日本福祉大学社会福祉論集 第 106 号 2002 年 2 月
1 問題の所在
障害者の雇用の促進を図る制度の核として, 割当雇用率制 (Quota System) を採用している 国は少なくない. この制度は共通性を有しているとはいえ, 国家的要素 (国内的には地方的・地 域的要素も重要) や時代的状況によって, その仕組みや効果は多様である. 例えば, 障害者の占 める割合や障害の特性, 産業の種類や技術開発レベルの差, 大企業と中・小企業の比率, さらに 経済の好・不況などの要因が重なって, その仕組・運用および効果は個性的となる.イギリスにおいても, 割当雇用率制は 「障害者差別禁止法」 (Disability Discrimination Act・
以下 1995 年法という)(1) が実施されるまで法的根拠をもつ制度として, 一定の機能を果してき た. ヨーロッパ諸国が, 幾たびもの改正を経て今日もなお有効な制度と位置づけているのとは対 照的に, また, 障害者側が制度改革あるいはドイツ型制度の導入を求めたにもかかわらず, 廃止 に踏み切られた(2). 80 年代から 90 年代の初期にかけて, 割当雇用率制の存廃をめぐる議論は活 発化してきたといわれるが, その間においてさえ, 雇用率未充足の雇用主に対する訴追件数は上 昇しなかった. それというのも, 新自由主義に依拠した市場型改革が矢継ぎ早に打ち出され, 生産コストをよ り重視した雇用政策が展開されたからである. 経済競争力の補強ないし強化を図って, 労働市場 の改革を断行しようとするこの新しいアプローチは, 社会保障予算の削減, 国家責任の縮小, 労 働理念の再構成による労働生産性の向上, および個人に義務を課すこととりわけ障害者に労働義 務を課し, 市民権の再定義をもってその正当性を根拠づける, というイデオロギーに依拠してい た(3). 伝統的な福祉政策は経済効率を阻害するとの視点から, 例えば①福祉サービス・給付は, 市場 主義と対立する, ②福祉条項は, 莫大な公的資金を必要とし経済への刺激を損なう, ③福祉国家 条項は, 個々人に依存性を引き起こし自立性を失わせる, ④福祉国家体制は, 必要以上の官僚群 を抱え込み大きな政府を必然化させる, などが阻害要因として上げられた(4). こうした主張の背 景には, ヨーロッパ大陸におけるグローバルな経済的, 社会的統合への展開があった. 経済的要
イギリスにおける 「割当雇用率制」 の失敗
野
村
晃
因に基づく改革の勢いが激化する過程で, 看過されてならないのは, 労働年齢に達した障害者の 労働市場への参加を促す諸策が, 福祉予算の削減・労働助成金の抑制策等を機軸に顕在化したこ とである. 当初, 保守党政府によって導入されたこの政策は, 労働党政府により一層包括的かつ徹底的な 手法で, 一連の規制緩和, 民営化, 外資導入による大胆な市場型改革が断行され, 障害者に対す るニューデール, 福祉・年金改革などが実施された. 賛否両論入り交じった激しい攻防が展開さ れたが, 企業の淘汰が進み失業率が上昇して, 80 年代の景気後退期には健常者に比し障害者の 失業・不完全就労は著しく増大し, 非平等主義が形となって現れた. こうした状況のなかで, 80 年代末期から 90 年代初期にかけての立法議論に少なからぬ影響を 与えたとされるものの 1 つに, 国内外における人権 (Human Right) に関するキャンペーン, 人種・性差別禁止立法の流れがあり, 2 つには, それに触発され組織化された障害者の市民権確 立運動があった. 前者にかかわる法的権利保障 (障害者の雇用に関する権利) の仕組みないしそ の性格・内容等についての解明は, イギリス議会における立法議論を踏まえた次稿以降で取り扱 うことにし, ここでは後者の側面に着目したい. それは, 障害者の 「ニーズ (Needs)」 に対応する政策の具体化を先導する議論とでもいえよ うが, 実定法上の権利の具体化あるいは権利の明文化を構想する立法議論とは異なる. むしろ, 意識を啓発し実践行動を根底から直接的に盛り上げ支える社会政策議論, といえるものである. 例えば, いわゆる 「社会的モデル」 (Social Model) に象徴される議論は(5), 障害者自らの発想 の転換を促し, 自主的組織の拡大と連帯の絆 (院外活動) を広げ労働組合 (TUC) の運動方針 などにも影響を与え, ついに障害労働問題を政治課題にまで押し上げるのに大きく寄与した, と いわれている. 本稿では, そうした点を視野に入れながら, 割当雇用率制が廃止されるに至るまでの実効性を 検証する. 障害者側の対応およびそこで浮上してきた制度上・運用上の問題点, 伝統的な労働組 合主義に対する批判点などを析出し, 雇用主の割当雇用率義務に対する固有の事情を見極めたい と考える.
2 割当雇用率制の形骸化と障害者の雇用
割当雇用率制の特徴 まず始めに, イギリス型割当雇用率制の特徴をドイツのそれとの比較を通して概観しておきた い.イギリスの割当雇用率制は, 1944 年の 「障害者 (雇用) 法」 (Disabled Persons (Employment) Act・以下 DPEA) において確立された. この制度は, トムリンソン委員会 (Tomlinson Committee) の 「障害者のリハビリテーションと再就職に関する」 報告 (1943 年) の趣旨に則 り導入されたが, 同報告書には第二次大戦後の障害者の雇用方針にかかわる 2 つの重要事項が含
まれていた. その 1 つは, 就労の機会が与えられる一般的通常雇用の可能な障害者の場合:特殊 な施設の使用もしくは保護的な雇用は, 一定のレベルまたは一般的な雇用条件の下で, 自らを支 えることのできない少数の者に限定されるべきこと, その 2 は, 障害者は通常可能な雇用人員の 範囲内で, 雇用の場を提供されるべきこと, であった(6). これは, 後述ドイツの割当雇用率制と は基本的に異なる視点に立つものといえるが, この趣旨を反映して DPEA は, 20 人以上の従業 員を使用する雇用主に対して, 少なくとも 3 パーセントを下回らない雇用率が既障害登録者で占 められることを要請していた(7).
DPEA の適用を受ける障害者は, 負傷, 疾病, 先天的障害 (congenital deformity) がある こと, 就労し雇用状態を維持しあるいは請負業を営むに際し本来的なハンディーがあること, そ の負傷, 疾病, 先天的障害とは別に年齢, 経験および適格性を有していること, その上で障害者 登録を済ませていること (1 条), などが条件とされた. この登録制は如何なる強制的義務も障 害者に課すものではないが, 上記 1 条の条件に適合していなければ, 法上の利益を当然に享受す ることはできない (6 条), ことになる. したがって, 原則的には, 雇用主は非登録障害者を雇 うことは許されないが, 当該ポジションを登録障害者で充足し得ない場合は, 非登録証明書の交 付を受けた非登録障害者を雇用することも許される (11・12 条), とした. 登録障害者になるためには, 障害者は地域の職業安定所に障害の特徴など必要記載事項を申し 出て, それの条件 (「医学上」 の定義) を満たした場合に, 障害者雇用アドバイザー (Disability Employment Adviser) は障害者登録証明書 (Green Card) を交付する仕組みになっていた. 証明書の有効期間は 1−10 年 (更新あり) あるいは退職時点までとされ, 書面申請により他の職 業安定所への登録名簿の移動も可能であった. 登録には 2 類型があり, その 1 つは, 一般労働市 場における労働能力があると見なされた者の部門, その 2 は, 隔離された雇用に適合するとされ た者の部門, に分かれていたが, その帰属に疑義のある場合は, 障害者雇用委員会 (Committee for the Employment of People with Disabilities・以下 CEPD, 雇用主, 労働者, 医師, 障害 問題専門家等の代表からなる) に疑義の申し立てができ, その際, 申立人は自らが代理人 (ソー シャルワーカー, 助言者など) を選んで, 委員会への代理出席を要請することもできた(8). 雇用 主がこの割当雇用率を充足し得なかった場合は, 500 ポンド以下の罰金 (当初は 100 ポンド以下, 1982 年に変更) もしくは 3 カ月以下の禁固に処せられる仕組みになっていた. 1944 年の ILO (26 回総会) 勧告(9)の趣旨に則し, 雇用大臣は登録障害者に対する留保職種と して, 駐車場係員とエレベーター係員を指定した. それとは別に, 特別割当雇用処置として, 障 害者に適正な産業ないし商業から同率の割当職種を設ける措置が同大臣に許され (10 条 (2) b), この職種として商船が指定された. しかし, この場合は 3 パーセントではなく 0.1 パーセンの割 当率とされた(10).
その点, ドイツの割当雇用率制は(11), Severely Handicapped Persons Act とでもいうべき
「重度障害者法」 (Schwerbehindertergesetz・1974 年)(12) において採用されている. 障害の原因,
にも適用対象を拡大している (1 条). 本稿との関わりでいえば, イギリスのそれとの違いは際 だっている(13). また, 勤務箇所 (Arbeitsplatz・7 条)(14) を 16 人以上有するすべての使用者 (公・私) に対して, 6 パーセントの割当雇用率を設定し (5 条), ただし, 職業生活への参加が 困難と雇用事務所が認定した者 (10 条 1 項) および会社内で職業訓練中である者などのために, 雇用率の幅を持たせている (10 条 2 項・10∼4%). 上述イギリスのように特定の産業や雇用主を対象とした留保職種を設けないで, 重度障害者に ついてのみ雇用主に配置の自由を認め, その上で割当雇用率を充足しない雇用主は, 未充足の割 当勤務箇所 1 当たりに対して, 月当たり 150 (従前 100) マルクの賦課金支払義務を課している (11 条 (2)). それを排他的な資金として, 重度障害者の雇用および職業の促進, 職業生活に対 する付随的援助のための費用に供する (11 条 (3)). すなわち, 法定雇用率を上回っている使用 者への助成金, 法定雇用率を充足していなくても重度障害者を雇っているがために, 施設の整備 や特別な職業訓練に要する費用等に供すること, などが目的とされている. 重要なのは, 賦課金 の支払いによっても重度障害者の雇用義務は消滅されない (11 条 (1)), としている点にある(15). さらに, すべての雇用主に対して, つぎのような幾つかの義務が課せられている. すなわち, 割当雇用率を充足したか否かにかかわらず, あらゆる欠員勤務箇所を対象に重度障害者を任ずる に適するか否かを吟味し (14 条 (1)), 少なくとも最少限の割当義務勤務箇所 (6 パーセント) が障害者の健康と安全に関して適切であることを保証し (14 条 (3)), 重度障害者が最大限に潜 在能力を発揮できるよう, また, 社内で職業訓練を提供すべく (14 条 (2)), 義務づけられてい る. このように, ドイツのそれと対比した場合, イギリス割当雇用率制の制度的特徴は, 概ね以上 のごとくである. 割当雇用率制の実効性 では, イギリスの割当雇用率制は, 障害者の雇用の促進に大きく寄与したといえるか, その点, 評価は次のごとくである. 例えば, 割当雇用率を充足し得た雇用主は, 1984 年には 30.3 パーセ ントであったが 1993 年には 18.9 パーセントにまで減少してきたとされており(16), また, 1970
年代以降の政府側公式報告 (Department of Employment の調査 <1973―74>, Manpower Services Commission の調査 <1981―82 および 1985―86>, Employment Department Group の調査 <1990―91>) は, いずれも効果が上がっていない実態を明らかにしており, 制度の抜
本的修正あるいは全廃を含めた見直しの必要性を裏付ける格好の資料とされた(17). 1994 年に至
り, 公的評価委員会 (Public Accounts Committee) は, 割当雇用率制は効果的でなくかつ時代
遅れの制度であると, 結論したのである(18).
したがって, この制度は障害者側をも含めて不人気であり信頼性に欠け, 現行のままでは存続 する意義をもたない, とする点で意見の一致を見ていたといえる. その点ドイツにおいても, 5.9 パーセントを維持してきた割当雇用率充足度は, 1982 年以降は徐々にその効果を低め, 1992
年においては 4.3 パーセントにまで減少した. 雇用率のこのような減少は, 障害労働者自体の減 少にも起因しているとされるが, 何といっても 80 年代の経済不況の影響で地域格差が拡大した ことが, 主要な要因といわれている(19). 実効性確保の手段の形骸化 イギリスの場合は, 経済的な影響もさることながら, それとは別に実効性確保の手段, 運用等 にむしろ原因がある, との指摘がある. 割当雇用率の未充足にかかわる最後の起訴事案は 1975 年であったが, それまでに起訴された 総件数はわずか 10 件であり, 罰金額の総計は 434 ポンドに過ぎなかった. それは, 法上実効性 確保の手段として, 雇用大臣にのみ訴追権限が与えられていたことに不徹底さがあったこと, 雇 用主が法人組織の場合は 2,000 ポンド以下の罰金刑が上限とされていながらも, 実際に処せられ た罰金額は軽微に過ぎたこと, などが指摘されている(20). それに加え, 雇用主の雇用義務未充足 について争った弁護士はほとんどいなかった, という事情もある(21). そうした状況が, 割当雇用 率義務を必ずしも充足しなくてもよい, とする安易な企業意識を植え付けるのに大きく働いたと いわれている(22). 政府は, 割当雇用率制の実効性を促進すべく努力を惜しまないとして, 障害者雇用への理解と 協力を求める企業向け教育を強化するとともに, 新たな諸策の実施, すなわち, 低賃金障害労働 者 (1 週 16 時間労働) に対する支援策として障害労働手当 (Disability Working Allowance) による追加収入措置策, 施設整備費用にかかわる財政援助策 (5 年間にわたって, 21,000 ポンド) などの施策を打ち出し障害労働の促進を試みてもきた(23). だが実際には, 80 年代以降, 政府の基本姿勢は悪質な未充足に対してのみ訴追する方向に転 換しており, また, 法の趣旨に則して障害者に対すると同様雇用主に対しても厳格なスタンスを もって臨むとしていたが, 登録障害者の雇用率が十分に充足されていない状況を知りながら, 非 登録障害者の雇用を許す障害登録免除許可 (6 カ月間有効) を安易に発行し過ぎたきらいがあっ た. その結果, 雇用主は登録障害者を対象に 3 パーセントの雇用率を充足するよりも, 非登録障 害者を随時雇用する準備を事前にとりつけておく道筋を選ぶようになった(24), のである. 次に, 割当雇用率制の起点となる登録制は, 実際, 障害者からはどのように受け止められ, そ の効果は如何なるものであったのかが問題となる. 障害者登録制の不人気 割当雇用率制の起点となる障害者登録制には, うっかり登録しなかったったり, 故意に登録を 拒否したりすれば, 自らの不就労 (失業) を常態化するという意味合いが含まれている. 立法者 は, 障害者はすみやかに登録への途を選択するだろうと予測していたが, そうした自発的登録へ の期待は見事に翻された. 70 年代以降は徐々に登録者数が減少し, 90 年代の初期に至っては登 録に応じた障害者はついに労働人口の 1 パーセントに過ぎなくなった.
その要因は複雑であるが, 何といっても上述のごとき割当雇用率の未充足, 非障害者に対する 障害者の失業率の不均衡な高さ, および登録障害者に対する優先権ある仕事 (エレベーター係員, 駐車場係員) を追加し得なかったこと(25), あるいは, 法的強制力をバックにおいた適切な措置が とられていない上に, 非登録者にも就労の機会は皆無でないといつた認識が徐々に浸透していっ たこと, 障害者登録をすることはとりもなをさず 「ハンディキャップ」 を背負う者としてのレッ テルを貼られることでもあり, それが 「恥辱的」 と映るとともに求職に際して逆に不利に働くの ではないかといった否定的イメージを抱かせたこと, さらに障害の種類もしくは難度に関連づけ られた雇用枠組みが規定されていなかったこと, 等々が障害者をして心理的な混乱を招きあるい は登録に見合った利益や恩恵のなさを見抜かれ, それに対する信頼や期待感が薄れていったもの と思われるのである(26). 1950−86 年の間に, 障害登録者数は 93 万 6000 人から 38 万 9272 人に まで減少したといわれるが, この数字こそがこの間の事情を雄弁に物語っているといえよう(27). では次に, 実務担当者は何を重点において, 実際の業務運営に当たったのかが問題となる. 実務担当者の取り組み
実務担当者, 例えば障害者雇用アドバイザー (Disability Employment Advisers・以下 DEAs) および職業アセスメント・カンセリングチィーム (Placing Assessment and Counselling Teams・以下 PACTs) は, 障害者の就労先を斡旋しその他の助言を与え, 情報の提供さらには 財政的支援にかかわる業務を担当したが, 他方で, 雇用主が割り当てられた雇用率を充足し得て いるか否かをチェックし, その瑕疵について判断する実務上の監視責任も負っていた. 彼/彼女 らには雇用主との対応に目配りをし信頼関係を保ち, 障害者の就労が良好に維持されていくよう, 両者を鼓舞, 激励することが期待され, 同時に, 違反者が出た場合は訴追への証拠をかためる実 質的役割が担わされていた. しかし彼/彼女らは, 雇用主の雇用率未充足に対して厳格に対処するというよりも, 障害者へ の助言, 雇用主に対する説得, 激励などに力を注ぐことになった. 例えば, 常時 250 人以上の従 業員を雇用する企業は, 会計年度ごとに, 障害者の雇用に関する経営方針 (12 カ月間における 雇用継続の確認, 職業訓練へのアプローチ, 仕事に関する十分でかつ公平な配慮, 昇進など) に ついて報告する義務が会社法上定められていたのだが, 彼らはそれの徹底を雇用主に迫り得なかっ た(28). なかでも割当雇用率制が最も効果を上げ得なかった産業分野は, 障害者の生産性を期待しにく い農業分野においてであった. それは, 実質的強制力を伴わない点やドイツのように重度障害者 も適用対象者とする雇用枠組みが均等にとられていなかった点, さらに, 監視・監督といった取 締的業務と説得・激励といった信頼関係業務との峻別が, 制度上整序されていなかったこと, な どの要因が重なって実務担当者の業務を不徹底なものにした(29). といえる. 割当雇用率制がこのように運用されてきたなかで, 労働組合は如何なる方針の下に障害者の雇 用問題への取り組みを行っていたのか, つぎに解明しておかなければならない.
3 伝統的な労働組合主義と障害者の雇用
伝統的な労働組合主義と障害労働問題
TUC (Trades Union Congress) が, 中央執行委員会の助言の範囲内で障害労働問題に取り 組む方針を打ち立て, 障害者諮問委員会 (Disability Consultative Committee・以下 DCC) を 設置して障害者の代表を同委員会に招待したのは, 1985 年のことであった. DCC は, 障害労働 問題への取り組みを非障害者に委任したり非障害者を構成員に含まない方針の下に, 障害者独自 の自主的団体の結成を促した. TUC が, そうした障害者の自主的団体の結成へと動いた背景に は, つぎのような事情があった. その 1 つは, 非障害者の役員や組合員の多くは, 一般的に障害者をケアの対象者として捉えて おり, TUC の運動方針に障害労働問題をにわかに組み入れるのは難しいこと, その 2 は, 障害 者の内面的な事柄, すなわち, 権利能力の問題や社会的な被抑圧者グループ意識, 個々人のニー ズ・プライド・生活スタイルなどにおいて, 非障害者との間に大きな差異があること, その 3 は, 障害者自体の運動が未成熟であること, などの認識が組合内に混在しており, いまだ障害労働問 題に関して具体的方針を打ち出せなかったからである(30). こうした TUC の姿勢は, 障害者の眼には概ね次のように映っていたのである. すなわち, 労 働組合の主流部分は, 障害者を低賃金で労働市場に出入りする者と捉え, 作業能率の低い障害者 に優先して雇用の機会が与えられることを嫌悪し, 共通の市場賃金で競い合えるわずかな障害者 に門戸が開かれることを期待する傾向が強い, と. このことは, 障害の故に労働市場から閉め出 された者あるいは隔離された雇用の位置におかれている者, いまだリハビリテーション途上にあ る障害者等は, 市場から排除され易くてもやむを得ないとする雰囲気で占められている, と映っ ていた. したがって, 作業能率の低い障害者を排除する手段として, 非障害者が彼らに替わって 職に就ける余地を残す程度の雇用対策が嘱望され, 結局, 割当雇用率の未充足を克服する手だて を講ずるというよりも, 雇用主側と労働組合側とが生産利益の配分を第一義におく措置を同制度 に求めてきた, と映っていたことを意味する. DEAs および PACTs は, 障害者雇用の促進に向けた業務対応に努めてきたことは疑わないが, 他方で, 障害者が当てにした利益や名誉を真に満たし得るものであったかというと, そうではな く雇用主の期待する労働市場に耐え得る労働能力が常に強く意識されて, 労働市場への障害者の 参加人員を制約する機能を担ってきたという側面も, 否定できないことになる. それは, 正に上述トムリンソン委員会 (Tomlinson Committee) 報告の提起した枠組みが, 長年にわたって忠実に実施されてきたことに他ならない. もしそうだとすれば, 割当雇用率制は, 労働組合と雇用主側双方の利害関係に深く動機づけられた制度的運用がなされてきた(31), ことに なるのである.
障害者自主的組織の影響
さらに, 障害者の視点からは, ①TUC には障害者の組合員がほとんど在籍していなかったこ と, ②1980 年代に障害者の自主的組織 (Self-Organised Groups・以下 SOGs) を創設する際に も, TUC は必ずしも好意的でなかったこと, などの批判があった. それは TUC が, 非障害者 を中心とする団体として, 伝統的な労働組合主義に枠づけられた階級的思考の下で, 性・人種・ 民俗問題などと同様に, 「障害」 についても 「個人的」 問題として対処する方針で臨んできたか らである(32). 1980 年代の地方公務員全国協議会 (NALGO) や 1990 年代初期の公共部門組合 (UNISON) も秘密裏のうちに結成され, 障害者は女性, 黒人・人種, レスビアン・同性愛者などの組織との 相互連携の可能性を模索して, 例えば SOGs は全国・地方, 地域支部を有する 4 つの組織に統 合された. こうした障害者の自主的運動の広がりが, 治療と慈恵的な関与による従属的生涯から, 市民社会のメンバーとして自らの 「個性化」 と 「権利の主体者性」 に目覚める意識変革を障害者 相互間にもたらした. 障害故の隔離・保護の対象者といった経験的思考から, 市民社会を 「障害 者と非障害者に二極分化された社会」 と否定的に捉えるのではなく, 非障害者とは異なる必要性 を帯有した市民として再定義する方向にギヤチェンジされ始めたのである(33). 例えば, 障害者にとっては, 「医学上の事由」 により余剰人員とされ, 早期退職や失業に追い 込まれた経歴などがあって, 障害医療は時として障害者の労働能力を過小評価し, それが障害者 差別・隔離の正当性を根拠づける契機をなしてきた, との批判がないわけではない(34). 「医学上 の事由」 は, 健康上の障害の尺度を明示する点で整合性を有していたかも知れないが, それがそ のまま仕事の実行能力の評価を意味することにはならない, と映ったからである. 経済的不利益 性を克服するアプローチから, 新たな雇用・労働慣行が形成され, 根深い障害者差別意識や価値 観・風習に内在されている社会的障壁が除去されるならば, 障害者自身の 「チョイス」 と 「コン トロール」 により潜在能力はもっと生かされ得る(35), とされた. TUC の伝統的枠組みの維持を主張する主流グループからの排除論は, 依然として残存してい たけれども, NALGO の年次大会 (1985 年) や第 1 回障害者委員会 (1987 年) などを契機に他 の連帯組織との協力・支持関係は拡大された. こうした活動が TUC 内の対応にも反映され, 例 えば障害労働者代表の組合会議参加, 障害者と非障害者の双方からなる会議の立ち上げ, などに 具体化された. 障害労働者の側にも, TUC からの巨大な組織・財政力および政治力に依拠した 支援は, 欠かせない要素であったのである. この時期 (1990 年前後), 割当雇用率制の存否について障害者側からは, 20 人以上の従業員を 雇用する雇用主に対し, 法的強制力をバックに 3 パーセント以上の割当雇用を定律した制度, あ るいはドイツのような賦課金支払義務を課す制度, などへの改編が要請されていた. 同制度の頼 りなさについての論評は上述のごとく多数に上ったが, 廃止論は皆無であった. このことは, 障 害者側が全面廃止という強行手段に拠るのではなく, 就労への魅力や仕事に従事できる充実感を 得るべく, 現行制度の改編措置を追い求めていたことを意味している.
4 おわりに
障害者側は, 割当雇用率制が全廃されたことにより障害者登録をする必要性がなくなり, 同時 に雇用主側は, 3 パーセント雇用率充足の要請から解放されることになった. この間, 立法の動 きとしては 93 年に労働党議員 (ハリー・バーンズ) から議員立法として再提案された市民権法
案 (Civil Rights(Disabled Persons)Bill) が, 下院における激論の末に保守党政権により (5
年間で 170 億ポンドを必要とするという理由で) 阻まれ, 翌年, 廃案となった (91-2 年の類似 法案も廃案)(36). 障害者の側からは, 市民権法案の廃案は我々が我々自身を変革させる中休み時 間を, 障害運動に提供したに過ぎない(37), あるいは, 新自由主義下の経済成長が, この先一貫し て満足できるレベルを維持できない場合は, 根強い議論が復活し得る余地が残されており, より 大きな自立性を確立するためのバラエティーに富んだ就労機会, 仕事を探索し従事する満足感, などが無碍にされないようにしなければならない(38), など実践行動への呼びかけがあった. しかし保守党は, 同法案に対し党内からも強く支持する声があがった状況を目の当たりにして, 急ぎ代案として 「障害者差別禁止法案」 (Disability Discrimination Bill)」 を上程し, 成文化に 成功した. その法こそが 1995 年法であるが, 障害者側の 「ニーズ」からは, 市民権法案よりも遠 く距離を置いた法制度と認識されていることが, 窺えるのである. 障害者の 「ニーズ」 と 「財源」 との間の緊張関係の 1 つに, 性・人種等に対する差別問題と異 なり 「仕事の完成度」 や 「効率性」 などの問題がある. こうした避けて通れない問題と障害者の 雇用増 (特に重度障害者) の課題は(39), 1995 年法においてどのように整序されたのであろうか. 廃案となった市民権法案から成文化に成功した 1995 年法までの, 立法過程における議会審議を 検証して, 法の性格や意義および内容について解明するのが, 次稿以降の課題である. (注) 1995 年法に関する私なりの論評は, 「議会審議」 を十分に踏まえ次稿で論述する. 同法については, 鈴木隆 「イギリス一九九五年障害者差別禁止法の成立と障害者雇用 (一) 島大法学 四〇巻四号三九 頁以下, 同 (二・完) 同四一巻二号四九頁以下;内村令子 「1995 年障害者差別禁止法 (1995 年法律第 50 号) (仮訳)」 日本障害者雇用協会・障害者職業総合センター (1997) 125 頁以下;玉村公二彦 「世界 の障害者法」 障害者プランと現代の人権 (1996) 135 頁以下などがある. なお, 玉村は同法を 「障害 についての差別に関する法」 としているが, 本稿では一般的に用いられている名称に従った.
See CAROLINE GLENDINNG, Losing Ground : social policy and disabled people in Great Britain, 1980-90, Disability, & Handicap Society, Vol.6, No.1 (1991), p.7, なお, イギリスの割当 雇用率制は 1996 年に全廃された.
See MARK HYDE, Social Policy for Disabled People of Working Age in the United Kingdom in the 1990s, Disability & Society, Vol.15, No2(2000), p.328.
Op.cit., CAROLINE GLENDINNG, p.4 ; ibid., MARK HYDE, p.327, and p.339 は, この論争の過 程で障害者の意識および自信は急速に成長した, としている.
understand-ing of discourse and policy, Disability & Society, Vol.9, No.2 (1994), p.227 は, 「社会は非障害者 を基準にデザインされており, 公共交通機関をはじめあらゆるものが, その基準によりバリアが創られ ている. 障害者にとっては障壁が多すぎるのはそのが故であり, 非障害者と対等な立場で競争すること ができなくされている. したがって, 障害者個々人の動作に問題があるというよりも, 障害者を人工的 に抑制している環境にこそ問題がある. そうした意味で, 労働環境は障害があると見なされた者に対し ては, 障害領域の問題ということができる. 障害者の身体的特徴や伝統的建物の特徴に止まらず, 労働 時間, フレキシビリティー, 仕事への対応などを含む構造的な特徴や労働慣行が, ここでいう環境とい うことになる. 障害者個々人を単位とする内在的思考によるのではなく, むしろ構造的・外在的に捉え るべきであって, 障害を社会に適合させる方向で政策を立案するか, 障害者の個性や主体性を第一義的 視座においた政策を立案するか, 要するに, 今日の社会環境を肯定して, 障害を持つ個々人に焦点を当 てた視点に立つか, 社会によって創り出された障害に問題を置く視点に立つかが問われている」, とし ている. なお, 「社会的モデル」 の意義・概要に関しては, 小川喜道 イギリスの障害者福祉・障害者 のエンパワーメント (1998) p.142 以下参照.
see Lisa Waddington, Disability, Employment and the European Community, (1995) p.222. Op.cit., NEIL LUNT & PATNCIA THRNTON, p.222. ドイツのように明確な定めはないが公共部
門の雇用率も民間のそれに準じ 3 パーセントとされていた. Op.cit., CAROLINE GLENDINNG, p.6.
Transition from War to Peace, Part X, Recommendation 43 (1) 「身体障害者に対しその労働能力 を基礎として均等の雇用の機会を確保するため特別の措置を講じなければならない. 使用者に対しては 広く公示し, その他の方法により, あるいは必要な場合にはこれを強制して, 障害労働者の合理的割当 雇用を奨励しなければならない.」 同 (2) 「とりわけ, 重度障害労働者の雇用に適するある種の職業に おいては, かかる労働者はその他のすべての労働者に対し優先権を与えられなければならない」. Op.cit., NEIL LUNT & PATNCIA THRNTON, p.223 ; Disabled Persons (Designated
Employments) Order 1946, S.R.&.O. (1946) No.236 ; 7 Halsbury's Statutory Instruments, title Employment (Part 5)). ドイツの割当雇用率制は, 最も古く第一次大戦後に制度化され第二次大戦後に復活, 1953 年改正 (Schwerbeschadigtengesetz) は, 戦争障害者と労災による障害者を適用対象者とし, 公共事業主, 銀 行および保険事業主に対して 10 パーセント, 民間企業主に対して 6 パーセントの割当雇用率を, 6 以上 の割当勤務箇所を有するすべての使用者に課した. 1961 年の改正では, 従来の割当勤務箇所を縮小し (9 以上の割当勤務箇所を有する公共事業主および 15 以上のそれを有する民間企業主に対し), 6 パーセ ントの割当雇用率を設定して, 稼得能力の喪失の程度 (MdE) 50 以上の重度障害者でかつ戦争障害者 と労災による障害者を適用対象者とした. その後, 73 年の改正 (Schwerbehindertergesetz) で 稼得能 力の喪失程度50 以上のすべての障害者 (身体・精神・知的障害) に適用拡大され, 85 年, 86 年の改正 (稼働能力の喪の程度 (MdE) を障害の程度 (GdB) に変更) を経て今日に至っている. ドイツの重度障害者法についての比較法的および関連法規とかかわる事項などについて, 全体的かつ 詳細に検討したものに, 松林和夫 「ドイツ重度障害者法の比較法的検討」 岡山大学法学会雑誌 第四 八巻三・四号 (1999), 353-392 頁がある. また, 内村令子 「西ドイツにおける重度障害者法の改正 (1986) (仮訳)」, 国立職業リハビリテーションセンター紀要 , No.3 (1986) がある. Op.cit., Waddington L, p.231. Arbeitsplatz (7 条) について, 勤務箇所 (松林) あるいは職位 (内村), さらに, Workplace (Waddington L) などと理解が分かれているが, ここでは 「労務者, 職員, 官吏, 裁判官……などす べての Stelle をいう」 とされているので, Stelle を 「勤め口」 と解し一応 「勤務箇所」 として理解する. Op.cit., NEIL LUNT & PATNCIA THRNTON, p.229.
See Jeremy Cooper and Stuart Vernon, Disability and the Law, (1996) p.122 は, 1988 年の政 府の公式発表でさえ, 1986 年においては 3 パーセント率を充足し得た企業主は 27 パーセントで, 実に
56 パーセントの企 業 主が障 害 登 録 免 除 許 可による雇 用を行っていたとしている. また, op.cit., CAROLINE GLENDINNG, p.6 は, 大戦後には必要な労働力と見なされていたが, 1970 年代末には割 当率の未充足企業は三分の二におび, 割当率をまったく無視する企業も少なくなかった. 80 年代末, 公 共部門でさえ 3 パーセントを満たしておらず, 中央政府部門においては 1.4 パーセントが登録障害者に 過ぎなかった, としている. Op.cit., Waddington L, p.223.
Op.cit., Jeremy Cooper and Stuart Vernon, p.123. なお, その充足度の低さについては下院でも取 り上げられた (House of Commons ; Ian Paisely・1994.4.29 など).
Op.cit., Waddington L, p.232. Ibid., Waddington L, p.224.
Op.cit., Jeremy Cooper and Stuart Vernon, p.123. Ibid., Jeremy Cooper and Stuart Vernon, p.122.
Op.cit., CAROLINE GLENDINNG, p.7 は, 結果的にはめぼしい効果を上げることはできなかった, としている.
Op.cit., Waddington L, p.224.
Op.cit., Jeremy Cooper and Stuart Vernon, p.123.
See COLIN, JOHN WHITMORE, ANTI-DISCRIMINATION LAW IN BRITAIN, (1996) p.13 ; op.cit., Waddington L, p.226.
Op.cit., Jeremy Cooper and Stuart Vernon, p.123 も, 障害労働者は, 障害者として登録をするこ とに誰もが気が重かった, それは, 己の羞恥を公にさらすようなものだという気持を拭えなかったから だ, としている.
Ibid., p.125, Companies Act 1985 Schedule 7 Para. 9, s.234. Op.cit., Waddington L, p.226.
See JILL C. HUMPREY Self-organise and Survive : disabled people in the British trade union movement, Disability & Society, Vol.13, No.4 (1998), p.590.
Op.cit., Waddington L, p.228. Op.cit., JILL C. HUMPREY, p.587.
See Fran Branfield, The Disability Movement : a movement of disabled people-a response to P aul S.Duckett, Disability & Society, Vol.14, No.3 (1999), p.399.
Op.cit., NEIL LUNT & PATNCIA THRNTON, p.226.
See MARK HYDE. Social Policy for Disabled People of Working Age in the United Kingdom in the 1990s, Disability Society, Vol.15, No.2 (2000), p.338.
See Douglas Crump, David Pugsley Contract of Employment, (1997) p.144 は, 1982―94 年の 間に下院議員から 17 回も法案の提出が試みられたが, いずれも廃案となったとしている. op.cit., COLIN, JOHN WHITMORE, p.14. なお,前掲鈴木(一) 42∼3 頁, 障害者のプランと現代の人権 玉 村執筆部分 135 頁も廃案の事情について述べている.
See COLIN BARNES & MIKE OLIVER, Disability Right : rhetoric and reality in UK, Disability Society, Vol.10, No.1 (1996), p.111.
Op.cit., MARK HYDE, p.339.
Op.cit., COLIN BARNES & MIKE OLIVER, p.111 は, 「障害者の市民権確立運動は, 立法闘争の 域を超え政治闘争領域の問題となり, それは研究意欲の昂揚, 直接的な実践行動, 民主的で責任ある組 織の構築を必要としている」 としている.