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道徳性心理学 とリベ ラリズム :
発生的認識論 を基盤 とした発達心理学理論が示す道徳観
田 村
俊
輔
Moral Psychology and Its Liberal Presupposition:
A View of Morality from a Theory of Developmental Psychology
Based upon Genetic Epistemology
Shunsuke Tamura
20世紀 を通 して試み られて きた道徳性 の解 明 を 目的 とした心理学研 究 プロ ジェク トの主流 は、道徳性 を人間の 自律的な理性 の働 きのなかに兄いだそ うと する発達心理学の枠組 を基礎 とした一連の研究 に見 られる。 この試みは、道徳 性の うちに理性が どの ように介入す るか を明 らかにす ることによって、それ ま での教条主義的な道徳観か ら脱却す ることを可能 に しようとす るリベ ラルな試 み と言 って もよい。 このプロジェク トの結果が指 し示す人間が持つ道徳性 に対 す る理解が現実の道徳諸現象 を説明す る能力があるか否か を早急 に判断す るこ とは難 しいが、少 な くとも、わた したちが、個人の内 にある自律的道徳判断 に 依存す ることを許容す る遺徳環境 とはほ ど遠い他律 的な道徳環境 の中で 日常 を 生 きていることに気づ くのは容易 なことではないだろ うか。本稿 は、コールバ ー グの道徳性発達理論が持つイ ンパ ク トと彼が 自らの遺徳性研究の理論的基盤 と した ピアジェの発生的認識論の発達観 を検討 しなが ら、理論が指 し示す 自律 的 な道徳性 と現実の他律的な道徳環境の間にある溝 を理解す るために書かれた も のである。 [キー・ワード:道徳性発達、理性、教条主義、発生的認識論 、 自律 、他律 ]134 清泉女学 院短期大学研 究紀要 (第20号) 1.問題提起 「道徳教育の研究」、「道徳 と文化」二科 目の担当者 として、受講者が 「道徳」に関 して どの ような先入観 を持 っているのか を知 ることは学期 は じめのわた しにとっての関心事 である。その先入観 を知 るため に毎学期最初の授業で簡単 なア ンケー トをとることに し ている。それは「あなたは道徳 とい う言葉 を聞いて どんなことを連想 しますか
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」といっ た ものだ。回答 は、年 によって大 きな違いはな く、通常二つ に分 けられる。第一の回答 グループはこの言葉が形式的に持 っていると彼女達が理解 している意味 に関わる連想か らなる。すなわち、道徳 とはわた したちが正 しい行動 をす ることに対 しての助 けとなる ものである、といった意味 を持つ言葉、文章の集 まりある。
「道徳 とは、わた したちの社 会が一定の秩序 をもって存続す ることを助 ける規則である、
」
「争いが起 こらない ように す るための決 ま りである、
」
「決 ま りの集 ま りである、」 とい うような例が挙 げ られよう。 この回答 グループの内容か ら推測 されることは、 この回答 を寄せた学生たちが道徳 を自 分たちが住む社会 ・団体の無事 を保障するために使われる一群の命令のメッセージを含 んだ言語表現である とい う点 に結 びつけている とい うことである。第二の回答 グループ は、 この最初の もの よ り一層体験 的な ものである。そ して、体験的であるが故 にそ こに は彼女 らが受 けて きた 「道徳教育」の実体が より如実 に物語 られている。 このグループ に属す る回答は、彼女 らが 「道徳」 とい う言葉 を聞いて連想す るイメージをあ らわす言 葉か らなっている。多 くの場合、 このグループの回答 は単語で答 え られている。い くつ かの例 を挙げてお こう。
「不 自由」
「押 しつけ」
「暗い」
「差別」
「罰」等 々が道徳 に附 され たイメージである。 この二つの回答 グループはそれ らが非常 に単純であるに もかかわ ら ず、第一 グループの、意識的に理解 された道徳 とい う言葉 に附 された一定の意味の背後 に、ほ とんどシステム化 された と言 って も良いほ どに統一的な第二 グループの道徳体験 に関わる連想が表現 されている。そ して、わた したちは、その連想か ら現在の道徳 を取 り巻 く現実の一端 を推測す ることがで きる、 とここでは結論づけてお こう。 第二の回答 グループが、回答者の直接体験 に基づいた ものであろうことはすでに述べ た。それでは、 この体験 とは どの ような体験 であろうか。そ こにある 「わた し」が 「道 徳」 と自らが理解する諸事 との間に持 った体験 とは、第一の回答 グループか らも推測 さ れる 「道徳規則 ・規範」が既 にそ こにあ り 「わた し」 はそれ に従 うことのみが要求 され ている、 といった教条主義的な道徳環境のなかで培 われた ものではないだろうか。 この田村 :「道徳性心理学 とリベ ラリズム」MoralPsychologyandItsLiberalPresupposition 135 「上か ら下 される」道徳 とい う受け止め方 は、彼女 らが持つ 「不 自由な」、「暗い」、「罰
」
を連想 させ る道徳 に対するイメージによって否定的 に とらえ られていると言 って よいだ ろ う。 このイメージが、多 くの道徳教育 にかかわる もの にとって好 ましい もので ない こ とは言 うまで もない。そ して、道徳教育の難 しさの一端が この否定的な先入観 にあるこ とも容易 に想像で きよう。それでは、 この否定的な道徳 に対す るイメージの起源 は どこ にさかのぼることが出来るのであろうか。 道徳性研究 にかかわるアカデ ミズムの動 きを見 る と、 この 「不 自由」 な道徳 に対する イメージとは正反対の動 きが確認 される。道徳教育の歴 史を概観すれば、前世紀前半 に 社会学のデュルケム (1925)が教条主義的な道徳観 に異 を唱 え、人間性の内にある 「社 会 に対す る愛着」 とそ こか ら発する 「権威、集団規範 に対す る畏敬 の念」 を道徳 に対す る人間か らの 自発的な働 きかけの基盤 ととらえてか らもう8
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年の時が流れていることが わかる。デュルケムの著作 に述べ られている彼の道徳教育 に関する思想 は、 この著作が 出版 された年 を20年以上 さかのぼった1902年のパ リにおける講義のなかで も明 らか にさ れている。ベ ラ (1973)はこの社会学者の道徳観 を、遷暦は聯 7j7:膚威,56=諸の もとで,者 辞されるべ き bの であるがこ その静定の うちに題■衝は
人 々の#4I/j舟、選任舟 を薗
^主義 を基塵 にお (べ き あの、 とまとめている。つ ま り、デュルケムはそれ までの社会 を動か していた教条か ら発 した道徳観 に対 して、 自律 した、人間の尊厳の実現 を目標 とした道 徳観の達成 を試みているのである。 このデュルケムの道徳観 に含 まれる人間の 自律性 を 「社会的」 な ものか ら、一層積極的 ・生物決定論的な意味合い を持つ 「発生的」 な人間 発達の枠内で とらえようとしたピアジェがその 「子供 の道徳性発達」(1932)を もって世 に問 うた道徳観 は、子供の認知発達過程のなかに、人が 自律 した一個の決定者 として道 徳判断 をなす者 となる可能性 をわた したちに示 している。 また、 フロイ トはその発達理 論の中に超 自我 とい う概念 を組み込み、子供がその発達の過程で道徳性の基盤である超 自我 を自らの心理構造の中に発達 させ ることを説いている。 これ ら3
つの グラン ド ・セ オ リーが、その主張、扱 っている人間科学の分野 はそれぞれ異 なっているにもかかわ ら ず、共通 してわた したちに示 していることは、道徳環境 ・文脈 の中で、人が個人 として 持 っている能力 を使 って、 自ら自由な、 自律 した道徳 的主体 となることへの可能性 では ないだろうか。その意味で、 これ らの社会学、心理学的な理論 か ら派生 した道徳観 は人 をより自由な存在 として捉 えることに一役買 って きた と言 える。それ以降、 ピアジェ流136 清泉女学 院短期大学研 究紀要 (第20号) 構造発達 に理論的基盤 を兄いだ したコールバーグ (1958)の道徳性研究 を初め として、 この半世紀の間 に行 われて きた数 々の道徳性心理学理論 の多 くが上記 グラン ド・セオ リーに多かれ少 なかれその基盤 を置 き、人間の 「自由
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「自律」を道徳の主要要素 にお く ことの是非の可能性 を追求 して きた もの といって よいだろう。勿論、 行動主義のスキナ-(1980)の ように、人 間の行 動 を科学 す る と きに こころの動 きに 目を向 け る ことを Mentalismとして避 けて きた研究者たちが対置 されるポジシ ョンにいることも忘れては な らない、 とい うことも言い添 えてお く必要 はあろう。 従 って、20世紀前半か ら絶 えることな く行われて きた心理学、社会学 を基盤 とした道 徳性研究は、人間がいかに して教条主義的道徳観か ら脱却で きるか、そ して、その道徳 観か ら抜 け出 したあ とに、わた したちが 「何 に頼 った らよいのか」とい う問題意識 を持 っ て行われて きた と言 って も良いだろう。 この問題意識 は、人間の尊厳、個人の 自律性へ の希求が強 まって きた20世紀 において、道徳観 を支える基盤 に人間の 「自由意志」 に基 づいた 「道徳性」 を配置 しようとする時代 的な意志の ように も思われる。そ して、この 動 きは、急速 なコ ミュニケーシ ョン手段 の発達 によって、文化間の緊密 な接触が不可避 になって きた今 日において、当然の結果 として規出 して きた文化間、時によっては個人 間の価値観抗争の現実 に、普遍性 をもった道徳観 を提供 しようとい う意図のあ らわれに さえ思われるのである。 アカデ ミズムの活動 は、 また、早 くか ら実践 に応用 され、道徳 的 リベ ラルな風潮 は 「道徳教育」 とい う公的な場面以外 の 日常生活の諸側面 に くまな く 浸透 しているもので もある。 このアカデ ミズムの試みは、その 目指す方向性 か ら 「道徳 性研究 における リベ ラリズム」 と名付 けられて もよいだろう。 しか しなが ら、 このよう にリベ ラルな風潮の もとで捉 え られて きた 「道徳」が時 を経 て 日常の うちに体験 され、 理解 されたとき、それが必ず しも順風満帆 な道 を歩んでいるとは限 らないことは、上 に 紹介 したわた しの学生が捉 えた道徳 に対す るイメージにも現 れている。実際 に関知 され ている道徳観、そ して、学校教育のなかで行われている道徳教育は、それが 「自由」 と はほ ど遠い、教条主義的な 「人間の 自由を奪 う」 もの 「自律 の対極 にある」 もの として 捉 えられている現実がわた したちの前 にあるのではないだろうか。 本稿では二つの互いに関連 した作業 を行 う。第一 に、道徳性心理学研究の うち、道徳 性 を人間の発生的発達過程の一部 として捉 えようとしたコールバーグ理論が明 らかに し た道徳性発達の背後 にあるメ ッセージを明 らかにしたい。そ して、第二 に、その理論が田村 :「道徳性心理学 とリベラリズム」MoralPsychologyandItsLiberalPresupposition 137 基盤 としたピアジェの構造論的な認識論、発達観の枠組み において道徳性 の発達がいか に位置づけられているかを検討 したい。 この2つの作業 を通 して、上記の問題 「アカデ ミズムの うちに見 られるリベ ラルな道徳観 とわた したちが実際 に感 じ、理解 している教 条主義的な道徳環境のあいだに横 たわる溝」 についての説明的な理解 を深めて行 きたい。
2.
道徳性心理学の基盤 としての構造論的人間観 (1) コールバーグの道徳性発達理論 アメリカ合衆国において活発 に研究 されて きた道徳性心理学 の一つの流 れは、 コール バーグが シカゴ大学 に提 出 した博士論文(
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に端 を発す る道徳性発達理論 にその理 論 的枠組 みの範 を とっている。そ して、 コールバ ー グ自身 も自ら主張 してい る ように (1984、p.236-249)、コールバーグ理論 は ピアジェが子供の論理操作能力発達の研 究か ら導 き出 した認知能力発達の構造理論 をモデル としている。 この ピアジェ理論が示す子 供の発達段階は 「堅い構造発達段 階(
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」 を前提 としている理論で あるため、そ こか ら導 き出 される発達観 は環境 ・要素 を重要 なファクター として含 めて いるにもかかわ らず、生物決定論的な意味合いの強い もの となっているのである。す な わち、 この前提 となる 「堅い」 は道徳性 の構造発達が主 に環境 によって形成 される 「柔 らかい」任意の ものではな く、人間 として生 まれ落 ちた ときか らもう既 に決定 されてい る発達の過程 にそって発生的 に変化 して行 くとい う意味 を持 っているのである。 この決定論的意見合いの強い枠組み を、 コールバ ーグが 自らの道徳性発達観 に組み入 れた背後 には心理学的 ・哲学的な二重の重要性が含 まれているように思われる。 ここで はその うち4点 を指摘 してお こう。 第一 に、道徳性発達が生物発生的な背景 を持 った順路 に沿 っている とす るな らば、解 決が難 しい哲学的な当為の問題 に対 して、生物発生的基盤 を持つ事実の記述 によって解 決の光が見 えて くる可能性がある、 とい う点が挙 げ られ よう。つ ま り、 このポジシ ョン に立てば様々な 「意見の不一致」か ら成 る議論 に最終解決 を投 げかけることはたやすい、 とい うことである。例 を挙 げるならば、わた したちが 自己中心的な行動か ら脱却 して利 他的な行動 をす る際、義務論的な倫理学 をその行動の背後 に位置付 けた場合 には、その 利他的行動 をす るべ き 「理由」 をそれぞれの倫理学が持つポジシ ョンに従 って構築 して 行 く必要があろ う。そ して、 この 「理由」 はその人が立つポジシ ョンによって多種多様138 清泉女学 院短期大学研 究紀要 (第20号) な もの とな り、最終的な唯一の解決 にた どり着 くことは難 しい。一方、その 「理由」が 生物発生的な構造発達の結果導 き出 された ものであるならば、その意見の不一致は 「事 実」の前 に歩 を譲 る、 とい うことになるだろう。 この接近方法 は、事実の観察か ら倫理 的普遍性 にた ど りつ こうとす る、いわゆる自然主義的誤謬
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に人を 導いて しまう危険性 をは らむ ものではあるが、少な くとも、解決の方向に向かっての ヒ ン トを提示す ることは可能 となろう。 第二の点は、普遍的道徳の基盤 を明示する可能性である。 この点は、第-の特性 と密 接 に関連 している。つ ま り、道徳性 を生物発生的な発達段階 によってあ とづ けることが で きるならば、 これ までの歴 史において繰 り返 されて きた、そ して、特 に、前世紀の後 半 になって問題が顕著 に現れて きた道徳の相対性 に関連 した問題 に決定的な終止符 を打 つ ことがで きるとい う希望が出て くるのである。実際 にコールバーグ (1981)は彼 らの 研究 を通 して、 さまざまな文化 に生 きる人 に共通 に保持 されている一組の普遍的な道徳 原理が存在す ることを明言 している。 第三の点は、 コールバーグが発見 した としている発達の道筋 にある。以下 に簡単 に述 べ るが、 コールバーグの研究 によれば、道徳性 の発達 は個人の成長の時間系列推移 とと もに、その人 をよ り 「公正Ou
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」 な道徳観 に導 くとい うものである。 この発達観が指 し示す道徳観 は、現在の平等 を前提 とした民主主義的な社会の理想 に合致する ものであ り、 また、同時 に、歴史の上で推移 して きた社会理想の在 り方 に対 して生物発生的であ るが故 により決定論的な根拠付 けを行 うもの となる可能性 を持 っているのである。 第四の特性 として、 この理論が伝 える人間観が挙 げ られる。道徳性 をこの ような生物 発生的な構造発達 に求めることが出来るとす るならば、 この道徳観 に含 まれる人間観 は、 人間が 自分 自身の行動の主人公 になれるとい う点 に集約 され よう。つ ま り、人間は環境 によって形作 られる ものではな く、環境 によって影響 は受 けなが らも、 自らの発生的な 特質のなかに成熟 とともによ り高い道徳性 を発揮 し、 自らを道徳的に制御す るメカニズ ムを有 しているとい う、非常 に強力な人間 「性善説」の根拠 をこの理論 は提供 している のである。 以上4つの特性 に共通 していることは、最後の特性 に集約 されているように、「道徳性」 とい う道徳 にかかわる現象 においての中心的な役割 を成す要素 を社会のなかにで も、文 化のなかにで も、歴史のなか にで もな く、他 ならぬ人間個人の発達様式のなかに見出 し田村 :「道徳性心理学 とリベラリズム」MoralPsychologyandItsLiberalPresupposltlOn 139 た、 とい う点 にあ り、人の在 り方に大 きな影響 を及ぼす潜在性 を持 った理論である と言 えよう。 この人間 を中心 においた道徳観 は、 また、上記 のデュルケム以来
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世紀 を通 して試み られて きた道徳性研究の流れに沿 った ものであ り、それ らに対 して決定的な帰 結点 を見出 した ものである とコールバ ーグが理解 していた と言 って もよいか も知れない。 コールバーグ理論が持つ インパ ク トについて4点の特性 を挙 げて きたが、その インパ ク トは、一つの心理学理論が内包するには余 りに重大で、余 りに影響力が大 きい ことに 驚 く人 も多いのではないだろうか。 しか しなが ら、 コールバ ーグ理論が主張す る各発達 段階の構造 を示唆す る子供の理由付 け様式 (義務 と価値 についての判断様式)その もの はそれほど奇抜 な ものではない し、画期的な もので もない。 コールバーグがその発達理 論 を構築 した基盤 となった発達段階 を示すデータとその内容が どんな ものであるか をま とめれば次の ようになる。 コールバーグの研究 において、子供 たちは道徳的ジ レンマ と 呼 ばれる短い物語 を聞か され、そこに含 まれる道徳的 な葛藤 を解決す るべ く道徳理 由付 けをす るようにたずね られた。 このインタビューで集め られた子供 たちの理 由付 け様式 を分析 した結果、コールバーグは発達的 に次の6つの段 階 を認めたのである。第一段 階 : 罰 と服従志向、第二段 階 :道具主義的相対主義志向、第三段 階 :対人関係の調和、 また は、良い子志向、第4段階 :法 と秩序志向、第5段 階 :社会契約的適法主義志向、第六 段 階 :普遍的な倫理的原理志 向(Kohlberg,
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。す なわち、道徳的 なジ レン マ を解決 しようとす る とき、子供たちは外的な罰の有無 によって道徳的に正 しいか否か を判断する第一段階か ら、徐 々に多 くの人の立場 を考慮で きるようにな り、最終的 には そこにかかわる全ての人 を考慮 に入れた普遍的な倫理的原理 に則 った道徳判断が出来 る ようになる、 とい うものである。 コールバーグは最終的な第六段 階 をその縦断的研究の 被験者の うちか ら発見 してはいないが、第五段階 まで を概観すれば、 この推移 は子 ども たちが徐 々に多 くの人の立場 をその道徳判断のなかに組み込み、その中で公正 を求める とい う、社会性の発達 と受 け取 ることも出来 よう。 また、 この道徳性発達理論が示す発 達段 階が示す理由付 けの内容が時間系列の中で徐 々に洗練 された ものに推移 しているこ とに同意す ることもさほ ど難 しいことではない。 この ような発達的な推移が、ある文化的背景 を持つ子供 たち、例 えば民主主義的 な社 会規範の もとに育 ったアメリカ人中流家庭 出身者のなかで観察 された、 とい う結論付 け がなされていたならば、 この コールバーグ理論 はそれ以降わた したちが 目撃す ることに140 清泉女学院短期大学研究紀要 (第20号) なる激 しい議論の対象 にはならなかっただろう。 しか しなが ら、 コールバーグはその よ うな単純 な結論 には満足 しなかった。 この理論が持つ強いイ ンパ ク トは収集 されたデー タを分析 した際 にそのデー タの背後 に彼が推論 した子供の道徳性発達構造 にその源 を見 ることが出来る。つ ま り、 この理論の基盤 となった ピアジェ流発生的認識論 を基盤 とし た構造発達の適用 を彼 は是 としたのだ。つ ま り、 コールバーグ理論 は単 に現象 を描写 し た ものではな く、彼の理論的主張の強調 は、上 に述べ た ように、 この推移が ピアジェ流 の 「堅い構造発達段階」 を成 しているとい う点におかれているのである。 この彼が強調 した点が正 しい ものであるならば、 コールバーグの理論 を画期的な もの とす るに十分 な 根拠 となるであろう。 コールバーグの理論がその方法論、理論的 ・文化的バ イアス等、様々な側面か ら批判 され続 けているにもかかわ らず、アメリカ国内だけでな く広 く世界的に受 け入れ られて いるかに見える現状 を見 る ときに、わた したちはこの理論が持つ非常 に広範 な問題解決 能力の可能性 とその理論が指 し示す人間観 を無視するわけにはいかないのである。そ し てこの問題解決能力 と人間観 は正 しくコールバーグが理論的前提 とした 「堅い構造発達 段階」が持つ決定論的な性 質にある。 しか しなが ら、 この決定論的な理論的前提の うち にこの道徳性理論の弱点 も同時に見つけ られるのである。す なわち、この前提 はあ くま で も理論的前提であ り、彼がその方法論 を通 して実証 しようとして きた道徳性発達の「直 接 に証明 され得 ない」側面で もあるのだ。か といって、 この側面 はコールバーグ理論の 中核 をなす ものであ り、他 のマ イナーな部分の修正 はあ り得て も、 この部分 を変 えるこ とは理論全体 を全 く別 な もの に して しまう危険性 をは らんでいる ものであ り、 コール バーグ自身この 「堅い構造発達段 階」 に関する主張 は譲 っていない ように思われる。 構造発達は、 また、 コールバーグ理論の第四番 目の特質 として述べ たように、人間の 自由な、 自律的な道徳性 を生物発生的な レベルで裏付 け ようとした もので もあ り、それ 故 に、わた したちが持つ人間観 に大 きな影響 を与 える ものである。従 って、 この構造的 な理論基盤 を検討することは、わた したちが この人間観 を受 け入れるか否かの判断を下 す前 に必須の作業 なのである。 また、問題提起で指摘 した ように、わた したちが 日常的 レベルで捉 えている道徳 に対する印象が この構造発達の示 している人間性 の 「自由さ」 と必ず しも一致 しているわけではないことも念頭 に置 く必要があるだろ う。 この現実 と 理論の間にある落差は どこか らくるものであろうか。構造発達 を通 して コールバーグが
田村 :「道徳性心理学 とリベラリズム」MoralPsychologyandItsLiberalPresupposition 141 主張 したことの中核 に見落 とされている点はないだろうか。そ して、その見落 とされて いる点がわた したちの道徳 に対 して持つ否定的な印象 と一致す る点はないだろ うか。以 下 に、 コールバーグがその理論的基盤 とした ピアジェの発生的認識論の概略 をた ど り、 その道徳性研究へ の適用の是非 について ピアジェ自身が どの ような態度 をとっていたの か とい う点 について論 じて行 きたい。
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) ピアジェの発生的認識論の意義 コールバ ー グが ピアジェの発達観 を指 し示 す際 に使 った 「堅 い構 造発達段 階(Hard StructuralStages)」 とは、ピアジェの構 造論的な生物観、人間観 にその源 をた どること が出来る。 ピアジェは、子供 の認知能力の発達段階 を明 らかに した心理学者 として知 られている が、その発達研究 は彼特有の方法論 とその研究か ら導 き出 された理論的な枠組みのなか で理解 される必要がある。研究の基礎 となる方法 は彼 自身が後 に発生的認識論 (Genetic Epistemology)と呼ぶ生物学的発生論 をモデル とした認識論 を前提 としている。ピアジェ は子供たちが世界 を認知す る際の基本的カテゴリーを、論理、空間、時間、因果性 、数 等 に区分 し、それ らを主 にインタビュー、臨床的手法 を通 して観察 し、その観察結果の うちに発生 的 な発 達パ ター ンとその背後 にあ る構 造 的 な全体性 (wholeness)、変換 性 (transformation)、 自己制御性 (self-regulation)を見出 しているのである。研 究結果か ら 導 き出 された子供の認知形態 とその発達が構造論的な枠組みのなかで理解 されているた め、彼 の 立 場 は構 造 主 義 (Structuralism)の 一 角 に位 置 づ け られ て い る (Piaget, 19681-1970,1971)。 ピアジェ流の構造主義的立場 を他の立場 と簡単 に比較すれば、 この理論的立場 に身を 置 く研究者 は、その人間観 において経験説、及び、生得説双方 を取 り入れているが、そ の 二 者 を有 機 的 に結 び つ け る た め に、個 体 の 自己 制 御 をそ の 中 間 にお い た構 築 (construction)の概念 を人間理解の枠組み として受 け入れている、とまとめ られ よう。す なわち、人間は生得的な生物的限界のなかで経験 によって人間特有 な方法で現実 を自己 の内部 に取 り込む、 とい うシステムを想定 しているのである。そ して、 ピアジェの発達 観 はこのシステムに則 っているため、哲学、心理学の分野で繰 り返 し論 じられて きた経 験説か生得説か とい う立場の二極化 を避 け、彼 自身が著書 (19681-1970)の表題 に も便142 清泉女学 院短期大学研 究紀要 (第20号)
用 した構造主義 に落 ち着いているのである。以下 にこれ ら三者の立場 を比較 してみ よう。
経験説 に基づいた心理学 ポジシ ョンとして、ピアジェ (19682-1975)はラマルクの生
物学 に重 ね合わせ られる心理学的立場 をあげている。 このポ ジションをピアジェは 「構 造 な き発生主義」厄enesiswithoutstructure)と名付 けている。 この立場 に立 った心理学 者 は、人間を含めた生物 は、外部か らの刺激 によっていか ようにも変えられるとい う可 塑性(plasticity)を持 ってい る、 とい う前提 に立 っている。「構造 な き発生主義」の前半 は、その可塑性が生物 に とって全 く任意の環境 に左右 される とい う個体内の 「構造 なき」 性質 を表 している。 また、後半の 「発生」 はその生物が時間軸 にそって、通常 はより単 純 な系 か らより複雑 な系へ と変化す ることを示 している。 ピアジェはその例 としてアメ リカの学習理論 をあげ、連
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薗 7分欲求 に膚 せ られるきわめ でノ野られ/Jあ る産 の生 得薗 7i席題だけ を厭 けT ば環膚 の影響 によって、変i られる (ピアジェ、1975、 p185)、 とい う基本姿勢 をもった ソー ンダイク、ハル、スキナ一等、アメリカの行動主 義者 を念頭 に置いている。一方、 これ とは正反対の生得説 に範 をとった生物学者 として、 ピアジェはワイスマ ンをあげている。 日本で もな じみの深いロー レンツもこのポジシ ョ ンに立つ生物学者 としてあげ られ よう。 ロー レンツ (1982)はカン トの言 う知識のカテ ゴリーは経験 に先立 って(apriori)生物的に前成(preformed)されているとして、その証 拠 の一つ として彼が カモの雛 の うちにほ どこ した刷 り込み(imprinting)の現象 をあげて いる。 ピアジェ (19682-1975)はこのポジシ ョンを 「発生 な き構造主義」(structuralism withoutgenesis)と呼 んでい る。つ ま り、全 ての事柄 は、個体 内部 に遺伝 因子 として前 成 された不変 な構造 によって決定 されている とい う意味である。 ピアジェは別の著作 に おいて (Piaget,1970)このポジシ ョンを代表する現代 の言語学者 としてチ ョムスキーを 引用 し、その生成文法 を通 して措かれた人間の持つ言語取得能力の強力 な生得的側面 を 指摘 している。 経験説、生得説両者 とも、その説明原理のエ レガン トさにおいて魅力的なポジシ ョン であ り、それ故、多 くの研究者 を惹 きつけて きた。 しか しなが ら、そのエ レガン トさ故 の短所 も大 きい。すなわち、経験説 も生得説 もその主張 はたがいに大 きく異 なった立場 の枠組みを持 っているが、それを現実の認識の問題 に適用 した ときに、その認識の主体 である人間の認識行為の結果 を描写することは出来て も、その認識過程 はあ くまで も理 解不能な 「ブラ ック ・ボ ックス」の ままに残 されて しまうのである。刺激 とそれに対す田村 :「道徳性心理学 とリベラリズム」MoralPsychologyandItsLiberalPresupposltlOn 143 る反応か ら全 ての行動 を説明 しようとした行動主義のアプローチはその典型 といえるだ ろう。 この間題 に解決の光 をあてているのが ピアジェの発生的認識論 を基礎 に した構造 主義の立場であると位置付 けることが出来 るだろう。 上記二つの立場 を引 き合いに出 しなが ら、 ピアジェ (1972,19682-1975)は 自己制御 の機能 を明 らかにす ることによって、経験説 と生得説 どちらにも与 きない認識論 を展 開 している。 この認識論 は二者がその存在 を考慮 にいれなかった適応(adaptation)の概念 を、認識行為 をする側の機能 として、それを認識 される客体 との間に想定 したのである。 この見方 によれば、人間は認識の客体 に適応す ることによってその客体 を認識 している と説明 されている。 ピアジェは ここで適応 の2つの側面 を想定 している。適応 の第-の 側面 は同化(assimilation)と呼 ばれ、人はこの適応 によって、認識の客体 を自己の うちに あるシェマ(schema)に取 り込 むことによってそれ を理解する。そ して、この適応 はその 客体が 自己の うちにあるシェマ と大 きく変わ らない状況 においては、同化の側面が有効 であるが、それが 自己の持つ シェマの同化 を超 えている場合 には適応 の もう一つの側面 である調節(accommodation)機能 によって自己の うちにあるシェマの調節 を行い、客体 をシェマに取 り込む、 とい う機能 を想定 しているのである。すなわち、人は同化機能 に よ り客体 を取 り込み、同時 に調節機能 によってその構造 自体 を変えて行 く、 と言い換 え られ よう。 この認識過程の背後 にある動機の問題 に対 して、 ピアジェは感情的要 因を導入 しての 説明 を避 け、それを認識の発生的メカニズムの働 きによって解決 しようとしている。す なわち、 ピアジェ (1975)は構造の働 きを均衡 とそれが撹乱 された状態である不均衡、 そ して、その不均衡状態 に反応する補償 とい う三つの概念 を使 ってこの間題 に接近 して いる。認知構造はそ こになん らチ ャレンジす る外 的な刺激がない状態 においては均衡状 態 を保つが、その ような完全 な均衡状態 は現実 には考 えに くい。構造の前 には絶 えず外 部か ら、その構造 によっては解決 され得 ない問題が構造 を撹乱す る もの として提示 され、 不均衡 の状態が作 り出 される。構造はその撹乱 によって もた らされた不均衡 に対 して補 償 をもって対応するのである。具体的にこの均衡 と補償の関係 を言い換 えれば以下の よ うになろう。子 どもは、質量保存概念の獲得 に到 る過程 において (ピアジェは粘土玉 を ソーセージ形 に して量 の保存概念の有無 を子 ども達 に試す作業 を実例 に して説明 してい る)、最初 は粘土玉か ら形 を変 えられたソーセージ状粘土の変形の一側面 だけを判断の材
144 清泉女学院短期大学研究紀要 (第20号) 料 とす る限 られた方略 を使 うか もしれ ないが、その方略の限界 を徐 々に乗 り越 える第二、 第三の方略 を使い、最終的 には保存概念 に到達す る。 この子 ども達が使 う方略の推移 を 分析す ることによって。 ピアジェは構造が発生的な順序 で起 こってい ることを明 らか に したのである。 この ように して適応 の過程 を繰 り返す こ とによって、構造 は質量 ともに 多様化 して行 くとい うことになる。そ して、 この多様化 に よって構造が変化 して行 くと 説明 されているのである。 この過程 をピアジェは認知構造 の 「自己制御」 によって、構 造 の 「全体」が 「変換」 して行 くとい う、構 造的認識論 における3つの概念 を使 って説 明 している。 以上簡単 に述べ た ピアジェの認識過程 には、それぞれの認識 にその認識 の発生の前段 階があることか ら、生物学 で使 われる発生 的kenesis)とい う言葉があて られている。 こ の発生 的 な変化 は、 また、成熟(maturation)によって、成長時期 に合致 した大 きな質的 な飛躍 を伴 うことも観察 されている。これ をピアジェは発達(development)とい う用語 を 使 って表現 してい る。 ピアジェは、発生 と発達、構造 の変化 の過程 は、その結果 として 起 こる変化が唯単 に構造が任意 に環境 に従 って変化 している とい うもので はな く、変化 とともによ り安定 した構造が結果 として生 まれて くる とい うことを生物学 の個体発生 に なぞ らえて説明 している。す なわち、 衛体発生 l上 帝ノ野系夕掴 i遭 むにつれ 丁、お とをの 状 欝 とい う此密彩安定
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/J#/欝に到 る (ピアジェ、1975、 p183) とい う意味 を発生 、 発達 とい う用語 に含 ませ ているのである。 ピアジェはこの発生的認識論 の背後 に人間の認知発達の様式が神経構造 にまで遡 るこ とがで きることを示唆 している。その根拠 は認識論 に発生 の概念 を導入 した ときに当然 の帰結 として浮かび上が って くる。す なわち、ある構 造 はその構造 の前段 階 を前提 とし てい る とい うこの発生的認識論 を念頭 に置 けば、その構造 はその前 の構造 、そ して、そ の また前の構造 と限 りな くさかのぼることが理論的 には可能 となるのである。 もしも、 その ような遡行が可能であるな らば、現在 のわた しの認識構造 はそれ をつか さどる神経 構造、そ して、その神経構造の発生的根源 にまで さかのぼることが可能 と言 えるのであ る。 この示唆 は、勿論神経学 において実証 された ものではな く、彼が子供 たちか ら集め た様 々な思考形態 を示す デー タか ら推論 された ものである。 この強い生物学への傾倒 は 時代 的 に重複 のあるフロイ トがその心 的エ ネルギーの概念 を導入 して 自らの理論が示す 人間心理の基盤 に物理的 な因果関係 を示唆 していたことと符号 の一致す る動 きで もある。田村 :「道徳性心理学 とリベラリズム」MoralPsychologyandItsLiberalPresupposltion 145
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年 にピアジェが精神分析 と児童心理学の著作 を著 している事実 と考 え合わせ た とき に、2
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世紀前半、この二人の心理学者の間には何 らかの接点があ り、共 に堅い科学(Hard Science)を心理学が 目指すべ き理想 としていたことは充分 に推測で きることである。 それではピアジェの発生的認識論が持つ特徴 と意義は どこにあるのだろ うか。 ここで 改めてまとめてみ よう。第一 に、経験説や生得説がブラ ック ・ボ ックス として残 した認 識の主体 を構造 として とらえ、その認知経過 と認知能力の発達 を説明す ることを可能 に したことがあげ られる。第二の特徴 として、先の構造論的なアプローチ を導入す る際 に、 そ こに情意や感情 といった要素 を取 り去 り認知能力 を純粋化 していることがあげ られ よ う。 この特徴 はピアジェが、児童心理学 を厳密 な科学 として扱お うとしたため、そ こに 認知能力以外 の要素 を入れることで起 こる暖昧 さを避ける意図のあ らわれ と解釈 して よ いだろう。第三 に、発生的認識論の特徴 として、観察 された認知能力 の源が生物的側面 にまで さかのぼれることがあげ られ よう。 この特徴 は直接 の実証 に裏付 け られている訳 ではないが、 ピアジェが確信 していることの ように思われる。第四に上記三点の特徴か ら浮かび上がって くるピアジェ認識論の意義 をあげてお こう。す なわち、認識主体 の認 識 にかかわるシステムその もの を構造的 に説明 し、その説明は認知能力 に絞 られている ために非常 に明確 な もの となっているのである。そ して、その説明 されたシステムその ものは、コールバーグが 「堅い構造発達段 階(HardStructuralStages)」 とその堅 さを強 調 しているように決定論的な もの として想定 されているのである。そ こには弁証法的接 近 を極力避け、発生的認識論 を実証科学の分野 として確立 しようとした ピアジェの意図 が強 くあ らわれているのではないだろうか。そ して、 この点 こそが コールバーグの関心 を強 く引いた もので もある。 それでは、 ピアジェ自身の道徳性研究 はこの発生的認識論のなかで どの ような位置づ けがなされているのであろうか。 この間題 に関 してはピアジェ自身が多 くの発言 を して いないことか ら、著作 の発表年代、そ して、道徳性 に関 しての数少 ない記述か ら推測す る とい う接近方法 を採 らざるをえない。 (3) ピアジェの道徳性研究 先ず、 ピアジェの道徳性研究が行われた時期 を他の研究の時期 との比較で明 らか に し てみ よう。「子 どもの道徳判断」は1
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年 に発表 されている。 この発表時期 は、初期 の主146 清泉女学院短期大学研究紀要 (第20号) 要
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部作 である 「子 どもにおける言語 と思考」(
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、「子 どもにおける判断 と推理」(
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、「子 どもにおける世界観」(
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、そ して、「子 どもにおける物理的因果関係」
(
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に続いて、5
番 目に発表 された著作 と位置づけ られる。 これ らの著作の発表時期 と彼が上記の発生的認識論 をひとつの まとまった理論 として構成 した時期 に関 してはか な りの時間的な差が見 られる。 ピアジェ(
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は 「発生 と構造」 に関す る統合 は1
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年 にフランス哲学会で報告 をした際には じめて この間題 に直面 したことを明 らかに して いる。従 って、「子 どもの道徳判断」が書かれた当時、ピアジェは発生的認識論 に見 られ るような明確 な理論立ては していなかったことになる。彼 は自身の研究への接近方法 と して発生 と構造 との関係 についての仮説 を予め立 てることはせず、これ ら初期 の研究が 行 われ、結果的にこの理論 に示 された発生 と構造の関係が明 らかになった と述べ ている。 この間題 に関 しては、アメリカの児童心理学者であ り、かつて ピアジェの学生で もあっ たエルキ ン ドが二つの論文(
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において、 ピアジェの初期研究 において繰 り 返 し見 られる論理(logic)、相対性(relativity)、対話(dialectic)のテーマを分析 し、これ ら が、後 にまとめ られた発生 と構造の関係 を明 らかに した発生的認識論 と同一線上の もの であることを明 らかにしている。従 って、 この時間差の故 にピアジェの道徳性 の研究 と 発生的認識論 を切 り離 して考 える必要 はない と思われる。 研究書の出版年代 を見た とき、もう一つの興味深い点が指摘 され よう。 ピアジェの「子 どもの道徳判断」 の研究は一見唐突 に出された ように思われる。何故 ならば、それ迄の 研 究対象が子 どもの認知能力であ り、そ こに情意や感情 を含めることに消極的だった彼 にとって道徳性 の研究は最初か ら明確 な結論 を出す とい う点 において大 きな困難が予想 されるテーマであったか らだ。一方、 ピアジェが初期の研究 において明 らか に した子 ど もの 自己中心性(egocentricity)とい う認知形態 を考 え合わせ る と、それが彼 を して道徳 性 の研 究 に着手 させ る動機 となったことも充分 に推測 される。す なわち、 自己中心性か らの脱却 とい う認知の発達的特徴 と道徳性 の間に関連性 を認めた、 とい うことだ。それ では上 に指摘 した発生的認識論の枠組の中で、認知的な自己中心性か ら脱却 してい く子 供達の道徳性 は どの ように理解 されているのだろ うか。 ピアジェ(
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)
の道徳性 に関する研究は子 どもの道徳的行動や感情 を研究対象か ら 外 し、その道徳的思考の様式 に的 を絞 った ものだ。彼が取 り扱 ったテーマは、子 どもが 持つゲームのルールに対す る実践 と意識、責任、嘘、盗み、罰、いたず ら等の概念、そ田村 :「道徳性心理学 とリベラリズム」MoralPsychologyandltsLlberalPresupposltion 147 して、公平 に関する意識等であった。それぞれのテーマにおいて子 ども達 はその思考 を インタビューを通 して観察 された。そ して、それぞれに対 して複数の質の違 った回答が 寄せ られた。例 えば 「公平 に関する意識」の調査で
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才か ら1
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才 までの子 ども達 は 「何 が不公平か」をたずね られた。子 ども達の回答 は大 きく4つの種類 に分け られた。先ず、最 初 の回答の種類 は 「不公平 は大人か らの命令 に反 した行為」、第二の回答の種類 は 「ルー ルに反 した行為」、第三の回答の種類 は 「平等性 を欠 く行為」、そ して、第四の回答の種 類 は 「大人の社会で起 こる公平性 を欠 く行為 一社会的、政治的」 であった。そ して、そ れぞれの種類の回答 をどの年齢の子 どもが寄せ たか をパ ーセ ンテージで比べた ところ、 第一の 「大人の命令 に反 した行為」 と答 えた ものは圧倒的 に低年齢層の子 ども達であ り、 第三、第四の 「公平性 を欠 く行為」、「社会的不平等」 の答 えを寄せ た ものは高年齢層の 子 ども達だった。他 のテーマに関する調査で も似 た傾向が見 られた。ゲームの規則 に対 す る意識の調査で も、低年齢層の子 ども達がルールを 「絶対の、神聖 な」 もの とみなす 傾向が強いのに比 して高年齢の子 ども達はルールを 「そ こに関わる人々の合意 によって 変 えられる」もの とみなす傾向が見 られた。すなわち、年齢 の低 い子 ども達の多 くが「大 人、規則、権威」 に従 うことを良い行動 と見な し、年齢が上が るに従 ってその服従か ら 離れ、 自分 自身で考 えるようになるとい う傾向が観察 されたのである。 この ような結果 か ら、ピアジェは道徳 の発達段階 を他律(
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)
と自律(
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)
の2
段階の発達 として結論づけたのである。すなわち、親や権威 に従 うことを善 しとする他律的な道徳 意識か ら、子 ども達 は自分 自身の 自律的な道徳判断 を下せ る段階 に発達す る、 とい う極 めて単純明快 な結論 に落ち着いたのだ。1
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年の子 どもの道徳判断に関する研究 はその後の3
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年 にわたる長い沈黙の後、弟子 の イ ンヘルダー との共著(
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-Gr
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のなかで再 び扱 われるこ と となるが、その内容 には道徳感情が付 け加 えられている他 は1
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年の彼の徳性研究の基 本 ラインにそった ものだ。 ピアジェは1
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年代 中盤 までその著作 を発表 しているにもか かわ らず、それ以降、道徳性の研究 に関 して彼 は沈黙 を守 っていたのである。 ピアジェの道徳性 の研究 に関 して簡単 な集約 を行 って きたが、彼の道徳性研究 は、発 生 的認識論 を基盤 と した構造論の在 り方 に密接 に関連 してい る ように思 われる。 ピア ジェは、 自己中心性か ら脱却 した後の子供達の様 々な道徳的思考 を細分化 した段 階 とし て捉 えず、明確 な発生的前後関係 を持つ2つの発達段 階 として理解 しているのである。148 清泉女学院短期大学研究紀要 (第 20号) すなわち、彼 自身が収集 したデータを暖昧 さは残 るが興味深い結論- とは導かず に、厳 密 な認識論の枠内で地味 な解釈 をしようとしているのである。次の項ではこの ピアジェ の道徳性への接近法 と、コールバーグとの比較 を検討 しなが ら、道徳性心理学が示す リ ベ ラリズム と実際の道徳環境 の間にある溝 について考 えて行 きたい。
3.
道徳性研究 と道徳環境 ピアジェの道徳性研究 を概観するときに、彼が提示 した結論があ ま りに控 えめである ことに驚か される。そ して、 コールバーグとの比較 において、 ピアジェの このテーマに 対する態度が消極的にさえ思 われるのである。 ピアジェが このテーマに対 して消極的で あった とい う印象 をもった理 由を3
つあげてお こう。第- に、 ピアジェの1
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3
2
年の研究 においての主要 な結論 は道徳性の発達 を 「他律」の段階か ら 「自律」の段階 に移 るとい う、膨大 なデータか ら導 き出 されたに しては、極めて控 えめな ものであった ことがあげ られる。第二 に、同年の段階で ピアジェはまだ明確 な発生的認識論 を構築す るに到 って いなかったので、その枠組み を使 って彼が指摘 した発達段階の発生的解釈 を詳細 に行わ なかったことは理解で きる。 しか しなが ら、1
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年の段 階では既 にこの認識論 は彼の内 で確 固 とした ものになっていた。それにもかかわ らず、何故、その枠組 を使 って発生的 な説明 を試みなかったのであろうか。 ピアジェが論理 ・数学的操作能力の発達 において は綿密 な発生的認識論 にそった説明 をしているの と比較する と、この消極性が一層 目立 つのである。第三 に、 ピアジェが コールバーグの理論 に対 して沈黙 を保 っていた理由は 何 だったのだろうか、 とい う疑問があげ られる。6
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年代後半 になって、 コールバーグは 盛 んにピアジェとの関連 を述べ ているにもかかわ らず、それ に対 して ピアジェか らの反 応 は、少 な くとも公的には、何 もない ように思われる。 この ピアジェの消極 的な態度の 背後 にあるものは何 だろうか。 この質問に対する明確 な答 えは勿論得 られ ようはず もな い。 しか しなが ら、 この質問 と答 えのなか に問題提起で述べ た、道徳性研究が示す リベ ラルな道徳観 と実際の道徳環境 の間にある溝 を理解する ヒン トが見つけ られるようにわ た しは思 うのである。以下 に、 ピアジェの道徳性研究 に対す る態度か ら推論 される二つ の問題把握の可能性 をあげてお こう。 第一 に、認知発達 と道徳性 の発達の区別 を明確 にせず して、道徳性の問題 をピアジェ 流発生的な解釈 を使 って理解す ることの難 しさである。 ピアジェが認知能力の発達段階田村 :「道徳性心理学 とリベ ラリズム」MoralPsychologyandltsLiberalPresupposition 149 で観察 した自己中心的な認知形態の研 究か ら道徳性研究への移行 を したことはその年代 の間にある一致 を見れば容易 に想像がつ くことだ。 この移行 は一見論理的な移行 に見 え る。 しか しなが ら、そ こには大 きな飛躍 もある。前者 は認知的な限界か ら 「他者 の視点」 と「自己の視点」が違 うことを理解で きない とい う特徴 を持 った認知形態である。一方、道 徳性 においては、そ こに善悪の価値判断、又 は、価値 に対す る情意が介入 して くるので ある。両者 を発生的認識論 に従 って解釈 した とき、認知的な自己中心か ら子 どもが脱却 す るとき、発生的な前段階は単 に間違 った もの、 よ り劣 った もの として捨 て去 ることが で きよう。それに比 して、道徳性の発達 においては前の発達段 階 を発生的 に一段階古 い もの として簡単 に捨 て去 ることは難 しいのである。例 をあげてみ よう。 コールバーグの 第三段 階で人は家族や近親者の内で良い子 を演 じることに道徳的な価値 を兄いだ してい る。その段階 を通 り過 ぎて第4段階に達する と道徳的判断が一層社会的な もの となる。 す なわち、 自分の属する社会の法律 ・規則 に重 きを置 くようになる とい う。 この2つの 段階の間で発達が起 こった とき人は同時 に大 きなジ レンマに陥ることになるのだ。そ し て、 自己の道徳性が示す よ り高い段階 に惹かれなが らも、 自分 の古巣での人間関係 を、 認知能力の限界である自己中心か ら抜 け出 して一層広い視野 を享受す る時 に前段階の 自 己中心的な思考形態 を捨 てるの と同 じように捨 て去 ることはで きないのではないだろ う か。その意味で、道徳性 の発達段階が進めば進むほ ど人間は一層複雑 な価値観の相克 に 悩 むようになる。 この複雑 さは ピアジェが論理 ・数学的操作能力の発達で示 した もの と 全 く違 った ものの ように思 われる。従 って、道徳性発達 をよ り現実的に捉 えるためには、 この相克の中で人間が なおかつ高い価値観 を選び取 ることを説明す るための装置が必要 となるのである。そ して、その装置 を発生的認識論の中に組み込 むことに無理があった のではないだろうか。 ピアジェがその道徳性発達理論の中で他律 と自律の段階のみ に発 達 を限 った背後 に、 この複雑化 を避ける意図 もあったのではないか と推測 されるのであ る。一方、 コールバーグが 「堅い構造発達段階」 として 自らの理論 をピアジェ流の発生 的認識論の基 に位置づ けたことの是非 を考 えるとき、 ピアジェが 自らの道徳性研究 に対 して とっていた態度 をもう一度熟慮す る必要があるように も思 われる。 わた しの学生が示 した道徳 に対する否定的な連想 も、 こんな道徳性 の相克に原因の一 端があるのではないだろうか。 第二の問題把握の出発点 として、わた したち自身の内 にある道徳性 の発達 とは別 に文
150 清泉女学院短期大学研究紀要 (第 20号) 化、社会 に固有の道徳的環境が存在する とい う事実 を指摘 してお こう。 ピアジェが道徳 性 の内容 を詳細 にわたって固定せず に、他律 と自律 に限 った理由 もこの点 にあるように 思われる。つ ま り、構造が発生的な変化 を遂げるためにはその環境 に接す る必要がある とい う基本的な前提 を考慮 に入れるとき、わた したちは普遍的内容 を持 った道徳観 をそ の文化 ・社会環境 か ら切 り離 して想定す ることには注意深 くなる必要があるのではない だろうか。 ピアジェの消極 的 と見 えた他律 と自律
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段 階の道徳発達は どの ような文化 ・ 社会状況のなかで も応用で きる利点 を持 っている。何故 ならば、そこには最低限の具体 的な価値観 しか入 っていないか らである。そのかわ りとして、任意の文化 ・社会のなか でそこに必ず存在する価値体系 に無条件 に従 う段階 と、そ こか ら自律で きる状態 を二つ の段階 として想定 しているのである。現在の 日本 において比較的相対的、民主的な道徳 観が広い意味での教育の場 にあ り、それ とは別に文化的 ・社会的に条件付 けられた価値 観が存在 しているように思 われる。そ して、多 くの人は前者の環境の中で 自分 自身の比 較的民主的な道徳性 を培 って行 くのである。 この道徳性 はコールバーグの段階発達 に似 ているものである。そ して、その道徳性が発達すればす るほどもう一つの文化的 ・社会 的価値観 との間にある溝 に気づか されて来ているのではないだろうか。 この溝 は、 とも すれば、人にダブル ・ス タンダー ドを強いることにもな りかねない。 わた しには現在の知性 を中核 においた道徳性発達研究 は行 き詰 ま りの段階にあるよう に思われる。その原因は、道徳性発達研究が道徳性 に付 き物の情意、知性、理性、宗教 性 を巻 き込んだ葛藤の うちに道徳性 を見 ることを避け、そのなかか ら一般化 しやすい知 性 ・認知能力 に焦点 を当てて きたことにあるのではないだろうか。 ピアジェは、その複 雑 な図式 を扱 うことは科学的手法のなかに組み入れがたい とい う理由で単純化 し、 コー ルバーグはその単純化か ら脱却 し、現実の社会 に見 られる具体的価値観 を含 んだ、 よ り 詳細 な段階化 をわた したちに提示 して くれた。そ こに道徳性の一端が非常 に明瞭な形で 描 き出 されていることは否めない。 しか しなが ら、後者の より詳細 な段階化が普遍的な 道徳性 の発達であるとい う結論 とともに提示 された とき、そこには行 き過 ぎた一般化 に 対する一抹の疑問が残 るのである。 この道徳性発達の研究 は道徳性 を科学的に解明 しよ うとす るあま り、道徳性 に関連 した重要 な要素 を切 り捨 てて きたのである。一方、その ような切 り捨 て られて きた要素 を考慮 に入れた道徳性発達の研究は一つの枠組みに納 ま らない複雑 な もの となろう。その複雑 さには当然の こととして暖昧 さが伴 うが、その難田村 :「道徳性心理学 とリベ ラリズム」MoralPsychologyandltsLiberalPresupposltlOn 151
しさを承知の上で、道徳性 の研究が文化的 ・社会的価値観 との関連の内に行われる必要 が ます ます強 くなっているように思われる。
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