奈良教育大学学術リポジトリNEAR
山城国一揆の崩壊について‑「惣国」の解体‑
著者 松野 哲哉
発行年 2020‑03‑25
URL http://hdl.handle.net/10105/00013299
一
令 和 元 年 度
修 士 論 文
山 城 国 一 揆 の 崩 壊 に つ い て
―
「 惣 国
」 の 解 体 ―
奈 良 教 育 大 学 大 学 院 教 育 学 研 究 科
修 士 課 程 教 科 教 育 専 攻
社 会 科 教 育 専 修 一 八 三 二
〇 五
松 野
哲 哉
二
≪
目 次
≫
は じ め に
( 三
) 第
一 章
惣 国 と 寺 社 本 所
、 土 民
、 室 町 幕 府
( 九
)
第 一 節
惣 国 と 寺 社 本 所
(
一 一
)
第 二 節
惣 国 と 土 民
( 一 六
)
第 三 節
惣 国 と 室 町 幕 府
( 二 六
) 第
二 章
惣 国 の 解 体 と 国 一 揆 の 崩 壊
( 三 三
)
第 一 節
明 応 の 政 変
( 三 三
)
第 二 節
伊 勢 貞 陸 と 惣 国
( 四 二
)
第 三 節
稲 屋 妻 城 の 戦 い
( 五
〇
) 第
三 章
山 城 国 と 二 つ の
「 り ょ う ご く
」 化
( 五 六
)
第 一 節
室 町 幕 府 の 山 城 御 料 国 化
( 五 七
)
第 二 節
細 川 京 兆 家 の 山 城 領 国 化
( 七 一
) お
わ り に
( 八 五
) 参
考 文 献
( 九 一
) 山
城 国 一 揆 関 連 年 表
( 一
〇 六
) 謝
辞
( 一
〇 七
)
三
は じ め に
本 稿 は
、 筆 者 の 卒 業 論 文
「 山 城 国 一 揆 に お け る 一 揆 結 合
―
『 惣 国
』と
『 土 民
』―
( 一
)
」 で の 課 題 で あ っ た
、 山 城 国 一 揆
( 以 下
「 国 一 揆
」
) の 崩 壊 に つ い て 述 べ る も の で あ る
。 国 一 揆 の 崩 壊 に は 明 応 の 政 変 や
、 そ れ に 伴 い 山 城 国 へ 積 極 的 に 進 出 し て く る 守 護 伊 勢 貞 陸
、 ま た 細 川 政 元 の 動 き が 関 わ っ て く る が
、 前 稿 で は そ れ ら に つ い て の 検 討 が 不 十 分 で あ っ た
。 本 稿 の 課 題 に つ い て は の ち に 詳 し く 述 べ る
。 国 一 揆 の 研 究 は
、 特 に そ の 崩 壊 に つ い て 論 点 を 絞 る と
、 二 つ の 系 統 が あ る と 考 え ら れ る
。 一 つ 目 は
、 国 一 揆 に 内 部 矛 盾 が あ り
、 そ れ が 原 因 で あ る と す る 研 究 で あ る
。 国 一 揆 研 究 の 嚆 矢 と さ れ る 三 浦 周 行 氏 は
、 そ の 崩 壊 を
「
『 大 乗 院 寺 社 雑 事 記
』 明 応 二
( 一 四 九 三
) 年 八 月 十 八 日 の 条 に よ れ ば
、 そ の 頃 は 国 人 ら も 漸 く こ の 一 異 例 た る 伊 勢 氏 の 山 城 守 護 を 戴 く こ と に 向 か っ て 同 意 せ り
。 し か る に 貞 宗 が 相 楽
、 綴 喜 の 二 郡 を 大 和 の 古 市 澄 胤 に 与 う る に 及 び
、 国 民 の 間 内 訌 を 生 じ
、 こ れ を 喜 ば ざ る も の 数 百 人 は 稲 屋 妻 城 に よ り て そ の 入 部 を 拒 み し も
、 勝 た ず し て 城 陥 れ り
( 二
)
」 と し て い る
。 こ こ で い う と こ ろ の
「 国 民
」 は
「 国 人
」 と 区 別 さ れ て 書 か れ て い る こ と か ら
、「 内 訌
」 と は 国 人 同 士 の 対 立
、 そ し て 国 人 と 土 民 の 対 立 の 両 方 が 崩 壊
四
に 関 連 す る と し た こ と が わ か る の で あ る
。 鈴 木 良 一 氏 は
、 山 城 国 の 農 民 が
「 寺 社 本 所 領 の 恢 復 を ね が っ て い る の を 利 用 し 手 段 と し ふ み 台 と し た の で あ る
。 だ か ら 国 一 揆 は は じ め か ら 崩 れ る 原 因 を も っ て い た
( 三
)
」 と 把 握 し た
。 そ し て
、 そ の 崩 壊 は
、 当 初 掲 げ ら れ て い た 寺 社 本 所 領 の 恢 復 の 名 目 を 捨 て た だ け と し た
。 ま た 鈴 木 氏 は 国 人 の 間 に も 内 部 分 裂 を 生 じ て い た と し た
。 国 人 尾 一 部 は 古 市 氏 と 結 び
「 新 し い 封 建 支 配
( 三
)
」 を 目 指 し た の に 対 し
、 細 川 方 の 国 人 は 封 建 支 配 の 分 け 前 に 預 か ら な か っ た た め
、 古 市 の 軍 勢 に 対 抗 し た と し た
。 柳 千 鶴 氏 は
、
「 山 城 国 一 揆 崩 壊 の 時 期 を
、 従 来 の 研 究 に お い て は 明 応 二 年 八 月 一 八 日 の 国 一 揆 に よ る 守 護 職 承 認 か ら
、 同 年 九 月 一 一 日 の 稲 八 妻 落 城 に か け て の 一 連 の 事 件 に 求 め て き た
。 も ち ろ ん
、 こ れ ら は 一 連 の 関 係 を 持 つ 事 件 で あ り
、 切 り 離 し て 論 ず る こ と は で き な い が
、 前 章 に 述 べ た 問 題 を 含 め て 考 え る な ら ば
、 一 揆 が 守 護 職 を 承 認 し た 八 月 一 八 日 と い う 時 点 を 重 視 し た い
( 四
)
」 と し て
、 そ の こ と を
「 国 一 揆 が 守 護 職 を 認 め る と い う こ と は
、 守 護 職 や 直 務 の 問 題 だ け で は な く
、 そ の 守 護 権 の 国 持 ち 体 制 の 自 己 否 定 に ほ か な ら な い
( 四
)
」 と し た
。 こ の こ と は
、 守 護 不 入 権 を 確 保 し
、 自 ら そ れ を 代 行 す る と こ ろ に 国 持 体 制 の 意 味 が あ る と す る も の で あ る た め 重 要 で あ る
。 ま た
、 八 月 半 ば の 国 人 に よ る 守 護 職 承 認 と
、 九 月 以
五
後 の 戦 闘 を 分 け て 考 え る こ と も 重 要 な こ と で あ る と い え る
。 た だ
、 守 護 職 を 承 認 し た 理 由 は 内 部 矛 盾 で あ る と し た
。 こ こ ま で 挙 げ て き た 通 り
、 国 一 揆 の 崩 壊 に つ い て の 議 論 は
、 国 一 揆 内 で の 内 部 矛 盾 が 原 因 で あ る と さ れ て き た
。 内 部 矛 盾 に つ い て は ほ か に 熱 田 公 氏
( 五
) な ど も 挙 げ ら れ る
。 そ の 中 で
、 国 一 揆 崩 壊 に 対 す る 二 つ 目 の 視 角 が 出 て く る の で あ る
。 そ れ は
、 山 城 国 一 揆 お よ び そ の 解 体 と 室 町 幕 府 と の 関 係 を 考 察 す る 研 究 で あ る
。 こ の 研 究 動 向 に は
、 さ ら に
、 二 つ に 分 け る こ と が で き る
。 一 つ は 国 一 揆 の 解 体 を 幕 府 の 崩 壊 過 程 の 中 に 位 置 づ け る も の で あ る
。 永 原 慶 二 氏
( 六
) 黒 川 直 則 氏
(
七
)
・ 石 田 晴 男 氏
(
八
)
・ 田 中 淳 子 氏
(
九
)
等 が あ げ ら れ
、 ま た
、 先 述 し た が 柳 千 鶴 氏
( 十
)( 十 一
) も こ の 動 向 に 沿 っ て 研 究 し た と も い え る
。 田 中 氏 は
、 被 官 関 係 の 積 み 重 ね の 上 に 成 立 し た 細 川 京 兆 家 の 山 城 支 配 は 幕 府
―
守 護 支 配 と は 全 く 異 質 な も の で あ っ た と 捉 え た 上 で
、 文 明 十 年 以 降
、 山 城 で は 幕 府 の 御 料 国 支 配 と 京 兆 家 の 領 国 化 が 同 時 並 行 的 に 展 開 し
、 や が て 京 兆 家 に よ る 山 城 領 国 化 は
、 伊 勢 氏 の 守 護 支 配 を 侵 食
・ 凌 駕 し て 幕 府 の 御 料 国 化 を 挫 折 さ せ
、 自 ら の 内 衆 で あ る 香 西 元 長
・ 赤 沢 朝 経 を 伊 勢 氏 の 守 護 代 に 就 任 さ せ る こ と で 完 成 を み た と 主 張 し た
。 こ う し て
、 幕 府
―
守 護 支 配 は 否 定 さ れ た と い う
六
の で あ る
。 も う 一 つ は
、 国 一 揆 の 解 体 を 室 町 幕 府
―
守 護 体 制 の 再 建 過 程 に 位 置 づ け る も の で あ る
。 川 岡 勉 氏
( 十 二
)( 十 三
) や 山 田 康 弘 氏
( 十 四
)( 十 五
) で あ る
。 山 田 氏 は
、 幕 政 を 主 導 し た の は 政 元 や そ の 内 衆 で は な く
、 政 変 の 一 翼 を 担 っ た 伊 勢 氏 を 中 心 と す る 直 臣 勢 力 が 幼 少 の 将 軍 の 権 限 を 代 行 す る 形 で 幕 政 運 営 に 当 た っ た こ と を 明 ら か に し て い る
。 政 元 は 将 軍 権 力 と の 関 係 を 安 定 的 に 維 持 す る こ と に 留 意 し な が ら 勢 力 拡 大 を 図 っ て い く の で あ り
、 伊 勢 氏 の 山 城 守 護 職 を 尊 重 す る 動 き を 示 す の も そ の た め で あ る
。 山 城 に お い て 守 護 伊 勢 氏
―
守 護 代 京 兆 家 内 衆 と い う 体 制 が 生 ま れ た の は
、 京 兆 家 に よ る 山 城 領 国 化 が 幕 府
―
守 護 支 配 を 否 定 し た こ と を 意 味 す る わ け で は な く
、 守 護 伊 勢 氏 と 細 川 政 元 の 協 調 関 係 の 表 わ れ と 捉 え ら れ る
。 戦 国 期 の 畿 内 で は
、 細 川 京 兆 家 の 影 響 力
、 と り わ け そ の 被 官 人 支 配 を 組 み 込 む 形 で 幕 府
―
守 護 体 制 の 維 持
・ 再 建 へ の 努 力 が 続 け ら れ た と み る べ き と し た
。 こ こ で
、 改 め て 本 稿 の 課 題 を 定 め た い
。 国 一 揆 崩 壊 と 幕 府 の 関 係 を 考 察 す る こ と は
、 国 一 揆 崩 壊 後 の 畿 内 幕 府 政 治 の 状 況 を 明 ら か に す る こ と が で き る と い え る
。 よ っ て
、 惣 国 の 解 体 及 び 国 一 揆 の 崩 壊 の 要 因 は 何 か
、 そ し て 国 一 揆 の 崩 壊 が 幕 府 に 与 え た 影 響 は 何 か
、 と い う 二 点 に つ い て 考 察 す る
。 第 一 章 で は
、 主 に 惣 国 と 寺 社 本 所
、
七
室 町 幕 府
、 ま た 土 民 と の 関 係 を 確 認 す る
。 そ の 中 で
、 国 一 揆 崩 壊 の 要 素 と な る も の が あ る か ど う か 考 察 す る
。 特 に
、 山 城 国 一 揆 の 崩 壊 に つ い て
、「 内 部 矛 盾
」 を 理 由 と す る 見 解 が 多 い た め で あ る
。 第 二 章 で は
、 惣 国 解 体 と 国 一 揆 崩 壊 の 様 子 に つ い て 検 討 す る
。 特 に
、 明 応 の 政 変 か ら 稲 屋 妻 城 の 戦 い に 至 る ま で を 概 観 す る
。 ま た
、 守 護 伊 勢 氏 と 惣 国 の 関 係 に つ い て も 確 認 す る
。 第 三 章 で は 国 一 揆 崩 壊 後 の 幕 政 の 様 子 を 確 認 し
、 山 城 国 が ど の よ う に 支 配 さ れ た か 見 る こ と で
、 国 一 揆 崩 壊 が 幕 政 に 与 え た 影 響 に つ い て 考 察 す る
。 特 に
、 室 町 幕 府 の 中 心 的 な 財 政 政 策 で あ る
「 山 城 御 料 国 化
」 と
、 そ れ と 並 行 し て 進 め ら れ た 細 川 京 兆 家 の
「 山 城 領 国 化
」 に つ い て 検 討 す る
。 本 稿 に お い て
、 十 代 将 軍 足 利 義 稙
よ し た ね
と 十 一 代 将 軍 義よ
し
澄ず
み
を た び た び 挙 げ る
。 義 稙 は 将 軍 に 就 任 し た 頃
、
「 義 材
よ
し
き
」 と 名 乗 り
、 そ の 後
「 義 尹
よ し た だ
」
、 最 後 に
「 義 稙
」 と 名 乗 っ た
。 義 澄 も
、 将 軍 就 任 前 は
「 義 遐
よ し と お
」 で あ っ た が
、 就 任 を 機 に
「 義よ
し
高た
か
」 と 改 め
、 最 後 に
「 義 澄
」 と 名 乗 っ た
。 本 稿 で は
、 す べ て
「 義 稙
」 と
「 義 澄
」 に 統 一 す る
。 但 し
、 史 料 や 文 献 を 引 用 す る 際 は そ の 限 り で な い
。 こ の 後 の 将 軍 の 家 系 図 を 示 す
。 こ の 図 は 浜 口 誠 至 氏
( 十 六
) か ら の 転 載 で あ る
。 な お
、 将 軍 就 任 の 順 を 表 す 番 号 を 加 筆 し た
。
八
九
第 一 章
惣 国 と 寺 社 本 所
、 土 民
、 室 町 幕 府
本 章 で は
、 惣 国 と 寺 社 本 所
、 土 民
、 室 町 幕 府 が ど の よ う に 関 係 し て い た か 確 認 し
、 そ れ ら の 勢 力 が 惣 国 の 解 体 や 国 一 揆 の 崩 壊 に か か わ っ た の か ど う か 検 討 す る
。 第 一 節 で は
、 惣 国 と 寺 社 本 所 の 両 者 が ど の よ う に か か わ っ た か 確 認 す る
。 第 二 節 で は
、 惣 国 と 土 民 の 関 わ り を 確 認 す る
。 鈴 木 氏 以 来
、 国 一 揆 崩 壊 の 理 由 の 一 つ と し て 土 民 と 国 人 の 対 立 が あ げ ら れ る こ と が 多 か っ た た め
、 土 民 の 動 き を 確 認 す る こ と は
、 崩 壊 に つ い て 検 討 す る に あ た り 有 意 義 で あ る
。 第 三 節 で は
、 室 町 幕 府 と の 関 係 を 検 討 す る
。 山 田 氏 は
、
「 国 一 揆 と 伊 勢 氏 は 互 い に 相 手 に 対 し て 関 心 を 持 た ざ る を 得 な い 状 況 に あ っ た
( 十 七
)
」 と し て い る
。 す な わ ち
、 幕 府 と 惣 国 は 互 い に 存 在 を 意 識 し あ う 存 在 で あ っ た と い う こ と で あ る
。 そ の た め
、 両 者 の 関 係 を 検 討 す る こ と が 国 一 揆 崩 壊 の 理 由 を 考 察 す る こ と に 資 す る の で あ る
。 こ の よ う な 流 れ で 論 を 進 め る こ と に す る
。 ま ず
、 惣 国 と は 何 か 示 し た い
。 川 岡 氏
( 十 八
) に よ る と
、 国 人 た ち は
「
『 惣 国
』 と い う 組 織 を 作 り
、 自 主 的 に 南 山 城 を 支 配 す る 体 制
」 を 形 成 す る と し た
。 す な わ ち
、「 南 山 城 に お け る 地 域 的 な 権 力 秩 序 を 担 う 存 在
」 と い う こ と で あ る
。 以 前 は
「 惣 国
」 と
「 惣 国 一 揆
」 が 混 同 さ れ て 研 究 さ れ て い た が
、 そ れ に 対 し て は 批
一〇
判 さ れ て い る
。「 惣 国
」 に つ い て は 川 岡 氏 の 見 解 で 一 致 し た と い っ て よ い だ ろ う
。 ち な み に
、 筆 者 は 卒 業 論 文 で
、 惣 国 と は
「 国 一 揆 を 運 営 す る 主 体
( 十 九
)
」 と し た
。 研 究 の 動 向 か ら
、 本 稿 で は 川 岡 氏 の 定 義 を 用 い る
。 惣 国 を 構 成 し た 山 城 国 人 た ち は
「 山 城 国 三 十 六 人 衆
」 や
「 山 城 国 衆 三 十 六 人
」
、 ま た は
「 山 城 国 三 十 八 人 衆
」 な ど と 呼 ば れ る
。 そ の 前 身 と さ れ る の が
「 山 城 国 十 六 人 衆
」 で あ る
。 そ こ に 列 挙 さ れ た 国 人 は
、 そ の 後 惣 国 に 参 加 し た 可 能 性 が 高 い
。 三 十 六 人 衆 の 具 体 的 な 人 名 を 調 べ る こ と は 史 料 の 制 約 上 難 し い が
、 十 六 人 衆 と 呼 ば れ た 国 人 で あ れ ば
、 数 人 の 名 前 を 確 認 す る こ と が で き る
。
「 大 乗 院 寺 社 雑 事 記
( 以 下
「 雑 事 記
」
)
」 の 文 明 二
( 一 四 七
〇
) 年 七 月 廿 三 日 条 で は
、 応 仁 の 乱 に お い て
、 敗 北 し た 十 六 人 衆 の 国 人 の う ち
、 四 人 の 名 前 が 記 録 さ れ て い る
。 一
、
自
二
筒 井 方
一
申 給 山 城 宇 治
・ 水 牧
・ 山 階 等
、 悉 以 東 方 没 落
、 十 六 人
、 細 川
( 勝 元
)
方 披 官 十 二 人
、 西 方 ニ 降 参 了
。 今 四 人 ハ
、 木 津
・ 田 ナ ヘ
(
辺
)
・ 井 手 別 所
・ 狛(山城
守秀
)
也
。 於
二
此 分
一
者
、 定 可
二
没 落
一
。 然 者 山 城 事
、 悉 以 可
レ
成
二
西 方
一
。
( 後 略
、 二 十
) こ れ に よ る と
、 木 津
、 田 辺
、 井 出 別 所
、 狛 と い う 名 前 が 確 認 で き る
。 彼 ら の よ う な 山 城 国 人 が
、 の ち に 惣 国 を 構 成 し た と 考 え ら れ る の で あ る
。 彼 ら 国 人 の 多 く は 細 川 被 官 で あ っ た と い う こ と に つ い て は 後 で 述 べ る
。
一一
第 一 節
惣 国 と 寺 社 本 所 文
明 十 七 年 十 二 月
、 山 城 国 一 揆 が 成 立 し た
。 翌 十 八 年 二 月
、 国 中 掟 法 を 定 め ら れ た こ と は 広 く 知 ら れ て い る と こ ろ で あ る
。 国 中 掟 法 は 国 一 揆 成 立 時 に 定 め ら れ た 三 カ 条 の 掟 法 の 内 容 と 関 わ る
。 三 カ 条 の 内 容 は
、「 雑 事 記
」 な ど か ら
「 両 畠 山 軍 の 撤 退
」
「 寺 社 本 所 領 の 回 復
」
「 新 関 の 撤 廃
」 で あ る こ と が 明 ら か に な っ て い る
。 成 立 期 に お い て
、 寺 社 本 所
、 す な わ ち 荘 園 領 主 は 国 一 揆 の 成 立 を 非 常 に 喜 ん で い た こ と が 知 ら れ る
。 例 え ば 公 家 の 場 合
、 三 条 西 実 隆 の 日 記 で あ る
「 実 隆 公 記
」 の 文 明 十 七 年 十 二 月 十 日 条 で は 次 の 記 述 が あ る
。 自
二
御 牧
一
注 進 状 到 来
、 畠 山 両 家 勢
(
政
長
・
義
就
)
、 為
二
国 一 揆
一
可
レ
相
二
退 之
、 仍 寺 社 本 所 領 可
レ
為
レ
如
二
先 々
一
云 々
。 自 愛 々 々
。
( 二 一
) 寺 社 に つ い て は
、
「 大 乗 院 諸 領 納 帳
」 の
「 狛 野 荘 加 地 子 方 納 帳
」 の 十 二 月 条 で 次 の よ う な 記 述 が あ る
。 此 上 者
、 諸 本 所 領 毎 事 可
レ
帰
レ
本 之 由
、 一 国 中 面
〃 掟 法 置
レ
之 云
〃
。 神 慮 之 至 可
二
喜 悦
一
者 也
( 二 二
) こ の よ う に
、 特 に
「 寺 社 本 所 領 の 回 復
」 と い う 点 で
、 寺 社 本 所 で あ る 荘 園 領 主 は 国 一 揆 の 成 立 を 支 持 し て い た こ と が わ か る
。 但 し
、 手 放 し で 喜 ぶ こ と は で き な か っ た こ と は
、 多 く の 先 行 研 究 で 明 ら か に な っ て い
一二
る
。
「 雑 事 記
」 の 記 主 で あ る 大 乗 院 尋 尊 は
、 十 二 月 十 一 日 条 に お い て 次 の よ う に 記 述 し て い る
。 一
、
今 日 山 城 国 人 集 会
、 上 ハ 六 十 歳
、 下 ハ 十 五
、 六 歳 云 々
。 同 一 国 中 土 民 等 群 集
、 今 度 両 陣 時 宜 為
二
申 定
一
之 故 云 々
。 可
レ
然 歟
。 但 又 下 極(マ
マ
)
上 之 至 也
。 両 陣 之 返 事 問 答 様 如 何
、 未
レ
聞
。
( 二 三
) こ の 史 料
( 二 三
) は 両 畠 山 軍 が 撤 退 す る 前 の 段 階 で あ る
。 集 会 に 対 し て
「 可 然 歟
」 と 基 本 的 に は 支 持 し て い る も の の
、
「 下 極 上 之 至
」 と
、 心 配 し て い る こ と が わ か る
。 ま た
、 翌 文 明 十 八 年 二 月 十 三 日 条 で は 一
、
今 日 山 城 国 人 於
二
平 等 院
一
会 合
、 国 中 掟 法 猶 以 可
レ
定
レ
之 云 々
。 凡 神 妙
、 但 令
二
興 成
一
者
、 為
二
天 下
一
不
レ
可
レ
然 事 哉
。
( 二 四
) と あ り
、 国 一 揆 の 勢 力 が 大 き く な り す ぎ る こ と は 天 下 に と っ て よ く な い と し て い る
。 こ れ は
、 室 町 幕 府
―
守 護 体 制 に よ る 支 配 が 国 一 揆 に よ っ て 崩 れ る こ と を 危 惧 し て い る の で あ り
、 寺 社 本 所 に よ る 荘 園 支 配 が そ の 体 制 に よ っ て 成 り 立 っ て い た こ と も 表 し て い る
。 そ の た め
、 心 配 に な っ て い た と 考 え ら れ る
。 こ れ に つ い て
、 川 岡 氏 は
「 室 町 幕 府
―
守 護 体 制 と 結 び つ く こ と で 維 持 さ れ て き た 興 福 寺 の 支 配 が
、 嘉 吉 の 乱 を 境 に 不 安 定 と な り
、 興 福 寺 の 統 制 下 に あ っ た 衆 徒
・ 国 民 の 自 立 化 が 顕 著 に な る の で あ る
( 二 五
)
」
一三
と し
、 そ れ は 山 城 で も 同 様 で あ っ た と す る
。 土 一 揆 が 幕 府 の 軍 勢 を 以 て し て も な か な か 抑 え ら れ な か っ た と い う 事 例 も 存 在 す る
。 国 一 揆 が 成 立 す る 二 八 年 前 の 長 禄 元
( 一 四 五 七
) 年 十 月
、 山 城 の 土 一 揆 が 京 都 を 攻 め
、 管 領 細 川 勝 元 が 山 城 八 人 衆 に 警 固 を 命 じ た こ と が あ っ た
。 十 月 九 日 か ら 始 ま っ た こ の 一 揆 は
、 十 二 月 に な る ま で 終 息 し な か っ た
。 大 乗 院 経 覚 が 記 し た
「 経 覚 私 要 鈔
」 の 十 月 廿 七 日 条 で は
、 大 名 ら 幕 府 軍 が 出 陣 し て 対 応 し た こ と が わ か る
。 今 日 為
レ
払
二
土 一 揆
一
被
二
仰 付
一
歟
、 細 川 内 者 六 十 騎 計 罷 出 令
二
合 戦
一
之 処
、 安 富 二 郎 左 衛 門 尉 以 下 十 一 人
、 蔵 方 大 将 梅 墻 卜 云 者 被
レ
打 之 間
、 無
レ
程 引 退 了
。
( 中 略
) 下 極剋 上 之 至
、 狼 藉 所 行 未 曾 有 者 哉
。
( 中 略
) 今 日 為
レ
払
二
土 一 揆
一
罷 出 大 名
、 管 領 細 川 者 不
レ
及
レ
申
、
・ 同 相 模 守
(
教
之
)
・ 一 色
( 義 直
)
等 也
。 一 色 内 者 多 被
レ
打 云 々
。 不 可 説 也
。 土 一 揆 分 済(際
)
不
レ
払 沙 汰
、 武 家 之 為
レ
躰 如
レ
無 歟
。 可
レ
歎 ゝ
。
( 二 六
) こ の よ う に
、 幕 府 の 軍 勢 が 出 陣 し 鎮 圧 を は か っ た 様 子 が わ か る
。 し か し
、 土 一 揆 勢 の 前 に 一 色 氏 の 内 者 が 多 数 討 た れ る な ど の 打 撃 を 受 け た 様 子 が わ か る
。 経 覚 は こ れ に 対 し て
、 武 家 は 何 を し て い る の か と 不 満 を 漏 ら す の と 同 時 に
、 土 一 揆 の 所 行 を
「 下 極 上 之 至
」 と 表 現 し
、 そ の 力 を 恐 れ て い る 様 子 が わ か る
。 こ れ に 対 し て 国 人 が 警 固 を す る こ と に な る
。 大 乗 院 に お い て こ の よ う な 記
一四
録 が 残 っ て い る こ と が
、 国 一 揆 が 成 立 し た こ と へ の 危 惧 へ と つ な が っ た こ と が 想 定 さ れ る
。 ま た
、 そ れ 以 外 に も
、 土 一 揆 が 徳 政 を 求 め て 奈 良 に 侵 入 し
、 寺 社 に 放 火 す る こ と も た び た び あ っ た こ と も
、 国 一 揆 を 警 戒 す る 理 由 に 関 係 す る と い え る だ ろ う
。 し か し
、 寺 社 本 所 と 国 一 揆 は 大 き く 対 立 し た り
、 争 っ た り す る こ と は な か っ た
。「 寺 社 本 所 領 の 回 復
」 に は
、 次 の 内 容 が 含 ま れ る
。
( 前 略
) 於
二
成 物
一
者
、 庄 民 等 不
レ
可
レ
致
二
無 沙 汰
一
云 々
。
( 二 七
) こ の よ う に
、 荘 民 に よ る 年 貢 無 沙 汰 の 禁 止 が 含 ま れ て い た の で あ る
。 さ ら に
、 惣 国 は 国 一 揆 を 運 営 し て い く た め に
、 犯 罪 人 に 対 し て 検 断 を 行 っ て い た
。 検 断 と は
、 警 察 権 と 裁 判 権 を 合 わ せ た
「 検 断 権
」 に 基 づ い て 行 う も の で あ り
、 本 来 は 守 護 が 行 う
。 よ っ て
、 年 貢 無 沙 汰 が 発 生 し た と し て も
、 惣 国 は そ れ を 罰 す る こ と が で き る た め
、
「 寺 社 本 所 領 の 回 復
」 に は
、 相 当 な 実 効 性 が あ っ た と 想 定 で き る
。 実 際 に 惣 国 が 荘 民 を 処 罰 し た と い う 記 録 は 無 い が
、 大 乗 院 か ら 惣 国 へ 年 貢 無 沙 汰 を 通 報 す る こ と も あ り
、 寺 社 本 所 は そ れ だ け 惣 国 を 信 用 し て い た と も い え る
。 次 の 事 例 は 文 明 十 八 年 十 二 月
、 賀 茂 荘 や 綺 荘
( 木 津 川 市
) な ど の 年 貢 無 沙 汰 を 催 促 す る た め
、 国 一 揆 の 会 合 に 通 報 し た こ と を 示 し て い る
。 十 五 日
、
一五
一
、
狛 野 庄 加 地 子 無 沙 汰 事
、 依
レ
有
二
御 披 露 之 次
一
、 賀 茂 庄 并 綺 庄 十 二 大 会 料 所 タ ル 処
、 近 年 有 名 無 美 之 間
、 厳 蜜(密
)
之 付 使 可
レ
被
二
催 促
一
之 由
、 衆 中 エ 披
二
露 之
一
。 仍 衆 中 ヨ リ 山 城 国 衆 今 日 会 合 之 間
、 其 通 月 行 事 ノ 方 エ 申 遣 云 々
。
( 二 八
) こ れ は 大 乗 院 政 覚 の 日 記 の
「 政 覚 大 僧 正 記
」 で あ る が
、 料 所 が
「 有 名 無 実
」 に な っ て い る と し て
、 催 促 を 山 城 国 衆 の 集 会 に 申 し 伝 え た こ と が わ か る
。 興 福 寺 は 惣 国 を 信 用 し て い た の で あ る
。 た だ し
、 興 福 寺 は 年 貢 無 沙 汰 に つ い て 幕 府 に 訴 訟 し た り
、 ま た 荘 園 か ら 年 貢 の 損 免 を 要 求 さ れ た り す る こ と も あ っ た
。 た だ し
、 惣 国 に よ る 国 持 体 制 が 存 在 し た 八 年 間 に
、 両 者 が 争 っ た こ と は な く
、 寺 社 本 所 は む し ろ 惣 国 に よ る 自 治 を 支 持 し
、 そ れ は 領 主 側 の 紛 争 の 解 決 も 任 せ た ほ ど 信 用 さ れ る も の で あ る
。 逆 に
、 山 城 国 人 ら が 寺 社 本 所 の 普 請 に 協 力 す る こ と も あ っ た
。「 雑 事 記
」 と
「 政 覚 大 僧 正 記
」 の 長 享 三
( 一 四 八 九
) 年 六 月 十 二 日 条 に よ る と
、 狛 野 荘 の 下 司
( 狛 山 城 守 秀
) が 人 夫 を 大 乗 院 家 の 園 池 掘 り に 召 し す す め た 様 子 が わ か る
。 十 二 日 夕 立
( 雑 事 記
) 一
、
狛 野 庄 下 司
狛
山
城
守
秀
人 夫 三 十 五 人 召
二
進 之
一
、 池 堀掘
レ
之
。 此 外 御 童 子
・ 力 者
・ 又 童 子 等 召
二
出 之
一
。 七 十 余 人
、 今
一六
日 堀 立 了
。
( 二 九
) 十 二 日
( 政 覚 大 僧 正 記
) 一
、
今 日 山 城 狗 下 司
(
狛
山
城
守
秀
)
人 夫 進
レ
之
。 三 十 五 人
。
( 三
〇
) こ れ ら の こ と か ら
、 寺 社 本 所 が 惣 国 解 体
、 山 城 国 一 揆 の 崩 壊 と 結 び つ い た 可 能 性 は 低 い と い え る
。 第
二 節
惣 国 と 土 民 文
明 十 七 年 十 二 月
、 両 畠 山 軍 撤 退 な ど を 話 し 合 っ た 国 人 の 集 会 の 際
、 土 民 も 群 集 し て い た こ と は よ く 知 ら れ て い る
。 国 人 の 集 会 に 土 民 も 高 い 関 心 を 持 っ て い て
、 支 持 し て い た と い う こ と で あ る
。 国 人 の 集 会 を 土 民 が 支 持 し た 理 由 に つ い て は
、 筆 者 の 卒 業 論 文 で
「 山 城 国 人 と 現 地 土 民 が 両 者 と も
、 両 畠 山 軍 に 迷 惑 し て い た
。 そ の 中 で
、 彼 ら と そ れ に 伴 う 他 国 衆 を 排 除 す る こ と は
、 国 人 と 土 民 に と っ て
、 大 き な メ リ ッ ト で あ る と い え る
( 三 一
)
」 と い う こ と を 明 ら か に し た
。 す な わ ち
、「 両 畠 山 軍 の 撤 退
」 と い う 点 で 国 人 と 土 民 は 一 致 し た た め
、 国 一 揆 は 成 立 し た の で あ る
。 言 い 換 え れ ば
、 惣 国
(
= 国 人 衆
) の 目 指 す こ と の 一 つ に
「 両 畠 山 軍 の 撤 退
」 が あ っ た た め で あ る
。 そ の こ と が 国 人 と 土 民 の 共 通 の メ リ ッ ト で あ っ た と い う こ と に つ い て は
、 卒 業 論 文 で 述 べ た た め
、 こ こ で は 省 略 す る
。 国 一 揆 の 崩 壊 を め ぐ る 議 論 に つ い て は
、
一七
長 ら く そ の 内 部 構 造 に 矛 盾 が 起 こ っ た こ と に 求 め ら れ て き た
。 鈴 木 氏 は
、 土 民 と 国 人 の 対 立 を 内 包 し て い た こ と を 主 張 し た
。 ま た
、
「 ふ る さ と ミ ュ ー ジ ア ム 山 城
(
京 都 府 立 山 城 郷 土 資 料 館
)
( 三 二
)」 の 常 設 展 に は
、 国 一 揆 に つ い て
「 次 第 に 国 人 と 農 民 と の あ い だ に 対 立 が 生 じ
」 た と し て い る
。 国 人 と 農 民
、 な い し 惣 国 と 土 民 の 対 立 が 国 一 揆 の 崩 壊 を 招 い た と さ れ て き て い る の で あ っ て
、 そ の 見 方 が 依 然 と し て 一 般 的 な よ う で あ る
。 な お
、 鈴 木 氏 は 国 一 揆 の 終 末 期
、 国 人 同 士 の 対 立 も 指 摘 し て い る が
、 こ れ に つ い て は 後 で 検 討 す る
。 こ こ で は
、 国 人 層 で あ る 惣 国 と 土 民 の 対 立 が 国 一 揆 を 崩 壊 せ し め た か 検 討 す る
。 な お
、 は じ め に
、 惣 国 の み 関 わ っ て 行 っ て い た こ と を 述 べ
、 次 に 土 民 の み が 行 っ て い た こ と を 述 べ る
。 最 後 に
、 国 人 と 土 民 が 関 係 す る こ と に つ い て 述 べ る こ と で 検 討 を 進 め る こ と に す る
。 惣 国 は
、 こ れ ま で の 多 く の 研 究 に よ っ て
、 犯 罪 人 の 検 断
、 半 済 の 実 施
、 交 通 路 の 管 理 な ど を 行 い
、 あ ら ゆ る も の ご と を 国 一 揆 の 集 会 で 話 し 合 っ て 決 め て い た こ と が 明 ら か に な っ て い る
。 ま た
、 惣 国 の 組 織 に つ い て は
、「 国 中 掟 法
」 が 定 め ら れ た 文 明 十 八 年 二 月 十 三 日 の 国 人 集 会 以 後 に つ い て 明 ら か に な っ て い る
。 国 史 大 辞 典 に よ る と
、「 こ の と き か ら 検 断 を 中 心 と す る 南 山 城 の 支 配 は 三 十 六 人 衆 と い わ れ る 国 衆 が 中 心 と な っ て 行 わ れ
、 こ の 組 織
「 惣 国
」 の 重 要 事 項 は 集 会
一八
で 決 め ら れ る が
、 日 常 的 な 政 務 執 行 は 月 行 事 が 行 い
、 集 会 の 議 題 も 月 行 事 が 調 整 し た
。
( 三 三
)
」 と さ れ て い る
。 惣 国 の 中 で も
、 月 番 で 交 代 す る 月 行 事 が 国 一 揆 の 運 営 に 関 す る 業 務 を 行 っ て い た の で あ る
。 ま た
「 後 大 慈 三 昧 院 殿 御 記
」 の 文 明 十 八 年 条 に よ る と
、 山 城 国 人 共 一 国 成 敗
、 年 行 事
・ 月 行 事 定
レ
之
。
( 三 四
) と あ り
、 月 行 事 の ほ か
、 年 行 事 も 存 在 し て い た こ と が わ か る
。 検 断 に つ い て は
、「 雑 事 記
」 文 明 十 九 年 二 月 二 日 条 に
、 同 年 正 月
、 大 和 国 人 箸 尾 の 被 官 人 が 山 城 国 の 高 で 殺 人 を 犯 し た た め
、 惣 国 が 逮 捕 し 処 刑 し た こ と が 記 述 さ れ て い る
。 一
、
去 月
正
月
廿 五
、 六 日 事 也
。 箸 尾 金 剛 寺 披(被
)
官 人 坂 油 売
、 於
二
山 城 高
一
令
レ
殺
二
害 人
一
而 取
二
雑 物
一
了
。 仍 山 城 国 人 致
二
検 断
一
召
二
取 之
一
切 捨 了
。 山 城 之 沙 汰 次 第 神 妙 也
。 就
レ
其 坂 郷 ニ 自
二
衆 中
一
使 共 付
レ
之
。 恣(盗
)
人 沙 汰 儀 如
レ
例 也
。( 後 略
、 三 五
) こ の 処 分 に つ い て
、 尋 尊 は
「 神 妙 也
」 と 歓 迎 し て い る
。「 盗 人 沙 汰 儀 如 例 也
」 と い う こ と か ら
、 盗 人 が 現 れ た 時 に も 同 様 の 措 置 を 取 っ て い る こ と が わ か り
、 す な わ ち 検 断 は 日 常 的 な も の で あ っ た こ と が わ か る
。 ほ か に も
、 惣 国 は 本 章 第 一 節 で も 触 れ た
、 寺 社 本 所 の 紛 争 解 決 も 行 っ て い た こ と で 知 ら れ る
。 具 体 的 事 例 と し て は 文 明 十 八 年 十 一 月 に 相 楽 郡 子 守 社 の 買 得 の こ と で
、 興 福
一九
寺 の 奉 公 人 の 伊 予 守 と 高 矢 辻 子 方 が 相 論 に な っ た
。 翌 年 四 月 に は
、 石 垣 荘 の 郷 侍 が 興 福 寺 領 の 夏 麦 を 押 領 す る と い う ト ラ ブ ル が 起 こ っ た
。 尋 尊 は
、 押 領 を 非 難 し な が ら
、 伊 予 守 の 処 罰 を は じ め と し た 子 守 社 の 成 敗 を 山 城 国 人 に 委 ね た
。 寺 社 本 所 が 惣 国 を 信 用 し て い た と い う こ と は
、 第 一 節 で す で に 述 べ た
。 ま た
、 惣 国 の 意 思 決 定 機 関 と し て 集 会 が 存 在 し て い た
。 集 会 に つ い て は
、 第 一 節 の 通 り
、 日 常 的 に 行 わ れ て い た こ と が わ か る
。 一 方 土 民 に つ い て は
、 す で に 卒 業 論 文 で 明 ら か に し た が
、 国 一 揆 を 積 極 的 に 下 支 え す る よ う な 姿 勢 は 見 せ て い な い
。 土 民 は 年 貢 納 入 な ど を 行 っ た 以 外 に は
、 主 体 的 な 行 動 と し て 土 一 揆 を 起 こ し た に 留 ま る
。 延 徳 二
( 一 四 九
〇
) 年 の 十 月 か ら 十 二 月 に か け て
、 南 山 城 の 土 民 が 蜂 起 し
、 徳 政 令 を 要 求 し た
。 興 福 寺 の 官 符 衆 徒 が 徳 政 令 を 出 し た と い う 事 例 が あ る
。 例 え ば
、 雑 事 記 の 十 月 十 日 条 で は
、 一
、
就
二
馬 借 事
一
方 々 構 共 在
レ
之
。 善 勝 寺 橋 構 者
、 自
二
丑 寅 方
一
申
二
付 之
一
、 他 寺 領 内 也
。 東 大 寺 北 御 門 構 ハ
、 自
二
他 寺
一
仰
二
付 之
一
云 々
。 夜 前 ハ 法 花 寺 小 屋 焼
レ
之
。 貝 塚 辺 ニ 馬 借 共 少 々 来 歟 云 々
。 今 日 元 興 寺 札 立 之 歟 云 々
。 色 々 雑 説 共 申
、 比 興 ゝ
。
( 三 六
) と あ る
。 法 花 寺 に 放 火 し て 抗 議 す る と い う
、 か な り 過 激 な 行 動 に 出 て い る
。 そ の 後
、
二〇
官 符 衆 徒 が 会 合 し
、 棟 梁 の 古 市 澄 胤 が 徳 政 令 を 出 す の で あ る
。 寺 社 本 所 で あ る 興 福 寺 か ら す れ ば
、 こ の 土 一 揆 は 非 常 に 迷 惑 で あ る に 違 い な い
。 し か し
、 こ こ で 重 要 な の は
、 そ の 鎮 圧 を 惣 国 に 依 頼 し て い な い と い う こ と で あ る
。 先 述 し た が
、 こ の 二 か 月 間 の 土 一 揆 の 終 息 は
、 官 符 衆 徒 が 徳 政 令 を 出 し
、 徳 政 が 実 施 さ れ た こ と に よ る
。 よ っ て こ の 問 題 は 寺 社 本 所 と
、 彼 ら と 何 ら か の 貸 借 関 係 の あ る 土 民 が 関 わ る 問 題 で あ り
、 国 一 揆 全 体 と 直 接 関 係 す る 問 題 で は な か っ た の で あ る
。 よ っ て
、 土 一 揆 は 国 一 揆 と 無 関 係 に 起 こ っ て い た の で あ り
、 土 民 は 惣 国 に 対 し て と り わ け 協 力 的 と い う わ け で は な か っ た の で あ る
。 続 い て
、 惣 国 と 土 民 が か か わ る こ と に つ い て 検 討 す る
。 特 に
、 惣 国 の 行 っ た こ と の 中 で
、 半 済 の 実 施 と 交 通 路 の 管 理 に つ い て 述 べ る
。 ま ず は 半 済 の 実 施 に つ い て で あ る
。
「 雑 事 要 録
」 の 文 明 十 八 年 十 二 月 五 日 に
、 伊 勢 田 郷 に つ い て の 記 載 が あ る
。 伊 勢 田 郷 十 二 月 五 日 伊 勢 田 郷 年 貢 代 三 貫 文 当 年 国 衆 半 済
。
(
後 略
、 三 七
)
ま た
、「 雑 事 記
」 の 五 月 九 日 条 に よ る と 同 年 四 月 に は 菅 井 荘 へ の 半 済 を 実 施 し た こ と が わ か る
。 一
、
慶 英 律 師 瓶 子 持 参 了
。 宗 成 美 順
二一
房
、 同
二
道 之
一
。 管(菅
)
井 庄 ニ 自
二
月 行 事 方
一
申
二
遣 書 状
一
也
。 於
二
山 城 国 寺 社 本 所
一
雖
レ
為
二
神 領 之 内
一
、 両 三 社 之 外 者 諸 入 紐(組
)
年 貢
・ 諸 公 事 以 下
、 午 之 年 一 年 中 可
レ
為
二
半 済
一
候
。 此 趣 無
二
奸 謀
一
、 速 以 処
二
惣 国
一
仁 可
レ
被
レ
納 者 也
。 仍 而 国 之 定 如
レ
件
。 卯 月 十 一 日
惣 国 月 行 事 判 判 ス カ イ
( 三 八
) こ こ で
「 午 之 年 一 年
」 の 半 済 と な っ て い る こ と か ら
、 一 年 単 位 で の 半 済 だ っ た こ と が わ か る
。 ま た
、「 両 三 社
」 と あ る が
、 こ れ に つ い て
、 熱 田 公 氏
( 三 九
) は
、 伊 勢 神 宮
・ 石 清 水 八 幡 宮
・ 春 日 社 で あ る と し て い る
。 史 料
( 三 八
) か ら は 惣 国 が
、 菅 井 荘 は
「 両 三 社
」 の 荘 園 で あ る と い う 認 識 が な い た め
、 半 済 を 課 そ う と し て い る こ と が わ か る
。 言 い 換 え れ ば
、 惣 国 は
「 両 三 社
」 に は 半 済 を 課 さ な い と い う 方 針 を 持 っ て い た と い え る
。 こ の こ と は 三 カ 条 の 掟 法 に は 記 さ れ て い な い た め
「 国 中 掟 法
」 も し く は 国 人 集 会 で 決 め ら れ た こ と で あ る と 考 え ら れ る
。 ま た
、 同 史 料 中 に は 菅 井 荘 か ら の 返 事 も 残 さ れ て い る
。 返 事 就
二
当 年 国 中 之 半 済
一
候 て
、 御 折 紙 委 細 拝 見 仕 候
。 仍 此 方 者 御 本 所 為
二
大 乗 院 殿
一
、 春 日 為
二
御 神 楽
一
米 に て 候 間
、 御 除
二二
之 在 所 而 可
レ
有 候
。 諸 篇 御 目 出 度 候
。 恐 惶 謹 言
。 卯 月 廿 三 日
す か い 惣 庄 月 行 事 御 返 報
( 三 八
) こ れ に よ る と
、 菅 井 荘 は 大 乗 院 が 本 所 で あ り
、 神 楽 米 を 収 め て い る か ら
、 半 済 の 対 象 か ら 除 外 し て ほ し い と い う 旨 を 返 事 し て い る こ と が わ か る
。 そ の 後
、 菅 井 荘 か ら 半 済 が 納 め ら れ た か ど う か を 示 す 史 料 は 残 っ て い な い
。 そ れ 以 降
、 惣 国 に よ る 半 済 の 記 録 は 残 さ れ て い な い た め
、 菅 井 荘 の ほ か
、 寺 社 本 所 領 へ の 半 済 の 実 施 は 行 わ れ な か っ た 可 能 性 が 高 い
。 菅 井 荘 の 抗 議 の 事 例 に つ い て は
、 土 民 に と っ て は
「 こ こ は 半 済 の 対 象 で は な い
」 と い う こ と を 確 認 す る 程 度 の も の で あ り
、 対 立 と い う よ り は 異 議 申 し 立 て に 近 い と い え る
。 次 は
、 交 通 路 の 管 理 に つ い て で あ る
。 三 カ 条 の 掟 法 に は
「 新 関 の 廃 止
」 が 存 在 す る
。 す な わ ち 両 畠 山 軍 と そ れ に 伴 っ て 山 城 に 入 国 し て き た 他 国 衆 が 兵 糧 や 戦 費 の 調 達 の た め
、 新 設 し た 関 所 を
、 廃 止 す る と い う こ と で あ る
。 関 銭 徴 収 を 目 的 に 立 て ら れ る 関 所 は
、 そ の 地 域 の 通 行 の 妨 げ で あ る
。 よ っ て
、 そ の 撤 廃 は 土 民 の み な ら ず 国 人 も
、 そ し て 山 城 を 通 行 す る 人 々 に と っ て も あ り が た い こ と で あ っ た
。 応 仁 の 乱 後 の 山 城 国 内 の 新 関 の 設 置 状 況 を 示 す の が
、「 雑 事 記
」 の 文 明 十 七 年 七 月 十 一 日 条 で あ る
。
二三
一
、
自
二
京 都
一
御 返 事 共 到 来
。 山 城 路 次 関 以 下 事
、 徳 力 申 上 分
、 木 津 渡 狛 橋 賃
与 次 郎 関 申 出 之
。 与 次 郎 関 申
二
出 之
一
。 伊 賀 衆 関
郡 公 事 申 出 之
。 郡 公 事 申 出 之
。 宇 治 橋 賃
法 性 寺 関 申 出 之
。 大(内
)
裏 御 料 所 云 々
。 希 代 不 思 儀 事 也
。 京 都 近 所 如
レ
此 任
二
雅 意
一
、 以 外 事 也
。( 四
〇
) こ の 中 の
「 伊 賀 衆 関
」 と い う 文 言 か ら わ か る よ う に
、 他 国 衆 が 山 城 に 侵 入 し 新 関 を 設 置 し て い た こ と が わ か る
。 ま た
、
「 任 雅 意
」 と い う と こ ろ か ら
、 関 所 が 乱 立 し て い た こ と が わ か る
。 川 岡 氏
( 四 一
) に よ る と
、 大 乗 院 経 覚 に 対 し て 六
〇
〇 以 上 の 関 所 の 乱 立 が 報 告 さ れ て い た
。 脇 田 氏
( 四 二
) に よ る と
、 八 幡 神 人 が 数 百 の 新 関 を 立 て て い た
。 そ れ を 示 す の が
、「 雑 事 記
」 の 文 明 十 五 年 九 月 十 二 日 条 で あ る
。「 然 間
、 八 幡 神 人 等 及
二
数 百 个 所
一
令
レ
立
二
新 関
一
者 也
、 依 本 関 一 向 破 了
( 四 二
)
」 と あ り
、 八 幡 神 人 は 新 関 を 設 置 す る の み で な く
、 本 関 を 潰 し て い た こ と が わ か る の で あ る
。 な お
、 氏 に よ る と
、 淀 川 の 河 上 本 関 は
、 興 福 寺 五 个 関
・ 春 日 具 菜 関
・ 当 門 跡 二 箇 所 関 で あ る
。 か か る 理 由 の た め
、「 新 関 の 廃 止
」 は 非 常 に 喜 ば し い も の で あ っ た は ず で あ る
。 こ の
「 新 関 の 廃 止
」 は
「 両 畠 山 軍 の 撤 退
」 と 合 わ せ る こ と で 実 効 性 を 持 っ た
。 戦 費 調 達 を 行 う 軍 勢 が い な く な っ た こ と で
、 は じ め て 新 関 を 廃 止 す る こ と が で き た の で あ る
。
二四
し か し
、 明 応 元
( 一 四 九 二
) 年 の 十 月 か ら 十 一 月 に か け
、 山 城 国 人 が 立 て た 新 関 を 狛 野 荘 よ り 迷 惑 と 訴 え ら れ
、 管 領 細 川 政 元 が 撤 去 さ せ る と い う こ と が 起 こ っ た
。
「 雑 事 記
」 の 明 応 元 年 十 月 廿 日 条 と 十 一 月 八 日 条 に よ る と 次 の と お り で あ る
。 廿 日 一
、
山 城 国 新 関 事
、 迷 惑 珍 事 旨
、 自
二
狛 野 庄
一
訴 状 進
レ
之
。 自
二
木 津 庄
一
一 条 院 殿 ニ 同 申 上 歟 云 々
。 則 此 子 細 御 注 進 之 山 城 国 人 百 人 分 同 心 申 合 立 云 々
。
( 四 三
) 八 日 一
、
山 城 国 三 个 所 之 新 関 共
、 昨 日
・ 今 日 ニ 皆 以 上
レ
之
、 細 川
( 政 元
)
成 敗 云 々
。 江 州 儀 厳 蜜(密
)
之 間
、 如
レ
此 申 付 云 々
。
( 四 四
) 特 に 史 料
( 四 三
) よ り
、 こ の 関 所 は
「 国 人 百 人
」 が 同 心 し た と い う と こ ろ か ら
、 こ の 新 関 は 惣 国 の 意 思 で 設 置 さ れ た こ と が わ か る
。 そ れ を 土 民 が 迷 惑 で あ る と 訴 え た の で あ る
。 土 民 に と っ て は
「 新 関 の 廃 止
」 が 約 束 さ れ て い た は ず な の に
、 新 関 を 惣 国 が 立 て て し ま う の だ か ら
、 迷 惑 だ と 思 う の は 当 然 で あ る
。 こ こ ま で
、 惣 国 と 土 民 に つ い て 確 認 し て き た が
、 特 に 惣 国 と 土 民 に 関 係 の あ る 事 柄 か ら
、 土 民 は 惣 国 に 対 し て
、 彼 ら が
「 国 中 掟 法
( な い し 三 カ 条 の 掟 法
)
」 を 破 っ た と 思 わ れ た と き は 異 議 申 し 立 て を 行 っ て い る
。
二五
土 民 の 立 場 か ら 見 る と
、 自 身 ら に は 非 が な い の に 追 加 の 収 奪 さ れ る の で あ り
、 そ れ に は 抵 抗 し よ う と す る の で あ る
。 こ れ は
、 鈴 木 氏 の い う よ う な
「 名 主 層 の 裏 切 り
」 と と ら え る こ と も で き る か も し れ な い
。 鈴 木 氏 や ふ る さ と ミ ュ ー ジ ア ム 山 城 な ど は
、 土 民 と 国 人 の 対 立 を 国 一 揆 崩 壊 の 要 因 の 一 つ と し て い る
。 確 か に
、 こ れ は 惣 国 に 対 し て 土 民 が 反 発 し て い る と い え
、 両 者 の 対 立 と す る こ と は で き る
。 し か し
、 こ れ を 国 一 揆 崩 壊 の 要 因 と と ら え る こ と に は 慎 重 で な け れ ば な ら な い
。 土 民 が 行 っ た こ と は あ く ま で 異 議 申 し 立 て ま で で あ り
、 国 人 に 対 し 戦 い を 挑 む こ と は な く
、 小 規 模 な も の で あ っ た
。 自 力 救 済 を す る つ も り は な か っ た の で あ る
。 新 関 を 撤 廃 さ せ た の も
( 四 四
)
、 細 川 政 元 で あ っ て
、 土 民 で は な い
。 こ れ は 注 目 す べ き で あ る が
、 第 三 章 第 三 節 で 述 べ る こ と に す る
。 惣 国 は 土 民 の 行 動 や 両 者 の 対 立 に よ っ て 直 ち に 解 体 に 追 い 込 ま れ た わ け で は な い
。 国 人 の 立 て た 新 関 が 撤 廃 さ れ
、 そ れ か ら お よ そ 十 ヶ 月 後 に 国 一 揆 は 終 わ り を 迎 え る が
、 そ の 要 因 は 土 民 と の 対 立 で は な い
。 む し ろ
、 新 関 を 撤 廃 さ せ た 細 川 政 元 ら
、 室 町 幕 府 の 行 動 や そ れ に 伴 う 一 連 の 流 れ に よ る と こ ろ が 大 き い
。 ま た
、 鈴 木 氏 は 山 城 国 一 揆 の 崩 壊 の 理 由 に つ い て
、 国 人 同 士 の 内 部 対 立 を 内 包 し て い た こ と を 挙 げ て い る が
、 そ れ は 室 町 幕 府 の 山 城 国 一 揆 へ の 対 応 に か か わ る