• 検索結果がありません。

南アジア研究 第23号 008書評・小牧 幸代「工藤正子『越境の人類学―在日パキスタン人ムスリム移民の妻たち―』」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "南アジア研究 第23号 008書評・小牧 幸代「工藤正子『越境の人類学―在日パキスタン人ムスリム移民の妻たち―』」"

Copied!
7
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

書 評

工藤正子『越境の人類学─在日パキスタン人

ムスリム移民の妻たち─』

東京:東京大学出版会、2008年、336頁、6500円+税、ISBN978-4-13-056303-1

小牧幸代

本書は、工藤正子氏の博士学位取得論文『重層的世界におけるジェ ンダーの再編と自己の再定義─パキスタン人ムスリム移民の妻たち─』

(

東京大学大学院総合文化研究科に提出

)

を下敷きにしている。タイトル が示す通り、本書の主人公は、来日したパキスタン人ムスリムとの国際 結婚を機に「外国人労働者の妻」「改宗ムスリム」となった日本人女性 たちである。彼女たちは、生まれ育った日本社会に居ながらにして周縁 的な立場を余儀なくされ、その周縁性ゆえに国境や宗教をはじめとした 複数の境界を日々往還し自己変容を遂げていく。著者は、そのプロセス を「越境」という鍵概念を用いて読み解き、そこに立ち現れる生活世界 の重層性と越境のかたちを「厚い記述」によって描出しようと試みる。ま ずは章立てを見てみよう。 序 章

外国人ムスリムとの結婚

─もう一つの「越境」への人類学的アプローチ─ 第1章 夫たちの来日─国を離れる力とつなぎ止める力─ 第2章 出会いから結婚へ─「妻」となるプロセス─ 第3章 男性のネットワーク形成とジェンダー規範の再構築 第4章 ムスリムとしての自己覚醒 第5章 「本来のイスラーム」という地平 第6章 「日本人ムスリム」としての自己の再定義 第7章 国境を越える家族 終 章 現代日本における女性たちの越境 本書の構成は、このように、調査研究の理論的背景を論じた序章と全 体の総括にあたる終章の間に七つの章を置いている。この組み立てに

(2)

よって、調査対象者となった日本人女性たちが周縁という大舞台に立つ までの経緯、夫をはじめ、全ての登場人物が出揃った上で生じるさまざ まな出来事とそれに付随する葛藤、覚醒、交渉、そして各人がそれぞれ に迎えたさしあたっての結末というストーリーが成り立っている。ほぼ 時系列に沿った展開は、学術論文としては意外なほど物語性に富んでお り読み進めやすい。以下、流れに逆らうことなく順を追って見ていこう。 序章では、本書のタイトルであり、全体を貫くテーマとなっている「越 境の人類学」と、同じくサブタイトルとなり、魅力的な事例群を提供す る「在日パキスタン人ムスリム移民の妻たち」の位置づけが論じられる。 すなわち、移民研究に代表される人の移動に関する人類学的研究は、静 態的な「民族」や「文化」の境界を相対化し、動態的な民族=文化理論 の構築に貢献した。しかし、それは主流社会において移民を他者化し、 均質的・固定的な「異文化」を持つ存在として「移民コミュニティ」を 実体化する危険も有していた。 それでは、集団や文化の境界を自明視することなく、社会の多元的状 況を理解した上で、そこにおける個の営みを把握するためにはどうすれ ばよいのか。著者は、社会の多元化を主流社会内部における差異との関 連において捉えることの必要を訴える。そして、ジェンダーをはじめと した複数の変数の相互作用において「文化」を把握する調査研究を企図 するのである。 この点で本書は、世界経済の再編における移民の女性化、国際労働 移動という文脈におけるジェンダーの再編や女性の位置に関する研究 などを背景とした「ジェンダー人類学」および「移民のジェンダー分析」 に連なる研究となる。その研究潮流の中で、とりわけ「移動する女性が 経験する複数の価値体系や多重の権力作用において自文化とホスト社 会の双方を相対化して再解釈し、そこからアイデンティティを再構築し ていくプロセスを照らし出そうとする一連の研究」の重要性が強調され る。しかしながら、著者は、経済格差のある国境を合法的に越えるため の重要な戦略としての国際結婚のうち、いわゆる「上昇婚」に比べ、「出 稼ぎのために国境を越えた男性とホスト社会の女性たちの結婚」が等閑 視されてきたことを指摘する。そして、「外国人労働者」と結婚した先 進国=日本社会の女性たちの側から、「これらの夫婦が置かれた社会経 済的な布置に光を当てるだけでなく、そこで日本人女性たちが何を求

(3)

め、どのような生活世界を切り拓こうとしているのかを明らかにする」こ との意義を導き出すのである。 それは、「単にこれまで扱われてこなかった対象を取り上げるという だけでなく、人の移動によって生じる社会や文化のダイナミズムを明ら かにしようとした既存の研究」が看過してきた部分に向けて、「国境を 越えた移動が、ローカルな『移動しない』人々にどのような作用を及ぼ すのか」を例示するものであり、また「これまでおもに『外国人』や『マ イノリティ』の側に焦点を当てて論じられがちであった現代社会の多元 化や人の移動を、受け入れ社会の側から捉え直そうとする試み」でもあ る。本書が解明しようとする在日パキスタン人男性と日本人女性配偶者 の生活世界は、南アジア研究者からも軽視されてきた「灯台下暗し」的 フィールドである。ともあれ、主人公たちがいかに出会い結婚を決意す るに至ったのか、第1~2章に進んでみよう。 まず、パキスタン人男性の来日には英国、中東を経て日本へと向かう 国際労働市場の変動や、いわゆる「3K労働」の従事者を渇望する日本 の経済構造といったマクロ要因だけでなく、パキスタンにおける親族と ジェンダーをめぐる関係と価値規範に基づく動機、つまり家族・親族へ の送金を通して在地社会での家族・親族の威信獲得を支援しつつ、その 行為を担保に海外において個としての一定の自由を得ようとするミクロ 要因が働いていた。 他方、そうした「外国人労働者」と日本人女性の国際結婚は、ともす れば「ビザ目当て」という「男性側からの戦略」の結果と見なされがち である。だが実際には日本人女性の側からの「家族や親を大切にする」 「アジア的な男性性」への憧憬や、彼女たち自身が置かれた国内労働市 場における周縁性、既存のジェンダー関係や結婚に対する意識の変容な どを含めた広範囲の社会的プロセスが重要な要因となっていた。 続く第3章では、「外国人労働者」であった男性の多くが国際結婚後 に「自営業者」となり、同業者間で相互扶助ネットワークを形成する様 子が紹介される。そのネットワークはパキスタン社会の価値規範を再現 する場となり、やがてイスラーム的な空間が出現する場ともなる。そこ では、シャルワール・カミーズとドゥパッターに代表されるパキスタン 風民族衣装が「慎ましさ」を表現するものとして、その身体を管理する 夫の名誉の象徴と眼差される。

(4)

女性の身体や民族衣装を通じて愛国心や自尊心が表明される風潮は、 植民地時代の反英独立運動の一コマを再現しているかのようで、評者に とって興味深い。ところが第4~5章では、そうした眼差しに抗する女 性たちの姿が浮き彫りになる。彼女たちはパキスタン風民族衣装ではな く、よりアラブ的なヒジャーブと呼ばれる大判の布を用いて頭部から胸 元までを覆い、髪や耳を完全に隠す。夫の名誉のためでなく、自らの信 仰心に基づく宗教実践の一環だという。出産・育児期の女性たちは、ム スリムとして生まれた我が子の宗教教育の必要に迫られ、ムスリム女性 が集う勉強会に自ら進んで参加する。そこで出会った他のムスリム女性 との相互作用の中でムスリム意識に変容をきたし、覚醒し、葛藤と模索 を繰り返しながら新たな自己を構築する。 第5章の中心はイスラームに関する勉強会の場である。講師との問答 や先輩ムスリム女性の指導、さらに同じ立場の者同士との雑談などを通 して、「パキスタンの習慣」から「本来のイスラーム」への転向を熱望 する女性たちの様子が活写される。こうした動きは、彼女たちの生活の 細部を構成する権威構造、つまり「嫁」や「妻」にふさわしい振る舞い を「押し付け」られることに対抗する手段として、「本来のイスラーム」 に立脚した「改宗ムスリム」としての立ち位置を確立しようとする姿と 解釈される。 第6章では、日本の地域社会で子育てをする女性たちが直面する困 難、すなわち「日本人でありながら」ムスリムであることの「矛盾」に 対する周囲の眼差しと、それらとの交渉、そして「わかってもらえない」 という負の感情を昇華させ、やがて「無理をしない」ことに価値付けを するようになる心境変化が述べられる。勉強会の場で獲得した「ムスリ ム」としての自己に大きな齟齬をきたさないかたちで、彼女たちは「母 親」や「妻」としての関係の維持を可能にする自己のあり方を絶えず模 索し、生成する。 第7章では、パキスタンの夫方親族との関係性に視点を転じ、近年増 加しつつあるパキスタンや第三国への妻子での移住の例を筆頭に、トラ ンスナショナルな家族のあり方が紹介される。その背景には、子(特に 思春期を迎えた娘)の教育上の問題だけでなく、国家間の経済格差を利 用した合同家族としての経済戦略や、入管規制などの諸要因が複合的に 絡み合っているという。

(5)

以上を踏まえて終章では、まず女性たちの生活世界の重層性が丹念に 確認され、そのために自己変容のプロセスが単線的でなく複雑であった こと、またそれを「越境」という鍵概念で読解したことの意義が総括さ れる。次に、改宗ムスリムとなった日本人女性たちの服装をめぐる実践 とムスリム移民女性たちのそれとの比較から、両者の間の相違点を指摘 すると同時に、両者は各々の文脈において複合的な差異の交差を体現す る点で共通するとの検討がなされる。最後に、国際結婚によって再構築 された家族やジェンダーの関係性が日本人女性にとってどのような意 味を持つかについて、本書全体の考察結果が示唆するものが細かく整理 されて論じられる。 さて、本書で最も印象に残ったのは周縁性とファッションの関係であ る。秩序と混沌の狭間を漂泊し、中心と周縁を遍歴・往還するマレビト 的存在は、一目でそれと分かる姿・形をとる。民俗学者の赤坂憲雄は著 書『境界の発生』で「形が存在を(ひいては心をも)規定する」現象や 「姿・形に対する呪術的宗教的な心情」について論じる際に、琵琶法師 を例にあげる。現代日本のサブカルチャーの現場では、コスプレや、ギャ ルやロリータなどと呼ばれるファッションが、主流から距離をとる若者 の自己主張や自己防衛のツールとして機能するようだ。もはやそれは、服 装ではなく、武装である。 これらに類するものとして、評者はヒジャーブを思い浮かべた。「本 来のイスラーム」の勉強会でヒジャーブを被り、ムスリム名で呼び合う 女性たちは、そこで異なる人格、キャラを形成し自己変容を試みる。服 装と名前を変えることでキャラ替えが可能になる。これは一種の呪術で ある。とはいえ、他人事とは思えない。彼女たちのヒジャーブ実践は子 育ての一環としての勉強会参加に始まるからである。 本書で紹介される胎教や幼児教育に熱心な母親像には、何とも親しみ をおぼえる。だが、結婚や出産、子供の就学を機に生活や価値観が変化 し、それとともに立場も重層化していくさまは国際結婚に限らず、同国 人夫婦の場合にも当てはまる。逆に言えば、国際結婚が特殊なのではな い。国籍や母語が同じ者同士の間でも、文化摩擦や文化ショックは生じ うる。それでは、本書が真に問題にしているのは何か。 淡々と綴られる越境の諸事例と自己変容のプロセスの中で、最も紙幅 が割かれているのはイスラームに関わるトピックである。ここで疑問が

(6)

浮かぶ。彼女たちの多文化経験・異文化理解の試みにおいて、他の諸 側面に増して宗教が特別に重要視されているように感じられるのはな ぜか。もちろん、結婚時に改宗が条件となるらしいが、それにしても、こ れほどイスラームに注目する必要はあるだろうか。 この点に関して、調査対象者と著者との出会いが、主として勉強会 だったことは偶然でない。予め、宗教に関心のある人が調査対象者とし て選ばれていたことになる。これが本書の特徴であると同時に限界でも ある。本書の限界はもう一つある。個と世界が直接的に結びつくかのよ うに感じられること、すなわち両者の中間に横たわっているはずの世間、 コミュニティ、社会が、日本においてもパキスタンにおいても当事者の 視点から語られるのみで、それを傍証したり反証したりする別の視点か らの語りや著者自身の観察などがほとんどないことである。そのために、 せっかくの「厚い記述」でありながらリアリティに乏しくなってしまっ た。ネイティヴ人類学者の強みを活かして、言説中心の調査・分析に なったためではないかと思われる。 これと関連して、著者は女性たちの語りに同調しすぎてはいないだろ うか。というのも、妻となった女性ばかりがクローズアップされて、夫 のパキスタン人男性のほうは横顔しか見えてこない。自由を求めて来日 する男性たちが、移住先の日本で妻子の自由を脅かす存在になりかわ る。そのために妻からささやかな抵抗として、「本来のイスラーム」とい う改宗実践をつきつけられる。このあたりの女性の心身の変容プロセス はとてもよく分かったが、そのきっかけをつくり、変容プロセスの進行 中にも重要な役割を果たしたであろう夫の素顔や本音が見えてこない のはいささか不安である。 ところで、女性たちが志向する「本来のイスラーム」は、一種の対抗 文化として描かれている。アフガニスタンにおけるターリバーンが、長 老たちに対抗するために持ち出したのも「本来のイスラーム」であった。 こうしてみると、彼女たちの「越境」は、自分で創造・想像した境界を 越える営みにも見えてくるのである。 以上、読後の印象と感想を思いつくままに述べてきたが、本書は新規 のフィールドを開拓したものであり、対象に向かう真摯な態度とともに 作品としての完成度について非常に高く評価したい。おそらく、論文に できない事例が実際には山のようにあるのだろう。そして、そうした事

(7)

例にこそ、研究者にとって興味深い言説や現象が隠されているに違いな い。しかし、ネイティヴ人類学者には抑制が求められる。 最後になったが、移民の人類学を逆照射する本書の意図は理解する が、やはり南アジア研究者としての評者が知りたいのは、在日パキスタ ン人男性たちの日本の地域社会における暮らしぶりである。東日本大震 災後、テレビやラジオなどで繰り返し報道された彼らの炊き出しをはじ めとしたボランティア活動は、最近、地元のお寺との連携に発展し、宗 教を越えた活動となっているらしい。この「越境」のあり方も、ぜひ今 後の調査対象に加えていただきたい。 こまき さちよ ●高崎経済大学地域政策学部准教授

参照

関連したドキュメント

肝細胞癌は我が国における癌死亡のうち,男 性の第 3 位,女性の第 5 位を占め,2008 年の国 民衛生の動向によれば年に 33,662 名が死亡して

強者と弱者として階級化されるジェンダーと民族問題について論じた。明治20年代の日本はアジア

「心理学基礎研究の地域貢献を考える」が開かれた。フォー

ところで、モノ、ヒト、カネの境界を越え た自由な往来は、地球上の各地域の関係性に

が漢民族です。たぶん皆さんの周りにいる中国人は漢民族です。残りの6%の中には

 しかし、近代に入り、個人主義や自由主義の興隆、産業の発展、国民国家の形成といった様々な要因が重なる中で、再び、民主主義という

「新老人運動」 の趣旨を韓国に紹介し, 日本の 「新老人 の会」 会員と, 韓国の高齢者が協力して活動を進めるこ とは, 日韓両国民の友好親善に寄与するところがきわめ

この事業は、障害者や高齢者、一人暮らしの市民にとって、救急時におけ る迅速な搬送を期待するもので、市民の安全・安心を守る事業であること