現代 中国 の 「陶行 知研 究 」(李)51
現 代 中 国 の 「 陶行 知 研 究 」
李 燕
1.「 陶 行 知 研 究 」 の 半 世 紀 1.二 回 の 「陶 行 知 研 究 熱 」 2.「 陶行 知 研 究 」 の魅 力
II.「 陶 行 知 教 育 思想 研 究 」 の動 向 1.陶 行 知 の 生 涯 と実 践 の研 究 2.陶 行 知 思 想 の 理 論 的研 究 お わ りに
1.は じ め に
「陶行 知研 究 」は 中 国 で は 「陶研 」 と言 う。1980年 代 よ り現 在 まで25年 間 の 問、 全 国 的 「学 陶 師 陶 」 運 動(行 動 と実 践 を通 して 、 陶行 知 を学 び、 陶行 知 の こ とを 習 い 師 範 す る こ と)と 一 緒 に展 開 され て い る。 こ こで は 、 主 に 「陶 研 」 を考 察 し、 現 在 中 国 で は 、 どん な位 置 づ け、 そ して 、 どの よ うな研 究 を
して 、 どん な未 来 性 が あ る か をた どっ て 行 きた い と考 え る。
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1.「 陶 行 知 研 究 」 の 半 世 紀
1980年 代 以来 「陶 行 知 研 究 熱 」が 中 国 大 陸全 土 で 台風 の よ うに広 が って い っ た 。 現 在 まで もそ の 熱 は まだ 冷 め て い な い。
なぜ 「陶 研 」 が 中 国 で 盛 ん で あ る のか 。
1.二 回 の 「陶 行 知 研 究 熱 」
1940年 代 か ら現 在 まで 、 全 国 的 に陶 行 知 を師 匠 と して学 ぶ 大 き い活 動 は二 回 あ っ た 。
第 一 回 は 、1946年 陶行 知 が 亡 くな った とき に、 延 安 の解 放 区 で 「学 陶 師 陶 」 活 動 が 展 開 され た 。 毛 沢 東 、 朱 徳 、 董 必 武 、 林 伯 渠 、 周 恩 来 な ど、 共 産 党 中 央 指 導 者 た ちが 「人 民 教 育 家 陶行 知 先 生 」 の た め に揮 毫 を し 「人 民 を す で に 解 放 で きた この 中 国 解 放 区 で は 、 陶 行 知 先 生 の 思 想 が 人 民 に歓 迎 され 、 陶 行 知 先 生 の 思 想 が 実 現 しつ つ あ り、 広 が っ て い る」 とされ た 。 当 時 の 国 民 党 統 治 区 で も 「学 陶 師 陶 」 活 動 が 展 開 され て い て 、 陶 行 知 先 生 の 思 想 は 「人 民 教 育 事 業 発 展 」 の 役 割 を果 た した。
第 二 回 は、 四 人 組 が 逮 捕 され た後 、1978年 中 国 共 産 党 第 十 〇 回三 中全 会 の 政 策 と方 針 の 下 で 、 年 を重 ね 幾 つ か の 中 央 政 府 か らの動 きが あ っ た 。
1981年 全 国政 治 協 商 委 員 会 が 北 京 で 「陶 行 知 誕 生90周 年 記 念 大 会 」 を 開催 し、 都 頴 超 、 胡 愈 之 が ス ピー チ を した。
1985年 「中 国 陶 行 知 研 究 会 、 基 金 会 」 が 北 京 で成 立 し、 李 鵬(陶 行 知 が 創 立 した育 才 学 校 の 元 学 生)、 胡 喬 木 が ス ピー チ を した 。
1986年 「中 国 陶 行 知 研 究 会 、 基 金 会 」 が 上 海 で 「陶行 知 誕 生90周 年 記 念 と 学 術 研 究 大 会 」 を開 き、 江 沢 民 、 張 勤 夫 が 開 会 時 に重 要 な ス ピー チ を した。
これ らの 党 中央 と政 府 を代 表 した ス ピー チ は、 陶 行 知 の 名 誉 回 復 と と も に
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彼 の功 績 を高 く評 価 した。 そ して 、 全 国 の 「陶研 」 とそ の教 育 的実 践 は 、 急 速 に展 開 した の で あ っ た。 研 究 は た だ 政 治 と中央 政 府 に左 右 され る ば か りで は な く、 現 代 中 国社 会 の建 設 に あ る実 際 問題 と合 わせ て 、 「陶研 」的 実 験 、 生
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活教 育理論 の発 展 な どの研究 活動 が あ る。
1991年 当時、 中国陶行知研 究会 常務 副会 長兼 事務局長 の方明(現 在 中国陶 行知研 究会会長 。 陶行知 が作 った 「工学 団」 の小先生 で あった)が こ う言 っ た。 陶行知 の弟子 で あ る李鵬 総理 が 陶行 知 の故郷 の安徽 省獄 県 に 「行 知公 園」
を揮 毫 し、 陶行知 に対 す る崇敬 と回憶 を行動 で現 した。
李鵬 総理 は、 陶行 知教育 思想 の研 究 は 「教育 改革 と人材 の育成 には欠かせ
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な い課 題 で あ るの で 、 そ の研 究 を支 持 し賛 成 い た します 」 と発 言 した 。1990 年 代 の 中 国教 育 委 員 会 主 任 の 李 鉄 映 は 、 「教 師 デ イ 」(1986年 に規 定 、 毎 年9 月10日)に 「陶 行 知 の人 民 の 教 育 を人 民 が す る、 教 育 事 業 を人 民 の た め とい
う観 念 が 、 人 民 の心 に植 えて い た 。 現 在 、 教 育 は経 済 、 科 学 技 術 、 社 会 の 進 歩 とバ ラ ンス よ く発 展 して い く道 に入 って い る。 陶行 知 の 教 育 思想 も中 国 の 実 情 と適 合 し、 教 育 改 革 と発 展 の 貴 重 な 経 験 を積 み 重 ね て い っ て い るの で あ る。」 「陶行 知 を学 ぶ 上 で最 も重 要 な の は、 実 践 す る こ とで あ ろ う。 これ は 陶
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行 知 の よい 記 念 で あ り、 最 も重 要 な記 念 で あ る」 と方 明 は発 言 した 。
2.「 陶 行 知 研 究 」 の 魅 力
① 人 口 の80%の 農 民 へ の 教 育
中 国 の 人 口 は13億 、80%が 農 民 で あ る。 陶 行 知 は農 民 の 出 身 で あ り、 農 民 の こ とが 良 く分 か っ た 。 教 育 改 造 の実 践 か ら彼 は この よ うな理 論 を作 っ た。
中 国 の 社 会 を改 造 す るな ら、 まず 、 農 村 社 会 を改 造 す べ きで あ る。 都 市 部 の 教 育 問 題 よ り、 教 育 を 田 舎 まで 持 っ て い く緊 急 さが 必 要 され る。彼 は 自 ら農 村 に 行 っ て 農 民 の 家 に入 り、 わ ら を敷 き布 団 と し、 牛 小 屋 に牛 と一・緒 に泊
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ま った こ と もあ る。 「私 た ち も陶行 知 先 生 が 提 唱 す る農 村 教 育 を学 ば な けれ
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ば な らな い。」 と周 恩 来 は言 っ た 。 「陶行 知 先 生 は1910年 代 の 現 代 中 国 の 中 で もっ と も早 く農 村 教 育 を 自 らの行 動 で 実 践 した 人 で あ り、 も っ とも早 く知 識 人 と して 、 労働 者 と農 民 と結 合 した 人 で あ っ た 。 彼 は全 国 の 人 民 大 衆 に教 育 の 機 会 を与 え よ う とい う偉 大 な願 い を い だ き、制 度 と形 式 と方 法 を多様 化 し
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な が ら、 中 国 民 衆 教 育 の道 を模 索 し、 現 代 ま で 通 用 す る価 値 が あ る」、 中 国
「三 農 問題 」解 決 す るた め に これ か ら最 高 の 教 育 を導 い て くれ る と認 め られ て い る。
② 「人 民 至 上 」 主 義
陶 行 知 は、 一 切 の 学 問 は 人 民 の 幸 福 の た め を 目標 に して 実 践 的 努 力 を し た 。 「人 民 至 上 」(人民 は何 よ り最 高 で あ る)。 彼 の生 活 教 育 理 論 は西 洋 へ の 盲
目的 崇 拝 で は な く、 伝 統 の す べ て を打 倒 す るの で もな か っ た 。 古 今 と中 国 と 外 国 の 教 育 思 想 を全 部 包 容 して 、 中 国 の 実 際状 況 か ら出発 し、 人 民 の 生 活 水 準 を 高 め るた め、 優 れ た創 造 的 理 論 を 吸 収 して 、 中 国 の独 特 な社 会 学 ・経 済
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学 的教 育 理 論 を発 見 した 。 この理 論 は人 民 大 衆 的 教 育 理 論 とな っ た 。 現 在 、 中国 人 民 は 「学 陶 師 陶 」 活 動 を通 して、 半 世 紀 前 か ら人 民 の た め に教 育 事 業 に命 か け た 陶 行 知 の 生 涯 と思 想 を 理 解 し、 感 服 し、 陶 行 知 の 教 育 が 現 代 に もっ と も適 応 す る と考 え る。 なぜ な らば 、 中 国 の 農 村 は半 世 紀 前 と比 べ て大 き な変 化 が あ っ た と して も、 貧 困 か らの 解 放 は ま だ 十 分 で は な い か らで あ る。
③ 酪駝(辛 い長 い旅 で荷物 を い っぱいに載せ、 黙々 と目的地 に到着 す る)の よ うな奉仕 心
貧 困 な子 どもたちの ため に陶行 知 自身 は酪 駝 にな ろ う とい う奉仕 心 を持 っ
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て い て 、 実 践 し た 。 「 捧 着 一・ 穎 心 来 、 不 帯 半 根 草 去 」(来 る と き は 一 心 を 捧
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げ、 去 る とき は草 一 本 も持 た ず に)の よ うに、 中 国 的 師範 教 育 を先 頭 に立 て 幼 稚 園 教 育 、 小 中学 校 教 育 な どの建 校 思 想 を樹 立 した 。 「国 内 の 幼 稚 園 教 育 は 外 国 病 、贅 沢 病 、 金 持 ち病 とい う三 大 病 気 に か か っ て い る。 外 国 の ピ ァ ノ、 歌 、 そ して 、 外 国 の物 語 、 外 国 の 玩 具 、 輸 入 の お菓 子 を食 べ て い る。 園 児 と教 員 が 中 国 人 で あ る以 外 に 中 国 の 面 影 もな い 。 貧 困 な 中 国 、 特 に郷 村 で は小 学 校 教 育 さ え も普 及 で き な い の に、 金 持 ち病 の幼 稚 園 教 育 は さ らに普 及 しが た い 。 そ の た め に、 子 ど も た ち が 教 育 の機 会 を 失 っ て し ま う の で あ
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る」。 貧 富 の 差 が ます ます 拡 大 す る現 代 中 国 に、 何 らか の啓 示 を これ か ら も しめ して い る。
④ 貧 困 な 民 衆 、 子 ども 、 「社 会 の 力 」 の 信 頼
そ うす れ ば貧 困 な 民衆 と子 ど もの 力 、 社 会 各 方 面 の 力 と合 わ せ て 学 校 を建 設 す る と考 え る。 そ れ は政 府 の力 に頼 る ぼか りで は な く、 社 会 全 体 の 力 を 喚 起 し、 全 民 教 育 を作 る思 想 で あ る。 「生 活 に合 わせ て 教 育 を作 ろ う」とい う主 張 で あ る。 この 「生 活 即 教 育 」 は生 存 の た め に 幼 い 時期 か ら仕 事 す る民 衆 に 識 字 な どの教 育 を与 え て、 彼 の生 活 に強 い 生 存 力 を与 え た ば か りで は な く、
成 長 した 民 衆 も団 結 して新 しい学 校 を作 る後 備 とな れ る と考 え る。 現 在 の 中 国 は 民衆 の力 に よ る 「民 弁 学 校 」 「民 弁 大 学 」が 沢 山 出 きた 。 陶 行 知 の 建 学 精 神 を学 ぼ う とす るか らで あ る。
⑤ 現 代 に生 き る陶 行 知 の必 要
中 国 に は現 代 に生 き る陶行 知 が 大 変 必 要 とされ る。 陶 行 知 の よ うな教 育 者 を多 くに育 成 し、 「普 九 」(9年 義 務 教 育 普 及 の全 面 的展 開)と 青 年 ・壮 年 の
「文 盲0掃 」の達 成 に は な る。 超 楽 天 派 は 言 う。 中 国 が世 界 一 流 教 育 を超 え る の は10年 以 内 に な る。 しか し、 た だ 農 村 や 辺 鄙 地 方 の教 員 が大 変 足 りな い 状 態 の 中 で 、 「陶 研 」 とそ の 実 践 の成 果 を長 期 間 で 広 め、 模 索 しな が ら、 まず
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「普 九 」 と 「文 盲 一 掃 」 を達 成 す るの が 大 事 で あ ろ う。(s)
II.「 陶 研 」 の 動 向
以 下 に 、1980年 代 か ら現 在 まで の 「陶研 」 論 文 の うち 、 特 に 陶 行 知 の 生 涯 に 関 す る も の、 さ ら に、 彼 の 「生 活 教 育 」 理 論 につ い て の 主 た る研 究 成 果 を 概 括 して み よ う。
1.陶 行 知 の生 涯 と実 践 の研 究
古 代 中 国 は太 陰暦 を使 い、 生 年 月 日は そ れ に従 った 。19世 紀 末 に生 まれ た 陶 行 知 の生 年 月 日 も太 陰暦 で あ っ た 。1990年 『陶行 知 全 集 』 新 版 を 出版 す る 際 に、 胡 暁風 、 周 洪 宇 ら研 究 者 に よ って 太 陽暦 に推 算 し、 陶 行 知 の生 年 月 日
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は1893年11月10日 と され た の で あ る。 これ に よっ て 、 陶 は53歳 の 若 さで な く な っ た こ とに な る。 しか し、 そ れ に対 して も別 の 論 議 もあ った 。 つ ま り、 陶 行 知 の 家 族 か ら提 供 され た 元 の情 報 「陶 行 知 生 年 月 日は1891年10月18日 」 卯 年 で生 ま れ た と され た 。 い ず れ に して も、 「陶 研 」に邪 魔 す る こ とが で きな い こ とを研 究 者 た ち は一 致 して い る よ うで あ る。 陶 行 知 の 出 生 地 か ら、 彼 の0 生 涯 の足 跡 に沿 っ て 、 中 国 、 日本 、 ア メ リカ の研 究 者 た ち に よ って 、 中 国 の 安徽 省 、 江 蘇 省 、 上海 、 北 京 、 四 川 省 、 香 港 、 そ して 、 ア メ リカ 、 ヨー ロ ッ パ 、 日本 へ と、 精 密 な 調 査 と考 察 が 行 わ れ た。
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陶 行 知 の生 涯 は彼 の 言 った 通 りで 「為 一 大 事 来 、 徹 一・大 事 去 」(一 大 事 の た め に来 て 、 そ して、 また 、 一 大 事 を して 去 る)で あ る。 このL大 事 」 は不 幸 な民 衆 の た め の教 育 普 及 で あ り、 さ ま ざ まな教 育 の創 造 的 思 想 の 開 拓 で あ る。 これ は人 民 大 衆 、 国 家 民族 のL大 事 」で あ り、 個 人 の 「昇 官 発 財 」(官
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吏 に昇 進 し、 金 持 ち に な る)の た めで は な い の で あ る。 彼 は弁 証 法 で 次 の よ うに分 析 した 。 「人 民 の 事 業 は 元 々 「大 き い 」 「小 さ い」 に分 け られ な い 。 「大 きい 」事 業 は 「小 さい 」 こ とか らす べ き、 「小 さ い 」事 業 を 「大 き い」事 業 と す る。 小 学 校 は 「小 さ い」 が 、 「廟 小 乾 坤 大 、 天 高 日月長 い」(小 さ い校 舎 だ が 包 容 す るの は 宇 宙 の 広 さ、これ は天 の 高 さ と 日 月 の 永 久 性 と同 じの で あ ろ
う)小 学 校 を作 るの は 「大 きい 」 事 業 で あ る。 なぜ な ら、 小 学 校 教 員 の 質 は 国 家 の 存 続 と社 会 の 安 定 と進 歩 に関 係 す るか らで あ る。
この よ うに 「陶研 」 は 、彼 の 「行 知 」 とい う名 前 の よ うに、 彼 の 実 績 とい え ば 、 「行 知 」 い わ ゆ る、 「行 動 」 そ して 「知 る」(真 理 を発 見)、 また 「再 行 動 」 して 「再 び 知 る」(真 理 を再 発 見)と い う連 作 的働 き に よっ て 、 真 理 の発 見 そ して再 発 見 をす るの で あ る。 そ れ は い った い何 の た めで あ ろ うか 。 陶 の 目的 は は っ き りして い る。 「最 も悲 惨 で あ る農 民 と中華 民 族 、 そ して 全 人 類 を解 放 させ るた め、 そ の 人 た ちが 幸 福 に な る為 の真 理 を探 究 しよ う。」ど こで
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探 究 す るか 。 不 幸 の人 々 へ の教 育 実 践 の 中 で 探 究 す るの で あ る。 陶 の 座 右 銘
「教 人 求 真 、 学 徹 真 人 」(真 理 を探 究 す る こ とを教 え、 誠 実 な 人 聞 にな る こ と を学 ぶ)の 通 りで あ る。
「陶研 」 に お け る陶 行 知 生 涯 の著 作 を全 部 収 集 す る作 業 は1980年 代 か らで あ っ た。1985年 か ら86年 まで の湖 南 教 育 出 版 社 『陶 行 知 全 集 』全6巻(約600 万 字)で あ り、1991年 か ら98年 まで 新 し く発 見 され た記 録 史 料 と著 書 を加 え て 、 四 川 教 育 出版 社 『陶 行 知 全 集 』 全ll巻(補 巻1巻 を含 む 、 約1000万 字) で あ る。 師 範 大 学 や 教 育 研 究 者 の必 読 書 一 「精 典 著 書 」 と して 、 広 く活 用 さ れ て い る。
「陶研 」も中 国 教 育 の 発 展 と とも に急 速 に全 国範 囲 に展 開 して い る。1980年 2月 よ り、 陶 の 出 身地 で あ る 「安 徽 省 陶行 知 研 究 会 」 を始 め 、 江 蘇 、 上 海 、 四 川 、 北 京 、 福 建 、 陳 西 、 広 東 、 漸 江 、 遼 寧 、 湖 北 、 広 西 、 山西 、 江 西 、 河 南 、 天 津 、 雲 南 、 吉 林 、 山 東 の各 省 ・市 で は あ い続 き 「陶行 知 研 究 会 」 を成
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立 させ 、 活 動 し、 定 期 的 に研 究 会 を開 き、 「陶 研 」 と実 践 の 交 流 を行 っ た 。 1991年10月 まで の 統 計 数 字 に よ っ て1980年2月 よ り、 全 国 的 行 わ れ た 各 種
「陶研 」 研 究 討 論 会(小 中高 、 大 学 と県 、 地 区、 省 級 の を含 む)は 全 部 で216 回 あ っ た。
1980年 代 に は、 陶 行 知 研 究 の 課題 は生 活 教 育 理 論 と中 国 人 民 の社 会 生 活 と ど う結 びっ くか の 問 題 研 究 が 多 い。 生 活 教 育 と中 国 の 特 色 で あ る社 会 主 義 を 建 設 す る関係 は何 で あ ろ う とい う問 題 で あ ろ う。 生 活 教 育 の 学 説 は我 が 国 の 状 況 に合 っ て い るか ど うか 、 教 育 と授 業 改 革 の 発 展 リズ ム と合 っ て い るか ど うか 、 教 育 は経 済 と技 術 の 発 展 に社 会 の 進 歩 に強 調 して い る発 展 の 道 で 歩 ん で い るか ど うか 、 生 活 教 育 を実 践 す る こ と は、 それ は実 践 の 結 果 で説 明 す る の で あ る。 新 しい 時 代 に 入 っ た と き に、 生 活 教 育 の 学 説 と理 論 は生 命 力 を 持 っ て い て 、 新 しい 内容 と発 展 も あ っ た 。 全 国 に は20ヶ 所 の 陶 行 知 研 究 実 験 基 地 と学 校 が あ り、 成 果 も収 め た 。 こ う して 信 頼 度 が 高 くな る。 陶行 知 研 究 会 の元 会 長 の 劉 季 平(陶 の1927年 に成 立 した 暁 庄 師 範 学 校 の学 生 で あ る)が
「沢 山 の現 代 陶行 知 が 必 要 とす る」 と言 っ た 。(13}
研 究 内容 につ い て は、90年 代 か らの十 何 年 間 は 「陶研 」 の史 的 研 究 の 特 徴 が あ る。 そ れ は彼 の 生 涯 につ い て の 考 察 と とも に史 料 の集 ま りもあ り、 陶 の
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実 践 と思 想 研 究 も年 を重 ね る と と もに質 も深 くな る傾 向 が あ る。
2.陶 行 知 思 想 の理 論 的研 究
「生 活 教 育 理 論 」は現 代 中 国教 育 現 場 に お い て 高 い指 導 性 を もつ とされ て い る。1990年 代 に は、 研 究 者 た ち は その 理 論 につ い て 力 い れ て、 新 しい 「陶 行 知 教 育 学 説 」 を彼 の 思 想 に基 づ き作 り出 した の で あ る。 それ は一 冊 の 『陶 行
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知 教 育 学 説 』 で あ る。 そ して 、 陶行 知 教 育 思 想 は こ こで は 中国 の研 究 者 の 研
く
究 に よ って 、 体 系 化 、 観 念 化 、 方 法 化 さ れ た 。 す な わ ち、
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・体 系 化
「陶行 知 教 育 学 説 」の基 本 原 理 とそ の根 本 的原 則 、 具体 的主 張 は 、 陶 行 知 の 生 涯 、 教 育 の 実 践 、 教 育 学 説 の形 成 に よ っ て され て い る。
・観 念 化
「生 活 即 教 育 」 は 「陶 行 知 教 育 思 想 」 の基 本 原 理 とコ ア とす る。
第0は 、 生 活 の 立 場 か ら言 え ば、 生 活 は教 育 の意 味 を含 む 。 す な わ ち 、 ど ん な 生 活 をす れ ば どん な教 育 を受 け て い る。
第 二 に、 教 育 の 立 場 か ら言 え ば、 教 育 は 生 活 を 中 心 とす る。 生 活 を用 い て 教 育 を す る。 す な わ ち、 どの よ うな教 育 を受 け よ う と思 え ぼ あ の よ うな 生 活
を しな けれ ば な らな い。
第 三 に 、 生 活 と教 育 の 関 係 の 立 場 か ら言 え ぼ、 生 活 は教 育 を決 定 し、 教 育 は生 活 を 改 造 す る。 両 者 は互 い に促 進 し合 い 、 共 に前 進 す る。 「生 活 即 教 育 」 は伝 統 教 育 と全 面 的 西 洋化 教 育 を反 対 し、 新 しい 人 民 大 衆 の教 育 を建 立 す る 主 旨 と して 、 生 活 と教 育 の 一 致 性 、 共 通 性 を強 調 して 、 教 育 は社 会 の 生 活 と 密 接 につ な が る こ とを主 張 す る の で あ る。 そ して 、 「生 活 と教 育 」 「社 会 と学 校 」 との 関 係 は、 「陶 行 知 教 育 思 想 」 を弁 証 的 に実 証 し、 「陶 行 知 教 育 思 想 」
に 対 して 、 さ らに そ の全 体 性 の 認 識 と深 い 理 解 が で きた 。
・方 法 化
「陶行 知 教 育 思 想 」 を系 統 的分 析 の方 法 とメ カ ニ ズ ム の解 明 方 法 を用 い て 、 大 教 育 論 と して 、 当 時 中 国 社 会 の状 況 と一 致 し、 そ の構 成 の諸 要 素 と幾 多 の
「子 系 統 理 論 」は、 中 国 教 育 理 論 の発 展 史 に 「陶行 知 教 育 思 想 」の位 置 づ けお よ び 古 代 と外 国 教 育 思 想 の 批 判 と継 承 、 摩 擦 と融 合 の結 果 で あ る。 「陶 行 知 教 育 思 想 」の 三 大 要 素 一 「生 活 即 教 育 」 「社 会 即 学 校 」 「教 学 徹 合 一・」 は そ れ ぞ れ 孤 立 の 局 部 的 な思 想 で は な く、 「陶行 知 教 育 思 想 」全 体 の 中 心 的 な そ れ ぞ れ の側 面 を持 ち な が ら、 弁 証 的 統 一 の 関係 を反 映 して い る。
中 国 の研 究 者 に お け る 「陶 行 知 生 活 教 育 理 論 」 の理 解 は、 また 、 次 の よ う
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く の
な認 識 を して い る。 「生 活 教 育 理 論 」 は現 代 教 育 理 論 に属 し、 理 論 の主 要 内 容 は、 学 生 の 主 体 性 、 個 人 の 経 験 、 学 生 将 来 の 発 展 の た め の 活 動 を重 視 す る。 これ は、 伝 統 的 な 「教 師 、 教 材 、 教 室 」を 中心 とす る こ とに 対 照 的 に な っ て い る。 陶 の 「生 活 教 育 理 論 」 は彼 の提 出 した 「生 活 即 教 育 」 「社 会 即 学 校 」
「教 学 徹 合0」 の よ う に実 践 す べ きで あ ろ う。
① 「生 活 即 教 育 」
学 生 中心 の 大 衆 教 育 、 大 衆 が 自分 で す る教 育 、 大 衆 が 生 活 を解 放 す るた め の教 育 で あ る。 この 教 育 は 「先 生 教 死 書 、 死 教 書 、 教 書 死 。 学 生 読 死 書 、 死 読 書 、 読 書 死 」(先生 は死 ん だ 書 物 を教 え、 死 に そ うに書 物 を教 え、 書 物 を教 え て死 ぬ しか な い 。 学 生 は死 ん だ書 物 を暗 記 し、 死 に そ うに書 物 を暗 記 し、
書 物 を暗 記 して 死 ぬ しか な い)こ とを強 く風 刺 、 批 判 した 。
「陶 行 知 生 活 教 育 理 論 」の 特 質 は 「生 活 的 、 行 動 的 、 大 衆 的 、 前 進 的、 世 界
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的 、 歴 史 とっ な が る 」 で あ る。 この う ち 、 「 生 活 的 」 「 行 動 的 」 と は 次 の よ う な こ とで あ る 。
・生 活 的
伝 統 的 に は、 金 銭 と時 間 が あれ ば、 教 育 を受 け る。 貧 しい 農 民 は天 命 に任 せ る しか な い 。 お金 は天 か ら降 っ て こな いか ら、 私 た ち は生 活 の 闘 争 か ら真 理 を発 見 す る。 これ は、 あ の 時 代 の 「陶 行 知 生 活 教 育 」理 論 の主 旨で あ っ た。
・行 動 的
生 活 、 そ して 生 活 の 中 で は行 動 が 主 導 的 に な る。 行 動 は知 恵 の始 ま りで あ り、 行 動 が な けれ ば理 論 の産 出 と発 展 が 正 し くで きな い。 満 足 で 向 上 で き る 生 活 を望 め ば 、 この行 動 は計 画 的、 組 織 的 、 理 論 的 必 要 とす る。 こ う して 、 生 活 は最 高 の境 涯 を獲 得 す る。
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② 「社 会 即 学 校 」
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社 会 の 全 体 の 活 動 は教 育 の範 囲 に な って い る。 この社 会 とい う偉 大 な学 校 で は、 人 々 は私 た ち の 先 生 に な り、 私 た ち の学 友 に な り、 私 た ち の 学 生 に な る。 身 の 回 りに は活 用 で き る書 物 、 技 術 、 学 問 が た くさ ん あ る。 教 育 は校 門 か ら出 て 、 社 会 へ 行 か な けれ ば な らな い 。 この 観 点 は学 校 以 外 の諸 生 活 の 環 境 の教 育 的位 置 付 け を高 め た の で あ る。 学 校 は教 育 上 の優 越 性 は ま っ た くな く、 も し、 学 校 は た だ 形 式 化 され 、 教 育 内容 の 新 鮮 さが な けれ ば さ ら に存 続 の意 義 は な くな る。
③ 「教 学 倣 合 一 」
これ は 陶行 知 の 「教 育 、 学 習、 倣 す こ とを一 つ に し よ う」 の考 えで あ る。
つ ま り、 中 心 は徹 す こ と 一 手 、 足 、 体 を動 か して 、 徹 す 目的 に到 達 す るた め に働 くの で あ る。
以 上 の 陶行 知 の 「生 活 教 育 理 論 」に お け る 「生 活 即 教 育 」 「社 会 即 学 校 」 「教 学 徹 合 一・」は彼 の 中心 理 論 と言 え、 ア メ リカ 哲 学 者 ・教 育 家 のJ.デ ュ,̲.̲イか ら
の実 用 主 義(プ ラ グ マ テ ィ ズ ム)に よ り、 近 代 中 国 の 教 育現 場 の 実 践 か ら陶
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行 知 が 出 した 理 論 で あ っ た 。
現 在 で は 、 陶 行 知 の 「生 活 教 育 理 論 」 は 「わ が 国 の 第 一 号 現 代 教 育 理 論 」 とされ た。 陶 行 知 と同 じ時代 の教 育 者 も特 色 の あ る教 育 思想 を生 み 出 した 。 た とえ ば、 曼 陽 初 、 梁 漱 浜 は 「郷 村 教 育 と郷 村 改 造 」に卓 越 した 貢 献 を した 。 陳 鶴 琴 は幼 児 教 育 へ の豊 富 な成 果 が あ り、 黄 炎 培 は職 業 教 育 へ の 特 色 あ る理 論 、 楊 賢 江 は マ ル ク ス主 義 教 育 理 論 の研 究 、 魯 迅 と徐 特 立 らは教 育 の 中で の 貴 重 な 経 験 な どが あ っ た 。
しか し、 陶 行 知 の よ う に、 国 内 で 、 各 種 の 学 校 一 師範 学 校 とそ の付 属 幼 稚 園 ・小 中学 校 、 工 学 団 、 社 会 大 学 、 育 才 学 校 な どを作 った 教 育 学 者 は い な か っ た 。 陶 行 知 の よ うに 自 ら教 育 実 践 を しな が ら ま と ま っ た 教 材 や 理 論 を
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作 っ た の も稀 で あ った 。 彼 の学 生 も幼 児 か ら社 会 の各 階 層 の 人 間 が い た 。
「陶 研 」運 動 の初 め頃 は、 辺 鄙 の 農 村 教 育 に は大 きな 震 動 を与 え た 。 農 村 教 師 た ち は ふ る っ て現 場 の 「陶研 」成 果 を発 表 、 交 流 、 陶 の 「人 民 至 上 」 「生 活 即 教 育 」 「社 会 即 学 校 」 「子 ど も に学 ぶ ・小 先 生 制 」 な どの 思 想 を広 く普 及 し て い た 。 この 段 階 は い わ ゆ る 「陶研 」 の 発 掘 段 階 とい え よ う。
次 は、 「素 質 教 育 」の提 出 は1990年 代 、 中 国 の 「応 試 教 育 」に お け る沢 山 の 弊 害 に対 す る もの で あ っ た 。 そ れ は 「徳 育 、 智 育 、 体 育 、 美 育 、 労 育 」 とい う 「五 育 」が 提 言 され 、 さ らに は 、最 近 、 「苦 育 」 を提 出 した 。 だ ん だ ん と豊 か に な っ た 社 会 の 「育 児 」 の弱 点 一 甘 え す ぎ、 贅 沢 す ぎ に 対 す る、 「五 育 」
と別 の 角 度 か ら教 育 問 題 の 提 示 で あ っ た 。
陶 の 教 育 思 想 に は もっ と も重 要 な性 格 は創 造 性 持 つ こ とで あ る。 この創 造 性 に よ っ て、 彼 は 中国 の 「創 造 教 育 」(教 育 を創 造 す る)の 先 駆 者 を とされ た の で あ る。 この 「創 造 」 は 「大 き い社 会 を教 育 の場 ・学 校 と して 」 の教 育機 能 を主 体 化 、 拡 大 す る こ と、 い わ ゆ る 「社 会 即 学 校 」 で あ る。 学 校 の精 神 と 表 面 の形 と して の 「壁 」 を破 り、 学 校 は社 会 と一 緒 に な る こ とにす る。 も と も と学 校 と社 会 は 壁 」の な い 自然 的 存 在 関 係 を もち 、 「壁 」が あ る と、 生 き 生 き とす る学 校 が で きな く、 社 会 か ら学 校 へ 栄 養 源 、 生 命 力 を 阻 害 す る。
お わ りに
現 在 の 陶行 知 研 究 の 課 題 は、 生 活 教 育 理 論 と中 国 人 民 の社 会 生 活 と ど う結 びつ け る か の 問 題 で あ ろ う。 生 活 教 育 と中 国 の特 色 で あ る社 会 主 義 を建 設 す
る とは ど うい う関係 で あ ろ う。 生 活 教 育 の学 説 は 中 国 の状 況 に 、 た とえ ぼ
・ 「応 試 教 育 」 と 「素 質 教 育 」
・ 「教 育 産 業 」 と 「民 弁 教 育 」
・ 「イ ン タ ーネ ッ ト時代 の教 育 」 と 「三 農 教 育 」 の 現 実 的 研 究
現代 中国の 「陶行知研 究」(李)63
と ど うか か わ って い る のか 。
以 下 に、 これ に関 す る二 つ の 証 言 を 引用 し、 論 文 の結 び と した い 。
陶行 知 は私 た ち に半 世 紀 以 上 離 れ て 、 同 じ時 代 に生 活 して い な いが 、 彼 の偉 大 な 思 想 が 現 代 中 国 の現 場 で 勤 め る教 師 た ち に高 い 境 涯 を示 して い る。 「千 教 万 教 教 人 求 真 、 千 学 万 学 学 傲 真 人 」は永 遠 に学 校 教 育 の徳 育 の最 高 境 涯 に な る。 「愛 満 天 下 」を もっ て 、 実 践 して い く こ とが 大 事 で あ る。
小 学 校 の教 育 段 階 で は、 生 徒 に一 生 涯 の徳 育 基 礎 を築 いて い く重 要 な 課 題 が あ る。 幼 い 時 期 に、 よい 習 慣 と行 為 の養 成 が 最 も重 要 で あ る。
実 際 に は、 一 人 一 人 の 教 員 が徳 育 の プ ロ に な らな けれ ば な らな い。 教 師 が 子 ども に知 識 の伝 達 の 役 割 を果 た す と と もに、 人 格 を育 成 す る使 命 を持 っ て い る。 教 師 と して は、 徳 育 、 智 育 、体 育 、 美 育 、 労 育 の 互 い に 存 在 して い る関 係 を よ く研 究 す べ きで あ る。 現 在 、徳 育 と して の 授 業 、 た とえ ぼ 、 「思 想 品徳 課 、 農 会 課 、 班 会 課 」の よ うな形 式 に流 され るば か りで 、徳 育 を単 純 に授 業 の み とい う認 識 か ら混 乱 が 生 ず る恐 れ が あ る。
徳 育 は 「智 、 体 、 美 、 労(芳 劫技 木教 育)」 の 各 方 面 の育 成 と密i接に 関係 あ り、 これ は 「素 質 教 育 」 の要 求 で あ る。
教 師 と して は、 まず 、 「身 正 為 師 、 薫 陶 啓 示 」を す べ きで は な いで あ ろ うか 。 あ る教 師 は 「思 想 品 徳 課 」 を担 当 し、 しか し、 ご本 人 は まず 言 っ て い る こ と とや っ て い る こ と と違 う。 この よ うな 「徳 育 」 は生 徒 の心 に 疑 問 が 残 り、 生 徒 の教 師 に対 す る信 頼 性 は薄 い の で あ る。 この よ う な
「思 想 品徳 課 」 は実 在 的 効 果 を高 め られ な い。
教 師 は教 育 課 程 の 中 で 常 に 「人 格 を育 成 す る」 とい う プ ロ セ ス の 中 に い る。 これ は教 育 とい う事 業 自身 か ら与 え られ た機 能 で あ る。 教 師 の 人 生 観 、 政 治観 、 人 柄 、 学 習 態 度 、 さ らに言 葉 、 振 舞 な どは、 生 徒 に潜 在
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的薫 陶 力 を持 っ。 教 師 は生 徒 の 「人 生 導 師」 と して 、 常 に高 論 をす る ぼ か りで は な く、 人 と未 来 の 人 材 で あ る学 生 に接 す る態 度 に決 め る。 教 師 は 人 間 の 模 範 とな り、 高 い 道 徳 の 水 準 を 持 つ 、 こ れ に よ っ て 、 は じ め て 、 「優 れ た 人 格 の 育 成 」 が 効 果 的 に な るの で あ ろ う。
美 しい人 間 の理 想 と信 念 を持 っ て、 生徒 を啓 発 し、 教 師 自身 の 生 徒 の た め の 純 潔 な 行 動 を通 して 、 生 徒 に啓 示 し、 教 え る。 この 美 しい 「真 心 」 で 生 徒 に尽 くして 、 これ は本 物 の 「徳 育 」 で あ り、 誠 の教 育 で あ る。 教 師 は まず 、 自分 自身 が よい 習 慣 と行 為 の 養 成 を身 にっ け、 小 さい こ とか ら実 践 し始 め る の で あ る。 た とえ ば、 生 徒 に 「教 室 の地 面 に ごみ や くず を見 た ら、 す ぐ拾 って 、 ゴ ミ箱 へ 」 と教 え るな ら、 教 師 自身 は まず そ れ をす る。 生 徒 は 「耳 濡 目染 」(良 い ものや 悪 い も の を 耳 が い つ も聞 き、 目 は い つ も見 る)「 潤 物 無 声 」(無 声 で しか も常 に影 響 を与 え る)の 薫 陶 と い う よ い教 師 自身 が 作 っ た 良 い教 育 的環 境 中 で 道 徳 が 育 成 され て い く。
そ して 、 「多 種 活 動 、 豊 富 実 践 」の 中 で 生 徒 に対 す る指 導 は、 個 別 つ ま り一 人0人 で 行 うべ きで あ る。 中 国 の小 学 校 ク ラス は40名 の 定 員 で 、 教
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師 はい っさい授業 で個 別問題 に対処 で きない面 もあ ろ う。
さ らに江西省 南豊 県付坊 中学校教 師 ・黄行福 は、 『中国教 育報』2004年9月 26日 に江 蘇省長 編報道 記事 「農村 には、 どんな小学校 が必要 で あ るか」 の読 後 感想 を以下 の よ うに書 いて い る。
中 国の教育部 直属 の 中央教 育科学研 究所所 長 ・朱小蔓 教授 は 「楊瑞 清 (楊瑞 清 は1981年 暁 荘 師範 学校 を卒業 して、 陶行 知思 想 に感銘 受 け、18 歳 の時か ら江蘇省 南京 市江浦 県行知小 学校 の教員 にな り、 そ して校長 。 全部24年 間)は 「中国農 村教育 」 の中で 「今 日の農 村教 育 は、 た だ学校 教育 を行 うだ けで は足 りない。 学校教 育 と農 民家庭 教育 を研 究 すべ きで あ る。学校 卒業後 の学 生の進路 を考慮 し、学 校周辺 の農 民文化 を高 め、
農村地 域文化 を豊 か に させ る。 また、農村学校 と都 市部 の学校 の互 い に
現代 中国の 「陶行 知研究 」(李)65
激 励 しあ う よ うな 関係 を作 る。 都 市 部 の教 育 資 金 を利 用 し、 農 村 の 教 育 資 源 を も っ て 都 市 部 の 教 育 も促 進 す る」。 農 村 教 育 は長 い 間 、 「三 農 問 題 」(2004年 に農 業 、 農 村 、 農 民 の 問題 を国 家 に とっ て の大 問題 で あ る と 提 出 され た。 現 代 の激 しい貧 富 格 差 に よ る もっ と も深 刻 な 問題)と 直 接
にか か わ りを しな か った 。 農 民 た ち は何 を考 え るか 、 農 村 教 育 に は それ
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を入 れ て い な い の で あ る。
注
(1)銭 偉長 『陶行知先 生誕生100周 年 記念大会 の発 言』1991年10月18日 人民大 会堂 での記念行 事、筆 者が大 会 に参加 し、 配 られた大会 臨場発言 の 「小 冊子」よ り。
(2)李 鵬総 理 は陶行 知 の創 立 した育才学校 の学 生で あ った。李鵬 の母 親 ・趙 君 陶 は1939年 に李 鵬 を連 れて 周 恩来 夫妻 に会 っ たが、周 恩 来 は直 ち に李鵬 を養 子 にす る と決 めて同居 させ 、重慶郊 外 に あ る陶行 知 の開設 した 「育 才学校 」 に入 学 させ た。 その とき、陶行 知 は米 国 留学 、政 治 と教 育 を学 んだ著 名 な文 化 人 として、 中国共産 党 のL切 の党 派 を問 わず、 団結抗 日救国」 の 「統 一一戦 線」
の 目標 的人物 とな って いた。 『東 亜』2001年 年6月 号 よ り
(3)方 明 前掲 『陶行 知先生誕 生100周 年記念 大会 の発言』1991年10月18日 人 民大 会 堂 での記念 行事 、筆者 が大 会 に参加 し、配 られ た大 会 臨場発 言 の 「小冊 子」
よ り
(4)『 周 恩来選集 』上冊P.333。(孫 起孟 「学 習和発揚行 知精神 」 『陶行 知先生誕 生 100周 年記念 大会 の発言』)
(5)前 掲孫起孟 「学 習和発揚 行知精 神」
(6)銭 偉 長 『陶行知先 生誕 生100周 年 記念大 会 の発 言』
(7)陶 行 知 の1930年 新 安旅行 団 のた めの揮 毫 よ り。 『陶行 知全集 』第2巻 湖南教 育 出版 社1985年 扉頁
(8)胡 暁風(四 川 省 陶行 知研究 会名誉 会長)、 韓邦彦(元 ・四川省政 治協 商会議 副 主席)「 中国現代化 呼喚現代 陶行 知」 『中華文化 論壇』1996年 第一期
(9)胡 暁風、韓 邦彦 「中国現代 化 呼喚現代 陶行知」『中華 文化論壇 』1996年 第0期 (10)胡 暁風(陶 行 知が 作 った暁荘 師範 学校 の学 生、現 在 中国 陶行 知研 究 会会 員)
「陶行 知誕辰 考」1990年 、 周洪宇 「陶行 知生年考 」 『歴 史研究 』1983年 第3期