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Vol.20 , No.2(1972)070坂輪 宣敬「日蓮聖人画像の一考察 -とくに「波木井の御影」について-」

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Academic year: 2021

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日 蓮 聖 人 画 像 の 一 考 察 ( 坂 輪 ) 三 一 六

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-坂

一 宗 門 関 係 史 書 と の 関 連 身 延 山 久 遠 寺 所 蔵 の 日 蓮 聖 人 画 像 ( 波 木 井 の 御 影、 別 称 水 鏡 の 御 影 ) に 関 す る 記 述 は、 次 の 七 点 の 日 蓮 宗 門 関 係 史 書 の 中 に は 全 く み ら れ な い。 ﹃ 元 祖 化 導 記 ﹄ ( 一 四 七 七 )、 ﹃ 日 蓮 聖 人 註 画 讃 ﹄ ( 一 六 三 二 )、 ﹃ 草 山 集 ﹄ ( 一 六 七 四 )、 ﹃ 身 延 鑑 ﹄ ( 一 六 八 一 )、 ﹃ 本 化 別 頭 仏 祖 統 記 ﹄ ( 一 七 三 一 )、 ﹃ 高 祖 年 譜 ﹄ ( 一 七 七 九 )、 ﹃ 高 祖 年 譜 考 異 ﹄ ( 一 七 七 九 ) し か し 以 上 の 史 書 は、 ﹃ 身 延 鑑 ﹄ を 除 い て、 宗 祖 一 代 の 事 跡、 教 義、 及 び 宗 門 高 僧 な ど の 記 述 に 重 点 が お か れ、 美 術 遺 品 等 に ふ れ る こ と は 稀 で あ る。 中 山 浄 光 院 の ﹁ 水 鏡 の 御 影 ﹂、 妙 法 華 寺 の ﹁ 日 蓮 聖 人 説 法 図 ﹂ の よ う な 宗 門 の 代 表 的 な 古 画 に つ い て も、 何 ら 述 べ ら れ て い な い。 従 つ て 本 画 像 に 関 す る 記 述 の み ら れ な い こ と は 異 と す る に た り な い が、 同 時 に 本 画 像 が、 宗 門 史 上 と く に 注 目 さ れ る 存 在 で は な か っ た と い う こ と は、 云 い う る で あ ろ う。 ﹃ 身 延 鑑 ﹄ 巻 上 に は 西 の 土 蔵 三 間 半 四 面⋮( 中 略 )⋮水 か が み の 自 画 自 讃 の 御 影、 自 我 偶 を も っ て 七 字 の 題 目⋮( 後 略 ) と 記 さ れ て い る。 本 画 像 は 周 知 の よ う に、 ﹁ 波 木 井 の 御 影 ﹂ と 呼 ば れ る ほ か に ﹁ 水 鏡 の 御 影 ﹂ の 別 称 を 有 す る の で、 一 応 注 目 を ひ く と こ ろ で あ る。 し か し、 こ の ﹃ 身 延 鑑 ﹄ の 御 影 は、 画 面 の 中 に 自 我 偶 の 文 字 を 小 さ く 並 べ て 七 字 の 題 目 の 形 に 書 き 表 わ し て い る の で あ り、 き わ め て 特 徴 的 な 画 像 で、 本 画 像 と は 全 く 別 の も の と 考 え ら れ る。 二 身 延 山 久 遠 寺 霊 宝 目 録 の 考 察 身 延 山 の 霊 宝 目 録 は 慶 長 八 年 ( 一 六 〇 三 ) か ら 正 徳 二 年 ( 一 七 一 二 ) ま で の 間 の も の が、 五 冊 に 分 冊 さ れ て 遺 さ れ て い る。

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即 ち、 日 乾 筆 の ﹁ 霊 宝 目 録 ﹂ (一) (慶 長 八 年 ) に は ﹁ 一、 絹 鏡 御 影 ﹂、 日 遠 の ﹁ 目 録 ﹂ (二) (慶 長 一 〇 年-万 治 三 年 ) に は 二、 ハ レ ニ チ ニ ル ヲ 鏡 御 影 一 幅 入 二 新 箱 第 三 後 別 函 入 レ 之 ﹂、 日 奨 の ﹁ 目 録 ﹂ 日 ニ ヒ テ ニ ( 万 治 二、 三 年 )に は ﹁ 一、 鏡 二 御 影 一 幅、 高 祖 直 向 二 明 鏡 一、 シ ヲ フ ハ リ 尊 容 図 レ 之 給、 此 一 幅 者 有 二 別 箱 二 ﹂、 日 亨 の ﹁ 目 録 ﹂ 田 ( 正 徳 二 年 ) に は、 ﹁ 鏡 御 影 一 幅、 裏 書 遠 師 ﹂ と 各 々 記 さ れ て い る。 こ れ ら の ﹁ 霊 宝 目 録 ﹂ に 記 載 さ れ て い る 画 像 が、 同 一 の も の で あ る こ と は 疑 え な い が、 こ の ﹁ 水 鏡 の 御 影 ﹂ は、 日 乾 の 目 録 に ﹁ 絹 ﹂ と 記 さ れ て い る こ と か ら 考 え て も、 紙 本 の 本 画 像 と は 異 る も の と し な け れ ば な ら な い。 従 つ て 本 画 像 は、 少 く と も 慶 長 八 年 か ら 正 徳 三 年 の 間 に は、 身 延 山 に は 所 蔵 さ れ て い な か つ た と 判 断 さ れ る。 三 ﹃ 古 画 備 考 ﹄ に つ い て 前 述 の と お り、 宗 門 関 係 史 書 に も、 身 延 山 の 霊 宝 目 録 に も 記 録 の な か つ た 本 画 像 が、 は じ め て 文 献 に あ ら わ れ る の は、 ﹃ 古 画 備 考 ﹄ 巻 一 五 ( 弘 化-嘉 永 年 間 頃 成 立 ) に 於 て で あ ろ う。 そ の 記 述 は 次 の と お り で あ る。 弘 安 四 辛 巳 年 二 月 日、 従 三 位 藤 原 親 安 書、 蓮 師 頂 相、 落 欺 上 有 二 書 付 一云、 弘 安 四 年 辛 巳 二 月 十 日、 予 が 宅 へ 日 蓮 大 聖 人 を と め 参 ら せ、 法 華 経 読 諦 有 レ 之、 一 七 日 ま ん じ て、 立 帰 ら ん と し 給 ふ に、 実 長 御 別 を を し み 奉 り て、 尊 顔 を 写 し 奉 ら ん 事 を 希、 其 時 京 都 よ り 親 安 と い へ る 人 此 地 に 有 り て、 恭 も 尊 顔 を 写 し 奉 り、 授 与 し 畢 ぬ、 永 々 子 孫 信 仰 の た め、 由 来 を 書 記 し 置 も の な り、 入 道 実 長 日 円 云 云、 文 政 二 年 己 卯 十 月 十 三 日、 以 武 州 池 上 本 門 寺 硯 井 水、 洗 上 人 之 墓 石、 磨 墨、 薫 手、 謹 書 二 宮 献、 年 六 十 六、 文 政 二 卯 十 月 十 三 日、 洞 英 福 山 愛 謹 写。 按 る に、 予 右 の 墓 本 を 見 る、 更 に 古 色 な し、 真 跡 い か が あ ら ん、 池 上 に あ り と か 聞 く 同 書 は 一 頁 大 の 木 版 画 を 載 せ、 ﹁ 此 像 ハ 谷 文 ニ ノ 模 セ シ 所 也 ﹂ と 注 し て い る。 内 容 は や や 錯 綜 し て い る が、 洞 英 福 山 愛 は 書 家 で は な く 画 家 と 思 わ れ る か ら、 彼 は 池 上 に 於 て 縁 起 を 記 入 し た の で は な く、 画 像 を 模 写 し た と 考 え る べ き で あ ろ う。 ま た 落 歎 の あ る こ と は ( 本 来、 礼 拝 対 象 と な る 仏 画 や 貴 人 の 画 像 に は 落 欺 は 入 れ な い。 頂 相 画、 南 宋 画 <文 人 画 >、 江 戸 中 期 以 降 の 大 和 絵 に 於 て は 落 欺 す る 方 が 一 般 的 と い え る )、 本 画 像 が 大 和 絵 で は な く (木 版 画 の 画 風 か ら も そ の 点 は う か が わ れ る )、 蓮 師 頂 相 と い う 言 葉 が 示 す よ う に、 禅 宗 の 頂 相 画 の 様 式 に よ つ た も の と 解 さ れ る。 ﹃ 古 画 備 考 ﹄ の 編 者 が 谷 文 二 の 模 写 を み て、 更 に 古 色 な し、 と 述 べ た の は、 木 版 画 で み る か ぎ り、 彼 の 模 写 が 原 図 に 忠 実 で な い た め と 思 わ れ る が、 同 時 に、 鎌 倉 時 代 の 聖 人 画 像 と し て、 大 和 絵 風 の 絵 を、 編 者 が 頭 に お い て い た の で は な い か と も 推 測 さ れ る。 ま た 縁 起 が 画 面 上 方 の 枠 内 に 記 さ れ て い る こ と、 親 安 の 位 を 三 位 と 誤 記 し て い る こ と も 注 目 さ れ よ う。 日 蓮 聖 人 画 像 の 一 考 察 ( 坂 輪 ) 三 一 七

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日 蓮 聖 人 画 像 の 一 考 察 ( 坂 輪 ) 三 一 八 四 ﹁く も き り の 真 影 ﹂縁 起 と の 関 連 本 系 統 の 画 像 に 関 す る 最 も 古 い 記 録 は、 前 述 の 如 く 文 政 二 年 で あ る。 こ れ に 対 し、 似 か よ つ た 構 成 の 縁 起 を も つ ﹁ く も き り の 真 影 ﹂ ( 彫 像 ) の 記 述 が、 文 政 年 間 よ り も さ ら に 古 く、 ﹃ 身 延 鑑 ﹄ と ﹃ 別 頭 統 記 ﹄ に み ら れ る。 ( 但 し 前 記 七 本 の 宗 門 関 係 史 書 の う ち 他 の 五 本 に は 記 載 が な い ) ﹃ 身 延 鑑 ﹄ が 引 く ﹁ 実 長 添 状 ﹂ は 次 の と お り で あ る。 弘 安 四 辛 巳 九 月 一 日 よ り 予 が 宅 に 於 て、 日 蓮 大 聖 人 祈 濤 の た め 法 華 経 読 諦 こ れ あ り、 一 七 日 満 じ て 立 帰 り 給 は ん と し て 門 外 へ 出 給 ふ 時、 俄 か に 村 雨 す 其 の 時、 四 方 を 見 る に 竜 神 守 護 と 相 見 ゆ る。 聖 人 じ ゅ ず を も っ て 払 い 給 え ば 晴 天 と な る。 そ の 身 形 あ り が た く 思 ひ、 則 ち 聖 人 へ そ の 形 を 望 み け れ ば、 自 ら 身 影 を つ く り 是 れ を 授 与 し 畢 ん ぬ。 永 々 子 孫 信 仰 の た め 由 来 記 し 置 く も の な り。 大 聖 人 尊 像 四 寸 二 分、 御 彫 刻 也、 十 二 月 八 日、 入 道 実 長 日 円 判 さ き に 引 用 し た ﹃ 古 画 備 考 ﹄ と ﹁ く も き り の 真 影 ﹂ と の 二 つ の 縁 起 の 相 似 性 か ら み て、 一 方 の 縁 起 が 他 方 に 触 発 さ れ て 成 立 し た、 と 推 論 す る こ と は、 必 ず し も 不 当 と は 思 え な い。 で は ど ち ら の 縁 起 が 先 に 成 立 し た と す べ き で あ ろ う か。 ﹃ 古 画 備 考 ﹄ の 縁 起 が 宗 門 関 係 の 史 書 に み ら れ な い こ と、 記 録 が 遅 れ て あ ら わ れ る こ と (﹃ 身 延 鑑 ﹄ の 成 立 と さ れ る 一 六 八 一 年 か ら 洞 英 福 山 愛 模 写 の 文 政 二 年 < 一 八 一 九 > ま で 一 三 八 年 の 間 が あ る )、 お よ び 両 者 を 比 べ た 場 合 の ﹁ 授 与 し 畢 ん ぬ ﹂ と い う 言 葉 の 使 い 方 の 不 適 確 さ ( 主 語 が 不 明 確 )、 な ど が ﹃ 古 画 備 考 ﹄ の 縁 起 の 疑 問 視 さ れ る 点 で あ り、 逆 に、 画 像 が 現 存 す る こ と、 宗 祖 が 自 ら 彫 像 を 刻 ん だ ﹁ く も き り ﹂ に 対 し、 藤 原 親 安 と い う 絵 師 の 作 と す る 点 で い く 分 蓋 然 性 の 高 い こ と、 な ど の 諸 点 が ﹃ 古 画 備 考 ﹄ の 縁 起 の 肯 定 的 な 要 素 と い え よ う。 し か し な が ら、 こ れ だ け の 論 拠 か ら は、 両 者 の い ず れ か の 縁 起 が 他 方 の 母 型 で あ る と は 断 定 し が た い。 た だ、 よ り 古 い 文 献 に ﹁ く も き り の 真 影 ﹂ の 縁 起 の 存 在 す る こ と か ら み て、 ﹃ 古 画 備 考 ﹄ の、 即 ち 本 画 像 の 縁 起 が か な り 不 確 定 な 要 素 を 含 ん で い る こ と は 指 摘 し う る で あ ろ う。 五 本 画 像 の 明 治 以 後 の 記 録 現 存 す る 本 画 像 が 世 に 知 ら れ る よ う に な つ た こ と に つ い て は、 故 谷 口 玄 浄 ( 日 恵 ) 師 の 力 に 負 う と こ ろ が 大 き い。 そ れ だ け に 谷 口 師 を め ぐ る 明 治 以 後 の 本 画 像 の 直 接 ・ 間 接 の 記 録 は 多 く、 次 の 六 点 を 数 え る こ と が で き る。 (1) ﹁ 水 鏡 尊 影 縁 起 ﹂ ( 久 遠 寺 宝 物 館 所 蔵 ) = 明 治 二 七 年 七 月 十 三 日。 但 し こ の 表 題 は 別 筆 で、 内 題 は ﹁ 天 下 三 幅 之 一 宗 祖 大 士 御 真 像 縁 起 ﹂ 谷 口 師 筆。(2) ﹁ 聖 人 御 像 奉 写 の 記 ﹂ (清 水 梁 山 師 が 自 著 ﹃ 日 本 の 国 体 と 日 蓮 聖 人 ﹄ 副 題 ﹁ 王 仏 冥 合 論 ﹂ の 巻 頭 写 真 の 説 明 と し て 付 し た も の。 谷 口 師 か ら の 聞 書 の 形 を と っ て い る )

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= 明 治 四 四 年 七 月。(3) 岡 山 市 の 蓮 休 寺 に 於 て 頒 布 し た 尊 像 写 真 の 説 明 文 = 大 正 二 年 四 月 八 日。(4) ﹁ 日 蓮 大 聖 人 御 尊 像 模 写 之 縁 起 ﹂ (蓮 休 寺 所 蔵。 画 家 妹 尾 寛 氏 が 本 画 像 の 模 写 二 点 を 作 製 し た 際、 そ の 一 点 に 谷 口 師 が 記 し た も の ) 11 大 正 一 四 年 四 月 八 日。 (5) ﹁ 日 蓮 大 聖 人 御 真 像 伝 来 之 縁 起 ﹂ ( 久 遠 寺 宝 物 館 厨 子 扉 の 銘 文 ) = 大 正 一 四 年 十 月 十 三 日。(6) 身 延 山 八 十 一 世 杉 田 日 布 師 が、 玄 浄 師 の 法 嗣 玄 秀 師 に 授 与 し た 曼 茶 羅 の 添 書 11 昭 和 五 年 ケ ル ニ ヲ セ ラ ル 四 月。 於 二 岡 山 市 蓮 昌 寺 一 布 教 之 際、 宗 祖 大 士 古 画 像 奉 納 祖 ヲ ク ス 山 篤 志 深 感 賞 焉。 と あ る。 以 上 の 記 録 の 内 容 を 要 約 し て み よ う。 著藤 原 親 安 は 実 長 の 一 族 で あ る 二 郎 某 の 宅 に 滞 在 し、 実 長 の 請 に よ り、 聖 人 画 像 を 描 い た。 そ の 際 三 幅 描 き、 現 存 す る 本 画 像 は 次 郎 に 下 さ れ た 一 幅 で あ り、 他 の 二 幅 は 現 今 所 在 不 明 で あ る。 そ の 画 像 は、 谷 口 玄 浄 師 六 世 の 祖 先 で 武 田 氏 の 家 臣 で あ つ た 義 正 と い う 人 が 室 町 の 末 頃 入 手 し た。 武 田 氏 の 滅 亡 に よ り、 谷 口 家 は 画 像 と と も に 甲 州 か ら 香 川 の 今 治 へ 居 を 遷 し た。 ま た 本 画 像 は 明 治 八 年 に 火 災 に 遇 い、 厨 子 ま で 焼 け た。 そ の 際 画 面 上 方 に 損 傷 を 受 け た た め、 そ の 部 分 を 切 断 し た。 大 正 十 四 年、 谷 口 師 は 画 家 妹 尾 寛 氏 と は か り、 破 切 の あ と を 補 修 し て 額 装 と し、 再 び 厨 子 に 納 め た。 ま た 火 災 の 際、 六 老 日 向 師 及 び 祖 山 歴 代 の い く つ か の 証 文 も 焼 失 し た。 一 通 の み か ろ う じ て 残 つ た も の が、 こ れ ら の 記 録 で あ る。 ま た 本 画 像 と 似 た 画 像 が、 明 治 の 末 頃 身 延 山 に 所 蔵 さ れ て い た。 以 上 の う ち ま ず 問 題 と な る の は 真 筆 三 幅 説 で あ る。 こ れ を あ て は め る と す れ ば、 現 存 す る 旧 谷 口 家 所 蔵 の 久 遠 寺 の 本 画 像 と、 ﹃ 古 画 備 考 ﹄ に い う 池 上 本 門 寺 に あ つ た ら し い 一 幅 と、 明 治 の 末 頃 身 延 山 に 所 蔵 さ れ て い た と 清 水 梁 山 氏 の 云 う 一 幅、 の 三 点 を あ げ る こ と に な ろ う か。 し か し、 ﹃ 古 画 備 考 ﹄ の 画 像 は、 編 者 が 模 写 を み て ﹁ さ ら に 古 色 な し、 真 跡 い か が あ ら ん ﹂ と 述 べ て い る よ う に、 全 く 疑 問 の な い 古 画 で は な か つ た。 清 水 氏 が ﹁ 現 に 延 山 の 什 宝 な る も の と 較 々 同 じ く て ﹂ と 記 し た 身 延 山 の 画 像 は、 お そ ら く 山 川 智 応 氏 が ﹃ 日 蓮 聖 人 研 究 ﹄ の 巻 頭 に 模 写 の 写 真 を 掲 げ た も の と 思 わ れ る が、 こ れ も ま た 写 真 か ら 推 測 す る か ぎ り、 鎌 倉 時 代 の 作 に な る も の と は 思 え な い。 ( 本 図 は 現 今 所 在 不 明 ) 即 ち 現 存 す る 画 像 お よ び 資 料 か ら は、 親 安 の 三 幅 説 は 成 立 し が た い と 思 わ れ る。 ま た 筆 者 は、 以 上 三 点 と は 全 く 別 の、 三 幅 の 中 の 一 幅 と 称 す る 画 像 を 見 る 機 会 を も つ た が、 し か し そ の 画 像 は 現 存 の 画 像 と は 描 法 を 異 に し、 同 一 の 作 者 の も の で は な か つ た。 さ ら に も う 一 つ の 問 題 点 が あ る。 明 治 八 年 の 火 災 に 本 画 像 が ど こ で 遇 つ た の か、 と い う 点 で あ る。 こ の 場 所 に つ い て は 谷 口 師 は 全 く ふ れ て い な い。 同 師 に よ れ ば、 本 画 像 は 明 治 以 前 か ら 谷 口 家 に あ つ た こ と に な る が、 蓮 休 寺 ( 谷 口 家 ) に 火 災 日 蓮 聖 人 画 像 の 一 考 察 ( 坂 輪 ) 三 一 九

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日 蓮 聖 人 画 像 の 一 考 察 ( 坂 輪 ) 三 二 〇 の 事 実 は な い。 或 は 明 治 八 年 の 身 延 山 の 火 災 か と も 思 わ れ る が、 そ れ は 谷 口 家 の 伝 承 と 抵 触 す る。 以 上 の 諸 条 件 を み た す い く つ か の 仮 説 の 可 能 性 が あ る が、 今 の と こ ろ い ず れ も 確 実 な 論 拠 を も ち え な い。 六 作 者 と 画 風 に つ い て 藤 原 親 安 は 本 画 像 の 作 者 と し て 以 外、 人 名 辞 典、 系 図 等 に 見 出 す こ と が で き な い。 そ こ で 鎌 倉 時 代 末 頃 の 四 ・ 五 位 程 度 の 位 を も つ 画 人 を 考 え て み る と ( 例 え ば 土 佐 邦 隆 11 従 五 位 下 豊 前 守 ・ 絵 所 預、 藤 原 信 実 11 正 四 位 下 ・ 左 京 権 大 夫 ・ 中 務 大 輔、 藤 原 伊 信 = 正 四 位 下 ・ 右 馬 頭、 巨 勢 有 久 = 従 五 位 上。 左 近 将 監 妥 女 正 ・ 壱 岐 守 )、 当 時 の 官 位 を も つ 画 人 は、 貴 族 の 手 す さ び と し て 絵 に 巧 み で あ つ た ( ま た は 絵 に 秀 で た も の が 貴 族 の 仲 間 入 り を す る ) と い う こ と と、 従 五 位 の 位 が さ ほ ど 低 い も の で は な い、 と い う こ と を 指 摘 で き よ う。 や や 時 代 は 湖 る が、 似 絵 の 名 手 藤 原 隆 信 ( 前 述 の 信 実 の 父 ) に つ い て み れ ば、 正 五 位 下 に 久 し く 止 ま つ て 位 の 昇 ら ぬ こ と を 嘆 い た り、 日 吉 ・ 大 原 ・ 高 野 等 へ の 美 福 門 院 の 行 啓 の 世 話 や 供 奉 に 寧 日 な く、 た め に 和 歌 の 習 練 め 暇 が な く、 歌 合 せ に 恥 を か く な ど、 そ こ に は 公 的 私 的 な つ き あ い に 多 忙 を き わ め る 貴 族 の 姿 が 浮 ん で く る の で あ る。 ( ﹃ 無 名 抄 ﹄ に よ る ) 以 上 の 考 察 か ら、 京 都 の 廷 臣 で も あ る 絵 師 が 関 東、 し か も 鎌 倉 で は な く 山 ふ か い 身 延 に 滞 在 す る と い う こ と は、 考 え に く い と 思 わ れ る。 二 月 十 日 と す れ ば お そ ら く 雪 中 で あ り、 従 つ て 前 年 の 秋 か ら 冬 を 越 え て も 滞 在 と い う こ と も 想 像 さ れ る が、 そ れ は な お 一 そ う 従 五 位 の 画 人 に 似 つ か わ し く な い で あ ろ う。 即 ち 従 五 位 藤 原 親 安 の 実 在 性 は 疑 問 視 し な け れ ば な ら な い。 そ れ は と り も な お さ ず、 前 出 の 縁 起 と 対 立 す る 立 場 で は あ る が、 縁 起 そ の も の に 不 確 定 な 要 素 の あ る こ と は 既 に 吟 味 し て き た の で、 問 題 は 少 い と 思 わ れ る。 最 後 に 本 画 像 の 画 風 で あ る が、 一 口 に い つ て 大 和 絵 風 で は な く 漢 画 風 で あ る。 宋 元 画 の 影 響 が 強 い と も い え る し、 狩 野 派 的 で あ る と も 云 え よ う。 い ず れ に せ よ そ れ は 鎌 倉 時 代 よ り も い く 分 時 代 を 下 げ る 方 が ふ さ わ し い と 考 え ら れ る。 と こ ろ で ﹃ 日 本 画 家 人 名 辞 典 ﹄ 落 歎 編 に は ﹁ 狩 野 親 安 ﹂ の 朱 文 方 印 が 収 録 さ れ て い る。 狩 野 で あ れ ば 当 然 室 町 時 代 以 降 で あ る が、 し か し な お、 藤 原 親 安 と 狩 野 親 安 を 直 接 結 ぶ こ と は、 慎 重 で な け れ ば な ら な い で あ ろ う。 七 結 語 結 論 的 に、 本 画 像 の 成 立 を 室 町 時 代 中 頃 と 仮 定 す る な ら ば、 以 上 吟 味 し て き た い く つ か の 論 点 は、 と く に こ の 方 向 に 矛 盾 を 示 さ な い と 思 わ れ る。 よ り 確 実 な 新 ら し い 論 拠 の 見 出 さ れ る ま で の 一 仮 説 と し て、 本 稿 を 提 示 し た い。

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