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有珠善光寺関係資料

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Academic year: 2021

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(1)

有珠善光寺関係資料

関口

靜雄

宮本

花恵

北海道伊達市有珠町所在の大臼山道場院善光寺の関係資料を紹介する。 文化元年 (    )、 江 戸幕府は蝦夷地奉行の願い出により、 いわゆる 蝦夷三官寺の設置を決定した。幕府は蝦夷地支配にあたり、様似に天台 宗帰嚮山厚沢寺等 院 有珠に浄土宗大臼山善光寺 厚岸に臨済宗景雲 山国泰寺の三寺を建立し、露国の南下に対する警戒警備とアイヌの親露 化防止を画策した。蝦夷地警備を弘前 盛岡の二藩に命じ、非常時出兵 は秋田 庄内 仙台 会津諸藩に命じたことや、交易を目的に蝦夷地に 渡る商人等々の和人も増大したから、三寺の教化布教もアイヌだけを対 象としたものではなかった。 有珠善光寺は木食円空 木 五行、また菅江真澄 松浦武四郎が訪れ たことでも知られるが、寺格は等 院に次ぎ、国泰寺の上位に位置して いたと伝え、噴火湾岸のヤマコシナイ (八雲町山越) からシラオイ (白老 町) までをその教化の持場にしたという。 文政五年 (   )と嘉永六年 (   )の有珠山噴火によって多くの寺宝を失ったが、 それでもなお貴 重な資料が伝蔵されている。中でも四世弁定が開版した『念仏上人子引 歌』は和文にアイヌ語文を併記したもので、その板木はアイヌ語を刻し たものとして道内における現存最古のものとされる。善光寺歴代は教化 の方便として木版の刷り物を印施したようで、ために多種の板木が伝え られている。また『善光寺過去帳』はアイヌの人たちの名が記されてお り、百万遍念珠も伝わることから宗風の浸透ぶりを窺うことができる。 そのほか釈 如来大仏 (道指定文化財) 円空 鉈作 りの 観 音菩 像 ( 同 )  黄檗 版 一切経 な ど 貴重な 遺品 が存する。善光寺は 昭 和四 十九 年に宝物 館 を開 館 し、資料の 整理 と 研究 に 努力 している。その 驥尾 に 付 して、この た び は 「 有珠善光寺関係資料 」 として、下記五 点 の資料に つ いて 愚稿 を 記しおきたい。 1. 『 佛説阿彌陀經變相 』 嘉永元年(    ) 蓮社德信識 、善光寺蔵版。 2. 『 鸞洲 和 尚畫 像 』 洛東 臨 照 院蔵 椿椿 山 筆 『 鸞洲 和 尚畫 像 』 の木版印刷。 3. 『 後 世の 枝折 』 鸞洲 明治 二 十 七 年(    )小石川 宗 慶 寺蔵版。 4. 『蝦夷地大臼山善光寺 縁起 』 文化三年(    )善光寺 幹事誌 。 5. 『念 佛 上人子引歌』 弁 瑞 善光寺蔵版。 (関 口 ) [追 記 ] 善光寺木立真 理 師 から 『蝦夷地善光寺 日鑑 』 等 々貴重な資料と大 切 なお教えを 戴 いた。 感謝申 し上 げ る。 昭和女子大学大学院生活機構研究科紀要 Vol.26(19)~(41)(2017)

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資料



(2)

[資料 1 ]

『佛説阿彌陀經變相』

嘉永元年正蓮社德真識 東蝦夷地善光寺蔵版 右の浄土変相図一幅 (木版。 全体一六三×六六㎝、 本紙一三三×五八㎝。 宮島コレクション蔵) は上部に 『佛説阿彌陀經變相』 、 下 部に 「嘉永元年 戊申五月刻東蝦夷地善光寺藏版」とあり、裏面に木版 の版行由来が貼 付されている。 阿弥陀經變相叙由畧 〔嘉永瑞祥〕 (朱印) この變 へん 相 ざう は。 祐誉荘海上人の。 感 かん 得 どく しませる 所 ところ 也。 /師 し は。 文化 元年の冬。 台 たい 命 めい を蒙 かうふ り。 東蝦 え 夷 そ の/地 ち に。 大 おほ 臼 うす 山 ざん 善 ぜん 光 くはう 寺 じ を開 かい 創 さう し。 同 キ 二年五月五日に/入 にふ 寂 じやく し給ひき。 予 われ 其 その 時 とき 随 ずゐ 仕 じ し侍 はべ りける が。 師 し に代 かは りて。 /かの遠 とを き境 さかい の。 寺 てら 居 ゐ の経 けい 營 えい など。 はからひ合 あは せ。 其 その 事 こと /畢 をへ てかへりぬ。 そ も荘海上人。 か ねて此 この 変 へん 相 さう を。 /世 よ に留 とゞ め。 ものせむとの 志 こゝろざし ありしが。予其嘱 そく をうけて/より。茲 こゝ に四十餘 よ 年 ねん に及 およ べり。時 とき なる哉 かな 。今 こ 茲 とし 。募 ぼ /して漸 えん やうや く刻 こく 來 なり けり。かゝれば深 ふか く瞻 せん 禮 らい 恭 く 敬 げう の/人 ひと は。共  とも に一 いち 蓮 れん 託 たく 生 しやう の功 こう 。露 つゆ も疑 うたが ひあらじと云 戊申五月五日 正蓮社德真識 〔東夷開 / 法沙門 / 誠寛〕 (朱印) 版行由来によつて、 これが嘉永元年 (    )五月、 六世順立の代に有 珠善光寺から版行されたものと知れる。募縁して開版するなどの労をと った正蓮社德真は善光寺開山荘海に随仕したというが、 『善光寺日鑑』 等々の史料にその名が見出せない。荘海に随従したのは成寛 観応 忍 彫 密成 了性 百順の七僧で、他に「童 子壱 人」があった。その童 子 であろうか。しかし童 子 が 急 逝 した 住職 荘海に代わって「寺居の経營」 をしたとは 思 われない。 な お 末尾 の 角 印に 「東夷開法沙門誠寛」 とある。 この誠寛が『善光寺日鑑』に荘海の随従僧の 筆頭 に 記 された成寛である とすると、二世 鸞洲 が 着 任 するまでのあい だ 「寺居の経營」をしたこと は十 分 に 考 えられる。さらに 精査 したい。ともあれ変相は荘海の感得し たもので、荘海はこれを刻して印 施 し、 教 化の 用 とすることを 企 図して いたのである。 没後 四十 余 年、付嘱された德真は師の志を 果 たしたので ある。なお荘海が 江 戸 を 発 つ 前 に観経 曼 陀 羅 釈 涅槃 図等が 用 意 され ており、また 歴 代が 収集 した変相図 類 が善光寺 宝物館 に所蔵されている が、ここに 紹介 する『佛説阿彌陀經變相』は 存 しないようである。 ( 関口 )

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[資料 2 ]

鸞洲和尚畫像

右の 『鸞洲和尚畫像』 は古美術研究誌 「國華」 九一七号 (昭和二十七 年二月、 國華社) に紹介されたもので、 洛 東臨照院所蔵の椿椿山筆 『 鸞 洲和尚像』を秋山兼吉が彫刻し、猪腰美一が色 した木版画である。画 面上部に有栖川宮七代韶仁親王筆の鸞洲作詩「遠鐘窓外盡春/嶺曙雲寒 衣 希 /拾花落澗衆 /月殘威儀孤影/靜誦一心安身/爲貞修 不関世/ 路難」 の着賛がある。 鸞洲は天保十四年 (    )四月十九日に没し、 親 王も弘化二年 (    ) 二月十六日に薨去されているから、 おそらく天保 末頃の作と思われる。 鸞洲は有珠善光寺二世を退任後は知恩院末常紫衣寺院の江戸浅草田島 山誓願寺住職となったが、台命によって知恩院宮尊超入道親王華頂王府 の侍読となった。 林照順編 『照臨院誌』 (昭和八年十一月、 照臨院) に よれば、 文政元年 (    十月六日、) 尊超入道親王の兄有栖川宮七代韶 仁親王妃妙勝定院の父閑院宮美仁親王が薨去されると、側室で妙勝定院 の生母堀川依子 (通称千代、 のち少将) は落飾し信行院 (はじめ慈生院、 の ち信楽院、 さ らに信行院) と号して故美仁親王の菩提を弔い、 造 寺を立願 してこれを鸞洲に委嘱された。鸞洲は浄土 律 の 祖 ともいうべき 霊 潭性澂 (        ) 剏 した洛東 聖 臨 菴 が 荒廃 しているのを知って、 これを 再 興 し信行院の所願 成就 を 図 った。 しかし信行院は文政十 三 年 (   ) 四 月九日に 急逝 せられて、 聖 臨 菴再興事業 は 頓挫 してし ま った。妙勝定院 宮の 悲嘆 はふかく、生母生 前 の所願 成就 をつよく願われたので鸞洲も 堂 宇 造 営 に 邁進 し、ほどなく 竣工 したという。鸞洲は信行院を 第 九世 中 興 一世となし、 聖 臨 菴 を 改 めて照臨院と号した。 次 いで妙勝定院宮は 西 七 条 の 真言 律 宗水 薬師 寺 止 住の 公家小倉 中 納 言 豊季 の 女 子をして浄土 宗 に 転 宗 せしめ、 天保九年 (   )これを鸞洲に 剃髪 せしめて 当 院十世とせ られた。常照 大法尼 である。 以来 照臨院は 律 苑尼 寺として 今 日に 至 って いる。 そ の後 ま た鸞洲は台命によって浅草誓願寺に 帰 り、 そこで没した。 戒名 は 至誠 心院 翔蓮 社 鳳誉 上 人仰阿 。 戒名 中 の院号は尊超入道親王の 下 賜 せられたものである。 墓 所は誓願寺 ( 現 府 中 市 紅葉丘 ) に 在 る。 鸞洲がその 再興 に 尽力 した照臨院は、 霊 潭性澂 が 近 江安 養 寺の 戒 山 慧 堅 とその 高弟湛 堂 慧 淑 から 受 戒 したことや、妙勝定院宮が木 食彈 誓上 人 開 山古知 谷 阿 弥陀 寺の 顕 阿 祐 月に 帰 依して照臨院を 阿 弥陀 寺の 伝 法 道 場 としたこと、 ま た鸞洲が 彈 誓上 人 を思 慕 した木 食 徳 本 上 人 の 門 弟 であっ たこともあって、浄土 律 に 感 心を 寄 せる 僧 たちが 盛 んに 往 来 した。たと えば 磐城 の 守 一 無能 の 弟 子で 無能 寺 奉 律 一世となった 良 照不 能 は 聖 臨 菴 において 法 潭 可 圓 称 察 普寂 四 師 の 証明 のもとに 進 具 し、のち江戸 目黒長泉 律 院二世となっている。 仏教学全般 に通じ、華 厳 の 鳳 潭 となら び 称された 普寂 徳 門 (         ) ま た 長泉 律 院 三 世を 董 している。 『 普 寂 徳 門 和上 傳 』 によると 普寂 は元文元年 (   ) 頃の 若 き日、 照臨院に 寓 して 真 如敬首 の 講義 を 聞 いている。この 敬首 も ま た 近 江安 養 寺の 湛 堂 慧 淑 から 受 戒 している。鸞洲の行 実 から生じた 法 脈 はかくも 広 く 重 い。 なお、 右に 掲出 した 『鸞洲和尚畫像』 は 國華社がこれを 単独 に版行 ( 刊 年不 明 ) したものである。宮島 コレクション 蔵の一 本 を 採 った。 (関 口 )

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[資料 3 ]

鳳誉鸞洲



『後世の枝折』

有珠善光寺第二世鳳誉鸞洲 『後世の枝折』を翻刻紹介する。 『蝦夷地善光寺日鑑』 等 によれば、 文化二年 (    )三月九日、 三官 寺住職は霊岸島会所 (東京都中央区) で仏像 仏具等を受け取り、 各々 吉日を選んで江戸を発った。有珠善光寺開山となるべき祐誉荘海も三月 末に江戸を発ち蝦夷地に向かったが、しかし五月五日、有珠を目前にし て箱館で急逝した。これを受けて江戸増上寺五十四世倫誉念海 (     ) の推挙によって急遽二世に抜 されたのが鸞洲だった。当時三十五歳の 鸞洲は江戸小石川無量山伝通院寿経寺の月行事で塔頭白蓮社の学寮主だ った。 『後世の枝折』 に付載された略伝等によると、 鸞 洲 (     )は筑 前国の人で、 はじめ博多妙圓寺 (博多区住吉) 演誉の弟子となり、 後に 伝通院賢洲 (     ) の門下となった。 賢洲は浄土律の系譜を引く学僧で、 増上寺四十五世成誉大玄が江戸目黒に創建した長泉律院の普寂に師事し、 晩年は久留米善導寺の住職となった。この賢洲から京都遊学を命じられ たが、 しかし鸞洲は紀州の浄土系木食僧徳本 (        )の道業を慕っ てこれに従い山居した。その後また伝通院に戻って白蓮社に止住し、同 院の月行事役をしていた。そうした時に有珠善光寺二世の台命を受けた のだった。 台命を拝した鸞洲は、 文化三年 (    )五月五日に荘海の一周忌法要 を勤修した後、五月十四日に江戸を発った。蝦夷地赴任にあたって鸞洲 は「大谷田善応寺ニ貞極師之本一蔵箱」を所望し、それを蝦夷地へ送る よう増上寺役者へ依頼した。これは今も有珠善光寺に所蔵される鉄眼道 光開板一切経のことで、国指定重要文化財に指定されている。鸞洲の依 頼通 り 大谷田善応寺 (足立区中川) の 一 切 経 は 蝦夷 地 へもたらされたのであ る。 この鉄眼版大蔵経は黄檗宗の鉄眼道光 (      が、) 隠元隆琦 (       ) 明 から 請来 した大蔵経を 天和 元年 (    )に開板したもので、 これによって大蔵経は日本国 内 に 広 く 流布 したのであるが、鸞洲はこの 一切経所望の 理 由 を「 誠 当国 最初 之法 宝 、夷 境 之 鎮護不過 之」としてい る。 事 実 、 鸞洲が蝦夷地に 着 任した文化三年 (    )九月には カラフト の クシュンコタン番屋 に ロシア の 軍艦 が 来 航 し 襲撃 する事 件 が 起 こって いる。世にいう文化 露寇 事 件 で、長 崎 に お ける ロシア 使節レザノ フ との 通 商交渉 を 打 ち切ったことへの 報復 であるとされる。 翌 四年にも ロシア 軍艦 の 襲撃 は 続 き、四月末に ヱ トロフ を、五月末には 再び カラフト を 襲 撃 し、 次 いで 利 尻沖 で日本 船 を 拿捕 し 積荷 を 接収 した。まさに鸞洲が蝦 夷地へ赴任した時 期 は ロシア との 緊張状態 が 高 まっていた 最 中であって、 鸞洲が「夷 境 之 鎮護 」のために一切経を 必 要としたことも 首肯 されるの である。 文化三年 六 月二十日、鸞洲は有珠善光寺に 着 任した。 翌 日 入 院 式 を 済 ま せ ると、土 産 を 持 って ア イヌ の 家 々を 挨拶回 りした。有珠 虻 田 在 住 の ア イヌ へは 風呂敷 一 枚ずつ 、 夫婦 には京 針 二十本を 贈 り、これが 不 足 すると 手拭 を 渡 し、 乙名 小 遣 の ア イヌ へは 酒 を、その 他 には 炊 いた 飯 を ふ るまった。こうした ア イヌ に 対 する 施 行は赴任前に 準備 していたの であるが、それが 結 実 して後には ア イヌ 五 〇〇余 名 と有珠善光寺 境 内 で 百万遍 念仏 数 珠 繰 りを 興 業している。な お 菅 江 真澄 『 えぞ のて ぶ り』に 「い つ も月のなからより末のこ ろ までに通 夜 し、 ねぶ ち (念仏) をとな へ、 円 居して大 数 珠をくりめ ぐ らし、こ ゝ ろ しめ や かに居る」とあり、 有珠善光寺建立 以 前から 百万遍 念仏が行 わ れていたことが 知 られる。そ れはこの地に 古 くから 信 州の善光寺 如 来 を 祀 る 御堂 があったからである が、そうした宗 風 になじんだ ア イヌ には鸞洲の 教 化を受け 容 れる 素 地が 多 分 にあったのである。 文化十年 (    ) 八 月十 八 日、 有珠善光寺鸞洲 等 院 慈 順 国 泰 寺 萬全 の隠居 願 が 許可 されると、鸞洲は 八 年 間 住 持 した蝦夷地を 去 って江

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戸へ帰り伝通院に住した。ここで鸞洲は徳本を関東へ招き法筵を興業す るなど日を送っていたが、 後 に知恩院門跡尊超法親王 (        ) の准 院家に任じられて権僧正法眼位まで僧階を昇った。晩年は准院家を辞し たが、再び台命を受け常紫衣寺院である浅草誓願寺住職となり、天保十 四年 (   )四月十九日、誓願寺に七十二歳で没した。 鸞洲 『後世の枝折』は北海道で最も古い出版物だとされている。松 浦武四郎『東蝦夷日誌 第二編』 (    )に、 文化四 (丁卯) 年五月俄羅斯乱の時には、 処 々仏幡を立て、 土人に 地を守らしめ、身は彼等が炮丸に死すとも、外夷の耻を受事なかれ と教撫し、一紙の垂誡を作り、是と一枚起証に夷言を梓附にのせ、 又後世の枝折といへる書を著して施し、又或時は大なる数珠にて夷 民に百万返〔遍〕をくらしめし等も、其法筵に連る者五百人余、是 此地にて念仏の始め也。 とあって、これが鸞洲の有珠善光寺在職中に執筆されたものと考えられ るが、しかし伝えられる版本はいずれも無刊記本であって、北海道で最 も古い出版物であることを示す証左はない。刊年が知られるのは明治二 十七年三月に東京礫川宗慶寺から蔵梓されたものだけである。 管見では『後世の枝折』の版本には以下の三種が存する。  東都白蓮社蔵版。 本文九行 二十三丁。  東都白蓮社蔵版。 本文九行 二十一丁。  東京宗慶寺蔵版。 本文九行 二十三丁。全三十一丁。 右の三種の版本にはいずれも鸞洲の序文があり、その尾行に「時は文 化かのへ午の冬ゑみしか浦宇壽の山にすめる僧鸞洲しるす」 とあるから、 これが文化七年 (    )冬に鸞洲が著作したものであることは疑いを入 れない。しかし   はともに無刊記でその刊行年時が不明である。お そらく が初版と思われ、これより丁数の少ない は字詰めを施し版面 を改めた再刻本である。 は のまことに忠 実 な 復 刻本である。 版 元 の東都白蓮社は伝通院山 内 にあった 学寮 で、鸞洲 『 了誉聖冏禅 師絵詞 伝』 ( 文 政 二年 (    )刊 )に 付 された「無 量 山 総境内之図 」には白蓮社の社 名 が見え、 また鸞洲の 随従 僧として蝦夷地へ 渡 った 高弟 大 基 の 略 伝中に 「 享和 二年 秋江 戸礫川 傳 通院 學頭 智 門 寮 に入り 尋 て鸞洲 寮 に 轉 す」 ( 『大 基 上 人 略 傳 』「 浄 土宗全書」 第十 八 巻所収 ) とあって、 この鸞洲 寮 が白蓮社であると知られる。 『後世 の枝折』は鸞洲有 縁 の 学寮 から版行されたのである。なお、 唯 一刊記の 存する 東京礫川宗慶寺版に 付 された 同 寺十九世 佐伯音 海の序文によっ て、 『後世の枝折』の版行事 情 の大 凡 が知られる。 此後世 ノ 枝折 ハ吾ガ 浄 宗 ノ 大徳鸞洲 上 人 ノ 編 述 ニシテ 東都無 量 山 傳 通院 学寮 白蓮社 ノ 蔵版 ナリシ モ今ヤ 世 ニ 存 スルモ ノ 殆ント晨星 ノ 如 ク 又其梓 木 モ 磨滅セ リ ト 聽キ予 ガ 先 師 常 ニ 之 ヲ痛 ミ 之 ヲ 惜 ム ノ 餘 リ 其再刻 ニ 志サ セ シ モ 果サズ シテ 世 ヲ 辞 セ リ 遺憾 ト 謂フベ シ 今 年十一 月 ハ 其三年 ノ 忌 ニ 遭遇 セ リ 思 フ ニ 幸 ニ 此 好 縁 ニ 際 シ 先 師 生前 ノ 遺 志 ヲ 継 キ 之 ヲ 再刻 シ 聊 カ報 恩 ノ 一 ニ 答ヘ併 テ 著者 ノ 髙 徳 ニ 酬 ハ ヾ 不知 扶 宗 ノ 一 端 トモ 為 リナ ント 遂 ニ 剞 納 ニ 附 シ 今 其再刻 成レ リ また 吉水 山 朝覚 院宗慶寺は伝通院 末 で、 応永 二十二年 (   ) 山 酉 蓮社 了誉聖冏 (     ) が 高弟 増 上 寺 西 誉 の招 請 によって常 陸国 から 江 戸に 来 て 当 地に草 庵 を 結ん だのが起りで 吉水 山伝法院を 称 した。慶 長 七年 (    )徳川家 康 の 実 母於 大 (伝通院 殿蓉 誉 光 岳 智 香 大 禅 定尼 ) が 逝去 の折、 当 寺に入 棺 し 菩提 所 とするよ う 命を受けたが、しかし 当 寺は 境内 が 狭 隘 のため 別 に一宇を 建 立して 菩提 所 としたのが無 量 山伝通院 寿経 寺 である。 元 和 七年 (   ) 康 側室 松 平 忠 輝 母 堂 茶阿局 を伝法院に 埋葬 し、 局 の法 号 朝覚 院 殿 貞 誉 宗慶大 禅 定尼 に 因 ん で 朝覚 院宗慶寺と改めた。 寛 永 年中に伝通院四世 叡 誉 聞悦 が中興して伝通院 末 となりし 境内 三 千 余 坪 を 擁 して 栄 えた。

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『後世の枝折』 の鸞洲序は文化七年 (    )冬に記されている。 つま り『後世の枝折』は文化三年九月の文化露寇と文化八年五月のゴロウニ ン事件の狭間に 述されたのである。序文中に「成田氏なる居士」が訪 ね来て法話を聴聞したことが記されていて、それが同書執筆の動機とな ったものと推測される。松浦武四郎は『東蝦夷日誌 第二編』に「一紙 の垂誡を作り、是と一枚起証に夷言を梓附にのせ、又後世の枝折といへ る書を著して施し」と伝えているが、アイヌ教化よりは和人の信仰に応 じて著述されたものと考える方が実情に近いと思われる。ゴロウニン事 件後、蝦夷地の監督警備に南部藩と津軽藩が藩士を増員派遣したのをは じめ、秋田藩が六〇〇人、庄内藩が三〇〇人、仙台藩が二〇〇〇〇人、 会津藩が一六〇〇〇人を出兵しており、 日 露間の緊張状態が高まる中で、 「成田氏なる居士」 のように鸞洲の法話を求める藩士たちも多く存した ことは容易に推量される。なお『後世の枝折』が蝦夷地で開版された証 左はいまだ見いだせない。あるいは江戸で開版され、蝦夷地に送られた ものとも考えられる。東京礫川宗慶寺版が東都白蓮社の板木が磨滅した ことを伝えている。大部数が版行され、蝦夷地にもそれを需める人たち がいたのである。以下に版本三種の中でもっとも情報量の多い東京礫川 宗慶寺版を翻刻する。 (宮本稿 関口補) 注 ( 1 )木 立 大 忍 木立真理 松下昌 『蝦夷地善光寺住職記 文化二年~文化三年 』 (蝦夷地善光寺日鑑 解読第二巻 「 蝦夷地へ出立編」 七 三 一二〇頁、 善光寺刊、二〇〇五年) 。 ( 2 ) 宮本常一他編 『菅江真澄全集』 (第二巻一三五頁。 未来社、 一七九一年) 。 ( 3 ) 吉田常吉編『新版蝦夷日誌』 (上巻七〇頁。時事通信社、一九八四年) 。 ( 4 ) 松 本あづさ 「第一次蝦夷地上地」 (北海道史研究協議会編 『北海道史事 典』一九一 一九四頁。北海道出版企 画セ ン タ ー 、二〇一六年) 。 〔 翻刻 〕

後世の枝折

全 」 表題簽 鳳譽 鸞洲上人著

後丗の枝折

全一 冊 東 亰 礫川 宗慶寺 蔵 梓 」 表見返 後の世も 此 よもともに

南無阿弥



ま か せの 身 こそ や す け れ 」 序01オ 若我 成 佛十 方 衆生願生我國 称我 名字 下 至 十 聲乘 我願 力 若 不 生 者 不 取正覺 明治甲午 三月 傳 通 院了寬 書 〔 印 〕〔 印 〕 」 序01ウ 後丗之枝折序 鳳譽 鸞洲上人 ハ 吾 カ 田 嶋山誓 願 寺一 代 ノ 之主 ニ シテ 而乃 チ 第三 十 二世 ナリ 也特 ニ 奉 シテ 下 台 命 ヲ 上 持 ス 焉先 レ 是 ヨ リ 師 ハ 礫 山 ノ 之 學匠 シテ 而 徳亦 タ 髙 シ 矣蓋 シ 師 ハ 稟性 清 雅英才慕 ヒ レ ヲ 愛 ス レ ヲ 故 ニ 利 生 化 縁最 モ 廣 シ 就 レ 於 テ 下 生 帷索 ニ 上 ル 二 甚 タ 巧 ナ ル ヲ 一 夫 ノ 於 ケ ル レ 幹 下 旋 ス ル ニ 徳 本行 者 ノ 之 」 序02オ東化 ヲ 上 旦 ツ 上人関東 結 縁 ノ 之 盛 ナ ル 謂 ツ テ レ 頼 ル ト 二 師 ノ 之 力 ラ ニ 一 敢 テ 信 ス レ キ ヲ 二 不 可 一 矣 還 タ 有 リ 二 最 前 一 使 シ ム 下 レ 洲 ヲ シテ 住 中 セ 于 蝦夷善光 寺 ニ 上 ニ 思 フ ニ 官 有 ル カ 下 亦 タ 深意 上 乎 頼 リ 二 于 洲 ノ 之 徳 ニ 一陶感 三 化 シ 夷 族 ヲ 一 以 テ 有 ル カ レ 令 ル ニ レ 謹 セ 二 北 門 軸 鑰 ヲ 一 可 シ レ ル 三 テ 看 ル ニ 二 師 ノ 之 盡 徳 ヲ 一 也 時 ニ 法洲上人 ハ 建 テ 二 幢 ヲ 於 関 西 ニ 一 鸞洲上人 ハ 曜 カ シ 二 法 電 ヲ 於 関東 ニ 一 二 公 秋 菊 」 序02ウ春蘭各擅 ニ ス 二 其 ノ 美 ヲ 一 當 時 称 ス 二浄家 東 西 二洲 ト 一 其 ノ 芳 名 雷 ル 二 天 下 ニ 一 ヲ 以 テ 幕府 常 ニ 欽 二 ス 師 ノ 之 道 誉

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ヲ 一殊遇異 ナリ 二 於他 ニ 一 矣貴族 ノ 士婦及 ヒ 衆庶翕然風靡 ス 焉不 スヤ 二 亦 タ 宣 ナラ 一 乎嗚呼可 シ レ 謂 ツ レ 陛 ナリト 矣洲在世利生 ノ 之間 ニ 有 リ 下 法話集即 チ 称 スルモノ 二 後世 ノ 之枝折 ト 一 者全 上 行 二于世 ニ 一 ルニ 舊鐫既 ニ 老磨 シ 尓耒廢 ス 矣爰 ニ 」 序02オ前宗慶寺主故領巖和尚様 ク 概 キ レ 之 ヲ 懐 クヤ 二 再刻 ノ 之志 ヲ 一 シ 矣未 タ シテレ 果 サ 帰西 ス 惜 カナ 矣哉既 ニ 聞 ク 和尚資性光 霽卓識夙 トニ 有 リ 二 純稟憬資 ノ 之誉 一 座 スル 二 于宗廣教師之招 ニ 一 再三焉所 ル レ 聘 セ 二 于曹 洞宗學林之教師 ニ 一 其 ノ 他雖 トモ 下 美事名誉 ノ 之跡多 シ 上 畧 ス 二 于此 ニ 一 而 シテ 其 ノ 資佐伯音 海氏継 キ 二 先師再梓之遺志 ヲ 一 遥 ニ 物 シテ 」 序03ウレ センカ 二 洪思 ヲ 一精勵修事 ス 焉其 ノ 至誠惑 弓 リ レ リ 也矣已 ニ 際 シ レ ラントスルニ 二 干剞 納 ニ 一 ニ 請 フ レ ヲ 是 レ 鸞公 ハ 者所 二 以 ナリ 有 ル 一レ 縁 二 于吾山 ニ 一也予於 テ レ ニ 不 ス レ 忍 ヒ レ スルニ 不 ス レ マアラ レ 揣 ルニ 二 亦 タ 不敏 ヲ 一 勿卒識 ミ 二 蕪草 ヲ 一 珠 シ 二 鸞洲芳躅 ノ 之一斑 ヲ 一 以 テ 塞 カント 二 其 ノ 責 ヲ 一 云爾 干時明治二十有七年一月下浣 田嶋山誓願精舎第三十九丗 」 序04オ 憐雲 謹誌 〔印〕 〔印〕 」 序04ウ 附言 南蓮社賜紫壽譽上人幻阿修道領巖大和尚 十一月 十六日 三回忌 以後 ノ枝折ハ吾ガ浄宗ノ大徳鸞洲上人ノ編述ニシテ東都無量山傳 通 院学 寮白 蓮社ノ 蔵版 ナリシモ 今 ヤ世ニ 存 スルモノ 殆 ント 晨星 ノ 如 ク 又 其梓 木 モ磨 滅 セリト 聽 キ予ガ先師 常 ニ之ヲ 痛 ミ之ヲ惜 ム ノ餘リ其再刻 ニ志サセシモ果サ ズ シテ世ヲ辞セリ遺 憾 ト謂フ ベ シ 今 年十一月ハ其三 年ノ忌ニ 遭 遇セリ思フニ 幸 ニ此 好 縁ニ際シ先師生前ノ遺志ヲ継キ之ヲ 再刻シ 聊 カ 報恩 」 序05オノ一ニ 答ヘ併 テ 著 者ノ 髙 徳ニ 酬 ハ ヾ 不 知扶 宗ノ一 端 トモ 為 リナント 遂 ニ剞 納 ニ附シ 今 其再刻 成 レリ願ハクハ 永 ク此 書 ノ 弘 通 ヲ 欲 スルニアリト云爾 東 亰 小石川極樂水 浄 土 宗宗慶寺第十九丗 明治二十七年三月 佐伯音海謹識 〔印〕 〔印〕 」 序05ウ 後世の枝折 序 を救ふ佛の 教 はなにはの 法 もめ てたき 物 かゝるえ を つくし立 に し弥陀 の 誓 ひこそ をの かき はに あ てゝ は い とと ふ とけれ近頃 成 田氏 な る 居 士 の 訪 ひ 来り て 法 の 道 知 る へ を 問へ る ま に 呉竹 の う き ふ しし け き 世 を 厭 ふ よ り わ たつ 海 の 深 き 佛の 誓 ひい と 語ら ひ し を 沖津波 かゝる ゑみ しか 浦 邊 には佛の 道 た と る 人 の え 多 かる に さ な か ら きし 」 06オて よ 友 を 誘 ふに よ す か にもな さ ま ほ し と い へ る を 憚 の 関 の 憚 も せ てか い つ け ぬ る は 印南 野 の い な み も や ら ぬ わ さ な ら し 浅 香 の 沼 の 浅 き 水 茎 には 見 る へ き 言 の 葉 も 有 ま し けれと も 入 佐 の 山 の 入 そ む る 法 の 道 にはをの つか ら 後世 の 枝折 と もな り 侍 ら ん かし 時 は 文化 か の へ 午 の 冬 ゑみ しか 浦 宇 壽 の 山 に す め る 僧 鸞洲 しる す 」 06ウ 後世の枝折 夫 そ れ 受 う け 難 が た くして 失 う し な ひ や す き は 人 に ん 界 が い の 身 み 値 あひ が たくして ま れ に 得 え たる は佛 ほ とけ の 御 み 法 の り な りま さ に 何 い か な る 勤 つ と めをな してか 今 こ ん 生 じ や う の 思 お も ひ 出 で と は す べ き 一 い つ 生 し や う む な しく 過 す ぎ て 後 こ う 悔 く は ひ をな す こ と な か れ 況 い は ん や 一 ひ と 度 た び 悪 あ く 趣 し ゆ に い り ぬ れ ば万 ま ん 却 ご う にも 出 い で が たした と ひ 二 ふ た 度 た び 人 に ん 身 し ん を 受 う く る と も佛 ぶ つ 法 ほ う に あ ふ こ と 尤 も つ と も 難 かた し さ れ ば 菩 ぼ 提 だ い の 道 み ち に い り な ん 事 こ と 此 こ の 度 た び に あ ら ず ば い つ を か 期 ご せ ん 速 す み や か に 仏 ほ とけ の 教 を し へ に 従 した が ひ て 」 01オ 後 ご 世 せ の 営 い と な み を いそ ぐ べ し 光 く わう 陰 い ん 移 う つ り や す く 一生 の 齢 よ は い 早 は や く 傾 かた ふ き 朝 て う 露 ろ 頼 た の み が たし 四 し 大 だ い の 身 み 脆 も ろ くき ゆ 金 き ん 殿 で ん 玉 ぎ よ く 楼 ろ う も つ ひ の 棲 す み 家 か に あ ら ず 高 か う 名 め い 富 ふ う 貴 き と も い つ ま で の 命 い の ち ぞ や てん だ う の 凡 ぼ ん 夫 ぶ は かく と も し ら ず して お き ふ し 心 こ ゝ ろ に 起 お こ る は 貪 と ん 瞋 じ ん 煩 ぼ ん 悩 のふ の 迷 ま よ ひ 立 た ち 居 ゐ に 身 み の 営 い と な み 流 る 転 て ん 輪 り ん 廻 ゑ の 業 ご う な り 五 ご 欲 よ く に 着 ぢゃ く して 昨 き の 日 ふ も い た づ ら に 過 す ぎ 三 さ ん 宝 ぼ う に 帰 き せ ず して け ふも む な しく 暮 く れ ぬ 生 し や う 者 じ や 必 ひ つ 滅 め つ の 夕 ゆ ふ べ には 父 ふ 子 し の 親 した しき も 冥 め い 途 ど の 旅 た び は 別 わ か れ 」 01ウゆ き 会 ゑ 者 し や 定 じ や う 離 り の 朝 あ した には 夫 ふ う 婦 ふ の む つ ま じ き も 死 し 出 で の 山 や ま 路 ぢ に 伴 と もな は ず さ し も 身 み を 苦 くる し め てつ み 貯 たく わ へ し 財 ざ い 宝 ほ う 衣 ゑ 服 ふ く は 閻 ゑ ん 魔 ま 獄 ご く 卒 そ つ の 責 せ め を 償 つく な ふ べ か ら ず 心 こ ゝ ろ を 労 ろ う して もふ け 置 お き し 田 で ん 園 ゑ ん 舎 し や 宅 たく も た そ の い ゑ や し き 紅 ぐ 蓮 れ ん 焦 し や う 熱 ね つ の 苦 くるし み を 防 ふ せ ぎ 難 が た し 餓 が 鬼 き に 飢 き 渇 かつ の 愁 う れ ひあ り 畜 ち く 生 し や う に 残 ざ ん 害 が い の 悲 か な し み あ り 三 悪 あ く の 火 く わ 坑 か う に 堕 お ち い り な ば 千 ち 度 た び 悔 く ゆ と も 及 お よ ぶ ま じ 過 す ぎ し 月 つき 日 ひ の か へ ら ね ば 唯 た ゞ 行 ゆ く 末 す ゑ ぞ 近 ち か づ き ぬ 老 ら う 少 せ う 不 ふ 定 ぢ や う の 世 よ に す み て 後 ご 日 に ち の 事 こ と を 期 ご す べ き や 頓 と ん 死 し 全 ま つた く わ かき を 」 02オゑら ば ず 重 ぢ う 病 び や う 老 お い を ま つ 事 な し 有 う 為 ゐ 轉 て ん 変 べ ん の 境 さ か ひ には き のふ 開 ひ ら け

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し栄 えい 花 ぐわ も今 け 朝 さ はちり無 む 常 じやう 遷 せん 流 る の身 み なればこよひむすびし命 めい 露 ろ も暁 あかつき また ず消 きえ やせん静 しづか に思 おも ひ見 み るに実 げに あやうき娑 しや 婆 ば なりけり此 この 世 よ のはかなきを見 て厭 いと はざるは迷 まよ へるなり後 ご 生 しやう の苦 くるし みを聞 きひ て勤 つと めざるは愚 をろか なりといひつ べし後 のち の世 よ も我 わが 身 み なるべきを何 なに ともならばなれと捨 すて 置 おく べきことかは此 この 理 り を明 あき らめて早 はや く菩 ぼ 提 だい の道 みち にいり 」 02ウこの事 こと を思惟 ゆい して 速 すみやか に佛 ぶつ 教 けう を求 もと むべ し問ていはく実 げに も受 うけ がたき人身既 すで にうけ 難 あひがた き佛 ぶつ 法 ほう 幸 さいは ひにあへり眼 まなこ に さへぎる無 む 常 じやう の世 よ を厭 いと はずしてありなんや 速 すみやか に勤 つと め行 おこな ひて輪 りん 廻 ゑ の郷 さと を 離 はな れんと思 おも ふ然 しか るに佛法廣 ひろ くして教 けう 門 もん 旨 むね 深 ふか し何 いづ れの法 ほう を勤 つと めてか我 われ 等 ら 定 さだ めて 生 しやう 死 じ 流 る 轉 てん をまぬかるべき答て云衆 しゆ 生 じやう の機 き 根 こん に随 したが ひて仏 ほとけ のおしへま ち  なり如 によ 説 せつ に修 しゆ 行 ぎやう せば顕 けん 密 みつ の法 ほう みな 聖 しやう 道 だう を悟 さと るべく漸 ぜん 頓 とん 」 03オの教 けう 同 おな じく 生 しやう 死 じ を離 はな るべし然 しか りと雖 いへど も釋 しやく 尊 そん 出 しゆつ 世 せ の済 さい 度 ど にもれて五 ご 濁 ぢよく 悪 あく 世 せ の末 すゑ に生 うま れし我 われ 等 ら は機 き 根 こん もにぶくして罪 ざい 障 しやう また深 ふか し自 じ 力 りき 聖 しやう 道 だう の行 ぎやう は 企 くはだて 及 およぶ べからずたとひ結 けち 縁 ゑん 下 げ 種 しゆ の善 ぜん 根 ごん はあるべくも 證 しよう 悟 ご 何 いづ れの世 よ ぞや 父 ちゝ をわすれて貧 ひん 里 り にまよひ珠 たま をかけて塵 ぢん 劫 ごう を送 おく りなは三 さん 界 がひ の昇 しやう 沈 ちん 其 その 苦 くるし みいくばくぞやされば偏 ひとへ に他 た 力 りき 浄 じやう 土 ど の得 とく 度 ど を期 ご し往 わう 生 じやう 極 ごく 楽 らく を願 ねが ふべし 安 あん 楽 らく 集 しふ に曰 いはく 末 まつ 法 ほう の衆 しゆ 生 じやう 信 しん を立 たて 行 ぎやう 」 03ウを起 おこ すとも一人もうる者あらじ唯 たゞ 浄 じやう 土 ど の一門のみありて通 つう 入 よう すべき道 みち なりと今 いま は唯 たゞ 浄 じやう 土 ど の門 もん に入 いり て往 わう 生 じやう を願 ねが ひ給 たま へ問て曰極 ごく 楽 らく 往 わう 生 じやう は目 め 出 で 度 たき 果 くわ 報 ほう なり 位 くらひ 高 たか き菩 ぼ ならでは さつ かなひがたしと聞 きけ り罪 ざい 悪 あく 深 じん 重 ぢう の我 われ 等 ら いかでかたやすく生 むま るべき答て云自 じ 力 りき を以 もつて 報 ほう 土 ど の往 わう 生 じやう は実 げに たやすからじ今は他 た 力 りき 往生を勧 すゝむ るなり問て去さ らば他 た 力 りき のいはれ具 つぶさ に示 しめ し給へ答 」 04オて云無 む 量 りやう 寿 じゆ 経 きやう に説 とき 給へる意 こゝろ は久 く 遠 をん 劫 ごう のむかし法 ほう 蔵 ざう 菩 ぼ とてましませり濟 さつ さい 度 ど 衆 しゆ 生 じやう の慈悲より六 ろく 道 だう の輪 りん 廻 ゑ をあはれと見 み 給ひて助 たす けばやと覚 おぼ せども衆生の罪 ざい 障 しやう 重 をも きのみならず戒 かい 定 ぢやう 慧 ゑ の勤 つと めに物 もの うくしていよいよ三 さん 途 づ の業 ごう を造 つく りそふかくては所 しよ 詮 せん 衆 生自 じ 力 りき を以 もつて 流 る 転 てん をはなれんこと多 た 生 しやう にもかなふまじさればとて捨 すて 置 をき な ば苦 く 海 かい の波 なみ に漂 たゞよ ひて苦 く 悩 のふ 止 やむ 時 とき なかるべしと大 だい 慈 じ 大 だい 悲 ひ の御 をん 心 こゝろ 」 04ウより 肝 かん 膽 たん を五 ご 却 こふ に 砕 くだ きて思 し 惟 ゆい 成 じやう 就 じゆ まし  ければ世 せ 自 じ 在 ざい 王 わう 如 によ 来 らい と 申 佛 ほとけ の御 お 前 まへ に て其 その 趣 をもむき をのべ 誓 せい 願 ぐわん を立 たて 給 たま へり衆 しゆ 生 じやう の 為 ため にいたらぬ事 こと なく御 ご 工 く 夫 ふう あり て 四十八 の大 たい 願 ぐわん を起 をこ し給へり一 いち 一の 誓 せい 願 ぐわん 我 われ 等 ら が 為 ため ならずといふことな し其 その 中 なか 尤 もつとも 頼 たの もしきは 第 だい 十八 の願 ぐわん に我 われ 佛 ほとけ となりたらん時 とき 十 じつ 方 はう の衆 しゆ 生 じやう 極 ごく 楽 らく に生 うま れんと願 ねが ひて 南 無 阿弥陀 佛と 申 者 もの は 必 かなら ず生 うま れしめんもし此 この 願 ぐわん かなふまじくばたとひ菩 ぼ の行 さつ ぎやう は 成 じやう 就 じゆ する 」 05オとも衆 しゆ 生 じやう を捨 すて て我 われ 獨 ひと り 仏 ほとけ にはならじと 誓 せい 願 ぐわん し給ひ 兆 てう 載 さい 永 ゑう 劫 ごふ の 間 あいだ 無 む 量 りやう の 功 く 徳 どく をつみあらゆる 難 なん 行 ぎやう 苦 く 行 ぎやう をも衆生の 為 ため にたへ 忍 しの びて 遂 つひ に 萬 まん 全 ぜん 萬 まん 行 ぎやう 圓 ゑん 満 まん し 正 しやう 覚 がく の悟 さと り を 開 ひら きて 阿弥陀 佛と 号 がう し 奉 り極 ごく 楽 らく の 主 あるじ となり給へりしかしよりこのかた 十 じつ 却 こふ の 星 せい 霜 さう を経 へ て衆 しゆ 生 じやう を 引 いん 接 ざふ ましませりされば 最 さい 初 しよ 本 ほん 願 ぐわん の御 約 やく 束 そく に 違 たが はず 念 ねん 佛 ぶつ 申 者 もの は極 ごく 楽 らく に生 うま れんと 疑 うたが ふべからずもし生 うま れずば仏 ほとけ に 」 05ウなら じと 誓 ちか ひて今 いま 現 げん に 成 じやう 仏 ぶつ ましませば 本 ほん 願 ぐわん の 約 やく 束 そく 相 さう 違 いい なく往 わう 生 じやう するいは れ明 あきらか なり此 これ によりて我 われ 等 ら が身 み のよしあしはともあれ御 約 やく 束 そく に 違 たが はず 念 ねん 仏 ぶつ して佛 ほとけ に 任 まか せ 奉 たてまつ りなば往 わう 生 じやう を 遂 とげ しめ給 たま ふ事はひたすら仏 ほとけ の御 力 ちから に ありさしもつたなき我 われ 等 ら 念 ねん 佛 ほとけ 計 はか りにて目 め 出 で 度 たき 浄 じやう 土 ど の果 くわ 報 ほう を受 うけ んことは おほけなきに 似 に たれども佛 ほとけ の御力にて生 うま れんには何 なに の 危 あやう き事 こと かあらん 喩 たと へば 蒼 あを 蝿 ばい の 少 ちひさ き 羽 はね にては 幾 いく 程 ほど 飛 とび 得 う べき 」 06オにもあらねど 足 あし つよき 馬 むま の 尾 お にとりつきぬれば 千 せん 里 り の道 みち をも行 ゆ くべきが如 ごと く我 われ 等 ら はかひなき心 しん 行 ぎやう な れども仏 ほとけ の 本 ほん 願 ぐわん 力 りき のつよきによりて極 ごく 楽 らく には生 うま るゝなりかゝるを他 た 力 りき 往 わう 生 じやう とは 申 なり問て云実 げに 他 た 力 りき によらばたやすく後 ご 世 せ を助 たすか りぬべし其他 た 力 りき に 乗 じやう ずるにはいかに勤 つと め行 おこな ひてか 本 願にはかなひ 侍 はべ らん答て云既 すで に 本 願に往 わう 生 じやう を 志 こゝろざ して 念 ねん 仏 ぶつ する者 もの を生 うま れしめんとの給へは 南 無 阿弥陀 仏と 唱 とな へなば 決 けつ 定 ぢやう して 彼 かの 国 くに に 」 06ウ迎 むか へ給ふべし 伹 たゞ し 餘 よ の行 ぎやう もねんごろに 回 ゑ 向 かう せば往 わう 生 じやう の行 ぎやう にはなるべきなれども 弥陀 の 本 ほん 願 ぐわん にあらずしてとり  の 利 り 益 やく まじりけり戒 かい 定 ぢやう 慧 ゑ の 貴 たつと き法 ほう にても往 わう 生 しやう 極 ごく 楽 らく の道 みち にうとければ 疎 そ 雜 ざふ の行 ぎやう とて 閣 さしを くなり 千 せん 人 にん の 中 なか 三人五人は 雜 ざふ 行 ぎやう にても生 うま るべきなれども 専 せん 修 じゆ 念 ねん 仏 ぶつ の 百 人は 百 人ながら生 うまる るにはくらぶべきにもあらねば今 いま は唯 たゞ 佛 ほとけ の 本 ほん 願 ぐわん に 任 まか せて 決 けつ 定 ぢやう 往 わう 生 じやう の 念 仏を修 しゆ すべきなり 圓 ゑん 光 くわう 」 07オ大 だい 師 し も唯 たゞ

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往 わう 生 じやう 極 ごく 楽 らく の為 ため には南無阿弥陀仏と申て疑 うたが ひなく往生するぞと思 おも ひとり で申外 ほか に別 べつ の仔 し 細 さい 候はずと仰 あふせ られたりとても自 じ 力 りき にてかなはぬ往生なれ ば身 み 持 もち にても定 さだ むべからず 心 こゝろ 持 もち にても定 さだ むべからず唯 たゞ 本願約束の南無 阿弥陀仏と申てぞ決 けつ 定 ぢやう 往 わう 生 じやう すべきなり凡 をよ そ極 ごく 楽 らく に生 うま れんと願 ねが ふ者 もの 彼 かの 仏 ほとけ の本願に順 じゆん じなば往 わう 生 じやう を遂 とげ んこと定 さだま れる道 だう 理 り にあらずや此 この 外 ほか に奥 おく ふ かき勤 つとめ を加 くはへ よともの給はず別 べつ の仔 し 細 さい 」 07ウありとも仰 あふせ られねばとかくのう ら思 おも ひなく真 ま 心 ごゝろ に念 ねん 仏 ぶつ して萬 よろづ は佛 ほとけ に任 まか せ奉 たてまつ るべしさしも我 われ 等 ら を往 わう 生 じやう させんとて心 こゝろ を五 ご 劫 こふ の思 し 惟 ゆい につくし身 み を兆 てう 載 さい の修 しゆ 行 ぎやう にくだきて 成 じやう 就 じゆ し 給へる本願の念仏なれば十 じつ 聲 しやう 一 いつ 聲 しやう も捨 すて 給はずと心 しん 腑 ふ に落 らく 着 ぢやく して一 いつ 向 かう に念佛し給へ問ていはく念仏は幾 いく 遍 へん 計 ばか り申て決 けつ 定 ぢやう 往 わう 生 じやう すべきや答てい はく善 ぜん 導 だう 大 だい 師 し 上 じやう 盡 じん 一 いち 形 ぎやう 下 げ 至 し 十 じつ 聲 しやう 一 いつ 聲 しやう 等 とう 定 ぢやう 得 とく 往 わう 生 じやう と釈 しやく し給ひて往 わう 生 じやう を 」 08オ願 ねが ひて念 ねん 仏 ぶつ 申始 はじむ るより臨 りん 終 じゆう の十 と 聲 こへ 一 ひと 聲 こへ までも必 かなら ず往 わう 生 じやう を得 う べしとなり日 にち 々の 称 しやう 名 みやう は一万以 い 上 じやう 十万返 べん まで勧 すゝ め給へり我 わが 分 ぶん に應 おほ じ て唱 となふ べし一万返 べん もかなはぬ人は千返百返づゝも申べし一 いつ 生 しやう 日 にち 課 くわ 相 さう 続 ぞく せ ばみな 往 わうう 生 じやう を遂 とげ つべし念仏多 おほ ければ極 ごく 楽 らく の上 じやう 品 ぼん に生 うま れ少 すくな ければ下 げ 品 ぼん に生 うま ると見 み へたり諸 しよ 佛 ぶつ の国 くに にもこゑし 浄 じやう 土 ど なれば栄 ゑい 花 ぐわ の程 ほど は下 げ 品 ぼん にて もたりぬべけれども 速 すみやか に智 ち 行 ぎやう 圓 ゑん 満 まん して六 ろく 道 だう の衆 しゆ 生 じやう を導 みちびか んが 」 08ウ為 ため に は上品を期 ご すべきなりかりの世 よ の棲 すま 居 ゐ だに貴 たつと きをうらやみ冨 とめ るを願 ねがふ にあ らずやまして限 かぎ りなき當 たう 來 らい の果 くわ 報 ほう なれば願ひを上品にあてゝ心 しん 行 ぎやう をは げむべし問て云 経 きやう 文 もん に歓 くわん 喜 ぎ 一念とあれば他 た 力 りき の往 わう 生 じやう は一 いち 念 ねん にたれり 念 ねん 佛 ぶつ 多 おほく 申は自 じ 力 りき なりといふはいかに答て云夫 それ は大なる僻 ひが 事 こと なり経文に 乃 ない 至 し 一念十念と説 とき て乃 ない 至 し とは念仏申そめてより一生の終 をは りにいたるまで 唱 となふ るなり 」 09オ一念十念とは臨 りん 終 じゆう に始 はじめ て念仏にいり一聲十聲にて終 をは る者 まで必 かなら ず迎 むか へ給ふ本 ほん 願 ぐわん の不思 し 議 ぎ をあらはするなり此故に善 ぜん 導 だう 大 だい 師 し は一 いつ 發 ほつ 心 しん 以 い 後 ご 誓 せい 畢 ひつ 此 し 生 しやう 無 む 有 う 退 たい 轉 てん 唯 ゆい 以 い 浄 じやう 土 ど 居 い 期 ご との給ひて念佛門に入 いり てより 往 わう 生 じやう するまで唱 とな へよとなり平 へい 生 ぜい の一念に事 こと たれりとは仏 ぶつ 祖 そ の教 をしへ にあら ず既 すで に経 きやう 釈 しやく に背 そむけ る上は信 しん 用 よう するにたらざるをやされば一念十念も決 けつ 定 ぢやう 往 わう 生 じやう すと信 しん じとりて多 た 念 ねん 相 さう 續 ぞく すべし一念尚 なを 生 うま る況 いはん や多念をや 」 09ウと いと頼 たの もし又自 じ 力 りき 他 た 力 りき とは論 ろん 註 ちやう の意 こゝろ は娑 し 婆 ば にありて自 じ の三 さん 學 がく の力 ちから をは げみ 聖 しやう 道 だう の悟 さと りを開 ひら くを自 じ 力 りき といひ阿弥陀 だ 如 によ 来 らい の本 ほん 願 ぐわん に 乗 じやう じ浄 じやう 土 ど に 生 しやう じて 成 じやう 仏 ぶつ するを他力 りき といふなり 今 いま 浄 じやう 土 ど の行 ぎやう 人 にん は自 じ 身 しん の三 さん 學 がく なけれ ば佛 ほとけ の本 ほん 願 ぐわん 念 ねん 仏 ぶつ を以 もつて 往 わう 生 じやう を願 ねが ふ 是 これ 全 まつた く他 た 力 りき の修 しゆ 行 ぎやう なり 何 なん ぞ自 じ 力 りき の 勤 つと めとせん 多 おほく 念 ねん 仏 ぶつ 申を自 じ 力 りき といふはいまだ自力他 た 力 りき の 訳 わけ をしらぬなり 其 その 上 うへ 南無阿弥陀仏と云 いふ は阿 あ 弥 み 陀 だ 佛 ぶつ 我 われ を 助 たす け給 たま へと申事 こと なりされば念 ねん 」 10オ 仏 ぶつ 多 おほく 申はくり返 かへ し他 た 力 りき を頼 たの むなり一念に事 こと よせて多 た 念 ねん を 怠 おこた るは他 た 力 りき を 頼 たの む心 こゝろ の少 すくな きなるべし 左 さ 様 やう のひが事 こと にまじろひで後 ご 世 せ の大 だい 事 じ をあやまる べからず信 しん を一念にとりて行 ぎやう を多 た 念 ねん にはげめとこそ圓 ゑん 光 くわう 大 だい 師 し は 示 しめ し給 たま ひたれゆめ  たがへる教 をしへ を用 もち ゆべからず問ていはく念 ねん 佛 ぶつ の 安 あん 心 じん に至 し 誠 じやう 心 しん 深 じん 心 しん 回 ゑ 向 かう 發 ほつ 願 ぐわん 心 しん の三 さん 心 じん ありと 聞 きけ りいかなる心 こゝろ に 侍 はべ らん答ていはく 三心などいへば仔 し 細 さい ありげに 聞 きこ ゆれども 」 10ウ我等が分 ぶん に應 おゝ じて發 おこ し給へ る本 ほん 願 ぐわん の 安 あん 心 じん なれば 具 ぐ し 難 がた き心 こゝろ にはあらず 但 たゞ し世 よ にはことなる教 をしへ あり てやすき 安 あん 心 じん も 難 かた きやうに勧 すゝ めなし往 わう 生 じやう の信 しん も 立 たち 難 がた ければ大すがたを 能 よく 々心 こゝろ 得 え て願 ぐわん 生 しやう の心を決 けつ 定 ぢやう すべしまづ至 し 誠 じやう 心 しん とは念 ねん 佛 ぶつ 申心 こゝろ のいつ はりなきなり 深 じん 心 しん とは 罪 ざい 悪 あく の身 み なれども弥 み 陀 だ の本 ほん 願 ぐわん に 乗 じやう じて決 けつ 定 ぢやう 往 わう 生 じやう するぞと 深 ふか く信 しん ずるなり 回 ゑ 向 かう 發 ほつ 願 ぐわん 心 しん とは此念仏を 以 もつて 極 ごく 楽 らく に生れん と願 ねが ふなり 詮 せん ずる 」 11オ ところ 三 さん 心 じん とは本願を頼 たの む心なれば 佛 ほとけ 助 たす け給へと思 ふ心 こゝろ だにあれば三心は 自 をのづか らその 中 におさまるなり 其 その 故 ゆへ は 罪 つみ 多 おほき 身 み のあさ ましければ佛 ほとけ ならではいかでとおぼゆるにつけてこそたすけ給へともお もはるれば 深 じん 心 しん もこれにこもれりその 助 たす け給へとおもふ心には 露 つゆ のいつ はりもなきぞかしそれをこそ至 し 誠 じやう 心 しん とも申せこのたすけ給へと思ふは 即 すなは ち 回 ゑ 向 かう 發 ほつ 願 ぐわん 心 しん にて 侍 はべ るなり 愚 をろか につたなき身 み は本願のくわしき事 こと も思 ひわかず 」 11ウ戒 かい 定 ぢやう 慧 ゑ のとる 所 ところ もなく 貪 とん 瞋 じん 癡 ち のあやまりのみ多 おゝ くして思ひ と思ふことは後 のち の身 み のあたなしとなす事 こと は此 この 世 よ の 営 いとな み名 みやう 利 り の 方 かた には 寝 しん 食 しよく も尚 なを わすれ 菩 ぼ 提 だい の道 みち には 起 たち 居 ゐ みなわづらはしかゝるあさましさにつ

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けても佛 ほとけ ならでは後 のち の世 よ をいかにと思ふにはをのづから助 たす け給へとは思 はれぬべし其 その 助 たす け給へと思ふは即 すなは ち三 さん 心 じん なれば身 み の程 ほど に應 おう じて起 をこ りやす き心 こゝろ なり 圓 ゑん 光 くわう 大 だい 師 し は 三 心 も ふさねていへば 一 ひとつ の願 ぐわん 心 しん なりとも 示 しめ し又 」 12オ 三 さん 心 じん 四 し 修 しゆ はみな決 けつ 定 ぢやう して南無阿弥陀佛にて往 わう 生 じやう するぞと思ふ内 うち にこも るともの給へりさればいかなる罪 つみ ふかき身 み も此念仏にて決 けつ 定 ぢやう 往生すと 思ひとりて申居 ゐ たるを三 さん 心 じん 具 ぐ 足 そく の念仏とは云 いふ なりさらに異 こと なる仔 し 細 さい なし 但 たゞ し罪 つみ あるをも助 たす け給へばとてほしひまゝにつみ造 つく るべきにあらず諸 しよ 悪 あく 莫 まく 作 さ 衆 しゆ 善 ぜん 奉 ぶ 行 ぎやう は諸 しよ 佛 ぶつ の通 つう 戒 かい にて侍 はべ るなりすべて罪 つみ をかへり見 み ぬ者 もの は身 み のわろき事をしらず身 み のわろき事 こと 」 12ウをわすれぬれば又たすけ給へとお もふ心 こゝろ もなしたすけ給 たま へと思 おも ふ心 こゝろ をすゝめんためにもことに罪 ざい 業 ごふ を恐 おそ る べきなり本 ほん 願 ぐわん にほこりてつみを心 こゝろ やすくおもふ人ははじめは信 しん 心 じん のあ るににたりとものちにはたすけ給への心 こゝろ もなくなるべし能 よく 々用 よう 意 い あるべ き事 こと をやおほると佛 ぶつ 法 ほう 修 しゆ 業 ぎやう は心 こゝろ を先 さき とすることなるに今 いま 往 わう 生 じやう 極 ごく 楽 らく の 心 こゝろ つかひもし深 ふか き仔 し 細 さい あらばつたなき我 われ 等 ら は發 おこ し難 がた かるべきを本 ほん 願 ぐわん に かそへられたる安 あん 心 しん は助 たす け給へと思 おも ふ計 ばか 」 13オりの心 こゝろ にてさしもはなれが たき輪 りん 廻 ゑ の里 さと を離 はな れ生 うま れ難 がた き浄 じやう 土 ど に往 わう 生 じやう せんこと実 げに 多 た 生 しやう の大 たい 慶 けい なり と悲 ひ 喜 き こも  にぞ侍 はべ る問ていはく念 ねん 佛 ぶつ はいかなる時 とき も處 ところ もきらはず申 べしや必 かなら ず佛 ほとけ に向 むか ひ奉 たてまつ るにや答ていはく凡 をよ そ念 ねん 佛 ぶつ 申に平生 行 ぎやう 儀 ぎ 別 べつ 時 じ 行 を臨 りん 終 じゆう 行 ぎやう 儀 ぎ といふことありみな往 わう 生 じやう の業 ごふ にたれり平 へい 生 ぜい の念 ねん 仏 ぶつ は時 とき 處 ところ を問 と はず 浄 じやう 不 ふ 浄 じやう をゑらばず多 た 念 ねん 相 さう 續 ぞく するを専 せん 一 いち とすべし世 よ わたるわざ のしげ 」 13ウき人 ひと 下 げ 根 こん の輩 ともがら などは此 この 條 でう こそつとめ易 やす くして分 ぶん に應 おう じたれ萬 ばん 機 き 普 ふ 益 やく の行 ぎやう は平 へい 生 ぜい 行 ぎやう 儀 ぎ ぞ要 えう なるべけれ別 べつ 時 じ とはもしは一日にもあれも しは七日にもあれ餘 よ 事 じ を閣 さしを き念 ねん 佛 ぶつ するなり其 その 時 とき は佛 ほとけ に向 むか ひ奉 たてまつ り香 かう 花 け 供 く 物 もつ をもさゝげ身 み をも心 こゝろ をも 清 しやう 浄 じやう にして勤 つと むべしかなはぬ者 もの こそあれ 志 こゝろざし あらん人 ひと は家 か 業 げう の暇 いとま を計 はか らひて別 べつ 時 じ の念 ねん 佛 ぶつ を修 しゆ し信 しん 心 じん をも引 ひき 立 たつ べ し臨 りん 終 じゆう は是 これ に準 じゆん じて 行 ぎやう 儀 ぎ を調 とゝの へ来迎をまちて念 ねん 佛 ぶつ するなり此 この 世 よ に執 しふ 心 しん とあらん物 もの は眷 けん 属 ぞく より家 か 」 14オ財 ざい 目 までめ にふれぬやうとり調 とゝの へ知 ち 識 しき を請 しやう じて 十念 ねん をうけ 浄 じやう 土 ど の快 け 楽 らく を思 おも ひやう欣 ごん 求 ぐ の心 こゝろ を進 すゝ めて 正 しやう 念 ねん に終 をは りをとら んと計 はか らふべし臨 りん 終 じゆう は一 いち 期 ご の大 だい 事 じ にて仕 し なをすべきにあらねば平 へい 生 ぜい よ り用 よう 意 い すべきことぞかし況 いはん や無 む 常 じやう 時 とき をえらばねばけふが其 その 日 ひ にあたら んもしるべからすされば日々の念佛を今 いま ぞ限 かぎ りと思 おも ひはげますこそ臨 りん 終 じゆう 用 よう 心 じん の肝 かん 要 えう にてはあるべけれ扨 さて も佛 ほとけ はいかにして申念 ねん 仏 ぶつ をも往 わう 生 じやう の 行 ぎやう に承 うけ とり給 たま へども煩 ぼん 悩 なう 具 ぐ 足 そく の我 われ 等 ら を 」 14ウ無 為 ゐ 涅 ね 槃 はん の都 みやこ に迎 むか へ給ふ御 おん 慈 じ 悲 ひ を思 おも ふには別 べつ 時 じ はさらなり平 へい 生 ぜい とても心 こゝろ の及 およぶ 程 ほど は供 く 養 やう 恭 く 敬 ぎやう を盡 つく すべ し夢 ゆめ まぼろしの現 げん 世 ぜ には金 きん 銀 ぎん を惜 おし まず衣 い 食 しよく 住 じゆう を 営 いとな み 長 なが き後 ご 生 しやう の勤 つと め をば易 やす きに事 こと よせて 麁 そ 略 りやく ならんは信 しん 心 じん の 薄 うす き程 ほど もあらわれて佛 ほとけ の 照 せう 覧 らん もいと 恥 はづか しかまへて心 こゝろ を用 もち ひ給へ問ていはく日 ひ 頃 ごろ 念 ねん 佛 ぶつ の 功 こう つもりたりと も 命 みやう 終 じゆう に臨 のぞ みて 病 び やう 悩 なう もつよく 死 し 苦 く もせまり 正 しやう 念 ねん みだ 」 15オれて終 をは りな ば 年 ねん 来 らい の勤 つとめ もかいなきか 如 ごと く後 のち の世 よ の 迷 まよ ひいとかなしいかに勤 つと め行 おこな ひて か本 ほん 意 ゐ を 遂 とげ ん答ていはく心 こゝろ を安 やすん じ給 たま へ仏 ほとけ 五 ご 劫 こふ の思 し 惟 ゆゐ には 夫 それ までも思 おぼ し よりて起 おこ し給へる来迎の本 ほん 願 ぐわん なりまづ 第 だい 十 八 の願 ぐわん に念 ねん 仏 ぶつ する者 もの を生 うま れ しめんと 誓 ちか ひ給 たま ひて十 じつ 方 はう の衆 しゆ 生 じやう 濟 さい 度 ど の 方 はう 便 べん はゆるぎなくかまへあれど も 娑 しや 婆 ば の 魔 ま 境 きやう に 棲 すめ るかなしさは 命 みやう 終 じゆう の時 とき に臨 のぞ み 苦 く 痛 つう にせまりて念 ねん 仏 ぶつ 怠 をこた るのみならず 宿 しゆく 業 ごふ 競 きそ ひ起 をこ りて 流 る 轉 てん の 方 かた へ引 ひき おとさんとす 折 おり を 得 え て 天 てん 魔 ま さへ 障 さは 」 15ウりをなして 正 しやう 念 ねん を 妨 さまたぐ れば心 こゝろ も 倒 てんだう 錯 しやく 乱 らん して 既 すで に三 さん 途 づ に 堕 おち なんとすあやうしなどはいふもさらなるに仏 ほとけ は 始 はじ めよりかくあらんと思 おぼ しもふけて立 たて 給 たま へる本 ほん 願 ぐわん なれば念 ねん 佛 ぶつ の行 ぎやう 者 じや 今 いま ぞ臨 りん 終 じゆう の時 とき と御 ご 覧 らん じて あらかじめ慈 じ 悲 ひ を 以 もつて 加 か 祐 いう し給へば 病 び やう 悩 なう もやみくはへたすく 死 し 苦 く もうす ろぎて 正 しやう 念 ねん 明 あきら かになりぬ来 らい 迎 かう の儀 ぎ 式 しき 時 とき をいそぎて 聖 しやう 衆 じゆ 現 げん 前 ぜん し給へば 宿 しゆく 業 ごふ 力 ちから を 失 うしな ひ 魔 ま 王 わう 跡 あと をけす 耳 みゝ に 涼 すゞ しき法 ほう 音 おん を 聞 きく 眼 まなこ に 妙 たへ なる 尊 そん 容 よう を 拝 はい し 妄 まう 執 しふ 雲 くも はれて 浄 じやう 土 ど に心 こゝろ すゝみ 」 16オ十 じふ 念 ねん 聲 こゑ すみて 観 くわん 音 おん の 蓮 れん にうつろ だい ふかゝる 頼 たの もしき来 らい 迎 かう の本 ほん 願 ぐわん あり 何 なに ぞ臨 りん 命 みやう 終 じゆう をあやぶまんされば臨 りん 終 じゆう の正 しやう 念 ねん は 聖 しやう 衆 じゆ の来 らい 迎 かう により 聖 しやう 衆 じゆ の来迎は平 へい 生 ぜい の念 ねん 仏 ぶつ による事 こと ぞと 心 こゝろ 得 え て平 へい 生 ぜい の念仏をくり 返 かへ し必 かなら す迎 むか へ給 たま へと佛 ほとけ に 聞 きこ へ 置 をき 給へ 頼 たの もしき

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慈 じ 悲 ひ の父 ふ 母 ぼ にてうしろ見 み 給ふ上 うへ は臨 りん 終 じゆう の正 しやう 念 ねん も佛 ほとけ の力 ちから にて相 さう 違 い あるべ からずと平 へい 生 ぜい の称 しやう 名 みやう もいとゞはげまれぬべくこそ問ていはく 浄 じやう 土 ど の 行 ぎやう 人 にん は諸 しよ 仏 ぶつ を念 ねん じ餘 よ 法 ほう を行 ぎやう 」 16ウすることはあるまじくや現 げん 世 ぜ の祈 いの りは 餘 よ 尊 そん へ申べしや答ていはく経 きやう に一 いつ 向 かう 専 せん 念 ねん と説 とき 釈 しやく に一向専 せん 称 しやう とあれば極 ごく 楽 らく を願 ねがふ 者 もの は餘 よ 尊 そん 餘 よ 法 ほう を差 さし 置 をき て念 ねん 佛 ぶつ 一行 ぎやう になるべきなり是 これ 全 まつた く彼 かの 佛 ほとけ の 本 ほん 願 ぐわん なる故 ゆへ なり本願の念仏は決 けつ 定 ぢやう 往 わう 生 じやう の行 ぎやう なるに何 なに の不足 そく ありてか 餘 よ の雑 ざふ 業 ぎやう を修 しゆ し加 くは へん餘 よ 行 ぎやう を修 しゆ する暇 いとま あらば 弥 いよ 正 しやう 定 ぢやう 業 ごふ の念 ねん 仏 ぶつ を勤 つと むべし不 定 ぢやう 往 わう 生 じやう の雑 ざふ 行 ぎやう を加 くは へんこと其 その 詮 せん なきをや但 たゞ し我 わが 修 しゆ せぬ餘 よ 尊 そん 餘 よ 法 ほう とて輕 かろ しめそし 」 17オるべからず大 おほ ひなる罪 つみ をうることなり唯 たゞ 敬 うやまつ て 頼 たの まぬまでとしるべし餘 よ 行 ぎやう をさし置 をく ことは 称 しやう 名 みやう の暇 いとま を妨 さまたぐ ればなり念 仏の障 さは りにならぬ善 ぜん 根 ごん は値 ち 遇 ぐう 結 けつ 縁 ゑん すべし又厭 ゑん 欣 ごん の行 ぎやう 者 じや は現 げん 世 ぜ を祈 いの る様 やう なし但 たゞ し願 ぐわん 生 しやう 念 ねん 仏 ぶつ の人 ひと は諸 しよ 仏 ぶつ 諸 しよ 神 じん も加 か 護 ご し給 たま へばことさら祈 いの らねども をのづから除 じよ 災 さい 獲 ぎやく 福 ふく の利 り 益 やく あり是 これ を不 ふ 求 ぐ 自 じ 得 とく の益 やく といふ凡 をよ そ福 ふく を祈 いの る は罪 つみ を止 やむ るにしかず幸 さいは ひを願 ねが ふは善 ぜん を修 しゆ するにあるべし唯 たゞ 心 こゝろ に慈 じ 悲 ひ あ りて身 み によ 」 17ウこしまの行 をこな ひなく他 た 力 りき の本 ほん 願 ぐわん を仰 あを ひで一 ひと 筋 すじ に念 ねん 仏 ぶつ せば弥 み 陀 だ は光 くわう 明 みやう を以 もつて 摂 せつ 取 しゆ し諸 しよ 佛 ぶつ 諸 しよ 神 じん も擁 よう 護 ご の手 て をたれ給 たま ふべければ災 わざは ひも 轉 てん じ幸 さいは ひも 自 をのづか ら来 きた るべし既 すで に地 ぢ 獄 ごく に堕 おつ べき者 もの 臨 りん 終 じゆう 十 じふ 念 ねん の刹 せつ 那 な に極 ごく 楽 らく へ 迎 むか へ給ふ不 ふ 思 し 議 ぎ の利 り 益 やく まします阿 あ 弥 み 陀 だ 仏 ぶつ なれば幾 いく 程 ほど なき果 くわ 報 はう をあたへ給 たま ふ利 り 益 やく なからんやもし 定 ぢやう 業 ごふ にて弥 み 陀 だ の御 おん 力 ちから にもかなはぬ事 こと は何 いづ れの佛 ぶつ 神 じん の力 ちから にも及 をよ ぶまじされば何 なに 事 こと も宿 しゆく 縁 ゑん に任 まか せて専 せん 心 しん に念 ねん 佛 ぶつ し仏 ぶつ 神 じん の御 おん 計 はか らひにまかせん 」 18オこそ心 こゝろ やすかるべけれ既 すで に守 しゆ 護 ご せんとの給 たま ふ上 うへ は 何 なに の慮 おもんはか りかあらんや況 いはん や厭 ゑん 欣 ごん の行 ぎやう 人 にん は冨 ふう 貴 き を見 み る事 こと 浮 ふ 雲 うん の如 ごと し手 て に むすぶ水 みづ にやどれる月 つき 影 かげ のあるかなきかの世 よ にすみて幾 いく 程 ほど ならぬ 名 みやう 聞 もん 利 り 養 やう いのらずともありぬべし 萬 よろづ 思 おも ひにかなふ身 み なりともいつまでたも つ命 いのち ならん物 もの の心 こゝろ にかなはぬにつけても娑 しや 婆 ば を厭 いと ひ極 ごく 楽 らく を願 ねが ふ縁 ゑん となさ ばかへりて 願 ぐわん 生 しやう 念 ねん 仏 ぶつ の便 たよ りともなり侍 はべ らんかしまして 浄 じやう 業 ごふ をなをざ りにして現 げん 世 ぜ を祈 いの らん事は仏 ぶつ 神 じん の 」 18ウ本 ほん 意にあらざるをや問て云臨 りん 終 じゆう の 来 らい 迎 かう は天 てん 魔 ま の所 しよ 為 ゐ と申人 ひと の候はいかに答て云夫 それ は一 いつ 向 かう に浄 じやう 土 ど の法 ほう 門 もん 不 ふ 案 あん 内 ない の説 せつ なり念 ねん 佛 ぶつ 者 しや の臨 りん 終 じゆう に来 らい 迎 かう し給 たま ふは弥 み 陀 だ の本 ほん 願 ぐわん にて 浄 じやう 土 ど 三 さん 部 ぶ 経 きやう の説 せつ 相 さう 分 ぶん 明 みやう なりもし天 てん 魔 ま の所 しよ 為 ゐ と候はゞ謗 はう 法 ぼう 無 む 間 けん の罪 ざい 業 ごふ なり来 らい 迎 かう の 頼 たの もしきいわれは上 かみ に弁 べん じぬれば今 いま 更 さら 申に及 およ ばず既 すで に経 きやう 文 もん によりて念 ねん 仏 ぶつ する者 もの 来迎にあづかるは仏 ぶつ 説 せつ にかなふ上 うへ はゆめ  疑 うたが ふべからず但 たゞ し平 へい 生 ぜい より無 む 相 さう 離 り 念 ねん 」 19オの修 しゆ 行 ぎやう せし者 もの の臨 りん 終 じゆう に種 しゆ 々の相 さう 現 けん じなば 尤 もつとも 魔 ま 事 じ といふべし平 へい 生 ぜい の行 ぎやう に相 さう 違 い するが故 ゆへ に夫 それ は 聖 しやう 道 だう 門 もん の行 ぎやう 者 じや にある事 なり本 ほん 願 ぐわん 念 ねん 仏 ぶつ の人 ひと にはあづからず今 いま 浄 じやう 土 ど 門 もん の行 ぎやう 人 にん は本願を 信 しん じて来 らい 迎 かう をまつ来迎ある事は佛 ぶつ 説 せつ に 符 ふ 合 がふ せり心 しん 経 きやう 既 すで に相 さう 應 おう す何 なに のあやしき事 かあらん唯 たゞ 称 しやう 名 みやう して 深 ふか く来 らい 迎 かう を頼 たの むべし 必 ず他 た 門 もん の説 せつ を以 もつて 混 こん 濫 らん する 事なかれ問て 曰 念 ねん 仏 ぶつ は 必 かなら ず 聲 こゑ に 出 いだ して 唱 とな ふべしや 珠 じゆ 数 ず 」 19ウもち 数 かず 定 さだ めね ばかなふまじくや答て云 口 くち に称 とな へ心 こゝろ に念 ねん ずる 同 じ名 みやう 号 がう なればみな往 わう 生 じやう の業 ごふ なり 伹 たゞ し称 しやう 名 みやう の願 ぐわん なるが故 ゆへ に 聲 こゑ に 出 いだ して申を本 ほん と心 こゝろ 得 え て障 さはり あ らん 時 とき は心 こゝろ に念 ねん じても 宜 よろ しかるべし 高 かう 聲 しやう 念 ねん 仏 ぶつ に十 じつ 徳 とく ありといへば 聲 こゑ に 立 たつ るねん佛 ぶつ ぞ 目 め 出 で 度 たく 覚 おぼ ゆる又念 ねん 仏 ぶつ だにも申せば 数 かず をしらねども決 けつ 定 ぢやう 往 わう 生 じやう の行 ぎやう なれど 数 かず 定 さだ めねば 怠 をこた りやすし 伹 たゞ し 珠 じゆ 数 ず もつに便 びん 宜 ぎ あしき人 ひと はたゞ 心 こゝろ にかけて 称 しやう 名 みやう すれば佛 ほとけ こと  くしろしめし 」 20オて本 ほん 願 ぐわん 成 じやう 就 じゆ の御 おん 胸 むね に 受 うけ とり給 たま ひ一 いち 聲 しやう 一 いち 念 ねん もすたる事なくみな往 わう 生 じやう の業 ごふ となるなり 正 しやう 座 ざ 十 じつ 劫 こふ の 昔 むかし より 九 く 品 ほん の浄 じやう 土 ど を 荘 しやう 厳 ごん し御 おん 目 め を見 み めぐらして極 ごく 楽 らく を願 ねが ふ者 もの やあると御 ご 覧 らん じ御 おん 耳 みゝ を 傾 かたむ けて我 わが 名 な を 唱 とな ふる者 もの やあるとよるひるにきこし めさるればしどけなく申ちうす念 ねん 仏 ぶつ も 聲 こゑ 々本 ほん 願 ぐわん に 受 うけ おさめて一 いち 念 ねん もむ なしき事なく決 けつ 定 ぢやう 往 わう 生 じやう の行 ぎやう となるなりけにも 易 い 行 ぎやう の本 ほん 願 ぐわん とわが身 み の 上 うへ にも勤 つと め得 う べくとよよ頼 たの もしくこそ 」 20ウ問て云極 ごく 楽 らく の 荘 しやう 厳 ごん 目 め 出 で 度 たし とま では 耳 みゝ なれたれどもおろ  其 その いわれを聞 きゝ 侍 はべ りて欣 ごん 求 ぐ をまさん答て云 四 し 十 じふ 八 はち 願 ぐわん より 成 じやう 就 じゆ し給へる不 ふ 思 し 議 ぎ の果 くわ 報 はう なれば佛 ほとけ すら説 とき 盡 つくし 難 がた しとの給 へりまして凡 ぼん 夫 ぷ のいひつぐべきには侍 はべ らず 抑 そも 一 いつ 生 しやう 念 ねん 仏 ぶつ の 功 こう つもりた りししるしには臨 りん 終 じゆう 時 とき 到 いた りぬれば本 ほん 願 ぐわん の 約 やく 束 そく 違 たが はずして自 みづか ら来 らい 迎 かう まし

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