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佛教大學大學院紀要 22号(19940311) 022牧伸行「東大寺僧 安寛と平栄」

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Academic year: 2021

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二 二

は じ め に 奈 良 時 代 の 東 大 寺 に お い て は 、 華 厳 教 学 研 究 の 中 心 と し て 、 あ る い は 総 国 分 寺 と し て 良 弁 の 下 に 多 く の 僧 が 集 っ て い た と 考 え ら れ る が 、 そ の 中 で も 三 綱 の 一 員 と し て 活 躍 し た 僧 と し て 安 寛 と 平 栄 が 挙 げ ら れ る 。 こ の 安 寛 と 平 栄 の 二 人 に つ い て は 、 早 く か ら 寺 家 の 運 営 に 関 与 し て お り 、 共 に 良 弁 の 弟 子 で あ っ た と い わ れ て い る 。 し か し 、 安 寛 と 平 栄 と も に 纒 ま っ た 伝 記 が 伝 わ っ て お ら ず 、 明 確 に 両 者 の 関 係 を 述 べ る こ と は で き な い 。 確 か に 、 寺 内 で の 両 者 を 比 べ る と 、 安 寛 の 方 が 年 長 あ る い は 兄 弟 子 と い う 立 場 に あ っ た の か 常 に 上 位 を 占 め て お り 、   ユ   僧 綱 に お い て も 安 寛 が 大 律 師 と な っ た の に 比 べ て 、 平 栄 は 僧 綱 の 佐 官 で し か な い 。 さ ら に 、 ﹁ 東 大 寺 別 当 次 第 ﹂ に 引 用 さ れ て い る ﹁ 天 応 元 年 師 資 序 ﹂ に は 、 天 応 元 年 師 資 序 云 。 良 弁 資 安 寛 律 師 ・ 標 瓊 律 師 ・ 鏡 忍 律 師 鯰 醜 証 韓 に 瀾 廿 四 日 鏡 忍 任 律 唖 と 見 え 、 良 弁 の 弟 子 の 主 だ っ た も の 三 人 が 列 挙 さ れ て お り 、 安 寛 が 記 さ れ て い る の に 比 べ 、 一 方 の 平 栄 の 名 は 見 え な

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い 。 以 上 の こ と か ら は 、 明 ら か に 安 寛 の 方 が 平 栄 よ り も 重 き を な し た 存 在 と し て 伝 わ っ て い た と 考 、兄 ら れ る が 、 実 際 に 平 栄 の 足 跡 を 辿 っ て み る と 、 決 し て 安 寛 に 劣 ら な い も の が あ る と 思 わ れ る 。 従 っ て 、 本 稿 に お い て は 安 寛 と 平 栄 に つ い て 、 そ れ ぞ れ の 東 大 寺 運 営 に お け る 立 場 、 僧 綱 に お け る 地 位 等 を 考 察 す る こ と で 、 両 者 の 関 係 が 従 来 考 え ら れ て い る よ う な も の で あ っ た の か ど う か を 明 ら か に し 、 さ ら に は 良 弁 と の 関 係 に つ い て も 改 め て 考 察 し て み た い 。 一 、 安 寛 各 寺 院 の 運 営 を 行 っ て い た 寺 務 組 織 に 関 し て は 、 ﹃ 延 喜 式 ﹄ 巻 二 十 一 玄 蕃 寮 別 当 三 綱 条 に ﹁ 凡 諸 寺 以 別 當 爲 長 官 。 以 三 綱 爲 任 用 。 ﹂ と あ り 、 別 当 を 中 心 に 三 綱 が そ の 任 に 当 っ て い た こ と が 判 る 。 し か し 、 こ こ に 見 、兄 る 別 当 に つ い て は 奈 良 時 代 に ま で 遡 及 す る こ と が 可 能 で あ る か ど う か は 甚 だ 疑 問 で あ り 、 僧 尼 令 を 見 る 限 り 寺 内 の 僧 尼 の 統 制 等 に 係 わ る も の と し て は 三 綱 し か そ の 名 は 見 え ず 、 寺 院 運 営 の た め の 組 織 と し て は 本 来 三 綱 が 基 本 で あ っ た と 考 、兄 て 差 し 支 え は な い で あ ろ う 。 す な わ ち 、 奈 良 時 代 に お け る 寺 務 組 織 と し て は 三 綱 が 中 心 と な り 寺 院 運 営 が 行 わ れ て い た が 、 そ の 組 織 の 拡 大 等 の た め に 、 奈 良 時 代 中 期 以 降 に は 三 綱 が 大 少 に 分 化 し 、 知 事 ・ 可 信 ・ 目 代 ・ 鎮 等 の 職 名 が 史 料 に 見 え る よ う に な る 。 こ の 傾 向 は 、 東 大 寺 で も 同 様 に 見 ら れ る が 、 東 大 寺 に あ っ て は そ の 草 創 以 来 、 常 に 後 の 別 当 的 な 立 場 で 寺 家 を 代 表 し 、 指 導 者 と し て 活 躍 し た 人 物 と し て は 良 弁 が 知 ら れ て い る 。 し か し 、 ﹃ 東 大 寺 要 録 ﹄ 等 で は 寺 家 別 当 就 任 が 伝 え ら 東 大 寺 僧 安 寛 と 平 栄 二 三

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佛 教 大 學 大 學 院 紀 要 通 巻 第 二 十 二 號 二 四 れ て は い る が 、 良 弁 が 実 際 に ど の よ う な 立 場 で 寺 家 の 経 営 に 係 わ っ て い た の か は 当 時 の 史 料 よ り は 伺 い 知 る こ と は で き な い 。 た だ し ﹁ 納 櫃 本 経 検 定 并 出 入 帳 ﹂ の 天 平 十 五 年 ( 七 四 三 ) 三 月 の 記 載 に 、

廿

.浦

辛 國 人 成 ﹂ 四 月 二 日 出 虚 空 經 藏 一 層 依 良 弁 大 徳 宣 、 令 請 大 宅 命 夫 所 、 付 光 明 寺 沙 弥 玄 ﹁ 納 了 赤 万 呂 ﹂ 赤 万 呂 ( 2 ) ( 3 ) と あ り 、 こ れ よ り 良 弁 が 東 大 寺 の 前 身 で あ る 金 光 明 寺 三 綱 の 上 座 で あ っ た と い う 指 摘 が あ る 。 天 平 十 五 年 の 時 点 で 良 弁 が 三 綱 の 上 座 で あ っ た こ と が 認 め ら れ る と し て も 、 果 た し て 金 光 明 寺 が 東 大 寺 と 称 さ れ る よ う に な る 天 平 二 十 年 ( 七 四 八 ) 頃 に 三 綱 で あ っ た か ど う か は 明 ら か で は な く 、 む し ろ そ の 前 後 に は 三 綱 か ら 一 歩 退 い て い た の で は な い だ ろ う か 。 と い う の も 、 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 天 平 勝 宝 三 年 ( 七 五 一 ) 四 月 甲 戌 条 に は 、 良 弁 の 少 僧 都 任 命 記 事 が あ り 、 多 少 疑 問 は あ る も の の ﹃ 七 大 寺 年 表 ﹄ に は 天 平 十 七 年 (七 四 五 ) の 条 に 律 師 と し て 見 え て い る 。 す な ( 4 ) わ ち 、 僧 綱 の 不 偏 不 党 と い う 立 場 を 考 慮 に 入 れ る な ら ば 、 僧 綱 入 り を 果 し た 時 点 で 寺 院 経 営 か ら は 当 然 離 れ た と 見 る 方 が 自 然 で あ り 、 実 際 、 天 平 末 年 よ り 良 弁 の 名 は 東 大 寺 関 係 の 文 書 に 三 綱 と し て の 署 名 は 見 ら れ な い 。 そ し て 、 寺 内 に お け る 影 響 力 が 無 く な っ た と は 考 え ら れ な い が 、 表 面 上 寺 家 の 経 営 よ り 遠 ざ か る こ と と な っ た 良 弁 に か わ り 東 大 寺 の 運 営 を 行 っ た の は 、 当 然 良 弁 の 弟 子 で あ る 東 大 寺 僧 ー 良 弁 の 居 所 で あ る 上 院 を 中 心 に 僧 団 を 形 成 し て い た 僧 達 で あ っ た 。 そ の 中 で も 、 早 い 時 期 よ り 三 綱 を 構 成 し て い た も の と し て 、 安 寛 ・ 平 栄 ・ 法 正 等 の 名 が 見 え る 。

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  ら   そ の う ち の 安 寛 に つ い て は 、 佐 久 間 竜 氏 が そ の 伝 に つ い て の 考 察 を 行 っ て お ら れ る が 、 道 鏡 と の 関 係 な ど 私 見 と 相 違 す る 部 分 も 有 り 、 佐 久 間 氏 の 考 察 に 負 う と こ ろ が 多 い が 、 今 一 度 考 察 を 行 い た い 。 安 寛 の 史 料 上 の 初 見 は 、 天 平 十 五 年 ( 七 四 三 ) の ﹁ 律 論 疏 集 傳 本 収 納 并 返 送 帳 ﹂ に 、 十 二 月 四 日 納 六 巻 抄 三 巻 第 四 第 五 第 六 以 十 六 年 四 月 十 五 日 返 使 人 成 右 安 寛 師 所 受 人 成 と あ 露 W こ の 時 に は 東 大 寺 の 前 身 で あ る 金 光 明 寺 に お い て 師 位 僧 で あ っ た 。 ま た 、 天 平 十 八 年 四 月 に は そ の 宣 に よ っ       て 借 経 を 行 っ て お り 、 ﹁ 宣 ﹂ を 発 す る 立 場 に あ っ た こ と が 判 る 。 そ の 後 、 大 仏 開 眼 が 行 わ れ る 以 前 に は 既 に 上 座 と し て の 署 名 が 見 ら れ 、 遅 く と も 天 平 勝 宝 二 年 ( 七 五 〇 ) 五 月 に は C am ) 上 座 と な っ て い た 。 と こ ろ で 、 三 綱 に 関 し て は ﹃ 令 集 解 ﹄ 僧 尼 令 自 還 俗 条 に ﹁ 三 綱 者 。 上 座 。 寺 主 。 都 維 那 也 。 ﹂ と 見 、兄 、 ﹃ 令 集 解 ﹄ 同 令 同 条 に 引 用 す る 古 記 に ﹁ 三 綱 。 謂 寺 主 。 上 座 。 都 維 那 也 。 ﹂ と あ る こ と か ら 、 上 座 . 寺 主 . 都 維 那 を 三 綱 と 称 し た こ と が 明 か と な る 。 そ し て 、 一 般 に 上 座 は 一 寺 の 長 老 、 寺 主 は 寺 院 の 運 営 を 、 都 維 那 は 寺 の 一 切 の 寺 務 を 司 ど る 役 で ( 9 ) あ っ た と 考 え ら れ て い る 。 す な わ ち 、 こ の 時 点 で 上 座 で あ っ た と い う こ と は 、 先 に 見 た 史 料 に 三 綱 と し て 記 さ れ て い な い と し て も 、 以 前 よ り 三 綱 の 一 員 と な っ て い た 可 能 性 を 推 測 す る こ と は 十 分 に 可 能 で あ ろ う 。 そ し て 、 こ の 時 点 で の 上 座 職 は 良 弁 の 後 を 受 け て 就 任 し た 可 能 性 が あ り 、 安 寛 が 良 弁 の 弟 子 で あ る な ら ば 、 寺 内 に お い て は 良 弁 に 次 ぐ 立 場 に あ っ た と 推 測 す る こ 東 大 寺 僧 安 寛 と 平 栄 二 五

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佛 教 大 學 大 學 院 紀 要 通 巻 第 二 十 二 號 二 六 と が で き る 。 た だ し 、 こ の 時 安 寛 が 上 座 と し て 署 名 し て い る の は 天 平 勝 宝 ご 年 ( 七 二 〇 ) の み で あ り 、 そ れ 以 降 で は 天 平 宝 字 五       年 ( 七 六 一 ) 三 月 ま で そ の 署 名 は 見 え ず 、 そ の 問 天 平 勝 宝 三 年 ( 七 二 一 ) 十 一 月 十 二 日 の ﹁ 東 大 寺 律 宗 牒 ﹂ に 大 学 頭   け   と し て の 署 名 が 見 え る 。 こ の 記 載 か ら は 、 安 寛 は 華 厳 に 加 え て 律 に も 造 詣 が 深 か っ た と 推 測 で き る 。 し か し 、 凝 然 の ﹃ 三 国 仏 法 伝 通 縁 起 ﹄ 中 巻 の 法 相 宗 の 項 に は 、 良 辨 弟 子 或 有 華 嚴 法 相 兼 學 。 如 安 寛 律 師 。 標 瓊 律 師 。 鏡 忍 律 師 等 。 と あ る 。 こ れ は 、 同 書 に 師 で あ る 良 弁 が 義 淵 の 上 足 と し て 華 厳 ・ 法 相 兼 学 と 記 さ れ て お り 、 そ の た め に 先 に 見 た ﹁ 天 応 元 年 師 資 序 ﹂ に 見 え る 三 人 が 華 厳 ・ 法 相 兼 学 の 僧 と し て 後 世 に 伝 わ っ た も の で あ ろ う 。   ね   こ の こ と に つ い て は 、 年 月 未 詳 で は あ る が ﹁ 僧 智 憬 章 疏 本 奉 請 啓 ﹂ に 、 法 性 宗 靆 鸚 黝 師 鸛 臑 轜 三 論 宗 緻 讖 覊 師 小 學 頭 翌 師 律 宗 懿 鏤 鯱 師 小 蠶 法 正 師 倶 舎 宗 靆 驛 鰯 師 小 蠡 響 ム 成 實 宗 繖 櫞 鷺 胱 鱇 小 學 頭 憬 忠 師 と 記 さ れ て お り 、 こ こ で も 安 寛 は 律 宗 の 大 学 頭 と い う 記 載 が あ り 、 法 相 宗 と の 関 係 を 伺 う こ と は で き な い 。 た だ し 、 安 寛 が 法 相 を 学 ん で は い た と い う 可 能 性 は あ る も の の 、 史 料 を 見 る 限 り は 経 典 類 の 貸 借 も 律 宗 関 係 の 聖 教 類 が 多 儒 W 安 寛 は 律 宗 の 研 究 を 主 に 行 っ て い た と い え る 。

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そ の 後 、 天 平 宝 字 三 年 ( 七 五 九 ) 十 二 月 の ﹁ 獻 物 出 用 帳 ﹂ に 安 寛 の 名 が 見 え る が 、 こ の 時 点 で は 上 座 と し て で は な く 単 に 層 安 寛 L と し て 見 え 墾 三 ﹂ に 名 が 見 え る の は 、 東 大 寺 を 袋 し て の こ と で あ る と 耋 ら れ る が 、 そ の 肩 書 が 何 等 記 さ れ て い な い こ と よ り 、 既 に 上 座 の 職 を 退 い て い た と 考 、兇 ら れ る 。 と こ ろ で 、 ﹁ 雙 倉 雑 物 北 出 用 帳 ﹂ の 天 平 宝 字 五 年 ( 七 六 一 ) 三 月 二 十 九 日 と 翌 六 年 十 二 月 十 四 日 に は 再 び 上 座 と し て そ の 名 が 見 え る 鷁 W こ の 時 は 僧 と の み 表 記 さ れ る の で は な く コ ニ 綱 上 座 ﹂ と し て 見 え る 。 天 平 勝 宝 八 歳 ( 七 五 六 ) 八 月 以 野 平 宝 字 四 年 ( 七 六 〇 ) ± 月 ま 癖 平 栄 が 上 座 と な っ て お り 、 安 寛 の 場 合 篝 任 で あ っ た 。 し か し 、 普 通 三 綱 内 で は 、 都 維 那 ← 寺 主 ← 上 座 と い う 移 動 で あ っ た と 考 え ら れ る の に 対 し て 、 こ の 時 の 安 寛 の 任 命 に よ っ て 平 栄 は 上 座 よ り 寺 主 へ と な っ て お り 、 史 料 を 見 る 限 り 上 座 か ら 寺 主 へ の 移 動 は 見 ら れ ず 、 降 格 と い っ て も よ い の で は な い か と 思 わ れ 疑 問 と な る Q と こ ろ で 、 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 天 平 勝 宝 八 歳 ( 七 五 六 ) 五 月 丁 丑 ( 二 十 四 日 ) 条 に は 、 丁 丑 。 勅 。 奉 爲 先 帝 陛 下 窟 請 看 病 禪 師 一 百 十 六 人 者 。 宜 免 當 戸 課 役 。 但 良 弁 。 慈 訓 。 安 寛 三 法 師 者 。 並 及 父 母 兩 戸 。 然 其 限 者 終 僧 身 。 ( 以 下 略 ) と い う 記 事 が あ り 、 同 月 乙 夘 ( 二 日 ) に 崩 御 し た 聖 武 太 上 天 皇 た め に 看 病 に 当 っ た 僧 に 対 し て の 褒 賞 が 行 わ れ て お り 、 そ こ に 良 弁 と と も に 安 寛 の 名 が 見 え る 。 こ れ は 、 安 寛 が 内 道 場 に 看 病 禅 師 と し て 活 動 し て い た こ と を 示 す 。 安 寛 が い つ 内 道 場 に 入 っ た か は 不 明 で あ る が 、 こ の こ と に 関 し て は 天 平 勝 宝 四 年 ( 七 五 二 ) 十 一 月 九 日 の ﹁ 東 大 寺 三 鯉 ﹂ に ﹁ 大 學 頭 内 参 向 ﹂ と 見 趨 ・ 佐 久 間 氏 の 藕 さ れ て い る よ う に こ の 大 学 頭 は 安 寛 と 考 え ら れ 、 天 平 勝 宝 四 年 の 時 点 で は 既 に 内 道 場 に 入 っ て い た と 考 え て よ い で あ ろ う 。 さ ら に 、 そ の こ と を 証 明 す る も の と し て 、 天 平 勝 宝 五 年 東 大 寺 僧 安 寛 と 平 栄 二 七

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佛 教 大 學 大 學 院 紀 要 通 巻 第 二 十 二 號 二 八 ( 七 五 二 ) の ﹁ 東 大 寺 安 寛 請 経 文 ﹂ に 、 奉 請 如 意 陀 羅 尼 經 小 巻 右 、 爲 大 御 夥 末 將 誦 請 如 前 、 又 釋 摩 界 陀 羅 尼 又 花 嚴 經 壽 命 品 天 平 勝 寳 五 年 九 月 昔 三 日 付 沙 弥 定 矜 僧 安 寛   ド   と 見 え 、 明 ら か に 聖 武 太 上 天 皇 の 病 気 快 癒 を 目 的 と し て の も の と 思 わ れ る 。 た だ し 、 安 寛 は 本 来 律 宗 の 大 学 頭 で あ っ た に も 係 わ ら ず 、 内 道 場 に お い て 看 病 禅 師 と し て 活 動 し て い る が 、 こ れ は 多 分 に 師 良 弁 の 影 響 が 大 き い の で は な い だ ろ う か 。  ふ   と こ ろ で 、 ﹁ 雙 倉 北 雑 物 出 用 帳 ﹂ に は 天 平 宝 字 五 年 ( 七 六 一 ) 三 月 に ﹁ 猖 皮 一 両 施 安 寛 師 ﹂ と 見 え 、 一 緒 に 施 し を 受 け て い る も の に は ﹁ 唐 曇 浄 師 ﹂ ﹁ 法 進 師 ﹂ ﹁ 明 智 師 ﹂ と 三 人 の 名 が 見 え る 。 こ の う ち 法 進 は こ の 時 に は 律 師 で あ り 、 鑒 真 の 後 を 受 け 東 大 寺 戒 壇 . 唐 禅 の 二 院 を 任 さ れ て い る 。 他 の 二 人 に つ い て は 詳 ら か で は な い が 、 曇 浄 が 曇 静 と 同 一 人 物 と す る と 、 鑒 真 に 従 い 来 朝 し た 唐 僧 の 一 人 と い う こ と に な る 。 安 寛 を 含 む こ の 四 人 の 僧 が い か な る 基 準 で 施 し を 受 け た の か は 不 明 で あ る が 、 聖 武 太 上 天 皇 不 予 に 際 し て 看 病 禅 師 で あ っ た た め か 、 あ る い は 引 続 き 内 道 場 に 関 係 し て い た た め に 優 遇 さ れ た の で は な い だ ろ う か 。

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さ て 、 話 は 前 後 す る が ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ に 安 寛 と と も に 名 の 見 え る 良 弁 と 慈 訓 の 二 人 は 、 先 の 文 に 続 い て そ れ ぞ れ 大 僧 都 . 律 師 に 任 じ ら れ て い る 。 こ の 両 者 に 関 し て は 多 分 に 論 功 行 賞 的 な 意 味 を 含 ん だ 任 命 で あ っ た と 思 わ れ る が 、 安 寛 に つ い て は 何 も 触 れ ら れ て は い な い 。 こ の 時 の 、 安 寛 の 功 績 に 対 す る 政 治 的 な 配 慮 に よ っ て 、 先 に 見 た よ う に 安 寛 が 東 大 寺 上 座 に 再 任 さ れ た と も 考 え ら れ る が 、 そ れ に し て は 時 期 的 に か な り の ズ レ が 生 じ 、 安 寛 の 上 座 再 任 の 理 由 は 不 明 と し か い い よ う が な い で あ ろ う 。 ま た 、 ﹁ 雙 倉 北 雑 物 出 用 帳 ﹂ に 、 九 月 十 一 日 下 御 大 刀 肆 拾 捌 口 黒 作 大 刀 肆 拾 口 御 弓 壹 伯 參 枝 醂 鄭 叶 棚 枝 蘇 遡 醸 婀 牾 昏 報 一樋 九 枝 甲 壹 伯 領 雕 聊 軌 鰰 領 靫 參 具 納 矢 二 百 無 隻 背 琴 漆 靫 壹 具 納 矢 五 十 隻 胡 禄 玖 拾 陸 具 各 納 矢 納 櫃 貳 拾 貳 合 娼 魘 竜 飴 韓 橿 + 六 A. 並 着 鑠 子 布 綱 二 条 以 前 依 安 寛 法 師 今 日 宣 獻 内 裏 如 件 即 付 安 寛 師 天 平 寳 字 八 年 九 月 十 一 日 造 寺 司 判 官 佐 伯 宿 祢 真 守 主 曲 ハ志 斐 連 麻 呂 東 大 寺 僧 安 寛 と 平 栄 二 九

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佛 教 大 學 大 學 院 紀 要 通 巻 第 二 十 二 號 三 〇 使 法 師 安 寛 大 僧 都 賢 太 法 師 三 綱 可 信 と 見 え る 溯 W こ の 日 は ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 天 平 宝 字 八 年 ( 七 六 四 ) 九 月 乙 巳 条 に よ れ ば 藤 原 仲 麻 呂 の 乱 が 勃 発 し た 当 日 で あ り 、 安 寛 は ﹁ 宣 ﹂ に よ り 、 正 倉 院 に 納 め て あ っ た 武 器 を 内 裏 へ と 運 ぶ 使 者 と な っ て い る 。 こ の 宣 を 誰 が 発 し た か は 特 定 で き な い が 、 同 様 に 安 寛 が こ の 当 時 寺 内 で ど の よ う な 立 場 に あ っ た の か は 不 明 で あ る 。 し か し 、 同 六 年 ま で は 上 座 で あ り 、 寺 家 を 代 表 す る 僧 の 一 人 で あ っ た 者 が 自 ら 使 法 師 と な っ て い る こ と を 考 え る と 、 良 弁 の 指 示 で あ っ た と 考 え て も よ い の で は な い だ ろ う か 。 た だ し 、 仲 麻 呂 の 乱 に 際 し て 良 弁 の 動 向 は 明 ら か で は な い が 、 造 東 大 寺 司 に お い て は 仲 麻 呂 派 か ら 反 仲 麻 呂 派 へ の 人 事 の 交 袋 行 わ れ て 搬 豪 に お い て も 孝 樊 上 天 皐 道 鏡 側 に つ い た の で は な い か と 考 え ら れ て い 鵁 普 通 、 こ の 乱 に 関 し て は 仲 麻 呂 対 孝 謙 ・ 道 鏡 と い う 図 式 で 見 ら れ て い る が 、 こ れ は 乱 後 に 道 鏡 が 異 常 な 昇 級 を し た た め で あ り 、 実 際 は 乱 に 際 し て は 仲 麻 呂 と 孝 謙 と の 対 立 に 因 を 発 し て い る も の で あ る 。 従 っ て 良 弁 の 場 合 僧 綱 の 一 員 で あ り ・ 孝 謙 の 父 母 で あ る 聖 武 ゜ 光 翠 と の 関 係 の 深 か っ た 東 大 蘚 あ っ て は 反 仲 密 の 姿 勢 を 採 る の は 当 然 で あ り 、 寺 家 の 趨 勢 と し て も 同 様 で あ っ た も の と 考 ・兄 ら れ る 。 ま 婁 寔 つ い て は ・ 乱 後 の + 月 に は ﹁大 律 師 大 禪 齷 と し て 旻 る 。 僧 綱 入 り を 果 し 同 躄 大 禅 師 と な っ た と い う こ と か ら 、 佐 久 間 氏 は 道 鏡 と の 深 い 関 係 を 示 唆 し て お ら れ る 。 し か し 、 東 大 寺 と 天 皇 家 と の 浅 か ら ぬ 関 係 を 考 ・兄 る

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と 、 例 え 道 鏡 政 権 乍 で の 任 命 で あ っ た と は い え ど も 、 良 弁 の 地 位 に は 変 化 は 見 ら れ な い こ と か ら も 、 そ う 簡 単 に 結 び 付 け る こ と は で き な い 。 つ ま り 、 既 に 見 た こ と で は あ る が 、 安 寛 は 聖 武 太 上 天 皇 不 予 に 際 し て は 、 看 病 禅 師 と し て 内 道 場 に あ り 、 そ の 功 績 に よ っ て 特 に 褒 賞 さ れ て い る 。 そ の 後 、 内 道 場 を 辞 し た か ど う か は 定 か で は な い が 、 大 禅 師 と な っ て い る と い う こ と は 、 引 続 い て 内 道 場 に 居 た と 考 え る こ と が で き る 。 孝 謙 の 内 道 場 ・ 看 病 禅 師 と い え ば 、 す ぐ に 道 鏡 の 名 が 浮 ぶ が 、 か つ て 聖 武 太 上 天 皇 不 予 に 際 し て 内 道 場 に は 、 一 二 六 人 の 看 病 禅 師 が 存 在 し た こ と が ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ の 記 事 よ り 明 白 と な り 、 常 時 数 人 が 内 道 場 に 居 た と し て も 何 等 不 思 議 で は な い 。 そ う す る と 、 安 寛 は 孝 謙 の 内 道 場 に 居 た と 考 え る こ と が 可 能 と な り 、 安 寛 と 道 鏡 と の 関 係 よ り も む し ろ 孝 謙 と の 関 係 を 重 視 す る べ き で あ る 。 そ う 考 え る こ と で 、 安 寛 が 使 法 師 と し て 自 ら 内 裏 に 武 器 を 進 上 し て い る こ と も 納 得 で き る の で あ る 。 ま た 、 ﹃ 延 喜 式 ﹄ 巻 二 十 一 玄 蕃 寮 任 僧 綱 条 に は ﹁ 凡 任 僧 綱 者 。 必 簡 其 人 。 奉 勅 定 之 。 ﹂ と あ り 、 天 皇 の 意 志 が 僧 綱 人 事 に 反 映 さ れ て い る こ と は 確 実 で あ り 、 い く ら 特 殊 な 状 況 下 に あ っ た と し て も 、 単 純 に 道 鏡 の 意 志 の み で 僧 綱 人 事 が 行 わ れ て い る と は 考 え ら れ ず 、 良 弁 に 関 し て も 何 等 僧 綱 で の 地 位 に 変 化 は 見 ら れ な い こ と か ら も 明 か と な る 。 そ し て 、 天 平 神 護 元 年 (七 六 七 ) 四 月 吾 の 層 鯉 L に ﹁大 藷 進 守 大 禪 師 ﹂ と 見 え 梦 を 最 後 髪 寛 の 名 は 史 料 上 か ら は 姿 を 消 す 。 こ の こ と に 関 し て 佐 久 間 氏 は 、 死 去 に よ る も の と 道 鏡 一 派 と の 対 立 の 二 つ の 可 能 性 を 挙 げ て 、 そ の 理 由 と し て は 前 者 に よ る も の が 自 然 で あ る と 考 え て お ら れ る 。 た だ し 、 こ れ は 安 寛 と 道 鏡 と の 関 係 が 深 い も の で あ っ た と い う 前 提 の 上 で 導 か れ た 結 果 で あ る 。 今 ま で 見 て き た よ う に 両 者 の 関 係 は 佐 久 間 氏 の 考 ・兄 て お ら れ る ほ ど 深 い も の で は な く 、 対 立 が あ っ た と い う 可 能 性 東 大 寺 僧 安 寛 と 平 栄 一三

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佛 教 大 學 大 學 院 紀 要 通 巻 第 二 十 二 號 三 二 も 無 い こ と は な い 。 し か し 、 安 寛 が 道 鏡 ほ ど で は な い に し ろ 女 帝 の 信 任 を 得 て い た と す る な ら ぽ 、 例 、兄 道 鏡 と い 、兄 ど も 簡 単 に 処 分 す る こ と は 不 可 能 で あ る 。 道 鏡 失 脚 後 も 師 良 弁 が 健 在 で 史 料 に そ の 名 が 見 え る の に 対 し て 、 以 後 全 く 安 寛 の 名 が 見 え な い こ と か ら も 程 な く 死 去 し た も の と 考 え る 方 が や は り 自 然 で あ る 。 以 上 、 安 寛 に 関 す る 私 見 を 述 べ て き た が 、 従 来 考 え ら れ て い る よ う に 安 寛 と 道 鏡 の 関 係 は 深 い も の で は な く 、 藤 原 仲 麻 呂 の 乱 前 後 に お け る 行 動 も 道 鏡 と の 関 係 で 取 っ た も の で は な く 、 孝 謙 天 皇 と の 関 係 で 考 え た ほ う が よ い で あ ろ う 。 さ ら に 付 加 え る な ら ぽ 、 安 寛 が 東 大 寺 及 び 僧 綱 な ど で 占 め た 地 位 も 、 師 で あ る 良 弁 の 存 在 が 大 き く 影 響 を 与 ・兄 て い た も の と い え る で あ ろ う 。 二 、 平 栄 先 に 見 た 安 寛 と ほ と ん ど 同 時 期 に 、 そ の 活 動 の 足 跡 を 残 し て い る 平 栄 で あ る が 、 平 栄 を 主 題 と す る 研 究 は 見 当 ら な い ・ 佐 久 間 氏 に よ っ て 政 僧 と い う 評 禦 午 兄 ら れ て い る 塑 こ れ は 平 栄 が 東 大 盡 営 量 覆 役 割 藁 し 螽 で あ っ た と い う こ と に 起 因 し て い る 。 そ れ は 、 純 粋 に 学 問 研 究 に 精 進 し て い た 僧 に 比 べ て の 評 価 で あ る が 、 佐 久 間 氏 が 指 摘 し て お ら れ る よ う に 、 初 期 の 東 大 寺 運 営 に お い て 平 栄 は 決 し て 欠 く こ と の で き な い 僧 で あ っ た と い 、兄 る 。 平 栄 の 初 見 は 、 安 寛 よ り 僅 か に 早 く 天 平 十 五 年 ( 七 四 三 ) 七 月 に ﹁ 律 論 疏 集 傳 等 本 収 納 并 返 送 帳 ﹂ に ﹁ 平 栄 師 ﹂ と 記 さ れ て お 晦 安 寛 と 同 様 既 に こ の 時 点 で 金 光 明 寺 の 師 位 僧 の 一 人 で あ っ た 。 そ の 後 ・ 天 平 + 九 年 ( 七 四 七 ) + 二 月 以 随 天 平 璧 二 年 ( 七 五 〇 ) + 月 ま 語 知 事 と し て み 柔 翌 三 年 以 降 は 三

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綱 の 寺 主 と し て 旻 躯 さ ら に 、 天 平 勝 宝 八 歳 (七 五 六 ) 八 肆 ら 天 平 搴 四 年 (七 亠ハ 。 ) ± 馨 で は 三 綱 の 上 座   ム   と し て 見 、兄 る が 、 天 平 勝 宝 七 歳 か ら は 佐 官 と い う 肩 書 も 加 わ っ て い る 。 こ の 佐 官 に つ い て は ﹃ 令 集 解 ﹄ 僧 尼 令 有 私 条 の 註 に ﹁ 僧 綱 之 録 事 ﹂ と あ り 、 僧 綱 内 の 補 佐 役 と し て 実 務 を 担 当 し 、 大 寺 の 三 綱 ク ラ ス の 僧 が 充 て ら れ て い 価 讃 ) こ の 平 栄 の 場 合 は 、 特 に 少 僧 都 で あ り か つ 師 で あ っ た 良 弁 の 意 向 が 働 い て の こ と で あ ろ う 。 例 、兄 ば 、 ^ 天 平 宝 字 五 年 ( 七 六 一 ) 末 か ら 翌 六 年 八 月 ま で 行 わ れ た 石 山 寺 の 造 営 に 際 し 、 良 弁 が そ の 造 営 に 自 ら 、 あ る い は そ の 私 的 な 機 関 で あ る 上 院 務 所 を 介 し て 関 与 し て い た が 、 そ の 上 院 務 所 の 一 員 に 円 栄 と い う 僧 が 見 ら れ る 。 こ の 時 円 栄 は 更 生 僧 L と 旻 る 難 こ れ は 僧 綱 の 塞 僧 で あ 勉 明 ら か 鬟 弁 の 歪 派 遣 さ れ て い た の で あ る ・ つ ま り 、 浪 弁 は 大 僧 都 と し て 史 生 僧 を 使 う こ と が 許 さ れ る 立 場 に あ り 、 そ の た め に は 自 ら の 意 に 従 順 に 動 く こ と の で き る も の の ほ う が 都 合 が よ い の は 当 然 で あ る 。 そ し て 、 同 様 に 僧 綱 が そ の 佐 官 を 選 ぶ に 際 し て は 、 そ の 意 志 が 介 し て い た と 考 え る ほ う が 自 然 で あ ろ う 。 ま た 平 栄 が 僧 綱 の 一 員 と な っ た の は 、 佐 官 で あ っ た に し ろ 安 寛 よ り は 早 い が 、 天 平 宝 字 五 年 ( 七 六 一 ) に 安 寛 が 上 座 に 再 任 さ れ る と 同 時 に 、 平 栄 は 寺 主 と な っ て い る 。 奈 良 時 代 の 三 綱 内 で の 移 動 が ど の よ う に 受 取 ら れ て い た の か 定 か で は な い が 、 一 般 的 に 考 え て 一 種 の 降 格 で あ っ た と も 考 え ら れ る 。 し か し 、 僧 綱 の 佐 官 は 兼 任 し て お り 、 良 弁 あ る い は 何 等 か の 意 志 が 働 き 、 こ の 時 安 寛 が 上 座 に 再 任 さ れ た と す る と 、 決 し て 降 格 で あ っ た と い い き る こ と は で き な い 。 と こ ろ で 、 平 栄 は 天 平 勝 宝 三 年 ( 七 五 一 ) 以 降 は 寺 主 と 見 え 、 こ の 時 点 で 知 事 よ り 寺 主 へ 転 任 し た と 考 え ら れ て い   お   る が 、 同 年 十 一 月 に は 再 び 知 事 と 見 え る 。 知 事 に つ い て は ﹃ 延 喜 式 ﹄ 巻 二 十 一 玄 蕃 寮 別 当 三 綱 条 に ﹁ 東 大 寺 知 事 亦 同 ﹂ と 規 定 さ れ て い る 知 事 と は 別 の 職 で あ り 、 ﹃ 延 喜 式 ﹄ に 規 定 さ れ て い る 知 事 と は 造 東 大 寺 所 の 知 事 の こ と と 思 わ 東 大 寺 僧 安 寛 と 平 栄 三 三

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佛 教 大 學 大 學 院 紀 要 通 巻 第 二 十 二 號 三 四      れ る 。 そ し て 、 こ の 時 平 栄 が 任 じ ら れ て い た 知 事 に 関 し て は 、 三 綱 の 下 で の 具 体 的 な 実 務 の 推 進 役 、 あ る い は 寺 主 の こ と で あ っ た 瀚 ず え ら れ て い る 。 し か し 、 知 事 が 三 綱 の 下 に 位 置 し て い た と い う こ と は 、 今 み た 平 栄 の 例 か ら は 認 め る こ と は で き ず 、 む し ろ 知 事 と 寺 主 の 名 称 の 併 用 が 考 え ら れ る 。 さ ら に 平 栄 以 外 に は 、 知 事 と し て ﹁ 雙 倉 北 雑 物 出 用 帳 ﹂ の 天 平 宝 字 三 年 ( 七 五 九 ) 三 月 に 承 数 の 名 が 以 卞 の よ う に

佐 官 平 栄 三 綱 知 事 承 教 都 維 那 仙 主 可 信 善 季 こ の 場 合 は 、 明 ら か に 三 綱 の 一 員 で あ り 、 事 実 翌 四 月 に は 、 11 1.x ' 寺 主 承 教 都 那 仙 主 可 信 法 正 と あ 囑 W こ れ を 見 る 限 り で は 知 事 が 寺 主 の 別 称 で あ っ た と 認 め ら れ る 。 た だ し 、 承 教 に 関 し て 、 こ れ 以 後 に 三 綱 と し   ゐ   て は 宝 亀 二 年 ( 七 七 一 ) か ら 翌 年 に か け て に 上 座 と し て そ の 名 が 見 え る の み で あ り 、 そ れ ま で の 十 二 年 間 三 綱 と し て

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は 見 え な い こ と は 不 自 然 で は な い だ ろ う か 。 ﹁ 雙 倉 北 雑 物 出 用 帳 ﹂ に 関 し て 、 冒 頭 の 天 平 勝 宝 八 歳 ( 七 五 六 ) ・ 同 九 歳 に 見 え る 造 東 大 寺 司 の 官 人 に 葛 木 宿 祢 戸 C 猛 ) C am ) 主 の 名 が 見 え る が 、 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 天 平 勝 宝 八 歳 十 二 月 乙 夘 条 及 び 同 九 歳 ﹁ 造 東 大 寺 司 沙 金 請 文 ﹂ で は ﹁ 連 ﹂ 姓 と 見 え ( 妬 ) 矛 盾 が 生 じ る 。 そ の た め に 、 ﹁ 雙 倉 北 雑 物 出 用 帳 ﹂ の 冒 頭 部 が 後 に ﹁ 造 東 大 寺 司 沙 金 請 文 ﹂ や ﹁ 施 薬 院 解 ﹂ 等 を 基 に 整 理 作 成 さ れ た も の と 考 え る こ と が 可 能 で あ り 、 そ の 記 載 の 全 て を 素 直 に 受 取 る こ と は で き な い 。 ( 姐 ) さ ら に 、 天 平 勝 宝 三 年 ( 七 五 一 ) 八 月 に 等 貴 が 少 知 事 と し て 見 え る が 、 知 事 が 寺 主 の 別 称 と い う こ と に な る と 、 こ の 時 の 等 貴 は 少 寺 主 で あ っ た と い う こ と に な る 。 そ し て 、 等 貴 は 実 際 に 少 寺 主 と な っ て い る が 、 そ の 初 見 は 天 平 宝 字 C 弼 > C am ) 六 年 ( 七 六 二 ) 三 月 の ﹁ 東 大 寺 牒 ﹂ で あ り 、 そ れ 以 前 は 都 維 那 と し か 見 え な い 。 従 っ て 、 こ の 天 平 勝 宝 三 年 の 時 点 で 等 貴 が 少 寺 主 で あ っ た こ と は 史 料 か ら は 認 め る こ と は で き な い 。 ( 駒 ) 確 か に 、 翌 四 年 か ら 東 大 寺 三 綱 に あ っ て も そ れ ぞ れ 大 小 に 分 化 し て い く こ と は 認 め ら れ 、 大 都 維 那 法 正 ・ 少 都 維 那 ( 51 ) 聞 崇 の 名 が 見 え る 。 し か し 、 東 大 寺 に お い て 少 寺 主 の 初 見 は 天 平 勝 宝 八 歳 ( 七 五 六 ) 十 一 月 五 日 の ﹁ 奴 婢 見 来 帳 ﹂ に ( 52 ) 見 え る 聞 崇 で あ る 。 た だ し 、 こ の 聞 崇 の 少 寺 主 就 任 に 関 し て は 疑 問 が あ り 、 そ の 事 実 を 素 直 に 認 め る こ と は で き な い 。 聞 崇 は こ れ 以 前 に は 、 先 に 見 た よ う に 少 都 維 那 と し て 見 え る が 、 こ の ﹁ 奴 婢 見 来 帳 ﹂ と 天 平 神 護 三 年 ( 七 六 七 ) 七 ( 53 ) ( 54 ) 月 の ﹁ 東 大 寺 奴 婢 見 来 帳 ﹂ に 少 寺 主 と 見 え る の み で 、 こ れ 以 外 は 全 て 少 都 維 那 と し て 見 え る の み で あ る 。 た だ し 、 天 平 宝 字 四 年 ( 七 六 〇 ) に は 新 薬 師 寺 の 上 座 僧 と し て 署 名 し て い る が 、 東 大 寺 に あ っ て は 奴 婢 関 係 の 文 書 に し か 少 寺 主 と 見 え な い 。 こ れ は 聞 崇 あ る い は 東 大 寺 三 綱 に 何 等 か の 事 情 が あ っ た と 考 え る こ と が で き る が 、 こ こ で は 不 明 と し か い え な い 。 東 大 寺 僧 安 寛 と 平 栄 三 五

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佛 教 大 學 大 學 院 紀 要 通 巻 第 二 十 二 號 三 六 と に か く 、 等 貴 の 少 知 事 を 少 寺 主 と 考 え る こ と に は 無 理 が 生 じ 、 従 っ て 知 事 と 寺 主 と を 簡 単 に 同 一 、 知 事 が 寺 主 の 別 称 で あ る と 簡 単 に 考 え る こ と は で き な い 。 ま た 、 平 栄 や 聞 祟 が 知 事 ・ 少 知 事 と し て 名 が 見 え る も の に 共 通 し て い る の は 、 奴 婢 に 関 す る 文 書 で あ る と い う こ と で あ り 、 平 栄 が 寺 主 で あ る こ と が 確 実 な 期 間 で あ っ て も 、 寺 家 の 資 財 に 関 す る も の に つ い て は あ え て 知 事 と い う 名 称 を 使 っ た の で は な い か と い う こ と が 考 え ら れ る 。 ( 55 ) ( 56 ) と こ ろ で 、 平 栄 は 天 平 勝 宝 元 年 ( 七 四 九 ) 五 月 に は ﹁ 東 大 寺 家 野 占 寺 使 法 師 ﹂ ・ ﹁ 東 大 寺 占 墾 地 使 僧 ﹂ と し て 越 前 ・ 越 中 国 へ と 赴 い て い る 。 さ ら に 天 平 勝 宝 八 歳 ( 七 五 六 ) 十 月 ・ 十 一 月 に は 佐 官 兼 上 座 法 師 と し て 因 幡 国 高 庭 庄 . 阿 ( 57 ) 波 国 新 島 庄 の 寺 田 を 占 定 し て い る 。 た だ し 、 天 平 宝 字 二 年 ( 七 五 八 ) か ら 翌 三 年 に か け て 再 び 越 前 . 越 中 へ と 赴 い て       い る が 、 そ の 署 名 位 置 や ﹁ 知 開 田 地 道 僧 ﹂ ﹁ 知 墾 田 地 道 僧 ﹂ と し て 承 天 が 寺 家 側 の 責 任 者 と し て の 署 名 を 行 っ て い る ( 59 ) こ と か ら 、 こ の 場 合 は 寺 家 の 人 間 と し て で は な く 、 僧 綱 の 一 員 と し て 赴 い た も の で あ ろ う 。 す な わ ち 、 こ れ ら の こ と よ り 平 栄 が 寺 家 を 代 表 し て 、 寺 院 運 営 に お け る 主 要 な 資 財 の 一 つ で あ る 庄 園 経 営 に も 携 わ っ て い た こ と が 判 り 、 実 務 を こ な ぜ る 僧 と し て 寺 院 運 営 に 重 要 な 位 置 を 占 め て い た こ と は 容 易 に 推 測 で き る 。 な お 参 考 な が ら 付 け 加 え る と 、 神 護 景 雲 元 年 ( 七 六 七 ) 八 月 三 十 日 の ﹁ 阿 弥 陀 悔 過 料 資 財 帳 ﹂ に 平 栄 は ﹁ 事 知 大 法 ( 60 ) 師 ﹂ と し て 署 名 し て お り 、 こ れ は 平 栄 が 阿 弥 陀 院 で 行 わ れ た 悔 過 の た め に 使 用 さ れ て い た 資 財 に つ い て の 検 校 を 行 っ て い た こ と を 示 す も の で あ る 。 確 か に 、 ﹁ 知 事 ﹂ と ﹁ 事 知 ﹂ で は 両 者 の 名 称 は 異 な る が 知 事 の 職 掌 を 考 え る 上 で 、 平 栄 が 事 知 大 法 師 と し て 署 名 し て い る の は 示 唆 的 で あ る と 思 わ れ る 。 す な わ ち 、 東 大 寺 に あ っ て は 、 三 綱 の 一 員 あ る い は そ れ 以 外 の も の で あ っ て も 、 寺 家 の 資 財 を 監 督 ・ 検 校 す る 場 合 は 、 知 事 ・ 少 知 事 の 職 名 を 使 用 し 、 そ し て 原 則 と し て 知 事 は 寺 主 が 優 先 的 に 兼 任 し て い た と 考 え る こ と も で き る 。

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( 61 ) と こ ろ で 、 平 栄 は 神 護 景 雲 四 年 ( 七 七 〇 ) 五 月 九 日 の ﹁ 雙 倉 北 雑 物 出 用 帳 ﹂ に は ﹁ 中 鎮 進 守 大 法 師 ﹂ と し て 見 え る 。 す な わ ち 、 こ の 年 以 前 に は 僧 綱 佐 官 及 び 東 大 寺 三 綱 の 職 を 退 い て い た と 考 え る こ と が で き る 。 鎮 に 関 し て は ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 宝 亀 十 一 年 ( 七 八 〇 ) 正 月 丙 戌 条 に は ﹁ 諸 國 國 師 。 諸 寺 鎭 三 綱 。 ﹂ と 見 え 、 三 綱 と 並 行 し て 諸 寺 に 設 置 さ れ て い た こ と が 伺 わ れ る 。 ま た ﹁ 鎭 三 綱 ﹂ と あ り 、 ﹃類 聚 三 代 格 ﹄ 収 録 の 承 和 二 年 ( 八 三 五 ) 十 一 月 七 日 付 け の 太 政 官 符 に ﹁ 大 中 少 鎭 ﹂ と 見 え る こ と か ら 、 三 綱 の 上 に 位 置 す る も の で あ り 、 大 中 少 の 区 別 が あ る と 判 る が 、 鎮 の 職 務 等 に 関 し て 詳 し く 規 定 さ れ た 史 料 は な く 不 明 で あ る 。 た だ し 、 ﹃ 延 喜 式 ﹄ 巻 二 十 一 玄 蕃 寮 別 当 三 綱 条 に ﹁ 別 當 及 尼 寺 鎮 ﹂ と あ り 、 平 安 時 代 に は 尼 寺 に 置 か れ て お り 、 そ の 表 記 か ら 考 え て 、 尼 寺 の 別 当 、 す な わ ち 尼 寺 に ( 62 ) お け る 長 官 的 職 で あ っ た と 考 え ら れ る 。 し か し 、 こ れ は ﹃ 延 喜 式 ﹄ 成 立 時 に 置 け る 結 果 で あ り 、 先 の 太 政 官 符 で 設 置 が 禁 じ ら れ る ま で は 、 僧 寺 に お い て も 鎮 が 置 か れ て い た こ と は 確 実 で あ る 。 実 際 に は 、 多 く の 寺 院 に 鎮 が 設 置 さ れ て い た と 推 測 さ れ る が 、 史 料 の 制 限 も あ り 管 見 に 触 れ た も の を 一 覧 に し た も の が 表 一 で あ る 。 こ の 内 、 尼 寺 で あ る 法 華 寺 に 慶 俊 が 鎮 ( 大 鎮 ) と な っ て い る こ と は 注 目 に 値 す る が 、 慶 俊 の 法 華 寺 鎮 任 命 の 理 由 は 不 明 で あ る が 、 こ れ は ﹃ 延 喜 式 ﹄ に 見 え る 尼 寺 に 置 け る 別 当 的 立 場 で あ っ た と 考 え ら れ る 。 ま た 、 弘 福 寺 ・ 石 山 寺 ・ 香 山 薬 師 寺 に お い て は 鎮 と 三 綱 の 兼 務 が 見 ら れ る 。 た だ し 、 香 山 薬 師 寺 の 大 鎮 で あ っ た 性 泰 の み は 、 寺 主 で は あ っ て も 東 大 寺 の 寺 主 で あ る 。 こ れ は ﹃ 東 大 寺 要 録 ﹄ 巻 第 六 封 戸 水 田 章 第 八 収 録 の 延 暦 十 二 年 ( 七 九 三 ) 三 月 十 一 日 の ﹁ 僧 綱 牒 ﹂ に は 、 ﹁ 去 天 平 寳 字 六 年 潤 十 二 月 十 七 日 有 恩 勅 使 。 割 於 東 大 寺 料 一 百 戸 。 施 入 此 寺 永 供 養 修 造 靈 塔 佛 僧 坊 類 料 。 ﹂ と あ り 、 東 大 寺 の 封 戸 が 割 か れ て 新 薬 師 寺 へ 与 え ら れ て お り 、 そ の 関 係 に よ っ て 東 東 大 寺 僧 安 寛 と 平 栄 三 七

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佛 教 大 學 大 學 院 紀 要 通 巻 第 二 十 二 號 三 八 表 一 年 号 西 暦 一 月 日

τ

五 九 記 載 文 書 等 寺 院 名 僧 名

一融

経 疏 出 納 帳 下 野 寺 鎮 三 綱 牒 天 平 璧 八 薯 五 亠△ 五 二 旦 ﹃簪 本 紀 ﹄ 天 平 宝 字 二 生 七 五 ム 一 ﹃ 行 華 譜 ﹄

=

西

天 平 宝 字 塁 七 六 二 三 ニ ム 矢 ・ 公 吉 人 解

天 平 神 護 元 年 葵 五 旦 七 [ 魑 寺 鐘 一藕 牒

神 護 景 雲 二 著 六 五

( 宝 亀 五 年 ) 宝 亀 一 一 年 延 暦 七 年 七 七 四 七 八 〇 七 八 八

九 五 一 二 二

九 一二 五 三 一 神 護 景 雲 二 年 記 雙 倉 北 雑 物 出 用 帳 造 東 大 寺 司 牒 ﹁ 西 大 寺 資 財 流 記 帳 ﹂ ﹁多 度 神 宮 寺 伽 藍 縁 起 資 財 帳 ﹂ 延 暦 八 年 帳 二 間 毳 本 納 返 帳

冖蠡

下 野 寺 大 鎮 法 慧 ﹁ 少 鎮 永 覚 法 華 寺 一 鎮 靂 一菅 原 寺

一近 江 国 分 寺 大 鎮 福 尋

鎮 僧 最 信

一殖 槻 寺

西 琳 寺 東 大 寺 西 隆 寺 冖西 大 寺 (鎮 三 綱 ) 神 勇 大 鎮 兼 東 大 寺 々 主 一 性 泰 少 鎮 花 柏 大 鎮 等 定

(鎮 三 綱 )

西 琳 寺 一 少 鎮 南 寺 勝 龍 冨 寺 鎮 御 房 ) 出 典 ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 三 巻 五 一 三 頁 ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 九 六 頁 ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 二 八 頁 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 一 ﹃ 塞 年 譜 ﹄ 一 ﹃ 大 呆 古 文 晝 四 巻 四 九 九 頁 一 ﹃ 大 呆 古 文 書 ﹄ 二 五 巻 三 〇 会 [ ﹃杏 本 古 文 畫 萎 三 八 頁 一 験 髞 古 文 書 ﹄ 五 巻 五 一 九 ∼ ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 五 巻 七 〇 二 ∼ 一 七 〇 三 頁 ﹁ 西 琳 寺 文 永 注 記 ﹂ ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 一 九 七 頁 四 巻 一 九 六 ∼ ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ ニ 11 1巻 1 六 九 頁 ﹃ 寧 楽 遣 文 ﹄ 中 巻 ﹃ 平 安 遺 文 ﹄ 第 一 巻 ﹁ 西 琳 寺 文 永 注 記 ﹂ 一 ﹃大 呆 軣 書 ﹄ 九 巻 六 〇 六 頁

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大 寺 側 か ら の 資 財 の 監 査 ・ 監 督 と い う 意 味 で 大 鎮 と し て 派 遣 さ れ て い た の で は な い か と 推 測 で き る 。 し か し 、 香 山 薬 師 寺 の 場 合 は 東 大 寺 と の 関 係 に よ っ て 東 大 寺 寺 主 で あ っ た 性 泰 が 派 遣 さ れ て い た と い う 特 殊 な 事 情 が あ っ た が 、 他 の 弘 福 寺 ・ 石 山 寺 に 関 し て は そ れ ぞ れ の 寺 の 三 綱 が 鎮 を 兼 任 し て い る 。 そ う す る と 、 鎮 が 三 綱 の 上 に 位 置 し た と す る と 、 同 系 統 の 職 で は な く 、 三 綱 に 並 行 し て 存 在 し て い た の で は な い だ ろ う か 。 つ ま り 、 寺 家 別 当 制 が 成 立 す る と 、 ﹃ 延 喜 式 ﹄ に 見 え る よ う に 別 当 と 三 綱 の 関 係 は 長 官 と 任 用 の 関 係 で あ る 。 別 当 は あ く ま で も 三 綱 の 上 位 に 位 置 し 、 別 当 ー 三 綱 と い う 図 式 と な り 、 決 し て 三 綱 と の 兼 任 は あ り え な い 。 従 っ て 、 後 世 の 尼 寺 鎮 は 僧 寺 の 別 当 地 的 地 位 で あ っ た と 考 え ら れ る が 、 奈 良 時 代 に お け る 鎮 は 三 綱 の 上 に 位 置 す る と し て も 決 し て 寺 家 別 当 と 同 じ 立 場 で は な い 。 む し ろ 知 事 の よ う に 三 綱 に 並 行 す る も の で あ り 、 そ の 署 名 が 土 地 の 売 買 な ど の 寺 院 資 財 に 関 す る も の に 見 え る の は 、 東 大 寺 の 例 で 見 た 知 事 と 同 じ く 寺 家 の 資 財 管 理 と い う 分 野 に 関 与 す る た め の 職 で あ っ た の で は な い だ ろ う か 。 さ て 東 大 寺 に お い て は 、 そ の 職 に あ っ た 僧 の 名 は 不 明 で あ る が 、 天 平 神 護 元 年 ( 七 六 五 ) 十 一 月 の ﹁ 北 倉 代 中 閲 下 帳 ﹂ に 中 鎮 と 見 え る の 祭 見 で あ り ・ こ の 以 前 に 東 大 寺 に も 鎮 が 設 置 さ れ た の で あ ろ う 。 そ し て 、 中 鎮 が 平 栄 で あ っ た の に 加 え 、 少 鎮 に は 実 忠 の 名 が 見 え る 。 こ の こ と に 関 し て は 、 ﹃ 東 大 寺 要 録 ﹄ 巻 第 七 雑 事 章 第 十 収 録 の ﹁ 東 大 寺 權 別 當 實 忠 二 十 九 个 條 事 ﹂ ( ﹁ 実 忠 二 十 九 ケ 条 ﹂ ) の 第 一 六 条 に 、 一 、 奉 仕 少 鎭 政 并 檢 校 造 寺 事 。 東 大 寺 僧 安 寛 と 平 栄 三 九

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佛 教 大 學 大 學 院 紀 要 通 巻 第 二 十 二 號 四 〇 合 七 箇 年 自 景 雲 元 年 至 寶 龜 四 年 也 。   ム   と 記 さ れ て お り 、 実 際 に 少 鎮 と し て の 署 名 も 見 え る 。 ま た 、 ﹃ 日 本 高 僧 伝 要 文 抄 ﹄ 所 引 の ﹃ 延 暦 僧 録 ﹄ 第 二 の ﹁ 沙 門 釋 淨 三 菩 薩 傳 ﹂ に は 、 ﹁ 配 東 大 寺 。 朝 命 任 大 鎭 。 兼 法 華 寺 大 鎭 。 淨 土 院 別 當 。 ﹂ と 見 え 、 東 大 寺 及 び 法 華 寺 の 大 鎮 に 文 室 真 人 浄 三 ( 智 努 ) が 任 命 さ れ て い る 。 と こ ろ で 、 東 大 寺 に お け る 鎮 の 設 置 は 他 の 寺 院 に 比 べ て 遅 く 、 鎮 の 設 置 が 確 認 で き る 期 間 は 道 鏡 政 権 の 時 期 と ほ ぼ 一 致 し て い る 。 そ し て 、 こ の 道 鏡 政 権 下 に お け る 良 弁 の 動 向 は 明 ら か で は な く 、 そ の た め に 東 大 寺 で の 鎮 の 設 置 は 、 道 鏡 が 良 弁 の 活 動 を 封 じ て い た 間 の 東 大 寺 を 運 営 す る 組 織 と し て 、 三 綱 の 上 に あ っ て 寺 務 執 行 の た め に 設 け ら れ た も ( 65 ) の と 指 摘 さ れ て い る 。 浄 三 が 実 際 に 東 大 寺 の 大 鎮 で あ っ た か ど う か は 他 の 史 料 に は 見 当 ら な い が 、 ﹃ 延 暦 僧 録 ﹄ の 記 載 を 信 じ る な ら ぽ 、 こ の 大 鎮 任 命 に は 孝 謙 天 皇 と 浄 三 の 関 係 が 大 き く 影 響 し て い る と 考 え ら れ る 。 さ ら に 、 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 神 亀 五 年 ( 七 二 入 ) 十 一 月 乙 未 条 に よ る と 、 東 大 寺 の 前 身 で あ る 山 房 の 造 山 房 司 長 官 と な っ て お り 、 東 大 寺 と の 関 係 は 浅 か ら ぬ も の が あ っ た 。 そ の た め の 任 命 で あ っ た と 考 え ら れ る が 、 む し ろ 良 弁 が 道 鏡 に 対 抗 す る た め に 、 元 御 史 大 夫 で あ り 、 孝 謙 に 重 ん じ ら れ て い た 浄 三 を 大 鎮 に 招 い た と も 考 え ら れ る の で は な い だ ろ う か 。 ま た 、 少 鎮 で あ っ た 実 忠 に つ い て は 、 東 大 寺 の 運 営 を 行 う 上 で 実 務 を こ な せ る 僧 で あ り 、 東 大 寺 の 造 営 に も 関 与 し て い た こ と が 、 ﹁ 実 忠 二 十 九 ケ 条 ﹂ に よ り 伺 い 知 る こ と が で き る 。 そ し て 、 ﹁ 実 忠 二 十 九 ケ 条 ﹂ の 第 一 条 に は 、 一 、 爲 故 大 僧 正 良 弁 賢 太 法 師 目 代 。 奉 仕 造 寺 司 政 事 。 合 七 箇 年 自 天 平 竇 字 四 年 至 神 護 二 年 。 と あ り 、 早 く か ら 良 弁 の 下 で 実 務 を 行 っ て い た 。 こ れ は 平 栄 に も 共 通 し 、 先 に 見 た よ う に 平 栄 も 寺 家 の 運 営 に 東 大 寺

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の 草 創 期 よ り 携 わ っ て い る 。 ま た 、 平 栄 に 関 し て は 不 明 で あ る が 、 ﹁ 実 忠 二 十 九 ケ 条 ﹂ の 第 二 〇 条 に は 、 一 、 奉 仕 朝 遅 事 。 合 十 九 年 自 天 平 勝 寶 五 年 至 神 護 景 雲 四 年 。 右 平 城 宮 御 宇 天 皇 。 朝 遅 宮 禪 師 例 奉 仕 如 件 。 と あ り 、 奉 仕 の 期 間 を 考 慮 に 入 れ る な ら ば 、 実 忠 は 孝 謙 天 皇 の 内 道 場 に 宮 禅 師 と し て 加 わ っ て い た と 考 、兄 ら れ る 。 そ う す る と 、 実 忠 も 浄 三 の 場 合 と 同 様 に 、 孝 謙 天 皇 ・ 道 鏡 と の 関 係 が あ っ た と も い え る が 、 実 忠 に 関 し て は 良 弁 の 目 代 を 経 た 上 で の 少 鎮 職 就 任 で あ り 、 良 弁 と の 関 係 の ほ う を 重 視 す る べ き で あ る 。 つ ま り 、 実 忠 は ﹁ 実 忠 二 十 九 ケ 条 ﹂ に お い て 自 ら の 経 歴 を 記 述 し て い る が 、 そ の 第 一 条 に は 既 に 見 た よ う に 良 弁 と の 関 係 を 記 し て い る 。 ま た 、 こ の 時 点 で は 実 忠 は 東 大 寺 の 中 に あ っ て も 未 だ 三 綱 で は な く 、 専 ら 良 弁 と の 関 係 で 動 い て い る の で あ る 。 そ し て 、 平 栄 も 三 綱 や 僧 綱 の 佐 官 を 経 験 し て い る と は い え 、 あ く ま で も 師 で あ る 良 弁 の 意 向 に 従 っ て の 活 動 で は な い だ ろ う か 。 寺 務 組 織 に あ っ て 三 綱 と し て 、 あ る い は 知 事 を は じ め 庄 園 経 営 に も 関 与 し て い る と い う 実 務 能 力 の た め に 、 こ の 道 鏡 政 権 下 と い う 特 殊 な 条 件 の 下 で 、 三 綱 の 上 に 位 置 す る 鎮 と い う 職 に 就 い た と 考 え ら れ る 。 良 弁 が 道 鏡 に そ の 活 動 を 封 じ ら れ て い た と す る な ら ば 、 平 栄 ・ 実 忠 と い っ た 良 弁 の 意 に 忠 実 で あ り 、 か つ 寺 院 運 営 に 精 通 し た 実 務 の こ な せ る 弟 子 を 三 綱 の 上 に 位 置 し 、 後 世 の 別 当 と 同 じ く 寺 務 全 般 を 統 轄 ・ 監 督 す る 鎮 と い う 職 を 臨 時 に 設 け た と 考 え ら れ る 。 さ ら に 、 文 室 浄 三 の 大 鎮 職 が 名 誉 職 的 な 意 味 で の 任 命 で あ っ た と す る な ら ぽ 、 そ の 下 で 実 際 に 活 動 す る も の と し て 、 良 弁 の 信 頼 の お け る 弟 子 を 中 鎮 ・ 少 鎮 に 配 し た と も い え る だ ろ う 。 東 大 寺 僧 安 寛 と 平 栄 四 一

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佛 教 大 學 大 學 院 紀 要 通 巻 第 二 十 二 號 四 二 ま た 、 神 護 景 雲 四 年 ( 七 七 〇 ) 五 月 に ﹁ 中 鎮 進 守 大 法 師 平 栄 ﹂ と 見 え る の を 最 後 に 平 栄 は 史 料 よ り 姿 を 消 す が 、 実 ( 66 ) 忠 の ほ う は 少 鎮 と し て 宝 亀 二 年 ( 七 七 一 ) 八 月 ま で 署 名 が 見 ら れ 、 以 後 も 長 く 東 大 寺 に お け る 活 動 が 確 認 で き る こ と を 考 え る と 、 こ の 後 そ う 遅 く は な い 時 期 に 没 し た も の と 考 え ら れ る 。 そ し て 、 ﹁ 実 忠 二 十 九 ケ 条 ﹂ に 見 え る よ う に 、 道 鏡 の 失 脚 し た 後 も 実 忠 は 何 等 変 ら ず に 東 大 寺 内 で 活 動 し て い る こ と よ り も 明 ら か で あ る 。 平 栄 は 三 綱 ・ 僧 綱 佐 官 と い う 職 を 経 て 鎮 に な っ て い る が 、 あ く ま で も 良 弁 の 意 向 に 従 っ て の こ と で あ る が 、 こ れ は 平 栄 自 身 が 実 務 に 精 通 し て い た と い う 理 由 に よ る も の で あ っ た 。 た だ し 、 安 寛 に 比 べ て そ の 教 学 面 に 関 し て は 何 も 伝 わ っ て は い な い が 、 平 栄 が 東 大 寺 の 運 営 に 関 し て 果 し た 役 割 は 非 常 に 大 き く 、 良 弁 に 代 っ て そ の 信 頼 を 得 て 寺 家 の 実 際 の 運 営 を 行 っ て い た の で あ り 、 そ の 存 在 は 決 し て 安 寛 に 劣 る こ と は な く 、 東 大 寺 の 運 営 に は 欠 か す こ と の で き な い 存 在 で あ っ た と い え る 。 お わ り に 以 上 、 安 寛 と 平 栄 に つ い て そ れ ぞ れ の 経 歴 を 基 に 見 て き た が 、 こ こ で 簡 単 に ま と め て み た い 。 先 ず 安 寛 に 関 し て は 良 弁 の 弟 子 の 筆 頭 と で も い う べ き 立 場 に あ り 、 東 大 寺 の 運 営 に も 重 要 な 立 場 に あ り 、 寺 内 に お け る 地 位 を 良 弁 よ り 受 け 継 い で い た が 、 む し ろ そ の 後 半 生 に 代 表 さ れ る よ う に 、 内 道 場 の 看 病 禅 師 あ る い は 僧 綱 の 大 律 師 と な る な ど 良 弁 と 同 じ 道 を 歩 ん で お り 、 対 外 的 な 面 に お い て そ の 才 能 を 発 揮 し 、 特 に 教 学 面 に お い て 良 弁 の 後 継 者 で あ っ た よ う で あ る 。 た だ し 、 大 律 師 就 任 が 道 鏡 政 権 下 と い う 特 殊 な 状 況 下 で あ っ た た め に 、 道 鏡 と の 関 係 が 指 摘

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さ れ て い た が 、 あ く ま で も 良 弁 の 指 示 が あ っ た の で は な い だ ろ う か 。 ま た 、 平 栄 に 関 し て は 安 寛 と は 対 照 的 に そ の 才 能 は 寺 家 の 運 営 に 関 し て 発 揮 さ れ 、 良 弁 が 寺 務 組 織 を 離 れ た 後 の 東 大 寺 を 運 営 し で い く 上 で 、 特 に な く て は な ら ぬ 存 在 で あ っ た よ う に 思 わ れ る 。 実 際 の 東 大 寺 運 営 に あ っ て 、 寺 主 . 上 座 と い う 三 綱 の 要 職 を 占 め 、 そ の 一 方 で は 知 事 ・ 鎮 と い う 実 務 能 力 が 尊 ぼ れ る 職 を 歴 任 し て い る こ と か ら も 明 白 で あ る 。 そ し て 、 僧 綱 の 佐 官 に は な っ て い る が 、 こ れ も 良 弁 に 平 栄 の 実 務 能 力 が 認 め て い た た め に 任 じ ら れ た も の で あ ろ う o 両 者 の 寺 内 で の 立 場 を 考 え る と 、 そ の 果 し た 役 割 は 似 て 非 な る も の で あ り 、 安 寛 が 主 に 教 学 面 に お い て 良 弁 の 後 継 的 立 場 に あ っ た の に 比 べ て 、 平 栄 は 寺 院 運 営 面 に お け る 後 継 者 と で も い う 立 場 で あ っ た と 考 、兄 る こ と が で き る 。 そ し て 、 両 者 が 師 位 僧 と し て 見 え る の は ほ ぼ 同 時 期 で あ り 、 安 寛 の ほ う が 平 栄 よ り 常 に 上 位 に 位 置 す る 所 以 は 、 一 つ に は 安 寛 の ほ う が 平 栄 に 比 べ 僅 か に 年 長 者 で あ っ た 、 と い う こ と が 十 分 に 考 え ら れ る 。 し か し 、 そ れ ぞ れ の 良 弁 よ り 引 き 継 い だ 役 割 を 考 慮 す る な ら ば 、 教 学 面 の 安 寛 、 運 営 面 の 平 栄 と な り 、 僧 と い う 本 来 の 立 場 で は 、 お の ず と 安 寛 の ほ う が 重 く 扱 わ れ る よ う に な っ た の で あ ろ う 。 註 ( 1 ) 角 田 文 衛 編 ﹃ 新 修 国 分 寺 の 研 究 ﹄ 東 大 寺 と 法 華 寺 (吉 川 弘 文 館 、 一 九 八 六 年 ) 収 録 、 ﹁ 附 録 一 東 大 寺 別 当 次 第 ﹂ ( 堀 池 春 峰 氏 校 訂 ) に よ る 。 ( 2 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 二 十 四 巻 一 七 八 ・ 一 七 九 頁 。 ( 3 ) 堀 池 春 峰 ﹁ 金 鐘 寺 私 考 ﹂ ( ﹃ 南 部 仏 教 ﹄ 第 二 号 所 載 、 一 九 五 五 年 、 の ち 同 ﹃南 都 仏 教 史 の 研 究 ﹄ 上 東 大 寺 篇 ︹法 蔵 館 、 一 九 東 大 寺 僧 安 寛 と 平 栄 四 三

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佛 教 大 學 大 學 院 紀 要 通 巻 第 二 十 二 號 四 四 八 〇 年 ︺ 収 録 ) 。 佐 久 間 竜 ﹁ 慶 俊 ﹂ ( 同 ﹃ 日 本 古 代 僧 伝 の 研 究 ﹄ 収 録 、 吉 川 弘 文 館 、 一 九 八 三 年 、 初 出 は ﹁ 慶 俊 の 一 考 察 ﹂ と し て ﹃ 続 目 本 紀 研 究 ﹄ 第 四 巻 第 一 二 号 ︹ 一 九 五 七 年 ︺ に 収 載 ) 。 ( 4 ) 中 井 真 孝 ﹁奈 良 時 代 の 僧 綱 ﹂ (井 上 薫 教 授 退 官 記 念 会 編 ﹃ 日 本 古 代 の 国 家 と 宗 教 ﹄ 収 載 、 一 九 八 〇 年 、 吉 川 弘 文 館 、 の ち 同 ﹃ 日 本 古 代 仏 教 制 度 史 の 研 究 ﹄ ︹法 蔵 館 、 一 九 九 一 年 ︺ 収 録 ) ( 5 ) 佐 久 間 竜 ﹁安 寛 ﹂ ( 同 前 掲 註 ︹ 3 ︺ 収 録 、 初 出 は ﹁ 東 大 寺 僧 安 寛 に つ い て ﹂ と し て ﹃ 続 日 本 紀 研 究 ﹄ 第 五 巻 第 十 一 号 コ 九 五 八 年 ︺ に 収 載 ) 。 以 後 安 寛 に 関 し て の 佐 久 間 氏 の 見 解 は 、 特 に 註 記 し な い 場 合 は こ の 論 文 に よ る 。 ( 6 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 八 巻 八 八 頁 。 ( 7 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 二 十 四 巻 一 七 三 頁 。 ( 8 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 三 巻 三 九 二 頁 。 ( 9 ) 井 上 光 貞 他 校 注 日 本 思 想 大 系 ﹃ 律 令 ﹄ (岩 波 書 店 、 一 九 七 六 年 ) 補 注 7 1 3 a ( 10 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 一 九 二 頁 。 ( 11 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 十 二 巻 一 七 八 頁 。 ( 12 ) ﹃ 大 目 本 古 文 書 ﹄ 十 三 巻 三 六 頁 。 た だ し 、 年 月 未 詳 で は あ る が ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ で は 天 平 勝 宝 五 年 ( 七 五 三 ) に 類 収 す る 。 ( 13 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 八 巻 一 八 八 頁 、 二 十 四 巻 一 九 六 ・ 一 九 七 ・ 二 七 五 頁 。 ( 14 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 三 九 四 ・ 三 九 五 頁 。 ( 15 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 一 九 二 ・ 一 九 三 頁 。 ( 16 ) ﹃ 大 目 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 一 八 二 頁 。 ( 17 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 四 五 一 頁 。 ( 18 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 二 十 五 巻 五 三 頁 。 ( 19 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 十 三 巻 四 〇 頁 。 ( 20 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 一 九 一 頁 。 ( 21 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 一 九 四 ∼ 一 九 五 頁 。 ま た 、 こ の こ と に 関 し て は 、 延 暦 六 年 ( 七 入 七 ) 六 月 二 十 六 目 の ﹁曝 凉 使 解 ﹂ に 、 勘 倉 出 帳

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天 平 寳 字 三 年 十 二 月 昔 六 日 出 帳 天 平 寶 字 八 年 九 月 十 一 日 附 安 寛 法 師 進 内 裏 ( 以 下 略 ) と 見 え る 。 ( 22 ) 岸 俊 男 ﹁ 東 大 寺 を め ぐ る 政 治 情 勢 ﹂ ( ﹃ ヒ ス ト リ ア ﹄ 第 一 五 号 収 載 、 一 九 五 六 年 、 の ち 同 氏 ﹃ 日 本 古 代 政 治 史 研 究 ﹄ ︹塙 書 房 、 一 九 六 六 年 ︺ に 収 録 ) ( 23 ) 佐 久 間 竜 ﹁ 実 忠 ﹂ ( 同 前 掲 註 ︹ 3 ︺ 著 書 収 録 、 初 出 は ﹁ 実 忠 伝 考 ﹂ と し て ﹃ 名 古 屋 大 学 日 本 史 論 集 ﹄ 上 巻 ︹吉 川 弘 文 館 、 一 九 七 五 年 ︺ に 収 載 ) ( 24 ) 堀 池 春 峰 前 掲 註 ( 3 ) 、論 文 。 ( 25 ) ﹃ 大 目 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 一 九 六 頁 。 ( 26 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 五 巻 五 一 九 頁 。 ( 27 ) 佐 久 間 前 掲 註 ( 5 ) 論 文 。 ( 28 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 八 巻 一 八 六 頁 。 ( 29 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 九 巻 六 四 三 頁 。 ( 30 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 三 巻 四 六 二 頁 。 ( 31 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 三 巻 五 二 三 頁 。 ( 32 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 一 八 二 頁 。 ( 33 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 四 五 一 頁 。 ( 34 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 十 三 巻 一 五 頁 。 ( 35 ) 中 井 前 掲 註 ( 4 ) 論 文 、 佐 久 間 前 掲 註 ( 23 ) 論 文 。 ( 36 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 五 巻 六 七 頁 。 ( 37 ) 鷺 森 浩 幸 ﹁ 奈 良 時 代 に お け る 寺 院 造 営 と 僧 ﹂ ( ﹃ ヒ ス ト リ ア ﹄ 第 一 二 一 号 収 載 、 一 九 八 八 年 ) 。 ( 38 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 十 二 巻 一 七 八 頁 、 十 二 巻 一 七 九 頁 。 ( 39 ) 佐 久 間 竜 前 掲 註 ( 23 ) 論 文 。 東 大 寺 僧 安 寛 と 平 栄 四 五

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佛 教 大 學 大 學 院 紀 要 通 巻 第 二 十 二 號 四 六 ( 40 ) 田 村 圓 澄 ﹁ 僧 官 と 僧 官 制 度 ﹂ ( 同 ﹃ 飛 鳥 仏 教 史 研 究 ﹄ 所 収 、 塙 書 房 、 一 九 六 九 年 、 初 出 は ﹁ 古 代 僧 官 考 ﹂ と し て ﹃ 史 林 ﹄ 第 四 七 号 第 一 巻 ︹ 一 九 六 四 年 ︺ 収 載 ) ( 41 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 一 八 九 頁 。 ( 42 ) ﹃ 大 目 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 一 九 〇 頁 。 ( 43 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 十 八 巻 四 六 〇 頁 、 六 巻 四 四 六 頁 。 ( 44 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 一 八 七 ∼ 一 八 八 頁 。 ( 45 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 十 三 巻 二 〇 七 頁 。 ( 46 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 十 四 巻 二 七 九 頁 。 ( 47 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 三 巻 五 二 五 頁 。 ( 48 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 十 五 巻 三 七 七 頁 。 ( 49 ) ﹃ 大 目 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 一 八 六 ・ 四 四 八 ・ 四 五 一 頁 。 ( 50 ) ﹃ 大 目 本 古 文 書 ﹄ 十 二 巻 二 二 六 頁 。 ( 51 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 十 二 巻 三 三 二 頁 。 ( 52 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 一 八 六 頁 。 た だ し 、 こ の 時 の 聞 崇 の 記 載 に つ い て は 疑 問 が あ り 、 こ れ 以 後 で は 等 貴 が 少 寺 主 の 初 見 と な る 。 ( 53 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 五 巻 六 七 〇 頁 。 ( 54 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 一 九 四 頁 、 五 巻 五 三 七 ∼ 五 四 〇 ・ 六 三 七 ・ 六 五 九 頁 、 十 六 巻 五 〇 五 ・ 五 七 三 ・ 五 七 七 . 五 七 九 ∼ 五 八 二 頁 。 例 え ば 、 ﹁ 東 大 寺 奴 婢 見 来 帳 ﹂ と 同 年 の 天 平 神 護 三 年 ( 七 六 七 ) 四 月 に は 少 都 維 那 と 見 え 、 以 後 神 護 景 雲 二 年 ( 七 六 八 ) に も 少 都 維 那 と 見 え る 。 ( 55 ) ﹃ 大 目 本 古 文 書 ﹄ 五 巻 五 四 三 頁 。 ( 56 ) ﹃ 万 葉 集 ﹄ 巻 第 十 八 第 四 〇 八 五 番 冖の 題 詞 に 天 平 感 竇 元 年 五 月 五 日 、 饗 東 大 寺 之 占 墾 地 使 僧 平 榮 等 。 于 時 守 大 伴 宿 祢 家 持 送 酒 謌 一 首 。 と 見 え る 。

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( 57 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 家 わ け 第 十 八 東 大 寺 文 書 之 ニ ノ ニ 九 一 頁 、 ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 二 〇 六 頁 。 ( 58 ) ﹃ 大 目 本 古 文 書 ﹄ 五 巻 五 四 三 頁 、 四 巻 三 九 二 二 二 九 三 頁 。 ( 59 ) 例 え ば 、 僧 綱 が 東 大 寺 の 寺 地 に 関 し て 検 校 を 加 え て い た こ と は 、 天 平 勝 宝 八 歳 ( 七 五 六 ) 十 一 月 の ﹁ 阿 波 国 名 方 郡 新 島 庄 券 ﹂ ( 四 i 二 〇 六 ) に 、 東 大 寺 の 三 綱 以 外 に ﹁律 師 法 師 ﹂ と し て 慶 俊 が 署 名 し て い る こ と か ら も 明 ら か で あ る 。 ( 60 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 五 巻 六 八 三 頁 。 ( 61 ) ﹃ 大 目 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 一 九 六 頁 。 ( 62 ) 鎮 に 関 し て は 佐 久 問 前 掲 註 ( 23 ) 論 文 、 須 田 春 子 ﹃ 律 令 女 性 史 研 究 ﹄ ( 千 代 田 書 房 、 一 九 七 八 年 ) 、 加 藤 優 ﹁ 東 大 寺 鎮 考 良 弁 と 道 鏡 の 関 係 を め ぐ っ て i J C Q Q 史 談 話 会 雑 誌 ﹄ 第 二 三 号 、 一 九 八 二 年 ) 、 牛 山 佳 幸 ﹁ 律 令 制 度 開 期 に お け る 尼 と 尼 寺 1 そ の 実 態 に つ い て の ノ ー ト ー ﹂ ( 同 ﹃ 古 代 中 世 寺 院 組 織 の 研 究 ﹄ 所 収 、 吉 川 弘 文 館 、 一 九 九 〇 年 ) に お い て 考 察 さ れ て い る 。 ( 63 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 十 六 巻 五 六 六 頁 。 ( 64 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ 四 巻 一 九 七 頁 、 六 巻 四 ・ 五 ・ 三 四 ・ 四 二 ∼ 四 九 ・ 八 二 頁 、 十 七 巻 一 五 四 ∼ 一 五 六 ・ 一 七 三 ∼ 一 七 五 ・ 二 三 八 ∼ 三 二 〇 ・ 四 八 八 ・ 五 一 一 ・ 五 一 四 頁 、 十 八 巻 一 二 ・ 二 五 ・ 一 = 丁 二 六 〇 ・ 四 五 九 ・ 四 七 二 ・ 五 四 四 ・ 五 四 六 ・ 五 七 二 ・ 五 七 三 頁 。 ( 65 ) 加 藤 優 前 掲 註 ( 62 ) 論 文 。 ( 66 ) ﹃ 大 日 本 古 文 書 ﹄ -1・ -七 巻 11 1 1 1O 頁 。 東 大 寺 僧 安 寛 と 平 栄 四 七

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