や母ジャンヌに比べて'非. や母の印象が別れてもなお強いものになり、彼女たちの面影が刻1刻 と思い打の中で醸酵し豊かなものになって行-のとは反対に、父の思 い出は皆無であり、父のことを考えると「粉々に解体した姿」しか頭. などほとんどなかったのだ。. 六. えるくらいに私は老けていたし、「未来」とか「将来」に対する思考. 年から一九〇〇年にかけてコンデ街、フィヤンティヌ街、ボナパル -街に住んでいたころのことを。もう半分以上生きてしまったと考. も言う。それはおそら-無宗教のせいだろう。. 五. 少なくとも『日記』においてポ-ル・レオ--はこれといった文章を. たらそうと、彼が文学者でさえもなかったことは、ポ-ルにとって非. く、こうした姿に重ね合わせられる事実は、単に父が男性だったこと. った幼年時代を反映しているかもしれないが、おそら-それよりも強. に浮かばないポ-ル。そうした相違は、父との関係がうま-運ばなか. 冒. 者との別離はポ-ルに大きな影響をもたらし、それが彼のエクリチュ ールの原動力になるはずなのだが、ことフィルマンの死に関する限り、. 彼の小説『情人』 の結末を変えてしまったように、あるいは母ジャン. それほど多くの記述を残してはいない。たとえば叔母ファニ-の死が. ㈲. 常に色彩を異にしたものであることは述べるまでもないだろう。叔母. 四.
(5) 142. よ、『情人』にせよ、『母への手紙』にせよ、そこにある文章は'もち. に乏し-、もしそれが物語であるならば'起承転結を欠いている。当. ろんある事実の力を正確に伝えるものではあるが、文章としての起伏. と似てしまうことは若さをな-すことに外ならない。母の夢をときど. 時の小説作法からは、理解に苦しむユタリチエ-ルだろう。『情人』が. 父の思い出は老化にしか繋がらない。父に会いたいとは思わず、父 きは見るというのに、それに彼と共にあった時間は母よりも長いとい. ゴンク-ル賞の候補作になり、惜しいところで受賞を逸したことはす. つまりヾ読者. の中に見られる。. は考慮に入れられていたのだろうか。. 間に連れて行かれ、同じ感情が蘇って-る。. 濃い切りが立ち込めていると'私は哀し-も幸せでもあったあの時. とを思い出す。ほとんど毎朝と言ってよい。朝'セ-ヌ川岸を通り、. カレ-の一九〇一年十月に連れて行かれてしまう。私はよ-そのこ. る序文を書きさえすればよい。この作業をしていると、私は、また. ば、出版するときに便利だろうO後は、理解に苦しむ事実を解説す. 数旦別から'私は'母と私の往復書簡を分類している。こうすれ. そうしたわれわれの疑問を解-ような記述が『日記』. む人の存在. のだが'もっと実践的な意味において、こうしたエクリチエ-ルを読. への関心が、自己解体からもたらされ、それがエクリチエ-ルを生む. した集中を妨げているのだ。個人への関心の、ポ-ルという自分自身. エ-ルは集中度を欠いているのだ。彼に備わった関心の移動が、そう. 自己解体の事実が彼に大き-のしかかったにせよ、ポ-ルのエクリチ. ったろうという指摘が提出されたことも事実である。つまり、いかに. 点を合わせるのではな-、一人に集中して書けばもっと良い作品にな. でに述べたし、メルキユ-ル社での編集会議の折、多-の女たちに焦. うのに、彼はほとんど父を思い出さないのである。 父に喚起されたエクリチエ-ルを、彼が自然な形で生まないのは当 然のことだろう。若々しい時代の潜刺とした父の記憶はな-、彼と父 には三十八年の年月というどうしようもない断絶があり、父の記憶と は'毎晩'女性を連れ帰る男性というものでしかない。早-から父か ら独立したポ-ルにとって、父の存在とは、若い生産活動からは遠-、 年齢を自覚させるものでしかない。もちろんそれは父の年齢でもあろ うが、同時に、自らの年齢でもある。彼は三十二歳にして、自らの老 化を感じ始める。父は単にそのきっかけに過ぎない。 なぜ書-のか われわれが辿ってきたのは、ポ-ルが自己を解体させるような事件 に出合うことが、彼のエクリチエ-ルを生産する事実だったが、そこ でもやはり一つの疑問符が忘れられているようだ。『情人』も'『母へ の手紙』も彼に書かせる動機になったのは女性たちの存在である。冒 頭の疑問である「なぜ彼はこれほどの詳細さで彼女たちに関する事実. -. これは信じ難い文章である。一九〇三年十一月十一日の日付を持つ. 七. を羅列するのか」という問いは、われわれに残されたままである。父 からは彼自身に関する記憶が生まれず、母から、つまり女性からしか 記憶としてのエクリチユ-ルが生まれないといういささかフロイー的 な事実を前にして、われわれは、事実を生み出す動機という別の疑問. 三. に捉えられるのだ。彼はなぜこれほど詳細に書-のか。『日記』にせ. -. ポール・レオ--、あるいは内面の都市1㈱. 梅本.
(6) 141. ポ-ル・レオー-. 、あるいは内面の都市. 梅本. いう言葉が出るとそれに乗じて、ポ-ルは彼女を抱き締め、彼女の胸. 彼女の話が続-が、ジョルジエツ-から「私、ちょっと太ったわ」と. ている男が彼女を裏切ったばかりでな-、金銭まで奪ったというのだ。. ョルジュツーはポ-ルにアドヴアイスを求めたいらしい。彼女が愛し. 永遠の別れを告げたはずのジョルジエツ-から再び便りがある。ポ -ルはブランシュの嫉妬に注意しながらも彼女に会いに出かける。ジ. せるために、「あとは序文を書けば十分なのだ」。. それは出版する準備のためであり、読者に理解できない部分を分から. のは、それをいつか開いて、再び自ら読んでみるためではないのだ。. 父の死にはおこらない感傷に過ぎない。だが、母への手紙を分類する. が当時の思い出と感情を運ぶのもよい。それらは単に感傷に過ぎない0. しているのである。あの頃を毎朝思い出す、のはよい、セ-ヌ川の霧. この『日記』の文章は'明らかに、『母への手紙』の将来の出版を意図. -. 私はジョルジュツ-とのこの愛の再開について書いておかねばな. 四. つまりポ-ルの. の記述を手掛かりに執筆が. らのために書き残すのではない。将来の出版のために'あきらかに自. ラフィ-的な描写には驚いたりはしない。すでに. 『情人』にも『母へ. 用意されている.つまり、出版され、公開されるためだ.ポールは記. 憶を自らの胸に留めないために『日記』を書-。すでに'『情人』、『母. の間にエクリチユ-ルとしての差異を感じな. への手紙』を読んできたわれわれには、『日記』に一応小説という形悲 が選ばれている『情人』. いエクリチユ-ルもまたフィクションと大差のない只のエクリチエ-. いが、むしろ述べ得ることは、『日記』というドキュメンタリ-性の高. -のは、こうしたポ-ルの微細な描写ではない。翌日の日付のある『日. ルを生んではいるのだが、彼の方はむしろ外部にある自己解体を通じ. ルであるということだろう。もちろん、彼の自己解体がユタリチュ-. の手紙』 にもこうした描写は多いからだ。だが、われわれの関心を引. なぜ書-のか、というわれわれの疑問には、実に不可思議な解答が. るまで五分とはかからなかった。私は指で彼女を愛撫した。彼女は面. は今ではすっかり女性になっていた。愛情に細か-反応している。と. はなかった。私は自分でこう答えていた。したいに決っている。彼女. らの記憶を公の記憶にするために、文字を記すのである。. ここではっきりと窺い知ることができるように思う。彼は、決して自. い起こされるが、ポ-ルの「書-」という行為に向けられた執念は、. を発表する、つまり出版するためなのである。露出狂という言葉が思. なく、それは記してお-べきことであり、記してお-とは後年'それ. 神的身体的確執も、彼にとっては隠しておかねばならない私生活では. 行われることになるのだ。ジョルジュツ-との愛の行為も、母との精. すべては『日記』に残され、この『日記』. 他人には見せることのないものではない。いつの日かの出版のために、. 『日記』とは、決して個人的な記憶を記しておき、. らない。いつか、使うことができるだろうから'完全な方が良いだ. ろ、つ。. 白いように反応した。私は彼女に尋ねた。『したいの!』もちろん返辛. を首を愛撫し'彼女のスカ--を脱がせる。「彼女が私にすべてを委ね. 九. ㈲. ポ-ルはそう記す。もちろんわれわれはポ-ルのこうしたポルノグ. てもきれいな女性になった」。. 1ヽ. の冒頭でポ-ルが次のように記すことこそ、われわれの驚きの中 心である。. 記』.
(7) 140. て、内部の自己の確立を行う。ポ-ル・レオー-のエクリチエ-ルの. 考えてよい。まずその冒頭を読んでみることにしよう。. ルは五千フランを逃した、と記している). のタイ-ルが示す通り、この. るだろうし、私の幼年時代を語るために新たに白いペ-ジを埋めて. をしながらも、これから十五日から二十日の間、毎晩の楽しみにな. いて語ることで、時間を潰してみたい。それは、あちこちに寄り道. けさだろう。私は、今日、少しばかり父のことを語り、彼の死につ. -わえ、ミュ-ジツタ・ホ-ルで夢想に耽けっている。何という静. 女性の死にも合うことだろう。毎日、友人たちがあちこちで亡-な ってゆ-。私は、だんだんと孤独になって-る。暖炉の前で葉巻を. 回は私の父。そして、いつかは私に生を与えて-れた、あの優しい. のはl八八七年か1八八八年.叔母のファニ-は二年前。そして今. て-ることは、明らかに老いの徽候である。乳母のマリ-が死んだ. 私は、死を近-で看取ってきたばかりだ。そうした死の数が増え. 『情人』とほぼ同じ書物だと. 健康さの背後には、否、健康さそのものを形成しているのは、そうし の強烈さは、『情人』、. た相矛盾した方向を持つ運動なのである。だから、彼の自己解体 つまり幼年期から三十二歳当時の彼の変化 『母への手紙』だけに昇華するのではない。もう一冊、別の書物とな って、つまり別の形のエクリチエ-ルとして、この世に生み落される のだ。. 訊『イン・メモリアム』 父の死の果てに われわれはポ-ルのエクリチユ-ルの誕生は、常に女性に関係があ り、女性によって成される自己解体とそれを文字にすることによって 始まる自己形成の往復運動が、彼のエクリチュ-ルの原動力になるこ とを見てきた。つまり、そのことは同時に、父とは彼にとって嫌悪の 対象であっても決して愛情の対象ではな-、その証拠に、彼の『日記』 で触れられていな-と. に見られる父の記述は、その死に至ってもかなり乾燥したものである ことが挙げられた。だが、直接的には『日記』. 『情人』のほとんどリメイクとさえ考え. も、父の死はそれなりにポールに大きな影響をもたらしたことは事実 である。父の死は、ポ-ルに. られる一冊の書物の誕生を促したからだ。その書物は『イン・メモリ アム』。一九〇五年の十一月に出版された『メルキユ-ル・ドゥ・フラ. 『イン・メモリアム』. ンス』誌に二度に分けて掲載され、翌年、書物として出版されたもの である。もちろん. 『情人』と同じように、かなり自 (ポー. 行-のも楽しいことだろう。. 何という始まり方だろう。彼が『情人』を出版してからまだ二年の. 歳月しか経過していないというのに、ここでもまた同じ始まりを採用. する。さらにポ-ルはまだ三十代の半ばだというのに'この開始の仕. 方は、すでに老人のエクリチエ-ルそのものだろう。われわれは、彼. が文壇的な野心に溢れていることはすでに調査しておいたが、この開. 始は、そうした野心とは反対の老境というか、様々な人生の荒波を越. えた上での諦念というか、これからポ-ル・レオ-ーが五十年近-坐. きて行-ことを知っているわれわれにとって、この開始の仕方は'驚. きに値する。もちろん、われわれはポ-ルが年齢よりも老けて見られ. 二五. 梅本. 書物も、ポ-ルがそれまでに著した. -. 伝的な色彩の強い書物であり、惜し-も'.nンクール賃を逃した ポ-ル・レオ--、あるいは内面の都市. ㈲. 一〇. -.
(8) 139. ポ-ル・レオ--. 、あるいは内面の都市. -. 『情人』ならば、あの詳細なパリ九区の. 梅本. 人』を書き始めた当時、ポ-ルには想像の外にあった。自らの幼年期. ポ-ルは幼年時代に限りないノスタルジ-を持ち、そこに常に回帰す. ちで書き記すことで、自らの中に定着させるのである。この彼の記憶. いて書き綴り、それを自らの記憶と混同することがわれわれにとって. が、事実かどうか、はすでに問題ではない。彼が何度も幼年時代につ. エクリチユ-ルはやはり、そうした事件から無縁ではな-、むしろ、. ある映像、それを生み出すためには、視覚と聴覚が必要である。ポ-. 動の方向を逆にし、言葉が過去を生産して行-かのようだ。手触りの. し、本来は言葉によって召喚されるはずの過去の時間が、それとは運. 過去は、何度も語り直されることによって、ますますその殻を強固に. の中で確実な手触りのある映像へと変化して行-。換言すれば、彼の. 自らの過去、それは語れば語るほど遠貴かるものではな-、ポ-ル. いのないものへ'揺るぎない時間へと変えて行-だけである。. はないものの、「何かを消し去る」どころか、ポ-ルの過去を確実で疑. ン・メモリアム』における時間は、もちろん「何かを和らげる」こと. ン・メモリアム』は、書き始められる。だが、すでに見たように『イ. の政治家であり、歴史家であるギゾの一文をエピグラムに挙げて『イ. 「時間はものを和らげはしない。何かを消し去るだけだ」。十九世紀. 「時間はものを和らげはしない。何かを消し去るだけだ」. の問題なのである。. われわれの驚きは、それに留まらない。さらに. を読み進めると'そこで出会うのは、すでにわれわれが知っている記 述ばかりである。サン-ジョルジュ広場の風景、父フィルマンの経歴、 乳母のマリ-に連れられて歩-坂道、そしてタロ-ゼル街十四番地の アパ--の階段、隣人たち、そして周辺の商店の人々、ポ-ルの遊び 友達、父が女性と待ち合わせるマルティ-ル街とイポリッ-=ルバ街 。もちろんわれわれはすでにロべ-ル・マレ の角にあるブラッスリ-. との対談というポ-ルの最晩年の作業を読んでしまい、そこでポ-ル. 人』を読んだわれわれは、ポ-ルと父の関係について詳細な知識を持. が語ったこの地域の微細な描写や父の経歴を知っている。すでに. 『悼. 『イン・メモリアム』. な行為であり、それは事件の現場を生きる生々しさとは対極にある。. に達した一人の男が、過去を思い出すのは、ひたすらノスタルジック. の生々しさは一切見られない。先程われわれは諦念と書いたが、老境. 『イン・メモリアム』 の書き出しには、そうした事件性、つまり事実. そうした事件の生々しさを積極的に受け入れたはずである。ところが. のである。これはやはり事件であり'『情人』のラスー近-のポ-ルの. り、そしてさらに、その死の床で、彼の実の母に二十年ぶりに出合う. ることも事実なのだが、同時に、ポ-ルはそれを何度も異なったかた. くことによって、定着して-ることが理解できる。つまり、もちろん. について語るポ-ルのあの恐るべき記憶力は'同じことを反復して書. え感じた。そして、自らを語る、それも自らの非常に限られた一時期. なほどの情熱で彼の幼年時代について語ることに、われわれは驚異さ. っている。そして同時に、ロベ-ル・マレとの対談で、ポ-ルが異常. 二大. を語るうちに、幼年期を彩る中心人物の一人の死に偶然出会うのであ. 驚いたりはしない。『情人』のラス-に準備されるファニ-の死も、『情. 描写がその書き出しに準備されているにしても'われわれはこれほど. ぬ書き出しである。たとえば. てきたという回述を知っている。だが、これは余りにも年齢に似合わ. ることを知っている。三十八歳でポ-ルが生まれた父に、ポ-ルが似. ㈲.
(9) 138. ルの『イン・メモ=アム』におけるユタリチエ-ルは明らかにその事. 聞いたりする瞬間が、これからのポ-ルとポ-ルを読むわれわれに「記. を巡る書物とされる『イン・メモリアム』にも登場する女たちの姿. 憶」として定着して行-ことが重要なのだ。たとえば'この一応、父. そう彼女は後にポ-ルの義理の母になるルイ-ズのことだ. 彼女たちのほとんどは父の愛人であり'したがって父を語る行為は父. も、彼女たちの姿形と共に彼女たちの声によって召喚され. の愛人を語る行為で代行されていることにも注目してお-必要が在る だろう. 父フィルマンがコメディ--フランセ-ズのプロンブタ. -だったことはすでに何度も書いたが、彼が女たちを誘う方法は、多. ているのだo. -の劇作を暗唱している自らの能力を利用し'女優になりたいという. 若い女たちを自宅に招き、台詞の稽古をつけるというものだった。ポ -ルは'彼女たちの台詞を朗唱する声を父の声と共に注意探-聞-こ. とになる。ここでも視覚と聴覚はポ-ルの描写と重ね合わせられる。 ポ-ルは様々な人物を呼び出すo. 当時の私たちが住んでいた住宅の管理人はリヴィエ-ルという名. 前だった。「リヴィエ-ルおじちゃん」は、やもめであり、洋服屋で. ョッキをきて、腕ま-りをし、しわ-ちゃな髪をし、オ-スーリア. もあり、家の女中たちの使いもしていた。良い人だった。いつもチ. 人のような髭をた-わ、え、眼鏡で赤-なった鼻をし、ちょっと斜め. に丸い帽子を被っていた。彼の姿をまだ思い出すことができる。. い。だが、これほどの微細を究めた描写を前にして、その一切を事実. もちろんこうした効果は単なる文章上の技法に過ぎないかもしれな. -. 実を意識している。父フィルマンが毎晩連れて家に戻る女性について の記述. で、ポ-ルは次のように書-.. 記憶と感情の何という力だろう。私は、その家の間取りをまだ見 の声を開いている。. るような思いがする。湿り気を帯びた私たちが住んでいた家のダイ ニングの風景。私は父の声とマリ-(・プゼ). もちろんここで語られているのは'マリ-・プゼがレオー-家を去 るきっかけとなる彼女と父フィルマンの口論だ。毎晩若い女性を連れ 。その情景をポ-ルは目を見 帰るフィルマンに対して意見するマリ-. 開いて観察し、耳を澄まして開いている。観察者に徹するポ-ルの姿。 われわれの関心を引-のは、もちろん同じ模様はロべ-ル・マレとの 対談でポ-ルが語っているから'その内容ではない。視覚と聴覚を優. の一節には同じ. 先させ、すべてをそれに向かって集中するようなポ-ルのエクリチエ -ル、それは、『情人』には存在しなかった。もちろん、たとえばペリ ユツシュの死のシ-ンで、彼が聞いた「青いワルツ」. それに対して『イン・メモ. ような効果があったが、その場面が印象的だとしたら、それは『情人』 にそうした効果が少なかったからだろう0. いう動詞と共に頻出する。自らの記憶を、このような運動を示す動詞. として受け止めるのは、ご-自然な成行きだろう。だが、ここに記さ. リアム』では'見る、再見する、という動詞が、聞-、再び聞-'と. の群が生産して行-のである。すでにわれわれにとって、ポ-ルが語. 毒. れた情景を、まず事実だ、と断定するのは'もちろんこれを読むわれ. -. っていることが事実だったかどうか、は問題ではない。彼が、見たり 梅本. -. -. 彼ら二人の体のかたちも見えるようだ。. 〓. ポ-ル・レオ--、あるいは内面の都市. ㈲. 三. -.
(10) 137. ポ-ル・レオー-. 、あるいは内面の都市. で語られてい. なのが死だとしたら、核心という一語も大袈裟なものではないだろ. たいと思う。少しずつペ-ジにペ-ジが重ね合わされる。これらの. したがってフィクションなのだが、『イン・メモリアム』. ることのほとんどをポ-ルが五十年後にロベ-ル・マレに寸分違わぬ 形で語り直されていることを考えると、『イン・メモリアム』とは、フ ィクションとドキュメンタリ-の境界を運動するエクリチエ-ルと呼 んでよいように思う。 同じことが何度も語り直される。最初は鮮明だった記憶は次第に薄. ヽ「ノ. 父の死の記述が近いことを感じない者はいないだろう。. 死と生の往復運動. だが、父フィルマンもすでに六年近-前から足を悪-し'活動もま. まならなくなっている。当初は、いつものカフェへ行-ことも出来た. ついには「ロココ風の椅子」に1日中座っているだけの「ハンサムで. が、次第に妻や息子の補助がなければ移動することも出来な-なり、. 語り直すことによって、文章も記憶も鮮明さを増し、初めはおぼろげ. 散歩の途中で私の処に釆た。習慣で、私は彼に父の様子を尋ねた。. 倒れ、そのまま立ち上がれな-なった。ちょうど'その翌日'弟が. それは二月十九日の木曜のことだったと思う。夜中に彼は起きて. う思い」 がしていた。. サン=ラザ-ル駅に着-と、そうした家族の関係はもう沢山だ、とい. ろんそれはポ-ルにとって心地よいものではな-、「列車に乗るために. の傍らで日曜の午後三時間ほどを過ごすことを習いとしていた。もち. れでも二週間に一度は通い、彼には言葉は決して掛けることのない父. 家から離れて十五年以上になるが、余り関係の艮-ない父の許へ、そ. も醜悪でもない」ただの老人になる。ポ-ルは彼のク-ルブヴォワの. 物と化して行-0. 造活動の中に何度も登場し、そうした無名の人々は、ほとんど登場人. う人々は、彼の文章の中に'つまり彼の記憶の中に、すなわち彼の創. のである。マリ-・プゼに抱かれて登る緩やかな坂道の中途で擦れ違. エ-ルとして残すことによって、能動的な創造活動に姿を変えて行-. してな-、むしろ幼年時代を意識して思い出すこと、つまりエクリチ. 幼年時代の記憶にこだわり続けるポ-ルの姿は、受動的なものでは決. つも、その事実の力が、年月を経ることによって、確実に力を増す。. 運動である。もちろん、事実はそうであった可能性は十分に残されつ. だった記憶が、言葉の力で色と形と声を合わせ持ったものに変容する. れて-るものであるのが普通だろうし、それはギゾの引用によってポ -ルも意識していたはずだ。ところが、ここで起こっていることは、. 0. か評伝の類として書店に並べられたのではな-'これはあ-まで小説、. ことは確かめておいた方が良いだろう。そもそも'三十年近-前の情. 素晴らしいことには終りがある。ここで私はそれを呼び戻してみ. 二八. 細部、家族の魅惑されるような記憶の数々も、尽きて行-。あと数. ニュ. 景をこれほど正確に視覚聴覚的に覚えていることが可能だろうか。当. 梅本. パラグラフでそれらも完成する。私たちは核心に入って行-。問題. われ=読者でもあるが、それ以前にまずポ-ル・レオ--自身である. -. 然のことながら『情人』と同じように『イン・メモリアム』も自伝と. ㈲.
(11) 136. ったのだ。だが、弟の訪問の翌日、義母から手紙が来た。彼女は自. ない年齢である彼は、これが父の最後になるなどとは思い付かなか. を尋ねられると、誰でもがする答と同じだ。他人のことも考えられ. 彼は、当たりさわりのない返事をした。道で人に会って、同じこと. め息を一つつき'私はそう口に出した.オペラ通りは大きな馬車で. は死とは別のことがあった。「早-死んで、放っておいて-れ」。た. たばかりだった。私はものを書きたい気持ちで一杯だった。頭の中. ことに疲れを感じ始めていた.『情人』もちょ、丁ど十日前に出版され. は今まで十五日おきだった父の家の訪問が、これほど何度も重なる. だが、もちろん、ここに母の姿があろうはずがない。切迫感溢れる記. るファニ-の死の記述とほぼ同質の切迫感溢れる記述が開始される。. ここで問題なのは、すでにポ-ル自身だからだ。『情人』の最後におけ. ろう。ここにこうして座っていることが重要なのだ」。こうした父を眺. ようだ。表情が怒っているように見える。「だが、何も言う必要はなか. ではあるが、同じようにべッドに横たわっている。顔はよりふ-れた. 再びク-ルブヴォワに赴-ポ-ル。父は呼吸がやや前より苦しそう. 「謝肉祭に日に喪服. 一杯だ。この幸福の項点の日に、私は'二重に哀しい郊外に行かね. 分の息子の無頓着を怒り、父が重病であることを知らせ、私にすぐ 釆て欲しいと書いて釆た。これが終りの始まりだった。. ばならなかった。今夜は謝肉祭なのだ。(中略). 述という面においては同質かもしれないが、ノスタルジ-に満ちた幼. をしたことなどあったろうか。彼の手の感覚もずっと小さいときに感. い。こちらを向いて何かを言おうとする彼。だが'.彼の言葉を開いた. じたきりだ。十五日に一度ここを訪ねても、彼と口をきいた記憶はな. もう父は立つことがないだろうと知らされるポ-ル。義母はどうして. ことのないポ-ルには、想像力がない。彼には憐怒の情が浮かぶ。だ. -. を擦れ違う。. 1i(. な老人はあそこで倒れている。ここでは大声で笑う人々、歌う人々. 私が今見てきた光景と何というコン-ラス-なのだろう。あの不幸. 私はパリに戻って夕食をとった。今朝と同じ謝肉祭が続いている。. よいか分からず、弟は部屋の中を歩き回る。冷静にポ-ルは父の顔を. は大賑わいだ。. 私の冷静さは長-は続かなかった.この月曜日の長い一日、その 晩がやってきただけなのだ。翌日の火曜日、起きるなり、私は電報. ㈲. を受け取った。すぐに来い、とのこと。また駅への道を急いだ。私 ポ-ル・レオ--、あるいは内面の都市. 孟. 極め'ポ-ルはその日再びパリに帰る。その日は謝肉祭。オペラ通り. が、それだけのことだ。. ク-ルブヴォワに到着したポ-ルを迎えた義母と弟。医者によれば、. る乾燥した観察者の目だ。. めることなどなかった。それに話しかけようとしても、以前、彼と話. を着るなんて/」. 1「h. 見つめ、言葉を掛けるが、当然、父からは返事がない。父の様子を見. 梅本. 年時代の記憶を述べ立てる部分との相違が際立つ。ここにあるのはあ. -の人々を召喚し、彼らの挙動に視線を向け耳を傾けるのではな-、. われわれは、ポ-ルのユタリチエ-ルの変調にすぐに気が付-。多. .四.
(12) 135. ポ-ル・レオ--. 、あるいは内面の都市. -. だが、連続して重要な人を失うのは、私のせいだろうか。. 常的な関心事は、彼自身のエクリチエ-ルなのである。もちろんメル. それはいずれ『イン・メモリアム』となって昇華するものの、彼の日. アルフレッド・ヴァレッ-やレミ-・ドゥ・グ-. ルモンとの交友はますます深まり、文学界への参入はすでに『情人』. キユ-ルの人々. いる様子が伺えた。彼が好きだったカジミ-ル・ドゥラヴィ-ニュの. いた。個人的に彼の声を聞いた'つまり彼と会話したことはほとんど. によって成し遂げられていた。ヴァン・ベヴエ-ルとの交友も続行さ. との交友、彼のルマルキの事務. 特に同棲していたブランシュ・ブラン. ー. なのは、いま一人の文学者の名前である。マルセル・シュウォブのこ. 交友について書いたことがあったが、この時期のポ-ルにとって重要. ポ-ル・レオ--の交友について、彼ら二人のパリの街を背景にした. とって不可欠の生活だった。かつてわれわれはポ-ル・ヴァレリーと. そして、文学界というものが存在する限り、作家たちとの交友は彼に. 所での仕事を除いて'もっぱら文学と書-ことに関心を向けていた。. との喧嘩は絶えることがなかった. れており、披は、女性たち. -. なかったが、彼の舞台の記憶だけは奇妙に鮮明なものだ。彼はジュネ -ヴに居る実の母に手紙を書かねばならないことを思い出す。 父の死後、彼はときどき父が眠る墓地に行-。土がまだ柔らかいの. ている。私はまだそんな光景を見ることができるようだ。あの頭に はまだ脳が生き残り、臭い匂いを発することはないようだ。それら はまだ生きていて、人生を生きているようだ。こんなことを私はす 『情人』のペリエツシュの死について書いたような気がする。. -. 戯曲。彼はその台本に作者自身に献辞をしてもらったことを自慢して. ちの綿密な描写と、彼の文学生活についての記述が『日記』に残され. ポ-ルは家庭については大した記述を残さず、彼のつき合った女性た. われわれは、すでに、一九〇三年から一九〇五年に至るこの時期'. 文学と演劇. 耶舞台へ.. になってゆく。. ってゆこうと述べられている。こうして母ばかりでな-父もまた作品. 『イン・メモリアム』の最後は、これからも父について作品の中で請. 喜. とコルネイユを愛した彼。披が出演したク-ルブヴォワの舞台。彼の. ラシーヌを愛し、だが同時にラシ-ヌよりもモリエ-ル. 右. ているだけであることは見てきた。父の記述さえもほとんど見られず、. 梅本. 演技はやや大時代がかったものだったが、それでも彼が舞台を好んで. するものだo. ルに様々な記憶が蘇る。そのほとんどは、父が出演していた舞台に関. 父が亡-なる.実に乾燥した視線で、そして耳で父を観察したポー. 出している。「ここで畳と夜が戦争している」。. くなる。ポ-ルはヴィク--ル・エゴ-が死の床で言った言葉を思い. たような音が聞こえて-る。その間隙も大き-なり、ほとんど動かな. て、父の様子を見守る。呼吸も弱-なったようだ。だが'まだかすれ. レ-のファニ-の処で見たのと同じだ。義母と弟と彼と三人で交替し. た。父の古い友人立ちが集まって-る。こうした光景は、つい最近カ. その夜、再びク-ルブヴォワに赴いたポ-ルはそのまま帰れなかっ. ㈲. この体が生きて動き、上手に愛の行為をしている。あの口が笑っ. を確かめ、彼が亡-なってからの時を数える。. でに.
(13) 134. とだ。. て少しは解説しておかねばならないかもしれない.1八六七年に生ま. では決してなかった。中国人の使用人が、私を案内して-れたが、. 持つ彼は何でも知っていたが、つねに簡潔に語り、ペグンティック. た顔をした素敵な男だった。ナポレオンに似ていた。無限の知識を. 『情人』を送った礼に初めてシュウォブ家に招待される。変わっ. れた幻想小説家として知られる彼は'ほとんどポ-ルと同世代だった. 彼の存在は、この明る-静けさに満ちた大きな家に、実に優雅な趣. マルセル・シュウォブ、現在では忘れかけられたこの文学者につい. が'各国語に通じ、古文書にも通じた博学の小説家であり、彼の家は. を与えていた。次の間に通され'隣の部屋から大声がするのが聞こ. えた。シュウォブが私の小説への賛辞を語り、続いてモレノが登場. は、大柄で痩せており、長い金髪の髭をた-わJえ、鼻眼鏡を付けて. 私は、碑文-文芸アカデミ-のメンバ-がどんな男かと思った。彼. した。彼女は'愛想がよ-、すぐに私を友人として扱って-れた。. 家でも'ポ-ルは率先してシュウォブに話し掛けることはせず'黙っ. いた。私は、リシュリユ-街で、国立図書館に入って行-彼の婆を. を送ったつもりだったが'その日(同年二月)'彼の机の引出しの中か. にも関係が深いシュウォブに、ポ-ルは、もちろん献辞を記した一冊. 驚いていると言われる。当時の大文学者の一人でありメルキユ-ル社. ことにする。そしてノワイユ公爵夫人。大柄で単純そうに見えるが一. に成功したとポ-ルに語る。ポ-ルはジッドにも『情人』を一部贈る. 話をし、それが余り好きではないというヴァレリ-の考えを変えるの. た。たとえばアンドレ・ジッド。彼はヴァレ--と. リスが、父危篤の電報をよこし'ポ-ルの『日記』はほぼ一月間途切. 以来ポ-ルはシュウォブ家に足繁-通うようになる。だがポ-ルは、. 梅本. それに、私の周囲で語られていることのほとんどに私は興味を持. 『日記』 でこう告白もしている。. それから二週間後にシュウォブ家を訪れ'シュウォブらと話をした後. 『情人』について. ら、シュウォブに送付したと思っていた一冊が見つかり'早速、ポ-. 筋縄にで行かない夫人だった。. その晩'シュウォブ家にはポ-ルと共に沢山の人々が招待されてい. 見たことがある。. 一人. ルはそれをシュウォブに送付する。だがそれから一週間後、弟のモ-. 述べることにする)から、『情人』が届いていないことにシュウォブが. は、マルグリット・モレノの弟であり'モレノについては後に詳し-. 二十二日のことである。当時メルキユ-ル社に勤めていたモンソ-(彼. ポ-ルがシュウォブの家に最初に出向いたのは、一九〇三年の三月. てシュウォブの言葉に耳を傾けることを選んでいた。. 常に聞き役だったことを思い出せばそれでよいだろう。シュウォブの. たかもしれない。ポ-ル・ヴァレリ-と共にいたポ-ル・レオー-が. 学者の傍らにいる、というのは当時のポ-ルの安心できる居所であっ. 多くの文学者たちが集うサロンと化していた。もちろん、こうした文. の. れる。つまりわれわれがすでに見た『イン・メモリアム』における様 々な出来事がポ-ルに訪れた。それから父が亡-なり'ポ-ルは再び. -. 『日記』を再開する。『日記』は、『情人』を送った礼にシュウォブが. ≡. ポ-ルを招待した日から再開される。 ポ-ル・レオ--、あるいは内面の都市. ㈲.
(14) 133. ポ-ル・レオー-. 、あるいは内面の都市. 『日記』 では単にアルベ-ルと記されているだけ. 広い読書. この日はフランス大革命の記念日に当たっている. 文章や着想がカードに記され. から、調製され、カ. できているかがはっきり感じられるのだ。全てのジャンルからの幅. それは作り事であり、継ぎ接ぎであり、私にはそれがどんなもので. 記そう。本当を言えば、私は彼の文学に全-興味を持っていない。. ずっと前から持っていたシュウォブの文学についての私の意見を. にすでに次のような記述が見られる。. のだが、その日についてのポ-ルの記述は1切見られない. った七月十四日. メルキユ-ル誌からの依頼で、作家の家についてのルポルタ-ジュを. ルベ-ルだ。当時の. そして、ティナンの両親の家で、若-美貌の青年に会う。アンリ・ア. ドゥエアィナン家やジョゼ・ドゥ・シャルモワ家にも出入りしていた。. ロンばかりではなかった。メルキユ-ルの中枢に深-入り、ジャン・. そしてこの時期、ポ-ルが出入りしていたのは、シュウォブ家のサ. 聞き手であるポ-ルには不得手なことだったろう。. ようなサロン的な雰囲気に馴染めなかったとしても何の不思議もない0. しかし、ポールのシュウォブ家通いは続行される.それはもちろん. 感想を漏らすこともあるが、それでも彼の好みの作家であるスタンダ -ルとニ-チェを同等に並べている。. で補っていたようだ。もちろん時にはニ-チェは余りに難解だ'との. も語り合った。シュウォブ家で欠けていたものをアルベ-ルとの会話. もちろん彼の影響でニ-チェを読み始め、ボ-ドレ-ルなどについて. アルベ-ルとの会話はポールにとって実に楽しいものだったようだ.. 冒. -. -. レディスやステイヴンスンやクル-リ-ヌについての素晴らしい批. るだけだ。もちろん'それだけでもすごいものではある。それにメ. い。そこからは例外的な知性と最大限に発展した批評性が引き出せ. こからは古い書物の香りが漂って-る。だがそれは授造品に過ぎな. いての繊細な手つきと、豊富な知識だけであり、深いところで、そ. 学べるのは、素晴らしい技術と、真似のできない方法と、選択につ. テゴリ-別に分類され'なにがしかのものができあがる。そこから. -. だが、『日記』出版の際に付したポ-ル・レオ--の注釈で、このアル べ-ルなる人物の全貌を知ることができる。. 私は、単にアルべ-ルとだけではな-、彼、つまり、アンリ・オ -グ、通称アンリ・アルベ-ルのことをもっと詳細に記しておいた 方が良かったろう。彼はまずニ-チェの仏訳者である。アンリ・ア. 記』. 書-ためでもあった。初めてシュウォブ家に行ってから四カ月近-経. 梅本. 活発に文学論を戦わせたり、有名人の噂話に花を咲かせることは常に. -ズのプロンブタ-の息子として生まれたポ-ルが、シュウォブ家の. もちろん文人として生まれたわけではなく'コメディ--フランセ. につきすぎている。. 何も知らないことだ。つまり'私は自分自身と向き合う習慣が余り. れも二三の事柄でよい。嫌なのは、ここに集まる人々について私が. てない。私が望んでいるのは、シュウォブ自身と話すことだが、そ. -. ルベ-ルはパリのほとんどの有名人を知っていた。実業家、花柳界、. -. 『日. ㈲. 文学界の人々。彼は日記を付けていた。彼の死で日記は兄のもとに 渡った。それが無傷のままであることを祈ろ、γ。. ≡. の. 一九.
(15) 132. う技術を身に付けている。すべてのことについて、決定的で正確で. 評がある。それらは実にユニ-クなものだ。シュウォブはものを言. モレノについてのものである。. を払うのは、シュウォブと生活を共にしていた女優のマルグリッ-・. なって行-。それと交替するように、ポ-ルがその記述に多くの努力. 最初にシュウォブ家を訪れたとき'ポ-ルはすでにこの今世紀初頭. 正しい言葉を吐けるのだが、彼の書物は余りに装飾的で、何の感受 性も感じられない。ただポ-とシェイクスピアから来る不可思議で. の大女優に親しみを覚えたことはすでに書いた。そして二度目にシュ. を付け、ポ-ルもモレノといると寛ぐと書-。シュウォブ家通いが十. 神秘的な印象は重要だ。いつかこの主題を発展させてみよ、γ。 マルセル・シュウォブは古文書に通じ、自在に英語を操ることは知. カ月経過したころ、ポ-ルの記述の中心は'明らかにシュウォブから. ウォブ家を訪れたとき、モレノは、ポ-ルに「野蛮人」というあだ名. られていた。もちろん、こうした博学が彼の文学を支えていたことは. 常は、スタンダ-ル、マラルメ、ヴァレリ-などについての賛辞しか. ディ-=フランセ-ズにいた頃、劇場の廊下でよ-彼女を見かけた. 『日記』に綴らないポ-ルだが'おそら-、シュウォブについてのこ の文章が'彼が書いた初めての文芸批評と呼べるものかもしれない。. ものだった。何年か前'日曜日の朝、私が父の住むク-ルプヴォワ. に行-ためにサン=ラザ-ル駅から列車に乗ろうとすると、彼女も ニLrr「. カチエル・マンデスと彼のサンジェルマン=アンレ-の家に行-た めに列車に乗っていi,.. 護の下にあった作家だが'シュウォブ以前に'モレノがマンデスと関. カチユル・マンデスとは、テオフィル・ゴ-ティエやリラダンの庇. ルの書物』などを読み返し、「こうしたことが書かれていても、その内. 自然さが、真実が必要なのだ」と『日記』に感想を書いたりするが、. 家を訪れる度に、もしモレノが不在だと、ポ-ルは必ずモレノは不在. ちろんポ-ルがモレノと関係を結んだことはない。だが、シュウォブ. ポ-ルがシュウォブ家を訪れるのは、モレノに会うためだった。も. 係があったことは公然の秘密だった。. ない。ものを書-ことで生の感情を得るためには、もっと単純さが、. それでもポ-ルはシュウォブ家に通い続ける。無論'ヴァレッーから. ポ-ル・レオ--'あるいは内面の都市I㈲. 一三. 台に出演している晩だと'モレノは外で夕食を済ますのを習いとして. 『日記』 に記す。シュウォブ家に夕食に呼ばれ、モレノが舞 だったと. 梅本. 容や時代を生きていることが感じられない。これは象牙の文学でしか. ルのシュウォブ家通いは続行される。ときには、シュウォブの. マルセル・シュウォブに対するかなり雨義的な感情を伴って、ポ-. マルグリッー・モレノ. なかったが、『日記』にはこの種の文章が散りばめられている。. 彼は、生涯に亙って、文芸批評を一冊にまとめた書物を記したことは. 私はすでにモレノ嬢を実によ-知っていたのだった。彼女がコメ. モレノに移る。. 『モネ. 明らかだが'ポ-ルの印象の的確さにはやはり驚かざるを得ない。通. ≡. 依頼されたルポルタ-ジュが書かれた形跡はない。何度も記されるシ ュウォブ家の記述から'マルセル・シュウォブに関する記述が少な-. 三.
(16) 131. ポ-ル・レオト-. 'あるいは内面の都市. -. 梅本. められず、観客は眠-なってしまう。. コメディ-=フランセ-ズでは、壮麗さとか朗唱術とか効果しか求. した俳優たちによって演じられることで初めて面白いものになる。. つときには、完全に演じるだろう。それにしても、悲劇とは、こう. 彼女は完全と言うわけではなかった。木曜日に彼女が再び舞台に立. サラ・ベルナ-ル座で『ポリユ-クー』を演じるモレノを見た。. に足を運んだ。. なくなっていた。ポ-ルはモレノの姿を舞台で見るために何度も劇場. いたから、ポ-ルはシュウォブ家でなかなかモレノに合うことはでき. ㈲. 心があるのは今のことだけ。分かる-. ポ-ルは、. 私、愛の行為ができな-なっ. て素顔に戻るのを発見して彼女の美しさにあらためて気が付-。それ. 話を続ける。ポ-ルはモレノの姿を観察し、彼女が次第に化粧を落し. コメディ=フランセ-ズの話を聞きたがるが、モレノは自分の生活の. たら終りよ。そうしたら引退して、演技を教えるの」。. 胃. はないこと、「でも後になれば、そんなことはどうでもいいの。私に関. 匂わすと、決って彼が泣き始めること、彼との生活は決してバラ色で. との会話のこと、彼との痴話喧嘩のこと、彼がまちがっていることを. と、コメディ-=フランセズ時代の辛いレッスンのこと、シュウォブ. ほとんどできず'いつもモレノが彼の身の廻りの世話をやいているこ. 化粧を落しながら、ポ-ルと話をする。シュウォブの話、彼が家事は. 訪ねるのは、すでに十二時前後の時刻になる。深夜の楽屋でモレノは. は大体午後九時に開演するから、モレノが演じ終り、ポールが楽屋を. それからポ-ルは'モレノの楽屋を何度も訪ねる。当時パリの舞台. 高. はまるで「ラ・-ウ-ルが描-フェル嬢のようだ」と彼は思い、シュ. ことになる。初めてポ-ルの前で肌を見せたモレノは'それから四日. ポ-ルの前で着替えをするモレノの習慣は、これからも続行される. えよう。. 「i'. か。愛に魅了されている私は、どうしたらよいのか。他のことを考. られているという圭恥心は微塵もない。彼女に何と答えたら良いの. の目の前で、何も気にせず服を脱ぎ服を着る。実に自然に。裸を見. が彼女を劇場に迎えに行-とき、彼女が私に示す親しさ。彼女は私. 私は、彼女の話に耳を傾けるだけだ。ほとんど返答もしない。私. られる。. してポ-ルは'決って、モレノに「どうしたらよいのかしら」と尋ね. 話が耗-。話題はシュウォブのこと、年をとること、恋愛のこと'そ. を訪ねるとポ-ルは必ずモレノをシュウォブ家の扉まで送って府-0. ポ-ルは三日に一度は劇場かシュウォブ家にモレノを訪ねる。劇場. ルは母の夢を見る。. かしら」。ポ-ルは黙ってモレノを見つめる。それから一週間後、ポ-. うこともできなくなるのよ。ねえ、レオ--. て可愛い私から恋に恋する私を犠牲にした。六十になったら'抱き合 '私はどうしたらよいの. しら。私は、若さを犠牲にしたわ、最上級の愛を犠牲にしたわ。若-. り争っ。彼女は、シュウォブのことを語り始める。「どうしたらいいか. ルは、彼女をシュウォブ家まで送り、扉の前に立って、三十分ほど語. 複製を思い出す。その晩、彼女は家まで歩いて帰ると言い出す。ポ-. ウォブ家にあるジョルジュ・ラ・-ウ-ルが描いたフェル嬢の肖像の. 孟.
(17) 130. ではあったが'それ以上に、彼女が正にポ-ルが生まれたあの界隈、. に深い関係を持つポ-ルにとって、彼女の近さを確認する大きな要素. モンマル-ルに向かう緩やかな坂道が続-パリ九区で育った女性であ. 後、劇場の楽屋でポ-ルに同じ姿を見せる。その晩'シュウォブ家で に向かう。楽屋でシュウォブの話をする二人。そして彼女は'自らの. 食事をとった後、自宅で寝るというシュウォブを残して、二人は劇場. -ドレ-ルの話をする。モレノがポ-ルと同じ-らいにボ-ドレ-ル. 成する。ポ-ルは'もし母との関係が続いていたなら、もっと多-の. 翌年の貴はポ-ルのものであろうと忠告を受ける。モレノもそれに賛. 人』がゴンク-ル貴を逃したことがシュウォブの口から伝えられ、ポ -ルは、披からも、この小説に登場する一人の女性に絞って書けば、. り、しかも女優であることは、重要なことだった。ポ-ルの小説『情. を愛しているのが感じられる。それに対して、二人はゴ-チエを嫌い、. 資料が集まったろう'と答える。. 朗唱術をポ-ルに教える。ポ-ルは彼女がいつかシュウォブ家でポドレ-ルの『旅への誘い』を美し-朗唱したのを思い出し、二人はポ. 彼は形だけを重んじる詩人だという点で意見を同じ-する。二人の間. ねる。答は諾であり、彼女は病気で弱っているが、まだ'ここにいる. ゼル街十四番地に行き、管理人にルグラン嬢はまだここにいるかと尋. れから1週間後'ポ-ルはマルティ-ル街に散歩に出る.彼はタロ-. を発言したポ-ルの感情が'再びポ-ルをあの界隈に導いて行-。そ. モレノがポ-ルと同じ地域で育ったという発言や、自ら母との関係. に感情が通い合う。. この前の晩のように、妓女は私の前で服を脱ぎ、衣装を着る。化 粧鏡の前に座り、メイクをする彼女の咽は剥き出しで'駒は自在に のを見たことがない。. を登って、ルグラン嬢. すでに七十歳. とのこと。管理人に勧められ'ポ-ルはオレンジをい-つか買って、 そうあの階段だ. -. の部屋に行-。ポ-ルにマリ-・プゼに抱かれてこの階. -. だった。墓地に行-途中、彼女を乗せた馬車の後ろには、誰も人が. マリ-が死んだのは一八八六年か八七年'彼女が七十三歳のとき. について語り始める。. ルグラン嬢は'すぐポ-ルのことを思い出す。そして、マリ-の死. 段を昇った思い出が蘇るのは述べるまでもないだろう.. だという. ー. 揺れている。私は女性の顔にこれほど表現力があり、優美さがある. 彼女が初めてポ-ルに幼年時代の話をしたのはその晩のことだった。 彼女はノ--ルダム・ドゥ・ロレッ-街で育ち、ポ-ルと同じ一八七 二年生まれだった。「私たち、合ったことがあるかもしれないわね」0. 接吻する。彼女は美しかった。. 劇場への回帰. ㈲. -. 午後の四時のことだった。隣人のパスカル夫人、ルグラン嬢、そし. 三五. グリッー・モレノの方だった。彼女が女優であることは、やはり演劇 ポ-ル・レオ--'あるいは内面の都市. 梅本. いな-なった。二人付いて来た人は仕事の都合で帰ってしまった。 出争っ。だが、ポ-ルの関心事は文学やシュウォブの講よりは、マル. マルセル・シュウォブを介してポ-ルはもちろん多-の文人たちに. 階段. 云. 彼女はポ-ルに言う。楽屋のドアのところで、ポ-ルはモレノの手に. .:(.
(18) 129. ポ-ル・レオー-. 、あるいは内面の都市. 梅本. 引出しの中には五十フランあり'. r匝. 持つポ-ル。そして、自らの地域に戻って思い出すのは、彼の原点で. 文書の専門家として知られるシュウォブよりも、女優モレノに興味を. 作家として生きようとする彼の活動、だが幻想文学の作家であり古. ろうとする。. 中だけに留めて置き、再びセ-ヌ左岸の現在の彼の活動する場所に戻. に住もうとも考えないではないが、死臭がする地域はノスタルジ-の. ている.この地域の懐かしさに打たれたポールは、もう一度この辺り. 死'そしてマリ-の死。ポ-ルは明らかにこの界隈に死臭を香ぎとっ. そして知らされるマリ-の死の光景。ファニ-の死、父フィルマンの. かれるように、タロ-ゼル街に戻ったポ-ルを待ち受けるルグラン嬢、. シュウォブ、モレノ、文学と舞台、そして母の思い出、モレノに導. -ルにボ-ドレ-ルを思い出させる。. は'再会を約し彼女の部屋を出るが、こうした女性の話しぶりは、ポ. かったのよ」。ルグラン嬢のしっかりした話しぶりに感心したポ-ル. はお母さんのない子だったから、マリ-はお母さんの代わりになりた. 彼女の部屋を去ろうとしたポ-ルにルグラン嬢はこう言う。「あなた. 私は、もしマリ-の死を知ったら、どんな気持ちがしたろうか。. 私が十四歳か十五歳のときだ。もののわからない愚かな年齢だった. なかったので知らせることができなかった。八六年か七年と言えば. それは葬儀を取り仕切った管理人に渡した。私たちの住所が分から. かに苦しまずに亡-なったというO. ふせっていたが、大した苦痛もな-亡-なったという。彼女は穏や. てもう一人の隣人が葬儀に立ち合った。彼女は二週間ほどベッドに. -. ある演劇のことだ。彼が演劇批評を開始するのは、時間の問題となる. だろう。. l、MartineSAGAERT,PaulLeJauiaud,LaManufacture,1988,Paris. Memon. 'um(以下]Mと記述),Mercure. 二、PaulL6utaud〉)oumallitteJai7]el(以下)Lと記述)}MercuredeFrance, )956,Paris,p.)28. 三、)i,p178 四')i,p179 五、)i.p.)29 1(']L,p.)27. 七、]L.p.91 <'JL,p.85 九、)L,p.86. 十、Pau)LEAUTAUD,Zm France,Paris,1965,p.7. 17']M,p.27. 1nl']M,p一6). 一五、]M,p179 1六、]M,p183 一七、]M,p.)07 i/;]L,p.66 一九、JL,p.67 三、JL,p.68. de. 近. 一四、]M,p.73 111'ZM,p.33. ㈲.
(19) 128. ニ1')i,p.74 1M.)i.p.91 二三、]L,p.98 二田、)i,p.)0) 二五')i,p.107. ーセ=. 云、)i,p.)09. 梅本. 二六、)i,p.)08. 、あるいは内面の都市. -. ll(']L,p.)08 ニ九、)i,p.)13. ポ-ル・レオ--. ㈲.
(20)
関連したドキュメント
仏像に対する知識は、これまでの学校教育では必
バックスイングの小さい ことはミートの不安がある からで初心者の時には小さ い。その構えもスマッシュ
当該不開示について株主の救済手段は差止請求のみにより、効力発生後は無 効の訴えを提起できないとするのは問題があるのではないか
これはつまり十進法ではなく、一進法を用いて自然数を表記するということである。とは いえ数が大きくなると見にくくなるので、.. 0, 1,
遠くに住んでいる、家に入られることに抵抗感があるなどの 療養中の子どもへの直接支援の難しさを、 IT という手段を使えば
本事業を進める中で、
単に,南北を指す磁石くらいはあったのではないかと思
「海にまつわる思い出」「森と海にはどんな関係があるのか」を切り口に