海外法律事情
アメリカ刑事法の調査研究(159)
米 国 刑 事 法 研 究 会
(代表 堤 和 通)*
McCoy v. Louisiana, 584 U.S. _, 138 S.Ct. 1500 (2018)
中 村 真 利 子**弁護人が被告人の明示的な意思に反して罪責を認めることが,第 ₆ 修正 に違反するとされた事例。
《事実の概要》
申請人
Robert McCoy
は,別居中の妻Yolanda
の母,継父及び息子を射 殺したとして逮捕され,国選弁護人が選任された。大陪審は ₃ 件の第 ₁ 級謀殺罪で
McCoy
を起訴し,検察官は死刑求刑の意図を告知した。McCoyは無罪答弁を行った。McCoyは,一貫して,政府側主張の犯行日時には 州外におり,真犯人は薬物取引に失敗した汚職警官であると主張してい る。弁護人の請求により,裁判所任命の精神鑑定委員会が
McCoy
を鑑定 し,McCoyには訴訟能力があると認定された。McCoyは,弁護人との関係が破綻しているとして,裁判所に自己弁護 の許可を求め,これが認められたが,その後,両親が弁護を依頼した
Lar- ry English
が弁護人として登録された。Englishは,McCoyに不利益な証*
所員・中央大学総合政策学部教授
**
所員・中央大学国際情報学部准教授
拠が圧倒的であり,事実認定段階で
McCoy
が犯人であると認めなければ,量刑段階で死刑を回避することは不可能であるという結論に至った。これ に対し,McCoyは,謀殺事実を認める意向を
English
から聞いて憤激し,公判開始 ₂ 日前の聴聞手続で
English
を解任しようとしたが,裁判所はこ れを認めなかった。公判の冒頭陳述では,Englishが,McCoyが謀殺の実行者であることは 証拠上明瞭であるとしたのに対し,McCoyは自ら証言し,アリバイがあ るとして無実を主張した。Englishは最終弁論でも,McCoyが犯人である と繰り返した。陪審は, ₃ 件の第 ₁ 級謀殺罪全てについて有罪の評決をし た。量刑段階で
English
は,McCoyには重大な精神的・情緒的な問題が あるとして情状酌量を求めたが, ₃ 件全てについて死刑評決が下された。McCoyは新しい弁護人の弁護を得て,公判裁判所が
McCoy
の異議申立 てにもかかわらず,謀殺の事実を認めることをEnglish
に許したことは,憲法上の諸権利を侵害するものであるとして再審理を求めたが,これは認 められなかった。ルイジアナ州
Supreme Court
は,被告人が反対の意思 を明示している場合に,罪責を認める権限が弁護人にあるという公判裁判 所の判断を確認している。合衆国最高裁判所は,被告人の断固とした明白 な反対を押さえて,弁護人が罪責を認めることが合憲か否かについて,州 の最高裁判所の判断が分かれていることから,サーシオレイライを認容し た。《判旨・法廷意見》
破棄・差戻し
・ギンズバーグ裁判官執筆の法廷意見(ロバーツ首席裁判官,ケネディー,
ブライヤー,ソトマイヨール及びケイガン各裁判官参加)
1
A
第 ₆ 修正は,全ての刑事被告人に対して,自己の防御のため,弁 護人の助力を受ける権利を保障している。コモン・ローでは自己弁護が一 般的であり,現在では,大半の被告人が弁護人による弁護を選択している が,どんなに逆効果であろうと被告人は自己弁護をすることができる。弁護権は一身専属的なものであり,被告人がこれを行使するかどうかの選択 は尊重されなければならない。
被告人が弁護人の助力を得るのに全てを弁護人に引き渡す必要はないの で, 被告人の選択は二者択一ではない。 公判活動の展開(trial manage-
ment)は弁護人の領分であり,弁護人は,公判での主張,証拠調べへの
異議申立て,証拠に関する同意等について助力を提供する。これに対し,罪状認否,陪審審理を受ける権利の放棄,自身での証言,上訴申立て等 は,被告人の判断による。
自己の防御の目標(objective of the defense)を無実の主張におくとい う判断は被告人の自己決定(autonomy)であり,後者に属する。被告人 は,自己に不利益な証拠が圧倒的であっても有罪答弁を拒絶でき,また,
経験と専門の資格がないのに弁護人の助力を拒絶できるのと同様に,死刑 事件の公判の事実認定段階で無実の主張を堅持することができる。これら の選択は,被告人の防御の目標を達成するための戦略的な選択ではなく,
被告人の防御の目標それ自体についての選択である。
Englishのように,弁護人が,罪責を認めることが死刑回避に最善であ ると判断することが合理的であっても,被告人がこの目標を共有しない場 合がある。被告人は,家族を殺したという不名誉から逃れることを欲する かもしれないし,あるいは終身刑では生きる意味がないと思うかもしれな い。被告人が,無実の主張が「自己の(his)」防御の目標であると明示し ている場合,弁護人はこれに従わなければならず,その目標を退けて罪責 を認めてはならない。防御の展開について
English
と相談した後に,謀殺 の事実を認めるというEnglish
の提案にMcCoy
が反対していれば,Eng-lish
はその異議を退けることはできない。
B
Nixon (Florida v. Nixon, 543 U. S. 175 (2004))は,この判断と相反す るものではない。被告人のNixon
は,公判戦略について話し合っている 間,概して無反応であり,罪責を認めるという弁護人の提案に承認も抗議 もせず,公判後に初めて,弁護人が公判で罪責を認めたことに苦情を申し 述べている。これに対し,McCoyは,公判前と公判中に,弁護人との相談や公開の法廷で,いずれの機会にも,Englishが罪責を認めることに反 対している。被告人が自己の防御への参加を拒絶する場合,弁護人は,被 告人にとって最善であると思料する戦略に従って防御の指針を立てること ができるが,被告人が無実を主張する意思を明白に表明している場合に,
反対の方向に舵を切ることはできない。
ルイジアナ州
Supreme Court
は, ルイジアナ州専門職行動規則(Ruleof Professional Conduct)を引用し,English
にはMcCoy
の無実を主張し ないという選択しかなかったと結論づける。同規則は,「弁護人は,犯罪 又は不正行為であると知りながら,依頼人がこれを行うよう助言し,又は 手助けしてはならない」(1.2⒟)と定める。ルイジアナ州Supreme Court
はNix
(Nix v. Whiteside, 475 U.S. 157 (1986))を引用するが,Nixでは被 告人が自らの偽証の意図を弁護人に伝えていたのであるから,本件とは類 似していない。Englishは,McCoyが自身で述べている内容を信じ込んで いるということに疑念を抱いておらず,訴追側の証拠に基づいてMcCoy
の説明を信用しなかったに過ぎない。2 本件では,弁護人の能力ではなく,被告人の自己決定権が争点とな っているので,Strickland (Strickland v. Washington, 466 U. S. 668 (1984)) や
Cronic
(U.S. v. Cronic, 466 U.S. 648 (1984))の「非効果的な弁護」の法 理は適用されない。本件で,McCoyの自己決定権の侵害は,McCoyの専 権事項へのコントロール権を弁護人が簒奪することを裁判所が許容した時 点で完成している。第 ₆ 修正が保障する被告人の自己決定権の侵害は,構造的な瑕疵に当た り,ハームレス・エラーの法理が適用されない。構造的な瑕疵とは,公判 の枠組みそのものに影響を与えるものであり,公判手続上の誤りとは異な る。当裁判所の先例によると,①争点となっている権利が,被告人を誤判 から保護しているのではなくて,「被告人は,自己の自由を保護するため の適切な方法を自ら選択することを許されなければならないという基本的 な法原理」のような利益を保護している場合,②弁護人選任権のように,
その瑕疵の効果が計り知れない場合,又は③裁判官が「合理的な疑いを容
れない程度」についての説示をしなかった場合のように,その誤りが基本 的な公正さを欠くことを常に意味する場合,これらは構造的な瑕疵に当た る。
弁護人が被告人の明示的な異議を退けて罪責を認めることは,少なくと も,①自己の防御に関する基本的な選択をする被告人の権利を妨げるもの であり,②陪審の意見を左右するのはまず間違いなく,その効果が計り知 れないことから,構造的な瑕疵に当たる。
・アリトー裁判官の反対意見(トマス及びゴーサッチ各裁判官参加)
法廷意見は,公訴事実について依頼人に罪責があることを弁護人が認め たことを憲法上の権利侵害であると判示するが,本件において,English は被告人に罪責があることを認めてはいない。Englishは,殺害の事実を 認めながら,被告人には公訴事実の要件である
mens rea
がないとして無 罪を主張している。したがって,法廷意見が発見した基本権は本件事実に 適用がない。本件事実は法廷意見が説く権利侵害が認定できるほど単純なものではな い。本件の事実関係の下で,弁護人がとるべき方途について,McCoyの 現在の弁護人は,依頼人による殺害の事実を認めずに
mens rea
の存在だ けを争うべきであったとするが,これは,本件でEnglish
が行った弁護と 実際上の相違がない。本件で申請人の奇矯な防御を支持するのは無分別極まりないことであ り,現在の弁護人が勧める弁護を行っても公判の結果には影響しなかった はずである。このアプローチを採れば,申請人の自己決定権が尊重された であろうとはおよそ考えられない。
依頼人の反対を退けて弁護人が犯罪要件事実の一部を認めることが許さ れるか否か,というのは,法廷意見の判示が応えたのとは別の問いである が,法廷意見がこの問いに応えたと理解されることがあれば,本件判示に は重要な含意があることとなるだろう。この別の問いに応えるのは他日を 期すべきであり,本件では本件の具体的(かつ特殊な)事実に限定した判
断を下すべきである。
法廷意見は,本件で争点となっていない新しい権利を見つけ出した点で 誤りがあるだけではなく,この権利侵害が構造的瑕疵であることを直ちに 結論づける誤りも犯している。
《解 説》
1 本件は,弁護人が被告人の明示的な意思に反して罪責を認めること が,第 ₆ 修正に違反するかどうかが争われた事案である。
被告人が,死刑事件において,公判の事実認定段階で罪責を認めるとい う弁護人の戦略に同意も反対もしなかった場合については, 既に
Nixon
(Florida v. Nixon, 543 U.S. 175 (2004))で,被告人の明示的な同意を得な か っ た と し て も,Strickland (Strickland v. Washington, 466 U.S. 668
(1984))
1)にいう「非効果的な弁護」には当たらず,第 ₆ 修正に違反しないとされている。
これに対して,本件では,被告人が,死刑事件において,公判の事実認 定段階で罪責を認めるという弁護人の戦略に明示的に反対していたことか ら,その意思に反して罪責を認めることが第 ₆ 修正に違反するかどうかが 争点となった。この点について,本件の原裁判所であるルイジアナ州
Su-
preme Court
は,弁護人が被告人の偽証に協力しなくても第 ₆ 修正に違反しないと判示した
Nix
(Nix v. Whiteside, 475 U. S. 157 (1986))2)を引いて,被告人に不利益な証拠が圧倒的である本件でアリバイを主張すれば,偽証 に関与することになるとし,このような場合に,死刑を回避しようとして
1) Strickland の紹介・解説として,渥美東洋編『米国刑事判例の動向 III』(中 央大学出版部,1994年)90頁〔椎橋隆幸〕,宮城啓子・ジュリスト851号132頁
(1985年),鈴木義男編『アメリカ刑事判例研究(第 ₃ 巻)』(成文堂,1989年)
124頁〔加藤克佳〕,岡田悦典・アメリカ法判例百選118頁(2012年),小早川義 則『デュー・プロセスと合衆国最高裁 III』(成文堂,2013年)189頁がある。
2) Nix の紹介・解説として,霧島甲一,廣川恵・法学志林87巻 ₁ 号87頁(1989
年),小早川・前掲注1),201頁がある。
罪責を認めることは,Stricklandに照らして合理的であると判断した3)。 他方, カンザス州
Supreme Court, デラウェア州 Supreme Court
及び コロラド州Supreme Court
は, 本件と類似の事案で, ルイジアナ州Su-
preme Court
とは異なる立場をとっている。これらの裁判例について簡単に見ると,まず,カンザス州の
Carter (State v. Carter, 270 Kan. 426, 14 P.
3d 1138 (2000))
は,弁護人が被告人の意思に反して犯罪への関与を認めた上で,計画的なものではなかったと主張したことが第 ₆ 修正に違反するか どうかが争われた事案であり,カンザス州
Supreme Court
は,「有罪答弁 に相当する」もので,その判断は被告人に委ねられており,またこれは「被告人に保障された基本的な憲法上の権利」であって,「弁護人が[被告 人]の意思に反して有罪を前提とした弁護を行うことは,第 ₆ 修正の弁護 権を侵害し,公正な裁判を否定するものである」と判示した4)。
次に,デラウェア州の
Cooke (Cooke v. State, 977 A. 2d 803 (Del. 2009))
は,弁護人が被告人の意思に反して,精神病の証拠を提出するとともに,「有罪しかし精神病(有罪だが精神病院における処置が相当である)」とい う評決を求めたことが第 ₆ 修正に違反するかどうかが争われた事案であ り,デラウェア州
Supreme Court
は,無罪を主張する権利など,被告人 に留保されている「自己の事件について基本的な判断をする憲法上の権利 を侵害するものである」と判示した5)。最後に,コロラド州の
Bergerud
(People v. Bergerud, 223 P. 3d 686 (Colo.2010))の直接の争点は,裁判所が被告人による新しい弁護人の選任請求
を認めなかったことで,やむを得ず自己弁護(弁護権の放棄)を選択する ことになったことが,第 ₆ 修正に違反するかどうかであったが,コロラド州
Supreme Court
は,その前提として,「弁護人は,その専門的な判断に従って証拠を合理的に評価し,これに基づいて弁護を行うことができる が,合衆国憲法……が刑事被告人に保障している基本的な選択権を奪うこ
3) State v. McCoy, 2014─1449 (La. 10/19/16), 218 So. 3d 535, 564─567 (2016).
4) State v. Carter, 270 Kan. 426, 14 P. 3d 1138, 1148 (2000).
5) Cooke v. State, 977 A. 2d 803, 842─843 (Del. 2009).
とはできない」という考えを示した6)。
2 本件では,下級裁判所におけるこのような対立を解決するためにサ ーシオレイライが認容された。法廷意見は,たとえ弁護人の助力を受ける 権利を行使したとしても, 自己の防御の目標(objective of the defense)
それ自体を選択する自己決定(autonomy)7)は,有罪答弁をするかどうか などの判断と同様,なお被告人に留保されているとし,被告人が自己の防 御の目標を無実の主張におくと明示している場合に,弁護人がその意思に 反して罪責を認めることは第 ₆ 修正に違反すると判示した。
これに対して,反対意見は,Englishは公訴事実について有罪であるこ とを認めたのではなく,その一要素である被害者らの殺害を認めたにすぎ ず,むしろ公訴事実については必要な
mens rea
を欠くとして無罪を主張 したのであるから,本件では,法廷意見のいう自己の防御の目標を無実の 主張におくという自己決定など問題になっていないと反論している。死刑 事件において,被告人が,自己に不利益な証拠が圧倒的であるにもかかわ らず,陰謀論を繰り広げ,罪責を認めて死刑を回避するという弁護人の戦 略に反対し,それでもなお公判の直前まで弁護人を解任しようとしなかっ たという本件の特殊な事実を前提とすると,EnglishがMcCoy
の意思に 反して被害者らの殺害を認めたことで,何ら基本権は侵害されていないと いう。法廷意見が本件とは区別した
Nixon
は,原裁判所であるフロリダ州Su-
6) People v. Bergerud, 223 P. 3d 686, 691, 699 (Colo. 2010). もっとも,問題とな った弁護人の冒頭陳述は,被告人の精神状態に焦点を当てているにすぎず,何 ら公訴事実の要素を認めるものではないとして,「罪責を認めること」には当 たらないと認定している(Id., at 699─700.)。
7) 「自己決定(autonomy)」とは,「人が政府の干渉(強制や制限)を受けるこ となく判断し,その判断に基づいて行動することができる私的空間」をいい,
自己弁護権を認めた Faretta (Faretta v. California, 422 U.S. 806 (1975))の根底
にはこの概念があると説明されている(Erica J. Hashimoto, Resurrecting Auton-
omy: The Criminal Defendantʼs Right to Control the Case, 90 B.U.L. Rev. 1147,
1153, 1154─1155 (2010).)。
preme Court
が,公判の事実認定段階で罪責を認めることについて,「有 罪答弁と機能的に同じ」であって被告人の明示的な同意が必要であるとし たのに対して,有罪答弁とは異なり,検察官の立証責任が緩和されるわけ でも,被告人が対決(反対尋問)権や上訴権を失うわけでもないから,「有罪答弁と機能的に同じ」ということはできないと批判している8)。法 廷意見も,自己の防御の目標それ自体を選択する自己決定について,有罪 答弁をするかどうかの判断とは分けて説明していることから,下級裁判所 で指摘されているような,「有罪答弁に相当する」,無罪を主張する権利を 侵害する,「有罪答弁と機能的に同じ」といった立場ではないように思わ れる。
したがって,それ自体が有罪判決を意味する9)といわれる有罪答弁とは 異なり,弁護人が公判の事実認定段階で罪責を認めるにあたって,被告人 の明示的な同意は不要である。しかし,被告人がその戦略に明示的に反対 している場合,これは証拠に同意するかどうかなどの戦略的な判断にとど まらず,被告人に最終決定権がある重要な判断であるから,その意思に反 して罪責を認めることは,法廷意見が引用した各州の最高裁判所の言葉を 借りると,「第 ₆ 修正の弁護権を侵害し,公正な裁判を否定する」,「自己 の事件について基本的な判断をする憲法上の権利を侵害する」,あるいは
「合衆国憲法……が刑事被告人に保障している基本的な選択権を奪う」も のであるということになる。
法廷意見の自己の防御の目標それ自体を選択する被告人の自己決定を尊 重する姿勢と,緩やかな放棄を認めるものともとれる構成には若干の齟齬 があるようにも思われるが,確かに,公判に進んで無実を主張したい被告 人に対して,①意思に反して有罪答弁をする,②公判の事実認定段階で弁 護人が罪責を認めるのをただ眺めている,又は③(一般的には賢明でない
8) Florida v. Nixon, 543 U.S. 175, 188─189 (2004) (citing Nixon v. Singletary, 25 Fla. L. Weekly S59, 758 So. 2d 618, 624 (2000)).
9) Id., at 187 (citing Boykin v. Alabama, 395 U.S. 238, 242 (1969)).
とされる)自己弁護をするという選択肢しか残されていないという状況10)
は酷である。被告人に当事者論争主義的な手続を保障するという第 ₆ 修正 の趣旨からすれば,被告人の意思に反して罪責を認めることで,実質的に 被告人から検察官の主張・立証について争う機会を奪うことにもなりかね ない。
もっとも,法廷意見は,反対意見とは異なり,被告人に不利益な証拠が 圧倒的であったという事実や被告人による無謀な主張には触れず,「弁護 人が被告人の明示的な意思に反して罪責を認めること」を問題として,
Strickland
基準やハームレス・エラー審査の適用を否定している。何が被告人の利益に適うかの判断は難しい場合があり11),その判断を的確に行 い,適切な助言を与えるという弁護人の役割からすると12),死刑事件にお ける適正な量刑という観点からも,また訴訟能力があると認定されたもの の,実際には自己の防御の目標を判断する能力がない場合など13),弁護人 の誠実な弁護活動に対して,被告人の自己決定権を強調しすぎることは妥 当ではないようにも思われる。弁護人としては,被告人の意思を十分に尊 重しつつも,その利益に適うと思われる防御の目標について,丁寧に説明 していくことが求められよう。
3 最後に,本判決は,合衆国最高裁判所として初めて,弁護人が被告 人の明示的な意思に反して罪責を認めることは,第 ₆ 修正に違反すると判 示したもので,被告人が弁護人の助力を受ける権利を行使した場合であっ
10) Hashimoto, supra note 7, at 1183─1184.
11) 椎橋隆幸『刑事弁護・捜査の理論』(信山社,1993年)193頁,最決平成17年 11月29日(刑集59巻 ₉ 号1847頁)上田豊三裁判官補足意見。
12) 椎橋隆幸「刑事弁護の在り方─効果的な弁護・不適切弁護─」現代刑事法 ₄ 巻 ₅ 号51頁,54頁(2002年)。
13) See Sixth Amendment ─ Assistance of Counsel ─ Capital Punishment ─ McCoy v.
Louisiana, 132 Harv. L. Rev. 377, 385─386 (2018). 訴訟能力を判断する基準を厳
格化することにより,訴訟能力があると認定されたものの,実際には自己の防
御の目標を判断する能力のない被告人が,McCoy で認められた権利を行使し
て死刑への道をたどるのを防ぐ必要があると指摘されている。
ても,公判の事実認定段階で罪責を認めるかどうかなどの一定の重要な判 断について自己決定権を保持していることを認め,弁護人及び裁判所に対 してその意思の尊重を求めた点に先例としての意義がある。反対意見が指 摘するように,その射程は狭いと考えられるとはいえ,弁護権のあり方に ついて,合衆国最高裁判所としての理解が示されたことの意義は大きい。
もっとも,Nixonとの関係で,法廷意見に対しては,その結論を評価し ながらも,どのような供述が「罪責を認めること」に当たるか,被告人が どの程度弁護人の提案した戦略に反対している必要があるか,被告人が反 対していたという事実は公判記録に残っている必要があるか,といった問 いを扱っていないという指摘もある14)。事後的な争いを防ぐためにも,公 判の事実認定段階で罪責を認めるかどうかなど,基本的な防御の目標につ いて被告人の態度が曖昧なときは,裁判所としてもその意思を確認するな どの措置をとることが妥当であると思われる。