空
海
漢
詩
文
研
究
詩
を
通
じ
て
の
空
海
と
嵯
峨
天
皇
の
一
勧-﹁献柑
子
表
﹂
に
つ
い
て
-中
谷
征
充
は じ め に 弘 法 大 師 空 海 ( 以 下 空 海 と 称 する)と嵯峨 天 皇 と の 交 際 は、 単 な る 君 主 と 僧 侶 と の 通 常 の 関 係 以 上 に 濃 密 で 親 密 な も の で あ っ た こ と は 夙 に 知 ら れ て い る。 そ の 交 際 の 一 繭 を 今 に 表 す 事 績 に、 空 海 が 乙 訓 寺 に 在 住 し て い た 時 に、 嵯 峨 帝 に 寺 の 柑 橘 樹 の 実 を 鰍 上 す る ﹁ 献 柑 子 表 ﹂ ( ﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻 第四)が残さ れ て い る。 ﹁ 献 柑 子 表 ﹂ は 年 月 日 を 欠 い て い る が、 内 容 か ら、 乙 訓 寺 の 柑 子 を 嵯 峨 天 皇 に 献 上 し た こ と は 明 ら か で あ る。 空 海 ( 1 ) ( 2 ) の 乙 訓 寺 在 住 は 嵯 峨 天 皇 の 命 で 弘 仁 二 年 十 一 月 の 初 に 移 住 し、 弘 仁 三 年 十 月 二 十 九 日 に 再 び 高 雄 山 寺 に 戻 っ て い る。 文 中 に ﹁ 例 に 依 り 奉 献 す ( 依 例 奉鰍)﹂とあ っ て、 前 年 に も 柑 子 を 献 上 し て い る の で、 退 去 前 の 弘 仁 三 年 十 月 の 中 旬 頃 に 作 ら れ た と 考 え ら れ る。 こ の 作 品 は 柑 子 鰍 上 の ﹁ 表 ﹂ の 次 に 七 言 八 句 の 詩 が 添 え ら れ、 最 後 に 献 上 品 の 内 容 な ど を 記 し た 後 文 の 三 つ の 部 分 よ り 構 成 さ れ て い る。 こ の よ う に 三 つ の 部 分 よ り 構 成 さ れ る 文 章 を、 全 髄 と し て ﹁ 表 ﹂ と 捉 え 得 る か ど う か 問 題 で あ 空 海 漢 詩 文 研 究 詩 を 通 じ て の 空 海 と 嵯 峨 天 皇 の 一 繭-﹁献柑 子 表 ﹂ に つ い て-密 教 文 化 (3) る。 少 な く と も、 ﹃ 文 選 ﹄ の ﹁ 表 類 ﹂ に 所 収 さ れ た 作 品 中 に は こ の よ う な 構 成 を 持 つ 文 章 は 見 当 た ら な い。 ﹃ 文 膿 明 辮 ﹄ ( 4 ) 収 載 の ﹁ 表 ﹂ の 文 例 に も こ の よ う な 三 部 構 成 の 文 章 は 無 か っ た。 空 海 は 各 種 の 奏 上 文 を 作 成 す る 時、 ﹃ 代 宗 朝 贈 司 空 ( 5 ) 大 辮 正 廣 智 三 藏 和 上 表 制 集 ﹄ ( 以 下 ﹃ 不 空 表 制 集 ﹄ と 称 す る ) を 参 照 し て い る が そ の 中 に も 見 出 せ な か っ た。 そ の 他 調 べ た 限 り で は 中 国 に は 類 例 を 見 出 せ な か っ た。 全 て の 文 章 を 調 べ る こ と は 出 来 な い が、 空 海 の 考 案 の 可 能 性 が 高 い と 考 え ら れ る。 こ の ﹁ 献 柑 子 表 ﹂ 以 外 に、 嵯 峨 天 皇 へ 奏 上 し た 漢 詩 文 は ﹁ 奉 謝 恩 賜 百 屯 綿 兼 七 言 詩 ・ 詩 一 首 井 序 ﹂ ( ﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻 第 三 ) と ﹁ 勅 賜 屏 風 書 了 即 鰍 表 井 詩 ﹂ ( ﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻 第 三 ) が 残 さ れ て い る。 ﹁ 献 柑 子 表 井 詩 ﹂ と 同 様 に ﹁ 表 ﹂ に 詩 を 添 え て い る。 嵯 峨 天 皇 の 漢 詩 へ の 嗜 好 に 対 し、 空 海 が 対 応 し た 為 と 言 え る か も し れ な い。 こ の 小 論 で は そ の 三 つ の 部 分 に 従 っ て、 各 々 原 文 の 構 成. 平 灰 と 書 下 し 文 及 び 解 釈 を 行 い た い。 更 に 疑 問 を 懐 い た ﹁ 千 年 一 聖 ﹂ の 典 故 に つ い て 検 討 を し た い と 考 え る。
1、
鰍
柑
子
表
1-(1)対句の構成 と 平 灰 こ の 表 は 八 十 七 字 の 短 い 文 章 で あ る。 そ の 為 か、 対 句 が 二 聯 と 少 な く、 騨 麗 文 の 範 疇 に 入 ら な い 文 章 か も し れ な い。 原 文 を 次 に 挙 げ、 対 句 部 分 の 平 灰 を 表 示 す る。沙 門 空 海 言、 乙 訓 寺 有 籔 株 柑 橘 樹。 依 例 交 摘 取 来。 I 問 敷 足 千。 II 金 者 不 攣 之 物 也。 i 看 色 如 金。 i 千 是 一 聖 之 期 也。 又 此 菓 本 出 西 域。 乍 見 有 興。 韓 課 拙 詩 敢 以 奉 上。 伏 乞、 天 慈 曲 垂 一 覧。 輕 顯 聖 眼、 伏 深 棟 催。 沙 門 空 海 誠 惇 誠 恐 謹 言。 こ の 文 の 対 句 の 平 灰 は 駐 麗 文 の 作 法 と 二 四 不 同、 二 六 通 の 原 則 か ら 見 れ ば 殆 ん ど 合 致 し て い な い。 1-(2)読み-書下し文 も サつ 沙 門 空 海 言 す。 乙 訓 寺 に 敷 株 の 柑 橘 の 樹 有 り、 例 に 依 り 交 じ へ 摘 み 取 り 来 た る。 敷 を 問 え ば 千 に 足 れ り、 色 を 看 れ く だ も の も と た ち ま き ょ う す な わ ヒ ば 金 の 如 し。 金 は 不 攣 の 物 な り、 千 は 是 れ 一 聖 の 期 な り。 又 此 の 菓 は 本 西 域 よ り 出 で た り。 乍 ち 見 る に 興 有 り、 轍 か ほ う じ ょ う け が 拙 詩 に 課 し て 敢 え て 以 っ て 奉 上 す。 伏 し て 乞 う、 天 慈 も て 曲 げ て 一 覧 を 垂 れ た ま え。 輕 々 し く 聖 眼 を 蹟 ん た て ま つ し ょ う く せ い こ う も う り、 伏 し て 深 く 煉 催 す。 沙 門 空 海 誠 捏 誠 恐 謹 ん で 言 す。 1-(3)解釈 こ の 文 章 は、 文 頭 に ﹁ 沙 門 空 海 言 ﹂ と ま ず 自 ら の ﹁ 名 ﹂ を 名 乗 り 言 上 す る 事 を 述 べ る。 文 尾 に 同 じ く ﹁ 沙 門 空 海 誠 憧 誠 恐 謹 言 ﹂ と 自 ら の ﹁ 名 ﹂ 或 い は ﹁ 身 分 ﹂ を 述 べ、 畏 ま っ て 言 上 し ま し た と 結 ぶ 形 式 は ﹁ 表 ﹂ の 文 膿 に 合 致 し て い 空 海 漢 詩 文 研 究 詩 を 通 じ て の 空 海 と 嵯 峨 天 皇 の 一 繭 -﹁献 柑 子 表 ﹂ に つ い て
-密 教 文 化 ( 6 ) る。 ﹁ 表 ﹂ は 天 子 に 奏 上 す る 時 に 用 い る 文 膿 の 一 種 で あ る。 ﹃ 文 心 雛 龍 ﹄ に 拠 れ ば、 漢 代 に 奏 上 文 の 文 膿 を ﹁ 章・ 奏 ・ の 表 ・ 議 ﹂ の 四 種 に 定 め た と し て い る。 ﹁ 章 ﹂ は 君 恩 に 感 謝 す る 時、 ﹁ 奏 ﹂ は 人 の 罪 を 告 発 す る 時、 ﹁ 表 ﹂ は 請 願 を 陳 べ ( 7 ) る 時、 ﹁ 議 ﹂ は 異 議 を 申 し 立 て る 時 に 用 い る 文 艦 で あ る。 ﹃ 文 罷 明 辮 ﹄ に は、 こ れ ら 四 種 の 中 で、 ﹁ 表 ﹂ は 最 も 広 い 用 途 に 用 い ら れ て い る と し て、 具 髄 的 な 用 途 を 列 記 し て い る。 又、 漢 各 代 で は、 散 文 が 多 く 使 わ れ、 唐 宋 代 で は 駐 麗 文 ( 8 ) が 多 く 用 い ら れ た と 評 し て い る。 空 海 は 奏 上 文 等 を 執 筆 す る 時 に、 多 く は ﹃ 不 空 表 制 集 ﹄ を 参 照 し て い る。 文 膿 及 び 文 章 構 成 ・ 語 彙 な ど を 依 用 し て い る 事 が 多 い。 ﹃ 不 空 表 制 集 ﹂ は 中 で も ﹁ 表 ﹂ が 多 く 収 載 さ れ、 不 空 の も の が 二 十 四 首 ・ 弟 子 等 が 三 十 三 首 の 多 数 に (9) 上 る。 空 海 も 奏 上 文 は 殆 ん ど ﹁ 表 ﹂ 形 式 を 使 っ て 多 用 途 に 用 い て い る。 ﹁ 表 ﹂ は 通 常 耕 麗 文 で 書 か れ る の で あ る が、 こ の ﹁ 献 柑 子 表 ﹂ 及 び ﹁ 奉 謝 恩 賜 百 屯 綿 兼 七 言 詩 ﹂ は 短 文 の 為 か 騨 麗 文 と は 云 い 難 い ほ ど 対 句 が 少 な い。 し か し、 空 海 作 の 殆 ん ど の ﹁ 表 ﹂ は 騨 麗 文 で 書 か れ て い る。 通 常、 天 皇 に 奏 上 す る と き は、 個 人 で あ れ ば、 ﹁ 解 文 ﹂ の 形 式 で、 所 轄 の 役 所 か ら 順 次 上 部 の 役 所 を 経 由 し て、 太 政 官 に 至 り、 天 皇 に 達 す る の で あ る が、 章. 表 等 は 直 接 天 皇 に 奏 上 で き る 為、 時 間 が 大 幅 に 短 縮 さ れ、 経 由 役 所 の 節 介 も 排 除 で き る。 し か し 誰 で も が 上 表 で き た 訳 で な く、 日 頃 天 皇 の 身 近 に い る 人 間 の み に 許 さ れ て い る 特 権 で あ る。 先 の ﹃ 文 選 ﹂ ﹃ 文 髄 明 辮 ﹂ の 例 を 見 て も、 ﹁ 表 ﹂ の 作 者 は 天 子 の 側 近 者. 高 位 者 ・ 皇 族 な ど で 占 め ら れ て い る。 空 海 が 多 様 な ﹁ 表 ﹂ を 上 表 し て い る 事 は、 そ れ だ け 嵯 峨 天 皇 や 淳 和 天 皇 に 信 頼 さ れ、 常 に 身 近 に い て 親 し く 交 際 さ れ て い た 事 の 証 左 と 云 え る。
乙 訓 寺 の 柑 橘 の 樹 は ど の 様 な 品 種 の 物 か 今 日 で は 不 明 で あ る。 現 在 の 乙 訓 寺 に 空 海 の 時 の 子 孫 の 樹 が 伝 承 さ れ て 残 っ て い る。 し か し、 現 在 の 乙 訓 寺 は、 当 時 の ま ま で な く、 そ の 間 何 度 も 戦 火 な ど で 消 失 し、 往 年 の 面 影 は 無 く、 規 模 も 六 分 の 一 程 に 縮 小 し て い る。 従 っ て、 伝 承 さ れ て い る 柑 橘 樹 は 真 の も の か ど う か 確 認 す る 方 法 が な い。 こ の 現 在 の 柑 橘 樹 は 食 用 で は な く、 現 今 の 蜜 柑 類 か ら 見 る と、 比 較 的 小 粒 で あ る。 十 一 月 頃 実 が 熟 す。 ﹁ 例 に 依 り 交 え 摘 み 取 り 来 る。 数 を 問 え ば 千 に 足 れ り、 色 を 看 れ ば 金 の 如 し ( 依 例 交 摘 取 来。 問 敷 足 千、 看 色 如 金 ) ﹂ と 先 ず 述 べ て、 次 に、 蜜 柑 の 色 が 金 色 で 収 穫 し た 数 量 が 千 個 で あ る 事 に な ぞ ら え て、 嵯 峨 帝 が 千 年 に 一 度 現 れ る 聖 天 子 で あ り、 そ の 治 世 が 恒 久 で あ り、 金 の 如 く 光 り 輝 い て い る と 賛 美 す る。 こ の 一 連 の 叙 述 は 後 の 詩 の 第 三 句 ﹁ 星 の 如 く 玉 の 如 き 黄 金 の 質 な り (如 星 如 玉 黄 金 質 ) ﹂ と 第 七 句 ﹁ 鷹 に 千 年 に 一 聖 の 會 を 表 す べ し ( 鷹 表 千 年 一 聖 會 ) ﹂ 及 び 第 八 句 ﹁ 墓 じ の ぼ り 摘 み て 持 ち き た り、 我 が 天 子 に 鰍 ず (墓 摘 持 献 我 天 子 ) ﹂ に 引 き 継 が れ て 表 現 さ れ て い る。 ﹁ 例 に 依 り ﹂ は 後 文 に も ﹁ 例 に 依 り 奉 献 す ﹂ と 記 述 さ れ て い る の で、 柑 子 の 献 上 が 前 年 か ら 引 続 き な さ れ て い た 事 が 判 る。 空 海 が 前 年 の 赴 任 間 も な く、 実 っ て い る 柑 子 を 見 つ け、 鰍 上 し た こ と を 意 味 し て い る の か、 空 海 以 前 よ り、 乙 訓 寺 の 恒 例 と し て、 毎 年 朝 廷 に 献 上 し て い た の か、 ど ち ら も 考 え ら れ る。 ﹁ 依 例 ﹂ の 用 例 を 調 べ て み る と、 典 故 と な る も の は 無 い が、 中 国 二 十 五 史 に 用 例 が 多 く、 ﹁ 通 例 ﹂ ﹁ 判 例 ﹂ ﹁ 成 例 ﹂ 等 の 意 味 に 用 い ら れ て お り、 ﹁ し き た り に 従 っ て ﹂ と 解 す る こ と に し た い。 従 っ て、 柑 子 の 鰍 上 は 乙 訓 寺 の 恒 例 の し き た り に 空 海 も 則 っ て、 自 ら 摘 み 採 っ て、 詩 を 添 え て 鰍 上 し た と 考 え ら れ る。 ﹁ 金 は 不 攣 の 物 な り ( 金 者 不 攣 之 物 也 ) ﹂ と ﹁ 千 は 是 れ 一 聖 の 期 な り ( 千 是 一 聖 之 期 也 ) ﹂ は 対 句。 金 は 錆 び ず 変 色 し な い 金 属 で あ る 事 は 古 代 よ り 良 く 知 ら れ た 事 で、 中 国 に 限 ら ず、 全 人 類 が 珍 重 し て い る。 空 海 漢 詩 文 研 究 詩 を 通 じ て の 空 海 と 嵯 峨 天 皇 の 一 餉 -﹁ 献 柑 子 表 ﹂ に つ い て
-密 教 文 化 ﹁ 千 は 是 れ 一 聖 の 期 な り ﹂ は、 後 の 詩 の 第 七 句 ﹁ 鷹 に 千 年 に 一 聖 の 會 を 表 す べ し ﹂ と 同 じ く、 聖 人 は 千 年 毎 に 一 人 世 に 現 れ る と の 意 味 で あ る。 何 ら か の 典 故 に 基 づ い て、 表 現 さ れ て い る は ず だ が、 そ の 典 拠 が は っ き り し な い。 今 ま で の 註 釈 も 様 々 で あ っ て、 説 得 力 に 欠 け る。 こ れ に つ い て は、 後 に 一 節 を 設 け て 論 及 す る。 ﹁ 又 此 の 菓 は 本 西 域 よ り 出 で た り ( 又 此 菓 本 出 西 域 ) ﹂ は、 柑 子 が 西 域 よ り 伝 来 し た こ と を 述 べ て い る。 日 本 で は、 か ら た ち 柑 橘 類 の 内、 橘 や 枳 殻 等 は 古 く か ら 自 生 し て い た が、 柑 子 は 現 在 の 蜜 柑 属 の 古 品 種 で 奈 良 時 代 に 中 国 か ら 伝 来 し た ら し い。 元 の 原 種 は イ ン ド 東 北 部 の 野 生 種 で、 古 代 に は 陸 伝 い に、 東 南 ア ジ ア や 中 国 に 伝 播 栽 培 さ れ、 多 く の 品 種 に 分 ( 10 ) 化 し た。 中 国 で は 漢 代 に 五-六 種 の 柑 子 が あ り、 乙 訓 寺 の 柑 子 が ど の 品 種 の 物 か 不 明 で あ る が、 朝 廷 に 獄 上 す る ほ ど (11) で あ る か ら、 甘 く て 美 味 で あ っ た と 思 わ れ る。 ﹃ 本 草 綱 目 ﹄ に よ れ ば、 最 上 の も の を 乳 柑 (真 柑 ) と い い、 西 戎 に 産 す る も の が 佳 し と さ れ て い る の で、 柑 子 が 西 域 原 産 と 記 述 し て い る 事 は、 当 時 の 知 見 で あ っ た 事 が 首 肯 で き る。 ﹁ 乍 ち 見 る に 興 有 り、 轍 拙 詩 に 課 し て 敢 え て 以 っ て 奉 上 す。 ( 乍 見 有 興、 轍 課 拙 詩、 敢 以 奏 上。 ) ﹂ は ﹁ 柑 子 を 見 て 興 を 発 し て、 詩 を 作 り、 嵯 峨 帝 に 奏 上 す る ﹂ 事 で あ る。 ﹁ 興 ﹂ は ﹃ 毛 詩 ﹄ の ﹁ 大 序 ﹂ の ﹁ 詩 の 六 義 ﹂ の 四 ﹁ 興 ﹂ の 意 ( 12 ) 味 で 空 海 が 用 い た と 考 え ら れ る。 ﹁ 興 ﹂ は 詩 の 表 現 法 の 一 つ で あ る。 あ る 事 物 を 述 べ て、 そ の 事 物 か ら 引 き 興 さ れ る 事 柄 ( 本 題 ) を 述 べ る 事 で あ る。 こ の 場 合 は 柑 子 を 述 べ て、 そ の 数 の ﹁ 千 ﹂ と そ の 色 の ﹁ 金 ﹂ か ら、 ﹁千 年 一 聖 ﹂ と ﹁ 黄 金 の 質 ﹂ を 引 き 起 し、 皇 室 と そ の 治 世 が 不 変 で 光 輝 い て お り、 千 年 に 一 度 現 れ る 聖 天 子 の 如 き 帝 に ま み え る 事 が 出 来 た 空 海 の 幸 運 を 述 べ る 事 で あ っ た。 本 文 と 詩 を 含 め、 こ の 作 品 の キ ー ワ ー ド は ﹁ 千 年 一 聖 ﹂ と ﹁ 黄 金 の 質 ﹂ で あ る。 ﹁ 黄 金 の 質 ﹂ は 万 人 の 認 め る と こ
ろ で 良 と し て、 受 け 取 る 側 の 嵯 峨 帝 が す ん な り と 了 解 す る に は、 ﹁ 千 年 一 聖 ﹂ の 典 故 が 胸 落 ち で き る も の で な け れ ば な ら な い。 こ の 意 味 で も 後 節 で 検 討 を 行 い た い。 ﹁ 伏 し て 乞 う、 天 慈 も て 曲 げ て 一 覧 を 垂 れ た ま え、 輕 し く 聖 眼 を 顯 し た て ま つ り、 伏 し て 深 く 煉 催 す ( 伏 乞 天 慈 曲 垂 一 覧、 輕 顯 聖 眼。 伏 深 棟 催。 ) ﹂ は 奏 上 し た 詩 に 対 し、 天 子 ・ 天 皇 に 対 す る 最 大 限 の 謙 譲 語 を 用 い て、 重 ね て 謙 遜 の 意 を 表 し て い る。 ﹁ 伏□⋮曲垂□□⋮﹂﹁輕顯□□⋮﹂﹁伏深□□⋮﹂等の文章 表 現 ・ 語 句 等 は ﹁ 表 ﹂ な ど 奏 上 文 に し ょ う も ん し ん げ ん せ ん え つ 用 い る 常 套 的 な 表 現 で あ る。 ﹁ 伏 望⋮曲垂省 問 ﹂ ﹁ 輕 顯 震 嚴 ﹂ ﹁ 伏 深 職 越 ﹂ な ど ﹃ 不 空 表 制 集 ﹄ に 同 様 の 用 例 が 見 出 せ る。 ﹁ 天 慈 ﹂ は 天 子 の 慈 悲。 ﹁ 聖 眼 ﹂ は 天 子 の 眼。 ﹁ 悼 催 ﹂ は お そ れ お の の く 事。 現 代 訳 に す れ ば ﹁ な に と ぞ、 陛 下 の 慈 悲 を も っ て 御 一 覧 戴 き た く、 そ の た め に 御 眼 を 汚 す こ と に な り ま す の で、 深 く お そ れ お の の い て お り ま す。 ﹂ と で も な ろ う か。 ﹁ 沙 門 空 海 誠 捏 誠 恐 謹 言 ﹂ は 上 表 文 の 文 尾 に 用 い る 常 套 句 で あ る。 ﹃ 不 空 表 制 集 ﹄ で は 不 空 の 二 十 四 首 の ﹁ 表 ﹂ に せ い か ん せ い き ﹁ 沙 門 不 空 (智 藏 ) 誠 憧 誠 恐 謹 言 ﹂ の 用 例 が 五 例 あ る。 他 に ﹁ 誠 歓 誠 喜 謹 言 ﹂ が 六 例 用 い ら れ て い る。 そ の 他 は 全 て ﹁ 誠□誠□謹言﹂の表 現 で ﹁ 表 ﹂ の 内 容 に よ っ て□に適宜 文 字 を 用 い て 使 い 分 け が な さ れ て い る。 ﹃ 文 選 ﹄ の 用 例 を 挙 ち ょ し ぎ し ん つ ゆ つ げ れ ば、 文 章 篇 ﹁ 表 類 ﹂ ( 巻 三 十 八 ) に 任 肪 作 ﹁ 楮 諮 議 葵 の 為 に 兄 に 代 わ り て 封 を 襲 ぐ を 譲 る 表 ﹂ の 文 尾 に ﹁ 臣 誠 憧 ( 13 ) 誠 恐 ﹂ と 用 い ら れ て い る。 空 海 は こ の 中 で ﹁ 誠 憧 誠 恐 ﹂ の 組 合 せ を 好 ん で、 殆 ん ど 全 て の ﹁ 表 ﹂ に 用 い て い る。
2、
七
言
詩
空 海 漢 詩 文 研 究 詩 を 通 じ て の 空 海 と 嵯 峨 天 皇 の 一 駒-﹁献柑 子 表 ﹂ に つ い て-密 教 文 化 2 -(1) 押 韻 と 平 灰 七 言 八 句 の 古 腔 詩。 押 韻 は 第 二 句 ﹁ 美 ﹂ 第 四 句 ﹁ 篁 ﹂ が 上 聲 第 五 番 ﹁ 旨 ﹂ 韻。 第 六 句 ﹁ 里 ﹂ 第 八 句 ﹁ 子 ﹂ が 上 聲 第 六 番 ﹁ 止 ﹂ 韻。 ﹁ 旨 ﹂ 韻 と ﹁ 止 ﹂ 韻 は 同 用 韻 で あ る。 平 灰 は ﹁ 二 四 不 同 ﹂ と ﹁ 二 六 対 ﹂ に 合 わ な い と こ ろ が 三 箇 所 あ る。 1 桃 李 錐 珍 不 耐 寒 2 宣 如 柑 橘 遇 霜 美 3 如 星 如 玉 黄 金 質 4 香 味 鷹 堪 實 篁 篁 5 太 奇 珍 妙 何 将 来 6 定 是 天 上 王 母 里 7 鷹 表 千 年 一 聖 會 8 墓 摘 持 鰍 我 天 子 2-(2)読み1書下し文 し 桃 李 珍 な り と 錐 も 寒 さ に 耐 え ず、 豊 に 柑 橘 の 霜 に 遇 う の 美 に 如 か ん や。 星 の 如 く 玉 の 如 き 黄 金 の 質 な り。 香 味 は ま ふ き み は な は ま れ い ず こ さ に 薫 篁 に 實 つ る に 堪 え る べ し。 太 だ 奇 に し て 珍 妙 な り 何 よ り 将 来 す る や。 定 あ て 是 れ 天 上 の 王 母 の 里 な ら ん。 ま さ あ ら わ に 千 年 に 一 聖 の 會 を 表 す べ し、 墓 じ の ぼ り 摘 み て 持 ち き た り、 我 が 天 子 に 献 ず。 2-(3) 解釈 八 句 の 古 髄 詩 で あ る が、 対 句 は 用 い ら れ て い な い。 内 容 は 二 句 を 一 聯 と し て 起 承 転 結 の 構 成 と な っ て い る。 即 ち、 第 一 句 ・ 二 句 で、 美 味 で 珍 重 さ れ て い る 桃 李 が 夏 に 実 り、 柑 子 が 冬 に 実 る こ と に 着 眼 し て、 柑 橘 を 桃 李 と 比 較 し て、
柑 子 の 美 点 を 述 べ る こ と か ら 始 ま り、 更 に そ れ を 受 け て、 第 三 句 ・ 四 句 で 柑 子 の 美 点 を よ り 具 艦 的 に 述 べ る。 第 五 句. 六 句 で、 転 じ て 柑 子 が 西 王 母 の 里 か ら 来 た も の か と 発 想 を 転 換 し て 読 む 者 を 驚 か す。 最 後 に 第 七 句 ・ 八 句 で 千 年 に 一 度 現 れ る と い う 聖 天 子 に 嵯 峨 帝 を 擬 し て、 聖 天 子 の 如 き 嵯 峨 帝 に 巡 り 会 え た 喜 び を 述 べ、 珍 奇 な る 柑 子 を 摘 み 取 り 奉 献 す る と 主 旨 を 述 べ る。 先 の ﹁ 表 ﹂ と 同 じ 内 容 を、 詩 に 構 成 し て 完 壁 に 作 ら れ て い る。 こ の 詩 も 空 海 の 漢 詩 文 の 特 徴 で あ る 畳 句 と 数 詞 を 第 三 句 ﹁ 如 星 如 玉 ﹂ と 第 七 句 ﹁ 千 年 一 聖 ﹂ に 用 い て い る。 語 句 の 解 釈 は 前 節 で の ﹁ 表 ﹂ の 解 釈 と 共 通 す る 部 分 を 除 い て、 こ の 詩 で 用 い ら れ て い る 語 句 に つ い て 次 に 述 べ る。 ふ き 第 四 句 ﹁ 董 篁 ﹂ は ﹃ 便 蒙 ﹄ の 解 釈 の 如 く、 穀 類 な ど を 宗 廟 に 供 え る 時 に 用 い る 祭 器 で あ る。 第 六 句 ﹁ 天 上 王 母 里 ﹂ は こ ん ろ ん ﹁ 王 母 ﹂ は 西 王 母 の こ と で、 西 方 毘 喬 山 に 住 す る 伝 説 上 の 仙 女 の 事 で あ る。 ﹃ 便 蒙 ﹄ で は ﹁ 列 仙 全 傳 ﹂ と ﹁ 漢 武 内 傳 ﹂ を 引 き、 詳 し く 説 明 し て い る。 そ れ に よ れ ば 三 千 年 に 一 度 実 る 仙 桃 を 帝 に 四 個 与 え、 西 王 母 自 ら は 三 個 食 し た と の 伝 説 が あ る。 空 海 も 当 然 こ の 伝 説 を 存 知 し て い た 筈 で、 先 の 詩 に ﹁ 桃 李 ﹂ を 用 い て、 柑 子 が 西 域 の 原 産 で あ る こ と か ヴ、 柑 子 が 西 王 母 の 里 の 産 だ と す る 連 想 を 得 た と 思 わ れ る。 し か し、 柑 子 と 西 王 母 を 結 び つ け る よ う な 典 故 や 典 籍 な ど な く、 こ の 発 想 は 空 海 独 自 の 感 性 か ら 出 て い る と 思 わ れ る。 以 上 で ﹁ 詩 ﹂ の 部 の 解 釈 を 終 え る。 3、 後 文 3 -(1) 原 文 こ の 後 文 は 駐 催 文 で は な い が、 ほ ぼ 四 字 六 字 の 文 で 構 成 さ れ て い る。 空 海 漢 詩 文 研 究 詩 を 通 じ て の 空 海 と 嵯 峨 天 皇 の 一 繭 -﹁献 柑 子 表 ﹂ に つ い て
-密 教 文 化 小 柑 子 六 小 櫃、 大 柑 子 四 小 櫃。 右 乙 訓 寺 所 出、 依 例 奉 献。 謹 遺 寺 主 僧 願 演、 随 状 奉 進 謹 進。 3 -(2)読み-書下し文 じ し ゅ 小 柑 子 六 小 櫃、 大 柑 子 四 小 櫃。 右 乙 訓 寺 の 所 出 な り、 例 に 依 っ て 奉 献 す。 謹 ん で、 寺 主 僧 願 演 を 遣 わ す、 状 に 随 っ て 奉 進 謹 進 す。 3-(3)解釈 ﹁ 後 文 ﹂ は 柑 子 を 木 箱 に 詰 め て、 寺 主 の 願 演 を 遣 わ し て 送 る 事 を 述 べ そ の 数 量 と 産 地 を 記 し て い る。 空 海 は し ば し (14) ば 文 物 な ど を 嵯 峨 帝 に 奉 献 し て い る が、 何 れ も ﹃ 不 空 表 制 集 ﹄ の ﹁ 状 ﹂ の 文 髄 を 参 照 し て 制 作 さ れ て い る。 ﹁ 状 ﹂ は 先 ず、 奉 献 す る 文 物 の 名 前 ・ 数 量 な ど の 明 細 を 列 記 し、 次 に ﹁ 右 ﹂ と し て 文 物 の 説 明 を 加 え る。 次 に 皇 帝 の 徳 な ど を 称 え る 文 章 を い れ て、 最 後 に ﹁ 謹 随 状 ( 奉 ) 進 ﹂ と し て、 文 尾 に ﹁ 謹 進 ﹂ と 結 ぶ。 こ の ﹁ 後 文 ﹂ は ﹁ 状 ﹂ と し て 独 立 し た 奏 上 文 で は な い が、 皇 帝 の 徳 を 称 え る 文 章 は 先 の ﹁ 表 ﹂ と 重 複 す る の で 省 略 し て、 他 の 部 分 は ﹁ 状 ﹂ の 形 式 で 書 か れ て い る。 ﹁ 櫃 ﹂ は 木 箱。 ﹁ 寺 主 ﹂ は ﹁ 上 座 ﹂ ﹁ 都 維 那 ﹂ と 共 に 三 綱 の 一 で あ る。 寺 院 運 営 を 分 担 し、 寺 の 経 済 な ど の 事 務 を 掌 っ て い る。 ﹁ 願 演 ﹂ は ﹃ 便 蒙 ﹄ に は 行 業 不 詳 と し て い る。 空 海 の 弟 子 に は 見 あ た ら な い。 空 海 の 着 任 前 よ り 乙 訓 寺 に 在 住 し て、 寺 主 の 役 に 就 任 し て い た と 思 わ れ る。
4 、 ﹁ 千 年 一 聖 ﹂ の 典 故 き ょ う 詩 文 を 作 成 す る に つ い て 、 劉 鋸 撰 ﹃ 文 心 離 龍 ﹄ の ﹁ 事 類 第 三 十 八 ﹂ で そ の 要 諦 を 述 べ て い る 。 天 賦 の 表 現 力 . 創 作 力 に 加 え 、 学 問 の 蓄 積 の 結 果 、 古 の 典 拠 あ る 言 葉 や 事 柄 を 適 切 に 援 用 し て 、 現 在 の 事 理 を 明 ら か に す る こ と が 出 来 る の で 、 勝 れ た 詩 文 が 出 来 上 が る 。 天 賦 の 才 と 典 故 の 活 用 の 双 方 相 伴 っ て 、 名 作 が 出 来 る の で あ っ て 、 ど ち ら か が 欠 け め る と つ ま ら ぬ 作 品 と な る と 主 張 し て い る 。 空 海 は 天 賦 の 才 と 土 ハ に 学 も 積 み 、 典 故 を 活 用 し 、 中 国 人 に 劣 ら ぬ 名 文 を 作 っ た こ と は 周 知 の 事 実 で あ る 。 こ の ﹁ 献 柑 子 表 ﹂ の キ ー ワ ー ド で あ る ﹁ 千 年 一 聖 ﹂ も 、 嵯 峨 帝 に も 了 知 さ れ る 事 を 前 提 と し て 、 何 ら か の 典 故 に 基 づ い て 用 い た に 違 い な い と 思 わ れ る 。 従 っ て 、 ﹁ 表 ﹂ 本 文 の ﹁ 千 は 是 れ 一 聖 の 期 な り ( 千 是 一 聖 之 期 也 ) ﹂ と 添 付 の 詩 の 第 七 句 ﹁ 鷹 に 千 年 に 一 聖 の 會 を 表 す べ し (鷹 表 千 年 一 聖 會 ) ﹂ の 典 故 に つ い て 、 古 来 よ り 註 釈 さ れ て き た が 、 そ の 解 釈 は 一 様 で な く 、 様 々 で あ る 。 そ こ で 、 こ の 節 で は 、 空 海 自 身 が 何 を 典 故 と し て 用 い た か を 、 あ ら た め て 検 討 す る 事 に し た い 。 そ の 為 に は 先 ず 先 学 の 解 釈 に つ い て 、 適 切 か 否 か を 検 討 し 、 し か る 後 に 筆 者 の 見 解 を 述 べ よ う 思 う 。 4-(1)これまでの解釈 (16) 明 治 以 前 の 注 釈 書 に は 主 た る 二 つ の 流 れ が あ り 、 明 治 以 降 は 概 ね そ の 解 釈 に 従 っ て い る 。 た だ 、 宮 坂 宥 勝 代 表 編 輯 ﹃ 弘 法 大 師 空 海 全 集 ﹄ ( 筑 摩 書房)では、独自の解釈が な さ れ て い る 。 こ れ 以 外 の 解 釈 と し て 、 世 に あ ま り 存 知 さ れ て 空 海 漢 詩 文 研 究 詩 を 通 じ て の 空 海 と 嵯 峨 天 皇 の 一
餉-﹁献柑子表﹂について-密 教 文 化 (17) い な い が、 高 野 山 ・ 真 別 所 円 通 律 寺 所 蔵 の ﹃ 性 霊 集 聞 書 ﹄ ( 以 下 ﹃ 真 別 聞 書 ﹄ と 称 す る ) が あ る。 (18)しゅく え ん す A⋮現存す る 最 も 古 い 注 釈 書 で あ る ﹃ 性 霊 集 略 注 ﹂ は、 二 聖 の 期 は ( 一 聖 之 期 者 )、 李 粛 遠、 運 命 論 曰 く、 黄 河 清 つ ま ん で 聖 人 生 る (黄 河 清 而 聖 人 生 )。 注 云、 黄 河 千 年 に 一 た び 清 む (黄 河 千 年 一 清 )、 清 め ば 聖 人 の 時 に 生 ま る る な り ( フ (19) 聖 人 生 於 時 也 )。 ﹂ と 注 釈 し て い る。 李 粛 遠 の ﹁ 運 命 論 ﹂ は ﹃ 文 選 ﹄ 巻 五 十 三 に 所 載 さ れ て い る。 ﹁ 注 ﹂ は 五 臣 注 の 李 し ゅ ろ が ん (20) (21) 周 翰 の 注 で あ る。 ﹃ 五 臣 注 文 選 ﹄ の 原 文 に は ﹁ フ ( 清 ) ﹂ の 次、 聖 人 の 前 に ﹁ 則 ﹂ の 字 が あ る。 ﹃ 性 霊 集 絨 石 紗 ﹄ と (22) ﹃ 性 霊 集 紗 ﹄ は、 ﹃ 性 霊 集 略 注 ﹄ と 殆 ん ど 同 文 の 註 釈 を 記 述 し て い る。 空 海 は ﹃ 文 選 ﹄ を 熟 知 し、 そ の 著 作 に ﹃ 文 選 ﹂ の 表 現 法 や 語 句 を 多 用 し 参 照 し て い る こ と は 良 く 知 ら れ た 事 実 で あ (23) る。 常 に ﹃ 文 選 ﹂ を 手 元 に 置 い て い た 事 が 窺 わ れ る。 こ の 解 釈 で は 空 海 が ﹃ 五 臣 注 文 選 ﹄ を 収 得 し、 参 照 し て い た こ と に な る。 ﹃ 五 臣 注 文 選 ﹄ は 唐 ・ 開 元 六 年 ( 七 一 八 ) に 成 立 し て い る の で、 空 海 が 入 唐 時 に 目 を 通 し た か も し れ な い。 し か し、 今 日 の 研 究 で は、 ﹃ 五 臣 注 文 選 ﹄ は ﹃ 白 氏 文 集 ﹄ と 共 ハ に 将 来 さ れ た と さ れ て い る の で、 空 海 が ﹃ 五 臣 注 文 選 ﹄ (24 ) を 熟 知 し て い た 可 能 性 は 低 い と 考 え ら れ る。 通 常 ﹃ 文 選 ﹄ は 養 老 二 年 ( 七 一八)の令で 進 士 の 試 問 に 定 め ら れ、 そ の ( 25 ) 後 大 学 で の 進 講 に 用 い ら れ た が、 そ の テ キ ス ト は ﹃ 李 善 注 文 選 ﹄ が 使 わ れ た 可 能 性 が 高 い。 従 っ て、 ﹃ 五 臣 注 文 選 ﹄ の ﹁ 運 命 論 ﹂ か ら の 引 用 と す る ﹃ 性 霊 集 略 注 ﹄ 等 の 解 釈 は 成 り 立 た な い。 ま た、 そ の 引 く 所 の 意 味 も 黄 河 が 千 年 に 一 度 澄 む 時 に 聖 人 が 現 れ る 伝 説 を 指 し て い る の で あ っ て、 空 海 が 意 図 し た 意 味 か ら 少 し 外 れ る と 思 う。 B⋮﹃性霊集 聞 書 ﹂ は 各 所 に 写 本 が 伝 存 さ れ て い て、 内 容 は ほ ぼ 同 じ で あ る。 代 表 的 な も の に、 東 寺. 観 智 院 本 が あ ( 26 ) る。 注 釈 は ﹁ 一 聖 の 期 と は 一 千 年 を 期 と し て 聖 人 出 世 す る 故 也 ( 一 聖 之 期 者、 一 千 年 期 聖 人 出 世 故 也 ) ﹂ と し て、 語
句 の 解 釈 の み で 典 故 の 言 及 は な い。 か ん し そ れ す な わ ち ひ と い C⋮﹃性霊集 便 蒙 ﹄ は ﹁ 桓 子 新 論 日、 夫 聖 人 は 乃 千 載 に 一 た び 出 づ (夫 聖 人 乃 千 載 一 出 ) ﹂ と 注 釈 し て い る。 ﹃ 桓 子 ( 27 ) か ん た ん 新 論 ﹄ は 後 漢 の 桓 謂 の 著 作 で あ る が、 早 く 六 朝 の 宋 代 に 逸 失 し て い る。 そ の 断 片 章 句 は 何 種 類 か の 漢 籍 の 注 繹 な ど に (28) せつぶ(29) (30) 引 用 さ れ、 現 在 は ﹃ 太 平 御 覧 ﹄ と ﹃ 説 郭 ﹄ に 比 較 的 ま と ま っ た 一 部 の 文 章 が 残 る の み で あ る。 運 傲 が 典 拠 と し た こ の こ ん つ 一 文 は ﹃ 文 選 ﹄ 巻 三 十 七 収 載 の 劉 現 ﹁ 勧 進 表 ﹂ の 対 句 の 一 文 ﹁ 命 世 の 期 に 鷹 じ、 千 載 の 運 を 紹 ぐ。 (磨 命 世 之 期、 紹 千 載 之 運 ) ﹂ に 対 す る 李 善 注 に ﹁ 桓 子 新 論 日、 夫 れ 聖 人 は 乃 ち 千 載 に 一 た び 出 づ (夫 聖 人 乃 千 載 一 出 ) ﹂ に あ る。 運 敬 は そ れ を 引 い て 注 釈 に し て い る。 ( 31 ) え い 劉 現 ﹁ 勧 進 表 ﹂ は、 西 奮 が 滅 び、 中 原 が 異 民 族 に 席 巻 さ れ た 時、 劉 現 が 皇 族 の 司 馬 容 に 皇 帝 に な る よ う に 勧 め た 表 で あ る。 千 載 に 一 人 出 る 聖 王 の 運 気 を 持 ち 合 わ せ て お ら れ る の だ か ら、 ま さ に 機 は 熟 し て お り ま す。 と 促 す 一 文 で あ る。 司 馬 容 は 南 に 逃 れ、 建 業 ( 南 京 ) で 即 位 し 東 晋 初 代 の 帝 ・ 元 帝 と な っ た。 少 し 煩 雑 に な る が、 こ の 李 善 注 の 全 文 は ﹁ 孟 子 日、 五 百 年 に 必 ず 王 者 興 る こ と 有 り、 そ の 間 に 必 ず 命 世 の 者 有 る な お も ま み り。 廣 雅 日、 命 は 名 な り。 桓 子 新 論 日、 夫 れ 聖 人 は 乃 ち 千 載 に 一 た び 出 つ れ ば、 賢 人 君 子 は 想 思 う 所 な れ ど、 見 ゆ る りつ 得 べ か ら ざ る な り。 ( 孟 子 日、 五 百 年 必 有 王 者 興、 其 間 必 有 命 世 者 也。 廣 雅 日、 命 名 也。 桓 子 新 論 日、 夫 聖 人 乃 千 載 一 出、 賢 人 君 子 所 想 思、 而 不 可 得 見 也。 ) ﹂ で あ る。 李 善 は 孟 子 の 王 者 五 百 年 説 と 桓 調 の 聖 人 千 載 説 を 並 べ て 提 示 し て い る が、 桓 謂 の 千 載 説 の 典 故 が よ く 判 ら な い。 桓 謳 は 先 に 触 れ た ﹁ 黄 河 千 年 一 清 ﹂ の 伝 説 を 頭 に 置 い て、 こ の 一 文 を 書 い た の か ど う か、 こ の 断 片 の み で、 前 後 の 文 が 残 っ て い な い の で そ の 文 脈 が 良 く 判 ら な い。 か っ か そ う よ う ま た、 語 句 の 意 味 は 空 海 の 用 法 と 通 じ る が、 全 く 同 じ 語 句 で は な く、 典 故 と す る に は 隔 靴 掻 痒 の 感 を 免 れ 得 な い。 空 海 漢 詩 文 研 究 詩 を 通 じ て の 空 海 と 嵯 峨 天 皇 の 一
餉-﹁献柑子表﹂について-密 教 文 化 か か い D⋮﹃真別聞 書 ﹄ は ﹁ 文 選 西 征 賦 日、 千 載 の 嘉 會 に 遭 う ( 遭 二 千 載 之 嘉 會 一)。 注 濟 日、 千 年 に 一 聖 あ り、 我 れ 今 之 に ( 32 ) 遭 遇 す。 此 れ 嘉 會 為 り。 ( 千 年 一 聖 我 今 遭 二 遇 之 一、 此 爲 二 嘉 會 一 )。 ﹂ と 注 釈 し て い る。 ﹁ 西 征 賦 ﹂ は 播 岳 が 首 都 洛 陽 よ り 長 安 に 赴 任 す る 時 の 旅 を 詠 ん だ 賦 で あ る。 政 変 に 連 座 し て 謹 慎 中 の 溜 岳 を 長 安 令 に 任 用 し て く れ た 奮. 恵 帝 に 巡 り え ん せ い 合 っ た 幸 運 を 述 べ た 一 文 ﹁ 千 載 の 嘉 會 に 遭 う ﹂ に 対 す る ﹃ 五 臣 注 文 選 ﹄ の 呂 延 濟 の 注 を 引 い て い る。 注 の 全 文 を 挙 げ れ ば ﹁ 千 年 に 一 聖 あ り、 我 れ 今 之 に 遭 遇 す。 我 が 皇 の 徳 は 天 地 に 合 す る 者 な り を 謂 う。 此 れ 嘉 會 為 り。 (千 年 一 聖 我 今 遭 遇 之、 謂 我 皇 徳 合 天 地 者 也 此 爲 嘉 會 )。 ﹂ と あ る。 こ の 注 釈 は 空 海 の 意 図 し た 意 味 と 合 致 し て い る。 依 用 す る に 相 応 し い。 し か し、 先 に 検 討 し た 如 く ﹃ 五 臣 注 文 選 ﹄ を 空 海 が 参 照 し た 可 能 性 が 低 い と 考 え ら れ る 事 と、 嵯 峨 帝 が ﹃ 五 臣 注 文 選 ﹄ を 熟 知 し て い た か ど う か も 不 明 で あ る。 呂 延 濟 が ﹁ 千 年 一 聖 ﹂ の 典 拠 に 言 及 し て い な い の で、 典 故 と し て の 迫 力 に 欠 け る。 た だ、 ﹃ 五 臣 注 文 選 ﹄ が 当 時 普 及 し て い た と す れ ば、 こ の 注 釈 も 成 り 立 つ と 思 う。 E⋮宮坂宥勝 代 表 編 輯 ﹃ 弘 法 大 師 空 海 全 集 ﹄ 第 六 巻 の 注 で は、 ﹃ 後 漢 書 ﹄ ﹁ 儒 林 列 伝. 第 六 十 九 下 ﹂ の 賛 の 一 文 ﹁ 千 載 お こ え ん げ ん す し ょ う か い に し て 作 ら ず ん ば、 淵 源 誰 か 激 ま さ ん。 (千 載 不 作、 淵 源 誰 激 ) ﹂ に 対 す る 唐 ・ 李 賢 ( 章 懐 太子)の注 に ﹁ 若 し 千 載 の 一 聖 復 た 作 起 せ ざ れ ば、 則 ち 泉 原 は 混 濁 し 誰 か 能 く 之 を 激 ま さ ん。 ( 若 千 載 一 聖、 不 復 作 起、 則 泉 原 混 濁、 誰 能 激 之 ) ﹂ と あ っ て、 そ の 文 中 の ﹁ 千 載 一 聖 ﹂ を 引 い て い る。 如 何 に 後 世 に 著 名 に な っ た 李 賢 の 註 釈 で あ っ て も、 空 海 が 当 時 に ﹃ 後 漢 書 ﹄ の 列 伝 の 注 ま で 目 を 配 っ て い た か は 疑 問 で あ る。 ま た こ の 一 文 の 意 味 す る と こ ろ は、 空 海 の 用 法 と 全 く 異 な っ た 意 味 で 用 い ら れ て い る。 典 故 が 曲 故 と な り 得 て い な い。
は ん よ う 即 ち、 ﹃ 後 漢 書 ﹄ の 賛 は 撰 者 の 六 朝 の 宋. 萢 曄 が 記 述 し た も の で あ る。 儒 林 列 伝 は 儒 家 の 列 伝 で あ る が、 儒 教 の 道 を 説 く 者 の 千 差 万 別、 多 数 の 流 派 に 分 か れ て い る 有 様 を 嘆 き、 本 来 の 淵 源 を 明 ら か に 出 来 る 者 が い る だ ろ う か、 否、 今 に な っ て は 誰 も い な い と 評 し た 事 に 対 し て、 李 賢 が 更 に 孔 子 の 没 後 千 年 以 上 経 過 し て い る 現 在 (初 唐 ・ 六 七 八 年 ) を 踏 ま え、 孔 子 の 如 き 聖 人 が 現 れ な い 限 り、 淵 源 を 明 ら か に す る こ と が 出 来 な い と 応 じ て 解 釈 を 施 し た の で あ る。 一 聖 は 孔 子 を 指 し て お り、 孔 子 の よ う な 聖 人 は 二 度 と 再 び 現 れ な い だ ろ う 事 を 伏 線 と し て い る。 空 海 は ﹁ 千 年 一 聖 ﹂ で 尭 ・ 舜. 文 王 な ど の 聖 王 を 指 し 示 し、 嵯 峨 天 皇 を 古 の 聖 王 に 擬 し て 用 い た の で あ っ て、 ﹁ 千 載 一 聖 ﹂ は ﹁ 千 年 一 聖 ﹂ と 字 面 が 似 て い る け れ ど も、 意 味 す る 所 は 全 く 異 な る。 こ の 解 釈 は 単 に ﹃ 後 漢 書 ﹄ の 李 賢 注 を 偶 々 見 つ け て、 字 面 だ け 引 い て き た も の に 過 ぎ な い。 空 海 が 真 に 意 図 し た 典 故 と は と て も 言 え な い。 以 上 で ﹁ 千 年 一 聖 ﹂ の こ れ ま で の 解 釈 を 見 て き た が、 何 れ も 満 足 す べ き も の で な か っ た。 次 に 筆 者 の 解 釈 を 述 べ る こ と に す る。 4-(2)典故の検討 典 故 と は ﹃ 文 心 離 龍 ﹄ に 依 れ ば、 古 の 典 拠 あ る 言 葉 や 事 柄 を 適 切 に 援 用 し て、 現 在 の 事 理 を 明 ら か に す る こ と で あ っ た。 そ の 場 合 古 の 典 籍 と は 具 罷 的 に ど の 書 籍 を 言 う の か、 或 い は 単 に 作 者 が 制 作 す る 時 代 よ り 以 前 の 全 て の 書 籍 や 著 作 物 を 含 め て 漠 然 と し た 書 物 一 般 を 言 う の か。 現 今 で は 判 然 と し て い な い。 筆 者 の 不 勉 強 の 為 か、 典 故 に つ い て の 研 究 書 を 見 い だ す こ と が 出 来 ず、 こ の 点 に つ い て の 権 威 あ る 見 解 に 接 し て い な い。 鈴 木 虎 雄 氏 の ﹃ 駐 文 史 序 説 ﹄ で は、 ﹁ 典 故 (古 言 ・故事)の利用﹂の一 節 を 設 け、 曲 ハ故 の 対 句 の 用 例 と そ の 効 用 に 空 海 漢 詩 文 研 究 詩 を 通 じ て の 空 海 と 嵯 峨 天 皇 の 一
繭-﹁献柑子表﹂について-密 教 文 化 つ い て 述 べ ら れ て い る。 典 故 を ﹁ 典 ﹂ と ﹁ 故 ﹂ の 二 字 に 分 け ら れ、 ﹁ 典 ﹂ は ﹁ 古 典 に 存 す る 言 (言 辞 ) ﹂ で ﹁ 古 言 ﹂ と い い、 ﹁ 故 ﹂ は ﹁ 古 典 に 存 す る 事 ( 事 例 ) ﹂ で ﹁ 故 事 ﹂ と 称 す べ し と さ れ て い る。 即 ち、 ﹁ 典 ﹂ は 古 典 の 語 句 そ の ま ま 依 用 す る こ と で あ る。 ﹁ 故 ﹂ は 古 典 の 事 例 を 語 句 そ の ま ま で な く、 作 者 の 表 現 で 援 用 す る 事 で あ る。 し か し 残 念 な が ら ﹁ 古 典 ﹂ と は 何 を 指 す の か 具 髄 的 な 言 及 が な い。 ﹁ 典 故 ﹂ に 用 い る に は、 少 な く と も 中 国 の 読 書 人 ・ 知 識 人 が 熟 知 し て い る 典 籍 で な け れ ば、 意 味 が な い。 知 る 人 の 少 な い 稀 襯 書 か ら の 典 故 は 用 い な い と 思 わ れ る。 ま た、 時 代 の 浅 い 典 籍 で は そ の 権 威 が 確 立 し て い な い の で 万 人 を 納 得 さ せ る 事 が 出 来 な い。 そ こ で、 浅 学 非 才 で は あ る が、 ﹃ 文 選 ﹄ ﹃ 藝 文 類 聚 ﹄ ﹃ 文 心 離 龍 ﹄ な ど の 典 故 と 目 さ れ る 用 例 を 斜 酌 し て、 筆 者 の 見 解 を 述 べ れ ば、 古 の 典 籍 (古典)は漠 然 と し た 典 籍 で は な く、 少 な く と も 後 漢 前 半 の ﹃ 漢 書 ﹄ (33) (34) 成 立 前 後 の 時 代 以 前 の 著 作 で、 権 威 が 確 立 し て い る 典 籍 だ と 考 え る。 即 ち ﹁ 十 三 纒 ﹂ 及 び ﹁ 諸 子 ﹂ ﹃ 楚 辞 ﹄ ﹃ 史 記 ﹄ ﹃ 漢 書 ﹄ 等 で あ る。 そ れ 以 外 の 著 作 ・ 著 書 か ら の 語 句 等 の 依 用 は 引 用 で あ っ て、 典 故 と は 言 え な い と 思 う。 ﹁ 千 年 一 聖 ﹂ に つ い て、 先 に 述 べ た ﹁ 十 三 経 ﹂ な ど の 古 典 の 使 用 例 を 調 べ た が、 見 出 す 事 が 出 来 な か っ た。 前 節 で 検 討 し た よ う に 空 海 は 手 元 に ﹃ 李 善 注 文 選 ﹄ を 置 い て 何 か と 参 照 し て い た 可 能 性 が 高 い と 思 わ れ る。 そ こ で、 ﹃ 李 善 注 文 選 ﹄ で ﹁ 千 年 一 聖 ﹂ を 調 べ た 所、 ﹁ 蘇 武 に 答 ふ る の 書 ( 答 蘇 武 書 ) ﹂ ( 巻 四 十 一 ) の 本 文 で は な い が、 李 善 の 注 に 用 例 が 見 い だ せ た。 ( 35 ) ざ ん げ ん ﹁ 蘇 武 に 答 ふ る の 書 ﹂ は、 李 陵 が 旬 奴 と の 戦 い に 敗 れ、 捕 虜 と な り、 識 言 で 故 郷 の 母 ・ 妻 子 を 諌 殺 さ れ た 事 に よ り、 飼 奴 で 骨 を 埋 め る 決 心 を し て、 蘇 武 の 書 簡 に 対 し て 返 書 し た も の で あ る。 そ の 文 中 で、 功 績 あ る 優 秀 な 家 臣 に 対 す る、 か ぎ あ ふ ま こ と あ い せ い 漢 室 の 冷 た い 仕 打 ち を、 実 例 を 挙 げ て 述 べ て い る 箇 所 の 一 文 ﹁ 其 の 飴 の 佐 命 立 功 の 士、 質 誼 亜 夫 の 徒、 皆 信 に 命 世
そ な え (36)(37) の 才 に し て、 將 相 の 具 を 抱 く。 (其 饒 佐 命 立 功 之 士、 面貝 誼 亜 夫 之 徒、 皆 信 命 世 之 才、 抱 將 相 之 具 ) ﹂ の ﹁ 命 世 ﹂ に つ い て 李 善 が 注 釈 し て い る。 李 善 注 は ﹁ 孟 子 日 く、 千 年 に 一 た び 聖 あ り、 五 百 年 に 一 た び 賢 あ り。 賢 聖 未 だ 出 で ず と も、 其 の 中 に 命 世 た る 者 有 り ( 孟 子 日、 千 年 一 聖、 五 百 年 一 賢、 賢 聖 未 出 其 中 有 命 世 者 ) ﹂ と し て い る。 ぎ 李 善 は ﹁ 命 世 ﹂ の 典 故 と し て、 孟 子 の 言 を 引 き、 ﹁ 千 年 に 一 度 尭. 舜 ・ 文 王 の よ う な 聖 王 が 現 れ、 五 百 年 に 一 度 義 か 和 ・ 伯 夷 ・ 太 公 望 の よ う な 王 を 補 佐 す る 賢 人 が 現 れ る。 未 だ 聖 王. 賢 人 が 現 れ な く と も、 そ の 間 に 治 世 の 能 力 の あ る 優 れ た 人 物 は い る ﹂ と 注 釈 し た。 空 海 は こ の 李 善 の 注 を 見 て、 孟 子 の 言 と し て、 典 故 に 用 い た と 思 わ れ る。 従 っ て、 ﹁ 千 年 一 聖 ﹂ は 聖 王 を 意 味 す る の で、 空 海 の 典 故 の 用 法 は 正 し く 合 致 し て い る。 嵯 峨 帝 も ﹃ 李 善 注 文 選 ﹄ を 熟 知 し て い た 筈 で、 空 海 が 用 い た ﹁ 千 年 一 聖 ﹂ の 典 故 を 孟 子 の 言 と し て 了 解 し た と 思 わ れ る。 し か し、 李 善 が 典 故 と し た 孟 子 の 一 文 は 現 在 の ﹃ 孟 子 ﹄ に は 見 当 た ら な い。 孟 子 に は 聖 人 ・ 聖 王、 賢 人 ・ 賢 者 に つ (38) い て、 多 く の 言 説 が あ り、 ﹃ 孟 子 ﹄ に 先 の 一 文 に 一 部 が 似 た 表 現 は 二-三見 出 せ た が、 意 味 の 完 全 に 一 致 し た 言 説 は 無 か っ た。 李 善 の 典 故 と し た 孟 子 の 言 が 現 在 の ﹃ 孟 子 ﹄ に 記 述 さ れ て い な い 理 由 と し て、 三 つ が 考 え ら れ る。 一 つ は 現 在 の ﹃ 孟 子 ﹄ に は な い が 当 初 の ﹃ 孟 子 ﹄ に 記 述 さ れ て い た。 二 つ め は 李 善 の 生 き て い た 初 唐 に ﹃ 孟 子 ﹂ 以 外 に 孟 子 の 言 説 を 記 述 し た 典 籍 が あ っ て、 そ の 典 籍 よ り 依 用 し た。 今 一 つ は こ の 一 文 は 孟 子 の 言 説 で は な い が、 如 何 に も 孟 子 の 言 説 ら し い の で、 李 善 が 錯 覚 し て 用 い た と 考 え ら れ る。 第 一 の 理 由 で あ れ ば、 現 在 で は 如 何 と も し が た い。 ﹃ 孟 子 ﹄ の 言 説 を 引 用 し た 漢 籍 全 て を 克 明 に 当 た り 見 出 す 他 は 空 海 漢 詩 文 研 究 詩 を 通 じ て の 空 海 と 嵯 峨 天 皇 の 一
駒-﹁献柑子表﹂について-密 教 文 化 な い が、 第 二 の 理 由 と 判 別 が つ か な い の で、 そ の 可 能 性 に 言 及 す る に と ど め ざ る を 得 な い。 第 二 の 理 由 を 検 討 す る 為、 現 在 に 伝 存 さ れ た ﹃ 孟 子 ﹄ 以 外 に 孟 子 の 言 説 を 収 載 し た 典 籍 を 見 て み る と、 二 種 が 残 さ し ん し (39) れ て い る。 一 は 晩 唐 の 林 慎 思 に よ っ て、 孟 子 の 侠 文 が 蒐 集 編 纂 さ れ た ﹃績 孟 子 ﹄ 二 巻 が あ る。 し か し こ の 中 に は 当 該 き じ し (40) の 一 文 は 収 載 さ れ て い な い。 二 は 北 宋 の 煕 時 子 に よ っ て 編 纂 さ れ た ﹃ 孟 子 外 書 ﹄ 四 巻 で あ る。 こ の 巻 一 ﹁ 性 善 辮 第 一 ﹂ (41) に 李 善 引 く 所 の 一 文 と は 異 な る が ﹁ 千 年 一 聖 ﹂ の 語 句 が 記 述 さ れ て い る。 し ょ う じ ゅ ん き ぶ 清 ・ 焦 循 撰 ﹃ 孟 子 正 義 ﹄ の 註 釈 に よ れ ば、 李 善 は 昔 日 に 散 逸 し た ﹃ 孟 子 外 篇 ﹄ の 流 伝 本 と 目 さ れ る 梁. 棊 母 氏 の (42) 家 伝 書 ﹁ ﹃ 孟 子 注 ﹄ 九 巻 ﹂ 本 を 入 手 し て、 そ れ を ﹃ 文 選 ﹄ の 注 に 引 用 し て い た と あ る。 こ の 李 善 所 有 と さ れ る 棊 母 本 は 散 逸 し て 存 在 せ ず、 李 善 が 引 用 し た 先 の 一 文 を 確 認 す る こ と が 出 来 な い。 し か し、 ﹃ 孟 子 外 書 ﹄ に 同 じ 語 句 が 用 い ら れ て い る 事 か ら、 諸 々 の 事 情 を 斜 酌 す る と、 李 善 の 引 い た 一 文 は 孟 子 の 言 と し て ﹁ ﹃ 孟 子 注 ﹄ 九 巻 ﹂ に 記 述 さ れ て お り、 そ れ を 李 善 が 引 用 し た 可 能 性 が 高 い と 考 え ら れ る。 従 っ て、 第 三 の 可 能 性 は 低 く、 大 学 者 の 李 善 た る も の が 錯 覚 な ど し な い と 考 え て 差 し 支 え な い と 思 う。 4-(3) む す び 空 海 が こ の ﹁ 献 柑 子 表 ﹂ を 制 作 す る と き、 ﹃ 文 選 ﹄ を 参 照 し て い る と す れ ば、 先 の 検 討 の 中 の 李 粛 遠 ﹁ 運 命 論 ﹂ や 劉 現 ﹁ 勧 進 表 ﹂ ・ 播 岳 ﹁ 西 征 賦 ﹂ ・ 李 陵 ﹁ 答 蘇 武 書 ﹂ の 全 て を 熟 知 し て い て も 不 思 議 で は な い。 と す れ ば、 空 海 は ど の 章 句 を 典 故 と し て 頭 に 浮 か べ る だ ろ う か。 先 に 述 べ た 如 く 空 海 は こ の ﹁ 鰍 柑 子 表 ﹂ で 最 も 表 現 し た か っ た 事 は 千 年 に 一 度 現 れ る 聖 天 子 の 如 き 嵯 峨 帝 に ま み え る 事 が 出 来 た 幸 運 を 述 べ る 事 で あ っ た。
(43) そ れ に 最 も 相 応 し い の は ﹁ 西 征 賦 ﹂ の 文 章 で あ る。 即 ち ﹁ 千 載 の 嘉 會 に 遭 う (遭 千 載 之 嘉 會 ) ﹂ が ま ず 浮 か び、 次 に 嵯 峨 帝 を 聖 天 子 に 擬 す る た め の ﹁ 千 年 一 聖 ﹂ は ﹁ 答 蘇 武 書 ﹂ の 李 善 注 の ﹁ 孟 子 日 千 年 一 聖 ⋮ ﹂ を 権 威 有 る 孟 子 の 言 説 と し て 採 用 し て、 二 つ の 語 句 の 意 味 を 合 わ せ て ﹁ ま さ に 千 年 一 聖 の 會 を 表 す べ し ( 鷹 表 千 年 一 聖 會 ) ﹂ と 詩 に 表 現 し た の で は な い か と 考 え る。 こ の 表 現 を す る 前 提 と し て、 本 文 の ﹁ 表 ﹂ に ﹁ 千 は こ れ 一 聖 の 期 (千 と い う 数 字 は 聖 天 子 の 出 現 す る 期 間 で あ る ) ﹂ と の 意 味 付 け を す る。 こ の ﹁ 千 是 一 聖 之 期 ﹂ と 全 く 同 文 の 章 句 は 何 処 に も 見 当 た ら な い。 し か し、 聖 天 子 出 現 の 千 年 説 を 表 す ﹁ 勧 進 表 ﹂ の 李 善 注 の ﹁ 千 載 一 出 ﹂ や 黄 河 伝 説 の ﹁ 千 年 一 清 ﹂ な ど の ﹃ 文 選 ﹄ の 用 例 や、 聖 徳 太 子 作 と さ れ る ﹃ 十 七 条 憲 法 ﹄ の 第 十 四 条 に ﹁ 千 載 に し て 以 っ て 一 聖 を 待 つ こ と 難 し。 ( 千 載 以 難 待 一 (44) 聖 ) ﹂ と 記 述 さ れ て い る こ と か ら、 聖 人 千 年 出 現 説 が 当 時 一 般 的 に よ く 知 ら れ た 事 で あ っ た の か も し れ な い。 そ れ ら を 頭 に 入 れ て 空 海 が 独 自 に ﹁ 千 是 一 聖 之 期 ﹂ と 表 現 し た の で は な い か。 更 に 言 え ば、 ﹁ 千 年 一 聖 會 ﹂ の 語 句 を 用 い て 嵯 峨 帝 に ま み え る 幸 運 を 表 現 し た い が 為 に、 摘 み 取 っ た 柑 子 の 数 量 を 千 個 に し た と も 考 え ら れ る。 お わ り に こ れ で、 ﹁ 献 柑 子 表 ﹂ の 考 究 を 終 え る。 こ の 作 品 は、 空 海 が そ の 書 と 漢 詩 文 の 才 能 に よ っ て、 嵯 峨 帝 に 見 出 さ れ て ( 45 ) か ら、 三 年 ほ ど 経 過 し た と き に 作 ら れ た。 空 海 三 十 九 歳 ・ 嵯 峨 帝 二 十 七 歳 で あ る。 そ れ ま で 一 留 学 僧 に す ぎ な か っ た 空 海、 し か も 規 則 に 反 し て 留 学 年 数 を 大 幅 に 短 縮 し て 帰 国 し、 入 京 を 許 さ れ ず 約 三 年 間 も 九 州 等 に 留 め 置 か れ て い た (46) 空 海 を、 嵯 峨 帝 の 命 で 大 同 四 年 七 月 十 六 日 付 の 太 政 官 符 で 入 京 を 許 さ れ た と き に、 弘 法 大 師 空 海 の 全 て が 始 ま っ た と 空 海 漢 詩 文 研 究 詩 を 通 じ て の 空 海 と 嵯 峨 天 皇 の 一
駒-﹁献柑子表﹂について-密 教 文 化 (47) 言 え よ う。 以 後、 嵯 峨 帝 の 求 め に 応 じ 将 来 し た 文 物 や 漢 詩 ・ 箴 言 等 を 自 ら 書 し た 屏 風 等 種 々 献 上 し て い る。 そ れ ら の 文 物 の 獄 上 を 通 じ て、 互 い に 気 心 が 通 じ、 親 密 度 が 増 し て い っ た と 思 わ れ る が、 こ の ﹁ 献 柑 子 表 ﹂ を 奏 上 す る ま で は、 ど ち ら か と 言 え ば 書 道 に 重 点 を 置 い た 交 際 で あ っ た と 考 え ら れ る。 ﹁ 献 柑 子 表 ﹂ で 嵯 峨 帝 に 漢 詩 を 初 あ て 奏 上 し た 事 に よ っ て、 帝 を 取 り 巻 く 詩 壇 の 一 員 と 認 め ら れ た か も し れ な い。 こ れ 以 降 小 野 峯 守 ・ 良 峯 安 世 ・ 仲 雄 王 等 の 詩 友 達 と の 交 際 が 始 ま り、 朝 廷 の 中 枢 に 更 に 深 く 関 与 す る 事 に な っ た と 考 え ら れ る。 嵯 峨 帝 が 詩 を 好 み 自 身 も 優 れ た 漢 詩 人 で あ っ た 事 を 察 知 し て 満 を 持 し て 詩 を 奏 上 し た と 思 わ れ る。 嵯 峨 帝 に 認 め ら れ た 事 で 今 日 の 空 海 が あ り、 密 教 布 教 の 目 的 を 果 た す 為 に 今 後 も 嵯 峨 帝 の 恩 顧 に 期 待 し た い 空 海 が、 ま さ に ﹁ 鷹 に 千 年 に 一 聖 の 會 を 表 す べ し (鷹 表 千 年 一 聖 會 ) ﹂ お も い と 表 現 し た こ と は こ の 時 点 で の 本 心 か ら の 真 実 の 吐 露 で あ っ た と 思 わ れ る。 そ し て こ の 空 海 の 念 は 確 実 に 嵯 峨 帝 に 伝 わ っ た の で あ る。 ︻ 追 記 ︼ こ の 論 文 は 平 成 十 八 年 度 の 密 教 研 究 会 学 術 大 会 で 発 表 し た も の に、 本 文 の 解 釈 を 含 め ﹁ 献 柑 子 表 ﹂ 全 体 の 論 及 を 取 り ま と め た も の で す。 本 論 作 成 に つ い て、 本 学 の 南 昌 宏 助 教 授 に 有 益 な 示 唆 と 御 教 示 を 戴 き ま し た こ と を 申 し の べ、 こ こ に 感 謝 申 し 上 げ ま す。 最 後 に な り ま し た が、 何 時 も の 事 な が ら、 主 任 教 授 の 武 内 孝 善 先 生 に は 懇 切 な ご 指 導 と こ 鞭 捲 を 戴 い て お り ま す 事 に 深 甚 の 感 謝 の 意 を 表 し た い と 思 い ま す。
註 ( 1 ) 弘 仁 二 年 十 一 月 九 日 付 の 太 政 官 符 が 残 さ れ て い る。 -聖 賢 撰 ﹃高 野 大 師 御 廣 傳 ﹄ (﹃ 弘 法 大 師 傳 全 集 ﹄ 第 一 ・ 二 四 四 頁)に所 収。 こ の 太 政 官 符 は 正 史 が 逸 し て い る の で、 真 贋 の 判 定 が 出 来 な い が、 空 海 が 弘 仁 三 年 に は 乙 訓 寺 に 在 住 し て い た 事 が 明 ら か で あ り、 取 り 立 て て 偽 の 太 政 官 符 を 作 る 理 由 も 意 味 も な い た め、 一 応 真 の 太 政 官 符 と 看 倣 さ れ る。 内 容 は 次 の 通 り で あ る。 ﹁僧 空 海 \ 右 検 二 案 内 一太 政 官 去 十 月 二 十 七 日 下 二 彼 省 一符 構。 件 僧 住 二 山 城 國 高 雄 山 寺 -。 而 其 庭 不 レ便。 省 宜 三-・ 承 知 令 レ住 二 同 山 城 國 乙 訓 寺 者。 今 被 二 右 大 臣 官 二 稻。 令 下 別 二 當 彼 寺 一永 預 中 修 造 事 上 者。 宜 二 承 知 依 レ宣 行 ウ之。 寮 宜 二 承 知 依 レ件 施 行 一。 ﹂ ( 2 ) 高 雄 山 寺 に 再 住 し た 年 月 日 は 最 澄 の 弘 仁 三 年 十 一 月 五 日 付 の 泰 範 宛 の 手 紙 (得 仁 撰 ﹃ 弘 法 大 師 年 譜 ﹄ 巻 五 に 所 収。 ﹃ 真 言 宗 全 書 ﹄ 第 三 十 八 ・ 九 十六頁)の記 述 に よ っ て 判 る。 (3 ) ﹃ 文 選 ﹄ 巻 三 十 七 に 八 首、 巻 三 十 八 に 十 一 首 の 合 計 十 九 首 の ﹁ 表 ﹂ が 収 載 さ れ て い る。 じ ょ し そ う (4 ) 明 徐 師 曾 撰 ﹃ 文 罐 明 辮 ﹄ 巻 之 二 十 四 ・ 二 十 五 に 様 々 の ﹁ 表 ﹂ の 文 例 が 八 十 八 首 収 載 さ れ て い る。 他 の 文 艦 に 比 す れ ば 文 例 敷 が 多 い。 ( 5 ) ﹃ 不 空 表 制 集 ﹄:六巻。﹃大正新修大 蔵 纒 ﹂ 第 五 十 二 巻 所 収. NO二二○。⋮不空三藏 及 び そ の 弟 子 等 関 係 者 の 時 の 朝 廷 へ の 奏 上 文 と 朝 廷 か ら の 勅 等 を 蒐 集 編 纂 し た も の。 空 海 が 将 来 し た。 ( 6 ) ﹁ 表 ﹂ の 文 頭 の 常 套 句 は 以 下 の 二 種 が 圧 倒 的 に 多 い。 一 つ は 空 海 が 専 ら 用 い て い る 形 式 で、 文 頭 に ﹁ 臣 (沙 門 ) ・ ( 名 ) 或 い は (某 ) ・ 言 ﹂ の 三 語 で 始 め る。 二 つ は ﹁ 臣 聞 ﹂ の 二 語 で 始 め る 形 式 で あ る。 文 尾 の 常 套 句 も ﹁ 臣 誠 惇 誠 恐 ﹂ と ﹁ 謹 奉 レ表 以 聞 ﹂ の 二 種 が 多 く 用 い ら れ て い る。 空 海 が 用 い て い る 形 式 の 文 例 を 二-三例挙げ る。 (1) 任 肪 ﹁爲 二 楮 諮 議 一譲 二 代 レ 兄 襲 ツ 封 表 ﹂ (﹃ 文 選 ﹄ 巻 三 十 八 )⋮(文 頭 ) ﹁ 臣 葵 言 ﹂ ・ (文 尾 ) ﹁ 臣 誠 捏 誠 恐 ﹂ (2) 韓 愈 ﹁ 論 二 佛 骨 一表 ﹂ (﹃ 文 罷 明 辮 ﹄ 巻 二 十 四 )⋮(文 頭 ) ﹁臣 某 言 ﹂ ・ (文 尾 ) ﹁ 臣 某 誠 憧 誠 恐 ﹂ (3) 白 居 易 ﹁爲 二 宰 相 元 積 謝 7官 表 ﹂ ( ﹃ 文 膿 明 辮 ﹄ 巻 二 十 四 )⋮(文頭)﹁臣某言﹂. (文尾)﹁臣某誠捏 誠 恐 頓 首 頓 首 謹 言 ﹂ ( 7 ) ﹃ 文 心 離 龍 ﹄ 巻 五 ﹁ 章 表 第 二 十 二 ﹂ に ﹁ 漢 定 二 禮 儀 一、 則 有 二 四 品 一、 一 日 章、 二 日 奏、 三 日 表、 四 日 議。 章 以 謝 レ 恩、 奏 以 按 レ 劾、 表 以 陳 レ 請、 議 以 執 レ 異。 ﹂ と 記 述 さ れ て い る。 ( 8 ) ﹃ 文 艦 明 癬 ﹄ 巻 二 十 四 ﹁ 表 上 ﹂ の 文 頭 の 説 明 文 に ﹁⋮有 二 論 諌 -、 有 二 請 勤 一、 有 二 陳 乞 一、 有 進 献 一、 有 二 推 薦 一、 有 二 慶 賀 一、 有 二 慰 安 一、 有 二 僻 解 一、 有 二 陳 謝 一、 有 二 訟 理 一、 有 二 弾 劾 一。⋮至レ論 二 其 罷 一、 則 漢 巫日 多 二 用 散 文 一、 唐 宋 多 用 二 四 六 一. ⋮﹂とあ る。 用 途 は ﹁ 論 諌 ﹂ 以 下 十 一 種 に 分 類 し て い る。 ﹁ 論 諌 ﹂ は 論 じ 諌 め る。 ﹁ 請 勤 ﹂ は 仕 事 を 求 め る。 ﹁陳 乞 ﹂ は 罪 を 待 つ。 進 献 は 書 物 ・ 鰍 物 を 獣 上 す る。 ﹁僻 解 ﹂ 空 海 漢 詩 文 研 究 詩 を 通 じ て の 空 海 と 嵯 峨 天 皇 の 一
繭-﹁献柑子表﹂について-密 教 文 化 は 官 を 辞 し 任 務 の 解 か れ る 事 を 依 願 す る。 ﹁陳 謝 ﹂ は 天 子 よ り 賜 っ た 官 職 や 文 物 に 感 謝 す る。 ﹁ 訟 理 ﹂ は 訴 え て 事 を 収 め る。 (9)空海の 上 表 文 は ﹃ 性 霊 集 ﹄ ﹃ 性 霊 集 補 閾 抄 ﹄ に 人 の 依 頼 で 制 作 し た も の を 含 あ て、 ﹁ 表 ﹂ 形 式 の も の 十 四 首。 ﹁奏 ﹂ 形 式 の も の 二 首 が 所 載 さ れ て い る。 更 に ﹁ 状 ﹂ 形 式 で、 献 上 品 に 添 え ら れ た 文 章 が 七 首 残 っ て い る。 こ の 内 ﹁ 表 ﹂ の 十 四 首 の 内 容 は、 ﹃ 文 膿 明 辮 ﹄ の 列 記 し た ﹁陳 乞 ﹂ ﹁進 獄 ﹂ ﹁ 僻 解 ﹂ ﹁ 陳 謝 ﹂ な ど を 含 む 多 岐 に わ た る も の で あ る。 こ の 分 類 に 従 っ て、 十 四 首 の 内 容 を 分 別 す る と 次 の よ う に な る。A﹁請 勤 ﹂ 二 首-(1)﹁奉二爲 國 家 一請 二 修 法 表 し (巻四)(2)﹁祈二誓 弘 仁 天 皇 御 厄-表﹂(巻九)B ﹁ 陳 乞 ﹂ 一 首-﹁請レ赦二 僧 中 環 罪 一表﹂(巻四)C﹁進献﹂ 四 首1(1)﹁勅賜 屏 風 書 了 即 献 表 井 詩 ﹂ (巻三)(2)﹁献 二 柑 子 一表 ﹂ (巻四)(3)﹁献二梵字 井 雑 文 一表 ﹂ (巻四)(4)﹁李 邑 真 蹟 屏 風 書一帖﹂(巻四)D﹁慶賀﹂一首1﹁奉レ賀二 天 長 天 皇即位一表﹂E﹁僻解﹂三首-(1)﹁僻二小 僧 都 一表 ﹂ (巻四)(2)﹁大僧都空 海 嬰 レ疾 上 表 僻 レ 職 奏 状 ﹂ (巻 九 ) (3)﹁永忠 和 尚 辮 二 小 僧 都-表﹂(巻九)F﹁陳 謝 ﹂ 二 首 1 (1)﹁奉二 謝 恩 賜 百 屯 綿 兼 七 言 詩 二 詩 一 首 井 序 ﹂ (巻三) (2)﹁爲二 大 徳 如 寳 一奉 三 謝 恩 二 賜 招 堤 封 戸 一表 ﹂ ( 巻 四 ) 以 上 の 他 に ﹃ 文 髄 明 辮 ﹄ の 分 類 に 当 て は ま ら な い も の が、 高 野 山 の 下 賜 を 願 い 出 た ﹁ 於 二 紀 伊 國 伊 都 郡 高 野 峯 一被 レ 請 二 乞 入 定 慮 一表 ﹂ で あ る。 内 容 は 請 願 で あ る が、 土 地 の 下 賜 な ど の 重 用 案 件 は 所 轄 役 所 経 由 で の 申 請 と な る の が 通 例 か も し れ な い。 こ の 意 味 で も 高 野 山 の 下 賜 は 異 例 の 事 で あ っ た と 考 え ら れ る。 (10)平凡社 ﹃ 大 百 科 事 典 ﹄ の ﹁ 柑 橘 類 ﹂ と ﹁ 蜜 柑 ﹂ の 条 の 各 ﹁起 源 と 伝 播 ﹂ の 項 目 の 記 載 に 依 る。 (11)﹃本 草 綱 目 ﹄ 第 三 十 巻 ﹁ 果 部 ・ 柑 ﹂ に ﹁ 柑 は ま だ 霜 を 経 あ ま ぬ う ち は 酸 い け れ ど、 霜 の 後 は 甚 だ 甜 い。 故 に 柑 子 と 名 つ く。 ﹂ と あ る。 同 書 に 臓 器 日 と し て、 朱 柑 ・ 黄 柑 ・ 乳 柑 ・ 石 柑 ・ 沙 柑 の 五 種 を 挙 げ て い る。 (12)﹃毛 詩 ﹄ ﹁大 序 ﹂:﹃毛詩﹄巻第 一 ﹁ 国 風 ・ 周 南 ﹂ の 冒 頭 か ん し ょ の 詩 ﹁ 關 誰 ﹂ の 文 頭 の 毛 氏 の 註 釈 を ﹁ 大 序 ﹂ と 云 い、 文 中 で 詩 論 を 述 べ て い る。 古 来 よ り そ の 詩 論 が 最 も 権 威 あ る も の と さ れ、 そ こ に 述 べ ら れ た 詩 の 六 義 ﹁ 三 日 風、 二 日 賦、 三 日 比、 四 日 興、 五 日 雅、 六 日 頒 ﹂ は 人 口 に 膳 灸 さ れ、 古 来 よ り 誰 知 ら ぬ 者 の な い 事 で あ る。 ( 13 ) 空 海 の用例:(1)﹁勅賜屏風 書 了 即 献 表 井 詩 ﹂ (﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻三)(2)﹁奉謝 恩 賜 百 屯 綿 兼 七 言 詩 ・ 詩 一 首 井 序 ﹂ ( ﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻三)(3)﹁奉爲國家請 修 法 表 ﹂ (﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻 四 ) (4)﹁献梵字井 雑 文 表 ﹂ (﹃ 性 霊 集 ﹂ 巻四)(5)﹁請 赦 僧 中 環 罪 表 ﹂ (﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻四)(6)﹁奉賀天 長 皇 帝 即 位 表 ﹂ ( ﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻四)(7)﹁僻小僧 都 表 ﹂ ( ﹃性 霊 集 ﹄巻四)(8)﹁李 邑 真 跡 屏 風 書 一 帖 ﹂ (﹃ 性 霊 集 ﹄巻四)(9)﹁祈誓 弘 仁 天 皇
御 厄 表 ﹂ (﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻 九)(10)﹁於紀 伊 國 伊 都 郡 高 野 峯 被 請 乞 入 定 庭 表 ﹂ (﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻 九 )(11)﹁永忠和尚 辮 少 僧 都 表 ﹂ (﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻九)以上の十 一 例 が あ る。 ( 14)﹁状﹂ は ﹃ 文 心 離 龍 ﹄ に よ れ ば、 奏 上 文 の 一 形 式 で 文 学 性 に 乏 し い が 論 理 的 文 章 で 下 の 意 を よ く 通 じ さ せ る よ う に 作 る と あ る。 ﹃ 不 空 表 制 集 ﹄ で は 四 首 の ﹁状 ﹂ が 収 載 さ れ て い る。 ( 15)﹃文心 雛 龍 ﹄ は ﹁ 典 故 ﹂ の 語 句 を 直 接 用 い て い な い が、 ﹁ 事 類 ﹂ の 文 頭 に ﹁ 事 類 者、 蓋 文 章 外、 接 レ 事 以 類 レ 義、 せ ん 援 レ 古 以 誼 レ今 者 也。 ﹂ と 述 べ て い る。 こ の 一 文 の 解 釈 を 唐 え い し 瑛 之 ﹃ 文 心 離 龍 義 謹 ﹄ ( 一 九 八 六 年 二 月 撰 ・ 二○○一年榔 珊 居 主 人 制 版 ) で は、 ﹁ 事 類 と は 現 在 の 広 い 意 味 の 典 故 の こ と で あ る ﹂ と し て い る。 (16)一つ は 濟 逞 か ら 果 寳 に 続 く 東 寺 中 心 の 流 れ で、 江 戸 時 代 の 実 翁 撰 ﹃ 性 霊 集 鋤 ﹄ に 至 る。 今 ひ と つ は 聖 範 ・ 真 辮 か ら 続 く ﹃ 略 注 ﹄ ﹃ 聞 書 ﹄ 系 統 の 高 野 山 中 心 の 流 れ で、 江 戸 時 代 の 運 敵 撰 ﹃ 便 蒙 ﹄ に 結 実 す る。 (17)真別所 藏 ﹃性 霊 集 聞 書 ﹄⋮綴葉装。全七冊-第一冊.序。 第 二 冊 ・ 巻 一 巻 二。 第 三 冊. 巻 三 巻 四。 第 四 冊 ・ 巻 五 巻 六。 第 五 冊 ・ 巻 七。 第 六 冊 ・ 巻 八。 第 七 冊 ・ 巻 九 巻 十。 内 容 は 東 寺 観 智 院 所 蔵 等 の 良 く 存 知 さ れ た ﹃ 性 霊 集 聞 書 ﹄ と 全 く 別 系 統 に 属 す る も の で あ る。 新 義 真 言 の 持 明 院 真 讐 ( 一 ○ 六 九-一二二七)からの口伝伝承を 最 後 は 隆 光 ( 一 六 五 九 -一七二四)談を付加 し て 江 戸 中 期 に 編 纂 さ れ て い る。 従 っ て ﹃便 蒙 ﹄ を 随 所 に 引 き 判 別 し て い る。 現 物 は 高 野 山 大 学 図 書 館 に 寄 託 さ れ て い る。 マ イ ク ロ フ ィ ル ム が あ る。 (18)﹃性霊 集 略 注 ﹄⋮佐藤道生﹁慶鷹義塾圖書館藏﹃性 霊 集 略 注 ﹄ (翻 印 ) ﹂ ﹃ 和 漢 比 較 文 學 の 周 辺 ﹄ 平 成 六 年 八 月 刊 ・ 汲 古 書 院。 現 今 見 る こ と の で き る 最 古 の 注 釈 書 (﹃ 性 霊 集 注 ﹄ ま た は ﹃ 私 注 ﹄ と も いう)であ る。 こ れ は 真 辮 が 貞 応 二 年 ( 二 一二 三 ) 覧 蓮 坊 聖 範 か ら 口 述 を 受 け て 撰 し た も の で あ る。 (19)李康⋮生没年 不 詳。 字 は 粛 遠。 三 国 時 代、 魏 の 中 山 の 人。 魏 の 明 帝 に 文 を 異 と さ れ、 挙 げ ら れ て 尋 陽 の 長 と な っ た。 著 作 に ﹁遊 山 九 吟 ﹂ が あ る。 (20)﹃五臣 注 文 選 ﹄ は 唐 の 開 元 六 年 (七 一八)に工 部 侍 郎 の 呂 延 詐 が 呂 延 濟 (署 名 ﹁ 濟 ﹂ 以 下 同 様 ) ・ 劉 良 (﹁ 良 ﹂ ) ・ 張 銑 ( ﹁銑 ﹂ ). 呂 向 ( ﹁向 ﹂ ) ・ 李 周 翰 ( ﹁翰﹂)の五 人 に 文 選 の 注 釈 を さ せ て、 五 臣 注 と 名 付 け て、 献 上 し た 物 で あ る。 (21)﹃性霊集絨 石 紗 ﹄⋮果寳(二二○六-二二六一)撰﹃絨 石 鋤 ﹄ に は 六 巻 本 ・ 十 巻 本 の 二 種 が 伝 存 す る。 現 在 ま で 未 刊。 写 本 は 二 書 と も、 種 智 院 大 學 図 書 館 藏。 奥 書 に よ れ ば、 六 巻 本 は 貞 享 三 年 ( 一 六八六)十月-四年(一六八七)四 月 の 間 に、 金 剛 峰 寺 櫻 地 院 春 清 房 雄 任 に よ っ て 写 さ れ る。 十 巻 本 は 慶 安 元 年 ( 一 六 四八)十月、 高 野 二 階 堂 高 祖 院 秀 盛 に よ っ て 写 さ れ る。 空 海 漢 詩 文 研 究 詩 を 通 じ て の 空 海 と 嵯 峨 天 皇 の 一
繭-﹁献柑子表﹂について-密 教 文 化 (22)﹃性霊 集 鋤 ﹄ ⋮ 實 翁 撰 ・ 十 巻 本 元 和 七 年 ( 一 六 一 二 ) 撰 述 寛 永 八 年 ( 一 六 三 一 ) 刊 行 (23 ) 空 海 の ﹃ 文 選 ﹄ の 活 用 に つ い て は、 古 来 か ら の 空 海 の 著 作 の 注 釈 書 等 で ﹃文 選 ﹄ 収 載 の 各 種 文 章 の 引 用 或 い は 典 故 と し て 言 及 さ れ、 指 摘 さ れ て い る。 最 近 で は 静 慈 圓 氏 の 下 記 の 労 作 が あ っ て、 ﹃ 性 霊 集 ﹄ の 中 の ﹃ 文 選 ﹄ の 用 例 が 網 羅 さ れ て い る。 静 慈 圓 ﹁ 弘 法 大 師 と 辞 賦 文 学 ﹂ (﹃ 高 野 山 大 学 論 叢 ﹄ 第 十 四 巻. 一○一頁)および﹁弘 法 大 師 と ﹃ 文 選 ﹄﹂ (﹃ 密 教 文 化 ﹄ 第 百 三 十 号 ・ 一 頁 ) (24)黒田 亮 ﹃ 朝 鮮 藷 書 考 ﹄ ﹁ 五 臣 注 文 選 の 研 究 ﹂ 一 七 五 頁。 一 九 四○年刊。によ れ ば、 ﹃ 五 臣 注 文 選 ﹄ の 将 来 は、 ﹃ 御 堂 関 白 日 記 ﹄ ﹁ 寛 弘 三 年 ( 一○○六)十月二十 日 の 条 ﹂ の 記 事 を 確 証 と し て、 ﹃ 白 氏 文 集 ﹄ と 共 に 将 来 さ れ た と さ れ て い る。 ﹃ 白 氏 文 集 ﹄ が 何 時 頃 将 来 さ れ た か は 幾 つ か の 説 が あ る よ う だ が、 少 な く と も 空 海 没 後 で あ る 事 は 間 違 い な い。 (25)藤原 佐 世 ﹃ 日 本 国 見 在 書 目 録 ﹄ に、 ﹃ 五 臣 注 文 選 ﹄ は 記 載 さ れ て い な い の で、 空 海 が 實 見 し た 可 能 性 は 低 い と 言 え る。 同 目 録 に は ﹃ 李 善 注 文 選 ﹄ お よ び 曹 憲 撰 ﹃ 文 選 音 義 ﹄ な ど 音 義. 音 決 類 が 記 載 さ れ て い る が、 こ れ は 奈 良 時 代 以 降 ﹃ 文 選 ﹄ の 音 通 を 学 ぶ こ と を 重 視 し、 唐 人 の 招 聰 な ど を 行 っ た 結 果 で あ ろ う。 た だ、 現 在 ま で 伝 来 さ れ て 残 さ れ て い る の は ﹃李 善 注 文 選 ﹄ の み で あ る。 こ の 事 は ﹃ 李 善 注 文 選 ﹄ が 重 視 さ れ て き た こ と を 物 語 る。 空 海 も 手 元 に ﹃ 李 善 注 文 選 ﹄ を 置 い て い た 可 能 性 が 高 い。 小 島 憲 之 ﹃ 上 代 日 本 文 学 と 中 国 文 学 上 ﹄ 第 三 篇 ﹁ 日 本 書 紀 と 文 選 ﹂ に ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ の 制 作 に 当 た っ て ﹃ 李 善 注 文 選 ﹄ が 用 い ら れ た 事 が 論 じ ら れ て い る。 こ の 傾 向 が 平 安 初 期 の 空 海 の 時 代 以 降 に も 継 続 し て い た こ と は 間 違 い 無 い と 思 わ れ る。 (26)東寺観 智 院 ﹃ 性 霊 集 聞 書 ﹄ は 撰 者 不 詳 ・ 十 冊 実 見 し た が 奥 書 に 筆 写 年 月 の 記 載 な く、 写 本 は 安 土 桃 山 と し て お く。 同 系 統 と お も わ れ る テ キ ス ト に 金 剛 三 昧 院 藏 ﹃ 聞 書 ﹄ 十 冊 が あ る。 撰 述 は 正 平 十 六 年 ( 二 一二 六 ) 聞 畢 と し て い る。 又 持 明 院 藏 ﹃ 性 霊 集 聞 書 ﹄ は 四 冊 本 で ﹃性 霊 集 ﹂ の 巻 七 ま で の 注 釈 が 合 冊 さ れ て い る。 こ れ ら の ﹃聞 書 ﹄ は 誤 記 や 欠 落 な ど の 細 部 の 違 い を 除 い て ほ ほ 同 文 で あ る。 (27)﹃桓子 新 論 ﹄ は 桓 讃 ( B C 二 四-AD五六)の著 作 で、 當 世 の 行 事 を 記 し て ﹃ 新 論 ﹄ 二 十 九 篇 を 上 書 し て、 後 漢 の 世 祖 に 献 上 し た。 後 唐 代 に ﹃ 劉 子 新 論 ﹄ が 現 れ、 区 別 を す る た あ、 ﹃ 桓 謂 新 論 ﹄ 或 い は ﹃ 桓 子 新 論 ﹄ と 称 せ ら れ た。 り ぼ う (28)﹃太平 御 覧 ﹄ ・. 宋 ・ 太 宗 の 勅 撰 の 類 書。 李 肪 他 撰 ・ 一 千 巻。 太 平 興 国 二 年 (九 七 七 ) 成 立。 こ の 中 に ﹃ 桓 諺 新 論 ﹄ か ら の 引 用 が 七 九 箇 所 収 載 さ れ て い る。 他 に 桓 護 上 書 ・ 新 語 な ど の 引 用 が 六 箇 所 あ る。 そ の 全 て に つ い て、 ﹃ 便 蒙 ﹄ の 引 用 文 を 精 査 し た が、 収 載 さ れ て い な か っ た。 と う そ う ぎ (29)﹃説 郭 ﹄:元末の 叢 書 の ダ イ ジ ェ ス ト 版。 陶 宗 儀 撰 百 巻。 千 三 百 六 十 年 頃 の 成 立。 一 箇 所 に ま と め て 文 章 が 収 載 さ れ
て い る。 こ の 収 載 文 に も、 ﹃ 便 蒙 ﹄ が 引 用 し た 文 の 記 載 は な か っ た。 (30)武内 義 雄 ﹁桓 謳 新 論 に つ い て ﹂ (﹃ 支 那 学 ﹄ 第 二 巻 第 四 号 ・ 十 七 頁。 大 正 十 年刊)に﹃桓謂 新 論 ﹄ の 輯 侠 本 三 種 が 紹 介 さ れ て い る。 何 れ も 清 代 の 編 纂 で あ る。 筆 者 は そ れ ら の 輯 侠 本 は 未 見 で あ る。 こ ん (31)劉現(二七一三一八):字は越 石、 中 山 國 魏 昌 (河 北 省 ) の 人。 異 民 族 の 侵 入 に 抵 抗 し、 著 朝 の 威 信 回 復 の 為 に だ ん ひ っ て い 奮 闘 し た が、 敗 れ て 朝 鮮 族 の 段 匹 碑 に 殺 さ れ た。 (32)溜岳(二四七三〇〇):奮・河南省榮 陽 郡 中 牟 縣 の 人、 字 は 安 仁、 早 く か ら 文 才 を 知 ら れ る。 ﹃ 文 選 ﹄ に 賦 八 首 ・ 詩 六 首 ・ 諌 ・ 哀 等 多 数 の 作 品 が 収 載 さ れ て い る。 (33)﹁十三 纒 ﹂:周易・尚書.毛 詩 ・ 周 禮 ・ 儀 禮 ・ 禮 記 ・ 春 秋 左 氏 傳 ・ 春 秋 公 羊 傳 ・ 春 秋 穀 梁 傳 ・ 論 語. 孝 纒 ・ 爾 雅 ・ 孟 子 の 十 三 書 (34)﹁諸 子 ﹂:老子・荘子 ・ 墨 子 ・ 萄 子. 韓 非 子 ・ 管 子 ・ 呂 氏 春 秋. 嬰 子 春 秋 ・ 孫 子. 列 子 ・ 国 語. 戦 国 策 ・ 抱 朴 子 ・ 准 南 子 等 (35)李陵(?前七二):字小 卿。 飼 奴 と 戦 い 敗 れ て 捕 虜 と な る。 族 長 単 干 の 娘 を 妻 に し た こ と が 知 れ て、 母 ・ 妻 子 な ど 一 族 が 諌 殺 さ れ る。 (36)賀誼は 漢 の 文 帝 に 仕 え、 良 策 で 二 十 年 あ ま り 治 績 を 上 げ、 世 は 大 い に 和 合 し た が、 後、 人 の 諺 り で 左 遷 さ れ た。 亜 夫 ( 周 亜夫)は漢の 武 帝 の 信 任 を 得 て、 条 侯 と な っ た が、 景 帝 の 時、 罪 に 連 座 し て 獄 死 す る。 (37)﹁命 世 之 才 ﹂ は 経 世 済 民 の 才 能 の 事 で 優 秀 な 政 治 家 ・ 指 導 者 の 事 で あ る。 (38)﹃孟 子 ﹄ に 記 述 さ れ た よ く 似 た 文 章 は 例 え ば 次 の よ う な も の が あ る。 (1)﹁公孫丑 章 句 下 ﹂ 第 十 三 節 ﹁ 五 百 年 必 有 二 王 者 興 一。 其 聞 必 有 二 名 レ世 者 一。 由 レ周 而 來、 七 百 有 饒 歳 。 ﹂ (2)﹁尽心 章 句 下 ﹂ 第 三 十 八 節 ﹁ 由 二 尭 舜 一至 二 於 湯 一、 五 百 有 飴 歳。 若 二 禺 皐 陶 一、 則 見 而 知 レ之。⋮由 レ 湯 至 二 文 王 一、 五 百 有 飴 歳。 若 二 伊 サ 莱 朱 一、 則 見 而 知 レ 之。⋮由 二 文 王 一 至 一於 孔 子 一、 五 百 有 鯨 歳。 若 二 太 公 望 散 宜 生 一、 則 見 而 知 レ 之。⋮﹂これらの 言 説 を 見 る と、 孟 子 は 聖 人 の 五 百 年 周 期 説 の よ う で あ る。 (39)﹃績孟子﹄:現在刊本として ﹃ 知 不 足 齋 叢 書 ﹄ 第 十 集 に 収 載 さ れ て い る。 ﹃ 孟 子 ﹄ の 編 目 に 準 じ て 十 四 の 編 目 で 構 成 さ れ て い る。 (40)﹃孟子外書﹄:﹃経苑﹄所収 ( ﹃ 百 部 叢 書 集 成 ﹄ の 中 の 一 冊 と し て 刊 行 さ れ て いる。)選者の煕 時 子 は 生 没 年、 事 り ゅ う は ん 歴 等 全 く 不 詳 で あ る が、 一 説 に 劉 敷 と し て い る。 劉 放 で あ れ ば、 北 宋. 王 安 石 と 同 時 代 人 で 西 暦 一○五○年頃 の 人。 後 漢 の 後 間 も な く 散 逸 し た ﹁ 孟 子 外 篇 ﹂ 四 篇 と は 別 で、 煕 時 子 が 孟 子 の 言 と 伝 承 さ れ て い る 侠 文 を 蒐 集 し、 昔 日 に 散 逸 し た 外 篇 四 篇 の 編 目 に 合 わ せ て 編 纂 さ れ た 物 で あ る。 空 海 漢 詩 文 研 究 詩 を 通 じ て の 空 海 と 嵯 峨 天 皇 の 一 齪-﹁献柑子表﹂について-