熊本県野津古墳群の円筒埴輪
<資料紹介>
熊本県八代郡竜北町忙所在する野津古墳群は、
推定"火君の墓"として名高い。古墳群は八代平 野の東端を流れる氷川の流域冗あり、八代平野を 一望できる丘陵上k造られて仏る。現在姫ノ城古 墳(全長85抗)、中ノ城古墳(伺98抗)端ノ城、 、
古墳(同66"1)、物見憎古墳(同72柳)の4基の 前方後円墳かあるが、他忙昭和38年忙開懇忙よ うて消滅した天捉古虻K同約30抗・前方後円耳"
を始め、数基の古墳か存在して仇たと言われてい る(註1)。 1980年赤と 1982年春の2回、私を 含力熊本大学考古学研究室の一行が古墳群を訪れ た際、姫ノ城古墳と端ノ城古墳の周囲から多くの 円筒埴輪を採集した。今回はその時採染したもの のうち主たもの忙ついて紹介したい。
はじめに
3 採集遺物.
1姫ノ城採集の円筒埴輪片
姫ノ城古墳吐古墳群の最北忙あろ全長約85抗 の前方後円墳で、一部忙周溝らしきものも見られ る。主体部吐後円部頂上で見られる石材の散在状 況から、横穴式石室ではた仇かと推測されていろ。
円絢蜘輪か出土tることは以前から知ちれており、
焼いた<吐船そらく士管の類だと思、つて焼仏九の であろうが、円筒嫡輪の破片捻無残忙もススが付 着し、器表面の調整等か氏とんでわから左く壮ウ ており、ひびか入うて、へるもの、あった。これら の円筒嫡輪が本来どの古墳のものかはわから右い。
端ノ城古墳で以前牝円筒岫輪が採集されたと仏う 記述岐知らないし、今度の2回の訪問でも墳丘か ら吐一点も採集され壮かった。しかし、わざわざ 遠くから運んできて焼却ナるとⅥうのは不自然だ し、やはり端ノ城古墳あるいはそれ忙隣接した古 墳のものである可能性が強仇。いずれ忙しても、
姫ノ城・端ノ城両古培とも、文化財保護と仇うこ と忙つ仏て、改めて考えさせられる訪問であった。
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2 古墳群の現状と遺物採集の状況 前述のよう忙現存する古墳吐4基である。とれ
、古墳は県の史跡忙指定されて仏る。そのうち端 ノ城古墳及びその周囲吐公園として利用されてい る。他の3基は古墳の周囲かみかん畑として利用 されているか、墳斤.自体忙は及人で仏赤仏。
姫ノ城古墳で採集し九もの帷、その殿とんどか 墳.丘から落ちてきたと思、われる小破片ばかりで、
量もそれ様ど多く驫い。ただ、 1回目忙来た時K 比べ、 2回目忙来た時忙吐、みかん畑か墳丘の方 忙拡張されており、墳丘直下忙まで進出していた。
第3図13の火破片は、この斯た忙拡張された部分上 り採染したものである。墳丘自体も各所で小規模 な崩壊が進んでおり、伺、かの乎を打つ必要性を 感じ九。
端ノ城古墳の場合忙は驚かされた。古墳の周囲 忙舗装道路か通って仇るのだが、前方部とその道 路のmjKゴミを焼いた跡があった。例とその中k 円筒城輪の火きな破片がゴロコ'口していたのてあ る。これは1回目・ 2回目の訪問時とも忙てあろ。
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他Kも、さしぱ・蓋たどの石製品、須恵器片、土 師器片等が出土して仇る(註2)。
採集した円筒埴輪片は13の一点を除き、小破 片ぱかりで、量も多くな仇。 5は丹を塗った胴部 片で、外器面忙は縦方向のハケ目を施とし、内器 面はケズリの後牝ナデを加えて仇る。 12の底部 片は他の破片と異壮り、器壁が薄く胎土も良仇。
外器面忙は縦方向の、内器面牝は横方向のハケ目 を施として仏る。住た内器面kは弧状の沈線をー 本施こして仏る。形敦埴輪の可能性もある。13は全 体の4分の1程度の破片で、近年作、れ九みかん 畑内で採集したものである。器面全体忙コケか付 蔚しており、器表面の風化が激し山。外器面Kは 縦方向のハケ目を施とす。内器面は明瞭Kはわか らたいが、大きく削った後忙ナデて仇る様である。
,ガ吐あまり突出せず、断面形は低一台形を呈し て仇る。器壁の厚さは胴部から底部まで抵隙変わ ら衣し、。
②端ノ城古墳墳丘下採集の円筒埴輪片 端ノ城古墳は全長66抗の前方後円墳である。
遺物は前述のようk前方部わきょり焼却された状 態で採染された。採集した埴輪片は大きな破片も 多仇が、 2炊焼成を受けているため、器面の保持 がか赤り悪山。 1は数少衣い口緑部の破片で、朝 顔状忙大きく開仇て仇る。調整は低と人εわから 左く右ってーるか、わずか忙外器面忙縦方向の、
内器面忙横方向のハケ目を施として仏るのが確認 できる。色調は明る仏赤褐色を呈している。焼 成はそれ抵ど悪く左仇が、触れると胎土の砂粒が かなりつく。 2 は数片が接合した資料で、胎土
・焼成・色調とも牝 1と極めて似ている。ヂガ は現状で3本あ力、断面形はやや中く催みの低台 形を呈してぃる。調躯は抵とんどわからな仏が、
下から3段目の,ガをはさんで上と下K縦方向の ハケ目、破片の最上部K横方向忙近い斜方向の ハケ目を施こして仏るのがわかる。内器面はケズ りKナデを加えて仇るようであるか、良くわから 左い。底部は胴部忙比べてかなり厚゛。他の胴部 片、、ハケ目の密・疎、焼成の良・不良、色調の 差左どはあるか、基本的忙は同じ造りである。
14の底部片は須恵質のものである。かなり歪んで おり、横断形は栫円形を呈して仏る。最下段のヂ
ガと基底部の間忙屈仙かあり、その屈曲のやや下 から基底部立では、縦方向のハケ目をナデ消して し、る。
4 結語
採集した円筒埴輪片はすぺて原位置を遊離して おり、埴輪片自体の器面保持も極めて悪く立た、
笥者の円筒埴輪忙対する不勉強も加わりととで、
詳しい考察を行なうことはできた仏ので、 2、 3 の気づ仇た事を記す。
調整は外器面か縦位のハケ調整、内器面は斜方 向のケズリ牝ナデ調整を加えた、のが抵とんどで あるが、内器面忙横位のハケ調整を施こしたり、外 器面忙斜方向のハケ調整を加えたもの屯ある。ハケ 目の種類は様点であるが、 4のよう忙かなり荒仏 板目を使ウてーるものや、逆に 6のような緻密左 ものもある。ヂガはあまり突出せず、断面かわず か忙中く催みするか低山台形を成している。底部 は端ノ城古墳採集の2・フ・14の仇ずれ、が墓 底部か肥厚しているのk対し、姫ノ城古墳のもの は胴部と同じ厚さである。
以上の様相を総合すると、両古墳のものとも5 期編年の¥期(註3)の様相を示している。立た 姫ノ城古墳採集のものは母的忙少衣いので、明確 ではないのであるか、端ノ城古墳採集のものより やや古い感じを受けるがどうであろうか。いずれ 忙しろ、遺物の遺存状況か良く左仇ので、朗淀は でき左しへ。
大規模左遺跡調査が行なわれる一方で、このよ う左朱調査の遺跡が破壊されて仏くのは残念であ る。埴輪牝対して抵とんど知識を持たたい筆者か との拙ない報文を哲仇たの屯、それ忙対ナる意味 か大きい。本来ならぱ充分考察を加えて発表すぺ きであるが、忙しさ忙悩まされて、参考文献もあ 立り熟読せず忙報告したととを御許し願いたい。
左お採集した円筒埴輪は柧尾法博・河野法子・
入江久成・渡辺千恵・明瀬慎吾と錐者が作図し、
粧者はその代表として執笹した忙すぎ左い。京た、
白木原和美・甲元真之・松本健郎の三先生忙は、
様心た御指導を仏ただいた。あわせて感謝した仏。
(熊本大学文学部助手)