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蟹工船 および 漁夫雑夫虐待事件

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(1)

蟹工船 および 漁夫雑夫虐待事件

倉 田 稔

も く じ は じめに

1蟹 工船

蟹漁 蟹 缶詰 製造 蟹 工船 2蟹 工船 漁夫 雑夫 虐待 事件

博 愛 丸事 件 そ の他 の事件 運 動

は じ め に

本 稿 は,小 林 多 喜 二伝(30)で あ る。 しか し2つ の 部 に分 け る 。

1つ は,蟹 工 船 そ の もの につ い て の 背 景 で あ る。多 喜 二 の小 説 『 蟹 工 船 』 は, 1929(昭 和4)年,彼 が,苛 酷 な 労 働 条 件 の も と で働 く海 の 労 働 者 の 蜂 起 と挫 折 を 描 い た代 表 作 で,名 作 とさ れ る。 当時 小 樽 にい た多 喜 二 を 中 央 文 壇 に押 し 上 げ た 作 品 で,日 本 の プ ロ レタ リア 文 学 の最 高 傑 作 とい わ れ る。

も う1つ は,蟹 工 船 漁 夫 雑 夫 虐 待 事 件 で あ る 。 こ こ で は,こ の多 喜 二 の 『 蟹 工 船 』 が モ デ ル と した諸 事 件 を,当 時 の 新 聞 発 表 で 探 っ て み る もの で あ る。 つ ま り フ ィ ク シ ョ ン で な い 事 実 だ け を紹 介 す る 。

1蟹 工 船

蟹 漁

蟹 漁 は,最 初 陸 岸 か ら始 ま る。4月,5月 は,蟹 の生 息 に 陸岸 が 好 適 で あ る

〔1〕

(2)

2 商 学 討 究 第53巻 第1号

か らで あ る 。 夏 に入 っ て 温 度 が だ ん だ ん上 が る と,蟹 は 沖 へ 沖 へ と去 る。 蟹 工 船 も,そ の後 を追 っ て,沖 へ 沖 へ と 出 る。

漁 場 で は万 事,監 督 の 指 揮 に よ らね ば な らな い 。 一 隻 の 蟹 工 船 は,大 抵8隻 く らい の 川 崎 船(日 本 型 の 発 動 機 船)を 持 っ て い る 。そ れ に網 と漁 夫 を乗 せ て, この 発 動 機 船 が 曳 航 し,蟹 の い そ う な 所 に 網 を投 ず る 。 半 日 ほ ど入 れ て 後 出 の 日数 と違 う 一,こ れ を 上 げ る と,無 数 の 大 蟹 が 引 っ か か っ て くる。1)

タ ラバ ガ ニ を と る に は,沿 岸 の結 氷 が よ うや くほ こ ろ び 始 め る 頃 を待 ち,川 崎 船 で,適 当 な 漁 場 に ゆ き,底 刺 網 とい う漁 網 を海 底 に垣 根 の よ うに 横 に のべ

て沈 め 設 定 す る 。 こ の底 刺 網 の 網 目 は,1尺5寸 以 上 の大 き さが あ り,網 は 幅 十 尺,長 さ25メ ー トル を1反 と して,こ れ を60か ら100,横 につ な げ る 。 こ れ を1連 とい う。 こ う して 海 底 に長 さ1万 尺 か ら1万5千 尺 くら い の垣 網 を建 て 延 ば す 。 これ を設 定 して か ら,標 示 を し,い っ た ん根 拠 地 に帰 り,3,4日 後, 未 明 に そ の 漁 場 へ ゆ き,刺 網 の 位 置 を知 り,こ れ を川 崎 船 の 中 に引 き上 げ る。

網 に は タ ラバ ガ ニ が 無 数 に ひ っか か っ て い る の で,直 ち に これ を缶 詰 工 場 に運 搬 す る 。 これ は 陸 上 で 缶 詰 をつ くる場 合 で あ る 。

蟹 工 船 漁 業 の設 備 は,蟹 工 船 と複 数 の 漁 船 か らな る。 漁 船 は漁 場 に 出 て 蟹 を と り,蟹 工 船 は複 数 の 漁 船 の 母 船 とな り,缶 詰 の 製 造 をす る 。 漁 船 は,発 動 機 船 と川 崎 船 に分 け られ る。 発 動 機 船 は20馬 力 か ら60馬 力 の セ ミ ・デ ィー ゼ ル機 関 をす え た 西 洋 型 船 で あ り,曳 き船 の た め,ま た 漁 場 探 査 の た め に も使 う。 川 崎 船 は肩 巾9尺,長 さ45尺 で,投 網,揚 網,一 切 の 漁 労 に使 う。 昭和 初 期 に は ほ と ん ど全 部10馬 力 く らい の セ ミデ ィー ゼ ル機 関 をつ け て い た 。 各 蟹 工 船 は こ れ らを4隻 か ら10隻 も っ て い た 。

蟹 工 船 漁 業 で も底 刺 網 を使 用 す る。 養 殖 保 護 の た め 小 蟹 の捕 獲 を禁 止 す る の で,網 目1尺5寸 以 下 の使 用 を禁 止 して い る。 蟹 工 船1隻 の使 用 す る刺 網 は, 大 体,1万5,6千 反 に達 し,1反 は25尋 で あ る か ら,こ れ をma‑一列 に つ な ぐ

と170,180里 とな る 。 蟹 工 船 の 設 備 は,缶 詰 製 造 の 設 備 と従 業 員 の生 活 設 備 と

1)『 小 樽 新 聞 』1926年9月16日,19日 。

(3)

蟹工 船 お よび 漁夫 雑夫 虐待 事件 3 に 分 け られ る。缶 詰 製 造 設 備 は,二 層 以 上 の 甲板 の あ る船 な ら,中 甲板 に あ る。

缶 詰 工 場 は,種 々 の 機 械 を運 転 し,蒸 気 を 使 うか ら,舷 側 に は 円 窓 舷 門 な ど を 多 く し,換 気 と採 光 を は か る。 タ ラバ 蟹 は,鮭 鱒 の よ う に機 械 で 裁 割 し肉詰 が で き な い か ら,機 械 と して は,仮 締 機,脱 気 函,二 重 巻 締 機 の 三種 類 が あ れ ば 十 分 で あ る 。 蟹 玉 船 で は 製 缶 能 力 の 大 きい ア ス トリア 式 の 機 械 を 一 組 つ つ 装 備 す る 。 そ の ほ か 缶 詰 設備 に は殺 菌 釜 と煮 熟 釜 が い る。

従 業 員 設 備 につ い て は,蟹 工 船 は漁 船 と して で な く臨 時 旅 客 船 と して取 り扱 わ れ るか ら,漁 夫 雑 夫 の 居 室 も,採 光,通 風 出入 口 な ど,規 定 の 検 査 を受 け る 。 蟹 工 船 創 始 以 来 の 工 船 数,ト ン数 は こ う な る。

大 正10年 11 12 13 14 15 昭 和2年

3 4 5

隻 数 2 3 15 6 8 12 17 14 15 19

総 ト ン 数 689 1236 9075 9561 15835 28472 36433 35048 37451 63987

一 隻 当 り の 平 均 ト ン 数 344

412 605 1594 1979 2373 2143 2504 2497 33682)

蟹 工 船 漁 場 と して 最 も適 当 な 時期 は次 で あ る。

地 域 始 期

カ ム チ ャ ッ カ3)東 海 岸5月 上 旬

同 西 海 岸4月 上 旬

盛 期

5月 上 旬 か ら 6月 中 旬

終 期

9月 9月 上 旬

2)産 業 経 済 調 査 所 『蟹 缶 詰 罐 の 話 』33‑34ペ ー ジ。

3)当 時 の 文 献 で は,堪 察 加,カ ム サ ッ カ,と 表 現 さ れ る 。

(4)

4

沿 海州 サ マ ルカ(春 漁)

同(秋 漁)

沿 海州 ネ リマ(春 漁)

同(秋 漁)

商 学 討 究 第53巻 第1号 3月 上 旬4月

9月 上 旬10月 4月 上 旬5月 7月 下 旬9月

5月 下 旬 11月 下 旬 6月 下 旬 10月 下 旬

漁 期 は 地 方 に よっ て 一 定 し ない し,開 始 は 流 氷 の 退 去 に,終 漁 は 時 化(し け) の来 襲 に よ る。 蟹 は 流 氷 や 時 化 に よ っ て左 右 され る。 カ ム チ ャ ッカ西 海 岸 で 雌 雄 蟹 の 移 動 は,初 春,4月 初 め,雌 蟹 が まず 浅 海 に来 遊 し,つ い で4月 下 旬 ま た は5月 中 旬,雄 蟹 が そ の 後 を追 っ て 来 る。 雌 蟹 が 浅 海 に や っ て くる の は,卵 の 鱒 化 の た め で,日 光 と餌 が 必 要 で,日 光 が 達 す る 浅海 の海 底 は海 藻 が 繁 茂 し, 水 温 も高 い の で,稚 蟹 の 発 育 に絶 好 な の で あ る。 この 浅 海 に 雌 雄 が 混 同棲 息 す る の は 約1カ 月 で あ り,そ の 後,雄 蟹 は だ ん だ ん深 海 に移 動 し,8月 末 に は40 メ ー ター 以 上 の深 海 に退 く。

蟹 工 船 の 漁 場 と して,オ ホ ー ッ ク 海東 部,す な わ ち カ ム チ ャ ッ カ西 海 岸 と東 海 岸 で あ り,西 海 岸 が 最 も優 秀 な漁 場 で,そ の漁 場 面 積 は岸 か ら3浬 に は じま り沖 合 い50浬 で,深 さ5,60メ ー タ ー に 及 ぶ 。 当 時 の 文 献 で,西 カ ム とい う語 が あ る 。 これ は カ ム チ ャ ッカ 西 海 岸 の こ とで あ る 。

タ ラ バ ガニ を漁 獲 す る に は,ま ず 川 崎 船 で 底 刺 網 を漁 場 に沈 め る。 川 崎 船 は 一 隻 だ い た い 底 刺 網 を5百 反 用 意 し ,漁 場 に到 着 す る と,風 向,風 位,潮 流 な ど を留 意 し,潮 上 か ら流 向 に約30度 の角 度 で 投 網 を始 め る。 海 軍 型 錨1貫8百 目 く らい の もの に 浮標 綱 を結 び,刺 網 の 沈 子 綱 を結 び,投 入 し,順 次,綱 に沈 子 と浮 子 をつ け な が ら投 網 す る 。 浮 標 綱 は 水 深 の約3割 か ら5割 増 しに し,綱 の 末 端 に は 径1尺 く らい の 硝 子 玉1ケ か2ケ,ま た は 長 さ5尺 く らい の 丸 太 を つ け,こ れ に赤 白黒 の 木 綿 地 の 旗 をつ け た 浮 標 竹 を 立 て て,発 見 しや す い よ う にす る。 錨 は,刺 網20反 か ら25反(1反 は25メ ー ター)毎 に,1ケ をつ け,2 百 反 く らい を結 ん で,1配 とす る。 こ の よ う に投 網 して,時 化 が ない か ぎ り,

5日 か ら1週 間経 過 す る と,揚 げ 網 をす る 。 各 川 崎 船 に は手 用 の 巻 ロ ク ロが 備 え付 け て あ り,綱 は蟹 の か か っ た ま ま船 内 にた ぐ り込 まれ,積 み 重 ね られ る。

1隻 の 川 崎 船 の 揚 網 反 数 は,蟹 の か か り ぐあ い に よ るが,70反 か ら150反 まで

(5)

蟹 工船 お よび 漁夫 雑夫 虐待 事件 5 で あ る。 揚 網 が 終 わ っ て 満 船 に な る と,母 船 で あ る工 船 の 錨 地 に帰 り,工 船 の 舷 側 に錨 泊 し,蟹 の か か っ た 刺 網 を ウ イ ンチ で 工 船 の 甲板 上 に引 き上 げ る。 甲 板 上 で,直 ち に,蟹 と網 を分 け,蟹 は 製 造 部 へ 渡 し,網 は い っ た ん湯 に通 して か ら 日で 乾 か す 。

大 正 末 に北 海 道 と樺 太 沿 岸 で は タ ラバ 蟹 の漁 獲 が 著 し く減 少 した の で,北 海 道 で は 昭 和2年 か ら4年 まで 北 見 方 面 を禁 漁 し,樺 太 地 方 で も営 業 者 自 ら工 場 を 閉鎖 し,繁 殖 保 護 に努 め た 。 た だ カ ム チ ャ ッ カ西 海 岸 で は 年 と と もに 漁 獲 高 が 増 加 して きた 。 そ の 漁 獲 高 は,

大 正11年164万 尾 12508

13462 141072 151865

とな っ た 。 ま た 繁 殖 保 護 の た め,雌 蟹 と 甲幅5寸 以 下 の蟹 は,農 林 省 令 で 禁 止 さ れ た 。

蟹 缶 詰 製 造

蟹 の裁 割 前 の処 理 は,ま ず,1.川 崎 船 か ら蟹 を網 の ま まで ウ イ ンチ で 本 船 の 上 甲板 へ 巻 け あ げ,2.適 当 の 場 所 へ 運 び,網 を繰 り出 し,鈎 で 蟹 を と りは ず し,3.蟹 の腹 部 を上 向 き に し,フ ン ドシ とい う部 分 に右 足 の 先 を か け,脚

を左 右 各 両 手 で握 り,引 き上 げ る と,内 臓 をつ け た胸 甲 は容 易 に引 き離 され, 手 中 に は蟹 の 脚 部 全 部 だ け が残 る。

次 に,縦 横 深 さ 共 に4尺 の煮 熟 槽 に 海水 を満 た し,こ れ に蒸 気 を通 じて 沸 騰 し た 中 に,甲 を 除 い た蟹 を篭 に 入 れ る 。 こ の 収 量 は 一 度 に 蟹200尾 で あ る 。 こ れ を,10か12分 間煮 沸 し,す ぐ海 中 に投 じて 急 激 に 冷 却 す る 。

十 分 冷 却 し た こ の 蟹 を,ト ロ リー に よ っ て 裁 割 場 に運 び,包 丁 か,鋏 を使 い,

第1関 節 か ら全 部 の 脚 を と り,頭 部 と脚 部 と に分 け る。 そ の後,頭 胸 部 か ら肩

肉 を と り,各 脚 は 関 節 部 を,三,四 分 切 り除 き,第1関 節 ・第2関 節 ・第3関

(6)

6 商 学 討 究 第53巻 第1号

節 ・爪 と に分 け る 。 こ の うち 第2関 節 は 最 も短 く,こ こか ら と った 肉 は ラ ッ キ ョ とい い,余 り上 等 で は な い 。 爪 肉 は採 取 に 時 間 が か か る の で,大 きい右 だ け を利 用 し,小 さ い左 は捨 て る 。 缶 詰 原 料 と して は,第1関 節 の 肉 が 最 上 で,一 一 番 脚 肉 とい い,次 は 第3関 節 の 肉 で,3番 脚 肉 とい う。 殻 か ら抜 き 出 した もの

をザ ル に い れ,海 水 を満 た した桶 の 中 に 浸 し,丁 寧 に 洗 う。 洗 浄水 を切 っ て, 肉 の 大 小 や 良 否 を 区 別 し,一 等 肉 と三 等 肉 に仕 訳 を す る。

蟹 肉 を缶 に 詰 め る に は,農 林 省 令 の規 定 が あ る。1ポ ン ド缶 は 肉 量3759以 上 で,1番 脚 肉1059以 上,崩 肉1139未 満 で あ る。 他 缶 は こ れ に 準 ず る。 十 分 水 切 りを した 肉 は,裁 切 板 上 で 薄 刃 包 丁 で1番 脚 肉 と2番 脚 肉 との 両 端 を切 り, 評 量 方 に送 る 。 評 量 方 は,1番 脚 肉 を評 量 し,爪 肉1ケ,2番 脚,ラ ッ キ ョ を 配 合 し,第2評 量 方 に移 す 。 第2評 量 方 は,さ らに肩 肉,4,5ケ を添 加 し, 第3評 量 方 へ 渡 す 。 第3評 量 方 は,こ れ に崩 肉 約15匁 以 内 を加 え,1ポ ン ド缶 の容 量 とす る 。 これ を1缶 分 つ つ 皿 に 盛 り,ベ ル トコ ンベ ヤ ー で,肉 詰 作 業 場 に 運 ば れ る。

カ ニ を網 か ら外 す 作 業 は煩 雑 で あ る 。 しか も,腐 敗 す る 前 に素 早 くゆ で,小 さ い 缶 の なか に規 定 の 大 き さ,数,部 位 の カ ニ 肉 を見 栄 え よ く詰 め な け れ ば な

らな い 。 多 数 の 労 働 者 に よ る濃 密 な作 業 が 不 可 決 だ っ た。4)

蟹 缶 詰 の 缶 は,95ポ ン ド以 上 の ラ ッ カー ・ブ リキ 板 を使 っ て 製 造 した 二 重 巻 締 缶 で,あ る い は さ ら に そ の 内 面 を ラ ッ カー で再 度 噴 霧 した レ ラ ッカ ー 缶 で あ る。 この ラ ッカ ー は 漆 の 主 成 分 か ら精 製 した 日本 の 特 産 で あ る 。 缶 に は,1ポ ン ド缶,半 ポ ン ド缶,4分 の1ポ ン ド缶 が あ り,内 容 量 は そ れ ぞ れ,3759,188

9,949で あ る。 缶 は 製 缶 工 場 か ら供 給 され る。 缶 の 内 面 を ラ ッ カー で 塗 るの は,錫 と鉄 面 の露 出 を防 ぐた め で,蟹 肉 と缶 材 面 との 接 触 を 防 ぐた め に硫 酸 紙 を使 う。 硫 酸 紙 は,種 類 が 多 く,多 くは外 国 輸 入 品 で あ っ た。 缶 用 と して は, 紙 質 が 強 く,高 熱 に た え,煮 沸 して も蟹 の風 味 ・光 沢 に影 響 しな い 良 質 の もの

で あ る必 要 が あ る。硫 酸 紙 は,普 通 は 大 判 で 長 さ40イ ンチ,幅30イ ンチ で あ る。

4)『 朝 日新 聞 』1999年10月13日 特 集 か ら。

(7)

蟹工 船 お よび 漁 夫雑夫 虐待 事件 7 これ を裁 断 し て使 う。

最 も注 意 を要 す る の は,肉 を 包 む 硫 酸 紙 で あ り,検 査 で 優i良不 良 が 決 ま る の は,実 に硫 酸 紙 の 良不 良 に よ っ て 決 ま る 。 つ ま り不 良 の 硫 酸 紙 を使 う と,肉 が 赤 くな り,さ ら に黒 色 に な る。 折 角 苦 心 して作 っ た缶 詰 も不 合 格 とな っ て し ま

う。 こ う して 缶 に詰 め られ,殺 菌 され 密 封 され て,缶 詰 が 完 成 す る 。5) 1ポ ン ド缶 は,殺 菌 後 の 減 量 を 見 越 し,約116匁 を標 準 と して 配 合 す る。 肉 詰 員 は,ま ず 大 き な一 番 脚 肉2,3ケ を取 り除 き,残 っ た 一 番 脚 肉 の 紅 色 部 を 外 部 に向 け,下 詰 め と し,そ の上 に 二 番 脚 肉 ラ ッ キ ョを 適 当 に詰 め,さ らに 中 心 部 に崩 肉 を押 し付 け,最 後 に,初 め 取 り除 い た 脚 肉 の紅 色 部 を上 向 き に並 べ, 硫 酸 紙 と体 裁 よ く折 り畳 ん で,肉 詰 め を終 わ り,ベ ル トコ ンベ ヤ ー で仮 締 機 に 送 る 。 缶 詰 製 造 上,脱 気,加 熱,殺 菌 な どに よ り歩 減 が あ るの で,肉 詰 規 定 量 を え る た め に,規 定 よ り9匁 か ら15,6匁 多 く詰 め る必 要 が あ る。

仮 締 機 で 蓋 を仮 締 め した もの は,脱 気 箱 に 送 られ る。 脱 気 箱 の 内 部 は,蒸 気 熱 で相 当 高 温 に保 た れ,缶 詰 が そ の 中 を通 る 間 に,缶 内 の 空 気 を排 除 す る。 そ の 時 間 は摂 氏100度 で 約7分 か ら15分 で あ る 。 脱 気 後 の 缶 詰 は,す ぐ巻 締 機 で 固 く気 密 に密 閉 され る。

缶 詰 は,密 封,脱 気,殺 菌 の 三 行 程 で 完 成 さ れ,殺 菌 は 最 も主 要 な 行 程 で あ り,殺 菌 が 不 完 全 だ と多 大 の 腐 敗 缶 を 出 す か ら,注 意 が 必 要 で あ る。 殺 菌 装 置 に は,横 型 式 と竪 型 式 が あ る 。密 封 さ れ た缶 は 鉄 製 の篭 に 並 列 し,横 型 式 で は, レ トル トカー に 数枚 重 ね,そ の ま ま トロ リ ー で運 ば れ,殺 菌 釜 の 中 に入 れ,竪 型 式 で は,篭 の1枚1枚 を チ ェー ンブ ロ ッ ク で釜 の 中 に入 れ,積 み 重 ね,蓋 を 密 閉 し,蒸 気 を通 じて,高 熱 で 殺 菌 す る 。 半 斤 缶 で は,3ポ ン ドか4ポ ン ドの 圧 力 で,1時 間 か ら1時 間20分 加 熱 す る 。 そ の温 度 は 摂 氏106,7度 で あ る 。

殺 菌 釜 か ら 出す と,大 型 扇 風 機 で 冷 却 す るか,清 水 タ ンク に 入 れ て ブ ラ ッ シ ュ で よ く洗 浄 し,引 き上 げ て 扇風 機 で十 分 放 冷 す る 。 冷 却 した ら,自 動 ニ ス 塗 機 か 人 手 で,缶 の外 部 に透 明 な 白色 ニ ス を塗 る。 殺 菌 釜 か ら出 して 冷 や して い

5)『 小 樽 新 聞 』1926年9月16日,19日 。

(8)

8' 商 学 討 究 第53巻 第1号

る 問 に,缶 が 気 密 に な っ て い る か,真 空 度 が 一 様 で あ る か ど う か を,打 検 法 で 調 べ る 。

合 格 した もの を,函 へ 荷 造 りす る。1ポ ン ド缶 は4ダ ー ス で,半 ポ ン ド缶, 4分 の1缶 は8ダ ー ス で1函 とす る。 荷 造 り後,船 倉 に 貯 蔵 す る。 蟹 工 船 は, 4,5千 函 貯 蔵 で きる 。 これ を適 宜,中 積 船 に と りに きて 貰 う。6)

蟹 工 船

蟹 工 船 に よる 蟹 缶 詰 の 初 め は,大 正5年,水 産 講 習 所 練 習 船 雲 鷹 丸 に簡 単 な 缶 詰 機 械 をす え つ け,オ ホ ー ッ ク海 上 で船 内 で 製 造 試験 を行 な っ た こ と で あ る。

そ の 結 果 が よか った の で,カ ム チ ャ ッ カ西 海 岸 で 富 山県 水 産 講 習 所 練 習 船 ・呉 羽 丸 が よ り大 規 模 に製 造 した 。

日露 戦 争 か ら大 正 の初 め にか け て,北 見,根 室,千 島,樺 太 にか け て,蟹 缶 詰 製 造 所 が 続 々 事 業 を開 始 した 。 大 正9(1920)年 に7),和 島 貞 二 が 蟹 工 船 を 事 業 化 して か ら,企 業 は急 速 な発 展 を とげ た 。 と く に大 正9(1920)年,露 領 蟹 漁 区 を獲 得 して か らは,カ ム チ ャ ツ カ沿 岸 と蟹 工 船 と の蟹 缶 詰 製 造 の 産 額 は 飛 躍 した 。 同方 面 の 事 業 は,当 初 か ら 日魯 漁 業 会 社 が 主 で あ り,初 期 に は 若 干 の競 争 者 が あ っ た が,昭 和7年 に は 日魯 に合 併 され た 。 日本 の 蟹 缶 は英 米 欧 大 国 人 が 愛 好 し,日 本 の 重 要 輸 出 業 とな り,外 貨 獲 得 に大 き な役 割 を果 た した 。 日本 蟹 缶 輸 出組 合 の 等 級 に は,フ ァ ン シ ーfancy,チ ョイ スchoice,フ ェ ァfair, パ ス トpassedが あ る 。

輸 出 蟹 缶 詰 は,農 林 省 の検 査 規 準 に よ る 日本 蟹 缶 詰 業 水 産 組 合 聯 合 会8)の 検 査 に合 格 し な い と輸 出 で きな い 。

イ 崩 肉 缶 詰 で な い もの

合 格 フ ァ ン シー

1位,チ ョ イ ス2位,フ ェ ア ー3位

6)『 蟹 缶 詰 の 話 』

7)越 崎 は,大 正10年 とす るが, 8)大 正13年 に 成 立 した 。

『 蟹 缶 詰 罐 の 話 』 に従 う 。

(9)

格 詰 格 格 合 缶 合 不 肉 合 不 崩

蟹 工船 お よび 漁 夫雑夫 虐待 事件 格外 廃 品

パ ス トA1位,パ ス トB2位 。

格 外 廃 品

9

輸 出 可 能 の も の は,フ ァ ン シ ー,チ ョ イ ス,フ ェ ア ー,パ ス トAに 限 ら れ, 対 中 国 へ は パ ス トBも 許 可 さ れ る 。 廃 品 は 検 査 所 で 没 収 ・廃 棄 さ れ る 。 函 に fancy,choice,fair,passed,nonexportable,rejectedと 押 さ れ る 。

缶 の 蓋 と底 が ふ く ら ん で い れ ば,不 良 品,開 缶 し て プ ン と 鼻 を つ く の は 不 正 品,肉 に 青 班 や 黒 班 の 多 い も の は 不 良 品 で,肉 の 成 分 と ブ リ キ の 鉄 と化 学 反 応 を 起 こ す 結 果 で あ り,有 害 で は な い 。 形 態 も 柔 軟 な も の は 新 鮮 で な い か,製 法 が 悪 い か な の で,避 け る べ き と さ れ た 。9)

明 治41(1908)年,日 露 漁 業 協 約 が 実 施 され た 。 そ の 後,露 領 漁 業 は驚 くべ き発 展 を した 。 帆 船 か ら汽 船 へ 移 り,塩 蔵 か ら缶 詰 へ 移 り,函 館 を経 由 した の が,缶 詰 製 造 に よ り漁 場 か ら輸 出地 まで 直 送 され,最 初 一獲i千金 を ね ら う群 小 漁 業 家 の 自 由 企 業 時 代 か ら,大 資本 経 営 の少 数 漁 業 会 社 時代 と な っ た 。 なお 昭 和17年5月 の水 産 統 制 令 に よ り北 洋 漁 業 も全 面 的 統 制 時 代 に な っ た。 漁 業 会 社

で は 日魯 漁 業 が 有 名 で あ る 。

石 川 県 人 ・米 林 伊 三 郎 は,林 商 会 をお こ し,樺 太 漁 業 を お こ な い,明 治37, 38年(1904‑5,日 露 戦 争)戦 役 の 結 果,全 島 が 復 領 す る と,明 治39(1906)年, 西 海 岸8箇 所 を経 営 して,儲 け た。 明 治44(1911)年,樺 太 漁 業 を して い た 中

山説 太 郎 と,一 井 組 を組 織 し,明 治45(1912)年,カ ム サ ッ カ に進 出 して,東 海 岸7箇 所 を経 営 し,大 正2(1913)年,カ ム サ ッ カ の優 良 漁 場 を入 手 し,缶 詰 事 業 を始 め る な ど,次 第 に規 模 を拡 大 した 。 そ の 後,西 海 岸,ニ コ ラ イス ク 方 面 の 漁 場 も加 え,藤 井 猪 之 助 と提 携 し,カ ラ ギ ンス キ ー 区 方 面 に も漁 場 を加

9)産 業 経 済調査 所 『 蟹 缶罐 詰 の話』

(10)

ヱ0

商 学 討 究 第53巻 第1号 え た 。

大 正3(1914)年3月,一 井 組 は,資 本 金2百 万 円 で,日 魯 漁 業 株 式 会 社(=

旧 日魯)を 創 設 した 。 大 正5(1916)年,北 千 島 で 鱈 漁 業,蟹 缶 詰 に 着 手,大 正6年,母 船 を カム サ ッ カ西 海 岸 沖 に 出 した。

カ ラ フ トの錬 漁 業 が,乱 獲 の た め 減 少 し,そ こで 大 正7,8年,カ ム チ ャ ッ カ漁 業 に重 点 を お こ う と,西 部 カ ム チ ャ ッカ に 漁 場 を増 や し,缶 詰 工 場 を新 設

し,オ ホ ー ツ ク地 方 に も漁 場 を入 手 した 。第1次 大 戦 と ロ シ ア革 命,そ して 「 尼 港 」 事 件 もお き,露 領 極 東 地 方 は無 政 府 状 態 とな り,日 本 は ウ ラ ジ オ ス トック の ゼ ム ス トヴ ォ10)政 権 が 樹 立 した 臨 時 政 府 と暫 定 協 定 を 結 び,露 領 に 出 漁 し た 。

大 正9(1920)年,当 時 カム チ ャ ッ カ と樺 太 に 多 くの優 良 漁 場 と新 式 缶 詰 工 場 を もっ た 堤 商 会 と提 携 が な った 。 大 正10(1921)年3月,極 東 漁 業 株 式 会 社 (堤商 会 が 株 式 会 社 化 した もの)と 合 同 した 輸 出 食 品 株 式 会社,カ ム サ ッ カ漁 業 株 式 会社,日 魯 漁 業 株 式 会社,の 三 社 は,合 同 して 日魯 漁 業 株 式 会 社 と な っ た 。ll)こ れ は,カ ム サ ッカ 第 一 の 漁 業 会 社 と な っ た 。 堤 清 六 が 社 長 と な り, カ ム チ ャ ッカ と オ ホ ー ッ ク に魚 場105箇 所,樺 太,エ トロ フ に 漁 場31箇 所,缶 詰 工 場19箇 所,を もっ た 。

当 時,北 洋 漁 業 は漁 業 権 を め ぐ っ て ソ 連 と対 立 し,国 際 的 注 目 を浴 び な が ら, 国 家 的 産 業 と し て,そ の 規 模 が 毎 年 拡 大 され て い た。1927年 に,47万 トンの 漁 船 が 出漁 し,約2万 の 漁 業 労 働 者 が 送 り出 され,北 洋 漁 業 の監 獄 部 屋 とい わ れ

た 蟹 工 船 の 漁 夫 ・雑 夫 は4千 人 を越 え て い た 。

原 敬(は らた か し,1856‑1921政 友 会 総 裁 。1918‑21首 相)は,日 本 の 守 る べ き権 益 は満 鉄12)と 北 洋 漁 業,と 演 説 した 。 北 洋 漁 業 は生 糸 に つ い で外 貨 獲 得 に は2番 目 に 大 き か っ た 。13)大 正 年 間 に 本 格 化 し た蟹 工 船 に よ る 母 船 式

10)地 方 自治 会 。

11)『 函 館 市 史 資 料 集 』 第20集(続 水 産 業)函 館 市 史 編 纂 委 昭 和32年12月 。 12)満 州 鉄 道 。 こ れ は 明 治39(1908)年 にで き た 。

13)日 高 昭 二 講 演1994年10月 か ら 。

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蟹工 船 お よび 漁 夫雑夫 虐待 事件

1ヱ

カ ニ 缶 詰 製 造 は,欧 米 へ の 製 品輸 出 を通 して 貴 重 な外 貨 を も た ら した 。

明 治38(1905)年,缶 詰 の 試 験 を した。 富 山 県 水 産 講 習 所 が 海 上 で 缶 詰 を作 っ た 。 そ れ まで 真 水 が 必 要 だ っ た 。 海 上 で真 水 が 作 れ る よ う に な っ た 。

蟹 缶 詰 は ヨー ロ ッパ 人 が 珍 重 した 。 ロ ン ドンで 売 り さば か れ た 。 農 民 が 農 閑 期 に 出 稼 ぎ を し た。 大 正15(1926)年 に県 ・役 場 が 募 集 した 。

舞 台 は 誕 生 した ば か りの社 会 主 義 国 ソ連 の 鼻 先 に 広 が る 「 政 治 の 海 」,労 働 者 の 赤 化 防止 は 至 上 命 令 だ っ た。 蟹 工 船 とい う隔 離 さ れ た 小 さ な空 間 に,国 家

と企 業 の政 治 的,経 済 的 要 求 と矛 盾 が 集 約 され た 。14)

商 業 ベ ー ス で の カ ニ 缶 詰 製 造 の歴 史 は,蟹 工 船 に先 だ っ て20世 紀 初 め に根 室 で 始 ま っ た と され る 。 国 後 島 や根 室 半 島 の 陸 上 工 場 が舞 台 だ っ た 。根 室 の碓 氷 (う す い)家 で は,明 治38(1905)年 に カ ニ 缶 詰 を製 造 し た とさ れ る。 初 代 ・ 勝 三 郎 は,カ ニ 缶 詰 の 難 点 で あ る肉 の黒 変 を防 ぐた め,缶 内 部 で カ ニ 肉 を硫 酸 紙 で 包 む方 法 をい ち早 く実 用 化 した 。1905年 に和 泉 庄 蔵 もカ ニ 缶 詰 を製 造 した 。 根 室 は カ ニ商 品 化 開拓 の 町 で あ る。

根 室 地 方 の カニ 缶 詰 製 造 に も集 約 的 な労 働 力 が 必 要 だ っ た。 こ こで は若 い 女 性 た ち が 主 役 を務 め た 。1921(大 正10)年,函 館 の和 島 貞 二 の工 船 が カニ 缶 詰 製 造 を した。 漁 業 者 と して 初 の操 業 で あ っ た 。

蟹 は 生 で の保 存 が 難 しい た め,明 治 時 代 か ら缶 詰 加 工 が 行 わ れ,カ ニ 漁 業 は 缶 詰 製 造 と密 接 につ な が っ て い た 。か つ て は刺 し網 漁 が 多 か っ た。蟹 缶 作 業 は, い つ も手 作 業 で あ る。1935年 か ら1940年 ま で 北 海 道 の カ ニ 生 産 は,数 千 トンか

ら1万 数 千 トンで あ る 。

北 洋 の 蟹 母 船 式i操業 は1920年 代 後 半 が 最 盛 期 で,蟹 工 船 は ソ連 の 領 海 で 底 差 し網 で 乱 獲 した た らば蟹 を船 上 で加 工 す る 移 動 缶 詰 工 場 で あ る。1926(大 正15) 年,「 小 樽 新 聞 」 や 「 北 海 タ イ ム ス 」 が 大 き く報 道 し た蟹 工 船 秩 父 丸 の 遭 難 事 件 や,博 愛 丸 と英 航 丸 で お きた 漁 夫,雑 夫 虐 待 事 件 が,多 喜 二 の 『 蟹 工 船 』 執 筆 の 直 接 の動 機 と な っ た 。

14)『 朝 日 新 聞 』1999年10月13日 特 集 か ら 。

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12 商 学 討 究 第53巻 第1号

多 喜 二 自身 は 実 際 に起 きた 虐 待 事 件,抵 抗 運 動 な ど をか な り綿 密 に調 べ て執 筆 した 。1926(大 正15)年9月,工 船 ・英 航 丸 で の漁 夫 に対 す る暴 行 事 件 な ど

が 発 覚 した 。 多 喜 二 の 小 説 の モ デ ル に な っ た。 「 海 中 に 落 ち て 命 を失 う な ん て い う事 故 は少 な くな か っ た 」 「(大漁 の と きに は)一 晩 に 二,三 時 間 寝 た ら最 高 の 方 だ っ た」 とい う証 言 を,浅 利 政 俊 は得 て い る。15)実 際,多 喜 二 は 蟹 工 船 に乗 っ た ら しい と,同 級 生 石 本 は 言 う。 しか し乗 っ て は い な い。

極 東 沿 海 の蟹 缶 詰 事 業 は,最 近 の もの で,急 速 に発 達 した 。ア メ リ カで は1873 年,イ ギ リス で は1874年,日 本 は1890年,ロ シ ア で1903年 に,初 め て 着 手 した。

世 界 市 場 で の 需 要 が 激 増 し,生 産 額 が 巨大 に 増 加 した。 ロ シ ア領 缶 詰 生 産 業 は 盛 大 だ が,事 業 の 大 半 は 日本 人 が経 営 して い る 。1911年 か ら16年 の6年 間 に捕 獲 した 蟹 は,

日本 海 黒 龍 河 口付 近

オ ホ ー ツ ク海 とサ ガ レ ン16) カ ム チ ャ ッ カ西 海 岸

白 令 海 と カ ム チ ャ ッ カ 東 海 岸

合 計

捕 獲 高(千 ポ ン ド) 70 3200

500 4300 1400 10300

百 分 率 0.7 33.0

3.2 46.6

14.3

ロ シ アの 海 で蟹 捕 獲 業 が 急 速 に発 達 した の は,主 に 日本 資 本 の活 動 に よ る 。 そ の 初 期 に は,漁 場 の62%は 日本 漁 業 家 の手 に あ り,38%は ロ シ ア 漁 業 家 また は 日露 合 弁 の下 に経 営 され た 。 近 年 ロ シ ア 資 本 が 欠 乏 し,日 本 漁 業 家 の 勢 力 範 囲 が ます ます 拡 大 し,そ の 捕 獲i高は80%,90%に 増 加 し,缶 詰 事 業 お よ び外 国 市 場 へ の 供 給 も,日 本 人 に 独 占 され た 。1923(大 正12)年 中,日 本 の 米 国輸 出 蟹 缶 詰 は,200万 な い し250万 ドル に た っ した 。 ロ シ ア方 面 で 日本 人 が 捕 獲 事 業

15)『 朝 日 新 聞 』1999年10月13日 特 集 か ら 。 16)サ ハ リ ン=樺 太 。

(13)

蟹 工船 お よび 漁 夫雑 夫虐 待事 件 13 に努 力 し て い る こ と は,就 働 者 数 に よ って も察 知 で き る。1924年 中 に カム サ ッ カ の工 場 で,日 本 資 本 が 雇 用 した職 工 数 は,1654人,1925年(大 正14)で は2 千 人 に増 加 した が,ロ シ ア工 場 の蟹 缶 詰 は,2工 場,百 人 か120人 で,漁 夫 の 数 を あ わ せ て も,6,7百 人 に しか 達 し な い小 規 模 な もの で あ る。 ロ シア 極 東 で は1910(明 治43)年 こ ろ まで,本 業 は 微 々 た る もの で,同 年,日 露 の漁 業 家 が 多 額 の 資 本 を投 じて,経 営 に着 手 し,初 め て発 達 した。 工 場 設 立 の順 序 は,

1.1909‑10年 ア メ リ カ湾 内 ナ ホ トカ入 り江 に フ ェデ チ キ ン工 場 が 設 立 され,2.

1916年,タ フ イ ン入 り江 と ワ レ ンジ ン入 り江 に2つ,3.1920年 ポ ポ ロ ー トス イ岬 付 近 グ ラ ニ ー トナ ヤ入 り江,4.1923年 ポ ポ ー フ 島 に 一 工 場 が,創 設 され た 。 日本 漁 業 家 は この 外,ス ウエ ー トラヤ 河 付 近 で 製 造 し,ま た 汽 船 内 で も製 造 した が,日 露 い つ れ の工 場 も設 備 不 完 全 で,ま た秩 序 あ る 生 産 が で きな か っ た 。これ が,改 善,増 設,技 術 上 の 改 良 を され た のが,1922‑23年 以 後 で あ る。17) ロ シ アの 経 営 で 注 意 す べ き は,労 力 者 の 能 率 の 大 き な差 で あ る。 ロ シ ア人 の 就 業 時 間 は普 通8時 問 で,日 本 人 は11時 間か12時 間 の 労 働 で あ る。 また 一 箱 の 生 産 の 経 費 は,1914年 こ ろ は7ル ー ブ ル … …,日 本 人 の生 産 費 は5,6円 で あ る。 蟹 缶 詰 工 場 は,1つ は 沿 海 の 定 置 工 場 で,1つ は移 動 式 工 場 で あ る 。 定 置 工 場 は8万 ル ー ブ ル 内 外 で,移 動 式 工 場 は10,12万 ル ー ブ ル の建 設 費 用 を 要 し, 最 近 の傾 向 は移 動 式 が 多 数 で あ る。 そ の 理 由 は,漁 獲 す る場 所 い 航 行 して 材 料 を積 み 取 り製 造 す る の が便 利 で あ り,従 っ て漁 獲 場 の 遠 近 を心 配 す る 必 要 が な い し,事 業 の 閑 散 期 で は 製 造 設 備 を取 り除 き,そ の 船 体 を 近 海 航 路 に就 役 で き

る等,幾 多 の便 利 が あ る か らで あ る 。

極 東 ロ シ ア で は[当 時 まで]一 般 に技 量 が 拙 劣 なた め,ま た 豊 富 な天 産 物 が あ る た め,蟹 缶 詰 事 業 の よ う な一 時 に 巨 額 な資 本 を要 さず,多 大 な利 益 を得 る 事 業 を 閑 却 して,外 国 市 場 を開 発 せ ず,毎 年 日本 資 本 家 の た め に数 百 万 ル ー ブ

ル の利 益 を取 り去 られ て い る。18)

17)『 小 樽 新 聞 』1926年8月22日 。 18)同,8月25日 。

(14)

ヱ4

商 学 討 究 第53巻 第1号 日本 の蟹 漁 業 は,第2次 大 戦 に よ っ て 主 要 漁 場 を 失 っ た 。

2蟹 工船漁夫雑夫虐待事件

博 愛 丸 事 件

1926(大 正15)年 に,蟹 工 船 「 博 愛 丸 」 で,雑 夫 虐 待 事 件 が あ っ た 。 1926(大 正15)年9月7日,『 函 館 日 日新 聞』 は伝 え る 。 標 題 は 「 漁 夫 を起 重 機 で 捲 き上 げ た り火 刑 に した り 俄 然 暴 行 事 件 発 覚 した 蟹 工 船 の 博 愛 丸 」 で あ る。 … … 昨6日 午 前3時 半19),カ ム チ ャ ッ カ か ら当 港 〔 函 館 〕 に帰 来 し た市 内 弁 天 町 大 菱 商 会 の 蟹 工 船 博 愛 丸(2,624ト ン)に,奇 怪 極 ま る暴 行 事 件 が あ る こ と を探 知 した 水 上 署 で,俄 然 色 め き た ち,目 下 関 係 者 を召 還 取 調 べ 中 で あ る。 … …

『 小 樽 新 聞 』9月8日 で も報 道 され た 。 標 題 は ,「 蟹工 船博愛 丸 に 雑 夫虐 待 の怪 事 件 行 方 不 明 の 二 名 にお こ る 疑 問 函 館 水 上 署 に 召 還 」 で あ り,内 容 は次 で あ る。

函 館 市 大 菱 商 会 が 経 営 す る蟹 工 船 「 博 愛 丸 」が,1926(大 正15)年9月6日, 函 館 に 入 港 した 。 入 港 と同 時 に,漁 夫,雑 夫 十 余 名 は,函 館 水 上 署 に 出 頭 し, 蟹 工 船 の 監 督 ・阿 部 金 次 郎(金 之 助,筆 者)が 出 漁 中,漁 夫,雑 夫 を虐 待 し,'な お2名 が 行 方 不 明 に な っ た事 件 を訴 え 出 た 。 司 法 部 で は に わ か に活 気 を呈 し,6日 夜 来,関 係 者 を続 々召 還 し取 調 べ た 。

阿 部 監 督 は,か れ ら仲 間 で は鬼 金 と云 わ れ る男 で,狂 暴 で 虐 待 を す る。前 年, 1920年 の 秋,多 数 の 死 傷 者 を出 し,こ れ に関 係 して ○ ○問 題 まで 伝 え られ た 福 一 丸 事 件 も ,監 督 で あ っ た 。彼 が 主 働 隊 と な っ て行 い,鬼 金 また は阿 部 金 の 名 を 聞 い た だ け で,漁 夫,雑 夫 は,震 え お の の く とい う有 様 で あ っ た 。

今 回 の 取 調 べ と共 に,第 二 の 監 獄 部 屋 と して 世 間 か ら疑 惑 の 目で 迎 え られ て

19)原 文 は和 数 字 で あ る が,こ こ で は算 用 数 字 とす る 。

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蟹 工船 お よび 漁 夫 雑夫虐 待事 件

ヱ5

い る 蟹 工 船 の 内 容 が 明 らか にす るべ く,水 上 当 局 で は こ れ を機 会 に,徹 底 的 に 調 べ る はず で あ る。

翌 日9月9日,同 『 小 樽 新 聞 』 で,続 きが 報 道 さ れ た 。 標 題 は,「 蟹 工 船 博 愛 丸 の 虐 待 事 件 この 世 な が ら の生 き地 獄 ウ イ ンチ に雑 夫 を吊 し上 げ て あ ざ笑 う鬼 畜 に ひ と し き監 督 真 に聖 代 の 奇 怪 事 」 で あ り,内 容 はつ ぎで あ る。

蟹 工 船 ・博 愛 丸 の 漁 夫 雑 夫 虐 待 事 件 は,ひ きつ づ き函 館 水 上 署 で 厳 重 に 取 調 べ 中 で あ る。 そ の 結 果,鬼 監 督 と して 有 名 な函 館 市 代 ケ岱 一 四 阿 部 金 之 助 (四八)元 町 四 十 一 松 崎 隆 一(三 〇)そ の 他 幹 部 は,続 々水 上 署 に 引 致 さ れ, 勾 留 中 で あ る。 か れ らの悪 逆 行 為 実 に 監 獄 部 屋 の 比 で は な い 。 無 警 察 な の を 奇 禍 と して,人 間 にあ る ま じ き虐 待 もあ え て した もの で,今 同 船 の 乗 組 員 某 が 実 際 目撃 し,更 に これ を 日記 に した た め た もの に よれ ば,6月10日 午 後,内 田 と い う雑 夫 が 病 気 で 後 部 の 部屋 に臥 床 して い た処 へ,松 崎 監 督 が 見 え て,そ こ へ 甘 田 工 場 長 が 突 然 出 て来 て,病 の た め う んvう な っ て い る 内 田 を,情 け容 赦 もな く縛 し,さ ら に麻 縄 で 旋 盤 の鉄 柱 に手 足 腰 を く く りつ け,胸 に は 「こ の 者 仮 病 につ き縄 を 解 く事 を 禁 ず 」 と,ボ ー ル紙 に 書 い た もの を結 びつ け,食 物 もや らず に虐 待 した の を,見 る に 見 か ね て船 員 が 夜 ひ そ か に縄 を解 い て や っ た 。 加 藤 とい う雑 夫 は,同 じ く仮 病 と見 な され,阿 部 監 督 等 の た め に ウ イ ンチ に 吊

る さ れ,空 中 高 く吊 る し上 られ て,船 が ロ ー リ ン グす る た め に,ぶ ら りvと 振 り動 く度 に,「 あ や ま っ た 。 あ や ま っ た 。 助 け て くれ 」 と,悲 鳴 を あ げ て 泣

き 叫 ぶ に も拘 らず,鬼 畜 に等 しい 監 督 等 は,「 こ う して 一 般 の 見 せ しめ に す る の だ」 と,快 よげ に あ ざ 笑 い,驚 くべ し,一 日の 間 一杯 の 水 一 食 の 飯 も与 え ず, 虐 待 し,な か ば死 ん で い た の を船 員 が 引 きお ろ して 手 当 を加 え た た め,よ うや

く蘇 生 した 。だ が 彼 らは,こ れ らに と ど ま らず,棍 棒,ハ ン マ ー を た ず さ え て, あ っ ち こ っ ち に監 視 の 目を光 ら し,少 しで も怠 け た 者,病 気 で休 む 者 が あ れ ば, た だ ち に惨 虐 の手 が 頭 上 に 下 る も の で,さ なが ら この 世 の地 獄 で あ る。

同 じ9月9日,『 小 樽 新 聞』 で 報 道 が さ れ た 。 標 題 は,「 昔 の 恩 義 も忘 れ 監

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16 商 学 討 究 第53巻 第1号

禁 して 絶 食 の 刑 貰 っ た 一 本 のバ ッ トに感 激 の 涙 人 か鬼 か 阿 部 監 督 」で あ り, 内 容 は こ うで あ る。

蟹 工 船 博 愛 丸 の 鬼 監 督 阿 部 が,義 理 も人情 も わ きま え ず,畜 生 に も劣 る 行 為 を あ え て す る こ とは,そ の 昔,阿 部 が 一 漁 夫 と して カ ム サ ッ カ に 出 漁 当 時, 大 船 頭 を して い た 今 市 某 に 非 常 に恩 義 を こ う む っ た 。 そ の後 今 市 は失 敗 して, 今 年 一 漁 夫 と して,そ の昔 の 部 下 で あ った 阿 部 の 監 督 下 に属 して,博 愛 丸 に乗

り込 ん だ が,不 幸 に も脚 気 にか か り,不 具 の 状 態 と な っ て動 け な くな っ た 。 血 も涙 も ない 阿 部 は,仮 病 を つ か っ て い る の だ と称 し,暗 い 一 室 に四 日間 監 禁 し て,絶 食 の 刑 に処 した ば か りで な く,動 け な くな っ た 今 市 を,今 度 は採 割 場 に 廻 して 仕 事 を させ,激 務 に卒 倒 す る よ うな こ とが あ れ ば,「 此 奴 ま だ 仮 病 を つ か う,そ ん な らウ ン と苦 しめ て や る」 と,他 の漁 夫 等 と共 に 出 漁 させ 酷 使 し た た め,今 は全 く根 も力 も尽 き果 て て,漁 船 内 に仰 向 け に な っ た ま ま,本 船 に 返 さ れ た が,阿 部 は これ に対 して,一 服 の 薬 も与 え る こ と な く,再 び 暗 い 部屋 に監 禁 した の で,同 僚 の 一 漁 夫 が 心 配 して,監 禁 室 の 羽 目板 に節 穴 が あ っ た の で,名 を 呼 ん だ処,苦 しい 声 で 「自分 は 阿 部 の た め殺 され る の だ,俺 は 目 を閉 じ る処 だ が,せ め て 此 の 世 の名 残 りに一 杯 の 水 を呑 ん で死 に た い か ら,持 っ て きて くれ」 と,件 の 漁 夫 に頼 ん だ が,水 を 中 に 入 れ る こ とが 出 来 な い か ら,「水 を入 れ られ ぬ か ら,せ め て 煙 草 で もの ん で くれ 」と,一 本 の バ ッ トを与 え た処, 今 市 は お し戴 い て こ れ をの ん だ が,間 もな く絶 命 した とい う。

記 事 は 続 く。 標 題 は,「 自 由 を奪 っ て 残 酷 なお 灸 瀕 死 の 状 態 を危 く救 は る 裏 面 に幾 多 の 惨 話 」 で あ る。

蟹 工 船 博 愛 丸 の虐 待 事 件 は,つ い に検 事 局 の 活 動 とな り,西 主席 検 事 は, 8日 朝 来,函 館 水 上 署 に 出 張 し,署 長 室 で 阿 部 以 下 の 幹 部 を召 還 し,厳 重 取 調 べ を して い る 。 地 獄 の 責 苦 に さ い な まれ た そ の 裏 面 に は,幾 多 の惨 話 を残 して

い る 。

8月1日 工 藤 と い う雑 夫 が,阿 部 監 督 に仮 病 と に らま れ て,一 室 に 監 禁 さ れ,

絶 食 の 刑 に処 せ られ た 際,阿 部 は足 を持 ち,松 崎 監 督 が 綿 に 火 を付 け て,両 足

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蟹 工船 お よび 漁 夫雑 夫虐 待事 件 17 お よび 磐 部 に何 度 とい わ ず 灸 をす え た の で,工 藤 は瀕 死 の状 態 と な り,よ うや く同僚 の 助 け に よ り,生 命 を保 っ た が,そ の た め 両足 お よ び 啓 部 に は,今 も な お 当 時 を しの ぶ生 々 しい火 傷 の 跡 が 印せ られ,よ うや く立 歩 い て い る。

しか も一 旦 こ の 刑 に処 さ れ た もの に対 して は,絶 対 に煙 草 等 を給 与 しな い た め,工 藤 は煙 草 が 吹 た さ に,病 中 大 切 な 丹 前 とバ ッ トニ 個 菓 子 一 袋 落 花 糖 三 十 粒 と交 換 し,わ ず か に 自 己 の 心 を慰 め た とい う も,ま た 悲 惨 な 限 りで あ る 。

『 函 館 新 聞』9月8日 は ,標 題 「 無 惨 な 漁 夫 虐 待 カ ム サ ッ カ帰 りの雑 夫 の 口か ら 端 な く洩 ら した事 実 」 で,こ う書 く。(現 代 風 に)

市 内弁 天 町 大 菱 商 会 蟹 工 船 博 愛 丸(1346ト ン)は,6日 午 前3時,函 館 へ 帰 港 した が,計 らず も全 船 乗 組 雑 夫 の 口 か ら,就 漁 中 に,聞 く も無 惨 な漁 夫 虐 待 事 件 が 暴 露 し,直 に水 上 署 の 大 活 躍 とな り,首 謀 者 全 部 は7日 午 後2時 まで に 逮 捕 さ れ る 見 込 み で あ る。 この 背 後 に は何 等 か 水 上 署 との 関係 を持 つ もの ら し

く,重 大 視 さ れ て い る。

博 愛 丸 は,今 年4月16日,函 館 か ら漁 夫 雑 夫205名 を 載 せ,事 業 主 と して, 市 内 元 町 四 十 二 松 崎 隆 一(三 〇)総 監 督 千 代 岱 十 四 阿 部 金 之 助(四 八)監 督 古 田 島 磯 雄(三 三)元 函館 水 上 警 察 署 巡 査 西 山 美 代 吉(三 〇)等 が,幹 部 と して 出 港,カ ム チ ャ ッカ西 海 岸 エ ッ チ ヤ 沖 合 で就 漁 して い た 。労 働 過 激 で, か つ 食 糧,飲 料 水 の粗 悪 な た め,二 百 余 名 の 漁 夫 雑 夫 の 内 約 六 割 まで 栄 養 不 良, 脚 気 患 者 を出 した 。 そ の 内20名 は ほ とん ど重 病 で,と う て い 労 働 に従 事 す る こ

とが で きな い の に,前 記 松 崎 な ら び に 阿 部,阿 部 の養 子 西 山等 は,手 に手 に樫

の べ シ(蟹 の 甲 を挟 む 道 具)ハ ンマ ー な どで,所 を 嫌 わ ず な ぐ りつ け,ほ と ん

ど立 つ こ と も 出来 ぬ 重 病 者 を 強 い て就 業 させ た た め,青 森 生 まれ 今 市 某 は つ い

に 死 亡 した 。 彼 らは なお あ きた らず,睡 眠 不 足 の た め 居 眠 りを して い た青 森 生

まれ 雑 夫 佐 藤 定 一(二 三)を 発 見 す る や,野 獣 の ご と く暴 れ 出 し,襟 髪 を掴

ん で 引 きず り倒 し,棒,ハ ンマ ー で 滅 多 打 ち に した 上,胴 中 を 鉄 鎖 で 縛 し,ウ

イ ンチ(荷 物 を揚 げ る機 械)で 吊 り上 げ,さ らに松 崎 は,綿 に ア ル コ ー ル を ひ

た して,同 人 の 磐 部 にあ て,火 をつ け る な ど,狂 暴 な 振 舞 い を した 外,そ の 漁

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18 商 学 討 究 第53巻 第1号

夫 雑 夫 の 内 に も ほ とん ど一 度 と して これ 等 の 虐 待 を受 け ない 者 は な い 。 総 監 督 と称 す る 阿 部 は 常 に,「 俺 の 養 子 は元 函 館 水 上 署 の 警 部 だ か ら,貴 様 の 一 人 や 二 人 を撲 殺 して も何 で もな い 」 と豪 語 して い た と言 わ れ て い る。 な お 同船 函 館 入 港 と共 に,そ れ ぞ れ 漁 夫 に給 料 を払 う 際,最 高 二 円八 十 銭,最 低 一 六 銭 とい う,ほ とん ど常 識 を逸 した 支 払 い を し,抗 議 す る者 に は 大 声 で威 嚇 した とい う よ うな 事 実 で あ る。 な お 漁 夫 村 井 某 が 行 方 不 明 に な っ た 時 も,ほ とん ど知 ら な い者 の よ うに看 過 し,敢 えて 捜 索 し な い だ け で な く,捜 索 す る事 を拒 ん だ とい う怪 事 実 もあ る。

虐 待 事 件 とそ の 談 話

記 者 団 は た また ま保 護 室 に休 息 し て い る 同 船 雑 夫 小 山外 五 名 の 内 一 名 の 談 話 を 聞 い た 。

私 は こ ん な 荒 くれ 男 で す が,乗 船 し た 日か ら今 日ま で,ほ とん ど生 きた気 持 ち な どが 無 か っ た 程 虐 待 され 通 した も の で,佐 藤 が ウ イ ンチ に巻 き上 げ られ, 十 間 計 りの 空 の 上 で,「 ゆ る して くれ,ゆ る して くれ 」 と泣 い た 声 が,今 で も 耳 に つ い て離 れ ませ ん。労 働 と い え ば,ほ とん ど人 力 の 及 ば な い程 度 の もの で,

そ れ を一 寸 で も油 断 す る と,ハ ンマ ー が 飛 ぶ,棒 が 飛 ぶ,こ れ を 見 て 下 さい, 私 の 身 体 は この 通 りだ,と 身 体 の 生 々 しい キ ズ を示 した 。 談 話 が た ま た ま西 山

に及 ぶ や,水 上 署 員 某 々 二 名 が,突 然 記 者 団 を漁 夫 との 間 を引 き分 け,談 話 を 禁 じた 。

『 函 館 新 聞 』9月9日 は ,「 漁 夫 虐 待 致 死 事 件 の 連 累 検 挙 さ る 検 事 局 の活 動 」 の 標 題 で 書 く。{現 代 風 に した}

市 内 弁 天 町 大 菱 商 会 蟹 工 船 博 愛 丸(一 三 四 六 トン)の 漁 夫 虐 待 致 死 の事 実 が, 各 方 面 に暴 露 され 喧 〔 次 の 字,読 め ず 〕 され る と,水 上 署 司 法 課 で は,急 拠 幹

部 会 を開 き,鳩 首 協 議 の 上,七 日午 後 二 時,犯 行 に 関 係 あ る と認 め られ る松 崎

隆 一(三 八)阿 部 金 之助(四 五)西 山美 代 吉(三 二)古 田 島元 雄 そ の他 を,水

上 署 に召 還 し,徹 底 取 調 べ を行 な っ た。 結 局 犯 行 の事 実 を 自 白 した よ うで あ る

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蟹工船 お よび 漁夫 雑夫 虐待 事件

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が,幹 部 全 部 を留 置 す る に は,賃 金 支 払 い,並 び に各 方 面 の 清 算 に 差 し支 え を 及 ぼ す た め,逃 走 の恐 れ な し と認 め て,8日 未 明3時,一 同 仮 帰 宅 許 さ れ た 。 同 日午 前 十 時 に 至 り,突 然 検 事 局 よ り原 検 事 が 来 着,聴 取 書 そ の他 口 供 を 聞 き 取 っ た 。 本 月 初 旬 神 宮 丸 漁 夫 虐 待 事 件 の あ っ た 際,一 漁 夫 が そ の顛 末 を札 幌 検 事 局 に投 書 した た め,こ れ ら に は特 に注 目 して い た もの と見 られ,事 件 の発 展

に連 れ,直 接 検 事 局 の活 動 に移 る と想 像 さ れ る 。

虐 待 事 件 で 水 上 署 の 談

博 愛 丸 漁 夫 虐 待 事 件 につ き,水 上 署 長 語 る。 「 極 力 取 調 べ の 結 果,虐 待 暴 行 の犯 跡 は充 分 認 め られ る が,詳 細 の 事 実 は未 だ 発 表 す る こ とが 出来 ぬ 。 西 山某 が 元 水 上 署 の取 調 べ 主 任 を し て い た とい う事 は,新 聞社 に よ って 始 め て 知 っ た が,犯 行 の 事 実 が あ る以 上 は,勿 論 断 乎 た る処 置 を とる に は ば か る こ とは な い」

云 々 。

9月10日 の 『 函 館 新 聞 』 は,「 博 愛 丸 の 船 員 虐 待 事 件 を引 提 げ て 警 視 庁 へ 訴 出 づ 」 の題 で 書 く。

函 館 市 弁 天 町大 菱 商 会 蟹 工 船 職 工 虐 待 事 件 は,目 下,函 館 水 上 署 で厳 重 取 調 べ 中 で,同 カ ム チ ャ ッカ露 領 の 蟹 工 船 博 愛 丸 の雑 役 夫 答 刑 事 件 の 真 相 を 〔 一 字 読 めず 〕 して,同 船 乗 組 員 高 倉 辰 之 助 外25名 は,9日 午 前5時20分,上 野 駅 着 列 車 で 上 京 し,同11時 警 視 庁 保 安 部 を 訪 れ,北 海 の 荒 波 の 中 で 演 じ られ た 答 刑 の 惨 劇 を涙 と共 に 訴 え 出 た 。

9月10日 『 函 館 日 日新 聞』 は,「 此 位 の 虐 待 は 何 処 に も あ る と 西 山 は 空 ぶ く 博 愛 丸 の虐 待 事 件 」 の 標 題 で告 げ る。

博 愛 丸 漁 夫 虐 待 事 件 の成 行 き につ い て,各 方 面 か ら熱 心 に 注 目さ れ て い る。

8日 午 後,松 風 町丸 玉 旅 館 に,博 愛 丸 漁 夫 を尋 ね,虐 待 の 事 実 につ い て 聞 く と,

実 際 は 報 道 さ れ た もの 以 上 の 無 惨 さで,一 人 と して 阿 部 金 次 郎 等 の幹 部 を呪 わ

ぬ も の な く,ま た8日 午 前,同 船 船 員 を召 還 して 取 り調 べ た 時 で も,皆 口 を揃

(20)

20 商 学 討 究 第53巻 第1号

え て犯 行 の 事 実 が あ っ た こ と を証 明 して い る。 た だ 副 監 督 元 函 館 水 上 署 員 西 山 美 代 吉 は,同 署 小 池 刑 事 に取 調 べ られ た の に対 し,西 山 は豪 然 と,空 ぶ き,「 こ の 位 の虐 待 は ど こ に もあ る事 で は な い か,何 も事 荒 立 だ て て 大 騒 ぎす る に は 当 た らぬ,罰 金 位 で 済 ませ て くれ」と言 っ た の で,小 池 刑 事 も勃 然 と色 を な し,「君 は 元 水 上 署 の 同 僚 だ とい うが,今 は容 疑 者 の 立 場 に い る癖 に,取 調 べ の刑 事 に 対 して 左 様 な 態 度 を示 す の は,不 謹 慎 の 至 りだ云 々」 と言 っ た の に対 し,西 山

は なお も無 恥 な譜 誌 を弄 して 引 き上 げ た 。

曳 かれ も の の 小 唄 か

一 方 ,松 崎 は,訪 問 した 某 記 者 に対 して 云 っ た こ と は,こ ん な 事 件 は他 にい く ら も あ る の に,私 の 方 ば か り を摘 発 す る と云 うの は 怪 しか らぬノ ー 体 蟹 工 船 の事 業 とい う もの は,三 十 年 の財 産 を3カ 月 で 棒 に振 るか 振 らぬ か とい う境 だ か らな か な か 生 々 しい事 は 言 っ て お れ ぬ 。 た ま に は頬 の 一 つ を撲 る こ とは あ る だ ろ う。

同 じ く9月10日 の 新 聞 に,「 惨 虐 の 跡 を探 ね て 蟹 工 船 博 愛 丸 め ぐ り う な り声 が 聞 こ え る よ う な監 禁 室 漂 う陰 惨 の気 」 の 題 で記 事 が で た 。 本 文 は,三 枚 の写 真 が 出 て い て,海 員 組 合 の渡 辺 氏 の説 明 と な っ て い る。

船 尾 に そ そ り立 つ 起 重 機 これ に,十 六 に な っ た ば か りの 美 少 年 が ガ ン

ジが らめ に縛 め られ て,吊 る し上 げ られ た … … 。 船 が ゆ れ る 毎 に ヒ イv悲 鳴

を あ げ 乍 ら,助 け を乞 う た が,鬼 の様 な奴 らは,セ セ ラ笑 って な お 高 く捲 き上

げ た … … 。 こ こ は 鬼 ど もが,病 に疲 れ 果 て た漁 夫 を,殴 る蹴 る そ れ で な

お あ きた らず に,ア ル コ ー ル を ひ た した 綿 を轡 部 に あ て,火 をつ け た 監 禁 室 で

す 中 を の ぞ く と,陰 惨 な 当時 の 空 気 が ム ツ と鼻 を つ き,今 で も哀 れ な人 々

の う な り声 が 聞 こ え る 様 で あ る。 一 こ こが 別 の 監 禁 室 で す 。 重 い 脚 気 に 身

動 き が とれ な くな った 漁 夫 ど も は,冷 酷 に も数 日の 間水 を 与 え られ ず,彼 らの

唯 一 の娯 楽 で あ る煙 草 す ら もす わ さ れ ず,叩 き こ ま れ た所 で す 。 見 る と,

そ こ は稼 汚 い 便 所 で あ る。 船 員 の 中 に は 当 時 の事 を思 い 出 して,涙 を 浮 か べ て

(21)

蟹工 船 お よび 漁 夫雑 夫虐 待事件 21 い る もの もあ っ た。 船 首 に は多 数 の 漁 夫 らが しば りつ け ら れ ま した 。 荒 波 は,遠 慮 な くこ の 哀 れ な人 々 の 頭 上 か らお ほ い か ぶ さ りま した 。 潮 水 が 眼 に は い る,耳 に 口 に は い る,そ して そ の苦 しみ に堪 え か ね て,も が きつ つ 悲 鳴 を 上 げ るの を,鬼 ど もは 快 よ気 に 眺 め て い た … … 。 工 場 か ら倉 庫,船 室 至 る と こ ろ,惨 逆 の跡 で あ る 。 ヒ ンヤ リ と肌 を刺 す 鬼 気 が 浮 動 し て い る … … 。

9月11日 の 『 北海 タイムス』 は報道す る。題 は 「 博 愛丸 の虐待 事件 明白 と な り検事局へ 函館水 上署で 十 日朝取調べ 終 る 注 目され る裁 断の結果」 であ る。

博 愛丸 の戦 りつすべ き虐待事件 は,十 日朝 に至 り,取 調べ完 了 し,直 に水 上 署 よ り書類 は検 事局 に送付 され,こ こに事 件 は全 く函館 地方裁判所 検事局 の手 に移 され た。 送付書類 の内容 は左 の ご と くであ る。

罪 名

逮捕 監 禁及傷 害並 に暴行罪 被 疑者

本籍 長 崎県 西 彼杵 郡 三重村 字松 崎 ニ ー三番 平民 戸主 当時 函館 市 元町 四七 漁業

松 崎 隆一(三 五)

函館 市 千代 ケ岱 一四 平民 戸主 博愛 丸 総監 督 阿部金之助(四 五)

本 籍 北 海道 岩 内郡 岩 内町 字御鉾 内町 字西 浜 中町 番 外地 平 民 戸主 勇吉 三男 当時 函館 市 海岸 町 一〇一番 地 雑夫長

宮 下 勇(二 八)

本 籍 新潟 県 比魚 沼郡 川 口村 字 中 ニー七 戸 主 当時 函館市 曙 町 二番地 工 場長

古 田 島磯雄(三 〇)

本 籍 新潟 県 西 蒲原郡 坂 井岩村 大 字小新 一入 三五 勇松 弟

当時 函館市 千代 ケ岱 一 四帳場

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22 商 学 討 究 第53巻 第1号 西 山 美 代 吉(二 八)

函 館 市 弁 天 町 大 菱 商 会 の 経 営 に な る蟹 工 船 は,漁 雑 夫 船 員 共257名 を乗 船 させ,4月16日,カ ムサ ッ カ西 海 岸 カ フ ラ ンに 向 け 出帆 した が,5月27日 午 後 11時 こ ろ,松 崎,阿 部 の両 名 は,共 同 して,雑 夫 佐 藤 貞 一(一 九)が 病 気 の た め 数 時 間 の 休 養 を 求 め た の に 対 し,灸 点 をす る と称 して,左 大 腿 部 外 側 に ア ル コ ー ル を 浸 した綿 に 点 火 した もの を持 っ て,一 銭 銅 貨 大 の 火傷 を負 わ せ た,同 月27日 両 名 は,佐 藤 貞 一 を船 内 倉 庫 に午 前8時 よ り午 後11時 まで 自 由 を 束 縛 し て 監 禁 し,さ らに 同夜12時 よ り,同 人 を翌 朝4時 半 まで,蟹 缶 製 造 室 に 自 由 を 奪 っ て監 禁 した 。 雑 夫 長 宮 下 勇 は7月6日,佐 藤 貞 一 が 疲 労 の 表 情 を現 す と, 見 せ しめ と称 して,樫 の 棒 で 数 回 肩 部 を 殴 打 し,さ ら に 同人 を荷 物 起 重 機 に結 縛 し,数 時 間 に わ た っ て 吊 り下 げ た 。

工 場 長 古 田 島磯 雄 は,七 月 下 旬,雑 夫 明 石 重 光(二 五)を 平 手 で右 耳 に数 回 に わ た っ て 殴 打 し,鼓 膜 炎 を起 こ させ,27日,雑 夫 水 岡正 蔵(二 三)を 玄 能 で 殴 打 し,同 月 申旬,雑 夫 金 谷 勝 芳 を大 き な磁 石 で 殴 打 し,い ず れ も全 治 まで 一 週 間以 上 の 傷 害 を与 えた 。 工 場 長 古 田 島磯 雄 は,七 月 中 旬 よ り八 月 下 旬 にわ た り,雑 夫 堀 越 長 次 郎(二 三),雑 夫 長 谷 川 時 蔵(一 八)を,居 眠 り を不 都 合 だ と し て,樫 の 棒 で 数 回 に わ た り殴 打 傷 害 を与 え,な お 五 月 中旬 よ り一 ケ 月 に わ た り,雑 夫 富 岡 重 太 郎(一 八)を,蟹 の 肉 詰 め の不 良 を責 め る た め と して 樫 の棒 で 数 十 回 に わ た り殴打 した。

元 巡 査 西 山 美 代 吉 は,7月 中 旬,雑 夫 水 岡 正 蔵(二 三)の 態 度 不 良 だ と して, 洋 食 皿 で 殴 打 し,8月24日,雑 夫 大作 利 吉(二 五)が 煙 草 を呑 ん だ の を不 都 合 だ と,釘 抜 で 殴打 し,い ず れ も頭 部 に 裂 傷 を与 えた … … 。

函館水 上署司法主任 宮下警部補 函館 地方裁判所 検事局御 中

… … い ず れ も相 当 処 罰 す べ き犯 罪 の あ った こ とは こ こ に 明 白 に な っ た 。 当 時

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蟹 工船 お よび 漁 夫雑 夫虐 待事 件 23 の 刑 法 に も とず い て,彼 らは 処 罰 さ れ る こ とに な る。

『 函 館 新 聞 』9月11日 も同 様 の 記 事 を 出 した 。

『 函 館 新 聞』9月12日 は ,「 博愛 丸の漁 夫虐待 事件 そ の 方 法 手 段 は惨 逆 を 極 む 水 上 署 の聴 取 書 以 上 だ 門 脇 海 事 部 長 の 談 」 と して,記 事 を書 い た 。

[前 略]

門 脇 海事 部 長 談

四 人 の 陳 述 を 聞 く と,事 件 の 真 相 は新 聞 紙 上 の発 表 並 び に水 上 署 の聴 取 書 以 上 の も の で,そ の方 法 手 段 は 実 に惨 虐 を極 め,こ れ が あ ま り厳 しい の で,逐 一 の 事 情 を管 船 局 長 まで 申達 して お い た が,私 の方 で 取 り調 べ る の は,殊 に そ れ に 対 す る船 長 の 態 度 如 何 で あ っ た 。 松 崎 阿 部 等 の暴 虐 に対 して船 長 は ほ とん ど 干 渉 す る こ とが 出来 ず,万 一 彼 らの 所 業 に つ い て 一 言 半 句 で も口 を 出す と,松 崎 等 は暴 力 を も っ て 脅 か す の み な らず,常 に 彼 らは 船 長 に 対 し,「 船 長 で も何

で も皆 自分 の 部 下 だ か ら,も し言 う事 を 聞 か ね ば焼 を入 れ て や る」 と称 し,船 長 の 一 身 は 同 船 に乗 っ て い た 退 職 海 軍 少 佐 某 に よ っ て僅 か に保 護 され て い た よ

うな 有 様 で,事 毎 に奴 隷 の よ うに 駆 使 さ れ て い た よ うで あ る。 また 虐 待 した 事 実 も,ウ イ ンチ で捲 き上 げ た 事 な どは 一 回 二 回 で な くほ とん ど数 回 で,ハ ンマ ー で撲 る事 な どは 殆 ん ど家 畜 茶 飯 事 で,某 少 年 は寒 風 烈 々 た る 甲板 上 に橋 に縛 さ れ て 一 夜 さ ら され て ほ とん ど瀕 死 の 重 態 とな り,ま た 某 少 年 は股 に二 吋 大 の 火 傷 二 個 所 を負 い,一 時 昏 倒 す る よ う な次 第 で あ っ た と物 語 っ て い る。

『 函 館 日 日新 聞』9月14日 は ,「 博 愛 丸 事 件 と 船 員 の 悪 辣 片 手 落 ち は 遺

」 憾 と 監 督 阿部 金 之 助 談 」 と い う記 事 を 出 した 。 阿 部 は 語 る。

い わ ゆ る博 愛 丸 の 暴 虐 事 件 につ い て,水 上 署 な ど も,単 に一 回私 を呼 ん だ だ け で,世 間 も新 聞 も暴 虐 事 件 と して み な して い る こ とは,甚 だ 遺 憾 で あ り,片 手 落 ち の 所 為 と思 う。

海 事 部 で 取 り調 べ た な ど とい う,船 長,機 関 長 な どの 言 分,火 責 め,水 責 め

(24)

24 商 学 討 究 第53巻 第1号

の生 き地 獄 云 々 を鵜 呑 み に して し ま う な ど,む し ろ言 語 道 断 で あ る。 あ れ ま で に船 長 以 下 が 漁 業 経 営 者 を悪 宣 伝 せ ね ば な らぬ 理 由 を,少 し く探 索 して 貰 い た い,非 は む しろ 彼 ら に あ りは せ ぬ か,先 ず 最 初 博 愛 丸 を蟹 エ 船 に仕 立 て た 時, 取 外 して保 存 す べ き ス チ ー ム パ イ プ 六 百 円代 を,高 級 船 員 が こ れ を 函 館 で 売 り 払 っ て しま っ た もの だ。

この 問 題 で は,一 等 運 転 士 が 現 に 私 に対 して 謝 罪 して い る,じ らい 船 員 は経 営 者 側 に対 して 煙 た い感 じ を持 つ よ う に な っ た 。 か くて下 級 船 員 を扇 動 して, 労 働 時 間 に故 障 を言 い 出 し始 め た。 朝 の6時 か ら とい うが,6時 半 か ら,そ ろ

そ ろ 出 始 め る,規 定 の8時 に は一 分 の 余 裕 もな い とい っ た仕 打 で あ る か ら,警 察 側 で も入 浴 を月 三 回 と規 定 通 り厳 達 し た 中 に は,帰 りた い と困 ま らせ を言 出

した もの が あ る が,こ れ も便 船 次 第帰 っ た ら よか ろ う と宣 告 す る と,た ち ま ち 一 日半 の 同盟 罷 業 を始 め た 。 全 く手 に終 えぬ 態 度 で あ る。 か くて 船 長 に は五 百 円,機 関 長 に は 四 百 円 の 手 当 を 出 した が,こ れ に 対 し船 長 が 二 千 円 く らい の希 望 を 申 し 出 た が,あ の仕 事 の 有 様 で 十 二 分 の 手 当 を要 求 す る額 が あ る まい と,

は ね つ け た。 これ らが 今 度 の 悪 宣 伝 の発 端 で あ る 。 しか も船 長 が,経 営 者 側 か ら四 十 二 人 分 の 配 当 金 な り と して 六 千 二 百 円余 りを受 取 り乍 ら,三 十 人 分 で 配 当 して し ま い,実 習 生 四名 と外 一 名 は 船 員 に あ らず と い うの で,配 当 もせ ぬ, 結 局 横 領 し た訳 だ,経 営 者 側 も,可 愛 相 だ か ら五 人 分 と して 六 百 余 円 を別 に 出

して や って い る,ま た持 戻 品 な ど も勝 手 に処 分 した り,言 語 道 断 の振 舞 を演 じ て い る 。 就 中,臆 に落 ち ぬ 問 題 は,例 の 不 法 監 禁 事 件 で あ る 。

佐 藤 某 は,手 も足 もつ け られ ぬ 怠 惰 者 で,船 倉 や 石 炭 庫 へ 隠 れ て し ま っ て 出

て 来 な い,も しや作 業 中海 中 に墜 ち た の で な い か と飛 ん だ心 配 を して,大 勢 で

探 し出 す と い う仕 末,何 しろ 船 内 に は 沢 山 の揮 発 油 を積 ん で い る の で,そ ん な

所 で 隠 れ て 煙 草 を 呑 ん だ り され て は大 変 で あ る,自 分 は去 年 に英 航 丸,一 昨 年

は実 川 丸[?]で,共 に そ う した大 火 を 出 した 経 験 が あ る の で,心 配 で た ま ら

ず,船 長 が い う侭 に,安 全 な 一 室 に い れ,か つ 余 りの 横 着 に,灸 を据 えて や ろ

う とい うの で,脱 脂 綿 で灸 を据 え た こ と は事 実 で あ るが,経 営 者 と して は彼 ら

の なす が侭 に任 せ て い た の で は,誰 一 人 働 く者 もな い,や む を得 ず[?]こ う

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蟹 工 船 お よび 漁 夫雑 夫虐 待事 件 25 した 。

お 灸 もす え ね ば な らな い 訳 で,こ の 経 営 に多 少 経 験 の あ る人 な らば何 人 も直 首 肯 され る?で あ る 。 そ れ を船 長 が しか も本 人 を押 え て や ら した もの で あ る の を,今 で は全 く空 とぼ け て 知 らん 顔 を して い る,警 察 権 が あ る とい う船 長 の お先 棒 に な っ た 仕 事 で は な い か,手 当 欲 しさ の不 平 欝 ぷ ん 晴 ら しに や っ た 仕 事 を,か くま で正 直 に 同情 され,反 対 に 我 々経 営 者 側 が 誤 解 され る こ とは,遺 憾 千 万 で あ る。

以 上 で あ る が,阿 部 監 督 の 述 懐 は,支 離 滅 裂 で あ る。 問 題 は,阿 部 た ち の 漁 夫 雑 夫 へ の 虐 待 にあ る。 問 題 を作 っ た の は上 級 船 員 が 原 因 だ と して い る 。 虐 待 の例 を一 つ だ け 認 め て い る が,他 は語 っ て い な い 。 そ の虐 待 もお 灸 を す え る点 だ け で あ る。 お灸 は,普 通 は モ グサ で や り,綿 と ア ル コ ー ル で はお 灸 に な らな い 。 尤 も,こ れ は,お 灸 で は ない お 灸 で あ ろ う。 そ れ で さ え も船 長 に罪 をか ぶ せ て い る。 給 料 を船 長 に 払 う よ う な側 の 人 物 が,虐 待 で は 船 長 に従 うの だ ろ う か 。 ス チ ー ムパ イ プ を売 っ て し ま っ た と して,上 級 船 員 を 非 難 して い て,普 通

に給 料 を払 う の だ ろ う か。

そ の他 の 事 件

『 北 海 タ イ ム ス』8月9日 付 けで は ,表 題 が 「 蟹 工 船 の漁 夫 栄 養 不 良 者 続 出 送 還 中 三 名 死 亡 し四名 重 態 当局 調 査 に着 手 」 で あ り,本 文 は こ うで あ る

(現代 風 に し,句 読 点 をつ け る)。

カ ム サ ッ カで,蟹 工 船 の食 糧 お よ び野 菜 の 供 給 が不 十 分 に よ り,乗 り込 み 漁 夫 お よ び 雑 夫 が,栄 養 不 良 に 陥 り,異 国 の 土 と化 す 者 が 続 々現 れ,社 会 問 題 と して 大 い に 考 究 され て い る 。… …先 に,博 多 丸(博 愛 丸 で は な い か,筆 者) 乗 り込 み 漁 夫 お よび雑 夫31名 が,栄 養 不 良 に陥 り,函 館 に送 還 され て 以 来,ま す ます 重 大 視 さ れ て い る。 今 回 ま た新 宮 丸,巌 島丸 乗 り込 み漁 夫 雑 夫36名 が, 同 様 栄 養 不 良 に 陥 り,8日 朝 入 港 の 第二 鉱 運 丸 で函 館 に送 還 さ れ て 来 た。 う ち

3名 はつ い に航 海 中死 亡 した た め,水 葬 に付 し,な お 四 名 は重 態 な た め,新 川

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26 商 学 討 究 第53巻 第1号

病 院 に 収 容 さ れ る に至 っ た 。 他 の もの は 満 足 な 手 当 を受 けず に 解 雇 さ れ る とい う,み じめ な苦 を 嘗 め て い る 。 当 局 で も捨 て置 か れ ない と,い よい よ調 査 に着 手 した 。

1926(大 正15)年4月17日,『 北 海 タ イ ム ス 』 は,「 不 らち な 蟹 工 船 長 漁 夫 三 名 溺 死 さす 」 とい う標 題 で,報 じて い る(現 代 風 に表 現 し,読 点 を補 う。 以 下 同様)。

目下 函 館 港 内停 泊 中 の 蟹 工 船 遼 東 丸 の 船 長,福 井 県 坂 井 郡 雄 島 村 平 民 戸 主, 柳 川 久 平(三 二)は,昨 年 四 月,蟹 工 船 福 一 丸 の船 長 と して 雇 わ れ,西 野 商 会 松 田漁 業 部 の 共 同経 営 た る カ ム チ ャ ッ カの モ ロ ッチ 千 川 沖 合 い で,漁 労 中 同 船 の 川 崎 船 一 隻 が 波 浪 の た め転 覆,乗 組 員8名 中3名 は溺 死 した 旨 を切 り揚 げ後, 函 館 水 上 署 に届 出 で た 事 が あ り,当 時 水 上 署 で も,波 浪 の た め 転 覆 云 々 を事 実 と信 じ,別 に詳 細 な 取 調 べ もせ ず,そ の ま ま とな っ た が,最 近,福 一 丸 で 出 稼 ぎ した漁 夫 等 の 口 か ら,意 外 に も右 は 当 時福 一 丸 の 船 長 た る柳 川 の過 失 に よ っ て 溺 死 した もの と判 明 した の で,た だ ち に調 査 を した と こ ろ,昨 年9月3日 午 後2時 ころ,同 人 は福 一 丸 を操 縦 して誤 って 川 崎 船 と衝 突,つ い に三 人 を溺 死 させ た 旨 を 自 白 した の で,過 失 致 死 と して 告 発 した が,不 らち 極 ま る船 長 で あ る。

1926(大 正15)年9月2日 に,蟹 工 船 秩 父 丸 の事 件 が 報 道 さ れ た 。『 小 樽 新 聞 』 で,「 無 情 な船 主 の 仕 打 ち に 憤 る 秩 父 丸 殉 難 者 の 遺 族 寄 付 金 を今 に渡 さ ぬ」

とい う標 題 で 扱 っ て い る。

な お,漁 夫 虐 待 事 件 と と も に,秩 父 丸 事 件 が あ っ た 。 大 正15年4月,カ ム チ ャ ッカ 沖 出 漁 中 に暴 雪 風 に 襲 わ れ 難 破 し,376名 の乗 組 員 中181名 が 命 を落 と し た 。 この た め 全 国 か ら1万5千 円 の 義援 金 が 寄 せ られ た。 秩 父 丸 の 当事 者 で あ る北 東 貿 易 会 社 は忌 意 金 と して 給 料3カ 月 分 と 「 九 一 金 」20)の ほ か,特 別 功

20)生 産効 率 を高 める ため漁 場 の出来 高 に応 じて支 払 われ た手 当金。

参照

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