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埼玉県内の砂糖使用状況に関する一考察 : (明治時代~昭和20年代について)

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埼 玉 県 内 の砂 糖 使 用 状 況 に 関 す る 一考 察

(明治時代 ∼昭和20年代 につ いて)

A Study

on Sugar

Consumption

in Saitama

Area

Junko Yamaura

は じめ に 鎖 国 が 終 り、 明 治 維 新 以 後 「文 明 開化 」 を 合 言 葉 に社 会 生 活 も食 生 活 も徐 々 に 西 洋 化 し て きた 。 白砂 糖 を甘 味 調 味 料 と して使 用 し、 キ ャ ラ メ ル ・チ ュ ー イ ンガ ム ・ケ ー キ ・コー ヒー ・紅 茶 が 大 正 ∼ 昭 和 にか け て は都 市 住 民 の 食 生 活 に 日常 的 な 食 物 に な りつ つ あ っ た 。 しか し埼 玉 県 内特 に 農 山村 地 帯 で は 依 然 と し て 旧食 生 活 を維 持 し た ま ま で あ っ た。 昭和20 年 代 か ら昔 しの風 習 ・習慣 が忘 れ られ は じめ て お り、 昭 和30年 に は電 気 釜 、 電 気 冷 蔵 庫 、 トー ス ター 、 テ レ ビ等 家 電 製 品 の 普 及 に よ り 急 速 に都 会 型 和 洋 折 衷 の食 生 活 に な っ て きた 。 明 治 、 大 正 ・昭 和20年 代 迄 県 内 は比 較 的 旧 食 生 活 を維 持 して お り、 年 中行 事 の 時 に は 仕 事 を休 み カ ワ リ物 を作 っ て 食べ 、 重 箱 に御 馳 走 を詰 め て 親 しい 人 々 に配 っ た 。 現 在 で も浅 間 神 社 の初 登 山(毎 年7月)の 日に は 、神 社 で 買 っ た 「た ん切 り飴 、 うち わ 、ね ぎ」 を親 戚 や 知 人 に 配 る事 に よ っ て子 供 の 無 事 成 長 の 願 いが か な う とい う風 習 が 残 って い る 。御 馳 走 も人 と分 か ち あ う事 で行 事 とよ り楽 しい 物 と した。 甘 い物 は砂 糖 ・飴 ・蜂 蜜 等 すべ て 貴 重 品 で大 番 振 舞 い をす る為 の 大 切 な 品 で あ っ た 。 本 論 文 で は輸 入 品 の砂 糖 が 一 般 庶 民 用 に入 っ て く る ま で 埼玉 県 以 北 で は 砂 糖 黍 の 栽 培 の 記 録 が 見 られ な い 事1)'2)'3)、 東 京 以 西 よ り 砂 糖 が 手 に 入 りに くか っ た 事4)'5)'6)等 埼 玉 県 が 国 内砂 糖 消 費 文 化 の境 目の 地 点 で あ り、 水 運 、 陸 運 に よ り信 州 ・北 陸 ・東 北 方 面 に砂 糖 を送 り出 す 重 要 な拠 点 と な っ て い る事 か ら 埼玉 県 を と り上 げ た。 世 の 中 も鎖 国 が 終 り戦 争 と復 興 の繰 り返 しが続 い た 一 つ の 時 代 と し て 明 治 ∼ 昭 和20年 代 に お け る埼 玉 県 内 で の砂 糖 使 用 状 況 や 背 景 を調 べ 、 そ の流 通 と歴 史 を う きぼ りに した い と思 い今 回 の調 査 を試 み た 。 1.埼 玉 県 内 へ の 砂 糖 の 輸 入 東 京 は 江 戸 時 代 、幕 府 が お か れ 、政 治 ・経 済 ・ 文 化 の 中心 地 と して栄 え、 膨 大 な 日常 生 活 用 品 や 様 々 の 物 資 を産 地 か ら運 び込 み 消 費 す る だ けで な く、 他 の 地 域 へ み か え り とし て塩 や 肥料 等 を輸 送 して い る。 当時 荒 海 を航 海 す る に は 航 海 技 術 が 未 熟 な為 東 北 ・北 陸 と信 州 地 方 は 内 陸 水 路 に頼 られ た7)。 こ れ らの 荷 の積 み 下 ろ しや 中 継 所 が 埼 玉 県 内 の西 関 宿 や 栗 橋 等 の 河 岸 で 、砂 糖 も こ こ を通 して 各 地 へ も た ら され た。 明 治 時 代 以 前 の 砂 糖 の 産 地 は 鹿 児 島 ・香 川 ・徳 島 ・岡 山 ・大 阪 等 ほ とん ど西 日本 に 偏 って い る事 は 良 く知 られ て い る 。 その 砂 糖 の 消 費 は 産 地 に 近 い所 で 多 くな さ れ た と考 え ら

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れ る。 明 治 初 め まで 砂 糖 は全 国 的 に薬 の 一 種 と考 え られ 薬 屋 で 販 売 さ れ て い た 。砂 糖 の産 地 で は な い埼 玉 県 の 日常 料 理 に 白砂 糖 使 用 の 甘 い飲 物 や 料 理 ・菓 子 を家 で作 る習 慣 は見 ら れ なか っ た。 明 治 時代 に入 り本 格 的 に砂 糖 が 国外 か ら輸 入 さ れ る様 に な り、 国 内消 費 量 は だ ん だ ん 多 くな っ た。 ① 河 川 利 用 に よ る県 内 へ の 輸 入 他 の 生 活 必 需 品 の塩 等 と同 じ様 に砂 糖 は 東 京 か ら埼玉 県 内へ 入 って い る。 東 京 か ら埼 玉 県 内へ の 物 資 移 入 は 江 戸 時代 に ひ き続 き河 川 水 運 に頼 られ て い た。 江 戸 時 代 後 期 の 物 とい わ れ る 『今 般 御 趣 意 弥堅 相 守 可 申事 江 戸 積 運 賃 直 下 船 積 運 賃 表 』(羽 生)(埼 玉 県 立 博 物 館 蔵)に 『赤 糖 百 俵 金3分2朱 、 尾 張 糖 百 俵 同3(以 下 読 み不 能)』 の 記 録 が 残 っ て お り、 埼 玉 県 内 の 河 岸 に砂 糖 が 江 戸 時代 か ら 荷 揚 げ さ て い る。県 内 を流 れ る利 根 川 ・荒 川 ・ 元 荒 川 ・中 川 ・綾 瀬 川 ・古 利 根 川 ・新 河 岸 川 等 に は 多数 の 河 岸 が あ っ た 。 河 岸 で お ろ され た 荷 は荷 馬車 等 で 県 内各 地 へ 運 ば れ た。 利 根 川 は群 馬 県や 他 の 県へ の 物 資 移 出入 に も重 要 な 役 割 り をは た して い た 。 表1は 綾 瀬 川 を使 った 荷 物 移 入 の記 録 で あ る。 これ に よ り砂 糖 は 東 京 か ら埼 玉 県 に 入 っ て い る事 が 理 解 され る。 こ の み か え りと して 味 噌 や し ょ うゆ の 調 味 料 が東 京へ 送 られ て い るσ 明 治16年7月28日 、 日本 鉄 道 上 野 → 熊 谷 間 開 通9)、 同18年 に は 栗 橋 に も線 路 が通 っ て お り明 治32年 に は 北 千 住 → 久 喜 間 の 東 武鉄 道 開 表1明 治22∼24年綾瀬川筋荷物移出入状況 品 目 数 量 見積価格們) 仕立地 仕向地 塩 47.175俵 12,383.813 東 京 南埼玉郡 砂 糖 326.788斤 19,601.310 東 京 北 足立郡南埼 玉郡 味 噌 4,073樽 10,305.330 南埼玉郡 東 京 しょうゆ 13.03樽 11,860.433 南埼玉郡 東 京 図1 丹 治健 蔵 著 「関 東河 川水 運 史 の研 究」 に よ り作 成 した

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通9)等 の 鉄 道 や 道 路 交 通 の 発 達 に伴 な い 河 川 水 運 は徐 々 に衰 退 して い っ た 。1658年 の 創 業 といわ れ る井 下 廻 漕 店 も昭 和6年 遂 に 閉 鎖 す る の や む な き に い っ た の で あ る 。1°)東京 か ら銚 子 や 霞 ヶ浦 方 面 を通 って4日 ∼10日 もか け て 輸 送 さ れ た 砂 糖 も鉄 道 や 貨 物 自動 車 輸 送 の 普 及 で 直 接 東 京 か ら数 時 間 で輸 送 で き る様 に な っ た 。 図1の 様 に 主 な河 岸 は 現 在 も地 名 が そ の ま ま残 っ て い るが 利 根 川 で は栗 橋 河 岸(栗 橋)、 大 越 河 岸(加 須 市)・須 賀 河岸(行 田 市)等 が あ り、古 利 根 川 で は権 現 堂(幸 手 市)、粕 壁(春 日部 市)が 栄 え た。 武蔵 国郡 村 誌 に明 治 初 期 に は高 瀬 船18般(200万 積12艘,100万 積6艘) 艀 船38艘 ・伝 馬船7:艘11)と い う記 録 が 見 られ る。 同 書 の 記 録 に よれ ば 河岸 で 荷 揚 げ され た 船 荷 は 河 岸 を通 して 店 を 経 由 して 人 々 の 手 に 入 っ た 。 行 商 人 も河 岸 で仕 入 れ を し農 山 村 地 帯 を売 り歩 い て い た模 様 で あ る。 ② 鉄 道 利 用 に よ る県 内 へ の 輸 入 図2明 治40年 頃 の 埼 玉 の鉄 道 鉄 道 が 開 通 して か らは 図2の 様 に 日本 鉄 道 と東 武 鉄 道 の交 差 点 で あ る 久喜 駅 や 熊 谷 駅 は 荷 が お く られ て くる主 要 駅 に な っ て い き、 行 商 人 達 も それ ま で の 川 岸 か ら駅 の 方 へ 集 ま る 様 に な っ た の で は な いか と推 測 さ れ る。 昭 和4年 迄 鉄 道 の 無 い幸 手 町(現 幸 手 市)で は 久 喜 駅 迄 荷 車 や 荷 馬 車 が 往 来 した と い わ れ る街道 が 今 で は 栗 橋 ・大 宮 バ イパ スへ 出 る 県 道 と して利 用 され て い る。 現 在 で も反 物 を持 っ た り農 産 物(イ チ ゴ ・ トマ ト ・ピー ナ ッ ツ 等)そ の 日の 注 文 品 と一 緒 に砂 糖 製 品 の 大 福 餅 ・草 餅 を持 っ行 商 人 が 駅 で乗 り降 りす る姿 を東 武 線 で 見 られ る。 甘 い砂 糖 ア ン入 りの 大 福 餅 は 売 りに 出 る 日の 朝 つ い た 餅 で今 で も得 意 先 の 人 々 に喜 こば れ て い る そ うで あ る。 今 日で も 当 時 の名 ご りの行 商 が 埼 玉 県 内 の 路 線 か ら はず れ た 場 所 で は利 用 され て い る。 2.砂 糖 の 販 売 と 購 入 ① 行 商人 に つ い て 明 治 ・大 正 ・昭 和 初 め ま で農 山 村 を とわ ず 行 商 人 が 大 活 躍 して い る。 日常 雑 貨 は も とよ り砂 糖 を 多量 に入 れ て 日持 ち を良 く した 煮 豆 等 が 出現 した事 が 東 京 で は 記録 が 残 って お り 12)13)狭山 市 で は 昭 和10年 頃、 「うず ら豆 」 や 「冨 貴 豆 」を新 聞 紙 でつ くっ た袋 に秤 り売 りす る行 商 人 が居 た 事 が 聞 か れ た。 埼 玉 県 内 で は 甘 い 煮 豆 が行 商 人 が持 って く る迄 は 塩 味 の 煮 豆 しか 食べ て お らず 、 煮 豆 の甘 味 は食 卓 を豊 か に した事 と思 わ れ る。 行 商 人 に は薬 や お 茶 の 様 に年 一 回来 る物 と、 結 婚 式 や 葬 式 ・祭 り 等 の カ ワ リ物 の 日だ け に来 る者 、 日常 茶 飯 毎 日の様 に 出入 りす る者 等 様 々 で 、 大 正 時 代 に は 自転 車 の荷 台 へ の せ て 来 る者 もい た 。14) ② 商 店 に つ い て 市 街 地 で砂 糖 を と り扱 っ た の は 雑 貨 屋 ・荒 物 屋 ・食 料 品屋 ・菓 子 屋 ・酒 糀 小 売 商 ・砂 糖 商 が あ っ た。 春 日部 市 に は 数 年 前 迄 商 店 街 通 りに 「紙 、 砂 糖 」 の 古 看 板 が み られ 紙 屋 で も 砂 糖 が 売 られ た事 が 判 って い る。 砂 糖 や 酒 等 の調 味 料 は帳 面(通 い帳)を 使 っ て 購 入 し た 話 が 聞 か れ た 。 利 根 川 流 域 の 人 々 は 味 膾 同様 し ょ うゆ も 自 家 で 醸 造 して い た。 樋 遣 川(加 須 市)の 様 に 自家 収 穫 の 大 豆 を原 料 に して 自分 の 家 で 専 門 家 に頼 ん で仕 込 む(現 在 も仕 込 ん で い る)場

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合 もあ るが 、 杉 戸 町 あ た りで は 自家 で作 っ て い た。15)この 時味 付 け に使 用 され たザ ラ メや モ ノ 日の ぼ た も ち ・ま ん じ ゅ う ・魚 の甘 露 煮 に使 用 され る 黒砂 糖 か玉 砂 糖 とか 呼 ば れ る物 は行 商 人 や 雑 貨 商 な どか ら購 入 した 。15)幸手 町 誌 に よ る と大 正10年 頃 久 喜 駅 か ら上 野 へ 往 くも浅 草 へ 往 く も1時 間 半 と便 利 な の で 往 復 馬 車 や 人 力 車 ・荷 車 ・自転 車 を頻 繁 に往 復 さ せ て い る。 大 正4年 の 幸 手 町 地 図17)に は 戸 数1028戸 、 人 口6155人 の 町 に砂 糖 ・茶 商(阪 口昌 三)・ 砂 糖 商(竹 村 長 平)・ 砂 糖 商(遠 藤 小 三 郎)の3軒 が 砂 糖 を商 っ て い た 。 ③ 砂 糖 類 の 購 入 状 溌 白砂 糖 を買 っ て 自宅 で 調 味 料 と して 使 用 す る様 に な るの は新 編 「埼 玉 県 史 」 別 編1(民 俗)18)等 に よ る と寄 居 町 あ た りで 昭 和40年 頃 か らで あ る。 そ れ ま で は 白砂 糖 は主 に贈 答 用 しか購 入 さ れ て い な い 。神 奈 川 県 土 沢 村 の 家 計 簿19)に 明 治2年5月29日 白 砂 糖2百 目 8匁6分 、 黒砂 糖2百 目5匁4分 の 記録 や 明 治12年1月15日15銭 さ と う代 石 井 市 右 工 門年 玉 。3月2日12銭 さ と う代 上 の 父病 院 見 舞 小 太 郎 行 等 が 見 られや は り埼 玉 県 同様 家 庭 で は 消 費 して い な か っ た 様 で あ る。 明 治40年 の 東 京 で は 朝 食 に 紅 茶 ・コー ヒ ー ・牛 乳 ・チ ョコ レ ー ト等 好 きな物 を飲 ん で い た 記 録20)が あ り進 歩 的 な 家 庭 で は 普 段 の おや つ に木 村 家 ア ン パ ン ・虎 屋 の 羊 羹 を食 べ 、 お 腹 を悪 く した 時 に は 衛 生 ボ ー ル を子 供 に 与 え る様 に な っ て い た が 、 埼 玉 県 で は モ ノ 日の 甘 い物 を作 る 時 に 黒 砂 糖 で 、 ぜ い た く をす る 時 に玉 砂 糖 を使 用 し昭 和20年 代 迄 砂 糖 を調 味 料 と して 購 入 され て な い 。21)黒糖 を貝 殻 に練 り付 け て 売 られ て い た 物 や 飴 を子供 達 は買 っ て も ら っ て 喜 こ ん だ 。 川 越 の砂 糖 で 作 られ た 鉄 砲 玉 を中 心 と した 飴 は農 家 相 手 の 販 売 な の で農 繁 期 に良 く売 れ た とい う。22)昭和10年 の 農 家 家 計 簿23)(S10.3.15∼S11.3.21迄) に一 回5銭 ∼10銭 ぐ らい の 白黒 砂 糖 を 月 に数 回購 入 して い る。 計 算 して み る と年 間 食 費 支 出 は89円86銭 で 、 砂糖 の年 間支 出は2円92銭 と な り全 食 費 の3.25%を 占め て い る。 しか し10 月 と11月 に米 計3俵 を33円15銭 で 購 入 して い る。 これ を種 籾 とす れ ば 年 間 食 費56円71銭 と な り砂 糖 の 食 費 に 占め る割 合 は5.149%と い う事 に な る。 表2に 砂 糖 と米 の1kg小 売 り価 格 を比 較 して み た 。 明 治30年 ∼ 昭和9年 の 米 価 が2円78銭8厚 の値 上 が りに対 し砂 糖 は わ ず か24銭 の 値 上 が りで しか な か った 。価 格 も 米 価 よ り大変 安 価 に な って 来 て い る。 しか し 砂 糖 が 家 計 簿 の3%∼5%を しめ るの で は ま だ まだ 高 級 品 と考 え られ な い で あ ろ うか 。 こ れ は秋 田 県 の 記 録 で あ るが 前 記 の神 奈 川 県 同 様 そ の つ ど少 量 ず つ 購 入 さ れ て い る。 埼 玉 県 内 各 地 も お そ ら くその つ ど少 量 ず つ 秤 売 りで 購 入 して い た の で は な い か と推 測 され る。 明 治 ∼第 二 次 大 戦 中 にか け て 埼玉 県 は 日常 生 活 用 品 と して砂 糖 を購 入 す る よ りは、 長 野 県 で きか れ た干 柿 ・熟 し柿 ・柿 の 皮 ・さつ ま い も、 福 島 県 ・山 形 県 のか ぼ ち ゃ等24)25)を日 常 の 甘 味 料 と して 使 用 して い た。 砂 糖 は 黒砂 糖 で さ え特 別 な 日に少 量 ず つ 購 入 す る もの で 、 自砂 糖 は贈 答 や 超 特 別 な 日の 品 で あ っ た と考 え られ る。 3.調 味 料 と して の 砂 糖 茶 うけ菓 子 ・贈 答 用 だ っ た砂 糖 も しだ い に 調 味 料 と して使 わ れ る様 に徐 々 に な って きた 。 幸 手 町 の古 い 方 言 に オ ー ゲ シバ ヤ とい う言葉 が あ る。 「きらず を砂糖、 しょ うゆ等 で料 理 し た もの 。 近 村 南 埼 玉 郡 太 田村 青 毛 に シバ ヤ シが い た 。 百 姓 故 色 が 黒 く芝 居 の 謝 禮 よ り も 自粉 の 化 粧 料 の方 が 高 くつ い た。 原料 の き らず は安 償 で あ るが 調 味 料 の 方 が 高 い に よ っ て か く言 ふ と」26) 埼 玉 県 幸 手 方 言 集 に 記録 され て い る 。 か め に 入 れ て 大 切 に保 存 して 少 しず つ 使 わ れ た砂 糖 を多 量 に必 要 とす る き らず(お か ら)料 理 は 馬 鹿 ら しい物 だ った と思 われ る。 塩 や し ょ

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表2砂 糖 と米 の価 格 変 化 年 代 砂 糖(1kg) 米(1kg) 明 治30 14銭 11銭2厘 明 治40 17銭 15銭6厘 大 正1 34銭 17銭9厘 大 正10 50銭 28銭 昭 和1 44銭 4円60銭 昭 和9 38銭 2円90銭 ※砂糖 資料:精 糖工業会 、総理府 統計局 米 資料:明 治30年 ∼大正10年迄 第二次米穀統計(日 本之 部) 農商務省 食糧局 昭和1年 、昭和9年 食糧管理統 計年報 S25年 度 版食糧庁 (以上 を換算 して表作成す) うゆ に して も大 切 に使 用 され 無 駄 使 い は され な い。 ま た次 の よ うな例 もあ る。 幸 手 の 盆 踊 唄 に 「盆 の ぼ た餅 や 中 ま で 米 だ。つ け る黄 粉 は ヨー 豆 の粉 」 と唄 わ れ て い るが 、 ぼ た餅 の 大 半 が黄 粉 の も の だ っ た 様 で あ る。「戦 後 で も越 谷 市 の お は ぎ は黄 粉 で 食 べ る時 食 卓 でパ ラパ ラ と砂 糖 を模 様 の様 にか け た 」(林 ア ヤ 子 さ ん談)と 言 う事 だ っ た が 、 こ れ は 他 で も聞 か れ た。 明 治 時 代 白砂 糖 を使 用 した 汁 粉 や 菓 子 屋 が 何 軒 か 開 店 して い るが 、上 層 階 級 の 家 庭 の 重 箱 の お は ぎ も白砂 糖 を振 りか け た記 録27)も あ り、 まだ ま だ 普 通 に は 砂 糖 を タ ップ リ入 れ た甘 い料 理 は み られ な か っ た 。贈 答 品 の 白砂 糖 は カ メ に入 れ て 保 存 さ れ、 風 邪 薬 で あ った 葛 湯 や 砂 糖 湯 に 少 しず つ 使 っ た と言 わ れ て い る。 明 治40年 頃 都 会 で は プ リンや ゼ リー 等 白砂 糖 を使 用 し た 西 洋 菓 子 が 日常 生 活 で 食べ られ る様 に な り つ つ あ っ た 。 しか し埼 玉 県 内 で は砂 糖 は モ ノ 日の 重 要 な 調 味 料 だ っ た。 盆 ・正 月 ・祭 り ・ 婚 礼 ・節 句 に は 多 数 客 を招 き、 大 盤 振 舞 い を した 。 酒 を飲 ませ 、 腹 一 杯 食べ させ 、 子 供 達 に も菓 子 の 振 舞 を し、 み や げ 物 ま で持 た せ た。 そ の 時 の 代 表 格 の 食 物 が 小 麦 ま ん じ ゅ う ・ボ タ モ チ ・団 子 ・汁粉(小 豆 ぼ う と も含 む)・ 川 魚 甘 露 煮 で あ っ た。 モ ノ 日の 調 味 料 と して 用 い られ た砂 糖 は黒 砂 糖 ・玉 砂 糖 だ っ た事 が新 編 埼 玉 県 史 ・民俗28)1の 中 の 民俗 調 査 報 告 で わ か る。 今 日 とは 異 な り明 治 ∼ 史20年 代 の モ ノ 日の 食 事 は 日常 生 活 の 食 事 とは 質 が全 っ た く異 な って い る 。 「大 利 根 数 え 唄 」に 日常 主 食 の 唄 が あ る。 一 つ 冷 や め し ゃ 冷 や っ こ くて食 え ね ア ドッ コ イ コラ シ ョ ニ つ ふ か しめ しゃ まず くて 食 え ね ア ドッ コ イ コ ラ シ ョ 三 つ み そ ぼ た もち ゃ し ょっ ぱ くて 食 えね ア ドッ コイ コ ラ シ ョ 四 つ よそ の め しゃ 気 の毒 で 食 え ね ア ドッ コイ コ ラ シ ョ 半(以 下 略)29) 以 上 の様 に 唄 わ れ て い るが 実 際 に は 米 の 飯 な ら冷 や め しで も大 喜 び て 食 べ た は ず の 貧 し い 人 達 の 気 概 やず ぶ と さか ら生 まれ て 来 た も の と推 察 され る。 今 回 の 調 査 中 小 豆 は高 か っ た か ら戦 前 迄 は金 時 豆 の お赤 飯 だ っ た とい う事 が 聞 か れ た。 小 豆 が 高 価 で あ り、 黄 粉 に は砂 糖 が 必 要 とい う事 に な る と 日常 で は 唄 に あ る 様 に ぼ た もちに 味 噌 を塗 って い た事 が 推 測 さ れ る。 昭 和 に な る と甘 味 の 黒 砂 糖 、 玉砂 糖 、 ザ ラ メ等 を購 入 品 だ け に 頼 らず 砂 糖 黍 を作 り 臼 で ひ き、 汁 を煮 て砂 糖 液 を作 り自家 用 に 使 っ て い た 。 一 般 庶 民 や 農 民 の 間 で は ア ン ビ ン ・田舎 マ ン ジ ュ ウ(き んつ ば)小 麦 粉 ま ん じゅ う ・小 豆 ぼ う と う等 が 黒 砂 糖 で も甘 い 味 付 に なっ ていれ ば第二 次大 戦後 しば ら く迄 は美 食 で あ った 。 しか し明 治40年 代 の 夏 目漱 石 の 「野 分 」に は今 川焼 は 一 銭 に 三 つ で 婆 さ ん の 自 製 に か か る 。 大 正 時代 に は鈴 木 三 重 吉 の 「桑 の 実 」の 砂 糖 を入 れ な い で 山羊 乳 ば か り飲 ん で み よ うか な 等 の 小 説 が発 表 さ れ て お り、 東 京 で は今 川焼 きの 様 な物 は 高 級 品 に は 入 っ て お らず 、 砂 糖 も 日常 生 活 に 使 用 さ れ る様 に

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な っ て い る。 埼 玉 県 内 で は地 主 階 級 の 金 持 は 東 京 風 月堂 製 桐 箱 入 りの 上 菓 子 や 砂 糖 水 を塗 って ハ エ を取 るハ エ 取 り器 を明 治 時 代 か ら手 に入 れ て お り(秩 父 市 立 民俗 博 物 館 蔵)、 一 般 人 とは すべ て の 生 活 に雲 泥 の 差 が あ り、 東 京 型 の 砂 糖 消 費 生 活 が 営 な ま れ て い た模 様 で あ る。 4.塩 味 か ら現 在 の 砂 糖 味 へ 砂 糖 は 買 っ て使 う貴 重 品 で あ り白砂 糖 は 特 に高 価 な物 で あ った 。 冠 婚 葬 祭 や 祭 り等 の 晴 れ の 日の 膳 の 口取 りで あ っ た り、 客 の茶 う け と して 手 の ひ ら に載 せ て な め る風 潮 は 第 二 次 世 界 大 戦 後 も しば ら く続 い て い た。 一 度 覚 え ・た甘 さ の 魅 力 は徐 々 に塩 味 料 理 を甘 い物 に変 え て行 った 。 埼 玉 県 内各 地 で 晴 れ の 日に は小 麦 粉 ま ん じ ゅ う ・ぼ た餅 は か な らず作 られ 神 に供 え 、 人 々 に ふ る ま わ れ るが 塩 味 が 主 流 で あ っ た 。 汁 粉 も小 豆 あ ん も塩 昧 だ っ た もの が 熟 し柿 ・干 柿 ・さつ ま芋 ・か ぼ ち ゃの甘 味 で 味 付 け が 行 な わ れ 次 に 黒砂 糖 を削 っ て使 い 、 鉄 砲 玉 くら い の茶 か っ色 の 玉 砂 糖 を使 用 す る 様 に な っ た。 防 腐 剤 の役 目 を持 つ 砂 糖 を た っ ぷ り入 れ た甘 い 煮 豆 は行 商 人 が 持 っ て遠 く ま で 売 り歩 くに は 大 変 便 利 な 品 物 に な っ た と思 われ る 。 木 枯 に 身 をふ る わ せ る冬 場 の郷 土 料 理 の塩 味 の 小 豆 ぼ う と う ・塩 味 汁 粉 も今 で は 明 治 生 まれ の 人達 に とっ て さ え過 去 の 食 物 に な っ て しま っ て い る。 塩 ア ン ビ ン を売 る店 は 春 日部 市 や 幸 手 市 で も現 在 残 って い るが 、 幸 手 の農 家 の 婦 人(83才)に よれ ば 「塩 ア ン ビ ン」 は 若 い 人 は 食べ な い の で 甘 い ア ン コ もち しかつ くら な い 。 白砂 糖 の価 格 も問題 に な る 程 の もの で は な くな っ た 」 と言 っ て い る。 ま た別 の 婦 人(80才)は 「幸 手 地 方 の ナ ス の 酢 び て は 、 昔 は ゆ で なす を味 嗜 とす り ご まで 和 え た物 を夏 は冷 や し て 食 卓 で 酢 を か け て 食 し た が 、 戦 後 は味 噌 に砂 糖 を入 れ て 甘 口に し て 食 べ る 」 と も述 べ て い る。 秩 父 で 売 られ て い る味 噌 まん じ ゅ う も現 在 で は素 朴 な甘 さで 美 味 しい物 で あ る。 煮 豆 ・ ボ タ モ チ ・汁 粉 塩 ア ン ビ ン ・ね じ(小 豆 を や わ らか く煮 て少 しや わ らか め の ア ン を作 り 中 に う どん を入 れ た物)・ 小 豆 ぼ う と う(ね じ に生 の ひ もか わ う ど ん を い れ た 冬 の 食 物)・ 小 麦 粉 まん じゅ う等 が 明 治 時 代 か ら昭和20年 代 頃迄 に塩 味 か ら砂 糖 の 甘 味 へ 徐 々 に変 わ っ て お り今 日で は塩 味 で あ っ た事 が 全 っ た く と 言 え る ほ ど忘 れ られ て い る。 5.生 活 の 中 の 砂 糖 砂 糖 は そ の ま まや 砂 糖 製 品 に加 工 され贈 答 や 儀 式 に 用 い られ た り体 力 をつ け る為 に 食 べ られ て い た 。 ① 手 み や げ 天 保2年 か ち売 ら れ て い る幸 手 名 物 塩 が ま は 砂 糖 ・もち 米 ・赤 穂 の塩 が 材 料 で あ る。 ど れ も高 価 な物 で あ り年 始 の 挨 拶 に持 っ て行 っ た 。 又 、 近 くの 生 糸 製 糸工 場 に は リヤ カー で 五 霞 村 等 か ら まゆ を運 ん で きた 。 子 供 達 が 帰 りは甘 い お まん じ ゅ う を駄 賃 に もら っ た とい う こ とで あ る。 ② 冠 婚 葬 祭 時 の 砂 糖 婚 礼 や 葬 儀 が 各 家 庭 で行 な わ れ て い た 時代 は 大 きな笹 折 りに 甘 い ア ン を入 れ た 打 ち菓 子 が 人 数 分 注 文 さ れ た。 道 路 も未 舗 装 時 代 で あ り、 リヤ カ ー で 静 か に運 ば な い と破 損 す る よ うな状 態 で あ っ た。 最 近 香典 返 しは お茶 とお 酒 が 多 いが 前 は 白 砂 糖 が 多 か っ た とい う主婦 の 談 もあ る。 ③ 祝 い 事 の 砂 糖 20代 ・30代の 若 い主 婦 も子 供 の 初 節 句 に は 親 戚 や 出産 祝 い を くれ た 人 に は男 の 子 の 時 に は 「か しわ 餅 」 女 の子 の 時 には 「桜 餅 ・草 餅 に ひ な あ られ 」 を届 け て い る。 自分 達 が 子供 の 頃迄 は 家 で 「か しわ餅 」 等 を作 っ て重 箱 に 詰 め て各 家 々 を ま わ っ た と聞 か され て い るが 、 今 は 店 に 箱 入 りの 物 を 注文 す るの で ず い分 気 楽 に な っ た と の事 で あ る。 春 日部 市 や 杉 戸 町 ・久 喜 市 の 方 で もこ の 風 習 が 残 っ て い た 。

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春 日部 の 和 菓 子 屋 の談 で は祝 い事 や 法 事 の 時 あ る程 度 ま とま っ た 数 が 注 文 され る の で春 日 部 か ら幸 手 や 久喜 ぐら い な ら車 で配 達 して い る そ うで あ る。 建 て 前 や お祝 い事 の 時 に は砂 糖 や 他 の 甘 い物 が 皆 に振 舞 わ れ て い る。 ④ 健 康 と砂 糖 昭 和20年 頃 迄 多 少 の 風 邪 くら いで は 医 者 に か か る事 は な く葛 湯 に砂 糖 を入 れ て 飲 む くら い で あ る。 こ の 「葛 湯 の も と」は 今 で も県 内各 地 で み られ る。 菓 子 屋 で今 も売 られ て い るの で 菓 子 と思 い が ちで あ る が 、 戦 前 迄 は薬 で あ っ た。 お 大 尽 の家 で は お 産 の後 、 お 乳 が 良 く 出 る様 に とお 嫁 さん に 「塩 が ま 」や 「落 が ん 」 を食 べ させ た そ うで あ る。 埼 玉 県 の 産 育 禁 忌 に砂 糖 ・柿 ・鳥 肉 ・魚 等 が 禁 止 され て お り産 後 は 白粥 に 鰹 節 ・漬 物 ・味 囀 しか 一 般 の産 婦 は 食 べ させ て も ら え な か っ た事 が 記 録31)に も あ る が 幸 手 の婦 人 達 か ら も談 話 が 得 られ た 。 6.第 二 次 大戦 中の 砂 糖 消 費 状 況 日本 国 中砂 糖 だ けで な く他 の 物 資 総 て が不 足 した 時 代 で あ っ た。 砂 糖 は 昭 和16年 ∼27年 迄 総 理 府 統 計 局 に よ る と統 制 品 で あ った 。 配 給 の砂 糖 を持 って 農 家 へ 買 い 出 しが来 た 。 幸 手 駅 付 近 に は砂 糖 を米 や 芋 に 交 換 して ほ しい 人 が 東 京 方 面 か ら来 て い た そ うで あ る。 幸 手 町 の 住 民 自身 もバ ケ ツ1杯 の 赤 ザ ラ メが 米 の 代 りに 配 給 さ れ た が 米 ・芋 ・生 活 必 要 品 と交 換 せ ね ば な らず砂 糖 の 甘 さ は 味 わ え な か った との 事 で あ っ た。 戦 争 中 は婦 人 雑 誌 か ら砂 糖 を使 用 した 料 理 の 紹介 も砂 糖 類 の 広 告 も姿 を 消 して い る。 秩 父 名 物 「か か あ 天 下 につ る し 柿 」 の 言 葉 通 り県 内 で は 柿 の木 が 多量 に植 え られ て お り、 熟 し柿 ・干 柿 ・柿 の 皮 ・干 柿 の 粉 を戦 争 前 以 上 に大 切 な甘 味 料 と して使 用 し た 。 汁 粉 や 饅 頭 の ア ンは さつ まい もや か ぼ ち ゃの 甘 味 に 変 わ っ た 。 麦 や 芋 か ら 自家 製 の水 飴 を作 り砂 糖 の 代 用 に し た 。 戦 後 も昭 和20 年 代 は 子 供 の お や つ に 水 飴 を作 った そ うで あ る。 昭 和20年8月7日 の 読 売 報 知 新 聞 に は糠 味 噌 水 を 野菜 の 煮 物 や 味 噌 汁 に使 う使 い 方 舘)、 昭和20年8月17日 の 朝 日新 聞(埼 玉)は 茄 子 の へ た の 食 べ 方 の指 導33)が掲 載 さ れ て い た 。 戦 争 中 は き りつ め る だ け切 りつ め た最 低 限 の 生 活 の 中 で家 族 の 協 力 が あ って も工 夫 して も 日本 国 中が 満 足 な食 事 の で き る状 態 で は な か っ た 。砂 糖 も塩 も無 い 時代 で あ っ た。 7.ま と め 砂 糖 は 塩 同様 日本 人 の 食生 活 の 上 で き わ め て 重 要 な調 味 料 で あ る。 江 戸 時 代 か ら明 治 ・ 大 正 ・昭 和 に か け て 食 物 が徐 々 に甘 く柔 らか い物 へ と変 わ っ て い る。 河 川運 搬 か ら鉄 道 や 貨 物 自動 車 輸 送 に変 わ りだ ん だ ん 砂糖 が 入 手 し易 くな か っ た が 、 明 治 ∼昭 和20年 代 の 埼 玉 県 民 は で き る だ け 自給 自足 生 活 を志 して お り 金 を払 って砂 糖 を購 入 す る事 は 大 変 ぜ い た く な事 で あ っ た。 甘 味 が 珍 重 され た 最 も単 純 な 理 由 は他 人 との対 面 を保 つ 為 の饗 応 が で き た 事 と甘 味 をお い しい と感 じた事 で あ っ た と推 測 され る。365日 の 大 部 分 の 食事 が 粗 末 な明 治 ∼昭 和20年 代 で は 「晴 れ 」や 「ケ 」 の 日に 一 生 懸 命 御 馳 走 を作 り近 親 者 ・近 隣 者 と食 事 を共 に す る事 に よ り、 よ り強 い 人 間 関 係 を結 び 連 体 感 を持 っ て きた 。 今 日で も香 典 返 し、 引 出 物 、 贈 答 品 等 様 々 に砂 糖 が使 用 さ れ る風 習 や 習 慣 が 埼 玉 県 に は ひ きつ が れ 残 っ て い る。 8.考 察 今 日の 様 に物 資 が 豊 か に な る前 は 食 物 に 気 候 や 風 土 性 が み られ た 。 食 物 を作 る時 手 抜 き は許 され ず 工 夫 も必 要 条 件 で あ る 。 明 治 ∼ 昭 和 に掛 けて 最 高 級 品 で あ った 白砂 糖 す ら今 ほ ど精 製 され て お らず ア ク抜 き をす る必 要 が あ っ た。 埼 玉 県 は 白砂 糖 の大 量 消 費 地 の 東 京 を 横 目に 見 なが ら地 元 産 の旬 の 物 を工 夫 して料 理 して い る。 モ ノ 日の 甘 い お は ぎ等 の や り と りで 同 じ物 が 来 て もお お らか に 喜 こ ん で い る 。 明 治 ∼ 昭 和20年 代 物 資 は少 な く、 砂 糖 もつ つ ま し く少 しつ つ 手 に いれ た が 薬 ・エ ネ ル ギー

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源 ・社 交 生 活 が うま くい く為 の 潤 滑 油 ・先 祖 の霊 を な ぐさ め る 等 貧欲 な までに利 用 し、 た く ま しい 自給 自足 に近 い 食生 活 を過 ご して い た と思 っ た 。 9.お わ り に 埼 玉 県 内 を流 れ て い る 川 が 非 常 に重 要 な役 割 りを持 っ て い た事 が 図 の作 成段 階 で わ か り 興 味 が 持 たれ 、 又 県 内 で の砂 糖 と家 計 の事 や 年 間 行 事 との か か わ りな ど も今 回 は調 べ る に 至 ら な か っ た の で 更 に調 査 を続 け た い と思 い ます 。 最 後 に御 指 導 下 さ い ま した本 学 教 授 泉 敬 子 先 生 に深 く御 礼 を申 し上 げ ます 。 多数 の 資 料 を見 せ て頂 い た幸 手 市 史 編 さ ん 室 ・浜 野 一 重 様 、 話 者 の 同 室 尾 上 喜 子 様 ・林 ア ヤ 子 様 、 石 太 菓 子 店 様 、 泉 信 子 様(幸 手 市 上 高 野)、 増 田 か ず え様(幸 手 市 幸 手)高 橋 エ イ様(83才 幸 手 市)、 中 山徳 子様(幸 手 市 、 明治43.1.23,78 才)、 山 浦 彰 子 様(長 野 県 小 諸 市 、T 6.10.20)、 故 山浦 ま つ よ(長 野 県小 諸 市)他 本 論 文 作 成 に あ た り御 協 力 下 さ い ま し た方 々 に深 くお 礼 を 申 し上 げ ます 。 引 用 文 献 1)本 山 荻 舟 「飲 食 事 典 」P241平 凡 社 (1970) 2)喜 多 川 守 貞 「守 貞 漫 稿 」P603東 京 堂 出 版(1988) 3)日 本 風 俗 史 学 会 図 説 江 戸 時 代 「食 生 活 事 典 」P163雄 山 関(1978) 4)前 記2)記 載P250∼P252 5)日 本 の 食 事 全 集 委 貝 会 代 表 向 山 雅 重 「聞 き書 長 野 の 食 事 」P31 ,P219農 山 漁 村 文 化 6)タ イ ム ラ イ フ ブ ッ クス 編 集 部 「世 界 の 料 理 日本 の 行 事 料 理 」 タ イ ム ラ イ フブ ッ ク ス(1974S49.7) 7)藤 岡謙 二 郎 「地 形 図 歴 史 を読 む 第 一 集 」 P117大 明 堂(1973) 8)丹 治 建 蔵 厂関 東 河 水 運 史 の 研 究 」P316 第76表 法 政 大 学 出版(1984) 9)老 川 慶 喜 「埼 玉 の 鉄 道 」埼 玉 鉄 道 年 表 よ り 埼 玉 新 聞 社 発 行(1982) 10)斉 藤 貞 夫 「川 越 舟 運 」P14さ きた ま 出版(1984) 11)「 武蔵 国 郡 村 誌 」(著者 不 明1873明 治6年 頃書 か れ た と思 わ れ る) 12)酒 巻 寿 「き き書 き尾 崎 左 水 子 明 治 ・ 大 正 東 京 山 ノ手 女 の 暮 ら し お て ん ば 歳 時記 」P8草 思 社(1979) 13)渋 沢 敬 一 「明治 文 化 史12生 活 」P184原 書 房(1979) 14)杉 戸 町 文 化 財 専 門 委 貝 会 杉 戸 町郷 土 史 研 究 会 厂郷 土 史料 第11集 大 島新 田 の 歴 史 と民俗 第1集 」P131杉 戸 町教 育 委 員 会(1966) 15)「 埼 玉 の 民 俗 」P396埼 玉 県 教 育 委 員 会 (1966) 16)後 上 辰 雄 「幸 手 町 誌 」P6奈 良 書 店 (1916) 17)後 上 菊 水 「幸 手 町 居 住 者 戸 別 職 業 姓 名 総 覧 」 幸 手 町 地 図 奈 良書 店(1921) 18)埼 玉 県 編 集 「新 編 埼 玉 県 史 別 編1、 民俗1」P292埼 玉 県発 行(1988) 19)前 記13)記 載P509、P510 20)村 井 弘斎 「婦 人 の 日常 生 活 法 」P77∼80 実 業 之 日本 社(1907) 21)前 記18)記 載P292 22)三 田村 佳 子 研 究 紀 要 第3「 川越 横 丁 の 飴 屋 」P33埼 玉 県 立 民俗 セ ン ター(1986) 23)松 永 佳 一 「近 代 民 衆 の 記 録 一 農 民一 」 P583∼P597新 人物 往 来 社(1972) 24)タ イ ム ラ イ フ ブ ッ クス編 集 部 「世 界 の 料 理 ・日本 の 行 事 料 理 」 タ イ ム ラ イ フ ブ ック ス(1974) 25)埼 玉 県 立 文 化 会 館 「食物 の 歴 史 」P39真 珠 書 院(1968) 26)上 野 勇 趣 味 業 書 第6編 「埼 玉 県 幸 手

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方 言 集 」P6土 俗 趣 味 社(1933) 27)前 記12)記 載P38 28)前 記18)記1載P292 29)朝 日新 聞 浦 和 支 局 「う た を 訪 ね て 」P136 さ き た ま 出 版 会(1978) 30)前 記25)記 載P159 31)前 記14)記 載P131 32)読 売 報 知 新 聞(埼 玉 版)昭 和20年8月 17日 付 33)朝 日 新 聞(埼 玉 版)昭 和20年8月17日 付

参考文献

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参照

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