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経営者の共時性への深層心理学的接近 -- 経営者意識論(6) --

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(1)ヽ,..., .. ,,,... , i� "� --.,... • ..ヽ···• .-. . (\ ... •.. ● •. .. •. ,'·. '. ·�. "'. 面"'''... I. '. .. "● ... .. .. 商経学叢. 第47巻第 1 号. 2000年7月. 経営者の共時性への深層心理学的接近 ―経営者意識論(6)―. 森. 大. 弘. 概要 経営者の戦略的決定において, いわゆる合理的な意思決定は行なわれてい るのであろうか。 合理的な因果律によるというのは, 規範的にすぎず, むしろ心 的エネルギ ー に揺り動かされているのが実態ではないか。 その深層心理からの心 的エネルギ ー の役割やダイナミズムはどのようなものであろう。 それを読み解く鍵が, 共時性の現象である。 それはユングのいう「意味のある 一致」で, 経営者の主体的な心理において, 外部的な環境の現象が偶然のようで あるが, 意味のある一致をし, そこに閃きというか直観ともいえる戦略的な決定 の瞬間を見出す。 その過程は潜在化している集合的無意識における元型からの心 的ェネルギ ー の流れというか, 在置(コンステレ ー ション)である。 それは創造的破壊といえる革新性に富んだ戦略的な内容に満ちている。 しかも 人間に共感をもたらす共有性をも合せ持っている性質があるといえるのである。. キー ワ ー ド. 心的エネルギ ー . 共時性, 因果律, 集合的無意識, 元型的コンステ レ ー ション. 原稿受理日. 2000年4月10日. 言. 序. 1.. ’ これまで経営者が意思決定するとき. とくに戦略的といわれる決断に直面して. はたし て合理的に決定しえているのであろうか, この疑問にたいして. 経営者の意識を探索する ことによって, 深層心理学的に接近し理解してみたいと, 色々と試行してきている。 それ はまず, 経営者の意識機能への理解にはじまり, その構造や, 経営者の創造的過程への展 開, そのための個性化過程の必要などについて検討してきたが, ここで当初の序説111でも. (1). 拙稿「経営者意識論 (1) 序説」商経学叢. 第42巻, 第 2· 3 号, 1995年11月。 -101 (101)-.

(2) 第47巻 第1号 議論しているように, 個性化された経営者に組織集団の成員が共感するというか, その言 動に共嗚する関係が醸成される状態, つまり組織的な共時性といえる状況について, さら に理解を深めて行きたい。 そのためにまずキーワ ー ドになる共時性 (Asynchronicity) について, 専門的な先学の 知見を確認することから出発したい。 その共時性が, 経営者にとってどういう意味をもつ のであろうか, 検討することから始める。 それは経営者自身にとっての側面だけでなく, 組織集団の成員の側面からも, またその両面の相互の関係についても吟味してみたい。 そ して一般に合理性をもって律せられているといわれる経営において, 原因と結果の合理性 といえる, いわゆる因果律を超えて, 共時性という, いわば縁起律121によって, どこまで, どう理解を深めることが可能なのか, 検討してみたい。 そのためにも共時性そのものの機 能的な内容をふまえておく必要がある。 そこに浮上してくるのが,. ユ ングの強調する集合. 的無意識と元型の概念である。 ここに深層心理学の特徴というか長所が見出される。 合理 性による意思決定が, すぐれて表層心理における意識によるところが重要といわれている のにたいして, より深層の潜在的な心理といえる個人的無意識や集合的無意識を視野に人 れて吟味されるというのである。 その鍵概念が元型であり, その理論である。 それが経営 という場において, いかに理解されうるのか, 試行してみたい。 そして組織集団における 共時性の現象を経営者の言動への共感や共嗚として把握し, 経営にたいする影響力や有 効性についても考察してみたい。. 2.. 心的エネルギ ー の役割. 共時性の意味, それを経営の場において, 経営者にとって, どうなのかを知ろうとして いるのであるが, 共時性という言葉が少々唐突に過ぎて, 言菜の定義説明に捉らわれる危 険があるように思える。 そのためにその準備として, その前提となる心理学的な事柄や経 営の事象との関連において, 用意しておきたい。 まず「経営は経営者次第である」とか 「経営者が変わると経営が変わる」といわれる事 象を, どう理解すればよいのであろうか。 それは「経営者の運次第」とか, そのカリスマ 性にもとめられたり, 経営の戦略や組織など色々といわれ解釈されてきている。 それぞれ 原因であり理由であり, ー理は確かにあるが, はたして根源的にそうといえるのであろう. (2) A. サミュエルズ他「ユング心理学辞典」山中康裕監修訳. 創元社刊, 1993年, 26頁。. -102(102)一.

(3) 経営者の共時性への深層心理学的接近(大森) か。 こうした問題にたいして, 何か別の切り口から接近することはできないだろうか。 よ り人間の集団, 組織として心理学的なアプロ ー チによってということである。 そこで「 ユ ングの心的エネルギ ー 論」131に依拠しながら, 考察し準備したいと思うわけ である。 しばらくその講義録にしたがいながら要約し, 用意しよう。 まずここにいう「心 的エネルギ ー 」の見方は,. ユ ングの心理学,. それは深層心理学であるが, とくに分析心理. 学といわれる基礎になっているという。 それだけに人間の心理を, それが個人であれ, 集 団や組織のなかにあっても, ただ表層的でなく深層から揺り動かす状態の分析について可 能性を拓いてくれる基礎となるのではないかと期待する。 「心がエネルギ ー である」 ということは, どういうことか。 それについて林. 道義教授. は, 「何かをしたいと思う, その思うことがエネルギ ー です。 心のエネルギ ー が働いて, 何 か目に見えることがなされる」ことだという。 以下その議論を集約し引用しておこう。 そ の心のエネルギ ー の働きには, 「方向」と「強さ」がある。 ここで方向というのは, 何をし たいかということで, 関心とか価値観がどういう方向に向いているかということである。 つまり方向というのは, 価値づけのことであり, それをどれぐらい強くしたいと思ってい るか, それが心のエネルギ ー の強さということである。 こう考えることによって,. ユ ング. は心の色々な現象の説明がつくとしたのである。 もっとも「心のエネルギ ー 論」は ユ ング の独創ではなく, すでに先駆者達がいたのである。 まず 19世紀は自然科学の発展期であり, マ イヤ ー ・ ヘルムホルツのエネルギ ー 保存法則などのエネルギ ー 論が盛んで, それが哲 学, 思想や心理学にも大きな影響を与えている。 けれども心理学にエネルギ ー 概念を導入 した霞要人物は, フロイトとジャネであるという。 フロイトの議論は, リビ ド ー 論といわれ, 心的なエネルギ ー の根源は, 性的なものであ ると考えるのである。 それは感覚的な快感も含め全く性的なものと捉えて, あまりにも広 汎に過ぎる嫌いがあるうえに, 自然科学的なエネルギ ー 論からしても, ある特定の, 性的 なエネルギ ー だけが本来的なもので, 他は それからの派生的なものと考えるのは無理があ る。 むしろ人間の心的エネルギ ー にも, 色々なエネルギ ー があると考えるのが自然で, 同 感する。. ユ ングは そう考えて,. 哲学者, 芸術家あるいは政治家, どういう心的エネルギ ー. が強いかによって, その人のタイプが変ってくる, というのである。 ここでフロイトの抑 圧理論を引合いに意識と無意識の対立する関係からも吟味する必要はあるが, 論旨から ユ ングの論調を強調しておきたい。 (3) 林直義稿, 「〈特別講義〉ユングの心的エネルギ ー 論」 日本ユング研究会通信「ラピス」 第3 号, 1999年 6 月。. -103 (103)-.

(4) 第47巻. 心のエネルギ ー を水の流れに喩えるのが.. 第l号 ユ ングである。 「 このエネルギ ー の流れがどう. いう方向を向いていて, どれくらい強いかと考えるのが心的エネルギ ー 論」についてのユ ングの見解であるという。 これを ユ ングは. フロイトの「因果論」にたいして「目的論」 という。 だが林. 直義教授は, この「目的論」という表現を吟味して, つぎのように検討. される。 まず「目的論」というとき,「あらかじめ最後の目標. 究極の目的が決まっていて. すべてのプロセスが それに向かっていくという こと」であり,「目的はプロセスの原因であ るということになる」と。 これにたいし ユ ングの理解は, アリストテレスのいう「目的因」· といえる内容であるという。 少々冗長であるが, 教授の言葉を そのまま引用すると, 次の ようである。「 この目的因というのはどういう ことかというと, 例えば植物が, 種子の状態 から次第に成長して完全な木になる, 最初の種の中にすべてが含まれていて, それが実現 していく。 最初に探っていた可能性が全て実現していく, そういう意味なんです。 最後に 実現したものは, 可能性として最初のものに全て含まれていた,. こういう見方です」(4) と. いう。 そういう意味で, 「エネルギーとして見るということは, プロセスとして見るという ことです。 そのプロセスというのは, 最初に可能性として含まれていたものが次第に姿を 現していくプロセスです。 最初に何が可能性としてあったかは分からない。 だんだん花開 いていくうちにそれが姿を現していく。 結果は分かっていない。」 これを考えていくと, 仏 教にいう仏性種子論や「種子薫習論」を想起するが, やがて ユ ングが東洋思想に魅かれる のが解るような気がする。 これについては仏教の分析的な心理学といわれる「唯識論」と の比較研究において別途の機会にみてみたい。 と ころでもう一人の影響を与えた人物, ジャネのエネルギ ー 論であるが, その特徴は無 意識の心のエネルギ ー の働きを強調したことである。最初から「心理自動症」の研究とし, 「心が自動的に動いてしまう, 心が自分の意識しているようには動いてくれない, む こうが 勝手にやってしまうように思える」という, 「心や体が, 意識のコントロ ー ルに従わない」 現象を探究していく。 そして心的エネルギ ー というのは, 総体として各人が同じであり, ただ意識のエネルギ ー が小さいと無意識のエネルギ ー は大きくなり, その逆もまたいえる という ことである。「つまりは意識と無意識, どっちのエネルギ ー が大きいかでその人の態 度とか行動, その人の人生までもが決定的に影響を受けてくるわけです」 という。 ジャネ は臨床的な検証から, 「心理力」と「心理緊張力」を区分する。 こ こで「心理力」というの は. 心のエネルギ ー と同義で, ただそれが表に現われている場合と裏に隠れている場合が. (4). 林, 前掲稿,. 4 頁,. 以下の引用も同様。 -104 (104)-.

(5) 経営者の共時性への深層心理学的接近(大森) あるのに過ぎない。 したがって心理力は人によってあまり変らないが. それを表わせるか どうかは. 心理緊張力の違いによる。 心のエネルギ ー である心理力は. 緊張し集中しなけ れば発揮できない, つまり意識を緊張させることである。 注意すべきは,「意識が緊張して いないと, 心理力は無意識が使ってしまう」ことである。 心のエネルギ ー は, 意識と無意 識の間の境界を意識の緊張の程度が一定以下になると無意識の方へ流れ. その逆もいえ, どちらに流れ. 充実しているかによって別人化する。. ユ ングのいう「識閾」が,. この境界. にあたる。 そしてジャネのいう「心理緊張力」の概念. 意識の緊張. 強さの重要性を,. ユ. ングも全面的に採用していく。 その展開は. 「心的エネルギ ー のシ ー ソ ー 」と比喩的に表現しえるという。 つまり心のエ ネルギ ー は. 意識と無意識の間を, シ ー ソ ー のように行ったり来たりして流れていると考 える。 この状態をユングは「エナンティオ ドロミ. ー. 」といい,「これはガ物は対立し争いな. がら. その対立する相手の方に変化していく, しかし対立しても元に戻って, 全体として は調和しているのだという見方」であると解説される。 これは心における逆転現象であり, 心のエネルギ ー の反動のプロセスでもあり,. ユ ングのいう補償の作用でもある。. したがっ. て「心の中の対立が大きいほどエネルギ ー も大きくなります。 歴史上の人物の中にも, 意 識と無意識の対立が激しいがゆえに激的な人生を送る人がいます」151 という。 これは現実において我々が関心をよせる創造であり, 退行でもある。 経営者の創造的破 壊といわれるイノベ ー ションの活動もそうであり. 働きすぎのサラリ ー マ ンが突然働けな くなってしまうのも. 経営における創造と退行の事例といえよう。 もともと心は, ホメオ スタシスといわれる平衡化の働きがあり, 意識があまりにも偏って働いているときには, 無意識から反動がきて補償が現われる。 その逆転現象が, あるときには無意識からのイン スピレ ー ションの働きかけを契機にする創造の活動であったり, 逆に退行の状態に埋没す るようになったりする場合もある。 こうしたインスピレ ー ションなどによる創造を, 心理 学的に創造的退行というが. そのような退行がなぜ. どのように起るのか. 興味深いとこ ろである。 もともと退行は, 心理学的には適応できないことから起き, 現実のなかで心の エネルギ ー がうまく使われないことからである。 したがって心のエネルギ ー が無意識の方 へ流れていく。 そして無意識のなかで心のエネルギ ー は. 色々なイメ ー ジを創り出してく る. そのうちに建設的であったり革新的であるアイディアが, 芸術作品や思想. あるいは 経営や仕事などに表現されることになる。. (5) 林, 前掲稿, 6 頁。 -105 (105)-.

(6) 第47巻. それは林. 第1 号. 道義教授もいうように,「無意識のイメ. ー. ジを表現できる道を見いだすと, こ. ういったことが可能になる」, それは「意識と無意識の合作」でもあり, それが「個性化過 程」 そのものでもある。 それは 「今まで否定していたり, 現実ではないとしていたイメ. ー. ジを, もう一度意識の方に呼び戻す。 これは無意識の要素を意識の中に取り入れるという ことです。 そしてより全体的な構えになる。」そして「無意識の中のものを呼び戻すことに よって, それが一段高い次元のものになる。」それがすでにいったように表現によって可能 となり, いわば 「シンボル」になる。 この「シンボルができるためには, 心のエネルギー の転換ということが起きなくてはならない」 という。 これは意識から心のエネルギ ー が無 意識へと流れていたのが, 逆流して無意識から流れて来るように転換するのであり, その ときシンボルも変わるわけである。 その意味では「転換のシンボル」である。「人が変わる」 というのも, そこから首肯されるし, 経営に 「開眼」するとか, 経営者が悟ったように変 わるという事象も、心のエネルギ ー の転換を契機にするものであるし, そこに展開される 革新的な理念や戦略も 「転換のシンボル」の表現ということができよう。 こうした心のエネルギ ー の転換については, ただ個人的だけでなく, 集団, 組織や社会 などにおいても, 文化というものがシンボルの役割を果しているといえる。 つまり「文化 というのがエネルギ ー 転換の装置になっている」161 といえる。 したがって社会的な規範と いうのは大事で, ただ栓桔ととらえるのはむしろ危険ですらある。 たとえば社会的に民衆 の心のエネルギ ー が, むき出しの無意識のまま流れ出して暴動化することは歴史上の事例 が多々ある。 その意味で, 社会的に心のエネルギ ー をうまく流れさせるための枠, それが 規範でもあるし文化や制度などの装置でもある。 ただこの規範や装置をどう創り出し, 維 持していくかには, 困難な問題が潜在している。 それはナチス. ・. ドイツの事例を想起する. だけで十分であろう。 たしかにいわれるように「エネルギ ー を大きく転換するというのは, 非常に危険なことなんです。 慎重に見定めていかないといけない。 今までのことを単に否 定するのではなくて, それがよりよい形で現われることができるようなシンボルが出てく るというのがいちばんいいんです。」しかも「シンボルというのが, エネルギ ー を転換する 作用をする。 だから, よい方向にエネルギ ー を転換させるよいシンボルというものが必要 になります。 人間のエネルギ ー がどういう方向に流れるかを決定するという意味で, シン ボルの役割は非常に大事です」 と。 こうしたユングの心的エネルギ ー 論の結論的な表現を書き取っていくと, これまで経営. (6) 林. 前掲稿, 10 頁。 -106(106)-.

(7) 経営者の共時性への深層心理学的接近(大森) 者意識論の題材として取り上げてきた松下幸之助の創業期, とくに世界大恐慌に直面して 極限状態を乗り切るときに, 当時としては革新的な理念を組織集団の規範にし, それを経 営の文化にまで浸透し共有させ, さらに事業部制という制度にまで展開していく劇的なま でのプロセスを想起する。 その内容はまず個人的に松下幸之助自身の心のエネルギ ー の転 換による経営者としての, のちに「水道哲学」といわれる シンボルの創出であり, その理 念を組織的な規範という シンボルにして, 組織成員の心のエネルギ ー の流れる方向を決定 づけ, それをよりよく定着させていく文化と, それをより強化させていく事業部制という 制度に展開していった ことになろう。. 3.. 経営者にとっての共時性の意味. これまで, 心的エネルギ ー の役割という ことで, たとえば経営者の意識が, その心のエ ネルギ ー の流れを無意識との間にバランスよく均衡化させる, そのためにはその境界, 識閾に安全装置ともいえる シンボル, 規範や文化, 制度などが必要である ことをみてきた。 そうでなく一方的に経営者の意識が, 心のエネルギ ー の流れを合理性という有意識の枠内 に偏在さして消耗するなら, 反動的に無意識の補償作用の爆発によって, 経営者の意識状 態は均衡ど ころか崩壊の危機に見舞われる ことになろう。 したがって, こ こにいう シンボ ル, あるいは規範を, どう形成していくのかが問題になる。 もっとも その素描は, すでに 個性化過程(71や集団的無意識そして心的エネルギ ー 転換のキ ー ワ. ー. ドに関連して検討し. てきたと ころであるが, こ こであらためてユングが晩年において展開した共時性 (Syner­. onicity) のキ ー ワ. ー. ドのもとに別の切り口から吟味してみよう。. ユングが論文として共時性をまとめた題名は「非因果的連関の原理としての共時性」で あるといわれる。 その題名のごと<' デカルト以来の近代科学の因果性の原理に挑戦して, 非因果的連関, つまり共時性の原理による科学を構築しようと試行するわけである。 とく に合理的因果性に影響というより支配されている経営学の領域において, この共時性の原 理をどう消化しえるかは重要な問題であろう。 ただそれは挑戦的で先駆的な問題であるだ けに, 先学の著作や解説を読んでも難解であるうえに, 心理学そのものが専門外であり, それを経営学の領域に援用するなど, あまりに未知な冒険といわざるをえない。 したがっ て先学の知見を率直に引用して礎石としながら, 基本的なところを誤解しないよう, 経営. (7). 拙稿, 「経営者意識 論(5)」商経学叢, 第46巻, 第 2号, 1999年 12 月。 -107 (107)-.

(8) 第47巻 第 1号 の問題として理解してみたい。 まず「共時性とは何か」(8)の問いにたいし,「意味のある一致」(meaning coincidence) とユングはいう。 これは自分の心の中に起っている出来事と, 周りの環境. 外に起ってい る現実の出来事と, その「意味」において一致していることである。 たとえば経営者が環 境に生起している出来事を観察して. ある戦略的な意思決定. つまり自分の心の中にある 決断をするとき, これまでこれを環境の外的な. 物理的な出来事を原因とし. 心の内的な, 心理的な出来事を結果とする, いわゆる因果性の. しかも合理的なそれによって理解して きているが, 果して確かであろうか。 それはユングが「魔術的因果律」といわれるもので, 形式的には因果性にみえても, 内容的には無関係で, 同じ環境の出来事に匝面して, 他の 経営者は別の決断を見出すであろう。 なぜなら内的な心理的な主体の意味の認知が相異す るからであり, いわんや外的な物理的な出来事が複数で複雑にからんでいる現実. いわゆ る複雑系の環境になれば. ほとんど内容的に因果性によって決断を説明するのは困難にな るであろう。 むしろ「心理的な出来事と物理的な出来事. あるいは内的な出来事と外的な 出来事が, それらの情報の意味の認知において一致した」 というのが実態であろう。 このような「意味のある 一 致」と, ただの偶然の 一 致, あるいは「意味のない 一 致」. (meaningless coincidence) は.「出来事に対して当事者が感じる情動の強さ」によって 影響され左右されるという。 そこにすでにふれた無意識の補償作用も関連してくる。. ユン. グも自らの経験からして,「元型的状況と関連して観察される共時的現象」といい, 自分に とって重大な意味をもつ状況では, 共時的な現象が観察されやすいという。 しかもそのと き集合的無意識の働きを強調する。 このことを経営者の場合に援用してみると,「元型的状況」というのは, とくに極限状態 である戦略的な決断をするとき, 剣が峰というか乗るか反るかの分岐で. その意味でも重 大な状況である。 だが限られた事象, 限られた情報. しかも限られた時間のなかで. 複雑 系の因果性を把握することは至難の業といえ, むしろ外界の複雑な事象のなかに, 経営者 が主体として心理的に意味のある一致を見出すという, 共時性による決断のほうが実態に 即しているといえよう。 そのとき重要なのが. 集合的無意識, それにはすでにみた「心理 緊張力」つまり意識の集中と緊張であり, 経営者がどれほど緊張力を活かすかにかかって いる。 これもみたように「心的エネルギ ー の シ ー ソ ー 」のメカニズムで, 意識にばかり心 のエネル ギ ー が偏在すると硬直化して柔軟性を失なう。 むしろ意識の集中と緊張のなか. (8) 湯浅泰雄「共時性とは何か」山王出版刊, 1987年, 以下の引用や要約はこれにしたがう。 -108 (108)-.

(9) 経営者の共時性への深層心理学的接近 (大森) で,. い わ ば無我の状態 に な り , 心 の エ ネ ル ギ ー を 無意識へ流 し ,. さ ら に 呼び戻す と い う 交. 流 を ス ム ー ズ に 活性化 さ せ る 。 そ こ に 創造的退行 と い う 現象 も で て く る 。 そ れ は集合的無 意識か ら の創造的 な 反応で あ り , そ れ が環境の諸事象 の意味の あ る 関連性 と 経営者 の 主体 的 な 意味の あ る 一致 を 気づ く と い う か読む と い う か見出 す わ け で あ る 。 こ う し た 現象な り プ ロ セ ス を,. ど う い う 条件の も と に生起す る の か,. も っ と 事例 的 に も 共時性を理解 し て い. く 必要 が あ る 。 そ れ は松下幸之助が, 経営 に 開眼 し た と い わ れ る 事例 を 具体的 に取 り 上 げ て み た い 。 大 正 7 年 (1918年) に創業 し て以来, 松下幸之助 は 自 ら い う よ う に , 「尋常 な 商人」 191 と し て 熱心 に 稼業 に打 ち 込ん で , そ れ な り の業績を上げて き て い る 。 と こ ろ が時代 の 環境 は, 昭 和 4 年 (1929年) の世界大恐慌 を 契機 に し て 不況の最中 に 直面 し , 松下幸之助 の 苦悩 も 例 外 で は な か っ た 状況 で あ る 。 そ の と き 得意先 の知人の縁で, あ る 宗教団体 (天理教 と い わ れ て い る が) の 本 部 を 訪 れ て , 感銘 を 受 け た と い わ れ る 。 そ の お り の状態 を , 松下電器の 社史 に よ っ て再現す る と , つ ぎ の よ う で あ っ た と い う no。. 「最近. あ る 宗教 を 見学視察 し た。 そ し て. そ の繁栄. そ の盛大ぶ り に痛 く 心を打 た れ た 。 そ し て. そ の宗教の使命 と い う も の は ど こ に あ る か と い う こ と を考 え て み た。 そ う い う こ と も 一つ の動機 と な っ て, わ れ ら 生産人 に は, そ の崇高 さ に お い て宗教 に 劣 ら な い大 き な 使命 が あ る こ と を知 っ た の で あ る 。 産業人の使命 は貧乏の克服で あ る 。 社会全体 を貧 よ り 救 っ て, こ れを 富 ま し め る こ と で あ る 。 商売や生産は. そ の 鹿店や工場を繁栄 さ せ る の で な く . そ の働 き . 活動に よ っ て社会を 富 ま し め る と こ ろ に そ の 目 的 が あ る 。 社会が富み栄 え て行 く 原動力 と し て, そ の商店, そ の 工場の働 き , 活動を必要 と す る の で あ る。 そ の意味に お い て の み, そ の商店な り , そ の 工場 が盛大 と な り 繁栄 し て行 く こ と が許 さ れ る の で あ る 。 」 「水道 の水 は加工 さ れ価 の あ る も の で あ る 。 今 日 , 価 あ る も の を 盗 め ば. と が め を受 け る ひね. の が常識で あ る 。 し か し . 道 ば た に あ る 水道の栓を捻 っ て. 通行人が水を盗み飲ん だ と し て も . そ の不作法を と が め る 場 合 は あ っ て も . 水 そ の も の に つ い て の と が め立て は な い の で あ る 。 そ れ は. そ の 価格 が あ ま り に 安 い か ら で あ る 。 な ぜ価格が 安 い か, そ れ は そ の生産塁が 豊富だ か ら で あ る 。 こ こ に, わ れ わ れ産業人 の 真 の使命が あ る 。 す べ て の物資を水の よ う に 無尽蔵 に し よ う 。 水道の水の よ う に価格を安 く し よ う 。. こ こ に き て初 め て貧乏 は克服 さ れ. る。 精神的 な 安定 と . 物資 の無尽蔵な供給が相 ま っ て. 初 め て人生の幸福が安定す る 。 自 分が 松下電器の真使命 と し て感得 し た の は こ の点 で あ る 。 松下電器の真の使命 は . 生産に次 ぐ 生 産 に よ り , 物資を無尽蔵 に し て, 楽土を建設す る こ と で あ る 。 」 (9). um. 「松下電器五十年の略史」 昭和43年, 松下電器刊, 94頁, 以下 こ の 資料 を主 と し て参照す る 。 前掲 「略史」 95頁 -97 頁。 - 109 C 109)-.

(10) 第47巻. 第1号. これは社史に, 松下幸之助が話したという言葉を, そのまま要所を引用したものである。 彼は.「痛く心を打たれ」, たしかにそれが, 「一つの動機となって」, みずからの, のちに 「水道哲学」といわれる使命を「感得」したのである。 ここにみられる状態を, どのように理解すればよいのであろうか。 ただ宗教団体を見学 した事象を原因とし理由として, いわゆる「水道哲学」という経営の理念なり規範に辿り 着く結果を合理的な関係に説明するだけで, 事足りるのであろうか。 意味があるのであろ うか。 これを契機に松下幸之助自身が述懐するように. 経営の開眼をするということは, 人間, 松下幸之助にとって, どのようなことであったのだろうか。 これについて. いまま でみてきた心理学的な知見を援用するなら, ある「心的エネルギ ー 転換」が起ったのであ ろう。 いままで意識的に「尋常な商人」として熱心に努力していたが, 不況のなかで社会 的な環境の出来事の色々な苦悩をかかえ,. 一. 灯の明かりのような. 宗教団体での感動は,. 松下幸之助の心に光を燃やしたといえよう。 それはたまたま宗教団体の見学という偶然の ような物理的な事象が, 松下幸之助の苦悩する心理的な状況に, まさに意味のある一致を 見出させる。 それは宗教の使命, 役割と企業や事業のそれとの共通性についてであり, そ れは閃きというか, イン ス ピレ ー ションとしての, 帰途の電車のなかでの気づきであった という。 それは決して合理的な思考の結果としてでなく, いうなら心的エネルギ ー が意識 から無意識に流れ出し, しかも集合的無意識というなかから意識へと呼 び戻される過程に おいて, 突然として湧き上がるように気づかれたのではあるまいか。 ある宗教的な感動は, 苦悩する人間の意識の緊張と集中をもたらし, 心的ェネルギ ー の転換によって人格の変 容, そしてユングのいう「変容の象徴」, つまり松下幸之助にとっては「水道哲学」という 経営についての基本的な考え方, 規範 シンボルを生み出すことになったといえないだろう か。 もとよりこのことが合理的な思考や意識というものを否定するわけではなく, むしろユ ングのいうように補償の関係にあるわけであり, あまりに合理的すぎ, 意識しすぎる偏り に歪みが生まれるのであり, その意味でバ ラ ン ス よく無意識と心的エネルギ ー を流動化さ せることが大事といえよう。 したがって, 松下幸之助は生前に部下を指導して, 仕事につ いてとことん考え抜き, 考え盛すことを求めたというのは, むしろ意識の集中と緊張を極 限に上げて, 心的エネルギ ー の無意識への逆流の梃子作用にすることを経験的に体得して いたのかもしれない。 このように松下幸之助の具体的な事例を, さらに彼が自ら人生における経営の三大危機 としてあげる第二の終戦時の危機と第三の, いわゆる熱海会談があった大不況時の危機の - 110 (110 )-.

(11) 経営者の共時性への深層心理学的接近(大森) 克服への契機も, 同様な理解をしなければ, ただ 「魔術的因果律」 の説明に終り, 内容の 空しいものになるようである。 その詳細の検討は紙数からして別途の機会にするとして, ここでは, 第一の危機における経営への開眼の事例を検討した材料をふまえて, さらに心 理学的な先学の知見を, 今後の理解をより豊富にするため, 素 直に仕込んでいきたいとお もう。. 4.. 因果律の超克. ここで問題意識としてあるのは. これまでの経営者にとっての個人的な心のエ ネ ルギ ー ゃ. それとの共時性のかかわりの問題から, さらに踏み出して個人と個人の関係というか 人間としての集団や組織の関係に問題を展開していきたいとおもう。 この問題も, すでに 経営の文化や制度との関連で. 多少ふれてはいるが, さらに詳細に基礎となる心理学的な 知見を蓄積してみたい。 まずそのために経営者の思考を支配しているとおもわれる合理的な因果性の議論にから んで. なぜ非合理的ともいえる共時性なのか確認もふまえながら理解no していこう。 それ は 「共時性の基礎」をふまえながら,「因果律と目的論を超えて」 何を求めるか, というこ とである。 たしかに「因果律の卓越に対する信仰は. 西洋的人生観の基本的教義の一つである」と いうが. 今 日 の 日 本においても脱亜入欧のためか. 経済活動にいそしむ経営者はとくに勿 論のこと. 一般にもいいえることである。 ところがその西洋においても. すでに早くから デ ヴィ ッ ド. ・. ヒュ. ー ムや. ソ. ー. ス ティン. ・. ヴ ェ プレンは. 「因果律は事物自体に本来備わっ. ている真実ではな < . 社会慣習を通してプラグマ ティ ッ ク に生じた一つの転嫁である」と 結論づけている。 そしてユングも 19世紀後半において, 因果律の絶対的な真実に. その心 理的な臨床から疑問を抱き, やがて 「非因果的解釈の方法」ー一共時性の可能性を探索す る ようになる。 そして20年以上もの研究のうえに, ついに75オになろうとする晩年にい た っ て. やっと 「非因果的関係の原理としての共時性」という論文を書き上げたことは. すでにふれたことである。 そこで興味ある非因果的関係の解説は. すでにみた松下幸之助の「水道哲学」の開眼の 事例に重ね合わせてみると, よく理解できる。 すなわち「魔術的因果律」といった「因果 (IV イ ラ ・ プ ロ ゴ フ 著 「ユングと共時性」 河合隼雄, 河合幹雄訳, 1 987年, 創元社刊 (以下, こ の 訳書によ る ) 。 -111 (111 )-.

(12) 第47 巻. 第 1号. 分析の類似した筋」 で説明し切れない宗教的な出会いと心理的な開眼. それはその 「現在 の瞬間のコンステレ ー ション」によるとしかいいようがないと。 ここでコンステレ ー ショ ン (constellation) というのは. 訳注によると 「幾つかの現象が. ". ある時. ”. において, 意. 味のある組合せ(型) を示し. それらが因果的に説明し得ないとき」をいうとある。 たし かにこの事例についても. 「本来垂直である因果のカテ ゴリ ー つまり時間的な連続性が適 用できないパ タ. ー. ンの一部となる。 どういうわけか. このパ タ. ー. ンから. そこに, あなた. が自分が求めていた回答をふと見つけたという新たな事実が現われる。 戸 そして 「ある種 の意味深い関係」が理解されえるという。 それはもっというなら,「意味深い符号」であり, その意味ではただ「原因や結果である出来事は, 意味深い符号が起きる生の素材を供給す るということである。 巴 このように垂直的な因果カテ ゴリのパ タ 軸を横切るパ タ. ー. ー. ンにたいして. 「時間. ン」は. 「非因果的な原理」によっているという。 こうした事例は宗教的. な現象はもとより, 政治上あるいは経済的な活動においても. 歴史のあらゆる場面に見出 される。 むしろ「現代の合理的精神は. 社会と個人の作用を記述する厳密な. ". 法則. ”. を見. つけるべしという強制を感じているために, これらの不愉快な非合理的事象の存在は. 無 視されなければならなかった」0� といえるのであろう。 いずれにしても,. ユ ン グは「非合理. 性と非因果性が重要である」ことに注目し. そこに 「共時性」 をもとめて研究していった のである。 さていよいよ「因果律と目的論を越えて」の共時性の内容であるが. 専門外で. しかも 異端であれば至極困難な努力であり, いわんやそれを経営の領域に多少でも援用しようと すれば尚更である。 まず歴史的な経緯からみると.. ユ ン グはは. じ め因果律に馴染みながら,. それを脱皮してすでにふれた目的論を展開しつつ, やがて共時性にいたるという三段階を へている。 当初.. ユ ン グが精神分析の研究を始めた頃,. 近代科学の因果論 そのままに. し. たがって「 フ ロイ ト の心的エネルギ ー 保存の概念」にそうものであったが, やがて分析心 理学として改良の必要を痛感する。 フ ロイ ト の性的エネルギ ー を根源とする精神分析にた いする因果的還元主義に疑問を抱くとともに, 心的エネルギ ー が生来的な創造性や人格的 な発展性をもつことを ユ ン グは指摘する。 そして ユ ン グは.「人格の発達を描く最良の方法 は, 内側から開くものとして描くことであると認識するに至った」09 という。 このように 「人間という有機体の本性に潜在するある目的」 を実現していく過程という意味で. 目的論 (12) (13) (14) (15). 前掲訳書, 前掲訳書, 前掲訳書 前掲訳書,. 59頁。 59頁。 6 1 頁。 65頁。. - 112 ( 112 )-.

(13) 経営者の共時性への深層心理学的接近(大森) を強調するようになる。 こ こで 目 的論について多少, 冗長であるが引用しながら吟味してお こう。「確かに, 目 的 論は因果律を越えている。 しかし 目 的論は, 因果律とかけ離れているわけではない。 目 的 論的見地の本質は, それぞれの有機体の種子のなかに, 最終的な 目 的がそれを生き抜くも のとしてつくられた個人の生命と共に潜在しているという考え方にある。 」llG したがって 人生における暗黙の 目 的が現実化するかどうかは, 人生の因果的な過程にも影響されるわ けであるから, 双方は相互に関係しているといえる。 しかし環境的な条件をふくめて因果 関係の影響を考えてみると, 個人の「運命」など, より大きな視野からすると, その限界 が明確になり, むしろ偶然の要素が決定的に軍要になってくる。 しかもその偶然は,「意味 のある偶然」というか,. ユ ン グのいう「意味のある符号」が必要である。. それは「因果的. に結 びつかず, それでもなお意味があるように関係づけられていると見える偶然的要因に よって事象が同時生起する こと は 個人の人生の 目 的が展開して, 彼の. ". 運命. ”. となる過. 程の, まさに中心である」on という ことになる。 こ こにいたって ユ ン グは, 因果関係の分析に限界を自覚するだけでなく, 「因果律は一つ の原理にすぎないのであり, 心理学は, 本質的に, 因果的方法のみに尽きる ことはありえ ない」OS と明言するようになる。 そして臨床の場を通して, 「個人の人生の運命を定めてい る決定的な要因としての偶然の問題」にたいして, 「因果律によって合理的に分析」する こ とを放棄し, 色々の試行を模索するなかで, 古代中国の「変化の書」易経に出合い, その 洞察に「時と個性という偶然の要因を, 何とか反映しようとする事象の流れへの参加」を 可能にする方向を見出したのである。 そ こからユン グはやがて, 共時性の原理, 「非合理的 で非因果的な現象に見られる動きの特別なパタ ー ンを包括できる思考方法」09 という「経 験の方法」 を見出すのである。 実」⑳ のまえに,. このように 「偶然は生来,. ユ ン グは因果律を越えて,. 非合理的要因であるという事. 目 的論を発展させ, さらに共時性へと導かれて. いく。 それら三つの関係は, 無意識のなかにおける 目 的論が中枢の位置を 占めながら, 意 撤による因果律をそのなかに含みつつ, しかも主体を超える共時性へ直接に通 じ ていくと いう。 その「共時性は, 他の原理と釣り合い, それらを補足する独立した原理である」IZU と いうのである。. (16) 前掲訳書, 66頁。 (17) 前掲訳書, 67頁。 (l!O 前掲訳書, 65頁。 (19) 前掲訳書, 68頁。 ⑳氾I) 前掲訳書, 68頁。 -1 1 3 ( 1 1 3 )-.

(14) 第47巻 第 1号 ここに主体的な個を超えながら, 主体間というか, 主体的な個と個を結 び, さらにそれ らの個を超えた主体的なあり方を, たしかに非因果的で. したがって非合理的ではあるが, 特別なパタ ー ン として規則的に包括できる思考およ び方法に提示したともいえる。 それは 意識上における時間軸にそった因果律を超えて, 意識下において時間軸を横切るように, 空間軸による共時性. いわば縁起律四 を提示している。 このことをより現場的に経営の事 例について具体的にいうなら, つぎのようにもいえよう。 たとえば松下幸之助の経営的な 開眼は, たしかに世界大恐慌という時機に直面していなかったら, あるいはその機会はな かったかもしれないという因果関係は一応成り立つ かに見えるが, 必ずしも そういう経験 がすべて開眼を可能にしないところに, 「魔術的因果律」 がうかがえる。 そのことは宗教団 体を見学する機会についてもいいえるし, そのほかその当時に松下幸之助が直面したあら ゆる機会についてもいえるであろう。 むしろそれらを機縁にして. 松下幸之助それ自身が 潜在さしていた何かが目覚めたと理解するのが自然であろう。 そこに個人の生命とともに 種子のように それなりの目的が潜在し開花をもとめているという目的論的な見地が理解で きる。 しかし それは偶然の機会でありながら, 「意味のある偶然」あるいはそのなかに「意 味のある符号」がふくまれていなければ, まさに意味がない。 それは主体としての松下幸 之助という個人にとってはもとより, 経営という意味では組織や集団の人々, 成員にとっ てもである。 それが内容的に宗教の使命, 役割と経営, 事業の それとの共通性への感動と いうか感得である。 だが松下幸之助は経営者として, そこでとどまらず. それを経営理念. 信条として明文化し, しかも それを所信として経営幹部に発表し, 経営の新たな使命を 知ったとして命知元年と画している。 すでにふれた 「水道哲学」 による新たなる創業の記 念である。 ところが注目したいのは. その発表時における経営幹部の反応であり, 興奮と いうか共感の態度である。 松下電器の諸種の社史資料の描写によると. 当時の大阪, 堂島 の中央電気倶楽部に参加した幹部たちは. 所信発表が終るや, 我先にと壇上に駆け上り共 感の応答を延々としたということである。 これは経営的な 「意味のある符号」いうなら経 営理念という シンボル, 規範にたいする共感であり, そこにもまたただ松下幸之助という 個人を超えて. 主体間という集団や組織の成員としての個人そして人々に, 無意識ではあ るが目的論的な共時性をもたらした現象であるといえよう。 こうした機会をそれから, 松 下幸之助は. 経営の文化として定着さしていき, 経営の制度としても形成していく過程が, その成長と発展の経営史のなかに読み取れるのである。. 四 前掲 A. サ ミュエルズ他「 ユング心理学辞典」山本康裕監修訳, 創元社刊, 1993年, 26頁。 -114 (114)-.

(15) 経営者の共時性への深層心理学的接近(大森). 5.. 共時性の機能. すでに共時性の概念については, 概略の議論はしているが, 要するに ユ ングがいう「意 味のある符号」 なり, 「意味のある偶然」 である。 それは 「時間軸を横切るパタ ー ン」でも あり,「非因果的な原理」にささえられているということも理解しているが, さらに経営者 にとって どういう意味をもち, 機能をはたすのかを検討していきたい。 もっとも, この共 時性の概念について, より基本的に, 専門的な検討をするとすれば, イラ. ・. プロ ゴワ の考. 察四 にしたがって, ライプ ニ ッ ツの「単子論」に遡及しなければならないだろうし, 古代 中国の老荘の「道 (TAO)」の思想にまで言及することになるが, ここでは ユ ングがそれら をふまえて展開しきたった 「無意識の知」といえる心理学的な基礎から理解しえる, 経営 者にとっての機能に関連して吟味していこう。 まず そこで 注目されるのは,. ユ ングが心療活動のなかから発展させた重要な方法の一つ. 「能動的想像」とよばれる技術である。 これは「心は, すべての必要な答えを それ自身の内 にもっているという ユ ングの考え門 にもとづいている。 これを ユ ングは, 精神的な患者 の臨床治療の経験のなか から知見として抽出し体系づけていったのであるが, それは健康 で正常な人間にも一 般に適用されて当然の心理的な基礎をもっている。 それは人間として の経営者, 個人にとっても当然である。 ここにいう 「能動的想像の背後にある原理は, 心 が その内に ひ そむものを表現するように心を励まし剌激することである」四 と。 少々専門 的で難解であるが, しばらく引用をつづけると, 「それは本能的で種属特有の衝動や, それ らのより深いイ メ. ー ジを引き出そうとする象徴的レベ ルにおいて行おうと努力するもので. ある。 そのような深いイ メ. ー. ジによって, 人間の人格は, 自然の一部として, その存在の. 満たされた種子のなかにマ ク ロ コ ス モ スを反映している」 という。 この表現を, すでにふれた松下幸之助の宗教的な感動から, 事業経営の聖なる使命とし て 「水道哲学」 という象徴的なイ メ. ー. ジを感得した場面に重ね 合わせると, なかなかの説. 得力をもっている。 のちに松下幸之助が, いわゆる自然の摂理をふまえた「根源教」なる 考えを説くにいたる道をも想起させる。 これについて,. ユ ングの人間の心についての研究. の特徴がしめすように, 「人格の素材を研究することは, 人間の内から研究することを意味. (23) 前掲訳書。 (24) 前掲訳書 79 頁。 (2S) 前掲訳書 80頁, 以下 し ば ら く , そ の 文脈によ る 。 -115 (11 5 )-.

(16) 第47巻. するが,. 第1号. それは即座に個人を越える こ と になる。 」 なぜなら 「 その深層において個人の心. は, 大きい方の宇宙の映像を含んでいるためである。 」「それゆえ, 個人の心の内にあるイ メ ー ジは, 宇宙の映像の縮小物である。 それぞれの人の内の これらの動きは, 心の過程を 体現している。 それらは, 自然 と いうマ ク ロコスモ スのなかで動く, 過程 と リズムの個人 の型での表現である」 と 。 つまり「 ユ ングの. 人間の心についての, マ ク ロコス モ ス / ミ ク ロコスモ ス概念の枠組み」であるが, その過程は, 松下幸之助が, 「水道哲学」の経営に 開眼して以来 のちに PHP (繁栄による平和 と 幸福) 運動 と いう社会啓蒙の展開も, ま さ に「個人の型での表現」である と いえよう。 それはまた ユ ングの努力が, 「人の人格 と いう ミ ク ロコス モ スのなかにマ ク ロコスモ スが現われる特殊な形式を決定する こ と によって, 経験を通じて それを生きる こ と にある」 と する性格論に結晶している。 その中心にあるの が,. ユ ングの「元型」についての分析であり,. それ こそが「共時性の理論の本当の基礎」. である と いうが, これらの「元型」論などの基礎的な検討や 「能動的想像」 と いう技術的 な方法について, 詳細にみるのは別途の機会にして, こ こでは 「元型 と 時間の様式化」 と いう こ と で, 「無意識の知」の具体化について, さ らに理解してい こう。 こ こで元型について, と りあえず ユ ング心理学辞典によって要約しておく と , 「 こ ころの 中の遺伝的に受け継がれた部分であり, 本能に結びついた こ ころの行動を構造化するため の型である戸 と いう。 したがってすべての個人は本来的に 「 こ ころの行動を構造化する ための型」 をもっている。 そしてその元型からの イ メ ー ジなり, 象徴による暗示や含蓄に サ ポ ー ト さ れながら. みずからの経験を正当化して生きていく。 その集積が個人の人生の 過程であり, その累積が人間の 「社会的, 歴史的形成」 と して表現 さ れる と いう。 かなり 専門的で難解ではあるが, 多少引用しながら理解を深めたい。「元型的象徴の体験は, 人生 の内的働き と 関係している と いう感覚, すなわち, コス モ スの動きへの参加 と いう感覚に 掃着する。 そのような時, 個人は, あたかも自分が一瞬の間, 存在の高い次元に移 さ れた かのように. 自分の個性が高められた と 感じる。 元型が人の人生のなかで活発になる と き. 打ち建てられる状況は明らかに個人的なもの以上になる。 」伽 それは ユ ングが「宇宙的性 格」 と 呼んだように, 「それは, 強い情動を伴って, 非常な強烈 さ でもって体験 さ れる」 と いう。 そしてそ こで体験 さ れる強烈な心的ェ ネ ルギ ー は, 二つの側面, つまり個人のミ ク ロコスモ スのなかに自然のマ ク ロコスモ スの現われがある元型の超越的な側面 と 人間がも つ本能 と 元型が 一つのもの と して融合して活性化 さ れる事実的な側面をあわ せもってい (26) 前掲辞典, 44頁, 以下 そ の項に し たがう 。 l'tr) 前掲訳書 85頁。 -116 (11 6 )-.

(17) 経営者の共時性への深層心理学的接近 (大森) る。 いずれにしても. このことによって. 「ミ ク ロコス モ ス内でのマ ク ロコスモ スの現われ は, 世界の神性の何かが, 個性化されたことを意味する。 ある人格がこれを体験し, その なかに参加したならば,. その体験は,. 人間と神の間をつなぐ役をする」⑳ とさえ強調され. る。 いうなら「ミ ク ロコスモスと マ ク ロコス モ スの間の一致」 であり, ここに共時性の基 礎が見出される。 これらの議論を抽象的に聞いても漠としているが, 事例的に観ることによって端的に理 解することが可能になる。 たとえばすでにみた松下幸之助の宗教的な感動の場面とそれを 契機にした「水道哲学」という事業理念への使命感の感得, さらに幹部社員への宣言と共 感の拡がり, それ以降の事業活動における革新的な熱気や成果の軌跡を検討していくと, そこにいままでみてきた抽象にす ぎる議論が, 実感のある解説として理解できるようであ る。 ただここで 注意すべきは, この事例を単に因果的にとらえて理解し消化する 慣習につ いてである。 すなわち松下幸之助の宗教的な感動が原因となり, それ以後の出来事が結果 としてもたらされたという合理的な解釈というか説明についてである。 これは, すでにふ れたようにユングが「魔術的因果律」 といった説明に落ち入っていることに 注意しなけれ ばならない。 このことについて, しばらく 注目して検討しておきたい。 これはいまみてき たように, 「元型が, この根本的な側面において体験されるとき, あらたな状況が創造され る。 新しいパタ ー ンが布置されるのである。 」四 多少解説にすぎるかもしれないが, 松下幸 之助の宗教的な体験が, 人間, 個人の根本的な側面にふれて, 元型的な感動が, そのイメ ー ジを湧き上がらせ, 今までと全くちがう, 新しい状況を創造的に知覚できるようになる。 そこに経営にとっても新しいパタ ー ンが見出されてくるといえよう。 ここの 「布置 (con­ stellation) 」 は心理学的な用語として, 「元来,. .... 全く関係ないと思われたいくつかの事象. が, ある関係性の相において, … …突然, その内包する意味が見えてくることをいう。 」OO したがって因果的な事象を説明することが, もともと成り立たない事象の間を, あえて合 理的に説明せざるをえないところに, 「魔術的因果律」の解釈が生まれ, また その無理があ る 。 それを補完する説明原理が, 共時性ないし縁起律あるいは共時律であるというのであ る。 その共時性が生起する原理というか基礎を検討しよう。 それはすでにふれた「ミ ク ロコ スモスとマ ク ロコスモスの間の一致」が起きたとき, 「新しいパタ ー ン」 が見えてくるので. ⑳ 前掲訳書, 86頁。 (29) 前掲訳書, 87頁。 (3()) 前掲辞典, 57頁。 -117 (117)-.

(18) 第47 巻. 第1号. あ る 。 そ の こ と は, 「 そ の 事象 に 関係す る 全環境 に 対 し て 改造効果 を も っ 」 と い う 。 そ の生 起 の プ ロ セ ス を, つ ぎ の よ う に 説 明す る 。 少 々 冗長 に な る が, そ の要所 を 抜粋 し て, そ の ま ま 引用 し てお こ う 。. 「 そ れ は, 先だ っ て存在 し て い た状況の配置 を変え る 。 新 し い パ タ. ー. ン が形成 さ れ た と き ,. そ の外部に あ っ た 他の状況 と 事象 は, 新 し い 方法 に よ っ て そ れ と の関 係 に 引 き 込 ま れ る。 そ の と き そ こ で は, 互 い に 関係す る 全要因の再配置 を し つ つ , そ の 内的外的要素 の再編成 と 再 構成が起 こ る 。 そ の 結果,. パ. タ. ー. ン の 新 し い, と ど ま る と こ ろ の な い 結 晶 化 が 生 じ て く. る 。 」郎 「 そ こ に 働 い て い る 原理 は, 何 も の か が そ の本性 に よ っ て, 時間 と 空間 を 越 え て広 が る こ と を可能 に し て い る け れ ど も , 明 ら か に 内的 な も の で あ る 。 そ れ は, そ れ ら 自 身 の 状態 と 事. .... 象を直接 に は変化 さ せ な い。 し か し , そ れ は, 状況や状態を内 に含む, 物事の パ タ. ー. ン の再. 秩序化 を も た ら す。 」⑫ 「あ る パ タ. ー. ン が元型の活性化 に よ っ て あ る 時 に 形成 さ れ る と き , 決定的要因 は, い か な. る 種類の外的力 で も な く , む し ろ あ る パ タ ー ン が形成 さ れて い る と い う 事実 の な か に生来 . . . . の も の で あ る 秩序原理 (ordering principle) で あ る と 思 わ れ る 。 そ の と き , パ タ ー ン を結. 合 さ せ る も の は, エ ネ ル ギ ー の 方向塁で は な く . あ る 内 的結合の原理 (一つ の 結合の原理) で あ る 内的一貫性で あ る 。 」Cl!I. ど う も 長 々 と 引 用 し た が, あ ま り に 表現が迂遠で判然 と し づ ら い が, 要約す る と 人間 が も つ 元型 の 活性化 に よ っ て, あ る 内 的一貫性 に 眼覚 め る こ と で, 事 象 や 状態の, 新 た な 秩 序あ る パ タ. ー. ン を 見出 す プ ロ セ ス で あ る と い え よ う 。 そ れ は 「疸観 的 で, 本質的 に 象徴的. な 古代道教 の 洞察」 Cl4I に 通 じ る も の が あ る と い う 。. も っ と 仏教 的 に い う な ら ,. 開悟あ る い. は 悟 り に い た る プ ロ セ ス で あ ろ う か。 そ う い え ば, す で に み た 松下幸之助の い う 「 一種 の 悟 り 」 田 と 表現 し た英知あ る い は直観の議論 も ,. こ れ を 連想 さ せ る 。. そ れ こ そ 松下幸之助. の 直観 的 な 洞察 と い え る が, 知識 と 知恵 は相異 し て, そ の 知恵 に も 四 つ の種類 と い う か段 階が あ る と い う 。 ま え に も 検討 し た こ と で あ る が, 個人知 と 衆知 は質的 に あ く ま で 「無意 識の知」 で は あ る が個人的無意識 レ ベ ル の 知 で あ り ,. そ れが英知 に ま で昇華 さ れ る の は,. 「各個人が素直 な 心, つ ま り 自 然 の姿 に 立 ち 返 る と い う か, 悟れ る 姿 と い う か, 宇宙 の 森羅 万象の ほ ん と う の 姿 を 知 っ た状態で集め た 知恵」 °° と な る か ら で あ る と い う 。 そ れ は も う (3閲碑 前掲訳書, 88 頁以下, 89頁。 (34) 前掲訳書, 90頁。 ⑯ 前掲拙稿, 経営者意識論 ( 5 ) 。 園 「松下幸之助発言集」 第43巻, 202 頁。. -118 (11 8 )-.

(19) 経営者の共時性への深層心理学的接近(大森) 集合的無意識 レベルにいたった知恵であり, それはさらに天知にまで通ずるというのであ る。 これは体験的な洞察であり, いうなら経験的な仮説にすぎないといえるが,. ユ ングの. 共時性にかんする心理学的な考察で検証してみると, なかなかの説得力をもっている。 そ の考察を援用しながら理解してみよう。 もともと知識は顕在化した表層的な意識の領域のものである。 それにたいし知恵は深層 的な無意識に潜在化しており, そこから湧出するものであることは, すでに検討聞 したと ころである。 と く に集合的無意識から湧き出るイメ ー ジとして知, ここでは英知ないし天 知といわれる知恵は, 個人を超えて, ト ランスパ ー ソ ナルに, 大きな力をもつ。「心の中に 存在する元型は, それらが人間のなかに表現することはそも そも人間を越えるものである という事実から, 巨大な力を引き出す。 」濁 それは「内的斉合性によってつ く られた時間軸 を横切る様式」として, あらゆる事象を新しいパタ ー ンに適切な配置となるよう位置づけ る中心になるものといえよう。 そしてそれは経験の強靱さ, 明確さに依存するという。 こ れはもともと知性に関連して自我や意識が強調されるが,. ユ ングの理解からすれば,. それ. らは本質的に無意識を起源にしており, 経験を無意識がどう受け取るかが重要なのであ る。 したがって「心のより深層の, 自律的な現われとしての元型の表現は, 必然的に自我 と意識を越えて生ずる」というのである。 そのため「 最も本質的には, 元型は, 自我と意 識に対してみずから働かす。 元型は, 自我と意識とともに働 く とき, 自我と意識を元型的 コ ンステ レ ー ションの軌道に引き込 むことによって, それを成す」という。 少々繁雑にす ぎるが, 現実的にいうと経験の仕方, 如何によって, 心の深層の無意識にとどき, 悟りの 一種 英知が湧き上り, 自我や意識を働かせて, 「元型的 コ ンステ レ ー ション」, つまり英 知の創る配置図ともいえる全体像を描き出すことができると。 それを松下幸之助はみずか らの経験のなかで, 事業において経営について可能にしてきたのではないか, といえる。. 語. 6.. 結. これまでみてきた共時性については,. ユ ング自身も長年にわたって研究してきたもの. の, その発表はやっと晩年になって実行された経緯があるように, 研究も困難をきわめ, 内容についても社会の受容に戸惑いを痛感していたものである。 そのことは現在もなお状 況は進展しているとはいうものの, まだ大き く 変っているとはいえない。 それだけに定説 ⑰ 前掲拙稿, 「経営者意識 論 ( 5 )」。 (38) 前掲訳書, 以下, 9 1 頁か ら の引用。 -119 ( 119 )-.

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