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小川洋子『ミーナの行進』が描く一九七二年

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Academic year: 2021

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小川洋子『ミーナの行進』が描く一九七二年

――〈模像〉のノスタルジー

佐々木  亜紀子

はじめに

同年「平成十八年度谷崎潤一郎賞」を受賞した。   『で『れ、行、

えで「ファンタジー」の「偏在」を指摘し、「文学にもっと野放図なものを期待する」と結んでいる。 る。し、は「 は「り、て、べ、も「   「は、だ。る。

  究・は、そうと試み 、川本三郎は「お伽話の桃源郷」 としている。

  に『り、るような実在性と「お伽話」という二つの要素をもつ小説なのである。

(2)

  は、て、し、む「る。で、に、え、る。を「ら、説の方法についても検討する。

一.二人の母

  る。て、は、別、別、り、る。ば、」(中央公論社、一九九一)では、航平の母は主人公の父と子連れ同士の再婚をし、『貴婦人

(新潮社、二〇〇三)の主人公「私」は、非婚のまま息子を生み、家政婦になって生計を立てている。 では主人公の母が、亡夫の勤め先の大学の教員住宅を出て息子と二人で亡夫の実家へ身を寄せる。また『博士の愛した数式』 Aの蘇生』(朝日新聞社、二〇〇二)

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25

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宅ローンを組むこともできず、「住まいの貧困」を抱えていることなどをあげている い。て、産・く、 1.5る。九・ず、   は、う。る『

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いう仕事を続けるのも、経済上の問題が大きいだろう。

  この主人公のように、結婚しないでシングルマザーになった人は、先の調査 では、七八%になった。これは死別によって「七・る。ず、ば「が( め、う。は、く、ま、だ。的にはその自立は困難を極めている。

  に、は、面、立、い。る『も、る。が、は、う「れている。

  は、後、」、う。に「」、せ、め、る。が「年あまり」、芦屋の伯母の家で過ごすという経験はこうして用意されたのである。

  は、が、て、る。が、が窺われる。

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(4)

い、の「け、」、た。は「も、く、も「え、う。ば、なく、当時のつつましい暮らしの範疇という可能性もある。

  だが夫亡き後はこの格差は開く一方であった。朋子の母は「縫製工場の勤めと洋裁の内職」というダブルワークをしても、一九七〇年の万国博覧会に「仕事のせいで」朋子を連れていくことができない。東京へ行ってからも、「十円玉がたまったら」り。に「い、も、る。し、る。は、の、ば「展望」がみえない苦境にあったことは確かである。

  る。て、娘、は、い。以上、「伯母さんの好意に甘えるしかなかった」ということは確かだ。

  て、に、た「み、る。い。は「り、し、に、に暮らしているのである。この伯母と伯父との結婚の経緯は次のように語られている。 

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修め、ローザさんを見初めて結婚した。(中略)伯父さんの人生もおおむね、お父さんの歩みをなぞるように展開された。 は、だ。た、 た。は、二年も待つ必要はなかった。それどころか結婚式の七 か月後には、男の子龍一が生まれていた。(傍点は引用者に拠る。以下同じ) 

  が、が、辿る。は、だ。ば、た「が、し、輿た結婚だったということだろうか。

  朋子から見てそれぞれ非の打ちどころのない伯父と伯母ではあるものの、その印象は対照的である。伯父は初対面の時「皺し、も「る。い。も、く、る。は「で「姿のできる人ではあるが、「お洒落や外出に縁遠いのは明らか」で、クローゼットのなかにある数の乏しい洋服は「主張がなく、る。と、い「の伯母。「家に帰ってこないくらいの〈お出かけ好き〉」の伯父と、「出不精」な伯母。

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た「簿は、日「る。が「と「が公然の秘密になっているからだ。夫の会社の元社員であった伯母にとって、それは耐え難い屈辱であろう。

  伯父は別宅住まいであり、龍一はスイスへ留学し、「洋館」はもはや女性だけの生息空間になっている。それでも伯母が「洋は、だ。が、て「る。 て「だ。で、う。か、だ「か。は、く、い。あたかもそれらの負の側面を忌避するように、「洋館」の幸福ばかりを語り続けている。 

二.ケアの場としての「洋館」

  前節において、ミーナの母をケ アの待機要員と述べたが、〈ケア〉とは介護、看護、介助、育児など、意味する領域は広い。ここでは岡野八代論 (1

から、特にミーナの母が担うケアの物語における意味について検討したい。

  が「は、る。し、れ、う。に、ど、に「つ。ず、れ、在(に「う。為、

(7)

ば「は、れ、のである。そしてその私事化されている育児は、単純な公との二分ではなく、実は公領域の支配下にあるという。

  ば、り、は、は、る。ば、経済活動に参入することの困難は明らかである。

  ァ・ー・は、を「し、構築の必要性を論じるなかで、「依存労働」が公的領域から締め出されていることを指摘した ((

。加えてキテイは、「依存労働」が、で、り、し、それを「二次的依存」「派生的依存」と名づけている。

  伯母はケアの待機要員として、夫の経済力の下にある私領域の「洋館」のなかで、いわばこの「二次的依存」状態に陥っる。に「は、し、だ。に、の「る。が「き、は「 き(ん。ら、 う「て、う。に、の「で、に、るほど飲酒癖が昂じていたのだ。

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