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山城国一揆の崩壊について-「惣国」の解体-

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

山城国一揆の崩壊について‑「惣国」の解体‑

著者 松野 哲哉

発行年 2020‑03‑25

URL http://hdl.handle.net/10105/00013299

(2)

令 和 元 年 度

修 士 論 文

山 城 国 一 揆 の 崩 壊 に つ い て

「 惣 国

」 の 解 体 ―

奈 良 教 育 大 学 大 学 院 教 育 学 研 究 科

修 士 課 程 教 科 教 育 専 攻

社 会 科 教 育 専 修 一 八 三 二

〇 五

松 野

哲 哉

(3)

目 次

は じ め に

( 三

) 第

一 章

惣 国 と 寺 社 本 所

、 土 民

、 室 町 幕 府

( 九

第 一 節

惣 国 と 寺 社 本 所

一 一

第 二 節

惣 国 と 土 民

( 一 六

第 三 節

惣 国 と 室 町 幕 府

( 二 六

) 第

二 章

惣 国 の 解 体 と 国 一 揆 の 崩 壊

( 三 三

第 一 節

明 応 の 政 変

( 三 三

第 二 節

伊 勢 貞 陸 と 惣 国

( 四 二

第 三 節

稲 屋 妻 城 の 戦 い

( 五

) 第

三 章

山 城 国 と 二 つ の

「 り ょ う ご く

」 化

( 五 六

第 一 節

室 町 幕 府 の 山 城 御 料 国 化

( 五 七

第 二 節

細 川 京 兆 家 の 山 城 領 国 化

( 七 一

) お

わ り に

( 八 五

) 参

考 文 献

( 九 一

) 山

城 国 一 揆 関 連 年 表

( 一

〇 六

) 謝

( 一

〇 七

(4)

は じ め に

本 稿 は

、 筆 者 の 卒 業 論 文

「 山 城 国 一 揆 に お け る 一 揆 結 合

『 惣 国

』と

『 土 民

( 一

」 で の 課 題 で あ っ た

、 山 城 国 一 揆

( 以 下

「 国 一 揆

) の 崩 壊 に つ い て 述 べ る も の で あ る

。 国 一 揆 の 崩 壊 に は 明 応 の 政 変 や

、 そ れ に 伴 い 山 城 国 へ 積 極 的 に 進 出 し て く る 守 護 伊 勢 貞 陸

、 ま た 細 川 政 元 の 動 き が 関 わ っ て く る が

、 前 稿 で は そ れ ら に つ い て の 検 討 が 不 十 分 で あ っ た

。 本 稿 の 課 題 に つ い て は の ち に 詳 し く 述 べ る

。 国 一 揆 の 研 究 は

、 特 に そ の 崩 壊 に つ い て 論 点 を 絞 る と

、 二 つ の 系 統 が あ る と 考 え ら れ る

。 一 つ 目 は

、 国 一 揆 に 内 部 矛 盾 が あ り

、 そ れ が 原 因 で あ る と す る 研 究 で あ る

。 国 一 揆 研 究 の 嚆 矢 と さ れ る 三 浦 周 行 氏 は

、 そ の 崩 壊 を

『 大 乗 院 寺 社 雑 事 記

』 明 応 二

( 一 四 九 三

) 年 八 月 十 八 日 の 条 に よ れ ば

、 そ の 頃 は 国 人 ら も 漸 く こ の 一 異 例 た る 伊 勢 氏 の 山 城 守 護 を 戴 く こ と に 向 か っ て 同 意 せ り

。 し か る に 貞 宗 が 相 楽

、 綴 喜 の 二 郡 を 大 和 の 古 市 澄 胤 に 与 う る に 及 び

、 国 民 の 間 内 訌 を 生 じ

、 こ れ を 喜 ば ざ る も の 数 百 人 は 稲 屋 妻 城 に よ り て そ の 入 部 を 拒 み し も

、 勝 た ず し て 城 陥 れ り

( 二

」 と し て い る

。 こ こ で い う と こ ろ の

「 国 民

」 は

「 国 人

」 と 区 別 さ れ て 書 か れ て い る こ と か ら

、「 内 訌

」 と は 国 人 同 士 の 対 立

、 そ し て 国 人 と 土 民 の 対 立 の 両 方 が 崩 壊

(5)

に 関 連 す る と し た こ と が わ か る の で あ る

。 鈴 木 良 一 氏 は

、 山 城 国 の 農 民 が

「 寺 社 本 所 領 の 恢 復 を ね が っ て い る の を 利 用 し 手 段 と し ふ み 台 と し た の で あ る

。 だ か ら 国 一 揆 は は じ め か ら 崩 れ る 原 因 を も っ て い た

( 三

」 と 把 握 し た

。 そ し て

、 そ の 崩 壊 は

、 当 初 掲 げ ら れ て い た 寺 社 本 所 領 の 恢 復 の 名 目 を 捨 て た だ け と し た

。 ま た 鈴 木 氏 は 国 人 の 間 に も 内 部 分 裂 を 生 じ て い た と し た

。 国 人 尾 一 部 は 古 市 氏 と 結 び

「 新 し い 封 建 支 配

( 三

」 を 目 指 し た の に 対 し

、 細 川 方 の 国 人 は 封 建 支 配 の 分 け 前 に 預 か ら な か っ た た め

、 古 市 の 軍 勢 に 対 抗 し た と し た

。 柳 千 鶴 氏 は

「 山 城 国 一 揆 崩 壊 の 時 期 を

、 従 来 の 研 究 に お い て は 明 応 二 年 八 月 一 八 日 の 国 一 揆 に よ る 守 護 職 承 認 か ら

、 同 年 九 月 一 一 日 の 稲 八 妻 落 城 に か け て の 一 連 の 事 件 に 求 め て き た

。 も ち ろ ん

、 こ れ ら は 一 連 の 関 係 を 持 つ 事 件 で あ り

、 切 り 離 し て 論 ず る こ と は で き な い が

、 前 章 に 述 べ た 問 題 を 含 め て 考 え る な ら ば

、 一 揆 が 守 護 職 を 承 認 し た 八 月 一 八 日 と い う 時 点 を 重 視 し た い

( 四

」 と し て

、 そ の こ と を

「 国 一 揆 が 守 護 職 を 認 め る と い う こ と は

、 守 護 職 や 直 務 の 問 題 だ け で は な く

、 そ の 守 護 権 の 国 持 ち 体 制 の 自 己 否 定 に ほ か な ら な い

( 四

」 と し た

。 こ の こ と は

、 守 護 不 入 権 を 確 保 し

、 自 ら そ れ を 代 行 す る と こ ろ に 国 持 体 制 の 意 味 が あ る と す る も の で あ る た め 重 要 で あ る

。 ま た

、 八 月 半 ば の 国 人 に よ る 守 護 職 承 認 と

、 九 月 以

(6)

後 の 戦 闘 を 分 け て 考 え る こ と も 重 要 な こ と で あ る と い え る

。 た だ

、 守 護 職 を 承 認 し た 理 由 は 内 部 矛 盾 で あ る と し た

。 こ こ ま で 挙 げ て き た 通 り

、 国 一 揆 の 崩 壊 に つ い て の 議 論 は

、 国 一 揆 内 で の 内 部 矛 盾 が 原 因 で あ る と さ れ て き た

。 内 部 矛 盾 に つ い て は ほ か に 熱 田 公 氏

( 五

) な ど も 挙 げ ら れ る

。 そ の 中 で

、 国 一 揆 崩 壊 に 対 す る 二 つ 目 の 視 角 が 出 て く る の で あ る

。 そ れ は

、 山 城 国 一 揆 お よ び そ の 解 体 と 室 町 幕 府 と の 関 係 を 考 察 す る 研 究 で あ る

。 こ の 研 究 動 向 に は

、 さ ら に

、 二 つ に 分 け る こ と が で き る

。 一 つ は 国 一 揆 の 解 体 を 幕 府 の 崩 壊 過 程 の 中 に 位 置 づ け る も の で あ る

。 永 原 慶 二 氏

( 六

) 黒 川 直 則 氏

(

)

・ 石 田 晴 男 氏

(

)

・ 田 中 淳 子 氏

(

)

等 が あ げ ら れ

、 ま た

、 先 述 し た が 柳 千 鶴 氏

( 十

)( 十 一

) も こ の 動 向 に 沿 っ て 研 究 し た と も い え る

。 田 中 氏 は

、 被 官 関 係 の 積 み 重 ね の 上 に 成 立 し た 細 川 京 兆 家 の 山 城 支 配 は 幕 府

守 護 支 配 と は 全 く 異 質 な も の で あ っ た と 捉 え た 上 で

、 文 明 十 年 以 降

、 山 城 で は 幕 府 の 御 料 国 支 配 と 京 兆 家 の 領 国 化 が 同 時 並 行 的 に 展 開 し

、 や が て 京 兆 家 に よ る 山 城 領 国 化 は

、 伊 勢 氏 の 守 護 支 配 を 侵 食

・ 凌 駕 し て 幕 府 の 御 料 国 化 を 挫 折 さ せ

、 自 ら の 内 衆 で あ る 香 西 元 長

・ 赤 沢 朝 経 を 伊 勢 氏 の 守 護 代 に 就 任 さ せ る こ と で 完 成 を み た と 主 張 し た

。 こ う し て

、 幕 府

守 護 支 配 は 否 定 さ れ た と い う

(7)

の で あ る

。 も う 一 つ は

、 国 一 揆 の 解 体 を 室 町 幕 府

守 護 体 制 の 再 建 過 程 に 位 置 づ け る も の で あ る

。 川 岡 勉 氏

( 十 二

)( 十 三

) や 山 田 康 弘 氏

( 十 四

)( 十 五

) で あ る

。 山 田 氏 は

、 幕 政 を 主 導 し た の は 政 元 や そ の 内 衆 で は な く

、 政 変 の 一 翼 を 担 っ た 伊 勢 氏 を 中 心 と す る 直 臣 勢 力 が 幼 少 の 将 軍 の 権 限 を 代 行 す る 形 で 幕 政 運 営 に 当 た っ た こ と を 明 ら か に し て い る

。 政 元 は 将 軍 権 力 と の 関 係 を 安 定 的 に 維 持 す る こ と に 留 意 し な が ら 勢 力 拡 大 を 図 っ て い く の で あ り

、 伊 勢 氏 の 山 城 守 護 職 を 尊 重 す る 動 き を 示 す の も そ の た め で あ る

。 山 城 に お い て 守 護 伊 勢 氏

守 護 代 京 兆 家 内 衆 と い う 体 制 が 生 ま れ た の は

、 京 兆 家 に よ る 山 城 領 国 化 が 幕 府

守 護 支 配 を 否 定 し た こ と を 意 味 す る わ け で は な く

、 守 護 伊 勢 氏 と 細 川 政 元 の 協 調 関 係 の 表 わ れ と 捉 え ら れ る

。 戦 国 期 の 畿 内 で は

、 細 川 京 兆 家 の 影 響 力

、 と り わ け そ の 被 官 人 支 配 を 組 み 込 む 形 で 幕 府

守 護 体 制 の 維 持

・ 再 建 へ の 努 力 が 続 け ら れ た と み る べ き と し た

。 こ こ で

、 改 め て 本 稿 の 課 題 を 定 め た い

。 国 一 揆 崩 壊 と 幕 府 の 関 係 を 考 察 す る こ と は

、 国 一 揆 崩 壊 後 の 畿 内 幕 府 政 治 の 状 況 を 明 ら か に す る こ と が で き る と い え る

。 よ っ て

、 惣 国 の 解 体 及 び 国 一 揆 の 崩 壊 の 要 因 は 何 か

、 そ し て 国 一 揆 の 崩 壊 が 幕 府 に 与 え た 影 響 は 何 か

、 と い う 二 点 に つ い て 考 察 す る

。 第 一 章 で は

、 主 に 惣 国 と 寺 社 本 所

(8)

室 町 幕 府

、 ま た 土 民 と の 関 係 を 確 認 す る

。 そ の 中 で

、 国 一 揆 崩 壊 の 要 素 と な る も の が あ る か ど う か 考 察 す る

。 特 に

、 山 城 国 一 揆 の 崩 壊 に つ い て

、「 内 部 矛 盾

」 を 理 由 と す る 見 解 が 多 い た め で あ る

。 第 二 章 で は

、 惣 国 解 体 と 国 一 揆 崩 壊 の 様 子 に つ い て 検 討 す る

。 特 に

、 明 応 の 政 変 か ら 稲 屋 妻 城 の 戦 い に 至 る ま で を 概 観 す る

。 ま た

、 守 護 伊 勢 氏 と 惣 国 の 関 係 に つ い て も 確 認 す る

。 第 三 章 で は 国 一 揆 崩 壊 後 の 幕 政 の 様 子 を 確 認 し

、 山 城 国 が ど の よ う に 支 配 さ れ た か 見 る こ と で

、 国 一 揆 崩 壊 が 幕 政 に 与 え た 影 響 に つ い て 考 察 す る

。 特 に

、 室 町 幕 府 の 中 心 的 な 財 政 政 策 で あ る

「 山 城 御 料 国 化

」 と

、 そ れ と 並 行 し て 進 め ら れ た 細 川 京 兆 家 の

「 山 城 領 国 化

」 に つ い て 検 討 す る

。 本 稿 に お い て

、 十 代 将 軍 足 利 義 稙

と 十 一 代 将 軍 義

を た び た び 挙 げ る

。 義 稙 は 将 軍 に 就 任 し た 頃

「 義 材

」 と 名 乗 り

、 そ の 後

「 義 尹

、 最 後 に

「 義 稙

」 と 名 乗 っ た

。 義 澄 も

、 将 軍 就 任 前 は

「 義 遐

」 で あ っ た が

、 就 任 を 機 に

「 義

」 と 改 め

、 最 後 に

「 義 澄

」 と 名 乗 っ た

。 本 稿 で は

、 す べ て

「 義 稙

」 と

「 義 澄

」 に 統 一 す る

。 但 し

、 史 料 や 文 献 を 引 用 す る 際 は そ の 限 り で な い

。 こ の 後 の 将 軍 の 家 系 図 を 示 す

。 こ の 図 は 浜 口 誠 至 氏

( 十 六

) か ら の 転 載 で あ る

。 な お

、 将 軍 就 任 の 順 を 表 す 番 号 を 加 筆 し た

(9)

(10)

第 一 章

惣 国 と 寺 社 本 所

、 土 民

、 室 町 幕 府

本 章 で は

、 惣 国 と 寺 社 本 所

、 土 民

、 室 町 幕 府 が ど の よ う に 関 係 し て い た か 確 認 し

、 そ れ ら の 勢 力 が 惣 国 の 解 体 や 国 一 揆 の 崩 壊 に か か わ っ た の か ど う か 検 討 す る

。 第 一 節 で は

、 惣 国 と 寺 社 本 所 の 両 者 が ど の よ う に か か わ っ た か 確 認 す る

。 第 二 節 で は

、 惣 国 と 土 民 の 関 わ り を 確 認 す る

。 鈴 木 氏 以 来

、 国 一 揆 崩 壊 の 理 由 の 一 つ と し て 土 民 と 国 人 の 対 立 が あ げ ら れ る こ と が 多 か っ た た め

、 土 民 の 動 き を 確 認 す る こ と は

、 崩 壊 に つ い て 検 討 す る に あ た り 有 意 義 で あ る

。 第 三 節 で は

、 室 町 幕 府 と の 関 係 を 検 討 す る

。 山 田 氏 は

「 国 一 揆 と 伊 勢 氏 は 互 い に 相 手 に 対 し て 関 心 を 持 た ざ る を 得 な い 状 況 に あ っ た

( 十 七

」 と し て い る

。 す な わ ち

、 幕 府 と 惣 国 は 互 い に 存 在 を 意 識 し あ う 存 在 で あ っ た と い う こ と で あ る

。 そ の た め

、 両 者 の 関 係 を 検 討 す る こ と が 国 一 揆 崩 壊 の 理 由 を 考 察 す る こ と に 資 す る の で あ る

。 こ の よ う な 流 れ で 論 を 進 め る こ と に す る

。 ま ず

、 惣 国 と は 何 か 示 し た い

。 川 岡 氏

( 十 八

) に よ る と

、 国 人 た ち は

『 惣 国

』 と い う 組 織 を 作 り

、 自 主 的 に 南 山 城 を 支 配 す る 体 制

」 を 形 成 す る と し た

。 す な わ ち

、「 南 山 城 に お け る 地 域 的 な 権 力 秩 序 を 担 う 存 在

」 と い う こ と で あ る

。 以 前 は

「 惣 国

」 と

「 惣 国 一 揆

」 が 混 同 さ れ て 研 究 さ れ て い た が

、 そ れ に 対 し て は 批

(11)

一〇

判 さ れ て い る

。「 惣 国

」 に つ い て は 川 岡 氏 の 見 解 で 一 致 し た と い っ て よ い だ ろ う

。 ち な み に

、 筆 者 は 卒 業 論 文 で

、 惣 国 と は

「 国 一 揆 を 運 営 す る 主 体

( 十 九

」 と し た

。 研 究 の 動 向 か ら

、 本 稿 で は 川 岡 氏 の 定 義 を 用 い る

。 惣 国 を 構 成 し た 山 城 国 人 た ち は

「 山 城 国 三 十 六 人 衆

」 や

「 山 城 国 衆 三 十 六 人

、 ま た は

「 山 城 国 三 十 八 人 衆

」 な ど と 呼 ば れ る

。 そ の 前 身 と さ れ る の が

「 山 城 国 十 六 人 衆

」 で あ る

。 そ こ に 列 挙 さ れ た 国 人 は

、 そ の 後 惣 国 に 参 加 し た 可 能 性 が 高 い

。 三 十 六 人 衆 の 具 体 的 な 人 名 を 調 べ る こ と は 史 料 の 制 約 上 難 し い が

、 十 六 人 衆 と 呼 ば れ た 国 人 で あ れ ば

、 数 人 の 名 前 を 確 認 す る こ と が で き る

「 大 乗 院 寺 社 雑 事 記

( 以 下

「 雑 事 記

」 の 文 明 二

( 一 四 七

) 年 七 月 廿 三 日 条 で は

、 応 仁 の 乱 に お い て

、 敗 北 し た 十 六 人 衆 の 国 人 の う ち

、 四 人 の 名 前 が 記 録 さ れ て い る

。 一

筒 井 方

申 給 山 城 宇 治

・ 水 牧

・ 山 階 等

、 悉 以 東 方 没 落

、 十 六 人

、 細 川

方 披 官 十 二 人

、 西 方 ニ 降 参 了

。 今 四 人 ハ

、 木 津

・ 田 ナ ヘ

・ 井 手 別 所

・ 狛

。 於

此 分

、 定 可

没 落

。 然 者 山 城 事

、 悉 以 可

西 方

( 後 略

、 二 十

) こ れ に よ る と

、 木 津

、 田 辺

、 井 出 別 所

、 狛 と い う 名 前 が 確 認 で き る

。 彼 ら の よ う な 山 城 国 人 が

、 の ち に 惣 国 を 構 成 し た と 考 え ら れ る の で あ る

。 彼 ら 国 人 の 多 く は 細 川 被 官 で あ っ た と い う こ と に つ い て は 後 で 述 べ る

(12)

一一

第 一 節

惣 国 と 寺 社 本 所 文

明 十 七 年 十 二 月

、 山 城 国 一 揆 が 成 立 し た

。 翌 十 八 年 二 月

、 国 中 掟 法 を 定 め ら れ た こ と は 広 く 知 ら れ て い る と こ ろ で あ る

。 国 中 掟 法 は 国 一 揆 成 立 時 に 定 め ら れ た 三 カ 条 の 掟 法 の 内 容 と 関 わ る

。 三 カ 条 の 内 容 は

、「 雑 事 記

」 な ど か ら

「 両 畠 山 軍 の 撤 退

「 寺 社 本 所 領 の 回 復

「 新 関 の 撤 廃

」 で あ る こ と が 明 ら か に な っ て い る

。 成 立 期 に お い て

、 寺 社 本 所

、 す な わ ち 荘 園 領 主 は 国 一 揆 の 成 立 を 非 常 に 喜 ん で い た こ と が 知 ら れ る

。 例 え ば 公 家 の 場 合

、 三 条 西 実 隆 の 日 記 で あ る

「 実 隆 公 記

」 の 文 明 十 七 年 十 二 月 十 日 条 で は 次 の 記 述 が あ る

。 自

御 牧

注 進 状 到 来

、 畠 山 両 家 勢

、 為

国 一 揆

退 之

、 仍 寺 社 本 所 領 可

先 々

云 々

。 自 愛 々 々

( 二 一

) 寺 社 に つ い て は

「 大 乗 院 諸 領 納 帳

」 の

「 狛 野 荘 加 地 子 方 納 帳

」 の 十 二 月 条 で 次 の よ う な 記 述 が あ る

。 此 上 者

、 諸 本 所 領 毎 事 可

本 之 由

、 一 国 中 面

〃 掟 法 置

之 云

。 神 慮 之 至 可

喜 悦

者 也

( 二 二

) こ の よ う に

、 特 に

「 寺 社 本 所 領 の 回 復

」 と い う 点 で

、 寺 社 本 所 で あ る 荘 園 領 主 は 国 一 揆 の 成 立 を 支 持 し て い た こ と が わ か る

。 但 し

、 手 放 し で 喜 ぶ こ と は で き な か っ た こ と は

、 多 く の 先 行 研 究 で 明 ら か に な っ て い

(13)

一二

「 雑 事 記

」 の 記 主 で あ る 大 乗 院 尋 尊 は

、 十 二 月 十 一 日 条 に お い て 次 の よ う に 記 述 し て い る

。 一

今 日 山 城 国 人 集 会

、 上 ハ 六 十 歳

、 下 ハ 十 五

、 六 歳 云 々

。 同 一 国 中 土 民 等 群 集

、 今 度 両 陣 時 宜 為

申 定

之 故 云 々

。 可

然 歟

。 但 又 下 極

上 之 至 也

。 両 陣 之 返 事 問 答 様 如 何

、 未

( 二 三

) こ の 史 料

( 二 三

) は 両 畠 山 軍 が 撤 退 す る 前 の 段 階 で あ る

。 集 会 に 対 し て

「 可 然 歟

」 と 基 本 的 に は 支 持 し て い る も の の

「 下 極 上 之 至

」 と

、 心 配 し て い る こ と が わ か る

。 ま た

、 翌 文 明 十 八 年 二 月 十 三 日 条 で は 一

今 日 山 城 国 人 於

平 等 院

会 合

、 国 中 掟 法 猶 以 可

之 云 々

。 凡 神 妙

、 但 令

興 成

、 為

天 下

然 事 哉

( 二 四

) と あ り

、 国 一 揆 の 勢 力 が 大 き く な り す ぎ る こ と は 天 下 に と っ て よ く な い と し て い る

。 こ れ は

、 室 町 幕 府

守 護 体 制 に よ る 支 配 が 国 一 揆 に よ っ て 崩 れ る こ と を 危 惧 し て い る の で あ り

、 寺 社 本 所 に よ る 荘 園 支 配 が そ の 体 制 に よ っ て 成 り 立 っ て い た こ と も 表 し て い る

。 そ の た め

、 心 配 に な っ て い た と 考 え ら れ る

。 こ れ に つ い て

、 川 岡 氏 は

「 室 町 幕 府

守 護 体 制 と 結 び つ く こ と で 維 持 さ れ て き た 興 福 寺 の 支 配 が

、 嘉 吉 の 乱 を 境 に 不 安 定 と な り

、 興 福 寺 の 統 制 下 に あ っ た 衆 徒

・ 国 民 の 自 立 化 が 顕 著 に な る の で あ る

( 二 五

(14)

一三

と し

、 そ れ は 山 城 で も 同 様 で あ っ た と す る

。 土 一 揆 が 幕 府 の 軍 勢 を 以 て し て も な か な か 抑 え ら れ な か っ た と い う 事 例 も 存 在 す る

。 国 一 揆 が 成 立 す る 二 八 年 前 の 長 禄 元

( 一 四 五 七

) 年 十 月

、 山 城 の 土 一 揆 が 京 都 を 攻 め

、 管 領 細 川 勝 元 が 山 城 八 人 衆 に 警 固 を 命 じ た こ と が あ っ た

。 十 月 九 日 か ら 始 ま っ た こ の 一 揆 は

、 十 二 月 に な る ま で 終 息 し な か っ た

。 大 乗 院 経 覚 が 記 し た

「 経 覚 私 要 鈔

」 の 十 月 廿 七 日 条 で は

、 大 名 ら 幕 府 軍 が 出 陣 し て 対 応 し た こ と が わ か る

。 今 日 為

土 一 揆

仰 付

、 細 川 内 者 六 十 騎 計 罷 出 令

合 戦

之 処

、 安 富 二 郎 左 衛 門 尉 以 下 十 一 人

、 蔵 方 大 将 梅 墻 卜 云 者 被

打 之 間

、 無

程 引 退 了

( 中 略

) 下 極 上 之 至

、 狼 藉 所 行 未 曾 有 者 哉

( 中 略

) 今 日 為

土 一 揆

罷 出 大 名

、 管 領 細 川 者 不

・ 同 相 模 守

・ 一 色

等 也

。 一 色 内 者 多 被

打 云 々

。 不 可 説 也

。 土 一 揆 分 済

払 沙 汰

、 武 家 之 為

躰 如

無 歟

。 可

歎 ゝ

( 二 六

) こ の よ う に

、 幕 府 の 軍 勢 が 出 陣 し 鎮 圧 を は か っ た 様 子 が わ か る

。 し か し

、 土 一 揆 勢 の 前 に 一 色 氏 の 内 者 が 多 数 討 た れ る な ど の 打 撃 を 受 け た 様 子 が わ か る

。 経 覚 は こ れ に 対 し て

、 武 家 は 何 を し て い る の か と 不 満 を 漏 ら す の と 同 時 に

、 土 一 揆 の 所 行 を

「 下 極 上 之 至

」 と 表 現 し

、 そ の 力 を 恐 れ て い る 様 子 が わ か る

。 こ れ に 対 し て 国 人 が 警 固 を す る こ と に な る

。 大 乗 院 に お い て こ の よ う な 記

(15)

一四

録 が 残 っ て い る こ と が

、 国 一 揆 が 成 立 し た こ と へ の 危 惧 へ と つ な が っ た こ と が 想 定 さ れ る

。 ま た

、 そ れ 以 外 に も

、 土 一 揆 が 徳 政 を 求 め て 奈 良 に 侵 入 し

、 寺 社 に 放 火 す る こ と も た び た び あ っ た こ と も

、 国 一 揆 を 警 戒 す る 理 由 に 関 係 す る と い え る だ ろ う

。 し か し

、 寺 社 本 所 と 国 一 揆 は 大 き く 対 立 し た り

、 争 っ た り す る こ と は な か っ た

。「 寺 社 本 所 領 の 回 復

」 に は

、 次 の 内 容 が 含 ま れ る

( 前 略

) 於

成 物

、 庄 民 等 不

無 沙 汰

云 々

( 二 七

) こ の よ う に

、 荘 民 に よ る 年 貢 無 沙 汰 の 禁 止 が 含 ま れ て い た の で あ る

。 さ ら に

、 惣 国 は 国 一 揆 を 運 営 し て い く た め に

、 犯 罪 人 に 対 し て 検 断 を 行 っ て い た

。 検 断 と は

、 警 察 権 と 裁 判 権 を 合 わ せ た

「 検 断 権

」 に 基 づ い て 行 う も の で あ り

、 本 来 は 守 護 が 行 う

。 よ っ て

、 年 貢 無 沙 汰 が 発 生 し た と し て も

、 惣 国 は そ れ を 罰 す る こ と が で き る た め

「 寺 社 本 所 領 の 回 復

」 に は

、 相 当 な 実 効 性 が あ っ た と 想 定 で き る

。 実 際 に 惣 国 が 荘 民 を 処 罰 し た と い う 記 録 は 無 い が

、 大 乗 院 か ら 惣 国 へ 年 貢 無 沙 汰 を 通 報 す る こ と も あ り

、 寺 社 本 所 は そ れ だ け 惣 国 を 信 用 し て い た と も い え る

。 次 の 事 例 は 文 明 十 八 年 十 二 月

、 賀 茂 荘 や 綺 荘

( 木 津 川 市

) な ど の 年 貢 無 沙 汰 を 催 促 す る た め

、 国 一 揆 の 会 合 に 通 報 し た こ と を 示 し て い る

。 十 五 日

(16)

一五

狛 野 庄 加 地 子 無 沙 汰 事

、 依

御 披 露 之 次

、 賀 茂 庄 并 綺 庄 十 二 大 会 料 所 タ ル 処

、 近 年 有 名 無 美 之 間

、 厳 蜜

之 付 使 可

催 促

之 由

、 衆 中 エ 披

露 之

。 仍 衆 中 ヨ リ 山 城 国 衆 今 日 会 合 之 間

、 其 通 月 行 事 ノ 方 エ 申 遣 云 々

( 二 八

) こ れ は 大 乗 院 政 覚 の 日 記 の

「 政 覚 大 僧 正 記

」 で あ る が

、 料 所 が

「 有 名 無 実

」 に な っ て い る と し て

、 催 促 を 山 城 国 衆 の 集 会 に 申 し 伝 え た こ と が わ か る

。 興 福 寺 は 惣 国 を 信 用 し て い た の で あ る

。 た だ し

、 興 福 寺 は 年 貢 無 沙 汰 に つ い て 幕 府 に 訴 訟 し た り

、 ま た 荘 園 か ら 年 貢 の 損 免 を 要 求 さ れ た り す る こ と も あ っ た

。 た だ し

、 惣 国 に よ る 国 持 体 制 が 存 在 し た 八 年 間 に

、 両 者 が 争 っ た こ と は な く

、 寺 社 本 所 は む し ろ 惣 国 に よ る 自 治 を 支 持 し

、 そ れ は 領 主 側 の 紛 争 の 解 決 も 任 せ た ほ ど 信 用 さ れ る も の で あ る

。 逆 に

、 山 城 国 人 ら が 寺 社 本 所 の 普 請 に 協 力 す る こ と も あ っ た

。「 雑 事 記

」 と

「 政 覚 大 僧 正 記

」 の 長 享 三

( 一 四 八 九

) 年 六 月 十 二 日 条 に よ る と

、 狛 野 荘 の 下 司

( 狛 山 城 守 秀

) が 人 夫 を 大 乗 院 家 の 園 池 掘 り に 召 し す す め た 様 子 が わ か る

。 十 二 日 夕 立

( 雑 事 記

) 一

狛 野 庄 下 司

人 夫 三 十 五 人 召

進 之

、 池 堀

。 此 外 御 童 子

・ 力 者

・ 又 童 子 等 召

出 之

。 七 十 余 人

、 今

(17)

一六

日 堀 立 了

( 二 九

) 十 二 日

( 政 覚 大 僧 正 記

) 一

今 日 山 城 狗 下 司

人 夫 進

。 三 十 五 人

( 三

) こ れ ら の こ と か ら

、 寺 社 本 所 が 惣 国 解 体

、 山 城 国 一 揆 の 崩 壊 と 結 び つ い た 可 能 性 は 低 い と い え る

。 第

二 節

惣 国 と 土 民 文

明 十 七 年 十 二 月

、 両 畠 山 軍 撤 退 な ど を 話 し 合 っ た 国 人 の 集 会 の 際

、 土 民 も 群 集 し て い た こ と は よ く 知 ら れ て い る

。 国 人 の 集 会 に 土 民 も 高 い 関 心 を 持 っ て い て

、 支 持 し て い た と い う こ と で あ る

。 国 人 の 集 会 を 土 民 が 支 持 し た 理 由 に つ い て は

、 筆 者 の 卒 業 論 文 で

「 山 城 国 人 と 現 地 土 民 が 両 者 と も

、 両 畠 山 軍 に 迷 惑 し て い た

。 そ の 中 で

、 彼 ら と そ れ に 伴 う 他 国 衆 を 排 除 す る こ と は

、 国 人 と 土 民 に と っ て

、 大 き な メ リ ッ ト で あ る と い え る

( 三 一

」 と い う こ と を 明 ら か に し た

。 す な わ ち

、「 両 畠 山 軍 の 撤 退

」 と い う 点 で 国 人 と 土 民 は 一 致 し た た め

、 国 一 揆 は 成 立 し た の で あ る

。 言 い 換 え れ ば

、 惣 国

= 国 人 衆

) の 目 指 す こ と の 一 つ に

「 両 畠 山 軍 の 撤 退

」 が あ っ た た め で あ る

。 そ の こ と が 国 人 と 土 民 の 共 通 の メ リ ッ ト で あ っ た と い う こ と に つ い て は

、 卒 業 論 文 で 述 べ た た め

、 こ こ で は 省 略 す る

。 国 一 揆 の 崩 壊 を め ぐ る 議 論 に つ い て は

(18)

一七

長 ら く そ の 内 部 構 造 に 矛 盾 が 起 こ っ た こ と に 求 め ら れ て き た

。 鈴 木 氏 は

、 土 民 と 国 人 の 対 立 を 内 包 し て い た こ と を 主 張 し た

。 ま た

「 ふ る さ と ミ ュ ー ジ ア ム 山 城

(

京 都 府 立 山 城 郷 土 資 料 館

)

( 三 二

)」 の 常 設 展 に は

、 国 一 揆 に つ い て

「 次 第 に 国 人 と 農 民 と の あ い だ に 対 立 が 生 じ

」 た と し て い る

。 国 人 と 農 民

、 な い し 惣 国 と 土 民 の 対 立 が 国 一 揆 の 崩 壊 を 招 い た と さ れ て き て い る の で あ っ て

、 そ の 見 方 が 依 然 と し て 一 般 的 な よ う で あ る

。 な お

、 鈴 木 氏 は 国 一 揆 の 終 末 期

、 国 人 同 士 の 対 立 も 指 摘 し て い る が

、 こ れ に つ い て は 後 で 検 討 す る

。 こ こ で は

、 国 人 層 で あ る 惣 国 と 土 民 の 対 立 が 国 一 揆 を 崩 壊 せ し め た か 検 討 す る

。 な お

、 は じ め に

、 惣 国 の み 関 わ っ て 行 っ て い た こ と を 述 べ

、 次 に 土 民 の み が 行 っ て い た こ と を 述 べ る

。 最 後 に

、 国 人 と 土 民 が 関 係 す る こ と に つ い て 述 べ る こ と で 検 討 を 進 め る こ と に す る

。 惣 国 は

、 こ れ ま で の 多 く の 研 究 に よ っ て

、 犯 罪 人 の 検 断

、 半 済 の 実 施

、 交 通 路 の 管 理 な ど を 行 い

、 あ ら ゆ る も の ご と を 国 一 揆 の 集 会 で 話 し 合 っ て 決 め て い た こ と が 明 ら か に な っ て い る

。 ま た

、 惣 国 の 組 織 に つ い て は

、「 国 中 掟 法

」 が 定 め ら れ た 文 明 十 八 年 二 月 十 三 日 の 国 人 集 会 以 後 に つ い て 明 ら か に な っ て い る

。 国 史 大 辞 典 に よ る と

、「 こ の と き か ら 検 断 を 中 心 と す る 南 山 城 の 支 配 は 三 十 六 人 衆 と い わ れ る 国 衆 が 中 心 と な っ て 行 わ れ

、 こ の 組 織

「 惣 国

」 の 重 要 事 項 は 集 会

(19)

一八

で 決 め ら れ る が

、 日 常 的 な 政 務 執 行 は 月 行 事 が 行 い

、 集 会 の 議 題 も 月 行 事 が 調 整 し た

( 三 三

」 と さ れ て い る

。 惣 国 の 中 で も

、 月 番 で 交 代 す る 月 行 事 が 国 一 揆 の 運 営 に 関 す る 業 務 を 行 っ て い た の で あ る

。 ま た

「 後 大 慈 三 昧 院 殿 御 記

」 の 文 明 十 八 年 条 に よ る と

、 山 城 国 人 共 一 国 成 敗

、 年 行 事

・ 月 行 事 定

( 三 四

) と あ り

、 月 行 事 の ほ か

、 年 行 事 も 存 在 し て い た こ と が わ か る

。 検 断 に つ い て は

、「 雑 事 記

」 文 明 十 九 年 二 月 二 日 条 に

、 同 年 正 月

、 大 和 国 人 箸 尾 の 被 官 人 が 山 城 国 の 高 で 殺 人 を 犯 し た た め

、 惣 国 が 逮 捕 し 処 刑 し た こ と が 記 述 さ れ て い る

。 一

去 月

廿 五

、 六 日 事 也

。 箸 尾 金 剛 寺 披

官 人 坂 油 売

、 於

山 城 高

害 人

而 取

雑 物

。 仍 山 城 国 人 致

検 断

取 之

切 捨 了

。 山 城 之 沙 汰 次 第 神 妙 也

。 就

其 坂 郷 ニ 自

衆 中

使 共 付

。 恣

人 沙 汰 儀 如

例 也

。( 後 略

、 三 五

) こ の 処 分 に つ い て

、 尋 尊 は

「 神 妙 也

」 と 歓 迎 し て い る

。「 盗 人 沙 汰 儀 如 例 也

」 と い う こ と か ら

、 盗 人 が 現 れ た 時 に も 同 様 の 措 置 を 取 っ て い る こ と が わ か り

、 す な わ ち 検 断 は 日 常 的 な も の で あ っ た こ と が わ か る

。 ほ か に も

、 惣 国 は 本 章 第 一 節 で も 触 れ た

、 寺 社 本 所 の 紛 争 解 決 も 行 っ て い た こ と で 知 ら れ る

。 具 体 的 事 例 と し て は 文 明 十 八 年 十 一 月 に 相 楽 郡 子 守 社 の 買 得 の こ と で

、 興 福

(20)

一九

寺 の 奉 公 人 の 伊 予 守 と 高 矢 辻 子 方 が 相 論 に な っ た

。 翌 年 四 月 に は

、 石 垣 荘 の 郷 侍 が 興 福 寺 領 の 夏 麦 を 押 領 す る と い う ト ラ ブ ル が 起 こ っ た

。 尋 尊 は

、 押 領 を 非 難 し な が ら

、 伊 予 守 の 処 罰 を は じ め と し た 子 守 社 の 成 敗 を 山 城 国 人 に 委 ね た

。 寺 社 本 所 が 惣 国 を 信 用 し て い た と い う こ と は

、 第 一 節 で す で に 述 べ た

。 ま た

、 惣 国 の 意 思 決 定 機 関 と し て 集 会 が 存 在 し て い た

。 集 会 に つ い て は

、 第 一 節 の 通 り

、 日 常 的 に 行 わ れ て い た こ と が わ か る

。 一 方 土 民 に つ い て は

、 す で に 卒 業 論 文 で 明 ら か に し た が

、 国 一 揆 を 積 極 的 に 下 支 え す る よ う な 姿 勢 は 見 せ て い な い

。 土 民 は 年 貢 納 入 な ど を 行 っ た 以 外 に は

、 主 体 的 な 行 動 と し て 土 一 揆 を 起 こ し た に 留 ま る

。 延 徳 二

( 一 四 九

) 年 の 十 月 か ら 十 二 月 に か け て

、 南 山 城 の 土 民 が 蜂 起 し

、 徳 政 令 を 要 求 し た

。 興 福 寺 の 官 符 衆 徒 が 徳 政 令 を 出 し た と い う 事 例 が あ る

。 例 え ば

、 雑 事 記 の 十 月 十 日 条 で は

、 一

馬 借 事

方 々 構 共 在

。 善 勝 寺 橋 構 者

、 自

丑 寅 方

付 之

、 他 寺 領 内 也

。 東 大 寺 北 御 門 構 ハ

、 自

他 寺

付 之

云 々

。 夜 前 ハ 法 花 寺 小 屋 焼

。 貝 塚 辺 ニ 馬 借 共 少 々 来 歟 云 々

。 今 日 元 興 寺 札 立 之 歟 云 々

。 色 々 雑 説 共 申

、 比 興 ゝ

( 三 六

) と あ る

。 法 花 寺 に 放 火 し て 抗 議 す る と い う

、 か な り 過 激 な 行 動 に 出 て い る

。 そ の 後

(21)

二〇

官 符 衆 徒 が 会 合 し

、 棟 梁 の 古 市 澄 胤 が 徳 政 令 を 出 す の で あ る

。 寺 社 本 所 で あ る 興 福 寺 か ら す れ ば

、 こ の 土 一 揆 は 非 常 に 迷 惑 で あ る に 違 い な い

。 し か し

、 こ こ で 重 要 な の は

、 そ の 鎮 圧 を 惣 国 に 依 頼 し て い な い と い う こ と で あ る

。 先 述 し た が

、 こ の 二 か 月 間 の 土 一 揆 の 終 息 は

、 官 符 衆 徒 が 徳 政 令 を 出 し

、 徳 政 が 実 施 さ れ た こ と に よ る

。 よ っ て こ の 問 題 は 寺 社 本 所 と

、 彼 ら と 何 ら か の 貸 借 関 係 の あ る 土 民 が 関 わ る 問 題 で あ り

、 国 一 揆 全 体 と 直 接 関 係 す る 問 題 で は な か っ た の で あ る

。 よ っ て

、 土 一 揆 は 国 一 揆 と 無 関 係 に 起 こ っ て い た の で あ り

、 土 民 は 惣 国 に 対 し て と り わ け 協 力 的 と い う わ け で は な か っ た の で あ る

。 続 い て

、 惣 国 と 土 民 が か か わ る こ と に つ い て 検 討 す る

。 特 に

、 惣 国 の 行 っ た こ と の 中 で

、 半 済 の 実 施 と 交 通 路 の 管 理 に つ い て 述 べ る

。 ま ず は 半 済 の 実 施 に つ い て で あ る

「 雑 事 要 録

」 の 文 明 十 八 年 十 二 月 五 日 に

、 伊 勢 田 郷 に つ い て の 記 載 が あ る

。 伊 勢 田 郷 十 二 月 五 日 伊 勢 田 郷 年 貢 代 三 貫 文 当 年 国 衆 半 済

(

後 略

、 三 七

)

ま た

、「 雑 事 記

」 の 五 月 九 日 条 に よ る と 同 年 四 月 に は 菅 井 荘 へ の 半 済 を 実 施 し た こ と が わ か る

。 一

慶 英 律 師 瓶 子 持 参 了

。 宗 成 美 順

(22)

二一

、 同

道 之

。 管

井 庄 ニ 自

月 行 事 方

遣 書 状

。 於

山 城 国 寺 社 本 所

神 領 之 内

、 両 三 社 之 外 者 諸 入 紐

年 貢

・ 諸 公 事 以 下

、 午 之 年 一 年 中 可

半 済

。 此 趣 無

奸 謀

、 速 以 処

惣 国

仁 可

納 者 也

。 仍 而 国 之 定 如

。 卯 月 十 一 日

惣 国 月 行 事 判 判 ス カ イ

( 三 八

) こ こ で

「 午 之 年 一 年

」 の 半 済 と な っ て い る こ と か ら

、 一 年 単 位 で の 半 済 だ っ た こ と が わ か る

。 ま た

、「 両 三 社

」 と あ る が

、 こ れ に つ い て

、 熱 田 公 氏

( 三 九

) は

、 伊 勢 神 宮

・ 石 清 水 八 幡 宮

・ 春 日 社 で あ る と し て い る

。 史 料

( 三 八

) か ら は 惣 国 が

、 菅 井 荘 は

「 両 三 社

」 の 荘 園 で あ る と い う 認 識 が な い た め

、 半 済 を 課 そ う と し て い る こ と が わ か る

。 言 い 換 え れ ば

、 惣 国 は

「 両 三 社

」 に は 半 済 を 課 さ な い と い う 方 針 を 持 っ て い た と い え る

。 こ の こ と は 三 カ 条 の 掟 法 に は 記 さ れ て い な い た め

「 国 中 掟 法

」 も し く は 国 人 集 会 で 決 め ら れ た こ と で あ る と 考 え ら れ る

。 ま た

、 同 史 料 中 に は 菅 井 荘 か ら の 返 事 も 残 さ れ て い る

。 返 事 就

当 年 国 中 之 半 済

候 て

、 御 折 紙 委 細 拝 見 仕 候

。 仍 此 方 者 御 本 所 為

大 乗 院 殿

、 春 日 為

御 神 楽

米 に て 候 間

、 御 除

(23)

二二

之 在 所 而 可

有 候

。 諸 篇 御 目 出 度 候

。 恐 惶 謹 言

。 卯 月 廿 三 日

す か い 惣 庄 月 行 事 御 返 報

( 三 八

) こ れ に よ る と

、 菅 井 荘 は 大 乗 院 が 本 所 で あ り

、 神 楽 米 を 収 め て い る か ら

、 半 済 の 対 象 か ら 除 外 し て ほ し い と い う 旨 を 返 事 し て い る こ と が わ か る

。 そ の 後

、 菅 井 荘 か ら 半 済 が 納 め ら れ た か ど う か を 示 す 史 料 は 残 っ て い な い

。 そ れ 以 降

、 惣 国 に よ る 半 済 の 記 録 は 残 さ れ て い な い た め

、 菅 井 荘 の ほ か

、 寺 社 本 所 領 へ の 半 済 の 実 施 は 行 わ れ な か っ た 可 能 性 が 高 い

。 菅 井 荘 の 抗 議 の 事 例 に つ い て は

、 土 民 に と っ て は

「 こ こ は 半 済 の 対 象 で は な い

」 と い う こ と を 確 認 す る 程 度 の も の で あ り

、 対 立 と い う よ り は 異 議 申 し 立 て に 近 い と い え る

。 次 は

、 交 通 路 の 管 理 に つ い て で あ る

。 三 カ 条 の 掟 法 に は

「 新 関 の 廃 止

」 が 存 在 す る

。 す な わ ち 両 畠 山 軍 と そ れ に 伴 っ て 山 城 に 入 国 し て き た 他 国 衆 が 兵 糧 や 戦 費 の 調 達 の た め

、 新 設 し た 関 所 を

、 廃 止 す る と い う こ と で あ る

。 関 銭 徴 収 を 目 的 に 立 て ら れ る 関 所 は

、 そ の 地 域 の 通 行 の 妨 げ で あ る

。 よ っ て

、 そ の 撤 廃 は 土 民 の み な ら ず 国 人 も

、 そ し て 山 城 を 通 行 す る 人 々 に と っ て も あ り が た い こ と で あ っ た

。 応 仁 の 乱 後 の 山 城 国 内 の 新 関 の 設 置 状 況 を 示 す の が

、「 雑 事 記

」 の 文 明 十 七 年 七 月 十 一 日 条 で あ る

(24)

二三

京 都

御 返 事 共 到 来

。 山 城 路 次 関 以 下 事

、 徳 力 申 上 分

、 木 津 渡 狛 橋 賃

与 次 郎 関 申 出 之

。 与 次 郎 関 申

出 之

。 伊 賀 衆 関

郡 公 事 申 出 之

。 郡 公 事 申 出 之

。 宇 治 橋 賃

法 性 寺 関 申 出 之

。 大

裏 御 料 所 云 々

。 希 代 不 思 儀 事 也

。 京 都 近 所 如

此 任

雅 意

、 以 外 事 也

。( 四

) こ の 中 の

「 伊 賀 衆 関

」 と い う 文 言 か ら わ か る よ う に

、 他 国 衆 が 山 城 に 侵 入 し 新 関 を 設 置 し て い た こ と が わ か る

。 ま た

「 任 雅 意

」 と い う と こ ろ か ら

、 関 所 が 乱 立 し て い た こ と が わ か る

。 川 岡 氏

( 四 一

) に よ る と

、 大 乗 院 経 覚 に 対 し て 六

〇 以 上 の 関 所 の 乱 立 が 報 告 さ れ て い た

。 脇 田 氏

( 四 二

) に よ る と

、 八 幡 神 人 が 数 百 の 新 関 を 立 て て い た

。 そ れ を 示 す の が

、「 雑 事 記

」 の 文 明 十 五 年 九 月 十 二 日 条 で あ る

。「 然 間

、 八 幡 神 人 等 及

数 百 个 所

新 関

者 也

、 依 本 関 一 向 破 了

( 四 二

」 と あ り

、 八 幡 神 人 は 新 関 を 設 置 す る の み で な く

、 本 関 を 潰 し て い た こ と が わ か る の で あ る

。 な お

、 氏 に よ る と

、 淀 川 の 河 上 本 関 は

、 興 福 寺 五 个 関

・ 春 日 具 菜 関

・ 当 門 跡 二 箇 所 関 で あ る

。 か か る 理 由 の た め

、「 新 関 の 廃 止

」 は 非 常 に 喜 ば し い も の で あ っ た は ず で あ る

。 こ の

「 新 関 の 廃 止

」 は

「 両 畠 山 軍 の 撤 退

」 と 合 わ せ る こ と で 実 効 性 を 持 っ た

。 戦 費 調 達 を 行 う 軍 勢 が い な く な っ た こ と で

、 は じ め て 新 関 を 廃 止 す る こ と が で き た の で あ る

(25)

二四

し か し

、 明 応 元

( 一 四 九 二

) 年 の 十 月 か ら 十 一 月 に か け

、 山 城 国 人 が 立 て た 新 関 を 狛 野 荘 よ り 迷 惑 と 訴 え ら れ

、 管 領 細 川 政 元 が 撤 去 さ せ る と い う こ と が 起 こ っ た

「 雑 事 記

」 の 明 応 元 年 十 月 廿 日 条 と 十 一 月 八 日 条 に よ る と 次 の と お り で あ る

。 廿 日 一

山 城 国 新 関 事

、 迷 惑 珍 事 旨

、 自

狛 野 庄

訴 状 進

。 自

木 津 庄

一 条 院 殿 ニ 同 申 上 歟 云 々

。 則 此 子 細 御 注 進 之 山 城 国 人 百 人 分 同 心 申 合 立 云 々

( 四 三

) 八 日 一

山 城 国 三 个 所 之 新 関 共

、 昨 日

・ 今 日 ニ 皆 以 上

、 細 川

成 敗 云 々

。 江 州 儀 厳 蜜

之 間

、 如

此 申 付 云 々

( 四 四

) 特 に 史 料

( 四 三

) よ り

、 こ の 関 所 は

「 国 人 百 人

」 が 同 心 し た と い う と こ ろ か ら

、 こ の 新 関 は 惣 国 の 意 思 で 設 置 さ れ た こ と が わ か る

。 そ れ を 土 民 が 迷 惑 で あ る と 訴 え た の で あ る

。 土 民 に と っ て は

「 新 関 の 廃 止

」 が 約 束 さ れ て い た は ず な の に

、 新 関 を 惣 国 が 立 て て し ま う の だ か ら

、 迷 惑 だ と 思 う の は 当 然 で あ る

。 こ こ ま で

、 惣 国 と 土 民 に つ い て 確 認 し て き た が

、 特 に 惣 国 と 土 民 に 関 係 の あ る 事 柄 か ら

、 土 民 は 惣 国 に 対 し て

、 彼 ら が

「 国 中 掟 法

( な い し 三 カ 条 の 掟 法

」 を 破 っ た と 思 わ れ た と き は 異 議 申 し 立 て を 行 っ て い る

(26)

二五

土 民 の 立 場 か ら 見 る と

、 自 身 ら に は 非 が な い の に 追 加 の 収 奪 さ れ る の で あ り

、 そ れ に は 抵 抗 し よ う と す る の で あ る

。 こ れ は

、 鈴 木 氏 の い う よ う な

「 名 主 層 の 裏 切 り

」 と と ら え る こ と も で き る か も し れ な い

。 鈴 木 氏 や ふ る さ と ミ ュ ー ジ ア ム 山 城 な ど は

、 土 民 と 国 人 の 対 立 を 国 一 揆 崩 壊 の 要 因 の 一 つ と し て い る

。 確 か に

、 こ れ は 惣 国 に 対 し て 土 民 が 反 発 し て い る と い え

、 両 者 の 対 立 と す る こ と は で き る

。 し か し

、 こ れ を 国 一 揆 崩 壊 の 要 因 と と ら え る こ と に は 慎 重 で な け れ ば な ら な い

。 土 民 が 行 っ た こ と は あ く ま で 異 議 申 し 立 て ま で で あ り

、 国 人 に 対 し 戦 い を 挑 む こ と は な く

、 小 規 模 な も の で あ っ た

。 自 力 救 済 を す る つ も り は な か っ た の で あ る

。 新 関 を 撤 廃 さ せ た の も

( 四 四

、 細 川 政 元 で あ っ て

、 土 民 で は な い

。 こ れ は 注 目 す べ き で あ る が

、 第 三 章 第 三 節 で 述 べ る こ と に す る

。 惣 国 は 土 民 の 行 動 や 両 者 の 対 立 に よ っ て 直 ち に 解 体 に 追 い 込 ま れ た わ け で は な い

。 国 人 の 立 て た 新 関 が 撤 廃 さ れ

、 そ れ か ら お よ そ 十 ヶ 月 後 に 国 一 揆 は 終 わ り を 迎 え る が

、 そ の 要 因 は 土 民 と の 対 立 で は な い

。 む し ろ

、 新 関 を 撤 廃 さ せ た 細 川 政 元 ら

、 室 町 幕 府 の 行 動 や そ れ に 伴 う 一 連 の 流 れ に よ る と こ ろ が 大 き い

。 ま た

、 鈴 木 氏 は 山 城 国 一 揆 の 崩 壊 の 理 由 に つ い て

、 国 人 同 士 の 内 部 対 立 を 内 包 し て い た こ と を 挙 げ て い る が

、 そ れ は 室 町 幕 府 の 山 城 国 一 揆 へ の 対 応 に か か わ る

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