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人生福祉学の構想 その(6)

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(1)

、㌧1[E人学礼会福ネ{i二研究所年報 創fl」1 J−(1999) 35〜74

人生福祉学の構想 その(6)

人間福祉の援助過程

杉 本 一 義**

 はじめに

1 人間援助の実践展開 肛 援助方法の討議内容 田 人生福祉の援助方法  あとがき

はじめに

 ケースワークは社会福祉の分野における基礎的な援助方法であり,カウンセリングは,どち らかというと教育や心理の分野における援助方法である。これがこれまでの常識であったと いってよかろう。ところが近年においては人間生活のさまざまの分野に援助方法としてケース

ワークやカウンセリングが導入され,援助過程で,それぞれの分野における制度事情から,あ るいは現実のニーズによって,時と場合により,ケースワーカーもカウンセリングの技術を,

またカウンセラーがケースワークの技術を用いる,つまりそれぞれにカウンセリング的,ケー スワーク的な行動をとる,あるいはとらざるを得ないこともあり,そのために,両者を明確に 区別することが容易ではなくなっている感がある。

 本稿では人間福祉の援助過程の研究として,ケースワークとカウンセリングにつき三十有余 年に及ぶ援助活動の中でいろいろな面でこころに残るケースの一つである,r限界状況にある 人:への援助の実践事例を取り上げ,そこで展開された活動内容を検討しながらケースワーク

とカウンセリングの考え方を比較し,人生福祉という視座から社会福祉における人間形成の援 助方法のあり方を探究することにする。

 限界状況とは,哲学者ヤスパースの用語で極限状態とも訳されている。すべての人間が避け ることのできない,それゆえに引き受けて生きるほかはない状況のことで,彼はそれを  ① 歴史的規定性の限界状況ll

*Helping Process of Human Welfare

**Kazuyoshi SUGIMOTO 立正大学社会福祉学部人間福祉学科

キーワード:限界状況,自己決定,想像的同情,精神の技術化,技術の精神化        一35一

(2)

ノ:1 人1}tf 1{1・会h,,iイ}1{りP《{コリiイド幸艮  ∫yl!ll)]   1999/

 2  タヒ, [Yr, ノ∫r, ⊥㌦ノ)口乏界4人ニカ己

 3 自分のいるili:界と自分O)イ∫:イEか問λ)れ.るような限界:[犬況

の3つに分けている それらは実存の自覚を掘りトける究極の契機となり,じ体的な個と[て の実存がいかなるものか,つまり実存の真実が開示される

 ここで,このような事例を取りEげたのは, 呂二難において顕わになる人川¶の問題こそは,

人間福祉,人生福祉への探求心を煽って止まない との切実なる問題意識からである 若引1 に全人格を拠一)て実践した実践活動を再検討し,人生福祉学体系化への布石の・一つに(ようと するものである

1 人間援助の実践展開

 限界状況の人への援助

 人間の牛死を左右するような重人な場面で,一人の人間が一一人の人間に対して援助的である とはいったいどういうことであろうか.、この場合,ケースワーカーとLては,具体的に何をど うすればよいか,呂二難にある人にたいして,いかなる態度で望むべきか、次はこうした問題意 識のもとに,実際に行われたケースワーク実践の経過記録の概要である、

 1.援助活動の過程

 ある日,突然,次のような電話がかか一,てきた IAL の身体の具合が人変悪く,弱りきって いるのに,どうしても病院へいこうとしないのです なんとかして,行くようにすすめてほし いのですが…… A氏の妻からである

 A氏は家族の者が病院に行くようにいくらいってもききいれない そればかりか,あまりい うと怒ってしまい,さっさと自分の部屋にこもってしまうというのである 知人が訪問して説 得したのだがどうにもならない ついには怒ってしまって,ものもいわない 知人の石こば負 えず,ケースワーカーに相談をもちかけることになった

 (1)関係の治療的水準3

 そこでケースワーカーが訪問した、ケースワーカーは家族の者に案内されるまま彼の部屋に 入っていった、A氏はふとんから半分起きLがり,きまり悪そうに,小さな声で どうも,ど

うも といったtt顔はドス黒く,はれあがり,まったく見るにしのびぬありさまだった       一・.36−一

(3)

ノぐ1福i[IF? :の構想1:杉本

 ヶ一スソー一カー.は,意気消沈{た友れな彼の姿を見て,なんヒ[}菓をか汁/:Lいのか迷一て Lまった そこで,これまで学んできたケースワーカークやカウンセリン〃の原川や力法につ いての知見を総動員しようと努めた しか1、,貝体的に何をとう1たらよいのか行き品ま )て しまった ただ,だまって彼の胸のうちを思いやりなから,Lばらくは,じ )しそばに座、て いる以外に,なすすべはなかったのである

(ケースワーカーの発言の機が熟す1

 しばらくして,やっと一、 i 大変ですね一1とIi 葉をかけて,反応をみたが,彼は目を斜め ドにおとしたまま返答しない また少し間をおいて,[どうしたらいいでしょうかね,とつけ加 えた.や一,と0)思いで,これだけのことがいえたのである しかしいっこうに反応らしきもの はなく,彼は、ただ,心配そうに考え込んでいるふうだった

 沈黙の時間が流れた

 この間中,ケースワーカーはいろいろな場面を想tw Lて,自問した 人Lli:をとって病院に行 くようにすすめてみたところで,果たして応じるかどうか,また,ド丁なことをして,あたか もかたつむりが殻にこもってしまい,心を閉じて,手がつけられなくなってしまいでもする と,もっとやっかいなことになる「

 人生には,いくら話したくなくても話さずにはおれぬ時があり,また話したくても話せない

時がある、

 ケースワーカーとしては,この場合どうしたらよいか,あるいはどうすべきかと,いろいろ 考えをめぐらしながら,時期の熟すのを,むしろ控えllにして,じっと待っていた この場合 は,相手の方から話しかけてくるのを待つ以外になすすべは見当らなかった

 しばらく沈黙の時がながれた……、

 (2)関係の教育的水準

 2,3分たって,(もっと長く感じられたが)かれの力から,ようやくポツポツと弱々しい声 で語りはじめた

 ケースワーカーは,極力控えめな態度をとって,じっと彼の話に傾聴したのだった する と,彼は 実をいうと医者に行くのが恐いのです、診断の結果を聞くのが恐ろしい…… とい

うのである.

  医者に行けば,きっと,入院せよといわれるにちかいない それが恐いのです… 入院す ると,仕事もできなくなるでしょう 生活が人変だじ・…−1

 「入院して働けなくなると収入が人らなくなるのが心配なんですね とケースワー一カーがい うと,しばらくして,かれはいった、

1それに,手術ということにでもなれば……

手術になるともっと大変だと,.

      37 一

(4)

、ン」}:人学杓会福祉研究所年報 創i]ll∫(1999)

もう助からないんじゃないかと思うのです…… と,消え人るような声でいう.

ケースワーカーは,この問中,つぎのようなことを真剣に考えていた.,

 (3)人間存在の理解の仕方

 人問は,いつかは死ぬ存在であり,死に向かって生きるイ∫二在である。しかも,人間の生命 は,1回限りである、いまこうして相対しているこの場面は二度と展開されることがないので

ある,

 そんなことを深く考えていくと,助言や,忠告は簡単にはできない,かれをむりやり病院に 連れていって結果がよければいい.けれども,もし万一,うまくいかなかったらどうなるだろ

う それかといって,このまま放っておいたらどうなるか,それも心配である。

 ケースワーカーはそんなことをじっと胸のうちで考えつづけていた.

 1回限りの人生,やりなおしのきかない人生の時の流れの中で,しかも一人の人間の運命に かかわる項大場面で,一体ケースワーカーは何をなしうるというのであろうかtコ

 ケースワークは,苦難にある人びとへの援助の方法である.このケースワークでは,「自己決 定1ということを基本原理としている、,自分の問題についてはT自分で決定するというわけで ある,n分で自分の進むべき方向を定め,自分で責任をとるように援助していくのがケース ワークの基本的なあり方である「そんなことを考えながら,じっと彼のそばに座っていた。

 時間は刻々と経過してゆく。しばらくして,思い切って,つぎのようにいってみた。..もし病 院に行かなかったら,どうなるんでしょうかね一」[…………{

(応答の機が熟す)

 彼は,しばらく考え込んでいたが,1病院に行ってみます,と閉じていた口を開いた.この返 事で,ケースワーカーは,ほっとした。本当に助かったような気持ちになった/nこうして,A 氏は自分自身の決断で,病院に行ってみることになったのである。

 (4)決断(自己決定)させたものは何か

 ケースワーカーは,彼の気持ちが変わらないようにと祈りながらおいとましたのだった。翌 日,気がかりだったので,電話をしたが不在だったので,訪問してみた。

 家には祖母がいて心配そうな顔をしていた。様子を聞くと,彼は入院したとのことだった。

 すぐに病院に問い合わせたtt彼は診察を受けるなり,入院2ヵ月をいいわたされ,目下酸素 吸入中,絶対安静とのことだった。そしてもう一日遅かったら生命が危なかったかもしれない

とのことであった。

 病名は心房中核欠損,すなわち心房の間の膜に穴があいていて,無理をすると動脈と静脈の 血が入り交じり,たちまち呼吸困難におちいって,死に至ることもあるという大変な病気だっ        .・−38一

(5)

人牛福祉学の構想(杉本)

たのである.

 1ヵ月後のある口訪問してみると,彼は症状もとれて,かなり回復に向かっている様『だっ た,そして次のようなことを話した.

イ 入院して本当によかった,、

ロ もっと早く入院すればよかったと思っていた、

ハ 実をいうとケースワーカーがもっと早く入院をすすめてくれればよかったのにと(人院し  てから二〜三日後,診断の結果,手遅れかも知れないと感じた頃から)恨んだこともある.

二 まだ,完治するかどうかわからないv病気の原因もはっきりしていないので}:治医に本当  のことを聞きたい。

 それから,彼とも相談して,主治医にあって病状を詳しく聞いてみることにした、ところ で,主治医の話してくれたことは,だいたい本人がすでに知っている範囲のことだった、彼は 医学書まで読んで,いろいろと勉強していたn

 ニヵ月後,自覚症状もとれて退院も間近いある日,手紙がきた、ぜひ相談にのって欲しいと のことだったので訪問した。

 相談内容はこうである。医者は,手術しなければ全治しないといケつまり心房問の膜に穴 が開いているわけだから,手術をしてそこをふさがないことにはどうにもならないというので ある.ところで,その手術自体が危険を伴っているので,どうしたものかと思案にくれている とのことだった。彼がいうには,ここの病院では内科の方ぱかなり技術が進んでいるが,外科 の方がそれについていけないのだという。これまでにも何人も死んでいるので心配だというの

である。

 (5)生命の根本問題

 そして「家内とも,いろいろ話し合っているんですが,なにしろここの病院は外科がたより なので……。手術の成功率は95%というけれども……95%といっても,あとの5%の方に入る 可能性は十分にあるわけですから……」

 「なるほど……。95%の方に入るか,あとの5%の方に入るか,あなたにとってはどちらに人 るかわからない……」

 「全く五分五分ですからね……]

 「ほんとうに重大問題ですよね……」

 それから,また1週間ほどして相談したい旨の手紙がきたので訪問してみると,彼はこうい うのである。

 「心臓外科では,東京に世界的な名医がいるので,そこでみてもらおうと思ってるんです

よ……」

  「東京ですか……」

       一.・39一

(6)

)川人学社会福イ1[研究所午報 創i,iP 」一口9991

  ノメ〃ゾパソ)うかと考えて,父!渡米中.にr一紙を川したら,心臓外科ではかえって日 本の方か寸すんでいるというものですから……

  なるほと……

 そして彼は,こんなに人変な病気だというのに何もしてくれない…… といって両親を恨 んでいた

 1週問後,様f をみるためにこちらから訪問してみた 東京での診断の結果は,いままでの ものと人差はなかったようである..東京の医者がいうには,手術はやはり危険が伴うので,家 に帰ってよく相談してみて,家族のなかに反対するものがいたらf 術は思いとどまるようにと のことだった

 それから,その病院では,人院のための部屋がA,B, C室と二段階にわかれており,A室 だとすぐに入院できるけれども,費用がなんと60〜70万円 1もかかるとのことeC室は安いの だか,申し込んでから1年間も順番がこないといケ.彼は,手術をするかしないかは別とし て,とりあえず申し込みだけはしてきたとのことである、,

 r一術の成功率が95%といえば,医師の側からすれば,高い成功率である、しかし,手術を受 ける側の本人にとってみれば,あとの5%の方に入らないという保障はどこにもない。彼に とっては,まさに生きるか死ぬかの,K分と五分のそれこそ生命がけの大問題なのであるtt  それに高額の費用をどうするかという問題もある、tそれほど財産があるわけではない。普通 のサラリーマン暮らしの彼にとっては経済的にも大変である

 つまり,彼は手術に伴う危険性に対≧る不安にさいなまれており,また治療費の問題にも頭 をいためていたわけであるtt

 こうして,目ドのところ,医師の診断はすべて終わっている したがって,いまや問題は医 療の領域から本人の決断,まさに,自己の生命にかかわる実存的状況の中で,誰でもない自分 自身と闘わねばならない領域にさしもどされているわけである、彼としては,経済的問題も含 めてt自分たちだけでは不安であり,また解決策も見当らず,夜も眠れぬほどだった。翌日,

再びケースワ…カーに相談したのだった

 ここで,ケースワーカーはどうすオ1ばよいか この困難な相談を受けて、71つワーカーの態度 はいかにあるべきか ワーカーとしては,改めて厳しく白分自身に問いかけなければならな か一ったのである

 ケースワークは,苫:難にある一人ひとりに深く心を寄せ,共感的に理解し,全人格をぶっつ けて援助的にかかわっていこうとする そうした個別L的なか塗わ竺あ上(関係)の[Pで,クラ イエントは強制されることなく自由に,自分自身への洞察を深め,自らの進むべき方向を決定 していくことになるのである ケースワーカーは,クライエントのそうした自己活動を側面的 に援助していくことを中心的な課題としている。

 1ヵ月後,訪問してみると,彼は,苦悶,熟慮,長考のすえ,手術を中止したとのことだっ た その理由はこうである/t

一一

40

(7)

人牛福祉学の構想(杉本)

イ 現在のところ自覚症状がとれていること.

ロ これまで生きてきたのだから,手術をしなくても,まだかなりの年数を生きられるに違い  ないttそれが手術をして,万一死ぬようなことにでもなればもともこもなくなるから……と  いうこと、

 家族の中で丁術に反対するものがいたこと,

二 医師とよく相談してやってゆき,無理をしないように心がけるようになっていること、

 そして,現在では,全治したようにすっかり元気を取り戻しており,新しい任地に赴き,職 責を果たすべく希望に燃えている。彼は,自分の人生の難関を…応,突破した 自分のすすむ べき道を,自分で切り拓き,力強い歩みを始めている

 もちろん,病気が全治したわけではない しかし,彼は以前と違って元気になり,身体には 1 分注意をはらうようになってきた「そして,医師の指示に従いながらやっていくようになっ た、そんな彼に人格変容を遂げていったのである,つまり,〔!己を冷静にみつめて自分の状態 を知り,そうした自分を受けとめることができるようになった、すなわち自己の実在を白らの 手で引き受けて生きていけるような人間に成長したといってよいであろう

2.実践過程の検討

 (D 活動内容の要点

 この間におけるケースワーカーとしての活動内容を検討整理するとつぎθ)通りである、.

① 積極的に好意をもった(positive regard)相壬を共感的に理解し好意をもつことによって  積極的な活動がはじまるわけである、、

② 家庭訪問をした.たびたび出かけていって,相手の利用できる場にこちらの身をおいた  (援助関係づくりの態勢)

③ 一対一の接触をもったtt〜対一で向かい合い,人格的な接触に心がけた、.(個別化・具体的  サービス)

④ 控え目な態度をとったc彼と相対した場面では極力控え目にし,相手の自己活動を助長す  るようにつとめる[t(用意して控えている)

⑤ 受容した。相手の言葉,態度をありのままに受け人れ一個の人格として尊透した.(受容)

⑥ 共存した。ただそばにいるのではなく,彼にも1共に在る一という感じを抱かせるように  つとめた。(共存)

      − 41

(8)

ドノ:【i{人学社会福ネ[}:研究所イ「報 創1:|」号(1999)

7 社会資源を活用した.たとえば病院を利用した.,自分の専門外,あるいは力量を越えるよ  うな問題の場合には,社会にある資源(病院)を活用した, t(社会資源の活用)

8.,関係を調整した 妻や両親などとの関係の調整につとめた。(関係の調整)

9.経済的な問題の相談、人院のための費用のことについてもいろいろと相談した。(具体的  サービス)

.⑩ 秘密を守った.援助活動の過程で知った個人的な事柄が周囲にもれないように気をつけ

 た,、(秘密保持)

⑪ 自己決定に導いた。そのつど,最後の決定は本人がくだし,その決定したことについて  は,本人が責任をとるように仕向けた。(自己決定)

 さて,自己の実存,運命を自分自身で引き受けて生きる勇気はどこからどのようにして生じ てくるのだろうか、

 以上の活動は全期間を通じてリッチモンドのケースワーク実践におけるように,基本的には 洞察と行為の交互作用で展開されたものである。

 ② ケースワークの本質  U) 自己との対決

 援助活動の全プロセスを通じて,ケースワーカーとしては,たえず自分自身の心のうちとた たかわなけれぽならなかった。つまり,〈自己との対決〉を要求されていた。たとえぽ,訪問 や相談にあたって,こんな時間に,あんな不便なところに行くのは大変だとか,今日は疲れて いるので明日にしようとか,もし万一失敗でもしたら大変だなどと,そういうことを思って自 分をかぽおうとする気持ちとたえずたたかわなければならなかった。

 つまり,その時こそは,ケースワーカーがケースワーカーとしての,専門家としてのあり 方,ひいては自らの,まさに1回限りの人生のあり方を問われていることになる。そして,そ

ういう問いかけがたえずなされることによって,ケースワーカーとしては,クライエントに対 して,いわゆる$務的な処し方やかるはずみの助言はできなくなるわけである。危機介入の ケースワークは,そうした自覚において展開されるものと考えられる。

 ② 相互関係的発展(成長)

 こうして,ケースワークは,クライエントだけの問題というよりは,ケースワーカーの側の 問題にもなっているわけである。ケースワークの特徴の一つは,それが,その根本において

ワーカーとクライエントの相互関係的な発展をめざすところにあるからである。つまり,クラ イエントの成長は,同時にワーカー自身の成長をも意味している。ケースワーカーは,その活 動を通じて自分自身の人生にとっても意義あるものを学びとり,専門家として,同時に自己の 人間としての成長をとげていくことになるからである。

 こうして,ただ相手のために何かをしてやるということだけではなしに,自分もそこから何        一42一

(9)

人生福祉学の構想(杉本)

ものかを学んでいくという,そういう相η1発展的な考え方が,人間相壬の㌧㌣:閂職業としての ケースワークの特徴の一一つとしてつけ加えられると考えられるのであろう

 ③ 相互主体牛活空間(5)

 この意味で,ケースワークは,もちろんワーカー中心の一方的な活動であってはならない が,それかといってクライエント中心のみであっても十分とはいえない いうならば両者中心 の援助的人間関係を媒介としたところの,相互のパーソナリティの成長・発達を目指す専門的 努力過程であるということができようttケースワークの終極口標は人間一人一人のk体性の確 立 自己実現一成長・発達の可能な相互主体的生活空間の樹立にあると考えるのである、、

II 援助方法の討議内容

 次は,近畿学生相談研究会(於関西大学)における論者(杉本一義)の基調講演(ケース ワークとカウンセリング)でとりあげたケース,「限界状況の人への援助|をめぐって行われた シンポジウムの録音記録を整理したものである。シンポジスドωは,石井完一郎,河合隼雄,深 山富男,杉本一義である。

〈石井〉

 ただいまから,「ケースワークとカウンセリングの関係1についてパネルディスカヅション を始めることにいたします。

 突然のご指名で,全く準備もございません。また大変立派な建物の中で,しかもこう見回し ますと歴代の学長先生が我々をにらんでおられます(会場の壁に関西大学の歴代の学長の写真 が掛かっている)ので,うっかりしたことも言えませんが,ベテランの先生もそろっていらっ

しゃいますので,お助けいただいて,フリーにお話を進めさせていただきます。

 蛇足ではございますが,年末には東京で,第5回全国学生相談研究会が開かれる予定でし て,そこでも1ケースワークとカウンセリングの関係」がとりあげられ,助言者として杉本先 生がご出席なされます、

 また,本口は学生部の方もたくさん参加されており,杉本先生の講演をお聞きになって,あ れだったら,私もケースワークをすでに行っていると,ご自分の活動に非常に密着した感情を

もたれたのではないかと思います、

 また,私自身,カウンセラーのつもりでいるのですが,他人からは1君のやっていることは 全くケースワークそのものだ といわれ,ケースワーカーかカウンセラーか,さっぽりわから なくなることもあります。本日ご出席のベテランの先生方に整理していただけたらと思いま

す。

 最初に自己紹介をお願いしたいと思います。

〈深山〉

 愛知学院大学の深山です。ただ今,石井先生からお話がありましたように,自分はカウンセ       ー43一

(10)

1

!Tl}、ノぐY 引幽会WFI}礼1・{り『グヒけ〒イト報  倉[1 i・1]膓ナ /1999)

ラーのつもりで仕事をしてきましたけれども,何だか,ケースワークのような仕事をやってい るのではないかと思ったりもします その状態をはっきりさせることは,それが自分の体験で

〔.かないので人変むずかしいと思っています しかしながら,現実には,カウンセラーとケー スソーカーは職能分化しており,また分化している児童相談所で,長年仕事をしてまいりまし た 私は個人的に,そのような職場で実際にぶつかった問題,直面した経験をもとにして,今

川のシンポジウムに参加したわけです

杉本ノ

 龍谷人学の杉本と申します、先程はあらけずりな話をお聞きいただいて恐縮しております.

現実にハ悩する学牛たちをどのように援助していけばよいか そこにはどのような方法が必要 なのか もしTそこにケースソークとか,カウンセリングとが必要であるとするならば,その ケースワークやカウンセリングとはどのようなものでなければならないか,原点に立ちかえっ て考えてみたいと思います よろしくお願いします

河合\

 大理人学の河合でございます 私は深川先生と同じように,カウンセリングといわれる仕事 をやってはいるのですが,本Hは,ケースワークのお話を聞かせていただけるということで喜 んで参加しました よいお話を聞かぜていただき非常に喜んでおります、

 私は学生相談という仕事をやっていまして,いつも思うことは,私は別にカウンセリングを やるためでも,またケースワークをやるためにも,今も仕事をしているのではなく,結局,学 生の厚生福祉ということを目的にしているのだから,私の前に座った学生のためになることな らば,どんなことでもやったらよいのではないかというなまくらな考え方でいます。しかし,

そういうなまけた考え方は,常識的に考えてあたり前のようにみえながら,やはりケースワー クとカウンセリングとはどう違うのか,どう関連するのかということを,やはり考えていかな ければならないし,なぜそんなことを考えねばならないのかということも,皆さんとのお話し 合いの中で明らかになってくれば……,と思っています、

<石井\

 それでは,後ほどご来場の皆様方の中からもこ発言いただくことに致しますが,最初に動機 づけという意味で,我々の中で杉本先生のお話をうかがって,いろいろ感じた問題点,感想め いたものから入っていったらどうかと思います、何か,ご所見をうけたまわりたいと思いま

く深山\

 実は杉本先生が先程ご紹介になったケースワークを,私は前にもうかがったことがあったよ うに思います、

 杉本先生は特にケースワークにおいて,クライエントと洪にある一,1何よりも共にある1 ということ,そういう趣旨のお話をなさっているのをしばしばお聞きしています。先程のお話 は大げさにいえば,感動させれるような一つのエピソードのケースであったように思います。

       一.44 .

(11)

人生福祉学の構想(杉本)

そういう意味で,たいへん印象に残るお話であったと思うのです

 もう一Jつ追加させていただきますと,お話の中に壬術の成功率95%というのがありました か,これが医師からみるとそうなのでしょうけれども,クライエントの側からみたら/[分il:分 である また場合によってE分五分ではなくて,反対に死ぬ率が95%というように感じていた

かもしれない,.

 その辺りのことは,もし数字で表現するのであれば,もっともっと暗かったのではないかと いう気がします.

 その程度で,のちほどおたずねがありましたら……、t

〈石井〉

 どうでしょう,河合先生。

〈河合〉

 そうですね,私も,先ほど申しましたように,非常にわかりやすく,明解なお話で感心いた しました,そこで,少し思いましたことは,今のケースのお話ですけれども,ケースワーカー の方が,病気で,病院に行かないその人を訪ねていかれた。ところが,病人は病院にはいきた くないということで,ケースワーカーは何をいってよいかわからない、,また,そのような事態 では何ともいいようがなく,じっと座っていたというお話を深山先生がとりあげられて,「共 にいる」といいますか,そういうことをいわれましたが,私も非常に感動致しました。そうい う時に普通の人間であれば,まあ我々に例えれば,自分の家内であれ,あるいはその逆であ れ,早く病院へいきなさいとか,あるいは……ここに座っていなさいとかいってfO  fl:いにけん かになってしまう。しかしこちらの意見をすぐにいわずに,むしろ,その人の気持ちを感じな がら,座っておられたということ,ケースワーカーとしての態度として,私も,なるほどなと 思ったわけです、t

 ところが,その最後のところで,その人が自分で決定して,[私は,病院へ行きます」といっ ています。ケースワーカーとしては,その気持ちが変わらないようにと思ってひきあげたとい

うところがあります.そこで,非常におもしろいことは,ケースワーカーは行って座っている 時に何もいえなかった。何もいえなかったということは,病院へ行かないほうがよいと思って いたわけでもないし行ったほうが……、

 結局,最後に本人が病院に行くと決定した時にさえいわなかった.気持ちが変わらないよう に祈ったということは,やはりそのケースワーカー自身も,この人は病院へ行ったほうがよい ということは頭の中にあったか,腹の底にあったと思いますね。そういうものを腹の底に持っ ているにもかかわらず,初めのうちは,それを出さないで座っていたという,その辺りのから みあいのところが,非常に私はおもしろいと思ったわけです。

 そこで私が申しヒげたいのは,ケースワーカーの場合には,今のお話を聞いていて,実際に 誰もホッとしたと思います,その人が病院へいくと決心した時,ホッとしたというのは,ああ よかったという感じがあるわけですttそれが,問題がもう少し複雑になってきまして,先程の        一.45 一

(12)

 IE大学社会福ネll:研究所年報 創刊号(1999)

手術の成功率95%の場合,その人に手術を受けるか,受けたいかと尋ねました時,私は,どち らを答えてホッとするかわからないと思います、その人が手術を受けると答えると,私はウン と思いますけれども,もし死んだらどうなるのだろうか,ご主人のことが心配で,奥さんがこ ちらにかけつけてこられたら……,という気がします。また,手術を受けないといわれると,

受けなくて,もし死んだら誰かがかみついてくるかも……,と思いますね。どちらに決まって も,ホッとしようがないという非常にぎりぎりの線になってきているわけです。

 ただし,そこで,杉本先生が強調されたく自己決定〉が入っているということが,非常に強 調されましたけれども,そのような場合に,このケースワークから,先程杉本先生がお話に なった例でいいますと,ケースワークからカウンセリング,それから心理療法へと入ってゆき ますけれども,そのようになればなるほど,こちらがいったいいつホッとしたらよいのかわか らない。あるいは相手が決めた時に,こちらとして,そういう気持ちが変わらないようにと思 えるか思えないかわからないということになってくる。

 そこで,極端ないい方をすれば,相手が家出をするということを自己決定したケースの場合 ですと,それはやはり困ると思います。相手が決定したとしてもそれは困る。それでもまたみ てみようというほど,こちらの態度が現在の社会的な規範から少しぐらいずれていても,まだ ついていくというところが,カウンセリングになると少し入ってくるのではないかということ も思いました/tこの点は,非常にむずかしいところでもありますし,それから問題になるとこ ろでもあると思ったわけです。(関係の治療的水準)

 そして,もう一?思いましたことは,我々,学生相談の仕事をやっている人間としては,深 いところと言うのは専門家に任せるとして,ケースワークの勉強をもっとやらないといけな い,もっとやらせてもらいたいということを非常に思いましたf/

 というのは,我々が実際問題としてやっていることは,非常にケースワーク的なことが多い わけですから,ケースワークプラスカウンセリングといいますか,カウンセリングプラスケー スワークというか,その辺りの領域を我々はもっと研究することが大事だということを思いま

した。

〈石井〉

 本日,私は司会者ということになっているのですが,事務局の方に1シンポジウムでは少し しゃべらせて欲しいので,司会者を他の人にお願いできないだろうか」と話しましたところ,

両方やったらどうだということになりましたので,これ以後は司会者を降りさせていただき,

司会者なしですすめさせてもらいたいと思います。

 ところで,杉本先生に少しおうかがいしたいのです。今のケースで,医者に行くのが恐いと 本人がいっているわけですが,そこまでいうまでが大変だったと思うのです。それから次に,

あなたが,カウンセリング用語でいえば,共感的理解に立ってですね,共感されながら,か つ,あなたの心の中で自問自答しておられたわけですね,そこから,その自己決定を助けるの はケースワークであるという原則も,あなたの頭の中にはチラチラされておった。

       一・46 一

(13)

人生福祉学の構想、(杉本)

 そこで極力自己決定を待っておられたわけですがね.ところがこの場合は幸いにして病院に 行ってみましょう,ということになったわけです。しかし実際には,学生の場合において,自 己決定を待っていて,そんなことをいっておられないケースにおいてですね,特殊な精神病者 を除きましても,病歴がないからそうだと思うのですが,病院へ行かないということで困る ケースがあるわけですね。そういう時は,ケースワーカーとしてはどういうようにご判断なさ るわけですかn

〈杉本〉

 本人が,自分から行かないということも,それはそれで自己決定と考えられるわけですね「

このケースでは私が訪問する前に他の人が何回か訪問を試みているわけです、だから私が行っ たからといって,私の力だけで自己決定したのかどうかは疑問ですttもちろん私の訪問した当 時はかなり行きたくない,行こうともしない気持ちが強かったかもしれない、というのは周囲 の人々も,それまで何度も行くように勧めていますが,聞き入れていないからです,、まあ,偶 然に私の対面中に気が熟したとも考えられます。

 ところが,どうしても行かない場合でも,やはりケースワークというのはそこから手を引い てしまってはいけないと思うのです。継続してやっていかなけれぽならない。たとえぽ,学生 なら学生が,あるケースワーカーのところへ卒論のことで相談にきたとしますね,そこで話し ているうちに,この卒論は何々先生の専門だからその先生のところに行きなさいといいます。

そして行く。しかしそこでも充分に納得のいかない場合がある。したがってこのような場合,

ケースワークはまだ続いているのです。また彼がケースワーカーのところに戻ってくるt/某先 生のところへ行ったけれども,ダメだったということで帰ってくる。そこで再び相談して,さ らに別な先生のところを紹介する。そういうことがずっと続いていくe

 そのように,一つのケースが続いて展開される。ケースワーカーは,それに何らかの形でた えずかかわっているというわけです。つまり,その過程において,いろいろな専門家にお願い することになると思うのです。社会資源の活用ということですね。

〈石井〉

 その場合,河合先生が指摘されたように,杉本先生としては医者に会わせたいと思っておら れたわけですね。しかしそこではそれをいうと,かえって逆効果にもなりかねない,そうとら れたわけですね。

 そういう時にカウンセラーだと1あなたは医者にいくのが怖いのですね」と,ロジャース派 は相手の感情も受容して,極力言語化していきますね。あるいは黙っている時には,[あなたは 何も話したくないのですね」と言語化する。そういうことによって自己決定を助けるというtt そこまではいくわけでしょう。

 どうでしょうか,黙って座っているだけではないでしょう。共存するということは,つまり 言語レベルでも共存していく,そこまで入っていくわけでしょう。そうするとカウンセリング

とあまり違わないということにならないですか?その場面に関しては……。

47一

(14)

泊E大学社会福祉ψ1究所年報 創fll号(1999)

〈杉本〉

 それはメアリー・リッチモンドの,1洞察1と[行為;の内容,つまりケースワーカーがどう 洞察するか,それに応じてどのような行為がなされるかということになるかと思います。した がってケースワーカー自身が,カウンセリングも学んできたケースワーカーである場合,ある いは心理学をやってきたワーカーである場合,あるいは教育学,社会学を専攻している場合な ど,その背景,それぞれの過去の経験,持ち味で異なってくると思います、そこでわたしであ れば他のカウンセラーか,あるいは医者にお願いしたかもわからないn

〈河合〉

 先程の訪問されたケースの場合ですが,カウンセリングと少し違うのではないかという気が するのです。客観的なカウンセリング場面は,ともかく向こうからくるわけですから。こちら から行くということは,病人の力がそこで先生と話をするだけで動機づけをあまりもっていな いかも知れない,その辺りで,先生のいっておられた普通のカウンセリングのような行動の仕 方ではやはり受け取りにくいのではないかeそういう感じを私は受け取りました。そこで杉本 先生がおっしゃる何もしないような形での「共にある]ということが,何か光ってくるような 気がするのです.

〈杉本〉

 私はその時,実は,訪問することを恐れていたわけです。彼は怒ってしまって,部屋に閉じ こもっているわけです.そこへ私が行くと,カタツムリが殻にとじこもってしまうように,

かっちりと自分の殻にこもってしまうのではないかと恐れたのですttどうしたら他人との関係 を絶たないようにできるだろうかと思案しました。それで,ひかえめに,おそるおそるその場

面にいたわけです、、

〈河合〉

 その訪問に関連して,少しお尋ねしたいのですがtt実際,訪問される場合には,訪問するこ と自体,その行為が相手にとって,受け入れられるのか,受け入れられないのか,ちょうどこ のことは,訪問販売の問題が社会問題になっていますが,何かそれに似たような問題が出るの ではないかと思うのです、その辺りのことは,私は実際に経験したことがないのでわからない

のですが。

〈杉本〉

 訪問自体の問題ですねLt

〈河合〉

 まあ,おしかけられたというような感じが。

〈杉本〉

 このケースの場合,訪問を受けることを相手は知らなかったわけです。奥さんは知っていま したけれどもttそこで,本人としてはびっくりしたと思うのです。そこで私はケースワーカー として,自分が専門家であろうとする場合に,自分の考え方,生き方,まあ人生観とでもいう        一48.・

(15)

人牛福祉学の構想(杉本)

ようなものが,どうしてもそこに出てくると思うのです、やむにやまれず,心配で,やはり訪 問しなくてはいけないという,それが自分の職務であるというような気持ちからですね、だか ら場合によっては相手の迷惑になっているようなことがあるかもわかりませんけれども……、、

〈深山〉

 こちらの内的な必然性がある。しかし,それが相手に,やはりなんらかの形で伝えるという のですが,こちらだけの一人よがりで終わっていたら,ケースワークにならないnその辺り は,どのようなことなのかt)そこで,狭い意味のカウンセリングしかやっていない者にとって は興味がでてくるのですけれども,どのようにそれがなるのかが,よくわからない.

〈石井〉

 だから,その場合に,ウイリアムソン流の考え方でいくと,カウンセリングの中に環境改変 ということが入ってきますから,訪問ということも人れておくわけですねuそうすると,ケー スワークとウイリアムソン流のカウンセリングとはあまり違いがないということになる。

 ただ,お話をうかがっていて違うのは,金を貸すというような面での具体的なサービスも環 境改変の中に入っているわけですね。しかしそこまではウイリアムソンもいっていないように 思います。そうすると,どういうことになりますかねtコ訪問の場合も,訪問カウンセリングと いうような言葉を使用することもあると思うのですがね。ビジティング・カウンセリングとど こが、どう違うかということですね。

〈杉本〉

 ケースワークの場合でも先方からやってくる場合もあります。向こうからやってくる,それ は直接本人がくるか,誰か代わりの人がやってくるか,要するに,先方からやってくる場合が ある。やってこなければ必要に応じてこちらから出掛けていくという,これは,こちらの勝手 な考え方になるかも知れませんが,たとえばパトロールカーであればですね。事件がなくても いつも巡回している。悩んだり,困ったりしている人からいつでも活用されうる場所に我が身 を置いておくわけです。そのような面が出てくると思うのです。

〈石井〉

 深山先生がおっしゃるのは,むしろ狭義の意味でのサイコセラピー,ないし,それに近いカ ウンセリングの場合ですね。

〈深山〉

 いわゆる河合先生がおっしゃたように,大学のカウンセラーと,それからケースワーカーと は,はっきり分化していることが多いのかどうか。私はよく知りませんけれども,多分あまり ないのではないかと思うのてす。

 ただ,そうすると,私はカウンセラーでございますということで,研究的にやっている人も いるかもわからない。もっといろいろな問題が入ってきて,それを受けて立つというようなこ とにも段々なってくる。その場合にはやはり,いわゆる狭い意味でのカウンセリングの考え方 などから展開していくのではなくて,もっと角度をかえて考えなくてはいけない状態ではなか        一.49−.

(16)

、㌦:【ll人学社会福トtl二研究所年報 創刊号(1999)

ろうかということなのです.そういうことでうかがっているのですが,

〈石井〉

 確かにですねtt私も人学でカウンセラーの一人ですが,時々,下宿で寝たまま医者に行くの が怖いという学生の訪問を余儀なくされるtt杉本先生と同じようなケースで,これは学生の ケースですが,尋ねていきますと,相手が医者に行くのが怖い,そこで,そのような場合に学 牛の行きたくないという気持ち,あるいは恐怖というものを受容して言語化していく.そして 方では,医者にいった方がよいではないかということも考えている場合に,それをコング ルーエントという点で,非常な言語的なレベルでの共存をはかる方が強いですね。

 そこで,杉本先生のお話では,その実践が全身ぐるみであって,あまり言語的なものが強く 印象づけられていない.ケースワークの方が全身を露呈するのに対して,カウンセリングの方 は,言語的レベルのうしろに自分をかくしておける、まあ1亨語的レベルで一応やっていけない ことはない,tだから,ケースワークの方が怖いというような感じがしますね.

 それからもう一つは,訪問した場合には,どうしても依存性を高めますから,ケースワーク 的な努力をしてから,本来の面接に移すと非常に支障をきたすことになるのではないかと思

う。こんどは逆にカウンセリングからケースワークにでていくことはできるけれども,ケース ワークからカウンセリングに戻ってくる時に非常に困ることになる.

 前京都大学の倉石精一教授は,「ケースワーカーにとってはカウンセリングというものも大 いに大事だし,また,カウンセリング的機能を包括してやっておられると思う。しかしカウン セラーがケースワークをやっていくときには,そこにカウンセリングに対するネガティブな問 題が起こってくる。だから,そこはつまり化学でいう不可逆反応ですか,こちらからむこうへ は通じているけれども,むこうからこちらには道がない1というようにいっておられました。

どうですかね,どのように整理したら……,

 皆さんどうでしょうか,司会者はおりませんので一つご遠慮なく自由に討議してください、、

どうぞ……

<杉本>

 i・S語化という問題ですが,言語という場合には口頭言語・器官言語・行動言語というように 考えれば,沈黙している場合でも何かを語っていることになる。その人の目つき,顔つき,体 つき,態度,行動が何ごとかを表現している/t

〈E田〉

 自己決定というのは,ある段階までは肯定できても,ある段階以上の場合になりますとどれ ほどとりあげられるのか。そこで,あくまでも自己決定ということにもっていくのか,あるい は,ある段階以上の場合にはその原則を破ることになるのか……。これは,カウンセリングの 基本的な理論にも関係してくると思いますが……。

〈石井〉

 上田先生は杉本先生に対するご質問でしょうか?ケースワーカーとして,自己決定をどの段        一50一

(17)

人生福祉学の構想(杉本)

階まで,あるいは最後まで尊重するのかというご質問でしょうか、.どの程度までケースワーク あるいはカウンセリングにおいてということでしょうか、

② 自己決定について く河合〉

 自己決定ということが問題になっていますが,カウンセリングとケースワークを結びつけて 考えますと,結局,本人が自己決定をするということがすばらしいということには誰も異存が ないと思うのです。

 そこで,本人が自己決定をしてくれればよいと誰もが考えるわけですが,その人の自己決定 が私の存在さえも脅かす,また私の人生観をも脅かした時に,私の人生観としては,自殺を防 ぎたいと思っておりますcだから,先程の杉本先生であれぽ,病人は医者に診てもらった方が よいのだという人生観をおもちになっておられる。そのようなことが,我々の誰かにあった場 合にぱ,その人の人生観のみならず私の人生観にも,非常に大きく入ってくると思うんです

ね,

 そういう時に,すなわち相手の自己決定が私の人生観を直接脅かしてきた場合,我々はどう しても止めたくなってくる。しかし,それがカウンセラーが,さきほど石井先生がおっしゃら れましたが,自分も脅かされていること,あるいは,あなたの考え方はこうだということを言 語化してみせる。そこで,言語化している話合いの中で,相手の人がもう一つ違う自己決定に までいくであろう……。それは我々の仮説になってくるわけですが,そうするとその自己決定 というのは,その人が自分自身をのぼす方向に向かうだろうということをいろいろと仮設とし てカウンセリングをやっていく。

 ところで実際問題となると,立ち上二がろうという前に一度自殺をということを考える人もい るわけです。そういう時に自殺をしてはいけないということで,それではお前を精神病院にほ

うり込むとか,今から父親にいって,絶対に身動きできないように部屋に閉じこめるとかいう ことを私がした場合には,自殺は救えるし,私の人生観も救えますけれども,カウンセリング は失敗したことになると思うのです。

 そういう時,その自殺というような,こちらが脅かされることが出てきても,我々が聞き込 んでいくということは,やはりそれがカウンセラーの態度といいますか,そういうものの中 で,自分のいたみ,あるいはむこうの考え方を受けとめながら,まだ,待って受けるという,

そういうところが,カウンセリングの特徴だと思うんですね。

 ところが,そのようなことをやる私は非常に危険だと思うのです。うっかりすると,あなた がいったから自殺したとか,あなたが承認したからそのようになったということになる。その ような危険性を守るために我々は,こちらから会いにいかない,つまり相手からきたのだとい うことをはっきりとさせる。それから,面接の時間もはっきり決めておく。つまり,我々の意 識的なあるいは人生観というようなものを少しゆるめて相対するということを一つの部屋で決 められた時間内にやっている。ところが会いに行った場合というのは,私の方からあなたに援       一51一

(18)

、1! il 人 }ftZ卜会W日ネll:{V}究)りiイド報  倉1」刊5」 パ999)

助をしますよということになりますから,そのような時私としては,私の人牛観,私の自我と いいますか,そういうものを強固にうちださなければ非常に危険だと思うのです 右井先牛も おっしゃいましたけれども,ケースワークの場合,こちらがうっかりしていると非常に危険な 状態になると思うんですね そこで危険性を防ぐということは,私の考え方を相当強固にもっ ていかねばならないと思うのです、

 ところで,私も訪問したことは何度もありますが,しかし私の経験では,訪問してうまく いった場合でも,深まらないということが非常に多かったと思います。そこで,カウンセリン グの場合というのは,ある面からいうと私が何をしたかわけがわからない、つ才り相丁が,す べて自分で決定して,どんどんやっていった、だから,私の考えでは,治療関係が深まってい

くと,そういう感じがします

 ところが私が出ていった場合は,私が話をし,私がつれていった,私が何かを1、たというの で,いかにも私がしたようにみえながら,実はあまり深くなっていないという危険h.もあると 思うのです.

 そのように考えて自己決定という点に結びつけますと,そういう自己決定が少しぐらいネガ ティブにみえることでも,私が耐えられない時には,それを待って,止めなければ仕方がな い、、しかし,私が止めるということe# ,実はすでに深くなることを自分が妨げているんだ,つ まり,カウンセラーの方がカウンセリングの深まりを止めているんだというように考えます

ねJ

 人間の力には限界がありますから,自殺するとか,人を殺すとか,私を殺してやるとか,そ のような場合にはやはり止めざるをえない,しかし,無理に止めるのではなく,そういう考え であるということを言語化していくと,一言一言,考えて,ついていくというようなことをカ

ウンセリングではやっていくtt

 ところで私がその家をたずねて行き,お父さんもお母さんも同席のうえでその子と話す時に は,自殺の話をするのに フンフン とだけ言ってすますというわけには絶対にいかない、そ れはその場所が違っているからですね。その場合には,くいとめなければならないと思うので

す、

〈石井〉

 精神健康のスタンダードの問題とも関係してきますね そこで河合先生から極端な自殺の例 をひきだされたわけですが,それも病的な極端なケースとしてですね.もっとそれ以前のとこ ろでは杉本先生は,もう少しアブノーマルな性格とか,そういうものもある程度考えておられ るのですかt、年齢的にはどうですか?小さい子とか,カウンセリングの年齢的な幅et,,

〈杉本〉

 私はやはり「.期が熟す1ということがあると思うのです。私が訪問したとき,はじめのうち はどうしてよいかわからないわけです.だから,ある意味では,手さぐりを入れるという面が あるかと思います。その相手が何を求めているのかわからない.したがって,相手が何らかの        .−52一

(19)

人ノト福祉学の構想Q杉本)

反応を示すことがなければこちらは応じられない,ということもあるわけです そし c ,当初 は,私白身に心の準備ができているわけでもありませんから,はじめの段階ではとにかくじっ と相手のぞはにいる すると除々にこの何もいえない,あるいは遠慮している気持ちが自然に fr1Jかいえるような気持ちになってくる そういう時期のくるのを待つことになる つまり ・つ の態度,行動を言語化できるようになる時を待つといってよいかと思います そして待ってい る間に,人間は一回限りの存在である というようなことを考えてみることに[ているわけ です 無言の対面の中でそういうことを考えながら,そうした雰囲気に耐えていく そして耐 えられるようになる そういうことがあると思うのです

 それから,「自己決定 という原理が生まれた背景には,その当時,それなりの理由があった と思うのです つまり自己決定ということが,あまりにもかえりみられない場合がたくさん あったのではないかと思うのです.ケースワーカーが相手の意思を無視して一方的にやってし まう、、ケースワーク実践の中で,たとえば,とにかく出かけて行って,強制的にやってしまっ たということがあったのではないかと思うt/そのようなやりカへの反省として,白己決定とい

うことが原理としてかかげられるようになってきたのではないかと思うのです しかし,自己 決定ということに徹しすぎると,今後はそれに固執しすぎて,まずいことが起こることにもな る.そういうところから,従来のやり方と新しい考え力を統合しよう(統合期)という議論も 出てくるのではないかと思うのです,そこでヒ田先生がおっしゃられたように,私もやはり,

自己決定のできる人と,できない人がいると思うのです、また同じ人が,ある時,ある問題に ついてはできても,ほかはできないということもあろうかと思います,そこで,インテークと いう段階では相手の気持ちを聞き,またこちらの態勢についても説明して,相談が開始される ことになります。

 ただ,先方からやってきたが,こちらが,その要求に応じられない場合や,役に立たない場 合があるかもわかりません,その時は他の機関を紹介するということになります1このよう に,ケースワークでは自分の所では対応できないような場合に,すげなくことわるのではな

く,相手の要求に応じうる機関に関係づけてやるということが一つの重要な役割としてあると 考えるのです.

 また,訪問したときには,やはり「期が熟す1のを待つという私の考え方が私の中にあるわ けです.tこれは,たとえば体育の場合,身体に故障があるのに実技をやらせるというのではな くて,その場合には健康の回復を待つことが必要となる,、そういう意味から,私は,ケース ワーク過程で,ケースワーカーとクライエントとの関係で治療的な要素の強い段階と,教育的 な要素の強い段階,それから指導的な要素の強い段階に分けて,それぞれに応じた対応を考え ることにしているのです。指導的な要素の強い段階では,時に命令をしてもよいことがあると 思うのです[tそれは,そうした命令を受け入れられるような状態にあるクライエントの場合で す。しかし,はじめから命令すると,これは関係も成立していない治療的段階だから問題があ

ると思うのです。この段階では「支える,なぐさめる」という気持ちで対応しなければならな        .−53一

参照

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