「居間」という空間について (私のスケッチ・ブック (1))
著者 森 明子
雑誌名 洗濯の科学 : 生活環境の文化誌
巻 44
号 2
ページ 28‑31
発行年 1999‑05‑20
URL http://hdl.handle.net/10502/00005884
私 の ス ケ ッ チ ・ブ ッ ク(1)
「居 間 」 とい う空 間 につ い て
国立民族学博物館
森 明 子
居間ということばがある。いわず としれた 住 まいの一室 を示す語 であるが、その一室 は どういう空間 かとあらためて考えてみると、
これが一筋縄ではいかない。
だいたい、居間ということばをあま り使 っ ていない気がする。 リビング ・ルームのほう が多い。個人については差があるだろうが、
不動産 関係をはじめ として、世の中に流通 し ていることば としては、 リビングのほうが優 勢であろう。
畳から床へ造作がかわ り、ソフ ァを置 き、
カーテンをあしらい、ス リッパをはく洋間は、
居間という漢字表現よ りもカタカナのほうが ふさわ しいという感覚があるのだろう。 しか し、それだけでなく、居 間ということばのす わ りのわるさは、近代住宅の居間空 問が、西 欧からの輸入モノであることと関係 している ように思える。居間と呼ぶに しろ、 リビング と呼ぶに しろ、この空 間は、どうも私たちの 生活に、根をおろしていないような気がする
のだ。
私たちは、物質 ものの考え方 、生活様式 の全般を西欧近代から輸入 し、模倣 し、その 多くを 日本 のものにつ くりかえてきた。それ が独特の味わいのあるものにな った例もある し、ほころ びのみえるものもある。その中で 居間は、近代家族 とともに十分 に成熟する前 に、現代世界の大波に呑み込まれて浮遊 して
いるようだ。 リビング ・ルーム という英語表 現へのひきもどしを、そのような脈 絡で理解 しても 、あながち間違っているといいきれな いのではないだろうか。
たとえば 「茶 の問」 という言葉 を思 い出 してみればいい。これは、日本の民家の一室 をさす ことばである。民家の間取 りをさす言 葉 は、ニワ(土 間)、チャノマ(囲 炉裏 のあ る空間)、ネマ(ナ ン ド)、デイ(ザ シキ)、
ダイ ドコ(カ ッテ、ナガシバ)を 基本とする。
生活の変化 とともに住宅の形態はかわ り、
呼称も変化 しているが、チ ャノマは私たちの 世界で現 在も通用する、歴 史のある言葉であ る。アニメーションのサザエさんで、誰でも 真 っ先に思 い浮かべる空間は、一家が食事す る 「チ ャノマ=茶 の問」であろう。あれを居 間 と呼ぶ人はめ ったにいないはずだ。サザエ さん一家は、現代家族 とはいいがたいが、さ 28 洗濯 の科学(第44巻 第2号 1999年)
りとて伝統家族でもない。 日本家屋の住宅構 造に、近代的な生活様式を取 り入れて、三世 代家族 を営んでいる。その生活の中の家族団 らんの空間は、私たちにとって、居間という よ り茶の問と呼 んだほうがしっく りいくので ある。
広辞苑をひくと 「居間;(家 族が ふだん 居るへや、居室」とある。このような居間の 考 え方は、西欧か ら輸入 されたものである。
日本語に居間ということばがなかったわ けで はない。貴族や武家の住宅様式である書院造 りでは、家 の長が住む上段の問を 「お居間」
と呼んだ。
ヨー ロッパにおいても 、近代以前 にはこれ と同様 の用法 があった。「マ リー ・アン トワ ネ ッ トの居 間」 というような場合で、個人、
とくに偉 い人の私室という意味がある。この ような主だ った人の居室 としての居間は、現 在の居間という語の用法 とは反対である。
近代住宅 に取り入れ られた居間は、家族と、
場合によっては来客も集 まって団らんする、
共有空間を意味する語である。
庶 民の住宅ではどうだ ったろ う。 日本 の民 家において、チ ャノマ という空間があ ったこ とは、すで に述べたとお りである。チ ャノマ には囲炉裏がきられていて、それは作業場と してのニワに連続 した空間だった。囲炉裏ば たで食事 をするし、仕事もした。 また囲炉裏 ばたは、家族と客 の座が決められていて、親 しい訪 問者を接 待する空間でもあ った。昔話 が語 られたのも囲炉裏ばたである。このよう な囲炉裏のあるチャノマを、現在の私たちは 失っている。
では 、居間とは どういう空間であるのだろ うか。あらためて考えなおしてみると、私た ちの住宅には、居間 と呼べる室があるのか、
そもそも居間があった時 代があるのか、とい うこともわからな くなるのだ。
こ こ で、 近 代西 欧 の 居 間 を よ くあ らわ し て い る例 を あげ よ う。
『歌 う トラ ップ一 家 』 とい う 物 語 に、 次 の よ うな 一 節 が あ る。 トラ ップ7家 と は 、映 画
『サ ウ ン ド ・オブ ・ミュ ー ジ ック』 の物 語 の モ デル にな った家 族 で 、 この 本 の 著者 は 、 ジ ュ リー ・ア ン ドリュー ス が扮 した マ リア ・ト ラ ップ 男 爵 夫 人で あ る 。以 下 の 引用 箇 所 は 、 マ リア夫 人 が結 婚 す る前 、家 庭 教 師 と して 、 オ ー ス トリアの ザ ル ツ ブル ク に あ った7家 の 邸 に住 ん で いる と き、男 爵(大 佐)と か わ し
た会 話 で あ る。
「…この家には居間がありませんから、…」
…大佐は突 然、顔をしかめた。
「さっき、この家には居間がない、とお っし ゃったのは、どういうつも りですか」
「別 に深い意味 でい ったのでは あ りませ ん が」
「大きい応接間、小さい応接問、図書室、音 楽室があればよいではあ りませんか」
「いいえ、居間というものは、も っと違う部 屋です。……お とうさん、おかあさん、子 ど もたちがいっしょに生活する部屋 を居間とい うのです。仕事や読書や遊びごと、手紙書 き もする部屋のことですわ」
この会話の後、マ リアは男爵 と結婚し、結
審
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婚後の一家の生活場面 として、次の描写がつ づく。
・夕食 後 は 団 らんの ひ とと き で、毎晩 いっし ょに過 ご した 。暖 炉 に は火 がた か れ 、上 の 娘 は編 み物 を 持 っ て、 下 の子 は 人 形 を抱 え て 集 ま っ た。 男 の 子 と父 親 はふ つ う 、木 を削 った り彫 った り して遊 ん だ 。私 は 一 番 楽な いす に 座 っ て、 声 を 出 して本 を読 ん だ 。仙 女 の 話 や 伝 説 や 歴 史小 説 、 伝 記物 、そ して散 文や 詩 の 名 作 な ど 。二 、三 時 問 も読 む と 、私 は こ う言 うの が お 決 ま りで あ った 。
「き ょう は これ まで 。さ あ 、 ま た歌 い まし ょ う。 よく っ て?」
居間がなか った住 まいに、主婦が加わるこ とによって居間が生 まれたことが、生き生 き と描かれている。美 しい家族愛、美しい歌声、
美しいアルプスの風景 すべてが美しくて、
やや鼻 白む気がしな いでもな い。 しかし、な
てら
んの街いもな く自分が良いと信 じていること を自信 に満ちて描いているゆえに、いやらし くもな く、またそ うできるところが魅力でも ある。日本人ならこんな文章は書かな いだろ う。
それは ともかく、居間で家族が何 をしてい るかに注 目しよう。編み物、人形遊 び、木彫 り、読書、歌。この場面設定 を理解 する うえ で、この物語が、富裕な 中産市民階級のモラ ルを奉 じていることを、確認 しておく必要が ある。
トラップ氏は男爵ではあるが、それは軍人 として輝かしい軍功をたてたことによるもの であって、もともと貴族 の家に生まれた仁で はな い。マ リア夫人はウィーン生まれで、自 分の努力で教育 を積んだ女性である。物語に は随所に、貴族の形式主義 を批判 する市民階 級 のモ ラルが見 られる。居間で家族が編み物
や木彫 り、読書 をし、団 らんすることは、よ そ よそしい貴族の家 族にはない、理想的な市 民家族のいとなみとして描かれているのであ る。市民家族 に対比されているのは、貴族 の 家族であ り、農村家族ではない。
では農村家族ではどうだ ったろ う。オース トリアでも、農村家族のもとでは、 トラップ ー家のような居間はみられない。
オース トリアの民家の間取 りを名付ける と き、必要な言葉は、台所、寝室、シュ トゥー ベ、カンマーおよび前室である。前室とは 、 玄関をはいったところの空間で、そこから各 室に通 じる。シュ トゥーペとカンマーの意味 するところは、前者か暖 房のある部屋 後者 が暖房 のない部屋 である。
冬の厳 しいこの地方で暖房は必須 であるが、
どの部屋にも暖房 をするというわけではない。
暖房 をする部屋 としない部屋は区別され、前 者 が人の集まる居室であ り、後者は主 として 食物貯蔵などに利用された。ひとつの部屋だ けを暖房することは節約の工夫でもある。食 事をとったのも、屋内の仕事 をしたのも、訪 問して きた客人 をもてな したのも、要するに シュ トゥーベだった。このようなオース トリ アの風景は、ただちに日本の囲炉裏ばたを想 起 させる。
興味深いのは 、冬のシュ トゥーべで、家の 者 が何 をしていたかというこ とである。私が
滞在していたオース トリアの村 の老人は、子 供時代を回想して次の ように語 った。
「古い家 には、ひじょうに大きなシ ュ トゥー べがあった。冬は、そこに家中の者が集まっ て仕事した。
男の奉公人も女 の奉公人も、みんなそこに いた。男は木の仕事をした。椅 子の修理な ど だ。女は羊毛を糸繰 り車を使 って紡いだ り、
編み物 をした りした。あんなに大 きな部屋は 現在 はもうない。 いまの家全体分く らい大 き かった。」
この回想は、第二次世界大戦の頃の思 い出 で、 トラップー家の時代とほぼ重なる。農家 のシュ トゥーベと、 トラップー家の居間では、
ほとん と洞 じことが 行われ ていたのである。
違 いは、農家 ではそれを仕事 として行 って いたのに対し、富裕な市民 である トラップー 家 では、それ は仕事 とは明確 に区別 された
「家族の団 らん」 として行 っていたというこ とである。
そ してもうひとつの違 いは、 トラ ップー家 にお いて、この空間を構成 した メンバーが家 じゅうの者で まなくて、召使いを除いた主人 の家族に限 られていたというこ とである。西 欧近代の家族は、料理人と女中縁 事 を担当 する ことで、主婦を家事労働か ら解放 し、そ れ によって自由になった時間を、家族が居間 で過ご したのである。
さて、居間ということばのこのような背景 から見たとき、私たちの住 まいについて、何 が見えるだろ う?
西欧においては、貴族の家族に対する反省 から、市民階級の家族のモラルが展開し、居 間 はそのような家族団らん に配置されたもの だ った。私 たちはその過程 を飛び越 えて、近 代住宅における居間空問を輸入 している。 ト ラップ家の物語は、たしかに美しいが たと
えば 食 後 「さ あ、歌 い ま し ょう。 よ く っ て?」 な どとや られたら、私は逃げ出 してし まいたくな る。
は っき りいって、 トラップ弓 家の ような居 間は、私 たちの手にあまる。私 たち には、家 事 をやってくれる召使いはいな い。理想とす るのはサザエさんの茶の間、といいたいのだ が、核家族世帯には、それも絵 に描いた餅 で ある。忙 しい現代世界の時間を生 きている私 たちの生活では、特 定の目的に貢献 しない時 間も、空間 、削き落 とされていく。その流 れを止めることはできない。
それでも、どの家にも、その家の臍のよう なものは どこかにあるようだ。そんな空間 を 少 し視点 をかえて眺めてみる。
適当に片づいていて、使いやすい程 度にち らかっている。何 がどこにある かはわかる程 度の整頓は保たれ ていて、その程度は、その 家の家事を とりしきる人 の 性格 を反映 してい る。そういう部屋は、結局、訪問客に対 して も開かれていて、人を呼ぶ空間になるようだ。
オース トリアの農村では、それは結局 ダイ ニング キッチンである ことが多かった。ウィ ーンな どの都市に行 くと、 リビング ・キッチ ンが多か ったように思う。
私 たちの現代住宅も、そ のあた りのどこか に着陸地点を見つ けつつあるように思える。
●著者紹介
文化 人類学専攻。オース トリアと日本で、フィール ドワーク を行 っている。著書に 『土地を読みかえる家族一オース トリ ア ・ケルンテンの歴史民族誌1(新 曜社)ほ か。
国立民族博物館 助教授。文学博士。
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