覧 ドストエフ
ス キ イ の 創 作 方 法
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︿一︒︒αOー一◎︒刈Oσ脅σq・の紹介と批評・ー
新 谷 敬 三 郎
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十月革命以来︑ゾヴエトで刊行・発表されたドストエフスキイに関する文献はおびただしい数にのぼるが︑その大
多数は主として一九二〇年代から一九三〇年代の初頭にかけてあらわれていて︑しかもその多くは伝記的な︑文学史
的な資料とその考証に関するもので︑この十九世紀ロシャの特異な作家の創作方法を解きあかそうという試みは︑そ
れほど多くはなく︑ほとんど手がつけられていなかつたといえそうです︒ことに第二次大戦以後︑今日に至るあいだ
に発表された文献は微々たるもので︑それもこの作家の生誕百二十五年の一九四六年のころに一・二の注目すべき著
作があるほかは︑ほとんどみなシャーナリスチックな舞台にのつたもので︑そこにも本質的な問題の追求という点で︑
ヘエい 空白の期閲がつづいていたようにみえましたが︑ここに﹃ソ同盟科学院通報・文学及び言語部﹄一九五五年︑第十四
巻第六号(五五六ーー五七二頁)に︑エヴニンの﹃一八六〇ー一八七〇年代におけるドストェフスキイの芸術方法
について﹄に接しました︒
ドストエフスキイの創作方法
人文研究第十二輯
今その論文の概要を紹介し︑そこで問題となるべき点を指摘し︑いささか批評をつけ加えるのですが︑原論文が五
章にわかれているので︑ここでも便宜上︑それに従つて五つの章にわけ︑批評的な註釈を加えながら︑その内容をあ
とずけることにします︒なお︑原論文のドストエフスキイからの引用は︑すべて日o算整ぽo毒犀ご図冨冨げやo︿編の全
集(一九二六Ii一九三〇︑国立出版所)により︑その巻名と頁を付してありますが︑ここではそれの代りに︑作品
名とその章節を註記したことを︑お断りしておきます︒その他︑必要と思われる註は︑本交の後ろに一括してあげて
おきます︒
劇
ここに紹介する論文の課題は︑著者エヴニンによれば︑一八六〇ー一八七〇年代のドストエフスキイの創作︑つ
まり主として﹃罪と罰﹄から﹃カラマーゾフの兄弟﹄にいたる長篇をとりあげて︑そこにみられる創作上の矛盾︑二
つの傾向の闘いをあとずけよう︑というのです︒
﹃貧しい人々﹄の作者であり︑急進的なペトラシエフスキイ会の一員であり︑﹃死の家﹄に四年間をすごした政治
囚であつた作家が︑一八六三・四年ころから﹃ニヒリズム﹄に抵抗する︑キリスト教的﹃宥和﹄の予言者となり︑宗
教的︒保守的思想の擁護者に化します︒この変貌のあとにかかれたロマンこそ︑彼のもつとも重要な文学的業蹟とな
り︑当然それに価する世界的名声をえているわけですが︑どうして﹁ドストエフスキイの創作のなかに﹃現実の生き
( 2 ) ( 3 )
鷺画図﹄を再現する能力︑この天才的な﹃表現力﹄と︑歪められた世界感覚とが共存しえたのであろうか︒どうして
ンシマ長老の神秘的教説(ヵラマーゾフの兄弟)や︑革命運動に対する誹講(悪霊)の著者が︑人生のまつただなか
から汲みとつてきた真にリァリスチ︒クな造形に普遍性をあたえること︑つまり自分の作品に︑敵対的な社会機構の
曽
もつとも本質的な側面を反映している︑まことに深刻な社会的・倫理的問題をおくことができたのであろうか︒L﹁だ
ももヘヘヘへももへもヘヘへもへももへもがいつでも必ずリアリズムは勝つ︒それは彼の創作上の相矛盾した二つの傾向の闘いの結果であつた︒﹂(五五六頁︒
傍点は原文字間あけ︒以下これにならう︒)と著者はいいます︒
これで相矛盾した二つの傾向ということはほぼ明瞭ですが︑それは﹃現実の生きた画図﹄をつくる﹃表現力﹄と
﹃歪められた世界感覚﹄であると同時に︑彼のイデエそれ自体にある矛盾した世界像でもあつて︑﹁﹃カラマーゾフの
兄弟﹄ばかりでなく︑それ以前の諸長篇においても︑ドストエフスキイはそれぞれの((8暮蜀))に対するにな3︑)
を対置し︑それぞれの否定に対して肯定をもつて答えようと試みている︒﹂(五五七頁)というのも︑この矛盾の性格
にあるわけですが︑実はこの﹃試み﹄が彼の作品の存在理由であつたわけです︒つまりこうした矛盾の二重性をどこ
まで解きあかすことができるか︑ということがこの種の論文の目標であるはずだと思われますが︑これはドストエフ
スキイの創作ばかりでなく︑一般に創作の行為としての文学の意味をときあかすまことに困難な課題であつて︑それ
がどこまで成功しているかをみていくのがわたしの課題となるわけです︒
ところで︑著者は先に引用した文章にすぐ続く一節でこういいます︒
﹁しかしながら︑作家の意識のなかで︑これに抗つていたのは別のもの︑つまり敵対的な社会機構の規則に隷属さ
もヘへ せられた生活の不協和の深刻な感覚であつて︑これは現在の生活制度に対する態度にまつわる︑激しく抑圧きれては
へしいるが︑外へ突きでざるをえない批判(貯三岳ぼ昌)なのである︒﹂そして﹁こうした﹃疑惑﹄によつて暗示されてい
へももるものが︑ロシヤの批判的リァリズムの宝庫に対する︑ドストエフスキイの偉大な寄与をなレているのである︒﹂(五
五七頁)・
この﹃疑惑﹄のよつてきたるところは﹃貧しい人々﹄の運命への作家のあつい関心であつて︑このテーマをもつて︑
ドストエフスキイの創作方法
■ 人文研究第十二輯
ドストエフスキイは自分の創作の道を歩きだし︑それは最後の諸長篇に︑﹃世界悪﹄﹃世界苦﹄の問題となつて︑
もつとも主要な場所を占めるにいたる︑と著者がいうとき︑﹃疑惑﹄とは矛盾した二つの傾向の一方の極︑﹃現
実の生きた画図﹄をつくる﹃表現力﹄を培つている︑作家の現実に対すゐきびしい批判なのですが︑この批判がその
も も
なかで︑どれ憾ど錯綜した﹃疑惑﹄を︑その批判自身にむけていたか︑という事情を著者はどの辺まで頭においていたか︑その深さによつて︑今後の究明が条件ずけられると思われます︒
二
こうした問題をときあかすのに︑著者はまずドストェフスキイが︑いかに現実の具体的な事実に拠つて作品をつく
つているか︑ということからはじめます︒﹁ドストエフスキイが心をわずらわしているのは︑概して﹃ありそうなこ
と﹄ではなく︑彼は正確に証明された事実にもとずいて︑全く現実のエピソートや人物に依拠したいと思つている︒﹂
(五五八頁)[過去のどんな偉大な小説家にあつても︑ドストエフスキイにおけるほど︑小説の物語の生地が数多くの
現実の事実やモデルと︑こんなに密に結びついていることは少ない︒彼の作品の頁のうえには!﹃素材のまま﹄で
あれ︑なんらかのかたちに創りかえられたものであれ・ll新聞の三面記事の大刑事事件とか︑ドストエフスキイの偶
然の知人や親しい人々とか︑彼がごく親んでいたペテルブルグのどこかの家やバーデン近傍の古城の廃壇とか︑簡単
( 4 )
にデフォルメされた有名な作家や社会運動家とか︑プーシキンの詩や﹃スヴイストーク﹄の政治的パロディ⁝‑とかが読者のまえに次々とあらわれてくる︒L(五五九頁)また︑﹁ドストエフスキイの近親者たちやソヴエトの文学研究
たカも
家(目.Φ目oロ︒︒き碧導ぐ●目嶺ぴ一葺o蓄等)の考証によると︑小説の主要人物の大多数にはモデルがあるということ
が︑まず大体いいうる︒⁝‑ロシヤ文学において︑条件付きではあつても︑これほどモデルが指摘できる作晶という
●
ものは少ないであろう︒全く実際上の人物の容貌とか生活情況とかが︑ドミートリイ︑アリ.ーシヤ︑イワン︑フ.ー
ドル・パーヴロヴィチ・カラマーゾフ︑下男グリゴーリイ︑ラキーチン︑法律家ラエチュコーヴィチ︑グルーシエン
カ︑商人サムソノフ︑それから挿話的入物の形像にいたるまでおかれていると思われる︒L(五六〇頁)と著者はいつ
て︑そのドストエフスキイの創作態度を︑もつぱら書簡と創作ノートからあとずけています︒
それによると︑ドストヱフスキイは﹃カラマ;ゾフの兄弟﹄の少年たちについて︑実際の少年たちの生態を微に入
り細をうがつて質問したり︑(一八七八年三月一六日のく・く●嵐涛蜜自o<あての手紙)﹃予審﹄について︑おかし
なところがないか︑検事に問いあわせていたり︑﹃イワン︒フ.ードロヴィチの夢魔﹂の幻覚の医学的根拠を医者に問
いあわせたり︑ムッサヤロヴィチとヴルブレフスキイという全くの端役のボーランド人のわずかな台詞のために︑ポー
ランド語の五頁にもわたる辞典を自からあんだり︑モデルや事件ばかりでなく︑こうした背景の詳細に︑ほとんど偏
執的な正確さを求めていたことが知られますが︑それが彼の創作に対する基本的な態度と︑わかちがたく結びついて
いたことを物語つている︑彼の手紙があります︒そのうちから二・三行を著者は引用しているにすぎませんが︑その
手紙全体が作家ドストエフスキイの一面を知るには︑まことに興味のある文章で︑その引用の前後をふくめて︑ここ
に引用しておきます︒
﹁文学者は詩のほかに︑自分の描こうとする現実を微細な点まで正確に(歴史的にも︑流動せる現在の姿において
も)知らなければならないという︑確乎不動の結論に達したのです︒⁝一つのぼう大な長篇をかこうと心組んでい
るわたしは︑特に研究に没頭しようと思いついたのですが︑現実の研究ではなくて︑もともとそのことならそれでな
しぬもへしももももくても知っています︑そうではなく流動せる現在の詳細娼o母oびβo己︒計︑計oざ珍oぽ薯o(傍点はエヴニン)なのです︒
この流動せる現在のなかで︑わたしにとつてもつとも重大な問題の一つは︑例えば︑若い世代であり︑それと同時
ドストエフスキイの創作方法
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