千 五 十 年 御 忌 伽 臨 奥 院 法 要 入 堂 行 列 之 圖 (耀 蘇 文 庫 藏 )
高
野
山
教
學
史
一
斑
栂
尾
祥
雲
剛 序 言 こ の 記 念 號 に 於 て、 高 野 山 教 學 史 一 斑 を 書 く べ く 余 に 課 せ ら れ た の で あ る。 而 も 翻 つ て 考 へ て 見 る と、 激 學 と 言 ふ 語 義 が 極 め て 曖 昧 で あ る。 教 學 と は 普 通 に 謂 ゆ る 教 義 學 の こ と と も 考 へ ら れ る し、 ま た ﹁ 数 學 相 孚 ば す ﹂ と か ﹁ 教 學 相 長 す ﹂ と か 云 ふ よ う に、 激 ふ る こ と と 學 ぷ こ と と の 二 者 を 指 す と も 見 る こ と が 出 來、 ま た ﹁ 古 の 王 者 は 國 を 建 て 民 に 君 た る や 教 學 を 先 に す ﹂ と あ る よ う に、 教 へ 學 ば し む る こ と と も 解 す る こ と が 出 來 る Q 若 し 之 れ を 以 て 軍 に 敢 義 學 ・の こ と な り と せ ば、 そ れ は 謂 ゆ る 事 相 に 醤 す る 教 相 史 と 言 ふ こ と に な る。 拙 著 ﹃ 秘 密 佛 教 史 ﹄ に 於 て、 ﹁ 教 學 の 發 展 ﹂ と か ﹁ 南 山 敢 學 の 大 成 ﹂ と か 云 つ て 説 明 し て あ る そ の 教 學 と は こ の 教 相 若 し く は 教 義 學 の こ と で あ る。 然 る に 若 し 之 れ を 以 て 教 ふ る こ と と 學 ぷ こ と、 若 く は 教 へ 學 ば し む る 義 な り と せ ば、 そ れ は 事 相 を も 教 相 を も 包 容 せ る 我 宗 學 史、 若 く は 教 育 史 と 云 ふ こ と 高 野 山 教 學 史 一 斑 一高 野 山 教 學 史 一 斑 二 に な る の で あ る。 こ の 狡 義 に 於 け る 敢 學 史 と、 廣 義 に 於 け る そ れ と の 何 れ を 揮 ぶ べ き か の 問 題 に 逢 着 し、 こ の 問 題 を 課 し た る ﹃ 密 敢 研 究 ﹄ の 編 輯 者 に そ の 意 圖 を 糺 し た 所 が、 そ れ は 事 相 教 相 凡 て を 綱 羅 せ る 廣 義 の そ れ で あ る と 云 ふ。 そ こ で こ の 激 學 を 廣 義 に 扱 ひ、 そ れ が 高 野 山 に 於 て、 如 何 に 興 起 し 發 展 し 大 成 せ し か の 史 實 一 斑 を 叙 述 す る こ と に し た。 而 も 之 れ を 叙 述 す る た め に は、 高 野 山 に 於 け る 論 議 制 度 や 勧 學 制 度 な ど に も 燭 れ ね ば な ら ぬ 筈 で あ る が、 此 等 の 宗 學 制 度 に つ き て は、 他 の 人 が 題 を 新 に し て 書 く と の こ と で あ る か ら、 成 る べ く こ れ に 鯛 れ な い こ と に し た。 更 に 教 學 史 と 言 ふ 騰 裁 の 上 か ら 云 へ ば、 明 治 巳 後 の そ れ に も 及 ぶ べ き で あ る が、 今 は た だ 明 治 以 後 に 於 け る 高 野 山 教 學、 並 に 本 大 學 成 立 以 後 の 教 學 史 を 知 る た め の 準 備 工 作 と し て、 弘 法 大 師 以 後 徳 川 時 代 の 終 に 至 る、 大 約 一 千 年 間 の 高 野 山 教 學 史 を 極 め て 概 括 的 に 記 述 す る に 止 め た の で あ る。 二 草 創 時 代 の 高 野 山 教 學 眞 言 密 教 は 帥 身 成 佛 を 基 調 と し、 佛 國 を こ の 土 に 建 設 す る こ と を 最 高 目 的 と し て 居 る の で あ る。 從 つ て そ の 教 學 と 云 っ た 所 で、 如 何 に す れ ば こ の 凡 夫 の 肉 身 に 帥 し て 佛 の 活 動 を 實 現 し 得 る か、 ま た 如
何 に し て 一 切 の 人 を こ の 成 佛 の 境 地 に 誘 導 し 得 る か の 方 法 と 禮 験 と を 教 へ 學 ば し む る 外 は な い の で あ る 。 か の 弘 法 大 師 が 弘 仁 七 年、 修 灘 の 道 場 と し て 高 野 山 を 開 か れ た の も、 之 を 一 面 よ り せ ば、 こ の 高 山 深 嶺 に 住 し て 心 丹 を 練 り、 實 の 如 く に 自 心 の 源 底 を 極 め、 宇 宙 の 實 相 を 燈 解 し、 霧 教 々 學 の 目 的 を 達 成 せ し め ん が た め で あ つ た こ と は 明 か で あ る 。 然 る に こ の 高 野 山 は 京 洛 の 地 を 離 る る こ と 遠 く、 且 つ 人 跡 絶 へ た る 深 山 の こ と と て、 人 の 來 住 す る も の 少 く、 密 教 の 相 績 者 を 如 何 に し て こ こ に 止 住 せ し む べ き か、 ま た 此 の 山 を 荒 磨 せ ざ ら し む る た め に は 如 何 に こ れ を な す べ き か 等 の こ と に つ き、 大 師 は 種 々 に 心 を 憐 ま さ れ た よ う で あ る。 此 に 於 て、 大 師 は 一 般 宗 徒 の 養 成 法 と し て、 三 業 度 人 の 制 度 を 設 け、 金 剛 頂 業 一 人、 胎 藏 業 一 人、 聲 明 業 一 人 の 年 分 度 者 を 承 和 二 年 正 月、 朝 廷 に 奏 聞 す る に 當 り て も、 こ の 高 野 山 を 荒 贋 せ ざ ら し む る た め に、 こ の 山 に 於 て 之 を 試 度 し、 受 戒 の 後 は こ の 高 野 山 に 止 住 せ し め て、 密 教 を 學 習 し、 實 修 せ し む る こ と に し た の で あ る。 而 も 大 師 の 生 前 に は こ の 三 業 度 人 の 勅 許 を 得 る に 至 ら す、 大 師 御 入 定 後、 實 慧 大 徳 そ の 遺 旨 を 膿 し て 再 度 上 奏 を な し、 承 和 二 年 入 月 三 十 日 勅 許 を 得、 九 月 二 十 四 日、 即 ち 仁 明 天 皇 聖 誕 の 日 を ト し、 初 め て 高 野 山 に 之 を 試 度 し た。 爾 來 三 人 つ つ の 度 者 を 年 々 歳 々 新 に 止 住 せ し む る こ と に な つ た の で あ 高 野 山 教 學 史 一 斑 三
高 野 山 教 學 史 一 斑 四 る 。 こ の 高 野 山 は 大 師 の 後、 眞 然 大 徳 が 遺 囑 を 受 け て 刻 苦 経 螢 せ ら れ た の で あ る が、 こ こ に 止 住 せ る 宗 徒 を 教 養 す る た め に、 承 和 十 三 年 四 月、 實 慧 檜 都 を 迎 請 し て、 金 堂 の 東 座 に ﹃ 大 日 経 疏 ﹄ の 講 莚 を 張 り、 密 激 々 學 の 宣 揚 に 努 力 せ ら れ た の で あ る。 こ の 時 に 於 け る 實 慧 信 都 の 草 案 と も 見 る べ き ﹃ 遮 那 教 王 疏 傳 ﹄ 八 巻、 ﹃ 不 思 議 疏 傳 ﹄ 一 巻 は 現 に 刊 行 せ ら れ て 居 る が、 そ れ は 大 師 の ロ 説 を そ の ま ま 傳 授 せ ら れ た も の と 聡 せ ら れ、 極 め て 簡 素 な も の で あ る。 こ れ に 依 り て 見 る も 明 か な る 如 く、 こ の 時 代 に 於 け る 密 教 々 學 は 全 く 實 用 爲 本 で、 後 代 に 見 る 如 き 事 相 と か 教 相 と か 云 ふ 如 き 匠 別 な く、 實 修 練 行 に よ り て 自 ら 心 の 眼 を 開 き、 自 ら の 膿 瞼 を 以 て 経 疏 の 一 文 一 句 を 身 讃 す る を 主 と し た も の の よ う で あ る。 承 和 十 四 年、 實 慧 檜 都 は 大 師 の 創 立 せ る 綜 藝 種 智 院 を 沽 却 し、 そ の 資 財 を 以 て 東 寺 に 傳 法 會 を 興 さ れ た の で あ る。 眞 然 大 徳 こ の 芳 燭 を 模 し、 高 野 山 に 於 て ま た 之 を 起 し、 こ れ を 春 秋 二 季 に 分 ち、 春 季 に 傳 授 し 修 學 し た る も の を 秋 季 に 至 り て 復 習 し、 鍛 練 せ し む る こ と に し た の で あ る。 而 し て 春 季 に 於 け る も の を 修 學 會 と 云 ひ、 秋 季 に 於 け る も の を 練 學 會 と 名 付 け た の で あ る。 (1) こ の 傳 法 二 會 の 期 間 及 び 規 定 等 に つ き て は、 ﹃ 金 剛 峰 寺 契 定 ﹄ に、 ﹁ 傳 法 二 會 の 式 目、 三 月 一 日 よ り 首 め て 二 十 一 日 に い た る ま で、 三 七 箇 日 の 間、 三 業 の 法 門、 且 つ は 書 し 且 つ は 傳 授 す。 是 を 修 學 會 と
名 く。 十 月 五 日 よ り 首 め て 十 入 日 に い た る ま で こ 七 箇 日 の 間、 前 に 受 學 せ し 所 の 経 論 の 謬 を 糺 し 邪 を 正 す。 是 を 練 學 會 と 名 く。 件 の こ 會 は 心 を 利 民 に 繋 け て 異 境 を 取 る こ と 莫 れ。 講 法 談 議 の 間 は 骨 肉 と 錐 も 門 人 に 非 る に 於 て は 座 に 交 ふ べ か ら す ﹂ 等 と 云 つ て 居 る。 こ の 式 目 中 に あ る ﹁ 三 業 の 法 門 ﹂ と は、 恐 ら く 金 剛 頂 業 と 胎 藏 業 と 聲 明 業 と に 關 す る 法 門 で あ る ら し い。 し て 見 る と、 此 の 時 に 於 け る 傳 法 二 會 の 内 容 は 三 業 度 人 の 教 養 が 主 で あ つ た こ と は 明 か で あ る。 註(1) ﹃ 金 剛 峰 寺 雑 文 ﹄ (弘 法 大 師 傳 全 集 第 二、 一 五 頁 )参 照 三 高 野 山 教 學 と 秘 事 法 門 傳 法 二 會 を 高 野 山 に 創 始 せ ら れ た る 眞 然 偲 正 の 後、 壽 長 を 経 て 無 室 律 師 の 時 に 至 り、 高 野 山 教 學 は 圖 ら す も 暗 礁 に 乗 り 上 げ、 忽 ち 挫 折 す る の 止 む な き に 至 っ 淀 の で あ る。 是 れ こ の 時 に 當 り、 不 幸 に も 無 室 と 東 寺 長 者 観 賢 と の 間 に、 三 十 帖 策 子 問 題 を 惹 起 し、 無 室 は 途 に 徒 衆 を 傘 ゐ て 高 野 山 を 退 き、 そ の 結 果、 一 山 全 く 荒 磨 に 蹄 し た る が 故 で あ る。 こ の 荒 頽 の 責 任 を 斑 つ べ き 東 寺 長 者 兼 高 野 山 座 主 観 賢 が 一 山 復 興 の た め に 種 々 に 書 策 す る 所 が あ つ た け れ ど も、 成 蹟 思 は し か ら す、 爾 後 凡 そ 一 百 年 間、 高 野 山 は 堂 塔 の 焼 失、 寺 領 の 没 牧 等、 悲 運 に 次 ぐ に 悲 運 を 以 て し、 山 上 の 荒 磨 と 共 に、 そ の 教 學 の 如 き、 全 く 壌 絶 し て 仕 舞 つ た の で あ る。 高 野 山 教 學 史 一 斑 五
六尚 野 山 教 學 史 一 斑 六 然 る に 三 條 天 皇 の 長 和 五 年 ( 一 六 七 六 )、 所 親 上 人 定 碁 が 高 野 山 に 來 住 し て、 一 山 の 復 興 に 腐 心 し、 御 室 仁 和 寺 性 信 親 王 の 入 室 た る 行 明 瞼 校、 そ の 後 を 襲 ふ て 一 山 を 統 轄 し た。 こ の 行 明 の 時、 そ の 恩 師 た (1) る 性 信 親 王 親 し く 高 野 山 に 登 御 し、 庵 室 を 奥 院 御 廟 橋 の 川 北 に 構 へ て 参 籠 し 給 ひ、 そ の 年 帥 ち 延 久 四 年 の 暮 れ、 小 野 の 成 尊 檜 都 に 師 事 せ る 明 算 上 人 も 學 成 り て 高 野 山 に 蹄 還 し、 中 院 即 ち 龍 光 院 に 止 住 し て そ の 教 學 を 宣 揚 し、 此 所 に 高 野 山 教 學 が 再 興 の 第 一 歩 を 踏 み 出 す こ と に な つ た の で あ る。 こ の 明 算 上 人 と 時 を 等 う し て、 高 野 山 に は 南 院 に 維 範 大 徳 あ り て 子 島 南 院 方 の 租 と な り、 往 生 院 谷 の 草 庵 に は 性 信 親 王 の 法 資 に し て 親 音 院 流 の 祀 た る 寛 意 信 都 が 在 住 し て、 各 々 そ の 藪 線 を 張 つ た の で あ る け れ ど も、 後 世 に ま で 超 人 的 の 威 化 を 及 ぼ し、 高 野 山 激 學 の 苗 圃 と な つ た も の は 何 と 云 つ て も 中 院 の 明 算 上 人 で あ る。 明 算 上 人 は 小 野 の 成 尊 に つ き て 密 教 々 學 の 源 底 を 窮 め、 特 に 成 曾 よ り 高 野 山 の 秘 事 法 門 を 授 か り、 こ れ に よ り て 中 院 流 を 構 へ、 そ の 租 と 仰 が る る に 至 つ た の で あ る。 そ の 秘 事 法 門 と は 何 で あ る か と 云 ふ に、 高 野 山 が 爾 部 不 二、 理 智 不 二 の 浄 土 た る こ と を 敢 學 的 に 現 謹 し た 外 は な い の で あ る。 (2) こ の 高 野 山 浄 土 の 思 想 は 淵 源 極 め て 遠 く、 已 に 貞 観 寺 僧 正 眞 雅 が、 そ の ﹃ 山 圖 記 ﹄ に 於 て ﹁ 周 匝 せ る 連 峰 は 報 佛 の 華 舌 室 を 表 し、 正 李 た る 幽 原 は 化 佛 の 浄 土 に 類 す ﹂ と 云 ひ、 眞 然 こ れ に 次 ぎ て、 高 野 山 が 前 佛 の 浄 土、 後 佛 の 法 場 な る こ と を 陽 成 天 皇 に 奏 聞 し て 居 る。 而 も 未 だ こ の 高 野 山 の 連 峰 が 入 葉 の
(3) 形 を な す と 云 ふ 思 想 に ま で 及 ぱ な か つ た。 然 る に 長 久 三 年 ( } 七 〇 二 )、 小 野 信 正 仁 海 が 花 供 養 法 會 の 願 文 に 於 て ﹁ 紀 伊 國 伊 都 郡 に 盤 山 あ り、 高 野 と 聡 す。 連 峰 之 れ を 華 岳 に 象 り、 自 ら 入 葉 の 燈 を な す ﹂ と 云 ひ、 此 所 に 初 め て 高 野 山 入 葉 の 思 想 が 灰 か に 窺 れ る の で あ る。 而 も 省 ほ 未 だ、 高 野 山 八 葉 峰 の 大 事 に ま で 到 達 し て 居 ら な か つ た の で あ る。 高 野 山 入 葉 峰 の 大 事 と は 明 算 が 成 尊 よ り 相 傳 せ る 高 野 山 秘 事 法 門 の 一 孚 で、 こ れ を 南 山 入 葉 峰 の 大 事 と も 云 ふ。 こ れ こ の 高 野 山 は 王 城 の 南 方 に 位 す る 釜 山 な る が 故 で あ る。 こ れ に 南 山 金 剛 峰 寺 の 大 事 を 加 へ て、 高 野 山 秘 事 法 門 と 云 ふ の で あ る。 (4) そ の 中、 南 山 八 葉 峰 の 大 事 と は 高 野 山 入 葉 の 思 想 を 基 調 と し、 こ の 高 野 連 峰 の 入 葉 を 形 成 せ る が 胎 藏 中 毫 で あ り、 そ の 中 央 に 金 界 五 峰 五 智 の 塔、 帥 ち 大 塔 の 建 て る が 秘 事 に し て、 入 葉 と は 胎 藏、 峰 と は 五 峰 の 大 塔、 こ れ に よ り て 高 野 山 の 露 場 が 胎 金 不 二、 理 智 不 二、 爾 部 不 二 の 浄 土 た る こ と を 示 す の で あ る。 若 し こ れ を 現 は す に 手 印 を 以 て せ ば、 二 手 虚 心 合 掌 し て、 二 頭、 二 中、 二 無 明 指 を 欄 き て 開 敷 蓮 華 の 形 を な し、 而 も そ の 手 指 を 少 し 屈 し て 圓 形 に す る の で あ る。 是 れ こ の 開 敷 蓮 礁 の 形 を 以 て は (4) 入 葉 を、 手 指 の 圓 形 を 以 て は も可 字 圓 形 の 塔 を 表 し た も の で あ る。 更 に 南 山 金 剛 峰 寺 の 大 事 と は こ の 寺 名 が 不 一、 一の 経 典 た る ﹃ 金 剛 峰 棲 閣 喩 伽 喩 祇 経 ﹄ に 基 く と 共 に、 そ の 金 剛 峰 寺 と は 喩 砥 の 道 場 に し て、 爾 部 不 二 の 櫻 閣 浄 土 た る こ と を 示 す の で あ る。 若 し 象 徴 す る に 高 野 山 教 學 吏 一 斑 七
高 野 山 敏 學 史 一 斑 八 手 印 を 以 て せ ば、 二 手 蓮 華 合 掌 し て、 二 頭 指 二 大 指 の 端 を 合 し、 二 小 指、 二 中 指 を 開 き、 二 無 明 指 を 立 て 合 す の で あ る。 是 れ こ の 印 母 た る 蓮 華 合 掌 を 以 て は 入 葉 を、 印 相 を 以 て は 五 峰 五 智 の 塔 を 示 し た も の で、 約 ま る 所、 入 葉 連 峰 の 中 毫 に 五 峰 五 智 の 大 塔 の 立 て る こ と を 表 し た も の で あ る。 何 れ に す る も、 こ の 二 種 の 高 野 山 秘 事 法 門 は 入 葉 連 峰 の 中 毫 に 大 塔 の 聾 へ 立 つ 高 野 山 の 壇 場 が 帥 ち 爾 部 不 二、 理 智 不 二 の 浄 土 た る こ と を 教 學 的 に 示 し た も の で あ る。 た だ に 壇 場 の み で な く、 慈 尊 院 並 (5) に 奥 院 を も 包 容 せ る 高 野 山 全 膿 を 基 本 と し て 見 る と き、 壇 場 よ り 慈 尊 院 に 至 る 百 八 十 町 が 胎 藏 曼 茶 羅 の 浮 土 に 當 る が 故 に、 そ の 町 石 峯 都 婆 に は 舶 藏 百 入 十 尊 の 種 子 を 刻 し、 壇 場 よ り 奥 院 に 至 る 三 十 六 町 は 金 剛 界 曼 茶 羅 の 浮 土 な る が 故 に、 そ の 町 石. 拳 都 婆 に は 金 剛 三 十 七 尊 の 種 子 を 書 く の で あ る と 云 ふ。 こ れ ら の 義 趣 を 示 す た め に、 中 院 流 の 聖 教 に は 次 頁 の 如 き 山 圖 を 傳 へ て 居 る の で あ る。 此 の 如 く、 高 野 山 を 以 て 雨 部 不 二 の 浄 土 と す る 中 院 流 明 算 の 教 學 が、 當 時 勃 興 せ る 浮 土 欣 求 の 風 潮 と 相 呼 慮 し、 高 野 山 を 全 く 浮 土 化 し た の で あ る。 そ の 結 果、 南 院 の 維 範 や 北 室 院 の 良 輝 が 密 教 々 學 の 立 場 よ り 此 所 に 浮 業 を 修 せ る の み で な く、 情 實 纒 綿 た る 藤 原 氏 の 政 治 に 懐 ら ざ る 幾 多 の 名 士 が、 こ の 不 二 の 浮 土 た る 高 野 山 に 來 住 し て 唱 名 に 專 念 し、 歴 代 の 藤 原 罎 關 は 勿 論. 自 河 法 皇 や 鳥 朋 上 皇 の 如 き す ら、 二 度 若 く は 三 度 ま で も 玉 膣 を 此 所 に 運 ば せ 給 0、 性 信 親 王 以 後、 昼 行、 畳 法、 聖 恵 等 の 諸 親 王 何 れ も 金 枝 玉 葉 の 御 身 を 以 て、 こ の 雲 深 き 山 上 に 籠 居 し、 或 は 光 皇 院 を 開 き、 或 は 引 擾 院 を 創 立 す る
な ど、 此 所 に 初 め て 高 野 山 の 威 容 を 昔 時 に 復 へ す こ と が 出 來 だ の で あ る。 謹(1) 高 野 春 秋 第 五、 (大 日 本 佛 教 全 書 本 七 五 頁 ) 峯 照。 (2) 紀 伊 績 風 土 記 第 四 輯 八 頁、 績 弘 法 大 師 年 譜 第 二、 (傳 全 集 本 四 九 頁 ) 参 照。 (3) 績 弘 法 大 師 年 譜 ( 同 上、 五 〇 頁 上 ) 蓼 照。 (4) 心 南 院 秀 雄 の ﹃ 中 院 流 秘 訣 ﹄ ( 金 三、 普 第 四 箱 ) 等 参 照。 (5) 紀 伊 績 風 土 記 第 五 輯 二 九 四 頁 等 参 照。 高 野 山 教 學 史 一 斑 九
高 野 山 教 學 吏 一 斑 一 〇 四 高 野 山 教 學 と 事 教 二 相 の 分 判 明 算 上 人 の 後 を 稟 け、 高 野 山 教 學 を し て 劃 期 的 發 展 を 六 さ し め た も の は 畳 鍵 上 入 で あ る。 上 入 は 幼 に し て 京 都 仁 和 寺 に 入 り、 寛 助 僧 正 の 弟 子 と な つ た の で あ る。 而 も 承 久 二 年、 二 十 歳 に し て 高 野 山 に 登 り、 最 麗 院 の 明 寂、 青 蓮 院 の 青 蓮. 寳 性 院 の 藪 尋 等 に つ き て、 秘 密 の 源 底 を 極 め、 ま た 練 行 を 事 と し た の で あ る。 こ の 上 人 の 非 凡 な る を 見 て 殺 尋 毎 に 云 ひ け る や う ﹁ こ の 高 野 山 は 大 師 入 定 後、 所 親 嘗 て 榛 棘 を 除 き、 明 算 近 ご ろ 修 繕 を 加 ふ、 然 れ ど も 爾 ほ 院 宇 衰 替 し、 學 業 荒 頽 す。 い ま 師 を 見 る に 器 宇 宏 偉、 必 す そ の 責 に 任 ぜ ん ﹂ と、 そ の 期 待 室 し か ら す、 鳥 朋 上 皇 の 蹄 依 を 得 て 高 野 山 に 傳 法 院 を 開 創 し、 眞 然 大 徳 當 時 の 傳 法 二 會 を 再 興 し、 且 つ そ の 内 容 を 彊 充 し て、 大 に 教 學 の 革 新 を 計 つ た の で あ る。 高 野 山 の 善 儀 に 依 る 傳 法 二 會 は こ れ を 期 間 上 の 上 か ら 云 ふ も、 春 秋 二 季 を 通 じ て 五 週 間 に 過 ぎ す、 そ の 内 容 の 上 か ら 見 る も、 三 業 度 人 を 基 調 と す る 所 要 の 経 論 を 書 寓 し 傳 授 し 練 習 す る に 過 ぎ か つ た の で あ る。 然 る に 畳 鍵 上 人 の 再 興 せ る そ れ に 至 り て は、 春 季 の 五 十 日 間 を 修 學 會 と 構 し て 教 義 教 相 の 講 論 を 主 と し、 秋 季 の 五 十 日 間 を 練 行 會 と 裕 し て、 事 相 密 軌 を 精 談 す る こ と に し た の で あ る。 此 に 於
て、 高 野 山 薮 學 は 初 め て 教 相 と 事 相 と は 分 判 せ ら れ た と 云 つ て 可 い の で あ る。 密 敏 々 學 の 上 に 於 て、 事 相 と か 教 相 と か 言 ふ 如 き 語 が 果 し て 何 時 頃 か ら 用 ひ ら れ た の か 確 然 た る こ と は 分 ら な ひ い け れ ど も、 弘 法 大 師 を 始 め、 實 慧、 眞 雅 眞 然 等 上 代 の 組 師 先 徳 の 間 に 此 等 の 語 が 使 用 せ ら れ て 居 ら 滋 こ と ぱ 明 か で あ る。 而 も 宥 快 法 印 の ﹃ 西 院 入 結 聞 書 ﹂ に 依 る と、 大 御 室 性 信 親 王 が 事 相 を 以 て 身 密 に、 悉 曇 を 以 て 語 密 に、 敢 相 を 以 て 意 密 に 配 せ ら れ、 癖 教 々 學 を 事 相 と 悉 曇 と 澱 相 と に 三 分 せ ら れ た と 云 ふ。 し て 見 る と、 性 信 親 王 や 明 算 上 人 の 時、 已 に 此 等 の 語 が 使 用 せ ら れ た こ と を 知 り 得 る の で あ る。 而 も 密 教 々 學 を 事 相 と 籔 相 と に 二 分 し、 之 を 醤 立 的 に 用 ふ る に 至 つ た の は 恐 ら ぐ 畳 鍍 上 人 の 時 代 で あ る ら し い。 思 ふ に 實 修 現 謹 を 主 眼 と す る 我 國 初 期 の 密 教 々 學 が 次 第 に 形 式 化 す る に つ れ、 何 故 に 然 る か の 意 義 内 客 を 忘 れ て、 た だ 型 の 如 く に 修 法 し 練 行 す る 謂 ゆ る 眞 言 師 の 如 き も の も 出 來、 造 壇、 諦 兇、 親 法、 護 摩 等 の 事 相 の み を 以 て 眞 言 密 敏 と 思 惟 す る 謬 見 者 流 も 綾 出 し、 か の 善 無 畏 三 藏 が そ の 著 ﹃ 大 日 経 疏 ﹄ (1) 第 七 に 於 て、 ﹁ 護 摩、 供 養 等 に 至 つ て は 章 陀 世 仙 も 亦 皆 共 に 作 す、 而 る を 今 こ の 眞 言 門 に 濁 り 秘 密 を 成 す る 所 以 は 眞 實 の 義 に 加 持 せ ら る る を 以 て な り。 若 し た だ 口 に 眞 言 を 講 じ、 そ の 義 を 思 惟 せ ざ れ ば た だ 世 間 の 義 利 を 成 す べ き も 量 に 金 剛 の 髄 性 を 成 す る こ と を 得 ん や ﹂ と 誠 め ら れ て あ る に も 拘 ら す、 全 く 眞 實 の 義 趣 を 忘 れ て、 事 作 法 に の み 囚 は れ、 か の 外 這 婆 羅 門 と 何 等 異 た る な き に 至 つ た。 こ の 時 弊 高 野 山 教 學 史 一 斑 一 一
高 野 山 教 學 史 一 斑 一 二 を 匡 救 せ ん が た め に 識 者 に よ り て 密 教 々 義 の 再 認 識 が 強 調 さ れ、 此 所 に 教 義 教 相 の 聲 が 高 め ら れ て 來 た の で あ る。 (2) 元 來 こ の 教 相 な る 語 は か の 天 台 大 師 の ﹃ 法 華 玄 義 ﹄ に こ れ を 鐸 し、 ﹁ 教 と は 聖 人 が 下 に 被 ら し む る 言、 相 と は 同 異 を 分 別 す る な り ﹂ と 云 へ る 如 く に、 教 相 判 繹 即 ち 敢 判 を 意 味 す る が 普 通 で あ る。 從 つ (3) て 智 謹 大 師 の ﹃ 諸 家 教 相 同 異 略 集 ﹄ に 於 て も、 こ れ を 教 判 の 義 に 用 ひ て 居 る。 然 る に 我 が 眞 言 密 教 に 於 て は、 た だ に 教 判 の み で な く、 廣 く こ れ を 敢 義 研 究 の 義 に 用 ひ て 居 る。 是 れ か の 圓 仁 や 安 然 が 密 教 を 理 秘 密 と 事 秘 密 と に 二 分 す る こ と に 暗 示 を 得、 事 秘 密 を 以 て 事 相 と す る に 對 し、 理 秘 密 を 以 て 教 相 と し た も の な る こ と は 明 か で あ る。 併 し 畳 鍍 上 人 の 當 時 に は 密 教 々 學 の 如 何 な る 部 分 が 激 相 に 囑 し、 如 何 な る 調 査 が 事 相 に な る か の 分 界 が 爾 ほ 判 然 と し て 居 ら な か つ た や う で あ る。 從 つ て 保 延 五 年 ( 一 七 九 九 )、 即 ち 豊 鍍 上 人 の 入 寂 前 五 年 光 明 山 重 舞 に よ り て 著 さ れ た る ﹃ 秘 密 教 相 抄 ﹄ に は 五 相 成 身 観 と か 種 子 と か 三 昧 耶 形 と か 云 ふ 如 き、 後 代 に 於 て は 明 か に 事 相 の 部 門 に 囑 す べ き も の を も 教 相 の 中 に 含 め て 居 る の で あ る。 そ れ が 醍 醐 の 成 (4) 賢 ( 一 八 二 二 -一 八 九 一 ) 時 代 に な る と、 大 膿 に 於 て 事 教 の 分 野 も 明 了 に な り、 成 賢 の 著 ﹃ 學 文 土 代 ﹄ に は こ の 事 教 二 相 を 規 定 し、 ﹁ 眞 言 の 事 相 は 密 宗 の 根 本 な り、 先 づ 租 師 の 正 流 を 尋 ね、 相 承 の ロ 決 を 面 受 す べ し。 そ の 上 に て 廣 く 本 書 抄 物 を 勘 見 し、 所 傳 の 潤 色 と す べ き 也。 十 八 渣、 爾 界、 護 摩、 灌 頂 (結 線、
傳 法 )、 大 法、 小 法、 並 び に 諸 の 作 法 等、 各 々 懸 鏡 を 螢 く べ し ﹂ と 云 ひ、 ま た ﹁ 宗 義 激 相 は 源 と 大 日 経 並 に 大 師 の 御 作 等 に 出 で た り。 ま た 諸 師 製 作 多 く 之 れ に 在 り。 深 く 眞 言 の 義 理 を 探 り 專 ら 大 師 の 意 趣 に 叶 は ば 滅 罪 生 善、 紹 隆 密 教 の 要、 何 事 か 之 に 如 か ん や ﹂ と 云 つ て ゐ る。 此 の 如 く に、 畳 鍍 上 人 の 時 代 に 於 て、 事 相 と 教 相 と が 封 立 す る に 至 つ た と は 云 く、 こ の 二 者 は 決 し て 背 馳 す べ き も の で な く、 恰 も 鳥 の 雨 翼、 車 の 爾 輪 の 如 く に、 互 に 相 助 け 相 補 は ね ば な ら 槍 も の で あ る。 故 に 思 兄 鍵 上 人 は そ の 二 季 傳 法 會 に 於 て、 こ の 教 相 と 事 相 と を 双 修 す る や う に し た の み で な く、 畳 (5) 鍵 記 と 幕 せ ら る る、 ﹃ 諸 流 通 用 口 決 ﹄ に は こ の 事 教 二 相 が 一 邊 に 偏 す る こ と を 堅 く 誠 し め、 ﹁ 事 相 の 行 人 は 教 相 顯 露 の 難 を 加 へ、 激 相 の 學 者 は 事 相 無 智 の 難 を 致 す。 一 に 偏 す れ ば 是 れ 邪 執 な り、 二 相 必 す 兼 ぬ べ し ﹂ と 切 言 せ ら れ て 居 る の で あ る。 謡(1) 大 正 三 九、 六 五 七 頁 下 参 照。 (2) 大 正 三 三、 六 入 三 頁 中 塗 照。 (3) 智 詮 大 師 杢 集 巻 中、 五 入 ○ 頁 参 照。 (4) 金 剛 三 昧 院 藏 書 第 五 十 五 箱 牧 藏。 (5) 小 林 正 盛 編 ﹃ 興 教 大 師 杢 集 ﹄ 五 六 九 頁。 富 田 毅 純 編 興 教 大 師 全 集 巻 下、 一 四 四 三 頁 塗 照。 五 高 野 山 の 寺 方 院 方 と 教 學 の 傾 向 高 野 山 教 學 史 一 斑 一 三
高 野 山 教 學 史 一 斑 一 四 畳 鍍 上 人 の 再 興 せ る こ の 二 季 傳 法 會 が 導 火 線 と な り、 高 野 一 山 は 内 外 と も に 盛 榮 を 來 す べ き 筈 で あ ゆ つ た に 拘 ら す、 金 剛 峰 寺 方 郎 ち 寺 方 と 傳 法 院 方 即 ち 院 方 と の 間 に 確 執 を 生 じ、 畳 鍍 上 人 は 途 に 山口回 野 山 を 去 り、 根 來 寺 に 隈 稜 す る の 止 む な き に 至 り、 康 治 二 年 四 十 九 歳 に し て 淋 し く 此 所 に 入 寂 せ ら れ た の で あ る。 こ の 上 人 の 寂 後 三 年 に し て、 寺 方 と 院 方 と の 和 議 調 ひ、 久 安 三 年、 大 傳 法 院 の 座 主 棘 畳 並 に 學 頭 兼 海 等、 學 徒 を 率 ゐ て 高 野 山 に 蹄 還 し、 爾 來 寺 方 と 院 方 と の 間 に、 幾 度 か 閲 培 を 繰 り 返 し た け れ ど も、 上 人 以 後、 正 癒 元 年 に 至 る 一 百 四 十 有 除 年 間、 兎 に も 角 に も 大 傳 法 院 は 高 野 山 に 存 綾 し た の で あ る。 そ の 間、 兼 海, 融 源、 俊 晴、 會 慶 等 が 傳 法 院 學 頭 と し て、 學 徒 を 教 養 し、 院 方 と し て の 門 戸 を 張 つ て 居 っ た の で あ る。 (2) こ れ に 封 し、 金 剛 峰 寺 方 で は 高 倉 天 皇 の 安 元 元 年、 五 辻 齋 院 頚 子 が 鳥 朋 上 皇 の 追 福 の た め に 寳 瞳 院 谷 に 蓮 華 乗 院 を 建 て、 紀 州 南 部 庄 を 寄 進 し て、 學 衆 百 二 十 口 を 養 ひ、 此 所 を 長 日 不 断 の 法 談 所 と し た の で あ る が、 そ の 後 二 年 を 経 て 治 承 元 年 三 月 二 十 一 日、 西 行 法 師 を 奉 行 と し て、 此 の 院 を 壇 上 に 移 し そ の 十 一 月 九 日、 後 自 河 法 皇 の 叡 慮 に よ り 此 所 に 傳 法 會 を 開 く に 至 つ た の で あ る。 雫 安 朝 末 に 於 け る 此 等 の 施 設 が 基 本 と な り、 そ れ が 鎌 倉 時 代 に 入 り、 建 久 年 間、 源 頼 朝 が 高 野 山 に 勧 學 の 法 曾 を 設 け て 密 敷 々 學 の 振 興 を 策 し、 ま た 弘 安 四 年 に、 北 條 時 宗 が 渤 學 院 を 建 立 す る と 共 に、
金 剛 三 昧 院 の 寺 領 を 以 て、 そ の 會 の 學 衆 を 扶 持 す る 等 の 計 を 立 て、 此 等 の 甚 大 な る 幕 府 の 庇 護 と 新 興 佛 教 の 刺 戟 と に よ り て、 そ の 教 學 は 盆 よ 活 氣 を 呈 す る こ と に な つ た の で あ る。 (3) 信 日 の ﹃ 教 相 血 脈 ﹂ に 依 る と、 金 剛 峰 寺 方 の 學 系 は 明 算 (龍 光 院 )、 良 繹 (北 室 院、 解 脱 房 )、 基 舜 (大 樂 院 )、 寛 秀 (大 樂 院、 嚴 密 房 )、 昼 海 (華 王 院、 南 勝 房 ) と 次 第 し、 畳 海 の 門 下 に 法 性 (寳 性 院 )、 渣 範 (正 智 院 )、 術 柞 (心 南 院 ) 眞 辮 (十 輪 院 ) の 四 哲 あ り、 此 等 の 明 匠 に よ り て 本 寺 方 の 教 風 大 に 振 ふ た の で あ る。 思 ふ に 此 の 時 代 に 於 け る 密 教 々 學 は 事 相 よ り も 寧 ろ 教 相 に 重 鮎 を 置 き、 寺 方、 院 方 に 於 け る 傳 法 會 の 如 き も、 論 義 制 度 を 施 設 し て 籔 相 教 義 の 談 議 に 熱 中 し て 居 つ た の で あ る。 是 れ こ の 時 代 は 新 興 佛 教 た る 繹、 浄 土 レ 量 ハ宗、 日 蓮 等 の 諸 宗 が 各 々 大 衆 を 相 手 に 盛 ん に 敏 線 を 張 ウ、 各 自 そ の 宗 義 を 宣 揚 す る に 刺 戟 さ れ た る が 故 で あ る。 從 つ て 眞 言 密 教 の 根 本 義 如 何 と か、 弘 法 大 師 の 組 織 せ る 眞 言 宗 の 特 質 如 何 と か 云 ふ 如 き 種 々 の 教 義 問 題 を 内 省 す る 必 要 に 迫 ら れ、 事 相 偏 重 の 從 來 の 傾 向 に 懐 ら ざ る 反 動 も 加 は り、 此 所 に 密 教 所 依 の 根 本 経 典 た る 爾 部 大 経 や 粗 師 撰 述 の 章 疏 等 を 考 究 し 精 談 す る 敢 相 部 門 の 發 展 を 來 す に 至 っ た の で あ る。 (4) こ の 藪 相 研 究 の 重 要 問 題 と し て 當 時 最 も 全 力 を 注 い だ も の は と 云 へ ば、 本 膿 論 と 藪 主 論 で あ る。 そ の 本 膿 論 か ら 一 言 せ ば、 宇 宙 の 本 源、 若 く は 諸 法 の 本 質 何 ぞ や と 云 へ ば 六 大 で あ る。 そ の 六 大 は 一 な り や 多 な り や と 云 ふ に、 此 は 無 限 界 の 風 光 を 象 徴 的 に 示 し た る も の た る が 故 に、 凡 慮 を 以 て 一 と も 多 高 野 山 教 學 史 一 斑 一 五
晋同 野 山 教 學 史 一 斑 一 六 と も 云 ふ こ と が 出 來 な い。 而 も 之 れ を 有 限 の 我 等 の 心 に 寓 象 す る 上 に 於 て、 一 に 重 き を 置 く べ き や、 多 に 重 き を 置 く べ き や が 問 題 に な る の で、 若 し 一 を 以 て 禮 と し 多 を 以 て 義 用 と す る と、 謂 ゆ る そ れ が 不 二 説 と な り、 こ れ と 反 對 に、 多 を 以 て 膿 と し、 一 を 以 て 義 用 と せ ば、 謂 ゆ る そ れ が 而 二 説 と な る の で あ る。 こ の 而 二 と 不 二 と の 爾 説 に つ き、 そ の 當 時 密 教 々 學 の 大 棟 梁 た る 畳 海 の 如 き は、 こ の 二 説 の 何 れ に も 偏 せ す、 全 く 二 説 を 並 取 し た 様 で あ る が、 そ の 門 下 の 中、 法 性 は 而 二 説 を 高 調 し、 眞 辮 は 不 二 説 を 力 説 し た。 道 範 の 如 き は そ の 著 ﹃ 遍 明 抄 ﹄ 第 七 に 於 て、 こ の 二 説 を 並 べ 墾 げ て 居 る け れ ど も、 何 れ か と 云 へ ば 不 二 説 を 主 と し た 様 で あ る。 こ の 本 膿 論 に 於 け る 見 解 の 異 り が 臆 て ま た 藪 主 論 の 相 異 と も な る の で あ る。 こ れ に つ き、 法 性 は 唯 智 の 法 身 が ﹃ 金 剛 頂 経 ﹄ を 説 き、 唯 理 の 法 身 が ﹃ 大 日 経 ﹂ を 説 い た と 云 ふ。 こ れ に 樹 し、 道 範 は 理 智 不 二 の 法 身 が ﹃ 金 剛 頂 経 ﹄ 並 に ﹃ 大 日 経 ﹂ を 倶 に 説 い た と 言 ふ の で あ る。 從 つ て 法 性 の 學 系 を 而 二 門 説、 道 範 の そ れ を 不 二 門 説 と 云 ふ。 溢 範 の 如 き ぱ、 こ の 豊 海 よ り 相 承 せ る 學 説 の 外 鷲、 麗 林 寺 静 遍 よ り 相 傳 せ る 理 智 事 の 三 黙 説 が あ ろ。 此 ぱ 爾 部 大 経 の 教 主 を 以 て、 理 智 不 二 せ る 事 佛 と す る の で、 要 は 不 二 門 説 の 外 は な い の で あ る。 道 範 と 等 し ー 華 王 院 畳 海 に 受 學 せ る 櫻 池 院 恵 深 の 門 下 に 三 藏 院 昼 和 あ り、 十 輪 院 眞 辮 に は 大 樂 院 信
日 あ り、 そ の 信 日 の 門 下 に 信 堅 と 玄 海 と が あ る。 こ の 昼 和、 信 日、 信 堅、 玄 海 の 四 哲 を 先 き の 畳 海 門 下 の 四 哲 に 加 へ て、 高 野 入 傑 と 云 ふ の で あ る。 こ の 入 傑 中 の 信 日 (-一 九 六 七 ) と 同 時 代 に、 傳 法 院 方 に (5) 頼 喩 ( 一 入 入 六 -一 九 六 四 ) あ り、 文 永 二 年、 華 遊 院 會 慶 に つ ぎ て 傳 法 院 學 頭 と な り、 學 徒 の 教 養 に 専 念 し た る 結 果、 院 方 の 教 風 ま た 大 に 振 ふ た の で あ る。 (6) こ の 頼 喩 は 本 膿 論 に 於 て 不 二 門 説 を 持 し、 藪 生 論 に 於 て は 加 持 身 説 を 提 唱 し た。 頼 喩 巳 前 こ の 加 持 身 説 を 唱 へ た 人 が な い で は な い け れ ど も、 頼 喩 の そ れ は 梢 や 趣 き を 異 に し、 自 性 身 中 に 加 持 身 を 開 く の で、 頼 喩 自 ら そ の 著 ﹃ 指 心 抄 ﹄ 第 二 に 公 言 せ る 如 く、 全 く 新 義 新 説 と 云 つ て 可 い。 こ の 新 義 に 封 し、 頼 喩 以 前、 巳 に 大 成 せ る 法 性、 通 範 等 の 本 寺 方 の 説 を 古 義 と 云 ひ、 此 所 に 新 古 爾 説 相 樹 す る こ と な つ た の で あ る。 高 野 山 に 於 け る 寺 方 院 方 は、 此 の 如 く に し て 各 々 そ の 學 團 を 異 に し、 互 に 敵 親 し て 相 和 せ ざ る の み (7) で な く、 今 や 全 く 新 古 そ の 教 説 を 異 に す る に 至 り、 正 雁 元 年、 途 に 傳 法 院 座 主 道 耀、 並 に 學 頭 頼 喩 等 相 商 り、 高 野 山 上 に 於 け る 傳 法 ・ 密 嚴 の 二 基 を 根 來 に 移 し、 畳 鍵 上 人 の 門 葉 永 く 高 野 山 と 挟 を 分 つ こ と に な つ た の で あ る。 註(1) 金 剛 峰 寺 方 と 傳 法 院 方 と の 確 執 閲 培 に つ き て ほ 拙 著 ﹃秘 密 佛 敏 史 ﹄ 二 九 九 頁 巳 下 蓼 照。 (2) 拙 著 ﹃秘 密 佛 教 史 ﹄ 二 入 九 頁 参 照。 高 野 山 教 學 更 一 斑 一 七
高 野 山 教 學 史 一 斑 一 八 (3) 紀 伊 綾 風 土 記 第 四 輯 入 四 入 頁 参 照。 (4) 拙 著 ﹃秘 密 佛 教 史 ﹄ 二 九 一 頁 巳 下 参 照。 (5) 紀 俳 績 風 土 記 第 四 輯 七 六 八 頁 上 参 照。 (6) 拙 著 ﹃秘 密 佛 教 史 ﹄ 二 九 四 頁、 並 に 三 〇 四 頁 参 照。 (7) 伺 上 書 三 〇 一 頁 塗 照。 六 中 院 流 の 分 振 と 奥 疏 講 傳 高 野 山 に 於 け る 金 剛 峰 寺 方 と 傳 法 院 方 と の 樹 立 は 一 面 に 於 て 兄 弟 培 に 圃 ぐ の 醜 雫 を 天 下 に 曝 露 し た も の で あ る け れ ど も、 一 面 に 於 て は、 こ の 樹 立 が 刺 戟 と な り、 教 相 部 門 の 漱 學 發 展 を 來 し た の で あ る. 、 此 の 時 に 當 り、 本 寺 郎 ち 金 剛 峰 寺 方 に 於 て は、 明 算 以 來 } 昧 乳 水 の 如 ー に 相 承 し 來 れ る 中 院 流 の 事 相 カ タ カ タ カ タ 王 に 四 方、 六 方、 若 く は 八 方 の 分 派 を 見 る に 至 つ た の で あ る。 是 れ 孚 安 朝 の 後 孚 期 か ら 鎌 倉 時 代 に か け、 京 都 方 面 に 於 て、 種 々 様 々 の 事 相 上 の 分 派 が 籏 生 せ る 當 時 の 趨 勢 に 影 響 せ ら れ た も の と 云 つ て 可 い の で あ る。 (1) カ タ カ タ カ タ カ タ カ タ カ タ カ タ そ の 中 院 流 の 四 方 と は 引 研 院 方、 心 南 院 方、 大 樂 院 方、 智 荘 嚴 院 方 で、 こ れ に 寳 性 院 方 と 惣 持 院 方 カ タ カ タ と を 加 へ て 六 方 と 云 ひ、 そ の 六 方 に 東 南 院 方 と 龍 光 院 方 と を 加 へ て 入 方 と 云 ふ の で あ る。 カ タ か く 中 院 流 に 諸 方 あ る も、 普 逼 に は 引、 心、 大、 智 の 四 方 と 寳 性 院 院 家 相 承 と が 主 な る も の で、 い
ま 四 方 の 略 系 譜 を 翠 げ る と 左 の 通 り で あ る。 ( 一 ) 引 振 院 方
明
算
良
輝
兼
賢
房
光
豊
善
砧
遍
定
範
玄
海
(
二
)
心
南
院
方
明
算
良
暉
兼
賢
定
兼
明
任
溢
範
賢
定
仁
然
玄
海
会
ご
大
樂
院
方
明
算
良
繹
兼
賢
理
賢
畳
基
観
心
悪
深
信
日
信
堅
玄
海
(四
)
智
荘
嚴
院
方
明
算
良
暉
兼
賢
房
光
畳
善
良
任
鮪
遍
定
範
頼
審
道
淳
圓
塔
玄
海
道
淳
隆
経
朝
遍
鮪
雄
宥
快
カ タ 以 上、 四 方 の 中、 寳 性 院 の 玄 海 ( 一 九 二 七 -二 〇 〇 七 ) は 引、 心、 大、 智 の 四 方 を 悉 く 受 傳 し、 此 等 諸 方 の 大 事 印 信 を 合 揉 し て 十 二 通 の 印 信 と し、 こ れ を 相 傳 す る に 至 つ た。 之 れ を 寳 性 院 方 ま た は 院 家 相 承 と 云 ふ の で あ る。 こ れ を 分 派 の 年 代 か ら 云 へ ば、 引 娠 院 畳 善 ( 一 七 九 三 ー 一 八 五 六 ) を 祓 ど せ る 引 振 院 方 が 先 づ 分 れ、 つ い で 智 荘 巖 院 紡 遍 (約 一 九 二 四 ) を 租 と せ る 智 荘 嚴 院 方 が 分 涙 し、 更 に 大 樂 院 信 日 ( -一 九 六 七 )を 組 と せ 高 野 山 教 學 吏 一 斑 一 九高 野 山 教 學 史 一 斑 二 〇 る 大 樂 院 方、 そ れ か ら 心 南 院 仁 然 ( 一 入 九 七 ⊥ 九 七 入 ) を 租 と せ る 心 南 院 方 が 分 れ た こ と に な る の で あ る。 中 院 流 よ り か く 諸 方 が 分 派 せ る 所 以 ぱ、 勿 論 時 代 の 趨 勢 に 刺 戟 せ ら れ た と ぱ 云 へ、 中 院 流 の 大 事 秘 (2) 訣 を 時 に 随 ひ 機 に 慮 じ て 分 授 し た る 結 果、 彼 此 の 間 に 相 傳 の 異 り を 生 じ π る が 故 で あ る。 例 せ ば 護 摩 カ タ カ タ カ タ
を
修
す
る
場
合
に
於
て、
引
方、
智
方
は
降
三
世
を
部
主
ど
し、
心
方
は
般
若
菩
薩
を
部
主
と
す
る
が
如
き、
ま
た
灌
頂
作
法
に
於
て、
引
方
と
心
方
と
は
十
二
天
屏
風
の
建
て
方、
大
壇
に
於
け
る
五
色
佛
供
や
五
瓶
の
方
位
等
を
異
に
す
る
が
如
き、
即
ち
そ
れ
で
あ
る。
ま
た
こ
れ
を
灌
頂
印
信
に
つ
き
て
云
へ
ば、
引
方
は
許
可、
傳
法、
秘
密
灌
頂
等
の
七
通、
心
方
ぱ
許
可、
傳
法、
喩
砥
大
事
の
三
通、
大
方
は
許
可、
傳
法、
多
聞
天
大
事
の
三
通、
智
方
は
許
可.
傳
法、
秘
密
灌
頂
大
事、
喩
砥
大
事、
唯
授
一
人
大
事、
後
僧
正
大
事
の
六
通、
院
家
相
承
は
許
可、
傅
法、
秘
密
灌
頂
二、
毘
盧、
喩
砥、
阿
闊
梨
位、
大
毘
沙
門、
唯、
南
山、
後
僧
正、
臨
絡
の
十
こ
通
を
相
傳
す
る
の
で
あ
る。
か
く
の
如
ー
に、
中
院
流
の
事
相
分
派
が
寺
方
院
方
の
封
立
せ
る
時
代
に、
現
出
し
淀
と
同
時
に
教
相
上
に
於
て
は
そ
の
精
談
論
議
の
主
要
典
籍
を
住
心
品
疏
と
繹
論
十
憲
と
大
師
の
撰
述
に
菩
提
心
論
を
合
せ
た
る
十
巻
章
と
に
一
定
し
(3) た も の ら し い。 住 心 品 疏 は 本 來 二 巻 掌 で あ る が、 道 範 の 弟 子、 快 賢 が そ の 第 一 巻 と 第 二 巻 と に 本 末 を 分 ち て 五 巻 と し、 こ れ に 十 巻 章 と 繹 論 十 巻 と を 加 へ て 二 十 五 巻 章 と 云 ひ、 そ の 名 目 が 今 日 ま で 行 は れ て 居 る の で あ る。 か の 三 業 度 人 の 官 符 に 於 て、 大 師 が ﹃ 大 日 経 佳 心 品 並 に 疏 五 巻 ﹄ と あ る そ の 疏 五 巻(4) を 以 て 住 心 品 疏 五 巻 と 同 視 す る も の が あ る け れ ど も、 此 は 住 心 品 疏 三 巻 と 第 六 巻 末 の 五 種 三 昧 道 の 鐸 と 第 七 恕 の 字 門 道 の 繹 と を 指 す の で、 快 賢 に 依 り て 分 な れ な る 住 心 品 疏 五 憲 と は そ の 範 園 を 異 に す る の で あ る。 伏 見 天 皇 の 正 癒 元 年 ( 一 九 四 八 )、 傳 法 院 の 道 耀、 頼 喩 等 相 商 り て 傳 法 ・癖 嚴 の 二 基 を 根 來 山 に 移 し、 こ こ に 傳 法 院 方 は 永 へ に 高 野 山 と 被 を 分 つ に 至 つ た の で あ る。 そ の 結 果、 高 野 一 山 は 悉 く 本 寺 方 を 以 て 統 一 さ れ、 乳 水 一 味 の 昔 に 復 し な と 共 に、 敷 學 上 に も 新 生 面 を 開 い て 來 た。 そ れ は 大 日 経 具 縁 品 已 下 の 疏、 帥 ち 奥 疏 の 研 究 で あ る。 こ の 奥 疏 は 全 く の 事 相 で も 敷 相 で も な く、 藪 相 と 事 相 と が 相 生 ば す と も 欝 す べ く、 事 敢 雨 際 に 亘 り て そ の 深 旨 を 閲 明 し た る も の な る が 故 に、 そ の 研 究 は 事 教 二 相 に 通 達 し た る も の で な い と 中 々 の 難 事 で あ る。 徳 川 時 代 に な り て は、 こ の 奥 疏 の 講 義 傳 授 を 講 傳 と 構 し、 事 相 と 漱 相 と の 外 に 別 立 す る に 至 つ た け れ ど も、 こ の 時 代 に 於 て は、 此 等 の 講 述 を も 矢 張 り 事 相 の 部 門 に 屡 せ し め、 等 し く 傳 授 と 聡 し て 居 つ た の で あ る。 カ タ こ の 奥 疏 研 究 に 先 鞭 を つ け た も の が 中 院 流 分 派 四 方 の 随 一 た る 大 樂 院 方 の 租、 信 日 で あ る。 勿 論、 信 日 以 前、 已 に 實 慧 の ﹃ 遮 那 経 王 疏 傳 ﹄ が あ り、 親 賢 の ﹃ 大 疏 砂 ﹄ な ど が あ る け れ ど も、 此 等 は 何 れ も こ の 疏 を 研 究 す る に つ き て の 注 意 口 傳、 若 く は 各 品 の 要 領 を 抄 記 し た 程 度 の も の に 過 ぎ な い の で、 疏 文 高 野 山 教 學 史 一 斑 二 一
高 野 山 教 學 更 一 斑 二 二 の 一 字 一 句 を 精 密 に 考 査 理 解 し、 そ の 謬 ら ざ る 基 礎 の 上 に そ の 疏 全 膿 の 内 容 を 把 握 せ ん と す る 企 て と は 少 し く 趣 き を 異 に し て 居 る の で あ る。 (5) 然 る に 信 日 は こ の 奥 疏 に つ き て ﹃ 勘 文 ﹄ 三 十 巻 を 著 し、 そ の 疏 の 要 文 難 句 を 鐸 す る に ﹃大 日 経 義 鐸 ﹄ や 畳 苑 の ﹃ 演 密 鋤 ﹄ 等 を 初 め、 そ の 他、 廣 く 顯 密 爾 教 に 於 け る 経 論 章 疏 を 以 て し、 此 等 を 封 校 し 比 較 す る こ と に よ り て 自 ら そ の 義 趣 を 明 に し、 随 時 随 所 に 問 答 を 設 け て 要 義 を 記 述 し て 居 る の で あ る。 こ の 信 日 の 奥 疏 研 究 に 刺 戟 を 受 け、 伊 豆 の 妙 浮 上 人 の 如 き も ま た 盛 ん に 都 鄙 に 之 れ を 宣 揚 し、 高 野 山 に 於 て は 信 日 の 弟 子、 信 堅 が そ の 遺 鉢 を 綴 ぎ て 連 り に 之 れ を 振 充 し た る の み で な く、 妙 浮 上 人 の 弟 (6) (7) 子 源 蓬 の 如 き も 高 野 山 に 來 り て そ の 講 莚 を 張 り、 此 等 が 基 本 と な り て 東 寺 頼 寳 の ﹃ 大 日 経 疏 勘 文 ﹄ や、 呆 寳、 賢 寳 に 依 る ﹃ 大 日 経 疏 演 奥 紗 ﹄ の 大 成 を も 見 る に 至 つ た の で、 そ の 源 泉 と な り 根 幹 と な つ た も の が、 信 日、 乃 至 玄 海 當 時 の 奥 疏 研 究 で あ る。 カ タ こ の 奥 疏 講 傳 に 當 り、 高 野 方、 伊 豆 方、 何 れ も 十 二 口 傳 を 沙 汰 す る こ と に た つ て 居 る。 そ の 十 二 口 (8)
傳
と
は
暫
く
快
全
師
の
記
に
よ
る
と、
未
會、
鼠
脱、
総
牒、
別
牒、
引
牒、
交
牒、
語
略、
回
文、
回
文
向
上、
回
(9) 文 向 下、 治 定、 取 意 の 十 二 で あ る。 伊 豆 方 で は こ の 奥 疏 講 傳 に 三 重 の 次 第 を 立 つ る け れ ど も、 高 野 方 で は か か る こ と な く、 從 つ て ﹁ 後 問 答 の 大 事 ﹂ な ど 云 ふ こ と は 高 野 本 來 の 相 傳 に は な い こ と で あ る。 カ タ 併 し 宥 快 が 高 野、 伊 豆 の 爾 方 を 併 せ 傳 ふ る に 至 り、 高 野 山 に も 之 れ を 相 傳 す る こ と に な つ た の で ある。
要
ず
る
所、
寺
方
院
方
の
對
立
時
代
に
於
て、
中
院
流
の
分
振
現
出
と、
二
十
五
巷
章
に
基
く
教
相
研
究
の
旺
盛
と
カ タ が あ り、 此 等 の 準 備 研 究 が 基 太 と な り て、 院 方 退 山 直 後、 事 教 二 相 の 爾 際 に 亙 る 奥 疏 研 究 が こ の 高 野 山 に 勃 興 し て 來 た の で あ る。 註(1) 松 永 昇 道 曾 正 の ﹃ 中 院 流 院 家 相 承 傳 授 録 ﹄ 上、 三 入 丁 巳 下、 ﹃ 密 教 研 究 ﹄ 三 三 號 三 一 頁 等 参 照。 (2) 松 永 大 曾 正 ﹃ 中 院 流 院 家 相 承 傳 授 録 ﹄ 上、 三 入 丁 左、 ﹃ 密 致 研 究 ﹄ 三 三 號 三 六 頁 塗 照。 (3) ﹃ 大 疏 秘 記 集 ﹄ 下 巻 二 三 四 丁 右 墾 照。 (4) 宥 快 著 ﹃ 大 日 経 疏 傳 授 紗 ﹄ (大 疏 秘 記 集 本、 四 十 二 丁 左、 四 十 入 丁 右 ) 参 照。 (5) 金 剛 三 昧 院 寄 托 書、 特 一 〇、 タ、 一 五 五 牧 藏。 (6) 宥 快 著 ﹃ 大 疏 傳 授 紗 ﹄ ( 大 疏 秘 記 集 本 四 二 丁 右) 滲 照。 (7) ﹃ 大 疏 秘 記 集 ﹄ 下 巻 二 一 七 丁 右 塗 照。 (8) ﹃ 大 疏 秘 記 集 ﹄ 下 巷 二 二 〇 丁 左 参 照。 (9) 宥 快 ﹃ 大 疏 傳 授 紗 ﹄ ( 大 疏 秘 記 集 本 四 一 丁 右 ) 参 照 七 寳 門 壽 門 の 對 立 と 教 學 の 大 成 李 安 朝 の 後 宇 期 よ り 鎌 倉 時 代 に か け、 漸 次 盛 況 を 呈 し 來 れ る 高 野 山 教 學 は 南 北 朝 時 代 に 入 り、 ま た 衰 亡 す る の 止 む な き に 至 つ た。 是 れ 延 元 よ り 癒 永 に 至 る 五 十 有 鯨 年 間 は 南 北 爾 朝 相 分 れ て 輸 臓 を 孚 ひ 高 野 山 教 學 史 一 斑 二 三高 野 山 教 學 史 一 斑 二 四 且 つ 足 利 氏 の 一 族 は 殆 ど 駒 培 に 寧 日 な く、 天 下 騒 然 た る が 故 に 庄 田 領 所 の 年 貢 納 ま ら す、 剰 へ 高 野 山 は 吉 野 に 隣 近 し、 動 も す れ ば 武 用 の 催 促 に 遇 ひ、 大 衆 は 諸 庄 の 兵 士 を 峯 ゐ て 勅 催 に 癒 す る 等 の た め に 人 心 安 定 を 歓 き、 學 道 の 如 き 自 然 に 磨 亡 し た る が 故 で あ る。 そ れ が 後 小 松 天 皇 の 明 徳 四 年 (二 〇 五 三 ) に 至 り、 南 北 爾 朝 の 合 一 と 共 に、 戦 鼠 の 腿 風 も 漸 く そ の 音 を 潜 め る に 随 ひ、 高 野 山 教 學、 特 に そ の 激 義 學 の 如 き 再 び ま 元 活 氣 を 呈 し て 來 た の で あ る。 こ の 時 に 當 り、 高 野 山 に 於 て は、 長 畳、 宥 快 の 二 學 匠 並 び 出 で て、 満 山 三 千 の 學 徒 を 爾 分 し た。 一 は 無 量 壽 院 に 教 線 を 張 り、 一 は 寳 性 院 に 子 弟 を 教 養 し、 二 者 相 分 れ て 不 二 門 と 而 二 門 と の 二 種 教 義 學 を 大 成 す る に 至 つ た の で あ る。 こ の 爾 派 對 立 の 年 代 等 に つ き て は、 光 宥 の ﹃ 高 野 山 眞 俗 興 磨 記 ﹄ に ﹁ 門 徒 相 分 る る は 癒 永 の 比 よ り ﹂ と あ る 如 く に、 癒 永 を 中 心 と す る 足 利 氏 の 最 盛 時 期 に 於 て、 高 野 山 の 教 義 學 は 全 く 黄 金 時 代 を 現 出 し た。 普 通 之 れ を ﹁ 癒 永 の 大 成 ﹂ と 云 ふ の で あ る。 そ の 敢 義 學 の 大 成 者 た る 長 畳 と 宥 快 と ぱ 何 れ も 鐸 迦 南 院 の 賢 重 に つ き て 宗 學 を 學 び た る が 故 に、 こ の 上 よ り せ ば 同 一 門 弟 と も 見 ら れ 得 る の で あ る が、 一 は 溢 範 の 學 系 に 属 す る 不 二 門 説 を 大 成 し、 一 は 法 性 の 學 系 に 囑 す る 而 二 門 説 を 宣 揚 す る こ と に 依 り、 此 所 に 二 派 の 對 立 を 現 出 し た の で あ る。 長 畳 は 字 を 本 智 房 と 云 ひ、 後 村 上 天 皇 の 興 國 元 年、 出 朋 の 朋 黒 山 麓 に 生 れ、 宥 快 よ り は 六 歳 の 年 長
者 で あ る。 十 七 歳 の 時、 高 野 山 に 登 り て 束 縄 院 の 室 下 に 學 信 と な り、 此 に 事 教 の 萬 奥 を 極 め な。 特 に 無 量 壽 院 頼 圓 よ り 中 院 流 並 に 小 野 流 を、 宣 肺 ・ 螢 全 ・宥 範 よ り 廣 澤 諸 流 を、 東 繹 院 義 宣 よ り 悉 曇 を 票 け た の で あ る。 正 卒 十 九 年、 二 十 五 歳 に し て 諸 國 を 巡 錫 し、 相 州 鎌 倉 の 俊 碁 よ り 西 院 元 喩 方 の 事 相 を 受 け て そ の 正 嫡 と な り、 更 に 暉 宗 印 元、 浮 土 宗 智 演、 日 蓮 宗 日 経 等 の 門 を 叩 き て そ の 見 聞 を 廣 く し、 文 中 元 年 高 野 山 に 蹄 り て 東 繹 院 を 董 し、 弘 和 二 年、 こ の 東 暉 院 に 悉 曇 傳 授 を 行 ふ や、 寳 性 院 宥 快 の 如 き す ら 來 っ て そ の 受 者 の 一 人 に 加 っ た と 云 ふ。 癒 永 十 年、 頼 圓 の 遺 囑 に よ り て 無 量 壽 院 の 門 圭 と な り、 こ こ に 集 り 來 る 學 徒 を 教 養 し て、 不 二 門 の 敢 義 學 を 大 成 し、 癒 永 二 十 三 年、 七 十 七 歳 に し て 入 寂 せ ら れ た の で あ る。 こ の 長 畳 の 大 成 せ る 不 二 門 の 教 義 は 我 即 佛 の 徹 底 的 自 畳 を 基 調 と し、 こ の 自 昼 に 依 る 絶 對 不 二 の 光 明 を 以 て 有 限 の 一 事 一 物 を 浄 化 し 無 限 化 し、 こ の 有 限 に 帥 し て 無 限 生 活 を 實 現 す る こ と を 目 的 と し て 居 る の で あ る。 是 れ 我 是 凡 夫 の 立 場 よ り 種 々 の 敢 門 を 施 設 す る 飴 他 の 佛 教 諸 宗 に 對 し、 最 も よ く 東 密 激 義 の 特 質 を 示 す も の な る が 故 に、 高 野 山 に 於 け る 畳 海 門 下 の 法 性 が 而 二 門 敢 義 の 建 設 に 努 力 し た と は 云 へ、 常 に 道 範 の 不 二 門 教 義 に 趣 倒 さ れ、 そ の 醍 醐 た る と、 根 來 た る と, 東 寺 た る と を 論 ぜ す、 何 れ も 不 二 門 教 義 の 外 は な か つ た の で あ る。 然 る に こ の 不 二 門 教 義 學 の 鉄 鮎 と も 云 ふ べ き は、 悪 く す る と 現 實 陶 酔、 若 く は 現 實 曲 庇 に 陥 り、 そ 高 野 山 教 學 史 一 斑 二 五
高 野 山 教 學 史 一 斑 二 六 の 浮 化 向 上 を 忘 れ て、 立 河 流 の 如 き 邪 教 に 瞳 す る 虞 れ あ る こ と で あ る。 現 に 高 野 山 に 於 て も、 こ の 不 こ 門 教 義 の 發 展 に つ れ、 立 河 の 邪 流 が 潜 入 し、 道 範 の 付 法 た る 明 澄 の 如 き、 立 河 流 に 戚 染 し て 居 る と て、 正 統 中 院 流 か ら 排 斥 せ ら れ て 居 る。 か か る 教 弊 を 黙 視 す る に 忍 び す、 断 然 起 つ て こ の 邪 説 を 掃 蕩 し、 萎 靡 し て 振 は な か つ た 法 性 の 後 を 興 し て 而 二 門 教 義 を 大 成 し た の が 宥 快 で あ る。 宥 快 は 幼 名 を 賢 榮 と 云 ひ、 興 國 六 年、 京 都 に 生 れ た の で あ る。 幼 に し て 母 を 喪 ひ、 十 七 歳 に し て 親 戚 に 當 る 常 陸 國 佐 竹 の 里、 佐 久 山 寺 榮 智 上 人 の 室 に 入 り て 出 家 し、 後、 高 野 山 に 登 り、 寳 性 院 信 弘 に カ タ 師 事 し て 名 を 性 嚴 房 宥 快 と 改 め、 事 相 教 相 並 に 悉 曇 を 學 び、 中 院 流 四 方、 三 寳 院. 西 院、 持 明 院 の 諸 流 に 亙 り て、 そ の 蔽 奥 を 極 め、 文 中 三 年、 三 十 歳 の 時、 信 弘 の 跡 を 綴 ぎ て 寳 性 院 の 門 主 と な り、 そ の 翌、 天 授 元 年 ﹃ 寳 鏡 紗 ﹄ を 著 し て、 當 時 高 野 山 内 に 蔓 延 せ る 立 河 流 の 邪 説 を 破 斥 す る と 共 に、 而 二 門 教 義 の 旗 幟 を 鮮 明 に し た の で あ る。 同 三 年、 京 都 山 科 の 安 鮮 寺 に 興 雅 の 門 を 叩 い て 安 流 の 潟 瓶 と な り、 懸 永 以 來、 學 徒 の 教 養 に 鯨 念 な く、 そ の 十 三 年、 六 十 二 歳 に し て 寳 性 院 を そ の 弟 子 成 雄 に 譲 り、 自 ら
善
集
院
に
隠
退
し
て、
ま
す
く
而
二
門
教
義
の
發
揚
に
藍
庫
し、
癒
永
二
十
三
年、
七
十
二
歳
に
し
て
寂
を
善
集
院
に 示 し た の で あ る。 こ の 宥 快 の 而 二 門 教 義 と 云 ふ も、 か の 不 二 門 教 義 と 等 し く、 全 く 絶 樹 爲 本 の 密 教 の 立 場 を 離 れ た 繹 で は な い。 而 も 不 二 門 教 義 が 絶 對 中 に 差 別 あ る を 認 め な が ら も、 尚 ほ 絶 樹 を 以 て 不 二 李 等 視 す る 傾 向あ る に 對 し、 而 二 門 教 義 ば 差 別 の 中 に 絶 樹 を 認 め、 差 別 世 界 に 於 け る 一 事 一 物 が 各 々 に 自 分 の 特 性 を 保 持 し 冷 ひ が ら、 更 に 全 法 界 を 各 々 に 具 し て 無 鑑 で あ り 絶 封 で あ る と す る の で あ る。 併 し こ の 而 二 不 二 の こ 種 藪 義 ば 二 者 全 く 相 反 す る も の で な く、 爾 者 相 待 つ て 初 め て 我 が 教 義 學 の 全 面 を 鮮 明 な ら し む る も の と 云 つ て 可 い の で あ る。 た だ に 教 義 の み で な く、 こ れ を 事 相 の 方 面 に つ き て 考 察 す る も、 寳 性 院 宥 快 は 諸 流 を 窮 め た と は 云 へ、 特 に 寳 性 院 院 家 相 承 の 中 院 流 を 大 成 し、 ま た 安 流 の 正 嫡 と し て、 小 野 流 の 事 相 に 重 黙 を 置 い た の で あ る。 無 量 壽 院 長 豊 ま た 諸 流 を 傳 へ な が ら も 西 院 元 喩 方 の 正 嫡 と し て、 麿 澤 流 の 事 相 を 強 調 し た。 こ こ に 於 て 寳 門 は 小 野 流 の 事 相 を、 壽 門 は 廣 澤 流 の そ れ を 傳 ふ る 根 本 道 場 と し て 豊 立 す る に 至 つ た の で あ る。 か く て 廣 澤 流 の 事 相 並 に 不 二 門 教 義 を 強 調 せ る 長 畳 に は、 長 審、 長 任、 長 學、 勝 義、 豊 順 等 の 高 弟 あ り、 小 野 派 の 事 相 並 に 而 二 門 教 義 を 宣 揚 せ る 宥 快 に は 宥 信、 成 雄、 快 全、 快 雅、 快 尊 等 の 秀 才 あ り 何 れ も 一 方 に 將 た る べ き 學 匠 な り し が 故 に、 此 等 の 學 匠 の 下 に 満 山 三 千 の 學 徒 が 爾 分 し て、 寳 性 院 を 中 心 と す る 而 二 門 學 振 と、 無 量 壽 院 を 中 心 と す る 不 二 門 學 派 と に 薦 し、 こ の 寳 門、 壽 門 各 々 に 自 己 の 特 色 を 發 揮 し、 そ の 修 學 練 行 を 競 ひ た る 結 果、 高 野 山 に は 全 く 敢 學 の 黄 金 時 代 を 現 出 し た の で あ る。 誰 酔 こ の 一 項 に つ ぎ ほ、 拙 著 ﹃ 秘 密 佛 教 史 ﹄三 二 九 頁 巳 下 参 照 の こと。 高 野 山 教 學 史 一 斑 二 七
高 野 山 教 學 史 一 斑 二 八 八、 結 言 高 野 山 教 學 の 大 成 以 來、 大 約 五 十 有 鯨 年 間 は 打 ち つ づ け る 太 雫 の 除 澤 に よ り て、 そ の 黄 金 時 代 を 持 績 し た の で あ る。 併 し 間 も な く し て、 癒 仁、 文 明 の 兵 鼠 と な り、 世 は 全 く 群 雄 割 篠 の 戦 國 時 代 を 現 出 し、 次 い で 織 豊 時 代 と な り、 徳 川 時 代 と な り て、 つ ぎ く に 舞 毫 は 憂 縛 し、 高 野 山 毅 學 の 上 に も 幾 度 か 俘 沈 演 長 が な か つ た 鐸 で な い け れ ど も、 之 れ を 大 局 の 上 よ り 槻 て、 癒 仁 以 後 の 高 野 山 教 學 は た だ 奮 套 を 墨 守 し、 そ の 形 骸 を 傳 ふ る に 止 り、 何 等 の 新 味 な き も の と な つ て 仕 舞 つ た の で あ る。 さ れ ば 特 に と り 立 て て 之 れ を 記 述 す る 程 の こ と も な く、 一 言 に し て 之 れ を 蔽 へ ば、 高 野 山 教 學 は 全 く 固 定 墨 守 の 歌 態 に 於 て 癒 仁 よ り 徳 川 の 終 に 至 る 大 約 四 百 年 の 歳 月 を 推 移 し た と 云 つ て 可 い の で あ る。 い ま 便 宜 の た め に、 上 來 記 述 せ る 所 を 時 代 に 分 類 し、 之 を 圖 示 す る と 左 の 通 り で あ る。 平 安 朝 時 代 自 承 和 二 年 至 延 久 四 年 草 創 時 代 事 教 渾 一 時 代 自 延 久 四 年 至 大 治 五 年 明 算 時 代 事 相 偏 重 時 代 自 大 治 五 年 至 康 治 二 年 畳 鍵 時 代 事 教 分 立 時 代 自 康 治 二 年 金 ・傳 ・對 立 時 代 教 相 蜀 立 ・ 事 相 分 派 時 代 鎌 倉 時 代 至 正 鷹 元 年 自 正 磨 元 年 至 建 武 中 興 信 日 信 堅 時 代 講 傳 勃 興 時 代 南 北 朝 時 代 自 延 元 元 年 至 明 徳 元 年 教 學 衰 頽 時 代 室 町 最 盛 時 代 自 明 徳 元 年 至 鷹 仁 元 年 壽 ・ 寳 二 門 封 立 時 代 教 學 大 成 時 代 職 國 乃 至 徳 川 時 代 自 慮 仁 元 年 至 慶 慮 三 年 教 學 固 守 時 代