審美活動に於ける人間主義
9
0
0
全文
(2) . 第 4 巻, 第 ヱ 号. 北 海 道学 整 大 学 紀要. 昭和28年7月. 審美活動に於ける人間主義 山. 本. 嘉. 太. 郎. 北海道学聾大学旭川分校哲学研究室. 1く溢乳rる YAMAM(yro ;. Hul i ic L t lmni fe sm in Aes i pt I. 人間主義も しくはヒュウマニズムは一般に 「人 間 解. 放、 人間尋重乃至人間中心的な思想を総称する語」 (伊. 藤吉之 助編 「哲学小辞典」 人間主義の項) と定義せられ. 不可避的に理想的生存を実現し進化発展を達成 しようと する絶対意志をせおわさネ 1、 人間主義を実現しようとす る絶対運動を奥えられている。 この事実の詳細な論証は 章を改めて試みるが、 我々人間のあらゆる生存活動は人. ている。 即ちそれは人間の自由を束縛しその進歩を圧迫 するものから人間を解放し、 人間を何ものよりも尊重 し 愛敬する思想から、 人間を宇宙の中心や目的として考え. 間主義実現への絶対意志に支配せられ絶対運動に貫かれ. は人類の歴史に於いて、 各時代の社会組織や女化の特殊 性に臆じてさまざまな形態をとって出現して来た。 例え. 部分的な派生的な現象である。 人類の歴史の潮流はこれ. る立場に至るまで広汎な 思想及び連動を意味する。 それ. ば中世の宗教的陸糟と封建主義の圧適 材こ対して 出現し たルネッサンスに於ける人文主義、 近世に於ける主知主 義の支配に対して出現した新人女主義、 近代に於ける資. 本主義帝国主義に対して出現した社会主義民主主義等の ;がこれである。 また現代に於ける軍国主義の 思想や埋蔵. 鯵渦と脅 威とに対して抵抗しつつある平和主義の思想や. 力もこ才がである。 これ等は歴史に見える人間主義 の思 重電 り 想や運動の極めて顕著な二三の実例に過ぎない。 各時代 のすべての人間の営みは、′実はこの人間主義で貫かれて い る. この人類の歴史を貫いてい る人間主義の思想及び 運動の性質をもっと包括的に且つ普遍的に限定すれば、 それほどこまでも人類の理想的生存を実現し行こうとす る主義であり、 その進化発展を促進せしめようとする意 志であると云える。 ここに人類の進化発展とは人類が進. 化の璽法に従って単純低次の段階から一歩一歩と複雑高 次の段階へ発展高揚し行くことであり、 その理想的生存. ている, たLかに我々の思想や斤罵の中には上の人間主 義の実現に通行する実例もなくはない。 がしかしそれは を全一的に見れば、 不可抗的な力で人間主義実現の方向 に流れ動きつつある。 なかんずく我々人間の文化活動全. 般--即ち経済活動、 社会活動、 道徳活動、 審美活動、 宗教活動、 科学活動、 教育活動等々一一は常に人間の理 想的生存、 進化発粟の実現への意志、 人間主義の実現へ の意志に基づいて営まれているものである。 この小論に 於いては我々は特に我々人間の審美活動の中 に如何にこ の人間主義実現への絶対意志、 絶対連動が働いているか を明らかにしようと思うので ある。 さてここに審美活動とは、 美学者が美なるものを探究. し、 整備家が整備作品を創作する活動を中心として、 広 く人間が美なるもの、 即ち美的対象を審判してこれに美 的感動を意識する働きを意味する。 我々はまず始めに美 なるもの 、 即ち美的対象の考察から始める。 美なるもの . は広義に於いて は美学者が その探究を目ざし、 整術家が. たくる所の無き身体を有し、 且つ理想的 とは完全にして街. その創作を目ざすところのものであるがこの美なるもの は自然的なものと人工的なものとにわたって豊かに存在 する。 それは自然界の事物が無限に豊富で且つ複雑多様. しつつ、 より知的な、 より善なる、 より美 なる生存を営 み行くことで ある。 そう してこの人類の理想的生存はそ の進化発展への意 識的努力を通 して実現せられ、 また人. まざまな様相、 さまざまな性質のものが存ずる。 美学者 はこの多種多様な美的対象から感受せられる美の諸相を. な人間性即ち秀れた知性徳性感性的能力を調和的に具足. 類の進化発展はその理想的生存への意識的努力を通Lて 促進せしめられるものである。 地 上に於ける生物進化の. 理法に支配せら才 (生成発展して束た我々人間は運命的. である如くに限り無く豊かで且つ多種多様である。 そこ には単純低次のものから極めて複雑高次のものに至るさ. その特質に従って次の様な範噂に分類 している。 即ち狭. 義の美、 醜、 優美、 腕美、 悲壮美、 滑稽美、 フモール、 .崇高美等々 と呼ばれるものがこれである。 美的 感動美、. - - . 一 而 ー←.
(3) . 山. 本 嘉 太 郎. 範犠の分類の仕方には美学者の 立場に依って若干の異同 はあるが、 我々は今主要なものを選び、 それ等の美的対 象が如何なる構造と性質を有するものであるかについて. . ; ′. ′ ′ ′ r ′ 、 、 、 、 ′ 、 > ′ 、 、 モ. ′. 、 、 く 〉 、 ′ ′ ノ く. 体の持主である。 それは今後永く生存し得る若さ・ 且つ 女性としての任務を完全に果た し得る能力の 持 主 で あ る。 このような美 しき女性と呼ばれるものは新 鮮な生存. 考察することとする。 . のエネルギ←に充ち凝れたるものである。 また美しき男 性と呼ばれるものも、 調和的に成長 した雄々しくたくま 先ず第一に狭義の美もLくは美なるものに 続 い て 見 しい身体の持主であり、 男性と しての役割を十分に果た る。 この美なるものは美学に於いて広義では美的範鴫全 し得る身体の持主である。 即ちそれは生存のエネルギー 体を意味し、 また狭義では優美や悲壮や滑稽や崇高と並 ものである。 しか し単に外面的にだけ美し に充ち満ちた こ せ る 立し、 特に醜に対立する美的範寝の一つと られ 。 なやかな身体を有する女性 くし 、 雄々しくたくま しい身 の狭義の美はもろもろの美的範噂、 美的諸相の性質を抽 体を有する男性がそのまま直ちに秀れて 美なる人間であ 象 したものであり、 最も純粋な且つ直接的な、 初原的に るのではない。 贋に美なる人間の億件は如上の秀れて完 「 のとは直観的把 る な美 美なるも して且つ終極的 であ 。 全な身体とこれに具わる知情意 の能力とである。 厳密に に 纏に於いて直接的に無関係にそれ自体のために無関心 快きものである。」(註一) とせられるのはこの 狭義の美.・ 云えば人間の知性的感性的徳性的な能力は その完全な身 体の構造の中に含・ まれるものではあるが、 人間としてこ なるものを意味する。 ところでこの狭義の美の感情を我 れほど重要な贋値ある憐件はなし・ 。 外観的に如何に雄々 我に生起せ しめるのは如,何なる対象であるか、 美なるも しくたくま しい身体の男性であっても るか 、 その中に知情意 のとは如何なる構造、 如何なる性質のものであ 。 子にし ッ の能力を鉄如すれば単なるスポー マソ的な美男 自然の 勝景の中で春の擾花や秋の紅葉は美なるものの しくしなやかな身 か過ぎず また外観的に如何にうるわ 、 一例である。 早春の野山に陽光を浴びて咲きにおう椴花 体の女性であっても 、 自身の中にこの知情意の能力が無 るものである 。 は新鮮な生存のエネル ギー に充ち握れた ければ白痴美を感ぜLめるに過ぎない。 美とは 「生命に充ち溢れたるもの、 生命その もの」・(伊 完全にして鉄くるところの無い身体--その中に贋な 藤吉之 助網 「哲学小辞典」 美の項) とせられ〔いる が、 るもの 離 職 し善なるものを実践し美なるものを審判す 一 脚こ美なるもの は必らずこ のように生命のェネルギ- る諸能力を調和的に具足する身体--を有する人間が古 に充ち凝れたるものである。 それでは晩秋の野山に照り 来理想的人間と考えられて来た コ 我々がそれに勝義の人 映える紅葉が美なるもの と見えるのは如何に Lて である ′人間性を具 間美を発見し得る人間とは 如上の理想的な 、 か。 紅葉は醗に生存のエネル ギーを失い去っ〔まさに凋 足した人間に於いて であるd 例えば我々は自然界を貫く 落しよぅと しているものである。 然 し紅葉が美 しく見え 理法を発見した偉大な科学的天才の面影に接 し、 人類を るのは単に その色彩の多彩鱒 美であることにのみ因るの 救済するにたる広大無辺な思想を考え出した偉大な思想 ではない。 それは植物と云ぅ生物が春 から夏にかけての 家の風貌をLのぷ時、 それ等の人 材こ対 して限り無く深 豊かな陽光の下で旺盛な生存活動を営んだ後に、 陽光乏 大な人間美を感ずる、 人質美の極致とも云うべきものを - 民に移ろうとする姿な しき忍従の多を迎えて しば しの多- 感受する のである。 ÷ のである。 紅葉は 年の同化作用の営みに依 って草木の 奴上の事実からも知られるように、 我々に美の感情を 旺盛な生長をもたら した後に、 今や再び自らを凋落せし 生起せしめるものは生存のエネルギ←に充ち溢れたろも めることに依って草木の生存を可能ならしめるところの 悲劇的な性格をさえ含む. 従って紅葉は生存のエネルギ. ーを 失い 去つて凋落しようとするものであると共に、 ま こ依って冬眠 し忍従の厳冬を生き抜かんと さにその凋落を. のである。 しかしこの美なるものは単に生存のエネルギ -に充ち溢れたろものではなく して理想的生存を実現し っりあるもの・ 理想的生存そのものであるo さらに云え. する植物の痛ま しい 姿に他ならない。 それ故に紅葉の美. ば人間主義 を実現しつつあるものである。. しさには 哀愁の美が漂う -のである。 つまり紅葉もまた紅 花と共に植物の生存の営みであり、 しかも生存のために. 的感情を生起せしめるためには自身が先ず美を審判する. ところでこのような美なるものに対して我々人間が美. 能力を具有しておらねばならず、 且つヨ身と美的対象と 苦悶する姿でさえある。 この事実を意識する時に我々は るために十分な快滴な場を構 ・ が審美約感情を生起せしめ となるので 紅葉に対してより深く力強い美を感ずること らなければならない 成してお 。 例えば前に述べた桜花や ・ ある。 紅葉を眺める場合、 我々はどこにも傷病の苦痛のない鰹 美なるものの例として更にもう一つ美しき人間と呼ば れる ものを版り上 げて見る。 女性美を感ぜ しめる美女と は調和的に生長した身体、 しかも若々 しくしなやかな身. 全な身体で最も快適な 生存の場である早春や晩秋の山野. に於いてこれ等の美的対象に眺め入る時、 始めて力強い. - 2 -.
(4) . 審美活動に於ける人間主義 美的感動を覚えることができるのである。 このように美 なるものは快適な生存の場の中に存在する審美者と して. の我々の意識の中へその願望すべき理想的生存の姿を投 影することに因って、 我々を してこれに共鳴させ、 これ に願望させ、 やがてまた我々を してこの実現に向かわせ. るものである。 云, うならば美なるものとはその自らの理 ・しての我々自身 想的樗姦皆もしくは性質を通して審美者と の理想的生存を可能ならしめるものであり、 或るいはこ. れと関係を有するものである。 更に云うならば美なるも のとはそれ自身理想的な存在の仕方をするものであると 共に同時にまたこれを意識する我々審美者をLて理想的 生存の実現に進ませるもの、 人間主義の実現に向わせる. もの である。. 次に第二に醜なるもの に就いて見る。 一般に 「醜なる. もの 紬. まある性質に就いてタ ト観上不快なるもの反橋を起 させるもの美的要求を害するものである。」(註二) と定 義せられている。 この醜なるものとは前に述べた美なる ものとは正反対の美的範嘩であり、 美なるものと全く対. 立する構造及び性質を有するものである。 美なるものは 常に愉快な平安な感情を生起せしめるものであるの に対 して、 醜なるものは不愉快な不安な感情を生起せしめる ものである。 前者が快楽と歓喜と 陶酔とをもたらすもの. である。 それ故に秩序的合法則的な構造を有することが 万物、 特に生物としての存在の不可畝の簾件 な の で あ. る。 わけても人類は生物進化の理法と人間存在の理法に 従って努力する限り生存をつづ寸ることができ、 この理. けみして、 ここに現在から将来に向い どこまでもその進 化、 その発展をつづけ行こうとする絶対意志、 絶対運動′ をせおいこんでいる。 このために我々人間は自身及び自. 身に蓮る人類のより善き生存及び進化発展が実現せられ ・意識 つつある時にま すます永続させ増大させたい快感を させられ・ 逆に自身及び自身に連なる人類のより悪しき 生存及び退化滅亡が実現せられつつある時には堪え難い 苦痛を意識させられる。 快感はこれをもたらす÷ 切のも のを どこまでも存続せ しめるために輿えられ、 苦痛はこ れをもたらす一切のものを即刻除去させるために奥えら. れている。 このようにして我々は自身を含めての人類の より善なる、 より理想的なる生存と進化発展、 乃至これ を可能ならLめるものに快感を覚え善と美と を 意 識 す る。 逆にそのより悪なる、 反理想的なる死滅や退 化滅亡 をもたらすものには不快と苦痛を覚え、 醜と悪とを意識 するのである。 秩序的合法則的なるもの、 従ってまた我 我人間の理想的なる生存を可能ならしめるもの、 もしく は理想的進化発展そのものが善美なるものとして感ぜら. ところで我々人間がそれに対して上のような醜の感情. れ、 反対に混沌無法則的なるもの、 従って人間の反理想 的な死滅、 退化滅亡をもたらすもの、 もしくは退化滅亡 そのものが醜なるもの悪なるものと感ぜられるのは如上. を生起せしめられるものは秩序有り法則有るものではな くして無秩序無法則のものである。 調和的な統一的なも のではなく して不調和的な不統一なものである。 例えば 我々は秩序整然たる太陽系の運行や渦歌星雲の回軸の姿 を見る時、 そこに云い知れぬ美 しさを感ずる。 これに対 して不規則星雲の混沌たる姿を見る時、 これに不安と混. 迷とを感ずる。 また見事な調和的な楽音を聞く時これに 美の感情を覚えるのに対して、 不調和不規則な騒音や雑 音を聞く時これに醜の感情を覚える。 それではこのよう な秩序的合法則的なるものが美なるものとLて意識せら. の理由に基づくのである。 「美とは物象の観照に即 して 我等が感ずる生の肯定である。 醜とは物象の観照に即 し. て我等が感ずる生の否定である。 換言すれば我等の美的 観照にとって生の肯定を意味する物象は美であり、 生の 否定を意味する物象は醜である。」(註三) とするのは、 我々の考え方から見て誠に興味深い言葉である。 人類の理想的生存、 進化発展を実現するものが常に善. なるもの美なるものとして感ぜられ、 反対にその反理想 的生存、 退化滅亡を実現するものが常に醜なるもの悪な るものとして感ぜられる事実は善なる ものと 美 な る も. れ、 逆に混沌無法則の・ ものが醜なるものとして意識せら れるのは如何なる理由に因るのであるか。 現代の諸科学. の、 悪なるものと醜なるものとが合一点を有することを 示し、 またそれは善美醜悪を審判するための絶対的尺度 が人間主義であるべきことを示す。 ところでこのような. 的には混沌無法則の事物もあるにはある。 がしかし全体. 象の一つとせられるのであるか。 これには二つの仕方が ある, 。 その一つは美なるものと醜なるものと を 対 立 さ. の成果が実証 しているように、 万有万物 は整然たる存在 の理法に従って運動 し発展 しつつあるものである。 部分 的には万有万物は合法則的な統一体 である。 生物なかん ずく人間は地上に於け る生物進化の理法に支配せられて. 生誕 し、 今も尚この理法に従って進化発展しているもの. . ● ● ・ 、 ・. ′. .. 法に逆えばたちまちにして死滅に落ち入る ものである。 我々人間は過去十億年以上にもわたる生物進化の歴史を. であるのに対して、 後者は苦痛と僕悩と=申吟とをもたら すものである。 前者が望ま しきもの好ま しきもの愛すべ. きものであるのに対して、 後者は望ましからざるもの好 ま しからざるもの憎むべきものである。. く 、 { ● . ・ . ・ く . ノ 〉 ′. 醜なるものが如何なる仕方で美学や整備に於いて美的対. せ、 交錯させ、 葛藤させ、 斗争させることを通して醜な るものを否定し、 美なるものを一層張く肯定 せしめる仕. ) ● ′ ・ ● 」 」 1 ′ パ ′ . ′ ● ず. ョ. ● J ′ 、. 一、 J ′. 〉 ● ● { ’ ′ ヂ.
(5) . 山. 本 嘉. 方である。 つまり第一の美なるものの否定の否定を通し て、 一層 高次の第三の美なるものを意識させ、 美的感動 をもたらす仕方である。 古来の秀れた塾術作品は多くこ の手法で描かれている。 その二つは美なるものの否定者 としての醜なるもののみを表現L、.この否定を通 して却. って撮烈な美 なるものの肯定に導く仕方 である。 しか し これもまた前の場合と同じく第一の美なるものの否定の 否定を通 して一層高次の第三の美なるものを意識させ、 これにより力額く感動せLめる仕方に他な らない。 この 手法は近代整術作品、 例えば写実主義もしくは自然主義. の 整備作品にしばしば適用せられて異常な成功をおさめ ていることは周知の通りである。. 一般に醜なるもの悪なるもの邪なるものはこのように 美なるもの善なるもの正なるものの否定者として意識せ られ更 にそれが我々審美者の人間主義実現の絹対意志に 基づく力強い否定、 もしくは止揚を通して始めて強烈な. 美的対蒙に麹化するのである。 云わぱそれは人間主義の 否定の否定、 つまり人間主義の弁証法的な力張い肯定と. 云う・ 仕方 を通して美なるものに発展 し、 美的感情を呼び 起すのである。 かくて醜なるものもまたこのような仕方 で人間主義の実現を可能ならしめるものであることに因. って始めて 美的対象となるこ とが知られる。 次に第三に優美なるものについ〔見る。 一般に 「優美. なるものとは運動に於いて 現われる美であり、 運動の軽 快と調和に基づくものである。」(註四) と定義せられて. いる。 前述の二つの美的範鴫は最も純粋な基本的なもの である。 この二者の要素がさまざま な仕方で対立し混清 L葛藤し斗争しつつ組織せられることによって他のさま. ざまな美的様相が成り立つものと.見られる。 優美なる も のは美学の立場 に依つては狭義の美なるものと同一説せ. られる場合もある が、 我々はこれを最も純粋な、 初原的 且つ継極的な範 聴としての美なるものから区別する。 こ の優美なるものはしかし狭義の純粋 美に極め て 近 い 構. 造、 性質を有するもの である。 それは多くの 美なるもの の要素と若干の醜 なるものの要素を含むものである。 こ の蝿美なるものは上に引用 した定義の通り運動の中に現 われる美であり動的な自然や人間の姿に於いて感 覚的に 直観せられる ものである。. ところでこの優美なるものは如何なる性質を有する も のであるか。 優美なるものの最も代表的なものは舞踊で. ある。 舞踊は人間の身体美を基本的素材とし、 これに衣 裳や色彩や音楽を補助的形式として加 え、 そ のうるわし い流動と饗化、 そこから聯想せられる幻影と陶酔とを通 して或る種の美しさを表現し感受せ しめようとするもの 〔優美 である。 ここにその表現が目ざされるのは主とし.. 一 4. 太. 郎. であり腕美である。 舞踊は峯間整備として の絵画の要素 と時間讐術としての音楽の それとを調縞的に統一した一 種の綜合璽術と見ら れるが、 特に両者が抽象的な性格を もつのに対して、 これは 生ける肉体の流動と云 鋤極めて. 具体的な要素の敵に、 力損い感覚的直観的な美を発揮す る整備であるコ ここに表 現せられるのは、 最も完全に成 長 した人体が、 最も快適な生存の場に包まれて、 最も生. 生としかも律動的に生存しつづける歓喜感動 の 姿 で あ る。 その身体は無 ヒの快調子をもって流動し、 その精神 は無 上の平安と観喜の中を行架する。 こ れは 人間の埋想 的生存の姿であり、 しかも最 も赤裸々な形で現わされた 樋襟の姿でもある, つまりそれは人間主義を実現しつつ ある人生の姿に他ならない. 我々審美者がこの理想的な生存の姿を眺める時、 それ. は我々の理性の冷却を防ぎ温めると共に、 情念の狂奔を 防ぎ和らげ、 我々 自身をして理性感情共に調和的に豊か な生存を営ま しめる。 我々はこの人間主義的 な生存の姿. を意識することを通して我々自身もまた快適な理想的な 生存へ、 人間主義の実現へ進むことが知られる。 次に第四に悲壮なるものに就いて見る。 一般に 「悲壮 なるものとは客観的には偉大なるもの英雄的なるものの. 没落であり、 特に運命や環境との徹 底的な斗等の後の授 ご依って 落である。 主観的には悲壮な事物を眺めることモ. 」(註五) と定義せ 呼び起された感情感動の複合で ある。 と正 られている。 この悲壮なるものは前の優美なるもの・. に反対の性質をもつものであり、 多くの醜なるものの要 複雑高次の構造 素と若 干の美なるもののそれとを含んだ. をもつものである。 悲壮なるものは単に悲 しきもの哀れ なるもの ではなし・ 、 単に傷ま しきもの嘆かわしきもので もない。 それは単に悲哀や感傷をそそる段階のものでは ない のである それは同時にまた善なるもの道徳的なる ものでなければな らないのである。. 悲しきもの は生けるものの死滅であり、 その最も深刻 なものは人間やその女化の滅亡や没落である。 しかし単. なる滅亡や没落の現実が必ずしも直ち に悲壮なるものと は常に人間の生存にとつて個値 あるも はならない。 ,それ のの没落であり、 理想的 生存の破滅である。 それは邪な. るもの悪 しきもの の滅亡や没落 ではなくして、 正なるも の善なるもののそれである。 悲壮なるものは古来の悲劇. 作家達が多くの熱術作品に於いてその表現を目ざして来 たものであり、 また人類の歴史的現実の中にも数多く発 見せられるものである。 今二三の実例をとって悲牡なる ものの性 質をあらわにすれば、 九イ王朝の没落やロマノ. フ王朝の滅亡は、 それ等王室の一族にとって は悲劇であ つたかも知れないが、 人類にとっては--少くとも当時.
(6) . 審美活動に於ける人間主義 のフランス民族やロシァ民族にとっては室も悲壮なる出 来事ではなかった。 何故ならこれ等の王朝は単なる ・自己 の権力欲や物質欲の獣的本能の充足のために、 民族全体. を搾取し圧制 し、 農奴化し奴隷化し、 彼等を苦悶させ 膜. 悩させ塗炭の苦しみに落 し入れた暴虐残忍な悪者だった. からである。 このような醜悪なるものの滅亡は悲 劇では なくして単なる痛快事 に過ぎない。 この出来事はむしろ フランス革命史やソ ビエッ ト革命史の叙述の中にささや. かな座席を占めつつ人間主義実現の批美を高める一否定 者であるのに過ぎない。 歴史上の英雄豪傑の死滅や豪族 富豪の没落は単に栄枯盛衰の哀れを止めるの に 過 ぎ な い。 これに反 してソラクテスの毒死やガリ レオの獄死は 限り無く悲壮である。 何故ならソクラテスはギリシャ民. 族最大の哲学者であり、 最高の道徳の体現者であったか. は長く審美者のi 脳裡に鳴りひびきつづ ナる こ と と なる。. 債値あるもの の没落や滅亡、 総じて悲 しきもの、 悲壮な. るものはこのよ うな仕方を通して我々に…悲比美の感情を. 高揚させる偉大な美的対象に轄化するの である。 そうし て我々はここ でもまた悲壮なるものとは我々人間を して 理想的生存、 進化発展を可能なら しめるものであり、 人 間主義の実現 に向って高揚せしめる もの であるこ とを知. つた。 次に第五に滑稽なるものに就いて見る。 一般に 「滑稽. なるものとは合理的なるもの、 理性的なる もの、 観念、 日常的なるもの、 自然的なるもの合目的的なるものに対 する矛盾によって我々を驚かす限りに於いての或るもの である。 しか し驚かされた我々は対象それ自体を通Lて 速やかに正気にかえり事柄や状況の顛倒、 背理を察知し. らである。 また ガリレオもp-マ民族最大の科学者であ り、 最高の失陥gの体現者であったからである。 彼等の死. ′は彼等の体現していた無限に高大な善と虜の偵値の消失. て再び安らかになり統一ある、 熟慮するものとして自己 を取り戻す。 」(話フ ) と定義せられている。 この滑稽な るものは前に遊べた多量の醜なるものの要素と若干の美. の故に、 単にギリシャ民族、 p-マ民族にとって悲痛事 であるばかりではなく、 あまねく人類にとって も悲痛事. なるものの要素からなる美的範嘘である。 それはつまり 虞なるものと偏なる もの、 善なるものと悪なるもの、 美. である。. 滅亡するものや没落するものが我々人間に悲しみの感 情を生起せLめる場合は、 そのものは必らず或る何等か の意味に於ける償値をせおっている。、そうしてそれ等は より高大な慣値を有するものであればあるほ ど、 そこに. 意識せられる悲しみはますます深刻 となる。 悲壮の感情. は特に大いなる贋値あるものの滅亡没落の意識から呼び 起される感情である。 ところ でこのような債 値 為 る も の、 善なるもの、 美なるものの滅亡や没落はそれ自体は 醜なるものであり、 悪なるものである。 明らかに人類の. なるものと醜なるもの、 日常的なる ものと非日常的なる もの、 自然的なるものと不自然的なるもの、 合目的的な るものと反目的的なるもの等々が矛盾的に交錯し混精し 葛藤しつつあるものである。 そうしてそれは外面的には 如上の善美なる ものの様相を装おいながらやがて間もな くその本質である醜悪な 、るもの無贋値なるものとしての 正体が自ら暴露 せられるものである。 例えば街学者や傭. 善者や自称天才が突如としてその馬脚をあらわす場合が これである。 「滑稽の快感とは偉大な るものの統覚に向って準備さ. れた心的力が意外に小なるものの出現に逢って軽く遊戯 理想的生存、 進化発展にとって逆行であり、 人間主義の 的に弛緩する時に感ずる一種 の快感。 勿論その場合同時 否定 である。 このような醜なるもの、 人間主義を否定す る ものが我々審美者に美的感筒を励起L それを美的対 に期待を裏切られた幻滅の感情も伴う。 この両者の融合 、 象とLて意識せしめるのは如何にして であるか それは 、から特殊の滑稽の感情が成り立っ。 かかる心的効果を生 。 前の醜なるものの美的対象への蝉化の論理と同じく 善 ずる鱗件を具えたものが滑稽の対象」ぐ伊藤吉之助編「哲 、 美なるものの否定の否定の仕方を通してで ある 我々審 学小辞典」 滑稽の項) であるとして規定せられ、 例えば 。 美者は偉大な贋値あるもの、 贋なるもの、 善なるもの 大山鳴動鼠 -疋の 現象がこれであるとせられるのも同じ 、 美なるものが贋値無きもの、 傭なるもの 悪なるもの 意味である 、 。 、 醜なる ものとの葛藤や斗零に於いて次第に敗北L衰運に 滑稽なるものは古来の喜劇作家達に依って しばしばそ 向らのを見る時、 我々自身もまた衰運の敗北者と共に苦 の表現が試みられた ものであり、 また人間の歴史的現実 しみ、 共に戦いつつ、 その没落の運命や邪悪な環境に対 の中にも、 悲壮なるものの場合と同様に、 数多くころが して深く悲傷し激しく憤るのであるd かかる悲傷憤激を っている。 ところで滑.糟なるものが美的対象となる仕方 通 して我々 はますます反人間主義的なるものに 対する挑 はどうか。 我々は償値あるもの、 贋なるもの、 善なるも 戦と否定の感 青を励起させる。 特にその破局 死滅に至 の、 美なるものと思われたものが、 その仮面を剥ぎ取ら 、 つては我々の愛情と悲歎の感情は極点に達し 人間主義 ォ が〔無賃値なるもの、 醜悪なるものの本性を暴露しうご 、 実現への最も瀬烈な原動力が奥えられ、 しかもその余韻 めくのを見る時簾勝と幻減の感」 情と共にこれを笑い、 こ. て . ・ ′ . . . ・ ′ , j . ・ 」 , \ ≦ 、 〈 Y く 、 ′ ● f l { ; ′ ′ ● ′ ● ● ● < ● ・ ● ・ ′ . ′ ′ ; ′ ● . ] . 、 ・ { ノ ● ● ) { ● 」 . : 、 ′ r * 、 ′. 、 ′. l . 1 . , 」. . ′ . ′ { ヂ. ●. ′ ; ● ; ≠ ゞ ・ .. ≦ ・ ● { 1 ・ 、 ,. . ● ● 〕 」 ●. ふ く. 、 ′ ′ < ′ ′ ●● ● ; ′ ● ノ 」 く.
(7) . 山 本. 嘉. 太 郎. 類 れを越 えたき衝動を寛・える。 これは我々審美者が慣値あ. 張大な意志であり、 そこか ら考え出された絶対的な人 くがれ行く が永遠にそれにあ 愛の思想に 在る 彼は人類 るもの、 善美なるものを否定 する無贋値なるもの、 醜悪 べき理想的な姿を自ら体現 し、 且つその行罵と思想を通 なるものを否定 して、 理想的 生存の実現に、 人間主義の して彼の後につづく幾億の人々 を理想的人間に教え高め 実現に向うこ とに他ならない。 た。 イエスの超人間的な偉大性は正にこの人類の理想的 滑稽なるものが上のような仕方で一層明白に人間主義 生存、 高揚発展を実現し可能ならしめたことに存するの を実現するのは諏刺やフモー ルの段階に於いて である。 特にフモー ルは有清滑稽とも呼ばれるように、 単におも しろくおかしきものではなく して同時に悲しく哀れなる. ものでも ある。 このフモール なるものは、 それ自身慣値 無きもの、 善美ならざるものでありながらも、 筒贋値あ. るもの、 善美なるものに高まろうとする ものである。 例 えば忠実にして 冷欄な家畜が人間のような道徳的な振舞 をすることや、 いとけ無く可憐 な児童が大人のような善 こo リ ッ プ ス 美な振舞をすることに於いて 見られるようを .諌刺的フモ フモ ル モ ー は譜謹的 に依ればこのフ ールに 、. ← ル、 皮肉的フモール等の種類が考えられる が、 しかし それ等は総じて背懲や醜悪を表現すると共に、 同時 に優 値と善美を表現 し肯定し様とするもので ある 。このよう にして フモrルもまた我々審美者を して人間主義の実現 を志向せ しめるものであることがわかる。. 次に第六に崇高なるものに就いて見る。 一般に 「崇高 なるものとは自身を直接にそれと比較 した時に自身がそ. れ等に対して微小なるものに考え られる限りに於いての すべての 偉大なるもの力に痛ちたるもの張力なるもの で ある。」(註七) と定義せられている。 即ち崇高なるもの とは超人間的に偉大な るもの、 質量共に超絶的に深 大な るもの 永遠無限にして壮巌極まり無きものである。 こ の崇高なるものは前述の狭義の美なるものや醜なるもの の要素を含みつ つそれを遥かに越えたろものであり、 悲. 壮なるものと類似 しつつ これとも次元の異なる美的灘鴫 である。 それは美的諸相の中では最も複雑高次の構造を でもある。 有するものであり、 最高絶対 の債 .値あるもの ところ でこの崇高なるものは古来の宗教家達に依って 求 められ信仰せられて来 たものである が、 また人間や自然 の中にも発見せられ るものである。 今その二三の実例を. 弗典に見える釈 迦の偉大性も、 彼の超人間 である。 またf 思想に存する。 彼は苦悶 広大無辺な大慈悲の な 的 -知慧と. 慎悩しつつ生老病死する衆生の済度を発願し、 非常な苦. 修練行を 通して無上正覚に達 し、 大慈悲の思想を形作っ た。 この彼の思想はその後弟子達を通して発 展せしめら れつつ幾億もの人々に簿わり、 その煩悩を断絶し浬薬に. 導いた。 このように偉大な宗教家人格者と呼ばれ、 超人間的な 聖者として讃仰せられるものは、 何れも皆非凡の知能の 所有者 であると共にその深大な思想によって無限に人間 の理想 的生存、 進化発展を善導 し促進 したものである。 聖なるもの、 それは我々人間に神 聖の体験をもたらし、 強い感動と深い信仰を呼び起すもの、 は実はこのように 我々人間がそれを永遠に仰堕し行くべき至高至善の生存 の姿を実現し、 且つ我々をL て最も力張くその実現に進 ませるものなのである。 つまり聖なる ものとは実は我々. 人間をして最も力 強く理想の人間主義の実現を可能なら しめるものなのである。 更にもう一つ崇高なるものの例としての強大な大自然 に就いて 見よう。 浩蕩たる海原や蛾々たる連峰が牡美な るものとしてしばしば挙げられる。 しかし最も深大な自. 然はこの我々 人間を包む諸世界全体としての宇宙であろ う。 現代の偉大な科学者達はその倦むことの無い 探究に 依って、 宇宙の深淵に認識の光明を照らしこ み つ つ あ る。 徴硯的にも耳硯的にも次第にそ・の全貌を明らかにし 長大宇宙 像はその最 つつある。 相対論的、 目閉球状的膨= 十億光年 されたのは半径約 新の成果である ここに確認 の自閉塞間内にはば一定 の距離を保って一様に分布する. 一千億個以上の星雲が不断に運動発展しつつ相互に速度. 取り上げてその性質を調べて見る。 バイブルに現われて . い るイエスとその思想、 悌輿に現われている釈迦とその. 思想は崇高なるもの であるが、 それ等は如何なる性質に 因って我々をして非常 な感歎と崇敬の 念を湧き起させ、 縄対者としての神や,悌の姿として光明を放つ様に見える. 距離の法則に従って 後退 しつつあるところの動的宇宙 で ある。 それは しかも整然た る存在の理法に速かれて 発展 しつつある見事に完全な続}的な全一体である。 我々は このように峯間時間的に限り無く深大に して牡巌極り無 い大宇宙の 姿に接して測り知れない驚歎と畏敬の念 で充. のか。 バイブルに見えるイエスの偉大性 は十字架上の苦 悶に堪えて も人類をその堕罪から救済しようと した強大 な意志と十二使徒に啓示せられ、 や がて幾億もの信徒に. たされる。 この深 大な宇宙は永劫の過去から未来に向っての不断 の運動発展の一過程に於いて我々人間を 出現させ、 進化. 樽達せられてこれを神の子たら しめた永滋不滅の思想に 存する。 イエスの絶対者たる資格は、 その完全な知能と. させつつある ものである。 我々 がこの宇宙の贋相を認識 し、 その発展の理法を認識することはやがて宇宙に於け. ー 6 -.
(8) . 審美活動に於ける人間主義 る我々人類の存在の理法を自覚することであり、 当篇と 運命とを自覚することでもある。 そうして我々が自身と ′とは、 我 自身の生存を包み支える宇宙を・深く認識するこ. 我人間の理想的生存の仕方を知りこれを実現することで もある。 ただこの宇宙は我々人間にとっては余りにも超 絶的に深 大であり、 時室的に永遠無限の構造を有するが 敵に、 我々の眼前に驚倒すべき壮厳無比の絹対者として 立ち現われ、 我々をしてその前にひれ伏したい衝動を奥. えるのである。 何れにもせよ崇高なるものもまた、 それ 自身或る何等かの意味に於いて人間の理想的生存を実現 するものもしくはこれと関係あるもの であり、 且つ我々. 衆と共に息づまる如き興奮と陶酔にひたりつつこれを鑑 賞する時に、 最も強烈に美的感動を体験することができ るはずである, このように一般に美的感情、 美的感動と. 云うものは、 常に審美者と美的対象とが極めて快適に調 和的に相互に作用 し関連 し合う場を形作ることに依って 始めて力強く生起するものである。 青に縮たされ 我々人間が快適な場の中で快く梁しい感- て生きることは、 そのまま 人間の理想的な生存を営むこ とを意味する。 が特に美的対象に接 し、 これに刺戟され これに励起されて美的感情を興奮させ美的感動を体験す. ることは一層高次の快楽であり歓喜である) 前にも述べ. 実 が明らかにせられたことと思う。. たように我々がそれに快楽と歓喜を知覚する生存の仕方 rつつある生存であ は、 即ち理想的生存進化発展を実現し. するために美意識、 つまり我々審美者の美的感情が如何. は過去に於ける十億年以上にわたる悠久の進化の歴史を. なる場に於いて生起するかに就いて今少しく考察を進め. 経由 して、 その間に常にどこまでも生存し進化し発展し. 審美者をして人間主義の実現に向わしめるもので ある事 さて以上に於いて美的範壕、 美的対象の主要なものに 就いて一通りの考察を試み たが、 筒我々の考えを確実に. ておく。 我々が広義の美なるもの即ち美的対象を認識 し てこれに感動 し美的 感情を生起するためには、 我々自身. が先ずこのような美的なるものを詔聡乾する能力も しくは 感受する能力を具足しておらなければならない。 如何に 力強い美的対象であっても、 審美的知能を炊く者にとっ. り、 反対にそれに不快と苦痛を知覚する生存の仕方は反 理想的死滅、 衰退滅亡に向いつつある 生存である。 我々. ようとする本能的絶対的連動をせおい、 しかも筒これを やみ難い快楽への本能をもって促進するように運命づけ られている。 もちろん快楽に溺れる場合には自身の衰退 滅亡を招くことは事実であり、 しかしそれは単なる振生 現象である。 人間が美なるものを探究しこれを創作して. てはそれは非美なるものとして塞しくうつろに映写せら. これに感動Lようとする活動は実に如上の縄対運動に裁. れるだけである。 如.何なる名曲も書痴の者にとっては難 音にしか闘え ない し、 如何なる女嚢の傑作も文盲の者に とっては正しく読解されることができない。 我々審美者. くものである。 整備はこの縄対運動から出発 して、 美な るものを作り上げ、 それを通して人間に快楽と歓喜をも. が美的対象を意識しこれに感動することは、 我々の大脳. 及びこれに連絡し共助する諸器官の活動 である。 それは. 我々人間の身体の営みであり、 その生存活動の一側面に 他ならないo ところで我々人間の生存活動は必らずそれを可能なら しめる一定 の僻件が具わった場の中に於いて始めて 営ま. れる, なかんづく最高中枢である大脳とこれに密接に連 なる感覚器官との共鋤に依って 営まれる意識活動のすべ ては、 全身体が健全且つ快調 子であり、 その上にこれを 包む自然がこのために快適な場を形作っておらなければ. ならない。 特に精密な学的認識活動や微妙な審美活動を 営む場合に於いてそうである. 即ちどのような名手の奏 でる妙なる調べであっても、 病傷に苦悶しながらこれを. 聞けば、 それは騒音の如くす こ苦痛を増すばかりである。 またどのような名優たちの力徹する演劇や舞踊であって も北極の氷上に於いて唯--人でこれを眺めても何等の美 ‐的感動をも覚えないであろう。 ただ我々はこれ等の美的. 対象を、 十分に準備された大劇場の舞台に於いて 多彩 、 鮮美な照明と背景に於いて力歯せられるのを、 満場の観. たら し、 人間・をして人間主義の実現に向わせるために生 れたものである。 ところで個体発生的にも系統発生的にも我々人間は縄 えず生長発展し進化高揚しつつあるもの であり、 その知 能や技術に於いても不断の進化発展が起りつつある。 そ. うして人間の審美能力もしくは塾術の創作能力も進化発 展するものであり、 美的対象もそれに願じて愛化し行く. はずである。 即ち どこまでも永遠無限に絶対に不藁不動 の美なるものと云う如きものは考えられない。 たしかに 古来の秀れた整備作品の中には偉大な偵値を有するもの もなくはない。 が然しそれは鰹術作品としての優秀性の 故に比較的に長き生命を有すると云うことに過ぎない。. 学的員理が学者達の不断の研究努力に依って単純低次の ものから複雑高次のもの、 特殊的なものから普遍的なも のへと蔓化発展し行くのと同様に、 美なるものもまた美. 学者や聾術家の倦むことのない研究努力を通して蔓化発. 展するものである。 しかしこのような美なるものの進化 発展は人間の進化発展のためには必然的なものである。. 人間が知情意を完全に調和的に具足する理想的人間に高 まるためには必然的にかかるよ り高度の美なるものの発.
(9) . 山. 本. がよ り美なるも 見と創造とが必要となる。 ・ かくて 美学者 のを審判し聾 術作家がこれを創作しようとする活動は、 生産者が生活によ り必要な財を 生産し、 立法者がより正. 善なる律法を立て、 学者がより高次の昌雄を探究するの と全く同様に、 人間の理想的生存の実現、 人間主義の実 現への努力に他ならない のである。 l l hi oso ・ ) en 註一 Ri r著 W6rterbnch der phi s e sc l. 嘉. 太. 郎 i k の項 i任e Begr t e , A証l. 善 謙二. 謡三. 同 . 上. Hを明l i che の 頃. ‐ 「美学」 201頁 阿部次郎著. 話四. Ei l l燈n t erb 1( s c er P1dl 08 0 ser著 Wるr ・縦1 )hi 1 T Begr A ia t l u の項 e l l u ,. 譲五. 同. 上. 謎六. 同. 上. 謎七. 同. 上. Tmgi l s c l e の項 Komi s che の 項 賦r l l abene の 頃.
(10)
関連したドキュメント
「文字詞」の定義というわけにはゆかないとこ ろがあるわけである。いま,仮りに上記の如く
問についてだが︑この間いに直接に答える前に確認しなけれ
私たちの行動には 5W1H
身体主義にもとづく,主格の認知意味論 69
わかうど 若人は いと・美これたる絃を つな、星かげに繋塞こつつ、起ちあがり、また勇ましく、
福沢が一つの価値物を絶対化させないのは、イギリス経験論的な思考によって いるからだ (7) 。たとえばイギリス人たちの自由観を見ると、そこにあるのは liber-
そこで、本研究では断面的にも考慮された空間づくりに
緑の区間の河川改修が大幅に遅れた要因は,1986年に