三 三
『 列異 伝』 訳 注は
、六 朝 古小 説研 究の ため の基 礎 資料 収集 とそ の読 解を 目的 とし
、現 在続 けて いる
「中 国六 朝古 小説 訳注
」作 成の 一部 であ る。 既に
「晋
・干 宝『 捜神 記』
」( 白 帝社 二
〇〇 四年
)、
「 宋・ 陶潜
『捜 神後 記』
」( 白 帝社 二
〇〇 八年
)、
「 斉・ 祖沖 之『 述異 記』
」
(『 中 国古 典文 学研 究』 七)
、「 宋
・東 陽无 疑『 斉諧 記』
」(
『中 国中 世文 学研 究』 第五 八号
)、
「 梁・ 呉均
『続 斉諧 記』
」(
『 中国 中世 文学 研究
』 第 五 九 号) を 発 表 し、 引 き 続 き「 宋・ 劉 義 慶『 幽 明 録』
」、
「宋
・劉 敬叔
『 異苑
』」
、「 梁
・任 昉『 述 異記
』」
、更 に仏 教の 影響 の強 い「 宋
・ 劉義 慶『 宣験 記』
」、
「 斉・ 王琰
『冥 祥記
』」 等 の訳 注の 作成 を予 定し てい る。 魏
・文 帝『 列異 伝』 は、 六 朝期 に於 ける 志怪 小説 集の 一つ であ る。 しか し現 在で は既 に失 われ
、類 書等 に引 用さ れて いる 説話 を残 すの みと なっ てい る。 それ らの 説話 は『 列異 伝』 とし て魯 迅『 古小 説鉤 沈』 にま とめ られ てい る。
『隋 書』 経籍 志・ 雑伝 に「 列異 伝三 巻 魏 文 帝 撰」 とあ る が
、『 旧 唐 書』 経 籍 志・ 雑 伝 類お よ び
『新 唐 書
』芸 文志
・小 説家 類は 張華 の撰 とす る。 文中 には 文帝 以降 であ る「 景初
(二 三 七
~ 二 三 九 年)
」、
「 正 始( 二 四
〇~ 二 四 九 年
)」
、「 甘 露
(二 五 六~ 二六
〇年
)」 年 間の こと が記 され てお り
、後 に増 補さ れた もの か、
或い は別 の撰 者の
『列 異伝
』と 混同 され たも のか
、正 確な とこ ろは 分か らな い。 こ の度 は『 古小 説鉤 沈』 を参 考に
、全 四十 七条 の内
「 陳 倉祠
」 01 から
「 欒侯
」ま での 七条 を取 り上 げ、 類 書所 引『 列 異伝
』を 用い
ら ん こ う
07 て字 句の 校勘 をし た上 で訳 注を 施し た。 陳倉 祠 秦 01 穆 公 時、
①
陳 倉 人 掘 地 得 異 物
。其 形 不 類 狗
、亦 不 似 羊、 衆 莫 能
②
③
名
。牽 以献 穆公
、道 逢二 童子
。童 子曰
「此 名為 媼、 常在 地下 食死
④
人 脳。 若欲 殺之
、以 柏 挿其 頭。
」媼 復 曰「 彼二 童子
、名 為 陳宝
。得 雄 者 王、 得 雌 者霸
。」 陳 倉 人 捨 媼逐 二 童 子
、童 子 化 為雉
、飛 入 平 林
。陳 倉人 告穆 公。 穆公 発徒 大猟
、果 得其 雌。 又化 為石
、置 之汧⑤ 渭 之間
。至 文公
、為 立 祠、 名陳 宝。 雄飛 南集
。今 南陽 雉県 其地 也。
⑥
⑦
秦 欲 表 其 符
。故 以 名 県。 毎 陳 倉 祠 時、 有 赤 光 長 十 余 丈。 従 雉 県
⑧
来
、入 陳宝 祠中
、有 声如 雄鶏
。
⑨
秦しん
の 穆公 の時
、陳 倉の 人 地を 掘り て異 物を 得た り。 其の 形 狗 に類
ぼ くこ う
ち ん さ う
そ
い ぬ
に
ず、 亦た 羊に 似ず
、 衆 能 く名 づく る莫 し。 牽き て以 て穆 公に 献ぜ
ま
に
し ゆ う よ
な
ひ
も つ
け ん
安田女子大学紀要 40,332−342(33−43) 2012.
中 国 六 朝 古 小 説 訳 注 『 列 異
伝 』
( 一 )
先 坊
幸
子
三 四 んと する に、 道に 二童 子に 逢ふ
。童 子曰 く「 此れ 名を 媼と 為し
、常
み ち
あ
い は
こ
あ う
な
つ ね
に地 下に 在り て死 人の 脳を 食ふ
。若 し之 を殺 さん と欲 せば
、柏 を以
あ
く ら
も
こ れ
も つ
て其 の 頭 に 挿せ
」と
。媼 復た 曰く
「彼 の二 童子
、名 を 陳宝 と為 す。
そ
か う べ
さ
ま
か
ち んぱ う
雄を 得る 者 は王 とな り、 雌 を得 る者 は 霸と なる
」と
。陳 倉の 人 媼を
わ う
は
捨て て二 童子 を逐 ふに
、童 子 化し て雉 と為 り、 飛び て平 林に 入る
。
お
く わ
陳倉 の人 穆 公に 告ぐ
。穆 公 徒 を発 して 大い に猟 し、 果た して 其の
と
は つ
お ほ
れ ふ
は
そ
雌を 得た り。 又た 化し て石 と為 れば
、之 を
ま
こ れ
汧けん
渭の 間に 置く
。文 公に
ゐ
ぶ ん こ う
至り
、為 に 祠 を立 て、 陳 宝と 名づ く
。雄 飛 びて 南に 集 ふ。 今 南陽
た め ほ こら
つど
な んや う
の雉 県 其の 地な り。 秦 其 の符 を表 せん と欲 す。 故に 以て 県に 名づ
ち け ん
ゆ ゑ
く。 陳 倉 祠 る
ま つ
時毎ごと
に、 赤 光の 長さ 十余 丈 なる 有り
。雉 県 従り 来 り、
じふ よ ぢや う
よ
きた
陳宝 の祠 中に 入り
、声 の雄 鶏の 如き 有り
。
い
こ ゑ ゆ う け い ご と
【通 釈】 秦 の穆 公の 時、 陳倉 の人 が地 面を 掘っ て不 思議 なも のを 手に 入れ
し ん ぼ く こ う
ち んそ う
た。 その 形は 狗に 似 てお らず
、ま た羊 にも 似て おら ず
、そ の名 を 知っ てい る者 はい なか った
。連 れて 行っ て穆 公に 献上 しよ うと した とこ ろ、 その 途中 で二 人の 子供 に出 くわ した
。子 供が 言う には
「こ れの 名は 媼と いい
、い つも 地の 下に いて 死人 の脳 味噌 を食 べる ので す。
お う
もし これ を殺 した いと 考え るな ら、 柏を その 頭に 挿し なさ い」 と。 また 媼が 言う には
「あ の二 人の 子供 は、 名を 陳宝 とい いま す。 雄を 手に 入れ た者 は王 者と なり
、雌 を手 に入 れた 者は 霸者 とな りま す」 と。 陳倉 の人 は媼 を捨 てて 二人 の子 供を 追い 掛け たが
、子 供は 雉に 化け
、飛 んで 平林 に入 って 行っ た。 陳倉 の人 はこ の事 を穆 公に 告げ た。 穆公 は兵 を出 して 大掛 かり な猟 をし
、果 たし て雌 の方 を手 に入 れた
。更 に石 に化 けた ので
、こ れを 汧けん
水 と渭 水の 間に 置い た。 文公
す い
い す い
の時
、こ の石 の為 に祠 を立 て、 陳宝 と名 づけ た。 雄の 方は 南へ 飛ん で行 った
。今 の南 陽の 雉県 がそ の地 であ る。 秦は その 霊験 を世 にあ
ち
らわ そう と考 えた
。そ れで 県に この 名を つけ たの であ る。 陳倉 の祭 礼の 都度
、長 さ十 丈あ まり の赤 い光 が差 した
。雉 県か ら来 て、 陳宝 の 祠 の 中に 入り
、雄 の鶏 が鳴 くよ うな 声が 聞こ えた
。
ほ こ ら
【語 釈】
* こ の 話 は
『 史 記
』 巻 二 八
・ 封 禅 書 注
( 索 隠
)、
『 北 堂 書 鈔
』 八 九
、『 芸 文 類 聚
』九
〇
、『 太 平 御 覧
』九 一 七 に 見 え る
。ま た
、こ の 事 は『 捜 神 記
』八
(『 史 記
』巻 五
・ 秦 本 紀 注 引
)、
『 史 記
』巻 五
・ 秦 本 紀 の 注
( 正 義
)に 引 く
『 晋 太 康 地 志
』、
『 漢 書
』巻 二 五 上
・ 郊 祀 志 第 五 上
、『 宋 書
』巻 二 七
・ 符 瑞 志 上
、任 昉
『 述 異 記
』 下
、『 水 経 注
』 巻 一 七
・ 渭 水 篇 に 見 え る
。
①秦 穆公
─春 秋、 秦の 主。 德公 の第 三子
。名 は任 公、 諡は 穆。 春秋 五 覇の 一人
。在 位は 三十 九年
(前 六五 九~ 前六 二一 年)
。(
『 史記
』 五
)
②陳 倉─ 県名
。秦 に置 かれ た。 故城 は陝 西省 宝鶏 県の 東。 秦の 文公 が 築い た。
③ 其 形 不 類 狗、 亦 不 似 羊
、衆 莫 能 名
─ こ の 十 三 字、
『芸 文 類 聚』
、
『 太平 御覧
』、
『 捜神 記』
、『 宋 書』 は「 若羊 非羊
、若 猪非 猪」
( 羊の 若 く し て 羊に 非 ず
、猪 の 若 く して 猪 に 非 ず) 八 字 に、
『史 記
』秦
ご と
あ ら
本 紀の 注は
「若 彘、 不知 名」
(彘 の若 きも
、名 を知 らず
)五 字に
、
てい
任 昉『 述異 記』 は「 若羊 非羊
、似 猪非 猪」 八字 に作 る。
④媼
─媼 神。 土地 の神
。こ の字
、『 史記
』は
「
お う し ん
媦
」に
、任 昉『 述異 記』
ゐ
は
「蝹
」に 作る
。
ゐ ん
⑤汧 渭─ 汧水 と渭 水。 汧水 は、 川の 名。 源は 陝西 省隴 県の 西北 の汧 山 の南 麓。 古の 龍魚 川。 渭水 に注 ぐ。 渭水 は、 川の 名。 源は 甘粛
先 坊 幸 子 341
三 五
省 渭源 県の 西の 鳥鼠 山。 黄河 に注 ぐ。 渭河
、渭 川。
い が
い せ ん
⑥ 文 公
─ 春 秋
、秦 の 主。 襄 公 の 子
。諡 は 文。 在 位 五 十 年( 前 七 六 五
~前 七一 六年
)。
(『 史記
』五
)
⑦南 陽雉 県─ 南陽 郡雉 県。 河南 省南 召県 の南
。「 雉
」字
、『 宋書
』は
「穣
」に 作る
。
⑧従 雉県 来─
「 県」 字、
『北 堂書 鈔』 は「 城」 に作 る。
⑨ 有 声 如 雄 鶏
─「 鶏」 字、
『 北 堂 書 鈔』
、『 芸 文 類 聚』
、『 捜 神 記
』は
「雉
」に 作る
。ま た、
『捜 神記
』及 び『 宋書
』は この 後に
「其 後、 光 武起 於南 陽」
( 其の 後、 光武 南 陽に 起こ る) 八字 があ る。
そ
怒特 祠
ど とく し
武 02 都故 道県 有
①
怒 特祠
、云 神本 南山 大梓 也。 昔秦 文公 二十 七年
、伐
②
③
④
⑤
之
、樹 瘡随 合。 秦文 公乃 遣四 十人 持斧 斫之
、猶 不断
。疲 士一 人、
⑥
傷 足不 能去
、臥 樹 下。 聞鬼 相与 言、 曰「 労 攻戦 乎。
」其 一曰
「 足為 労 矣
。」 又 曰「 秦 公 必 持 不 休。
」 荅 曰「 其 如 我 何。
」又 曰
「赤⑦ 灰 跋⑧ 於 子何 如。
」乃 黙無 言。 臥者 以告
。令 士皆 赤衣
、随 所斫 以灰 跋樹
。 断 化為 牛入 水。 故秦 為立 祠。
⑨
⑩
武ぶ 都 故道 県に 怒 特祠 有り
、神 は本 南 山の 大 梓な りと 云ふ
。 昔 秦 の
と こ だ う
ど と く し
かみ
も と な ん ざ ん だ い し
い
む か し し ん
文公 の二 十七 年、 之を 伐る に、 樹瘡 随 ひて 合す
。秦 の文 公 乃 ち
ぶ んこ う
こ れ
き
じ ゆさ う した が
が つ
す な は
四十 人を 遣は して 斧を 持し て之 を斫 らし むる に、 猶ほ 断た れず
。疲
つ か
ぢ
き
な
た
れし 士 一人 あり
、足 を傷 つけ て 去く 能 はず
、樹 下 に臥 す
。鬼 の 相ひ
ゆ
あた
ふ
き
あ
与に 言ふ を聞 くに
、曰 く「 攻戦 に労 るる や」 と。 其の 一 曰 く「 労る
と も
い
い は
つ か
そ
い つ い は
つ か
ると 為す に足 らん や」 と。 又た 曰く
「秦 公 必ず 持し て休 めざ らん
」
な
た
ま
ぢ
や
と。 荅へ て曰 く「 其れ 我を
こ た
そ
如何
い か ん
せん
」と
。又 た曰 く「 赤と 灰も て子
ま
せ き か い
を跋 さば
た ふ
何如
い か ん
せん
」と
。 乃 ち 黙し て言 無し
。臥 す者 以て 告ぐ
。士
す な は も く
げん
ふ
も つ
をし て 皆な 赤 衣せ しめ
、斫 る所 に 随 ひ灰 を以 てし 樹を 跋 す。 断 ちて
み
せき い
き
し たが
は い も つ
たふ
た
化し て牛 と為 りて 水に 入る
。故 に秦 為 に祠 を立 つ。
く わ
な
み づ
い
ゆ ゑ し ん ため
し
た
【通 釈】 武 都郡 故道 県に 怒特 祠が あり
、そ の御 神体 は元 々南 山の 大き な梓
ぶ と
こ ど う
ど と く し
の樹 だと いう
。む かし 秦の 文公 の二 十七 年、 これ を伐 った とこ ろ、 樹の 瘡は 伐る にし たが って 塞が って しま った
。そ こで 秦の 文公 は四
き
十人 を遣 わし て斧 でこ の樹 を斫 らせ たが
、そ れで も切 り倒 すこ とは 出来 なか った
。一 人の 疲れ た兵 士が おり
、足 を傷 つけ て歩 くこ とが 出来 ず、 樹の 下で 横に なっ てい た。 幽鬼 が仲 間と 語っ てい るの が聞 こえ て、 言う には
「戦 って 疲れ たか
」と
。そ の片 方が 言う には
「ど うし て疲 れる に足 ろう か」 と。 また 言う には
「秦 公は 必ず この まま 止め るこ とは ない だろ う」 と。 答え て言 うに は「 彼は 私を どう する こと も出 来な い」 と。 また 言っ た「 赤と 灰を 使っ てお 前を 倒そ うと した らど うす るの だ」 と。 そこ で黙 った まま 何も 言わ なく なっ た。 横に な って い た者 は この 事 を語 っ た。 兵士 す べて に 赤い 着 物を 着 せ、 切り 口に すぐ に灰 をす り込 んで 樹を 倒し た。 樹は 切ら れる と牛 に化 けて 水の 中に 逃げ 込ん だ。 そこ で秦 はこ の樹 の為 に祠 を立 てた
。
【語 釈】
* こ の 話 は『 水 経 注
』 巻 一 七
・ 渭 水 篇
、『 後 漢 書
』 光 武 紀 注
、『 北 堂 書 鈔
』 一 三
〇
、『 芸 文 類 聚
』 九 四 に 見 え る
。 ま た
、こ の 事 は『 捜 神 記
』 一 八
、『 後 漢 書
』 郡 国 志 五 注 に 引 く
『 捜 神 記
』、
『 太 平 御 覧
』 九
〇
〇 に 引 く
『 捜 神 記
』、
『 事 類 賦
』 注 二 二 に 引 く
『 捜 神 記
』、
『 史 記
』 巻 五
・ 秦 本 紀 注
( 集 解
)、
『 史 記
』巻 五
・ 秦 本 紀 注
( 正 義
)に 引 く
『 録 異 伝
』、
『 初 学 記
』 八 に 引 く
『 録 異
中国六朝古小説訳注『列異伝』(一)
340
三 六 伝
』、
『 太 平 寰 宇 記
』 三 十 に 引 く『 録 異 伝
』、
『 太 平 御 覧
』四 四 に 引 く
『 録 異 伝
』、
『 北 堂 書 鈔
』 一 三
〇 に 引 く『 玄 中 記
』、
『 太 平 御 覧
』 六 八
〇 に 引 く『 玄 中 記
』、
『 太 平 御 覧
』 三 四 一 に 引 く
『 列 仙 伝
』 に 見 え る
。 秦 文公 時
、梓 樹 化 為 牛、 以 騎 撃之
、騎 不 勝。 或 堕 地、 髻 解 被髪
。 牛 畏 之入 水
。 故秦 因 是 置旄 頭 騎
、使 先 駆
。(
『 後 漢 書』 光 武 紀注
) 秦 の 文公 の 時
、梓 樹 化 して 牛 と 為り
、騎 を以 て 之 を撃 た ん とす る も
、
し ん ぶん こう
し じゆ く わ
な
き
も つ これ
う
騎 勝 た ず
。 或い は 地 に 堕 ち
、 髻 解 け て 被 髪 す。 牛 之 を 畏 れ て 水
ある
お
もと ど り と
ひ はつ
う し これ
お そ
みづ
に 入 る。 故 に 秦 是 れに 因 り て旄 頭 騎 を置 き
、 先駆 せ 使 む。
い
ゆ ゑ しん
こ
よ
ば うと う き
せん く
し
秦 時
、 武 都 故 道 有 怒 特 祠
。祠 上 生 梓 樹
。 秦 文 公 二 十 七 年
、使 人 伐 之
、輒 有 大風 雨
。 樹創 随 合
、経 日 不断
。 文 公乃 益 発 卒、 持 斧者 至 四 十 人、 猶 不断
。 士疲 還 息
。其 一人 傷 足
、不 能 行。 臥 樹下
。 聞鬼 語 樹 神
、曰
「 労 乎攻 戦
。」 其 一人 曰
「 何足 為 労
。」 又 曰「 秦 公 将必 不 休
、 如 之何
。」 答 曰「 秦公 其 如 予何
。」 又 曰「 秦若 使 三 百人 被 髪 以朱 絲 繞 樹
、赭 衣 灰 坌伐 汝
、 汝得 不 困 耶。
」神 寂 無 言。 明 日、 病 人 語所 聞
。 公於 是 令 人皆 衣 赭
、随 斫 創
、坌 以 灰
。樹 断
、中 有 一青 牛 出
、走 入豊 水 中
。其 後
、青 牛 出豊 水 中
。使 騎撃 之 不 勝。 有 騎
、堕 地 復上
、髻 解 被 髪
。牛 畏 之
、乃 入 水不 敢 出
。故 秦 自 是置 旄 頭 騎
。(
『 捜 神 記』 一 八
) 秦 の 時、 武 都の 故 道に 怒 特 祠有 り
。祠 上 に 梓 樹を 生 ず
。秦 の 文公 の 二
し ん
ぶ と
こ だう
ど と く し あ
し じゆ
し ん ぶん こう
十 七 年
、人 を し て 之 を 伐 ら使 む る や
、 輒 ち 大 風雨 有 り
。 樹 の創 随
これ
き
し
すな は
あ
きず した が
ひて 合し
、日 を 経る も 断た れず
。文 公 乃 ち 益 す 卒を 発し
、斧 を持 す
がつ
ふ
す なは
ます ま そつ
はつ
ぢ
る 者 四 十 人に 至 る も、 猶ほ 断 た れず
。士 は 疲 れ 還 り て息 ふ
。其 の 一
な
つ か
か へ
いこ
そ
人 足 を 傷 つけ
、行 く こ と能 は ず
。樹 下 に臥 す
。鬼 の 樹 神 に 語る を 聞
ゆ
あた
ふ
き
く に
、曰 く「 攻戦 に 労 るる や
」と
。其 の
いは
つ か
そ
一 人
ひ と り
曰 く「 何ぞ 労 る ると 為 す
いは
なん
つ か
な
に 足 らん
」と
。 又た 曰 く「 秦 公 将 に 必 ず休 め ざ らん
、之 を
た
ま
い は
しん こ う まさ
や
こ れ
如何 せ ん
」
い か ん
と
。 答へ て 曰 く「 秦 公 其 れ予 を
しん こう
そ
わ れ
如 何
い か ん
せ ん
」と
。 又 た曰 く「 秦 若 し 三
ま
も
百 人 をし て髪 を 被 り朱 絲 を以 て 樹に 繞 らし
、赭 衣 灰 坌し て 汝 を伐 ら
かみ
かう む しゆ し
もつ
じゆ
め ぐ
しや い か いふ ん
なん ぢ
き
使 む れば
、 汝 困し ま ざ るを 得 ん や」 と
。 神 寂 とし て 言 無し
。
し
くる
げん な
明 日
、 病む 人 聞 く 所 を 語 る
。 公 是 に 於て 人 を し て 皆 な 赭を 衣 せ
、
め いじ つ
や
ひ と き
と ころ
か た
ここ
おい
み
き
斫 創 に 随 ひ
、坌 るに 灰 を以 てせ 令む
。樹 断 たれ
、中 より 一 青 牛の 出
し やく そ う し たが
ぬ
もつ
し
た
う ち
い
づる 有り
、走 りて 豊水 中 に入 る。 其の 後
、青 牛 豊 水中 より 出づ
。騎 を
い
そ
い
して 之を 撃た 使む るも 勝た ず。 騎有 り
、地 に堕 ちて 復た 上り
、髻 解 け
こ れ
う
し
か
あ
ち
お
ま
と
て 髪 を 被 る
。 牛 之 を畏 れ
、 乃 ち 水 に 入 りて 敢 へ て 出 で ず。 故 に 秦
かう む
これ
おそ
すな は
あ
い
ゆ ゑ
是 れ 自り 旄 頭 騎を 置 く
。
こ
よ
ば うと う き
①武 都故 道県
─地 名。 武都 郡故 道県
。今 の甘 粛省 成県 の西
。
②怒 特祠
─祠 の名
。秦 の文 公が 南山 の大 梓を 伐っ た時 に樹 中か ら出 た 青牛 を祀 る。
③云 神本 南山 大梓 也─ この 八字
、『 捜神 記』 は「 祠上 生梓 樹」
( 祠上 に 梓樹 を生 ず) に、
『太 平御 覧』 九〇
〇は
「土 生梓 樹」
( 土に 梓樹
し じ ゆ
を 生ず
)に
、『 事 類賦
』は
「上 生梓 樹」
(上 に梓 樹を 生ず
)に
、『 史 記
』集 解は
「図 大牛
、上 生樹 木」
( 大牛 を図 き、 上に 樹木 を生 ず)
ゑ が
に
、『 史記
』正 義 およ び『 太 平御 覧』 四 四は
「 雍南 山有 大梓 樹」
(雍 南 山に 大梓 樹有 り) に、
『初 学記
』は
「雍 州南 山文 梓樹
」( 雍 州南 山 の文 梓樹
)に
、『 太平 寰宇 記』 は「 雍南 山有 梓樹
」( 雍 南山 に梓
ぶ ん し じ ゆ
樹 有り
)に
、『 太平 御覧
』六 八〇 は「 終 南公 有梓 樹、 大数 百囲
、蔭 宮 中」
(終 南公 に梓 樹有 り、 大き さ数 百囲 にし て、 宮 中を 蔭す
)に 作 る。
④秦 文公
─春 秋、 秦の 襄公 の子
。諡 は文
。在 位五 十年
(前 七六 五~ 前 七一 六年
)。
(『 史 記』 五) この 三字
、『 太 平御 覧』 六八
〇は
「秦 始 皇」 に作 る。
⑤ 伐 之─ こ の 二 字 の 後、
『 捜神 記
』、
『 史 記』 正 義、
『太 平 寰 宇 記』
、
『 太平 御覧
』四 四は
「輒 有大 風雨
」( 輒 ち 大風 雨有 り) 五字
、『 太
す な は
あ
平 御覧
』六 八〇 は「 天輒 大風 雨、 飛沙 石、 人皆 疾走
、夜 至」
(天
先 坊 幸 子 339
三 七
輒 ち 大風 雨あ り、 沙石 を飛 ばし
、人 皆な 疾走 し、 夜に 至る
)十
す な は
み
四 字あ り。
⑥疲 士一 人~ 臥者 以告
─こ の六 十字
、『 後漢 書』 光武 紀注
、『 北 堂書 鈔
』に 引く
『列 異伝
』及 び『 玄中 記』
、『 芸 文類 聚』
、『 後 漢書
』郡 国 志五
、『 史記
』集 解、
『 初学 記』
、『 太 平御 覧』 三四 一に 無し
。
⑦赤 灰─ この 二字
、『 捜神 記』 は「 以朱 絲繞 樹、 赭衣 灰坌
」( 朱 絲を
し ゆ し
以 て樹 に繞 らし
、赭 衣灰 坌す
)九 字に
、『 太平 御覧
』九
〇〇
、『 事
も つ じ ゆ め ぐ
し や い か い ふ ん
類 賦』 は「 赭 衣灰 坌」 四字 に、
『史 記』 正義
、『 太平 寰宇 記』 は「 以
し や い か い ふ ん
朱 絲繞 樹」
(朱 絲を 以て 樹に 繞ら す) 五字 に、
『 太平 御覧
』四 四は
「 以 朱 絲繞 伐 樹
」( 朱 絲 を以 て 繞 ら せ 樹を 伐 る
)六 字 に、
『 太平 御 覧
』六 八〇 は「 以赤 絲繞 樹」
(赤 絲を 以て 樹に 繞ら す) に作 る。
⑧跋
─こ の字
、『 捜神 記』
、『 史 記』 正義
、『 太平 寰宇 記』
、『 太 平御 覧』 六 八〇 は「 伐」 に作 る。
⑨牛 入水
─「 牛」 字
、『 捜神 記』
、『 事類 賦』
、『 史 記』 正義
、『 初 学記
』、
『 太平 寰宇 記』
、『 太 平御 覧』 四四
、『 北 堂書 鈔』 に引 く『 玄中 記』
、
『 太平 御覧
』六 八〇 は「 青 牛」 に作 る。
「水
」字
、『 芸 文類 聚』
、『 捜 神 記』
、『 史記
』正 義、
『太 平寰 宇記
』は
「豊 水」 に、
『初 学記
』、
『太 平 御覧
』四 四、
『玄 中記
』は
「灃 水」 に、
『 北堂 書鈔
』に 引く
『玄 中 記』 及び
『太 平御 覧』 三四 一は
「河
」に 作る
。
⑩故 秦為 立祠
─『 捜神 記』
、『 太 平御 覧』 九〇
〇、
『 事類 賦』
、『 北 堂書 鈔
』に 引く
『玄 中記
』、
『 初学 記』
、『 太 平寰 宇記
』、
『 太平 御覧
』四 四
、『 太平 御覧
』六 八
〇に はこ の句 が無 く、
『捜 神記
』、
『太 平御 覧』 九
〇〇
、『 事類 賦』
、『 太平 寰宇 記』
、『 太平 御覧
』四 四 およ び六 八〇 に は
「旄 頭 騎」 が 置 か れた と い う 記 述 が あ る。
「旄 頭 騎
」は
、先
駆 の騎 士。
「旄
」字
、『 北 堂書 鈔』 一三
〇は
「髦
」に 作る
。
ば う
干 将 莫邪
か ん しや う ば く や
干 03 将莫 邪為
①
楚王 作剣
、三 年而 成。 剣有 雄雌
、天 下名 器也
。乃 以雌
②
剣 献君
、蔵 其雄 者。 謂其 妻曰
「吾 蔵剣 在南 山之 陰、 北山 之陽
。松 生 石上
、剣 在其 中矣
。君 若覚 殺我
。爾 生男
、以 告之
。」 及至 君覚
、 殺 干将
。 妻 後生 男、 名赤 鼻、 告之
。赤 鼻斫 南山 之松
、不 得剣
。忽 於屋 柱中
③
得 之。 楚王 夢一 人、 眉広 三寸
、辞 欲報 讐。 購求 甚急
。乃 逃朱 興山
④
中
、遇 客。 欲為 之報
。乃 刎首
、将 以奉 楚王
。客 令鑊 煮之
、頭 三日
⑤
三 夜 跳 不 爛
。王 往 觀 之、 客 以 雄 剣 倚 擬 王
、王 頭 堕 鑊 中。 客 又 自 刎
。三 頭悉 爛、 不可 分別
。分 葬之
、名 曰「 三王 冢」
。
⑥
干かん
将 莫 邪 楚 王の 為に 剣を 作り
、三 年に して 成る
。剣 に雄 雌有 り、
し や う ばく や
そ わ う た め け ん
な
天下 の名 器 なり
。 乃 ち雌 剣 を以 て 君に 献 ぜん と し、 其 の雄 なる 者を
す なは
も つ
けん
そ
蔵す
。其 の 妻に 謂ひ て 曰く
「 吾 剣を 蔵し て南 山 の陰
、北 山 の陽 に在
か く
そ
い
い は
われ
か く
な ん ざん
い ん ほ く ざん
や う
あ
らし む
。松 石 上に 生じ
、剣 其の 中 に在 るな り
。君 若し 覚ら ば我 を
も
さ と
殺さ ん。 爾 男 を生 まば
、以 て之 に告 げよ
」と
。至 る に及 びて 君 覚
なん ぢ
こ れ
さ と
り、 干 将 を 殺す
。
か んし や う
妻 後に 男を 生み
、赤 鼻と 名づ け、 之に 告ぐ
。赤 鼻 南 山の 松を 斫る
せき び
き
に、 剣 を得 ず
。 忽 ち 屋 柱 の中 に於 て之 を 得た り
。楚 王 一人 を夢 む
え
た ち ま をく ち ゆ う
お い こ れ
そ わう
ゆ め
る に、 眉の 広 さ 三 寸、 辞 し て「 讐 に 報い ん と 欲 す」 と。 購 ひ求 む
ひ ろ
じ
あ だ
むく
ほ つ
あ がな
るこ と 甚 だ 急な り。 乃 ち 朱興 山中 に逃 れ、 客に 遇ふ
。之 が為 に報
は な は き ふ
す な は し ゆこ う ざ ん
の が
か く
あ
こ れ た め
いん と欲 す。 乃ち 首を 刎ね
、将 に以 て楚 王に 奉ぜ んと す。 客
は
ま さ
鑊 を
く わ く
中国六朝古小説訳注『列異伝』(一)
338
三 八 して 之を 煮令 むる も、 頭 三 日 三夜 跳 ねて 爛れ ず。 王 往 きて 之を
し
か うべ
た だ
ゆ
觀る に
、客 雄 剣を 以て 倚 りて 王 に擬 す れば
、王 の 頭
み
よ
ぎ
鑊くわく 中 に堕 つ。
ち ゆ う
お
客 又た 自刎 す。 三頭 悉 く爛 れ、 分別 する 可か らず
。分 かち て之
ま
じ ふん
こ とご と
べ
を 葬 り
、名 づけ て曰 く「 三王 冢
」 と。
は う む
さ ん わう ち よ う
【通 釈】 干 将 莫邪 は楚 王 の為 に剣 を作 り
、三 年か かっ て 出来 上が っ た。 剣
か ん し ょう ば く や
そ おう
には 雄と 雌と があ り、 天下 の名 器で あっ た。 そこ で雌 剣を 王に 献上 する こと にし
、そ の雄 の方 を隠 して しま った
。自 分の 妻に 向か って 言う には
「私 は剣 を南 山の 北、 北山 の南 に隠 して おい た。 松が 石の 上に 生え
、そ の中 に剣 があ る。 王が もし この 事に 気づ いた ら私 を殺 すだ ろう
。お 前が 男の 子を 産 んだ な ら、 それ に この 事 を話 しな さ い」 と。 献 上に 行く と 王は この 事 に気 が つい て、 干 将を 殺 して しま っ た。 そ の妻 は後 に息 子を 産み
、赤 鼻と 名づ け、 これ に事 の次 第を 話し
せ き び
て聞 かせ た。 赤鼻 が南 山の 松を 斫っ たと ころ
、剣 は見 つか らな かっ た。 にわ かに 家の 柱の 中に この 剣を 見つ けた
。楚 王が 一人 の男 を夢 に見 たが
、眉 間 の広 さが 三寸 あり
、「 讐に 報い たい
」と 言 った
。王 は
あ だ
賞 金 を か け て 厳 し く 捜 索 し た。 そ こ で 朱 興 山 の 中 に 逃 れ
、客 に 出 会っ た。 客は この 息子 の為 に王 に報 いよ うと した
。そ こで 息子 の首 を刎 ね、 それ を持 って 行っ て楚 王に 奉ぜ んと した
。客 は鑊 でこ れを
か ま
煮さ せた が、 この 頭は 三日 三夜 のあ いだ 跳ね て爛 れな かっ た。 王が 様子 を見 に行 って これ を覗 き込 んだ とこ ろを
、客 が近 寄り 王の 首に 雄剣 を当 て ると
、王 の 頭は 鑊 の中 に落 ち た。 客 も自 らの 首 を刎 ねた
。 三つ の頭 は全 て爛 れ、 見分 ける こと が出 来な かっ た。 等分 して これ らを 葬り
、そ の墓 は「 三王 冢
」と 名づ けら れた
。
さ んお う ち ょう
【語 釈】
* こ の 話 は『 太 平 御 覧
』三 四 三 注 に 見 え る
。 ま た
、こ の 事 は『 捜 神 記
』一 一
、
『 法 苑 珠 林
』三 六 に 引 く『 捜 神 記
』、
『 太 平 御 覧
』三 四 三 注 に 引 く『 捜 神 記
』、
『 太 平 御 覧
』三 四 三 お よ び 三 六 四 に 引 く『 呉 越 春 秋
』、
『 太 平 御 覧
』三 四 三 に 引 く
『 列 士 伝
』、
『 太 平 御 覧
』 三 四 三 に 引 く
『 孝 子 伝
』 に 見 え る
。 楚 干将 莫 邪 為楚 王 作 剣、 三 年乃 成
。王 怒
、欲 殺 之。 剣 有雌 雄
。其 妻 重 身当 産
。 夫語 妻 曰「 吾 為 王作 剣
、三 年 乃 成。 王 怒
、往 必 殺我
。 汝 若 生子 是 男
、大
、告 之 曰『 出 戸 望南 山
、松 生石 上
、剣 在 其背
。』
」於 是 即 将 雌 剣
、 往 見 楚 王。 王 大 怒、 使 相 之
「剣 有 二
、一 雄 一 雌
。 雌 来
、雄 不 来
。」 王怒
、 即 殺之
。 莫 邪子 名 赤
、比 後 壮、 乃 問其 母 曰「 吾 父所 在
。」 母 曰「 汝 父 為楚 王 作 剣
、三 年 乃 成。 王 怒
、殺 之
。 去時 嘱 我『 語汝 子
。 出戸 望 南 山、 松 生 石 上、 剣 在 其背
。』
」於 是 子 出 戸南 望
、不 見有 山
、但 覩 堂 前 松柱 下 石 砥 之上
。 即 以斧 破 其 背、 得 剣
。日 夜 思 欲報 楚 王
。 王 夢見 一 児
、眉 間 広 尺
。言
「 欲 報讎
。」 王即 購 之 千金
。 児 聞之 亡 去
。 入 山行 歌
、客 有 逢 者、 謂「 子 年 少、 何 哭之 甚 悲 耶。
」曰
「 吾 干将 莫 邪 子 也。 楚 王 殺 吾 父
。吾 欲 報 之
。」 客 曰「 聞 王 購 子 頭 千 金。 将 子 頭 与 剣 来。 為 子 報之
。」 児 曰「 幸 甚
。」 即自 刎
、両 手 捧 頭及 剣 奉 之、 立 僵。 客曰
「 不 負子 也
。」 於 是 屍乃 仆
。 客 持 頭往 見 楚 王
。 王大 喜
。 客 曰
「此 乃 勇 士 頭 也。 当 於 湯 鑊 煮 之。
」 王 如其 言
。 煮頭 三 日 三夕
、不 爛
。 頭 踔出 湯 中
、躓 目 大怒
。 客 曰「 此 児 頭 不爛
。 願 王 自 往 臨視 之
。 是 必 爛也
。」 王 即 臨 之
。 客以 剣 擬 王
、 王 頭随 堕 湯 中。 客 亦 自擬 己 頭
、頭 復 堕 湯中
。 三 首倶 爛
、 不可 識 別
。 乃 分 其湯 肉 葬 之
。 故 通名
「 三 王 墓」
。 今在 汝 南 北 宜 春 県 界。
(『 捜 神 記
』一 一
) 楚 の 干 将 莫 邪 は 楚 王 の 為 に 剣 を 作 り
、 三 年 に し て 乃 ち 成 る
。 王 怒
そ
かん しや う ば く や
そ わう
ため
すな は
な
わう いか
り
、之 を殺 さん と 欲す
。剣 に 雌雄 有 り。 其の 妻 身 重く し て当 に産 むべ
これ
そ
み
ま さ
う
し
。 夫 妻 に 語り て 曰 く
「 吾 王 の為 に 剣 を 作 り
、三 年 に し て 乃 ち 成
われ わう
ため
すな は
な
る
。王 怒 り
、往 け ば必 ず 我 を殺 さ ん
。 汝 若 し 子 を 生み て 是 れ男 な ら
ゆ
われ
な んぢ
も
こ
先 坊 幸 子 337