不法領得の意思における利用処分意思についての一 考察(2)
著者 穴沢 大輔
雑誌名 明治学院大学法学研究 = Meiji Gakuin law journal
巻 94
ページ 39‑70
発行年 2013‑01‑31
その他のタイトル Zur Aneignungskomponente der Zueignungsabsicht (2)
URL http://hdl.handle.net/10723/1709
不法領得の意思における利用処分意思についての 一考察(2)
穴 沢 大 輔
Ⅰ 利用処分意思をめぐる現況について
Ⅱ 不法領得の意思―とくに利用処分意思―をめぐるこれまでの議論状況 1.旧刑法時代
2.現行刑法施行後①―主として,大審院時代の議論― (以上,93 号)
3.現行刑法施行後②―主として,最高裁時代(戦後〜平成)の議論―
①窃盗罪における利用処分意思についての判例の状況 ②窃盗罪における利用処分意思についての学説の状況
③ ドイツにおける利用処分意思(Aneignung)をめぐる議論―領得の過程をめ
ぐる問題― (以上,本号)
Ⅲ 私見の展開―利用処分意思の要否―
Ⅳ 本人のためにする意思との関係
Ⅴ まとめ―第三者領得事案の解決にむけて―
3.現行刑法施行後②―主として,最高裁時代(戦後〜平成)の議論―
3.では,2.以後の議論をふまえた検討を行うこととしたい。最高裁が,
Ⅰでも指摘したように,窃盗罪と横領罪ともに不法領得の意思を必要としたこ とを受けて,学説はどのように対応したのか,また,その後,最高裁はその定 義を前提とした判断を続けたが,下級審でははたして,そうした定義と完全に 整合するか,疑問もある,さまざまな判断がなされた。また,前節で見たよう に,わが国の議論に影響を及ぼしたドイツにおいても,この概念の具体的内容 について,変化がみられていることも注目に値する。そうした状況を踏まえ,
以下では,とくに,利用処分意思についての第2次大戦後の議論の変遷をみて ゆくこととしたい。
①窃盗罪における利用処分意思についての判例の状況
1)最高裁
窃盗罪について,最高裁はまず,その既遂時期の判断を続けて行い,「不法 に領得する意思を以つて,事実上他人の支配内に存する物体を自己の支配内に 移したとき」にその既遂とした(1)。ここでは,不法領得意思をその既遂時期以 前に要求する点が明らかにされた。このことは既遂後,被告人によって事後的 になされた行為は,それ自体が要件なのではなく,奪取時の領得意思の内容を 判定するときに役立つ要素にすぎないということをも意味する。もっとも,具 体的に事案の解決において必要なのは,その内容であろう。それが,大審院の それと同じかどうかは,最高裁発足直後には定かではなかった。
そして,最高裁は,犯行後に追跡された犯人が陸地から船で逃走しようと企 て,他人所有の船に乗り込み,その船が対岸につけば当然その場にこれを乗捨 てる意思で岸から 50 メートルほど漕ぎだした事案で,大審院の判断を踏襲し たうえで,一時的な利用でもそれは認められるとした。
「たとえ短時間であつても,被告人等が右肥料船に対する柴田国松の所持を 侵し該船を自己の所持に移したものであることは明白であるばかりでなく,更 に挙示の証拠によれば被告人等は右肥料船が対岸に着けば当然その場にこれを 乗り捨てる意思であつたことが認められるのである。そもそも,刑法上窃盗罪 の成立に必要な不正領得の意思とは,権利者を排除し他人の物を自己の所有物 と同様にその経済的用法に従いこれを利用し又は処分する意思をいうのであつ て,永久的にその物の経済的利益を保持する意思であることを必要としないの であるから,被告人等が対岸に該船を乗り捨てる意思で前記肥料船に対する柴 田国松の所持を奪つた以上,一時的にも該船の権利者を排除し終局的に自ら該 船に対する完全な支配を取得して所有者と同様の実を挙げる意思即ち右にいわ ゆる不正領得の意思がなかつたという訳にはゆかない。」(2)
とはいえ,注意すべき点もある。最高裁は,利用処分意思について,大審院
の定義を「所有者と同様の実を挙げる意思」と言い換えている。これを額面通 りとらえれば,単純な毀棄・隠匿もこれに含まれるように思われる。しかし,
本事案に即し,しかも最高裁が大審院の定義を意図的に変更しているとは思え ないことから両者の整合的な解釈を試みると,それは十分に可能である。とい うのは,最高裁は,本件で,この船を対岸まで利用し,乗捨てるという一時的 な利用後の処分意思があるととらえた理解できるからである。そしてその前半 の利用に係る部分は,いわゆる利用処分意思の典型である。所有者による船の
(経済的な)用法は,まさに水面を移動するために用いることだからである(3)。 最高裁が利用処分意思を否定した事案もある。被告人等の依頼を受けた者が,
村の農業協同組合長の管理する同組合倉庫中の政府所有米の俵から,米をすこ しずつ抜き取り,これを倉庫外には全然持ち出すことなく,その倉庫内で,そ の米によっておなじような米俵を作ったという事案で,最高裁は,占有の取得 を否定したうえでさらに,「米を抜き取つて新俵を作らせ,俵数を増しただけ であつて,被告人等の意図は,終始何等それ以上には出ず,もとより,抜き取 つた米を自家の食用にあてるとか,他に売つたり与えたりするとかの意図があ つたわけではない。すなわち被告人等は,抜き取つた米を終始政府所有米とし て扱い,これであらたに米俵を作つて,政府所有米として同じ場所に積んでお くということ以上には,何の意図もなかつたわけであるから,被告人等には,
抜取つた米を,実質的に自分のもののようにして,利用処分する意思はすこし もなかつたものといわなければならない」と述べたのである(4)。占有取得が否 定されているため,この部分はたしかに,傍論ではあるが,政府所有米として 扱う以上の意思がなかったことが重視されている点において,所有者のように 振舞っていないことが利用処分意思を否定する理由とされているとも読める。
そして,Ⅰでも述べたように,利用処分意思は,昭和 30 年代の諸判決(5)に より,経済的な利用や物の本来的な利用に限られなくとも,認められることに なる。もっとも,それはなお,大判大正4年の判断を維持するものであろう。
とはいえ,最高裁が,領得意思について,所有者のような振舞いを重視するこ とは,所有者にとっての利用形態には何等の限定もかける必要もないとみるこ とをも可能にする。すなわち,見方によっては,所有者としてふるまうという,
所有犯罪ととらえるドイツ流の発想に近いと言うことも可能であろう(6)。 その後,平成 16 年決定まで,最高裁は,利用処分意思に関して積極的に述 べなくなる。裏を返せば,以上の判断が下級審判決に影響を及ぼすことになる。
2)下級審
すでに多くの論稿で明らかにされているように,主として先の最高裁の判断 枠組みに従いながらも,下級審では(7),不法領得の意思を肯定する裁判例,否 定する裁判例が存在する。その際,当該物の利用目的,動機をも考慮するのが 一般的であるが,それへの評価は必ずしも一致を見ない。すなわち,例えば,
犯行隠蔽目的については,それは「単純な証拠品隠匿の趣旨を越え」た(8),あ るいは,「単に物を廃棄したり隠匿したりする意思」ではない(9)として利用処 分意思を肯定する例がある一方,投棄意図を排斥できない(10),覚せい剤を廃棄 する意思だった(11),「持ち出した下着類は,逃走後直ちに投棄することを意図」
していた(12)として物の廃棄目的が否定できない場合にはこれを否定する例も ある。
また,物が一定の経済目的で利用される場合には,利用処分意思は肯定され る。債務の弁済等を求めるために物を奪取する場合については,「経済的価値 の確保を意図したもの」であるとされる(13)。機密資料等の内容(情報)を奪う 目的で資料を奪取する場合については,「資料の経済的価値がその具現化され た情報の有用性,価値性に依存するものである以上,資料の内容をコピーしそ の情報を獲得しようとする意思」は不法領得の意思にあたるとしている(14)。ま た,商品の代金を得ようとして返却目的で奪取した場合について,「物の所有 者にして初めてなしうるような,その物の用法にかなった方法に従い利用・処
分する意思に外ならない」と述べてこれにあたるとする(15)。
否定例は,物を投棄・廃棄する,あるいは,持ち出して返却することを意図 した事案で,目的が経済目的に適うものとは言い難い事案である。具体的には,
一時妨害・困惑させる目的のような動機(16),刑務所で服役する目的(17)等でそ れは否定されている。
こうした判例の立場をふまえて,学説はどのように対応したのだろうか。
②窃盗罪における利用処分意思についての学説の状況
1)総説
前節でみたように,学説は戦前からいくつかの立場に分かれていたが,それ 以後も基本的には同様の対立軸を示すことになる(18)。
江家義男は,領得の意思を必要とする根拠を窃盗罪の法廷刑が毀棄罪のそれ より重くされている立法理由に求め,次のように述べる。「窃盗も毀棄も,物 に対する支配(占有)を失わしめる点は同じなのである。しかも,……毀棄罪 の方が被害者の受ける打撃が大きいといわなければならない。」それでも,前 者の刑が重い理由を「刑事政策的に考察するならば,窃盗罪においては,犯人 が他人の物によって経済的利益を取得するということがあり,そして,そのこ とが社会に多くの窃盗罪を産み出しているということ」の予防のために重い刑 を科している,と。もっとも,江家は,この経済的利益の取得意思を,「その 物の経済的価値,すなわち,その物の使用価値(効用)を取得する意思,つまり,
享益の意思」であるとし,自己の財産を増加させる意思(Bereicherungsabsicht)
とは明確に区別する。一方で,使用窃盗の可罰性については,一時的にでも所 有権者の如く振舞う意思で足りるとし,ここまで広げるとすれば,所有権者の 如く振舞うことは「不用のもの」であるとして,先の牧野と同様に,こうした 領得意思の内容を不要とする(19)。このような見解は,先に見た宮本,草野に通 ずるものである。
こうした見解に対して,団藤重光は,窃盗罪等の保護法益を「所有権あるい はこれに準じるような占有の裏づけとなっている本権ないし財産的利益」と解 し,235 条について,不法領得の意思は「主観的違法要素として,所有権その ものの侵害を構成要件要素にとりこむ働き」を有している(20)とし,そこから 領得意思が必要とされるべきとする。そして,こうした点から,単純に物を廃 棄する意思も領得意思であるとし,小野と同様の結論に至る(21)。
一方で,不要説も有力に主張される。それは,条文上の根拠がないことに加 え,必要説への批判によって基礎づけられることになる。大塚仁は,毀棄・隠 匿目的の占有侵害後に,この目的にでない場合に「一般的に不可罰とされざる をえない」のであり,不当である点,また,使用窃盗の場合には「行為が,ま だ,可罰的な財物の窃取にはあたらない」,「領得の事実が存在しない」場合で あり,これについても不法領得の意思を不要としても妥当な結論が導けるとす る(22)(23)。
とはいえ,領得意思を必要とする多くの見解は,大正4年判決と同様に解し
ている(24)(25)。
以上のように,この当時の学説においても前節でみた必要説と不要説の解釈 論の対立が継承されていると言ってよい。①領得の持つ本来的な意味内容,② 占有説と本権説の対立の影響(26),③使用窃盗及び毀棄・隠匿罪との区別が組み 合わさりながら展開されていると言ってよい。そして,実際(実務)的な側面 である③の結論の相違が,明確でわかりやすいこともあって,多くの議論はそ の点を重視している。
2)不法領得の意思をめぐる展開―利用処分意思の意味―
このような状況中で,対立の解消を求めて外国法における議論を参考としな がら領得意思について,本格的な論稿が著わされたことが注目される。
斎藤信治は,ローマ法の「盗」の頃から利欲犯的な把握がなされたことをふ
まえて,そして,カロリーナ刑法やドイツ各邦の法律でも,プロイセン一般ラ ント法でも,利欲の意思は排除されていないことを前提に,それが「領得意思」
と明示的に規定されたプロイセン刑法 215 条,さらに,北ドイツ連邦刑法典,
東ドイツ刑法典を分析し,英米法・フランス法の窃盗をも紹介したうえで,次 の根本的な結論を導く。
「窃盗罪(略)を刑法上,利欲犯的なものと把握し,エゴイスチックな利欲 犯的心情をその実質的な内容とする意思を窃盗罪の要件と」すべきである。そ の理由は,その心情が①「根源的で持続的で根強い欲望―生きのびたい,苦痛 を避けたい,楽しみを得たい,心地好い生活をしたい,といった欲望―に根差 しており」,社会の財産権及び財産秩序に対する大きな脅威であること,およ び②この欲望は人の忌み嫌う,破廉恥視されるものであること(27)だからであ る。こうした点から,領得は間接・直接の「自己」領得に限られるべきである というのである(28)。
こうした見解によれば,利用処分意思(「直接・間接に自己の利益になるように 物を処理しようという意思」)は当然に要求されるべきことになり,心情に対する 評価を正面から認めることになる。そして,さらに注目すべきは,ドイツにお ける解釈論の個所ではあるが,破壊すること,他人に贈与すること,返却する ことの可罰性は領得の客体をめぐる議論から「必然的に」導かれないとし,「領 得」行為それ自体に着目したうえで,ドイツの条文構造をふまえた後にその内 容(29)を把握する点である。領得の客体の議論は当罰性に影響をもたないとす るのである。そして,そうした議論にかかわらず,先にみたエゴイスチックな 利欲犯的心情を基に,領得意思が認められることとなるとする。
これに対し,林美月子は,ドイツにおける議論を詳細に分析した(30)うえで,
領得の客体としては「物体(31)」を前提とすべきとし,領得の過程の議論におい て,器物損壊との区別(Aneignungの要請)につき次のように述べる。(物体説か らしてみても)価値の取得を考慮するとしても,「破壊がどのような意思で行わ
れたかを問う場合には,奪取がどのような意思で行われたかを問題とすべき窃 盗罪の領得の問題をこえて,窃盗犯人の最終目標を考慮することになってしま う」とし,結局のところ,領得(Enteignungと
Aneignung)
の内容は物体の利用 可能性の取得に尽きるのであるから,占有の設定で足り,器物損壊との区別は 行為態様の差によることになるとする(32)。もっとも,林美月子はさらにこうした考察に「多くの問題が残されている」
とする。第三者領得の問題(33)や横領罪における領得意思の問題に加えて,エ ゴイスティックな行為者の傾向を示す目的を要求する見解に対する評価が,そ れである(34)。ここで重要なのは,行為者についてそれを要求する理論的可能性 がなお否定されていないことである(35)。
この2つの論証は,その帰結の相違はあるにしても,実は共通性を有するの ではなかろうか。Aneignungにこのような意味づけを与えたのは,論者も指摘 するように,ドイツにおける議論である。では,統合説が展開されたドイツで はどのような議論がなされてきたのだろうか。1998 年ドイツ刑法改正以前の 学説と判例を概観することにしよう。
③ ドイツにおける利用処分意思
(Aneignung)
をめぐる議論―領得の過程をめ ぐる問題―1)統合説(Vereinigungstheorie)の意味とAneignung
Schaffstein(36)は,1933 年に,物体説と物価値説にはともにそれだけを徹底 すると難点がある(37)としたうえで,2.で見たようなRGの判決に着目し,
物価値説が領得の必要条件ではなく,十分条件として作用することを指摘する 論文を発表する(38)。彼は,判例について,物価値説を原理的に承認する場合で さえも,形式的な民事法の要素なしには領得概念はどのようにも特定されえな いだろうことを示し,さらに,「重要なのは,ここで初めて物体と物価値が領 得の客体として明示的に互いに同等に扱われることだ」とした。そして,その
後,RG61,228 が,一般論として領得を「物それ自体またはそれに体現され る物価値が行為者によってその者自身の財産に同化される」ことだとしたこと を指摘する。
そして,結論として,Schaffsteinは,「行為者の財産への同化」という表現 を排除して(39),領得を次のように定義する。「領得とは,物体または物価値か ら権限者を継続的に排除することにより,同時に,物についての所有者の権限 を行使すること,または,その価値を行使することである」と(40)。その結果,
損壊行為も領得に含まれることになる(41)。
領得の対象についての判例が導きだした統合説は,その後も広い支持を得て
いる(42)(43)。もっとも,こうした判例理論の基礎づけについて,Bockelmannは,
1965 年のMezgerの教科書(44)に対する批評の中で,統合説に対して検討すべ き問題点が3つあることを指摘する。①2つの観点で領得概念を構築すること が正当であるか,望ましい帰結に従って,あるときには物体説を,またあると きには物価値説を考慮することが恣意的でないか,②物価値に向けられた領得 意思は,利得意思からなお区別できるのか,③物価値説は,所有の取得犯罪の 真の客体をとらえ損なってはいないか,ということである。そのうえで,彼は,
利得犯罪との差異を次のように述べる。「利得の場合,そもそも行為者がより 裕福になろうとすることで十分である。物価値の取得の場合には,行為者がま さに物にある価値を(den in der Sache steckenden Wert)獲得することが必要であ る」とし,たとえば,後で戻すつもりで,金銭を違法に引き出す目的で身分証 明書をはく奪する者は,領得意思ではなく利得意思で行為したとし,これに対 して,客体が他人の通帳である場合には,「物体が担った価値を奪っており,
実際にも,同じ物がもはや戻されない」とする(45)。また,素材の質を上回る価 値を有さない物を単に所持し,維持する場合にも価値領得は重要であるとする。
その物体を自己に所有を取得する(Aneignung)者はこの価値を獲得するからで
ある。Bockelmannは,物価値は物それ自体に関連せねばならず,それが物体
と併記されるべき存在ではないことを示した。そして,彼は,物価値は,金銭 的な価値ではなく「物体を使い果たしたり,さらに渡したりすることなしに,
物から引き出されうる価値」だとする(46)。
このように理解された統合説は,その侵害された実体を検討する価値説をふ まえるとしても,まず物体をその基礎とし,領得犯罪と利得犯罪と混同しない という配慮の下で主張されてきたと言えよう(47)。ただし,後述するように,ド イツの判例は,この観点から見ると一枚岩とは言い難い。物に体現された物価 値を対象に組み込みながら,経済的な価値の取得に言及するものもあるからで ある(48)。
とはいえ,判例や学説の支持する統合説に対しては,それでもなお(特に第 三者領得事案で)価値説を導入すると利得犯罪化を防ぎえない(49),という根強 い批判はある(50)一方,物体説の側も物の所有者の侵害される実質を明らかに することを志向する。Rudolphiは,1965 年に物体説を次のように修正する(51)。 彼は,所有者に帰属する実際の支配権限,とりわけ,242 条や 246 条では所 有者に認められるその機能の保護が目的であることを前提に,領得の客体は,
物体でも,価値でもなく,物の正当な人への帰属である所有に属する事実上の 支配権限であるとし,窃盗罪や横領罪の文言,領得という文言の社会的意味内 容をもふまえて「領得の本質は,所有の侵害及び所有者の事実上の権限の状態 の侵害によって特徴づけられ」,その行為とは,所有から導かれる支配権限(die
aus dem Eigentum fl iessende Herrschaftsbefugnissen)
が,行為者によって取得され る(Aneignung)ことが,こうした権限のはく奪(Enteignung)と結び付けられ る行為であるとする(52)。Rudolphiの見解によると,物体説によると妥当でない返還事例の合理的な
解決が図られる(53)。通帳の利用後の返還事例では,支配権限が害されるので,
窃盗罪の成立が肯定されることになる。そして,所有権限(機能)に対象を限 定することで,価値説への批判をも回避できることになる。そのうえで注目す
べきは,彼が,自己の見解と価値説とを比較して「両者は,その方法論上の出 発点で類似している」と述べ,その違いについて,自説を,その価値を所有者 の支配権限ととらえて,物価値説よりもさらに一歩進んだ見解,すなわち,こ うした価値を示す,所有者の支配権限,物の利用可能性であると評価している
(54)点である。そしてそれをふまえて,器物損壊と領得犯罪との有意差を,行 為者が物の支配権限を事実上も不当に行使したか否かで見出そうとした点に も,従来の物体説との違いがみられる(55)。
2)所有のはく奪面(Enteignung)の重視
その後,物体説と統合説(価値説)の対立をふまえながらも,法益侵害と結 びつく所有のはく奪(Enteignung)を中心に領得犯罪(とりわけ,窃盗)を基礎 づける見解が強く主張される(56)。
たとえば,Lampeは,1966 年に,その基本的視座として,「立法者は,行為 者が引き起こした結果によって行為者を特徴づけることはできない,それゆえ,
行為者の粗暴さを,彼が被害者に与える痛みによって特徴づけることは許され ず,行為者のエゴイズムを,行為者の富の増大によって特徴づけることは許さ れない」ことを前提とし,窃盗の構成要件を分析する(57)。そして,客観的にみ ると,窃盗は,「所持の破壊」による権限者の「所有のはく奪」に尽きとした 上で,「窃盗犯の『利益意思(Vorteilsabsicht)』を表現する特殊な行為者類型は」
むしろ行為の不法類型に従たるものとして,それに「歩みよるべきである」と し,窃盗のエゴ的な傾向を承認し,それをあくまで所有のはく奪部分に求め る(58)。こうしたことから,Lampeは,所有の取得(Aneignung)意思としての 領得意思は,行為者自身,すなわち,物についての行為者固有の支配的地位に 関係するものとする。彼は,そう解すれば,他人の財物の「自己の財産への同 化は,物についての行為者固有の支配地位を行使する『ある一つの』可能性で しかない」と述べ,所有の取得意思について,物について所有者類似の支配を
不当に行使することを重視して(59),それを行為者のエゴ的な傾向だとするので ある(60)。
以上のような観点を,さらに徹底させたのがMaiwaldであろう。彼は,所 有犯罪を総合的に分析し(61),所有犯罪の実質を明らかにすることを試みる。そ こで,彼はまず,保護される所有内容について,「主観的権利」である意思の 力に重点を置く(62)。そして,人間は,自己実現を可能にするために,自己の意 思が自由に決める外部的な領域を必要とするという所有の目的を前提に,その 意思への侵害を,空間的―物理的な物への介入による侵害,占有の否認のよう な意思への影響による侵害(63),所有者とは異なる者が所持する物の所有侵害と に分類する(64)。そのうえで,領得犯罪における所有のはく奪(Enteignung)を,
現実に所有者の側で支配喪失したこととするのではなく,その上位概念として の,物が所有者に提供する特定の可能性が所有者からはく奪されることとし,
それは物にある機能の破壊として理解される物の価値の喪失(Entwertung)と いう思考にあるとする(65)。それをふまえて,彼は,領得の所有の取得(積極面)
について次のように議論を展開する。歴史的に見てもこれに利欲意思(Gewin-
nabsicht)
までは要求されないことを前提とし,決定的なのは,「消極面(所有のはく奪―筆者注)を実現する行為者の動機への評価」であるとする。「所有者 排除の目的を実現するために物を奪い取る者はすでに,『悪い』心情( “böse”
Gesinnung)
を明るみに出しており,彼が,最後にその目的のために物を投入するかどうかは,どうでもよく,もはやその到来が待たれる必要はない。」そ れゆえ,奪取物を現実に販売した者も,販売の可能性を確立した者も同じ当罰 性を有するとする。すなわち,行為者が積極的に「何かを自己にもたらす」た めに,領得行為者が処罰されるのではなく,彼のはく奪行為(完全な物喪失の危 険)が利己的に動機付けられたので(66)処罰されるのである(67)。Maiwaldは,こ こで,物を利用する動機を検討したのである(68)。
3)判例(BGH)の展開
一方で,ドイツの判例は,BGHの時代になると,領得の客体について統合 説を維持しながらも,その内容について事案に即した個別的な検討がなされる ことになる(69)。所有の取得面における大きな枠組みで言えば,それは,物の利 用という観点をふまえて,行為者が他人の物(または物価値)を(自己の財産に)
「同化」させ,所有者のように支配(自主占有)することである。もっとも,
拙稿で確認したように,特に,(その当時の条文によれば不可罰の)第三者領得か,
自己領得かが問題とされる,第三者に他人の物が渡る事案では,「行為者によ る物からの最低限の経済的利得の追求」が必要とされていた(70)。ここでは,物 体またはその体現する物価値を「自己にもたらすこと」の意味が問われている ことになる。他方で,損壊・隠匿を目的とする事案では領得意思が否定される 例がある。以下,こうしたドイツの判例理論を概観する。
BGHは,領得意思を「所有者をその物支配から排除し,自己固有の財産に 物を同化させるという行為者の意思(71)」,「物またはそこに体現された物価値を 権限者の財産から継続的にはく奪し,物(またはその物価値)を自己の財産にも たらす意思,言いかえれば,その経済的価値を何らかの方法で自己のために利 用する意思(72)」であると述べ,RGの理解を踏襲したと言える。そして(73), BGH14,38 は,連合部決定で,領得について次のように定義する。「領得とは,
物についての支配の確立または物についての第一の処分であり,単にこうした 支配的地位を利用することではない。他の言葉でいえば,領得とは,権限者を 排除することに基づいて自主占有を(可罰的違法性がありかつ有責に)基礎づけ ることである」と。ここでBGHは,従来言われてきた物を自己の財産にもた らすことを,自主占有の確立と表現しなおしたといえる。もっとも,注意を要 するのは,この事案は領得意思が直接問題とされたものではないことである。
この事案は,L町の公務員であった被告人が,調査にかかった費用を商人から 直接に徴収する権限がないにもかかわらず,それをその後に費消する意思で徴
収し,実際にそうしたという事案であり,争点は詐欺の成立後に横領の成立が 認められるかにあった。とはいえ,連合部が領得をこのように解したことは,
原則として,物についての支配の確立という点が重視されていることをうかが わせる(74)。
こうした状況で領得を否定する判決もあった(75)。BGHは,物のはく奪によっ て所有者を怒らせるためにした奪取の事案において,窃盗罪の成立を否定する。
その理由は,端的に「このような事案においては,被告人は,その物(帽子)
の経済的価値を自己の財産にもたらそうとしていない」からである(76)。 さらに,BGHは,重窃盗未遂が問題とされた事案で次のように述べた(77)。 すなわち,被告人は,深夜に,公務員建物の閉じられた扉をこじ開けて,自己 に関する刑事公文書(わずかな価値しか有さない物とされた)をはく奪するために 侵入した後,警官に見つかった事案で,領得意思は「物体又は物価値に従って 行為客体を自己の財産に『同化させる』,自己の財産にもたらすこと,一時的 であっても物(物体)価値に従って『自己のために利用すること』という行為 者の特定の意思」を言うとされた後に,窃盗は利得犯罪でないことが強調され,
所有者類似の権限の不当な行使が必要であるとされた(78)が,さらに判決は次 のように続ける。破壊等の「行為によって行使された,その物を自己の物とし て扱う態度は,確かに,所有権限の不当な行使である。しかし,それは領得行 為ではない。なぜなら,それは行為者の財産状態に影響がないからである。単 に壊したり,損害を与えたりする態度の不法内容は,242 条によるのではなく,
他の規定で把握される。」すなわち,所有を不当に行使する結果,財産状態を 変更する意思が物体(物価値)を自己のために利用することとしてとらえられ ることになる(79)。もっとも,BGHは,Aの恋人であった被告人Kが,一定の 返還意思があるが,自己のもとから去ったAをLから引き離し,Aに制裁を加 えるために,Aの持ち物を自己の下に置いた事案では「搬出によって,被告人 Kは,自己の財産に帰属可能な形で直接的な物の占有を取得し,それによって
事実上同時に,所有に匹敵する物支配を取得した」として,物自体は保管して も領得意思を肯定する(80)。
このように概観すると,先に述べたBGHの見解は,利得犯罪化を避けた領 得の一般論としては理解できるとしても,それを用いて毀棄・隠匿事案を解決 しようとする場合には,単純なそれを除くという結論には一致はあるが,その 理由は,行為者の財産状態への言及はあるもののなお明らかにされてはいない ように思われる。では,学説は,Aneignungについてどのように考えるのか。
先に述べた議論をふまえて,概観することとしたい。
4)1998 年刑法改正以前の所有の取得(Aneignung)の議論状況
学説では,(元来そうであったように)所有のはく奪(Enteignung)と所有の取 得(Aneignung)を明示的に分けたうえで,検討がなされることになる(81)。
Aneignungの問題は,具体的な問題との関係でいえば,物のはく奪及び器物損
壊と領得との差をどこに見出すか,という問題となる(82)。
先にも見たように,所有侵害という名の下に,行為者と物との積極的な関係 の構築が議論されてきた。とはいえ,所有侵害という観点から考察する限り,
この点について難しい判断を迫られることになる。すなわち,単なる損壊意思 が領得(所有の取得)意思とはならないことでは,ドイツの判例,学説は一致 している(83)。しかし,それ以上具体的に,経済的な利得(利得犯罪化)とは一 線を画する基準を明快に示すことは,なかなかに困難なのである。学説におい て,さまざまな見解が示されていたのは,このためである。
たとえば,先に見たように,Maiwald(84)は,これを基本的に所有者からのは く奪面を意味する領得の「消極面を実現する行為者の動機への評価」であると 位置付けたうえで,自分のものにするために所有者を排除する者は,悪い心情
(エゴイスティックな心情)を明るみにだすことになるとする。たとえば,売却 目的はそれにあたるが,これに対し,物を捨てることで所有者に対してその占
有を否認する場合には,物に関連した自己利用として評価されるべきでないと して,それを否定する。所有侵害の動機の悪質性が,問題とされているのであ る(85)。
Ottoは,財産犯の体系化を主眼とした著書(86)の中で,Aneignungについて,
所有者の包括的支配地位が事実上行為者に移っていることを重視したうえで,
さらに加えて,「行為者にとって重要なのは物の経済的利用の可能性を増やす ことであり……自己の財産の対象と同じように物を利用することである。」と 述べ,「行為者固有の経済的能力(die eigene wirtschaftliche Potenz)」の拡大に向 けられる,すなわち,「他人の物を自分勝手に経済的に(87)利用する」意思を要 求する(88)。ここから,物の利用,処分に着目し,たとえば,文書内容を知るた めの奪取は,その内容を自己のために有利に利用する意思(89)がなくとも,そ れは文書を経済的に利用するとする(90)。他方で,たとえば,「行為者が,破壊 欲から行為する,すなわち,物を破壊することで快感(Lustgefühl)を満たす」
場合には,「行為者が自己の攻撃(Aggression)を特定の客体に対してのみ向ける」
とし,利用を否定する。何らかの目的のために物の所持を利用することが重視 され,物から得られる利益(Gewinn,Vorteil)の取得は要求されず,またそれだ けでは足りないのである(91)。
Kindhäuser(92)は,行為者が,他人を排除することで単に他人の物を処分す ることを要求し,物を自主占有する行為が領得である(93)とし,それは,3つ の局面,①物の占有の変更,②占有を取得することで生じた物の利用可能性,
③具体的な物の利用によるこうした可能性の実現に分かれるとする。そして,
所有者・権限者の利益のためにのみ利用する場合には,それが欠けるとする。
しかし,なお興味深いのは,そうした観点から,毀棄罪からの区別が可能と する点である。領得と毀棄とは,それらが「他人の所有領域への侵害」という 共通項を持つことを前提とする。破壊が利用と言える場合(たとえば,物の費消
(薪の利用))には領得であるが,そうとは直ちには言えない場合が問題である
とする。そこで決定的なのは,「行為者が物を,破壊前に又は破壊によって自 己のために利用しようとしたかどうか」であるとし,それがなければ,自主占 有という要素がまったくない,すなわち,行為者は自己のものとして物を破壊 するのではなく,他人のものとしてそうする,と言うのである。
このように,Aneignungは,物の利用可能性の取得に着目したうえで,さら に,その限定を図るものとして機能する要素と言える。そして,その理論的可 能性は常に承認されてきたことが重要である。そして,限界事例における判断 は,動機を重視するもの,経済的利用を重視するもの(94),物を自己のために利 用したか等,着目される観点には差異がみられるものの,行為者の物の利用目 的が問われることで大枠は一致しているように見えるのである。
5)小括
以上のように,戦後(1998 年以前)のドイツでは,領得の対象に関する,い わゆる統合説の是非をめぐる議論が展開される(95)ことになった。そこでは,
領得の対象論とZueignungの要素とされるEnteignungとAneignungとが意識 的に関連付けられていたと言えよう。Aneigunugについて,BGHは,(領得罪を,
利得犯罪化にすることを避けようとしながら)物とそこに体現された物価値を領得 の対象とし,そのうえで,行為者の財産への同化(自主占有)に領得を見出し,
単純な毀棄・隠匿を除外しようとしたのである。
他方,学説に目を転じると,そこでは,領得(意思)の具体的な内容が追究 され,Enteignungを中心にして所有侵害が構成されるようになると,Aneig- nungの役割は,物を毀棄・保管することが所有者同様の振舞いではないとは 言えない以上,物のはく奪と器物損壊との有意差を確保することに向けられた。
そして,そこでは行為者が物を利用する目的が問われることになる。ただし,
注意すべきは,器物損壊との有意差は,Aneignungのひとつの役割でしかない ことである。そこでは,他人の物を無償で第三者に渡す場合との有意差も検討
されている(96)。
この時期のBGHの判例も学説も,領得の対象論としての,純粋な価値説は すでに採用してはいないと思われる。このことは,領得の客体として物体を念 頭において,Aneignungの判断では,(所有者類似の)処分権限を不当に行使す ること(Anmassung)が否定されていない点から読み取ることができる。なお,
この後,1998 年にドイツでは第三者領得規定が導入され,さらに領得をめぐ る議論がまた活発になった。その詳細はⅢに譲るが,いずれにしても,Aneig- nungの有する役割は,行為者による物の取得やその利用との関連で理解され ているとは言えよう。
以上のように,ドイツでも,不法領得の意思,その中でも,いわゆる利用処 分意思は,わが国と同様に,器物損壊との差異及び第三者領得の可罰性をめ ぐっても議論されてきたことが伺える。そして,ドイツの議論では,行為者の 目的や動機にまで踏み込んだうえで,器物損壊との差異を見出そうとしてきた。
先に見たわが国の利用処分意思を要求する見解の多くは,利用処分意思の体 系的位置づけを責任要素に求めている(97)が,上述の方向性と親和的であり,
その意味で理解可能である。もっとも、仮にそれを認めるべきであるとしても,
その前提とされる,他人の物を自分のものにするというAneignungの伝統を ふまえる(98)こともなお重要であると思われる。Ⅰでも指摘したように,わが 国の判例は,一般的に横領罪における不法領得の意思については,利用処分意 思を要求していないと理解されているが,こうした伝統的なAneignungを第 一義的に要求しているのではないだろうか。そこで,次に,この点に関する,
わが国の議論に目を向けよう。
注
(1) 最判昭和 23 年 10 月 23 日(刑集2巻 11 号 1396 頁)。さらに,最判昭和 23 年 12 月4日(刑集2巻 13 号 1685 頁),最判昭和 23 年 12 月 27 日(集刑6号 641 頁),最判
昭和 24 年2月8日(集刑7号 261 頁)。
(2) 最判昭和 26 年7月 13 日(刑集5巻8号 1437 頁)。ここでは,もちろん,一時使 用も問題とされる。
(3) 最判昭和 25 年5月 18 日(集刑 17 号 689 頁)は,いわゆる第三者領得意思が問 題とされた事案について,大審院と同じ立場を明らかにした。被告人らが共謀し て第三者たる土木建築請負業に対し資材を売却してこれを同人のため搬出するこ とを決意したという事案で,先の大判大正4年判決の内容を引用したうえでさら に「かかる経済的支配意思が独り自己の利益のためにするものに限らず専ら第三 者の利益のためにするものをも含むものであることは刑法二三六条,二四六条,
二四九条各二項後段の規定に照らし明らかである」と明示的に肯定したのである。
さらに,最判昭和 30 年9月 27 日(集刑 108 号 619 頁)参照(不法領得の意思は窃取と いう文言に含まれる)。
(4) 最判昭和 28 年4月7日(刑集7巻4号 762 頁)。なお,使用窃盗に関してではあ るが,保管目的であった事案につき,最判昭和 32 年3月 19 日(集刑 118 号 367 頁)。
(5) 最判昭和 31 年8月 22 日(刑集 10 巻8号 1260 頁),最判昭和 33 年4月 17 日(刑 集 12 巻6号 1079 頁),最決昭和 35 年9月9日(刑集 14 巻 11 号 1457 頁),最判昭和 37 年6月 26 日(集刑 143 号 201 頁)。
(6) これに関連して指摘しておくべきは,景品交換のためのパチンコ玉の窃取の事 案で最高裁が,パチンコ玉を「再び使用し,あるいは景品と交換すると否とは自 由であるからパチンコ玉につきみずから所有者としてふるまう意思を表現したも のというべき」と述べたことである(最判昭和 31 年8月 22 日(刑集 10 巻8号 1260 頁))。 利用処分意思の点は措くとしても,パチンコ玉は,景品と交換する意思であれば 店に戻されることが予定されているのである(植松正「判研」一橋論叢 40 巻1号 89 頁は,こうした行為は所有者として振る舞う意思を表現したとは言えないとする。)。この 点については,ドイツでも返還事例として,その可罰性が争われている(後注 75 参照)。こうした権利者の排除については,別稿に委ねたい。パチンコ機械裏側部 品に密かに紡績糸を結び付け,それを引けば玉の出るように装置した事案につき,
窃盗の成立を肯定したものとして,最判昭和 29 年 10 月 12 日(刑集8巻 10 号 1591 頁)。
(7) 財物全体につき領得意思を認めたものとして,東京高判昭和 27 年5月3日(東 高刑時報2巻7号 184 頁),東京高判昭和 39 年3月2日(東高刑時報 15 巻3号 27 頁), 東京高判昭和 52 年9月 14 日(東高刑時報 28 巻9号 112 頁)。
(8) 長崎地佐世保支判昭和 58 年3月 30 日(判時 1093 号 156 頁)。
(9) 東京高判平成 12 年5月 15 日(判時 1741 号 157 頁)。
(10) 大阪高判昭和 61 年7月 17 日(判タ 624 号 234 頁)。
(11) 福岡地小倉支判昭和 62 年8月 26 日(判時 1259 号 137 頁)。
(12) 釧路地帯広支判平成 14 年3月 18 日(LEX/DB28075182)。さらに,奈良地判平成 14 年 12 月 16 日(LEX/DB28085474)。
(13) 仙台高判昭和 62 年2月3日(高刑速報(昭和 62)173 頁)。債権の回収目的で建 設機械を奪取した事案。もっとも,本件では,自己の為に法的手続きを用いて売 却処分する意図も否定されてはいない。さらに,東京高判昭和 36 年6月8日(東 高刑時報 12 巻6号 92 頁)(債務の弁済(未払い給料の支払い)を求めるために自転車 を窃取した事案)。
(14) 東京地判昭和 59 年6月 15 日(刑月 16 巻5・6号 459 頁)。同様に,東京地判昭 和 55 年2月 14 日(刑月 12 巻1・2号 47 頁)。さらに,札幌地判平成5年6月 28 日(判タ 838 号 268 頁)(住民基本台帳データのコピーの事案)。
(15) 大阪地判昭和 63 年 12 月 22 日(判タ 707 号 267 頁)
(16) 東京高判昭和 30 年4月 19 日(高刑集8巻3号 337 頁)。さらに,仕返し目的につ いて,仙台高判昭和 46 年6月 21 日(高刑集 24 巻2号 418 頁),インコを逃がしてすっ きりする目的について,東京高判昭和 50 年 11 月 28 日(東高刑時報 26 巻 11 号 198 頁)。
(17) 広島地判昭和 50 年6月 24 日(刑月7巻6号 692 頁)
(18) 簡潔なまとめとして,内藤謙「不法領得の意思」続学説展望(1965)162 頁参照。
(19) 江家義男『増補 刑法各論』(1963)270 頁以下。同旨,齊藤金作『刑法各論』(1969)
256, 257 頁,下村康正『刑法各論の諸問題』(1978)154 頁以下。
(20) 団藤重光『刑法綱要各論[第三版]』(1990)562 頁以下(564 頁注 11)。
(21) この見解を支持するのは,荘子邦雄「不法領得の意思」末川他編『総合判例研 究叢書 刑法(10)』(1958)3頁,井上正治「財産犯の諸問題(一)―最近の判例 を中心として」警察研究 31 巻2号 34 頁,福田平『新版 刑法各論』(1972)256 頁以下。
(22) 大塚仁「不法領得の意思」日本刑法学会編『刑法講座6財産犯の諸問題』(1964)
34 頁。さらに,植松正も「窃取と毀棄とを分つのは,領得の意志でなくて,行為 そのものである」とし,「物の利用価値をもつと重視すべき」とし一時使用意思 も処罰しようとする(植松正『刑法学各論』(1952)238 頁以下)。さらに,中義勝『刑 法各論』(1975)137 頁,主観的違法要素それ自体を否定する見解として,中山研 一『口述刑法各論』(1975)144 頁参照。
(23) さらに,保護法益を占有それ自体と解し,占有侵害の認識さえあれば足りると するものとして,尾後貫荘太郎「窃盗罪及び強盗罪」日本刑法学会編『刑事法講 座 第四巻刑法(Ⅳ)』(1952)847 頁以下。
(24) 熊倉武『日本刑法各論上巻』(1960)395 頁以下,柏木千秋『刑法各論』(1965)
423 頁以下,安平政吉『改正刑法各論』(1965)156, 157 頁,香川達夫『刑法講義
各論』(1968)236 頁,小泉英一『刑法各論』(1969)238 頁,西原春夫『犯罪各論』
(1974)212 頁,吉川経夫『刑法各論』(1982)138 頁以下,大野真義・墨谷葵編『要 説刑法各論』(1987)176 頁[墨谷],さらに,平野龍一「刑法各論の諸問題8」
法学セミナー211 号 130 頁以下も参照。
(25) さらに,利得意思までを明確に要求するのは,吉田常次郎「窃盗罪と不法領得 の意思」同『刑事法判例研究』318 頁以下である。「窃盗罪や横領罪は,本来一種 の不法所得を得んとする意思,相当の犠牲を払わないで不当に利得せんとする意 思を社会生活上危険視しこれを厳罰する」と述べる。
(26) もちろん,この当時においても,これが直接不法領得の意思の存否に影響を及 ぼすものではないという指摘はなされていた(たとえば,大塚・前注 22 50 頁,吉田・
前注 25 317 頁)。この点については,すでにⅠで論じておいた。
(27) 斎藤信治「不法領得の意思(一)〜(三)」法学新報 79 巻8号 35 頁,79 巻 11 号 37 頁,86 巻4=5=6号 303 頁((二)101 頁以下)。
(28) こうした観点から,斎藤・前注 27 (二)109 頁以下では,泉二の見解が支持さ れる。2項犯罪でも「行為者にその利益を追求する意思(意図)」が要件とされる とする。
(29) ドイツでは「根本的な所有権侵害」が内容とされるとするが,わが国では異な るとする(斎藤・前注 27 (三)327 頁以下)。
(30) 林美月子「窃盗罪における不法領得の意思についての一考察(一)〜(四・完)」 警察研究 53 巻2号 43 頁,53 巻4号 67 頁,53 巻6号 43 頁,53 巻7号 24 頁((一)
(二)参照)。
(31) もっとも,林美月子の言う「物体」には,その物体自体の価値が内在するよう であり,ドイツに言う
Bockelmann
の見解と同様であると思われる(林美月子・前 注 30 (三)46 頁)。(32) 林美月子・前注 30 (三)53 頁以下,(四・完)41 頁以下。
(33) 直接的に占有を取得しない窃盗の間接正犯とされている事案で,窃盗罪の成立 が否定されるおそれがある。
(34) 林美月子・前注 30 (四・完)43 頁以下。「行為者の心理状態を社会的・倫理的 に評価」して違法判断をすることになると評価しているが,結論は留保する。
(35) もっとも,Ⅰでも指摘したように,最近の論稿では,こうした点に踏み込んだ 検討がなされていると思われる(林美月子「不法領得の意思と毀棄・隠匿の意思」立教 法学 75 号1頁)が,それについての検討は,後述Ⅲ参照。
(36)
Friedrich Schaffstein, Der Begriff der Zueignung bei Diebstahl und Unterschla- gung, GS
103,
1933, S.
292.
(37) 物価値説の価値を,客観的な経済的価値としてしまうと,すでに指摘されてい