新
刊
紹
介
田中一輝﹃西晉時代の都城と政治﹄ ︵朋友書店、二〇一七年︶小
野
響
本書は、魏晋南北朝史を主たる研究対象として研究を展開させる田中一輝氏︵以下、著者︶が、二〇一七年に出 版した学術研究書である。まず、その構成と、それぞれの初出を示そう。 緒言︵書き下ろし︶ 第一章 魏晉洛陽城研究序説︵ ﹃立命館史学﹄三四、二〇一三年︶ 第二章 魏晉洛陽城研究序説補遺︵ ﹃奈良史学﹄三三、二〇一六年︶ 第三章 魏晉洛陽城の高層建築︱﹁高さ﹂から見た都城と政治︱︵ ﹃東方学﹄一三一、二〇一六年︶ 第四章 西晉の東宮と外戚楊氏︵ ﹃東洋史研究﹄六八︱三、二〇〇九年︶ 第五章 西晉恵帝期の政治における賈后と詔︵ ﹃史林﹄九四︱六、二〇一一年︶ 第六章 西晉後期における皇帝と宗室諸王︵ ﹃古代文化﹄六四︱二、二〇一二年︶ 第七章 永嘉の乱の実像︵ ﹃史学雑誌﹄一二五︱二、二〇一六年︶ 第八章 玉璽の行方︱正統性の相克︱︵ ﹃立命館東洋史学﹄三八、二〇一五年︶ 結語︵書き下ろし︶緒言において、著者が本書の課題として設定するのは、西晋時代における皇帝をめぐる諸要素の質的変化の解明 である。なぜならば、従来、曹魏と西晋において、皇帝専制が進められたと指摘されつつも、続く東晋では皇帝権 力の弱体化も言われてきたのであれば、その質的変化は、西晋時代において発生したと考えられるからである。著 者のこの問題設定から、西晋の皇帝を考察の軸に据えて、西晋王朝の歴史的意義の確認を目標とする。また、この 緒言では、すでに著者自らの手になる各章のまとめが付されており、ここで改めてまとめなおすのも、屋上屋を重 ねる感があるが、紹介の責を果たすため、あえてまとめよう。 第一章から第三章は、都城を中心として議論が展開されている。従来、魏晋洛陽城の宮城配置については、後漢 北宮部分の位置に、南北二つの宮城が相接しながら並立していたという説︵一宮説︶と、後漢洛陽城の南北宮を継 承していたとする説︵二宮説︶の、二種類が併存してきていた。著者は、その二説の議論を整理検討し、一宮説を 是としている。そして、中国の都城研究においてしばしば問題となる中軸線については、魏晋洛陽城に適用されな かったとしている。第一章、第二章で二次元的な魏晋洛陽城の研究を行った著者の視点は、第三章において三次元 へ移る。魏晋洛陽城の高層建築を取り上げ、 高さが、 魏晋の皇帝たちの専制化への志向を反映したものであり、 ﹁見 る﹂ ﹁見られる﹂ことへの皇帝たちの欲求が、 高層建築の建設を導いた。魏晋の皇帝たちが都城建設をするにあたっ て、広さや大きさではなく、高さにこだわった理由は、ここにあるとする。 政治空間の構造を明らかにした著者は、第四章から第七章にかけて、西晋政治史の検討を行う。西晋の武帝から 永嘉の乱による滅亡まで、おおよそ時系列順に政治史における個別課題を順次解決していき、西晋の持つ歴史的意 義を具体化していく。具体的に見ていこう。西晋における外戚楊氏の台頭は、武帝によって重点化された東宮によ る部分が大きなものであった。しかし、武帝によって構築された宗室や外戚の登用による体制強化は、武帝個人の
力量があってこそ運営され得る性質のものであり、武帝の死後、皇帝中心であるべき体制は変容し、外戚楊氏の専 権体制を生み出してしまった︵第四章︶ 。武帝の死の結果、 皇后や外戚、 宗室諸王が台頭してきた。その過程で、 賈 后は恵帝本人や彼の手詔を利用し、自身の権勢を支えた。その際、既存の行政機構を飛び越えて、直接軍に命令す るやり方を採用したがために、趙王倫などによる詔の偽造という、皇帝の権威のみを利用する傾向をも生み出して しまった 。賈后の死後 、かかる詔の偽造が横行した結果 、皇帝の権威は保たれつつも 、それは単なる象徴であり 、 皇帝の主体的意思が政治に反映することは難しくなっていった︵第五章︶ 。八王の乱は、西晋の弱体化 ・ 滅亡につな がる事変であるが、その推移の過程で、皇帝権威の弱体化と、宗室諸王の権威の︵相対的︶上昇が発生した。その 結果 、西晋内部の諸勢力は二極化していったにもかかわらず 、西晋は五胡の漢と対峙せねばならなかったために 、 その滅亡を早めた。しかし、自身の立場を示すために、宗室諸王の権威を用いるという事象は、江南豪族と琅邪王 睿の結合をも生み出し 、東晋成立の土台となった ︵第六章︶ 。 そして 、西晋の滅亡の最後の一となった永嘉の乱 は、結果として西晋を滅ぼしたものの、胡族の一貫した優勢に推移したのではなく、晋朝形成力の分裂が胡族側に 有利に働いた影響は大きい。西晋を滅ぼした胡族は決して積極性のみを有していたのではなく、苦境に陥り、消極 的選択を取らざるを得ない局面もあったのである ︵第七章︶ 。 皇帝の権威に着目する著者は 、武帝に始まる体制強 化、恵帝即位以後の皇帝の政治的決定権からの乖離、それにともなう外戚や宗室諸王の台頭および権威の相対的上 昇、それによって招来された権威の二極化、という大きな西晋史の流れを明らかにしている。 そして、最後の第八章では、西晋が滅亡したのち、東晋や五胡十六国各国が行った、自国の正統性の強調、確立 に注目する。その象徴的ツールである玉璽、特に伝国璽を分析し、正統性との関連を論じる。結論としては、伝国 璽の保有は、正統性の保証とはなり得ず、客観的に正統と認められた皇帝によって保持されることが、伝国璽を正
統性の象徴たらしめるとする。 結語では、本書が展開した研究を整理している。魏晋皇帝の専制権力は、皇帝個人の人格 ・ 力量に左右されない、 制度化 ・日常化されたものとなることはなかった 。しかし 、高層建築などの ﹁モノ﹂を媒介として 、権威は常置 ・ 常用されるようになった 。結果 、 武帝の死後 、恵帝の権威を媒介するのは 、詔などの ﹁モノ﹂であった 。ただし 、 偽造の横行によって、究極的には、権威を媒介する﹁モノ﹂は、皇帝本人ということになってしまう。これが、皇 帝を擁する者と、それに対して皇帝を救出することを名目とする者の戦争の繰り返し、という西晋後半期の政治的 状況︱八王の乱︱を惹起する。結果、皇帝を擁しない側が、皇帝の権威に対抗するため、別の象徴を擁立するよう になり、それが皇帝・宗室諸王という権威の二極化を招来した。これが、のちの東晋成立の土台ともなる。ここに 指摘される西晋における皇帝の権威の重要性、そして政治・社会情勢の二極化現象の発生が、それ以後の歴史に影 響を与えていると想定でき、ここに西晋の持つ歴史的意義があるのである。 以上に、雑駁ながら、本書の内容をまとめた。ただただ、筆者のまとめが著者の意図と乖離していることを恐れ る。もし、読者諸賢に筆者のまとめに理解しがたい点があれば、それは筆者の責任であり、ぜひとも本書そのもの を、繙いていただきたい。 本書は、著者の丁寧な学説史整理と、精緻なロジックによって構成される、西晋政治史の成果である一方で、随 所に後漢、曹魏、東晋、五胡十六国など他の時代への目配りがなされている。著者自らが、断代史ではなく、通時 的な歴史理解を行うことを 、本書の方針として挙げており 、まさしくその通りの叙述が展開されていると言える 。 本書の表題は西晋時代とあるが、それのみならず、広く魏晋南北朝時代研究を志す者に、本書を手に取っていただ ければ幸いである。