• 検索結果がありません。

野間宏「青年の環」における全体小説論について:―全体小説論の「社会」のあり方をめぐって―

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "野間宏「青年の環」における全体小説論について:―全体小説論の「社会」のあり方をめぐって―"

Copied!
80
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)平成二十二年度 兵庫教育大学大学院学位論文. 野間宏﹁青年の環﹂における全体小説論について. ll全体小説論の﹁社会﹂のあり方をめぐってll. 教科・領域教育専攻. 言語系︵国語︶コース. MO8146A. 中西英二.

(2) 目次.

(3) 凡例. はじめに⋮⋮. 第一部﹁青年の環﹂の全体小説論. 1. 2. 2.  第一章 全体小説論とは何か⋮:  第一節  ﹁青年の環﹂のあらすじ⋮. 4.  第一節. 高二章. 心理面において⋮⋮::・. 生理面において⋮⋮・⋮⋮. ﹁青年の環﹂は全体小説の三つの側面をとらえることができたか::. 34. 31. 26. 24. 24. 22. 18. 17. 17. 10. 8. 7.  第二節  ﹁青年の環﹂成立年譜⋮⋮. 先行論文に関して⋮⋮⋮⋮⋮::・::⋮⋮⋮⋮・:.  第三節  ﹁全体小説﹂を構想した初期の野間のことば⋮⋮⋮  第四節.  第二節. 社会面において⋮:・.  第五節  ﹁青年の環﹂弟一部・二部までを書き終え、中断から完成までの流れ:.  第三節. 第二部 小説の中の﹁社会性﹂について  第一章  ﹁青年の環﹂における社会状況の描写⋮   第一節  ﹁青年の環﹂の小説の中の描写::・.   第二節 社会状況を描写するその他の表現⋮::   第三節 全体小説を完成させたストーリー性について:  第二章  ﹁青年の環﹂以外の小説の中の社会性::.

(4)    二.    一.  第三節.    三.    二.    一.  第二節.  第一節.  ﹁旅愁﹂の中の社会的表現⋮.  ﹁旅愁﹂の社会性⋮:・. 横光利一の﹁旅愁﹂について⋮⋮⋮⋮⋮−:・:⋮−⋮⋮・.  ﹁青年の環﹂と﹁夜明け前﹂の社会面の類似点と相違点について:.  ﹁夜明け前﹂の社会的表現⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮::⋮.  ﹁夜明け前﹂の社会性⋮⋮⋮⋮⋮⋮−・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:. 島崎藤村の﹁夜明け前﹂について⋮−:. 小説の中の社会性について⋮:・. ﹁青年の環﹂の中における﹁社会﹂の表現の構造::.    三  ﹁青年の環﹂と﹁旅愁﹂の社会面の類似点と相違点について・.:・: 国三章.  第一節  ﹁青年の環﹂における具体的表現を通して⋮⋮:. 第三部 野間の﹁社会﹂のとらえ方の変化  第一章 社会問題としての部落問題⋮⋮⋮⋮⋮⋮−・⋮⋮⋮⋮:.   第一節 部落問題の中心的課題⋮:   第二節 島崎の解放運動のあり方⋮  第二章 第三部以降の﹁社会﹂にかかわる登場人物のあり方:  第三章  ﹁青年の環﹂における登場人物の造形⋮・. 34. 35. 35. 36. 39. 42. 42. 45. 46. 49. 49. 52. 52. 55. 56. 59.

(5) 第四部 サルトルの哲学思想と﹁青年の環﹂.  第一章 サルトルの思想が青年の環にどう反映されたか⋮⋮・・.   第一節 まなざしの問題⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮⋮・.   第二節 アンガージュマン︵人間が世界に能動的に関わっていくこと︶の思想⋮   第三節 実存主義思想の実践⋮⋮−・.   第四節 個人的実践による全体への乗り越え︵構成マルクス主義の、いまだ﹁ない﹂未来に向かって.       乗り越える考え︶⋮⋮⋮⋮⋮⋮−・⋮⋮⋮⋮⋮⋮−・⋮⋮⋮⋮⋮⋮−・⋮⋮⋮⋮⋮.   第五節 サルトルの集団論︵実践によって結びつき、 一つに解け合う溶融集団︶:・・. 結論⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮. 62. 62. 63. 64. 69. 70. 71.

(6) 凡例 一、 本文の引用に当たっては﹃青年の環﹄五巻︵岩波文庫、.   を用いた。 二、 引用部分の出典については、引用部分の末尾に付した。. 一九八三年一〇月∼一九八四年二月︶.

(7) 野間宏﹁青年の環﹂における全体小説論について. ーー全体小説論の﹁社会﹂のあり方をめぐってーー.

(8) はじめに.  野間宏は、小説﹁青年の環﹂を原稿用紙五千枚にも及び、一九四七年から二十三年間という歳月をかけ、完成. させた。この作品を書くにあたって、野間は﹁全体小説﹂という小説の方法論を掲げた。これは、フランスの作. 家ジャン・ポール・サルトルが用いた﹁ロマン・トータル﹂というフランス語の邦訳名で、人間を生理・心理・. 社会のあらゆる面にわたって追求し、その統一体としてあますところなくとらえようとするものである。それま. での日本の小説がわずかな例外を除いて、狭い枠組みの中で作家の身辺のみを描いてきたという反省から、社会. に対して開かれた視点をもった小説を創造していくことを野間は構想したのである。これは作家としての野間が. 戦争を体験し、それにどう向き合うかを迫られ、時代の歴史性︵﹁全体小説﹂でいう社会をさす︶を無視しながら. 小説というものを創造することの限界を感じたからである。では、この﹁全体小説﹂を掲げた野間は本当に﹁社. 会﹂というものを取り入れ、小説を創造することができたのであろうか。これを考えるには﹁青年の環﹂を第二. 部まで書き上げて一時中断したことを見なければならない。なぜなら、﹁青年の環﹂全体が第六部まであるが、中. 断した第二部までと、十数年後再び書き始めた第三部以降では小説の方法に変化が見られるからである。小説の. 中の具体的な表現を取り上げながら、野間が﹁社会﹂というものをどのようにとらえ、変化させていったのかに ついて考察していく。. 1.

(9) 第一部. ﹁青年の環﹂の全体小説論. 第一章 全体小説論とは何か 第一節  ﹁青年の環﹂のあらすじ.  ﹁青年の環﹂は一九三九年︵昭和十四年目の梅雨時IIつまり日中戦争がようやく烈しくなり、欧州では独ソ. 不可侵条約が結ばれている時期から、三ヵ月後のドイツ軍によるポーランド侵入がおこなわれた直後の時期まで の、世界が第二次世界大戦に突入する前夜を時代背景としてもっている。.  大阪市役所社会部融和事業担当の矢花正行は、部落解放運動の指導者松田喜一とともに部落の生活改善に取り. 組んでいる。部落解放運動を自らの課題とする矢花は一方で京都大学時代からの仲間と人民戦線運動にも参加し. ている。矢花は常に自分がいつ警察から検挙され、自らが歴史に飲み込まれることになるのかを怖れ、生きてい. る。大道出立は、自ら運動から離脱したものとして、実存主義的な立場に生きようとする。その大道には彼が願. 使する田口吉喜がいる。田口は当初、大道が喜ぶことを行い、大道からお金をもらっていたが、大道が性感染症. にかかっていることをゆすりの種にし、しだいに関係が逆転していく。また、田口は大道の妹陽子が舞踊研究所. の先生と関係をもっているという事実無根の内容を世間にばらまこうとし、口止め料として金を巻き上げようと. する。なんとか田口の息の根を止めようとする大道は父親敬一に相談するが、父親はあまり関心を示さない。父. 親は日本を代表する電力会社の役員であり、言うならば資本主義社会を代表するものである。その父親が田口に. はあまり近づかないようにと大道に言う。さまざまな矛盾に対して大道は、徹底的に追及し田口という人間が何. なのか暴いていこうとする。そして、大道の父親が、以前田口の妻さき子と関係をもっていて、田口にその後押. 2.

(10) しつけたということ、またその事実を後に知った田口が敬一から金をゆすり、広告会社の設立を取り付けたこと、. また、さき子の実家内山酒造では、さき子への敬一の処遇に対して、敬一から内山酒造再建への出資をしてもら っていることなどが、大道の論理的な意識の追究によって明らかとなる。.  大道出泉は父親敬一に対してこれ以上の汚稼は重ねないように忠告する。.  中淀の部落では、島崎や矢花を中心とする経済更生会と、地元の高利貸しである亀多田たちが乱闘寸前という. 状況にある。経済更生会をつぶそうと目論む亀多田派は、経済更生会側から乱闘を起こさせ、警察に取り押さえ. てもらおうとし向ける。しかし、部落解放運動の指導者島崎は、経済更生会の仲間に運動論を展開し、決して誘. いに乗らず、部落住民全体を巻き込んだ運動をする。住民が道沿いにカンテキを焚き、経済更生会側の陣営を守. ろうとした。しかし、亀多田派の人間がすきをねらい、襲撃してくる。危うく崩れそうになる経済更生会側であ. ったが、その時、事態は急展開する。北区の右翼の部落出身者である羽烏という人物が、日頃から矢花に好意を. もち、亀多田の行いを押しとどめるため、亀多田の胸をナイフで刺す。これがきっかけで乱闘寸前まで行く。.  大道出鉱は、田口に汚磯を重ねることをやめるように話すが、逆に矢花の人民戦線運動への関与を警察にもら. すと脅し、矢花の母親の店を乗っ取るとまで言い、再び大道出泉をゆすろうとする。大道出面は田口を絞め殺し. ﹁社会﹂というものが見えるように思えるのだが果たして小説全体. て、ピストルで頭を撃ち自殺する。息子を失った大道の父親は電力業界から去り、汚稼を重ねることをやめる。.  以上のようにあらすじを取り出してみると を通して実践されているのであろうか。. 3.

(11)  第二節  ﹁青年の環﹂成立年譜. 次の年譜は、河出書房新社編集部の田辺園子によって書かれたものをもとに、中西が改編したものである。.     一九四七年      六/七/九月号︿近代文学﹀﹁華やかな色どり﹂                十/十一/十二月号︿近代文学﹀﹁魂の煤煙﹂     一九四人年      二/三/五月号︿近代文学﹀﹁現実嫌悪﹂.               八月号︿文藝﹀﹁炎に追われて﹂               十/十一月号︿新文学﹀﹁小無頼﹂﹁化粧﹂.               十一月号︿丹頂﹀﹁盛り場の店﹂. ︿文藝﹀﹃青年の環﹄第二部にあたる部分を発表。. ︵二︶と改められた。. 刊行。この際﹁華やかな色どり﹂は﹁色彩﹂に、﹁魂の煤煙﹂は﹁煤煙﹂︵一︶. 一九四九年四月二十日 既発諸分に加筆し、三部作﹃青年の環﹄第一部として、河出書房より単行本を. 一九五〇年. 一月号﹁美しい夜の魂﹂ 二月号﹁投網﹂. 三月号﹁邪教徒﹂ 三月号/四月号﹁破行﹂︵一︶ 四月号﹁破行﹂︵二︶ 五月号﹁徴丘ハ忌避﹂. 4.

(12)           六月号﹁皮の街﹂ 一九五〇年五月三十日︿文藝﹀連載分に、 さらに﹁歴史の臭気﹂、﹁市民館﹂.          の環﹄第二部とし、 河出書房より単行本を刊行。. 書き下ろし長編小説﹃真空地帯﹄. の二項を書き加えて、﹃青年. 一九五二年. 長編小説﹃さいころの空﹄︵︿文学界﹀連載︶. このあと作者は﹃青年の環﹄の執筆を中断。. 一九五九年. 長編小説﹃わが塔はそこに立つ﹄︵︿群像﹀連載︶を刊行。.  ﹃青年の環﹄は五部作・全四巻として刊行されることが決まる。. で︶. 小事﹂︵九月号より十二月号まで︶、﹁表と裏と表﹂︵一九六四年一月号より四月号ま. ﹁別離﹂︵一月号より四月号まで︶、﹁肯定 否定﹂︵四月号より人月号まで︶、﹁大淀. ︵七月号より十月号まで︶、﹁立ちん棒だちと﹂︵十月号より一九六三年一月号まで︶、. により休載。連載分は﹁舞台の顔﹂︵一九六二年三月号より六月号まで︶、﹁眼の中﹂. の環﹄第三部の連載を再開。連載は一九六四年四月号まで続いたが作者の病気入院. 一九六二年三月号より、それまでしばらく休刊していたく文藝﹀が復刊し、﹃青年. 一九六二年. 九六五年夏. 一九六六年一月十四日 青  年  の  環  ﹄  第  一︵ 巻第一・二部︶﹁華やかな色彩﹂を河出書房新社より刊行。﹁色  目   . 彩﹂の項は﹁華やかな色彩﹂に、﹁煤煙﹂︵一︶︵二︶←﹁煤煙﹂、﹁小無頼﹂←﹁無. 頼﹂に改められ、新たに﹁血とつながり﹂、﹁親と子﹂の二項が書き下ろされ、既. 5.

(13) 九六六年三月五日. 発表部分は、全編削除。ことに﹁濫行﹂︵二︶は大幅に加筆。.  ﹃青年の環﹄第二巻︵第三部︶﹁舞台の顔﹂を刊行。長い中断の後、執筆を再開.  したく文藝﹀の連載分第三部は、全編加筆され、﹁大淀 小淀﹂←﹁中淀 小.  淀﹂と改め、新たに﹁二つの空気﹂、﹁﹃何処から﹄論議﹂、﹁一つの疑惑﹂の三.  項が書き下ろされ、さらに前年の夏、穂高で執筆されて︿新日本文学﹀︵一九.  六六年一月号︶に発表した﹁小悪党またはちんば哲学﹂の項もこの巻に収録さ  れた。. 九六六年六月二十五日  ﹃青年の環﹄第三巻︵第四部︶﹁表と裏と表﹂を刊行。︿文藝﹀発表分の﹁表と.  裏と表﹂の項は大きく改訂。この項以外は全章、書き下ろしである。第一章の.  二項目は最後に書き下ろし追加された。.  一九六七年一月号より翌年二月号まで、野間は︿新日本文学﹀に﹁サルトルの  小説論と想像力論﹂を連載。. ﹃青年の環﹄第五巻﹁炎の場所﹂を刊行。全項目書き下ろし。. 九 六八年老n月二十五  日﹃青年の環﹄第四巻﹁影の領域﹂を刊行。全項目書き下ろし。 一. 一九七一年一月十三日. 部落解放同盟が中心となり、野間宏を囲む﹃青年の環﹄完結記念レセプション. カイロで開かれたA・A作家会議第十回常設事務局会議で、﹃青年の環﹄をは. 及び講演会が催された。. 一九七一年六月三十日. 九七三年一月六日. じめ、野間宏の創造活動に対して第四回ロータス︵LOTUS︶賞が決定。.  よ  っ  て  中  断  し  加  筆  す  る  中  このように、﹁青年の環﹂は、野間に で  完  成  さ  れ  た  が  、なぜ、中断されなければならなか つたのか、また、それによって作品  が  ど  の  よ  う  に  変  化  し  て  い  っ  た  か 、考察していく。. 6.

(14) ﹁魂と肉体と社会の結合﹂︵﹁新日本文学﹂一九四七年六月第七号︶. 第三節  ﹁全体小説﹂を構想した初期の野間のことば  戦後、野間によって最も早い時期に出された には次のようなことが述べられている。.  しかし現在自分が文学にかえってきたとき、ジッドの姿は再び僕が乗り越えるべき人間として立っている. のである。僕は﹁背徳者﹂と﹁狭き門﹂と﹁コンゴ紀行﹂という三つのものを考えている。﹁背徳者﹂は肉体. の探求であり﹁狭き門﹂は魂の探求であり﹁コン。コ﹂及び﹁ソヴィエト﹂は社会の発見である。そしてこれ. ら三つのものが同時に行われるときのみ、はじめて真の人間の探求は行われるのである。           ︵中略︶.  現代の新しい文学は、過去の文学のすべてのすぐれた要素を、統一しなければ、解決点を見出し得ないと いうことは明らかである。           ︵中略︶.  僕はこの世界文学の解決に参加する。しかし、僕の場合には、近代文学史という、じつに狭い、みじめな、. しかし僕を縦につらぬくものがある。僕はそのなかで、透谷まで引き返したい。二葉亭といわず、透谷とい. の統一が戦後の文学の. うのは、透谷のみが、日本文学に於いて魂の追求を行ったからである。︿日本文学は未だ魂の追求に達してい ない。﹀と。.  フランス文学の影響を受けた野間はジッドの作品から三つの要素︵肉体・心理・社会︶. 目指すところだと考え、﹁全体小説﹂の方法論を実践した作品が﹁青年の環﹂といえる。. 7.

(15) 第四節 先行論文に関して ﹁青年の環﹂と﹁全体小説論﹂についての主な先行論文として、次の四つがある。. ①﹁生と歴史の磁場﹂︵竹内泰宏﹁すばる﹂一九七一年五月第四号︶. ②﹁長編︽青年の環︾の表現と主題﹂︵杉山康彦﹁文学﹂一九七二年三月号、五月号︶ ③﹁全体小説と﹁日本のレアリテ﹂L︵尾末奎司﹁文学﹂一九七二年十月号︶. ④﹁﹃青年の環﹄と全体小説﹂︵大江健三郎野間宏﹁文芸﹂一九七一年三月号︶  これらの先行論文の要旨をまとめてみた。.  ①においては、全体小説とは何かについて、どのように野間自身によって作品を通して実践されているかを. 述べている。人間の内面を描くという方法や人物の自由をいかに実現しながら神の視点を排除するかなど全体. 小説のあり方について書かれている。また作品の終末部にあたる部分では不平等な社会の姿を描くことによっ. て野間自身の社会の視点が示されている。また、作品の価値は歴史にいかなる価値をもたらしめたのかによっ て最終的に決まるというようなことを述べている。.  ②においては、意識の底に下りていく方法について、作品の具体的な場面を取り出している。大道にしても. 矢花にしても自分がいま何を欲しているのかがすぐにはっかむことができない。しかし、一つのことばやしぐ. さから無意識的に次々と連想を重ね、自らの根源的な欲望の部分までたどりつく。また、大道出泉が自らの意. 識を追求していく場面のあり方についても述べられている。この場合は意識的に顕在化し実践化している。そ. して行動にまで至る。最後に興味深いのは全体の視点ともいうべき︿戦争﹀について、作品の中でいかに描か. 8.

(16)  れているかが述べられている。個々の具体的な表現も取り上げられているが、特に注目すべき内容として、青.  年の環では暦日表現が使われていない。独ソ不可侵条約ということばは出てくるが、 一九三九年という具体的.  な暦日表現は使われていない。これは、野間が全体小説の全体は何かを﹁サルトル論﹂の中でも述べているが、.  現実の全体に対置される小説は巨大な現実の全体と等価で、巨大な虚構の全体であるということだ。すなわち、  具体的な暦日を示さないことで現実ではない虚構性を保っている。.   ③においては、野間自身の全体小説を書く意味が述べられ、日本の﹁家﹂の問題、二〇〇〇年の部落差別の.  歴史の問題、部落のなかから生まれてくる反社会性に対する問題等、﹁青年の環﹂において野間の追求した日  本のレアリテの問題が述べられている。.   ④においては、大江自身が野間の青年の環がいかに全体小説として優れているかを述べ、登場人物が作品が.  進むにつれ、深まっていくことが述べられている。また、歴史的現実の時間とフィクショナルな時間、空間を  原稿用紙の裏と表にいかにおいていくかという問題について述べられている。. 以上が主に﹁青年の環﹂における全体小説論に関して書かれた主要な論文であるが、特に②の全体小説の中で社. 会につながる歴史性の問題を扱ったところが、私自身の興味をもつ部分である。杉山氏は﹁青年の環﹂という作. 品を肯定的にとらえ、野間が全体小説として成功しているのは、登場人物を決して作者の意図的な都合で動かす. のではなく、登場人物の欲望の発するところがら、ストーリーを進めているとしている。これは、全体小説の要. 素の一つである﹁社会﹂を表現する上においても、同様に欲望の発するところがらとらえられていると杉山氏は. 述べている。そして、﹁戦争﹂という歴史的時間についても同様にとらえている。杉山氏の論文には、﹁戦争﹂に ついて次のように述べられている。.      戦争は矢花の心の奥底から翼を得て飛翔する。戦争はそういう外の天空のものとなり、天空の高みか.    ら人間を襲うものとなる。このようにここでは戦争をたんに外部のものでもなければ内部のものでもない。. 9.

(17) そのうす気味わるい為体の知れない、外部のものである戦争は、作中人物をその奥底から根こそぎゆさぶ. るものである。︽青年の環︾ではそういう戦争が、この小世界のまわりをひしひしととりまき、その小世界. が、そういう戦争の上に宙づりに浮き出している。︿戦争﹀はそういう形で全体をかいま見させる。.  このように杉山氏は﹁外部のものである戦争は、作中人物をその奥底から根こそぎゆさぶるものである。﹂と. 書いているが、この社会状況を表す﹁戦争﹂が、本当に作中人物をさぶるものとなっているのだろうか。私自身. は、杉山氏のその部分に疑問をもつ。野間自身も、自らの評論﹁サルトル論﹂の中でも触れているが、戦争とい. う歴史的時間が日常時間に侵入してくる、その時、作中人物がどう行動するかを迫られるというような内容を書. いている。この歴史的時間である﹁戦争﹂について、作中人物に本当に影響を与えているといえるかどうか、疑. 問に思う。野間自身の全体小説論のテーマでもある﹁社会﹂が、追求されているといえるのであろうか。.  これを考えるには、具体的な社会についての表現を取り上げ考える必要があるが、その前に、野間が﹁青年の. 環﹂の二部までを書き上げた後、中断をするが、その後再び書き始めてからの内容とは大きく変わっていること に注目し、その内容をまず検討していきたい。. 第五節  ﹁青年の環﹂第一部・二部までを書き終え、中断から完成までの流れ.  野間は、﹁青年の環﹂を第二部まで書き終えて、中断せざるを得なくなった。後に出版された評論﹁サルトル 論﹂の中で、全体小説のあり方について野間は次にように述べている。.    作者が登場人物の基本的な特徴を作り、おおまかな物語の筋に沿って展開していく。しかし、登場人物は. 10.

(18)   時には作者の思惑に反して自由な行動をとる。作者に挑戦するかのようである。それに対し、小説家が決定.   論をもって作中人物そのものを拘束し、その意識内部はもちろんその外部も、さらにまたその他あらゆるも.   のを決定し、限定するあり方が問題となってくる。サルトルは自らの小説においてできるだけ人物の自由を   保障しようとしたが、その結果、小説の全体を作り出すことができなくなった。.                                    ︵﹁サルトル論﹂一九七七年一月︶.  このように、野間は小説のあり方について述べ、同様な小説を試みたサルトルについてふれている。サルトル. には全体小説論を実現するために試みた長編小説﹁自由への道﹂という作品があり、その作品が未完に終わらざ. るをえなかったのは、小説全体をとらえつくす作家の眼をもてていなかったと野間は考えている。登場人物の自. 由を保障しながら、かつ小説を未完に終わらせない﹁ひとまわり大きな眼﹂をもっことも必要であると野間は言 っている。.  それでは、野間自身の作品﹁青年の環﹂ではどうであったか。  ﹁青年の環﹂第一部の第一章には、.   彼は彼女に一言も言葉をかえすことも出来ず、全くなすことを知らないもののようにじっと彼女の顔に眼を.   注いでいた。と、彼女の眼は彼の顔の上にほんの瞬間あらわれ出た苦しげな表情を敏感によみとった。彼女.   の眼が彼の眼をじっと見据えた。そして彼女の顔の上にも、彼のその表情に反応する硬ばった筋肉の動きが.   ちらと動いたようであった。そして二人は、以前は互いに恋人同士でありそれが余り面白くない別れ方をし.   て、いまはむしろ逆に敵対に近い感情を抱き合ってきたもの達が落ち合ったとき、どうしてもすごさなけれ.   ばならない最初の気まずい一瞬が二人の心の中をしめつけるようにして通り過ぎるのを感じていた。.                                  ︵第一部 第一章  ﹁華やかな色彩﹂︶. とある。矢花正行がかつての恋人大道陽子を見る様子を、生理面と心理面を中心に描いている。このような筋肉. 11.

(19) の動きまで細かく描写するこだわりが、全体を見失わせているのではないかと思われる。筋肉の動きまで描写す. ることにより、人間の心理状態まで理解することができるという全体小説としてのこだわりである。確かに、全. 体小説を実現するためには、細部にわたる記述が必要かもしれない。しかし、結果としてこのように、第一部・. 二部では全体小説が、分析的になりすぎてストーリーがすすまなくなってしまい、中断せざるをえなくなったと 言える。.  また、矢花正行に対する大道出血の人物設定が弱すぎたことも原因があり、作者自身は、.   ﹁ええ、大道出島が最初少しかるすぎて、もう一人の主人公矢花正行と重さが釣り合わなかった、そのため.   に二つの焦点を持っている楕円がいつまでも環にならない感じがしたのが、途中で書くのをやめた大きな理   由です。﹂.     ︵渡辺広士﹁﹃青年の環﹄完結の野間宏氏に聞くlーチンバ哲学から腐敗哲学へ﹂一九七一年三月一日︶. おおまかに項目ごとの. と述べている。作品のストーリーを展開させ、完結させることの難しさを感じ中断に至った。.  それでは次に、第一部・第二部までのストーリーの展開はどのようなものであろうか。 内容を示してみると、. 第一章. 炎に追われて 病気に苦しむ大道出現。. 華やかな色彩 大道陽子の舞台を眺める矢花正行。.             項目     内容 第一部. 第二章. 12.

(20) 第二部. 第三章. 第四章. 第五章. 現実嫌悪. 盛り場の店. 小無頼. 煤煙. 大道出雲と恋人紅村沢子の会話. 左翼グループの活動にいる矢花正行. プレイガイドの店を立ち回る矢花よし江. 実存主義思想を深める大道自暴。. 大阪市役所内での矢花正行の様子。. 矢花正行と恋人芙美子の会話。. 化粧. 美しい夜の魂. 正行の、陽子に対する欲望と芙美子に対する思いの葛藤。. 矢花よし江とその家族の様子。. 投網. 矢花よし江の信仰の様子。. 家の中. 邪教徒. 出泉に従う田口吉喜の様子。. 気をつけるようにほのめかされる。︶. へ通っていることを暴露される。②出泉は大野から田口とつきあうことに. 喫茶ローズで大野金舟と小山と出町と田口の話。︵①出泉は小山に大宮病院. 破行︵一︶ 肢行︵二︶. 皮の街. 歴史の臭気 市民館. 13.

(21) 以上が、. 初版で出され、後に中断された項目である。以下は再開された後、 付け加えられた項目である。      ︵破行︵二︶の次項目として加えられたもの︶.      徴兵忌避     田口と小山の戦争へ行かない話。      血のつながり   大道出泉の出生にまつわる話。. ︵市民館の次項目として加えられたもの︶. 親と子. 以上、おおまかに内容をまとめてみた。第一部・第二部では、時間の流れとしては停滞している。状況・人間関. 係・意識等についての変化もない。﹁青年の環﹂の主要人物である矢花と大道のそれぞれをめぐる状況を提示した. のみとなっている。矢花に関しては、元恋人である陽子との関係・職場での様子・母親よし江の様子・自らが係. わる左翼グループの様子・恋人である芙美子との関係が描かれている。大道に関しては、自らの病気に関するこ. と・自らの思想に関すること・恋人紅村沢子との関係・大道の連れである田口吉喜の様子・大野金面と小山の登. 場が描かれている。これらから言えることは、登場人物がそれぞれ、独立した形で描写されたにすぎず、ストー リーを展開させるための、時間の流れや状況・人間関係・意識の変化等はない。 第一部・第二部を書き終えて、中断した理由について、野間は次のように述べている。.    私は自分のこの作品の第一部、第二部が単行本となって、出てきた時、私は作品の人物たちが、生理、心.   理、社会の要素の綜合としてはとらえられているとはいえ、作中人物として、作品の時間のなかで動きだす.   ことがなく、作品がもはや次へと展開する作品の展開の緒をそのうちにつつみ込んでいないことを、知らさ   れなければならなかった。. 14.

(22)     ︵﹁小説の全体とは何かーー﹃青年の環﹄の完結まで﹂一九七〇年十一月六日、十一月二十九日﹃朝日新      聞﹄朝刊上・下より抜粋︶。. また、別の雑誌ではこのように述べている。.    矢花正行と大道出泉の二人の主人公のうち大道出泉の人物設定が十分よくいってはいないのだ。.                       ︵﹁﹃青年の環﹄を書き直し始めた時﹂﹃文芸﹄一九七一年三月︶. これらから、野間自身、自らの﹁全体小説論﹂の実践である﹁青年の環﹂が小説としての体をなさないというこ とを実感したといえる。.  第一・二部は内心的にまとまりがなく、登場人物の身辺を紹介しているだけのものとなって、三つの側面︵肉. 体・心理・社会︶を総合した小説を完成させようという意気込みは感じられるが、内容としての統一性がまった. くない。結果として、第一・二部を書き終えて、中断せざるをえなかった。その後中断期間をおいた後、思想的. に対立する登場人物をしっかり作り出し、その人物どうしがお互いを補うという形で作品の流れを作っていった。. 旦掩体的にいえば、大道出泉を矢花正行と同じくらいの存在にし、思想的にも対立するものとして設定し直したこ とから、第三部以降が展開していった。.  ところで、野間は第一部・二部までの作品で一度中断し、再開するまでの間に他の作品を発表している。そし. て、他の作品︵﹁真空地帯﹂・﹁さいころの空﹂等︶を通して、全体小説としての完成に自信を深めた。その時の様 子を野間は次のように述べている。.    それで長編小説というものが、ぼくが言っている人間を生理的に、心理的に、社会的にとらえるという考.    えだけでは成り立たないのであって、もっと芸術方法、小説方法というか、その点をはっきりと考えてい.    かなければ長編小説というものはとても完結までには導き得ないということが明らかになってきた。そこ.    でぼく自身としてはいかにしてでも長編小説を書いて、成立させて、長編小説を書けるということを自分. 15.

(23) 自身に見せなければだめだ。そういうものを書き上げて、自分がそれをちゃんと見て、一応できていると. いうふうに見えるならば、ぼくは、一応作家として成立するんであって、それができなければ作家ではな. いのじゃないかという感が非常にしていて、それで﹃真空地帯﹄に取りついていったのです。          ︵中略︶. 小説の構想そのものがどういうふうに一つの場面から次の場面に移っていき、さらにまた次の場面に移っ. ていくかという作品の連続そのものと、それからそれだけではだめで、やはりその次に人物が飛躍しなけ. ればならない。/そういうときにはどういう形でそれを飛躍させるのかという方法の問題にぶつかって、. それをやり遂げなければならないということで﹃真空地帯﹄とかかわり合ってくるわけですね。 ︵対談11針生一郎・野間宏﹁﹃青年の環﹄の時代と現代﹂一九七一年七月︶.  このように、作者自身が﹁真空地帯﹂において、自らの軍隊生活を題材にし、軍法会議にかけられるという実. 体験まで含め、ストーリー性を重視し、その枠に全体小説の掲げる生理・心理・社会を盛り込んだということだ。. しかし、﹁社会﹂が本当に描けたかは疑問が残る。軍隊という限られた空間の社会を描いたとは言えるが、歴史的. な時間が登場人物に迫るような表現があると思われない。﹁青年の環﹂が当初かかげた﹁全体小説﹂の理論を実現. したものとして完成されたと言えないのである。全体小説は、三つの側面をもったものであり、とくにそれまで. の小説になかった﹁社会﹂の側面が表現できたかが問題となってくる。中断後、再開された続きでは、改訂が加. えられた。﹁血のつながり﹂や﹁親と子﹂というように大道出泉とその父親大道敬一に関する記述が加えられてい. る。これは、大道が矢花に釣り合うだけの内容にし、ストーリーを進めていくという意味もあるし、また大道敬. 一が日本の資本主義社会の大企業を代表する人物として社会的側面を強調するために描かれたともいえる。  次に﹁青年の環﹂の三つの側面について考察していく。. 16.

(24) 第二章. ﹁青年の環﹂は全体小説の三つの側面をとらえることができたか.  野間は﹁全体小説論﹂の三つの要素︵生理・心理・社会︶を統一してとらえ、﹁青年の環﹂の作品の中で実行し. ていくことを考えた。では、その三つの要素が実際にどのようなものであり、作品の中でいかに実践されたのか。 実践されえなかったのか考察していく。. 第一節 生理面において.  野間は自らの初期の作品の中では、人間の生理的な部分に焦点を当てている。野間のいう生理とは、欲望と肉. 体の間の無意識層である。肉体の描写は、﹁青年の環﹂以前の作品﹁暗い絵﹂﹁肉体は濡れて﹂等においても緻密. に描かれている。個人を突き動かすのは﹁欲望﹂であり、それが小説をすすめていくこととなる。自分では解明. できないが、なにかが突き動かすのである。これは、サルトルの﹁実践﹂の考えともかかわることである。﹁青年. の環﹂の第↓二期一章﹁華やかな色彩﹂は矢花の元恋人大道陽子の舞踊から始まるのであるが、大道陽子の細か い肉体描写が次のようになされている。.    矢花正行は彼女がそうして姿勢を正している間、じっと彼女に注視の眼を向けていた。彼女が少し前かが.   みになって身を揺することに、彼女の腰や胸の上の真白いふくらみが輝くように揺れて、彼の眼の前に鮮や.   かなまぶしい色を拡げた。轡曲した右の脇腹のところに、柔らかい肉の感触が浮き出ている。裾から三分の.   一ほどのところで強いくびれを入れて後ろにはね上げている髪の横から形のいい冷たい耳が覗いていて、そ.   の下の頸の肌に幾分上気した血潮のあとがほの赤く透いている。彼の眼はじっとその肌の上にとまった。そ.   の肌の表から、彼女の体のうちに動く何か不思議は力がもれ出てくる。彼の眼の中を先程舞台でみた彼女の. 17.

(25)   ほとんど裸に近い体がひらめくように動くと、彼の体の中でその裸に近い彼女の体に向かって無理にかけ寄   ろうとする烈しい欲望が動き、彼の全身をつらぬくのを彼は感じた。.                                 ︵第一部 第一章  ﹁華やかな色彩﹂︶. このように人間の行動は、心の奥底にある欲望から出てくるものであり、その欲望を促すのが性欲でもある。視. 覚的にとらえたものが、しだいに欲望へと進んでいく過程が描かれている。肉体と欲望の関係については、﹁サ. ルトル論﹂の中でも触れられている。野間は自らの﹃作家の戦中日記 一九三ニー1四五﹄︵藤原書店 二〇〇. 一年︶に、赤裸々な性欲について書いている。野間の作品﹁わが塔はそこに立つ﹂において、野間が自らの性欲. について嘘偽りのないものを正直に日記に書き留めていくことを決意し、毎日の出来事をつづっていっている文. 章がある。ある日には卵を買いにいき、店のおばさんの目の前でりんごを一つ盗むという行為をしたことや、花. 街に行ったこと等、細かく隠すことなく書いているのである。その日記を通して、自らの性に向き合い、心の微 細な動きまで正直に描いていこうとしているのである。. 第二節 心理面において.  弾圧によって革命と行動を奪われた人間が、その追求の対象を意識内面にむけて、﹁文芸復興﹂がすすめられた ことについて、野間によって次のように述べられている。.    人間の意識をとらえるといっても、それを固定させてとらえるのではなく、意識が動いているままに、そ.   の内側にはいって、内からとらえるのである。私はこの小説を戦争中計画し、かきはじめたが︵完結しなか.   つた︶、私が意識追求を先ず最初にはたさなければならなかったというのは、もちろん軍国主義の圧迫の下に.  行動を失い、どうしても自分の内側にとじこもらざるを得なかった人間を追求するのにもつとも必要であり、. 18.

(26) もしそれに成功すればそれによって意識内面にとじこもっている人間の解放が可能となると考えたからであ る。.                        ︵﹁人間の要素の分析と総合﹂﹃文学界﹄一九五二年十月︶. このように野間はブルースト・ジョイス・ジイドなどの小説から意識追求の方法を自分のものにしようとした。 また、生理面の追求でゾラについても言及している。.  人間の規定は内部の面からの規定だけではだめなのである。例えばジョイスは意識の流れを次々と深く追. 求して行く、そしてその最深部において、ディアローグ的に渦巻いている欲望と肉体の間の無意識層を、人. 間事象の決定因として規定する。しかし人間は、決してそのようなもののみによって動かされているのでは. ない。また無意識層というものにしても、その後の医学の発達によって、それが、血液、体液、組織液、ホ. ルモンなどのような要素によって決定されることが明らかにされてきている。⋮⋮しかし心理と生理の関係. を、ゾラのように生理を基調として奮えず、しかしまた単に心理を基調として把えるのでもない、二つを結 合する高い立場を求めなければならないのである。.                        ︵﹁人間の要素の分析と総合﹂﹃文学界﹄一九五二年十月︶. このように、野間の﹁青年の環﹂において、心理と肉体は互いに影響するものであり、どちらかだけでは人間を. 正しく捉えられないということを言っている。血液など生理面がそのときの心理に影響を及ぼすなど、細かく分. 析すれば小説の流れをつくる重要な要素となってくるのである。そして、ジョイスが小説の中で追求したように、 ﹁無意識層﹂の存在も野間は﹁青年の環﹂において、意識し描写している。. 19.

(27)  とくに、第三部以降では、生理面に起こる肉体の現象が、実は奥深い心理面の影響を受けており、精神の無意. 識層から出ていることが作品の中で表現されている。たとえば﹁二本の指﹂が勝手に動く場面について杉山氏は 該当部分を引用しながら次のように述べている。.    彼は手すりの上に置いた右手の指が不意にびくりと動くかのように感じて、そこに立ちすくんだ。二.   本の指はその手すりの上から彼に向かって何か訴えているのである。くだらないことを言うなと彼はそ.   の二本の指に向かって、あわてて言葉を投げたが、それはそのようなことで言うことをききはしないの.   である。                    ︵第三部第一章 ﹁舞台の顔﹂︶. という形であらわれる。彼の外部である二本の指は実は彼の心の奥底の声なのであるが、それが陽子への欲 求であるとは彼自身そのときは気づいていない。.               ︵杉山康彦﹁長編︽青年の環︾の表現と主題﹂ 一九七二年三月号、五月号︶. なぜ、二本の指が勝手に動くのか場面展開の中で次第に明らかになっていくのである。矢花の心の奥深くにある. 欲望が行動する中で明らかになるのであるが、それは大道陽子に対する性的欲望なのである。.  このように第三部以降では生理面と心理面︵無意識層︶が結びついた場面がたくさん出てくる。これは野間自. 身の人間のとらえ方にある。人間が具体的な行動をとるようになるのは、人間の奥深くにある欲望が契機となっ. ているという考えである。それに気づかない登場人物の姿が描かれており、やがて意識追及する中で自分の肉体. が何を欲していたのかが明らかになる。野間が自らの評論集﹁サルトル論﹂の中でも述べているが、サルトルの. ﹁フランソワ・モーリアック氏と自由﹂という一九三九年の小説論で述べているところによると、モーリアック が作中人物に対してまったく神のように臨んでいるということである。. 20.

(28)    しかしその出来上がった作品自体は、サルトルがいろいろに具体的に場所をあげて示しているように、と.   ころどころにどうしても女主人公が自分ではいうことの出来ない説明のようなもの、例えば、﹁彼女は自分.   のうそを意識せざるをえなかった。しかし彼女はこのうそに安住し平然としていた。﹂というような箇所が.   方々にあって、むしろそのためにその女主人公の自由が失われ、女主人公が絶対なしえないことが、なされ   るというような奇妙な作品になってしまっているわけなのです。.                                   ︵﹁サルトル論﹂ 一九七七年一月︶. このような小説論に対する考え方をもって、﹁青年の環﹂は完成されたのであり、野間が登場人物を決して神の視. 点でもつてとらえるのではなく、なぜ、その行動に結びついたかを無意識層にまでさかのぼって、必然性をもっ てストーリー展開をしていったといえる。. るのである。それは、﹁青年の環﹂の第六部第一章﹁裏と表と裏︵一︶﹂﹁裏と表と裏︵二︶﹂の大道出頭による、.  さらに、心理面の描写として、また従来の小説には見られない登場人物の思念の追求が小説の中で行われてい                                                   21 それまでとはちがう独白とも言うべき圧倒的な意識追及のあり方である。.   目的地の内山家に着いて彼のすべきことといえば、その内山家を生家とする田口の妻のさき子について、彼.   女が時間をかけて二度にわたって彼に喋ったことのほか、なお言わずに深く隠していると考えられる事情を、.   引きだしてくることだった。もしそれに成功することが出来なければ、彼はここ三、四日間、考えを重ねて、.   ようやく明らかにしえたと思えている、自分の家族とその近辺をめぐる一つの新しい重大な事実、確実な根   拠を手に入れることが出来ないことになるのだ。.                                ︵第六部 第一章  ﹁裏と表と裏︵一︶﹂︶.  一種の推理小説的な作風も感じられるが、数少ない事実から論理を組み立て、もはやこれしかないという結論. を出す。大道出泉は自ら学生時代にヘーゲルの﹁大論理学﹂を読破しており、ヘーゲルの弁証法を使って論理を.

(29) 組み立てていく方法を示しているのである。事実の内容として、①大道出前の父敬一が、田口吉喜をなぜ避ける. のか、②さき子の微妙な顔の表情は何を表すのか、③喫茶店の主人のことばの意味は何を表すのか、④内山酒造. になぜ、みんなはこだわるのか、という情報から何か隠されたものがあるにちがいないという推理を大道出泉は. 働かせ、論理を組み立て結論を出すのである。この思考過程を、大道自身の独白によって導き出される過程を小 説の中に取り入れられているのである。.  また、フランス象徴詩に影響を受けた野間が、色のイメージを通して想像力を働かせる場面もある。これは渡. 辺広士氏の論文に詳しく述べられているが、黒︵不吉な、闇の色、マイナスの色︶、白︵冷え切った死体の持つ色、. うわべの色︶、黄︵腐敗の色、臭い匂いの色、嫌うべき色︶など、作品の中の随所にみられるのである。.    野間宏は、人間のあらゆる感覚を文章の中に動かそうとする。形ある、目に見えるものを見る、響きある.   音と声とを聞く、ものの塊りに触れるということだけでなく、あらゆる匂いを嗅ぎ、色を見る。しかもそれ   らはつねに外界の現象にとどめられるのではなく、内的に経験される。.                    ︵渡辺広士﹁青年の環﹂の世界  ﹃審美﹄十四号  一九七二年三月︶. 渡辺氏によると、色そのものが登場人物の心理に影響を与え、感覚として内的に経験されるのである。. 第三節 社会面において.  ﹁青年の環﹂以前に書かれた作品︵﹁暗い絵﹂・﹁崩壊感覚﹂等︶では生理・心理面の追求は行われてきたが、社. 会面にいたっては、﹁青年の環﹂においではじめて取り入れられ、野間は次のように述べている。.     この二つ︵生理・心理面を指す。中西注︶を結合した高い立場というものも、なお人間を人間の内側か. 22.

(30)    らとらえるものにすぎないのであって、人間はさらにその外部の社会との関係が明らかにされる立場にた.    たなければ、ほんとうにはっきりとその全体をとらえることはできないのである。﹂そして人間の内部の要.    素としての生理、心理、人間の外部の要素としての社会、その三つの人間の要素を統一してとらえるよう.    なところに出て行くということが、次に私の文学の課題となったのである。私はこの課題をもって﹃青年    の環﹄という小説にたち向かった。.                         ︵﹁人間の要素の分析と総合﹂﹃文学界﹄一九五二年十月︶. ﹁青年の環﹂の第一部から積極的に社会情勢や時代を意識して取り入れようとしている。.  ところが、生理・心理とはちがい、社会面においては作品の中で実現されたとはいいがたい面がある。野間の. ﹁サルトル論﹂の中にも触れられているが、サルトルの小説﹁自由への道﹂において、第二次世界大戦における. 登場人物マチウの行動が描かれている。マチウがどのような行動をとるかは戦争の刻一刻と流れる状況と密接に. 関係して描かれている。また、サルトルが言うには、﹁人間は自由の刑に処せられている。﹂その自由が無制限に. あると人間は不安をおぼえる。ところが実際の生活場面では個人に社会の状況が押し寄せてくるという状況があ. る。例えば戦争という事実だ。その戦争の状況の中で人間はどう生きるかの選択を常に迫られる。制限されたも. のであるが、その選択には自由がある。すなわち、本来の人間の自由とは差し迫る社会の状況に自ら選択して、 投企するということである。.  サルトルは自らの小説﹁自由への道﹂を完成させるのに、﹁戦争﹂という社会状況を正面にすえて、登場人物. がどのように行動するかを描いたのに対し、野間の﹁青年の環﹂においては、社会の状況が個人にどのように影. 響したといえるか。﹁青年の環﹂の時代設定である一九三九年という時代状況が反映されたものといえるか。. 23.

(31) ﹁青年の環﹂における社会状況の描写. 第二部 小説の中の﹁社会性﹂について 第一章 第一節  ﹁青年の環﹂の小説の中の描写 ﹁青年の環﹂の時代設定について竹内氏は、次のように述べている。. 24. 時代設定 1939年︵昭和14年︶の梅雨時llつまり日中戦争がようやく烈しくなり、欧州では独ソ不可侵.      条約が結ばれている時期から、三ヵ月後のドイツ軍によるポーランド侵入がおこなわれた直後の時期      までの、世界が第二次世界大戦に突入する前夜の時代である。 具体的な社会状況について述べられる次のような場面がある。便宜上①∼④を付した。.  第一部第二章﹁現実嫌悪﹂において、教師であり、大阪左翼グループの責任者でもある今村芳文から、矢花正  行に対して語られる場面がある。 ①﹁⋮⋮矢花、どうも敵は間近にせまってきたらしいそ。﹂. ②そこには青年達が集まれば流れはじめるこの生々した空気の弾み、さらに言えば、すでに閉塞された社会情.  勢に出会った青年達がそれに抵抗しながら各自の体からはき出す息苦しい呼吸といったものさえなかった。す.  るともはや、しめりと淀みを帯びた部屋の空気が、正行の足を捉えて後に引きもどす。.  ll京都の事件は、いまや、すべてのひとの頭上におちているのだ。. ③この哀れむべき一座のものの気持にいくらか弾力が生まれてきたのは、ようやく食事が始まってからである。.

(32) ︵勿論ただふくれた胃袋が生理的に彼等を下から支えたのだ。︶. ④が、二人のこうした会話は、一座のものの心を如何にそれから逃れようともがこうと、又いかに各自が嫌悪.  にみちた抵抗を示そうと容赦なく人々を引っとらえ、何処と知らぬ各自の意志にかかわりのないところに運び. どうやら近いうちにボー.  去って、泡沫のようにその生命を消し尽させる巨大な戦争の方にはこんで行った。⋮⋮ 第六部第三章﹁炎の場所︵一︶﹂において、大道出泉のセリフがある。. ⑤﹁︵略︶しかし世界戦争が起るよ。ポーランド国境に集結しているソヴィエト軍は、  ランドに軍を出すらしいのや。︵略︶﹂.   ︵とある。しかし、その後、大道のセリフ。中西注︶ ⑥﹁いや、しかしもう、このことは置いとこう。︵略︶﹂.  作中人物の中の一人、矢花は大阪市役所の社会部融和事業担当者であり、大阪で人民戦線グループに入って活. 動する運動家でもある。その矢花が同じ運動家の一人、今村から呼びかけられている場面が①である。この敵と. いうのは特高警察のことであり、京都での同じ友人が検挙されたことを受け、今村が矢花に忠告しているところ. である。次に②であるが、閉塞された社会情勢は、その場に集まる一同の頭上にふりかかろうとしているのであ. る。重苦しい空気は作中人物たちの心理に影響を与え、まさしく私小説では言い表せないような状況設定になっ. ている。そして、③では心理に影響を与える様子から、今度は生理に影響を与えている様子を示しているのであ. る。そして、④では、作者野間の視点とも言える作中人物の視点から、距離を置いて客観的に戦争という歴史的. 時間が、作中人物に影響を与えているような表現となっているのである。このように①から④は、﹁青年の環﹂の. 25.

(33) 第二部までに描かれた場面であるが、作者が意図的にこの戦争という歴史的時間を随所に組み込んでいるといえ. る。確かに、このような戦争という歴史的時間を描き、作中人物に迫る様子が描かれているのであるが、本当に. せまりきっているといえるのであろうか。⑤では、﹁青年の環﹂の作品の後半部分に描かれている場面の内容であ. るが、迫り来る世界情勢に⑥にあるように、作中人物は﹁このことは憶いとこう。﹂というように、ストーリーと. は引き離して考えているのである。なぜ、このように戦争という歴史的時間が﹁追いとこう﹂というような表現. で済まされているのか。実はこれには﹁青年の環﹂が第二部まで書かれた後、長い中断期間があって、再び書き 始められた時に、作者が新たに構想を練り直したことと関係がある。. 第二節 社会状況を描写するその他の表現. その他に、第一部・第二部では社会状況を描写する場面がある。①∼⑨は、﹁←﹂以前は、小説のどのような.     場面かを中西が説明し、﹁←﹂以降は小説の中の具体的な社会状況を描いた文章を抜き出した。さらに.     もう一つの﹁←﹂以降は社会状況が登場人物にどのような影響があるかを示した。. ①出征兵士のために千人用と千人力を道行く人に求めている一団に矢花と大道は出会う場面。   ︵第一部 第一章﹁炎に追われて﹂︶.  ←﹁この俺は、戦争には絶対反対なんだ。⋮⋮﹂という大道。.  ←大道が部屋にもどると特高のガサ入れがあったりするが、その後の行動に特に影響な   し。.  この場面は大道がまだ運動に積極的に参加していた当時の回想場面に書かれており、運動から自らが脱落した. 26.

(34)  様子が描かれている。. ②人民戦線運動の大阪地方グループの仲間と矢花が、今村の家で京都の事件など、運動の状況を話し合う場面。.  ←﹁⋮⋮矢花、どうも敵は間近にせまってきたらしいそ。﹂︵第一部 第二章﹁現実嫌悪﹂︶.  ←大阪における犠牲を最小限度に食いとめるため、対策を話し合う。内容は身辺の整理。活動の停止、会合を.  開くのを個々別々にする、会合に出席できなかったものに連絡をとる、京都との連絡は京都からに限定し、特  高の眼にさらさないようにする等、個人の生活に影響を及ぼしていると思われる。 さらに続けて、.  ﹁が、二人のこうした会話は、一座のものの心を如何にそれから逃れようともがこうと、又いかに各自が嫌悪.  にみちた抵抗を示そうと容赦なく人々を引っとらえ、何処と知らぬ各自の意志にかかわりのないところに運び.  去って、泡沫のようにその生命を消し尽させる巨大な戦争の方にはこんで行った。⋮⋮﹂︵第一部 第二章﹁現  実嫌悪﹂︶.  ←﹁いやだ、いやだ。﹂という感情をもつて、現状を示す矢花。陽子・特高の拷問に対する嫌悪を示す。. ③京都で特高によって仲間が捕まえられたという事件について、矢花の身辺にも迫ってきている場面。.  ←ところが、それは自分のカではどうにも処置できないことなのだ﹄⋮⋮﹃それは俺の意志には何の関係も.  なく向うの方から俺の方に向かってやってくる﹄lI京都の事件は矢花正行にとっては彼の意志のいかんに.  かかわらず、何処か彼には解らない向う側で進行して行くことがらだった。︵第二部 第一章﹁美しい夜の魂﹂︶.  ←唯物論の原則に似た現象でその後で述べるように社会現象が自らにかかわってくる様子を表しているよう  に思われる。. ④﹁上海では毎日一〇〇人の餓死者が出ている﹂という文があり、いずれ、日本にもという矢花の内的思考の文.  がある。その後、続く文として、﹁この地球全体を蔽おうとする世界のはげしい動きがこの芙美子のまわりに. 27.

(35)  おしよせたとき、彼女にそれを支える力が生れてこようか。﹂とある。矢花の恋人で精神的な支えとなる芙美.  子は、結核を患い弱い体になっている。上海と同様に日本本土でも戦争の状況になった時、芙美子に耐えうる  ものはあるのかというような内容。.  ←矢花が芙美子に特高に見つかると危ない本管が入った風呂敷包みをわたす。 ⑤大道の視点から戦争を意識している場面。.  ←歌舞伎座の﹁三階の窓のところがら白い布切れがだらりとたれて、支那事変二周年⋮⋮という大きな文字が  よまれた。﹂という文がある。︵第二部 第二章﹁破行︵一︶﹂︶.  ←その後の文には、大道が戦争に関するイメージから矢花を思い出し、矢花が信用できる人間であるという矢  野のことばを思い出す。. ⑥﹁社会事業の必要は非常に増大するが、それにもまして戦時にあっては、その重要性はこの由なく大きくなる. ⋮⋮﹂とあり、﹁大阪市の社会事業も⋮⋮戦争志気を鼓舞し、戦争体力を増進し、戦争文化をたかめる戦時社会事. 業の方向に向かいはじめていたのである。⋮⋮﹂とあり、﹁戦時社会事業の担当者である自分はまさに日本が戦争. をするために働き力をつくしている人間ではないだろうか⋮⋮﹂とある。︵第二部 第三章﹁皮の街﹂︶. ←大阪市役所社会部融和事業担当者として矢花は、被差別部落に通うことが多く、戦争に協力しているだけでは ないかと自分の仕事に疑問をもつ。. ⑦大阪市役所の社会事業についての矢花の考えが示される場面。. ←﹁もはや社会事業のようなただ理論的には立派で人間的ではあるが、その内容はこの上なく貧弱な、国家の説. 教機関にすぎない事業などではなく全く蔽うことのできない激烈な怒りが部落のなかから湧き上ってきて、すべ. てをふっとばしてくれることを望んだのである。﹂とあり、﹁彼の望んだのはむしろこの部落の爆発した混乱をき. っかけにして、国内の至るところで最近くすぶっているいろんな問題、なかでも特に転業問題と失業問題とが一. 28.

(36) 挙に口をひらいて破裂することだった。﹂とある。︵第二部 第三章﹁皮の街﹂︶. ←戦争がもたらす社会に抵抗する部落の抵抗運動を矢花は期待している。 ⑧矢花の部落解放運動に対する考えを示す場面。. ←﹁⋮⋮彼が二年ほど前はじめてこの浪速区の部落をたずねて島崎に会って以来、この三・一五事件の犠牲者で. あり人民戦線事件にも関係していたことがあると言われる水平運動の指導者に、いっか自分のほんとうの心をひ. らいてみせなければならないと考えてから今日まで、その機会をとらえることが彼にはできなかったのであるが、. いまや、その時がいよいよきたのではないかという思いが彼のうちに湧き上ってきたのであるから。⋮⋮﹂とあ. り、﹁⋮⋮今迄のような単に良心的な役所人と社会運動家とが人間的に協力し合うというような形ではなく、もっ. と根底から互いに繋がり合って今後のいろんな事態に、いや、何よりもまず今度の部落の問題にあたって行かな ければならないと考えるのだ。⋮⋮﹂とある。︵第二部 第三章﹁皮の街﹂︶. ←矢花が役所人としてではなく、運動家として自ら部落に関わり、水平運動指導者と連帯していくことを表明し ているといえる。. ⑨﹁青年の環﹂の作品の中で、挿入的に書き込まれる歴史的事実が組み込まれている場面。. ←第六部立三章﹁炎の場所︵一︶﹂において、大道出泉のセリフ﹁︵略︶しかし世界戦争が起るよ。ポーランド国. 境に集結しているソヴィエト軍は、どうやら近いうちにポーランドに軍を出すらしいのや。︵略︶﹂とある。しか. し、その後、大道のセリフ﹁いや、しかしもう、このことは置いとこう。︵略︶﹂この後は、矢花に対して部落問 題をどう考えているかの話へと移っていく。. ←作品中、世界情勢をとらえているが、人物の行動に直接、かかわっているわけではない。. 29.

(37) 第一部・第二部をとおして︵⑨以外︶、社会状況と登場人物がどのようにかかわっているかが強調して書かれた部. 分を抽出した。これらから、野間自身が﹁青年の環﹂において、﹁全体小説論﹂の社会面を積極的に取り入れてい. たことがわかる。しかし、その後の第三部以降においては、一九三九年という時代の状況が個人に影響する場面. はそれほど意識的に描かれていない。これは、全体小説を完成させるためには、ストーリー性の重要性を強調し. たため、特に社会状況が描かれる必然性がそれほど感じられなくなったためである。また、野間は次のように述 べている。.    私のやり方はどうしても図式的になり、社会的な追求と意識の内面追求のこの二つがはなればなれになる.   というような部分が生まれてきた。︵﹁人間の要素の分析と総合﹂﹃文学界﹄一九五二年十月︶. また、次のようにも述べている。.    私は人間を動かすこれら三つの要素が一つになって人間にはたらきかけて行く、その人間の動き、内容を.   いままでのように三つの面に分けて分析的にとらえるのではなく、三つの要素が結合して一つになるそこの.   ところで、人間を綜合的に、しかも単純にとらえて行くことを考えはじめたのである。︵﹁人間の要素の分析   と総合﹂﹃文学界﹄一九五二年十月︶.  このように野間自身も第一部・二部までの作品で総合的な視点をもてなかったことを認めている。社会面の追. 求は確かに行われたが一つの小説と完成させるには、三つの面がばらばらに動いているだけではだめであるとい. うことに気づいたのである。それでは、第三部以降の作品においては、ストーリー性の追求がなされた結果、三. つの面が収まったものになり、全体小説としての意味をもったものになったのであろうか。結論を出す前に、ス トーリー性についてたどっていく。. 30.

(38) 第三節 全体小説を完成させたストーリー性について.  ﹁青年の環﹂では複数のストーリーがあり、全体を構築しているが、具体的にどのような内容となっているの  であろうか。.  一つのテーマをもって小説を作ることは可能であるにもかかわらず、あえて全体小説を作ろうとするのは歴史. 的時代を無視できないからである。社会を描くことの必要性に迫られたからだと思われる。  さまざまなテーマでとらえられるが、次のように小説の内容をまとめておく。. 小説全体にかかわる事件 ①被差別部落における経済更生会と地元の高利貸し屋の対決             ②戦時下における人民戦線グループの政治的活動             ③大道家敬一をめぐるブルジョワ家庭の崩壊             ④矢花よし江をめぐる戦時下の庶民社会             ⑤内山酒造にかかわる汚臓のある人々             ⑥矢花正行と大道陽子・日野芙美子の恋愛関係.             ⑦大道が性病にかかっていることを隠し、田口に揺すられるストーリー.             ⑧田口が何ものかということを秘密にしながらストーリーを展開する手法。︵藤村の              ﹁破戒﹂のあり方︶. ﹁青年の環﹂の最終的な山場は、①中淀の被差別部落で展開される地元の高利貸し屋と経済更生会の対決にある. が、これは﹁炎の場所﹂という章でまとめあげられており、小説全体の柱となるのは、⑤の内山酒造をめぐる話. である。﹁青年の環﹂では、矢花正行・大道出泉・矢花よし江をめぐる世界が各章で語られる。野間の描く全体小. 31.

参照

関連したドキュメント

︵13︶ れとも道徳の強制的維持にあるのか︑をめぐる論争の形をとってきた︒その背景には︑問題とされる犯罪カテゴリi

(以下、地制調という) に対して、住民の意向をより一層自治体運営に反映 させるよう「住民自治のあり方」の調査審議を諮問したのである

問題例 問題 1 この行為は不正行為である。 問題 2 この行為を見つかったら、マスコミに告発すべき。 問題 3 この行為は不正行為である。 問題

はじめに 第一節 研究の背景 第二節 研究の目的・意義 第二章 介護業界の特徴及び先行研究 第一節 介護業界の特徴

特に 2021 年から 2022 年前半については、2020 年にパンデミック受けての世界全体としてのガス需要減少があり、その反動

地方創生を成し遂げるため,人口,経済,地域社会 の課題に一体的に取り組むこと,また,そのために

一方で、平成 24 年(2014)年 11

(45頁)勿論,本論文におけるように,部分の限界を超えて全体へと先頭