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宮田さんと「PASS」のこと

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日本福祉大学社会福祉論集 追悼号 2012 年 6 月

はじめに

私が日本福祉大学へ着任したとき, 宮田さんはすでにその前年の 1968 年に着任されており, 大学の教員としては, 私の先輩にあたります. それ以後, 私の在職中の 30 年間は, 同じ社会福 祉学部所属の同僚としておつき合いいただいたのですが, なかでも名古屋の杁中から美浜への大 学移転時には, 運営委員会のなかで, ご一緒に教務部長という重責を担っていただいたことを忘 れることができません. また宮田さんは, そのあとしばらくして大病をされますが, 病後あまり 間をおかないで, 学長職に就かれました. そしてその持ち前の忍耐心と誠実さとで, 大学の運営 の困難な局面を乗り切り, その職責を立派に果たされました. 大学の同僚としてはもちろん, 学 生時代からのさらに古い友人として見ても, そこに宮田さんの人間的な偉さというものをあらた めて確認させられることになりました. 宮田さんにとっては, 当然の付託にこたえられただけのことであったのでしょうが, そうあら ざるをえなかった事情もふくめて, やはり体の上での無理があったのではないでしょうか. 個人 的には, その心配を直接に申しあげたこともありましたが, いまとなっては詮のないことです. ただ宮田さんが課題とされていた 21 世紀の社会福祉理論の再構築という大きな課題については, 果たしていただかなければならないことが, まだまだ多かったはずではないかと, 専門外の友人 として, 宮田さんの心中を推測するにとどめるほかはありません. 2010 年 6 月 6 日, 日本福祉大学で, 「故宮田和明前学長を偲ぶ会」 の場でいただいた経歴によ りますと, 宮田さんが, 経済学と社会福祉学との二つの異なった分野で博士の学位を取っておら れたこと, 数多くの著書や論文などの研究上の業績と並んで, 日本社会福祉教育学会会長などい くつかの学会で役職を務め, 県を越えて全国レヴェルでの各種福祉行政の委員会や部会でも広く 活動されてきたことが記録されています. このことは, 宮田さんの学問的な達成が, 日本福祉大 学の枠を越えて, 大きな転換期を迎えているわが国の社会福祉そのものの歴史的な課題にどんな に深くかかわるものであったのかを, 充分に示して余りあるものでしょう. 宮田さんのこうした学問的な達成やその専門分野における実践的な貢献については, それを語 るのに然るべき方がいらっしゃるに違いありません. ここで私が振り返っておきたいのは, ほと

宮田さんと 「PASS」 のこと

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んど外部には知られていない私たちのマイナーな研究会 「PASS」 「社会福祉哲学研究会 Philosophical Association of Social-welfare Studies」 のなかで, わたしたちにとって宮田 さんに果たしていただいたかけがえのない理論的な役割のことです. とりわけ当日の会場で配布 された, 宮田さんが学長職として最後に講演された記録 「第 2 回 提携社会福祉サミット」 基調 報告 「再編期の社会福祉−動向と課題−」 は, 「PASS」 に関わった者たちへの遺言であったよ うに思われるのです.

「社会福祉哲学研究会 PASS」 の発足

順序としては, 先ず, 「社会福祉哲学研究会 PASS」 (以下 「PASS」 と略記) のことに少し触 れておかなければなりません. 「PASS」 は, 社会福祉学部の私のゼミナールでヘーゲル 法哲 学 を読んでいた学生を中心に, 社会福祉の人間論的な基礎となる哲学を考える研究会をもつこ とになって, 1987 年 8 月, 私のゼミに出入りしていた福祉学部や経済学部の学生・院生の 10 名 足らずで発足した小さな研究会でした. その名称は, 他の大学で英語学を専攻にしていたことの ある院生の意見に沿って, 略称としても語呂がよく, しかも問題意識が出ている名前にしようと 言うことで, 決まったものでしたが, 後から考えても, なかなか適切なネーミングだったと思い ます. ここでヘーゲル 法哲学 がきっかけになっているのは, その構想が, 家族・市民社会・国家 を人間社会の基本的な成層として, 国民国家の世界史的な展開の中に, 人間の人間らしい 「自由」 と 「権利」 の全面化と, 個人の 「自由」 と人類社会の 「自由」 との一体的な達成を展望しようと いう大きな展望に立ったものなので, 大きな世界史的な転換点のもとにある私たちの 21 世紀を 迎える局面で, あらためて福祉の哲学を構想する可能性を考える上で, 示唆されるところがいろ いろあったからです. その哲学的な構想は, 古代ギリシャの都市共和国の 「正義」 の理念や, 近 代の 「自然法」 的社会契約論, そしてフランス革命のなかで成立する人民主権概念や近代的人権 論, さらには戦後のヨーロッパの 「福祉国家」 や 「社会国家」 にいたる 「社会権」 といった一連 の思想的系譜につながるわけですから, その現実的な意味を問うということになれば, その関心 は, 当然に現実の世界における 「福祉国家」 の現状に焦点の一つをもつことになります. 折しも, 1980 年代に入って, 国際的には, サッチャーリズムとレーガノミックスの登場によっ て, 「新自由主義」 の嵐が先進資本主義諸国に吹きまくっていました. イギリスのケインズ主義 的な 「福祉国家」 には, 公・民のミックス型化・多元主義化の修正論議が公然化していましたし, 「社会主義」 体制の基軸であるソ連・東欧圏の諸国には, 「強いアメリカ」 の軍事的・経済的圧力 に押しまくられて, その経済的発展の立ち後れや, 民族的・社会的な動揺や亀裂が目立ちはじめ ていました. ヨーロッパ大陸の先進諸国でも, EU が民族国家の枠を越えた共同市場の形成へ向 かう一方で, NATO を通してのアメリカの核システムへの組み入れも進み, イギリスとアメリ カの新自由主義同盟の前に, ドイツ, イタリアなどの独自な 「社会国家」 体制のうちにも, さま

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ざまな規制緩和が導入されて, 労働・生活・教育などの社会的な諸権利におけるさまざまな後退 現象が生み出されるようになっていました. ひるがえってわが国の場合には, アメリカ型 「新自由主義」 の導入は, きわめて露骨な形を取 ろうとしていました. 1981 年に, 日経連の土光会長が第二臨調の会長に就き, 「増税によらない 財政再建」 のために, 「中央・地方を通じての行政改革」 をスローガンにして, 3 K (コメ, 国 鉄, 健康保険) 赤字の解消, 特殊法人の民営化, 民間活力の活用を提唱しました. 三公社五現業 の分割民営化による労働組合の骨抜きと弱体化, 地方公務員・国家公務員の生涯賃金に対する抑 制, 農産物の輸入自由化, 社会保障予算の圧縮などによって, 低賃金・輸出加工型の大企業中心 の国家に日本をつくりかえるという国家改革案が提起されますが, その課題を引き継いだのが, 82 年に成立した中曽根内閣でした. 中曽根内閣は, 「戦後政治の総決算」, 「日米両国の運命共同 体」, 日本の 「不沈空母化」 という対米従属の軍事化路線を公然化し, 「靖国参拝」・「天皇」 の元 首化・「首相権限」 の大統領化などの露骨な反憲法的な言辞で国民を恫喝しながら, 第二臨調の 方針に沿って, 国鉄を民営化するなど, 「規制の緩和」 と 「民間活力の活用」 という大企業中心 の路線を推し進め, 農業・林業などの日本の基礎的な産業部門から 「社会保障」 にいたるまで, あらゆるところに 「市場原理」 を徹底させることで, 戦後政治に課せられた国民に対する 「国家 責任」 を解除する道を歩きはじめました. この中曽根内閣は, 都市化に伴う公害対策や福祉政策 を充実させてきた 「革新自治体」 に対して, 激しい敵意を剥き出しにしてそれを潰しにかかった のはいうまでもありませんでした.

1990 年, 海部内閣がアメリカの父ブッシュ政権と 「日米構造協議 Structual Impediments Ini-tiative」 を取り結んだことによって, 日本のアメリカ型 「新自由主義」 路線への従属は決定的な 形をとりました. その 「日米構造協議」 の場では, 円高ドル安の状態にありながら, アメリカの 対日赤字が膨らむ要因は, 「非関税障壁」 によって囲われた日本の市場の閉鎖性にあるとして, 輸出につながる産業分野ではなく, 公共分野に対して日本の GNP の 10%を投資するように, ア メリカが要求し, 海部内閣は, 10 年間で総額 430 兆円の 「公共投資基本計画」 を決定したので す. 94 年の村山内閣は, さらにそれに 200 兆円を積み増しした総額 630 兆円の巨費を投じて, 国内各地に不要不急の公共施設づくりが推し進められましたが, これが今日のわが国の財政難の 遠因となりました. 現在, わが国の 「社会保障財源」 の不足や, 「高齢者福祉」 の過重な財政負 担を言うとき, この 「日米構造協議」 のことが遂に問題にならないのは, まったく奇妙なことだ と言わなければなりません. 1980 年代以来のわが国の 「新自由主義」 路線は, 21 世紀に入ってからの 6 年間, 小泉自公政 権のもと, 「聖域」 なき 「構造改革」 路線として全面的な展開の時期を迎えます. バブルの後遺 症であった不良債権の処理を推し進めて, 輸出型の大企業, 銀行の業績は回復しますが, 中小企 業は大量の倒産に追い込まれました. 労働者派遣法が改悪されて, 製造業にまで許されるように なったこともあり, リストラの横行, 派遣切り・ネットカフェ難民が激増し, 貧困と格差が際限 もなく拡大するようになりました. 社会保障も公的責任を国民の自己責任に転嫁する方針がとら

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れ, 自然増分予算から当初 3000 億円, 以後は毎年 2200 億円削減され, 医療では医師数の抑制, 国保保険証取り上げによる 「医療崩壊」 が問題化しますし, 生活保護の老齢加算廃止や介護保険 料の天引きが行なわれます. 郵政民営化と共に, 図書館・博物館にも営利化が要求され, 市民生 活における公共的サービスの質的な低下がもたらされました. 小泉内閣の 「新自由主義」 路線が 国民にとって何であったかを端的に示しているのは, 1998 年に 3 万人を越えるようになったわ が国の年間自殺者が, 小泉内閣の 6 年間を通して高止まりをしたままで, 2011 年までの 14 年間, その後も減少することなく続いているという残酷な事実です, 2008 年秋にアメリカ発の 「リーマンショック」 の衝撃が日本を直撃し, 小泉政権を引き継い だ安倍・麻生の両政権は, 小泉改革の 「構造改革」 のもたらした諸結果に無策であることを露呈, 09 年には, 短命なまま, 民主党政権にその座を譲りわたすことになりました. アメリカにオバ マ政権が成立したことを背景にして, 日本でも, 民主党がはじめて政権の座に就いたのですが, ブッシュ政権に変わったオバマ政権が前政権の 「新自由主義」 路線の基調を克服できないでいる のと同様, 日本の民主党政権も, 「国民第一」 で 「社会福祉」 を基調にした 「マニュフェスト」 の公約をつぎつきに投げ捨てて, 前与党との 「大連立」 に踏み込む可能性も出ています. その帰 趨を占う上で, この 2011 年 3 月の東日本の未曾有の大震災・巨大津波と原発事故は, 民主党が はたして党首を入れ替えることで, 従来の路線に取り憑いている 「新自由主義」 の夢魔を払って, 国民本位の姿勢に立つことができるか否かを試す試金石になっています. いささか立ち入りすぎたかも知れませんが, 前世紀末から現在にいたるまでのこの 30 年の政 治的・社会的な経過を振り返ってみますと, この時期は, 大変な時期でした. わが国の 「社会保 障・社会福祉」 の政策については, 「西欧型福祉国家」 に批判的な 「日本型福祉社会」 構想が提 起され, 国家責任の解除と地方自治体への責任転化, 市場原理と競争促進, 国民負担と保険主義 との徹底, 規制緩和による権利保護の劣等処遇化と自己責任化, さらには分野別・年代別に分断 する差別化が一貫して時の政権によって推進され, 「社会保障・社会福祉」 の権利的一体性が多 様性の外見の下で, 根本的な崩壊の危機に直面していく時期に重なっていた, といえるようです. そして私たちが 「PASS」 の活動を始めたのも, ちょうどまたこのような時期の始まりに重なっ ていたのでした. いまでこそこのような大状況の認識を語ることができるのですが, 発足当時の 「PASS」 は, 大学の理念や, 大学の教育の中でおこなわれている社会福祉の一般的な教育によって, 日本の社 会福祉政策の個別的な課題や問題点, 基礎的な諸理論については, 一通りの理解はもっていたも のの, その総体的な状況認識と歴史的な動向を押さえるという点では, 文字通りに手探りの状態 で, 私たちの主体的な力量には, 何といっても手には余るところがありました. そんな時に, 宮 田さんの力を借りることができたのは, たいへん幸せなことでした. 宮田さんを大学院での指導 教員にお願いしていた院生の伝手や, 私自身が個人的にも旧知の関係にあったこともあって, ご く初めの段階から, 宮田さんは私たち 「PASS」 の運動にとって信頼できる相談相手になってい ただいていて, しだいに何時しか欠くことのできない中心的な存在になってゆきました. 宮田さ

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んは, 経済学の研究者として出発していましたから, まさしく 「日米構造協議」 段階での社会福 祉の問題に切り込むのに, 格好の条件をそなえていたのです. 「PASS」 の記録を振り返ってみ ると, 会を発足させた 1987 年からそれを閉じる 2002 年までに, 泊まり込みの場合が多かったの ですが, 研究会を 38 回もっていて (文末の付録:〈「PASS」 研究会の歩み〉を参照), そのうち の 8 回に, しかも要所々々で, 宮田さんの報告をうけていました. 「障害者の人間らしい生活をめざして」 (89/ 7) 「社会福祉行政の動向」 (92/8) 「21 世紀福祉ヴィジョンをどう読むか」 (95/ 1) 「社会保障/社会福祉の将来像」 (96/8) 「公的介護保険のあらましと問題点」 (97/8) 「基礎構造改革と社会福祉の原理的転換」 (99/1) 「 厚生白書 に読む行政の方向」 (2000/9) 「介護保険一年 全国的な状況から」 (2001/10) (この他に, 2002 年 3 月, 最後の 「PASS」 の研究会となった閉会の場で, 宮田さんはシン ポジウム 「わが国の社会福祉の課題と展望」 のコーディネーターを務めています.) 上に挙げた宮田さんの研究会報告からも分かりますように, 宮田さんにははやくも 1989 年, 「PASS」 の発足後二年目から活動の方向についての重要な問題提起をしていただいております. その報告の基調を追いますと, 20 世紀から 21 世紀への世紀の転換をはさんで, わが国の社会福 祉行政の動向に狙いが定められていて, 「21 世紀福祉ヴィジョン」 なるものが, そのうちに重要 な契機として 「介護保険」 を組み込みながら, 新自由主義型の 「基礎構造改革」 の一環として, 「社会福祉の原理的転換」 をおこなっていこうとしている道筋を明らかにしようとされているこ とが分かります. こうした一連の報告を追ってみて, 私たちの 「PASS」 は, 「社会福祉の原理 的転換」 のいくつかの局面を, 宮田さんのお陰で, いわばその現在進行形の状態において明らか にしていただいていたことを, 改めて有難く確認させられるのでした.

「PASS」 の残したもの

手探りのようにして始まった 「PASS」 は, 宮田さんのおかげで大きな方向づけを与えられた ほかに, 学内の先生方にも数多くのご指導やご協力をいただくことができました. 当時福祉大学 にご在任であった坂寄俊雄先生からは, おりしも 「世界人権宣言」 の 40 周年ということで, 日 本国憲法とを結びつけている 「社会権」 的規定の重要さを教えていただいた他, 財政的なご援助 もいただいていました. 長宏先生からは, 直接間接に 「朝日訴訟」, さらには堀木訴訟などの運 動論的教訓を学びながら, 私たちの立場の社会福祉権理論的な柱のようなものをしだいにはっき りさせてゆきました. また高島進先生のいわゆる 「三段階論」 や, 山口幸男先生の 「司法福祉」 という新しい考え方, 高橋智先生の 「障害」 概念の新研究, 「エンゼルプラン」 では垣内國光先

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生などの他, 武田宏先生にも研究会のご報告をお願いして, 日本の社会福祉の幾つもの可能性を 探ることもできましたし, 大木一訓先生や今井証三先生からは, 労働者問題や憲法問題について お教えいただきました. また医療協の加藤孝夫さん, 当時研究生だった小久保奈緒美さん, 福祉 関係図書の出版に携わっていた久保則之さんなど, 日本福祉大学の卒業生の皆さんのご協力もあ りました. 研究者の方のお力添えは, 学内ばかりではありませんでした. 学外の方では, 思春期のもつ人 間形成の諸問題を取り上げた山科三郎先生や深谷作先生, バイオエシックス問題での松本歯科 大学の倉持武先生, 浜松医科大学の森下直貴先生, 「障害者」 と 「平等」 をめぐる人権問題での 岐阜大学の竹内章郎先生など, 当時の学会レヴェルでも最新の報告をお願いできたことも忘れる ことはできません. カソリックのイタリア人宣教師のピーノ・三木さんからは, 新自由主義と国 際化に揺さぶられ始めたイタリアのミラノの地域福祉について, またデンマークに留学した名古 屋大学の小池直人先生からは小国ながら独自に発展した北欧型福祉国家について, それぞれに興 味深い視点からの報告もいただけました. ヨーロッパといえば, 精神障害問題での国際的なメッ カはイタリアのトリエステですが, 現在は淑徳大学の福祉学部長を務めていらっしゃる伊藤直樹 先生や, 当時日本福祉大学にいらっしゃった水野信義先生などとご一緒に, 日本福祉大学の課題 研究費を受けて, トリエステ精神保健局のデ・ラックア先生をお招きして, 大学でその講演授業 をもったこともありました. デ・ラックア先生のご要望で愛知県内の或る精神病院を見学したと き, 日本にはまだ閉鎖病棟があり, 拘束衣が用いられていることを知ったバザーリア派直系の先 生が, まるで古い悪夢でも見せられたかのような驚きの表情をあらわされたことを, いまでもはっ きりと思い出します (そういえば, この 2011 年 9 月, ミラノの精神障害者の生協活動を主題に したイタリア映画 「人生, ここにあり」 が名古屋でも上映され, 久しぶりに 「180 号法」 とかバ ザーリアとかという言葉を懐しく耳にすることができました). 「PASS」 の研究会で何よりも心強かったのは, 日本福祉大学の学生時代に 「朝日訴訟」 や伊 勢湾台風でのセッツルメントの運動体験を持ち, 「革新自治体」 の成立期に全国各地の福祉現場 で実績と体験を積んできた卒業生の皆さんが, 「PASS」 の運動につぎつぎと参加していただけ たことでした. 何と言っても日本福祉大学は, 日本での社会福祉運動と結びついた学問的伝統を もつことでは, 当時は他に類のない大学であったのです. 高齢化問題や障害者問題に先駆的に現 場で取り組んでいた鳥取社協の牛田昭さん, 地域にしっかり根をおろしている岸和田のいずみ野 福祉会の板原克介さんからは, 何時も刺激的な報告や示唆が出されました. 児童虐待問題では当 時福岡の児童相談所にいた下村英作さんが現場の声を, さらには児童自立援助施設で仕事をして いた舟橋精一さん, アイヌ民族や部落差別を取り上げた千代田短大の山本敏貢さん, ハンセン病 の国家責任を問題にした吉田シヅカさんなどに, それぞれの立場から, 多くの問題状況やさまざ まな教訓を語っていただけました. 長先生門下で, 堀木訴訟に関わり, 福祉形成論の視点から日 本の社会福祉の構想を追求する仏教大学の鈴木勉さんからは, 生活協同組合などにおける福祉協 同の運動の視点から, 問題提起をしてもらいました. また 「阪神・淡路大震災」 に関わって, 直

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接の被災者でもあり, 兵庫県民医連の事務局長の立場で事にあたられていた丹謙次さんからの 生々しい報告もいただいています. その他, 国保・国民年金・税金の問題についての愛商連会長の太田義郎さん, 設楽で新しい活 動の拠点作りを始めていたゆたか作業所の鈴木清覚さんや, 介護保険でかえって高齢者の福祉処 遇が悪化することを問題にしておられる愛障協の会長の宮田鈴枝さんなどのご参加もありました し, また家族で介護するうえでの貴重な体験を語ってくださった高校教師の豊島和夫さんは, 後 にその記録を本にまとめられました. その他に, 「PASS」 の研究会で特徴的であったのは, サッチャーリズム, レーガノミックス という名で喧伝され, 中曽根内閣の 「戦後総決算」 論と日経連 「日本型経営」 論とによって日本 の政治と社会に本格的に導入されることになった 「新自由主義」 路線に対しては, 最初から批判 的でした. 機関紙 PASS の第一号 (1987/7) に, 私自身も 「社会福祉研究の学際性と福祉 の哲学」 という小文のなかで, 次のように書いていました. 「いわゆる 日本型福祉社会 論の名のもとで, 新古典派的な自由主義市場論が社会福祉・社 会保障の場に持ち込まれていることは, レーガノミックスへの無批判的追随ということのほかに, あらためて社会福祉と経済学との密接な関係を立証するものでした.」 (「全体的な人間のことと しての福祉」, 2∼3 ページ) この論点にかかわって大きな役割を果たしたのは, トヨタの労働の現場を研究対象にしていた 山下東彦さんでした. 山下さんは, 「PASS」 の第一論集に, 「総合企業福祉と国民分断」 で, 大 企業では 「総合的企業福祉」 によって労働者の生活過程が丸ごとに企業への包摂と依存を強める 手段になっていることを明らかにしていたのですが, 第二論集には, 1995 年の日経連の報告 「新時代の 日本的経営 」 において, そのような企業福祉が, もっぱら 「長期蓄積能力活用型」 の労働者グループにだけ適用され, 「高度専門能力活用型」 という名の特定技能だけを利用する 「派遣労働者」 グループや, 「雇用柔軟型」 という名の定型業務や販売などのパート労働者などを 「企業福祉」 の枠から括り出し, 労働者のうちに格差と分断をもちこむ手段となってしまってい ることを明らかにしています. もちろんこのような 「格差化」 が完成するなら, その 「企業福祉」 はご用済みとして次第に切り捨てられていったことは, 橘木俊詔 企業福祉の終焉 (中公新書) を待つまでもなく, その後の実績が示しているとおりです. こうして 「自由競争市場」 の結果責 任を国民の自己責任に転嫁しつづける新自由主義的な 「新時代」 の 「日本的経営」 の帰結が, 21 世紀に入って, 日本の 「新しい貧困」 を現出させることになり, そのもっている意味について宮 田さんが言及することになるのですが, それは後に回すことにします. 「PASS」 で, この雇用と社会福祉の問題について早くから注目していたのは, 当時は国際労 連のあったチェコから帰ったばかりの藤好重泰さん (現在は建交労委員長) でした. ヨーロッパ の労働運動の修羅場を踏んできたこの元学生自治会書記長は, 発達した資本主義の国においての 社会福祉・社会保障視点の大事なポイントとしては, 「法の遵守 Compliance」 は当然として, もっと 「企業の社会的責任」 (CSR:Corporate Social Responcibility) という国連レヴェルの

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視点の重要性を教えてくれました. 福島の原発事故を経験している現在, ステークホルダー (stakeholder) として, 企業への利害関係者だけではなく, 企業の活動空間である地域や国民を 位置づけるべきだという指摘は, いまになっていっそう重要性を増しているように思えます. 「PASS」 に関係したあれこれの人の顔を思い出すと, 話が長くなってしまうのですが, とい うことは, 「PASS」 には, 大学の内外に広がった多彩な人脈が広がっていったということでし た. いわば自然発生的にできた研究会ですので, 会には規約のようなものはなく, 夏休みと春休 みに合宿して二日がかりの研究会をもつほかに, 当日限りの研究会を二, 三ヶ月間をおいて年に 2 回ほど開くこと, 行きがかり上は言い出しっぺの一人である福田が名目的に会の代表を務める こと, 福田の大学研究室を会の事務局の名宛人とすることなどして, 組織の体裁を整えました. 研究会の案内を兼ねて機関紙の印刷と発行が必要でしたので, 宮田さんを大学院の指導教員にお 願いしていた中原三郎さんが実務の中心になり, 福田ゼミ所属の学生や経済学部のボランティア に応援を頼んだりしました. 発足して間もなく, 次第に会員も増え, 機関紙の PASS も常時 100 部を超えるようになると, 事務局体制が大変になるのですが, 体制は基本的にはそのまま. そのため研究の報告も引き受けていただくこともあった中原さんには, ずいぶんご苦労をおかけ したことになります. もっとも会員が増え, 研究会が恒常化しましたので, 大学の方にもお願いをして, 名古屋の伏 見の青年会館を会場として利用できる研究団体に登録していただけることになったのは, 有難い ことでした. こうして, 1887 年に始まった 「PASS」 は, 2002 年 3 月, 懸案の介護保険が実際に施行され たばかりのところで, 福田の大学退任の時を迎えたため, 足かけ 15 年におよんだその活動を閉 じることになりました. ついでながら, 私個人としての 「PASS」 で学んだ最大の成果は, 現代 哲学の中心的な課題として 「いのち」 と平仮名書きできる人間論的な主題を提起することができ たことにある, と考えています. (拙著 「いのち」 の人間学 青木書店, 1998 年参照.) この間に開いた 「PASS」 の研究会は, 先に述べましたように泊まり込みでのやや大がかりな 合宿形式のものと, 当日限りのものとがありますが, 記録を繰ってみますと, 最後の終会のとき の研究会まで, 通算して 38 回の数を重ねました. その研究会で報告者やパネリストになってい ただけた方は, 延べ数で 99 人. 発行した機関紙 PASS は, 年に 2∼3 回の発行で, B 3 版に 2 ページで表裏に印刷し, 多いときには 60 ページを越す大部のものになる場合もありましたが, 平均して 20∼30 ページのものを, 終刊号を含めて 41 号出しています. また 「PASS」 の会として, 論文集を二冊出しています. 第一冊が, 社会福祉の人間的原理 現代福祉を哲学する 文理閣, 1990 年. 第二冊が, 転換の時代の社会福祉 日本の論点・イタリアの経験 文理閣, 1996 年. このいずれもが, 宮田さんと福田が編者となっていて, それぞれに論文を寄せていますが, 第 一冊目の宮田さんの論文 「社会福祉の危機の構造 社会保障・社会福祉政策の展開とその論理 の検討を中心に」, および第二冊目の論文 「社会保障制度 再構築 の方向と課題」 は, のちに

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宮田さんの論集 現代日本社会福祉政策論 (ミネルヴァ書房, 1996 年) の第一部の第一章に, 前者が 「社会福祉政策の展開」 と改題されて, また第一部を締めくくる第五章には, 後者が同じ 題名で, 収録されています. こうして宮田さんは, 1960 年代から 90 年代半ばまでのわが国の 「社会保障・社会福祉政策」 の動向を検討して, 「今日の 福祉の危機 のもつ意味」 を明らかに しようとした自分の論集の第一部を, いわば 「PASS」 の論議を潜らせた形でまとめていること になりますし, 逆にいえば私たちの 「PASS」 の運動の基調は, 宮田さんのこの第一部のなかに 表現されている, と言えることになりましょう.

宮田さんの 「第 2 回提携サミット」 報告

宮田さんの論集 現代日本社会福祉政策論 と 「PASS」 の運動とのそうした連関を念頭にお いてみると, 2010 年の 6 月 6 日の 「故宮田和明前学長を偲ぶ会」 で配布された 2009 年 2 月の 「第 2 回提携社会福祉法人サミット」 での宮田さん基調報告 「再編期の社会福祉−動向と課題−」 は, 「PASS」 にとっても, また私個人にとっても, 大きな意味をもつことになりました. この 基調報告は, 「故人が学長職として最後に講演された内容を収録した」 ものとして, 故人の業績 を記念するために配慮された資料でしたが, 「PASS」 の関係者としては, そこに 「PASS」 の運 動が存続していれば体験することになったはずのその後の日本の 「社会福祉政策」 の展開が総括 されているように思えました. またその報告は, 「社会福祉法人の役割と経営・運営について」 という全体的な方向性を示すものとされていることからしますと, 大学退職後に, 不肖ながら名 古屋の零細社会福祉法人の理事長の立場にある私にとっては, 福祉の現場でこの間に解決をせま られている諸課題を再確認させられることにもなりました. 宮田さんは, この報告でまず, 2007 年に, 訪問介護の最大手だったコムスンの介護報酬不正 請求事件が発覚したことに触れています. 介護労働のイメージを大きく傷つけたこの事件は, 福 祉の民営化という政策そのものが, 福祉の営利化に転化してしまう危険性をはらんでいることを 露呈したと同時に, 不正によらなければ利益が上がらないほど介護報酬が低くおさえられている という, もう一つの行政上の非合理性をも明らかにした事件でした. ですから宮田さんは, 天竜 厚生会のように 140 を越える事業を進め, 年間 8 億円という利益を上げているような大社会福祉 法人でも, 数年先の経営見通しは非常に厳しく, また聖徳会のような有力社会福祉法人でも, 現 行の制度では, 地域の生活困難に十分対応できない悩みがある, という話を紹介しています. 民 営化, 福祉事業の経営難, そして何よりも生活困難をはじめとする切実な地域の福祉要求に応え きれない制度的欠陥をかかえこんだ日本の社会福祉政策の現状は, アメリカ型新自由主義にもっ とも忠実であった小泉自公政権が, 2001 年に登場して以降の足かけ 7 年というもの, 毎年 2200 億円ずつ社会保障費の削減を重ね, アメリカへの輸出第一主義をとる大企業のために無益な公共 支出を重ねるという逆立ちの 「構造改革」 の歪みが生んだものです. 社会福祉事業体のこの困難 は, 福祉以外の事業でその傷手をさし当たりでも埋め合わせることのできる大手の場合にはとも

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かく, 私たちのようなその余地のない地域密着型の小規模な社会福祉法人にとっては, ひたすら 自分の身を削りながら, 社会福祉の人間的使命に頼って頑張る以外には, その窮境からはどう逃 げようもありません. しかもこのような事業体が数からすれば圧倒的に多いわけですから, 介護 の現場での労働が, 広く 「官製ワーキングプア」 化することには, 制度的必然性があるわけです. 宮田さんの報告は, こうした現状を踏まえて, 介護保険制度導入に代表される 「2000 年改革」 の 9 年間を総括していくのですが, そのさいに立ち戻っているのが, その路線を布いた 1998 年 の社会保障制度審議会のいわゆる 「95 年勧告」 です. ということは, 「PASS」 にとっていえば, 宮田さんが 「PASS」 の論議を背景におきながら, 現代日本社会福祉政策論 の第一部で予想 したわが国の 「社会福祉制度の 再構築 の方向と課題」 が, ほぼ 10 年の経過に沿って総括さ れるということになります. 宮田さんによれば, 「95 年勧告」 は, 「社会保障制度体系の再構築」 を課題とし, その中心は, 国の責任に基づいた 「措置制度」 の廃止でした. 「措置制度」 は, 「選択の自由がない」, 「経営努 力」 が足りず, 「効率」 が悪いので, 代わりに 「市場化」 を導入して, 「多様な供給主体の参入」, 「競争によるサービスの質の向上」 をはかり, 「安心して暮らせる 21 世紀の社会」, 「新しい社会 連帯」 をつくり出す, といった美しい理念を掲げました. しかしその理念に基づいておこなわれ た 「再構築」 の現実は, 「みんな」 という言い方に隠れて, 結局は 「国の責任」, 財政責任から制 度全体の適切な運営の責任に至るまでの責任をあいまいにしてしまうことだった, と宮田さんは 厳しく批判しています. 宮田さんは, 国民年金のずさんなデータ管理や, 社会保険事務所の保険 料納付率の偽造問題などの事例を指摘していますが, もちろんこの 「国の責任」 ということで言 えば, さきに言いましたように, 「日米構造協議」 体制下でアメリカと大企業のために莫大な国 家予算を投じている一方では, 小泉内閣以降の 11 年間, 毎年 3 万人もの自殺者を出し続け, 大 量の失業・非正規雇用・ワーキングプアを出し続け, 社会保障予算の大幅な削減をつづけるとい う 「国の責任」 不在が一般化していった事実を付け加えることもできたのでしょう. そして宮田さんは, 「国の責任」 を自己解除したこの 「92 年勧告」 に基づいて 「2000 年改革」 がおこなわれたが, そこで具体化された社会福祉政策には三つの問題点があった, と指摘してい ます. 第一に, 「社会保障制度」 の 「持続可能性」 を確保するための 「重点化」 とか 「適性化」 とい う名目のもとに, もともと不十分な社会福祉資源をさらに切り捨て, 縮小する傾向が強まった, ということです. 実際, 新規に発足した介護保険において, まずその最初の 「改正」 でおこなわ れたことと言えば, 施設の利用者は自宅にあっても宿泊と食費を負担していたのだからというこ とで, それらがいわゆる 「ホテルコスト」 として自己負担に切り替えられ, 多くの高齢者の地域 での自立した生活にいちばん必要な 「家事援助」 が利用者の 「自助」 を強要する 「生活援助」 に 変えられたことでした. 介護度の高い人を 「重点」 にするために, 「要介護 2」 や 「要介護 1」 が 大幅に 「要支援」 に移され, 「要支援 1」 が給付外になるなどの事態が起きるようになってきて います. 福祉用具の貸与が切り捨てられたことから始まって, 「寝たきり」 を, 介助の要らない

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「自立」 と判定するようになる 「適性化」 とは, およそ言語的暴力という以外に何と言ったらよ いのでしょうか? 第二に, 社会保障を 「世帯単位から個人単位の制度」 へ切り替えたことです. 個人の自立性を 尊重したことのように見えるのですが, 子どもが成人になるまでは 「家族」 に支えられ, 老後は 「家族」 によって支えられている一方の現実と, 子どもと高齢者のそれぞれの自立を支える充分 な社会的施策もない他方の現実とを無視して, 制度全体の 「個人単位」 への切り替えを急激に進 めたことには問題がありました. 介護保険の場合, 「昼間独居」 の高齢者を, 同居家族があるも のと見なすことで 大きな混乱を引き起こしたことも, この制度の問題点の一つです. 第三には, 「費用と負担」 の問題で, 「保険料中心の負担」 の方向性が示されたことです. 「2000 年改革」 においては, 「社会福祉制度」 のなかで行なわれていた 「介護サービス」 が, 費 用負担を保険料と一部負担を中心とした 「介護保険制度」 に切り替わったのがその典型だ, と宮 田さんは指摘しています. こうして, 「年金」 生活者は年金から, 「生活保護」 の受給者はその給 付金から, 介護保険料がいわば生活費をいきなり 「天引き」 で徴収することになりました. 介護 保険の場合, その利用に際しては, さらに一部負担を払わなければなりませんから, 低所得者に とっては, 介護保険においては 「保険あって介護なし」 といわれるような社会的差別を生む結果 になっています. そのうえ 75 歳以上の高齢者には 「後期高齢者医療」 ということで高額な保険 料と三割までの自己負担がかけられて, どうしても加齢に伴って受診の頻度が高くなることを狙 い撃ちしたような露骨な受診抑制策が取られるようになったことも, 私としては, 是非付け加え ておきたいと思います. こうして, 宮田さんは, 「介護保険」 を先頭にした 「2000 年改革」 以降, 日本の 「社会保障制 度」 そのものが, 「貧困状態に陥ったときに最後の拠り所」 となる 「セーフティネット」 だけに 限定されてしまって, 「国民生活を支え, 豊かにするという積極的な機能が否定されてしまうの ではないか」 という重大な懸念を表明することになりました. その意味で, 宮田さんは, 1962 年に社会保障制度審議会が出した 「勧告」 をもう一度思い起こすべきである, と強調しています. その 「勧告」 では, 生活問題に保険料を負担する能力のある 「一般所得階層」 向けの 「社会保険」, 自力では生活ができない 「貧困階層」 に対しては救貧制度としての 「公的扶助」, そして所得が 低いだけではなくそれが不安定である 「低所得層」 具体的には高齢者, 障害のある人, 母 子家庭など 向けの 「社会福祉」 というように, 「貧困状態に陥るのを防ぐ」 という見地から, 社会保障制度を整理しているのですが, この考え方が, 「今日でも依然として有効」 ではないか, と宮田さんは考えているのです. なぜか? 宮田さんによれば, 「いまの日本の生活問題の中心は, 低所得・貧困階層問題にある」 からです. たしかに一時期, 「高度経済成長」 を通じて国民の 「総中流化」 が言われて, 貧困が 見えにくくなったときがありましたが, 21 世紀に入る頃から, 「市場化」, 「規制緩和」 によって, 「自由競争社会」 の時代を迎えます. そして 「競争」 に勝ち抜くためには 「効率性」 が重視され, 「何をやっても勝たねばならない」, 「勝つためには何をやってもよい」 という考え方によって,

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企業経営の面でも, 職業倫理の上でも, 精神的/文化的な頽廃が目立ち, 産地偽装や耐震強度偽 装によって, 「偽」 が 「今年の漢字」 になり, 厚生事務次官や防衛事務次官の汚職, 社会保険事 務所の保険料収納率データ偽装 22 万件などの事件が続発しました. こうしたなかで, 国民生活 が全体として非常に不安定化した, と宮田さんは言います. 不安定化のもっとも大きな要因は, 宮田さんも指摘しているように, 非正規雇用の拡大という 労働市場の変化です. 1985 年の労働者派遣法制定以来, 派遣労働の適用範囲が広がり, 90 年代 後半からはそれが製造業にまで広がることで, 非正規雇用者数が急激に拡大し, とりわけバブル 崩壊後には, リストラ, 失業, ホームレス, ニート, ワーキングプアという言葉が多く使われる ようになりました. このような事態は, 「PASS」 で山下さんが報告していたように, 1995 年の 日経連報告 「新時代の 日本的経営 」 によって定式化されていた雇用政策そのものによって労 働市場の 「構造改革」 の必然的な結果でした. こうして 2000 年前後からは, 派遣労働者や生活 保護受給者が急増する一方で, 他方では, 家庭内暴力, 児童虐待, いじめ, 高齢者虐待, 孤独死, 自殺の増加などの精神的・倫理的頽廃にまでおよぶような社会問題が大きく広がりだしました. とくに非正規雇用の労働者が, 労働者全体の 3 分の 1 にまで増え, 年齢階層的には, 15 歳から 24 歳までの中卒∼大卒の年齢に相当する若い層での割合が高くなっています. これは, 年間 3 万人を越えるという高い自殺者が 2011 年まで 14 年間も続いていて, そのうち若年層から成人層 の比重が高いという日本の自殺傾向にそのまま構造的に対応しています. こうして宮田さんは, 「95 年勧告」 を具体化した 「2000 年改革」 以降の日本の社会福祉政策の 諸結果を踏まえ, さらに湯浅誠さんの 反貧困 や堤未果さんの ルポ 貧困大国アメリカ (いずれも岩波新書) を始め, 阿部彩さん, 浅井春夫さんたちの 「子どもの貧困」 についてのル ポや研究などの新しい 「貧困の発見」 の成果にも注目しながら, あらためて日本の 21 世紀の 「社会福祉」 にとって, 「貧困問題」 の重要性を強調しています. 「貧困」 の問題は, けっして日 本だけの問題ではないのです. この原稿を書いている 2011 年 9 月末, 折しも, IMF と世界銀行 との秋季総会が開かれ, 現在の 「世界経済」 が 「貧困者への世界的影響」 を警戒すべき 「危険段 階」 にあると警告したとか, ILO と OECD が世界の 「失業者」 は 2 億人, 1929−33 年にかけて の世界大恐慌時に匹敵するものとなっているとし, 「質の高い雇用を創出」 し, 「非正規雇用」 を 減らすことが決定的に重要だという報告を出した, とかのニュースが伝えられています. 現在の 「新しい貧困」 は, このように世界大に広がりをもったものであり, アメリカ型 「新自 由主義」 が必然的にもたらした国際的な破綻現象です. 2011 年 9 月以降, アメリカのニューヨー クに始まった 「ウォール街を占拠せよ Occupy Wall Street!」 をスローガンにした 「99%」 の若 者・学生運動が, たちまち全世界に広がったのは, その当然の結果でした.

宮田さんが, 1962 年の社会保障制度審議会の考え方をもう一度再評価すべきだというのも, 新しい 「貧困問題」 の重層的な特徴が, アメリカ型グローバリゼーションによって強制された日 本の 「新自由主義」 社会化, つまり 「市場原理」 と 「競争社会」 によって, 「雇用」 に対する企 業の社会的責任が解除され, 国民生活そのものが丸ごとに利潤原理に基づく 「効率化」 で測定さ

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れるようになっていることから来る当然の理論的な帰結でした.

結びにかえて

宮田さんの遺言

以上見てきたように, 「2000 年改革」 以降, 「新自由主義」 社会化が日本の 「社会福祉政策」 にもたらした諸帰結は, きっと宮田さんの立場からすれば, あらためて新しい社会福祉理論研究 の構築の必要性を差し迫ったものと感じさせずにはおかなかったのではないでしょうか. 先ほど挙げた宮田さんの論集 現代日本社会福祉政策論 は, 第一部を 「社会福祉政策」 の現 状分析に当て, 続く第二部においては, 「戦後日本の社会福祉理論研究の歩み」 を 「政策論」 を 中心に概観して, 新しい 「社会福祉理論研究の課題」 を探ろうとした諸論文が組み込まれていま す. つまり 90 年代までの 「社会福祉政策」 の現状に対置して, 国民の立場から構想されるべき 理論的なオルターナティヴを探ることが, その論集の課題とされていました. そうだとするなら ば, きっと宮田さんは, 「2000 年改革」 以降の 「新自由主義」 社会化がもたらした日本の 「社会 福祉政策」 の現状に対して, とうぜん新しい社会福祉理論の構想を提起せずにはおけなかったの ではないでしょうか? しかも宮田さん亡き後, 「リーマンショック」 を引き起こしたアメリカの膨大に積み重なって いく財政赤字と恒常的な高失業, 国際通貨としてのドルの信用失墜, それに連動した 「ユーロ危 機」 の深刻化や先行きの見えないイラク・アフガン戦争とアメリカの介入なしに展開していく 「アラブ革命」 など, いずれも国際体制としてのアメリカ型 「新自由主義」 の破綻を示す諸現象 は, いまではアメリカの忠実な目下の 「同盟国」 日本の経済をも巻き込んでの 「世界恐慌」 の現 実化を国際的な論議の焦点に上らせるまでになっています. こうした国際的な状況にさらに重ね るようにして, この 2011 年 3 月 11 日, 日本は巨大な地震・津波と東電福島第一原発事故とが重 複した戦後最大の被害に見舞われました. そしてその収束はもちろん, その激甚な被害からの現 地の支援と復興の目途さえも立たない事態のなかで, 台風 12 号, 15 号の来襲が紀伊半島南部の 諸県に 「深層崩壊」 のような激甚災害を引き起こしています. こうした国際的・国内的な状況を含めて考えてみますと, 宮田さんが戦後の 「社会福祉政策」 の 「理論研究」 において一貫してその批判的な検討課題としてきたのが, 戦後の伝統的な理論的 な枠取り, つまり 「社会福祉政策」 とは, 一国的な 「資本主義」 がその国内の労働力の再生産の ために不可避的におこなう 「譲歩」 であるという定型的な理論的枠取りの不十分さであったこと を思い返さずにはおれません. そこには, 日本の資本主義が, 戦後はアメリカの資本主義の国際 的な展開に不可欠な部分として組み込まれてきたという事実認識が欠落していたのです. 宮田さんの 「サミット報告」 は, 上にも見てみましたように, 今日の生活問題の不安定化のもっ とも大きな要因として, 1985 年の 「労働者派遣法」 が非正規雇用を合法化したことにある, と 明確に指摘しています. この論点は, 95 年の日経連報告 「新時代の 日本的経営 」 に見られる ように, 日本の大企業が, 「人件費」 抑制によって 「国際競争力」 を強化する実践に乗りだし,

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長期安定雇用を看板とした従来の方針を大転換した問題として, 「PASS」 でとりあげられてき た問題を踏まえたものでした. そして 「日本的経営」 が目指す 「国際市場」 での競争とは, 何よ りも 「アメリカ市場」 への 「輸出」 に特化することでしたが, いまそのアメリカ経済そのものが, その国際的な覇権力を喪失する局面に立ち至っているのです. この危機的な状況に対処するには, 先に見た ILO と OECD の報告にあるように, 「質の高い 雇用」 を創出し, 「非正規雇用を減らす」 ことが必要です. そしてまたそれは, 宮田さんの見解 とも全く一致しています. 現行の 「新自由主義」 的な資本主義のシステムを前提としたものである限りは, 財政出動によ るだけの危機対応は, イタリアなどの議論に見るように, 企業救済のために公費が投ぜられても, 現状が拡大再生産され, 投じられた公費は利潤をねらった生活必需品などの先物買いとなって, 再び公費投入のリスクを拡大させるという悪循環を生み出すだけです. だからそのような企業は, 公有に移管することで, 国家財政を担保とした投機行為を抑制せよ, という意見になるのですか ら, アメリカで, オバマ政権が莫大な公費を 「リーマンショック」 対策として投入したとき, そ れが 「社会主義」 政策だという強硬な反対意見が共和党から出てくる理由も, もっともなわけで す. 若者の雇用問題は, 「結婚できない症候群」 → 「少子化症候群」 を必然的に生み出すことを考え れば, その裏面で急速な 「高齢化社会」 が現出することは当然です. ですから宮田さんの問題意 識からすれば, 日本社会の 1980 年以降の 「新自由主義化」 とそれによる資本蓄積様式こそが, 若者のワーキングプア化を生み出し, 極度にいびつで, 未来消滅型の 「少子高齢化社会」 化傾向 に拍車をかけているものとして, 第一義的に責任を負うべきものであるということになるはずで す. ですから, 何よりもこのような 「少子高齢化社会」 対策としては, 「派遣労働者法」 や日経 連の 「日本型経営」 の方針を廃棄し, 若者に正規雇用を保障し, 安心して働き, 未来世代に希望 をもてるようにすることが肝要だし, そうした未来世代の安心した設計を前提にしてこそ, 「社 会福祉政策」 の柱に据えるべきだということになりましょう. もちろんその見地に立てば, ます ますワーキングプア化が進行する雇用構造を推し進めながら, その貧困化しつつある国民の 「消 費税」 によって維持される 「社会保障」 を 「未来世代」 に保証するという 「新しい公共」 論は, 全くの見当違いだということになるでしょう. このように, 宮田さんは, そのありうる 「社会福 祉政策」 論の軸に, 「雇用」 問題を組み入れることになったのではないでしょうか. また宮田さんが 「新しい貧困」 の問題を重視するべきだと強調している点に注目すると, 東日 本大震災と原発事故, それからこの 2011 年 9 月の台風 12 号が南紀伊半島に引き起こした 「深層 崩壊」 といった, 自然災害や, 個々人の責任によるのではない社会的災害が, 広範な地域にわた る人々の 「生活破壊」 を引き起こすようになっているまさに今日ただいまの緊急問題も, あらた めて 「社会政策」 問題に位置づけ直す必要があるということになるのではないでしょうか. 東電が引き起こした広範で深刻な地域にわたる生活破壊と環境汚染については, 当然にその企 業責任が問われなければなりません. しかし, このような社会的事故は, 戦後政府の原発推進政

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策によって担保されているのですから, 日本の国家が最終責任を負わなければならないことはい うまでもありません. その最終責任とは, 企業としての東電の社会的な賠償責任を公費によって 肩代わりし, 公費でふたたび原発の運転を再開させるということではなく, 何よりも企業利益の ために, 自然環境と地域の人々の 「いのち」 に壊滅的な打撃を与えるような企業活動について, 欠けることのない賠償責任を取らせ, 今後はそのような企業活動を許さないようにする, という ことです. そしてこの原発事故や, その条件になった地震や台風によってもたらされた国土や地 域生活の破壊については, 本来は, その被害者である個人的な責任を問えない公的な性格にかか わるものですから, その復興と再建についての責任を, 国家に属するものとして引き受ける、と いうことです. しかしこの場合に問題になるのは, 阪神・淡路大震災においては, 地域生活の復興と再建が, 原則的に個人に帰属させられたことでした. そうなったのは, 第二次世界大戦において, 空襲な どによる戦災については, 戦争そのものは明らかに国家責任で遂行されたにも関わらず, すべて 自己責任とされてしまった前例があったのでした. ですから, 今回の東日本大震災と原発事故に かかわる地域と生活の復興と再建にかかわる責任については, あらためて憲法第 9 条に照らして, かつての憲法体制下の日本の国家が国民に与えた被害にたいする戦争責任を明確にしたうえで, はじめて自然災害によって引き起こされる 「新しい貧困」 に対しても, 公的に責任を負うべき 「社会福祉政策」 を提起できることになるのではないでしょうか. ここで憲法第 9 条と災害復旧という場合に, すでに見過ごすことのできない重要な問題が起こっ ています. 先ず, 災害が起こったどさくさに紛れて, 2011 年 3 月 31 日, 新年度予算でも 「社会 保障財源」 の問題としても問題になっていたアメリカ軍を法外に優遇する国辱的な 「思いやり予 算」 が, 従来の 3 年から 5 年に延長されて, 毎年 1881 億円払い続ける法案が国会の多数決で通 されてしまいました. また被災地を救援するために, 沖縄の普天間基地から来たヘリ部隊や海兵 隊約 16000 人, 原子力空母を含む艦船 12 隻, などが, 8000 万ドル (訳 67 億円) かけて, 自衛 隊とともに軍事装備なしでの 「トモダチ」 作戦を展開したと, マスコミで絶賛されました. しか しこの作戦は、 「自衛隊と米軍」 が 「日本侵略の有事に準じる体制で臨んでいる」, 「共同訓練」 の真価を試す機会であったこと. そしてその後, 2012 年 1 月から 2 月にかけて 「ヤマサクラ 61」 の名で行なわれる米軍と自衛隊との 「日米共同作戦」 では, 中国による日本侵略を想定しており, その予行演習であったことが分かってきています. 原発問題が, このようなきな臭い問題を生むのは, そもそも日本への原発導入の経緯に原因を 遡ります. 1954 年のアメリカのビキニ環礁での水爆実験で第 5 福竜丸が被爆し, 汚染マグロや 乗員の被爆死によって, ヒロシマ・ナガサキの被爆体験ともかさなって 「反原爆」 感情が日本で 激発した事態は, 日米安保条約の改定によって, 日本全土に展開する基地に核兵器を持ち込むこ とを考えていたアメリカ政府を困惑させるものでした. そこで, 原爆のような 「原子力」 の 「軍 事利用」 ではなく, 「平和利用」 の道があることを 「原発」 によって示すという, いわば 「毒を 以て毒を制する」 論法によって, 「原発」 が日本の戦後のエネルギー政策の基本に滑り込んだの

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でした. そのためのアメリカの日本側のエージェントになった勢力が, 日本の政治の保守本流に なり, マスコミの中枢に座っていく筋道は, NHK の TV ドキュメントそのほかの豊富な情報に よって明らかにされているとおりです. そしてまたまさにこのような原発導入の経緯があるがゆ えに, 原発事故の収束に向けての経緯に, 絶えずアメリカの軍事施策がいろいろとまつわりつく ことになります. こうなってきますといまの時点での国土における生存の 「安全」 性にも関わる 「貧困」 問題は, 憲法前文の 「平和的生存権」 はもちろん, 第 9 条の 「不戦の権利」 と不可分に結んだものとして の第 25 条を根拠にすることが, 不可欠の意味をもってくるように思えます. このような意味で の 「新しい貧困」 の問題もまた, きっと宮田さんのありうべき 「社会福祉政策」 論の柱に座るの ではないでしょうか. もちろん自然の災害からの 「安全」 の問題に限っても, この問題は, けっして東日本大震災と 巨大津波に見舞われた今回の場合だけに限らない可能性をもっています. そもそもわが国は地震 の巣の上に立地していますし, 私たちの地域に限っても, 東海・東南海・南海の三地震の連動の 不可避性が近い将来において予測されています. またわが国が, モンスーン地帯に属しているの で, 地球の温暖化にともなうさまざまな気象変動の影響をうけやすいことが危惧されています. さらに現在稼働中の原発が事故を起こさないで停止したとしても, その数十基におよぶ撤去には, 少なくとも 100 年を単位とするような年月が想定され, その間にはたえず不測の事故を想定しな がら生活せざるをえません. さらに, これで三度も原子力の被害を蒙った国民と国土の放射能被 害が, 何世代かの将来にわたってわたしたちの未来世代に対して, いっさいの災いを生むことは ないと断言することもできません. ここでもやや問題を拡げすぎたかも知れませんが, 「新自由主義」 の国際的な破綻に直面し, 巨大地震・巨大津波・原発事故という我が国の戦後史上最大のなお未完の災害を受けて, 従来の 「社会福祉政策」 論は, 新しい構想の上に再建されなければならない, という宮田さんの思いを 受けとめてみようとした結果です. 若い世代を主とする 「完全雇用」 と, あたらしい自然的・社会的な 「貧困」 に対する 「平和的 生存権」 の確保とを含んだいっそう根底的な 「社会福祉政策」 論を こういうことでは, 宮田 さんに課すにもう少しの健康と時間とが許されるようなことがあったなら可能でありえた 「社会 福祉政策」 の理論的な構想とは, 隔たることあまりに遠いかも知れませんが, 「PASS」 でいろ いろとご指導を受け, ごいっしょに議論もし, 考えた立場にある一人として, せめてもの私たち への 「遺言」 の形として, 宮田さんから引き継ぐべき理論的な課題を, ここに記念させていただ きたく思います.

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付録: PASS研究会の歩み〉 (報告者の敬称および所属はすべて省略させていただきました.) 1 . 1987 年 8 月 15−16 日 泊まり込みの合宿研究会 (準備会) 2 . 1988 年 1 月16日 報告者 ビーノ・三木 「フランスとイタリアにおける福祉のあり方」 3 . 1988 年 3 月 26−27 日 報告者 鈴木 勉 「福祉形成の焦点」 山本敏貢 「部落差別と人間形成」 山科三郎 「戦後教育の人間形成のたたかい」 藤好重泰 「世界の労働運動と社会保障の人間的原理」 4 . 1988 年 7 月 16 日 報告者 舟橋精一 「精神疾患と福祉の視点」 5 . 1989 年 3 月 25−26 日 報告者 福田静夫 「人間をつくる人間関係, 壊す人間関係」 林 和恵 「子どもの育つ生活のために」 山科三郎 「思春期の揺れる心をどう受け止めるか」 深谷作 「子どもを見る目 育てる心」 6 . 1989 年 7 月 15 日 報告者 宮田和明 「障害者の人間らしい生活をめざして」 7 . 1990 年 2 月 10 日 報告者 福田静夫 「人権の国際的な問題状況とロールズの 正義論 」 8 . 1990 年 4 月 14 日 報告者 市川季夫 「生活保護と人権」 9 . 1991 年 1 月 14 日 報告者 ピーノ・三木 NHK VD. 「障害者の日 開かれた社会へ」 を見て 高橋 智 NHK VD. 「愛は限りなく」 を見て 10.1991 年 3 月 18 日 報告者 倉持 武 「脳死について」 竹内章郎 「障害概念の哲学的検討」 11.1991 年 8 月 17−18 日 報告者 福田静夫/山科三郎 「社会福祉哲学の立場」 安原正美 「正気と狂気の弁証法」 藤好重奏 「労働運動と健康で安全な生活」 鈴木清覚 「障害者運動の理論と実践」 牛田 昭 「地域福祉計画等の策定と地方行政」 12.1992 年 1 月 18 日 報告者 森下直貴 「生命倫理と平等」 秋野勝紀 「保育園の経営と管理」 13.1992 年 4 月 13 日 報告者 牛田 昭 「ゴールドプランの現段階と老人福祉地方計画」 松本英孝 「人間は社会的存在であり, かつ主体的存在である」 14.1992 年 8 月 17−18 日 報告者 福田静夫 「世界の構造変化と新しい社会福祉パラダイムの創造」 山本敏貢 「最終段階を迎えた同和行政の課題」 宮田和明 「社会福祉行政の動向」 倉持 武 「さまざまな脳死」

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15.1993 年 1 月 16 日 報告者 山下東彦 「日本的経営と過労死」 山口幸男 「司法福祉と福祉価値」 16.1993 年 2 月 13 日 報告者 牛田 昭 「地域での健康福祉計画づくりの現段階」 中原三郎 「現代日本の福祉経営論」 武田 宏 「地域福祉と財政問題」 17.1993 年 2 月 27 日 報告者 高島 進 「スウェーデン福祉の現在の問題」 山本敏貢 「アイヌ民族とノーマライゼーション」 ピーノ・三木 「日雇い労働者, 外国人労働者の福祉権」 18.1993 年 3 月 13 日 報告者 山科三郎 「健康と病気について」 森下直貴 「生命倫理と平等」 岸本晴雄 「生活文化と福祉価値」 19.1993 年 4 月 29 日 報告者 藤好重泰 「入間らしく生き, 人間らしく働く 労働組合と 社会保障闘争」 太田義郎 「社会福祉と国民負担」 20.1993 年 5 月 22 日 報告者 福田静夫 「社会福祉と福祉価値」 高橋 智 「知的障害者の人権擁護・保障をめぐる最近の動き」 21.1993 年 6 月 20 日 報告者 鈴木 勉 「老人保健福祉計画と日本の社会保障の展望」 鈴木清覚 「社会福祉の構造転換と授産運動」 22.1995 年 1 月 16 日 報告者 宮田和明 「21 世紀福祉ビジョンをどう読むか」 23.1996 年 4 月 27 日 報告者 丹羽謙次 「その後の阪神・淡路大地震」 大野勇夫 「介護保険のどこが問題か」 24.1996 年 8 月 19−20 日 報告者 宮田和明 「社会保障・社会福祉の将来像」 垣内国光 「エンゼルプランはどこヘ向かっているのか?」 高橋 智 「障害者ノーマライゼーション・プランの批判」 鈴木 勉 「現代平等論の課題」 伊藤春樹 「イタリアの精神医療と福祉」 25.1997 年 1 月 15 日 報告者 小池直人 「デンマークの生活」 武田 宏 「揺れるスウェーデンの福祉団家」 松本英孝 「日本の社会福祉政策を再考する」 26.1997 年 4 月 26 日 報告者 山口幸男 「少年司法におけるフェアネス 子どもの権利条 約と少年法改正」 日方ヒロコ 「今, 入間として殺す法を選ばない 死刑制度 の廃止を求めて」 27.1997 年 8 月 31 目 報告者 宮田和明 「公的介護保険のあらましと問題点」 豊島和夫 「老人福祉の立場から見た公的介護保険」

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衣川哲夫 「老人施設の立場から見た公的介護保険」 牛田 昭 「地域における高齢化問題と公的介護保険」 28.1998 年 1 月 24 日 報告者 中原三郎 「現代日本の福祉国家 後藤道夫氏の著作を手が かりに」 福田静夫 「ヨーロッパの福祉国家の現状 イタリアを中心 にして」 29.1998 年 5 月2日 報告者 小久保裕美 「PSW の現場から見た精神保健福祉法と今後」 水野信義 「イタリアの精神保健を現地に訪ねて」 30.1999 年 1 月 30−31 日 テーマ 「福祉基礎構造改革と戦後社会福祉の転換」 報告者 牛田 昭 「基礎構造改革と今後の社会福祉」 板原克介 「基礎構造改革と社会福祉事業家の立場」 加藤敏彦 「基諸構造改革と介護保険」 加藤孝夫 「基礎構造改革と国民医療」 宮田和明 「基礎構造改革と社会福祉の原理的転換」 大木一訓 「基礎構造政敵と国民生活」 今井証三 「憲法第 25 条の視点から」 久保則之 「 福祉が人を殺すとき の視点から」 藤好重泰 「労働組合の視点から」 31.1999 年 9 月 12 日 「シンポジウム:二一世紀の社会福祉の構想を問う」 提題者 高島 進 「自由主義. 国家・社会福祉」 猿田正機 「失業と社会福祉」 今井証三 「憲法と社会福祉の基礎構造改革」 32.2000 年 1 月 29 日 報告者 吉田シヅカ 「いま, なザハンセン病の国家賠償が問題にな るのか」 33.2000 年 6 月 4 日 報告者 倉持 武 「脳死と哲学・倫理問題」 福田静夫 「最近の哲学・思想・文化分野での社会福祉問題」 34.2000 年 9 月 15 日 報告者 福田静夫 「 厚生白書 99/2000 年版 ミスリーディング な手法と論理」 宮田和明 「 厚生白書 に読む行政の方向」 35.2001 年 3 月 18 日 報告者 宮田和明 「介護保険一年 全国的な状況から」 森 雅行 「N 市における介護保険」 春田正孝 「自治体から見た介護保険制度の現状と問題点」 36.2001 年 4 月 29 口 テーマ 「子どもの事件と社会福祉」 報告者 下村英作 「虐待 子どもの悲しみと苦しみ」 立松照康 「児童虐待防止法と児童相談所」

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山口幸男 「子どもの罰と保護」 37.2001 年 11 月 11 日 報告者 水野普昭 「介護保険と療養型施設のあり方」 38.2002 年 3 月 24 日 PASS を閉める会:シンポジウム わが国の社会福祉の課題と展望 コーディネーター 宮田和明 (日本福祉大学) 発言者 (順不同) 鈴木 勉 牛田 昭 板原克介 倉持 武 山下東彦 山口幸男 閉会の辞 福田静夫

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