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自己実現言説における「個人」の現代的意義 ―テキストマイニング手法による特定日本語の位置づけと意味づけの探求―

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自己実現言説における「個人」の現代的意義

―テキストマイニング手法による特定日本語の位置づけと意味づけの探求―

Modern Signifi cance of the Keyword “Individual”

in the Discourse on Self-Realization:

An Exploration of the Linguistic Location and Implications of the Specifi c Word

Using the Text Mining Method

佐々木 英和

†  

SASAKI Hidekazu

【要約】

 英語では self-realization に相当する「自己実現」という日本語は、19世紀末に登場したもので あり、その時点では、それは、「個人」と「社会」との調和的関係を示すものとして定義されてい た。現代では、「自己実現」がもっぱら個人的なものとみなされる傾向が強い単語であることを考 慮すると、「個人」を含む自己実現言説が、「社会」との関係でどのように位置づけられ意味づけ られてきたかを歴史的に再確認し、その現代的意義を明らかにする必要がある。そこで、本稿は、 筆者が蓄積してきた自己実現言説のうち、「個人」という日本語が含まれた言説を抽出し焦点を当 てて、それがどのような特徴を示しているかについて、テキストマイニング手法を援用して明らか にしようとする試みである。 本稿により、以下のような考察結果を提示できる。一方では、社会とは無関係に「個人の自己実 現」が存在するという考え方も強固であり、あくまでも個人内で処理されるべき課題だとみなされ る。それどころか、「個人の自己実現」は、時に「わがまま」とも混同され、社会的連帯を乱すも のとして忌み嫌われがちなこともある。だが他方では、社会の側が「個人の自己実現」を振興すべ きことを奨励する考え方が頻繁に語られた。1990年代前半には、日本の国策的キーワードとして 「自己実現」が強調され始めたし、組織体たる企業が個々人の自己実現のための手段であるべきだ という考え方さえも現れた。  そのような対立構造の狭間で、「自己実現」の中身が具体的に掘り下げられることは皆無に近か った。だが、「人権保障」という文脈において「個人の自己実現」が尊重される状態を優先する社 会を創ろうという提言がなされる場合には、「自己実現」には、一人ひとりの個人が、お互いに交 換不可能であり、各々の生の時間を反復不可能なものとしてしか生きえない「かけがえのない」生 命体であるという事実を、社会によって尊重されるというニュアンスを含蓄する。こうした思想は、 その時代の社会的動きを反映したものである。特に「まさに一個人」としての自分の課題として切 実に自己を実現したいと願う属性の代表格として目立つのが「女性」であり、彼女達の中には、 「誰かの妻」とか「誰かの母親」といった付属物的存在としてでなく、唯一的な固有存在として自 分自身の価値を認められたがっている人が相当にいる。 † 宇都宮大学 地域連携教育研究センター(連絡先: [email protected] 佐々木 英和)

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キーワード:コンピュータ言語分析,テキストマイニング手法,自己実現,個人,人権,尊重,唯 一性,女性

[Summary]

The Japanese word jiko-jitsugen, which denotes self-realization, emerged at the end of the 19th century;

it was basically defined as a symbol of a harmonious relationship between individual and society.

Considering that jiko-jitsugen has a strong tendency to be used exclusively with individual matters today,

it is very important to historically reconsider the use of jiko-jitsugen discourses, including kojin, a Japanese

term for individual, in relation to society. In this paper, I attempt to bring the features of the discourses

under sharp observation and to clarify their modern signifi cances basically by a computational linguistic

analysis using the text mining technique.

 On one hand, many people believe that individual self-realization exists without relation to society

and that a task for self-realization should be within the capabilities of each private individual. Moreover,

individual self-realization is so frequently confused with selfishness that some people misunderstand

it as a principal cause that disturbs a whole social linkage. On the other hand, some people insist that

society should promote individual self-realization. In the fi rst half of the 1990s, jiko-jitsugen began to be

emphasized as a keyword in national policy and the idea that business enterprise should assist individual

self-realization proactively as a public mission was asserted as a new organizational theory.

 Very few people think about what the concrete contents of self-realization are in a practical manner.

However, according to the context of respecting human rights, the idea of jiko-jitsugen encourages

society to esteem an opinion that each individual is the only live existence who cannot but be mutually

un-exchangeable and cannot repeat his or her life at every moment. This idea apparently refl ects a tacit

social movement that human beings should seek deeply to recognize themselves as individuals having

uniqueness by nature. For instance, a woman wants to be strongly recognized not as an adjunct such as

“someone’s wife” or “someone’s mother,” but as a defi ned, unique individual.

Keywords: Computational Linguistic Analysis, Text Mining Technique, Self-realization, Individual,

Human Rights, Esteem, Uniqueness, Women

はじめに

 本稿は、ここ数年にわたって宇都宮大学教育学部編『宇都宮大学教育学部紀要』で発表してきた 自己実現関連論文の続編に当たる1) 。筆者は、新聞のデータベースを活用して得られた「自己実 現」関連データについて、テキストマイニング手法を用いて解析し続けてきた。  前々回と前回において展開してきたのは、「社会」という単語を含む自己実現言説の特徴につい て、量的側面と質的側面との両方から考察することであった。そして、その研究結果から複数の テーマが新たに浮かび上がったが、中でも特に優先して進めるべきだと判断したキーワードが「個 人」であった。その最大の理由は、自己実現言説において「社会」と「個人」とを対にして考える

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必要があり、それによって「社会」という単語に対する理解も深まることが大いに期待されるから である。  なお、本稿において用いる新聞記事等の引用部分について、「自己実現」および他のキーワード をアンダーラインで目立たせるとともに、アンダーラインの種類を使い分けていくことにする。具 体的には、「自己実現」という単語そのものには細いアンダーラインを引き、これに関連して重要 だとみなせる単語には太いアンダーラインを引くことを基本とするが、対比したり強調したりすべ き場合など、必要に応じて二重線や波線および破線などで下線を表現することにする。

Ⅰ 自己実現言説における「個人」の位置づけ

 これまでの研究の成果として、「社会」という単語が、歴史的な意味でも、出現頻度という意味 でも、自己実現言説として最重要キーワードであることが明らかになっている2) 。今回、「個人」 という単語を主題としたわけを繰り返せば、「個人と社会」という形で対にして考えるべき必要性 が、これまでの研究から判明していたからだというのが主たる理由となる。だが、本稿を展開する に当たって、自己実現言説において「個人」それ自体が単独でも極めて重要な単語であることが明 らかになった。  何より肝要なポイントは、「個人」という単語の歴史的始原性である。つまり、「自己実現」と いう日本語の歴史的出発点において、「個人」という単語がすでに登場していたという事実の重み が大きいのである。 A 自己実現言説における「個人」の歴史的位置づけ これまでの研究でも言及してきたことだが、現代的日本語である「自己実現」は、1895(明治 28)年末に、英語の self-realization に「自我実現」という日本語訳が当てられる形で誕生したも のである3) 。そして、この「自我実現」という四文字熟語が登場する直前に「自我の実現」という 表記が出てくるが、このタイミングが「自己実現」という日本語の始発点に相当する。該当部分に ついて、改めて引用しておく。  以上の諸説(=「克己を目的とするもの」と「進化論的快楽説」…引用者注)皆不完全なる を以て、吾人こゝに一般の善を以て目的となさんとす、蓋し人は社会を離れて生存するを得 ず、故に一個人より云へば人の目的は其の人の真の自我の実現なりと雖も、之を社会の外に於 てはなし得べからず、之を以て社会の進歩即善を謀ると必要なり、自我の実現は之と共に行は るゝに外ならず、是れ目的を一般の善に置く所以なり4) 。  ここで、「一個人より云へば人の目的は其の人の真の自我の実現なり」という言い方がされてい ることから明らかなように、「自我実現=自己実現」は、何より「個人」の問題であることが大前 提となっていたことの歴史的証が存在する。このことから、「個人」という言葉が文章中に登場し なくても、「自己実現」という言葉の背後に「個人」が隠れているとみなしてもよい場面が多々あ る可能性を示唆できるであろう。よって、「個人」とは、それをわざわざ明示しなくてもよいほ ど、「自己実現」にとっては大前提となり暗黙化した単語であるという可能性を意識しておかなけ

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ればならないのである。 B 自己実現言説における「個人と社会」という問題設定  あらかじめ重要な結論を述べれば、明治期にまで遡って考えれば、自己実現言説において「個人 と社会」という課題設定が鍵になる。というのは、「自己実現」と言えば、暗黙のうちに「個人」 が前提とされてしまうからこそ、そうした偏った状況の調和を図る意味合いで、「社会」という言 葉も同時に強調されたという歴史的事実が存在するからである。  実際、上記の引用部分を再見すれば、「人は社会を離れて生存するを得ず」、「之を社会の外に 於てはなし得べからず」、「之を以て社会の進歩即善を謀ると必要なり」というように、「社会」 は3回にわたって登場している。見方を変えれば、自己実現言説において「社会」がクローズアッ プしてくるのは、「自己実現」の大前提として「個人」が暗黙の基盤に位置していることの裏返し である。よって、自己実現言説において、「個人」は、潜在的な意味での最重要単語であることが 逆照射されるのである。  いずれにせよ、自己実現言説の歴史的原点を踏まえれば、「個人と社会」という問題設定を忘れ てはならないことは、いくら強調しすぎても強調しすぎることはない。そして、そのようなことを 心に留めつつ、「個人」を考察する意義は大きいのである。

Ⅱ 自己実現言説における「個人」の語用法的位置取り

 ここまで見てきたように、自己実現言説における「個人」という日本語の歴史的位置づけは、そ れが出発点に含まれていることに示されるように、極めて重要である。この事実に加えて、注目す べきことは、「個人」という単語の「自己実現」に対する語用法的近接性である。あらかじめ述べ ると、自己実現言説において、「個人」という単語が出てくるとき、それが「自己実現」と直に関 係した使われ方をしている用例が極めて多いという事実が、テキストマイニングをつうじて発見さ れたことはまさに特記に値する。 A 「個人」を含む自己実現言説の全体的位置づけ  本研究においてテキストマイニングで全期間(1917∼2009年)を対象として総合的に単語ラン キングを行うと、分析対象として抽出された全2324文のうち、「個人」としてカウントされてい る文章件数として76件カウントされ、文章頻度としては3.27%であり、81回出現しているが、こ れは、全品詞(名詞、動詞、形容句)のランキングでは19位に位置し、名詞ランキングでは11位 に位置する5) 。このことより、「個人」は、自己実現言説において、それなりの頻度を持つ有力な 頻出単語だと位置づけられよう。  今回、本稿では、「個人」を含む自己実現言説について情報ソースが明らかになるようにするた め、全76件について具体的に書き出して一覧できるようにし、本稿の末尾(224∼228頁)に【巻 末表】という体裁で掲載した。なお、この表では、「&個人0000」を基本型にして数字を変更す る形の認識記号を用いることとした。よって、今後において文章表現を引用する場合には、引用部 分の末尾に (&個人0000) という形で示すので、該当する文章等については【巻末表】を必要 に応じて参照してもらいたい。

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B 「個人の自己実現」という表記の出現割合の高さ  今しがた確認したように、自己実現言説において、「個人」は頻出単語として相当に上位にラン キングされている。だが、もっと注目すべきポイントとして、テキストマイニングにおける「係り 受け」において、「個人」が極めて特徴的かつ重要な単語だということが判明したことを強調しな ければならない。この事実を確認しやすくするために作成したのが、【図表2-1】である。この表 は、「個人」という日本語の「係り受け関係」における顕著な特徴を明らかにするために、比較対 象として「自己実現」を基準にして抽出した言説の全体を並べることはもちろん、「社会」という 日本語を含む自己実現言説の「係り受け」状況とも比較できるようにしたものである。  なお、この表において「占有率」という言い方をしたものは、カウントされた全体数のうちで、 「係り受け」として認識されたものの占める割合を指している。たとえば、テキストマイニングに おける「自己実現−女性」という「係り受け」に相当するものは、「女性の自己実現」とか「女性 が自己実現する」とか「自己実現したがる女性」などといった各種の表現であるが、それが53件 あり、「自己実現」を基準にして抽出した言説の総数2324件のうち、2.3%の占有率を占めるとい う結果が得られている。  それでは、なぜ「個人」という単語が「自己実現」にとって超重要単語とみなせるかについて、 多角的に検証してみたい。【図表2-1】を参照して、順を追いながら確認してみる。  第一に、「個人」という単語は、「自己実現」の係り受けランキングにおいて、「自己実現− 個人」として7位(34件、占有率1.5%)にランキングされるほど、「頻出する係り受け関係」を 示している。より丁寧に見れば、「自己実現」の係り受けランキングにおいて、1位に「自己実 現−図る」(120件、占有率5.2%)、3位に「自己実現−目指す」(95件、占有率4.1%)、5位 に「自己実現−できる」(47件、占有率2.0%)、6位に「自己実現−求める」(40件、占有率 1.7%)というように、動詞における「頻出する係り受け関係」が目立つ中で、「個人−自己実 現」は、2位の「自己実現−場」(117件、占有率5.0%)と4位の「自己実現−女性」(53件、占 有率2.3%)に続いて、名詞における係り受け関係に絞れば3位に相当すると確認できる。 「自己実現」を基準にして抽出した言説 「社会」を含む自己実現言説 「個人」を含む自己実現言説 総文章件数:2324件 総文章件数:296件 総文章件数:76件 順位 係り受け関係 件数 (件) 占有率 (%) 順位 係り受け関係 件数 (件) 占有率 (%) 順位 係り受け関係 件数 (件) 占有率 (%) 1 自己実現−図る 120 5.2% 1 社会−自己実現 33 11.1% 1 個人−自己実現 34 44.7% 2 自己実現−場 117 5.0% 2 社会−参加 29 9.8% 2 個人−能力 4 5.3% 3 自己実現−目指す 95 4.1% 3 社会−貢献 17 5.7% 3 個人−果たす 2 2.6% 4 自己実現−女性 53 2.3% 4 社会−貢献する 12 4.1% 3 個人−権利 2 2.6% 5 自己実現−できる 47 2.0% 5 社会−中 11 3.7% 3 個人−自立する 2 2.6% 6 自己実現−求める 40 1.7% 5 社会−目指す 11 3.7% 3 個人−図る 2 2.6% 7 自己実現−個人 34 1.5% 7 社会−進出 9 3.0% 3 個人−尊重する 2 2.6% 7 自己実現−道 34 1.5% 8 社会−つくる 5 1.7% 3 個人−目指す 2 2.6% 9 自己実現−社会 33 1.4% 8 社会−作る 5 1.7% 9 個人−コンピューター 1 1.3% 10 自己実現−仕事 32 1.4% 8 社会−できる 5 1.7% 9 個人−する 1 1.3% 【図表2-1】自己実現言説で日本語の「自己実現」および「社会」や「個人」と係り受け関係の強い単語

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 第二に、「個人」の係り受けランキングに焦点を絞ってみても、「個人−自己実現」という係 り受け関係の頻度が圧倒的に高い。それは、「個人」を含む自己実現言説の全件数の76件中の34 件を占め、44.7%(34件/76件)と断然に多く、2位の「個人−能力」の係り受け関係の占有率 が5.3%(4件/76件)にすぎないことと比較すれば、歴然とした差があることから自明である。 「個人」を含む自己実現言説を取り出してくれば、半分近くが「個人−自己実現」の直の係り受け 関係にあるという事実は、まさに驚嘆に値する。  第三に、「個人−自己実現」という係り受け関係の頻度は、他の単語と比較しても、圧倒的な割 合の高さを示す。「社会」を含む自己実現言説における「社会−自己実現」関係の占有率も11.1% (33件/296件)であり相当に高いと言えるが、「個人」を含む自己実現言説における「個人−自 己実現」関係の占有率は44.7%(34件/76件)であり、4倍以上(44.7%/11.1%)という高い 割合を弾き出している計算になる。それどころか、「社会」という単語を含む自己実現言説の総数 が296件あるのに比して、「個人」という単語を含む自己実現言説の総数が76件あるにすぎないの にもかかわらず、「自己実現」との関係で、「自己実現−個人」関係の34件のほうが「自己実現 −社会」関係の33件よりも高い件数を示しているのである。  以上より、「個人」と「自己実現」とは、直接的なつながりという意味で最上位に位置する用い られ方をしている関係にあると判断してよかろう。つまり、自己実現言説において「個人」という 単語が出現するときには,「自己実現」と「個人」とが密接に関わった用いられ方をしている確率 が極めて高いという事実が浮き彫りになったわけである。  では、それらは、具体的にはどのような文章か。テキストマイニングソフトの集計結果によれ ば、「個人−自己実現」関係として認識された34件のうち 個人が自己実現する (&個人0057) の1件を除いた33件が「個人の自己実現」という表記に相当する。ここでは、「個人」と「自 己実現」との間に形容句が入ったりして、「個人の∼な自己実現」、「個人の∼と自己実現」と いった表現も、その骨格部分だけを取り出せば、「個人の自己実現」を意味するとみなしてい る。この33件の具体的な内訳としては、 個人の「自己実現」や「社会参加」の場 が1件(&個人 0005)、 近代的個人の「自由な自己実現」 が1件(&個人0017)、 個人の「自立」「尊厳」 「自己実現」 が2件(&個人0024・0025)を占めるけれども、それ以外の残りの29件のすべて が 個人の自己実現 と表示されている。  さらに、機械的集計だけでは「個人−自己実現」係り受け関係としてカウントされなかったもの が残存しているという可能性を考慮し、「個人」を含む自己実現言説の全76件を筆者が直に読み 直したところ、新たに「個人−自己実現」係り受け関係に相当する表記として追加すべきものを2 件発見した。まず、 個人の多様な自己実現 (&個人0068)は、「多様な」という形容詞が挿入 されているとはいえ、明らかに「個人の自己実現」のことである。また、 個人の自立と自己実現 (&個人0073)という表記は、テキストマイニングソフトでは「個人の自立」と「自己実現」と の組み合わせとして認識されていると推測できるが、文法的には「個人の」が「自立」と「自己実 現」との両方にかかっていて、「個人の自立」と「個人の自己実現」との組み合わせとみなすべき ものである。だから、「個人の自己実現」に相当する表記は、先の33件に2件加えた35件だと結 論できる。付言すれば、現時点におけるコンピュータ言語分析の限界を補うことにより、「個人− 自己実現」係り受け関係に相当する文章が36件(=34件+2件)存在するので、「個人」を含む 自己実現言説における「個人−自己実現」関係の占有率は、47.4%(36件/76件)へと上方修正

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されなければならない。  よって、筆者にとってはあまりに思いがけないことだったが、自己実現言説において「個人」に ついて考察する際には、「個人の自己実現」という表記それ自体を最重要視しなければならないこ とが発見できた。こうしたことから、「個人の自己実現」という表記それ自体を掘り下げることそ れ自体に、大変に重要な意味があると思われる。そういうわけで、事前に予定していた研究作業手 順を根本から変更してでも、すぐに取り組むべき課題だと即決した次第である。

Ⅲ 「個人の自己実現」の位置づけと意味合い

 ここまで見てきたように、「個人の自己実現」という表記は、量的側面から注目に値する。だ が、本稿では、この表記の量的重要性を意識しながらも、その質的側面を掘り下げてみる。なお、 本稿は、テキストマイニングを方法論的基盤としてはいるが、テキストマイニングを援用しながら 解釈を深めるという域まで達しているとは言い難いことを事前に告白しておく。とはいえ、本稿で 示される解釈は、このテキストマイニング手法を用いていなければたどり着いていなかった考察結 果であり、その意味では、量的研究が基盤になったからこそ成しえた質的研究だとみなせる。 A 「自己実現主体」としての「個人」  大量に存在する「個人の自己実現」という表現は、基本的には「個人が自己実現すること」だと そのまま言い換えられるものである。つまり、「個人の自己実現」とは、「自己実現主体としての 個人」が内在した表現である。そして、現代的な意味での語用法的事実を鑑みれば、「個人」が 「自己実現主体」としての特別の位置を占めることを確認しておく必要がある。  まず、理論上は、自己実現主体として、たとえば「集団」でも「社会」でも「国家」でも何でも 当てはめうるはずなのにもかかわらず、実際の集計的事実に基づけば、基本的に「個人」こそが自 己実現主体だとみなされがちなことである。たしかに、 目的は、企業の自己実現と、個人の自己 実現とを一致させることだ (&個人0059)という文章には、「個人の自己実現」と対比させる形 で「企業の自己実現」という表記が明示されており、「企業が自己実現すること」というように、 「自己実現主体としての企業」がクローズアップする例がある。だが、このような用語例は、極め て稀である。実際、「社会」を例に取れば、「社会の自己実現」という事例は見当たらず、「社会 的自己実現」という表現が出てくる場合には、この表現は「社会において個人が自己実現するこ と」を意味しているとみなせても、「社会それ自体が自己実現すること」とは解釈できない6) 。 また、現代的な意味での自己実現概念を直に指し示す場合には、「ヒト」とか「人類」といっ た、生物学寄りの表現ではなく、社会学寄りの「個人」という表現を用いて説明されることが基本 のようである。たとえば、 意識(言葉)を持った特異な生物として進化してきた人類が、それぞ れに個人として、みずからの運命を意識化して生きようとする自己実現 (&個人0022)という表 現は、自己実現する主体の一単位が個別的な一個人だということが暗黙の前提となった言い方であ る。この文章からわかることは、必ずしも「個人だけ」とは限らないが、「個人こそ」が自己実現 主体だということである。よって、自己実現とは「個人単位」で行われることだという考え方は、 いわば「常識」の範疇に属するとみなしてよかろう。  ただし、現代的に発展している心理学理論として見るならば、こうした常識的と思われること

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も、必ずしも自明に扱われていないことを付記しておきたい。たとえば、 最近は、心理学者の中 にも社会への適応、あるいは個人の自己実現を目指すことを超えて、宇宙に中心を置く「超個」的 な、より高次の心のあり方を模索する人が見られる (&個人0035)という文章は、自己実現概念 そのものが個人の範疇に収まりきらないという心理学的可能性を示唆したものである。 B 「個人の自己実現」概念の曖昧さ  では、「個人の自己実現」という言い方が前提とされることを踏まえて、それを単純に「個人が 自己実現すること」だと言い換えてしまってよいのだろうか。結論的に言えば、そのような言い換 えを機械的に行うことはできない。というのは、「自己実現主体としての個人」には、様々なもの が存在しているからである。  たしかに、 企業人としてプロとなり、社会人として社外にも根を張って、個人としては自己実 現を果たそうというのが著者の提言である (&個人0019)という表記の場合、「自己実現するこ と」と「自己実現を果たすこと」とでは、双方の言い方の違いほどには内容に違いはなく、ほぼ同 義で扱ってよかろう。だが、「自己実現主体としての個人」が必ずしも「自己実現する」という言 い方に収まりきらないことを押さえておくべき必然性がある。たとえば、 個人個人が自己実現を 目指して、趣味の活動やボランティア活動などを積極的に行う (&個人0021)という表記の「自 己実現主体」とは「自己実現を目指す0 0 0 0主体」ではあるけれども、こうした主体を決して「自己実現 する0 0主体」と同一視することはできない。というのは、「自己実現すること」が実践過程に内在し た活動に相当するのに対して、「自己実現を目指すこと」が価値的目標を外在的に対象化した言い 方になっている点で、根本的にニュアンスが違ってしまうからである。  とはいえ、実際には、これらの言葉を使っている人の自覚はほとんどなく、混同している場合 がほとんどだろう。それは、「自己実現」という言葉が連呼される割には、それが内容論的に定 義されることがほとんどなかったこととも関係する。もちろん、心理学的観点に基づいて、 「自 己実現とは個人の才能や潜在性などを十分に開発することだ」(『人間性の最高価値』) (&個 人0023)という定義が明示されたり、 エゴがセルフの働きを意識化し個人に内在する可能性を実 現していくことを自己実現と呼んだ (&個人0027)といった内容規定が示されたりすることもあ る。だが、これらの定義それ自体が極めて抽象度の高いものであり、曖昧な言葉を別の曖昧な言葉 で言い換えたにすぎないような域を出ないまま、ぼんやり感は一向にぬぐえない。よって、「自己 実現」とは、目的や目標として設定されたり、頻繁にキャッチフレーズ化されたりする割には、そ れが具体的な内実を伴う形で語られる機会を得ることはほとんどなく、漠然としたままの概念であ り続けたと判断せざるをえない。 C 「自由気まま」と混同されることもある「個人の自己実現」  あらかじめ確認しておくと、「個人の自己実現」という考え方は、常に手放しで称賛されている わけではない。この考え方を全面否定するものは発見できなかったが、何らかの疑問を持たれた り、皮肉られたり、保留条件をつけられたりするというように、斜に構えた態度で評価される場面 がかなりある。  たとえば、 花崎さんは日本社会では「個」の確立を掲げる重要性がまだ大きいと認めた上で、 エゴイズムに突き動かされ、環境破壊を招いた近代的個人の「自由な自己実現」に疑問も抱く

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(&個人0017)という言い方には、「個人の自己実現」が放置されると、「エゴイズム」という 言い方に象徴されるような「個人の自由気まま」にまで発展しかねないという懸念が含意されてい る。また、 タガが外れて個人で自由にやってよいことになったら、今度は家族や自己実現の問題 が一気に噴出してきた感じです (&個人0018)という表記からは、「個人の自己実現」がすでに 「放縦」や「わがまま」として出現してしまっているという現状認識が滲み出ている。さらに、 個人が自己実現するには、社会に共通の価値観があることが前提だ (&個人0057)と言われる 背景には、「社会から独立的に存在しうる個人」という考え方それ自体が理論的に間違いであると いう発想が見え隠れする。  いずれにせよ、現代においては、「個人と社会」とか「個人と国家」というような二項関係のあ り方が問われ始めていることもたしかなのである。「個人の自己実現」が厳しく批判される典型的 パターンの一つとして、そこでは、社会や国家から遊離した地点で「個人のわがまま」を実現する ことであるかのように決めつけられる情況が暗黙の前提となっていることが多い。 D 政策的理念化・社会的目的化・組織的目標化される「個人の自己実現」  一方で、「個人の自己実現」に対する斜に構えた見方がある歴然としてある。だが他方で、大勢 を占める考え方として、「個人の自己実現」が理念化・目的化・目標化される傾向が強まった。  まず、そもそものあり方として、「個人的目標」として「自己実現」が語られることが、基本的 なあり方だと言える。実際、 スポーツやダンスなどの身体芸が、個人の自己実現としての身体を 目指すものに変わってきた (&個人0039)という言い方は、あくまでも個人レベルで収まる話で あり、「個体としての人間が自己を実現していくこと」に焦点が当たっていても、その話題は決し て社会的な広がりを求めていない。  だが、このような立場がむしろ少数派であり、「個人の自己実現」が話題化するとき、社会的な つながりを伴った展開を見せる内容のほうが多いという事実にこそ注目したい。つまり、単に「個 人的課題」という域を超えて、「個人の自己実現」に対する「社会的振興」を図るというような意 味合いになっていることがポイントである。21世紀になってからだが、 自立した個人を社会の基 本的な単位としながら、自己実現を果たし、豊かな生活を実現していくことを、社会保障などの公 的政策で支援していくような方向が、望ましいのではないか (&個人0066)と提言されているの は、この点で非常に象徴的である。  そこで、何より注目すべきは、1992(平成4)年に宮澤喜一内閣が国会で行った所信表明であり、 それが、「個人の自己実現」を国策として社会的に振興していこうとする宣言でもあったとみなせ ることである。宮澤首相により「生活大国」をキーワードとして掲げられた柱の一つとして 労働 時間や通勤時間の短縮により、個人が自己実現を図るため、自由時間、余暇時間を十分活用するこ とのできる社会 (&個人0006・0007)が公言されたことの意義は、自己実現概念の現代史的展 開を語る上で非常に重要な歴史的ターニングポイントとなっていることである。付言すれば、「仕 事をつうじた自己実現」とは異なる「自由時間・余暇時間をつうじた自己実現」が国策的に大々的 に明示された点でも、宮澤演説は画期的な意味合いがある。  また、この「個人の自己実現」を社会的に振興する動きが、組織論的提案として表現されている こともある。たとえば、 個人の「自己実現」や「社会参加」の場として、企業を共生的なシステ ムととらえる視点を持たなければいけない (&個人0005)という言い方は、その理念的方向性を

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示している。実際的な動きとしても、 社内の組織の壁を超えて社員の知識や技能を活用するとと もに、個人の自己実現を支援する目的で導入される (&個人0038)というような企業が存在して いる。このようにして、1990年代前半には、組織として「個人の自己実現」を支援することを重 要目標に置く動きが加速化した跡がうかがえる。それどころか、21世紀すぐには、 あくまで会社 は、個人の自己実現を支援する「場」にすぎないはず (&個人0036)というような、「<個人の 自己実現>至上主義」と呼んでもよさそうなほどの極論が出てきた。ここまでに至れば、全体とは 決して言えないし、一時的な現象にすぎなかったかもしれないけれども、一部には「個人の自己実 現」が組織的目的としての絶対的な地位を確立させたとみなせる。  21世紀初めには、国の教育政策的なスローガンの重要な柱として、「個人の自己実現」という 表記それ自体が一気に広がった。当時、国の文教政策として教育基本法を改正しようとする動き が活発化していたが、それは、中央教育審議会が2002(平成14)年11月に「新しい時代にふさわし い教育基本法と教育振興基本計画の在り方について(中間報告)」を出し、2003(平成15)年3月に 「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について(答申)」を出す中 で、 個人の自己実現と個性・能力の伸長、創造性の涵養 (&個人0044)という表現を用いたこ とが直に関係している。つまり、これらの政策文書の具体的な内容が何回も報道されたので、「個 人の自己実現」という表記それ自体が反復され広がっていったというわけである。実際、本研究 におけるテキストマイニング分析を踏まえれば、この中央教育審議会答申が頻繁に引用されたこ との影響は絶大で、「個人の自己実現」という表記を文中に含むに至った直接的・間接的な文章 は、2002年の時点で3件(&個人0044・0046・0047)、2003年の時点で8件(&個人0049・ 0050・0051・0052・0053・0054・0055・0056)、2004年の時点で3件(&個人0063・ 0064・0069)というように、合計14件(=3件+8件+3件)がカウントされている。こうし て、「自己実現」に直に接続する単語として「個人」も際だった時期が存在したのである。   また、国レベルだけでなく、地方自治体レベルにおいても、「個人の自己実現」というキーワー ドは、政策的理念として一般化した。2010年代が間近に迫る中で、 達増知事は社会の情報化やグ ローバル化が進む中で、「県の役割が、何かを与えていくというものから、個人の自己実現のサ ポートに変わっていく」と指摘 (&個人0074)という言い方が岩手県でなされていることは見逃 せない。「与える行政」から「自立を支える行政」への転換と言えよう。 E 人権理論として位置づく「個人の自己実現」  ここまで見てきたように、「個人の自己実現」それ自体が概念として曖昧であったり、時に「個 人的放縦」と混同されたりするというような課題を抱えつつも、「個人の自己実現」は社会的振興 の対象として徐々に注目されてきた。そして、実際的という意味で、極めて注目すべき現象は、法 律や制度の問題として「自己実現」をまさに実践化しようとしている動きである。  21世紀には、 憲法手がかりに個人の共生社会考える (&個人0061)と題された記事の中で、 憲法学者の佐藤幸治の持論として、 「個人が自己実現を目指す人格的自律権」が最大限尊重され るべきだ (同上)という考え方が示され、 そうした個人が共に生きる社会をどうやったら築け るかという問題を、憲法を手がかりに考えている (同上)と紹介されたように、「個人の自己実 現」について「権利」の問題として捉え直し、同時にそれを社会側の問題として引き受け直そうと する動きが明確になった。さらに、時を1990年代前半まで遡れば、「人権論」における尊重対象

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として「個人の自己実現」が丁寧に論じられていた事実を確認できる。  憲法学者の江橋崇は、1993(平成5)年に、 人権の神髄は「自己実現」 (&個人0014)と題して 寄稿した論文の中で、日本国憲法13条について解説しながら、 幸福追求権は、FORTUNEに 対する権利という意味であるから、財産権保障の意味が強かったのであるが、日本では同上前段で 「すべて国民は、個人として尊重される」と個人の尊重を保障したことと結び付けて、一人ひとり の人間が、かけがえのない命を大事にして、自分の人生を自作自演して自己実現をすすめて幸福に なる権利と理解される (同上)と述べている7) 。この文章は、「自己実現を社会的に振興するこ と」という域にとどまらず、「自己実現を社会制度的に保障すること」を提言したものであり、こ の一文からだけでも、「人権理論としての自己実現」についての基本的なエッセンスが抽出でき る。「自己実現を社会制度的に保障すること」の核を明らかにするためには、「個人として尊重さ れること」の意味合いを深めることが重要である。そこで本稿では、この一文について、「自己実 現」に関する時代状況の反映とみなして、あたかも三本の柱で構成されているかのような状態に喩 えて解釈し直してみることにより「個人の自己実現」についての考察を深めていきたい。その際、 【巻末表】から関連しそうな文章を援用してくることにする。  第一の柱として、「一人ひとり(=一人一人)」という言い方が鍵であり、抽象的に包括される 「人一般」ではなく、個別具体的な「各々の人」であることの意義が浮かび上がる。よって、仮に 「国民が自己実現する」という言い方をしたとしても、そこには「個人」が潜在的に含意されてい て、「国民一人ひとり0 0 0 0 0が自己実現する」というニュアンスになり、主語が集合的なものとしてでな く、主語を個別的なものとして理解することがポイントになる。別の記事を援用すれば、 エコロ ジカルな社会というのは個人が尊重され、一人ひとりが自己実現を目指せる社会だと思う (&個 人0043)といった表現には、社会の側に「個人個人の個別性」を尊重することを求めるあり方が 宣言されている。また、2000年代はじめの認識だが、 個人主義とは本来、個人一人一人が大事で あると考え、それぞれが力を発揮し、自己実現できることを願うものだ (&個人0040)というよ うに、ややもすると単なる個人的姿勢のあり方の一つとしてみなされがちな「個人主義」という言 葉を、社会側から見た個人に対する姿勢として把握する考え方も存在する。これらのことから、社 会的条件を伴わせる形で「一人ひとりが個別存在として尊重されること」が「人権としての自己実 現」の必要条件として理解されていることが判明する。  第二の柱は、江橋の言う「かけがえのない命」とは、一人ひとりの人間が、原理的に繰り返すこ とのできない時間を生きているという絶対的事実の確認だとみなせることである。つまり、「かけ がえのなさ」には、個々の生命体の一瞬一瞬の時間の反復不可能性を読み取る必要があり、それが 「自己実現」を人権論的に把握した場合の「個人たること」の根本的意味となる。そして、この 「かけがえのなさ」は、生死ほどの仰々しさを必ずしも伴わなくても、個々人の人生の一瞬一瞬に 見いだすことが可能な日常的なものである。他方で、見方を変えれば、この「かけがえのなさ」 は、簡単に消え去ってしまうような「儚さ」へと容易に反転してしまうような、脆いものでもあ る。2007年に示された別の記事のものだが、 あらゆる価値観が多様化・流動化した時代には、個 人が承認されたり、自己実現したりするための「意味」や「物語」は容易に反転してしまう (& 個人0076)という見方は、決して冷笑的な皮肉ではなく、冷静な捉え方である。だがそうだから こそ、人権論的な立場からすれば、「個人の自己実現」とは決して「個人任せ」の問題ではなく、 社会の側が一人ひとりの個人をどのように支援すれば効果的かといった社会的課題として主題化せ

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ざるをえないはずである。  第三の柱として、「かけがえのない命」を生きる「一人ひとりの人間」の集合体として成り立つ 社会が、原理的に互換不可能な複数の個体によって多様に織りなされているという事実性を読み取 りたい。20世紀末には、 成熟社会になり、個人の自己実現が多様化してきた (&個人0028)と いう言い方がなされたが、「個人の自己実現」を「多様性」として形容することの意味合いは奥深 く、「成熟社会」には「一人ひとりの存在が交換不可能であることを、まさに一人ひとりが自覚し 始めた社会」という側面があることを裏付ける。それは、「自己実現したがる個人」とは、「その 他大勢の一人」として「匿名性」に埋没するのではなく、「唯一性」たる「かけがえのない自己」 として「まさに自分自身たること」を欲する存在だということである。  この欲求が目立つ属性としては、「女性」が顕著である。たとえば、 かつて女性の幸せは結婚 して高い地位の男性の妻となり母となることにあると考えられていたのだろうが、実際は仕事など で個人としての自己実現ができないと女性は幸せを感じられない (&個人0067)という2000年 代前半の文章からは、「男性」の付属物的な存在として受け身の幸せを享受することよりも、何ら かの独立存在として生きることのほうを好む「女性」が増えてきたという現状認識が読み取れる。 実際、20世紀末の文章中の 「奥さん」や「お母さん」としてではなく、個人として自己実現の場 を見つけたかったという (&個人0030)欲求は、「誰かの妻」とか「誰かの母親」といった、何 かに付随して取り扱われる存在としてではなく、「まさにかけがえのない私」としての生を営みた いという欲求である。この一文からは、「ある属性の中の一人として自己実現する」とか「役割を 担う一人として自己実現する」ということの実現可能性が薄く、「自己実現」が「まさに個人とし て達成されるもの」として成立してはじめて促進されるものであることが示唆される。  以上より、強く意識しておきたいことは、「人権論としての自己実現」という立場からすれば、 「個人」は、「人」という漠然とした言い方よりも限定され具体化された概念であり、両者を同一 視してはならないということである。人間集団の多様性や個々人の個別性などに十分な配慮をしな くても、彼らを生命体として侵害するのでなければ、「人として0 0 0 0尊重されている状態」は原理的に 成り立つので、「個人として0 0 0 0 0は尊重されていなくても、人としては尊重されている」という状態は 実際にありうる。だからこそ、社会的振興という文脈において、「個人として尊重されている状 態」を保障する必要条件として、「個々人の存在そのものの個別性」、「個々人の人生の反復不可 能性」、「個々人どうしの互換不可能性」といった基盤要素が、「個人の自己実現」を人権理論と して実質化するためには必要不可欠だと再確認されることになる。

まとめにかえて

 本稿は、当初計画を大幅に変更して論を展開したものとなった。というのは、「個人」を含む自 己実現言説を実際に考察していくと、「個人の自己実現」という表記が想定以上に頻出することが 判明したので、その事実を量的に確認するだけでは決して十分でなく、そうした現象の中味を具体 的に掘り下げて、ある程度まで解釈を加えて質的研究を深めることを優先させるべきだと判断した からである。実際、その成果は相当に上がったと考える。  筆者にとって最も重要なことは、現代的な用語として「自己実現」といった場合、わざわざ「個 人」という言葉を表に出してこなくても、それが「まさに個人としての自己実現」を意味している

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のではないかということを再発見したことである。むろん、このことは、ほとんどの人にとってあ まりに自明すぎることであろうが、この自明性それ自体が「現代的に生み出された歴史的固定観 念」であることに気づいている筆者にとってはかえって新鮮だという逆説があり、改めて掘り下げ なければならないテーマを新発見できたというわけである。「自己実現」という言葉が曖昧である という事実にばかりに目を奪われていた筆者は、本稿執筆をつうじて、「個人たること」それ自体 の意味もまたほとんど深められておらず、それゆえに自己実現言説が人によって多義化してしまう 困難さが生じて混乱・混迷しているのではないかという気づきを得られた。だからこそ、「人権理 論としての自己実現概念」を多少なりとも深める機会を得たことは、「まさに個人としての自己実 現」を考察する機会となり、これまで多くの論者が見落としがちであった「個人たることの意味と 意義」を具体的に肉付けできたと考える。  次回は、「個人」を含む自己実現言説についての全体を俯瞰した上で、量的側面と質的側面との 双方から立体的考察を進めて、少しでも新たな発見ができるよう努めたい。その際やはり、「個 人」という言葉について、「社会」という言葉との絡みに注目することは欠かせない。 −注・引用文献− 1)本稿については、以下の拙稿との姉妹作として位置づけている。佐々木英和「自己実現言説に おける『社会』の位置づけに関する一考察−テキストマイニング手法による新事実の発見と実 証の試み−」、宇都宮大学教育学部編『宇都宮大学教育学部紀要』第65号第1部、2015年所 収、229∼248頁。佐々木英和「自己実現言説における『社会』の意味合いについての歴史的 考察−テキストマイニング手法による量的研究と質的研究との接合の試み−」、宇都宮大学教 育学部編『宇都宮大学教育学部紀要』第66号第1部、2016年所収、223∼248頁。 2)佐々木英和「現代日本語『自己実現』の特徴を実証する基礎データの提示−質的データの量 的把握による整理−」、宇都宮大学教育学部編『宇都宮大学教育学部紀要』第64号第1部、 2014年所収、233∼234頁。本稿独特の表記方法について逐一説明を入れないまま用いてい る場合があるが、その点については以上の拙稿(同上、221∼246頁)で説明済みであるの で、必要に応じて参照のこと。 3)佐々木英和「明治中後期における自己実現思想の輸入の様相−日本語『自我実現』の創造にイ ギリス理想主義が果たした役割−」、行安茂編『イギリス理想主義と河合栄治郎』、世界思想 社、2014年所収、203∼205頁。 4)中島力造「ジェー、エチ、ミュイアヘッド氏倫理学」、哲学会編『哲学雑誌』第11巻第106 号、哲学雑誌社、1895(明治28)年12月10日発行所収、983頁。なお、漢字について、旧字体 は新字体にした。また、アンダーラインは引用者による。 5)佐々木、前掲論文(2014年)、229∼232頁。 6)このことを確認するために、たとえば佐々木・前掲論文(2015年)・232∼234頁を参照。 7)日本国憲法は、「第3章 国民の権利及び義務」の第13条において、 すべて国民は、個人とし て尊重される と宣言した後に、 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公 共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする と続ける。

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【巻末表】

 下表において、「DB」とは、新聞雑誌の記事の検索を行ったデータベースのことである。また、「分類」と いう表現をした部分で、「◎」「○」「△」の記号を示したものは、「個人の自己実現」を基準として、「個 人」と「自己実現」との語用法的距離感が直接的か間接的か、それとも無関係に近いかの目安を筆者なりに設 けたものである。「◎」は、「個人の自己実現」を直裁的に表したもの、「○」は「個人が自己実現するこ と」を直裁的に表したもの」(「個人としての自己実現」や「個人が自己実現する」などの表記)、「△」は 「個人が自己実現を目指すこと」を表したものとして分離していて、記号が無記入のものは、「個人」と「自 己実現」とが文法的には無関係になっているとみなしたものである。 認識 記号 DB 新聞・ 雑誌名 朝刊 夕刊 日 付 掲載面 タイトル 本     文 分類 & 個人 0001 ヨミダス 読売 新聞 夕刊 1970年 4月13日付 国際面 [国際未来会議から] 余暇 の未来像 変わるレジャー の定義 「自己実現」のために個人の能力、特性を知る方法と して、ウルフ氏はコンピューターによる「個人を因数 分解する」サンプルを提示した。 & 個人 0002 ヨミダス 読売 新聞 朝刊 1975年 2月24日付 学術面 今日の生きがい/山口彰 (2の1) 自分の能力を自分個人のために発揮するのではなく、 それを抑え、遅い人を援助することに注入することこ そ人間性に富んだ自己実現であると考えるのだ。 & 個人 0003 ヨミダス 読売 新聞 朝刊 1975年 2月24日付 学術面 今日の生きがい/山口彰 (2の2) これからの主婦の自己実現も、個人の教養、趣味の分 野だけでなく、社会にどう貢献しうるか、という尺度 を重視した生活こそ一層すばらしい質の自己実現とな り、充実した生きがいを生む、という結論になろうか。 & 個人 0004 ヨミダス 読売 新聞 東京 朝刊 1990年 7月24日付 2社面 ゴロ寝やレジャー疲れ…よ り 「健康休暇」の時代で す/厚生省が指針 そして望ましい「週休」「休暇」の取り方では、〈1〉 疲れるだけの移動型レジャーから滞在型へ〈2〉会社・ 職場主導から家族・友人主体へ〈3〉国民の休日中心 から個人の都合に応じての休日へ〈4〉労働再生産の ためから自己実現や生きがいのために−−などの視点 が必要としている。 & 個人 0005 聞蔵 朝日 新聞 夕刊 1991年 1 2 月 1 1 日 付 大阪特 集 シンポ「都市と音楽5」− 企業文化の展望 【大阪】 個人の「自己実現」や「社会参加」の場として、企業 を共生的なシステムととらえる視点を持たなければい けない。 ◎ & 個人 0006 聞蔵 朝日 新聞 夕刊 1992年 1月24日付 特設ニ ュース 面 宮沢首相の施政方針演説< 全文> 第2に、労働時間や通勤時間の短縮により、個人が自 己実現を図るため、自由時間、余暇時間を十分活用す ることのできる社会であります。 ○ & 個人 0007 ヨミダス 読売 新聞 東京 夕刊 1992年 1月24日付 夕二面 第123通常国会での宮沢 首相の施政方針演説の全文 第二に、労働時間や通勤時間の短縮により、個人が自 己実現を図るため、自由時間、余暇時間を十分活用す ることのできる社会であります。 ○ & 個人 0008 聞蔵 朝日 新聞 朝刊 1992年 2月9日付 3総面 十人十色の生活大国観 ど う描く将来像−経済審審議 入り(時時刻刻) 快適で安全な質の高い生活環境の中で、個人が自由時 間、余暇時間を十分活用でき、高齢者や障害者が安心 して暮らせ、女性が社会でも家庭でも自己実現を図れ、 豊かな個性や香り高い文化が花開く社会」 & 個人 0009 聞蔵 朝日 新聞 朝刊 1992年 3月12日付 別刷り 景気後退下の門出 編集委 員・石川陽治 フレッシュ パースン特集 だが、仕事の達成感とか、自己実現の意識などは個人 によって異なる。 & 個人 0010 聞蔵 朝日 新聞 夕刊 1992年 5月8日付 特設ニ ュース 面 冷 戦 後 の 貢 献 策 を 探 る   92年版通商白書 新しい枠組みは、企業の成長より生活者として個人の 自己実現と消費者利益をより重視したものだ、と指摘 できる。 ◎ & 個人 0011 ヨミダス 読売 新聞 東京 朝刊 1992年 5月30日付 A経面 新経済5か年計画 29日 の経済審企画・公共部会の 報告要旨 個人の自己実現の機会を与え、地域や国際社会の一員 にふさわしい企業行動へ変革が求められる。 ◎ & 個人 0012 ヨミダス 読売 新聞 大阪 朝刊 1992年 9月5日付 生活A 面 「ウィメンズ・センター大 阪」1周年 自己変革めざ す女性たち 従来のカウンセリングでは、女性がそうした自己実現 を真剣に渇望しているとは考えず、恵まれた人のぜい たくな悩みとか、わがままとして片づけられる場合が 多かったんですが、それを、女性個人の問題ではなく、 社会的文脈の中でとらえ、女性の自己実現を援助する のがフェミニスト・カウンセリングです

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認識 記号 DB 新聞・ 雑誌名 朝刊 夕刊 日 付 掲載面 タイトル 本     文 分類 & 個人 0013 ヨミダス 読売 新聞 東京 朝刊 1992年 11月9日付 書評B 面 「西田哲学で現代社会を観 る」根井康之著 個人の自己実現を抑圧する機能とすらなってしまった 近代社会システムを再編成する道は何か。 ◎ & 個人 0014 聞蔵 朝日 新聞 夕刊 1993年 6月9日付 文化面 人権の神髄は「自己実現」  政治・経済の教科書で実 験的試み 江橋崇 幸福追求権は、FORTUNEに対する権利という意 味であるから、財産権保障の意味が強かったのである が、日本では同上前段で「すべて国民は、個人として 尊重される」と個人の尊重を保障したことと結び付け て、一人ひとりの人間が、かけがえのない命を大事に して、自分の人生を自作自演して自己実現をすすめて 幸福になる権利と理解される。 & 個人 0015 聞蔵 朝日 新聞 朝刊 1995年 1月6日付 オピニ オン面 没個性からの脱却をめざせ (声) 日本の社会全体が経済成長を遂げるため、また自己実 現のために同質化を求められ、個人も何の疑問ももた ずに社会と会社のためにガンバッテきた。 & 個人 0016 聞蔵 朝日 新聞 夕刊 1995年 1 0 月 2 8 日 付 夕刊経 済特集 面 ポスト情報社会に向けて  大橋照枝(ぜみなーる) 組織の大きさに関係なく、個人や女性起業家、ベンチ ャー型の中小企業、地方に住む人たちが、インターネ ット上で世界を相手に自由で対等に自己実現やビジネ スを行うというネットワーク型社会が、いまや現実の ものとなりつつある。 & 個人 0017 聞蔵 朝日 新聞 夕刊 1995年 1 1 月 2 4 日 付 文化面 人間の生命と地球環境つな ぐ個 倫理学は使えるか: 下(学問を歩く) 花崎さんは日本社会では「個」の確立を掲げる重要性 がまだ大きいと認めた上で、エゴイズムに突き動かさ れ、環境破壊を招いた近代的個人の「自由な自己実 現」に疑問も抱く。 ◎ & 個人 0018 ヨミダス 読売 新聞 東京 夕刊 1996年 1 0 月 1 7 日 付 文化面 [平成問答]香山リカ・女 の周辺(中)養老孟司氏を 迎えて タガが外れて個人で自由にやってよいことになったら、 今度は家族や自己実現の問題が一気に噴出してきた感 じです。 & 個人 0019 ヨミダス 読売 新聞 東京 朝刊 1997年 4月6日付 書評B 面 「サラリーマンの自画像」 梅澤正著 自己実現への新 たな模索 企業人としてプロとなり、社会人として社外にも根を 張って、個人としては自己実現を果たそうというのが 著者の提言である。 ○ & 個人 0020 ヨミダス 読売 新聞 東京 朝刊 1997年 5月28日付 朝特C 面 第3回マルチメディア国際 フォーラム第2日 急がれ るインフラ整備=見開き特 集 電子商取引を、大企業が一方的にモノを売るためでは なく、個人が創造性を基に別の消費者に売るような、 自己実現の場として考えたい。 & 個人 0021 聞蔵 朝日 新聞 朝刊 1997年 6月7日付 宮崎面 学歴社会から学習歴社会へ 草野勝彦(評論ひむか)  /宮崎 そこでは個人個人が自己実現を目指して、趣味の活動 やボランティア活動などを積極的に行う。 △ & 個人 0022 ヨミダス 読売 新聞 東京 夕刊 1998年 1 0 月 1 3 日 付 文化面 [流砂の遠近法]女性の変 容 知識と戦いの「女神」 に 日野啓三(寄稿) それは思い切って要約すると、意識(言葉)を持った 特異な生物として進化してきた人類が、それぞれに個 人として、みずからの運命を意識化して生きようとす る自己実現であろう。 △ & 個人 0023 ヨミダス 読売 新聞 東京 朝刊 1999年 5月5日付 気流面 [20世紀どんな時代だっ たのか](276)思想  無意識の発見=3(連載) 「自己実現とは個人の才能や潜在性などを十分に開発 することだ」(『人間性の最高価値』)。 & 個人 0024 聞蔵 朝日 新聞 朝刊 1999年 6月26日付 政治面 連邦型国家目指す 民主党、 「政権政策」に盛る (2の1) そのうえで民主党は「自由」「公正」「共生」を基本 とした社会をめざし、個人の「自立」「尊厳」「自己 実現」を重視するとした。 ◎ & 個人 0025 聞蔵 朝日 新聞 朝刊 1999年 6月26日付 政治面 連邦型国家目指す 民主党、 「政権政策」に盛る (2の2) <政権の基本理念>「自由」「公正」「共生」を基本 理念とした社会をめざし、個人の「自立」「尊厳」 「自己実現」を重視する。 ◎ & 個人 0026 ヨミダス 読売 新聞 東京 朝刊 1999年 1 1 月 2 8 日 付 書評B 面 [記者が選ぶ]「『オウム 真理教事件』完全解読」竹 岡俊樹著 〈「本当の自分」を求めて逃走することではなく…… すべての個人が自己実現を果たすことのできる、経済 原理からは切り離された文化システムを創(つく)り 上げること〉。 ○ & 個人 0027 聞蔵 朝日 新聞 夕刊 2000年 1月8日付 ワイド 文化面 自 己 チ ュ ー   中 身 は 空 っ ぽ?個の核心(探検キーワ ード) エゴがセルフの働きを意識化し個人に内在する可能性 を実現していくことを自己実現と呼んだ。 & 個人 0028 聞蔵 朝日 新聞 朝刊 2000年 2月17日付 三重面 「石原流」に共感・異論  外形標準課税で北川正恭知 事 /三重 成熟社会になり、個人の自己実現が多様化してきた。 ◎

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認識 記号 DB 新聞・ 雑誌名 朝刊 夕刊 日 付 掲載面 タイトル 本     文 分類 & 個人 0029 聞蔵 朝日 新聞 朝刊 2000年 4月6日付 オピニ オン1 面 自己実現の土台つくる教育  関本憲一(論壇) なりたいものになるための自己実現の土台づくりこそ 周りの大人の役割であり、自己解決能力を持った自立 した個人を育てていくことこそが教育の目的ではない だろうか。 & 個人 0030 聞蔵 朝日 新聞 朝刊 2000年 4月26日付 大阪1 面 大賞に兵庫の安藤喜代子さ ん 「五輪」川柳、招致委 選ぶ /大阪 「奥さん」や「お母さん」としてではなく、個人とし て自己実現の場を見つけたかったという。 ○ & 個人 0031 聞蔵 朝日 新聞 朝刊 2000年 9月3日付 読書3 面 プロフェッショナルの条件   P ・ F ・ ド ラ ッ カ ー 著 (書評) この本は、ドラッカーのエッセンスを、三冊にまとめ たものの第一冊で、長年ドラッカーを翻訳・紹介して きた訳者が、著者との相談のもとに、個人の自己実現 に関する文章を集めたものである。 ◎ & 個人 0032 ヨミダス 読売 新聞 東京 朝刊 2000年 9月8日付 生活A 面 学生がブース構え企業にP R 逆求人フェスティバル  「本音語り合う場を」 就職ジャーナル編集長の石川純一さんは「個人が自分 の能力を資料にして企業に売り込む米国の求職行動を ほうふつさせる動きだ。会社に入ることより、自己実 現のために働く場を選ぶという学生が増えており、い いことだと思う」と話している。 & 個人 0033 聞蔵 朝日 新聞 朝刊 2000年 1 1 月 2 0 日 付 北海道 1面 変わる障害者の就労 「戦 力」と位置づけ /北海道 個人の個性を生かし、仕事を通じての自己実現をする ために、最低賃金を下回る条件でも企業で働きたいと いう障害者は増えてきている & 個人 0034 ヨミダス 読売 新聞 西部 朝刊 2001年 2月6日付 西B経 面 2001年版九州経済白書 「個」重視の雇用創出へ 生産性に優れるIT社会が、余剰労働力を生み出すだ けでなく、新しい自己実現の舞台となるためには、組 織主体の「雇用維持政策」から、個人を重視した公共 政策や企業経営スタンスが不可欠だ。 & 個人 0035 ヨミダス 読売 新聞 西部 夕刊 2001年 6月9日付 夕2社 面 心のうらおもて 「自己」 超え広がる 宇宙  福岡県 立大学名誉教授(寄稿) 最近は、心理学者の中にも社会への適応、あるいは個 人の自己実現を目指すことを超えて、宇宙に中心を置 く「超個」的な、より高次の心のあり方を模索する人 が見られる。 ◎ & 個人 0036 聞蔵 週刊 アエラ − 2001年 6月25日付 − 「頑張りぃ、大阪」  ナ ニワ 力で行こう! あくまで会社は、個人の自己実現を支援する『場』に すぎないはず ◎ & 個人 0037 ヨミダス 読売 新聞 東京 朝刊 2001年 7月14日付 石川2 面 参院選石川選挙区 4候補 者はこんな人=石川 〈9〉仕事と家庭と地域のバランスの上に立って個人 の自己実現ができる社会。 ◎ & 個人 0038 聞蔵 朝日 新聞 朝刊 2001年 9月7日付 2総合 面 社内ネットで人材「縁結び」  松下が新制度 【大阪】 社内の組織の壁を超えて社員の知識や技能を活用する とともに、個人の自己実現を支援する目的で導入され る。 ◎ & 個人 0039 聞蔵 朝日 新聞 夕刊 2002年 1月11日付 文化面 ほぐす(息抜きながら生き 抜 く た め の 2 1 世 紀 的 動 詞:5) スポーツやダンスなどの身体芸が、個人の自己実現と しての身体を目指すものに変わってきた ◎ & 個人 0040 聞蔵 朝日 新聞 夕刊 2002年 1月28日付 1商面 人々に力を(経済気象台) しかし、個人主義とは本来、個人一人一人が大事であ ると考え、それぞれが力を発揮し、自己実現できるこ とを願うものだ。 & 個人 0041 聞蔵 朝日 新聞 朝刊 2002年 6月15日付 be週 末、b 4面 Jリーグを引退したら 吉 田仁美(元気がでる経営) 一般の企業でも、成果主義を掲げながら、業績向上を 求める「組織の論理」と、キャリア形成という自己実 現を願う「個人の論理」が結びつかない場合が多い。 & 個人 0042 聞蔵 朝日 新聞 朝刊 2002年 7月30日付 3社会 面 両論併記・「検討」ばかり 教育基本法見直し、中教審 論議 ・重要事項として、個人の能力の伸長、創造性の涵養 (かんよう)、自己実現、公の意識、公共心、規範意 識、国際性と日本人としてのアイデンティティー(伝 統、文化の尊重、郷土や国を愛する心)などがあげら れた。 & 個人 0043 聞蔵 朝日 新聞 夕刊 2002年 10月3日付 北海道 3面 NPO法人TEC(明日へ の風 NPOの人々) / 北海道 エコロジカルな社会というのは個人が尊重され、一人 ひとりが自己実現を目指せる社会だと思う。 △ & 個人 0044 ヨミダス 読売 新聞 東京 朝刊 2002年 1 0 月 1 7 日 付 一面 愛国心・「公」の意識を盛 る 教育基本法全面見直し /中教審中間報告案 〈1〉個人の能力の伸長、創造性の涵養(かんよう)、 個人の自己実現、努力や向上心 ◎

参照

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