地代の性質及び増進
へ
高橋次郎
繹者小引
是は︑一入一五年にロンー3ンに於いて出版せられカ所の︑マルサスの﹃地代の性質及び塘進︑並
びに地代の決定せられる諸法則に關する研究﹄(︾=ぎρ昌,楓貯8臣・乞葺程︒9昌自℃﹁︒噸窃︒︒oh図2び
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地 代 の 性 質 及 び 増 進 一 七 七
︑
商 學 討 究 第 四 巻 ( 上 ) 一 七 入
を竜参照して繹出するつもbであつたが︑遺憾ながらそれを手にする事が出來なかつた︒
此のパンフレツトは︑僅かに六一頁のものではあるが︑極めて豊富な内容を持つて居て︑差釜
地代の理論の關明に大なる貢献をなし︑有名なリカアドの地代論も直接にマルナスの此のパンフレ
ットに負ふ所が大である︒此の黙に就いての詳細は︑拙稿﹃地代理論の歴史に於けるマルサスの地
位﹄(﹃商學討究﹄︑第二懇︑下冊)を参照されん事を望む︒
注慧
次の小論策は︑地代に關する或る記録の實質を包含して居る︒それは︑経濟學に關する種々の問
題に就いての他の記録と共に︑私が東印度大學に於ける敷職中に集録しπものである︒私は︑早
晩︑是等のものを出版の形式になす心算であつ虎が︑此の研究の題目が︑現在論議せられつ\あ
る論題と極めて密接に關聯して居る事が︑私をして︑今直ちに之が登表を急ぐに至らしめ虎のであ
る︒公衆の知嚢に封して何等かの貢献をなす手段を有する人は︑軍に貢献すると云ふだけではな
く︑それが最も有用であると思はれる時期に於いて之をなす事が其の人の義務である︒若しも︑護
者にとつて︑此の論説の性質が小冊子の形式に適しない標に見えるならば︑私はそれに封して︑元
來これは斯くの如く一時限りの形態を目的として企てπものではない︑と云ふ事を以つて陳謝しな
ければならない︒
地代
土地の地代は國民歳入の一部分であつて︑それは常に非常に重要なものとして考へられて來π︒
アダム・スミスに從ふと︑地代は肚會の三大階級が支持せられる所の富の三根源の一である︒
エコノミストによると︑地代は非常に卓越せる竜のとして庭別せられて居るので︑地代のみが︑
財寳の名に値し︑且つ國家の租税を支持する事が出來︑結局租税が負憺せらる\所の唯一の基金で
あると考へられπ︒
而して︑目下︑穀物關税に就き︑地代の粗生々産物に劃する影響に就き︑及び農業の進歩改良に
就き︑論議せられつ\あるが故に︑此の時に際して︑地代は吾々の注意を惹く特擢を有するであら
う︒
土地の地代とは︑その當時の農業資財の利潤の通常率によつて評慣せられる所の投下資本の利潤
をも包含して︑その種類の何πるを問はず︑耕作に厩する凡ての出費が︑全生産物の慣値の中から
地 代 の 性 質 及 び 増 遙 一 七 九
商 學 討 究 第 四 雀 ( 上 ) 一 入 ○
支彿はれπ後に︑士地の所有者に残る所のその部分である︑と定義する事が出來る︒
時々︑偶登的或は一時的の事情から︑農夫は之以上に或は之以下に支彿ふ事がある︒併し乍ら︑
支彿はれたる現實の地代は︑之に向つて恒常的に移動して行く︒從つて︑之は︑地代なる語が一般
的の意味に用ひられπ時に常に考へられる所のものである︒
地代の直接の原因は︑明かに粗生々産物の市場に於ける責債が生産費以上に超過する事である︒
從つて︑研究に劃して第一にあらはれる劃象は︑粗生々産物の高い償格の一原因或は諸原因であ
る︒
此の問題に就いて非常に注意深く且つ繰返して熟考しだ結果︑私は︑アダム・スミス或はエコノ
ミストの地代に就いて採つπ見解には全然同意する事が出來ない︑叉︑近代の學者達の或者の見解
には︑それよめも術ほ一層同意する事が出來ない︑と云ふ事を登見する︒
之等の學者の殆んど凡ては︑地代をば土地の性質及びそれが支配せられる法則に於いて︑濁占の
特徴πる生産費に劉する憤格の超過と精密に類似せる竜のとして考へて居る様に︑私には思はれ
る︒
アダム・メミメは︑︹﹃諸國民の富﹄i繹者補︺第一編第十一章の或る部分に於いて地代を全く
その眞の光明に於いて考察し︑.且つ︑彼の著作を通じて此の問題に劃して他の如何なる著者より
も正しい観察を所々に捜入したけれども︑彼は粗生々産物の高い慣格の最も本質的な原因には時々
ヘへ鰯れ虎思けで︑それを充分明確に読明しなかつ泥︒そして︑時々濁占のより根本的なる特異性に着
眼する事を止めずに︑猫占と云ふ術語を土地の地代に用ふる事によつて︑彼は生活必需品の高い債
格と濁占商品の高い債格との間の眞の差異について確乎πる印象を讃者に與へなかつπ︒
鱒併し乍ら︑私は︑食物を産する所の凡ての土地が必然的に地代な生じなければならぬと云ふ考へに於ては︑彼と意見な同じ
にする事が出來ないo進歩ぜろ國に於て縫績的に耕作ぜられろ土地は︑たぜ利潤と勢働と彪支佛ふかも知れない︒勿論︑勢働のし支佛なも包含して︑使用ぜられた資本に.劉すろ公亭なる利潤は︑常に充分なる耕作の誘引であろo
エコノミストが地代の性質に就いて懐いて居た見解の中のあるものは︑同標に︑全く正當であ
る︑と私には思はれる︒併し乍ら︑彼等はそれに多くの誤謬を混入して︑非常識極まる矛盾せる結
論を導き出しカ︒それ故に︑彼等の學説の中に於いて︑眞理なるものは︑曖昧にせられ︑上に横は
る誤謬の集團の中に見失はれて︑その結果殆んど効果を畢げなかつπ︒彼等の偉大なる實際的結
論︑即ち畢に地主の正味地代にのみ課税する事の妻當性は︑明かに之等の地代をば普通の猫占と異
なる所の生産費を超過する憤格の鯨剰の如く完全に庭分し得ると考へる事に依存する︒
地 代 の 性 質 及 び 増 進 一 八 一
商 學 討 究 第 四 巻 ( 上 ) 一 八 ニ
セイ氏は︑彼の慣値ある﹃経濟原論﹄に於いて︑偉大なる明晰さを以つて︑アダム︒スミスが充
分に述べなかっカ所の幾多の黙を説明しカけれども︑地代の問題をば充分満足する様な方法を以て
取扱はなかつカ︒土地と同機に︑人間の勢働と協働する他の自然的要素を述べるに際して︑彼は次
の襟に観察して居る︒﹁幸にして︑何人も未だ︑風と太陽とは私に属し︑且っ彼等がなす所の勤
勢は私に支彿はれなければなら顧︑と云ふ事が出來なかつπ︒﹂*そして︑彼は明自なる理由によつ
て︑土地の固有性が必要であると認めて居るが︑術ほ彼は明かに地代をば殆んど全く斯かるもの㌧
摘有及び外部的需要から生ずると考へて居る︒
英二巻︑︼二四頁︑此の著作の新しい非常に改頁され表版が最近出版されたoそれは︑大いに此の主題に興味な有する凡ての
入の注意に慣するものであるo
ド・シスモンデイ氏の傑作︑﹃商業的富に就いて﹄に於いて︑彼は地代の問題の註に於いて次の
標に云つて居る︒﹁土地の地代の此の部分は︑國民的富に何物かを加へπ所の勢働の唯一の果實と
して︑エコノミストが純生産物と云ふ名を以つて飾った所のものである︒之に反して︑又︑それ
は勢働の生産物の唯一の部分であり︑その領値は純粋に名目的であb實在的な何物をも\つて居な
い︑と主張する事も出來る︒それは實際或る費手が自己の特権の効力に於いて得る所の慣格を増大
する事の結果である︒その責られ尤る物自身は︑尚ほそれによつて多くの慣値を得る事がない︒﹂︑
歯 一 雀 ︑ 四 九 頁 o
ヘへ我國︹英國‑繹者補︺に於いて︑より近代的なる學者達の間に一般に行はれて居る私見は︑此
の問題に就いては同一の意見に傾いて居る榛に︑私には思はれる︒それ故に︑私は引用を繰す事な
く︑最近ヱヂンバラのブカナン氏によつて出版されπ﹃諸國民の富﹄の極めて貴重なる版本に於い
ては︑濁占の観念が街ほ一歩を進めて居る︑と云ふ事だけを附け加へて置くであらう︒即ち︑從來
の學者達は︑地代は濁占の法則に支配せられると考へπけれども︑爾ほ彼等は土地の場合に於ける
此の濁占は必要であう︑且つ有盆であると云ふ意見を抱いて居πのであるが︑ブカナン氏は時には
之を以つて僻見であるとさへ謂ひ︑而してそれは地主に與へる所の竜のを消費者から掠奪するので
あると謂つて居る︒
後巻に於いて︑生産的及び不生産的勢働を取扱ふに當つて︑彼は︑﹁エコノミストが農業の効用
を評償する標準となす所の正味蝕剰は明かに農産物の高い慣格から生ずるものである︒しかし︑そ
れが如何にそれを受取る地主にとつて有利であるにしても︑それを支彿ふ清費者にとつては何等利
ヘへ盆のない事は確かである︒農業の生産物が︑よb安い憤格で責られるとし穴ならば︑耕作の諸出費
地 代 の 性 質 及 び 増 進 一 入 三
商 學 討 究 第 四 巻 ( 上 ) ︼ 入 四
を支彿つπ後に︑同一の正味除剰が獲つて居ないであらう︒しかし︑農業は一般的資財に劃しては
術ぼ同檬に生産的であるであらう︒そして︑唯一つ異る黙は︑前には地主が肚會の出費に於いて
高い慣格によつて富裕にせられて居たのであるが︑今や肚會が地主の出費に於いて安い慣格によつ
ノて利盆を得るであら5︑と云ふ事であらう︒高い個格1その中から地代︑又は正味鯨剰が生ずる
ーが︑販責すべき農産物を有する地主を富裕ならしむるに反して︑同一の割合を以てその買手
たる人々の富を減少せしめる︒故に︑か\る理由によつて︑地主の地代をば國民的富に劃する正味
の附加と考へる事は全く誤つて居る︒L*と云つて居る︒彼の著書の他の部分に於いて︑彼は同標の
言葉︑否寧ろ一層強調せる言葉さへ用ひて居る︒そして︑租税論と云ふ題目の下に於ける註に於い
て︑彼は土地の生産物の高い慣格は︑それを受取る人々にとつては有利であるが︑それを支彿ふ人
へや々にとつては比例的に有害であると云つて居る︒彼は︑附言して曰く︑﹁此の見解に從ふと︑それ
は肚會の資財に劉して何等一般的附加分を形成する事が出來ない︒問題の正味除剰は一階級から他
の階級に移されπー即ち︑斯くの如くその持主を愛更すると云ふ軍なる事情から生じ力一の歳入
に外ならないのであるから︑その中から諸税を支彿ふ所の基金が何等起う得ないのである︒土地の
生産物に劃して支佛ふ所の歳入は︑既にその生産物を購買する人々の手に存して居る︒そして︑若