Kobe Shoin Women’s University Repository
Title
為家書礼とその妖艶幽玄体 : 付、越部禅尼消息等の伝本なら
びに紫明抄のことなど
Author(s)
谷山 茂(Taniyama Shigeru)
Citation
文林(BUNRIN)
,No.1:92-110
Issue Date
1966
Resource Type
Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
URL
Right
為
家
書
札
と
そ
の
妖
艶
幽玄
体
1
付
、
越
部
禅
尼
消
息
等
の
伝
本
な
ら
び
に
紫
明
抄
の
こ
と
な
ど
ー
谷
山
茂
標
題
の
﹁
為
家
書
札
﹂
は
、
藤
原
為
家
が
和
歌
そ
の
他
の
条
々
に
関
し
て
、
そ
の
所
存
を
開
陳
し
た
書
札
で
あ
る
。
こ
の
書
札
の
内
容
は
ま
だ
紹
介
さ
れ
て
い
な
い
よ
う
だ
か
ら
、
と
り
あ
え
ず
架
蔵
の
一
本
に
よ
っ
て
、
こ
れ
を
翻
刻
し
、
あ
わ
せ
て
若
干
の
考
察
を
こ
こ
ろ
み
る
。
最
初
に
、
そ
の
本
文
と
奥
書
と
を
底
本
の
ま
ま
に
翻
刻
す
る
。
た
だ
し
、
閲
読
の
便
を
は
か
っ
て
、
適
当
に
改
行
し
、
句
読
点
.
濁
点
.
訓
点
な
ど
を
ほ
ど
こ
す
。
な
お
、
底
本
に
は
、
読
み
仮
名
な
ど
も
付
し
て
あ
る
が
、
そ
れ
ら
は
省
略
す
る
。
l
O
-条 々 御 詠 所 存 少 々 注 進 候 。 自 二 先 度 一彌 見 二 御 詠 一者 、 地 躰 殊 神 妙 之 上 、 被 二 思 食 入 一候 、 姿 詞 尤 珍 重 々 々 候 。 凡 計 一 字 事 、 父 祖 庭 訓 と て は か み \ し く 存 分 た る 事 も 不 レ 候 。 只 為 レ 先 二 理 世 一 廻 二 風 情 一 、 叶 二 義 理 一兼 二 華 実 一。 思 二 比 類 一、 取 二 讐 喩 一候 も 妖 艶 幽 玄 躰 を 存 候 は 窄 、 を の つ か ら 不 レ 可 レ 背 二 六 義 一 。 且 者 、 古 今 序 ﹁ 花 を た つ ね 月 を こ ふ と て ﹂ と 賢 愚 を 書 顕 候 欺 。 又 、 千 載 集 序 に ﹁ 本 文 法 門 を も さ と ら ず 、 只 仮 名 四 十 七 字 之 内 、 思 ふ こ と を 詞 に 計 一 字 に い ひ つ ら ぬ る 故 に 、 八 雲 の 底 を し の ぎ 敷 嶋 の さ か ひ に 入 す ぎ た り と の み 思 へ る 成 べ し 。 し か は あ れ ど も 、 ま 事 に は き れ ば 弥 か た く 仰 ぱ 一一92一弥 た か き 物 は 嵜 道 也 ﹂ と 書 候 。 寂 蓮 、 ﹁ い な ば を わ た る さ ほ し か の 聲 ﹂ と よ み て 自 讃 つ か ま つ り 候 け る を ば 、 祖 父 俊 成 、 ﹁ 末 代 の 再 損 ぜ む ず る 肝 也 。 誠 す く な し 。 恋 . 述 懐 な ど に は 利 口 も ゆ る す 事 な れ ど 、 四 季 岳 は 虚 誕 は 不 レ 可 レ 然 候 ﹂ 由 、 申 候 け る 。 千 載 集 に い れ ず 候 け る を 、 絵 に な く ノ \ 申 け る 不 便 さ に 、 父 定 家 、 平 に 申 入 て 候 き 。 ﹁ 今 思 食 候 へ ば 、 猶 よ く 申 候 け る 。 近 代 寄 、 此 風 出 来 て 、 ひ た 虚 言 に 成 に た り ﹂ と 申 候 き 。 如 レ 此 事 、 此 中 風 、 い と 穿 手 振 候 て 委 不 レ 申 候 。 又 、 新 勅 撰 の 比 、 橘 長 政 と 申 候 し 好 士 、 自 讃 再 に ﹁ さ き に け り 雲 の は た て の 山 ざ く ら あ ま つ 嵐 に 物 思 へ と て ﹂ と 詠 候 て 、 平 に 可 レ 入 之 由 、 懇 望 候 き 。 亡 父 、 い と を し げ に ﹁ さ く ら 程 の 物 を 、 人 の 物 思 へ と て さ く と い ひ な さ む 、 い ま / \ し ﹂ と 申 候 き 。 就 レ 之 、 近 年 見 及 候 へ ば 、 春 の 明 ぼ の ・ 秋 の 夕 暮 ・ 秋 の 夜 の 月 、 み な 此 義 に 罷 成 候 。 只 、 時 節 す ご く 身 に し み 、 景 物 の 心 を う こ か し 、 た へ が た き 事 を 賞 翫 ご と く 思 給 候 へ 。 是 等 事 、 次 、 私 存 知 申 候 。 不 レ 可 レ 有 二 御 披 露 一候 。 如 レ 此 事 は 、 祖 父 に 亡 父 四 十 除 年 、 亡 父 に 融 覚 四 十 鯨 年 、 承 を き 候 し 間 、 さ す が に 多 候 へ ど も 、 老 病 相 侵 、 心 神 衰 疲 、 無 下 に よ は く 罷 成 候 て 、 忘 脚 候 し 上 、 右 筆 不 レ 合 レ 期 候 し 間 、 き と 存 事 を 申 候 し 。 返 々 片 腹 痛 も 候 鰍 。 愚 鮎 之 事 、 師 匙 な ど 無 二 左 右 一合 候 。 撰 寄 之 時 、 臨 レ 期 、 吾 次 第 も 違 齪 、 作 者 つ 宰 き も 無 骨 候 し 時 、 相 違 出 来 候 し 間 、 ﹁ さ て や 、 い か に 師 鮎 は 合 た り し そ ﹂ と つ め ら れ 候 。 難 レ 堪 に 候 し 間 、 少 々 略 候 を 、 被 レ 庭 二奇 惟 不 審 一、 公 私 難 レ 堪 候 也 。 一 、 九 品 事 、 凡 無 二 才 學 一候 。 吾 事 は 、 只 重 代 好 士 、 構 々 面 々 に 勇 を な し 興 を も よ ほ し て 、 い よ く 道 の た め 広 大 な る べ き 事
に
て
候
鰍
。
而
を
近
来
先
達
の
世
に
も
ち
ゐ
候
姿
を
あ
ら
た
め
て
、
い
ま
我
人
に
た
が
ふ
お
も
む
き
を
思
事
出
来
候
て
、
花
鳥
の
な
さ
け
、
月
雪
の
光
ま
で
、
得
を
す
て
て
失
を
賞
、
ま
事
を
し
り
ぞ
け
て
、
い
つ
は
り
を
も
て
あ
そ
ぶ
事
、
是
風
情
す
ぎ
て
お
も
し
ろ
か
ら
ん
と
案
じ
候
程
に
、
聞
に
く
き
事
も
候
鰍
。
是
を
か
く
存
候
へ
ば
、
宗
論
に
な
り
て
、
む
つ
か
し
く
候
へ
ば
、
身
ひ
と
つ
、
お
や
・
お
ほ
ぢ
申
候
し
事
思
て
、
さ
て
候
な
む
と
思
候
て
罷
過
候
程
に
、
此
風
躰
を
よ
ま
ぬ
物
は
寄
よ
み
に
て
も
な
く
、
我
に
し
た
が
は
ぬ
物
は
な
が
く
す
て
ら
れ
候
事
、
難
治
の
事
に
て
候
へ
ど
も
、
重
代
は
か
ま
へ
て
た
ら
ぬ
や
う
に
な
だ
め
も
ち
ゐ
、
非
重
代
好
士
を
ば
い
さ
み
あ
る
や
う
に
候
べ
し
と
は
思
候
へ
ど
も
、
自
他
み
な
平
等
、
大
會
は
か
な
は
ず
候
。
ま
こ
と
に
凡
夫
の
程
は
力
不
レ
及
候
。
一
、
少
將
殿
御
意
之
趣
、
是
又
不
レ
可
レ
及
二
御
制
止
一
候
。
光
行
子
孝
行
入
道
も
、
何
と
や
ら
ん
、
書
て
候
物
は
、
至
極
道
理
な
ど
申
人
に
候
と
承
候
。
身
に
は
無
レ
益
候
へ
ば
、
如
レ
此
事
ま
こ
と
に
無
レ
詮
事
と
存
候
へ
ど
も
、
顯
然
偏
頗
な
ど
は
不
レ
可
レ
有
二
其
隠
一候
。
さ
候
へ
ば
こ
そ
首
鼠
お
り
に
よ
る
事
に
て
は
候
へ
。
關
東
將
軍
耕
鏑
矧
御
詠
合
鮎
之
頃
、
遣
二
左
兵
衛
督
一繊
経
縦
子
頻
祖
父
入
道
大
納
言
爲
家
卿
書
札
也
。
可
秘
藏
。
灌
中
納
言
藤
原
朝
臣
爲
秀
判
本 云 故 了 俊 奥 書 云 此 一 帖 、 貞 世 得 二 古 今 説 一之 時 、 自 二 爲 秀 卿 一 相 傳 也 。 此 外 更 々 無 二 類 本 一 、 可 二 秘 藏 一云 々 。於
二
彼
御
門
弟
一者
一
身
而
目
者
欺
。
正
五
位
下
判
號
二
光
行
子
孝
行
入
道
一者
、
源
氏
紫
明
抄
作
者
欺
。
定
家
卿
源
氏
之
説
事
、
難
申
事
欺
。
可
二
尋
明
一候
也
。
本
云
慮 永 廿 二 年 卯 月 十 二 日 、 以 二 了 俊 庵 主 本 一 不 レ 違 二 一 字 一書 鳥 了 。 彼 本 爲 秀 卿 自 筆 也 云 々 。 941
0
1
さ
て
・
こ
の
架蔵本
は、
袋
綴
・
近
世
書
写の一
本
で
・
近
代
秀歌・
和
歌十体・
毎
月抄・
未
来記・
雨
中吟・越
部
禅
尼消息
と
合
冊
さ
れ
て
お
り
、
外
題
に
は
﹁
爲
家
書
札
﹂
、
内
題
に
は
﹁
条
々
﹂
と
あ
る
。
ひ
と
ま
ず
、
本
書
の
奥
書
を
信
用
し
て
、
そ
の
成
立
年
次
・
伝
来
経
路
な
ど
を
検
討
す
る
。
1
奥
書
は
四
通
に
わ
か
た
れ
る
が
、
そ
の
第
一
奥
書
(
冷
泉
爲
秀
の
奥
書
)
に
よ
れ
ば
、
本
書
は
爲
家
入
道
が
關
東
將
軍
中
務
卿
宗
尊
親
王
の
詠
歌
に
合
点
を
加
え
た
﹁
頃
﹂
(
底
本
、
﹁
合
点
之
頃
﹂
の
﹁
頃
﹂
の
書
体
は
﹁
次
﹂
と
も
読
め
そ
う
で
あ
る
)
に
、
關
東
祇
候
の
左
兵
衛
督
飛
鳥
井
教
定
(
雅
経
息
)
に
書
き
送
っ
た
書
札
で
あ
る
。
そ
れ
を
信
用
し
う
る
な
ら
ば
、
宗
尊
親
王
が
鎌
倉
将
軍
と
し
て
東
下
し
た
の
は
建
長
四
年
(
㌃
じ
三
月
(
将
軍
を
や
め
て
帰
洛
し
た
の
は
文
永
三
年
七
月
)
で
あ
り
、
前
左
兵
衛
督
教
定
が
他
界
し
た
の
は
文
永
三
年
(
=
一
﹂、
レ、
7
フ
)
四
月
で
あ
る
の
で
、
本
書
札
の
成
立
時
は
、
ま
ず
そ
の
間
に
求
め
ら
れ
ね
ば
な
ら
な
い
。
と
こ
ろ
で
、
こ
の
期
間
内
に
、
同
じ
く
為
家
が
鎌
倉
に
い
る
教
定
に
与
え
た
書
簡
と
し
て
は
、
す
で
注
⑦
に
文
永
元
年
(
一
二
六
四
)
九
月
十
七
日
付
の
も
の
(砂
巌
第
五
冊
所
収
)
が
紹
介
さ
れ
て
い
る
。
し
か
し
、
そ
れ
は
、
続
古
今
撰
者
中
の
ひ
と
り
衣
笠
内
府
家
良
が
墓
じ
て
、
撰
者
に
欠
員
が
生
じ
た
の
で
、
こ
の
機
会
に
新
古
今
撰
者
雅
経
卿
の
息
た
ろ
そ
な
た
(
教
定
)
も
宿
望
の
撰
者
に
追
加
さ
る
べ
く
﹁
御
秘
計
﹂
を
め
ぐ
ら
す
べ
き
で
し
ょ
う
な
ど
、
と
い
っ
た
内
容
の
書
状
で
あ
る
。
し
た
が
っ
て
、
そ
れ
は
本
稿
で
紹
介
す
る
為
家
書
札
と
は
全
く
別
物
で
あ
る
。
も
っ
と
も
、
こ
こ
に
紹
介
す
る
書
状
で
も
、
そ
の
本
文
中
に
﹁
撰
歌
之
時
、
臨
期
、
嵜
次
第
も
違
乱
、
作
者
つ
曽
き
も
無
骨
候
し
時
、
相
違
出
来
候
﹂
な
ど
と
あ
り
、
そ
れ
は
や
は
り
続
古
今
撰
進
中
に
、
各
撰
者
の
意
見
が
対
立
し
事
態
が
紛
糾
し
た
こ
と
を
述
べ
て
い
る
も
の
と
考
え
ら
れ
る
。
だ
か
ら
、
本
書
状
成
立
の
上
限
は
、
は
じ
め
為
家
ひ
と
り
が
続
古
今
撰
者
に
任
命
さ
れ
た
正
元
々
年
(
正
担
)
三
月
以
後
で
あ
る
こ
と
は
勿
論
の
こ
と
、
さ
ら
に
真
観
ら
四
人
の
撰
者
が
追
加
さ
れ
た
弘
長
二
年
(
山パ
ニ
)
九
月
以
後
に
限
定
さ
れ
る
。
そ
の
弘
長
二
年
九
月
か
ら
文
永
三
年
四
月
(
教
定
他
界
)
ま
で
の
間
で
、
宗
尊
親
王
が
為
家
の
批
点
を
求
め
た
の
は
ー
文
献
に
明
徴
が
あ
る
限
り
で
は
-次
の
二
度
で
あ
注 ⑧ る 。 そ の 一 つ は 、 吾 妻 鏡 に ( 弘 長 三 年 七 月 五 日 ) 將 軍 家 今 年 中 御 詠 歌 数 巻 中 、 抄 -出 三 百 六 十 首 一、 致 清 書 一。 是 為 二合 点 一可 レ 被 レ 遣 二 入 道 民 部 卿 (為 家 卿 ) 一 云 々 。 と 見 え る も の で あ り 、 今 一 つ は 同 じ く 吾 妻 鏡 に 、 し か も 同 月 中 の 記 事 に 、 注 ⑨ ( 弘 長 三 年 七 月 二 十 三 日 ) 將 軍 家 五 百 首 御 詠 歌 、 付 二 前 右 兵 衛 督 教 定 卿 一、 為 二合 点 一被 レ 遣 二 入 道 民 部 卿 之 許 一。 範 元 清 書 之 。 と あ る も の で あ る 。 が 、 三 百 六 十 首 ・ 五 百 首 な ど と い う 大 量 の 詠 歌 に 対 す る 合 点 を 、 同 月 中 に 引 き 続 い て 求 め る と い う こ と は 、 い さ さ か 異 常 で あ る 。 あ る い は 、 七 月 五 日 の 三 百 六 十 首 は 更 に 増 補 さ れ て 同 二 十 三 日 の 五 百 首 に ま と め ら れ た の で は な い か と も 考 え ら れ る 。 そ れ は と も あ れ 、 二 十 三 日 の 五 百 首 は 、 親 王 の 近 臣 で も あ り 、 為 家 の 縁 者 で も あ る 教 定 を 通 じ て 、 確 か に 為 家 の 許 に と ど け ら れ 、 そ れ に 対 す る 為 家 の 合 点 ・ 返 状 が 到 来 し た こ と も 、 吾 妻 鏡 に 、 ( 弘 長 三 年 十 月 二 十 八 日 ) 將 軍 家 五 百 首 御 詠 、 民 部 卿 入 道 融 覚 加 点 返 上 。 則 副 ・二 巻 状 、 六 義 奥 旨 一、 猶 可 レ 被 レ 凝 二御 沈 思 一之 由 、 申 二 條 々 訊 諌 一云 々 。 と 明 記 さ れ て い る 。 こ の 吾 妻 鏡 、 弘 長 三 年 十 月 二 十 八 日 の 記 事 に 見 え る 為 家 の コ 巻 状 ﹂ が 、 直 ち に 本 稿 の 為 家 書 札 に 当 る な ど と は 、 も ち ろ ん 言 え ま い 。 し か し 、 こ の 将 軍 五 百 首 合 点 の こ と も 明 ら か に 教 定 を 取 り つ ぎ 役 と し て い る 。 ま た 本 書 札 の 第 一 奥 書 ( 為 秀 奥 書 ) に い う と こ ろ は そ の こ と に 矛 盾 し な い 。 だ か ら 、 か り に 本 書 札 が こ の 弘 長 三 年 十 月 ご ろ に 成 立 し た と し て も 、 決 し て 不 都 合 で は な い 。 の み な ら ず 、 前 掲 の 吾 妻 鏡 記 事 中 の ﹁ 六 義 奥 旨 ﹂ な ど の こ と ば は 、 こ の 書 札 本 文 中 に ﹁ 妖 艶 幽 玄 躰 む む を 存 候 は ば 、 を の つ か ら 不 レ 可 レ 背 二 六 義 一﹂ な ど と あ る こ と と も 、 い さ さ か 符 合 し て い る よ う に も 思 わ れ る 。 一96一た
だ
し
、
そ
う
で
は
あ
っ
て
も
、
こ
の
教
定
宛
為
家
書
札
は
、
あ
く
ま
で
も
教
定
宛
に
書
か
れ
た
も
の
で
あ
っ
て
、
直
接
に
宗
尊
親
王
宛
に
書
か
れ
た
も
の
で
な
い
。
じ
じ
つ
、
本
書
札
の
内
容
は
親
王
を
対
象
と
し
て
言
っ
た
と
お
も
わ
れ
る
言
説
の
み
で
は
な
い
。
さ
ら
に
い
え
ば
、
為
秀
奥
書
中
に
、
関
東
将
軍
の
詠
に
合
点
し
た
頃
(
ま
た
は
次
)
と
言
っ
て
い
る
の
は
、
た
だ
こ
の
為
家
書
札
が
し
た
た
め
ら
れ
た
時
期
の
み
を
限
定
す
る
も
の
で
、
書
札
の
内
容
が
将
軍
詠
に
関
連
し
た
も
の
か
ど
う
か
ま
で
を
限
定
し
な
い
と
も
考
え
ら
れ
る
。
と
す
れ
ば
、
本
書
札
は
、
為
家
が
将
軍
詠
に
合
点
し
た
つ
い
で
に
、
そ
の
仲
介
者
教
定
の
要
請
で
、
教
定
自
身
も
し
く
は
そ
の
息
雅
有
の
詠
に
も
批
点
を
加
え
、
そ
の
指
導
の
た
め
に
年
来
の
所
存
な
ど
を
開
陳
し
た
も
の
、
と
い
う
ふ
う
に
も
十
分
に
考
え
ら
れ
る
。
た
だ
し
、
教
定
自
身
は
完
成
し
た
歌
仙
と
注 ⑩い
う
ほ
ど
で
も
な
く
詠
歌
量
も
多
く
は
な
い
が
、
す
で
に
続
後
撰
歌
人
で
も
あ
り
、
か
な
り
高
齢
で
も
あ
り
、
ま
た
前
述
の
如
く
新
古
今
撰
者
雅
経
の
息
と
し
て
続
古
今
撰
者
を
競
望
す
る
ほ
ど
の
歌
人
で
も
あ
っ
た
の
で
、
今
か
り
に
続
古
今
撰
歌
資
料
と
し
て
の
詠
草
を
為
家
に
送
り
、
そ
の
合
点
を
求
め
た
と
し
て
も
、
本
書
札
本
文
に
あ
る
よ
う
な
基
本
的
指
導
を
受
け
る
必
要
が
今
さ
ら
に
あ
っ
た
か
ど
う
か
。
そ
の
点
、
い
さ
さ
か
不
審
が
残
る
か
も
し
れ
な
い
。
と
す
れ
ば
、
ま
た
教
定
を
通
じ
て
で
は
あ
る
が
、
そ
の
息
雅
有
を
対
象
と
す
る
訓
説
と
い
う
線
が
今
一
つ
注
⑪
う
か
び
あ
が
っ
て
く
る
。
書
札
本
文
中
に
﹁
少
将
殿
﹂
と
見
え
る
の
も
、
お
そ
ら
く
は
当
時
の
左
少
将
雅
有
を
さ
す
か
と
思
わ
れ
る
。
雅
有
は
そ
の
童
侍
従
ま
た
左
少
将
の
時
代
に
、
父
教
定
と
と
も
に
、
関
東
祇
候
の
廷
臣
と
し
て
宗
尊
親
王
の
側
近
に
つ
か
え
て
い
る
。
ま
た
、
隣
女
利
歌
集
に
よ
れ
ば
、
彼
は
正
元
ご
ろ
か
ら
歌
を
詠
み
は
じ
め
て
い
る
ら
し
い
が
、
そ
の
正
元
元
年
(
一
二
五
九
)
十
九
歳
の
春
、
宗
尊
親
王
の
召
に
よ
っ
注
⑫
て
三
百
首
を
詠
進
し
、
ま
ず
こ
れ
に
親
王
と
為
家
と
の
批
点
を
仰
い
で
い
る
。
そ
し
て
、
そ
の
後
も
引
き
続
い
て
、
為
家
や
そ
の
=
恢
の
指
導
を
受
け
て
い
る
。
ま
た
、
教
定
自
身
は
す
で
に
長
い
歳
月
に
わ
た
っ
て
為
家
と
交
渉
を
持
っ
て
い
た
の
で
、
こ
れ
ま
で
に
何
回
か
為
家
の
批
点
を
乞
う
機
会
が
あ
っ
た
で
あ
ろ
う
。
し
た
が
っ
て
、
こ
の
為
家
書
札
の
内
容
は
、
教
定
を
通
じ
て
、
宗
尊
親
王
詠
へ
の
訓
説
を
中
核
と
す
る
も
の
か
、
雅
有
ま
た
は
教
定
自
身
の
詠
へ
の
訓
説
を
中
核
と
す
る
も
の
か
、
そ
の
点
は
な
お
俄
か
に
は
決
定
し
が
た
い
が
、
そ
の
成
立
の
年
次
は
、
か
り
に
弘
長
三
年
ご
ろ
と
考
え
て
差
支
え
な
い
。
と
す
れ
ば
、
時
に
将
軍
宗
尊
親
王
は
二
十
二
歳
、
左
少
将
雅
有
は
二
十
三
歳
、
為
家
入
道
融
覚
は
六
十
六
歳
で
あ
り
、
左
兵
注
⑬
衛
督
教
定
は
五
十
四
歳
で
あ
っ
た
か
と
お
も
わ
れ
る
。
な
お
、
為
家
の
孫
為
秀
が
本
書
札
を
書
写
し
て
、
第
一
奥
書
に
見
ら
れ
る
識
語
を
加
え
た
の
は
、
彼
の
﹁
権
中
納
言
﹂
時
代
と
い
う
こ
と
だ
か
ら
、
貞
治
五
年
(
一三
六
六
)
十
二
月
か
ら
応
安
元
年
(
⊥矩
)
四
月
ま
で
の
問
で
あ
る
。
次
に
、
第
二
奥
書
(今
川
了
俊
が
正
五
位
下
貞
世
で
あ
っ
た
時
代
に
記
し
た
奥
書
)
に
よ
れ
ば
、
こ
の
為
家
書
札
一
帖
は
、
貞
世
が
師
為
秀
か
ら
古
今
伝
授
を
う
け
た
と
き
に
、
為
秀
か
ら
相
伝
し
た
秘
蔵
本
で
、
世
に
め
ず
ら
し
い
も
の
で
あ
っ
た
ら
し
い
。
了
俊
の
一
子
伝
に
よ
れ
ば
、
貞
世
は
二
十
歳
あ
ま
り
(
し
た
が
っ
て
、
貞
和
元
年
卜
湿
以
後
)
に
為
秀
門
に
入
っ
て
い
る
。
そ
し
て
、
四
十
一
歳
(
貞
治
⊥
ハ
年
山雀
)
ご
ろ
に
は
出
家
し
、
了
俊
と
号
し
て
い
る
の
で
、
こ
の
第
二
奥
書
は
、
そ
の
貞
和
か
ら
貞
治
ま
で
の
間
に
、
在
俗
中
の
貞
世
(
了
俊
)
に
よ
っ
て
書
き
添
え
ら
れ
た
も
の
で
あ
る
。
こ
の
奥
書
に
よ
っ
て
も
、
了
俊
が
為
秀
か
ら
一,古
今
説
﹂
の
伝
授
を
受
け
た
こ
と
が
確
認
さ
れ
る
わ
け
だ
が
、
そ
の
年
次
(同
時
に
本
書
を
相
伝
し
た
年
次
)
は
、
お
そ
ら
く
彼
が
為
秀
に
師
事
し
は
じ
め
て
か
ら
数
年
後
の
こ
と
で
あ
っ
た
ろ
う
。
な
お
、
了
俊
が
為
秀
自
筆
の
歌
書
抄
物
類
を
あ
ま
た
相
伝
し
て
い
た
こ
と
は
、
徳
川
美
術
館
蔵
和
歌
秘
抄
(
詠
歌
一
体
)
お
よ
び
そ
の
転
写
本
の
蓬
左
文
庫
蔵
為
家
卿
和
歌
之
書
に
書
き
添
え
ら
れ
た
了
俊
の
長
文
の
奥
書
に
よ
っ
て
も
、
具
体
的
に
う
か
が
え
る
。
そ
こ
に
列
挙
さ
れ
た
書
名
の
な
か
に
、
詠
歌
一
体
.
詠
歌
大
概
・
和
歌
秘
々
(
近
代
秀
歌
か
)
な
ど
と
と
も
に
、
﹁
書
札
和
歌
説
﹁
帖
殿
鰯
緯
﹂
と
い
う
も
の
が
見
ら
れ
る
。
井
上
宗
雄
博
士
は
、
そ
の
著
﹁
中
世
歌
壇
史
の
研
究
・
南
北
朝
期
﹂
で
は
、
そ
れ
を
﹁
和
歌
書
様
、
或
は
下
官
集
の
類
か
﹂
(・ハ
六
白
)
、
ま
た
﹁
冷
泉
家
関
係
者
の
記
し
た
奥
書
を
持
つ
歌
書
類
に
つ
い
て
﹂
(
立
教
大
学
研
究
報
告
・
人
文
科
学
一
八
)
で
は
、
﹁
為
秀
以
前
成
立
の
歌
学
書
?
﹂
と
推
察
し
て
い
る
の
で
あ
る
。
け
れ
ど
も
、
そ
れ
は
、
ど
ち
ら
か
と
い
え
ぱ
、
書
札
に
よ
っ
て
和
歌
の
所
説
を
開
陳
し
た
も
の
と
兄
一9δ 一る
べ
き
で
あ
っ
て
、
た
と
え
ば
、
消
息
の
形
態
で
書
か
れ
て
い
る
毎
月
抄
・
越
部
禅
尼
消
息
・
夜
の
鶴
な
ど
も
そ
れ
に
擬
し
う
る
し
、
同
時
に
こ
の
為
家
書
札
も
ま
た
そ
れ
に
相
当
す
る
資
格
や
条
件
を
十
分
に
そ
な
え
て
い
る
。
次
に
、
第
三
奥
書
の
右
肩
注
に
﹁
同
﹂
と
あ
る
の
は
、
第
二
奥
書
の
右
肩
に
了
俊
残
後
の
某
人
が
﹁
本
云
故
了
俊
奥
書
云
﹂
と
注
し
た
八
字
全
部
を
受
け
る
の
か
、
そ
れ
と
も
﹁
本
云
﹂
の
二
字
だ
け
を
受
け
る
の
か
、
明
ら
か
で
な
い
。
け
れ
ど
も
、
第
四
奥
書
の
右
肩
注
に
は
、
改
め
て
﹁
本
云
﹂
と
書
い
て
い
る
の
で
、
第
三
奥
書
右
肩
注
の
﹁
同
﹂
は
、
第
二
奥
書
右
肩
注
の
八
字
全
部
を
受
け
る
、
す
な
わ
ち
第
三
奥
書
も
了
俊
の
書
き
添
え
た
も
の
と
解
し
イ、
よ
か
ろ
う
。
と
す
れ
ば
、
こ
の
第
三
奥
書
で
は
、
そ
の
了
俊
が
書
札
本
文
中
の
﹁
光
行
子
孝
行
入
道
も
、
何
と
や
ら
ん
、
書
て
候
物
は
﹂
と
あ
る
部
分
に
対
し
て
、
若
干
の
推
測
と
不
審
と
を
さ
し
は
さ
ん
で
い
る
こ
と
に
な
る
。
源
氏
六
帖
抄
な
ど
に
よ
れ
ば
、
了
俊
は
河
内
本
よ
り
も
青
表
紙
本
を
高
く
評
価
し
て
い
ろ
。
そ
う
い
う
彼
だ
か
ら
、
本
文
の
こ
の
部
分
は
い
さ
さ
か
気
に
な
っ
て
、
﹁
定
家
卿
・
源
氏
之
説
・
事
ヲ
難
ジ
申
ス
事
殿
﹂
な
ど
と
書
き
付
け
た
の
で
あ
ろ
う
。
そ
れ
よ
り
も
、
こ
の
第
三
奥
書
で
注
目
す
べ
き
こ
と
は
、
す
で
に
源
孝
行
を
紫
明
抄
の
作
者
か
、
と
言
っ
て
い
る
点
で
あ
る
。
紫
明
抄
は
同
書
に
お
け
る
著
者
の
自
署
自
記
に
よ
っ
て
、
確
か
に
素
寂
(
源
光
行
子
)
の
著
作
と
知
ら
れ
る
。
し
か
し
、
そ
の
素
寂
が
果
し
て
光
行
息
の
誰
で
あ
っ
た
か
に
つ
い
て
は
、
今
だ
に
定
説
を
見
な
い
。
そ
れ
を
孝
行
と
す
る
説
は
、
故
池
田
博
士
に
よ
っ
て
お
お
か
た
否
定
さ
れ
、
珊
瑚
秘
抄
(
応
永
初
年
成
る
)
の
奥
書
に
﹁
保
行
法
師
素
寂
﹂
と
見
え
る
の
注
⑭
が
、
い
ち
お
う
有
力
な
一
説
に
な
っ
て
い
る
が
、
そ
の
珊
瑚
秘
抄
と
ほ
ぼ
同
時
代
に
、
こ
の
第
三
奥
書
は
、
す
で
に
孝
行
か
と
い
う
説
を
提
示
し
て
い
る
わ
け
で
あ
る
。
最
後
の
、
応
永
二
十
二
年
(
一
四
一
五
)
卯
月
十
二
日
付
の
第
四
奥
書
の
筆
者
は
何
人
か
知
る
由
も
な
い
。
応
永
二
十
二
年
当
時
、
了
俊
庵
主
は
ま
だ
存
世
中
だ
か
ら
、
第
二
奥
書
の
右
肩
注
に
﹁
故
了
俊
奥
書
云
﹂
な
ど
と
書
き
つ
け
た
人
と
は
別
人
で
あ
る
。
あ
る
い
は
、
他
の
了
俊
秘
蔵
書
の
多
く
を
伝
写
し
て
い
る
今
川
範
政
あ
た
り
も
、
こ
れ
に
擬
し
う
る
か
も
し
れ
な
い
。
そ
れ
は
と
も
あ
れ
、
こ
の
奥
書
で
は
、
本
書
札
の
了
俊
蔵
本
が
為
秀
自
筆
で
あ
っ
た
こ
と
を
確
認
し
て
い
る
の
で
あ
る
。
な
お
、
こ
の
第
四
奥
書
も
そ
の
右
肩
に
﹁
本
云
﹂
と
注
し
て
い
る
の
で
、
架
蔵
本
は
も
ち
ろ
ん
そ
の
応
永
二
十
二
年
当
時
の
も
の
で
は
な
く
、
は
じ
め
に
言
っ
た
よ
う
に
、
近
世
に
下
っ
て
の
伝
写
本
で
あ
る
。
×以
上
の
よ
う
な
、
本
書
札
の
成
立
時
と
伝
来
経
路
と
を
念
頭
に
お
き
な
が
ら
、
そ
の
内
容
に
つ
い
て
も
若
干
の
吟
味
を
加
え
る
。
ま
ず
、
冒
頭
の
﹁
御
詠
﹂
以
下
﹁
姿
詞
尤
珍
重
々
々
候
﹂
ま
で
は
、
為
家
が
某
人
の
御
詠
に
関
す
る
所
存
な
ど
を
注
進
す
る
に
あ
た
っ
て
、
今
度
の
御
詠
は
先
度
の
御
詠
よ
り
も
ま
す
ま
す
上
達
し
て
珍
重
だ
、
と
一
ま
ず
の
挨
拶
を
し
て
い
る
の
で
あ
る
。
そ
の
﹁
御
詠
﹂
と
い
う
の
は
、
前
述
の
ご
と
く
、
未
だ
誰
の
詠
か
速
断
は
で
き
な
い
が
、
宗
尊
親
王
か
雅
有
あ
た
り
の
詠
と
み
て
も
不
都
合
で
な
い
。
そ
こ
に
一-自
一.先
度
一
弥
見
二
御
詠
一者
﹂
と
言
っ
て
い
る
の
で
、
為
家
が
﹁
御
詠
﹂
を
見
せ
ら
れ
た
の
は
、
こ
の
た
び
が
最
初
で
は
な
い
。
こ
れ
を
宗
親
尊
王
の
具
体
的
な
詠
歌
に
当
て
は
め
て
み
れ
ば
、
今
度
の
詠
は
弘
長
五
百
首
に
、
先
度
の
詠
は
文
応
三
百
首
な
と
に
当
る
か
と
考
え
ら
れ
る
。
ま
た
、
雅
有
の
場
合
な
ら
ば
、
そ
の
今
度
の
詠
は
宗
尊
親
王
五
百
首
と
同
じ
こ
ろ
の
詠
、
先
度
の
詠
は
正
元
々
年
の
三
百
首
な
ど
に
あ
た
る
で
あ
ろ
う
か
。
以
下
、
為
家
ぱ
和
歌
に
関
す
る
年
来
の
所
存
な
ど
を
開
陳
す
る
わ
け
だ
が
、
そ
の
間
に
、
類
従
本
宗
尊
親
王
三
百
首
和
歌
(
文
応
三
百
首
)
付
載
の
資
平
宛
為
家
書
札
の
内
容
と
い
さ
さ
か
相
似
た
文
言
も
二
三
見
ら
れ
る
。
た
と
え
ば
、
老
後
中
風
で
手
が
ふ
る
え
る
こ
と
、
定
家
は
そ
注 ⑮ の 父 俊 成 に 、 自 分 ( 為 家 ) ば 父 定 家 に 、 そ れ ぞ れ 四 十 余 年 も 付 き 随 っ て 庭 訓 を 受 け た と い う こ と な ど で あ る 。 し か し 、 こ れ ら は い わ ゆ る 老 の 繰 り 言 で あ ろ う え に 、 文 応 と 弘 長 と で ば 数 年 を 隔 て ろ に 過 ぎ な い の で 、 両 者 間 に そ れ ぐ ら い の 細 似 が あ っ て も 不 思 議 で は あ る ま い 。 け れ ど も 、 全 体 と し て は 、 資 平 宛 書 札 に は 歌 説 と い う ほ ど の も の が 見 ら れ な い が 、 こ の 教 定 宛 書 札 に ば い ち お う 歌 説 と し て も ま と ま っ た 見 解 を う か が う こ と が で き る 。 と く に 、 そ の は じ め に 、 100一只 為 先 理 世 廻 風 情 、 叶 義 理 兼 華 実 。 思 比 類 取 壁 口喩 候 も 妖 艶 幽 玄 躰 を 存 候 は 亨 、 を の つ か ら 不 可 背 六 義 。 ︹ た だ 理 世 を 先 と な し て 風 情 を め ぐ ら さ ば 、 義 理 に か な ひ 華 実 を 兼 ぬ ( べ け む ) 。 比 類 を 思 ひ 讐 喩 を 取 り 候 ふ も 、 妖 艶 幽 玄 の 体 を 存 し 候 は ば 、 お の つ か ら 六 義 に 背 く べ か ら ず 。 ︺ な ど と 述 べ て い る あ た り は 、 や や 慨 念 的 な } 般 論 で は あ る が 、 和 歌 師 範 家 の 継 承 者 た る 為 家 の 、 中 庸 を 行 く 無 難 な 姿 勢 を お も わ せ る 。 ﹁ 理 世 を 先 と し て ﹂ と い う の は 、 む し ろ 文 学 自 体 に 対 す る 自 信 を 喪 失 し か け た 当 時 の 人 び と ↓ 般 の う た い 文 注 ⑯ 句 で も あ ろ が 、 一 方 こ こ に ﹁ 妖 艶 幽 玄 躰 ﹂ と い う こ と ば を 端 的 に 提 示 し て い る こ と は 、 注 目 に 値 す る 。 幽 玄 が 感 覚 的 に 具 象 化 し 、 妖 艶 が 余 情 的 に 抽 象 化 す る 傾 向 は 、 か な り ふ る く か ら も あ っ た 。 そ れ ら の 傾 向 を 受 け て 、 と く に 為 家 の 世 界 で ば 、 色 調 的 属 性 に お い て も 、 妖 艶 の 幽 玄 化 、 幽 玄 の 妖 艶 化 が 著 し く 、 そ の こ と は 、 彼 の 判 詞 な ど か ら 、 だ い た い に 帰 納 さ れ る と こ ろ で は あ っ た 。 が 、 そ の 妖 艶 と 幽 玄 と の 結 合 を 、 こ こ に ﹁ 妖 艶 幽 玄 躰 ﹂ と い う 一 語 で 明 示 し て い る こ と ば 、 単 に 為 家 研 究 の 立 場 だ け で は な く 、 妖 艶 美 や 幽 玄 美 の 展 開 史 研 究 の 立 場 か ら も 、 大 き く 取 り あ げ て い い の で な い か と 思 わ れ る 。 ま た 、 次 に 、 古 今 序 と 千 載 序 と を 特 に 援 用 し て い る あ た り も 、 い か に も 為 家 ら し い 。 寂 蓮 の 自 讃 歌 ﹁ 稲 葉 を 渡 る 小 男 鹿 の 声 ﹂ に つ い て の 定 家 の 言 談 は 、 す で に 先 達 物 語 に も 見 え ろ と こ ろ で あ り 、 信 用 し て い い 伝 承 で あ ろ う 。 し か も 、 こ の 部 分 に 引 用 さ れ た 祖 父 俊 成 の こ と ば の う ち に は 、 ﹁ 恋 ・ 述 懐 な ど に は 利 口 も ゆ る す 事 な れ ど 、 四 季 再 は 虚 誕 は 不 可 然 候 -一 と あ る が 、 夜 の 鶴 で は 、 こ れ に 相 似 た こ と を 、 ﹁ 四 季 の 歌 に は そ ら ご と し た る は わ う し 。 ( 中 略 ) 恋 の 歌 に は 利 口 そ ら ご と 多 か れ ど 、 わ ざ と も 苦 し か ら ず 。 ( 中 略 ) 四 季 の 歌 に 異 る べ し と 申 さ れ 候 ひ き -と 述 べ て い る 。 そ こ に 阿 仏 尼 が ﹁ と 申 さ れ 候 ひ き ﹂ と し て 引 用 し て い る の は 、 も ち ろ ん 夫 為 家 の 言 説 で あ る 。 が 、 そ の 為 家 の 言 説 は 、 こ の 為 家 書 札 の 出 現 に よ っ て 、 実 は 祖 父 俊 成 の 訓 説 を 敷 術 し た も の に 過 ぎ な か っ た こ と が 判 明 す る 。