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『捜神記』の中のどうぶつ

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(1)

『捜神記』の中のどうぶつ

「リュウ」と「ヘビ」の表象

矢    野    光    治

一  はじめに

  『捜神記』の著者

・ 書誌

・ 執筆の動機などの基本的な資料については、

すでに書いたものがある 。『捜神記』は、現今では一応、二十巻本が干宝の原著を補うようにして再編されたものではないかと考えられている。また二十巻本各巻の内容は、以下のような構成となっている。

巻一     神仙に関する説話巻二     方士に関する説話巻三     占卜

・ 医術の名人に関する説話

巻四     風神

・ 雨神

・ 水神に関する説話

巻五     土地神

・ 祠に関する説話

巻六

・ 巻七

  凶兆の話(五行説による解釈)

(2)

巻八     天子が天命を受ける前兆の伝説巻九     吉兆

・ 凶兆に関する説話

巻十     夢兆の説話巻十一    孝子

・ 烈女に関する説話

巻十二    異物

・ 妖怪に関する説話

巻十三    山川

・ 水陸および動植物の怪異に関する説話

巻十四    異婚

・ 異産、その他動物と人間との交渉に関する説話

巻十五    再生に関する説話巻十六

・ 巻十七

  幽鬼に関する説話巻十八

・ 巻十九

  妖怪に関する説話巻二十    動物の報恩

・ 復仇に関する説話

   (『捜神記』  平凡社)

  「説

話」の内容は多岐にわたるが、なかでも多くの動物が人間と係わりを持ちながら登場してくる。出現頻度の比較的多いものから並べると、以下のようになる。

  獣類では、「馬

・ 牛

牛 ・ 水

バ」合わせて八十話弱、「龍 ・ ロ

・ 蛇

むし」で計五十六話、「狐 ・ ま

・ (狸)

」で計二十六話、単独では、「犬」三十二話、「羊」十六話、「豚」

・ 「虎」がそれぞれ十五話がある。鳥類では、

単独で「燕」が七話、「烏」が六話、「雀

・ 黄雀」で計六話、

「鵝鳥」四話、「トンビ

・ 鶴

・ 雉」がそれぞれ三話ずつ登場する。水中動

(3)

物では、「亀

っぽん ・ す

いで「魚 亀」合わせて十三話、単独では、「鯉」九話、「カニ」二話がある。また類別を特定しな ・ 海

・ 鳥

・ 虫」類が出てくる説話は、それぞれ十数話が挿入されている。

  本稿では、「龍

・ 蛇」の説話を読み解きながらいくつかの問題について考えてみたい。

二  龍の起源について

  ここで、中国における龍の起源について、いくつかの学説に触れておく。諸説があって単純にまとめることはできないが、おおよそ以下のような説に整理することができる。

【龍の起源に蛇が大きく係わるとする説】

  『図説

・ 龍の歴史大事典』

(遊子館)

  人々が恐れる自然災害を龍に見立てたとする。インドからの大蛇崇拝によって形づくられた龍と、中国にあった龍思想とが混合して、蛇の胴体をもつ(蛇を主とする)龍が形づくられたとの見解を示す。また、蛇はその土地(中国)で恐れられている生物であり、想像された自然現象への神秘感と結びついて、蛇の形をした龍という形態が形成されたと説明している。

  『中国神話』

(平凡社)

  龍は様々なトーテムの融合として生まれたが、その基調は蛇であるとする。形態上から蛇と龍は同一の存在に近いとの主張である

(4)

  『中国古代文化史』

(研文社)

  鯀

両生類の鯢魚がその起源ではないかとする。鯢魚のような有尾目は、容易に爬虫類の蛇 さんしょううお が擬人化される以前は、もとがそれぞれ動物の亀と龍そのもので描かれていたとする。龍については、 ・ 禹

・ 蜥蜴などと比類し

融合されると推測する。

  『龍の起源』

(紀伊国屋書店)

  蛇信仰の歴史を中心に論を展開して、蛇が龍になっていったとする説をとく。天水と湧水に依存した新石器時代の農耕文化の中で蛇信仰が生まれたのに対して、龍の観念は、メソポタミア地方と同様に、青銅器時代の灌漑農業の中で誕生し、それを大規模に遂行した強大な政治権力の所産であったともする。

  龍を、巨大性、角と足の具有(甲骨文の尾を巻いた蛇の胴体に角をつけた象形文字)、異種生物の混成、多頭といった形態面からと、呪的

・ 霊的能力の面から捉え、そのうえで龍の起源を、政治化された蛇であると定義

づける。

  『アジアの龍蛇

―造形と象徴―』(雄山閣)

  一三人の共著からなる。「蛇と龍―土着の思想と舶来の造形」(金子量重)

  北中国で最も恐れられていた猛獣は虎で、蛇に鋭い爪をもつ虎の足を組み合わせることから、龍という架空の聖獣作りの第一歩が始まったとする。虎を恐怖に感ずる地域に、はるかなる華南の地に生息する蛇を水の神と仰ぐ伝承や盛大な祭りの情報を得て、龍への発想が生まれたと考える。南方の豊穣祈願の風習との係わりが大きいとする。

(5)

「龍とナーガと蛇」(山本達郎)

  インド系のナーガと中国の龍を結び付けて考える。両者の共通点として、水と密接であり、雨にも関係している。さらに農耕にも関係があり、どちらも超自然的な霊力を持っている。そして、形態は長い蛇のような形をしている。また権威

・ 権力との繋がりも共通するとしている。

「太陽信仰と龍」(萩原秀三郎)

  長江流域(南の地域)の話が主である。太陽の信仰と農耕(水

・ 蛇)との係わりの面から説明する。

「広西壮

・ 侗語諸族における龍蛇観念の研究」

(覃聖敏(チワン族)  百田弥栄子

・ 訳)

  自然現象にしろ動物にしろ、単一のものから発生したのではなく、複合されて生まれきたとする。聞一多の説も、「蛇が基調だが、複合されたものだ」と主張をしたものだと説明する。

  百田氏の「ブタの口と蛇の胴体」を龍とは見なさないとの説 に賛同する。この著者自身の立場は、鰐(南方地域)に起源を求め、そして、龍(鰐)を崇拝する民族集団と蛇を崇拝する民族集団が融合(龍のトーテム集団が蛇のトーテム集団に勝利した)したとする。「龍と蛇―古代中国の場合―」(量博満)

  文字(卜辞)から龍について考察する。その用例や字素について論述する。龍として最も大事な表現は角だとする。主に雨に関することや、殷王朝との係わりを深く考察する。龍のイメージとしては、蛇や魚を挙げる。また、「当初神秘的な動物としての鳳と龍であったものが、時代が下った楚の世界では、それらが現実の動物に置き換えられて、鳥と蛇になったのだと述べることも可能だろう。すなわち、龍が蛇のイメージに由来するというより、龍の蛇化ということがいえるかもしれない」と述べている。

(6)

【蛇を起源としない説】「華麗に成熟した龍」『アジアの龍蛇―造形と象徴―』((百田弥栄子)

  伝承の視点から龍について説明を試みる。蛇と龍の関係については、「蛇が主人公、準主人公となる伝承は蛇婿譚があるが、これはシンデレラ型と結びつく、龍とは関係のない物語となる。蛇が龍に変化していく過程を語る伝承もない。したがって、龍と蛇とは、それぞれ別個の世界を持っているといってよいだろう」と説明する。

  伝承世界の中では、龍はムカデに弱く、ムカデはオンドリに弱いという力関係を見つけ、該当する伝承を参照する。さらにそこから、「ムカデは、ニワトリに劣るとはいえ、やはり、龍をして一歩でも近づきたいと願わせる資格を持っていたのである。だとしたら、龍の長く自在に動く体はムカデのそれを借りたものではないだろうか。ムカデの、たくさんの環節で自在に動く長くしなやかな体に、ムカデのヒゲ、オンドリの顔、手足、翼、それに角の造形をつけて、龍は造形された、と伝承は私に教えてくれた。すると、龍の玉、龍珠はニワトリの卵、鶏卵からイメージされ、創造された、と思うのが自然のようである」と、形態の成り立ちと玉について説明する。

  また、「オンドリという雷神がいて、ムカデという山神がいれば、次には水の神が期待されたのかも知れず、その結果、水の神を象徴する龍がイメージされ、創造される必然があったのだろう。龍の登場も、きっと祖先の深い知恵によっているのである」などの考えも展開する。『神々の起源―中国遠古神話と歴史―』(樹花舎)

  龍や鳳は、自然現象が生命化され、擬人化された後に生まれた神話のアイデアだとする。紅山文化の石器から出土された石器が龍の実体であるとして、蛇である説を否定する。龍に関しては雲が、さらには、雲と雨のとの

(7)

機能的な関係(雲は雨を生み出す)が龍を生み出すアイデアの基礎となり、雲神の生命化が龍であるとする。『龍の文明

・ 太陽の文明』

(PHP研究所)

・ 「紅龍から青龍へ

―融合と循環の思想」『龍の文明史』(八坂書房)

  龍は北の文化であって、蛇と合わさるのは、その後大きな気候変動があり、民族が南下してきてからのことであるとする。龍の原型になる動物は、森や川に住む鯉

・ 馬

・ 猪

・ 鹿の類だとする

。『龍と人の文化史百科』(社原書房)

  起源について明確には触れてはいないが、中国古代には、北の龍と南の鳳との二大トーテムが存在していたとする。また龍は、インドのナーガやドラゴンとは異なる存在であるとしている。

  中国の龍の起源を巡っては、蛇を基調とする説と、それ以外の動物を基調とするものとに大別できる。しかし、全ての説において共通する部分があり、それは龍が一つの動物(物)からできあがった存在ではなく、様々な要素が混じって完成した空想の生物だということである。また、龍の起源を説明するときには、主に機能の面から説明するものと、形態の面から説明するものがある。起源を蛇とする説は、その形態の面から見ているものが多い。

三  『捜神記』における「リュウ」と「ヘビ」

三―一

  「ヘビ」

1  【巻二】

  にせの化物を退治した話(

32)

・ 寿光侯劾鬼

記事:寿光侯は、後漢の章帝の頃(七六~八八年在位)の人で、化物を退治し、それを自分に縛りつけるこ

(8)

とによってその正体を暴く術を体得していた。ある村の婦人が、化物に取りつかれて病気になっていた。侯は、その婦人のために化物を退治したところ、数丈の大蛇が門の外で死んでおり、婦人の病気も治った。また樹の精が住むという大きな樹があり、その樹の下に止まる者は死に、上を過ぎる鳥は落ちた。依頼された侯は、樹の精を退治した。すると樹は枯れ落ち、長さ七

・ 八丈の蛇が樹にかかっ

て死んでいた。侯の霊力を聞きつけた章帝が、試そうとして赤い着物を着た偽の化物をしたてて退治させようとした。侯は霊力を発揮したので、偽の化物であった章帝の家来は死にそうになった。章帝は侯にあやまり、術を解いてもらった。またこれと似た説話で、漢の武帝(前一三八~八七年在位)が劉憑を試した話も伝えられている。出典:『法苑珠林』四二の『捜神記』(「或云」以降の部分は無い)。『列異伝』(『太平御覧』九三四引)『列仙傳』(『北堂書鈔』一〇三)、『神仙傳』(『太平御覧』七三六、『太平広記』一一引)、『後漢書』巻八二下

・ 壽光侯伝

メモ:この二つの説話では、害を与えるものの怪を退治すると、正体は大蛇であったと描かれている。つまり、蛇の化物が害を与える存在で、術使いによって退治される内容になっている。

2  【巻二】

  失せた神通力(

39)

(酒の飲み過ぎのせいか)術をかけたがきかず、虎に殺されてしまった」という話をした。 が、年を取り酒を飲みすぎてからは術力が衰えた。秦末に、東海に現れた白虎退治を帝に命じられる。 記事:鞠道龍は幻術の使い手であった。「東海の黄公は幻術の名人で、蛇を制し虎を御することができた。だ 鞠道龙说黄公事 ・

(9)

出典:『文選』西京賦の薛綜注、『西京雑記』三メモ:幻術の名手も酒の飲み過ぎは大敵で、失敗をして命を失う。施術者側の失敗例であるが、説話「

には、人に化けた犬が、酔っ払って正体がばれて打ち殺された話がある。 433」

3  【巻三】

  家つきの妖怪(

53)

のなれの果て、烏は年老いた従者であると言われた。もともと人間だったのにどうして動物に姿を変 のちに、同郷の人が輅に「あなたは王基のところに出た妖怪について、筆を銜えた蛇は年老いた書記 後異変は何も起こらず、基はよりよい役に昇進した。 れる定めとなっています。今回の卦には、怪しい凶の兆しはなく、心配ありません」と述べた。その で阻止できるものでなく、永遠の昔から浮遊しつづける万物の精霊は、いつかはこんな形で人前に現 しければ、妖怪などが害をなすことなど叶わないことです。ただ森羅万象の変化は、人間の道徳だけ くなって複数の妖怪変化が住みつき、一緒になって悪戯をしているだけです。もともと人の精神が正 う卦を述べた。王基はさらに、その卦の吉凶を占ってもらった。輅は、「禍ではないが、この建物が古 の上に筆を銜えた一匹の大蛇が現れたこと、烏が家の中に入って燕と喧嘩し、燕が負けて死んだとい 家で、怪奇現象を占った。身分の低い女が産んだ男の子が、生まれてすぐ竈に入って死んだこと、床 記事:易の名人である管輅(字は公明、三国魏の平原(山東省)の出身)が、請われて安平郡の太守王基の 安平(河北省)の大守(郡の長官)。 人物:王基。字は伯輿、三国魏の東莱(山東省)の出身。官は鎮西将軍、都督楊州諸軍事となる。この時は、 管辂论怪 ・

(10)

えたのか、本当に占いに出たのか、ご自身の考えなのか」などと尋ねた。、輅は、「人の生まれつきの性質が、天道とぴったり合致して、はじめて易として占える。自分の考えではないし、万物の変化は、一定の形はないが、ある種の原則を持っている。蛇は十二支の一つ(辰巳の方位)であり、烏は太陽に棲む精であり、純黒の象徴や白色の輝きそのものであり、書記や従者のような卑しき者が、蛇や烏のような高い位のものへ生まれ変わったのは、その分に過ぎたものと言えよう」と答えた。出典:『太平廣記』三五九の『捜神記』(「後輅郷里及太原問輅」以後の條なし)、『管輅別伝』、『三国志』巻二九「管輅伝」メモ:蛇は十二支の一角を占め、烏は純黒や白色の輝きの象徴で、何れも高位のものを示し、天意に繋がるものとして考えられている。

4  【巻三】

  妖蛇のたたり(

63)

・ 郭璞筮病

占卜:郭僕。晋の人、宇は景純。博学の士で、占術が得意。時代:晋記事:揚州(安徽省)の別駕(地方行政官である刺吏に随行する役人)である顧球の姉は、十歳の時に病に罹り、今の五十過ぎまで治癒しなかった。そこで郭僕に占ってもらったところ、「大過から升にゆく」という卦が出た。書物では、この卦はよくない内容で、身に重い禍を受けるとある。これは先祖が霊蛇を切り殺してしまったことによるが、本人の過ちでなく先人の罪からきているので、如何ともしがたいものだと言われた。

(11)

そこで、球が自分の家の歴史を調べてみると、先代がかつて、大きな樹を伐って大蛇を見つけて殺した時に、娘が病に罹ったことが分かった。娘の発病後、数千の鳥の群れが出現して屋根の上を飛び回っていた。人々は怪しんだが、理由は不明であった。またある農民が、この辺りを通りがかった折に、龍が車を引くのを見た。五色の色できらきら輝き、その大きさは尋常ではなく、しばらくすると消えた。出典:『太平広記』二一六の『捜神記』メモ:祀られる存在として霊蛇がいる。これを切り殺したために娘が病を得る形で祟られる。大樹や大蛇には精霊が宿る。これに危害を加えると災いが及ぶ。災禍は天に昇ると消滅するようである。その一つの現象として鳥が屋上を飛び回る。龍と蛇については後述するが、蛇は空を飛べないので、龍がそれにとって代わって天空へと昇るのであろう。

5  【巻三】

  足にはいりこんでいた蛇(

69)

状態が七 記事:劉勲の二十歳前の娘が、左足の膝裏側にできものができ、一度治っても数日後にまた出てくるという 場所:瑯邪(山東省) 時代:漢 占卜:華佗。字は元化、名は旉、沛国(江蘇省)の人。 人物:劉勲とその娘。劉勲は瑯邪(山東省)の人。官は河内(河南省の中の黄河以北の地)の太守。 华佗治疮 ・

・ 八年も続き、困っていた。そこで華佗を呼び寄せて調べてもらう。華佗は、茶色の犬一匹

と良馬二頭を用意するように言い、犬の首に縄をかけて馬を交代させながら三十里余り引かせ、さら

(12)

に人に歩いて引かせて五十里程行かせた。この時に娘を投薬で眠らせて、一方で犬の後足近くの腹部を切った。切ったところと娘のできものの部分を二

・ 三寸の間隔で向い合わせた。暫くするとできも

のの中から蛇の頭が見えてきた。錐で横から蛇の頭を突き、引っ張り出した。蛇の長さは三尺程であった。傷口に膏薬を塗ると、七日で快癒した。出典:『華佗別伝』(『後漢書』巻八二下、『三国志』巻二九「華佗伝」の注引)メモ:名医華佗が、犬と馬の手助けを得て、蛇が入り込んでできた娘のできものの治療をして快癒させる。黄色の犬と良馬が最善とされる。この蛇は瞳がなく、さらに龍が持つ鱗「逆鱗」であることから、普通の蛇ではないことが見て取れる。

6  【巻三】

  のどにつまっていた蛇(

70)

蛇を吐き出すことができる。 メモ:体内に入り込んでいる蛇が病を引き起こしている。ニンニクを漬けた酢を飲むことによって、体内の 出典:『後漢書』巻八二下、『三国志』巻二九「華佗伝」 言う通りにしたところ、立ちどころに病人は蛇を一匹吐き出した。 近くの餅屋からニンニクを漬けた酢を買い飲ませたら病気も自然によくなると言った。さっそく佗の いので、家族が医者に連れて行こうとしていた。佗はうめき声を聞いて、男の様子を調べてみてから、 記事:ある時、華佗が道を歩いていたら、喉をつまらせている病人を見かけた。物を飲み下すことができな 华佗医喉病 ・

(13)

7  【巻六】

  蛇が喧嘩をすれば(

111)

・ 蛇斗国门

時代:魯の荘公十四年記事:この説話は、蛇に関する怪異の記事で、劉向の見解を交える。魯の厳公(荘公)の時、鄭の国(河南省)の南の城門の入口で、城内外の蛇同士が闘い、城内側の蛇が死んだ。劉向は、このできごとを蛇のわざわい(孽)に近いものという。また『京房易伝』には、「跡継ぎの立て方が疑わしい時は、その徴として、蛇が国都の門の前で闘う」とある。出典:『春秋左氏傳』莊公一四年、『後漢書』卷五四「楊賜傳」の注に引く『洪範五行伝』、『漢書』巻二七下之上「五行志」第七下之上メモ:わざわい(孽)は、動物や虫のいたずら、または妖怪のなす悪さの意である。

8  【巻六】

  柱にまきついた蛇(

113)

「九匹」「九代」と数字「九」が対照的に使われているが、「九」は最大の基数である。 メモ:先祖を崇拝して祀っていないと怪異が生じるという警告か。その警告のツールとして、蛇が使われる。 出典:『太平御覧』九三四、『事類賦』二八の注に引く『捜神記』 たって、先祖の廟を祀っていなかった為であるとする。そこで煬宮という先祖を祀る建物を建てた。 魯(山東省)の定公元年(前五〇九年)、九匹の蛇が宮殿の柱に巻きついていた。占いでは、九代にわ 記事:この説話は、蛇に関する怪異の記事である。 九蛇绕柱 ・

(14)

9  【巻六】

  城外の蛇と城内の蛇(

125)

・ 内外蛇斗

記事:この説話は、蛇に関する怪異の記事である。漢の武帝の太始四年(前九三年)七月、趙(河北

・ 山西

・ 河南省にまたがる一帯)に、城壁の外から

侵入してきた蛇が現れ、中の蛇と孝文廟の側で喧嘩をした。その結果、中側の蛇の方が負けて死んだ。それから二年後の秋、衛太子の事件(「巫蠱の獄」)が、趙人の江充によって引き起こされた。出典:『法苑珠林』四二、『太平御覧』八八五の『捜神記』、『漢書』巻二七下之上「五行志」第七下之上メモ:この話は、説話「

れも後継者(跡継ぎ候補)問題が生起することを予知する内容となっている。 111」と似通っている。城の内外の蛇が闘い、内側の蛇が負けて死ぬ内容である。何

10  【巻六】

  宮中に蛇が現われれば(

149)

・ 德阳殿蛇

人物:

・ 漢の桓帝。後漢の第十一代皇帝の劉志。章帝の曾孫。在位二十一年。

・ 梁冀。後漢の大将軍の梁商の子。順帝の時、父と同じく大将軍になる。

  姉が順帝の皇后であったことから、専横を極めたため、のちに一族が殲滅される。記事:漢の桓帝が即位した時(一四七年)、大蛇が徳陽殿の上に現れた。洛陽の市令(市長)である淳于翼は、「蛇に鱗があるのは戦争の前兆であり、役所に現れたのは、皇后や大臣が兵難に遭う予兆である」と述べて、官職をなげ出し逃亡した。延熹二年(一五九年)になって、大将軍の梁冀が処刑され、その一族が捕らえられる事件が起こり、洛陽の都に戦乱が起こった。出典:『後漢書』「五行志」五の劉昭注、『法苑珠林』四二の『捜神記』

(15)

メモ:大蛇が宮殿上に現れたことで、殿上にまで兵難が及ぶことを予知する。蛇の鱗は甲兵(鎧をまとった兵士、戦の象徴的存在)を想起させる。

11  【巻六】

  草の怪異(

161)

・ 草作人状

記事:光和七年(一八四年)、陳留(河南省)、済陽(河南省)、長垣(河南省)、済陰(山東省)、東郡(河北省)、寃句(山東省)、離狐(河北省)の諸郡県の境界周辺の道端に草が生えた。その草の多くは人の形をしており、武器を携えていた。また、牛

・ 馬

・ 龍

・ 蛇

・ 鳥

・ 獣の形をしたものもあったが、それ

らも色を含めて本物そのもので、羽毛

・ 頭目

・ 足など全て備わっていた。古説では「草の異変に近い

ものである」と言う。果たしてこの年に「黄巾賊の乱」が起こり、漢朝は衰退した。出典:『法苑珠林』八〇に引く『捜神記』、『風俗通義』一一、『後漢書』卷八

・ 「霊

帝紀」および「五行志」二メモ:草に異変が起きて、武器を携えた人の姿や蛇、牛や馬、龍や鳥、獣など、本物そっくりの姿や形をしていた。これは乱の前触れであるとの説話である。

12  【巻七】

  子を背負う大蛇(

197)

て見えなくなった。 小さな蛇を乗せている。県城の北門から入り、まっすぐ町中を通り過ぎて、漢陽城の景王祠の中に入っ 晋の元康五年(二九五年)三月、臨淄県(山東省)に大蛇が現れた。長さは十丈ほど、背中に二匹の 記事:この説話は、蛇に関する怪異の記事である。 临淄大蛇 ・

(16)

出典:『開元占經』一二〇に引く『晉惠帝起居注』、『晉書』卷二九「五行志」下、『宋書』卷三四「五行志」メモ:似通った説話に「

111」「

この話の続きがある。すべて共通するのは禍が起こる予兆とするところである。 外から大蛇が二匹の小さな蛇を背負って入ってくるだけの内容となっているが、『晉書』『宋書』には、 113」があるが、これらは蛇同士が喧嘩をする内容である。この説話は、城壁の

13  【巻七】

  木のうろの蛇(

226)

・ 武昌大蛇入神祠

記事:この説話は、蛇に関する怪異の記事である。晋の明帝の大寧年間(三二三~三二五年)のはじめに、武昌(湖北省)に大蛇が現れた。古い祠の木のうろの中に棲みついて、顔を出しては人から餌をもらっていた。『京房易伝』には、「蛇が人里に現れると、三年も経たないうちに大戦乱が起こり、国家に大きな憂いが有る」という。果たしてまもなく王敦が反乱を起こした。出典:『晉中興書』、『晉書』卷二九「五行書」下、『宋書』卷三四「五行志」五メモ:大蛇が人里に現れることは戦乱の予兆である。説話「

149」「

161」の話と軌を一にする。

14  【巻九】

  二匹の赤い蛇(

238)

記事:車騎将軍の馮緄が、議郎(朝廷の論議を司る官)であったとき、官印をしまっていた箱をあけると、 占卜:許憲。 人物:馮緄。後漢の人、巴郡(四川省)出身。車騎将軍(征伐を司る)となる。 冯绲绶笥有蛇 ・

(17)

長さ二尺ほどの二匹の赤い蛇がいて、それが南北に分かれて逃げ去った。馮緄は何かの前兆だと憂い怖れた。そこで占いの名人の許季山の孫で、その秘伝を受けついだといわれる許憲に占ってもらうと、「これは吉兆です。あなたは三年後、辺境の地への遠征軍の指揮官となるでしょう。場所は東北、東という名がつきます」と言われた。はたして五年後、馮緄は大将軍の部下として南に出征した。それから間もなく尚書郎、遼東太守、南征将軍に次々と任命された。特記:このことに関連する記録として、『風俗通義』巻九には、以下のような記載がある。

    謹んで考えますに、車騎将軍の巴郡の馮緄鴻卿は議郎となって、綬笥を開くと長さが三尺ほどあり、南北の方向に分かれて這って行ったので、なにか起きないかと大変心配してそのことを怖れていた。許季山の孫の許曼という者で字を寧方という者は、先人の方術の奥義を学んでいた。そこで、馮緄は彼に占卜を依頼すると、「あなたは三年後に、きっと辺将になり、東北の四

・ 五千

里四方を治め、官名は東の字を以って呼ばれ、また、五年したら大将軍となって、南方を征服する。これはその吉兆である」と言った。馮緄はその意味が解ると、兆しが実現することを祈りながらもいささかの困惑もした。何年か経つと、馮緄は尚書

・ 遼東太守

・ 廷尉

・ 太常を拝命した。

その後、武陵の蛮夷

・ 黄高の蜂起に遭い、南郡を攻め焼き、馮緄はその威名をよく知られ、選ば

れて車騎将軍となり、多方面を統轄することは、許曼の言う通りであった。『春秋左氏伝』荘公十四年に「城外の蛇と城内の蛇と戦う」とある。文帝の時にもまたこのような話があり、史書にそのことを記載しているのに、馮緄だけが吉兆を終始しているのは、その意味は予言によって出世したということであろうか。

(18)

出典:『風俗通義』九、『後漢書』卷八二下「許曼傳」メモ:蛇が出現してそれが戦に関することの表意になっている。蛇が逃げた南北は馮緄が進行した方向を示唆し、赤色は戦勝や出世を象徴するのであろう。

15  【巻十一】

  にしき蛇の肝(

282)

きた一人の少年が現れた。年は十三 れることができず、願含は憂い嘆いていた。ある日の昼間、顔含が一人で座っていると、青い着物を 医者の処方によれば、錦蛇の肝が必要だった。そこで八方手を尽し尋ね求めたが、どうしても手に入 記事:晋の顔含(字は宏都)の義理の姉の樊氏(顔含の二番目の兄の嫁)は、病気のため失明してしまった。 颜含寻蛇胆 ・

・ 四歳くらい、手に持っていた青い布袋を含に差し出した。含が

それを開いたところ、中身は蛇の肝であった。少年は戸から外に出ると、青い鳥に姿を変えて飛び去った。肝が手に入り、薬が調合され、それを服用すると、兄嫁の病気はすぐに治ったのである。出典:栄緒『晋書』、『晋中興書』、『晋書』巻八八「顔含伝」メモ:病によって失明したが、錦蛇の肝があれば回復する。錦蛇の肝は薬剤の効力がある。青い衣を着た少年(正体は青い鳥)、蛇の肝が入っていた青い袋と、「青色」がキーワードになっているが、五行で言えば、青春で恢復を提示するのであろうか。

16  【巻十二】

  変化の摂理(

300)

記事:天には五つの気(元素)があり、気が変化して万物が形成される。木の気が清ければ仁、火の気が清 论五气变化 ・

(19)

ければ礼、金の気が清ければ義、水の気が清ければ智、土の気が清ければ恩と、それぞれなる。そして、五つの気がすべて清ければ聖人の徳となるのである。それとは逆に、木の気が濁れば脆弱、火の気が濁れば淫乱、金の気が濁れば粗暴、水の気が濁れば貪欲、土の気が濁れば頑固とそれぞれなる。そして、五つの気がすべて濁れば、下等な人間になる。中国に聖人が多いのは、この五つの清気を備えた結果である。最果ての地に怪物が多いのは、濁った異端の気によって生み出されるからである。天から気を受ければ必ず形が伴い、性質が生じる。穀物を食べる者は文化的で、草を食う者は力はあるが愚鈍、桑を食う者は糸を出して蛾となり、肉を食う者は勇敢で気性が激しく、土を食う者は心を持たず呼吸しない。そして、気を食する者は、神の如き明察力を備え長生し、何も食べない者は不死の力を得て神となる。……もともと、天で発生したものは上に、地で発生したものは下に、時の推移で発生したものは横に近づこうとする。いずれも自己の属した特質に従って変化する。例えば、千年の歳を経た雉は海に入りて蜃となり、百年の歳を経た雀は海に入りて蛤となる。また千年の歳を経た亀は人間と語ることができ、千年の歳を経た狐は二本足で立って美女となり、千年の歳を経た蛇は断ち切ってもやがて繋がり、百年の歳を経た鼠は占いができる。これらはそれぞれの運命の極致である。……このような例は枚挙に暇がない。道に従って起こる変化は正常であるが、道を外れると怪異が生じる。下半身が上半身に生じたり、上半身が下半身に生じたりするのは、気の逆転であり、人間が畜生を生んだり、畜生が人間を生んだりするのは気の乱れであり、また男が女に変ったり、女が男に変ったりするのは、気の惑いである。……

(20)

以上のような現象が起こるのは、万物の生死と変化は、神による明知でなければ、人智でいくら考えても、その由来は理解できないものだからである。……万物の変化の摂理とは、以上のようなものではないだろうか。出典:『荊楚歳時記』、『法苑珠林』四三、『芸文類聚』八二、『初学記』三〇、『窮神秘苑』(『太平広記』四五七引『隋煬帝』の条に引く)『太平御覧』七四二、八八四、九三四、九四五の『捜神記』メモ:万物の変化生成の摂理を言った説話である。蛇に特化していえば、千年の歳を経た蛇は、断ち切っても繋がるという話である。

17  【巻十二】

  慶忌(

304)

・ 池阳小人景

人物:王莽。前漢第十一代元帝の皇后の甥。十三代平帝を殺して幼帝を立て、自ら摂政の位に就く。やがて新(八~二三年)と国号を改め、皇帝を自称した。後に漢の遺族によって滅ぼされる。記事:王莽の建国四年(一二年)に、池陽(陝西省)に小人の影が現れた。一尺余りの身長で、車に乗ったり歩いている者もいた。大小それぞれに似つかわしい物を手にしていた。この怪異は三日続いてようやくおさまる。王莽は不吉な現象としてとても気にしていた。これより後に盗賊が日増しに多くなり、ついに王莽は殺されてしまう。『管子』には、「水の涸れた湖沼で数百年経ったものや、古くからの谷間で川の流れが絶えず変わらない場所に、慶忌が生ずる。その様子は人のようで、身長は四寸、黄色い着物を着て、冠も黄色で、黄色の傘をさし、小さい馬に乗って巧みに疾走させる。その名を呼ぶと、千里の遠いところからでも、

(21)

一日のうちに返ってきて返答する」と書いてある。この池陽の小人の影は慶忌だったのであろうか。また、涸れた小川には、蚳(水場の精)が発生するといわれる。蚳とは、一つの頭に体が二つついて、形は蛇似、身長は八尺ある。その名を呼ぶことで、魚やすっぽんを捕らえさせることができる。出典:『法苑珠林』八、『太平廣記』一三九に引く『捜神記』、『漢書』卷九九中「王莽傳」、『琱玉集』一四メモ:この説話には、蛇に似たものとして慶忌や蚳が登場する。人間の言うことを一程度理解し、返事をしたり、名前を呼ぶことで魚やすっぽんを捕えさせることができるという。

18  【巻十二】

  犬蠱(

317)

い犬が六 記事:鄱陽(江西省)の趙寿は犬蠱を持っていた。ある時、陳岑という人が寿を訪ねると、突然大きな黄色 人物:趙寿、陳岑、私(話し手)とその伯父の妻、趙寿の妻。 鄱阳犬蛊 ・

・ 七匹、群れきて岑に吠えついた。また私の伯父の妻が寿の妻と食事をした時には、血を吐

いて今にも死にそうになったが、桔梗を刻んで飲ませると治った。蠱には化け物がいて、幽鬼のように妖しく形状が変化する。それが人に向かった場合には、皆死に至る。出典:『太平御覧』七三五、七四二、九〇五、九九三の『捜神記』メモ:この説話は、犬の話が中心である。蠱の形状が変化して蛇になることもあるという。

19  【巻十二】

  缸のなかの蛇(

318)

記事:廖家という蛇をあつかう家に関する話である。 廖姓蛇蛊 ・

(22)

滎陽(河南省)に廖という姓の家があり、代々蠱を使うのを生業として財を築いた。後に息子が妻を娶るが、蛇蠱のことは妻には語らなかった。家の者が出かけたある日、妻一人が留守番をしていた。部屋の中にある大きな缸を見つけたので、これを開けてみたところ、中に大蛇がいるのを知り、熱湯を灌いで蛇を殺してしまった。家の者が帰り、このことを報告すると、一同は驚き嘆いた様子であった。それから幾らも経たないうちに、その家の者は病気になり、ほとんどの人が死に絶えてしまったという。出典:『太平御覧』三五九に引く『捜神記』、『霊鬼志』(『太平御覧』七四二引)メモ:大蛇が家の守護神となっていた。事情を明かされていない外から来た人間(妻)が、煮え湯をかけてこれを殺したため、一家の気運は一気に下がって死に絶えてしまう。

20  【巻十四】

  蛇の孝心(

347)

らくして蛇は立ち去った。当時の人々は、この出来事が竇氏の吉兆であることを知った。 つけ天を仰ぎ、頭を棺に打ちつけては血や涕を一緒に流し、悲しみ嘆いているかの様であった。しば 葬しようとしていたところ、大蛇が草むらから現れ、すぐさま棺のもとへとにやってきた。地に頭を はその蛇を野原に逃がした。武は成長して天下の名声を得る。武の母が死去し、弔問客も集まって埋 記事:後漢の頃、定襄(山西省)の太守の竇奉の妻が、息子の武を産んだ時、同時に一匹の蛇を生んだ。奉 しようと謀るが、逆に殺されてしまう。 人物:竇武。後漢の人。、娘が桓帝の后となり、霊帝の時には大将軍となる。陳蕃と政権を握り、宦官を全滅 窦氏蛇 ・

(23)

出典:『法苑珠林』八七に引く『捜神異記』、『藝文類聚』九六、『獨異志』下、『太平御覧』九三四、『太平廣記』四五六に引く『捜神記』、『後漢書』卷五九「竇武傳」、『眞誥』一三メモ:出世する人物の母によって蛇も同時に生まれる。蛇を殺さずに逃がしてやる。母が死ぬと成長して大蛇になって棺の前に現れ、悲しみ嘆いて孝心を示す。蛇がその一族に繁栄を齎すことは、説話「

と同じであるが、説話「 318」

てしまうという悲劇となる。 318」では、事情を知らない嫁が大蛇を殺してしまったため、一族が死に絶え

21  【巻十四】

  城を築いた蛇(

348)

出典:『太平寰宇記』四三 がて池になった。そこで「金龍池」と名付けた。 数寸ほど出ていたので、淵の使者が出ている尾を斬った。すると、急に穴中から泉が湧き出てきてや 劉淵がそれを怪しんで、彼をつかまえようとしたので、蛇の姿のまま山の穴に逃げ込んだ。ただ尾が 城を築けばすぐに完成するというおばあさんの言に従うと、言った通りに実現した。 応募して、蛇に変身した。おばあさんには自分が通った跡を灰で目印を付けさせた。灰の印に沿って 平陽(河南省信陽県の南)に城を築いていたが完成せず、築城ができる者を募集した。撅児がこれに たところ、赤子が生まれたので、「撅児」(蛇の化身)と名付けた。その子が四歳になった時、劉淵が 記事:永嘉年間(晋の年号、三〇七~三一三年)に、韓というおばあさんが、野原で大きな卵を見つけ育て 人物:劉淵。匈奴の出で、晋の時に前漢を建てて平陽に都を置く。永嘉の乱の主導者である。 金龙池 ・

(24)

メモ:卵から子供が生まれるという特異な出生、四歳で蛇に変身して築城を手伝う。その後、山中に逃げ込んだ穴から水が湧き出し、池が造られる。

22  【巻十四】

  羽衣の人(

349)

・ 刀穿任谷阴下

記事:東晋の永昌年間(三二二~三二三年)に曁陽(江蘇省)の仁谷という男(後に宦官になる)が、耕作の途中に樹の下で休んでいた。そこに突然一人の羽衣を着た者が現れ、近づいてきて仁谷を犯した。その者はやがて姿を消し、仁谷は妊娠してしまった。のちに、臨月を迎え出産しようとする時、羽衣を着た男が再び現れ、刀で仁谷の下腹部を切り裂き、一匹の蛇の子を取り出すとすぐに立ち去った。仁谷はそのまま宦官となり、宮殿に行って自らその話を述べて宮中に留まることとなった。出典:『晉書』卷七二「郭璞傳」メモ:宦官となった男の出世譚に蛇が関わる。

23  【巻十七】

  脳の中の蛇(

412)

てきたので、手ぬぐいで鼻と口を防いだが、またしても入り込まれてしまった。何年か経ったが、大 たさを感じた。頭の中では何かをすするような音が聞こえ、数日経つと出て行った。やがてまたやっ がきた時には、まず臭いがして、すぐに鼻から入り、頭の中でとぐろを巻き、深い水の中のような冷 曲阿県(江蘇省)の秦瞻という男の前に、突然、蛇のようなものが現れ、頭の中に侵入してきた。蛇 記事:蛇に関する怪異の記事である。 蛇入人脑 ・

(25)

きな病にはかかることはなかった。ただ、頭が重いだけであった。出典:『太平御覧』九三四に引く『捜神記』、『太平廣記』四五七に引く『廣五行記』

24  【巻十九】

  大蛇を退治した娘(

440)

記事:東越の閩中郡の庸嶺という高さ数十里の山の北西にある沢の中に、長さ七 場所:閩中郡(福建省) 人物:寄という李誕の一番末の娘。 李寄斩蛇 ・

・ 八丈、胴が十囲余りの大

きさの大蛇が住んでいて、以前から地元の人たちに恐れられていた。牛や羊を用いて祭っていたが、それでも効果がなかった。ある時、大蛇は誰かの夢に出現することや、巫祝に乗りうつることで、十二

・ 三歳の娘を要求してきた。都尉と県令は共にこの状況を憂いたが、災いは止まらず、身分の低い

家の娘や罪人の家の娘を尋ね求めては、八月一日の祭の時に蛇の穴の入り口に娘を送り届けた。毎年、合計九人を要し、蛇が出てきて娘たちを呑み込んだ。将楽県の李誕の家には、娘ばかり六人いて、息子が一人もいない家庭だった。その中の「寄」という名の一番末の娘が、生贄の求めに応じて行くことを志願し、両親に役立つ事柄だと説得したが両親は許さなかった。だが、寄は自分でこっそりと家を出て、いい剣と蛇を噛む犬を求めた。八月一日になり、廟の中に入って座った。剣を懐に忍ばせ、犬を引き連れた。まず、数個の餅を丸めて蜜と麦粉をかけた物を穴の入り口に置いておき、蛇がその臭いを嗅いで食べ始めたところで、寄は犬を放ち、その犬は蛇に噛みつき、寄も後ろから斬りつけた。蛇は痛みのあまりのた打ち回って死んだ。寄は穴の

(26)

中で九人の娘の髑髏を見つけ、それらに向かって「あなたたちは弱虫だから蛇に喰われてしまったのよ。本当に哀れなことね」と言って、悠々と歩いて帰った。越王はこの話を聞き、寄を呼んで后にし、その父親を将楽の令に任命し、母親と姉たちにも褒美を与えた。それ以来二度と東冶に妖怪が現れることはなかった。その歌謡は今でも残っている。出典:『北堂書鈔』一二二、『芸文類聚』九四、『法苑珠林』四二『太平御覧』三四四、四三七、四四一、九〇五の『捜神記』、『太平寰宇記』一〇一の『坤元録』メモ:犬が妖怪退治の補助として現れる。今回は化けている妖怪を見破るのではなく、犬が蛇を直接攻撃する。この説話は、日本のヤマタノオロチの伝承と関連がある。

25  【巻十九】

  司徒府の大蛇(

441)

・ 司徒府大蛇

記事:晋の武帝の咸寧年間(二七五~二八九年)に、魏舒(晋の人、弓の名手として知られる)が司徒の職に就いていた時、役所の中に長さ十丈くらいの大蛇がいて、執務室の平らな垂木の上に棲んでいた。ここ数年間居続けたというが、そのことに誰も気が付かなかった。しかし役所の中で、よく子供や鶏や犬の行方が分からなくなるので、不思議に思われていた。ところがある夜、その中の一匹が下りてきて柱の脇を通りぬけようとし、置いてあった刃物で負傷をし、その傷がもとで垂木に上がれなくなった。それで子供らの行方が分からなくなった真相が判明し、手勢数百人を動員し、長時間攻め立て、ようやく退治した。蛇がいたところを調べると、軒いっぱいに骨が散らばっていた。そこで役所を取り壊し、改めて建て直したのであった。

(27)

出典:『太平廣記』四五六に引く『捜神記』、『晉書』卷二九「五行志」下、『宋書』卷三四「五行志」五メモ:大蛇が子供や鶏

・ 犬も食い殺す説話である。

26  【巻十九】

  揚州の二匹の蛇(

442)

・ 二蛇化老翁争山地

記事:蛇に関する怪異の記事である。漢の武帝の頃(大体紀元前九十年代)、張寛が揚州(安徽省)の刺史(知事)となった。これより以前から二人の老人が山地を争っていた。州の役所にきては境界の訴訟をしていたが、何年間も決着しなかった。張寛が着任すると、二人はまたやってきた。寛が二人の老人を観察して、姿形が人間ではないと感じたので、そこで兵に武器を持たせて引き立ててこさせ、「お前たちは何の精だ」と問い質した。老人たちはすぐに逃げ出した。寛が叱りつけこれを打つと、二人は二匹の蛇に姿を変えたのである。出典:『太平御覧』三五三、『太平廣記』四五六に引く『捜神記』、『北堂書鈔』二五、『太平御覧』三六二に引く『益部耆舊伝』

27  【巻十九】

  孔子と大鯰(

445)

男の鎧のひだ(魚の鰓の部分)が、たびたび開き、隙ができるのを見て、「どうしてそのひだをとり 持ち上げて抱えた。子路は、この者を庭に引き出して戦ったが、なかなか倒せなかった。孔子はこの を纏い高い冠を被り、雄叫びは地を揺るがすほどであった。子貢が何者かと問うと、いきなり子貢を 記事:孔子は陳で受難の時、旅館で琴を奏でていた。すると夜中に何者かが現れた。身長は九尺余り、黒衣 孔子论五酉 ・

(28)

引っ張って登らないのか」と言った。子路が言われた通りに、そこを引いて地に倒した。相手を見るとなんとそれは大鯰で、九尺余りの大きさだった。孔子は「この魚はどうしてここにやってきたのだろうか。ものが老いると様々な精が寄りつき、人の衰えにつけ込んでやってくると聞く。これがきたのは、私が災難に遭って食糧も絶え、従者が病気になったことによるのだろうか。六畜(牛

・ 馬

・ 羊

・ 鶏

・ 豚)や亀

・ 蛇

・ 鱉

・ 草

・ 木の類は、長く生きるとみな神が宿り、妖怪になる。それ故これを

『五酉』という。五酉とは、五行の法則で、皆それぞれに妖怪となる。酉とは老いを言い、ものが老いると怪をなすが、これは殺してしまえばそれで済むので、恐れることはない。或いは、天がまだ道義を滅ぼそうとせず、この魚で私の命を繋ぎとめようとしたのだろうか。そうでなければ、このような怪異は起こりえない」と言った。そして絃歌することをやめなかった。子路は大鯰を煮て食べたが、味はよく病気の者は元気になった。そして、翌日出発することができた。出典:『法苑珠林』四三、『太平御覧』八八六、『太平廣記』四六八に引く『捜神記』メモ:孔子たちが陳で鯰に襲われたが、孔子の閃きでこれを倒し、その鯰を食べて食不足が満たされ、そのうえ病人もこれを食べて回復し、翌日、出発できたという説話である。この説話と関連するものとして、以下の文献がある。

  

  「孔子が陳

の間に在るを聞き、楚、人をして孔子を聘せしむ。……陳 ・ 蔡

つ莫し。」 く、……乃ち相與に徒役を發し、孔子を野に圍む。行くを得ず。糧を絶つ。従者病むも、能く興 の大夫謀りて曰 ・ 蔡

(29)

      (『史記 』「孔子世家  第十七」)

  

  「衛

の靈公陳を孔子に問う。……明日遂に行る。陳に在りて糧を絶つ。従者病みて、能く興つ莫し。」

      (『論語 』「衛靈公  第十五」)

28  【巻二十】

  隋侯珠(

453)

・ 隋侯珠

記事:隋県(湖北省)を流れている溠水のほとりに、断蛇邱がある。昔、隋侯(周の諸侯)がここを通りがかった時、傷つけられて胴体の切れた大蛇を見て、蛇に霊的なものを感じ、供に命じて薬を塗り包帯をして繋いでやると、蛇はやっと動けるようになった。そこで、この場所を「断蛇邱」と呼ぶようになった。一年余り後、蛇が明るく光る珠をお礼の印に銜えてやってきた。珠は直径が一寸余り、純白で夜には光を放った。まるで月光が射しているかのようで、部屋を照らすことができた。そこでこの珠は、「隋侯珠」

・ 「霊蛇珠」

・ 「明月珠」と呼ばれている。丘の南には隋の季良大夫の池がある。

出典:『藝文類聚』八四、九六、慧琳『一切經音義』二八、『太平御覧』八〇三、『太平廣記』四〇二、『事類賦』注二〇、二八に引く『捜神記』メモ:大蛇の報恩譚である。

29  【巻二十】

  忠犬  その二(

458)

・ 快犬救主

場所:呉の地方

(30)

記事:太興年間(三一八~三二一年)、呉国の華隆という人は、「的尾」という足の速い犬を飼っていて、いつも一緒に連れていた。ある時、華隆は川辺に出かけ萩を刈っていたが、大蛇に巻きつかれてしまう。的尾は勇気を出して蛇を咬み殺したが、華隆は倒れたまま意識は無かった。的尾は華隆の周囲を鳴きながら駆け回り、船まで走って戻り、そしてまた草むらに戻った。この的尾の様子を怪しんだ華隆の従者たちは、的尾の後についていき、華隆が気絶しているのを見つけて、家に連れ帰った。的尾は華隆が心配で食事をしようとしない。ついに華隆が意識を取り戻したところ、ようやく的尾は食事し始めた。そうして、華隆は親戚と対するように的尾を可愛がった。出典:『太平御覧』九〇五、『太平広記』四三七の『幽明録』メモ:説話「

犬という図式である。 440」にもあるように、大蛇が人に巻き付く、それを忠犬が噛み殺す。人を襲う蛇と、人を守る

30  【巻二十】

  蛇のたたり(

462)

・ 大蛇复仇

記事:呉郡の海塩県(江蘇省)の北の村に、陳甲という士人がいて、本籍は下邳(江蘇省)であった。晋の元帝の時、華亭(江蘇省)に移り住んだ。ある日陳甲が、東の野原の藪で狩りをしていた折、突然、長さ六

・ 七丈もある大蛇を見つけた。百石積みの船のような形で、黒や黄色を含む五色に輝き、丘の

麓で寝ていた。陳は即座にそれを射殺してしまったが、そのことは決して他言することはなかった。三年経ってから、彼は村人たちと狩りに出かけ、以前蛇を見つけた所にやってきた。そこで、同行の者に向かって「昔ここで大蛇を殺した」と話した。その夜、彼の夢に一人の男が現れた。黒い着衣、

(31)

黒い頭巾を被って、陳甲の家にきて言うには、「以前、私が前後不覚に酔っていた時、お前は理由もなく私を殺した。その時、私は酔っていたので、お前の顔を覚えてはいなかった。だから、三年間分からないまま放置した。だが、今日お前をとり殺してやる」と。陳甲は、はっと目を醒ました。翌日彼は、腹痛を起こして死んでしまった。出典:『太平廣記』一三一に引く『捜神記』メモ:霊力のある大蛇の報復譚である。説話「

39」では、幻術の名手が酔っ払って術が効かず、虎に食い殺される。説話「

なり殺される。人間も動物も酒の飲み過ぎは禁物である。だが、大蛇は復活して三年後に仇を取る。 た犬が、酔っ払って正体がばれて打ち殺された話がある。この説話でも、大蛇が飲み過ぎて前後不覚と 433」には、人に化け

31  【巻二十】

  蛇の仇討(

463)

・ 陷湖

記事:邛都県(四川省)に、ある老婆が、家は貧しく一人暮らしをしていた。食事の度、寝台周辺に、頭に角のある小さな蛇が出てくるので、老婆は哀れに思い食べ物を与えていた。蛇は次第に大きくなり、一丈余りの長さになった。ある時、ここの県の知事が所有していた良馬を、その蛇が呑み込んでしまったので、知事はたいそう腹をたて、蛇を出せと老婆を責め立てた。老婆が「寝台の下におります」と伝えると、知事はすぐにその場所を掘らせた。掘れば掘るほど穴は大きくなるばかりで、蛇の姿は見えない。知事は八つ当たりをして老婆を殺してしまった。すると、蛇は人間に乗り移って、「どうして私の母親を殺したのだ。母の仇を討ってやる」と知事を怒鳴りつけた。その後、夜毎に雷のような風

(32)

のような音が聞こえるようになって、四十日余りが過ぎた。町の人たちが互いに顔を見合わせると、みな驚いて、「お前の頭に、どうして魚がのっているのか」と言い合った。そしてその夜、四十里四方にわたって、町もろとも陥没して湖になってしまった。土地の人々は、これを「陥湖」と名付けた。ただ老婆の家だけは無事で、今でも残っている。漁師たちが魚を獲りに出掛ける時には、必ず立ち寄って宿泊する。風や波が出た時でも、この家のそばにいれば平穏無事であったという。風がなく波が穏やかな時には、今でも水没した町並みや楼閣が整然と並んでいるのが見える。現在水が浅くなった時には、土地の人々は水に潜り、かつての家の材木を取ってくる。それらは光沢があり漆のように黒い。今日ではもの好きな人が、それで枕を作って贈り物にするのである。出典:『太平御覧』七九一、『太平寰宇記』七五に引く李膺『益州記』、『太平廣記』四五六に引く『窮神秘苑』メモ:報復と報恩を兼ねた説話である。構成は説話「

内容の展開では、説話「 455」と同様である。優しい老婆、蛇、湖の出現という

348」とも似ている。

三―二

  「リュウ」

1  【巻一】

  琴高(

11)

ちうけよと弟子に言った。はたして琴高は赤い鯉に乗ってやってきた。そして、一月ほど滞在をし、 役人をやめて、明日、涿水の中に入って龍の子を捕まえるので、斎戒沐浴し、龍祠を設けて水辺で待 あった。神仙の術ができ、冀州(河北、山西のあたり)周辺を、二百年以上も浮遊していた。その後 記事:趙(山西省)の琴の名手である琴高は、宋の康王(戦国時代の君主)の舎人(宮中の財政を司る)で 琴高入水取龙子 ・

(33)

また水中へと入っていった。出典:『法苑珠林』四一の『捜神異記』、『列仙伝』上、『水経注』二三メモ:二百年以上も浮遊している仙人でも、龍の子は簡単には捕まらない。、水中の龍の子、仙人、赤い鯉と役者は揃っているが、結末はない。

2  【巻一】

  陶安公(

12)

出典:『列仙伝』(『芸文類聚』四 しんだ。 約束の日に、安公はこれに乗り、東南に去った。数万の町人が、事前に安を送る会を催し、別れを惜 鍛冶は天まで届いたぞ、七月七日に、お前を迎えに赤龍をよこすから」と言った。 天まで届いた。公は鞴の下に伏せて助けを求めると、すぐに赤い雀がやってきて、、「安公よ、お前の 記事:陶安公は、六安(安徽省)の鍛冶屋である。毎日火を使っていたある朝のこと、火の子と共に紫炎が 陶安公骑赤龙 ・

・ 七八

・ 八〇引)

メモ:赤龍は、全身の鱗が真っ赤で、太陽や火山から生まれたとされる。口内からは灼熱の炎を吐き出す。紅龍ともいう。五行では赤は南を位置する。赤龍は、朱雀と同様に、南方を守護する神聖な龍とする説がある。鍛冶屋の炎も赤いし、この説話は「赤」がキーワードとなっている。

3  【巻二】

  失せた神通力(

39)

記事:「ヘビ」の欄を参照。 鞠道龙说黄公事 ・

(34)

メモ:龍は登場しない。人命の一部に龍が含まれる。

4  【巻三】

  妖蛇のたたり(

63)

・ 郭璞筮病

記事:「ヘビ」の欄を参照。メモ:災禍は天に昇ると消滅するようである。その一つの現象として鳥が屋上を飛び回る。蛇は空を飛べないので、龍がそれにとって代わって天空へと昇るのであろう。

5  【巻四】

  華山神の使者(

77)

メモ:秦の始皇帝のことを祖龍と呼んでいるだけである。龍は、美称或いは尊称であろう。 秋後傳』、『琱玉集』一四 出典:『史記』卷六「秦始皇本紀」、『漢書』卷二七中之上「五行志」第七中之上、『論衡』二二の紀妖篇、『春 紙を預かる。それを渡した翌年、始皇帝は亡くなった。 山は陝西省にある、五岳の一つの西岳)を名乗る者と出会い、鎬池(長安の西南の池)の神に渡す手 記事:秦の始皇帝三十六年(前二〇九年)鄭容が旅の道中、華陰県(陝西省)にきた時、華山神の使者(華 郑容捎华山使之书 ・

6  【巻六】

  竜の誕生(

109)

周烈王六年(前三七〇年)に、林碧陽君の夫人の侍女が、二匹の龍を産んだ。 記事:この話は主人公や占卜者はいなくて、人と龍に関する怪異の記事である。 人产龙 ・

(35)

出典:『法苑珠林』の『捜神異記』、四部叢刊本『今本汲冢紀年』メモ:二匹の龍を生んだ経緯は不明だが、龍も人から生まれる場合がある。

7  【巻六】

  竜が喧嘩をすれば(

112)

メモ:龍の喧嘩は、民衆の心が安らかでないことの徴として起こるとする。類似した話に、説話「 下之上 出典:『法苑珠林』四二に引く『捜神記』、『春秋左氏伝』昭公十九年、『漢書』卷二七下之上「五行志」第七 京房『易伝』には、「民衆の心が安らかでないと、その徴として龍がその村で闘う」と言う。 魯の昭公十九年に、龍が鄭国の時門(城門の名)の洧淵で闘っていた。劉向は、これを龍の禍と見る。 記事:主人公や占卜者はいなくて、龍に関する怪異の記事である。ただし、劉向の評論が加えられている。 時代:魯の昭公十九年(前五二三) 龙斗 ・

は洧淵という固有名詞を挙げている。水と空が龍の活動の場である。 る。蛇の場合は跡継ぎに疑いがある時に起こるとする。喧嘩の場所は蛇と同様に門の近くだが、龍で 111」があ

8  【巻六】

  井のなかの竜  その一(

118)

の中に現れるという異変が起こる」と言い、また、「刑罰を乱暴に行なえば、予兆として黒龍が井戸か れ、二日後の乙亥日の夜に去っていった。京房の『易伝』には、「徳ある人が迫害されると、龍が井戸 記事:漢の恵帝二年(前一九三年)の正月癸酉日の朝、蘭陵県(山東省)のある井戸の中に、二匹の龍が現 龙现井中 ・

(36)

ら出てくる」という話がある。出典:『法苑珠林』四二に引く『捜神記』、『漢書』卷二七下之上「五行志」第七下之上メモ:黒龍は、鱗が黒く、前足が二本しかない。黒龍は、そのイメージから災いをもたらす邪悪の化身として描かれることが多い。この説話では、井戸の中に現れる龍なので、黒龍としたのであろう。

9  【巻六】

  草の怪異(

161)

・ 草作人状

記事:「ヘビ」の欄を参照。メモ:草の異変例として、人や蛇や牛などと同様に現れる。乱の前兆を表意する。

10  【巻六】

  木が血を流せば(

169)

記事:建安二五(二二〇)年の正月、魏の武帝(三国 树出血 ・

・ 魏の太祖、曹操のこと。字は孟徳。沛国譙県(安徽

省亳州市)の人)が洛陽に建始殿を建てた。濯龍(濯龍園。洛陽にある庭園)の樹を伐ったところ、血が出た。また梨を移植したところ、根が傷ついて血が出た。魏の武帝は、このことを縁起でもないと嫌悪したが、その後病床に臥し、この月に崩じた。この年は魏の武帝の黄初元年となった。出典:『後漢書』「五行志」二の注に引く『魏志』、『三国志演義』巻一「武帝紀」の注に引く『世語』および『曹瞞傳』、『晉書』巻二八「五行志」中、『宋書』巻三二「五行志」三メモ:『三国志』及び『宋書』では、「濯龍」の下に「祠」の字がある。濯龍の木を伐ると血が出て、移植した木からも血が出る。木から血が出る話は、説話「

418」がある。

(37)

説話「

て病に倒れるという件がある。 は呪いなど信じておらず、「呪うなら私を呪え」と最初の一太刀を入れ、最終的にはそれから程なくし た。しかし、建造物に必要でふさわしい大きさの木材であったため、伐り出すことを命令する。曹操 『三国志演義』では、この木が神木であることは事前に分かっていたので、職人は伐るのを渋ってい 悪した曹操がそれがもとでまもなく倒れて死ぬという内容である。 418」では、祟りがあるわけではなく、更に血が出た原因も明らかであった。この説話では、嫌

11  【巻六】

  鵲巣鳩居(

170)

『宋書』卷三二「五行志」三 出典:『法苑珠林』八七に引く『捜神異記』、『三國志』卷二五「高堂隆傳」、『晉書』卷二八「五行志」中、 記事:青龍というのは年号の名前に出てくる。 鹰生燕巢 ・

12  【巻七】

  馬の紋様の石(

179)

・ 开石文字

記事:漢から魏が興る予兆として、龍が現れる。だが、説話「

麒麟や鳳凰 161」のような現実的な動物たちとは異なり、

・ 神仙など神秘的なものと一緒に現れる。

出典:『魏志』三の注に引く『捜神記』、『魏志』三の注に引く『魏氏春秋』、『漢晉春秋』、『晉書』卷二七「五行志」、『宋書』卷二七「符端志」上メモ:説話「

161」と軌を一にする。

(38)

13  【巻七】

  井のなかの竜  その二(

183)

それは、後に地方の王が争うことや、「龍」の字を持つ者が悪事を起こす予兆となる。説話「 メモ:二匹の龍が帝王の威儀を示す御物が納められた武庫の井戸の中に現れる。 出典:『晉書』卷四五「劉毅傳」、卷二九「五行志」下、『宋書』卷二八「符瑞志」中、卷三四「五行志」五 のことで、二人とも帝王を称す)が、天子の神器を盗んだが、二人の字は、龍であった。 て、地方の王が互いに傷つけあった。さらに、二十八年後には、果たして二人の異民族(石勒と石虎 に保管する場所であり、その建物は奥深く静かで、龍が住むはずのない場所である。それから七年経っ 記事:晋の太康五年の正月に、二匹の龍が武庫の井戸の中に現れた。武庫は、帝王の威儀を示す御物を大切 二龙现武库井中 ・

き継ぐ。 118」を引

14  【巻七】

  宮中に現れた男(

203)

メモ:この門から侵入し、更には門衛が気が付かなかったことが、宮室が空虚になる予兆だとされる。 出典:『晉書』卷二九「五行志」下、『宋書』卷三四「五行志」五 記事:宮中に入る門の名前に「龍」が入っている。 贱人入禁被斩 ・

15  【巻七】

  人間が異種の子を生めば(

208)

鳥を一羽産んだ。『京房易伝』には、「人間が人間以外のものや人の見なれないものを産むのは、すべ 記事:晋の永嘉五年(三一一年)、枹罕県(甘粛省)の知事である厳根の妾が、龍を一匹、女の子を一人、鵝 婢产异物 ・

(39)

て天下大乱の前兆である」とある。ちょうどその頃は中国全体が内乱状態で、皇帝は異民族の反乱でつかまり、殺されてしまった。出典:『晉書』卷二九「五行志」下、『宋書』卷三四「五行志」五、『獨異志』上メモ:妾から龍が生まれる。説話「

説話「 内容が複雑である。これは天下に大乱が起こる前兆だとする。 109」では、侍女が龍を生む。ここでは、龍の他に女の子と鵝鳥も生んで

出世はしたが、最後には宦官によって殺される。 347」では、竇武の母が、彼と一緒に蛇も生んだ。そこでは吉兆だとしている。しかし、竇武は

16  【巻八】

  舜帝(

227)

メモ:川のほとり、玉の暦、龍の顔、天命が下るという流れの構成となっている。 『孝經援神契』 出典:『初學記』九に引く『捜神記』、「舜龍顔大口」以下の事は『初學記』九および『藝文類聚』一一に引く 記事:聖天子舜の顔が龍に似ているという話である。高貴な人を尊称して「龍」を冠せた。 舜耕历山 ・

17  【巻八】

  太公望(

229)

人物: 吕望钓于渭阳 ・

功により、斉に封ぜられた。太公望ともいう。 呂望、太公望呂尚。字は子牙。周の賢人で周の文王に見出され、文王を助けて殷を滅ぼした。その ・

周の文王。武王の父で昌という。西方諸国を従え、西伯ともよばれていた。生まれながらに徳があ ・

参照

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