Margaret Meadにおける
未開社会の児童研究
一特に研究法について(1)一
白 幡 悦 子
On the Research of Margaret Mead about Primitive Cllildren
一Especially on Her Research Method(1)一 Etsuko Shirahata
1
{稿で主とてとりあげるのはMargaret Mead(1901〜)の Research on
(1)
orimitive Children とレ・う論文である。 Meadは1928年にComing of Age (2)
in Samoaを著して以来,多数の著作,論文を発表しているが,それらをしい て大別すれば,いわゆる「文化とパーソナリティ」,わけても特定の文化に おけるpersonality formation,すなわち,文化によって形態を異にする child trainingとその文化特有のpersonality characteristicsとの関連性の問題に関す
るもの,「国民性」(national character)と西欧文明または現代文明の問題に 関するもの,研究法に関するものにわけられると思う。しかしMeadの学問的 課題ないし興味の中心は,いまあげたなかの第一の面,すなわち,文化的条件 がその成員の人格形成にいかに作用するか,とくに幼年期の学習過程を通して これを明らかにしようとするところにあったと考えられる。このことは第二の
「国民性」の研究の面においても例外ではない。やや脇道にそれるきらいもあ るが,これに関して若干付言する。
InkelsおよびLevin飾Dnによれば, Meadは国民性研究の三つの相異なるア (3)
uローチを区別しているという。すなわち(1)ある文化の関連的全体(COh一 負guration)に関する比較的記述,(2) 児童の基本的な諸学習と… 文化の
ユ6
他の側面との間の関係の分析 (3)親子関係,同輩関係のようなある特定の 対人関係が文化のなかでどのように様式化されるかの研究,の三つである。ま たMeadは「国民性の研究は,人間がそのなかで育てられた,あるいはそこ へ移住した文化を,いかにして身につけていくかに研究の焦点をおく。つまり 国民性の研究は,人間の生来の資質と,個人独特の要素と,一般的なまたは個 人的な成熟の型とが,共通の社会的伝統のなかでどのようにして統合され,そ の結果,文化の成員すべての行動のなかに文化的に規則性をもつ性格として記 述できる,特定の規則性が生じるようになるのかを明らかにしようとするもの
(4)
である」と述ぺている。以上の見解からみる限り,Meadは「国民性」として いわゆるmodal personalityそのものを考えてはいないように思われる。これ に関してInkelsおよびLevinsonは「彼女のアプローチは何よりもまず 〃心 理一文化 的(psychocu董tural)なものである。したがって,彼女は文化の様 式についてすぐれた心理学的概念規定を行なってきてはいるが,個人のパーソ
リナティ理論や最頻的な(moda1)パーソナリティ構造そのものについては,
(5)
はっきりした関心はほとんど示していない」と指摘している。従って「ミード のばあい,国民性の研究とはいっても,それはけっきよくのところ,特定の文 化の成員の行動に認められる規則性や類型,あるいは価値のパターンやく文化 のテーマ》の分析記述にほかならないのであって,心理学的な解釈はきわめて 多く用いられながらも,モーダル・パーソナリティとしての国民性を組織的に くみたてる作業はいっさい行なわれていない」とする,我妻の評価も基本的に
(6)
はなりたちうると考えられる。
さて,Kluckhohnの表現をかりるならば,初期の彼女の努力の中心は「なに か非常に一般的な伝説が正しいか,正しくないかを示すかもしれないような証
(7)
拠を得ようとする点にあった。」例えば,一般に思春期は精神的に安定を欠き,
動揺的であって悩み多い時期であると考えられている。そしてそれは思春期に 突然生ずる生物学的変化(性的成熟)の必然の結果であると考えられる傾向が 強かった。もしそうであれば思春期の動揺は,どこの社会にも共通する普遍的 な現象であろうか。また,一般に,男には男らしい性格があり,女には女性特 有の気質があると信じられている。では男女それぞれに特有と考えられがちな 気質や性格は生まれつきのものであろうか。男女の気質の差異は,その生物学 的構造の差異にもとづき,従っておよそ人間である以上,世界中に普遍的にみ とめられるものであろうか。また例えば,一般に,家庭における子供の世話や
白 幡:Margaret Meadにおける未開社会の児童研究 17 しつけでは母親が主役を演じ,父親は第二の地位にあると考えられがちであ る。しかもこれは女性には本能的に子供を育てる資質がそなわっているからの ようにみなされ,女の子が好んで人形遊びをするのは,そうした育児本能のあ らわれであるとまで考えられている。それならばこのような傾向はどこの社会 にもみられるものなのであろうか。
Meadは,これらの一般的な「伝説」に対し,丹念な実地調査を通して,一 つ一つ回答を提出していった。すなわち,Samoa島の思春期はおだやかで悩 みや迷いや反抗に彩られないものであることをのべて,思春期の心理的動揺が 普遍的現象ではなく,特殊な社会的条件に由来するものであることを明らかに
(8)
した。また,ニューギニアの三つの部族(Arapesh, Mundugumor, Tchambuli)
ゴ フ調査結果から,男女にそれぞれ特有な性格というものは「服装やマナーや髪
の形と同じく,社会や時代によって異なっており,男女の性そのものと密接に
(9)
結びついているのではない」ことを明らかにした。ニユーギニア(アドミラル ティ諸島)のManus島では「(家庭生活においては)父親が主役をつとめ,
父親が子どもに対するやさしい寛容な監督者であって,母親は子どもの愛情に おいては第二の位置にある」こと,また「子どもはすべて本質的に創造的であ
り,先天的は空想的であって,ただ自分で豊富な美しい生活様式を展開する自 ・ 由を与えさえすれば良いと信じている人は」Manusの子どもたちの生活態度を
みれば自分の信念が崩れざるを得ないであろうことを豊富な実例をもって示し
(;0)
た。
これらの調査と探索の過程においてMeadは「ある社会の文化は,その社会 の成員のパーソナリティおよび行動を大きく決定する」と確信するにいたる。
では,そのなかで最も重要な決定要因はなにか。さきにあげたニユーギニア三 部族の性による性格のちがいに関してMeadは「典型的なArapeshの男あるい は女の行動を,典型的なMundugumorの男あるいは女の行動と比較して考え るとき,証拠資料は圧倒的に社会的条件づけ(social conditioning)の弓蚕さを支 持している。そう考えなくては,Arapeshの子どもたちがほとんど一様に,満 足し,受動的な,安心した人間に育っていくのに対して,なぜMundugumor の子どもたちが粗暴な,攻撃的な,不安定な人間へと育っていくのか説明がつ かない。統合体としての文化が子どもの成長過程に及ぼす作用(impact)の結 果,このような対照的なタイプの人間ができあがるのであって,種族とかジ食
(11)
脚とか淘汰なξでは説明でさない」と透ぺている・Mサ瞬によればパーソナリ
18
ティや社会的・文化的行動は,特定の文化が前の世代を仲介して,その社会の 成員に「しつけ」たものにほかならない。従って,Me記の研究的関心事の第 一である,文化とパーソナリティとの関係への接近法は,相互に異なる文化に おける,幼児・児竜の教育の解明を中心として展開することになる。Meadは いう。「パーソナリティを理解するためには性格形成を研究しなければならな い。新たに生まれた個人が,文化の諸代理者(cultural agencies)の働らきかけを 通じて,多かれすくなかれ適切な,成人した彼の文化の代弁者(representative)
へと変形するメカニズムは何か。… 成人の行動のある型を指示し・他の型を 禁止する文化の型はどんなものであるかということばかりでなく・成人のパー
ソナリティが長い形成の過程で,無文化(cultureless)の幼児から成人へといか (12)
にして形成されるのかということを知らなければならない。」と。この研究姿 勢はMeadのすぺの研究活動を貫く基本的姿勢であるといってさしつかえない
と思う。
H
アのように考えてくると, Research on Prim三tive Children という論文は Meadがその中心的課題を追求するにあたり,具体的にどのような方法や技術
を用いたかをしるうえで,重要な手がかりになると思われる・
この論文の冒頭においてMeadは「心理学の研究者にとって未開児童を調査 研究する意義は,未開人のなかで行なわれた研究を心理学の仮説および理論と 関連づけるという,全体的なより大きな課題の一部である。従って発達心理学 の理論を構成するさいに未開人に関する資料を心理学が扱ってきたその歴史と いうものは,人類学と心理学の関係の変遷の歴史なのである。」と述べ,心理 学者が民族学・人類学のデータをどのような立場で用い,あるいは実際にどの ような立場で実地研究をおこなったかについて若干の論評を試みている・また 同時に,人類学者の基本的方法論の問題についても論及している。( lntroduc一 t五〇n および The Psychologist among Primitive Peoples の部分)ついで1935 年から第二次大戦後(1950年位まで)にかけての・未開児童の研究にかかわる 諸アプローチの紹介と論評をおこなっている。( ApProaches during the Period 1935〜1940 および Developments during World War豆and the Post war Period の部分)
(13)
ここでレばらくMeadの論述の概略を追ってみよう。
白 幡:Margaret Meadにおける未開社会の児童研究 19
◇ 序論および心理学者の実地研究に関して
1.心理学者が民族学的データを最初に使用したのは,児童の生後の行動 がその種族の過去の歴史を再現しているものとみなす,続生論的理論(bio一 genet量c theory)を構i成する時期であった。この立場の理論は, Hallowel1も 指摘している通り,特に次の三点で支持できない。(1)獲得された行動につ いての教条(doctrine)をうけいれていること, (2)現存の未開人にみられ
る文化のタイプと文明社会の歴史の初期段階をそのまま等しいとみること・
(3)文明社会の子どもの行動と未開社会の成人の行動を対応させること,の 三点である。
一方,人類学者の側にも,人格形成での発達的相(phase)と礼会の制度的 文化型式との相互関係を,精神分析理論(とくに,Freudの生殖帯および生 殖期の理論)を適用して説明しようとする立場がある。(Erikson)このアブ
ローチも続生説がしたと同じように,ある特定の文化の,特定の発達段階に おける子どもの行動を,それとは励の文化の成人の行動と相互比較すること を許すという危険性をはらんでいる。
2.続生説およびこれにとって代ろうとする考え方の多くは未開人(the primitive)なる概念を用い,部分的には社会学的,えせ生物学的理論の混成 物から,この人造のパーソナリティを演繹に的椿えあげ,またある部分は L6vy−Bmh1やFrazerのような比較論者によって蒐集され,構成された,細 目の種々雑多な集合物を通してこのパーソナリティをつくりあげようとし た。この材料は,Freud, Wundt,そしてStanley Hallらの心理学者によって
より一層体系づけられ, 子ども もしくは 神経症者 精神病者 の類語 としての 未開人 ということがその後の心理学的研究の理論的分類基準
(counter)となった。(Piaget, Storch)文字をもたない文化が非常に複雑で もあり,また多種多様であること (Evans−Prichard・E・8eaglehole)・また
未開人(性) というような概念が支持しがたいことを明らかにした民族学 的研究がきわめて多数あらわれたにもかかわらず・なおこの概念は心理学的 論述に実にしばしばあらわれている。
一方,わずかの目立った部分をのぞいてはわれわれと全く同じである特定 部族の成員を,非現実的な,一連の人造的未開性なる概念に定型化しようと する傾向がうまれた。わずかの目立った部分というのは,例えばZu爺族は 荒々しさを好まず,Kwa奪iutl族は自分自身を異常なまでの興奮状態におく
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ことを好むというようなことである。このような紋切型は,未開人というも のは前論理的な思考をし,人類の児童期に相当しているとみるような考えと 同様,有害だといってよいことが立証されている。
また,未開人についてのある種の(ソフィスティケイトされた)報告のな かには,論述のある部分では,未開人がわれわれとよく似通っていること示 すデータを使用しながら,他の部分では特異性の個々ばらばらな項目を使用 しようとする傾向がみられる。これは種々雑多な事例に拠っている古くさい 論点への一般的反証を,とくに目立つ特異性についてのデータと結びつけて
しまう結果である。
このようにMeadは,心理学者が民族学・人類学の諸資料を使用するさいの 立場の基本的問題点,同時に人類学者の側での方法論の基本的問題点を指摘し ている。要約してみるならば,第一には,続生説的立場に代表されるような,
アナ』ジイが包含する問題点であり,第二には,単純な比較論に代表されるよ うな,異質のものの混成物から仮説を構築する方法や,一部の特異な事実を拡 大し一般化,定型化する方法にみられる問題点である。
もとより,これらの傾向に対してはMeadもいうように多くの反証や批判が 加えられた。たとえば,
未開人と文明社会の子どもとを比較し並列させようとする,心理学的見地 からすればおよそ実りのない不健全な試みの開花の時期のあとには,その仮 説を論駁し,西欧流の前提が包含してきた心理学的な仮説に異議を唱えるた めに未開の材料を用いようとする時期がつづいたのである。(ig20年代後半 から30年代前半,Malinowski, Mead, Benedict)
心理学の理論的発展が,人類学上の諸発見とそれにもとつく新たな次元での 概括化を促した例もすくなくない。Meadは一例としてfrustratio捷aggression 理論(Dollard, Doob, Miller 1939)の示唆をあげている。
この仮説は,いままで終局的には満足を得てきた一連の行為が阻止されれ ば,被験者は何か他の類似の目標(代償)へ向きをかえるか,攻撃的行動を とるかする,ということを述べている。批判者は答える。 然り,しかしな がらBali島人はこういう仕方で自分自身の行動をみてはいない。彼らは,
自分たちの行動をどこへもいきつかない無限の連続としてみるか,あるいは 個々ばらばらな断片としてみている。彼らは生活を,われわれがしているよ うには,すなわち満足をもつて一くぎり々ミつけられる一連の行為から組みた
白 幡:Margaret Meadにおける未開社会の児童研究 21 ててられたものというようには考えていない と。この批判は, 時間的ま
とまり (time・gestalt,時間を軸にした心理学的まとまり 引用者)と 目 的 という全体的問題への注意を喚起した。そして目標追求,または攻撃的 行動ということを新しい抽象化でみることを可能にせしめ,その両者が,区 切りのつき方(punctuation)の点で,また両者ともクライマックスに達して おわるという点で相似ているとみることを可能にさせたのである。これは次 の概括化に導く。 もし,ある個人があるtime−gestaltに条件づけれてきた ならば,そしてまた彼の行為の連続(sequence)が中断されれば,彼は同様 な形態が含まれている他の連続へと方向転換するであろう 。
また,Gesell−119の らせん状発達 の概念(spiral concept)はFreudの 心理学から派生した成長の理論より感情的要素に偏くことがすくないという 点で,有益な比較文化的範型(cros脱ultural model)を提供している。
(人類学者)Batesonの 二重学習型 (types of deuterolearning)という 文化分析上の示唆は別の比較文化的準拠枠を提供した。実験室における学習 実験においては同一と考えられる種々の学習のタイプも,異った文化の成員 のなかではちがった役割を果す(のでこれは二重学習型を通じてそのように なる)ことが示された。
では,さきに述べたような問題点を克服するためには,どのような基本的姿 勢が要請されるのであろうか。Meadの次の指摘はその答えを十分に示唆して いるとみてよいと思う。
1.心理学者にとってほんとうの意味で使えるステレオタイプというもの はありえない。あるものは支持しがたい理論へ走り,またあるものは単なる 退屈な不信仰へと走るのである。というのも,いくつかの目立った行動上の 差異を除いては,特定の未開人というものは自分たちと全く同じだというこ とを教えこまれている,こくあたりまえの研究者にとっては,その論証全体 を本当に拒けることは殆ど不可能であろうからである。こういうステレオタ イブを変換するには,現存の文化のなかで,十分に文化化された成員がすぺ
『
ての点で,しかもシステマティカルに他の文化の成員とは異っているのだと
一旧 一一一一
いうことを強調する最近の民族学者の諸発見を有用なかたちにととのえるこ とが,心理学者にとって次第に必要となるであろう。
2.重要なことは,成長期の児竜というものはあらゆる点において(身振
1
£2
りにおいても,態度においても,話し方においても,思考方法や思考内容に おいても,また感受する能力においても感じとる仕方においても)システマ ティカルに形成されていくものだということを認識することである。また同 時に,この社会化という体系が,外部的に内部的にいかに相互に関係しあっ ているかを理解せずして心理学者は Zu徹の子供 や Arape3hの子供 について有効な取扱いはできないのだということを認識することである。
3.心理学者は,民族学者が蒐集した資料から,彼の仮説を修正するため の資料 消極的材料一一と,彼の仮説を敷術しおしすすめるための資料 一一マ極的材料一一を要求しつづけるであろう。民族学者が実地研究から持 ち帰るこの種の重要資料の多寡は,彼がフィールドへもちこんだ重要な比較 文化仮説がどう組みたてられているかにかかっている。人間行動の科学が最 高速度で進むとしても,心理学的課題に関心を寄せる実地研究者は・それが 公けに至らぬ前でも仮説をもって研究せねばならないのであって,幾年も以 前のかたちばかりの心理学的論述をもって仕事をしてはならないのである。
次にMeadは「実地研究をしようとした心理学者の試み・すなわち,実地研 究のための特定の問題を設定し,あるいは実地研究者の使用しうるテストを準 備しようとした」いくつかの意図の歴史に触れている。
L 心理学者の未開民族との最初の接触は未開の資料をはじて用いときと 同様,生物学的鋳型にはまったものであった。心理学者は種族的差異を研究
しようとした。最初の研究は感覚器官についてなされたが・Goodenoughも 指摘しているように,心理学者たちは,種族的差異についてなされてきた過 度の主張が立証されなかったことで満足し,発見された差異を無視したので あった。
その後,文字をもたない文化の成員について標準化でき,われわれが彼ら をいかに分類するかに関してだけでなく,彼ら個々人がいかに思考するかに 関して,積極的データを与えるであろう努力がつづけられた・ (Po「teus,
Cattell, K. R. Stewart)
現在までのところ,種族間に生得的な心理学的差異は存在しないという,
民族学上の基本的仮定に現実に疑義をさしはさませるようなデータはまだ進 展をみていない。
2.心理学者の側での未開資料蒐集の第二の試みは彼ら自身が公式化した
白 幡:Margaret Meadにおける未開社会め児童研究 23 諸問題は対する支持データを得ようとするものであった。例えばPorteusは 文化への接触における原住民たちの貧弱な表出には環境が原因となっている という理論の検討を試みた。またDennisは ゆりかご板 (cradle board)が 歩行年令に影響を与えるかどうかの問題を提出し,Hopi族の二つの地域社 会(一方は揺りかご板を使用し,他方はその使用をやめている)についてそ の問題を検証した。ここで問題点は,Porteusの場合もそうであるように問 題を極めて単純化した仕方で述ぺている点であるある。環境的苦痛(例えば 揺りかご板)をうけている幼児は,それとは異なる育てられ方をしている幼 児とは当然ちがうであろう。しかしそれも! 歩行年令 というような単純な 項目においてではない。むしろ,歩行の仕方,歩行の機会,パーソナリティ にとっての歩行の意義,個人がうける平衡のとり方の阻害等々の点で異なっ ているのである。こうした影響の多くは,揺りかご板そのものが取り除かれ てからも,揺りかご板がその一部をなしている文化的行動の全複合 (whole complex)が存続する限りは依然としてのこるであろう。
3.文化的に限定されている諸仮説に寄与することに力点をおく場合に は,例えば青年期における葛藤の影響範囲(Mead)であるとか, IQに及ぼ す荒々しい環境の影響というような問題を実地研究にもちこむことが,未開 の材料の効果的利用法であると思われていた。しかし,このような簡略化さ れすぎた研究からは,われわれはせいぜい消極的,修正的結論を得るぐらい で,それ以上のものは期待できなかった。かつまた,このような接近方法は 現在では明らかに時勢におくれたものである。
◇ 1935年から戦後にかけての未開児童研究にかかわる諸アプローチの概観 1. 1935年〜1940年にかけての諸アプローチ
この時期の諸アプローチの焦点は単に問題が存在するかしないか,あるい は随伴するかしないかということではなくて,全文化マトリックス内での個 人の発達を研究しようというところにあった。以前のより古いアプローチ は,ある仮説を論駁し,あるいは疑義をいだかせるに役立つところの・種々 様々の子供たちがいる実験室を未開社会に期待したのであった。その場合,
未開社会の価値は、文化は相互に異質のものであり,一連の諸条件(揺りか ご板,長い授乳期間,父性の不認識,形式的学校教育の欠如等)を見出すこ とができ,それらの効果がパーソナリティ発達に及ぼしている影響を研究す
24
ることができるという事実に存在するものとみなされていた。
その後,未開社会の他の二面を利用することにより,さらに多くのことが 得られる筈だと感ぜられるようになった。すなわち(1)実験的につくりだす
こともできなければ,すでに知られている諸様式から抽きだすことも不可能 であるような社会的諸組織の形態をひとびとが具備しているという事情,
(2)共通の一文化を共有している前文字民族の諸小集団においては,大きな 集団,すなわち,文化の異質性によって特徴づけられている成層的社会にお いては不周能であるような方法で,全社会の個人を全文化との関連で取扱う ことができるという事情,の二面である。そこでは,まず全社会化の過程に ついてデータを蒐集することに力点がおかれ,しかるのち,この過程内のい くつかの点に研究の焦点がしぼられた。このアプローチは,パーソナリティ と文化の関連の強調,(Malinowski, Frank, Fromm,君enedict, Mead, Lass一 well, Bateson, Dubois, Horney, Maslow, Gorer)および精神分析学的知見と 文化の研究の間の接近が次第に高まるなかから進展していった。(Mead,
Glover, R6heim, Dollard, Horney, Mekeel, Opler, Erikson, Kroeber, Lass一 well, Levy, Kardiner, Schilder)
この種の調査研究から,例えば学習のタイプのような,社会化の特定の面 の理解をたすけるに十分な,特定社会内での全社会化過程のデータを期待し うる。性格をつくりあげるうえに,性差のような生物学的に与えられた差異 がどう用いられているか,成長のリズムの文化的類型化(cultural pattering),
生得的な欠陥や能力が最少限に抑えられているか,最大限に扱われている か,象徴的形式の発展と利用,性格構造と政治一経済的形態の間の整合の秩 序などの諸資料が期待される。一般的諸傾向を明らかにするための比較一文 化的(cros就ultural)対比におけるこのような詳細な諸発見を基盤としてこ
そ,後日他の方法でなされる検証がかたちつくられる。
その最初の試みは, Cooperation and Conpetition among primitive peo一 ples (Mead・ed・)においてなされた。 Kardinerは文化の形式的諸様相のあ るものについての示唆的資料を駆使して一連の公式的方法を示した。彼の考 想にのつとった最も完全な実地研究はCora Duboisの研究(The PeoPle of Alor:ASociひpsychological Study of an East Indian island,1944)である。
WhitingはDollardとMillerによって発展させられた学習理論を適用して 実地研究の資料の解釈を試みた。
白 幡:Margaret Meadにおける未開社会の児童研究 25 2.第二次大戦中および戦後の研究の発展
人類学は他の学問以上に戦争の影響を蒙った。より未開な地域での実地研 究が不可能になったからである。
1940年以来,研究は次の二つの主要方向に向けられた。(1)投影法ならび に他の標準化された検査法,および観察手続きを,文化接触場面における児 童集団(主として学校教育をうけ,あるいは部分的に就学しているアメリカ インディアン)に適用すること,(2)未開児童の研究にもとつく理論を,国 民性研究の分野に適用すること,であった。
投影法を比較文化的に使用しようとする最も野心的試みは,人類学者,臨 床心理学者,教育学者の混成チームによる Indian Education and Admini一 stration Research にあらわれた諸研究である。それは,ある特定のテスト 方法論に関する討論(W.EHenry)から,一一つの全体文化に関する著者達 の広範な知識がテスト結果のあるものと統合されている諸報告 (Leighton and Kluckhohn, Macgregor)にまで及ぶものであった。児童発達における比 i咬一訓育研究(crossdlsciplinary research)の標準をみつけようと計画され た。この野心的な研究の成果は,文化変容(culturd change)の諸問題を扱 ううえでの新しい概念図式を進展させることに対してより,むしろ使用され ているテストの有用性や,使用範囲についての知識に対しての寄与にあっ た。HaUowel1および共同研究者は臨床的な考え方をコミュニケーションの 面に結びつけて用いようとした。しかしこの試みは,文化的パターンに対し てよりむしろ方法の比較可能性ということに力点がおかれていたので,全体 としては大量のデータを得たが理論的進展はほとんどみられなかった。
国民性研究の分野は一つの戦時政策として発展した。そこでは人類学的フ イールドワークと臨床的研究の組合わせにもとついた方法が,敵国,同盟国 および原住民の性格の輪廓を描きだすという目的に応用され,様々の理論的
公式化が発展させられた。(Bateson, Gorer, Schaffner, Mead, Levy, Leites,・
Benedict, Dicks)それらの理論はすべて,児童の養育法における規則性が文 化の成員の性格構造を知る手がかりとして重要性をもっているという仮説を 含んでいた。しかし本質的にこの系統の研究は,日本,ビルマ,タイのよう な異国文化に関してなされた場合においてすら,児童についてはあまり研究 されず,文化的慣行についてむしろ研究され,成人の観察者の報告をもとに レており,児童の問題を含む場倉も,児童期の経験に関レては,文学からの
麗
引用か,あるいは個人(成人)の回想によったものであった。
国民性研究と投影法を使用してなされた研究の組合せとしてはBenedict によってはじめられたColumbia University Research in C◎atemp(ぼary Cu1£u鷲sのような研究がある。これは,実際の児童の行動に関するデータを 芸術・神話・宗教儀礼および夢などからの他のタイプの文化的データと組合 わせる可能性を開いた。
Meadは以上概観したような諸アプローチの跡づけをおこない。最後にかな
りの長さにわたって再び,全体的社会化過程の研究および全文化内でのパーソ 一
ナリティ発展の研究の必要性を力説している。Meadにとっては,このことが 心理学的方法をフィールドにもちこみうる可能性を保障する条件であり,また 心理学的理論や仮説が,実地研究からの資料をえて発展し,さらに次の実地研 究を促しうる条件でもあるのである。
◇研究方法について
さて,本題の研究方法についてMeadの述ぺていることをみよう。( Metbods
of Research )
まずMeadは実地研究にあたっての「必要条件と」し℃,(1)調査者は児童
(14)
期に最も直接に関連のある資料について詳細な知識をもっていなければならな いこと,(2)更に全文化一一一社会政治制度,経済状勢等一 について組織的な 理解を有し,同時にその資料を全体の豚絡のなかにそれぞれ位置づけることが できなければならないこと,(3)調査には,土地の言葉か現地の子どもと調査G5)
者の双方に便利な接触語(contact language)を用いることがのぞましいこと,
を挙げている。
(16)
次にMeadのあげた特定の諸方法について要約する。
1. 自然史的方法The Natural History ApProach.
この方法は日常の生活場面のなかでの未開児童を注意ぶかく観察すること を基礎としている。調査者はなるべくその現場に姿を現わさず,自分の姿や カメラもできるだけ目につかぬようにし,実際の行動同様,行動の周囲の前 後の詠絡を記録するよう心がけねばならぬ。
タイプ
i)記録の型と記録法
回顧鐡 (retros選ctiveτecord):観察が完了してのち書きとめられぐ
白 幡:Margaret Meadにおける未開社会の児童研究 27 もの
同時的記録 (simuhaneous record)
「 (17)
・行動にそっての連続的記録
・場面の各面を集中的に,時間尺度(time scale)に対して同時におこなわ れる記録
・平行の写真記録と共になされる記録
,写真記録(18)
i特定場面の説明白勺記録願漣続願,頗言己録一これに は言語記録も付加する)
この二つのタイプの記録の利点としては次のことが考えられる。(1)回顧的 記録は調査者にすでにある疑闘がかたちつくられている場合であれば有益で ある。調査者は行動のある面を選択的に記録することができ,後でそれらの 例証に基いて一一般化することができる。しかしそれは調査者がすでにいだい ていた疑問に対する答えを用意するにとどまる。何故ならば,それはすでに 理論的内容の点である程度しぼられているからである。(2)同時的記録は前 者に比べはるかにありのままの観察を含み,その調査者のみならず,他の調 査者によっても分析および再分析することが角能である。このタイプの記録 が幾つかあれば,同年令の子どもの行動の諸面,同じ子どもでも年令がちが った場合の行動を比較することができ,更に異なる文化の下で育った子ども の間の比較も可能となる。従って同時的記録を詳細に採集しておくことは不 可欠の条件である。
i三)自然史的方法を用いるにあたっての問題点について
自然史的方法の再に考えられる利点は,同一場面での多数の子どもの記録 をとる時に用いうる方法だという点にある。この点の進歩には精神分析学的 考想に拠る理論が大いに与つている。この理論はある場面(授乳,離乳・排 泄後の洗諜,生殖器の扱い,同胞間の張合い等)は性格形成の過程において 特に重要であり,それ故細部に亘る観察が肝要であることを示唆した。相互 比較のための資料は,かかる標準的観察がなされたのであれば極めて有用な ものになるとはいえ,同時にかかる場面を過度に強調することもありがちで ある。そこでデータの比較しうる分量を確保するために,これら標準的場面 についての材料をできる限り多く集めると共に,通常場面における行動の連 続(sequence)を同時に詳細にわたって一複数の観察者と複合的技術を用い て一記録しておくことがのぞましい。
臼
28
2. 言語行動の記録Recording of Verbal Behavior
原語(native language)による記録は通常,解釈の行きすぎを是正するた めのものとみなされており,Malinowskiを別とすれば語られた言葉の記録 がどの程度行動の記録たりうるか疑問視されていた。しかし個人の動作の写 真記録や,音声記録がなくても,語られたり,書かれた(書くことが導入さ れている場合)原住民の子どもからの言語報告は特に有用な資料の一形式で ある,子どもたちと両親との間で,また子ども同士の問で交わされる会話,
あるいは子どもの独り言などの原文記録が謙訳された記録よりはるかに有用 なものであることはいうまでもない。
3.交差断面法 The Cross−Section Method
未開児童の研究は,通常短期間に限られ,一年と続くのは稀である。そこ で子どもたちがその文化の中でどのように成長発達をとげていくかを記述し たいと思うならば,交差断面法を用いざるを得ない。それは各年令水準にあ る子どもたちの集団の観察された行動を参考にして,全社会化過程の図式を 構成する方法である。交差断面法に対しては,それが特に個人の研究に適用
される方法であるだけに,文化的にみてその方法の限界を批判する例も多か った。しかし,回顧的ならびに同時的生活史法(後述)によって補足される
一一一}一一
ならば,この方法は他の諸文化における子どもたちを研究する場合の有力な 味方の一つであることに変りない。
交差断面法の有用性を高めるための方法論上の工夫が考えられる。それは たとえば,成熟の時期すなわち過渡期(transitional period)として定義され ている時期の個人の行動に最大限の注意を払うことである。そして過渡期に ある個人が,ちょうどそこから離脱しょうとしている集団の中心的傾向と,
入っていこうとしている集団の中心的傾向を明確に性格づけることが次の仕 事となる。これらの個々人はそこで非常に細かい点まで観察され,二つのグ ループの定められた行動に適合する行動の交替なり変化なりは一つ一つ記録
され,分析され,場面的,慣習的,社会一構造的観点からの直接の吟味に委 ねられる。過渡的事例の主だつたものを研究するには通常一年間あれば十分 である。
4.交差断面法と組合せうる他の方法Other Methods Which Can Be Combined with Cross・Section Studies
i) 事件(events)を用いる方法
白 幡:Margaret Meadにおける未開社会の児童研究 29 この方法はFortuneによつて広く発展させられたものである。ある型の事 件一病気,不幸,口争い一はその特定場面に含まれるすぺての個々人の行動 研究のための焦点とみなされる。この方法を児竜研究に適用すれば,誕生,
死亡,争い,主な通過の儀式(rite de passage)というような家庭内での比 較しうる場面に当面した特定の年令別,性別の児童の行動について,組織的 な詳しい記述がえられよう。
ii)逸脱事例(deviant case)を用いる方法
逸脱事例というMeadの方法においては,環境もしくは観察された規準と は異なる個々人が選ばれる。これらの事例は,集団行動や重要な意味がある と認められている諸要因についてすでになされている一般化の概念によって 分析せられる。例えば父親を失なった少年の行動は,父親が教育上重要な役 割を果しているような文化において試される。そこで関連する方法として行 動における逸脱(例えば盗みが最も異常なこととされている社会で盗みをは たらく子供)が社会的な背景や個人の経験の中でどんな要素が行動を説明す るかを発見するために分析されている。またこの方法は,より継続的に文化 化されていく個人の機能を説明するための方法として,そのパーソナリティ が特定の年令と性別の集団によって是認されているタイプに殆ど接近しない
ような個人の行動の研究に対しても利用しうる。
iii) 純粋事例(pure case)を用いる方法
Levyは成長途次のパーソナリティと社会的環境との間の相互作用の型を 示すために,全事例記録の大きなセットから,仮説的に意味のある幾つかの 基準に合致するような一連の事例を選びたし詳細な分析を行なった。この方 法はフィールドにおいては 純粋性 (文化的に理想的であるが故にノ 純粋
であり,統計的に正常であるが故に 純粋 とみなされる)の基準をつくる ことにより,例えば文化的理想に一致する諸項目に,または統計的規準に一 致する諸項目に適用しうる。
iv)親子組面接法(paired paren卜child interviews)
Wolfensteinは親子組面接法を発展させたがここにおいては,両親と一一人 またはそれ以上の子どもが慎重に平行して作られた筋道通りにインタヴュー されるか,物語りのような同種類の材料をあてがわれる。この方法は更に大 量の観察データを場面的豚絡の中に位置づけ,そして,複合社会の中の人種 的集団の処理などでは 家族文化 あるいはノ 家庭のしきたり 一広大な文
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化の中でのド位文化集団の特質をあらわす一などを参考とすべき行動を切離 すことを容易にさせるものである。
5.生活史法The Life History
生活史は個人の生活においてどの点が焦点とされているかということを中 心に分類される。回顧的生活史ないし自叙伝では,成人は彼らの生活の物語 をそれがいま現実におこっているように物語る。同時的生活史では内省的な 陳述のできる個人の生活の切断面が実際の事件というかたちでも,またそれ
らの事件に対する個人の注釈というかたちによっても記録される。
回顧的技法についての問題
成人の幼時の記憶や経験の仔細な報告はたしかに,彼が自分自身や他人の 幼時の経験をどうどう見ているかということについての貴重な資料ではあ
る。しかしこれは本質的には話し手がどのように感じ,これらの諸経験が現 在の彼にとっていかなる意味をもっているかということの上にたったデータ
であって,彼の過去の実際の発達に基いたものではない。このちがいは治療 的な目的からすれば許されようが,パーソナリティの成長の研究が目的であ る場合には,これらの内省的報告から得られたデータは十分注意して扱われ るぺきである。まして材料が前文化の残存者の記憶から拾い集められ,しか もその経験をそれら記憶と照合してみようにも現存の子どもがいないという 場合には尚更のことである。
すでに破壊され,何らの観察的データによっても支持されていない文化の 成員の生話史が役に立ちうる唯一の状況は,数種の歴史があり,しかもそれ らが組織的な特異点をもち,更に話し手のパーソナリティについての十分な データを備え,後日,それらのパーソナリティを理論的準拠枠に位置せしめ えて, Xタイプの三人の個人,yタイプの二人の個人, Zタイプの三人 の個人の目を通して見た限りでは,この文化はぎというタイプを有してい
ると考えられ,かつ夫々異なる話し手による報告における差異はこの仮設を 強調する といいうるような歴史がある場合だけである。
回顧的生活史は児童の行動を両親がいかに解釈し,それにどう反応してい るかについての貴重な資料となりうる。報告者が自身の過去の記憶を,彼ら の子どもの現在の行動についての逐次的注釈と結びつけて話してくれたり,
これらが児童の行動の観察的記録に加えて報告されれば特に貴電なものとな る。児童自身の過去についての詳報はより一層有益である。
白 幡:Margaret Meadにおける未開社会の児童研究 31 しかしこのような記録は結果においては著者(Mead)が同時的生活史(そ の場合回顧的材料が含まれていようがいまいが,重点は目下の出来事,すな わち,調査者もよく承知している内容に関しての個人の陳述にある)と呼ぶ ものになったのである。この種の記録が数ケ月以上も続き,現実の生活場面 における出来事と注意深く結びつけられるならば非常に価値のあるデータが 得られる。(Mead, Iatmu1での調査)かかる同時的生活史は記憶を喚起した 出来事に対し継続的に照合される。 (Gorer)記憶それ自体は同じ事件につ いての他の個人の記憶と比較され,同様な場面が,同年令の児童の生活のな かで扱われる仕方と比較される。
6.縦断的研究Longitudinal Studies
上述の方法一交差断面法的研究や生活史法の変形一は幼児から成熟期に至 るまでの個人の生活の経過が全社会環境の中で記録されるような追跡的生活 史の不完全な妥協であり代用物であると一般に認められている。Beaglehole らは,短時間になされた研究のデータがいかに蓄積されようとも,それらの データを特定の児童についての長期に亘る継続的研究を経ずして解釈するこ とはできないと主張している。著者(Mead)には9ケ月間の中断期間を挾 んで前後に1年間ずつ,都合33ケ月間にわたり Bali島の児竜の行動記録を 得た経験がある。このデータを他の4つの文化で行なった集約的な交差断面 法によるデータと比較してみたが,縦断法の利点がBeagleholeらのいう程 のものとは思われなかった・しかしR・li島髄8人の4・000、悠の縦断的系 列のスチール写真をGeselHlgのタームによって分析した結果,(Mead及 びMacgregor)縦断的研究は特定の個人に関して観察された各行動タイプを 限定することにより,仮説を構成しうるという確信を深めることはできた。
もし交差断面法において独自の照合法が用いられ,実地研究者が個人の行動 を社会化の理解へと謙訳しうるような理論的準拠枠をもってヤ・るならば,長 時間を費した一文化についての縦断的研究からよりはむしろ,二つの文化で の研究から得られた洞察の方が与えるものは大きい。
KluckhoknはBeagleholeらと同じ仮定にたって研究を続け,13年間に亘 り6ケ月の間隔をおいて一貫した観察法でNavaho児童の同一集団を研究し た。このような計画の遂行のためには記録の一貫性と客観性,観察者の役割 の恒常保持,文化変容が過大でないことなどが望ましい条件である。
7.投影法 Projective Meth(》ds
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投影法は未開児童研究に用いられるデストとしては適当な形式のものであ り,結果もすぐれて説明的である。この方法が単に個人としての児童を研究 するためばかりでなく,文化的過程をも明らかにするために用いられるよう になってから更に進んだ論評が加えられるようになった。(Abel)
i) 投影法使用上の一般的留意点
(1)投影法はまず文化的に限定されている要素の影響をできるだけ避けた ものでなければならない。
(2)被験者の隔離を営要とする方法は好ましくない。人目のない状態
(privacy)を要するテストは文化によっては適用できない。
(3)人を驚かせたり,異様である要素も好ましくない。テストのニュース は直ちに集団中に拡がり,行動の標準がテスト場面外で想像的に作りあげら れてしまうからである。
(4)運動的反応が重要な要素であるようなテストはカメラの前で実施され ない限り避けるぺきである。それは運動反応を記述するわれわれの語彙がど んな文化にもあてはまる程の能力をもちあわてていないからである。
(5)言語反応を要求するテスト(ロールシャツハ,TAT♪も好ましいとは いえない。言語反応を含むテストは多義の非言語的思考を言語化することに より,またある言語を他国語に融訳することによって誤解を生ずる余地をの
こす。
(6)実験者によ.,て学えられる刺激が定型的であるようなテストを排除す
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ることも望ましい。
(7)児童の反応を求める場面が単純なものである程,その反応が文化的類
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型化の程度を示す蓋然性も高くなる。
ii) 有用と考えられる投影法の例
(1)描画法drawing technique
子供の描画は恐らく最も有用な投影法の材料の一つであろう。各描画グル 一プの構成についての資料,連続画の場合はその順序,絵に関しての説明等 の記録が必要である。また成人の絵の様式に関しての独自の記録や,砂に描 かれた絵,泥の彫像,壁に描かれた絵などに現われている児童の描画様式に ついての知識をもっていることが必要となる。ここで検討される問題の一例 としては,人物化(personalization)がどの程度児童の思考,(描画)様式の 形成,情緒的態度,更にシンボリズムの基本である同一化ということの特質
白 幡:Margaret Meadにおける未開社会の児童研究 33
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であるかということである。
⊆2)遊戯法 Play technique
遊戯法を未開児竜の研究に最初に用いた例はR6heimによる中央オースト・
ラリアおよびNormanby島の調査であった。彼はオーストラリアの子ども たちが生殖に関する遊びに非常に興味をもっていること,Normanby島の子 どもが 母子ごっこ に興味をもっていることを発見した。母子ごっこでは 同じ人物が交互に母になり,子になり或は夫になり妻になるのである。
R6hdmは 夫は妻に対してどういうことをするか というような注意をさ し挿むことによりその遊戯場面を調整している。
, 投影法の利用は調査者の注意が文化の役割りという点に集中している限り 得るところが大であろう。研究者は行動の個々のタイプが,実験的に統制さ れた場面での,われわれ自身の行動と同じであるか,異っているかを追求す るだけでなく,行動を文化の様式の部分としてみるようにつとめるべきであ
る。
以上,具体的な研究法についてMeadが述ぺているところを要約した。
Mead自身はこれらの諸方法,諸技法のほとんどすぺてを実地で用いている が,なかでも自然史的方法はすべての調査での基礎的方法として重視されてお
り,それによる記述は実に克明かつ周到である。(補註17参照)
Meadは最後に将来の研究について言及している。 ( Future Research の
部分)
◇将来の研究について
未開児醸研究の一船的傾向は(D全体としての文化の中で成長していく児 薦の研究にますます重点がおかれるようになったこと,(2)全体場面につい ての予備的な研究をふまえての発達に関するより詳細な心理学的探求の司能 性,(3)同時的記録,諸行動の逐次的記述,記録写真,多面観察記録,投影法 の施行等の諸結果の蓄積,の方向にあり,これらは今後,一層精緻化しつつあ るわれわれの仮説にそって十分な分析に委ねられるであろう。もし課題がフ
イールドにもちこまれるべき問題であるならば,それは個々別々の要因の作 用を探索しようとする問題よりもむしろコンステレィティヴなタイプの問題 であるべきである。未開社会の児童についての未公刊の材料は非常な数に達
(21)
レているが,それは研突のためのモ・う一つの溺乏でφる,・岬学者ζよ実地研
34 ・
究者がそのノートの中から適切なものを提供しうる方面で,彼自身の問題を 表現すればよい。しかし現存の未開社会児童の成長発達について,より集約 的な詳細な研究ほど緊急を要する問題はない。これらのデータは人間行動の 可能な範囲についての知識を拡げる上には役に立たない。ただこの種類の詳 細な材料をもってすれば,われわれは,われわれ自身の文化的な偏りの限界 に捉われずに心理学の土台を据えることができるのである。しかも,僅かに 残存している未開社会が一度文化接触に屈服してしまったならば,われわれ は再び彼らをもとの位羅へ復させる何らの手段も持ちあわせていないのであ
る。
巫
Meadが幼児期の教育・経験がのちの人格形成に大きな影響を及ぼすと考え ていることは,これまでみてきたところによっても明らかである。そしてこう いう考え方は,精神分析学の思想的影響にもとつくものであると見られている ようである。たしかに精神分析理論は幼児期の経験を重視し,その仮説,すな わち,幼児の初期の訓練と経験が個人の発達したパーソナリティ構造の基礎と なるという仮説,幼児訓練にたずさわる両親その他のものは,より大きな文化 全体の代理人であるという仮説,および人類学者が世代から世代への文化伝達 に必要であると常に考えていた同一の室絵化過程が同時に,個人のノく一 Jリ
ティが構造化される過程でもあるという仮説は,恥Uowel1もいうように ア メリカの人類学者にとくに大きな影響を与えたと考えてよい。そしてMea4が その精力的な著作活動を開始した1920年代後篭倉ら,精神分析学は,それまで Freudの理論に冷淡であったアメリカ人類学界 にぬきがたい影響を与え・同 時にアメリカ人類学の研究方向それ自体が徐々に新しい方向(一言でいうなら ば,文化とパーソナリティとの関連を追求する方向)へ向いつつあった気運と相 侯って,いわば一つの理論的基礎を提供するまでになったのである。このよう な時代的な思潮のなかでMeadが精神分析学からうけた示唆はたしかに小さな ものではなかったと思われる。精神分析学的視点から文化人類学的理論を構成 し,あるいは調査および整理規格を立案したかのような人類学的業績もすくな くはないが,このような仕事ぶりはMeadの場合にはみられない。 i換言すれば Meadは精神分析学的な構想から自己の学問的研究を出発させたとは認めがた い。Meadの学問的関心はやはり,未開文化とそこにおける人間の生活,生活
白幡:Margaret Meadにおける未開社会の児童研究 35 を中心とする文化・社会・人間の力動であり,その力動の一・つの焦点は,誕生
より重nitiationに至る文化の中での人間の成長でもあったのである。これ以上 反復することは避けるが,こうした強い学問的関心を,その学問的生活の端緒 から持ち続けたMeadが,精神分所学の構想の一部に共鳴したとしても不思議 ではない。精神分析学の影響をMeadにおいて否定することはできないが,そ れはしかし,Meadの学問的関心が招きよせたものというべきである。この点 に関してMeadの心理学への指向が言及される。そしてそれが師Franz Boas
(25)
ゥらの影響であることがしばしば指摘されている。Meadのもつこの傾向は Meadの学問的性格の大きな特色の一つであり, Mead研究の主要な課題領域 を構成するといわねばならない。その性格を明瞭にするためには・E・Sapir・
R.8enediαその他の文化人類学的著者との詳細な比較検討を必要とする・こ の点についての素描は,別の機会にゆずりたいと考える。
補註ならびに引用文献
(1) Research on Primitive Children はL. Carmichac1の編集になるManua垂s of Child psychology,1946, New York, jQhn Wiley&Sons, Inc・におさめられている 論文である。同書は1954年に改訂版がでており,Mcadも述ぺているように初版のもの に若干手が加えられているので本稿は1954年版の論文に拠った。
(2)Meadの業績はこの Rescarch・∵ の末尾の文献一覧に1951年までの主なものに 殆ど挙げられて、・る。
(3)1・k・ls, A.&L・・量・・。・, D, J. N・ti・nal Ch・…t…th・・t・dy・fm・d・l pe「一
・D・・ll・y・・d,・ci…1ω・・i・y…m・ (i・)L垂・d・ay・G・(・d)H・・db・・k・f S°ci・1 Psycbology. Ca颯bridge. Harvard Univ. Press,1954. Vol r pp 977〜1020.
高橋訳「民族的性格」社会心理学講座第8巻 みすず書房,1957.
(4)M・ad, M.・N・ti…ICh・・act・・ (i・)K…b・・, A・L(・d・)A・th・・P・1・gy Today. Chicago Universky of Chicago Press,1953, pp 642−667.
(5) Inkels, A.&Levinson, D・J・Ibid・
lnkelsらは「われわれの意見によれば〃民族的性格 (国民性)とは最頻的(model)
パ_ソナリティ構造と同等視うるものである」と述べている。(P・980)そしてさらに
「恨族的性格.とは躍社会の成入間に最頻的にみられる比較的永続的なパーソナリティ の特性及び様式と関係をもつもの,である」とも述ぺている(p・983)従ってInkelsら がmodal personalityを 社会の成人間に最頻的にみられる … と考えているとみる ことはできるかもしれないが著者がそう簡単にいいきっているわけではない。とすれば 我妻が「インケルスとレヴィンソンによれば・ モーダル・パーソナリティとは特定社