書 評
佐藤彰男、I・U・チョドリ、坂本真司、鳩貝
耕一『ヴィレッジフォン─グラミン銀行による
マイクロファイナンス事業と途上国開発─』
東京:御茶ノ水書房、2010年、2800円+税、ISBN978-4-275-00886-2大橋正明
本書の背景─バングラデシュの貧困問題とビジネス─
かつてバングラデシュは「援助の実験場」と呼ばれていたが、今では 「ソーシャル・ビジネスの実験場」と呼ぶのが相応しいようだ。最近の バングラデシュは、ソーシャル・ビジネスやBOP(Base
もしくはBottom
of the Pyramid
)ビジネスの実践の場として大いに注目されているから だ。 例えば2010年後半、ユニクロのファーストリテイリング社が、グラミ ン銀行グループとソーシャル・ビジネスのための合弁会社をダッカに設 立し、衣料の生産管理とグラミン銀行の借り手の女性による対面販売を 通じた販売事業に取り組む、と報じられた。JICA(国際協力機構) も、同年に「BOPビジネス連携促進」の調査としてコンサル会社など を通じて世界各国で20件の調査を行ったが、このうち2件がバングラデ シュを対象としている。 また2005年には、通信技術分野のベンチャーキャピタリスト原丈人が 率いるDEFTAPartners
が丸紅と共に、バングラデシュ最大のNGO であるBRACが1996年に創設したインターネットの大手プロバイ ダーBRACNet
を合弁会社化した。同社のインターネット網に接続さ れたネットカフェのような小店舗e-hut
を農村に普及させて、デジタル デバイドの解消と地場の起業家育成に務めるほか、BRACはその投資 収益を本体の自己資金、つまり活動費に充てることが目指されている。 なお本書の対象であるグラミン銀行のヴィレジフォン・プログラムは、 1995年に設立されたグラミン銀行グループのグラミンフォン社という同 国最大の携帯電話会社が土台となっている。丸紅はこの会社の創設当初 に資本参加しており、日本企業によるバングラデシュでのソーシャル・ビジネス参入の嚆矢となっている。 ソーシャル・ビジネスとは、環境や貧困などの社会的課題を、収益を 生むビジネス手法を通じて解決を目指す継続的な事業体もしくは手法 のことを指す。利潤を出資者に戻さないで事業に再投資することや、ビ ジネス自体が課題解決に貢献することが特徴で、グラミン銀行やビッ グ・イシューはその典型とされている。しかし目的理解や定義の確立は まだ十分ではなく、混乱や論議が続いている。 これまでソーシャル・ビジネスについて長々と論じてきたが、実は本 書は、グラミン銀行が実施するヴィレッジフォン・プログラムを、同銀 行が提供するマイクロクレジットを活用した農村女性の事業として捉 え、同銀行が掲げる貧困削減や女性たちの社会的地位の向上とエンパ ワーメントの促進という視点から検証することを主眼としている。その 意味では、マイクロクレジットが貧困やジェンダー差別にどのような影 響を与えているのか、という論議を冒頭に持ってくるべきだが、本書の 背景としてソーシャル・ビジネスを理解することで、本書の価値がより 明確になると考えて、このような導入を採用した。本書は、この設問に 対して極めて明快な答えを提示している。
本書の内容と検討
本書は、2006年度から2009年度にかけて佐藤彰男が代表となって2 団体からの研究助成を受けた調査活動の結果に基づいた三つの章と補 章、チッタゴン大学社会学部のI・U・チョドリ教授による1章、そし て末尾のヴィレッジフォン関係者へのインタビュー記録から構成されて いる。なお補章はITの通信網展開に関する技術的な考察であり評者の 手に負えないので、この書評では触れない。 総論に当たる第1章で佐藤は、独立間もない途上国の多くで導入され た「緑の革命」を支えるために導入された、政府系金融機関による農業 金融の多くが低い返済率によって失敗した後の1970年代後半から、主 にNGOが小規模無担保融資、いわゆるマイクロクレジットを徐々に確 立させていくこと、その中でグラミンモデルとグラミン銀行が成長して いくこと、一方で貯蓄や保険などを組み込んだマイクロファイナンスに 発展すること、さらにマイクロクレジット・サミットや著名人などを通 じて、世界的に伝わっていく流れを手際よくまとめている。そして最後の節で、マイクロクレジットやマイクロファイナンスがもつ問題点や限 界を説明して、これを貧困対策の万能薬と理解してきた多くの日本の識 者の思い込みを明確にしている。 問題点や限界の主な点は、マイクロファイナンスが目指す貧困層の貧 困克服とエンパワーメントという効果を、客観的に評価することが困難 なこと、そしてマイクロクレジットに内在する問題として、経費ねん出 を前提とした利子設定やコスト縮減のせいで最貧困層には裨益しにく いことと、さらに貧しい村人でも生活の糧を得る方法を身に付けている というグラミン銀行の基本的な考え方と、コスト発生の抑制のために技 術訓練などを含めた統合アプローチではなく、融資に特化した最小限ア プローチをとることによって生じている諸問題を指摘している。加えて、 バングラデシュにおける女性の社会隔離の習慣に対して、マクロファイ ナンスは有効な方策を見出していない、とも指摘している。 これらは一部の学者や専門家によって繰り返し指摘されてきたこと であるが、2006年のグラミン銀行とムハマド・ユヌス氏のノーベル平和 賞受賞の強いインパクトや、冒頭に述べたソーシャル・ビジネスのブー ムの影響で、日本社会ではほとんど語られてこなかった。その意味で本 書の意義は高いが、もう少し議論を進めるべき点も散見される。 例えば女性の地位向上やエンパワーメントが測定しにくいという問 題の消極的な見方だけでなく、ファリダ・アクタルが指摘するマイクロ クロクレジットによる「負債の女性化(
feminization of indebtedness
)」 1、つまり女性が直面する問題がさらに増加する、といった負の面にも言 及しておく必要があるのではないだろうか。著者は本書冒頭で「マイク ロファイナンスによる社会開発の可能性を探ろう」(1頁)としているが、 マイクロクレジットに限ればこれは草の根の経済開発と理解したほうが よくないだろうか。周知のように、経済開発は一般に社会開発やジェン ダー格差においては問題を悪化させる場合がある。 チョドリによる次の第2章は、バングラデシュにおけるNGOとグラ ミン銀行、そしてヴィレッジフォンとそれを支える同銀行の関連会社の 経緯や現状を説明している。NGOによるマイクロクレジットは、AS A、BRAC、PKSF/ASPDA
、Plan
などによるものをやや詳細に描いて グラミン銀行のそれと比較し、特にグラミン銀行には最小限アプローチ に基づいた放任主義的傾向が強いことを明確にしている。またバングラデシュでは社会運動の影響力低下に対応するように、N GOの規模が大きくなってきたこと、現在では、社会教育、保健衛生、 人権侵害や差別、女性のエンパワーメントなどいわゆる社会開発の諸課 題に積極的に関わり成果を上げているNGOが少ないことを指摘して いる。これらは的確で重要な指摘なので、本文の最後で再び論じたい。 その後チョドリは、グラミン銀行について簡単に記述した後、グラ ミンフォン社とグラミンテレコム社の創設とその後の経緯を述べて いる。グラミンフォン社は、国内の通信網の設定・維持、そして携帯 電話などの輸入・販売しており、2009年12月段階で2300万人が利用 者のバングラデシュで最大の携帯電話会社である。 本書の対象であるヴィレッジフォン・プログラムは、グラミン銀行 からクレジットを受けた村の女性が、グラミンテレコム社から携帯電 話セットを購入し、村で携帯電話サービスを行うシステムである。こ こでチョドリは、このプログラムの目的を、以下の三点に分けて説明 している。 ⑴農村での携帯電話網の普及 ⑵新たな収入の創出による貧困削減 ⑶女性たちの社会的地位向上とエンパワーメント チョドリはこの章に最後に、ヴィレッジフォンに関する統計を示し ている。そのなかで、2006年前後から他社の参入やグラミンフォン の契約増加によって携帯電話の普及が進み、ヴィレッジフォン加入の 伸び率に陰りが出始め、それ以降急速に経営状態が悪化していること が明らかにされた。つまりヴィレッジフォンは、先行段階では順調に 数を伸ばし、貸電話業として利益をもたらしたが、携帯電話の普及に よって停滞したのである。 第3章「ヴィレッジフォンの盛衰と貧困の克服」で、佐藤はヴィ レッジフォン・プログラムの実態について、チッタゴン市近郊地域で 貸電話業を営む80世帯や利用客についての調査結果をまとめており、 本書では最も重要な部分だ。 この調査によって、ヴィレッジフォンの名義は女性たちであるが、 経営実務は男性の世帯員か親戚によって担われていること、この女性 たちの教育程度が農村部としては高く、中流以上の家庭に属していた ことが推察できること、ヴィレッジフォンを営業している世帯は商売
などの他の経済活動も同時に行っており、所得水準は悪くないこと、 農村部よりバザールに位置する店の方の売り上げが高いこと、主な利 用者は農村部に暮らすが貧困層ではない非農業人口であることなど が明らかにされている。 つまり佐藤は、前章で挙げられたヴィレッジフォンの三つの目的の うち、⑴の農村部への電話普及では成果を上げたものの、電話の利用 ではその便益が最貧層には及んでいないこと、⑵の貧困削減について は、このプログラムの対象者たちが貧困層でないこと、しかしヴィ レッジフォンは当初はそれなりの収入をもたらしたが、今では衰退期 を迎えていることを指摘している。「『貧困層に届かない』という、マ イクロファイナンスのかかえる根本的な問題は、ヴィレッジフォン・ プログラムの様々な局面にあらわれている」(82頁)、そしてその問 題の克服が困難なのは、グラミン銀行の最小限アプローチに基づいた 不干渉主義にある、という佐藤の指摘は正鵠を射ていよう。 続く第4章「ヴィレジフォンとエンパワーメント」は、先に挙げた このプログラムの三つ目の目的「女性たちの社会的地位向上とエンパ ワーメント」に関する坂本の論考である。この章前半のエンパワーメ ント概念の変遷と社会開発とエンパワーメント、佐藤寛モデルの紹介 までは、もう少し簡潔にまとめた方が、後半の調査結果が際立つので はなかろうか。 この章の後半は、「気づき-啓発」、「能力開花─能力」、「場の確保 ─環境づくり」の3要素からなる佐藤寛のエンパワーメントのモデル を使ってヴィレッジフォン・プログラム参加者のエンパワーメントの 状況を、15世帯での聞き取り調査から考察している。その結果、ヴィ レッジフォン・プログラムはこれら3要素の総てにおいて機能を果た していない、その原因はグラミン銀行の最小限アプローチの姿勢があ ると指摘している。 15世帯だけの、しかもそのうち9世帯では名義人の女性との面談を 拒否された調査の結果から、どの程度一般化したものが抽出できるの かなどといった疑問もあり得よう。女性調査員の活用、特徴を配慮し た複数の調査地点の選定などの改善点は容易に指摘できる。しかしこ こに示された結果は、全体傾向にほぼ沿っているように思われる。 しかしそもそもグラミン銀行の受益者が女性中心なのは女性のエ
ンパワーメントを目指しているからなのか、単に返済金の回収が男性 からより容易なので活用しているだけで、女性は男性やグラミン銀行 に利用されているのか、という根本的な議論についてもそれなりに言 及すると、読者の理解がより深まったのではなかろうか。
まとめ
最終章「おわりに」には、これまで述べてきたこの調査研究の結果 がまとめて述べられているだけでなく、評者自身もそうであるNGO 関係者には厳しい指摘がなされている。第2章でも触れているよう に、バングラデシュのNGOの多くは、自己資金を確保するためにグ ラミン銀行と同様に最小限アプローチでマイクロクレジットを行う ことは熱心だが、本来なすべき社会変革や社会開発の諸活動が疎かに なっているという問題が存在しているのだ。「NGOの存続自体が目 的化している状態は、本末転倒のそしりを免れない」(120頁)とい う本書の厳しい指摘は、実に耳に痛い。 この背景には、マイクロクレジット用資金を現地NGOに低利で貸 出す政府系機関PKSFの存在、プロポーザルや報告書などを現地N GOに頻繁に求める外国のNGOや支援団体の資金提供の仕方や関 係の在り方、マイクロクレジット以外にNGOは現地で自己資金確保 ができにくい社会状況等が存在している。さらに言うと、マイクロク レジットで生き延びているNGOはその保有財産が大きいので、NG O組織の主導権を巡る内部争いも厳しくなっているように思われる。 マイクロクレジットが貧困対策の万能薬ではなく、いくつか深刻な 問題や疑問があることは、しばらく前から公然と語られていたし、評 者も折につけて表明してきた。しかしこのような実証研究の結果とし て、わかり易い形で世に問うた筆者たちの努力を多としたい。 註負債の女性化については、Akhter, Farida, 2000, “Micro-Credit: The Development Devastation for the Poor”, DAGAinfo. 112, (http://daga.dhs.org/daga/res/dagainfo/ di112.htm)を参照されたい。