• 検索結果がありません。

中国六朝古小説訳注『列異伝』(一)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "中国六朝古小説訳注『列異伝』(一)"

Copied!
11
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

三 三

『  列異 伝』 訳 注は

、六 朝 古小 説研 究の ため の基 礎 資料 収集 とそ の読 解を 目的 とし

、現 在続 けて いる

「中 国六 朝古 小説 訳注

」作 成の 一部 であ る。 既に

「晋

・干 宝『 捜神 記』

」( 白 帝社 二 

〇〇 四年

)、

「 宋・ 陶潜

『捜 神後 記』

」( 白 帝社 二 

〇〇 八年

)、

「 斉・ 祖沖 之『 述異 記』

(『 中 国古 典文 学研 究』 七)

、「 宋

・東 陽无 疑『 斉諧 記』

」(

『中 国中 世文 学研 究』 第五 八号

)、

「 梁・ 呉均

『続 斉諧 記』

」(

『 中国 中世 文学 研究

』 第 五 九 号) を 発 表 し、 引 き 続 き「 宋・ 劉 義 慶『 幽 明 録』

」、

「宋

・劉 敬叔

『 異苑

』」

、「 梁

・任 昉『 述 異記

』」

、更 に仏 教の 影響 の強 い「 宋

・ 劉義 慶『 宣験 記』

」、

「 斉・ 王琰

『冥 祥記

』」 等 の訳 注の 作成 を予 定し てい る。 魏 

・文 帝『 列異 伝』 は、 六 朝期 に於 ける 志怪 小説 集の 一つ であ る。 しか し現 在で は既 に失 われ

、類 書等 に引 用さ れて いる 説話 を残 すの みと なっ てい る。 それ らの 説話 は『 列異 伝』 とし て魯 迅『 古小 説鉤 沈』 にま とめ られ てい る。

『隋 書』 経籍 志・ 雑伝 に「 列異 伝三 巻 魏 文 帝 撰」 とあ る が

、『 旧 唐 書』 経 籍 志・ 雑 伝 類お よ び

『新 唐 書

』芸 文志

・小 説家 類は 張華 の撰 とす る。 文中 には 文帝 以降 であ る「 景初

(二 三 七

~ 二 三 九 年)

」、

「 正 始( 二 四

〇~ 二 四 九 年

)」

、「 甘 露

(二 五 六~ 二六

〇年

)」 年 間の こと が記 され てお り

、後 に増 補さ れた もの か、

或い は別 の撰 者の

『列 異伝

』と 混同 され たも のか

、正 確な とこ ろは 分か らな い。 こ  の度 は『 古小 説鉤 沈』 を参 考に

、全 四十 七条 の内

「  陳 倉祠

」 01 から

「   欒侯

」ま での 七条 を取 り上 げ、 類 書所 引『 列 異伝

』を 用い

07 て字 句の 校勘 をし た上 で訳 注を 施し た。   陳倉 祠 秦 01 穆 公 時、

陳 倉 人 掘 地 得 異 物

。其 形 不 類 狗

、亦 不 似 羊、 衆 莫 能

。牽 以献 穆公

、道 逢二 童子

。童 子曰

「此 名為 媼、 常在 地下 食死

人 脳。 若欲 殺之

、以 柏 挿其 頭。

」媼 復 曰「 彼二 童子

、名 為 陳宝

。得 雄 者 王、 得 雌 者霸

。」 陳 倉 人 捨 媼逐 二 童 子

、童 子 化 為雉

、飛 入 平 林

。陳 倉人 告穆 公。 穆公 発徒 大猟

、果 得其 雌。 又化 為石

、置 之汧 渭 之間

。至 文公

、為 立 祠、 名陳 宝。 雄飛 南集

。今 南陽 雉県 其地 也。

秦 欲 表 其 符

。故 以 名 県。 毎 陳 倉 祠 時、 有 赤 光 長 十 余 丈。 従 雉 県

、入 陳宝 祠中

、有 声如 雄鶏

の 穆公 の時

、陳 倉の 人 地を 掘り て異 物を 得た り。 其の 形 狗 に類

ず、 亦た 羊に 似ず

、 衆 能  く名 づく る莫 し。 牽き て以 て穆 公に 献ぜ

安田女子大学紀要 40,332−342(33−43) 2012.

中 国 六 朝 古 小 説 訳 注 『 列 異

伝 』

( 一 )

先     坊

    幸

 

 

(2)

三 四 んと する に、 道に 二童 子に 逢ふ

。童 子曰 く「 此れ 名を 媼と 為し

、常

に地 下に 在り て死 人の 脳を 食ふ

。若 し之 を殺 さん と欲 せば

、柏 を以

て其 の 頭 に 挿せ

」と

。媼 復た 曰く

「彼 の二 童子

、名 を 陳宝 と為 す。

雄を 得る 者 は王 とな り、 雌 を得 る者 は 霸と なる

」と

。陳 倉の 人 媼を

捨て て二 童子 を逐 ふに

、童 子 化し て雉 と為 り、 飛び て平 林に 入る

陳倉 の人 穆 公に 告ぐ

。穆 公 徒 を発 して 大い に猟 し、 果た して 其の

雌を 得た り。 又た 化し て石 と為 れば

、之 を

渭の 間に 置く

。文 公に

至り

、為 に 祠 を立 て、 陳 宝と 名づ く

。雄 飛 びて 南に 集 ふ。 今 南陽

の雉 県 其の 地な り。 秦 其 の符 を表 せん と欲 す。 故に 以て 県に 名づ

く。 陳 倉 祠 る

時毎

に、 赤 光の 長さ 十余 丈 なる 有り

。雉 県 従り 来 り、

陳宝 の祠 中に 入り

、声 の雄 鶏の 如き 有り

【通 釈】 秦  の穆 公の 時、 陳倉 の人 が地 面を 掘っ て不 思議 なも のを 手に 入れ

た。 その 形は 狗に 似 てお らず

、ま た羊 にも 似て おら ず

、そ の名 を 知っ てい る者 はい なか った

。連 れて 行っ て穆 公に 献上 しよ うと した とこ ろ、 その 途中 で二 人の 子供 に出 くわ した

。子 供が 言う には

「こ れの 名は 媼と いい

、い つも 地の 下に いて 死人 の脳 味噌 を食 べる ので す。

もし これ を殺 した いと 考え るな ら、 柏を その 頭に 挿し なさ い」 と。 また 媼が 言う には

「あ の二 人の 子供 は、 名を 陳宝 とい いま す。 雄を 手に 入れ た者 は王 者と なり

、雌 を手 に入 れた 者は 霸者 とな りま す」 と。 陳倉 の人 は媼 を捨 てて 二人 の子 供を 追い 掛け たが

、子 供は 雉に 化け

、飛 んで 平林 に入 って 行っ た。 陳倉 の人 はこ の事 を穆 公に 告げ た。 穆公 は兵 を出 して 大掛 かり な猟 をし

、果 たし て雌 の方 を手 に入 れた

。更 に石 に化 けた ので

、こ れを 汧

水 と渭 水の 間に 置い た。 文公

の時

、こ の石 の為 に祠 を立 て、 陳宝 と名 づけ た。 雄の 方は 南へ 飛ん で行 った

。今 の南 陽の 雉県 がそ の地 であ る。 秦は その 霊験 を世 にあ

らわ そう と考 えた

。そ れで 県に この 名を つけ たの であ る。 陳倉 の祭 礼の 都度

、長 さ十 丈あ まり の赤 い光 が差 した

。雉 県か ら来 て、 陳宝 の 祠 の 中に 入り

、雄 の鶏 が鳴 くよ うな 声が 聞こ えた

【語 釈】

* こ の 話 は

『 史 記

』 巻 二 八

・ 封 禅 書 注

( 索 隠

)、

『 北 堂 書 鈔

』 八 九

、『 芸 文 類 聚

』九

、『 太 平 御 覧

』九 一 七 に 見 え る

。ま た

、こ の 事 は『 捜 神 記

』八

(『 史 記

』巻 五

・ 秦 本 紀 注 引

)、

『 史 記

』巻 五

・ 秦 本 紀 の 注

( 正 義

)に 引 く

『 晋 太 康 地 志

』、

『 漢 書

』巻 二 五 上

・ 郊 祀 志 第 五 上

、『 宋 書

』巻 二 七

・ 符 瑞 志 上

、任 昉

『 述 異 記

』 下

、『 水 経 注

』 巻 一 七

・ 渭 水 篇 に 見 え る

①秦 穆公

─春 秋、 秦の 主。 德公 の第 三子

。名 は任 公、 諡は 穆。 春秋 五 覇の 一人

。在 位は 三十 九年

(前 六五 九~ 前六 二一 年)

。(

『 史記

』 五

②陳 倉─ 県名

。秦 に置 かれ た。 故城 は陝 西省 宝鶏 県の 東。 秦の 文公 が 築い た。

③ 其 形 不 類 狗、 亦 不 似 羊

、衆 莫 能 名

─ こ の 十 三 字、

『芸 文 類 聚』

『 太平 御覧

』、

『 捜神 記』

、『 宋 書』 は「 若羊 非羊

、若 猪非 猪」

( 羊の 若 く し て 羊に 非 ず

、猪 の 若 く して 猪 に 非 ず) 八 字 に、

『史 記

』秦

本 紀の 注は

「若 彘、 不知 名」

(彘 の若 きも

、名 を知 らず

)五 字に

任 昉『 述異 記』 は「 若羊 非羊

、似 猪非 猪」 八字 に作 る。

④媼

─媼 神。 土地 の神

。こ の字

、『 史記

』は

」に

、任 昉『 述異 記』

「蝹

」に 作る

⑤汧 渭─ 汧水 と渭 水。 汧水 は、 川の 名。 源は 陝西 省隴 県の 西北 の汧 山 の南 麓。 古の 龍魚 川。 渭水 に注 ぐ。 渭水 は、 川の 名。 源は 甘粛

先  坊  幸  子 341

(3)

三 五

省 渭源 県の 西の 鳥鼠 山。 黄河 に注 ぐ。 渭河

、渭 川。

⑥ 文 公

─ 春 秋

、秦 の 主。 襄 公 の 子

。諡 は 文。 在 位 五 十 年( 前 七 六 五

~前 七一 六年

)。

(『 史記

』五

⑦南 陽雉 県─ 南陽 郡雉 県。 河南 省南 召県 の南

。「 雉

」字

、『 宋書

』は

「穣

」に 作る

⑧従 雉県 来─

「 県」 字、

『北 堂書 鈔』 は「 城」 に作 る。

⑨ 有 声 如 雄 鶏

─「 鶏」 字、

『 北 堂 書 鈔』

、『 芸 文 類 聚』

、『 捜 神 記

』は

「雉

」に 作る

。ま た、

『捜 神記

』及 び『 宋書

』は この 後に

「其 後、 光 武起 於南 陽」

( 其の 後、 光武 南 陽に 起こ る) 八字 があ る。

  怒特 祠

武 02 都故 道県 有

怒 特祠

、云 神本 南山 大梓 也。 昔秦 文公 二十 七年

、伐

、樹 瘡随 合。 秦文 公乃 遣四 十人 持斧 斫之

、猶 不断

。疲 士一 人、

傷 足不 能去

、臥 樹 下。 聞鬼 相与 言、 曰「 労 攻戦 乎。

」其 一曰

「 足為 労 矣

。」 又 曰「 秦 公 必 持 不 休。

」 荅 曰「 其 如 我 何。

」又 曰

「赤 灰 跋 於 子何 如。

」乃 黙無 言。 臥者 以告

。令 士皆 赤衣

、随 所斫 以灰 跋樹

。 断 化為 牛入 水。 故秦 為立 祠。

都 故道 県に 怒 特祠 有り

、神 は本 南 山の 大 梓な りと 云ふ

。 昔 秦  の

文公 の二 十七 年、 之を 伐る に、 樹瘡 随  ひて 合す

。秦 の文 公  乃 ち

四十 人を 遣は して 斧を 持し て之 を斫 らし むる に、 猶ほ 断た れず

。疲

れし 士 一人 あり

、足 を傷 つけ て 去く 能 はず

、樹 下 に臥 す

。鬼 の 相ひ

与に 言ふ を聞 くに

、曰 く「 攻戦 に労 るる や」 と。 其の 一 曰 く「 労る

ると 為す に足 らん や」 と。 又た 曰く

「秦 公 必ず 持し て休 めざ らん

と。 荅へ て曰 く「 其れ 我を

如何

せん

」と

。又 た曰 く「 赤と 灰も て子

を跋 さば

何如

せん

」と

。 乃 ち 黙し て言 無し

。臥 す者 以て 告ぐ

。士

をし て 皆な 赤 衣せ しめ

、斫 る所 に 随 ひ灰 を以 てし 樹を 跋 す。 断 ちて

化し て牛 と為 りて 水に 入る

。故 に秦 為 に祠 を立 つ。

【通 釈】 武  都郡 故道 県に 怒特 祠が あり

、そ の御 神体 は元 々南 山の 大き な梓

の樹 だと いう

。む かし 秦の 文公 の二 十七 年、 これ を伐 った とこ ろ、 樹の 瘡は 伐る にし たが って 塞が って しま った

。そ こで 秦の 文公 は四

十人 を遣 わし て斧 でこ の樹 を斫 らせ たが

、そ れで も切 り倒 すこ とは 出来 なか った

。一 人の 疲れ た兵 士が おり

、足 を傷 つけ て歩 くこ とが 出来 ず、 樹の 下で 横に なっ てい た。 幽鬼 が仲 間と 語っ てい るの が聞 こえ て、 言う には

「戦 って 疲れ たか

」と

。そ の片 方が 言う には

「ど うし て疲 れる に足 ろう か」 と。 また 言う には

「秦 公は 必ず この まま 止め るこ とは ない だろ う」 と。 答え て言 うに は「 彼は 私を どう する こと も出 来な い」 と。 また 言っ た「 赤と 灰を 使っ てお 前を 倒そ うと した らど うす るの だ」 と。 そこ で黙 った まま 何も 言わ なく なっ た。 横に な って い た者 は この 事 を語 っ た。 兵士 す べて に 赤い 着 物を 着 せ、 切り 口に すぐ に灰 をす り込 んで 樹を 倒し た。 樹は 切ら れる と牛 に化 けて 水の 中に 逃げ 込ん だ。 そこ で秦 はこ の樹 の為 に祠 を立 てた

【語 釈】

* こ の 話 は『 水 経 注

』 巻 一 七

・ 渭 水 篇

、『 後 漢 書

』 光 武 紀 注

、『 北 堂 書 鈔

』 一 三

、『 芸 文 類 聚

』 九 四 に 見 え る

。 ま た

、こ の 事 は『 捜 神 記

』 一 八

、『 後 漢 書

』 郡 国 志 五 注 に 引 く

『 捜 神 記

』、

『 太 平 御 覧

』 九

〇 に 引 く

『 捜 神 記

』、

『 事 類 賦

』 注 二 二 に 引 く

『 捜 神 記

』、

『 史 記

』 巻 五

・ 秦 本 紀 注

( 集 解

)、

『 史 記

』巻 五

・ 秦 本 紀 注

( 正 義

)に 引 く

『 録 異 伝

』、

『 初 学 記

』 八 に 引 く

『 録 異

中国六朝古小説訳注『列異伝』(一)

340

(4)

三 六 伝

』、

『 太 平 寰 宇 記

』 三 十 に 引 く『 録 異 伝

』、

『 太 平 御 覧

』四 四 に 引 く

『 録 異 伝

』、

『 北 堂 書 鈔

』 一 三

〇 に 引 く『 玄 中 記

』、

『 太 平 御 覧

』 六 八

〇 に 引 く『 玄 中 記

』、

『 太 平 御 覧

』 三 四 一 に 引 く

『 列 仙 伝

』 に 見 え る

。 秦 文公 時

、梓 樹 化 為 牛、 以 騎 撃之

、騎 不 勝。 或 堕 地、 髻 解 被髪

。 牛 畏 之入 水

。 故秦 因 是 置旄 頭 騎

、使 先 駆

。(

『 後 漢 書』 光 武 紀注

) 秦 の 文公 の 時

、梓 樹 化 して 牛 と 為り

、騎 を以 て 之 を撃 た ん とす る も

騎 勝 た ず

。 或い は 地 に 堕 ち

、 髻 解  け て 被 髪 す。 牛 之 を 畏 れ て 水

に 入 る。 故 に 秦 是 れに 因 り て旄 頭 騎 を置 き

、 先駆 せ 使 む。

秦 時

、 武 都 故 道 有 怒 特 祠

。祠 上 生 梓 樹

。 秦 文 公 二 十 七 年

、使 人 伐 之

、輒 有 大風 雨

。 樹創 随 合

、経 日 不断

。 文 公乃 益 発 卒、 持 斧者 至 四 十 人、 猶 不断

。 士疲 還 息

。其 一人 傷 足

、不 能 行。 臥 樹下

。 聞鬼 語 樹 神

、曰

「 労 乎攻 戦

。」 其 一人 曰

「 何足 為 労

。」 又 曰「 秦 公 将必 不 休

、 如 之何

。」 答 曰「 秦公 其 如 予何

。」 又 曰「 秦若 使 三 百人 被 髪 以朱 絲 繞 樹

、赭 衣 灰 坌伐 汝

、 汝得 不 困 耶。

」神 寂 無 言。 明 日、 病 人 語所 聞

。 公於 是 令 人皆 衣 赭

、随 斫 創

、坌 以 灰

。樹 断

、中 有 一青 牛 出

、走 入豊 水 中

。其 後

、青 牛 出豊 水 中

。使 騎撃 之 不 勝。 有 騎

、堕 地 復上

、髻 解 被 髪

。牛 畏 之

、乃 入 水不 敢 出

。故 秦 自 是置 旄 頭 騎

。(

『 捜 神 記』 一 八

) 秦 の 時、 武 都の 故 道に 怒 特 祠有 り

。祠 上 に 梓 樹を 生 ず

。秦 の 文公 の 二

十 七 年

、人 を し て 之 を 伐 ら使 む る や

、 輒 ち 大 風雨 有 り

。 樹 の創   随

ひて 合し

、日 を 経る も 断た れず

。文 公 乃  ち 益 す 卒を 発し

、斧 を持 す

る 者 四 十 人に 至 る も、 猶ほ 断 た れず

。士 は 疲 れ 還 り て息 ふ

。其 の 一

人 足 を 傷 つけ

、行 く こ と能 は ず

。樹 下 に臥 す

。鬼 の 樹 神 に 語る を 聞

く に

、曰 く「 攻戦 に 労 るる や

」と

。其 の

一 人

曰 く「 何ぞ 労 る ると 為 す

に 足 らん

」と

。 又た 曰 く「 秦 公 将 に 必 ず休 め ざ らん

、之 を

如何 せ ん

。 答へ て 曰 く「 秦 公 其 れ予 を

如 何

せ ん

」と

。 又 た曰 く「 秦 若 し 三

百 人 をし て髪 を 被 り朱 絲 を以 て 樹に 繞 らし

、赭 衣 灰 坌し て 汝 を伐 ら

使 む れば

、 汝 困し ま ざ るを 得 ん や」 と

。 神 寂 とし て 言 無し

明 日

、 病む 人 聞 く 所 を 語 る

。 公 是 に 於て 人 を し て 皆 な 赭を 衣 せ

斫 創 に 随 ひ

、坌 るに 灰 を以 てせ 令む

。樹 断 たれ

、中 より 一 青 牛の 出

づる 有り

、走 りて 豊水 中 に入 る。 其の 後

、青 牛 豊 水中 より 出づ

。騎 を

して 之を 撃た 使む るも 勝た ず。 騎有 り

、地 に堕 ちて 復た 上り

、髻 解 け

て 髪 を 被 る

。 牛 之 を畏 れ

、 乃 ち 水 に 入 りて 敢 へ て 出 で ず。 故 に 秦

是 れ 自り 旄 頭 騎を 置 く

①武 都故 道県

─地 名。 武都 郡故 道県

。今 の甘 粛省 成県 の西

②怒 特祠

─祠 の名

。秦 の文 公が 南山 の大 梓を 伐っ た時 に樹 中か ら出 た 青牛 を祀 る。

③云 神本 南山 大梓 也─ この 八字

、『 捜神 記』 は「 祠上 生梓 樹」

( 祠上 に 梓樹 を生 ず) に、

『太 平御 覧』 九〇

〇は

「土 生梓 樹」

( 土に 梓樹

を 生ず

)に

、『 事 類賦

』は

「上 生梓 樹」

(上 に梓 樹を 生ず

)に

、『 史 記

』集 解は

「図 大牛

、上 生樹 木」

( 大牛 を図 き、 上に 樹木 を生 ず)

、『 史記

』正 義 およ び『 太 平御 覧』 四 四は

「 雍南 山有 大梓 樹」

(雍 南 山に 大梓 樹有 り) に、

『初 学記

』は

「雍 州南 山文 梓樹

」( 雍 州南 山 の文 梓樹

)に

、『 太平 寰宇 記』 は「 雍南 山有 梓樹

」( 雍 南山 に梓

樹 有り

)に

、『 太平 御覧

』六 八〇 は「 終 南公 有梓 樹、 大数 百囲

、蔭 宮 中」

(終 南公 に梓 樹有 り、 大き さ数 百囲 にし て、 宮 中を 蔭す

)に 作 る。

④秦 文公

─春 秋、 秦の 襄公 の子

。諡 は文

。在 位五 十年

(前 七六 五~ 前 七一 六年

)。

(『 史 記』 五) この 三字

、『 太 平御 覧』 六八

〇は

「秦 始 皇」 に作 る。

⑤ 伐 之─ こ の 二 字 の 後、

『 捜神 記

』、

『 史 記』 正 義、

『太 平 寰 宇 記』

『 太平 御覧

』四 四は

「輒 有大 風雨

」( 輒 ち 大風 雨有 り) 五字

、『 太

平 御覧

』六 八〇 は「 天輒 大風 雨、 飛沙 石、 人皆 疾走

、夜 至」

(天

先  坊  幸  子 339

(5)

三 七

輒 ち 大風 雨あ り、 沙石 を飛 ばし

、人 皆な 疾走 し、 夜に 至る

)十

四 字あ り。

⑥疲 士一 人~ 臥者 以告

─こ の六 十字

、『 後漢 書』 光武 紀注

、『 北 堂書 鈔

』に 引く

『列 異伝

』及 び『 玄中 記』

、『 芸 文類 聚』

、『 後 漢書

』郡 国 志五

、『 史記

』集 解、

『 初学 記』

、『 太 平御 覧』 三四 一に 無し

⑦赤 灰─ この 二字

、『 捜神 記』 は「 以朱 絲繞 樹、 赭衣 灰坌

」( 朱 絲を

以 て樹 に繞 らし

、赭 衣灰 坌す

)九 字に

、『 太平 御覧

』九

〇〇

、『 事

類 賦』 は「 赭 衣灰 坌」 四字 に、

『史 記』 正義

、『 太平 寰宇 記』 は「 以

朱 絲繞 樹」

(朱 絲を 以て 樹に 繞ら す) 五字 に、

『 太平 御覧

』四 四は

「 以 朱 絲繞 伐 樹

」( 朱 絲 を以 て 繞 ら せ 樹を 伐 る

)六 字 に、

『 太平 御 覧

』六 八〇 は「 以赤 絲繞 樹」

(赤 絲を 以て 樹に 繞ら す) に作 る。

⑧跋

─こ の字

、『 捜神 記』

、『 史 記』 正義

、『 太平 寰宇 記』

、『 太 平御 覧』 六 八〇 は「 伐」 に作 る。

⑨牛 入水

─「 牛」 字

、『 捜神 記』

、『 事類 賦』

、『 史 記』 正義

、『 初 学記

』、

『 太平 寰宇 記』

、『 太 平御 覧』 四四

、『 北 堂書 鈔』 に引 く『 玄中 記』

『 太平 御覧

』六 八〇 は「 青 牛」 に作 る。

「水

」字

、『 芸 文類 聚』

、『 捜 神 記』

、『 史記

』正 義、

『太 平寰 宇記

』は

「豊 水」 に、

『初 学記

』、

『太 平 御覧

』四 四、

『玄 中記

』は

「灃 水」 に、

『 北堂 書鈔

』に 引く

『玄 中 記』 及び

『太 平御 覧』 三四 一は

「河

」に 作る

⑩故 秦為 立祠

─『 捜神 記』

、『 太 平御 覧』 九〇

〇、

『 事類 賦』

、『 北 堂書 鈔

』に 引く

『玄 中記

』、

『 初学 記』

、『 太 平寰 宇記

』、

『 太平 御覧

』四 四

、『 太平 御覧

』六 八

〇に はこ の句 が無 く、

『捜 神記

』、

『太 平御 覧』 九

〇〇

、『 事類 賦』

、『 太平 寰宇 記』

、『 太平 御覧

』四 四 およ び六 八〇 に は

「旄 頭 騎」 が 置 か れた と い う 記 述 が あ る。

「旄 頭 騎

」は

、先

駆 の騎 士。

「旄

」字

、『 北 堂書 鈔』 一三

〇は

「髦

」に 作る

  干 将 莫邪

干 03 将莫 邪為

楚王 作剣

、三 年而 成。 剣有 雄雌

、天 下名 器也

。乃 以雌

剣 献君

、蔵 其雄 者。 謂其 妻曰

「吾 蔵剣 在南 山之 陰、 北山 之陽

。松 生 石上

、剣 在其 中矣

。君 若覚 殺我

。爾 生男

、以 告之

。」 及至 君覚

、 殺 干将

。 妻 後生 男、 名赤 鼻、 告之

。赤 鼻斫 南山 之松

、不 得剣

。忽 於屋 柱中

得 之。 楚王 夢一 人、 眉広 三寸

、辞 欲報 讐。 購求 甚急

。乃 逃朱 興山

、遇 客。 欲為 之報

。乃 刎首

、将 以奉 楚王

。客 令鑊 煮之

、頭 三日

三 夜 跳 不 爛

。王 往 觀 之、 客 以 雄 剣 倚 擬 王

、王 頭 堕 鑊 中。 客 又 自 刎

。三 頭悉 爛、 不可 分別

。分 葬之

、名 曰「 三王 冢」

将 莫 邪 楚 王の 為に 剣を 作り

、三 年に して 成る

。剣 に雄 雌有 り、

天下 の名 器 なり

。 乃 ち雌 剣 を以 て 君に 献 ぜん と し、 其 の雄 なる 者を

蔵す

。其 の 妻に 謂ひ て 曰く

「 吾 剣を 蔵し て南 山 の陰

、北 山 の陽 に在

らし む

。松 石 上に 生じ

、剣 其の 中 に在 るな り

。君 若し 覚ら ば我 を

殺さ ん。 爾 男  を生 まば

、以 て之 に告 げよ

」と

。至 る に及 びて 君 覚

り、 干 将 を 殺す

妻 後に 男を 生み

、赤 鼻と 名づ け、 之に 告ぐ

。赤 鼻 南 山の 松を 斫る

に、 剣 を得 ず

。 忽 ち 屋 柱 の中 に於 て之 を 得た り

。楚 王 一人 を夢 む

る に、 眉の 広 さ 三 寸、 辞 し て「 讐 に 報い ん と 欲 す」 と。 購 ひ求 む

るこ と 甚 だ 急な り。 乃 ち 朱興 山中 に逃 れ、 客に 遇ふ

。之 が為 に報

いん と欲 す。 乃ち 首を 刎ね

、将 に以 て楚 王に 奉ぜ んと す。 客 

鑊 を

中国六朝古小説訳注『列異伝』(一)

338

(6)

三 八 して 之を 煮令 むる も、 頭 三  日 三夜 跳 ねて 爛れ ず。 王 往 きて 之を

觀る に

、客 雄 剣を 以て 倚 りて 王 に擬 す れば

、王 の 頭 

中 に堕 つ。

客 又た 自刎 す。 三頭 悉  く爛 れ、 分別 する 可か らず

。分 かち て之

を 葬 り

、名 づけ て曰 く「 三王 冢

」 と。

【通 釈】 干  将 莫邪 は楚 王 の為 に剣 を作 り

、三 年か かっ て 出来 上が っ た。 剣

には 雄と 雌と があ り、 天下 の名 器で あっ た。 そこ で雌 剣を 王に 献上 する こと にし

、そ の雄 の方 を隠 して しま った

。自 分の 妻に 向か って 言う には

「私 は剣 を南 山の 北、 北山 の南 に隠 して おい た。 松が 石の 上に 生え

、そ の中 に剣 があ る。 王が もし この 事に 気づ いた ら私 を殺 すだ ろう

。お 前が 男の 子を 産 んだ な ら、 それ に この 事 を話 しな さ い」 と。 献 上に 行く と 王は この 事 に気 が つい て、 干 将を 殺 して しま っ た。 そ  の妻 は後 に息 子を 産み

、赤 鼻と 名づ け、 これ に事 の次 第を 話し

て聞 かせ た。 赤鼻 が南 山の 松を 斫っ たと ころ

、剣 は見 つか らな かっ た。 にわ かに 家の 柱の 中に この 剣を 見つ けた

。楚 王が 一人 の男 を夢 に見 たが

、眉 間 の広 さが 三寸 あり

、「 讐に 報い たい

」と 言 った

。王 は

賞 金 を か け て 厳 し く 捜 索 し た。 そ こ で 朱 興 山 の 中 に 逃 れ

、客 に 出 会っ た。 客は この 息子 の為 に王 に報 いよ うと した

。そ こで 息子 の首 を刎 ね、 それ を持 って 行っ て楚 王に 奉ぜ んと した

。客 は鑊 でこ れを

煮さ せた が、 この 頭は 三日 三夜 のあ いだ 跳ね て爛 れな かっ た。 王が 様子 を見 に行 って これ を覗 き込 んだ とこ ろを

、客 が近 寄り 王の 首に 雄剣 を当 て ると

、王 の 頭は 鑊 の中 に落 ち た。 客 も自 らの 首 を刎 ねた

。 三つ の頭 は全 て爛 れ、 見分 ける こと が出 来な かっ た。 等分 して これ らを 葬り

、そ の墓 は「 三王 冢

」と 名づ けら れた

【語 釈】

* こ の 話 は『 太 平 御 覧

』三 四 三 注 に 見 え る

。 ま た

、こ の 事 は『 捜 神 記

』一 一

『 法 苑 珠 林

』三 六 に 引 く『 捜 神 記

』、

『 太 平 御 覧

』三 四 三 注 に 引 く『 捜 神 記

』、

『 太 平 御 覧

』三 四 三 お よ び 三 六 四 に 引 く『 呉 越 春 秋

』、

『 太 平 御 覧

』三 四 三 に 引 く

『 列 士 伝

』、

『 太 平 御 覧

』 三 四 三 に 引 く

『 孝 子 伝

』 に 見 え る

。 楚 干将 莫 邪 為楚 王 作 剣、 三 年乃 成

。王 怒

、欲 殺 之。 剣 有雌 雄

。其 妻 重 身当 産

。 夫語 妻 曰「 吾 為 王作 剣

、三 年 乃 成。 王 怒

、往 必 殺我

。 汝 若 生子 是 男

、大

、告 之 曰『 出 戸 望南 山

、松 生石 上

、剣 在 其背

。』

」於 是 即 将 雌 剣

、 往 見 楚 王。 王 大 怒、 使 相 之

「剣 有 二

、一 雄 一 雌

。 雌 来

、雄 不 来

。」 王怒

、 即 殺之

。 莫 邪子 名 赤

、比 後 壮、 乃 問其 母 曰「 吾 父所 在

。」 母 曰「 汝 父 為楚 王 作 剣

、三 年 乃 成。 王 怒

、殺 之

。 去時 嘱 我『 語汝 子

。 出戸 望 南 山、 松 生 石 上、 剣 在 其背

。』

」於 是 子 出 戸南 望

、不 見有 山

、但 覩 堂 前 松柱 下 石 砥 之上

。 即 以斧 破 其 背、 得 剣

。日 夜 思 欲報 楚 王

。 王 夢見 一 児

、眉 間 広 尺

。言

「 欲 報讎

。」 王即 購 之 千金

。 児 聞之 亡 去

。 入 山行 歌

、客 有 逢 者、 謂「 子 年 少、 何 哭之 甚 悲 耶。

」曰

「 吾 干将 莫 邪 子 也。 楚 王 殺 吾 父

。吾 欲 報 之

。」 客 曰「 聞 王 購 子 頭 千 金。 将 子 頭 与 剣 来。 為 子 報之

。」 児 曰「 幸 甚

。」 即自 刎

、両 手 捧 頭及 剣 奉 之、 立 僵。 客曰

「 不 負子 也

。」 於 是 屍乃 仆

。 客 持 頭往 見 楚 王

。 王大 喜

。 客 曰

「此 乃 勇 士 頭 也。 当 於 湯 鑊 煮 之。

」 王 如其 言

。 煮頭 三 日 三夕

、不 爛

。 頭 踔出 湯 中

、躓 目 大怒

。 客 曰「 此 児 頭 不爛

。 願 王 自 往 臨視 之

。 是 必 爛也

。」 王 即 臨 之

。 客以 剣 擬 王

、 王 頭随 堕 湯 中。 客 亦 自擬 己 頭

、頭 復 堕 湯中

。 三 首倶 爛

、 不可 識 別

。 乃 分 其湯 肉 葬 之

。 故 通名

「 三 王 墓」

。 今在 汝 南 北 宜 春 県 界。

(『 捜 神 記

』一 一

) 楚 の 干 将 莫 邪 は 楚 王 の 為 に 剣 を 作 り

、 三 年 に し て 乃 ち 成 る

。 王 怒

、之 を殺 さん と 欲す

。剣 に 雌雄 有 り。 其の 妻 身 重く し て当 に産 むべ

。 夫 妻 に 語り て 曰 く

「 吾 王 の為 に 剣 を 作 り

、三 年 に し て 乃 ち 成

。王 怒 り

、往 け ば必 ず 我 を殺 さ ん

。 汝 若  し 子 を 生み て 是 れ男 な ら

先  坊  幸  子 337

参照

関連したドキュメント

まい丁

強者と弱者として階級化されるジェンダーと民族問題について論じた。明治20年代の日本はアジア

「に桐壺のみかと御位をさり、 朱雀院受禅 有と見るへし。此うち 、また源氏大将に任し

[r]

[r]

[r]

また︑以上の検討は︑

単に,南北を指す磁石くらいはあったのではないかと思