• 検索結果がありません。

韓 国 ・社 会保障法制 の基盤形成過程 一 所 得保 障制 度 を 中心 に 一

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "韓 国 ・社 会保障法制 の基盤形成過程 一 所 得保 障制 度 を 中心 に 一"

Copied!
56
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

韓 国 ・社 会保障法制 の基盤形成過程

一 所 得保 障制 度 を 中心 に 一

片 桐 由 喜

は じめ に

第1章 軍事 政権 下 にお け る社 会 保障制 度

第1節 混乱 期 の社 会保 障 一1948年 〜1962年 一

第2節 「 先 成 長後 分配」 期 の社会 保 障 一1963年 〜1976年 一 第3節 政 策比重 転換 期 の社会 保 障 一1977年 〜1988年 一 第2章 公 的年 金制 度の創 設

第1節 国民 福祉 年金 法 の成立(以 上,本 号) 第2節 国民 年金 法 の成立

第3章 公 的扶助 制 度の意 義 と役割 一 生活 保護 法か ら国民 基礎 生 活保 障法へ 一 第4章 韓 国所得 保 障制 度の特 徴

まとめ にか えて

は じ め に

第 二 次 世 界 大 戦 後 の 翌1946年,わ が 国 は 日本 国 憲 法 を 制 定 し,25条 に生 存 権 規 定 をお い た 。 以 後,今 日 に至 る まで 同 条 を根 拠 に社 会 保 障 制 度 が整 備 ・発 展 して き た。 そ して,1960年 の 朝 日訴 訟 を契 機 と し て1),憲 法25条 の 裁 判 規 範 性 が 早 い 時 期 か ら問 わ れ た2)。 朝 日訴 訟 に お い て,同 規 定 が 裁 判 規 範 と して 有 効

*本 文 お よび引 用文 献 中,韓 国語 表記 につい ては原 文 とお りの漢 字お よびハ ング ル表 記 とした。 なお,韓 国語文 献 中の漢 字 は旧字 体 であ るが,そ れ らは現 在,日 本 で使 用 され てい る漢字 に直 して表記 した。

1)一 審 東 京 地 判 昭35・10・19行 集11巻10号2921頁,控 訴 審 東 京 高 判 昭38・11・4 行 集14巻11号1963頁,最 大 判 昭35・5・24民 集21巻5号1043頁 。

2)す な わ ち,憲 法25条 の 効 力 が プ ロ グ ラ ム 規 定 説,抽 象 的権 利 説 お よ び 具 体 的 権 利

〔57〕

(2)

58 商 学 討 究 第56巻 第1号

で あ る こ とが 明 らか に さ れ て 以 後3),個 別社 会 保 障 立 法 の違 憲 性,あ る い は社 会 保 障 領 域 にお け る 立 法 の不 作 為 の 違 憲 性4)な ど を争 う社 会 保 障 関 連 判 例 が 蓄 積 され て きた5)。

一 方 ,韓 国 は1948年,大 韓 民 国樹 立 と同 時 に最 初 の 憲 法(制 憲 憲 法)を 制 定 し6),そ の 後,今 日 まで9次 にわ た る 改 正 が 行 わ れ て い る。9回 の改 正 の う ち, 4回 が 全 文 改 正 で あ る。す な わ ち,1962年(第 三 共 和 国),1972年(第 四 共 和 国, 維 新 憲 法),1980年(第 五 共 和 国),1987年(第 六 共 和 国,現 行 憲 法)の4回 で あ る 。 社 会 保 障 制 度 を 国 家 の 責 務 と 定 め る 生 存 権 規 定 は そ れ ぞ れ 制 憲 憲 法19 条7),1962年 憲 法30条8),1980年 憲 法32条9),1987年 憲 法34条 に お か れ た10)。

説 等,ど の 性 質 を有 す る か が 議 論 さ れ た 。こ れ につ い て は 中村 睦 男 「生 存 と憲 法 」『講 座 憲 法 学4権 利 の 保 障(2)』(日 本 評 論 社,1994年)47頁,等 。

3)憲 法 の裁 判 規 範 性 に つ い て 堀 勝 洋 『社 会 保 障 法 総 論 第2版 』(東 京 大 学 出 版 会, 2004年)126〜194頁 。

4)最 近 の 立 法 不 作 為 違 憲 判 決 に は い わ ゆ る 学 生 無 年 金 訴 訟 が あ る 。 東 京 地 判 平16・

3・24判 時1852号3頁,新 潟 地 判 平16・10・28判 例 集 未 登 載,最 高 裁 ホ ー ム ペ ー ジ http://courtdomino2.courts.go.jp/kshanrei.nsf参 照,広 島 地 判 平17・3・3判 例 集 未 登 載,福 岡 地 判 平17・4・22判 例 集 未 登 載 。 た だ し,東 京 高 判 平17・3・25判 例 集 未 登 載 は前 記 東 京 地 裁 判 決 を 取 り消 し,立 法 の 不 作 為 が 違 憲 と は い え な い と判 示 し た 。

5)判 例 分 析 と して,岩 村 正 彦 『 社 会 保 障 法1』(弘 文 堂,2001年)30〜38頁 。 6)韓 国 憲 法 に 関 す る 邦 語 文 献 と して 韓 国 民 事 法 務 研 究 会 訳 編 『 韓 国 憲 法 ・戸 籍 法 ・

親 族 法 ・相 続 法:89年 改 正 版 ・91年 施 行 』(韓 国 通 信 社,1991年),金 哲 沫 『 韓 国 憲 法 の50年 』(敬 文 堂,1998年)等 が あ る 。

7)制 憲 憲 法19条 老 齢,疾 病,そ の 他 労 働 能 力 の 喪 失 に よ り生 活 維 持 の 能 力 が な い 者 は,法 律 の 定 め る と こ ろ に よ り国 家 の 保 護 を 受 け る 。

8)1962年 憲 法30条 ① す べ て 国 民 は 人 間 ら しい 生 活 を す る 権 利 を有 す る 。

② 国 家 は 社 会 保 障 の 増 進 に努 力 しな け れ ば な らな い 。

③ 生 活 能 力 が な い 国 民 は 法 律 が 定 め る と こ ろ に よ り,国 家 の 保 護 を受 け る 。 な お,1972年 維 新 憲 法 の 生 存 権 規 定 は1962年 憲 法 と 同 じ く30条 に規 定 さ れ,条 文 の 文 言 も 同 一 で あ る 。

9)1980年 憲 法32条 ① す べ て 国 民 は 人 間 ら しい 生 活 を す る 権 利 を有 す る 。

② 国 家 は 社 会 保 障 ・社 会 福 祉 の 増 進 に 努 力 す る 義 務 を負 う。

③ 生 活 能 力 が な い 国 民 は 法 律 が 定 め る と こ ろ に よ り,国 家 の 保 護 を受 け る 。 10)1987年 憲 法34条 ① す べ て 国 民 は 人 間 ら しい 生 活 を す る権 利 を有 す る 。

② 国 家 は 社 会 保 障 ・社 会 福 祉 の 増 進 に 努 力 す る 義 務 を負 う。

③ 国 家 は 女 子 の福 祉 と権 益 の 向 上 の た め に 努 力 し な け れ ば な ら な い 。

④ 国 家 は 老 人 と青 少 年 の福 祉 向 上 の た め の 政 策 を実 施 す る 義 務 を 負 う 。

(3)

韓 国 ・社 会保 障法 制の 基盤形 成 過程 59 しか し なが ら,韓 国憲 法 の 生 存 権 規 定 が 日本 国 憲 法25条 と同 じ よ うな 役 割 を 果 た して き た とい う こ とは 困 難 で あ る 。 そ れ は 日本 国憲 法 の 生 存 権 規 定 が そ の 後 の社 会 保 障 立 法 の 整 備 ・発 展 の法 的 根 拠 とな り,権 利 と して の 社 会 保 障 を形 成 す る の に 貢 献 して き た の に 対 し11),韓 国 に お け る社 会 保 障 立 法 は 生 存 権 規 定 よ りは む しろ,政 治 的,経 済 的動 機 に促 さ れ て 形 成 さ れ て き たか ら とい え る か らで あ る。 い わ ゆ る道 具 と して の社 会 保 障 制 度 で あ る12)。

さ ら に,韓 国 にお い て 制 憲 憲 法 以 来,生 存 権 規 定 が 存 在 して きた に もか か わ らず,社 会 保 障 立 法 な い し は立 法 の 不 作 為 の違 憲 性 が 判 断 され る訴 訟 は,1988 年 の 憲 法 裁 判 所 の 設 立13)ま で 皆 無 で あ っ た14)。 こ れ は こ の 間 の 韓 国 の 国 情 に 起 因 す る15)。この よ う な判 例 の 蓄積 が な い状 態 が 長 く続 い た た め,韓 国 の 場 合,

⑤ 身体 障 害 者 お よび 疾 病 ・老 齢 そ の 他 の 自 由 に よ り生 活 能 力 が な い 国 民 は法 律 が 定 め る と こ ろ に よ り国 家 の 保 護 を 受 け る。

⑥ 国 家 は 災 害 を予 防 し,そ の 危 険 か ら 国 民 を 保 護 す る た め の 努 力 を し な け れ ば な らな い 。

11)社 会 保 障 の 権 利 につ い て は,遠 藤 昇 三 『 社 会 保 障 の 権 理 論 』(法律 文 化 社,1994年), 菊 池 馨 実 「第3章 社 会 保 障 の 権 利 」 日本 社 会 保 障 法 学 会 編 『 講 座 社 会 保 障 法 第1巻21世 紀 の 社 会 保 障 法 』(法 律 文 化 社,2001年)54〜77頁,等 。

12)ola]Pt。 「 邊 号 斜dE号 旦 智 測 呈:曽 斉 層 智 潮 限 界 斗 脱 三 子 糾q斗 刈 」

『q刈 入団 昇 ス阻 干 』1巻(1993年)73頁 は 「1987年6月29日 宣 言 ま で 所 得 保 障 は ほ と ん ど 一 貫 し て,権 威 主 義 的 な 国 家 の 周 辺 的 な 統 治 道 具 の ひ とつ で あ っ た 」 と述 べ る 。

13)韓 国 憲 法 裁 判 所 の 沿 革,制 度 構 造 につ い て は,韓 国 憲 法 裁 判 所 編 『 憲 法 裁 判 所10 年 史 』(信 山社,2000年),申 平 「韓 国 の 憲 法 裁 判 所 」 『ジ ュ リ ス ト』954号(1990年) 107〜114頁,趙 柄 倫 「 韓 国 の 憲 法 裁 判 の 意 義 と構 造 」『法 律 時 報 』63巻7号(1991年) 28〜36頁,黄 祐 呂 「韓 国 憲 法 裁 判 所 の 運 営 の 実 情 」 同37〜44頁,等 が あ る。

14)違 憲 審 査 制 度 は 第 一 共 和 国 時 代 か ら存 在 した 。 しか し,1948年 か ら1988年 ま で に 提 起 さ れ た 憲 法 訴 願 は10件,そ の う ち違 憲 判 決 は4件 の み で あ る。 い ず れ も社 会 保 障 法 関 連 で は な い 。一 方,現 在,憲 法 裁 判 所 が 受 理 す る 案 件 は年 間1000件 を越 え る 。 詳 細 な 統 計 は,韓 国 憲 法 裁 判 所 の ホ ー ム ペ ー ジ参 照(http://www.court.go.kr)。

現 在 は社 会 保 障 法 関 連 の 憲 法 裁 判 例 が 増 加 し て い る 。判 例 に つ い て は,招 鵯 甘 『 憲 法 裁 判 研 究 第11巻 社 会 保 険 法 斜 憲 法 的 問 題 ・1]書 邊 研 究 』(2000年,憲 法 裁 判 所)231〜303頁,石 看 司 『尋 …}朴司 旦 智 唱 忌』(2003年)129〜131頁 を参 照 。 15)韓 国 民 主 化 の 過 程 と憲 法 裁 判 所 との 関 係 に つ い て は,鄭 宗 隻 「韓 国 の 民 主 化 過 程

に お け る 憲 法 裁 判 所 の 基 本 権 の 実 現 一一 九 八 八 年 か ら一 九 九 八 年 ま で 一」 『立 命 館

法 学 』266号(1999年)936〜970頁,同 「韓 国 の 民 主 化 に お け る 憲 法 裁 判 所 と権 力

統 制 一一 九 八 八 年 か ら一 九 九 八 年 ま で 一」 同273号(2000年)2410〜2451頁 。

(4)

60 商 学 討 究 第56巻 第1号

生 存 権 規 定 と社 会 保 障 との 関 係 に つ い て の 研 究 が16),日 本 ほ ど は広 範 囲 に 行 わ れ て い な い17)。

した が っ て韓 国社 会 保 障 法 を研 究 す る と きに は,憲 法 が 少 な くと も1988年 ま で は社 会 保 障 に とっ て 規 範 と し て の 意 義 を有 して い な か っ た こ と に留 意 し な け れ ば な ら ない 。

とこ ろ で,こ れ まで の 社 会 保 障 法 比 較 研 究 の対 象 は,民 主 主 義 と 自 由 を 標 榜 す る西 欧福 祉 先 進 国 が 中 心 で あ っ た。 これ らの 国 々 の 社 会 保 障 立 法 が こ の 理 念 に基 づ い て い る こ と を前 提 に,各 国 の 法 制 度 の原 理,理 念 あ る い は特 徴 を探 求 し,日 本 法 へ の 示 唆 と して何 が 言 え る か を研 究 の対 象 と して きた 。 そ して,そ の 原 理 や理 念 と は,自 由,連 帯 あ る い は 自治 な どで あ っ・ た。 他 方,後 発 福 祉 国 家 の 社 会 保 障 制 度 を研 究 す る場 合 に は,そ れ ら国家 に社 会 保 障 制 度 が 作 られ た 理 由 や 背 景 は 何 か が研 究 対 象 と され,そ れ は 一 般 的 に 体 制 安 定,政 権 の正 統 化

と結 論 づ け られ る こ とが 多 か っ た 。

しか しな が ら,後 発 福 祉 国家 一 こ こ で は 韓 国 を念 頭 にお い て 一の 研 究 に 際 し て,そ もそ も,そ こ に は 社 会 保 障 の 立 法 理 念 が 存 在 す るの か 否 か,存 在 す る と す れ ば どの よ う な性 質 か,そ して,そ の理 念 が 実 際 に どの 程 度,実 現 され,国 民 の 生 存 権 保 障 に寄 与 した か 否 か な ど は こ れ ま で 十 分 に検 討 さ れ て こ な か っ

た 。 さ らに,仮 に制 度 が 不 存 在 あ るい は形 骸 化 し て い た と し て も,人 間 の 営 為 は 国 情 を問 わ ず 等 しい 。 した が っ て,社 会 保 障 制 度 が 未 整 備 状 態 の 場 合 に,何

16)韓 国 に お け る先 行 業 績 と し て,許 永 敏 「生 存 権 的 基 本ue・llモ 腫}研 究 」『 極 東 論 叢 』 2巻(1974年)139〜163頁,金 英 勲 「生 存 権 的 基 本 権 朔 普 聾 研 究 」 『 西 京 大 学 校 論 文 集 』6巻(1978年)129〜149頁,叫 望 ぞ 「 想 善 週 到 唱 苓 層 瑚 」 『朴 唱 墾 相 』

22巻2号(1981年)19〜23頁,。1{}子 「 生 存 権 法 理 到 再 検 討 」 『法 大 論 叢 』21巻 (1983年)25〜43頁,金 萬 斗 「憲 法 斗 社 会 福 祉 一生 存 権 的 基 本 権 金 中心 一9一 呈 一 」

『 社 会 事 業 論 集 』(1985年)9巻1号3〜33頁 ,金 承 祖 「生 存 権 潮 憲 法 上 潮 地 位 」

『 法 律 行 政 論 集 』1巻(1993年)141〜158頁 ,等 が あ る。

17)雑 誌 検 索 シ ス テ ム 利 用 時 に,検 索 語 を 「憲 法 社 会 保 障 」 とす る と 日本 の 場 合

(ciNii)は73件,韓 国(KERIs)の 場 合2件,検 索 語 を 「生 存 権 」 とす る と,同

じ く425件,84件 で あ る(2005年4月 末 現 在)。 も ち ろ ん,こ れ が 研 究 成 果 の す べ て

を網 羅 して い る わ け で は な い が,ひ とつ の 目安 に な ろ う。

(5)

韓 国 ・社会 保障 法制 の基 盤形 成過程 61 が これ に代 替 す る もの と して 機 能 して い た か,そ の 代 替 す る もの と制 度 との 相 互 関係 は い か な る もの で あ っ た か も,ま だ,十 分 に は解 明 され て い な い 。

本 稿 の 問 題 関心 は 上 記 に述 べ た 諸 点 で あ る。 こ れ らの 諸 問 題 を解 明 す る た め に,軍 事 政 権 下 に お け る社 会 保 障 制 度 の 特 徴 を 明 らか にす る こ とが 本 稿 の 目的 で あ る。 韓 国 で は 軍 事 政 権 期 中 に多 くの 社 会 保 障立 法 が 成 立 し,そ れ らが 今 日 の 社 会 保 障 制 度 の基 盤 を形 成 して い る か らで あ る。 そ れ ゆ え,現 行 法 の研 究 に 先 立 っ て この 時 代 の 立 法 を理 解 す る必 要 が あ る。 さ ら に,検 討 に あ た り,当 時 の 韓 国 社 会 保 障 制 度 が 一 般 的 に 言 わ れ る よ う に,単 な る 政 権 の 道 具 に 過 ぎな か っ た の か を も視 座 に 含 め る 。

まず,第1章 で は,建 国 か ら民 主 化 宣 言 が 出 さ れ た1988年 ま で の 韓 国 社 会 保 障 立 法 の状 況 を概 観 す る。 つ い で 第2章 お よ び第3章 で は そ れ ぞ れ 公 的年 金 法 と生 活 保 護 法 の 立 法 過 程 お よび そ の 特 徴 と意 義 につ い て 論 ず る 。 最 後 に韓 国所 得 保 障 法 制 の 特 徴 に つ き論 じた い 。 な お,検 討 す る 際 に は 日本 法 との 対 比 を 試 み る こ と,お よ び立 法 にお け る 事 情 が 韓 国 特 有 の現 象 な の か そ れ と も ア ジ ア 諸 国 あ る い は 国 を 問 わ ず 普 遍 的 に存 在 す る もの な の か を常 に念 頭 に お い て論 じた

い 。

第1章 軍 事 政 権 下 にお ける社 会 保 障 制 度

1945年8月15日,朝 鮮 半 島 は 日本 に よ る植 民 地 支 配 か ら解 放 さ れ18),そ の 後3年 間 に わ た りア リ カ 軍 政 が 敷 か れ た19)。1948年5月10日,国 連 臨 時 朝 鮮 委 員 会 の 監 視 下 で 南 地 域 だ け の総 選 挙 が 実 施 され,同 年5月31日 初 代 国会 開 会, 同 年7月17日 憲 法 制 定,7月20日,李 承 晩 大 統 領 選 出 と続 く。 そ して,同 年8

18)韓 国 の 歴 史 的 叙 述 は 本 稿 に 関 係 の あ る 範 囲 に と ど め,ま た,本 稿 に お い て は そ れ ら に つ い て,か な らず し も一 つ 一 つ 引 用 文 献 を掲 載 す る こ と は し な い 。

19)ア メ リ カ 軍 政 期 下 の 社 会 保 障 制 度 に つ い て は,01鵯 堪 「刈12を ロ1ぜ相 フlgil 子 堂 蓼 濁 」 河 相 洛 編 『 韓 国 社 会 福 祉 史 論 』(博 英 社,1989年)423〜466頁,拙 稿 「韓 国 ・占領 体 制 下 に お け る社 会 保 障 制 度 」 『 商 学 討 究 』55巻2・3合 併 号(2004年)171

〜175頁 参 照 。

(6)

62 商 学 討 究 第56巻 第1号

月15日,大 韓 民 国 建 国 が 宣 布 さ れ 第 一 共 和 国 が 発 足 す る の で あ る。

李 承 晩 政 権 は1950年 に勃 発 した 朝 鮮 戦 争 を経 て,そ の独 裁 的 性 格 を強 め て い く。 そ の 結 果,1960年4月19日,学 生 革 命 に よ り政 権 が 倒 され,第 二 共 和 国 が 誕 生 す る。 しか し,翌1961年5月16日,軍 事 クー デ タ ー が 起 こ り,1963年 に は こ の クー デ タ ー の 実 質 的 首 謀 者 で あ る 朴 正 煕 が 大 統 領 に就 任 し第 三 共 和 国 が 始 ま る 。 これ に よ り以 後,1988年 の民 主 化 宣 言 まで 韓 国 は 軍事 政 権 体 制 と な る。

本 章 は 軍 事 政 権 時 代 を3区 分 し,各 時 代 の社 会保 障 立 法 に つ い て概 観 す る。

第1節 混 乱 期 の社 会 保 障 一1948年 〜1962年 一

1948年 に建 国 を 果 た した とは 言 え,解 放 後 の混 乱 を収 束 で き ない うち に1950 年 に朝 鮮 戦 争 が 始 まる 。 相 次 ぐ戦 乱 に韓 国 社 会 は混 乱,疲 弊,貧 困 とい っ た 状 況 に苦 しめ られ る。 李 承 晩 政 権 が 学 生 革 命 に よ っ て 倒 れ,第 二 共 和 国 が 発 足 し た が,1961年 軍 事 ク ー デ タ ー に よ りわず か1年 た らず で 終 わ る 。 そ の 後,軍 政 が 敷 か れ,1963年,朴 正 煕 が 大 統 領 に選 出 され る こ と に よ り,混 乱 した社 会 は 強権 的 な大 統 領 の 圧 制 下 に置 か れ る。

1第 一 共 和 国 ・李 承 晩 政 権

この 間 に制 定 され た 主 た る社 会 保 障 立 法 は,軍 事i援護 法(1950年),「 戦 没 軍 警 遺 族 と傷 疲 軍 警 年 金 法 」(1952年)20)お よ び公 務 員 年 金 法(1960年)で あ る。

前 者 二 つ は 朝 鮮 戦 争 に よ る 罹 災 者 の た め の 救 済 立 法 で あ る21)。 日本 に お い て は戦 傷 病 者 戦 没 者 遺 族 等 援 護 法 が1952年 に 制 定 され た。 他 領 域 の社 会 保 障 立 法 は す べ て 日本 法 よ り遅 く成 立 して い るの に対 し,こ の軍 人 ・軍 属 等 に 対 す る

20)軍 事 援 護 法 は1961年 に 廃 止 さ れ,軍 事i援護 補 償 法 と な っ た 。 さ ら に 軍 事i援護 補 償 法 は1982年 に,「 戦 没 軍 警 遺 族 と傷 痩 軍 警 年 金 法 」 は1962年 に廃 止 さ れ,現 在,こ

れ ら二 つ の 法 律 の 適 用 対 象 者 は現 行 「国 家 有 功 者 礼 遇 等 州 書 醒 法 律 」(1984年 制 定, 1997年 に名 称 変 更 し,現 在 は 「国 家 有 功 者 号 礼 遇 喫 ス1望州 豊 を 法 律 」)に 統 合 さ れ,従 前 と 同 様 の 保 護 を 受 け て い る 。 注(40)参 照 。

21)こ れ 以 外 に も 災 害 復 興 組 合 法(1950年),「 難 民 収 容 に 関 す る 臨 時 措 置 法 」(同)

等 が あ る。

(7)

韓 国 ・社 会保 障法 制の 基盤形 成過 程 63 援 護 法 だ け は韓 国 が 先 に 制 定 して い る 。 もっ と も,社 会 保 障 制 度 史 上,よ り重 要 な の は公 務 員 年 金 法 で あ る。 同法 は 建 国 後,最 初 に制 定 され た 社 会 保 険 立 法 で あ る 。後 述 す る軍 人 年 金 法(1963年)お よ び 私 立 学 校 教 員 年 金 法(1973年)22)

と併 せ て 特 殊 職 域 年 金 と総 称 され る 。 これ らは被 用 者,自 営 業 者 を含 む 一 般 国 民 を対 象 とす る 年 金 が1988年 まで 施 行 され なか っ た の に対 し,早 くか ら立 法 ・ 施 行 され て い た 。

公 務 員 に対 して,最 初 に 年 金 制 度 が 整 備 さ れ た 背 景 お よび 理 由 は二 つ が 考 え られ る 。 ひ とつ は,い わ ゆ る 官 吏 に対 す る所 得 保 障 制 度 は 日帝 時 代 に我 が 国 の 恩 給 制 度 が 導 入 さ れ,す で に 実 施 され て い た とい う こ とで あ る23)。 つ ま り土 台 とな る 制 度 が 存 在 した とい う こ とで あ る。 も うひ とつ は,我 が 国 が 恩 給 制 度 を作 っ て い っ た の と同 じ理 由 で あ る。 す な わ ち,国 家 に奉 職 し,国 家 と特 別 な 関 係 に あ る者 か ら,ま ず,公 的 保 障 を 行 っ て い こ う と い う考 え方 で あ る24)。

我 が 国 も,戦 後1948年 に 国家 公 務 員 共 済 組 合 法(旧 法),1953年 に 私 立 学 校 教 職 員 共 済 組 合 法 が 成 立 さ れ25),そ の 後1959年 に 国 民 年 金 法 が 制 定 さ れ た 。 こ う して み る と,韓 国 の 年 金 法 制 は我 が 国 と似 た発 展 過 程 を 経 て い る こ とが わ か る。

と こ ろ で,日 本 は この 時 期 に 一1948年 〜1960年 一,す で に健 康 保 険 法,国 民 健 康 保 険法(任 意 加 入)お よ び厚 生 年 金 保 険法 を制 定 ・施 行 し て い た 。そ して, 同 時 期 に わ が 国 も また 活 発 に社 会 保 障 立 法 を進 め現 在 の制 度 基 盤 を形 成 した 。 す な わ ち,1947年 に 労 働 者 災 害 補 償 保 険 法,児 童 福 祉 法,1948年 に 国家 公 務 員

22)同 法 は 当 初,教 員 の み を対 象 と し て い た が,1977年 に 職 員 も適 用 対 象 と し,2000 年 に 私 立 学 校 教 職 員 年 金 法 と改 称 し た 。

23)日 帝 時 代 の 社 会 保 障 制 度 に つ い て,具 滋 憲 『 韓 国 社 会 福 祉 史 』(弘 益 斎,1970年) 188〜198頁,嚢 基 孝 『日帝 自体 の 福 祉 行 政 』(弘益 出 版 社,1999年),昇 剤 司 「 刈10を 望 刈 入}Ojg剋 モ}碧智 」河 相 洛 編 『 韓 国 社 会 福 祉 史 論 』(博 英 社,1989年)327〜369頁, 剋{≧雫 「 刈11を03刈 入圖 潮}㌍i♀1廻 刈1三」前 掲 書370〜422頁,拙 稿 ・前 掲 論 文(注 19)171〜175頁 参 照 。

24)01司 眉 ・前 掲 論 文(注12)74頁 。

25)共 済 年 金 制 度 史 に 関 す る文 献 は 多 く,新 し い も の と して 吉 原 健 二 『 わ が 国 の 公 的

年 金 制 度 一そ の 生 い 立 ち と歩 み 一』(中 央 法 規,2004年)58〜72頁 が あ る 。

(8)

64 商 学 討 究 第56巻 第1号

共 済 組 合 法,1949年 に 身体 障 害 者 福 祉 法,1950年 に生 活 保 護 法,1953年 に私 立 学 校 教 職 員 共 済 法,1958年 に 国 民 健 康 保 険 法 改 正(強 制 加 入),1963年 に 老 人 福 祉 法 をそ れ ぞ れ 制 定 した 。 言 う ま で も な く,日 韓 は地 理 的 に 近 く,し か も35 年 間,日 本 は韓 国 を植 民 統 治 下 に お い た 。 こ の植 民 統 治 期 の 韓 国 国 民 に対 す る 日本 語 教 育 に よ り,解 放 後 も 日本 語 を 理 解 す る立 法 者 や 政 策担 当 者 が 少 な くな か っ た26)。 こ の よ う な環 境 の 下,日 本 に範 とす べ き社 会 保 障 関 連 法 が 存 在 す る の な ら,韓 国 の 立 法 府 が,い わ ゆ る後 発 の 利 益 を得 る立 場 に 立 ち,日 本 法 を 参 考 に して 立 法 作 業 を行 っ た こ と は容 易 に 想 像 で き る。

2軍 事 政 権

(1)非 常 時 の 立 法 機 関 一 国 会 か ら国 家 再 建 最 高 会 議 へ 一

1960年4月19日 の 学 生 革 命 に よ り李 承 晩 政 権 が 崩 壊 し,第 二 共 和 国 が 始 ま っ た 。 しか し,1961年5月16日,軍 事 ク ー デ ター が 起 こ され(以 下,5・16軍 事 クー デ ター),1963年10月 に朴 正 煕 が 大 統 領 に 就 任 し民 政 移 行 され る まで,軍 事 政 府 が 執 権 を と る27)。

5・16軍 事 クー デ ター 後,1961年5月19日,国 家 再 建 最 高 会 議 が 設 置 さ れ, 同 年6月6日,国 家 再 建 非 常 措 置 法 が 制 定 され る。 同法 は9条 に お い て 「 憲 法 に 規 定 さ れ た 国 会 の権 限 は,国 家 再 建 最 高 会 議 が こ れ を行 う」 と定 め,こ れ に よ り国 家 再 建 最 高 会 議 が 立 法 権 を掌 握 した28)。 同 会 議 は,国 軍 現 役 将 校 で 構

26)な 碧子 「 冠 望叫 碧杢}潮 料碧」 『 韓 国社 会学 』27巻1号271〜294頁 。

27)軍 事 クー デ ターにつ い ては多 くの邦語 文献 が ある。 国家 再建 最高 会議韓 国 軍事 革 命 史編纂 委員 改編 『 韓 国軍事 革命 史』(国家 再建 最高 会議 韓 国軍事 革命 史編 纂委 員, 1963年),金 潤根 『 朴 正 煕軍事 政権 の誕 生 一韓 国現 代史 の原 点 一』(彩流社,1996年) 等。

28)国 家 再 建非 常措 置法2条 は 「 国家 再建 最高 会議 は5・16軍 事 革命 課業完 遂後 に施 行 され る総選挙 に よ り国会 が構 成 され,政 府 が樹 立す る と きまで大韓 民 国の最 高統 治期 間 としての地 位 を有す る」 と定 め る。 さ らに同法13条 は 内閣 に対 す る統 制規 定

「 憲 法 に規定 された 国務 院の権 限 は国家 再建 最高 会議 の指示 お よび統 制 下 に内 閣が

これ を行 う」 を定 め,ま た同法17条 は 「 司法 に 関す る行 政権 の大 綱 は,国 家再 建最

高会議 が これ を指示 統 制す る」 と規 定 し,行 政権 お よび司 法権 も掌握 した。

(9)

韓 国 ・社 会 保障 法制 の基 盤形 成過 程 65 成 さ れ(同 法4条)29),し た が っ て,こ の 間 の 立 法 は 国民 が 選 出 した 国 会 議 員 で 構 成 され る 国 会 で 制 定 さ れ た もの で は な く,よ っ て,当 然 の こ と な が ら国 会 議 事 録 も存 在 しな い 。 平 時 の 立 法 過 程 とは 異 な る こ と に留 意 し な け れ ば な ら な い30)。 しか し な が ら,こ の2年 あ ま りの 軍 事 政 府 期 に,後 述 の と お り,重 要 な社 会 保 障 関 連 法 が 制 定 さ れ た 。

と こ ろ で,5・16軍 事 ク ー デ ター の最 高 指 揮 官 で あ っ た朴 正 煕 は,韓 国社 会 保 障 制 度 形 成 に多 大 な影 響 力 を 行 使 した 。 彼 が1961年 に 国 家 再 建 最 高 会 議 議 長, 1962年3月 に は大 統 領 権 限代 行 そ して1963年10月 に は 第5代 大 統 領 と政 権 を把 握 し て い く ご と に,少 な く と も形 式 的 に は重 要 な 社 会 保 障 関 連 法 が 制 定 され た。

これ ら立 法 は 今 日の韓 国 社 会 保 障 法 制 の骨 格 と な っ て い る。 しか し,後 述 す る よ う に そ の 立 法 目的 が 必 ず し も1962年 憲 法30条 の趣 旨 目的 を実 現 す る た め で は な く,自 己 の 政 権 の正 統 性 確 保 ・証 明 の手 段 で あ り,内 実 の伴 わ ない 空 手 形 的 法 律 と も批 判 され て い る。 いず れ にせ よ,こ の 時 期 の社 会 保 障 立 法 は,朴 正 煕 が社 会 保 障 の 性 質 を どの よ う に 理 解 し,国 政 運 営 や 国 家 再 建 計 画 にお い て どの よ う に位 置 づ け て い た の か に決 定 的 な影 響 を受 け て い る 。

(2)緊 急 救 護 関 連 法

朴 正 煕 の 国 家 再 建 最 高 会 議 議 長 当時 に,児 童 福 利 法(1961年)31),生 活 保 護 法(同)32),軍 事 援 護 補 償 法(同)が 制 定 さ れ た 。 最 初 に制 定 され た児 童 福 利 法 は わ が 国 の 児 童 福 祉 法 と同 じ く,戦 災 孤 児,浮 浪 児 の 保 護 育 成 を立 法 趣 旨 と す る33)。

29)国 家 再 建 非 常 措 置 法4条1項 「国 家 再 建 最 高 会 議 は,5・16軍 事 革 命 の 理 念 に 透 徹 した 国 軍 現 役 将 校 中 か ら選 出 さ れ た 最 高 委 員 で 組 織 す る 」 と定 め る。

30)こ の 点 に つ い て オ ・ビ ョ ン ー ソ ン 「韓 国 の 展 望 に お け る 文 化 的価 値 と 人 権 」 『ア ジ ア ・太 平 洋 人 権 レ ビ ュ ー 』(1999年)56頁 も 「選 挙 に よ っ て 選 出 さ れ て い な い3 つ の 立 法 議 会 が,最 近 お よ び 現 在 の 法 制 度 に お い て 多 くの 抑 圧 的 な 法 律 を 作 る の に 重 要 な 役 割 を 果 た し た 」 と述 べ る 。

31)同 法 は1971年 全 文 改 正 し,法 名 も 児 童 福 祉 法 と 改 称 し た 。 32)生 活 保 護 法 は1982年 に 全 文 改 正,1999年 に廃 止 され た 。

33)児 童 福 利 法1条 「 本 法 は 児 童 が そ の 保 護 者 か ら 遺 失,遺 棄 ま た は 離 脱 し た境 遇,

(10)

66 商 学 討 究 第56巻 第1号

生活 保護法 は児 童福 利法 と同時 に制 定 され た。 それ まで韓 国社会 において公 的 扶 助 の 法 的 根 拠 は 日帝 時 代 に 日本 政 府 に よ っ て 制 定 ・適 用 され て い た朝 鮮 救 護 令 で あ っ た34)。 そ れ に1961年 に 制 定 さ れ た 生 活 保 護 法 が と っ て 代 わ り,韓 国 社 会 に 初 め て 近 代 的 な 公 的 扶 助 法 が 成 立 した35)。 しか し な が ら,同 法 は 保 護 対 象 が き わ め て 制 限 的 で あ り,そ の 点 で は 朝 鮮 救 護 令 と大 き く異 な ら な い36)。 しか も,給 付 水 準 が 低 く,同 法 に よ る扶 助 で は,同 法4条 が 定 め る最 低 生 活 の 維 持 が 困 難 で あ る と指 摘 さ れ て い た37)。 な お,こ の 生 活 保 護 法 は1999

そ の 保 護 者 が 児 童 を 育 成 す る の に不 適 当 で あ っ た り養 育 す る こ と が で き な い 境 遇, 児 童 の 健 全 な 出 生 を期 す る こ とが で き な い 境 遇 また は そ の 他 の 境 遇 に お い て 児 童 が 健 全,幸 福 に 育 成 さ れ る よ う,そ の 福 利 を保 障 す る こ と を 目 的 と す る」。

34)日 本 の 救 護 法 が 韓 国 で 朝 鮮 救 護 令 と して 適 用 され る 過 程 に つ い て は拙 稿 ・前 掲 論 文(注19)167〜168頁 。 ま た,朝 鮮 救 護 令 が 生 活 保 護 法 施 行 まで 韓 国 公 的 扶 助 制 度

を担 っ て い た こ と につ い て 具 滋 憲 ・前 掲 書(注23)198頁 。

35)も っ と も,生 活 保 護 法 の 全 面 施 行 は1969年 か らで あ る。 なお,1961年 生 活 保 護 法 に つ い て は 慎 変 重 監 修 ・張 東 一=金 翼 均 躍李 明 鉱 『 韓 国 公 的 扶 助 論 』(大 学 出 版 会, 1996年),金 裕 盛 『 韓 国 社 会 保 障 法 論 第3版 』(法 文 社,1999年)326〜360頁 等, 多 くの 文 献 が あ る 。

36)1961年 生 活 保 護 法 は 保 護 の 対 象 範 囲 を 以 下 の よ う に 規 定 す る 。

第3条 ① 本 法 に よ る保 護 対 象 者 は以 下 の 各 号 の 一 つ に 該 当 す る 者 で あ っ て,保 護 義 務 者 が い な い か も し く は保 護 義 務 者 が い て も扶 養 能 力 が な い 境 遇 の 者 に 限 る 。

1.年 齢65歳 以 上 の 老 衰 者 2.年 齢18歳 未 満 の 児 童 3.妊 産 婦

4.不 具,廃 失,傷 痩 そ の 他 精 神 ま た は 身 体 の 障 碍 に よ り勤 労 能 力 が な い 者 5.そ の 他 保 護 の 機 関 が 本 法 に よ る 保 護 を 必 要 と認 め る 者

朝 鮮 救 護 令 の 保 護 範 囲 は 以 下 の と お りで あ る 。 朝 鮮 救 護 令1条

1.65歳 以 上 の 老 衰 者 2.13歳 以 下 の 幼 者 3.妊 産 婦

4.不 具 廃 失,疾 病,傷 疲 そ の 他 精 神 ま た は 身 体 の 障 碍 に よ り労 務 を行 う に 故 障 あ る者

救 護 法 お よ び 朝 鮮 救 護 令 の 原 文 は,そ れ ぞ れ 桑 原 洋 子 ・宮 城 洋 一 郎 編 『 近 代 福 祉 法 大 全6』(港 の 人,2003年)44〜47頁,同 『 近 代 福 祉 法 大 全8』(港 の 人,2003 年)191〜193頁 参 照 。

37)給 付 水 準 等 に つ い て,制 定 当 初 の 状 況 に つ い て は,具 滋 憲 ・前 掲 書(注23)207頁,

(11)

韓 国 ・社会 保 障法 制の基 盤形 成過 程 67 年 に廃 止 さ れ,現 行 法 は2000年 か ら施 行 さ れ て い る 国 民 基 礎 生 活 保 障 法 で あ る38)。

ま た,軍 事 政 権 期 に戦 傷 病 者 援 護 関 連 立 法 が 多 く成 立 した の が 一 つ の特 徴 で あ る 。 す な わ ち,1950年 制 定 の 軍 事 援 護 法 に代 わ っ て,1961年 に軍 事 援 護 補 償 法,軍 事 援 護 対 象 者 雇 用 法,軍 事 援護 対 象 者 任 用 法,等 が 制 定 され た。 な お, こ れ ら戦 争 援 護 関 連 法 は現 在,い ず れ も廃 止 さ れ,現 行 法 「 国 家 有 功 者 等 礼 遇 お よ び 支 援 に 関す る法 律 」 に 統 合 さ れ て い る39)。

次 に,朴 正 煕 が1962年,大 統 領 権 限代 行 を 始 め た 時 期 に,「 国 家 有 功 者 お よ び越 南 帰 順 者 特 別i援護 法 」(1962年)40)お よ び 軍 人 年 金 法(1963年)が 制 定 さ れ る。 前 者 は 日本 の 植 民 統 治 時 代 の 独 立 運 動 や1960年4月19日 の 学 生 革 命 に参 加 して負 傷 した者 あ るい は死 亡 した者 の 遺 族 へ 年 金 等 各 種 給 付 を定 め る 法 律 で あ る。 ま た,軍 人 年 金 法 は先 述 した 特 殊 職 域 年 金 の ひ とつ で あ る。 上 記 援 護 法 に は韓 国社 会 に お け る独 立 運 動 や 民 主 化 運 動 に従 事 した 者 に対 す る特 別 の 敬 意 が 示 さ れ,そ の 適 用 対 象 者 に 対 す る所 得 保 障 機 能 を 果 た して い る。 そ して,同 法 の 所 得 保 障 が 無 拠 出 で あ る た め 公 的 扶 助 と 同 じ性 質 で あ る に もか か わ らず, そ の 法 律 名 や 要 件 発 生 事 実 が 国 家 へ 対 す る貢 献 で あ る ゆ え に,生 活 保 護 受 給 時 に 生 じる屈 辱 感 が この 場 合 に は きわ め て小 さい と熔 え よ う。 韓 国 生 活 保 護 法 の 適 用 範 囲 が狭 く,ま た 給 付 水 準 が 低 い と一 般 的 に言 わ れ,ま た,事 実,か か る 面 は 否 定 しが た い 。 しか し,そ の よ う な生 活 保 護 法 を 補 完 す る 制 度 が 別 途,用

1980年 代 の 給 付 水 準 に つ い て は,権 五 球(金 永 子 訳)「 韓 国 の 生 活 保 護 事 業 の 現 況 と課 題 一生 計 保 護 ・自活 保 護 ・分 娩 保 護 の 現 況 と 課 題 一」 『四 国 学 院 大 学 論 集 』64 号(1986年)173〜188頁,安 影 沫(金 永 子 訳)「 韓 国 の 生 活 保 護 事 業 の 現 況 と課 題(続) 一 医 療 保 護 ・教 育 保 護 ・葬 祭 保 護 の 現 況 と 課 題 一」 『四 国 学 院 大 学 論 集 』65号(1987 年)164〜179頁 に 詳 細 な調 査 結 果 が 掲 載 さ れ て い る。

38)石 フ1組 『暑 著 早 呈 忌 』(叫 ス1朴,2000年)が 詳 し い 。 邦 語 文 献 と し て は,中 尾 美 智 子 「韓 国 『 国 民 基 礎 生 活 保 障 法 』 と̀生 産 的 福 祉'」 『岩 手 県 立 大 学 社 会 福 祉 学 部 紀 要 』2巻2号(2000年)31〜37頁 。

39)注(20)参 照 。

40)同 法 は1975年 「国 家 有 功 者 等 特 別i援護 法 」 と改 称 さ れ,1984年 廃 止,軍 事i援護 法

に統 合 さ れ,現 行 法 は 「国 家 有 功 者 号 礼 遇 喫 刃 組 州 普 魁 法 律 」 で あ る 。

(12)

68 商 学 討 究 第56巻 第1号 意 され て い る こ と を看 過 し て は な ら な い で あ ろ う。

韓 国 は長 い 間,軍 人 出 身 者 が 政 権 を担 当 して き た。 また,現 在 も休 戦 状 態 が 継 続 し,軍 隊 は 一 定 規 模 を維 持 せ ざ る を得 な い 。 そ の た め 徴 兵 制 が あ り,相 当 数 の 職 業 軍 人 が 存 在 す る41)。 こ の よ う な軍 人 を取 り巻 く社 会 背 景 か ら,戦 争 援 護 立 法 や 軍 人 年 金 制 度 は一 般 国 民 を 対 象 とす る制 度 に 比 べ て 早 く に整 備 さ れ,内 容 も充 実 して い る 。 軍 人 年 金 法 が 今 日に 至 る ま で 公 務 員 年 金 法 等 との 統 合 が な さ れ る こ と な く,独 自 に 管 理 運 営 さ れ て い る の は そ の 例 の 一 つ で あ る42)。

(3)社 会 保 障 立 法 の 展 開 と 目的

① 社 会 保 障 立 法 の 状 況

1963年10月 に朴 正 煕 が 第5代 大 統 領 に就 任 し,同 年12月17日 に第3共 和 国 が 発 足 す る。 この2ヶ 月 間 の 間 に 「 社 会 保 障 に関 す る 法 律 」43),産 業 災 害 補 償 保 険 法44),医 療 保 険 法 が 相 次 い で 制 定 され た45)。

「 社 会 保 障 に 関 す る法 律 」 は ,そ の 内 容 が 抽 象 的 宣 言 的 で あ り46),具 体 的 施 策 を 国 家 に課 した もの で は ない 。 また,同 法 に よ り社 会 保 障 制 度 審 議 委 員 会

41)韓 国 の 軍 人 数 は約69万 人,人 口 は約4800万 人,そ れ に 対 し 日本 の 自衛 隊 員 は 約24 万 人,人 口 は 約1億3000万 人 で あ る。 日本 と比 較 して 軍 人 数 が 相 当 多 い と い え よ う。

(出典 韓 国 側 数 値 は 韓 国 国 防 部 公 式 ホ ー ム ペ ー ジhttp://www.mnd.go.kr/よ り, 日本 の そ れ は 防 衛 庁 公 式 ホ ー ム ペ ー ジhttp://www.jda.go.jp/よ り)。

42)し か し な が ら,現 在,軍 人 年 金 お よび 公 務 員 年 金 の 財 政 赤 字 が 顕 著 と な り,制 度 体 系 や 財 政 運 営 につ き議 論 され て い る 。2004年9月21日 付 「 ぞ 愈 忍 呈 」 に よ る と 軍 人 年 金 は 施 行10年 後 の1973年 に は 基 金 をす べ て 費 消 し,以 後 は 国庫 補 助 を 受 け て 制 度 を運 営 して い る とい う。 な お,2002年 度 の 国 庫 補 助 は 約5700億 ウ オ ン,2003年 度 は6300億 ウ オ ン に上 る 。 こ れ に つ い て,7ti甚6}「 暑 司q晋 潮 ス 腿 碧 升 斗6。L#'Xo9 司 磐 脅 」 『 公 共 経 済 』7巻2号(2002年)397〜443頁 が 財 政 改 革 に つ い て 検 討 す る 。 43)「 社 会 保 障 ・ll書選 法 律 」(1963年11月1日,法 律 第1437号)。

44)産 業 災 害 補 償 保 険 法(1963年11月5日 法 律1438号)。

45)医 療 保 険 法(1963年12月16日 法 律1623号)。

46)1条(目 的)こ の 法 は 国 民 の 人 間 ら しい 生 活 を企 図 す る た め の 社 会 保 障 制 度 の 確 立 とそ の 効 率 的 な 発 展 を期 す こ と を 目 的 とす る 。

2条(社 会 保 障 の 定 義)こ の 法 で 「社 会 保 障 」 と は社 会 保 険 に よ る 諸 給 付 と無 償

で 行 わ れ る公 的 扶 助 を い う。

(13)

韓 国 ・社 会保 障法 制 の基盤 形成 過程 69 が 設 置 さ れ る こ とに な った が(同 法4条)47),同 委 員 会 が社 会 保 障 制 度 の 整 備 ・ 発 展 の た め に寄 与 した との 評 価 は そ れ ほ ど大 き くな い48)。 む しろ,同 法 は社 会 保 障 制 度 が 当 時 の韓 国 にお い て ほ と ん ど未 整 備 の 状 況 下 で あ る に もか か わ ら ず,同 制 度 が 個 人 の 自立 や 国家 の 経 済 成 長 を妨 げ な い よ う明 文 で規 定 す る(同 法3条2項,3項)。 こ こか ら立 法 者 の 社 会 保 障 制 度 に対 す る意 識 と そ れ に基 づ く消 極 的 な 姿 勢 が 推 察 され る。 な お,同 法 は1995年 に廃 止 さ れ,同 年 制 定 さ れ た社 会 保 障基 本 法 が これ に代 わ る 。

次 に産 業 災 害 補 償 保 険 法 は,我 が 国 の労 働 者 災 害 補 償 保 険 法 に該 当 す る。 同 法 は 一 般 労 働 者 を 対 象 と した 社 会 保 険 で あ り49),こ れ が 先 行 す る公 務 員 年 金

3条(社 会 保障 事業 の管 掌お よびそ の内容)① 政府 は社 会保 障事 業 を行 い,必 要 で あ る と認 め る ときには その一 部 を地方 自治体 また はその 他 の法 人 に行 わ せ る こ とが で きる。

② 政 府 は社 会 保障事 業 を行 うに際 し,国 民 の 自立 精神 を 阻害 しない ように行 わ な けれ ばな らな い。

③ 社 会保 障事 業 は国家 の経 済的 実情 を参 酌 し,順 次,法 律 が定 め る ところ に よ り行 う。

④ 第1項 の規 定 に よ り,社 会 保 障事業 を地方 自治体 また は法人 に行 わせ る と き に は,そ の費 用 は国庫 が負担 す る。

第4条(社 会 保 障審 議委 員会)① 社会 保 障 に関す る重 要事項 に対 す る諮 問 に応 ず るため保 健社 会 部長 官所属 下 に社会 保 障審議 委 員会(以 下,委 員会)を 置 く。

② 保健 社会 部 長官 は社 会保 障 に関す る計 画 を樹 立 しよ うとす る ときに は,あ ら か じめ委員 会 の諮 問 を経 なけれ ば な らない。

第5条(委 員会 の構成)略 第6条(関 係 行 政機 関の協 力)略 第7条(施 行 令)略

47)社 会 保 障制 度審議 委 員会規 定(1963年12月16日 閣令1748号)。

48)も っ と も,社 会保 障制 度 審議委 員会 発足 自体 は,政 府 次元 で の社会 保障研 究 が始 まる契 機 となった として評価 されて い る。週{}望 「 第13章1960年 代 潮 社 会保 険」

河 相洛 『 韓 国社 会福 祉 史論』(博 英社,1989年)500頁 。 さ らに,政 府側 の 見解 は, 当然 の こ となが ら,同委 員会 の社 会保 障制 度構 築へ の寄 与が大 きい こ とを主 張 す る。

と りわけ,産 業 災害 補償 保 険法 と医療 保 険法 の制定 には主 た る役 割 を果 た した と評 価 す る。これにつ き,国 民年 金管 理公 団 『 国民 年 金十 年史』(国民 年金 管理 公団,1998 年)58頁 。

49)制 定 当 初 の適用 対 象 は,勤 労 基準 法 の適 用 を受 ける,常 時500人 以 上 の従 業員 を

使用 す る鉱 業お よび製造 業 を行 う事業場 とされた。現 行 法 は大統 領令 が定 め る一 部

(14)

70 商 学 討 究 第56巻 第1号 法,軍 人 年 金 法 と異 な る。

最 後 に,1963年 制 定 の 医 療 保 険 法 制 定 に よ り,韓 国 に お い て初 め て 国 家 が 国 民 の 医療 保 障 へ 関 与 す る こ と と な っ た50)。 し か し な が ら,同 法 は 制 定 当 初, 適 用 対 象 を被 用 者 と しな が ら も任 意 加 入 制 で あ った た め,正 確 な意 味 で の 社 会 保 険 と は い え な い で あ ろ う51)。な お,わ が 国 の 健 康 保 険 法 は施 行 当 初(1926年)

か ら強 制 加 入 で あ っ た52)。

② 社 会 保 障 立 法 の 背 景

こ の よ う に朴 正 煕 は大 統 領 当 選 後,わ ず か2週 間 後 に 「 社 会 保 障 に 関 す る法 律 」,産 業 災 害 補 償 保 険 法,2ヵ 月 後 に 医療 保 険 法 を 制 定 し,医 療 保 険 法 公 布 の 翌 日に 大 統 領 就 任 式 が 挙 行 され て い る 。 こ れ ら立 法 を極 め て 短 期 間 に 成 し遂 げ た 背 景 に は,彼 が 選 挙 公 約 を 履 行 す る 姿 勢 を見 せ る こ とに腐 心 し た か らで あ

る と思 わ れ る。

朴 正 煕 は 大 統 領 選 を念 頭 に入 れ 大 統 領 権 限 代 行 時代 か ら社 会 保 障 立 法 を 主 張 して 来 た。 す な わ ち,1962年,大 統 領 権 限代 行 者 と して 国 家 再 建 最 高 会 議 基 本 政 策 方 向 を 「 医 療 均 霜 を樹 立 し,扶 助 と保 険 を基 幹 とす る社 会 保 障 制 度 の基 礎 を 築 き,国 民 生 活 向 上 と社 会 福 祉 を建 設 す る」 こ と に あ る と発 表 した53)。 さ ら に,同 年7月 に は 内 閣首 班 に対 し指 示 覚 書 第12531号 「 社 会 保 障 制 度 確 立 」 の 例 外 を 除 い て あ ら ゆ る事 業 が 強 制 適 用 で あ る(産 業 災 害 補 償 保 険 法5条,同 法 施 行 令3条1項)。

50)韓 国 医 療 保 険 制 度 は2000年 に 大 改 正 さ れ,保 険 者 一 元 化 が 図 ら れ た 。 改 正 を フ ォ ロ ー し た 最 近 の 文 献 と し て,拙 稿 「韓 国 の 医 療 保 障 ・介 護 保 障 」 日本 社 会 保 障 法 学 会 編 『 講 座 社 会 保 障 法4巻 医 療 保 障 法 ・介 護 保 障 法 』(法 律 文 化 社,2002年)283

〜303頁 ,許 棟 翰 ・角 田 由佳 「第4章 韓 国 の 社 会 保 障 」広 井 良 典 ・駒 村 康 平 編 『ア ジ ア の 社 会 保 障 』(東 京 大 学 出 版 会,2003年)117〜123頁,全 光 錫 「第11章 韓 国 の 社 会 保 障 」 サ 龍 澤 ・姜 京 根 編 『 現 代 の 韓 国 法 』(有 信 堂,2004年)223〜225頁 。 51)社 会 保 険 の 原 則 が 強 制 加 入 で あ る こ とに つ い て,堀 勝 洋 ・前 掲 書(注3)43〜44頁 。 52)適 用 対 象 の 拡 大 過 程 に つ い て は,厚 生 省 保 険 局 保 険 課 ・社 会 保 険 庁 保 険 管 理 課 監

修 『 健 康 保 険 法 の解 釈 と運 用 』(社 会 保 険 法 規 研 究 会,1990年)247〜248頁 。 53)大 統 領 秘 書 室 『国 家 再 建 最 高 会 議 議 長 大 統 領 権 限 代 行 朴 正 煕 将 軍 談 話 文 集

自1961年7月 至1963年12月 』(大 統 領 秘 書 室,1965年)167頁,権 五 球 『7η 碧 蒼 旦2

暑 社 会 福 祉 発 達 史 』(弘 益 斎,2002年)309頁 。

(15)

韓 国 ・社 会保 障 法制 の基盤 形成 過程

7ヱ

を送 っ て い る54)。 ま た,大 統 領 選 挙 を控 え た1963年,同 年 度 の 基 本 政 策 は 「 社 会 保 障 制 度 を樹 立 す る こ とを も って,貧 困 と疾 病,失 業 お よ び 人 口 過 剰 等,社 会 不 安 の要 因 を 除去 し,社 会 正 義 を実 現 し,福 祉 社 会建 設 に適 進 す る」 こ とで あ る と言 明 し,自 身 の 選 挙 公 約 と した55)。 上 記 立 法 は 朴 正 煕 が 自身 の 宣 言 を 履 行 した こ と に ほ か な ら ない 。

経 済 成 長 第 一 主 義 の 朴 正 煕 体 制 にあ っ て,社 会 保 障 立 法 を公 約 と して 掲 げ た の は 国 民 の福 祉 を最 優 先 とす る政 府 で あ る こ と を宣 言 し,そ れ に よっ て 国 民 の 信 託 を選 挙 に よ っ て得 た な らば,そ の 政 権 の 正 統 性 を 内外 に示 す こ とが で きる と考 え た か ら とい わ れ て い る56)。 い わ ゆ る社 会 保 障 立 法 を政 治 の 道 具 と し て 利 用 した とい う見 解 で あ る57)。 こ の よ う な動 機 に よ っ て 制 定 さ れ た 社 会 保 障 各 法 は 先 に述 べ た と お り形 式 的 抽 象 的 で あ り,法 の 施 行 に お い て は 具 体 的 実 効 性 に 欠 け る と評価 さ れ て い る。 と りわ け 「 社 会 保 障 に 関 す る法 律 」 は な ん ら国 民 の 生 活 保 障 に 寄 与 す る と こ ろが な く,道 具 的 立 法 の典 型 例 で あ る58)。

と こ ろで,こ の 間 の社 会 保 障 立 法 が 実 効 的 で な く,国 民 生 活 に寄 与 して い な

54)指 示 覚 書 の内容 は下 記の とお り。

① 失 業,疾 病 お よび老 齢等 の生 活危 険 か ら国民 を保護 し,福 祉 国家 を速 やか に 作 る。

② 国民,企 業 お よび政 府が 一緒 に参加 ・連帯 して国民 生活 を保 障す る恒 久的社 会保 障制 度 を経済 開発 計画 と並 行 して推 進す る。

③ 社 会保 険の うち,実 施す る こ とが比 較 的容 易 な制度 を選択,着 手 し,か か る 試 験事 業 を通 して韓 国 に適切 な制度 を確 立す る。

55)権 五 球 ・前掲 書(注53)309頁,遭{}望 ・前 掲論 文(注48)496頁 。

56)週{}望 ・前掲 論 文(注48)467〜513頁 の問 題 関心 は1960年 代 の社会 保 険制 度形成 に直接 的 な影響 を及 ぼ した要 因 を政権 の正 統性 危機 に求め,検 証 す る もので あ る。

57)社 会 保 障立法 を国政 運営 を 円滑 にす るため の道 具 と して利 用す る ことは,し ば し ば見 られ る。古 くは ビスマ ル クに よる アメ と鞭 政 策か らあ る。 これ は社会 主義 者鎮 圧 法(1878年)を 制定す る一方 で,そ れ に よる国民 の不 満 を抑 え るため に,1883年 に疾病 保 険法,1883年 に災害 保 険法 そ して1889年 に は老 齢廃 失保 険法 を定 め 国民 に

とって受益 的 な立 法 を行 った。 また,我 が国 で も1925年 に(男 子)普 通選 挙法 と治 安 維持 法 が ほぼ同 時 に制 定 され てい る。 日独 の例 と韓 国の社 会保 障立 法 の違 いは, 前 者が 当該 社会 保 障法 をあ る政策 を遂 行す る ため の手段 と して いる のに対 し,後 者 は政権 担 当者 の正統 性 を内外 に誇 示 す るため の手段 と して用 い られ てい る とい う点 であ る。

58)権 五 球 ・前掲 書(注53)329頁 。

(16)

η 商 学 討 究 第56巻 第1号

い とい う批 判 に対 して,一 つ は,現 実 に は 当 時 の韓 国社 会 が こ れ ら立 法 を 施行 で き る状 況 に は な か った こ と,も う一 つ は,社 会 保 障 立 法 を必 要 とす る状 況 に も な か っ た こ と を理 由 に,政 府 が 法 の 施 行 に 消 極 的 で あ っ た と して もや む を得 ない とい う指 摘 が あ る59)。

周 知 の とお り,社 会 保 障 は 産 業 化 が もた らす 社 会 問 題 を 国 家 が 責 任 主 体 と な っ て解 決 す るた め の 制 度 で あ る 。 産 業 化 は 賃 金 労 働 者 を大 量 に産 出 し,都 市 化,核 家 族 化 を進 め,そ れ に よ り地 域 共 同体 の 共 助 能 力 や 家 族 に よる 私 的 扶 養 能力 を低 下 させ て きた。 この 賃 金 労 働 者 は無 産 で あ る た め に高 齢,疾 病,障 害 お よび 死 亡 とい う危 険 に さ ら さ れ る と,彼 らあ るい は そ の 家 族 らは た ち ま ち に 貧 窮 し,ま た そ の よ う な状 況 に際 し,産 業 社 会 の 地 域 共 同体 や 家 族 に よ る支 援 を期 待 で き な い 。 そ の た め 国 家 が,彼 ら に代 わ っ て 賃 金 労 働 者,等,困 窮 し た 国民 に 対 し生 活 保 障 を講 ず る義 務 を負 い そ れ を履 行 す る の で あ る。

つ ま り,社 会 保 障,と りわ け社 会 保 険 が 必 要 と され る社 会 と は産 業 化 が 進 ん で 賃 金 労 働 者 が 社 会 の 構 成 員 の 大 半 を 占 め る場 合 で あ ろ う。 そ こで,1960年 代 の 韓 国 に お け る 産 業 別 就 業 者 構 成 推 移 を 見 る と60),農 林 水 産 業 に従 事 す る 者 は79.8%(1961年),63.8%(1963年),58.7%(1965年),55.2%(1967年),

51.3%(1969年),で あ り,60年 代 の 韓 国 社 会 は まだ 農 業 社 会 とい っ て よ い 時 代 で あ っ た 。 と りわ け,先 進 国 にお い て は社 会 保 険制 度 発 足 当 初 の 適 用 対 象 範 囲 と さ れ る 鉱 工 業 就 業 者 構 成 を見 る と,5.0%(同),10.4%(同),10.3%(同),

12.8%(同),14.3%(同)と な っ て い る 。 こ の よ う に第 一 次 産 業 に従 事 す る 就 業 者 が 全 体 の 半 数 以 上 を 占 め,い わ ゆ る被 用 者 は1960年 代 半 ば まで は社 会 構1 成 員 と して は小 さ い存 在 で あ っ た 。

した が っ て,軍 事 政 府 期 の 韓 国社 会 は,ま だ 農 業 社 会 で あ り,工 場 労 働 者 を は じめ とす る 賃 金 労 働 者 は 被 用 者 全 体 の10%に 満 た な い状 況 に あ っ た 。 この よ

59)こ れ に つ い て は 週{}望 ・前 掲 論 文(注48)496頁,碧 早 週 「 号7トス陪 碧,号7ド ま胃, 朴 司 旦 を 碧 司 ♀ くユ刈 刈 潮 入団 旦 看 智 零」 『尋 号 墾 碧 叫 旦 』27巻2号(1993年)1

〜32頁 ,。1司 層 ・前 傾 論 文(注12)63〜92頁 が 詳 し い 。

60)眉 刈 フ園 鬼 肢}号 暑 刈 望 召 』(1972年)。

(17)

韓 国 ・社 会保 障法 制 の基盤 形成 過程 73 う な社 会 環 境 で 社 会 保 障 立 法 を相 次 い で行 っ た こ とに 対 し,そ の必 要 性 に疑 問 を呈 し,立 法 目的 が 国 民 の 福 祉 の 向 上 以 外 に存 す る との 批 判 が 出 され る の は 当 然 と い え よ う。 ま た,社 会 保 障形 成 に は労 働 組 合 が 重 要 な役 割 を 果 た す とい う 見 解 に よ れ ば61),こ の よ う に被 用 率 が 低 い 社 会 で は,国 民 の 立 場 に立 っ た 制 度 形 成 は期 待 で きな い とい う こ とに な る。

さ らに社 会 保 障 運 営 の た め に は 税 収 や 保 険 料 拠 出 が 見 込 め る だ け の 所 得 が 労 働 者 に必 要 で あ る。 しか し,当 時 の 韓 国 の 一 人 あ た りの 国 民 総 生 産 は89.8ド ル (1963年)と 相 当 低 い水 準 で あ っ た62)。同 年,日 本 の そ れ は622ド ル で あ る63)。

この こ とは税 収 入 や保 険 料 収 入 の 低 さ を 同 時 に意 味 す る こ とか ら,こ の 時期 の 社 会 保 障 財 源 形 成 は き わ め て 困 難 な状 況 に あ っ た とい え る。

ま た,1960年 に お け る65歳 以 上 人 口 が 全 体 に 占 め る 割 合 は2.9%,1970年 が 3.1%,同 じ く1960年 の 男 子 平 均 寿 命 は51.1歳,女 子53.7歳,1970年 に は男 子59.8 歳,女 子66.7歳 で あ る64)。 し た が っ て,生 活 事 故 の ひ とつ で あ る老 齢 は この 時 期,い まだ 深 刻 な 問 題 とな っ て い な い とい え,加 えて 私 的扶 養 能 力 に 影響 を 及 ぼす 寿 命 も短 い 。

(4)小 括

こ の 時 期 一1948年 〜1962年 一の 社 会 保 障 立 法 は,戦 後 処 理 の た め 緊急 を 要 す る分 野 と政 治 的 配 慮 が 強 く働 く分 野 の法 律 で 構 成 され て い る 。 前 者 は児 童 福 利 法,生 活 保 護 法 が 代 表 的 で あ り,後 者 は 朴 正 煕 大 統 領 就 任 直 後 に制 定 さ れ た 法 律 で あ る 。 戦 争 援 護 関 連 各 法 は この 両 分 野 に ま た が る性 質 を 有 す る。 さ ら に,

61)労 働 組 合 が 社 会 福 祉 国 家 建 設 に 果 た す 役 割 に つ い て邦 語 文 献 と して 上 村 泰 裕 「第 1章 東 ア ジ ア の 福 祉 国 家 一そ の 比 較 研 究 に 向 け て 一」 大 沢 真 理 編 著 『ア ジ ア 諸 国 の 福 祉 戦 略 』(ミ ネ ル バ 書 房,2004年)37〜44頁,ま た こ の 分 野 の 古 典 と し て, SidneyandBeatriceWebb,ThehistryofTradeUnionism,Longmans&Co.1894,

SidneyandBeatriceWebb,IndustrialDemocracy,Longmans&Co。1897が あ る 。

62)日 本 銀 行 統 計 局 『日本 経 済 を 中 心 とす る 国 際 比 較 統 計 』1964年 。 63)日 本 銀 行 統 計 局 ・前 掲 書 。

64)豆 石 昇 ス1早 『 旦 石 昇 ス圃 刈2000』631頁 。

(18)

74 商 学 討 究 第56巻 第1号

法 の施 行 状 況 や 財 源 配 分 バ ラ ンス は,公 務 員 年 金 や 軍 人 年 金 お よ び戦 傷 病 者 給 付 に 傾 き65),国 家 と特 別 な 関 係 に あ る者 を よ り優 遇 す る も の と な っ て い る。

財 政 規 模 が まだ 十 分 で な く,社 会 保 障 予 算 はそ の優 先 順 位 が 低 い た め,配 分 額 が 少 な い 時 期 で あ る 。そ の 少 な い予 算 を特 定 の対 象 範 囲へ 優 先 して配 分 す る と, 一 般 国民 の 生 活 保 障 の た め の 予 算 は極 め て微 々 た る もの で あ っ た 。 政 府 に これ を可 能 と させ,国 民 が 国 家 に よる 生 活 保 障 の 小 さ さ に 耐 え る こ とが で きた の は 当 時 の 外 援 の ゆ えで あ る。

す な わ ち,こ の 間 の 一 般 国民 へ の 救 済 ・救 護 は,実 際 に は外 援 と呼 ば れ る ア メ リ カ を 中心 と す る外 国 民 間 団体 の援 助 が 大 き な役 割 を果 た した66)。 外 援 に つ い て は1955年,ア メ リ カ側 の代 理 大 使 と韓 国 外 務 部 長 官 と の 聞 で 「 民 間救 護 活 動 に 関 す る 協 定 」 が 締 結 され67),こ れ が 法 的 根 拠 とな っ て 以 後 の 救 援 活 動 が 活 発 に展 開 さ れ た68)。 と りわ けKAVA(KoreanAccociationofVoluntary

Agencies)と 呼 ば れ る外 国民 問 援 助 機 関 韓 国 連 合 会 は 第 二 の 保 健 社 会 部 と呼 ば れ る ほ ど の影 響 を行 使 した とい わ れ る。 食 料,医 療,医 薬 品 等 物 資 援 助 の み

65)付 言 す れ ば 国 民 年 金 法 の 老 齢 年 金 額 の 給 付 水 準 は生 涯 平 均 所 得 の60%水 準 に設 定 さ れ て い る の に 対 し(国 民 年 金 法3条1項5号,同47条),公 務 員 年 金 お よ び 軍 人 年 金 の 場 合,退 職 直 前3年 間 の 平 均 給 与 の76%ま で が 老 齢 年 金 と して 受 給 で き る よ う に規 定 さ れ て い る(公 務 員 年 金 法3条1項5号,同46条4項,軍 人 年 金 法3条1 項2号,同21条2項)。

66)権 五 球 ・前 掲 書(注53)293〜301頁,423頁,昇 な 望 『朴 司 昇 ス1零舜 』(叫 ス1朴, 2002年)289頁 。一 般 的 に は外 援 が 韓 国 復 興 を支i援 した と し て 肯 定 的 評 価 が 多 い 中 で, 後 者 は 「… … 外 援 に 頼 る ほ か な く,自 立 で は解 決 で きな か っ た 。 こ の と き の状 況 が 素 朴 で礼 儀 正 しい 韓 国 国 民 に 乞 食 根 性 を植 え付 け る 契 機 と な っ た と い え る 。50年 が 過 ぎ,食 べ る も の に 困 ら な く な っ た 今 日 に お い て もそ の 根 性 を捨 て る こ とが で きず, お ご っ て も ら う こ と を好 み,他 入 に与 え る こ と を 知 らな い 国 民 とい う烙 印 を押 さ れ て い る か も し れ な い 」 と述 べ,後 発 国 支 援 が そ の 後,当 該 国 に どの よ う な 影 響 を与 え る か と い う観 点 か ら見 る と き興 味 深 い 分 析 と い え る 。

67)具 滋 憲 ・前 掲 書(注23)207頁 。

68)な お,韓 国 に お け る外 援 の 歴 史 は古 く,開 国 期 に 遡 る 。 ま た ア メ リ カ 軍 政 期 に は 当 然 の こ と な が ら本 国 か ら大 量 の 支 援 物 資 が 送 ら れ 韓 国 の 窮 状 を 救 援 した 。 開 国 期 及 び ア メ リ カ軍 政 期 の 外 援 事 業 に つ い て は 拙 稿 ・前 掲 論 文(注19)149〜151頁,171

〜175頁 参 照 。

(19)

韓 国 ・社 会保 障法 制 の基盤 形成 過程 75 な らず69),社 会 福 祉 施 設 の 設 置 運 営70)に い た る ま で 幅 広 くこ れ らの外 援 団 体 の 活 動 範 囲 が 及 ん だ71)。

これ ま で概 観 した よ う に5・16軍 事 ク ー デ ター 勃 発 か ら第3共 和 国 成 立 まで の わ ず か2年 半 の 問 に,今 日の社 会 保 障 法 制 の 骨 格 の 一 部 を なす 社 会 保 障 関 連 各 法 が 制 定 され た 。 そ して,こ れ らの 立 法 目的 が 第 一 義 的 に は 国民 の 福 祉 向 上 で は なか っ た た め,国 民 に対 す る 生 活 保 障 や所 得 保 障 と して の機 能 が き わ め て 脆 弱 で あ っ た 。 そ の 結 果,こ れ ら社 会 保 障 立 法 はそ の規 範 と施 行 の現 実 の乖 離 が 著 し く,国 民 の 社 会 保 障 受 給 権 は 「 装 飾 的名 目的 権 利 」 に と ど まっ た と評 価 せ ざ る を得 な い72)。

さ ら に,こ の 時 期 の立 法 機 能 は 国 会 で は な く現 役 軍 人 で構 成 さ れ る国 家 再 建 最 高 会 議 に あ っ た 。 そ の よ う な機 関 で,か つ,十 分 に検 討 す る時 間 を欠 い た 立 法 作 業 の た め,結 局,制 定 され た各 法 は 日本 法 の 移 植 とい って も よい 体 裁 で あ る73)。 す な わ ち,医 療 保 険 法 は 日本 の 健 康 保 険 法 と 国 民 健 康 保 険 を混 合 して 法 案 を作 成 した と され,お な じ く,産 業 災 害 補 償 保 険 法 も 日本 の労 災 保 険 法 を 基 礎 に起 草 した と さ れ る74)。 し か し,こ の よ う な 背 景 で 立 法 さ れ た にせ よ,

これ らの 法 律 は 以 後 の 韓 国社 会 保 障 法 体 系 の基 礎 と な る75)。

69)具 滋 憲 ・前 掲 書(注23)209頁,昇 な 望 ・前 掲 書(注66)304〜309頁 。 これ ら 文 献 中 の 統 計 資 料 に よ る と,援 助 額 は朝 鮮 戦 争 直 後 が 最 も多 く,次 第 に 減 少 す る 。 つ い で,1963年 朴 正 煕 が 大 統 領 と な っ た と き に 再 び増 加 に 転 じ た 。 た だ し,こ の 増 加 も1967年 以 降 は 急 速 に 減 少 して い く。

70)外 援 事 業 に対 し て も 施 設 の 最 低 基 準 お よ び 施 設 運 営 の 適 正 を 図 る た め 一 定 の 規 制 が 設 け られ た 。 厚 生 施 設 設 置 基 準 令(1950年2月27日),厚 生 施 設 運 営 要 領(社 会 部 長 官 訓 令1952年10月4日)。

71)具 滋 憲 ・前 掲 書(注23)265頁 。 「 年 度 別 外 国 民 間 援 助 団 体 児 童 福 利 事 業i暖 助 実 績 表 」 に1964年 か ら1969年 ま で 主 要5機 関 の 施 設 設 置 数,対 象 児 童 数 お よび 援 助 金 額 が 記 載 さ れ て い る 。 な お,こ の 時 期 の 外 援 団 体 が 設 置 した 施 設 の 保 護 対 象 者

は 主 と し て 児 童 も し くは 母 子 で あ っ た 。

72)招 望 刈 「 社 会 法 制9変 遷 一 ユ 評 価 斗 展 望 一」 『唱 刈 望 子 』115号(1998年) 7頁 。

73)こ れ は こ の 時 期 の 韓 国 社 会 保 障 法 の 多 くが 日本 法 を そ の ま ま翻 訳 した 形 に な っ て い る こ とか ら も容 易 に理 解 さ れ る 。

74)週 呈 望 ・前 掲 論 文(注48)504頁 。

75)権 五 球 ・前 掲 書(注53)319頁 。

(20)

76 商 学 討 究 第56巻 第1号 第2節 「 先 成 長 後 分 配 」 期 の 社 会 保 障 一1963年 〜1976年 一

第3共 和 国 が 始 ま り,政 治 基 盤 を磐 石 の もの と した朴 正 煕 大 統 領 は 本 格 的 な 国家 再 建 に着 手 す る。 彼 は 経 済 成 長 ・発 展 を 国 家 再 建 の 要 と して す べ て の こ と に これ を優 先 させ た。 「 先 成 長 後 分 配 」 が ス ロー ガ ン と な り,後 に 漢 河 の 奇 蹟 と呼 ば れ る韓 国 経 済 の発 展 を遂 げ る こ と に な る 。 先 の ス ロ ー ガ ン にあ る とお り, 経 済 成 長 に よっ て 生 み 出 され た果 実 は,国 民 に 再 配 分 さ れ る こ とな く,次 の経 済 活 動 の 原 資 と され た。 そ の た め,こ の 時 期 に な っ て韓 国社 会 に本 格 的 な産 業 化 が 始 ま り,こ れ に伴 う社 会 問 題 が現 れ て きた に もか か わ らず,こ れ に対 処 す る政 策 は 等 閑 視 され た。 つ ま り,国 民 の なか か ら経 済 成 長 か ら取 り残 され,国 家 に よる 所 得 保 障 ない しは 生 活 保 障 を必 要 とす る 階 層 が 徐 々 に 顕 在 化 し始 め た

に も か か わ らず,政 府 は経 済 成 長 一 辺 倒 の 政 策 を 十 数 年 に わ た り堅 持 した の で あ る。

まず,経 済 成 長 を最 優 先 政 策 と した朴 正 煕 は,大 統 領 代 行 時代 の1962年 に第 一 次 経 済 開 発5力 年 計 画 を策 定 し以 後 の 再 建 の 方 向 性 を 明 確 に した76) 。 そ し て,こ の 計 画 の 策 定,実 施 の た め に1961年,経 済 企 画 院 が 新 設 さ れ る77)。 経 済 開 発 計 画 は 当 初,社 会 保 障 を財 源 費 消 の 根 源,経 済 成 長 の 阻 害 要 因 とみ な し, 主 要 政 策 か ら排 除 して き た。 しか し,経 済 成 長 が鈍 り,そ れ と並 行 して貧 困 等 の社 会 問題 が 顕 在 化 す る と国力 を回 復 す る手 段 と して 社 会 保 障 を 整 備 す る よ う に な る。 本 節 で は,社 会 保 障 の 政 策 優 先 順 位 が 低 く位 置 づ け られ て い た 第1次 か ら第3次 経 済 開 発 計 画 の 時 期 まで を対 象 と し,か か る経 済 開発 計 画 とそ の 成 果 が 社 会 保 障 制 度 に 及 ぼ した積 極 的 あ る い は消 極 的 影 響 につ い て 検 討 す る 。

76)経 済5力 年 計 画 は 第7次(1992年 〜1996年)ま で 続 い た 。 これ に つ い て は 大 韓 民 国 政 府 著:日 韓 経 済 協 会 訳 ・編 『 韓 国 第7次 経 済 社 会 発 展5力 年 計 画 』(日 韓 経 済 協 会,1992年)参 照 。

77)企 画 院 は 経 済 開 発 計 画 作 成 に主 と して 携 わ る だ け で な く,こ れ に 関 す る あ ら ゆ る

政 策 に 関 与 す る よ う に な る 。 そ の 後,1994年 に経 済 企 画 院 は 財 務 部 と統 合 され 財 政

経 済 院 と な り,1998年 の 政 府 組 織 改 編 に 伴 い 財 政 経 済 部 と な っ て 今 日 に 至 っ て い る。

(21)

韓 国 ・社 会保 障法 制の基 盤形 成過 程

77

1経 済 開 発5力 年 計 画 と社 会 保 障

国 家 再 建 を か け て 作 成 され た 第1次 経 済 開発5力 年 計 画(1962年 〜1966年) は(以 下,経 済 開 発5力 年 計 画 を た ん に経 済 開 発 計 画 とす る)78),朴 正 煕 が 大 統 領 権 限 代 行 を 経 て 第5代 大 統 領 就 任 した期 間 中 に遂 行 され た 。 そ して,こ の 間 の1963年 を境 に 社 会 保 障 立 法 作 業 の 様 相 が 大 き く異 な る 。 す な わ ち,前 節 で 述 べ た とお り,軍 事 政 府 時代 か ら同 年 にか け て政 権 掌 握 の正 統 性 を証 明 す るた め,あ る い は大 統 領 選 挙 で の 当 選 を 目的 と して,朴 正 煕 は 産 業 災 害 補 償 保 険 法 や 医療 保 険 法 な ど重 要 な社 会 保 障 関 連 法 律 を相 次 い で 制 定 した 。 しか し,当 選 以 降,第3次 経 済 開 発 計 画 が 終 了 す る1976年 ま で,ほ と ん ど社 会 保 障 立 法 は 見 られ ず,十 数 年 に わ た り社 会 保 障 制 度 の 整 備,拡 充 が な さ れ な か っ た の で あ る。

1963年 か ら1976年 ま で の 間 の社 会 保 障 立 法 は社 会 福 祉 事 業 法(1970年),私 立 学 校 教 員 年 金 法(1973年)お よ び 国民 福 祉 年 金 法(同)に す ぎ ない 。 しか も,・

次 章 で述 べ る よ うに 国 民 福 祉 年 金 法 は 結 局,15年 間 施 行 さ れ る こ と な く,1986 年 に全 文 改 正,法 名 改 称 し,よ うや く施 行 に至 る 。

こ の よ う な立 法 状 況 は,韓 国 政 府 が 経 済 成 長 を政 策 の 第 一 優 先 と した だ け で は な く,社 会 保 障 立 法 を経 済 成 長 阻害 要 因 の 一 つ とみ なす 立 法 者 の 意 思 の 反 映 で も あ る 。 そ の よ うな 意 思 は,各 経 済 開発 計 画 の基 本 方 針 お よび 大 統 領 が 年 頭 に 行 う施 政演 説 に は っ き り と示 され て い る。 す な わ ち,第1次 経 済 開 発 計 画 の 基 本 方 針 は,1.社 会 的 ・経 済 的 悪 循 環 の是 正,2.自 立 経 済 達 成 の 基 盤 構 築79), で あ る 。 同 じ く第2次 経 済 開発 計 画 の 場 合 は(1967〜1971年),1.産 業 構 造 の 近 代 化,2.自 立 経 済 達 成 の た め の 努 力 の 継 続 的推 進80),第3次 経 済 開発 計 画 で は(1972〜1976年),1.成 長,安 定,均 衡 の 調 和,2.自 立 経 済 の確 立,

3.地 域 開発 の 均 衡 とあ る81)。 これ ら計 画 文 言 中 に,国 民 生 活 の 向 上 を表 し

78)第 一 経 済 開 発5力 年 計 画 の 作 成 経 緯 に つ い て,邦 語 文 献 と し て,外 務 省 国 際 情 報 局 調 査 室 編 「韓 国 第 一 次 経 済 開 発5力 年 計 画 概 要 」『 外 務 省 調 査 月 報 』3巻4号(1962 年)47〜62頁 。

79)外 務 省 国 際 情 報 局 調 査 室 編 ・前 掲 論 文47〜62頁 。

80)第2次 経 済 開発 計 画 に つ い て は,安 田 吉 実 「韓 国 経 済 開 発(第 一 次 ・第 二 次)五 ヵ

年 計 画 に つ い て の 考 察 」 『 天 理 大 学 学 報 』20巻4号(1969年)95〜103頁 参 照 。

参照

関連したドキュメント

K.腭 1999 腮Health Transition in Kerala, Discussion Paper No.10, Kerala Research Programme on Local Level Development, Thiruvananthapuram: Centre for Development Studies.

・「避難先市町村」の定義(長期避難住民の避難場所(居所または生活の本拠)がある市町

これまでの国民健康保険制度形成史研究では、戦前期について国民健康保険法制定の過

〔注〕

国民の「知る自由」を保障し、

旧法··· 改正法第3条による改正前の法人税法 旧措法 ··· 改正法第15条による改正前の租税特別措置法 旧措令 ···

﹁空廻り﹂説 以じを集約すれば︑

[r]