夏目漱石『三四郎』の比較文化的研究
著者 土屋 知子
雑誌名 博士学位論文 内容の要旨及び審査結果の要旨
号 5
ページ 4‑7
発行年 2012‑06‑01
URL http://id.nii.ac.jp/1160/00001163/
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氏 名 学 位 の 種 類 学 位 記 番 号 学位授与年月 日 学位授与の要件 研究科 ・専攻名
つ ち や とも こ
土 屋 知 子 博士(学 術) 博第6号
平成24年3月17日
学位規則第4条 第1項 該当 比較文化研究科 比較文化専攻
学 位 論 文 題 目 夏 目:漱石 『三 四 郎 』 の 比 較 文 化 的 研 究
論文審査 委員 (主査)教 授 (副査)教 授 (副査)名 誉教授
上 垣 外 憲 一 柏 木 隆 雄 松 村 昌 家
論 文 内 容 の 要 旨
『三 四 郎 』 は、 明 治41年(1908)9月1日 か ら12月29日 ま で 全117回 東 京 ・大 阪 両 「朝 日 新 聞 』 で 連 載 さ れ た く新 聞 小 説 〉 で あ る。
作 品 は 「東 京 帝 国 大 学 」 と い う 日本 の ト ッ プエ リー トた ち が集 う場 所 、 東 京 本 郷 界 隈 の 文 化 ・ 風 俗 を 中 心 に描 か れ 、 「帝 国 大 学 運 動 会 」、 「団 子 坂 の 菊 人 形 」、 「文 芸 協 会 の 演 芸 会 」 な ど、 同 時 期 ま た は前 年 に新 聞 に掲 載 され た話 題 の 場 所 が 、 小 説 の 中 に 登場 す る。
本 論 で は 、 そ こ に描 か れ て い る風 俗 や 風 景 は 、 小 説 に 華 を添 え る 単 な る 「小 道 具 」 と して 描 か れ て い る の で は な く、 相 当 な 意 味 づ け を も っ て 描 か れ て い る こ と を論 証 した 。
第 一 章 で は 「東 京 帝 国 大 学 運 動 会 」 とい う風 俗 を 通 して 、 日露 戦 争(1904〜5)後 の 明 治 日 本 の 一 つ の 姿 を 明 ら か に し、 第 二 章 で は東 京 帝 国 大 学 の 「正 科 生 」 と 「撰 科 生 」 の 差 違 を 明 示 し た 。 第 三 章 第 四 章 で は 、 「女 学 生 問 題 」 や ク リス チ ャ ン の 女 性 等 同 時 代 の 女 性 の 問 題 を傍 証 と し な が ら、 野 々宮 よ し子 と里 見 美 禰 子 に っ い て 考 察 した 。 第 五 章 か ら第 六 章 は、 「文 芸 協 会 の演 芸 会 」 「菊 人 形 」 と い っ た 風 俗 へ の 漱 石 の 感 想 か ら、:漱石 が 持 っ 「小 説 」 に対 す る考 え を 論 証 し た。 第 七 章 で は小 説 を書 く上 で重 要 で あ る ヒ ロ イ ン の キ ャ ラ ク タ ー 造 型 に つ い て 、 「三 四 郎 』 と イ プ セ ン 「ヘ ッダ ・ガ ブ ラ ー 』 を比 較 考 察 した 。 第 八 章 で は、 里 見 美 禰 子 が 抱 え る苦 悩 を、 ラ フ ァエ ル 前 派 の 画 家 達 が 好 ん で 描 い た く水 に飛 び 込 む 女 〉や 、 ヴ ィ ク ト リア 朝 ロ ン ドン の女 性 の 生 き方 を 含 め て 浮 き彫 り に した 。 最 終 章 で は、美 禰 子 の 抱 え る 苦 悩 は 、肖像 画 「森 の 女 」 に描 か れ た の か ど うか 、 画 家 原 口 の モ デ ル と さ れ る黒 田 清 輝 と 当 時 の 日本 画 壇 等 と関 連 づ け な が ら、 漱 石 の文 芸 ・美 術 批 評 を 手 掛 か りに 読 み 解 い て い っ た 。
「三 四 郎 』 の ヒ ロ イ ン美 禰 子 は 、 一 見 華 や か で 西 洋 風 の 教 養 溢 れ る女 性 で あ る が、 唯 一 の 家 族 で あ る兄 が 結 婚 す る と、 三 四 郎 が 名 古 屋 で 同 室 に な っ た 「汽 車 の 女 」 や 、 鉄 道 に 飛 び込 み 自殺 した 女 と同 じ く頼 る べ き人 も帰 る べ き家 も な い 〉女 性 と な る。美 禰 子 の 孤 独 は 、小 説 に は現 れ ず 、 彼 女 が 仔 む 「崖 の 上 」 が 、 そ の 立 場 を 象 徴 し て い る よ う に 、 漱 石 は 「三 四 郎 』 の 中 で 、 登 場 人 物 達 が 持 っ 深 刻 な 問 題 を 深 刻 に は 描 か な い 。 個 々 の エ ピ ソ ー ドや 風 景 、 風 俗 に 象 徴 的 な意 味 を 持 たせ て 描 い て い る の だ 。 そ の た め 、 話 の 筋 だ け を追 っ て い る と、 主 人 公 三 四 郎 の 大 学 生 活 と 淡 い 恋 愛 を 描 い た だ け に しか 受 け取 られ な い が 、 そ れ ぞ れ 背 景 と し て 描 か れ て い る 事 柄 を 丁 寧 に読 み 取 っ て い く と、 そ こ に重 要 な意 味 が 隠 さ れ て い る こ と が 分 か る 。
で は 、 漱 石 は な ぜ 、 こ の よ う な方 法 を と っ た の だ ろ うか 。 一 つ に は
、 漱 石 が 、 自 然 主 義 の 赤 裸 々 な 描 写 を 好 ま な か っ た こ と が 挙 げ られ る だ ろ う。 田 山 花 袋 が 言 う よ う な 「露 骨 な る描 写 」(田 山 花 袋 『太 陽 』 明 治37年 ・1904)を 避 け、 登 場 人 物 達 の 内 面 に は深 く立 ち入 ら な い 手 法 を用 い て 、 シ リア ス な テ ー マ を描 き出 そ う と し た。
二 っ め は、 明 治41年(1908)3月26日 に起 き た 森 田 草 平 と平 塚 明 子 の 「煤 姻 」 事 件 か ら、
ア ン コ ン シ ャ ス ヒ ポ ク リ ッ ト
天 性 の ま ま男 を翻 弄 す る 「無 意 識 の偽 善 家 」 で あ る ヒ ロ イ ン を 描 こ う と試 み て お り、 「イ プ セ ン の 女 の 様 な所 が あ る」 ヒ ロ イ ン美 禰 子 を創 造 す る。 美 禰 子 は、 「ヘ ッダ ・ガ ブ ラ ー』 の ヘ ッダ の よ う な 自我 の 強 さ を持 っ た 自 由 奔 放 な 女 性 で あ る が 、 ヘ ッ ダ ほ ど 「徹 頭 徹 尾 不 愉 快 な 女 」(「文 芸 の 哲 学 的 基 礎 」)と して は描 か れ て い な い 。 そ れ は 、 ヘ ッダ の よ うな 因 習 に捕 らわ れ な い 女 を 日本 の 風 土 に 適 す る よ う に創 造 し た 結 果 で あ り、 漱 石 は イ プ セ ン の よ う に作 者 の 「哲 学 」 を 剥 き出 し に し な い 方 法 で 、 近 代 的 自我 に 目覚 め た 女 性 の 限 界 を現 そ う と した 。
さ ら に、 明 治28年(1895)か らた び た び世 間 を 騒 が せ た 「裸 体 画 」 の よ う に、 対 象 を あ りの ま ま に 露 骨 に 描 く とい う こ と も、 漱 石 の 美 意 識 に 反 し て い た 。
この よ う な こ とか ら、 漱 石 は 、 自 身 の 考 え を 前 面 に押 し 出 す こ と も、 登 場 人 物 た ち が 抱 え る 問 題 の 全 て を つ ぶ さ に 語 り尽 くす こ と もせ ず 、 そ れ ぞ れ の 風 景 や 風 俗 描 写 に意 味 を 託 す とい う 方 法 を と っ た の で あ る。
そ れ は 、 俳 句 や 俳 画 、 文 人 画 に 見 受 け られ る よ う な 「余 韻 」 「余 白」 の 美 学 とい っ て い い か も しれ な い 。 幼 い 頃 か ら南 画 に親 しみ 、 自身 も よ く水 彩 画 を 描 き、 俳 句 を詠 ん だ 漱 石 な ら で は の 感 性 で も あ っ た と い え る だ ろ う。
作 品 に シ リ ア ス な 問 題 の 暗 示 を読 み 取 る こ と は 、 絵 解 きす る能 力 を 読 者 に要 求 す る とい え よ う。 し か し、 そ れ を 読 み 取 る こ と の で き な い 読 者 を 置 き去 り に す る こ と な く、 〈風 俗 小 説 〉 と して も楽 し め る 要 素 を ふ ん だ ん に 盛 り こん で あ る 。 そ の シ リ ア ス な 要 素 と風 俗 的 な 要 素 の バ ラ ン ス が 『三 四 郎 』 の大 き な魅 力 と な っ て い る 。
漱 石 は、談 話 「現 時 の小 説 及 び文 章 に 付 て 」 で 、事 件 で 人 を 楽 し ませ る小 説 は 「発 達 せ ぬ 読 者 」 に 向 っ て 作 る も の で あ り、 「発 達 せ る読 者 」 は、 「事 件 を述 べ る為 の 小 説 」 で は満 足 し な い と語 っ て い る。 これ は、 朝 日新 聞 に 入 社 す る前 に 発 表 さ れ た 談 話 で あ る が 、 既 に漱 石 は 二 っ の タ イ プ の読 者 を認 識 して お り、 この 後 明 治41年(1908)に 朝 日新 聞 に入 社 し、 新 聞 小 説 を書 い て い く 際 に、 これ ら二 つ の タ イ プ の 読 者 を 同 時 に満 足 さ せ る こ と を意 識 し た に違 い な い 。
「三 四 郎 』 の 中 に は事 件 ら しい 事 件 は起 こ らな い 。 け れ ど も 「菊 人 形 」 「運 動 会 」 「展 覧 会 」 「演 芸 会 」 と い っ た 沢 山 の 行 事 が 鮮 や か に 描 き 出 さ れ る 。 そ れ ら明 治40年 代 の 風 俗 は 、 「発 達 せ ぬ 読 者 」 に は 、 小 説 を 彩 る た め の 点 景 や 娯 楽 的 要 素 と し て し か 映 らな い か も しれ な い が 、 漱 石 は そ れ らの 風 俗 の 背 後 に 隠 さ れ た 、 急 速 に 西 洋 化 し近 代 化 へ の 道 を押 し進 ん で い た 明 治 日本 と、
そ こ に生 き る 若 者 た ち が 抱 え る シ リ ア ス な 問 題 を 読 み 取 る こ と を 「発 達 せ る読 者 」 た ち に期 待 して い る の で は な い か 。
審 査 結 果 の 要 旨
審 査 対 象 と な っ た 論 文 、 「夏 目漱 石 『三 四 郎 』 の 比 較 文 化 的 研 究 」 は、 明 治 四 十 年 代 東 京 の 風 俗 を 華 や か に 織 り込 ん だ この 小 説 が 、 そ う し た 風 俗 描 写 が 、 一 種 の 文 学 的 象 徴 と して 用 い られ て い る こ と に ま で 踏 み 込 ん で 分 析 す る こ と を試 み た作 品 で あ る 。
舞 台 と な っ た東 京 帝 国 大 学 、 そ の運 動 会 、 近 くの 本 郷 界 隈 の 行 事 「菊 人 形 」、 文 芸 協 会 の 「ハ ム レ ッ ト』 上 演 、 あ る い は絵 画 展 覧 会 な ど、 首 都 東 京 の 風 俗 絵 巻 と見 え る も の も、 作 者 漱 石 の 文 明 批 評 、 あ る い は 芸 術 観 ・美 学 を表 出 す る た め の 道 具 と して の 機 能 を 小 説 の 中 で 持 っ て い る
こ とが 本 論 に よ って 明 ら か に さ れ て い る。
事 件 性 の あ る 女 性 の 自殺 も、 一 見 新 聞 記 事 の 取 材 に過 ぎ な い よ う な 出 来 事 だ が 、 主 人 公 の 美 禰 子 が イ プセ ン の ヒ ロ イ ン に比 較 され る こ と を対 照 す る と、ヒ ロ イ ン の 自殺 で幕 を 閉 じ る 「ヘ ッ
ダ ・ガ ブ ラ ー 』 へ の 連 想 が 浮 か び上 が る こ と に な り、 『三 四 郎 』 理 解 へ の 新 た な 切 り口 が 浮 か び 上 っ て く る の で あ る 。
同 時 に、 本 作 品 で 言 及 、 あ る い は 暗 示 さ れ て い る絵 画 作 品 の 分 析 か ら 「三 四 郎 』 に込 め られ た 漱 石 の 創 作 意 図 を探 り当 て よ う とす る本 論 文 の 取 り組 み は 、 相 当 程 度 に ま で 成 功 して い る と 評 価 す る こ とが で き る。
以 上 を総 合 して 、 本 論 文 は本 学 の 博 士 学 位 に充 分 ふ さ わ し い も の で あ る と認 め られ る 。
博士学位論文 内容の要旨及 び審査結果 の要 旨(第5集)
平 成24年6月1日 発 行
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