• 検索結果がありません。

水の予祝 - 田遊び・御田祭を中心として -

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "水の予祝 - 田遊び・御田祭を中心として -"

Copied!
16
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)水の予祝 田遊 び ・ 御 田祭 を中 心と し て. 「水乞い」では な く、年 中行事・ 神事・ 芸能 等の 中に「水. の 予 祝」 「水 への 願 望」がどの ように組み 込ま れ 、潜在 し 、. 民俗 化 し てい るかとい うことであ る。年 中行 事・ 神事・. 芸能 な どの 中に 潜在 し てい る 「水 の 予 祝」要 素 を発 掘整. 序 す ることによっ て、今ま で見 え な かっ た稲 作農民と水 、. 日 本 人と水 との かかわり が見 え てくるは ず であ る。. く、 随伴 行事は 、播種 •田植 とい っ た、 農作業の 出発 点. 行 事とに な る 。予 祝 行 事は年 の 初めに行 われ ることが多. 多様 で あ るが、 これ を大別す れ ば予 祝行 事 と農 作 業随伴. 農 作物の 豊穣 祈 願 を目的 とす る 呪術 や儀礼 は ま ことに. m 一月十五 日、穂つきの、大きい 薄(萱)を箸にし て小. る 若干 の 事例 を示し 、問題 点 を考 え てみ よう。. 一度考 え ておかな け れ ばな ら な い 。以下 、小豆 粥に関す. では な く小豆 粥でな け れ ばな ら な い の かとい うことを今. 全国 的に行 われ てい ると言 っ てよい 。な ぜ赤 飯 •小豆 飯. 寛. に行 われ る場合が多い 。ここでは、 農 耕の 中で も特 に 稲. 豆 粥を食 べ、家 族全員 の 痺箸 を束 ね てとっ てお き、苗. 野 本. ー・ 小豆 粥. 作 をと り あ げ 、さ ら に 、「水 に 関す る 予 祝呪術 ・ 俄礼 」. (奈良 県 吉野 郡 大淀町陽原 出身 ・上坂 美 代子 ・昭 和四. 代田 に 立 て、こんな 大きな 穂 ができるようにと祈 っ た. 一 月十五 日を中心 とし た小正 月に小豆 粥を煮 る習俗は. に焦 点 をし ぽり、 田遊 び・ 御 田祭 を中心 とし て必要 に応. - 173 -. は じ めに. じ て水 に かかわ る 随伴 俄礼 等に 言 及す る 。水 田稲 作農 業. ② 一 月十五 日に小豆 粥を食 べ た薄の 箸 を家 族全員 分神棚. 年 生ま れ )。. て、止雨 祈 願 や日乞 い をす る 場 合もな か っ たわけ ではな. の 確保 が重 要 な 課題 とな る。も とよ り 、雨 や水 が多す ぎ. 穂 の ように大きな 穂 が稔 るようにと祈 っ た(奈良 県 吉. 野郡吉野 町山 口 •鶴井 ま つゑ明 治 四 十一 年 生ま れ ) 。. に あ げ ておき 、苗 代の 籾 蒔きの 日に 苗 代に 立 て、蒋 の. た 。ここ で考 え よう とす るの は、旱天時 の 「雨乞 い」や. い が、稲 作農 業に 「雨乞い 」「水乞 い 」は つき もの で あ っ. に おい ては 「水 」が絶対 的要素 に な っ てい るために 、水. 1巻1号. 1990.3 文学・芸術・文化.

(2) 野本 水の予祝. 上部 の 切 り口 に 十 字 の 割 れ 目 を 入 れ た も の であ る 。. 下 半分は 皮を残 し、 た。粥 掻 き棒は 上半分の 皮をむ き、. 苗 代の 水口に 立 て、 焼き米を供え 、 菖蒲を挿し て祭っ. い て 小豆 や 米粒 の 付着したも の を神棚に 祭っ てお き、. ツの 木( ヌルデ) の 粥掻 き棒を二 本作 り、小豆 粥を掻. ③ 一 月十四 日 、 径四 、 五 セン チ、長 さ二 0セン チ程の カ. 本来 、 こ の 棒が箸であ っ たことを物語 っ ている 。 事例の. 秩 父 郡 荒 川 村 白久 で も 先に 十字 を刻 ん で団 子を は さん. れ目に 団 子をは さん でお き、後に 苗 代に立 てる 、 埼玉県. 梨 県 北巨 摩郡 敷島 町下 福沢 では 粥掻 き棒の 先の 十字の 割. 本セッ トと して使うという形 は 他地 区 でも 見られる 。 山. かわっていたことがよくわ か る 。③ の ように 粥掻 棒を二. 右の 諸例に よっ ても 、 小正 月の 小豆 粥が稲作 と深くか. いは 各地 の 社寺 で行わ れる 粥占の 形 であ る が、 粥掻 き棒. だ。二本の 粥掻 き棒がセッ トに なっ ている ということは 、. 田 一 月十五日 、 農家に て小豆 粥を煮 る 時 、 竹ある いは 蓋. に 小豆 粥 を付着 させた形 でこれをこれを苗 代に 立 てる と. ま れ)。 の 筒を片 節切っ て、 咋 翠も てあみ、早 稲中稲晩 稲 大豆 麦. を占っ てい たことの 名残 である 。 粥掻 き棒は 本来 箸なの. いうの も、 古くは 粥掻 き棒に 付着する 小豆 粥の 量で作 柄. ( 山梨 県 西八 代郡 六 郷町岩間 ・有 野幸 七大正 十二 年生. 筒の うちへ 米の 多く入りたる 数を見て、その くさぐ さ. 粟綿など それ/\ 筒に 名を付、 粥とひ とつに 煮 立 、 其. であ る か ら、 箸に た くさん 粥が 着くということは 、作 物. 。. 円錐形に 集め 、 政 で笠 の 形を作 ってか ぶせ、こ れを早. と称 し た。 一本の 根を中心 に ニン 木を六 本ないし 八本. て その 年の 月の 数だ け炭 で線 を引 き、これを「ニン 木」. 地 を削 り出したことに なる 。小豆 粥の 付稽 状態 をより正. しめ、神意の 発現確認 を正し く受 けとめ る ため に 木の 白. 式化、 意匠 化されたも の であ り、 信仰的 に は 、 神を依 ら. は、 実際の 箸の つま み口 を白く削 り出すという形 式の 様. 粥掻 き 棒 の 半 分 の 皮 を剥 ぎ 木の 白 地 を 出 す と い う こ と. j ). の みの りよろ し とし 侍 り( 『越後長 岡領風俗問状答. が豊作 で、 満 ち足 りた形 を象 徴する ことに なる の である 。. ( l}. ① 一 月十五 日、一 尺六 寸 ほど の 薪状の 木を二 つ割 りに し. 乙女 と称 し た。 十六 日 の 朝これに 小豆 粥を供え たの で. 確に 知 り、 そこに 神意を見る ため に 皮 をむいたというこ. あ る が 、 こ の 粥が 堅 ければ 「田 が え む」( 割 れる ) と 称 し て 粥を軟 らか く煮 る よ う 心 が けた( 『三 河 吉田 領. とに なる の であ る。木口の 十字の 割り込 みは 、 そこ に 入っ. 2) (. 風俗問 状答』要 約 )。. - 174 -.

(3) あ っ た。 木口 の 十字に 団子 をはさ む形は 、 占い要素 が退. た粥の 状態 を見 るための もの で もあり 、 田形の 形象で も. 正 月 の小豆 粥は占い や禁 忌 とかかわりながら その根底 に. よっ てその年 の天候 が支 配さ れ ることを説 い てい る。小. 加減で 田の水加減 が語ら れ 、 この例 で は小豆 粥の扱いに. 起 こる と伝 え て、吹く ことを禁 じた。 固 で は小豆 粥の 水. m. こうし てみ ると、 切 の 薄の 箸 は、 薄の穂による稲 穂の. 化し 、小豆 粥が団子 に集 約さ れ たもの と見 てよかろ う。 予 祝性 と同時に、 それ が粥掻棒の 古 形を示す もの だ っ た 掻き棒で あ るが、興味 深い ことに、静岡 県 袋井 市法 多山. とも見 ることがで きよう。写真① は小豆 粥の付着 し た粥. 牛. 尊 永寺 の牛王札 をはさ んだ 木(漆ま たは樫② ) とはその 粥掻き 棒. - 175 -. 意匠 がみ ごとに一 致し てい る。ここに 箸. ももとよ り 、粥 掻き棒同様、苗 代の水口に挿 し 立 てら れ. 王札 の座木 、 とい う展開 を認 めることがで きる。牛王札. る もの で あ る 。 さ て、小豆 粥は 右 の ように 粥占の 素 材とな っ たわけで. あ るが、同 時に、 田の 湿澗 を予 祝す る働きをも持 っ てい た。 事 例 囮 に見ら れ る通 り、小豆粥 が田 の湿潤 を象徴 し 、 予 祝 す る の で あ る 。静 岡 県 磐 田郡 の 『 光明村 誌』(現天 の 間「鬼 木」と称 し て、樫 を割 っ た薪 状の 棒を円錐 状に. 竜 市 ) に次 のような 記録 がある。 一 月十四 日から 十六 日. 組んで 「早乙 女 」と呼 び、雨 天には蓑笠 をつ けた。 これ. に、十四日 の晩 は赤 飯を、十五日 の 朝 は小豆 粥を供え た。 十 五 日 の朝、小豆粥 を口で吹 い て食 べるとその 年暴風 が. ①山梨県南巨摩都の粥 掻き棒. ②袋井市法多山尊永寺の 牛王木. 1990.3 1巻1号 文学・芸術・ 文化.

(4) 野本 水の予祝. の水引きに際 して、 即興的独白の中で、「入道池から水. いてそこを田所する。烏帽子袴の田男役が登場して①ア. 飯にはない「水の呪力」を含んでいるのである。ではな. を引く」という言葉を明確に語るのが印象に残った。年. 予祝性を据えているのであり、その予祝の―つは稲の豊. ぜ白粥ではな く小豆粥な のかという点については決 定的. の初めの御田の中で、 「入道池から水を引く」という科. 塗り ⑤苗代掻き ⑥籾蒔き の順序で演技を行う。②. な解 決 がな さ れ ているわけ ではな いが、 近藤 龍翁は、. 白が出る背景には、この地の人びとが、現実の稲作の中. ゼハッ リ(ミゾサライ) ② 水引き ③牛使い ④アゼ. 「 小豆を入る事は、日のみたまを勧請申て太陽の鎮り坐. で入道池と深くかかわっていることを物語っているので. 澗予祝、水の予祝であった。湿潤性に富む 粥は、赤飯や. すかゆなれはその色赤し。其心を以てあづきを入て色を. まれ)による押熊地区の池の伝承を記す。. ある。以下押熊在住の好村巳喜三さ ん(明治三十九年生. 穣予祝であり、いま―つは、その前提 としての水田の湿. 付 て赤きかゆにするこ となり。」 と述べ ている。小豆粥 ことは、稲 作にとっ て不可欠な水と日の恵みを予祝する. 田は七0町 歩あった。押熊地区内には多数の溜池があり、. 好村さ んの二0歳ころ、押熊の農家は約一00戸、水. ( 3). を粥の水性と赤色食物たる小豆の日性の結晶として見る 食物の意味 理解 として極めて魅力的ではあるが、今後さ. それらの池の中には高位置の池から低位置の池に水を流. る稲作予祝神 事が盛んに行われており、その中には「水. 大和盆地とその周辺では、「御田」「御田祭」 と呼ばれ. 2 •池. 継承する形で作られた ことがわかる。なお、その他に、. り、後に奥山池•新池、特に新地が入道池の分水方式を. る。これによると、このムラでは本来入道池が親池であ. うし た水の流通 関係 を模式的に示 したのが第 l図 であ. すという形のものもあった。押熊地区内の主要な池とそ. の予祝」を主題 とする要素を持つものも多く見られる。. モチ 池(かかり水田一町 歩) 、ハカ 池(かかり水田一町. らに検討を加えてゆきたい。. その―つに「溜池の民 俗」を基盤に持つ予祝神 事がある。. 八反歩、瓢蹴池(かかり水田二町 五反歩)などがあった。. 五反歩) 、蛭池(かかり水田―町 歩) 、籠池(かかり水田 一月十一日午前一0時、神 社の調餌所の中央に薦を敷. m .押熊八幡神社の御田祭. - 176 -.

(5) 奈良市押熊地区溜池流通図. の が池を表わし 、次 の 四角は苗 代田 を意 味 し てい る。そ. し て、 池と苗 代をつな い でい るの は水路であり、溝 であ. る。 さ ら に 社 田前に は 田植 の ための 水 田の 枠 が描かれ る。. 次 い で、 その田所で、 牛頭 をつけ た 牛役 (一 人立 ち)に. 模造 の 黎をひ かせ た牛使い が左ま わりにま わって耕起 の. 様 を演 じ る 。それ が 終 わ る と、. 衆が田植 の. - 177 -. 松 葉 に 、白. 籾 を結 わ え. 紙に包 んだ た松 苗 を. 所 作 をし て. 使っ て九 人 モリ 」(井守) 一0 人 が つき 、実 質 的 な 池の 点 検 や水 の. く 。松 苗 は. 池•水 の 管理 は 、総代および評議委 員 一 0名の もとに「 イ. 切 •八 所 神社 の 御 田祭. 神棚 に あげ. 松 苗 を田所. 八 所神社 の御田は 一 月 十 一日午後 一 時から 行 われ る。. ておき 、苗. 管理 は イ モリ が 行 っ た 。「イ モリ イ レ」 と称 し て水 を公. 九 人 衆と 呼 ばれ る神役 が中心 となり 、社 殿前 の 庭に 、 ま. 代の時 期 に. ヘ並べてゆ. ず、 写真③ のよ うな図 を描 く。奥 の、 角 に丸 み をつけ た. 平 に分配す ることが第 一 の 使命 とさ れ た。. 第l図. 1990.3 1巻1号 文化 ・. 文学 ・ 芸術.

(6) た。 それ に し ても、祭 り の 庭に 池や溝 の 図を描い て御 田. 苗代 田の 畦 に ツ ッジ ・ ヒラ ド な どの 色 花 と と も に 立 て. てい るところ へ粘 土 を加え 、 掛矢 で叩 き固 めるのであ る。. 年 の 間に 一 度「ハガ ネ イレ」とい う工 事 が必要 とな った。. 間には波 に洗 われ て欠損 す る 。そこで、二 0 年 から 三〇. こ の仕事 は全 秋篠総出で 行っ た が、欠席 者もあ るので 、. 工 事の 期 間は冬で、水 を抜い て池の 堤を出し 、土 の 減っ. 予祝 神事 だと 言 え よう 。以下 は秋篠在住 の大川喜 久治 さ. 日当はムラ から 支 彿われ た。な お、 この 「ハガ ネ イレ」. 祭 を行うとい うの は極 めて印象的 であ り 、河川 に 恵ま れ. ん (明治 三 十九 年 生ま れ )が伝え る池の 民俗 であ る。大. て修繕 す る 「サッカ ケ 」から発 想さ れ た呼称 であ る。秋. とい う言葉 は、鋤 .鍬 の 先 が磨耗 した際、先 に鋼 を加え. ず 、溜 池潅漑 に たよってきた大和盆 地の 農 耕を象徴 す る. では池の 管理 組織 を南と北に 分け 、ともに 六 人ずつの イ. 川 さ んが青年 だ った頃秋篠 の 農 家は約 一00戸 で、秋篠. 札 で 決める とい うおもし ろ い 慣行があ った。 この 日、池・. 篠 に は 、 八月末 日、「雨 よ ろ こび 」 とい う、稲 作に お け. かり 水 田一一町歩 )、北 新地(かかり 水 田二 反歩 )、乾 池(か. 溝 に 加え て、 山地主 の 茸採 取 権の 貸与 によって「 山」の. モリ を出し てい た 。南組の 管理 す る池は、ツブレ 池 (か. かり 水 田六 町歩 )、北モミ 池(か かり 水 田四 町歩 )とな っ. 権利 の 入札 も行わ れ た。池の 権利 は、雨 よ ろ こびの 翌日. る水の問題 を乗り き っての 祝い をす る 習慣があ った。 こ. てい た。さ ら に 、 これ とは別に 、全秋篠 地区 の 水 田に水. から 翌年 の 八所 神社 祭日の 十月九 日ま でとし、 池の 捕獲. かり 水 田三 反歩 )、 南 モミ 池(かかり 水 田― 町歩 ) 、南新. を引く ことがで き る 「 御池」と呼 ばれ る大きい 池があ っ. 魚 は主 と し て鯉 で あっ た。溝 の 主 要 な も の は向 田・ 池. の 時 、共有 す る 「 池」 「 溝 」 で魚 類を捕獲 す る 権 利 を 入. た。 御 池の 管理 、水 分り 等は南 北の イモリが協力 し て行っ. 田 •林 田 •平 田 な どで 、溝 で は泥蛤 を捕り 、 権利 は正. 地 (かかり 水 田六 町歩 ) で、北の 管理 は、トンボ 池(か. た。 「 夏至 に な って雨 が な かっ た ら 池 の 水 を 抜い て田 植. は雨 よろ こびから 十月い っぱい ま でだ った。. 月前ま でとさ れ た。 山は松 茸 捕り の ための 権利 で、期 間. ど じ ょう. をす る」とい うの がこの 地の な ら わし であ った。御 田祭. 五月 、 田植 が済 ん だ ころ 、「コ イ ゴー. い う呼び声 で桶 を背負 っ た鯉の子売 り がま わっ てき た。. コ イゴー 」 と. の 日、社 前 に 描かれ る 池の 図は、 「御 池」であり 、御 池は、 地区 の す べての 池の 象徴 であ った。御 池にはリョウ サン とい う神様 が祭 ら れ てい たとい う 。池 の 堤も永い 歳 月の. 178. 野本 水の予祝.

(7) その 鯉を食 用に する の である が、 雨よろ こびの 日、 入札. 砂 合戦 」 であ る 。 こ の 砂 は 「 雨」 だと言 わ れ て い る 。 「. で見 物人 に 砂 を 振 り掛 ける 。 見物人 も 砂 を か ける 。「 砂. 田所に 入 り、 鍬 .鋤 ・ カラ スキ・ マグワ役 が太鼓 の 合図. 午後、神庭の 、忌 み竹で囲 まれた五メ ート ル四 方 ほど の. で池 の 権利を受 けた者は 、池 に 鯉を入 れて翌 年の 秋祭り. か け御田 」 と呼ば れる この 稲作 予祝神事の 中心は 砂か け. の 種蒔きなど を演じ、 早 乙女役 二人 が田植 の 様を演じる 。. まで鯉 を成長 させ る こ とができた 。 その 時、 鯉は二00. に よる 雨の 予 祝•水の 予祝に なっている の であ る 。 奈良. コイ ゴ は 当 歳 で、 五 分ほど だっ たが、 こ れを買って水田. 匁か ら三0 0 匁に なっ て い たとい う 。池 の 権利は 一人 で. 県 磯 城郡 田原 本町八尾 の 鏡作 神社に も 御田があ り砂か け. に 放し てお くと、 秋に は 四 寸 ほど に なった。 一般 には、. あ った。 そん な場 合は 池 を干し た時、 漁獲 物は 均 等に 分. 受 ける とは 限 らず、四 、 五人 の グ ループ で受 ける こ とも. が行わ れる 。 祭日は二 月二十二日 に 近い日 曜 日 であ る 。. 田役 達 の リー ダー が「雨が降ってきた」 と叫ぶ と、 それ. 配される の であ った。 溝の 権利など は 子供達 に 侵 されや. を合図 に田 役 は見 物人 に松苗 を投げ与 え 、 砂も か ける の. 一 連 の 農耕 模擬派 技を行い、最後に 、砂を敷い た田所 で、. に お いて、 この 慣行は 、 動物性 蛋白質 の 確保の 上か らも. である 。一瞬 、松苗 や砂が投げ交 され、 か け交 され、 境. す く 思 わ れ る の であ る が 、 子 供 達 も よ く ム ラ の 約 束 を. 貴重 なも の であ った。一月十一日、 氏神八所 神社の 神庭. 内は 騒然 となる 。磯 城郡 田原 本町法 貴寺 の池 神 社 でも 同. 松苗 を使っての 田植が行わ れる 。 途中、 苗を植え ている. に 描 か れ る 池 や 溝 の 図 の 背 後 に は 人 び と の 水へ の 願 い. 守っ て い たとい う 。 悔の 魚が入 りに くい地形の 大和 盆地. と、 池 や溝に 関 する ムラ の 民俗がこめ られていたの であ. じ日 御田が行わ れる が、 こ こ でも 古くは 砂か けが行わ れ. て い たとい う 。 大和 盆地に 点在する 「砂か け」 はた し か. る。. 2 •砂の 雨. に 雨の 予 祝なの であ る 。. 田原 本八尾 鏡作 神社の 御田は 忌 み竹でシメ られた二間. 3 •溝と畦. 奈良県 磯 城郡 河 合町川 合に 広瀬河 合神社があ る 。当社 曜 日 となっ た。は じ め 午前中 に 拝 殿内で、 烏帽子白衣の. 四方の 田所に砂 を敷きつ め た所 で行 わ れる。その 次 第は、. の 御田は 二 月 十二 日 であ っ たが、 現在は 十二日 に 近い日. 者が、 鍬初 め ·畦 つ く り・牛 荒起 こし •牛 苗 代掻き・福. ]79 -. 1990.3 1巻1号 文学・芸術・ 文化.

(8) ま わる 形で、鋤 を地にさ し 込む所 作 を涼 じる(写真④ )。. ① 水 し かけII鋤 を持っ た 一人が田所の 周 りを左ま わりに. をたどっ ておの おの 中にま わっ て社 前 に帰す とい う形で. し かけ 」という演 目があり、 二人が鋤 を持っ て左右の 端. ⑥種 蒔 ⑦ 田植 、 といっ た 展開 であ る が、 ここに も 「水. かけ ③ 畦 つくり ④ 荒起 こし (牛) ⑤ 代かき (牛). 動 く 。この 他、前 記広瀬 神社・田 向山 八幡 神社・ 飛鳥坐. 次 いで 五 人が登 場し て並び、 鍬 を持っ た一人が先導し 、 II. 畦 を踏み 、 こね る所作 をす る。畦 をよく 踏ん で 水漏 れ を. 神 社の 御田においても鋤を使う 。ま た 、二上 山 口 の 倭文神. 即 ち水 路を作る 所作であ る 。②畦 こね(畦 踏みとも) 溝、. な くす る ための 動 作である 。③ 荒 起 こし (牛二 人立 ち). 等の演 目は伝え ら れ てはい な いが、模造 の鋤 が伝え ら れ. 様 を演 じる 。 吉野 水 分神社 に は 「水 し か け 」「畦 切り 」. 社 の御田においても第一 に鋤が登場 し 、畦切り、溝 つくりの. J. ④ 代掻 き (牛二 人立 ち) ⑤ 田植 、 となっ てい る。 M J i. てい る ことから す れ ば、 かつ てこうし た演 目が存在 し た. ことが推察 さ れ る。御 田祭 に 鋤 をともな う演 目が存在 す. る ことは 、現 実 に、こう し た踏鋤 を使っ て行 う 「水 しか. け 」即 ち溝 • 水 路作り や、畦 を切っ て塗り直す とい う農. 稲 作 に 先 立 っ て水 路 の 整備 をす る と い う様 を演 じる. 作業が広 く行 わ れ てい たことを意味 す る 。. 「水 の 予 祝」は 決し て大和盆 地の みで行 われ たもの では. ない 。愛知 県 南設楽鳳来 町黒 沢 阿弥陀 堂 の 予 祝芸能 には、. 池神社 の 御 田は ムラ びと達が平 服に 長靴 な どをは い た. の 二 人が模造 の 木鍬 を持 ち、伏 せ た太鼓 の 脇で 恵方 に む. かっ て、鍬 先 を 太鼓 の 上 に の せ る 。 そし て、「天 に は白. 「いみぞ うさ らへ」(堰溝 浚え) という演 目がある。浄衣. あ るが、 二 人立 ちの 牛がムラ の 道 から 伊勢音 頭に合わせ. 金 の 花 が咲き、地には 黄金 の実 がな る 。な ん百 な りやい 、. 服装 で 、社 殿の 前 の 神庭全体 を使って行 う素 朴な もの で. 入. ④鏡作神社御田祭の「水しかけ」. て練 り 込む という特徴 を持っ てい る。① 鍬 初め ②水 し. ー. - 180. ーカ月畔. -. �. 野本 水の予祝.

(9) 愛知 県 北設楽. 火 ごと、 じょうもん 、 かい病 、花ぶし 、 一切わ る き もの. ぱ ち 、け かち 、れきれい、大 水、大 風 、にが水 、にが風 、. は 入りみ 」と唱 え て鍬を 引く。さ ら に 「す いそん、 かん. さんみ ょ うこがい 、二十 四ヶ 物作 り 、 一 切よろ ず よき物. 田 の 特 徴を たし か め てみ る と大 和 の 御 田 に は 人 が手 に. の演 目 が見 られ るのであるがこれ らに比 し て、大 和の 御. ー 東海 地方 の 田遊び系 芸能 の 中に もこのように水 路整備. 太にほ う/\ とぬ り て、 水 たんたんと撒 い て候:.o 」ーー. 下面を高 う、上面を低 きう、 わらはが着 物の やうに畦 根. 神の、うちひ ら きに て候。東 田にも西 田にも堰 溝 浚ひ候。. 「け ふ今 日 は よ き 日/\ 、 吉田 に て 候程 に、 御薬 師 十二. 寺 田楽 「打 ち開 き」の詞 章 の中 に次 の ような 表 現があ る。. があり、羽 織役. も「 堰溝 浚 い 」. 系 櫂 状鋤 が 目につく (写真⑤ ) 。大 和 地方 に おけ る鋤 の. 発 掘現 場に 立 ってみ る と 、大 和の御田に登 場する鋤 と同. 鋤 が登 場す るということであ る。例 え ば纏 向石塚 遺 跡 の. 持 って、し かも足を 掛けて押 し 込む形の櫂 状鋤 、即 ち 踏. ( 4}. はやり み 」と唱 えて鍬 を つ き 出す。. 勝 寺の田遊 び に. 郡 設楽 町田峯 高. かっ て、「そ れ. 民俗 に は長い伝統 があり、 それ は、 稲作 の ための水 利潅. が作 大 将 に む では作 大 将 さ ん. こ と が わ かる 。. 漑 ·保 水 のための畦畔造 成 に と っ て不 可 欠 のエ具 だ っ た. 4 ·傘 と笠. に溝 さ ら いを 頼. 頼 し 、作 大 将 が. 金 井清光氏 は、『天正 狂 言本』 の、「御笠 山/\ 、 人が. み ま す。」 と依. これを受 け て堰. 傘 を さす なる春 日 山、 これ も神の誓 ひ と て、 ひ り 」の 「. 笠を さ す な ら ば、我 も笠を さ さ うよ 」 や、狂 言 「 末 広が. と が傘 を さ すなら、われ も傘 を さ さ うよ、げ に もさ あ り、. 分 が あ る 。さ ら. に、 愛知 県 南 設. やよ うがりもさ うよの」 等を ふまえ、春 日 山 ・御笠 山と. 溝 浚 いを する部. 楽郡鳳来 町鳳来. ― - 1 81 -. 1 990 . 3. 1巻1号 文学 ・ 芸術 ・ 文化. ⑤継向石塚遣跡 出 土 の 櫂型鋤.

(10) 野本 水の予祝. 良で歌わ れ た 歌謡であ り、 しかも 、 雨よろ こ びの 歌と し. いっ た 固有 名詞が あ る ところ か ら、こ れらは 、中 世の 奈. けで全く 紙の な い唐傘 を さ し、穂長 尉 •福 太 郎·早 乙女. ⑧ 苗見 ⑨ 鳥 追、 と進 み⑩ で田 植となる 。 田 主役 が 骨だ. 口 開け ④ 苗代掻 き ⑤ 苗草敷 く ⑥ 種 ま つり ⑦ 種蒔. よ ろ こ び の 歌 が 雨よ ろ こ び の 踊を とも な い各 地 に 伝播. な ど が 従 っ て 座を め ぐる 。 こ の 時、 「ドン. ドン」 と 雷. て うたわ れたも の であ ろ うと して いる。 さらに 、こ の 雨. を表わ す太 鼓 が打た れる。こ のこ とか ら、こ の 部分 を「タ. 故に 雨を も た らす呪力が ある と信じ ら れた 時代があっ た. は すでに 古 代に 成 立 して いる。 こ の 山がその 形 状 と 名称. 御笠 山は その 形 状がた しか に笠 に 似て おり、その 名称. はこの 様子を描 いた 絵 馬が 奉納され て いる が、こ れも 雨. これこそ「水の 予 祝」 と言 う べき であ ろ う。 三鴫 大社に. り、こ の 御田 植が 一月七 日に 行わ れる こ とを考え る と、. 立」 と称 する こ ともある 。 雷と骨傘は ま さに 雨乞 いであ. ( 5). し、 因幡地 方 に も 伝え ら れ、 現在に 至っ た と 説く。. と推察 される 。 その 御笠 山を 歌 いこ ん だ歌が 、 雨乞 いや. 乞 いの ため に奉納され た と考え ら れる 。. も あ ろ うが 、「 破れ 傘」 であ る とこ ろ に 、 傘 が 破 れる 程. と いう表 現がある 。 こ れ を 田主の 日よ け傘 だ とする 見 方. 」 いと怪 しき 衣著せて、破れ た る 大傘ささせ て 紐解き て :.. 年 万年 ア ッパ レ. か けられ た 状 態 でゴ ザの 上を 一 二周する 。一 周ごとに「 千. 子、白 衣、白 袴 に 軍配を持っ た田 長 が、供人 に 傘 を さし. ゴ ザ道を めぐ る。左ま わ りに 三固する と、続 いて 、烏帽. 石段を 登り つめた とこ ろに 作 られた 五メ ー トル角ほど の. リ 指 し•白 い櫃を 頭に の せた 昼飯持ちが 登場 し、社前の 、. 牛( 馬鍬を ひく)・ 牛使 い・ 薄の 壺型笠 を かぶっ た エブ. わ れる 。白 直 衣 •白 袴•長 烏帽 子の太鼓役 • 一 人 立ちの. 和 歌山県 の 那智大社では 七 月十四 日に 「御田 植」 が行. 雨よろ こ びに 歌わ れる こ とはま こ とに ふさわ し いこ とで あっ た。傘 と雨 乞 いの 関 係は 緊迫 した 現実の 場 面の も の だ けでは な く、 予祝的なも の も あった。. 栄華物語 』 第 十九巻に 、太 皇太 后彰 子が、 五月に 田 『. に 十分 な 雨を 求める 雨 乞 いの 呪術があ る こ とを 見 逃 して. 柄 と八本 骨の 心 を竹で作 り、 その 八 本の 骨に 生の萱 を 数. 植 と田 楽を見 物する 場 面が あ り、中に 、「 田主 と いふ翁、. は ならな い。 実は、静 岡県の 三嶋大社で 一月七 日に 行わ. 本副え たも の で、 骨ば か りの 、 紙の な い傘であ る 。 その. ア ッパ レ」 と唱え る 。 さて、 その 傘は. 行わ れて いる の である 。① 穂長 尉の 口上 ② 田 打 ③ 水. れる 田祭 り に お いて 、こ の 『栄華物語 』 の 雨乞 いが 毎 年. 182 �.

(11) 形 状 は 写真 の 通りであ り、三 嶋大社の 骨傘 と みごとな 一. わせて次 の 唱え ごとを 唱 しな が ら 足駄ば きの 足を 左右左. 御田 を 行 う。中に 「 田主の 舞」が あ り、 田主が 太鼓に 合. と 出 し入 れ し、 同時に 傘 を 持っ て 前に 突 き 出 しな が ら 開. 致を 見 せて いる 。 この 両者が 、 紙も 破れん ば か りの 十分 な 雨を 求め る 予祝 呪術を その 底に ひめて いる ことは ほ ぽ. •9� ・. ⑧大宇陀町野依 白 山 神 山 御 田 の 田 主 の 舞. 「米」と「余 年」が掛 けら れ おり 、 ヨネに は 、. 閉する 。 へ田主ど ん の 申すには 八百 世の 中 ヨネま で よ い. よ うに. ま ちが いなか ろ う。 奈 良県 宇陀郡 大宇陀町 野依の 白 山神 社では五 月五 日に. - 1 83 -. 1990.3 1 巻 1 号 文学 ・ 芸 術 ・ 文化.

(12) て 「 末 広 が り」を 示 して い る ようにも 思 わ れる が、やは. 世の 中 祝い の 詞となっている 。 傘 の 開閉が 詞章と 連 動 し. 稿を改め る 。. 信仰 機能を 果たしている も の もあ る がそれらに つい て は. 静岡県 引佐郡 引佐町 川名 福 万寺 のお こないの 中に は 、. 稲 叢 の 舞 •田 打 •鳥 追 い な ど の 田 遊 び 系の 演 目があ る. 5 .汁か け飯. 行わ れる 。 歌 に合わ せて、笠 を 胸元 にあ て て 左右左と 体. が 、 最後に 「 汁か け飯進 上」 がある。 オ ブッ コ様と 呼ば. り、こ こ に も 雨乞い要 素が込 め られている と見てよか ろ. を動か す。 歌は 次 の 通りであ る 。 へ西の 国の 雨降り船は. 象徴たる人. れる 稲 霊の. う。こ こ では 別に 「白 山舞」と い う 舞が 五 月女 に よっ て. そ うや の う. ますかき. 升と 升掻 俵を持っ て き た. ます. 何を持っ て き た. こ の 歌は 、 雨が 西か らやって くる こと. を語 り、 その 雨が みや げと して 升 •升掻 き 棒 •俵を 持っ. 次 第、 関係. そ れ が 終了. の である 。. { 6). なっ て い る. 殖の 呪術と. 霊の 成長 増. 徴される 稲. に よって象. 所 作 は人 形. 行 う。 この. せる 所作を. 飯を 食 べさ. 形に 汁か け. そ うやの う. て くると語 っている。 即ち、 雨が稲 の 豊作 をも た らす絶 対的条 件である こ と を歌い 、水 の 予 祝を して い る ことに 筑紫船」は 古来 、 なる 。 田 遊びの 詞章の 中 に 散見 する 「 先進 文化を 都に 運びこむ 船と して 意 識されたの であ っ た が 、 この 筑 紫船も ま た 西の 船であ っ た 。. 袋 井 市 法 多 山尊 永 寺 の 田 遊 びは 一 月七日 に 行 わ れ る が、中 に 「五 月女」 と い う演目 があ り、 十人 の 若者が早 iち. 乙女 役 と な り花笠 をか ぶ っ て 舞う。 他に 一人 の 総鼓 打ち これも 、 三 嶋大 社 ・那智大 社の 骨傘 や 「 栄華物語 」 の 破. が 登場 して 舞い なが ら梓で早 乙女 の 花笠 を打っ て 破る 。 れ 傘 に 通じる も の であ ろ う。この 他に も 神事や芸 能に 登. 場 する 様 々な傘と 笠 が あ り、水 の 予 祝以外の 、他 の 呪術. 一. - 184. 野本. 水の予祝. ⑨ オ ブ ッ コ 様 に 汁 か け 飲 を 進上す る. ( 引 佐 町福万寺の お こ な い).

(13) さ らに、静 岡県引佐 郡引佐 町寺野宝 蔵 寺観 音堂 の おこ な. に汁 かけ 飯を食 べさ せ、その後 一 同 で汁 かけ 飯 を食 べる。. し て田植 え という演 目 の 直後 にネ ンネ ー と呼 ばれ る人形. 静 岡 県 天竜 市懐 山の おくな い で も、「 ひ るい もち 」と称. 者 及び参 拝 者 一同が堂 内 で汁 かけ 飯 を食 べるの であ る。. の であ る。. 食 べ て田に 入るという習 慣 が あ った ことを想定さ せ る も. 田植 に際し て、猟 師 ・漁 師 の 禁 忌 と反対 に 、汁 かけ 飯 を. もの と見 ることができる。これ ら の 予 祝行事は、 現実 の. てま わ った とい う。 一連 の 「汁 」 は水 の 予 祝につな がる. 味噌汁 を作り 、邪気 を祓 うと称 し てこの汁 を人々に かけ. 6 ・ 人形の放 尿. い で も、戦 前 には、芸能 の始 ま る前 と朝鬼が出 た後 に芋. が ら 入りの汁 かけ 飯 を食 べていた 。寺野 の おこな い に も. 大阪 市平野 区 杭 全神 社 の御田植 祭に「人 形の やしない」. 由 は一帯 何 であ ろ うか。それ は、全国各 地の猟 師 や漁 師. 遠 州 に おけ る稲 作予 祝の 芸能 の 場で汁 かけ 飯を食 べる理. 負 われ て登 場し 、 穂 長尉 が 太郎 坊 から 次郎坊 を受 け とり、. ンチ程 で、緋 ちり めん の衣 装 をつけ ている。 太郎 坊 に 背. という演 目がある。 人形は次郎坊 と呼 ばれ 、丈 は三0セ. く また. 古 く は 田遊び系 演 目が行 われ ていた とい う。この よ うに 、. が 、朝の出 がけに汁 かけ 飯 を食 う ことを禁 忌とす る習俗. ま ず、三方 の上に径 二0セ ンチ 、高 さ十 ニセ ンチ程 に円. われ る。田打 ・苗 代かき・種 蒔 •水 口 祭 り•鳥追 •田植. 愛知 県 豊川 市財 賀 の財賀 寺 で、 一月三 日に田祭 りが行. 錐 形に盛 ら れた 飯 を 南天の箸 で食 べさ せ る所作をす る。. の裏 がえ し である。朝汁 かけ 飯 を食 うとその 日 雨が降 る. であ る。雨の 予 祝であ り、水の 予 祝であ る。 愛知 県 北設. など の派 目 が終 了 した後 、牛役 の 一 人が、内 陣 に おかれ. とい うの であ る。した が って、年 の 初 めの 稲 作に かかわ. 楽 郡 設楽 町田峯 高勝 寺 の 田楽 に おい ても芋 が ら 入りの汁. て いた オ コゾウ サ マを抱 い てき て、「赤 ん坊 が腹 が へっ. 続 い て、穂 長尉 は次郎坊 をかかえ 、次郎 坊 の着 物の 前 を. を人形に 食 わ せ る 呪術 があ る 。また 、岐阜 県益 田郡下呂. て泣 いとるで乳 を飲 ま せ てくれ 」 とい って母親 役の男 に. る予 祝の 祭りで汁 かけ 飯 を食 うことは、 その年の田植 の. 町水無八 幡 神 社 の田 遊 びで も口 田家で汁 が出 さ れ る。 奈. 渡 す 。オ コゾウ サ マは丈 四十 五セ ンチ程 の木 像 の 前 に径. はだ け て、桶にむか って小便 をさ せる所作をす る。. 良 県 御所市蛇 穴 の野 口神 社 で、 か つて、五月五 日 に汁 か. 季 節 に 雨 が降 る、降 ってほ し い とい うことにつな がるの. け 祭 りが行 わ れ ていた 。 三斗 三升 三合 の豆 を摺 りこんで. - 185 -. 1 990 . 3 1 巻 l 号 文学・芸術・ 文化.

(14) 野本 水の予祝. ⑩財賀寺 オ コ ゾ ウ サ マ の 放尿 ⑪杭全神 社次郎坊 の 放 尿. 五 •五セン チ、長 さ三 0セン チ程の 木の 男根を 併せ 、白. 襦絆 で包み 、三 か所 を 紐でしば ったも の で、像の 頭の 部. 分 と 男根がわ ずか に見 え る ようにしてある 。 母親役 は 、. 白衣に 菅笠 をか ぶ った姿で オ コゾウサ マを受 け取る と、. 「 シ ン セイ 」 「バ バセイ 」 と 三 回ほど 唱え て 小 便 ・大 便. をさせる 所 作 を行う。. 奈 良県 高市郡 明日 香村 飛鳥坐神 社 でも 二 月第 一日 曜 日. に 御田祭が行わ れる 。 天狗が 手に 「ゴ ンゴ ウ」 と 呼ば れ. る 竹筒を 持つ。ゴン ゴ ウは 、 径六 セン チ、 長 さ四 十五セ. ン チ程の 長 竹で 二節の う ち一 節の 一 方 を底とし て残し 、. 他 の 一 節を注ぎ 口に し た 酒注ぎ ( 水注ぎ) で本 来 この 竹. 狗はゴン ゴ ウを 自分の 男根の 位置に つけ、 男根 が 勃起し. 徳利 が 五合入 りであっ た ことは その 名称か ら知 れる 。 天. たような形 状に し て、神 職の 前 に おか れた「 ハナ ッキ 飯」. ( 高 盛 飯) に む かっ て 精 液を か ける 所 作 をする 。 ハナ ッ. 作 を する 。. キメ シ に か け終え る と正 面の 観衆に むか っても 同様の所. 杭全神 社 •財賀寺 の 例は 、 基本的 に は 稲霊の 象 徴であ. 祝する も の なの である が、 その 養 育 呪術の 中に 「放尿」. る人 形を 養育す る 様を 演じ て 稲霊の 増殖·秋の 豊作 を予. を入 れている と ころ に 「水の 予祝」 を見る こと が でき る. — - 186 -.

(15) と、飛 鳥坐 神社天狗 ゴ ンゴウ の汁 かけ に も、交 合卒 みの. 稗 穂な どは その 代表 であ る。井 戸 マラ は、交 合芋 みの要. の もの つくり は 農作物の 豊穣 予 祝が 目的であ り、粟 穂 ·. 称 し て井 戸 の そ ばに挿 し 立て たり置 い たりし た。小 正月. で 三0セ ンチ前後 の男根 を作り、 これ を 「井 戸 マラ 」 と. の で あ る 。埼 玉県秩 父 郡荒川村 で は小 正月に ヌルデ の木. 田 は べ ろ べ ろ 」「代は か い つる べら べら 」 などはす べ て. す る 「大足 ふみ 小足 ふ み し っ とり し っ とり 」「か い た る. い る ことも注 目さ れる。各 地の田 遊 びの詞章 の 中に頻 出. 術 に な っ てい るの であ る。 飯杓 子 が稲霊 の 象徴 にな っ て. に よっ て稲霊 をほ めは やし、 その活 動力 を活 発化す る 呪. も色白 く」は、米 の色即 ち 「白 」 をほ め、強調 す ること. 和 ら げ る こ とを祈 願 し てい る の で あ る 。「持 ちもの ま で. 竹取 り し てみ ると、 伊勢 伊雑宮 の御田 植 祭に おけ る 「. な っ てい るの であ る。. 田 の湿潤 を示す 擬 態 語であり、 稲 作におけ る水 の 予 祝と. 素 と、水乞 いの要素 を複 合さ せ たもの であ る。し てみ る 豊穣 予 祝と水 の 予 祝を重 ね て見 ることができよう。. 7 • 呪言. 神 事」で 、若者 達が、ゴ ンパチウ ワを倒す の に先立 っ て、. 静岡 県浜松 市滝沢 の四 所神社で、一月一日 に「シー トー. 、 一月七 日 に慶林 寺 で 「へ い じ祭 り 」 が行 われ 、 祭り」. 神田の 中で泥 かけ をし 、 田をこね る様 は 随伴 儀礼 とし て. の 若者 が 、 飯杓 子 を白 い古 布 に包 ん だネ ンネ 様 をさ さ げ. ない 。東海 地方の田 遊び系 芸能 では、 静岡 県 磐田 郡水窪. 「 水 口祭 り 」 な どの 次 第 を 組み入 れ てい る も のは少 な く. 「水 口申 し」 稲 作予 祝の神事 や 芸能の 中 で、「水 口 あけ」. むす び. 田 の湿潤 を祝し、 水 を祝っ てい ることに な る。. 両 所で田 遊 び系 呪術 俄礼 が行われ る。ネ ンネ 様 と呼 ばれ る 人形を抱 いたり、ほ め たり、笑 わせ たりす る稲霊 の養. な がら 「 やわら げな や閏 年 の 御 子な れ ば、 もちもの まで. 育 呪術 な の で あ る が、 その際、小世活 人と呼 ばれ る二 人. シー トー 」. 懸 け ら れ、 稲作 に 必要 な 水 を求 め る こ と に なり、「シー. と四 方 に向 か って唱 え る 。 こ の 呪言 で は 「開 」「潤 」 が. れで、 大和で も、 奈良 県宇 陀 郡 大宇陀 町平尾 水分神 社御. 楽 ・同 南 設楽 郡鳳来 町鳳来 寺 田楽 ・ 同黒 沢 田楽 な どが そ. 市法 多山 田 遊 び• 愛知 県 北設楽 郡 設楽 町田峯 高 勝 寺 の田. 町の西浦 田楽 ・同志 太郡大 井 川 町藤守 の田遊び •同 袋井. シートー. シー トー 」 、 即 ち雨 降 りの擬 態 語「し とし と」 によっ. も色白 く、 だい だい とシー トー. てそ れ を強 調 し、「 や わ ら げ なや 」に よっ て、 田 の土 を. トー. - 1 87 -. 1 990 . 3 ]巻1号 文学 ・ 芸術 ・ 文化.

(16) 野本 水の予祝. つ て、種 籾づ け に 使われ た池 だと考 え られ る。. 水の予 祝は右 に 見 てき た通り多 様 であり 、しか も潜 在. 田 祭・ 同高 市 郡明日香 村 飛鳥 坐 神社御 田祭 ·同桜 井市 大. 神々社 御 田 祭など に 見 ら れ る。「水 口 」は稲 作 に と っ て. の おの の 予祝 行 事 ・予祝 芸能 など の基盤 に は 現実 の農 作. し て一見 その姿 を現わさな い もの や、 よほど注 意 し てい. 業の技術 や実 生活 の 習慣• 「水」 を基 点 とし た様 々な連. な け れ ば見逃 し てし ま うような もの があ る。しか し、 お. 初 日遥 拝 と若水汲み は 日本人 の暮 らし に深 く食 い込 ん. 想など が横 たわっ てい るのである。 そし て、何 より もこ. に つい ては稿 を改 める。 でい る民俗であ り 、 これ は、単 に農 耕のみな ら ず 生命 維. の多 様な 水の予 祝は、 人 びとの水への強 い執着 によっ て. 特に重 要 であ り 、 当然 水 の 予 祝と深 くかか わるが、 こ れ. 予 祝」の基 本な の であ るが、 そ の 若水 がま た稲 作と深 く. 持 の 願 望に根ざ し た もの で あ っ た。「若水 」 こ そ 「水 の. 伝承 さ れ てき たものな のであっ た。. ( 7). 近藤龍翁 「 大日本地下年中行事』 ( 「 日本庶民生活史料 ). j. 新井恒易 「 農と田遊び の研究」上 ( 明治書院) 。 ). 3. ). •. 。 田唄研究会). 繰刻湯之上早苗 「田植歌控帳」白根英之蔵 ( 「 出唄研究. 一. 唄研究」13•田唄研究会). ( 8)繰刻久枝秀夫 ・牛尾 一 ― 一 千夫 「 種佐本田植歌本合」 ( 「 田. ( 7. 第八十六巻第八号) 。. ( 6)拙論 「田遊び系芸能 における呪術複合」( 『 国学院雑誌」. ( 5)金井清光 『 民俗芸能と歌謡 の研究」 ( 東京美術) 。. ( 4. 集成 第 二十三巻 •三 一書房) 。. ( 3. ( l) ( 2) 中山太郎編 「 校註諸国風俗問状答」 ( 東洋堂) 。. 注. かか わっ てい たのであ る。例 え ば、 広島 県比婆 郡比 和 町 ま こふ やら今 朝の朝切 に. の田植 唄 に次 のような もの があ る。 か. へ 新玉 の年若 水 に種 浙 し て. まか ば や今朝 の. また、島 根県邑智 大和村村 之郷 では次 のように歌 われ ( 8). こ° t. へ改 ( 新玉 ) やアレ 年 若水 に種 つけ て. 卯 の時 に 若水 を汲 んだ元日一 に実 際の籾 蒔き をす るはずはな く、 この歌 詞 に よ ると、 それ を神棚など に保存 し ておき 、実 際の種 おろ し の 時その 水 に 籾 をつけ る俵 礼 があ っ たもの と思 わ れ る 。 稲 籾 を水 に つけ てか ら播種 する習俗 は広 く、 例 え ば先 に 示 し た奈良 市秋篠 地区 の池の事例 の 中に 南 の モミ 池• 北の モミ池があ っ たのだ が、 この モミ池は、か. - 1 88 -.

(17)

参照

関連したドキュメント

自閉症の人達は、「~かもしれ ない 」という予測を立てて行動 することが難しく、これから起 こる事も予測出来ず 不安で混乱

町の中心にある「田中 さん家」は、自分の家 のように、料理をした り、畑を作ったり、時 にはのんびり寝てみた

   遠くに住んでいる、家に入られることに抵抗感があるなどの 療養中の子どもへの直接支援の難しさを、 IT という手段を使えば

本事業を進める中で、

以上の基準を仮に想定し得るが︑おそらくこの基準によっても︑小売市場事件は合憲と考えることができよう︒

 今日のセミナーは、人生の最終ステージまで芸術の力 でイキイキと生き抜くことができる社会をどのようにつ

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から

・私は小さい頃は人見知りの激しい子どもでした。しかし、当時の担任の先生が遊びを