三重大学法経論叢 第27巻 第2号 63‑81 2010年3月
食品の機能性表示 に関す る規制 と表現の 自由 ( 2 ・ 完)
玉 川
目 次
Ⅰ.は じめに
Ⅱ.食品の機能性 に関す る表示 1.食品に付 される表示
2.コーデ ックス委員会 のガイ ドライ ン 3.機能性表示 を保証す る科学的根拠
Ⅲ.食品の機能性表示 に関する規制 1.我が国の表示規制
(1) 薬事法上の規制 (2)特定保健用食品制度 (3)栄養機能食品制度
(4)健康増進法による誇大表示の禁止 2.欧米の表示規制
(1)米国の制度
(2)EUの制度 (以上27巻1号)
Ⅳ.広告表示等の営利的言論 と憲法21条 1.最高裁 による判断
2.営利的言論 に関する学説の展 開
V.公衆衛生 を目的 とした規制の位置付 けの再考 1.表示規制の位置付 けに関する疑念 2.憲法25条の持つ規範性の再検討
Ⅵ.結びに代 えて (以上本号)
Ⅳ.広告表示等の営利的言論 と憲法21
条
1.最高裁による判断
食品の機能性表示 に関す る我が国の規制は
Ⅲ.の1.で述べた とお りであるが, これ らの 健康増進法等の法令 に基づ く販売の用 に供す る食 品の表示規制 は,憲法21条が保 障す る
「表現の 自由」(1) とどの ような関係 にあるの
であろうか。
憲法は,98条1項 において,「この憲法は, 国の最高法規であって,その条規 に反する法 律,命令,詔勅及び国務 に関するその他の行 為の全部又 は一部 は,その効力 を有 しない」
とその最高法規性 について規定す る ととも に,81条において 「最高裁判所 は,一切の法 律,命令,規則又 は処分が憲法 に適合するか しないかを決定す る権限を有す る終審裁判所 (63)
● 論 説
である」 と定 め,裁判所 に違憲審査権 を認 め ている。
したが って,機能性表示 に関す る規制 と表 現 の 自由の関係 を理解す るため には,最高裁 に よって示 された裁判上 の判 断 を検証す るこ とが不可欠である。 これ まで食 品の機能性表 示 に関 して裁判上争 われたのは,前述 の とお り,その ほ とん どが薬事法違反 を問われた刑 事事件 であ った(2)。 しか しなが ら,上告理 由 等 として憲法21条違 反が主張 された もの は 少 な く,「高麗人参濃縮液」に関す る最決昭和 57・2・12や 「つかれず」等 に関す る最判昭和 57・9・28,「ビバ ・ナチ ュラル」 に関す る最 判昭和63・4・15が挙 げ られ るに とどまって い る(3)。
この うち,「つかれず」等や 「ビバ ・ナチ ュ ラル」 に関す る薬事法違反被告事件 における 憲法21条違反 との上告理 由 につ いて は,最 高裁 は,「この ように解 して も憲法 の前記各 法条 に違反す る ものではない こ とは, 当裁判 所大法廷 判例 (昭和38年 (あ)第3179号 同40 年7月14日判決 ・刑集19巻5号554頁,昭 和 29年 (あ)第2861号 同36年2月15日判 決 ・刑集15巻2号347頁)の趣 旨に徹 して明 らか」(最判昭和57・9・28)等 と単 に先例 を 引用 して所論 は理 由が ない として棄却 してお り,憲法21条 の適用 に関す る具体 的 な議論 は展 開 されていない(4)。
このため,本稿 では,上記判決 において も 引用 された最大判昭和36・2・15(あん摩 師, は り師, さゆ う師及 び柔道整復 師法違反被告 事件) を取 り上 げ,最高裁 による判断 につい て検討す ることとしたい(5)。
あん摩 師, は り師, きゆ う師及 び柔道整復 師法(6)(昭和22年法217号)7条1項 は,広
告 で きる事項 を施術者 の氏名,住所,免許業 務 の種類等 に限定 し, 同条2項 は,施術者 の 技術 ,施術方法,経歴等 に関す る事項 にわた っ てほな らない と規定 していた。
被告人 は きゅう業 を営 んでいたが, きゅう の適応症 として神経痛,リュウマテ,血 の道, 胃腸病等 の病名 を掲 げ,かつ通俗 的 に きゅう の効能 を説明 した広告 ビラを周辺町村 で配布 した として,あん摩 師, は り師, きゆ う師及 び柔道整復 師法違反で起訴 された。第一審の 大津 簡 裁 は罰金2千 円の判 決 を言 い渡 した が,被 告人 は, 同法7条 の規 定 は憲法21条 等̀7)に違反 し無効 である として,大阪高裁 に 控訴 した。 同高裁 は,憲法 問題 のみが控訴理 由である事件 として,刑事訴訟規則 (昭和23 年最高裁規則32号)247条,248条 の規定 に 従 い,最高裁 に移送 した。
最 高裁判決 の判 旨で あ るが,「本法 が あん 磨, は り, さゆ う等 の業務又 は施術所 に関 し 前記 の ような制 限を設 け, いわゆる適応症 の 広告 も許 さないゆえんの ものは, もしこれ を 無制 限に許容す る ときは,患者 を吸引 しよう とす るためやや もすれば虚偽誇大 に流 れ,一 般大衆 を惑 わす虞があ り,その結果適時適切 な医療 を受 ける機会 を失 わせ る ような結果 を 招来す ることをおそれたためであって, この ような弊害 を未然 に防止す るため一定事項以 外 の広告 を禁止す ることは, 国民 の保健衛生 上の見地か ら,公共 の福祉 を維持す るためや むをえない措置 として是認 されなければな ら ない」 として,あん摩 師, は り師, さゆ う師 及 び柔道整復 師法 は憲法21条等 に違反 しな い旨を判示 し,上告 を棄却 した。
同判決 は,薬事法や健康増進法 に基づ く表 示規制 を対象 とした もので はないが,広告表
食品の機能性表示 に関する規制 と表現の自由(2・完)㊨
示等 の営利 的言論 と憲法21条 に関す る判例 として先駆的な意義 を有す る もの と位置付 け られている。
しか しなが ら,当該判決 に対 しては,判 旨 は虚偽誇大のおそれを理 由 として真実広告の 禁止, さらには真実広告の一類型たる適応症 広告の禁止 も理 由付 けようとす るものである が,虚偽 で も誇大で もない全 くの真実広告 ま で も制限する根拠 を具体 的に論証す る必要が あった(8)等の批判が強い。
また,判決は全員一致 による ものではな く, 2つの補足意見(9)のほか,多数意見 と異 なる 結論 を持つ3つの少数意見が付 されている。
これ らの意見の うち垂水裁判官 は,補足意 見 として 「心 (意思)の表現が必ず しもすべ て憲法21条 にい う 『表現』には当 らない」と して,当時の米国の判例の解釈 に言及 した上 で,「法律 で,これ らの業務 を行 う者 に対 しそ の業務上の広告の内容,方法 を適正 に制限す ることは,経済的活動の 自由,少 くとも職業 の 自由の制限 としてかな り大幅 に憲法上許 さ れるところであ り,本法7条 にい う広告の制 限 もか ような制限に当るのである。 そのいず れの項 目も憲法21条の 『表現の 自由』の制限 に当るとは考 え られない」 と述べ ている。
営利 的 な広告が憲法21条 の保 障す る表現 の 自由に含 まれない と明言 しているのは,同 裁判官だけであ り,他の裁判官 は,営利的な 項 目について も表現の 自由に含 まれる とした 上で,それを制限 し得 る要件 は何 かで判断が 分かれているように受け取れる(10)。
河村 (大)裁判官は,補足意見 において 「右 第2項の立法趣 旨は,技能,施術方法又 は経 歴 に関す る広告が患者 を吸引す るために,早 や もすれば誇大虚偽 に流れやす く,そのため
に一般大衆 を惑わせ る弊害 を生 じる虞れがあ るか ら, これを禁止す ることに した もの と解 せ られる。 されば右第2項の禁止規定は広告 の 自由に対 し公共の福祉 のためにす る必要止 むを得 ない合理的制限 とい うことがで きるか ら,憲法21条 に違反す る ものでない」と述べ ている。
当該補足意見 について も,真実広告 まで制 限す る根拠 として十分 な論証 となっていない
との批判が可能であろう。
これに対 し,斉藤裁判官 は,少数意見 にお いて,広告 をあんま師, は り師, さゆ う師及 び柔道整復師法7条違反 とす るには,現実 に 適時適切 な医療 を受 ける機会 を失わせ るよう な 「結果 を招来す る虞のある程度の虚偽,請 大であることを要す るもの といわなければな らない」として,「前記7条1項各号 に列挙す る事項以外 の事項 を広告 した ものは,その内 容の如何 を問わず,すべ て処罰す る趣 旨であ る と解す るな らば,」「同規定 は憲法21条 に 反 し無効であるとい うべ きである」 と述べて いる。
また,藤 田裁判官 も,少数意見 において 「同 条は同条所定以外一切 の事項の広告 を禁ず る もの と解するな らば,同条は憲法の保障す る 表現 の 自由 をおかす もの とな らざる を得 な い」 との考 え方 を表明 している(ll)。
さらに,奥野裁判官 は,少数意見 において
「その施術が如何 なる病気 に効能があるか, 真実,正当に世間一般 に告知す ることは当然 のことであって,かかる真実,正 当な広告 ま で全面的に禁止 しなければな らない保健,衛 生上その他一般公共の福祉 の観点か らもその 理 由を発見す ることがで きない」,「憲法の保 障す る表現の自由の制限を免許の条件 とする (65)
⑳ 論 説
が如 きことは許 されざるところ」であると述 べ,河村 (又)裁判官 もこれに同調 している。
この点については, きゅう師等の開業 に免 許制 を採用 している意義 をどの ように理解す るかが鍵 となるもの と考 えられるが,本稿で はこれ以上立ち入 らない(12'。
憲法訴訟 とい う観点か ら同判決 を見 ると, その違憲審査基準 については,判 旨が 「公共 の福祉 を維持す るためやむをえない」 として 憲法の各条項 に違反 しない としていることか ら,2.で述べ る 「合理性の基準」を採 った も の と考 えられる。
以上の ように,あん摩師,は り師, さゆ う 師及び柔道整復師法違反被告事件 をめ ぐって は最高裁 において様 々な観点に立つ意見が示 された ものの,その後の判例の展開において は,単 に同判決が引用 されることが多 く,判 例の積重ねによって裁判法理が明確 にな りつ つあるとは言い難い状況 にある。
2.営利的言論に関する学説の展開 憲法が保障する 「表現の 自由」については, 学説 において,その制約 に当たって特 に厳 し い違憲審査基準が適用 されるべ きであるとい う,優越的地位が認め られると論 じられて き たことか ら,概観す ることとしたい。
その根拠 につ いて は,米 国の憲法学者 エ マース ンが1963年に公表 した論考(13)におい て掲 げた,表現の自由が担 う次の4つの機能 が大 きく関わっているもの とされている。
① 個人の 自己充足 を保障す る手段 として 不可欠̀14)
(参 知識 を伸張 し,真理 を発見す るために 不可欠の過程
(釘 社会の全成員が決断形成 に参加す るた
めに不可欠(15)
④ 社会 における安定 と変化 との問の適切 な均衡の維持
この うち② の機能 については,「真理 の最 上のテス トは,市場の競争 において 自らを受 け入れ させ る思想の力である」 として 「思想 の自由市場」の言葉で語 られるものである。
しか しなが ら,現実に真理が虚偽 に打 ち勝つ とは限 らず, また,表現の自由が保障 されて いて も,力 に明確 な差異がある表現者 間にお いては自由市場が成立 しないのではないか と いった批判が寄せ られている。
また,④の機能については,政策的手段 的 機能にとどまるもの として,他の機能 との異 質性が指摘 されている(16)。
したがって,①の個人の人格 の形成 と展 開 (個人の自己実現) にとって枢要の人権であ るとい う機能,③の立憲民主主義の維持 ・運 営 (国民の自己統治) にとって不可欠である という機能が,表現の 自由の保障 を図る上で 格別の細心の配慮が要請すべ きことの根拠 と
なるもの と考 えられている(17)。
前述 の とお り,憲法81条 は裁判所 に違憲 審査権 を認めていることか ら,当該審査権の 行使 に際 して, どのような判定基準 を用いて 合憲 ・違憲の結論に至 るかが極めて重要 とな
る。
一般 に,民主制下の違憲審査制のあ り方 と しては,議会 (国会)が制定する法律 は合憲 性の推定 を受け,裁判所 は明白な誤 りがある ので なければ違憲 と判 断すべ きで ない こ と (明白性の原則)が指摘 される。 この明白性 の原則 は,「合理性の基準」と結 び付 いてお り, 規制 目的が一応正当であ り,規制手段が合理 的関連性 を有すれば,その規制 は合憲 と判断
食品の機能性表示 に関する規制 と表現の自由(2・完)㊨
されることとなる。
しか しなが ら,表現の 自由については, 自 己実現 と自己統治 とい う2つの機能のために 合憲性 の推定が排除され,む しろ違憲性の推 定原則が妥当すると考えなければならない と 論 じられる。 そ して,規制 目的の正当性が厳 密 に問われなければな らない とともに,規制 の程度 ・手段が規制 目的を達成す る上で必要 最小 限度の ものであるか否かが厳密 に検討 さ れなければならない と指摘 されている(18)。
ただ し,表現の手段 ない し媒体 は多様であ ることか ら,それぞれの特性 に応 じた考慮が 必要であるとして,表現の類型論 を構築す る 必要性 も指摘 されている。 また,過度の広汎 性故の無効の理論,暖昧性故の無効の理論 (明 確性 の理論) といった特別 なルールの適用 に ついて も指摘 されることがある(19)。
以上が,表現の自由に対する学説の概観で あるが, こうした考 え方に対 して最高裁 はど の ような立場 を採 ってきたのだろうか。最高 裁 は,サ ンケイ新聞意見広告事件の判決 (義 判昭和62・4・24民集41巻3号490頁)にお いて 「民主制国家 にあっては,表現の 自由, とりわけ,公共的事項 に関する表現の 自由は, 特 に重要な憲法上の権利 として尊重 されなけ ればな らない」 と指摘するなど,関連す る判 例 において表現の自由の高い価値 を認めてい
るようにも見 える。
もっ とも,表現の 自由に関す る事案 におい て,最高裁が厳格 な審査基準 を適用 して違憲 と判断 した ものは, これまでの ところ存在 し ない。 この ような最高裁の姿勢 については, 学説か ら批判が寄せ られている(2
0 ) 。
ところで,表現の自由の保障根拠 について, 自己実現 と自己統治 とい う機能 を中心 に構成
する場合,そこで保障 される 「表現」の範囲 をどの ように考 えるかが問題 となる。
具体 的には,憲法21条が保 障す る表現 の 自由には,わいせつな表現,営利的言論,差 別的な表現 といった もの も含 まれることとな
るのかがそれぞれ論 じられて きた。
食品の機能性表示 について も,それが販売 の用 に供 される食品の容器包装 に付 されるも のである以上,特定の商品やサービスの流通 を目的 として行われる営利広告の一部 を構成 する。 したがって,食品の機能性表示 に関す る規制 について も,広告表示の‑類型 として 営利的言論の問題 として位置付 け られること
となる。
学説 においては,純然たる営利的言論 は, 経済的 自由の問題である との見解(21)もある が,多 くはこれについて も表現の自由の問題 と捉 えている。 その理由としては,営利的言 論 と非営利的言論の区別の基準 は必ず しも明 確 ではないこと,国民 にとっての情報価値 と い う視点 を考慮すれば,営利的言論 を 「表現 の自由」の保障外 とするような解釈 は妥当で はない こと等が挙げ られる。
ただ し,営利的言論が原則 として表現の 自 由の保障対象 となると解するとして も,政治 的な表現 とは異 なった規制の可能性 を認める という考 え方 も有力である。 例 えば,佐藤幸 治教授 は,営利的言論が国民の健康や 日常経 済生活 に直接影響することが大 きい というこ とのほか,その真実性 は概 して政治的言論 と 違 って客観的判定 になじみやす く, また 「萎 縮的効果」 をおそれるべ き度合いが少 ないこ とを考慮すれば,厳格性の緩和 された審査基 準が妥当すると解すべ き余地があろう, しか し広告禁止 については,保障対象 となる言論 (67)
● 論 説
の直接 的禁圧 を構成す る以上, む しろ厳格 な 審査基準が妥 当す る と指摘 してい る(22)。
重複 す る ところ もあるが, ここで 「厳格性 の緩和 された審査基準」 とい うのは,①立法 目的が重要 な ものであること,(彰当該 目的 と 規制手段 と間に事実上の実質的関連性 がある ことについて,論証す る責任 を規制 当局 に負 わせ ることを意味す る。
これ に対 し,厳格 な審査基準 とは,① 立法 目的がやむにや まれぬ公共的利益 (必要不可 欠 な公益) を追求す るものであること,② こ の公益 に奉仕す るために選択 された手段 が当 該 目的の達成 に是非 とも必要であ ることにつ いて,論証す る責任 を規制 当局 (政府)が負 うもの とされ る(23)。
この ように営利 的言論 も表現 の 自由に含 ま れ る ものの保 障の程度 に差異がある とす る考 え方 に対 し,営利 的言論 も政治的 な主張や思 想表現 と同様 に保護 されるべ きとの考 え方 を 主張す る論者 もある(24)。
また, この間題 については,我 が国におい て は判 例 の蓄積 が十 分 で はなか った こ とも あって,米 国の判例 の変遷か ら示唆 を得 よう とす る論考 も多 い̀25)。
米 国の最高裁 は,当初,営利 的言論 につい て は表 現 の 自由の問題 と しない との立場 を 取 っていた(26)。 しか しなが ら,その後判 断 を 改 め,営利 的言論 について も表現 の 自由の問 題 とした上 で,政治的言論 と営利 的言論 には
「常識 的差異」がある として,営利 的言論規 制 の違憲審査基準 について定式化 した とされ
る(27)。
この違 憲 審査 基 準 (CentralHudsonテス トと呼 ばれる。)によれば,①営利 的言論が合 法活動 に関わ り,誤導的でない こ と,②主張
される政府 の規制利益 が実質的であ ること,
③規制がその利益 を直接 に促進す る ものであ ること,④規制が政府利益 を保護す るのに必 要 以 上 に広 汎 で ない こ とを満 たす か否 か に
よって判断 されることとなる とい う。
ただ し,当該基準 の適用判 断 につ いては, その後必ず しも固定的な もの とはな らず,営 利 的広告の制限に許容 的な傾 向 を見せ てい る
とい う(28)。
営利 的言論 に関す る違憲審査基準 について 定式化 を図ることは,予測可能性 を向上 させ る とい う観点か らも推奨 され るべ きもの と考 えるが,CentralHudsonテス トについては, 農産物 の一般 的広告 を行 うための費用負担 の 各業者へ の割 当て等 をめ ぐって適用対象 とす るかか どうか判 断が揺 れた こ ともあ る(29)ほ か,結局 の ところ④ の要件 に関 して裁判所 が どこまで厳格 な態度で臨むか明確 でない とこ ろがある。
なお,当該基準 において も,「主張 される政 府 の規制利益」 とい う表現が用 い られている が,政府 の活動 は本来国民 の何 らかの権利利 益 を保持増進す るために行 われ るべ きもので あることか ら,そ うした権利利益 と無 関係 に 政府 自体 に帰属す る規制利益が想起 させ る点 で適切 ではな く,直裁 に最終 的 な便益帰属者 (全体) の利益 を考慮対象 とすれば足 りるの ではないであろ うか。
ところで,憲法 は,21条2項 で 「検 閲は, これ を してはな らない」 と規定 してい る。 健 康増進法等 による食 品の機能性表示 に関す る 規制 については,原則 として一定 の要件 を満 たす場合 に特別用途食 品の表示 許可 (30)を認 め る とい う構成 をとることか ら,表現行為 が なされ るに先立 ち行 われる公権力 に よる抑制
食 品の機能性表示 に関す る規制 と表現 の 自由(2・完)㊨
として憲法上 問題 とな らないのか につ いて も,従来の議論 を整理することとしたい。
最高裁 は,税関検査事件の判決 (最大判昭 和59・12・12民集38巻12号1308頁) にお いて,憲法21条2項 にい う 「検閲」の概念 に ついて 「行政権が主体 となって,思想内容等 の表現物 を対象 とし,その全部又 は一部の発 表の禁止 を目的 として,対象 とされる一定の 表現物 につ き,網羅的一般的に,発表前 にそ の内容 を審査 した上,不適当 と認めるものの 発表 を禁止することを,その特質 として備 え
るものを指す」 としている。
こ う した最 高裁判例 の検 閲概念 につ いて は,「発表」や 「網羅的一般的に」といった点 が不 当に狭 くするものであるとの批判がある が(31),行政権が主体 となって審査 を行い,発 表 を禁止することにその本質があると理解す るな らば,国会が制定 した法律 により包括的 に一定の表示行為が禁止 されている健康増進 法等の表示規制は,憲法上絶対的に禁止 され る 「検閲」 には該当せず,事前的抑制の問題 として考察すべ きもの と考 えられる。
Ⅴ.公衆衛生 を目的 と した規制 の位 置 付 けの再考
1.表示規制の位置付 けに関する疑念
Ⅳ.を要約す る と,営利 的言論 に関す る規 制 については, これまでの最高裁判例の立場 では,必ず しも理論的な根拠が明確 ではない ものの,合理性 の基準 に基づ く審査が行 われ, 著 し く合理性 を欠 き明 らか に立法裁量 の逸 脱 ・濫用 とみざるを得 ない場合 を除 き,違憲
と判断 されないこととなる。
これに対 し,有力 な学説は,営利的言論に
ついて も表現の自由の保障の対象 に含 まれる として,虚偽誇大な広告の制限については厳 格性の緩和 された審査基準 によ り審査 し,広 告禁止 については厳格 な審査基準 によって審 査すべ きとしている。
この立場 による場合,健康増進法 に規定す る誇大表示の禁止 については厳格性の緩和 さ れた審査基準 によって裁判所 に審査 されるこ ととなると考 えられるが,特別の用途に適す る旨の表示の許可 (当該表示の許可 を受けず に,特別の用途に適する旨の表示 をした者 は, 同法37条2号 に該当 し,50万 円以下の罰金 に処せ られる。)や,薬事法 に基づ く表示規制 については, どのような取扱い となるのであ ろうか(32)。
販売の用 に供 された食品の消費者 に対 し, 一定の基準の下に情報提供の適正化 を図ると い う点では,虚偽誇大 な広告の制限 と共通す る ものがあるが,「広告規制の ような情報規 制は,人が利用で きる情報の質量 を操作する ことによって,個人の 自律 に介入」(33)す るも のであるとの批判 もある。
以上の ように,表現の自由については,そ の優越的地位が学説上広 く認め られ,た とえ 営利的言論であって もその制限については慎 重であるべ きことが理解で きる。 しか しなが ら,その議論の過程 においては,営利的言論 の表示規制 によって保護 しようとした権利利 益 の憲法上の価値 とい う側面が これ まで十分 吟味 されてこなかったのではないだろうか。
表現の 自由において も,名誉権やプライバ シーの権利 といった憲法上の権利利益 との調 整 については,従前 より論 じられて きたが̀34), 例 えば,GentralHudsonテス 吊 こおいて 「主 張 される政府の規制利益」 と包括 されて論 じ (69)
● 論 説
られている利益 は,憲法上 も尊重 されるべ き 国民の権利利益 に還元 して評価 されるべ きも のなのではないだろうか。
以下では, このような観点か ら食品の機能 性表示 に関する規制が担 う憲法上の価値 につ いて検討す ることとしたい。
Ⅲ.の1.で述べた とお り,薬事法 は,医薬 品,医薬部外品等の品質,有効性及び安全性 の確保 のために必要 な規制 を行 うこ とに よ
り,保健衛生の向上を図ることを目的 とす る 法律 である。 また,健康増進法は,国民の栄 養の改善その他の国民の健康の増進 を図るた めの措置 を講 じることにより,国民保健の向 上 を図ることを目的 とする法律である。
この ように,食品の機能性表示 に関する規 制は,保健衛生の向上や国民保健の向上 を目 的 として講 じられた ものである。 この ような 人間の生命 ・身体の健康 を保持増進するため の政府の取組みは,一般 に公衆衛生 (Public Health)と称 されている(35'。
公衆衛生の伝統的な定義 としては, ウイン スローによる 「公衆衛生 とは,環境衛生の改 善,伝染病の予防,個人衛生の原則 について の個人の教育,疾病の早期診断 と治療のため の医療 と看護サービスの組織化,及び地域社 会のすべての人に,健康保持のための適切 な 生活水準 を保 障す る社会制度の発展 のため に,共同社会の組織的な努力 を通 じて,疾病 を予防 し,寿命 を延長 し,身体的,精神的健 康の能率の増進 を図る科学であ り,技術であ
る(36)」が よく知 られている。
したがって,公衆衛生においては,国民の 生命 ・身体の健康 を脅かす健康 リスクを分析 し,科学的知見 に基づいて健康 リスクを低減 させ るために必要な規制 を講 じることが不可
欠 となる。 こうした規制は,国民の権利義務 に関わるものであることか ら,法律 に基づい て講 じられることとなる。
健康 リスクをもた らす危害要因(ハザー ド) には,例 えば食品安全 に限って も,食中毒菌 やウイルス等の生物学的要因,農薬,重金属 等の化学的要因,放射線等の物理的要因など
さまざまなものがある。
また, こうしたリスクを低減 させ るための 管理手法 (規制措置) として も,.さまざまな 措置が講 じられている。例 えば,各種の医療 従事者制度のように,一定の知識 を習得 した と認め られる専門職にしか業務への従事 を認 めないこと,医療施設のように継続 して一定 の業務 を行 う場所が備 えるべ き構造設備の基 準 を定めること,水道水のように供給が認め られる基準 を満た していること,医薬品の用 法,用量の表示や使用上の注意のような表示
を義務付 けること等である。
なお,科学技術的な用法 としては, リスク とは一般に望 ましくない事象のことを意味 し てお り,その大 きさは,ある望 ましくない事 象 (影響の評価点 ‑エ ン ドポイン ト)に対 し て,その生起確率で表現 される。 すなわち, リスク‑(望 ましくない事象の生起確率)× (その事象の重大 さ)
として,理論的にはリスクを定量化で きる(37) もの と考 えられている。
この ように健康 リスクとは,確率的に顕在 化するものなのである。 例 えば,インフルエ ンザのウイルスを含む飛沫 を同様 に浴びて も 発症する者 もあれば,発症 しない者 もある。 食品中のアレルギー物質に反応するのは,何 百人,何千人に一人 とい うこともある。 医薬 品の副作用が生 じた結果,死亡 に至 る者 は,
食 品の機能性表示 に関す る規制 と表現 の 自由 (2・完)㊨
百万人 に一人か もしれない。 しか し, これ ら の健康 リスクの発現 を少 しで も低減 させ るた めの取組 みが各種 の公衆衛生上 の管理措 置
(規制) として講 じられている。
ただ し,リスク管理の現場では,(各種の管 理措置 を講 じた として も)ゼロリスクに到達 す ることは現実的には無理であ り,他 の リス クとの トレー ドオフや, リスク削減のために 投入で きるコス ト,資源 を考慮 しなが ら,で きるだけ リスクを削減 しようとすることが常 識 になっている(38)とされる。
例 えば,摂取 した消費者 「一般」 に影響が 生 じる可能性がある野菜への残留農薬 につい ては,食品の規格基準 を定め,不適合品につ いて販売等 を禁止することで対応 を図ること が考 え られる。
これに対 し,食物 アレルギーについては, 異 なる措置 を採 ることを考 える必要がある。 すなわち,ある一定の人々が小麦粉 に対 して 食 物 ア レル ギ ー の症 状 を呈 して い る とす る(39)。 加工 されたため小麦が含有 されている か一 目では判別 し難い食品 もあることも考慮 す ると,小麦 による食物 アレルギーの発症 を ゼロにす ることは,小麦粉及びこれを含 む食 品の販売 を禁止することによって達成で きる か もしれない。
しか しなが ら,世界の食料の需給等 を考慮 すると,お よそ小麦粉及びこれを含有す る食 品すべてについての販売 を禁止するとい うの は,現実的な選択肢ではない。表示の基準 を 設け,適合する表示 を事業者 に義務付 けるこ とによ り,食物 アレルギーの症状 を呈する者 に注意喚起 を行 って, リスク発現の低減 に努 めるはかない。
この ように,飲食 に起因する衛生上の危害
を防止するといった公衆衛生の観点か らは, 表示 に関する規制 と流通禁止等の管理措置 と は一体的に運用 されることが必要不可欠であ る。
ところが,前述 した憲法学の学説の立場か らすれば,営利的言論 について も表現の 自由 の優越的地位 にかんがみ,厳格 な審査基準 に よって審査すべ きとする一方,広汎 な影響が 生 じると思われる流通禁止 については,単な る営業の自由の侵害の問題 として,合理性の 基準 による審査 を経れば足 りることとなる。
この取扱 いは,行政上の法 の一般原則(40) と される比例原則 にも沿わない ものであ り,逮 和感 を禁 じ得 ない̀41)。
例 えば,医薬品については,無承認無許可 医薬品であれば,製造や流通 も認め られない とい う厳 しい規制が講 じられるのに対 し̀42),
特定保健用食品については,健康増進法 に基 づ く表示の許可の制度であ り,特定の保健の 目的を表示 しない限 り当該食品の流通が認め られることか ら,専 ら表現の 自由への抵触が が問題 となることとなる。
この ような健康 リスク低減のための措置 と してみた位置付 けとの乗離 は,表現の 自由と 対置 される規制利益 に関す る憲法上の位置付 けが十分 に分析 されていないが故 に惹起 され るもの と考 えられる(43)。
表現の 自由は個人の自己実現や国民の 自己 統治に不可欠なものであるとして も,生命 ・ 身体の自由 もまた個人の 自由の出発点 をなす 根幹的な権利であ り,公衆衛生の一環 として 講 じられる規制措置はかかる自由を保障する ための取組みの一つに他 ならない。沿革的な 問題 として,憲法13条が保障す る生命 ・身体 の 自由については,犯罪の捜査及び処罰の関 (71)
● 論 説
係 を中心 に議論が展 開 されて きたの は事実 で あ るが,健康 な生活 についての権利 は憲法25 条 において明示 的 に規定 されてい るので はな いだ ろ うか。
この ような観点か ら,従 来 は社会 ・経済 的 弱者 の保 護 のための国の積極 的行為 を要求す る ものであ る ところに本質 を持つ と捉 え られ て きた,憲法25条 に関 して,現実 に規定 され てい る文言 を手がか りとして, その有す る規 範性 を再検 討す るこ ととしたい。
2.憲法25条 の持 つ規範性 の再検 討 前述 の ように,生命 ・身体 の 自由 も個 人の 自由の出発 点 をなす根幹的な権利 に他 な らな いが,沿革 的 に生命 ・身体 の 自由は犯罪 の捜 査 及 び処罰 の関係 が問題 とされて きた。 この た め,憲 法 13条 に公衆衛 生 目的の規 制 の規 範 的根拠 を直接 求 め ることは,若干無理が あ
る。
他 方,憲法25条 は,1項 において 「すべ て 国民 は,健康 で文化 的な最低 限度の生活 を営 む権利 を有 す る」と規定 し,2項 において 「国 は,すべ ての生活部面 について,」「公衆衛 生 の向上及 び増進 に努 めなければな らない」 と 規定 してい る。
例 えば,判例 において も基本 的人権 として 認 め られつつ あ る 「プライバ シーの権利」が 憲法 の明文 において規定 された もので はない の とは異 な り,「公衆衛生」については,明文 の規 定 が 設 け られ て い る訳 で あ る。 この た め, 当該条項 の解釈 として,健康 な生活 につ いての権利 を捉 え,公衆衛生 の向上及 び増進 のための規制措置 について も憲法上保 障すべ き権利利益 に繋 が る もの として観念 す るこ と がで きないか検討す ることとしたい。
これ まで学 説 にお いて は,憲法25条 につ いて主 として公 的扶助 (生活保護) の適用 を 念 頭 に置 いて,「健康 で文化 的 な最低 限度 の 生活 を営 む」 ことを権利 として保 障す る もの として 「生存権」 と名付 け,その法 的性 質 に つ いて議論 を重 ねて きた。
大別す る と学説 は次の3つ の立場 に分 かれ る とされ る。
第一 に,憲法25条1項 は,法律 的 にはプロ グ ラム的意義 の ものであ り, 国の政策 的 目標 ない し政治道徳 的義務 を定 めた とす るプログ ラム規定説がある(44)。 これ に対 して,生存権 は法 的権利 であ り, 国はそれ に対応 す る法 的 義務 を負 うが,一方,憲法 だけを直接 の根拠 として具体 的な請求権 を導 き出す こ とはで き ず,生存権 を実現す る具体 的手続 ,方法 を規 定す る生活保護法 といった具体 的 な法律 の規 定 と相 まって双方 を根拠 に法 的権利 を導 き出 す こ とがで きる とす る抽象 的権利説が主張 さ れ,現在 で は,同説 が最有力 とされてい る(45)。 このほか, 国が 国民 の生存権 を適切 に保 障す る立法 を怠 る場合 , 国の不作為 が 国民 の具体 的権利 の侵害 を構 成 し,違憲確 認訴訟 を提起 で きる とい う具体 的権 利 説 も提 唱 され て き た(46)。
最高裁 の判例 であ るが,朝 日訴訟 において は,傍論 なが ら 「すべ ての国民が健康 で文化 的 な最低 限度の生活 を営 み得 る ように国政 を 運営すべ きこ とを国の責務 として宣言 した に とどま り,直接個 々の国民 に対 して具体 的 な 権利 を賦与 した ものではない」 とした (最大 判 昭和42・5・24民集21巻5号1043頁)。 こ れ に対 し,堀木訴訟 においては,健康 で文化 的 な最低 限度の生活 は抽象 的 な相対 的概念 で あ り, その認定判断 は厚生大 臣の合 目的的 な
食品の機能性表示 に関する規制 と表現の自由(2・完)㊨
裁量 に委 ね られてお り,憲法及 び生活保 護法 の趣 旨 ・目的 に反 し, その裁量性 を超 えた場 令 ,又 は裁量権 を濫用 した場合 は,違 法 な行 為 と して 司 法 審査 の対 象 とな る と して い る (最 大 判 昭和 57・7・7民 集36巻7号1235 頁)。
また,憲法25条1項 と2項 の 関係 につ い て は, 当初 ,1項 は生存権保 障 とい う 目的 な い し理念 を示 した ものであ り,2項 はその 日 的 ・理念 の実現 に努力すべ き国の責務 , その 達成 の ための方法 を示 した もの として,両者 が一体 的関係 にあ る もの として捉 え られ て き た。 しか しなが ら,前掲 の堀木訴訟 の控 訴審 判決 (大 高判 昭和50・11・10判 時795号3頁) にお い て は,憲法25条1項 に よる施 策 を救 貧施 策, 同条2項 に よる施策 を防貧施 策 とし て,適用 すべ き違憲審査基準 が異 なる との考 え方 が示 され てい る(47)。
これ らの議論 は,生活保護,各種 年金 や社 会手 当 とい ったいず れ も給付 制度 を対象 とし た もので あ り, 国 に対 して一定 の行為 を要求 す る権 利 (作為 請求権 ) た る社 会権 の一つ と 捉 え られ てい る(48)。 このため,憲法 にお ける 公衆衛 生 の向上及 び増進 のための規制制 度 に 対 して,直 ち に外挿 で きる もので はない。
よって,「公衆衛生」が憲法25条2項 に 「公 衆衛 生 の向上及 び増進」が規定 され るに至 っ た経緯 まで立 ち返 ってみ るこ ととしたい。
昭和21年2月13日に 日本政府 に提 示 され た総 司令 部案 (マ ッカーサ ー草案)の24条 に お いて は,「法律 は,生活 のすべ ての面 につ き, 社 会 の福 祉 並 び に 自由,正義お よび民 主主義 の増進 と伸 張 を 目指すべ きであ る」 との規定 に続 き,4項 で 「公衆衛 生 は,改善 され なけ れ ば な らない」,5項 で 「社会保 障 を設 けなけ
れ ばな らない」 と規定 されていた(49)。 このマ ッカーサ ー草案 を下敷 きとして政府 原案 の作 成 が進 め られたが, 当該条項 につ い て は,1項 に4項 と5項 が織 り込 まれ る とと もに,「自由,正義 お よび民主主義」とあ るの が規定 の及 ぶ範 囲が広汎 に過 ぎる として除外 され る こ と とな った。 この結 果, 昭和21年
6月20日に第90回帝 国議会 に提 出 された帝 国憲法改正案 においては,「第23健 法律 は, すべ ての生活部面 につ いて,社食 の福祉 ,坐 活 の保 障及 び公衆衛 生 の増進 のため に立案 さ れ なけれ ばな らない」 とい う規定 が置 かれ て いた(50)。
衆議 院の審議 の過程 において,社 会 党か ら
「すべ て国民 は,健康 で文化 的 な最低 限度 の 生活 を営 む権利 を有 す る」 とい う規定 の追加 が主張 され,審議 の結果, 当該条項 を1項 と して挿入す る とともに,原案 の文言 を一部修 正 の上,2項 として 「国は,すべ ての生活部 面 につ いて,社会福祉 ,社 会保 障及 び公衆衛 生 の向上及 び増進 に努 めなけれ ばな らない」
と規定 され る こ ととなった(51)。
この ように,公衆衛生 の改善 につ いて は, 日本 国憲法制定 に向けた準備 のか な り早 い段 階か ら, 国家 の根本法 た る憲法 において規定 すべ きもの と考 え られて きた こ とが分 か る。
しか しなが ら,帝 国議会 にお ける審議 の過 程 も含 めその憲法規範 としての意義 は何 か, 具体 的 な解釈 につ いて示 した もの は,皆無 に 近 い。
例 えば,法学協会編 『註解 日本 国憲法』 に お い て は, 「公 衆衛 生 の 向上 及 び増 進 が特 に 掲 げ られてい るの は,『健康 で文化 的 な』とい うこ とを うけた ものであ る。 従 来す で に伝染 病 予 防法 (明治30法律36)等 が成 立 してい (73)
● 論 説
るが,近時,食品衛生法 (昭和22法律233)
予防接種法 (昭和23法律68),優生保護法 (昭 和23法律156),結核 予 防法 (昭和26法律 96),その他,この角度か ら諸般の措置が講ぜ られつつある」 と当時の状況 を説明す るにと どまっている。
以降,新 しい人権 としての環境権 について 論 じるものは現れるものの,公衆衛生 につい て特 に記載 しない憲法学の体系書 も多い(5
2 ) 。
他方,憲法25条 については,憲法学のみな らず,社会保障法学か らの議論 も積み重ね ら れて きている。
この うち,堀勝洋教授 は,国政遂行の指針 として,25条1項 は 「国民が健康で文化的な 最低 限度の生活 を営むことがで きるように国 家 は具体的な施策 を講 じなければな らない」
とい う規範内容 を持 ってお り,2項 は 「国家 が社会福祉,社会保障及び公衆衛生の向上 ・ 増進 を図る施策 を講 じなければな らない」 と い う規範内容 を持 っているとして,最低生活 の保障の範囲を超 えてより良い生活の発展努 力 を国家の努力義務 と解するとしている(53)。 また,近年では,いわゆる人格的自律権論 と生存権論 に関 して,憲法13条 を基底 とし て,憲法25条 との関係 を有機的に理解 し,社 会保障制度が各個人の 自己の生 を主体的に構 想 して,かつ達成する主体であ り続けるため の条件整備の一つ とす る立場か らの論考が公 表 されている(54)。
一例 を挙 げれば,菊池馨実教授 は,憲法13
条 を軸 とし,憲法14条1項の趣 旨も踏 まえ つつ,直接 的 には憲法25条 を通 じて具現化 される 「実質的機会平等」の価値が人格的に 自律 した個人 を前提 において も社会保障制度 を基礎付 け得 るとして、次のような指摘 をし
てい る。 す なわち,「そ もそ も人 は孤立 した 存在ではあ り得ず,誕生か ら死 に至 るまで, 社会あるいは共同体の中で,他者 とのかかわ り (関係性)の中で生 きる (生 きざるを得 な い)。社会 において一定の範囲で,諸個人の 力では対応 し切れない社会的 リスクに対処す るための仕組みをつ くることが,立憲主義体 制下 にあって,人間が生 まれて自律 的個人‑
と成長 し,その 自律性 を保持 しなが ら自らの 行 き方 を追及 してい く上で,規範的な前提条 件 としていわば社会契約的に諸個人 によって 合 意 された もの と理解 すべ きように思 われ る」(55)0
公衆衛生 (上の規制措置)については,同 稿 でい う (狭義の)社会保障に包摂 されるも のではないか もしれないが,「個人の 自律 の 支援」 に資するための諸制度 とい う点では, 共通するもの と考 えられる̀56)。
もっとも,社会保障の目的について従来の 社会保障法学 において 「生活保障」 とい う見 方で捉 えていたのを 「リスク分散 と所得再分 配 とい う2つの機能」 に関 して規範的に論 じ
られている点については,公衆衛生 において は,適切 な規制措置 を講 じることによ り,坐 じ得 る健康 リスク自体の低減 を図ろうとする ところに特徴があるもの といえよう。
この点に関 しては,法学の立場か らではな いが,広井良典教授 も,社会保障 とい う制度 の基本的な機能は,① リスクの分散,(参所得 再分配の二者 にあるとし,「リスクの分散」と は,「リスク」を 「不確実な (‑予測困難な) 危険」 とい う意味に解 した上で,そ うした不 確実な危険を複数の個人間で分散すべ く集団 的ない し集合的に対応す ることであ り,実質 的に 「保険」 と言い換 えられるもの と指摘 し