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組踊『執心鐘入』の教材化のための作品研究: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

組踊『執心鐘入』の教材化のための作品研究

Author(s)

津波古, 敏子

Citation

沖縄大学紀要 = OKINAWA DAIGAKU KIYO(1): 17-65

Issue Date

1980-03-31

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/5666

(2)

組踊「執心鐘入』の

教材化のための作品研究

津波古敏子

6.「執心鐘入』よみとりのための分析 T『執心鐘入』の構造分析 8.主題 9.おわりに 1はじめに 2.作品について 3語句の考察 4作品の構造 5.主題をつかむための問題点の考察 1はじめに 組踊『執心鐘入』は文学教材として琉歌についでおおくの学校でとりくまれ、ま た琉歌よりもすぐれた授業の実践報告がだされており自主教材として定着しつつあ るようだ。 組踊『執心鐘入』の授業の実践報告は私たちが詩や小説などをおしえるときのよ うな独立した文学作品としてではなく、舞台鑑賞におんぶされたかたちの授業内容 である。しかし、私たちが「夕鶴』をおしえるとき舞台鑑賞がないと授業はなりた たないだろうか。戯曲を指導するとき舞台鑑賞によりかかることは、戯曲そのもの が文学作品としてあつかわれないことであり、国語教師が文学教育を放棄すること になりはしないか。生徒がよりふかい、よりこまかい演劇鑑賞ができるかいなかは、 教師に文学作品としてその内容をふかくよみとることのできる授業がやれるかどう かにかかっているといえるだろう。 これまでの『執心鐘入』の作品研究のおおくは、若松についての伝説あるいは舞 台で演ずろときの所作などを研究の前提にして人物の性格や主題が追求されていろ。 これらの研究をよりどころにして授業を実践したために、人物の性格のとらえ方に -17-

(3)

明確さをかき、授業をおえてあと、おしえる側にもおしえられる側にも釈然としな

いものがのころということを、授業を実践したおおくの教師からきく。たとえば、

登場人物のひとりである宿の女については、はじめてであう男になぜ鬼にかわるほ

どの恋をするのかが納得できないとか、他人の迷惑をかえりみない身勝手で浮気な女であ

るとか、あるいは一途で愛情のふかいかわいそうな女性であるなど、また若松につ

いてはまじめでりっぱな男子であるとか、高慢で冷淡な人間であるなどである。こ

とに宿の女のばあい相反する人物像がだされ、授業の場で疑問が解決できないまま、

よみてをあさい理解の段階にとどめたまま授業をおえろというケースがすぐなくな

い。

ところで私たちが文学作品をよむとき作品の中にえがかれていないことがら、た

とえば人びとがもっている伝説上の人物のイメージとか、あるいはある人物や事件

をモデルにした作品のばあい、よみてがそのモデルについてのイメージや知識をもっ

ていなければその作品がよめないということがあるだろうかb作品の客観的なよみにとっ

てそのようなことは不要なことであり、よみては作品の中でイメージをつくりあげて

いくのである。私たちは作品にえがかれたことからしかそのよみとりはできないし、

まして舞台で演ずろときの所作が演出者のよみとりである以上、これらによりかか

ることはゆるされないはずである。

ところでまた、「執心鐘入』の主題を女の執念ととるとき、なぜ相反する人物像

がでてくるのだろうか。これまでの内容の解釈のし方に問題がないかどうか『執心

鐘入』をもう一度よみなおし、文と、文の表現していることがらにそくして作品の

中に何がえがかれているか、客観的なよみのたちばで「執心鐘入』の主題を追求し

なおしてみたい。 2作品について

沖縄の文学のひとつに「組踊」とよばれる戯曲がある。「組踊」は舞台で演じら

れる楽劇であって、(1)せりふ(2)音楽(3)舞踊をともなう動作、の3つの要素から

なりたっている。せりふは琉歌形式のひとつである8.6調を主調とする韻文であ

-18-

(4)

り、音楽は三味線・太鼓゜笛などの楽器の演奏をともなった琉歌の謡である。この ばあいの琉歌は場面・状況・登場人物の心理・時間の経過など、いわば地の文に相

当する役割をもつものであって、その謡の歌の節は登場人物の情感や劇の雰囲気を

表現する役をになう。 「組踊」がはじめて上演されたのは1719年中国の冊封使歓待のときで、その

ときのだしものが『執心鐘入』と『二重敵討』であったという。「組踊」の創始者

は玉城朝薫といわれていろ。彼は首里王府の役人として薩摩・江戸へいききすろ機 会をとおして能・狂言・歌舞伎・浄瑠璃などについて造詣をふかめ、本土芸能と沖 縄在来の伝説・伝統をふまえながらまったくあたらしい形式の「組踊」をつくりあ

げていったといわれていろ。「組踊」の代表的作品としては王城朝薫作「執心鐘入』

平敷屋朝敏作「手水の縁」などがあげられろ。 島津の琉球入り後、首里壬府は対薩摩政策の一環として沖縄の支配階層のひとび とに和学、大和風の諸芸を奨励するのであるが、薩摩の琉球入り百年余の後にうま

れた『執心鐘入』は組踊のなかで和文学の影響がもっとも色濃くあらわれた作品で

ある。しかしながら「執心鐘入」は和文学の知識を完全に自分のものとして消化し

在来の伝説などをたくみにくみこみながらまったくあたらしい形式と内容をうみだ したという点において、玉城朝薫の5つの作品の中で、また組踊作品すべてのなか

で『手水の縁』とともに文学性の高い作品としての評価をうけていろ。

島津の琉球入り後、沖縄の支配者は儒教道徳によって身分制度・家族制度の強化 をはかり、身分制をよりいっそう強固なものにしていくのであるが、儒教道徳にお いて恋愛はその社会の制度をみだすおこないであり、封建社会では当然うけいれら れない行為である。「執心鐘入』では若松・座主のせりふをとおしてそのことがか たられていく。 この作品では、社会の矛盾を矛盾とも感じず封建社会のわくの中でひたすらいき ようとする人間の姿と、社会の矛盾を意識するまでにはいたらないが、恋のために 社会の束縛をのりこえ、愛をもとめるつよい執念のゆえに鬼として社会から排除さ れてしまう人間の姿がえがかれていろ。この作品は封建社会の中にいきる人間のこ -19-

(5)

となるタイプをえがきだしているという点で、また中.近世の戯曲の文語的表現が つかいこなされているという点で、近世戯曲の入門的教材となりえ、さらに近松の 作品や近代文学への橋わたしの教材としてあつかえば、たとえば『舞姫』などへ学 習を発展させることができるだろう。また「鬼」をテーマとして社会の本質の一側 面をとらえる立場から、説話文学などへつなげていくこともできる教材だろうとお もう。 S語句の考察 これまでの研究でもとりあげられてはいるがまだ問題のある語句や、主題をつか むために必要な語句について若干の考察をくわえてみたい。 〈布だけ〉 西日に影が布の丈のように長くのびるようすをあらわす単語か。日暮れどきを表 現するのに「布だけ」のつかわれている例がもう一例組踊にある。 てだや布だけに日も暮れてをもの片時も急ぢ忍で行きゆん (組・忠) また、琉歌に ナギ 布長んあてながさ手布長んどきながさ 庭に植えてあるがつばな樹の葉のなげやうい (琉・庶資) 手さじの長さやなげ長さ庭に値ゑてあるがじまろのひげの長さ (琉・全)

の例がある。「手布長んどき」が何時をしめすか不明だが、「71了震〕「手さじの長

さ」とともに「布」に関する語で、ながい意味をあらわす単語としてつかわれてい る。ただし、次のばあいはみじかい意味でつかわれているようだ。 思うて通へば遠い道の長さも手布なげ布なげ(琉・全) 伊波普猷「琉球戯曲辞典」の『むつがね』の項に、時刻を日影で測定する方法が

首里王城内でもちいられていたことがみえる。鯛(水時計)と日時計をもちいて、

雨天のときは漏刻門にすえられた水箱と刻箱、晴天のときは日影台で時を測定し、 -20-

(6)

時刻をしらせていたという。

またわれわれは老人たちの昔ぱなしで、時計をもたなかったひとびとが日影の長

短で時刻を判断したということもきくことができる。「布だけ」は日暮れどきの時

間のみじかさを形容する語ととる鎧)もあるが、先の例の「布」は「ながい状態」に

意味の重点があることから、「布だけ」は陽が西にかたむく頃の影がながくのびる ようすを形容する語ではないかとかんがえられろ。 〈首里みやだいり〉 首里御奉公。王城内でのおつとめ。

「地方の奉公人階級」について比嘉春潮の次の説明がある。「農村の古い家柄の

子弟が首里に出て、両総地頭の邸、即ち御殿・殿内に奉公し、雑役に服しつつ算数

読書を学び、数年又は十数年の後間切に帰り、地頭の推薦によって間切・村の役々

に任職する。。。.。こうして彼らは一般百姓の上に置かれた支配階級的存在であ

った。」また奉公するのが少年時代であったことものべていろ。(2)

作中の若松が「みやだいりごとあてど首里にのぼる」途中であり、「七つ重く たる年ごろ」であることから彼の旅をしている背景が推測できろ。 「首里みやだいり」の同義語に「首里ぎやなしみやだいり」があるが、比嘉のの べていることがらがどれであり両者がどうちがうのかはよくわからない。 首里みやだし、りすまち戻る道すがら恩納假岳見れば白雲のかかる 恋しさやつめて見ぼしやばかり(琉・全) 首里ぎやなしみやだいりすまち九月や (同上) かれよしのみおんき拝ですでら 首里ぎやなしみやだいりとろ人や多さ (同上) 必ずと里前おさしめしやうち はり川の水やはりやよどむとも 首里ぎやなしみやだいりよどのなゆめ (同上) など、奉公をおえたよろこびをうたった例や積極的に封建社会をいきようとする士 ● 族たちの姿勢のうかがえるおおくの例があるが、「首里みやだいり」と「首里ぎや -21-

(7)

なしみやだいり」との具体的な内容のちがいはいまのところ不明確で「番上り」と

あわせて今後考察すべきであろう。 〈中城若松〉

人名。中城村の若松。「松」が一般的な名である。

おもろで「わか-」は接頭語として次のようにもちいられていろ。(5)

-わかさいく=若い細工人。立派鬮な細工人。

わかつかさ=①按司の下司。②神女の美称。

わかてた=王の尊称。あるいは若い按司をさす。

わかぬし-神に対する尊称。 わかのろ-年若のノロ。またはノロの美称。 わかとのうち=立派な殿内。

わかまつ=①若い松の木。美しい立派な松。②人名。

わかみつ=立春の日の早朝に汲む聖水。

上の接頭語「わか-」は人間・建物。自然物にたいして、若々しい。すぐれた.

bつばな・うつくしいという意味でつかわれていろ。「中城若松」は中城村の若々

しいうつくしい男子の意で名づけられたのであろう。

〈二十日夜のくらさ〉 まっくらやみの夜。 十五夜照るお月名に立ちゆるごとに 四方に照り渡る影のきよらさ (琉・全) 暗闇よやればしばし待ちめしやうれ

二十日夜の月もやがてとよむ(琉・全)

と琉歌によまれているように、てりかがやく十五夜と対照的なのが二十日夜である。

原文で後にでろ「冬の夜」「夜深さ」からすると月の出にはほどとおく、まってみ

てもあてのない闇の夜であることがわかる。また行先がみえず不安なきもちをいだ

いている若松のようすをも、この語は表現していろ。 〈ことに山路の露もしげさ〉 -22-

(8)

「ことに」は ①とりわけて。特別に。

②なお。その上。

の意味があるが!)ここでは「行く先やまよて」とあるからまわりのようすがよくわ

からない場所にいることがよみとれ、したがって①の意味でないことがわかる。

「山路の露もしげき」は草深い山路のようすをあらわしており、「山路の露も」

のとりたての形は他に同様のことがらがなりたつことをしめしていて、ここでは 「二十日夜のくらさ」を指摘することができる。いずれも困難な状況を表現していろ という点で共通である。このとりたての形は困難な状況がかさなっていることを描 写していろ。したがってここでのにとに」が②の意味をしめしていることはあき らかである。 〈里と思ば〉 「里」はあなたという意味の琉球方言の歌謡語で、女から男にたいしてつかわれ、 女から男にたいしては「無蔵」がもちいられろ。 「里」「無蔵」はいつばんに恋人にたいしてもちいろといわれるが、次はいずれ も初対面の男女のやりとりでつかわれている例である。 やあやあ、いきやる事あとて知らぬ思里が 羽衣を取やりまかへ行きゆが (組・銘) 見ず知らず里前手水てす知らぬ あてなしゆだいものゆろちたぱうれ(組・手) 里がい言葉や此の世界の習ひ天の御定のわ自由ならぬ(組・銘) 天と地の`盾ふやあはしゆろ浮・世無蔵と縁結で互にそは|こ(組・銘) 柄杓からたべる情どもやらぱとても飲みぼしやや無蔵が手水 (組・手) 組踊では、男女の恋愛関係をしめす筋のぱあい、まだその関係が成立していない場 でのやりとりにも、これらの語はもちいられ、そうでない関係をしめすばあいは次 のように「やあやあ」だけでよびかけがなされていろ。 -23-

(9)

やあやあ、大川のなし子乳母てる女一谷茶按司一→女(組・大) やあやあ、振合しの袖に縁の糸結で夢の間の浮世語らひぼしやあもの

我側に居とて楽よすれよ-谷茶按司一→女(組・大)

上の例は恋愛関係の成立しないぱあいの男女の初対面のときと愛をかたるときのせ

りふであるが、どちらも「やあやあ」でよびかけがなされていろ。他の作品からの

例証を必要とするが、組踊においては、恋人であるないにかかわりなく、恋愛

の関係にたちうる異性にたいして「里」「無蔵」がつかわれろといえそうである。

「里と思ば」の「と思ば」は「~とめば」とも表記され、条件をあらわす形であ

る。「里と恩ばのよでいやでいふめ御宿」のぱあいは、次の琉歌の例に共通の意

味を見出すことができる。

及ばらいとめば思ひ増す鏡影やちやうもうつち拝みぼしやの

ヘジ、’、ジヘエ~

(とうていおよばぬ恋とおもうと、おもいはいよいよますばかりです。せめてあの

お方の面影だけでも鏡にうつしておがみたいのです)(琉・全)

あまかこまともて泣きゆらてやいとめば別れとる我身やよくのつらさ

ニーグ、ジーグ~

(あそこかここかと、方々をさがしまわってないているのであろうとおもうと、わ

かれている自分はなおいっそうつらい)(琉・全)

上のばあい、いずれも---線の「恩ふ」ことがらをきっかけにしてへ~~線の帰結

のことがらがおこる例である。おなじように原文のばあい「里と恩ば」をきっかけにし

て「のよでいやでいふめ御宿」というきもちがおこってくることをしめしていろ。

里と思ば」@よう豆LJミニコミkJ凸ミツuiil這冬の夜のよすが互に語やくら

を宿の女が若松を以前から恋慕していたことの根拠にするこれまでの解釈は、①

「里」が初対面のばあいでもつかわれること②「と思ば」がきっかけの条件をあらわ

していること、のふたつから当をえていないといえる。 〈あまく片時も〉

「あまく」と「片時」は同義語であろう。「あまく」は、またたく間、瞬時の意

力>。

夜昼浄iii欝P肝も肝尽ちあまく働きやり

-24-

(10)

行積る年に島里も拝て (組・忠) いきやすながらゆが火たき屋に残てあまく片時もいきのならぬ (琉・全)

「あまく」についての例を、いまのところ組踊、琉歌にそれぞれ1例しか見出しえ

ないが、おもろの「あまこ」と関係のある語ではないかとおもわれろ。

上記の組踊の例「あまく働きやり」の「あまく」を、伊波普猷は「精出して。十

分に」の意に解しておられるが(5)「あまく片時も」の短縮された形で「瞬時も」の

意ではないかとおもわれろ。 〈袖のふやはせど御縁さらめ〉

「袖振り合ふも他生(多生)の縁」と同じ意味。見知らぬ人と道で袖が触れ合う

のも、前世からの因縁による。どんな小さな事、ちょっとした人との交渉も偶然に

起こるのではなく、すべて深い宿縁によって起こるのだということ(:)同じ意味で次

の例が琉歌、組踊にみえろ。 やあやあ、振合しの袖に縁の糸結で夢の間の浮世語らひぼしやあもの (組・大) 忘ろなやう今宵袖の振合せや生れらぬ先の御縁ともれ(琉・全) く地獄〉 「義理知らぬもの」の「義理」が、人の踏み行なう道の意なら、「地獄」は「現 (7) 世で悪業を重ねたものが死後その報いによって、落ちて、責め苦を受けろという所」 の意味で理解するのがコンテクストでは自然だろう。 (8リ 伊波普猷が「淫売婦」と解しておられるのに対して、当間一郎はこの語の時代考 察をとおして「朝薑が組踊を創作した頃には日本文学の作品や文献にまだあらわれ ていないし、おそらく流行語にもなっていないことばであろう。」といい、「人間 として理に反した無軌道なことだ、まるで人道をふみはずした、理性を失ったおそ

ろしいことだ」という意味に解してい勢封建社会における恋愛行為のもつ社会的

意味をかんがえろと、伊波「淫売婦」説よりも、当間説「人のふみ行なうべき道か らはずれている理性なき人間であるとして、女の態度や言動をいましめていろ」こ -25-

(11)

とぱと解釈するほうがなつと〈がいく。 〈悪縁〉

①(仏語)悪い縁。外的な悪い条件。

②思うままにならない男女の関係。特に離れたくとも離れにくい間柄となった男

女の仲。

③結んではいけない縁。好ましくない結びつき。

④前世の因縁で結ばれぬ運命になっている男女の関係。00

ほとんどの辞典は①~④のなかのいくつかで意味規定がなされていろ。原文での

「悪縁」は宿の女と若松とではニュアンスがことなる。

宿の女は「袖のふやはせど御縁ざらめ」といい若松との出会いを宿縁として

うけとめていろ。「及ばらぬ里とかねてから知らばのよで悪縁の袖に結びや

くが」の「のよで・・・が」は反語形で、「悪縁」が袖に結ぶことを否定した表現

で、ここは「悪縁」ではなく「縁」であることを強調していろ。「縁」を宿縁とし

てうけとっているのだから、したがってここでの「悪縁」はあきらかに④の意味に

うけとれろ。また女が胸のおもいをうちあけたあとにげていく若松に対してのべ

ろ「悪縁の結ではなちはなされめ」は、反社会的行為をかさねていくだけで

もどることができない立場、そしてこうなった以上若松と離れるわけにいかない女

の立場を表現していろ。したがってここでの「悪縁」は②の意味であることがよみ

とれろ。

いつぽう「御縁てす知らぬ恋の道知らぬしばし待ちかねろ夜明けしら雲」

と首里奉公のこと以外念頭にない若松は、「縁」や「恋」を「義理知らぬもの」

馳獄」と否定する。否定してもなお女から態度をせまられてのべろ「悪縁や袖に

むすばはんばからひわ身や首里みやだいりやてど行きゆる」は、「首里みやだ

いり」が「縁」「恋」よりも優先する若松の立場を表現していろ。したがってここ

での「悪縁」は(、③の意味であることが判断できろ。

〈一道〉

(ひとみち)わき道のないただ一本の道。転じて、死者の国への道ID

-26-

(12)

ここでは「死者の国への道」の意でつかわれていて、行き所のない女の立場を表

現していろ。 〈一だんな事〉

古語で「いちだん」は、ひときわ程度がはなはだしいこと、きわだっていること

に対して肯定的にもちいられるようだが、原文では悪いこと、肯定できないことに

対してもちいられていろ。 〈かいじゃうがね〉

「十二時の外に開鐘及び鼓詰みといふ二時があって、前者は暁と農との間に、後

者は昼と夜との間に、九を十二倍した百八を二分して、各五十四回・・・・鐘老鳴

したBDという。琉歌では恋の歌、とくに暁の別れの恋歌に数多くよみこまれた語で

末吉の開門鐘や首里の開門と恩て

里(無蔵)起ちやらち我肝やみゆさ(琉・全)

鼓責時鳴ち開門鐘や鑿とな無蔵が起上て行きゆらだいもの

(琉・全) などの例がある。 くやかれよも座主〉

「やかれよも~」は憎らしいものに対して、ずうずうしい奴、太い奴、横着な奴

の意でつかわれろ。

稲の穂もあらぬ粟の穂もあらぬやかりよも烏がかかりすがり

(琉・全)

やかりよもさんば願bはもきかいいけてはたかとて我肝やまち

(琉・全) などの例が琉歌にみえろ。 〈あたら花盛り〉 「あたら」は「借(あたら)し」に同じ。 〈すいきんな小僧〉

.(「推して参る」の漢字の字音読みによって生じた語)

-27-

(13)

①自分から押しかけて参上すること。また訪問することを謙遜していう。

②差し出がましいこと。無礼。ぶしつけ)D

ここでは②の意で、無礼な小僧という意味。 <死ぬが心気〉 しんき(辛気・心気)ことろ。こころもち。気分。「死ぬが心気」は死ぬよう なつらいきもちの意で、人間から鬼へ変化するきわの錯乱状態を表現している。 〈法力〉 (仏語)仏法の功徳の力。仏法の威力。徒の力。 ←4作品の構造 この作品は若松・宿の女・寺の座主とのかかわりあいを中心に、宿の女が鬼に化 身し、法力で「祈りのけ」られるようすがえがかれており、次の5つの構成部分か らなるといえるだろう。 [はじめ] (若松道行歌~たんで御情にからちたばうれ) 日は西にかたむいているが、若松は「みやだいり」のためひとり首里へむかって いろ。やがて(冬の)「二十日夜の暗さ」で「行く先やまよて」そのうえ「山路の 露もしげき」という困難な状況にであい、村はずれの光をたよって宿を乞う。 宿の女は家の中で親が留守なので「自由もならぬ」とことわり、ふたたび若松が 宿をたのむのに対して、よそに知れて「憂名立つ」とかさねてことわる。 ここでは社会の徒によって自分の意志で判断し行動する自由があたえられていな い女がえがかれていろ。女が徒をまもるかぎりほかに宿のない若松は首里奉公がで

きなくなる。封建社会の徒をまもるふたりの矛盾が表現されていろ。

「おやの留守てやり自由ならぬでいふすに(親が留守だから自由にならないと いうのに)」といいながら若松は「二十日夜のくらざ行く先も見らぬ戻る道なぶ いらん行き詰てをもの」と、奉公に行くのにのっぴきならない状況、進退きわま った状況であることをのべろ。自分の窮状打解のため、女が社会の徒をやぶる破目!. -28-

(14)

におちいるにもかかわらず「たんで御I盾にからちたぱうれ」と宿をたのむ。 [おこり] (女出羽歌~ふり捨てていかは一道だし、もの)

女が登場し若松と対面する。「中城若松」と名のり「みやだいりごとあてど首

里にのぼる」という前途有望な若者に、女は「里と思ば」と心をひらき、奉公の行

く先で進退きわまっている彼に対して「いやでいふめ御宿」と宿を承諾する。そし

て「冬の夜のよすが互に語やくら(冬の夜すがらをたがいに語りましょう)」と

いうきもちで、若松を宿へいれろ。 親の留守中自由にならぬ、憂名立つとことわりつづけて社会の徒をまもっていた

女は、若松に宿をかすという反社会的行為をとり、社会の徒をやぶってしまう。前

段の若松の窮状とは逆に、この段から女のほうがのっぴきならない状況におちいっ ていく。 「冬の夜のよすが互に語やくら」という女のきもちを察することができない若 松は宿にはいってほっとし「御情の宿にしばし休ま」とすぐ横になる。若松をお こし情をつくして「御縁」「恋」をかたりかけていく女と、「義理知らぬもの」 「地獄」と恋を否定する若松はことごとくかみあわず、女のきもちは若松にうけいれ てもらえない。「及ばらぬ里とかねてから知らばのよで悪縁の袖に結びやく が(およばぬ方だとかねてから知っていたら、どうして悪縁が結びましょうか。結 びはしません)」と悪縁ではないこと、結ばれぬ縁ではないこと(縁を結ぶか否か は若松の態度いかんにかかわっていること)を女は強調する。しかし、若松はたと え悪縁が結んだとて「みやだいり」があるからと、女をふりきって逃げ出す。「悪 縁の結ではなちはなされめふり捨てていかは一道だし、もの(離れられぬ縁が 結んでたとえはなそうとしたってはなせるものか、ふりすてていくのならもろ ともに死ぬばかりだ)」と、死を賭けるほどに女のきもちは高まっていく。 ここではひたすら体制にすがっていこうとする若松と、反体制の道をえらんだ女 との対決がえがかれていろ。 [つづき] -29-

(15)

(されきれ座主加那志~いやすいきんな小僧)

女に追いかけられることによってふたたびのっぴきならぬ状況におちこんだ若松

は寺へ逃げこみ座主へ助けをもとめろ。「女恋どころそさうにども思ふな思積

てからや命もとゆん(女の恋心壱かろくなどおもうな。おもいつめろと命もうば

う)」と、座主は美少年若松の窮状に心をいため、「戻る道ないらぬ恋のせめか

こも」「かいじゃう鐘」の中にかくし、小僧どもにみはらせろ。

ここでは、女人禁制(「女は法度」「女禁止」)の寺=権力の世界へ助けをもと

め、保護をうけろ若松のようすがえがかれ、また、女の恋に対しおもいつめたら男

性の命一社会的生命をもうばうおそろしいものという座主の見解がのべられていろ。

[やま] (女道行~梅どやゆろ)

はかない身でいて、自由のない生よりもいとしい方をさがしていっしょにしんで

しまおうと、もはや「戻る道ないらぬ」女も死を決心して若松をさがしに寺へくる。

「女は法度」「昔から寺や女禁止さらめ」と、小僧のふりかざす徒に対し、女は人

間の自然のいとなみである恋の道を禁止することはできぬはず、とつよい調子でい

どんでいく。たずねている人はいない、もどれという小僧の無情をうらむが、女の

たちぱに同'盾しおもいなおした小僧の配慮で寺内へいれてもらう。

ここでは「禁止のませ垣もことやればことし、花につく胡蝶禁止のなよめ

(禁止というませ垣も、いかほどのことがあろうか。恋の道を禁ずろことができよう

か、できはしまい)」と、自由をもとめる女のつよい姿勢、そして権力の世界へふ

みこんでいく女のようすがえがかれている。

[おおづめ]

(さん山ぶしこの世をて里や御縁ないぬさらめ~おわり)

若松とは現世でむすばれぬ縁であることをさとり、女は「一人こがれとて死ぬ

が心気」と狂乱する。若松が鐘からだされさらに安全な場所へうつされることによ

り、完全に女と若松との縁がきれろ。鐘に不審をいだいた女は鐘にまといつき鬼と

化す。若松にあえぬうらめしさで鬼になり鐘にまといついている女を、座主・小僧

-30-

(16)

Iよどうすることもできず、法力で「祈りのけ」てしまう。 ここでは鬼に化身することによって権力と直接対決するが、法の威力(徒の力) で排除されてしまう女のようすがえがかれていろ。 S主題をつかむための問題点の考察 ここで従来の研究が前提としている解釈のうえでの疑問点をいくつかとりあげI

原文ではその点がどうえがかれているのか、表現にそくして検討してみよう。

(1)女はなぜ若松を宿へいれたのか。 女が若松を宿へいれた理由を、若松が美貌のほまれ高い少年であるという伝説に よりかかり、女が評判の美少年若松の名をきいて恋情をおこしたとか、または美少 年としてしられていた若松老女が以前から恋慕していたとする解釈が定説のように

なっていろ。00

しかし、全文をとおしてみて「花の顔」「春の花桜色美らさあすが」という描 写から若松が美少年であることはよみとれるが、世間で評判が高く、女性のあこが れの的で宿の女が以前から恋慕していた、という女が若松にであう前にその名をし っている条件はどこにも表現されていない。もしそれほどの人物であるとするなら、 座主や小僧たちがそれに気づかないのをどう説明し、若松をさがしに寺へやってき た女がその名をださずにたずねることをどう説明すればいいのであろう。 (たとえば

音にとよまれる知念山口の駕繼αドョリ(学?玉津がやゆら

(組・手水) はあ、大里のあるじ玉村のをなぢやらや

世間豊まれろき望要fこれば(組。忠)

などのばあいなら、作品の中から有名な人物であることがよみとれろ。)たとえ作 者がおもろの「若松」、伝説上の「若松」によりかかっていたにしても、それは伝 説を了解事項として観客がすっと劇の世界へはいっていけろという観客と作者の関 係であって、作品の中身とは無関係のことである。私たちが宿へいれた理由をさぐ -31-

(17)

ろにはえがかれているととがら-表現をとおしてよみとるほかにてだてはない。

a宿をかりる若松の状況 ひちより行きゆろ(一人旅)

二十日夜のくらざ(冬の二十日夜の闇)

行く先やまよて(行く先にまよう)

ことに山路の露もしげざ(草深い山路)

出羽のせりふから若松が野宿などもちろんできぬ冬の闇夜に山路でまよい不安な

状況にいることがわかる。この状況に若松がどうしても宿をかりたい理由があり、

あの村のはづれ火の光便て立ち寄やり今宵あかしぽしやの

に宿をかりたい若松のきもちが表現されている。

b宿を乞う若松の心理

この宿のうちに物しられしやくら旅に行き暮れて

行く先もないらぬ御'盾に一夜からち給うれ

宿をかりねばならぬ状況をうったえろ。

(女の「たるよ(誰か)」にはこたえず)

露でやんす花に宿かゆろ浮世

慈悲よ御情にからちたばうれ

宿をかりたいきもちだけが先行する。

(女に「憂名立ちゆめ(憂名がたってしまうではないか)」とことわられ)

おやの留守てやり自由ならぬでいふすに

繰返ちまたやいひぐれしやあすが

①②③ わぬや中城若松どやゆる みやだいりごとあてど首里にのぼる

二十日夜のくらざ行く先も見らぬ

戻る道ないらん行き詰てを6の

-32-

(18)

たんで御情にからちたばうれ 宿をかりることばかりが念頭にあって、誰かと問われても名のりをしないまま宿を乞 い、ふたたびことわられてゆきづまったので、自分のようす①②③のことがらをのべ再 三心苦しく宿を乞う。女が徒をやぶる破目になることをかんがえる余裕が若松にはま ったくない。(原文解釈のたちばでよむなら、はじめから女に名のりをしないのは

「若松の計鋼ではなくて、若松の性格の一端がここにえがかれていろということ

になるだろう。) c宿にいれるまでの女の心理 ①「わぬや中城若松どやゆる」 。。 「若松」の「若」は前述したように、みずみずしし、もの、すぐれた、りっぱな、 うつくしいものに対する美称である。「松」は男性または女性の一般的な名である。 名が「松」ではなく「若松」であることが人並みすぐれた人物であることを表現 O してし、ろ。 ②「みやだいりごとあてど首里にのぼる」 これも前述したように、豪農の息子であり務めをおえれば支配階級に属していく

身分の人間であることを表現していろ。経済的にも身分的にも安定するであろう前

途有望な若者であることが判断されろ①②のことが、女のきもちを変化させ、「里 と思ば」と恋どころをいだかせていくのである。

③「二十日夜のくらざ行く先も見らぬ戻る道ないらん行き詰てをもの」

さらに、その男が進退きわまる困難な状況にあることをつげられて、女のこれま での態度が一変する。 ①の条件 ②の条件 ③の条件

ニコー

「里と思ば」 「いやでいふめ御宿」 ①②③のことがらが条件となって上のようにはたらき、女は若松に宿を承諾する。 (ここでの若松の名のりは求愛の意味をあらわさない。なぜなら、相手の名をき かないからである。また若松が宿にはいってすぐやすむところ、さらに「恋」「御 -33-

(19)

縁」を否定していくところにもそうでないことがしめきれていろ。) 若松に心うごかされた女は、ついに「冬の夜のよすが互に語やくら」というき もちになり、若松を宿にいれてしまうのである。 (2)ふたりの出会いはなぜ「悪縁」なのか。 「悪縁」の語句の意味についてはすでにのべたが、ここでは「縁」が「悪縁」に なる理由についてすこし説明をくわえろ。 いったん男を宿へいれてしまったからにはあとへひっかえせない。女は世間から

「憂名」をたてられ、関係をむすぼうと否とにかかわりなく社会の徒をやぶったも

のとしてあつかわれろ。女が意を決してかたりかけていくところから、ふたりの出 会いのとらえ方をおってみろ。 まれの御行合(めったにない、機会のすぐない出会い) 袖のふやはせど御縁(ちょっとした人との出会いや交渉は偶然によるものではな く、深い宿縁によるもの) のよで悪縁の・・・(前世の因縁でむすばれぬ運命の関係ではない)

女は出誰W5葛鴬二無縁だ差:纂丙いる詮麗鯛々

と「悪縁」といわねばならない理由は、どんなに情をつくして恋をかたりかけてい

っても若松のきもちとかみあわないのに対して、むすばれない縁であるなら「悪縁」

がむすびはしない、ようするに宿縁によってふたりの出会いはあるのであり、前世 でむすばれぬ運命の縁ではないことを強調する女のきもちがあるからである。ここ は縁が若松の態度いかんにかかわる問題であることを表現している。

若松はふたりの出会いを「はっ御行合」とつきはなし、女の「袖のふやはせど御

縁」に対し「御縁」「恋の道」を知らぬといい、さらに「義理知らぬものやこれ ど世の中の地獄」と徹底的に否定していく。そして 悪縁や袖にむすばはんばからひ -34-

(20)

わ身や首里みやだいりやてど行きゆろ と、まようことなく「首里みやだいり」のために縁をふりきる。奉公にいくこのき わでむすんではいけない縁という意味で、若松にとってこの縁は「悪縁」なのであ る。 悪縁の結ではなちはなされめふり捨てていかは一道だいもの のばあいは、縁をふりきっていく若松に対し、女にとって反社会的行為をとってし まった以上は離れたくとも離れられない縁になってしまったことを意味する。すて られるのならいっしょに死ぬしかない、せつぱづまった状況にある女の心理をあら わしていろ。 女はふたりの出会いをむすばろべき縁(宿縁)とうけとめているのに、それを拒 否されていくわけである。終始、縁を肯定するたちばであり、「悪縁」もそのたち ばからの意味をしめす。いつぽう、若松は「首里みやだいり」のこと以外はまった くかんがえることができない。ここで縁をむすぶことは彼にとってこのましくない ことで、それを「一夜かりそめの宿の女」にかたりかけられ、おっかけられるので あるから、彼にとってふたりの出会いは「悪縁」以外の何物でもない。きっかけを 彼自身がつくったのであるが、彼のばあい終始、縁を否定するたちばであり、「悪 縁」もその意味の表現である。 (3)なぜ女は鬼になるのか。 若松は体制の中での上昇を志向するために宿を媒介にして女と関係が成立するし、 女は「恋どころ」をいだき徒をやぶることで若松との関係が成立する。若松は宿を かりることで首里(権力)へ一歩ちかづき、女は宿をかすことで反体制の道をあゆ みはじめろ。 宿にいれた女、宿をかりた若松はともに反社会的行為をとったことになり、ふた りとも同罪のはずだが、女は宿にいれる原因になった「恋どころ」を若松にうちあ けろというかたちで、若松はそれを拒否するというかたちで、若松と女は対立して いく。 若松は寺へにげることにより罪からのがれ、さらに一歩首里(権力)の世界へ上 -35-

(21)

昇していく。その結果、女は提をやぶるという封建体制の矛盾をひとりで背負わさ れるはめになる。そして「恋」をつらぬきとおすため命を賭けて、女も寺へいくわ けだが、若松一寺の関係とは逆に女一寺の関係は対立の関係にある。若松一 女の対立関係がここで寺一一女の対立関係にうつる。女は禁止をはねのけて寺内へ はいるのだが、若松との縁がどうにもならぬ段階でついに鬼と化し、座主・法力 (権力)と直接対決してついに排除されてしまう。鬼になるまでの女は禁止をはねの け、命を賭けて恋を成就しようとする執念をいだいていろ。

組踊「大川敵討』に、とらわれの身の女がきびしく詰問されても亡き主君錨し芋)わ

を救出する計画を白状しない場面がある。その女に対して はあ、面付も力>はて悪魔やな女夫喰ゆろ悪生切支丹。 鬼見ちゃろ人の此世界に居ゆめ是ど鬼やゆろさあさあ きつとん<んしめれ というくだりに「鬼」の語がつかわれていろ。とれだけで判断するのは危険だが、 力に対して自分をまもりとおす執念をもつもの(このばあいはいずれも女だが)が 「鬼」なのであろう。 00 馬場あき子は「反体制、反秩序が基本的な鬼の特質」であることを多くの資料を つかって指摘しているが、なかでも説話の世界における「鬼となる女の心」と『執 心鐘入」の女の心とがにているのにおどろく。中.近世の「鬼」の-典型が「執心 鐘入』にえがかれているということになるだろう。 この作品の宿の女は封建体制の中でよわいたちばにおかれ、矛盾を背負わされて 「恋」のために執念をもって権力と対決するから「鬼」なのである。 -36-

(22)

e「執心鐘入」よみとりのための分析 筥仏首一一丁航会匹土 ヨ端 檀串調より禍 |||旨I 日歩四ア 観若弓隈 IZl 名刀 のオ い[仇 -37- 行く先やまよて 二十日夜のくらさ

め首里にのぼる

みやだいりごと

眠しブイチユイイチユル

ひちより行きゆろ シユイ●〆デイヤテイ炉rワ 首里みやだいりやてど ヌヌダキーーナテイン 布だけになても +金テイルテイ上デヤニシニ ー照るてだや西に ハンガ上劉リ 橋掛より出る チン 若松道行歌金武ぶし ファツイカユヌク・ラサ ニ十日夜のくらさ シユイニヌプル 首里にのぼる。 メデイクトウマムカドウ みやだいりごとあてど ワカマツイレrワヤユル 若松どやゆろ。 ワンヤナカクスイク わぬや中城 若松詞 所〔不安・困窮〕 人里離れた困難な場 暗やみ 「みやだいりごと」 若松のおかれた状況 観客への名のり 若松登場 構 成 場面.・社会 若 松 女 女の .、U 理 描写 表現 のよみとり

(23)

}よ じ め 露もしげさ ことに山路の あの村のはづれ 旅に行き暮れて 行く先もないらぬ カラチタポリ からチヮ給うれ。 ウナサキーーイチヤ 御情に一夜 イクサチンネラン 行ノ、先Jbないらぬ、 タピーーイチクリテイ 旅に行き暮れて ムヌシラリシヤビラ 物しられしやベテワ。 クヌヤドウヌウチーー との宿のうちに アカシプシヤヌ あか‐しぽしやの 夕チユヤイクユイ 立ち寄やhソム「宵 フイヌフイカリタユテイ 火の光hソ便て、 アヌムラヌフアヅイリ あの村囚はづれ ツイユソシジサ 露4℃‐しげさ。 クトウ一一ヤマミチヌ ことに巾山路の イクサチヤマユテイ 行く先やまし▲て、 宿を乞う 若松 38

(24)

よ じ め ・自由もならぬ 親の留守 夜深さ 憂名立ちゆめ カラチタポリ かFつちたばうれ。 ジフイユウナサキー一 慈悲トー御情に ヤドウカユルウチニ 宿かゆフ◎浮世、 ツイュデンスイハナニ 露でやんす花に 若松詞 ジユンナラン 自由4℃ならぬ。 ウヤヌルスイヤリ・〈 親の留守やれば ヤ時ムソカランデイ》スイヤ 宿からんでいふすや、 タルユユプカサ一一 たう○よ夜深さに 南表の幕内にて 女詞 ウチナタチユミ 憂々ロ立ちゆめ。 ヨスシリーテオワンヤ 与所知れてわいや ヤドウカラチウチョテイ 宿からち置き卜(て、 ウヤヌルスイナカ一一 親の留守なかに 女詞 慈悲よ御情に 若松 れていない社会〕 意志・判断が認めら 〔封建社会Ⅱ子女の にならぬ。 親が留守だから自由 家の中でことわる。 女 〔社会の提にしばら が立つ よそに知れたら憂名 重ねてことわる 女 れているⅡ恋愛の白 由が認められていな い〕 39

(25)

2j: じ め カラチタポリ かテワちたばうれ。 夕どアイウナサキーー たんで御情に イチッイマテイヲウムヌ 行き詰てを4℃の、 ムドウルミチネラン |民ラ○道ないらん イクサチンミラン 行ノ、先4℃見らぬ、 フアッイカユヌクラサ 一一十日夜のノ、らさ シュイニヌブル 首里にのぼる。 メデ/イクトウアテイドウ みやだいhソロとあてど ワカマッイドウヤユル 若松どやゆろ。 ワンヤナカクスイク わぬや中城 イークリシヤアスイガ いひ〈、れしやあすが、 クイカイチマクヤ 繰返ちまたや ジュナランデオユスイ一一 占口由ならぬでいふすに、 ウヤヌルスイテイヤイ おやの留守てやhソ 若松詞 為を、女にたのんでいる 〔若松は、反社会的行 乞う。 苦情を訴え再三宿老 っている。 道もなく行きづま ・行先も見えず戻る 首里にのぼる ・みやだいりごとで ・中城若松 名のろ。 女にたいして自分を りかえし宿をたのむ。 とわっている女にく 自由にならないとこ 若松 にぶつかる〕 〔若松は社会の矛盾 、-' 40

(26)

り お こ フワンナイクフアウタ 女出羽歌 南表の幕より出ろ 冬の夜 カタルクトワネサミ かたづ勺事ないさめ。 チユウヌフアシイ・ウイチエーー 〈「日のはっ御行合に 若松詞 シパシヤスイ寺 しば’しやすま・ ウナサキヌヤドワ一一 御情の宿に ミチマユテイヲ宅ワタン 道まし(てをたん。 フアッイカユヌクラサ ニ十日夜のノ、らさ 若松詞 カタレプシヤヌ|

語ら-ひぼしやの。|

ウキリキⅦサイトワユ| 起きれ起れ里よ―

航誘》Ⅲ蹴統V|

静加が棚胤斑口》鴎肺

女詞 久グニカクヤピラ 互に奎函やベデワ フュヌュヌュスイガ互いに語りましょう

冬の夜のよすが女

イヱプイイュミウヤドウ

いやでいふめ御宿〔反社会的行為〕

副汀駅牌が好可宿に入れる

フイシニヲウルトウイプン 王噸に居るとh/ぶし うっo 埜口松の前に顔を見せ 女登場 》有松 (ほっとする) しばし休もう 女 「まれの御行合」 語りあいたい 若松 「はっ御行合」 かたることはない ÷-→ 41

(27)

お こ り ユアキツラクム 夜明けしテワ雲。 シ、ハシマチカニル しばし待ちかねつつ クイヌ、、、チシラヌ 恋の道知テワぬ。 クヰンーテイスイツラン 御縁てす知テワぬ 若松詞 若松詞 ジープ又 知テヮぬ。 ダニスイマタシチヤリ だに寸垈またしちゃ』 ヤクスクヌウイチエヤ 約束の御行くロや 女詞 ナレヤシラニ 習いや知ヂワね。 スユルユヌ・ナカ又 吸ゆZ・世の中の ハルヌハナグ帝r2- 春の花ごとに、 ミヤマウヵzイスイヌ 深小山鴬の 女詞 クヰンサラミ 御縁さらめ。 スデイヌフヤワシドウ 袖のふやはせど のが世の中の習い 花」ごとによりそう 「深山鴬」が「春の 女 首里へ行きたい気持〕 〔女からのがれて、 知らぬ 「御縁」「恋の道」 若松 縁」 「袖のふやはせど御 女 知らぬ 若松  ̄  ̄ 42

(28)

お こ り 義理 地獄 ジグクデムヌ 地獄だいもの。 クⅡ企rワユヌナカヌ これど世の市下の ソリシランムヌヤ 義理知らぬ闇》のや、 フウンナウマⅡニプイン 女生れて4℃ 若松詞 スクンミラン 底4℃見らぬ。 タマヌサカヅイチヌ 玉の一己かづきの クイシランムヌヤ 恋しらぬ46のや、 ワ秀Yrワク雪・ウマリテイン をL」こ生れても 女詞 スデイーームスイピヤピガ 袖に結びやくが ヌユ一丁イアクヰンヌ のトーで悪縁の .カーーテォ‐・カーフシーフ・〈 かねてから知デヮば ウユパーフンサTrワfムソ 及ば(bぬ里と フイシーーヲウルトワイプシ 干瀬に居るとhソぶし 歌 気持〕 いできたのだという 〔縁があるからおあ うか。 ことなどありましょ どうしておあいする 「悪縁」であるのなら つりあいのとれぬ 女 らぬもの をとこ生れても恋し 女 若松 女生れても義理知ら ぬもの世の中の地獄 ←-→ 43

(29)

お と rプイドワイチュル やてど行きゆる・ ワンヤシユイメデイ わ身や首里みやだいhソ ムスイ.〈ワン・ハカり むすぱはんばか白}ひ、 アクヰンヤろアイ一一 悪縁や袖に 若松詞 し チユミチデムヌ 一道だい46の プリスイテiプイイカワ ふhソ捨てていかは ハナチハナサリミ はなちはな)ごれめ アクヰンヌムス仏アイ 悪縁の結で フイシーーヲウ 千噸に居 歌 ルトムソ忽些/シ ろとhソぶし 考えていろ〕 みやだいりのことを って、ひたすら首里 〔女の気持をふりき ら」と首里へ行く。 「私は奉公があるか 若松 離れられぬ縁だ。ふ りすてて行くのなら、 いっしょに死ぬばか りだ。 〔女の死を賭した気 持〕 44

(30)

き づ ~つ イスジチカニ 急ぢ間かに。 イトウフシジデム又 いと不思議だい40の ワラピクヰヌアスイガ わらべ一門のあすが クーーヤユプカサ一一 これや夜ぷか『□に 北表の幕より出る 座主詞 末吉の御寺 マイrワカラウろイーッイキ 跡かデワ追付き、 ツイーーチユミチrワ 終に一道と ハナチハナサラン はなちはな当こらぬ。 アカペヰンヌ《ツイーナヌ 悪縁の縄の や&rワヌフワンナ 宿の女、 イ牛ノヤ・カリスミヌ 一夜かhソそめの 若松詞 スクテイタポリ 救てたば宗つれ。 シイユヌミヌイヌチ 露の身のいのち サリサ・リザスイガナシ され!~l座主加那志 北表の幕前にて案内 若松詞 なせない。 が、はなそうにもは の女」との「悪縁」 .夜かりそめの宿 ↓女の入れない世界 豆曰から寺や女禁止 〔寺Ⅱ「女は法度」 寺へ逃げこむ 若松 45

(31)

づ き -つ フワンナカつユククル 女恋どころ タダヤイクマイ ただやいノ、まい。 トワメテイ・クル・〈カリ とまいて来るばかhゾ ハジソブリ・スオエーらjアイ 恥もふhソすてて、 イヌチ・フリス1アイ二名イ 命ふhソすてて イナダンナクイrワユ |だんな事よ・ アアオチダンナクイトワユ ああ一だんな事よ 座主詞 ワガイヌチ わがいのシワ。 タンデイウタスイキ たんで御助け ワガイヌチ 我が命、 タヌマパッイ一一 頼まば終に クヌゥーオ証フ との御寺 ニクスイユシヌ 行く末士ロの ・トウラントウュ と(つんとよ・ シイユヌイヌチヲウ 露の命を 〔女の恋心にたいす さい。 私の命をお助けくだ 46

(32)

づ ~つ 〃イヌシミカクン・ 恋のせめかこ』b、 ムドワルミチ窪不ラン |民ラ◎道ないらぬ タスイキプシヤ又 助けぼ0しやの。 シイユヌミスイヌチ 露の身の命 ハナヌカヲウ・カクチ 花の顔かノ、ナワ、 イチヤシガナワラピ いきやしがなわテヮベ 座主詞 ワチムクリシヤ わ肝《、れしや ンチヤルミヌイチヤサ 見ちゃっ○見のいちやさ ンパデイ・イキ一一スイリパ むぱでいやにすれば カクスカクネラン 隠すかた無らん ヌチン.トウニン 命3Dとゆん。 ウミッ剤§亭オカラ々 思積てからや スソーードウンウムナ ぞさうにど3D思ふな。 スクテイタポリ 救てたばうれ。 ジブイニワガイヌチ 慈悲し▲わが命 タヌデイワネチチヤン 頼でわない当己ちゃん。 イクサチンネラン 行ノ、先Jbないらぬ 若松詞 恐ろしいもの〕 社会的生命をうばう ろ座主の見解。男の 若松 慈悲にすがる 47

(33)

P づ つ フ・ワ ほ員ノ。 北表の幕より出る 小僧詞 ダニユチチトウミリ だにレム聞きとめれ。 ミミヌーーユアサテイ 耳の根トーあさて 座主詞 クズウ縮rウムョウ 小僧ど40やう。 クズウ⑰rウムヨウ 小僧ど46やう。 パンヌジミサシヨウ 番のしめ」ごしやう。 〃今〈ウ征rワムアッ汀4再 小僧共集め JリヨウシⅡククイヨウグⅡ〃 入やうれ入やうれ ○卜ウシド0ウグ たうたう シチヤーーカクサ 下に隠些ご。 アキ・テイケジヨガニヌ 開けてかいじゃ声つがれの す。 若松を鐘の中にかく 座主 〔寺に保護されろ〕 P 若松 48

(34)

き づ -つ ルスイナラマハダヘグニ 留守ならば互に カジミクルワカシユ かじめたる若衆、 ヤカリユムザスイガ やかれよ閼)座主が 小僧二)詞 ウウ おう。 小僧共詞 スソニスイルナ そ些己うにするな スゾニスイルナ そ)ごうにするな クヌカーーヌチカク この鐘の近ノ、 サガサワンパカリ さがさは頃〕ばからひ ぶでrワイ彦テイラュソチヤ たとひ寺内や スソ一一膳ウンスイルナ そうさにど頂)するな。 チジユクヌテイラヤ 錘不止卜(この寺や フイーrワトワメテイチチン 人とまいてきち46、 〈ナザカリヲランナ 花ざかh/女 49

(35)

ニウイヤウ・チユス

ェご匂やうつす。

クヰンッイク力叙介rワ 御縁つ/\かた茂」

づ小僧(三)詞

フイチユイ・シチナラン つひちよhソしちならぬ。 アタラ〈ナ琴ソ聿召リ あたら花盛hソ 小僧(二)詞 カタルウ、ソシヤ 奎叩ろ嬉しや 小僧(ご詞 いやすいさんな小僧 イヤスイイサンナクズウ 南表の幕より出る 女道行 チユミチナラニ |道な二bに サfトムソLi{ソメテヱイ互シ準ソ一一 里と一まいて互に ソユナランユイヤ {曰由ならぬよh/や ツイユヌミワ・ヤトウテイ 露の身はや1とて シチシヤク 七尺ぶ‐し 決意をする。 女は恋のために死ぬ 由であるよりはと、 はかない身で、不自 50

(36)

ま や トウメテイチチヤガ とまいてき←Dやが。 イチヤルクトワアトウテイ いきやつC事あとて フウンナ諾ジサラミ 女錘不止さらめ、 ンカンカラテfフヤ 上白かテワ寺や 小僧(ご詞 ム”rワⅢクムFrワリ |戻れ―民れ ヲウンナワハットワハットワ 女は法度法度 小僧ロー)詞 (末吉寺) 女は法度 トワメテイチチヤル とまいてきちゃヲ◎ ウムクトワヌアテイドウ 思事のあてど トワシクルヌサトゥーー 年ごろの里に、 ナナッイカサピクル 七つ重くたつ○ 女詞 チジヌナユミ 柱不止のなしよめ 〈ナニッイクハベル 花につノ、胡蝶 クトワヤリ.ハクトウィ ことやれば〆」とい チソヌマンガチン 禁止の一よせ垣4℃ シチシヤク 歌七尺ぶ‐し ことができようか。 恋することを禁ずろ らぬ。 忍示止」も問題にな 女 小僧只一)は、女に なぜ女人禁制の寺へ やってきたのかをた ずれ、女を戻そうと するが、慈悲のない 者をうらむ女の気持 に同情し、知らぬふ りをして、女が寺内 へ入ることをゆるす 女は法度、戻れ 小僧  ̄ 51

(37)

ま や ユルチミシラ ゆプつち見せら。 シランブリシチユテイ 知らぬふh/しちゆて クトワワ、作rウヤユル 理どやゆ乏○、 ウラミユスイチキ.く う戸bめゆす聞けば 小僧二)詞 フワンナワラピ 女わデワベ。 イスジタチムぽょ溜り 急ぢ立一民れ イミヤチヨンンダン 夢やちやうょb見だぬ、 クズ、イーーユルサイrワヤ 尋ねゆZ包里や 小僧二)詞 ジフイシランムヌヤ 慈悲知らぬ46のや、 アタママルミ、テイン あたままるめて4℃ 小僧(二)詞 フイザトワヌ・一ブミシヤ 人の怨めしや ジフインサダミラン 是非4℃定めらぬ ナサキア〃ウチユ 情あうC浮世、 丁イムシヌタクイ 蟻虫のた〈、い 女詞 52

(38)

ま や イヤスイイサンナクヌウミガ いや、推参な小僧めが 小僧C一)詞 フウカシヤヲウカシヤ をかしや←歪かしや 一一ウイーーヒカサリテイ 匂にひかされて フウンナハナザヵリ 女花盛hソ、 アタママルミテイン あた士(丸めて46 小僧(三)詞 イヤスイイサンナクズウ いや、推参な小僧。 小僧(ご詞 スソニイリル そ)ごうに入れろ。 ヌユデイテイラワチヲウ の卜(で寺内を クトウヤワスイリトウテイ 事や亡回れとて、 ザスイヌトウヅイキクル 座主のとづけたつ。 小僧(三)詞 タチジククル 薪木どころ。 インカアサユサヌ 石か朝夕聖。の

小僧二に対する 小鋒僧三はとがめろ。 小瞳二は賛成 小鋒僧一の処置に対し 小僧たちのやりとり のか二bかい -53-

(39)

ま お お づ め や ン寺託rワヤユル 梅》とやゆフ◎。 マタンーーウzイマサル また46匂まさる イルジユラサアスイカ 色美デワさあすが、 ハルヌハチ念丁〃こう 春の花桜 小僧二)詞 トウトウ たうたう。 ハヤクーーギリーーギリ 早ノ、にげれにげれ。 デンナクトウガアッタ だいんな事があった。 〈ア はあ、 座主詞 狂乱の状態になる。 この歌の下句から女、 シヌガシンチ 死ぬが心気 フイチユイク升而?rワーオイ

|人こがれとてとを悟hソ、狂乱すうっ・

グヰンネンサラミ

御縁ないぬざらめ結ばれぬ縁であるこ

ひ伽世むび》罫煎この世では、もはや

敬さん雌ぶし女

小僧一のほんね 54

(40)

づ め お お ブリタカ ふれたか。 座主詞 ウーーヌウニヌ 鬼の鬼の。 小僧(ご詞 イチヤシチャルク膿ウガ いきやしちゃろ事が イチャシチャルクトウガ いきやしちゃ一つ事が クリヤ これや 座主詞 ノ●、o に安全な所につれて行 鐘より引き出して、更 。この時、座主、若衆を り、鬼に成る。 但しこの時、女鐘に入 アヌカニ あの鐘。 イマーーフシンナ 〈「に不審な 女詞 一鐘に不審をいだく。 女 ろ。〕 を完全にたちきられ 〔女は若松との関係 な場所へかくされろ。

|若松は、さらに安全

鐘に入り鬼に化身 座主・小僧たちの ろうばい 55

(41)

お お づ め マトウ剤ヅイチヤル まといつちや→②。 ウーーーーナテイ・カーーニ 鬼になて鐘に アワンウラミシヤ一一 あはい恨め‐しやに、 テユフウチヲウサガチ 寺内を探テヮ ブワンナワラビ 女わデワベ。 ワカシユクヅイ|一夕上 若衆尋ねだる トウミントウミ一フラン とめ46とめらちぬ、 チジンチジララン 禁止4℃きじらちぬ 小僧二)詞 フリクカブリタ力 ふれたかふれたか。 座主詞 カニヌカ一一又 鐘の鐘の 小僧(|ご詞 56

(42)

お お づ め うよ」 「法力老尽ち祈りのけら ウウ おう。 小僧共詞 卜ウトウ たうたう。, イヌイヌキロウユ 祈りのけらうよ・ 赤;ギヲウッノチ 法力を尽ち ナラソクj ならぬこと、 イチヤイチン いきやいちも ナマカラヤ なまからや 卜ウトウ たうたう。 イチヤガシユユラ いきやがしゆゆら。 力一千ルタ;シジャチ かにあることしぢやち スソニンチヲウトー可 そさうにしちをとて、 ↓ヅイキクル〃;ャ とづけたる事や ウリユウリユ おれよおれよ。 座主詞 57

(43)

お お づ め チガンンンヤソクンンジョウプヅ 知我身者即身成仏 チョウガセヅシヤトクダイチエ 聴我説者得大知白恵

騨蝉鈩耽鮒妙縮Ⅲ靭樽

センタマカロシヤナ

旋多摩訶噌遮逢

勤謙一→舅鱒即欝

チユウオウダイショウフドウミョウオウ 中央大聖不動明王 ホッポウコンゴウヤシヤミョウオウ 北方金剛夜叉明王 サイホウダイイイトクミョウオウ 西方大威徳明王 ナンポウクンダリヤシヤミョゥオゥ 南方軍茶利夜叉明王 トウホウニコウサンゼミヨウオワ 東方に降一二世明王 付、いのり取付侯時、笛 太鼓にて拍手有る。橋掛 におさまる。 〔〕は表現のよみとり内容を示す。 除されろ〕 〔法力。徒の力で排 られろ。 刀)で「祈りのけ」 法の力(仏法の威 〔寺と女との対決〕 58

(44)

7 観の麺 自由米 愛寝台 露;0 「執心鐘入」の構造分析 蝿の りく , 9 凹iアロ の 愛迄立 与所知 目由も 親の留一 (家の虚 笑 莞0 , , -59- め じ は 憂名立つ 自由もならぬ 親の留守 あの村のはづれ 露もしげさ ことに山路の 二十日夜のくらさ みやだいりごと

|照るてだや西に

ひぐれしやあすが 自由ならぬでいふすにい 慈悲よ御情に‐----↓ 御情に一夜‐------↓ (宿を乞う) あかしぼしやの 立ち寄やり今宵 火の光便て 旅に行き暮れて 行く先やまよて 首里にのぼる みやだいりごとあてど 登場 憂名立ちゆめ 与所知れてわぬや 自由もならぬ 親の留守やれば (家の中でことわる) 、 きわまる 首里へ行くのに進退 ろ。|| 社会の矛盾にぶつか 若松 ふたりの矛盾 封建社会の徒を守る 構成 場面・社会 若松 女 女の心理 関係

(45)

。: じ め たんで御情に I「11‐111IIIllI一

一行き詰てをもの

一戻る道もないらん一

一行く先も見らぬ

T二十日夜のくらさ一

一首里にのぼる

一・みやだいりごとあてど一

了わぬや中城若松

●一 F‐‐I‐‐I‐l‐‐‐‐--‐‐‐‐I‐‐‐‐‐I! しはか ばった し御ろ や行事

茎合な

い さ ↑め

御縁・恋の道知らぬ↑L袖のふやはせど御縁

語らひぼしやの

↑刊まれの御行合

登場 (宿にいれろ) (語りかける) 里で宿 とい 思や めで ぱい 、ふ のめ よ御 互に語やくら たのむ なる反社会的行為を 女に徒を破ることに 女、顔をだす 恋心をいだく 反社会的行為 朽松と女 ことごとくかみあわ ないで対立する。 60

(46)

〃 つづき り お

こ-首里みやだいり

末吉の御寺 地獄 義理 救くてたばうれ 露の身の命 (助けを求めろ) ど行きゆろ り首里みやだいりやて 悪縁や袖に結ばはんばか いものや世の中の地獄 女生まれても義理知ら 夜明けしら雲 しばし待ちかねろ |恋知らぬものや ↑↓ をとこ生れても 結びやべが のよで悪縁の袖に 悪縁の結で はなちはなされめ ふり捨てていかは 一道だいもの (権力の世界へ) こむ 女人禁制の寺へ逃げ 若松 松を追う) (関係をたちきる若 ける。 女、恋の道に命老か ら逃げろ。 へ行くのだ」と女か て「奉公のため首里 女の気持をふりきっ 持○ があるという女の気 縁があるから出会い 行きたい一心の若松 女からのがれ首里へ 61

(47)

づ き 女禁止

ま女は法度

や -つ 思積てからや命もとゆん そさうにども恩ふな 女恋どころ 座主 かいじゃう鐘の下に隠さ (小僧ども見張り) (末吉の御寺) とらんとよ 露の命を はなちはなさらぬ 悪縁の縄の 行く先もないらぬ 頓でわないきちゃん (若松を求め 女、道行 禁止のませ炉 環の白zは』 士汽冒b仁 △叩丸 , の冊恢況(8.6無 タケ 謄大の、 日中」・一毬二良一ゼニ水防 の》Eに死ぬこと九 , y・ 砦 )串み、 土日.穴 62

(48)

の1,1」 , 子ら P ケマやTr7 ̄門 ワー七時IJI= Z響、 , , -63- 禁止のなよめ 寺と女の対決 強い姿勢) お おづめ 祈りのけらうよ 法力老尽ち もとめららぬ 禁止もきじららぬ、とめ らに安全な場所へかく玄 (若松を鐘よりだし、 座主 ざ (狂乱する) 死ぬが心気 |人こがれとて 御縁ないぬさら砧 この世をて里や 法力で排除されろ。 女(鬼) 対決 女(鬼)と権力との 鬼に化身 完全にたたれろ。 若松と女との関係が 狂乱 }店ろ ◎ 現世で結ばれぬ縁を 女

(49)

S主題 以上の語句の考察およびよみとりの分析・構造分析をとおして原文の内容をよみ、 とっていくと、次のように主題をまとめることができる。 個人の自由。恋愛のゆるされない封建社会の中で、社会の矛盾を感ずることもな くひたすら上昇することを志向し、社会体制のままに生きる人間と、恋にめざめた ために体制の矛盾を背負わされ、恋の道(自由)をつらぬきとおすために執念をも って権力と対決し、ついには排除されてしまう人間の姿がえがかれていろ。 gおわりに 本稿は、息のながい活動ですぐれた研究と実践を着実につみかさねている集団= 教育科学研究会国語部会の成果をあつめた機関誌『教育国語」(麦書房刊)をはじめ、 読み方教育に関するおおくの著書からまなびえたことにもとづいて、教材化のため に作品分析したものをまとめたものである。 このリポートは1979年11月10日の沖縄大学の国語教育シンポジウムで報 告した資料「組踊「執心鐘入』の教材化のための作品研究と授業案」(沖縄言語研 究センター資料NbL20)の作品研究の部分に、内容をかえずにいくらか手をくわえた ものである。なおこのリポートをまとめるにあたって、琉球大学の上村幸雄.仲程 昌徳のおふたりから指導助言をいただいたことを記して感謝の意を表する。 註 (1)島袋盛敏1964年「琉歌大観』P44沖縄タイムス社 外間守善昭51年「南島文学』(鑑賞日本古典文学第25巻)P194 角川書店 (2)比嘉春潮1965年「沖縄の歴史』P168,P262~P264 沖縄タイムス社

(3)仲原善忠・外間守善昭53年「おもろさうし辞典・・総索引第2版』

-64-

(50)

角川書店 (4)「角川古語辞典改訂版』昭44年角川書店 (5)『伊波普猷全集第8巻』P208昭50年平凡社 (6)『日本国語大辞典」昭51年小学館 (7)(6)におなじ (8)(5)のP132 (9)当間一郎昭47年「組踊の世界』 ⑩(4)と(6)におなじ ⑪(6)におなじ ⑫(5)のP203 (13(6)におなじ ⑭『おもろさうし第2巻』65番にある安谷屋の若松に関する間書や、徐保 光(1719年)『中山伝信録「鐘魔事」』などの資料、あるいは中城若松 の伝説から、玉城朝薫が若松伝説と『道成寺』「安達原』をもとにして『執 心鐘入』を創作したということが、先学の研究であきらかになった。従来の 『執心鐘入」の研究は資料の中の若松と女を前提にして、原文の解釈をおこ なう方法をとっている。その中で東恩納寛惇は、安谷屋の若松が作中の中城 若松であるかどうかあきらかでないとのべてはいるが若松を「儒生」と解し ておられる点で、氏のばあいも資料の内容によりかかって原文を解釈するた ちばにかわりはない。 0,池宮正治1976年『琉球文学論』P244沖縄タイムス社 ㈹馬場あき子1971年『鬼の研究』P249三一書房 -65-

参照

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